Home > Interviews > interview with Nightmares on Wax (George Evelyn) - いま音楽を感じる喜び
ナイトメアズ・オン・ワックスを名乗るジョージ・エヴリンと言えば〈Warp〉の古参のなかの古参、在籍年数で言えばAFXやオウテカよりも長い。そんなエヴリンと対面で取材したのは、ぼくはたったの一回だけ。1997年、まだシェフィールドにあった〈Warp〉のオフィス内でのことだった。ここでおさらいしておくと、彼の名義にある「ナイトメア」の意味を「悪夢」などとネガティヴに訳してはいけない。これは「悪夢」という言葉が反転して「ワイルドな夢」という格好良さを意味している。マイケル・ジャクソンの「バッド」が「悪い」んじゃなく「超格好いい」ということを意味するのと同じだ。「ワックス」とはレコードのことで、つまり彼の名義は「レコードのうえのワイルドな夢たち」なのである。
1997年に「レコードのうえのワイルドな夢たち」に会うということは、かの有名な『スモーカーズ・デライト』(*至福のチルアウト感覚によって、トリップホップを再定義したアルバム)をリリースしてまだ2年しか経っていないときに会うということだ。ぼくのなかにエヴリンに対する先入観がなかったと言えば嘘になる。ところがじっさい現地で会った本人は、アシッド・ハウスと出会ったリーズのBボーイというよりは、シックな服装をした、いたって真面目な普通の青年という印象だった。そのときの取材の最後に彼が真顔で言った言葉はいまも忘れられない。「ギリギリの生活だけど、飯が食えて、良い音楽と良いウィードがあれば俺は満足なんだ」
ジョージ・エヴリンにとっての「良い音楽」とは、オーセンティックなソウルであり、80年代のヒップホップであり、70年代のダブやレゲエ、そして官能的なジャズ……なんかである。とりわけクインシー・ジョーンズの『ボディー・ハート』(1974)のような作品や70年代のカーティス・メイフィールドの滑らかなソウル/ファンクは、オールド・スクールのヒップホップとともにNOWの出発点において大きなインスピレーションとなっている。
いずれにしてもNOWの作品は、エヴリン独特のレイドバックしたダウンテンポというパレットの上をさまざまな「良い音楽」がミックスされることで生まれている。彼は現在のところコンスタントに8枚のアルバムをリリースしているが、それらはすべてチルアウターたちの期待に応えるものであり、快適さを約束するものという点ではすべてが同じと言えるのだが、しかし作品ごとそれぞれしっかりと色を持っているという点ではすべてが違ってもいるのである。
先日リリースされたばかりの9枚目のアルバム『Shout Out! To Freedom...』もある意味いつもと変わらぬNOW音楽ではあるが、しかしいつもとは違った熱が込められている。その「違った熱」について、以下にエヴリンがイビサの自宅からじつに熱心に語ってくれている。アルバム制作中に受けた手術について、今回のテーマとなった自由について、音楽を作ることの意味、シャバカ・ハッチングスへの敬意、そしてブラック・ライヴズ・マターについてなど、彼のシリアスな思考がよく出ているし、こんなにたくさん話しているインタヴューは他にないと思うので、エディットは最小限にして、なるべくそのまま掲載することにした。リラックスしながら、部屋のスピーカーから新作を流しつつ読んでいただけたら幸いだ。忘れかけていた微笑みが戻ってくるかもしれない……。
俺は、パンデミック以来、実に多くの物事から自分を解放したからね――つまりパンデミックを機に、リセットしてみたんだ。自らをリセットし、自分自身の内面と再びチューニングを合わせ、そうやって本当に、じっくり人生を見つめ直し、再評価してみた。自分の人生や人間関係等々をね。
■本日はお時間いただき、どうもありがとうございます。
GE:どういたしまして。
■この取材はele-kingという、インディ・ミュージック/エレクトロニック・ミュージック系のウェブサイト向けのものになります。
GE:うん、雑誌は憶えてるよ!
■(笑)はい、紙版もありますが、現在はウェブが主体になっています。
GE:なるほど、そうだよね。
■パンデミック以降、あなたのイビサでの生活はどのように変わりましたか?
