「坂本龍一」と一致するもの

象は静かに座っている - ele-king

 1行目を書き出すことがこんなにも楽しく、そして、どこから書けばいいのか皆目見当がつかない作品も珍しい。題材から書き始めれば重苦しい作品だという先入観が生まれてしまうだろう。特異な撮り方から説き始めれば過剰にシネフィル的な作品だという印象を与えるかもしれない(まあ、シネフィルだけど)。上映時間が4時間近いといえば何を想像するだろうか。どうしよう。どこから書こう。あー楽しい。

 中国の地方都市を舞台にした中国映画だけれど、仕上がりはヨーロッパ映画。始まってほどなく中期ヴィスコンティやベルトルッチの名前が思い浮かぶ。フー・ボー監督は実際にタル・ベーラに師事したそうで、ベーラが94年に撮った『サタンタンゴ』が奇しくも今年、日本で初公開となっている。こちらは上映時間が7時間。さすがに観ていない。気合が足りない。

 やはり題材から明確にしていこう。重慶が人口で上海を抜いたとか、発展的な側面ばかり伝えられる中国とはまるで無縁の地方都市(北京から南東に50キロ)。かつては炭鉱業で栄えたらしく、中途半端に飾り立てられたショッピング・モールが逆に物悲しさを増幅させる。経済成長から取り残された地方都市だと一目でわかるということは格差社会の実相をリアルタイムで記録したということであり、今年のカンヌでパルムドールを獲得したポン・ジュノ監督『パラサイト』が中国では格差社会を意識させるという理由で前日になって公開中止になったという事実と合わせて考えてみると、一時的に忘れられるようなことがあっても、歴史的な文脈を持ち出される時には何度も思い出される作品になるだろうということが予見できる(『パラサイト』は日本では来年1月公開予定)。

 公団なのか低所得アパートなのか、画一的な間取りの集合住宅で朝を迎えるいくつかの家族。かなりの大人数を絡ませる群像劇なので、いきなり誰が誰だかわからなくなりかけてしまい、しかも、老若男女のすべてが荒んでいて、キャラクター的にも見分けがつかない。チャン・ユー演じるユー・チェンが窓を開けると「ゴミを燃やすな!」と怒鳴る声が路上から聞こえる。ユー・チェンは声が聞こえた方向に「燃やせ!」とハッパをかけ、路上からは「下りてこい!」と恫喝する声が戻ってくる。フー・ボー監督は登場人物が誰かと会話している時に、会話の相手をほとんど映さない。会話だけでなく、登場人物が何をしているか、手の先にあるものとか、登場人物が見ているものをまったくといっていいほどフレームに収めない。監督が撮っているのは登場人物の意識で、誰かが登場人物に話しかけても、ほかのことを考えていて相手の話を聞いていなければ、相手にはフォーカスを合わせず、ぼんやりとしか画面に映し出されない。後半でユー・チェンたちが食事をしていた食堂のコックが火を出してしまい、危うく火事になりかけるシーンでもカメラは厨房に入らず、長々と白い壁を映し出して意識的に情報をカットしていく。これは最近でいえばネメシュ・ラースロー監督が『サウルの息子』(15)で誇張気味に採用した手法と近いものがある。『サウルの息子』はホロコーストに収容されたユダヤ人の視点でその世界を描くというもので、主役となる人間は写らないというものだったけれど、もう少しカメラを後方に引いて、登場人物の背後から写したのが、同監督による『サンセット』(18)だった。神の視点を排除したとしてもいいし、スマホの世界観で視界を切り取ったと考えてもいいけれど、この撮り方を群像劇に応用したのが『象は静かに座っている』という流れに見えてしょうがない(実際には『サンセット』の公開前に完成している)。人物の周囲をあまり映さないということは、周囲で起きていることが登場人物にどんな影響を及ばしているのかよく分からないということで、どの人の人生もとても不安なモードに包まれて感じられる(『サイタマノラッパー3』にも同様な手法が効果的に用いられていた)。そして、何かが起きるとすべてが突発的な出来事のような印象を持ちやすく、ユー・チェンの弟が階段から落ちたり、リー・ツォンシー演じるワン・ジンの飼っている犬がほかの犬に噛み付かれたりしても、すべてが終わってからでないと事態を把握することはできない。実際にも事件を「目撃する」人よりは、事故直後に現場を「見た」という人の方が多いように、ある意味、現実の把握の仕方は(映画的ではなく)現実に近いものになっている。

 登場人物は全員が過度に荒んでいて会話の多くは怒鳴り散らすだけ。ワン・ユーウェン演じるファン・リンと母親の会話がとくにヒドく、全体に子どもを持つ親たちの大人気なさは際立っている。このような家族をいくつか見せたあとで、ここにいては子どもの教育によくないといって文教地区に引っ越そうとする一家が映し出される。引っ越すためには祖父であるワン・ジンに老人ホームに入ってもらわねばならない。ワン・ジンは納得がいかず、その場から逃げるように犬を連れて散歩に出る。この辺りを見ていて、日本で起きた殺人事件について中国の人がツイッターでつぶやいていたことを思い出した。登戸でバスを待つ子どもたちの列に刃物で切りかかった男の事件があった頃だったと記憶しているけれど、そういったタイプの犯罪者は「まるで社会に復讐しているかのように見える」と、その人はつぶやいていた。池田小事件や秋葉原通り魔、相模原障害者施設殺傷事件なども話題に上がっていたかと思う。え、しかし、待てよ。中国にも刃物を持った男が小学校に乱入したというような事件は年に1~2回あるじゃないか。なのに、日本の事件だと「社会」との関係で起きたように見えるというのか。中国の事件についてはそうではないというのだろうか。また、登戸の事件があった時、ひきこもり差別はよくないという声が起きるほど日本のTV番組ではそのように「予備軍」についての議論が拡大していったけれど、僕が奇妙に思ったのは予備軍がいるということは、どうも全員が共有している前提なのである。誰ひとりとして「個人が起こした犯罪」とは思っていない(というか、中国の人がツイートしていたように「復讐されるような社会に住んでいる」という自覚があるということである)。文教地区に引っ越そうとしている一家が「その地区」を見限っていることはわかる。その時に、それが日本で「社会」と感じられるようなものが中国でも同じように意識されているかどうかが僕にはよくわからなかった。中国は個人主義だというし、一度だけ北京と大同を旅行した時に、そのようにも感じたこともあるのだけれど、『象は静かに座っている』に描かれている人たちが一様に荒んでいるのはもはや個人にはどうすることもできない範囲の問題なのか、それとも……

 最後に時間のことも。坂本龍一が「4時間近くと長い映画だが、無駄なショットがあった記憶はない」と本作にコメントを寄せている。僕も同感である。とんでもない構成力だし、テーマに合った長さだと思う。主には4人が主役のような動きをしていて、誰にでも感情移入できるし、誰にも感情移入しなくていい。KLFならぬセルロイド・リベラシオン・フロントが寄せた「ジョイ・ディヴィジョンの歌の執拗なベースラインのよう」という評価もなるほどだけれど、「パンクの身体化を忘れず、低下層の視点を写している」と結ばれると、ちょっと違和感が。『象は静かに座っている』は社会派というよりはもっと神話を映像化したものに思えたから。「この世界、ヘドが出る」と、人生に絶望しているセリフのオン・パレードは、だから、ある特定の社会や時代と不可分ではなく、ユビキタスな価値観として機能する。「ヘドが出る」からどうするのか。変えるのか。消えるのか。諦めるのか。死ぬのか。(以下、ネタバレ)長距離バスで満州里に向かうポン・ユーチャン演じるウェイ・ブーは同じように孫の手を引いて同じバスに乗りかけてやめたワン・ジンに「どこも同じだ。だから行く前に自分を騙すんだ」と諭される。ワン・ジンが孫を連れていることにもおそらくは意味があり、中国では子どもの将来を親が決めすぎるということがよく言われる。文教地区への引越しはまさに「孫」の将来をワン・ジンの息子夫婦が決めようとしているからで、孫娘は自分の意思でそこから逸脱しようとしている。息子夫婦が表しているものは経済成長であり、孫娘がそれを選択しなかったことによって、この作品には対立していない親子はひと組も出てこないという図式が出揃うことになった。引き裂かれている。この部分はまさにディヴィジョン(分断)である。ワン・ジンはブーに向かって、こう続ける。「お前はまだ期待してる。一番いい方法は、ここにいて向こう側を見ることだ。そこがより良い場所だと思え、だが行くな。行かないから、ここで生きることを学ぶ」と。ウェイ・ブーは、しかし、その言葉に納得しなかったのか、それとも納得した上でなのか、ワン・ジンたちにも一緒に行こうと誘い、4人を乗せてバスは満州里を目指して走り出す。彼らが目指しているのは象が静かに座っている場所である。象は一生を立ったまま過ごす動物で、「象が座っている」ということは、それは死を意味している。