GE:そうだな、俺の生活は……思うに、自分はスロー・ダウンし、対して時間のスピードは速まった、それだったんじゃないかな? (笑)いやだから、自分の日常はいま、非常にリラックスしたものになっているってこと。常にツアーで移動、ほぼ数日おきに次の地に飛ぶフライトをつかまえる……なんてこともないし、家に留まり、家族との時間をエンジョイし、そして音楽作りも楽しんでいる。そうだね、いま、とても、とてもハッピーで満足している。
■スペイン本土はたいへんでしたがイビサは島ですから、それほど影響は受けなかったのでしょうか?
GE:あー、うん……。いや、正直、COVIDそのもの以上に、パンデミック関連の規制の方が危険だったっていうか(苦笑)? たとえば、我々もロックダウンさせられたし、家からの外出も禁止、海で泳ぐことさえ禁じられて――それって、俺からすれば理屈に合っていなくてさ(苦笑)。だって、海で泳ぐのは身体の免疫機能に良い効果があるからね。
■はい。
GE:政府側は人びとに自宅謹慎を求めたけど、日光を浴びるのは身体にとって良いことだし。それに、街路での喫煙も、飲酒も禁止。管楽器を演奏する場合を除いて、常時マスク着用が義務づけられていた。
■かなりガチだったんですね。
GE:(苦笑)ああ、やや過剰だった。でもさ、ほら――俺たちはまだ元気にやっているし、いまやこうしてあの頃についてジョークを飛ばせるんだから、そこはラッキーだってことじゃないかな。だけど、COVIDというストーリーはまだ終わっちゃいないと思うし、うん、まだしばらくかかるだろうな。俺たちは果たしてこの冬を乗り切れるか、そこを見極めていこうよ、ね? 冬で状況がどうなるかを見守っていこう。
■ですよね。さて、資料によると今作を作る前に、あなたの健康上で大きな問題があったそうです。長年の活動(ギグや移動など)によってずいぶん身体にダメージがあり、ご自身の健康を案じたということですが、具体的にはどのようなことがあったのかを話せる範囲でいいので教えてください。
GE:ああ。っていうか、それは今年の話。今年のはじめに起きた出来事だよ。
■そうなんですね。
GE:というのも、んー、そうだな、アルバムを書きはじめたのは……2018年末にはソングライティングに取り組んでいたし、そのまま2019年も継続し、で、2020年3月にパンデミック状況が本格化し出した、と。あれは今年のはじめ、2021年1月だったけど、頭の後ろに痛みを感じていたから健康診断に行ったんだ。検診の結果健康上の問題が発覚し、手術を受けることになった。頭に腫瘍があって、それを摘出する手術をね。
■なんと! それはたいへんでしたね……
GE:良性の腫瘍だったし、もう大丈夫なんだけどね。ただ、あの当時は(良性かどうか)わからなかったし、生検の結果が出るまでしばし待たなくてはならなかった。それでも、その間もアルバムには取り組んでいた。だから、あの体験のおかげで非常に……非常に興味深いリアリティがもたらされたっていう。言うまでもなく自分の寿命を、これでおしまいなのか? と自問していたし、果たしてこれが自分の最後のアルバムになってしまうのか、あの段階ではそれもわからなかった……。そういう、あれこれに直面したわけ。
けれども、そうした思いのすべてから数多くの感謝の念が生まれ、生きていることのありがたみを感じる助けになった、というか――まあ、俺はいずれにせよ、感謝の思いはかなり強い人間なんだけど――この一件は自分にとってでかいストーリーだった、みたいな。で、それはある意味このアルバムが表現しようとしていること、そことも一致するんだよ、フリーダムの別の側面、というか。だから、いまおれは自由についていろいろと語っているけれども、これは自由のまた別の要素というか……果たして自分はこのストーリー(=健康問題等々)から逃れられる(free of)のか、それともこの作品が最後のストーリーになるのか? と。というわけで、うん、あれは非常に、非常にディープでエモーショナルな時期だったね。
■腫瘍が良性だったのは本当に何よりですが、そこには長年の活動もあったと思いますか? 先ほどもおっしゃっていたようにあなたは多くのギグをこなしてきたわけで、不規則なツアー生活のなかで健康管理をちゃんとしていなかった、という面も若干影響した?
GE:いやいや、あれは……何もツアー生活ばかりが要因だった、とは自分は言わないなぁ。もちろんツアー中の生活様式は、エモーション面・精神面・肉体面でヘルシーなものとは言えない。そこは認めて、いったん脇に置こう。ただ、俺自身は不健康な生活を送っていなかったしね。食生活もかなりちゃんと考えてるし、エクササイズもやってるからさ。でも、そうは言いつつ、その3つの要素のバランスをとるためには、たまに、その一部をある程度犠牲にしなくちゃならない場面だってあるわけだよね?
■たしかに。
GE:だから、あの出来事が自分のミュージシャンとしてのライフスタイルのせいだった、とは言わないよ。でも、ある意味感じたな……正直、肩と首とに、苦痛・不快感は長いこと、何年も感じてきたんだ。ただ、その要因が腫瘍だったなんてちっとも知らなかった。実際、こんな風に(と、DJが肩をあげてヘッドフォンの一方を耳に押しつけ、首を傾げてモニターするポーズをとる)プレイしながら何時間も立ちっぱなしだったり――
■(笑)ええ。
GE:(笑)フライトを目指して移動続きで、睡眠も食事も行き当たりばったりになったり。だから自分の背中の痛みだのなんだのは、そんなツアー生活のつけが回ってきたのかな? くらいに思っていた。ところが、これ(腫瘍)が見つかったわけで……あれは頭部/首の後ろ、しかも筋肉のなかにできていてね。そのせいで、自分の立ち方から何から、すべてに影響が出たんだ。
■全身に関わりますよね、それは。
GE:そう。で、さっきも話したように、6ヶ月くらい前まで……いや、もっと前かな? それまで、要因がそれだったとは知らなかったわけで。ともかく、クレイジーな話だった。で、おれとしては……長年の活動のせいにするつもりはないし、とにかくこの体験も自分のストーリーの一部として見ている、そんな感じなんだ。それに、あれで、自分は古いエネルギーを、何かしら古くて重たいエネルギーを取り去っているんだ、そんな風にも捉えていた。というのも俺は、パンデミック以来、実に多くの物事から自分を解放したからね――つまりパンデミックを機に、リセットしてみたんだ。自らをリセットし、自分自身の内面と再びチューニングを合わせ、そうやって本当に、じっくり人生を見つめ直し、再評価してみた。自分の人生や人間関係等々をね。で、それをやることは、ロックダウン期の時間を過ごすのに実に役に立った。ほんと、あの頃は、費やせるのは時間だけだったから。でも、あの経験のおかげでとても多くの結果を、そして感謝の念を手に入れたよ。
俺は自分のレコードや音楽を「変化しつつあるコンシャスネス」と関連づけている、それは間違いない。肌の色は関係なしに、すべての人びとを集め一緒にするものとしてね。
■なるほど。すでに作品作りには着手していて、その途中で腫瘍が発覚した、と。ある意味ショッキングな、人生の転換期を迎えたなかでの録音になった今作は、どのような過程で生まれたのでしょうか?
GE:うん、制作中にあの一件は起きたけど、それでも俺は音楽作りをストップしなかったんだ(笑)! うん、とにかく、中断はしなかった。だから、それがこの一連の出来事の、本当に、本当にシュールな側面だったっていうのかなぁ……要するに、健康上の深刻な問題があるからって、じっと安静して心配ばかりしているつもりはないぞ、みたいな。わかる? それは自分じゃないし、仮に事態が最悪なものになったとしても、だったら自分はいま残された時間をできるだけ活用したい、と。そこで、よりディープな地点に連れて行かれたっていうのかな、要するに「もしもこれが自分の作る最後のアルバムになるとしたら、どんな作品にしたいんだ?」と自問したわけ。
■なるほど。
GE:だろ? 実際、その思いのおかげで、より深く掘り下げていくことにもなった。何も考えていないときですら、色んな思いがランダムに頭に浮かんだしね。家族のみんなは大丈夫かなとか、ありとあらゆる考えが勝手にわき上がってきて、我ながら「ワオ、一体どこから出て来たんだ?!」みたいな。音楽に関してもそれは同様だったし、非常に……とは言いつつ、俺はまだこのアルバムのストーリーを見つけようとしていたし、もちろん常に音楽を作っているとはいえ、アルバムが1枚にまとまっていく過程というのは、音楽群が形を成し、徐々に一貫性を持ちはじめ、そこで俺にも「アルバム」が聞こるようになってくる、と。そうなったところで「このアルバムは何についての作品なんだろう?」と自問しはじめるし、そうやって音楽そのものが正体を現しはじめるんだ。