 フー・ボー監督は本作品を完成したのち、自殺。29歳だった。
                                    

『象は静かに座っている』予告編

Alva Noto & Ryuichi Sakamoto - ele-king

 これまで幾度も共作・共演を重ね、昨年もライヴ盤『Glass』を発表しているアルヴァ・ノト(カールステン・ニコライ)と坂本龍一が、新たにライヴ・アルバムをリリースする。今回は2018年にシドニー・オペラハウスで録音されたもので、当日の即興や、イニャリトゥ『The Revenant』のテーマなど、これまでのふたりのコラボ曲によって構成されている。発売は11月15日。

[11月15日追記]
 上記ライヴ・アルバムの日本盤の発売が決定しました。発売は11月29日、リリース元は〈インパートメント〉です。詳細は下記をご確認ください。

日本盤情報

発売日:2019年11月29日(金)
品番:AMIP-0200
アーティスト:Alva Noto & Ryuichi Sakamoto
タイトル:‘TWO’ - live at Sydney Opera House
レーベル:NOTON
フォーマット:国内流通盤CD
本体価格:¥3,200+税

https://www.inpartmaint.com/site/28519/

 以下は当初の情報です。

Alva Noto & Ryuichi Sakamoto
TWO: Live at Sydney Opera House
NOTON
12" Vinyl Album / CD Album
Available 15 November 2019

Tracklist:

01. Inosc
02. Propho
03. Trioon II (Live)
04. Scape I
05. Berlin (Live)
06. Scape II
07. Morning (Live)
08. Iano (Live)
09. Emspac
10. Kizuna (Live)
11. Gitrac
12. Monomom
13. Panois
14. Naono (Live)
15. The Revenant Theme (Live)

https://noton.greedbag.com/buy/two-120/

Mika Vainio Tribute - ele-king

 電子音楽の前進に多大なる貢献を果たしながら、惜しくも2017年に亡くなってしまったミカ・ヴァイニオ。きたる10月19日に、怒濤の《WWW & WWW X Anniversaries》シリーズの一環として、彼のトリビュート公演が開催されることとなった。会場は WWW X で、発案者は池田亮司。彼とカールステン・ニコライのユニット cyclo. や、行松陽介、Haruka など、そうそうたる面子が出演する。パン・ソニックをはじめ、さまざまなプロジェクト/名義でエレクトロニック・ミュージックの最前線を切り開いてきたミカの面影をしのびつつ、出演者による音の追悼を体験しよう。

WWW & WWW X Anniversaries "Mika Vainio Tribute"

極北の中の極北、電子音楽史に名を残すフィンランドの巨星 Mika Vainio (Pan Sonic) のトリビュート・イベントが Ryoji Ikeda 発案の元、WWW X にて開催。Mika Vainio とコラボレーション・ライブも行った同世代の Ryoji Ikeda と Alva Noto とのユニット cyclo. の8年ぶりの東京公演が実現、欧州やアジアでも活躍中の行松陽介と Haruka 等が出演。