というわけで、パンデミックのはじめ頃、アルバムの30〜40パーセントができていた。で、そこから数人のアーティストの声をかけていき、「君たちサイドの内部で何が起きているか、それについて書いてくれないか」と頼んだんだ。と言っても、(パンデミック被害状況等の)統計上の数字の話ではないよ、もちろん! そうして彼らから俺に返されてきたものは、実に深遠で、本当に興味深いものだった。で、2020年も終わりに向かいつつあった頃、俺も感じはじめていたんだ、「フム、これらの歌はどれも、色んな形の『自由』を求める叫び、様々に異なる呼び声のように聞こえるな」って。それで俺自身、自分に問いかけはじめたんだ、「自由とは何か?」と。ほかのアーティストとの話し合い、あるいは自分の抱いた疑問からですら、誰もがひとりひとり異なる「自由」の定義を持っている、という点に気づいたからね。誰にとっても、各人の自由の定義は違うんだ、と。そこで俺も、おお、これはすごく面白いなと思った。
そうして、続いて――俺自身の、「マイ・ストーリー」が起こったわけだよ、そう思った後に(苦笑)。で、俺もなんてこった! って感じだったし、じゃあ、自分は何から自由になりたいだろう? と考えた。要するに、この(自由に関する)アルバムを作っているところで、自分個人のストーリーも生じた。自由についてのアルバムを作っている最中に、自分も実際に何かから解放されたい/逃れたいと思って生きていた、みたいな。しかもその間、外の世界も同じような状況だったわけだよね? 人びとは外出したがっていたし、他者との結びつきを求めていて、でも家族親類にすらなかなか会えない状況だった。政府の動き方もかなり妙な具合だったし、うん、思ったんだよ、「みんな自由を求めてる、じゃあ、フリーダムってなんなんだ?」と。その思いはホント、このアルバムを作っていた間じゅう、ずっとこだましていたっていうのかな。遂に気がついた、「そうか、誰にだって、そこから自由になりたい何かがあるんだ」とわかったっていうか。たとえ、人びとは「自由になりたい」と口に出して言うことはなくてもね。だから、もしかしたらこれはそれについて話し合い、他の人間にも「そう思っているのは君だけじゃない」と知らせる機会なんじゃないか、と思った。誰しも何かしら、そこから逃れたいと思っているものがあるんだ。誰だって、絶対にある。それは子供時代のトラウマかもしれないし、仕事かもしれない。人間関係から解放されたいとか、なんらかの恐怖症から自由になりたい等々、いくらでもあるだろう。誰もがそれぞれの思いを抱いているし、君ひとりじゃない、俺たちみんなの抱えているスピリットについてなんだ、と。だろう? というわけで俺は……このアルバムの収録曲を通じてだけではなく、本作に関する取材やその周辺で起きる対話を通じて、この疑問から我々はなんらかの癒しを生み出すことができるんじゃないか? そう思ってる――誰に対してもね。いやほんと、このアルバムはあらゆる人に捧げたものなんだよ。
■様々な要素のある作品ですが、たとえば“Imagineering”をはじめとして全体にとても温かなヒューマンさ、受け入れてくれる感じのするアルバムなのは、だからなんですね。
GE:うん、“もたらす”ってことなんだ……もうひとつ俺が大事だと思うのは――様々な問題についての歌を書くのはかなり楽なことなんだ。ただ、俺はそれはやりたくない、っていうのかな? いや、それらの問題に光を当てることはちゃんとやるけれども、それだけではなく、同時に希望ももたらせるだろうか、みたいな? というのも、肝心なのは問題それ自体じゃないから。大事なのはそれらの問題の解決、それなんだ。わかるよね?
■なるほどね、はい。
GE:で、解決は、俺たちはみんな互いに繫がり合っている、そう感じたときにやってくるものであって。というわけで、俺からすれば人びとに「ああしろこうしろ」と命じるのではなく、みんなと何かシェアする形でその点をどうやって表現すればいいだろう? ということだったんだ。その問いかけは、少なくとも人びとがその点を意識する、そういう思考を彼らのなかにインスパイアするかもしれないし。
序文・質問:野田努(2021年11月19日)