テクノイズ、接触不良音楽、ピュア・テクノ、ミニマルとハードコアの融合、といった形容をされながら、90年代初期に Ilpo Väisänen (イルポ・ヴァイサネン)とのデュオ Pan Sonic の結成と同時に自身のレーベル〈Sähkö〉を立ち上げ、本名名義の他、Ø や Philus といった名義で、インダストリアル、パワー・エレクトロニクス、グリッチ、テクノ、ドローン、アンビエント等の作品を多数リリース、アートとクラブ・ミュージックのシーンをクロスオーバーした実験電子音楽のパイオニアとして、2017年の逝去後も再発や発掘音源のリリースが続き、新旧の世代から未だ敬愛され、後世に絶大な影響を与える故・Mika Vainio (ミカ・ヴァイニオ)。本公演では昨年音源化が実現し、〈noton〉よりリリースされた Mika Vainio とコラボレーション・ライブも行った Ryoji Ikeda の発案の元、Mika Vainio のトリビュート企画が実現。同じくそのコラボレーション・ライブに参加し、〈noton〉主宰の Carsten Nicolai (Alva Noto) が来日し、2人のユニット cyclo. で出演が決定。DJにはここ数年欧州やアジア圏でもツアーを行い、ベルリン新世代による実験電子音楽の祭典《Atonal》にも所属する行松陽介と、DJ Nobu 率いる〈Future Terror〉のレジデント/オーガナイザーであり、プロデューサーでもある Haruka が各々のトリビュート・セットを披露する。 ピュアなエレクトロニクスによる星空のように美しい静閑なサウンドス・ケープから荘厳なノイズと不穏なドローンによる死の気配まで、サウンドそのものによって圧倒的な個性を際立たせる Mika Vainio が描く“極限”の世界が実現する。追加ラインナップは後日発表。

WWW & WWW X Anniversaries "Mika Vainio Tribute"
日程:2019/10/19(土・深夜)
会場:WWW X
出演:cyclo. / Yousuke Yukimatsu / Haruka and more
時間:OPEN 24:00 / START 24:00
料金:ADV¥4,300(税込 / オールスタンディング)
チケット:
先行予約:9/7(土)12:00 〜 9/16(月祝)23:59 @ e+
一般発売:9/21(土)
e+ / ローソンチケット / チケットぴあ / Resident Advisor
※20歳未満入場不可・入場時要顔写真付ID / ※You must be 20 or over with Photo ID to enter.

公演詳細:https://www-shibuya.jp/schedule/011593.php

Mika Vainio (1963 - 2017)

フィンランド生まれ。本名名義の他、Ø や Philus など様々な別名義でのソロ・プロジェクトで〈Editions Mego〉、〈Touch〉、〈Wavetrap〉、〈Sähkö〉など様々なレーベルからリリースを行う。80年代初頭にフィンランドの初期インダストリアル・ノイズ・シーンで電子楽器やドラムを演奏しはじめ、昨今のソロ作品はアナログの暖かさやエレクトロニックで耳障りなほどノイジーなサウンドで知られているが、アブストラクトなドローンであろうと、ミニマルなアヴァン・テクノであろうと、常にユニークでフィジカルなサウンドを生み出している。また、Ilpo Väisänen とのデュオ Pan Sonic として活動。Pan Sonic は自作・改造した電子楽器を用いた全て生演奏によるレコーディングで知られ、世界中の著名な美術館やギャラリーでパフォーマンスやサウンド・イスタレーションを行う。中でもロンドンのイーストエンドで行った警察が暴動者を鎮圧する時に使う装置に似た、5000ワットのサウンドシステムを積んだ装甲車でのギグは伝説となっている。ソロや Pan Sonic 以外にも、Suicide の Alan Vega と Ilpo Väisänen とのユニット VVV、Vladislav Delay、Sean Booth (Autechre)、John Duncun、灰野敬二、Cristian Vogel、Fennesz、Sunn O)))、 Merzbow、Bruce Gilbert など、多数のアーティストとのコラボレーション、Björk のリミックスも行う。2017年4月13日に53歳の若さで永眠。Holly Heldon、Animal Collective、NHK yx Koyxen、Nicholas Jaar、Bill Kouligas (PAN) など世界中の世代を超えたアーティストたちから、彼の類稀なる才能へ賛辞が贈られた。
https://www.mikavainio.com/


Photo: YCAM Yamaguchi Center for Arts and Media

cyclo.

1999年に結成された、日本とドイツを代表するヴィジュアル/サウンド・アーティスト、池田亮司とカールステン・ニコライ(Alva Noto)のユニット cyclo.。「サウンドの視覚化」に焦点を当て、パフォーマンス、CD、書籍を通して、ヴィジュアル・アートと音楽の新たなハイブリッドを探求する現在進行形のプロジェクト。2001年にドイツ〈raster-noton〉レーベルより1stアルバム『. (ドット)』を発表。2011年には前作より10年振りとなる2ndアルバム『id』、そして同年、ドイツのゲシュタルテン出版より cyclo. が長年リサーチしてきた基本波形の可視化の膨大なコレクションを体系化した書籍『id』を出版。
https://youtu.be/lk_38sywJ6U

Ryoji Ikeda

1966年岐阜生まれ、パリ、京都を拠点に活動。 日本を代表する電子音楽作曲家/アーティストとして、音そのものの持つ本質的な特性とその視覚化を、数学的精度と徹底した美学で追及している。視覚メディアとサウンド・メディアの領域を横断して活動する数少ないアーティストとして、その活動は世界中から注目されている。音楽活動に加え、「datamatics」シリーズ(2006-)、「test pattern」プロジェクト(2008-)、「spectra」シリーズ(2001-)、カールステン・ニコライとのコラボレーション・プロジェクト「cyclo.」(2000-)、「superposition」(2012-)、「supersymmetry」(2014-)、「micro | macro」(2015-)など、音/イメージ/物質/物理的現象/数学的概念を素材に、見る者/聞く者の存在を包みこむ様なライブとインスタレーションを展開する。これまで、世界中の美術館や劇場、芸術祭などで作品を発表している。2016年には、スイスのパーカッション集団「Eklekto」と共に電子音源や映像を用いないアコースティック楽器の曲を作曲した新たな音楽プロジェクト「music for percussion」を手がけ、2018年に自主レーベル〈codex | edition〉からCDをリリース。2001年アルス・エレクトロニカのデジタル音楽部門にてゴールデン・ニカ賞を受賞。2014年にはアルス・エレクトロニカがCERN(欧州原子核研究機構)と共同創設した Collide @ CERN Award 受賞。
https://www.ryojiikeda.com/

Carsten Nicolai (Alva Noto)

本名カールステン・ニコライ。1965年、旧東ドイツのカールマルクスシュタット生まれ。ベルリンを拠点にワールドワイドな活動を行うサウンド/ビジュアル・アーティスト。音楽、アート、科学をハイブリッドした作品で、エレクトロニック・ミュージックからメディア・アートまで多彩な領域を横断する独自のポジションを確立し、国際的に非常に高い評価を得ている。彼のサウンド・アーティストとしての名義がアルヴァ・ノトである。ソロ活動の他、Pan Sonic、池田亮司との「cyclo.」、ブリクサ・バーゲルトなど注目すべきアーティストたちとのコラボレーションを行い、その中でも、坂本龍一とのコラボレーション3部作『Vrioon』『Insen』『Revep』により、ここ日本でも一躍その名を広めた。2016年には映画『レヴェナント:蘇りし者』(アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督)の音楽を坂本龍一、ブライス・デスナーと共同作曲し、グラミー賞やゴールデン・グローブ賞などにノミネートされた。また、1996年に自主レーベル〈Noton〉をByetone 主宰の〈Rastermusic〉と合併し〈Raster-Noton〉として共に運営してきたが、2017年に再解体し、Alva Noto 関連の作品をリリースする〈Noton〉を再始動。
https://www.alvanoto.com/

行松陽介 (Yousuke Yukimatsu)

2008年 SPINNUTS と MITSUKI 主催 KUHIO PANIC に飛び入りして以降DJとして活動。〈naminohana records〉主催 THE NAMINOHANA SPECIAL での KEIHIN、DJ NOBU との共演を経て親交を深める。2014年春、千葉 FUTURE TERROR メインフロアのオープンを務める。2015年、goat のサポートを数多く務め、DOMMUNE にも出演。PAN showcase では Lee Gamble と BTOB。Oneohtrix Point Never 大阪公演の前座を務める。2016年 ZONE UNKNOWN を始動し、Shapednoise、Imaginary Forces、Kamixlo、Aïsha Devi、Palmistry、Endgame、Equiknoxx、Rabit を関西に招聘。Arca 大阪公演では Arca が彼の DJ set の上で歌った。2017年、2018年と2年続けて Berlin Atonal に出演。2018年から WWW にて新たな主催パーティー『TRNS-』を始動。Tasmania で開催された DARK MOFO festival に出演。〈BLACK SMOKER〉からMIX CD『Lazy Rouse』『Remember Your Dream』を、イギリスのレーベル〈Houndstooth〉のA&Rを手掛ける Rob Booth によるMIXシリーズ Electronic Explorations にMIXを、フランスのレーベル〈Latency〉の RINSE RADIO の show に MIX を、CVN 主催 Grey Matter Archives に Autechre only mix を、NPLGNN 主催 MBE series に MIX TAPE『MBE003』を、それぞれ提供している。
https://soundcloud.com/yousukeyukimatsu
https://soundcloud.com/ausschussradio/loose-wires-w-ausschuss-yousuke-yukimatsu

Haruka

近年、Haruka は日本の次世代におけるテクノDJの中心的存在として活動を続けている。26歳で東京へ活動の拠点を移して以来、DJ Nobu 主催のパーティ、かの「Future Terror」のレジデントDJおよび共同オーガナイザーとして、DJスキルに磨きをかけてきた。彼は Unit や Contact Tokyo、Dommune など東京のメジャーなクラブをはじめ、日本中でプレイを続けている。また、フジロックや Labyrinth などのフェスでのプレイも経験。Haruka は、緻密に構成されたオープニング・セットからピークタイムのパワフルで躍動感のあるテクノ・セット、またアフターアワーズや、よりエクスペリメンタルなセットへの探求を続ける多才さで、幅広いパーティで活躍するDJだ。このような彼特有の持ち味は、Juno Plus へ提供したDJミックスや Resident Advisor、Clubberia のポッドキャスト・シリーズにも表れている。ここ数年都内で開催されている Future Terror ニューイヤー・パーティでは長時間のクロージングセットを披露、2017年にはロンドン・ベルリン・ミュンヘン・ソウル・台北・ホーチミン・ハノイへDJツアーを行なうなど、着実に活動の場を広げている。
https://soundcloud.com/haruka_ft
https://soundcloud.com/paragraph/slamradio-301-haruka

Shuta Hasunuma & U-zhaan × ZOMBIE-CHANG - ele-king

 さまざまな分野で活躍する音楽家の蓮沼執太と、タブラ奏者のユザーンによるユニット、蓮沼執太 & ユザーンが、シンガーソングライターのメイリンによるプロジェクト、ZOMBIE-CHANG と対バン・イヴェントをおこなう。この共演は、2016年に催された蓮沼執太の音楽活動10周年記念ライヴ《蓮沼 X 執太》以来、3年ぶりだという。ZOMBIE-CHANG のほうはエレクトロのセットだそうで、いったいどんな内容になるのか楽しみだ。11月17日は WALL&WALL へゴー。

11月17日(日)に蓮沼執太 & ユザーンと、ZOMBIE-CHANG -Electro Set- の対バンイベントが開催決定!

音楽シーンだけでなく、映画や広告でも目覚ましい活躍を見せる音楽家、蓮沼執太とタブラ奏者として日本の第一人者的存在である U-zhaan という異なる領域のスペシャリストがタッグを組んだ不定形ユニット“蓮沼執太 & ユザーン”。
ジャンルに捉われないオリジナルティ溢れる音楽性と、独自の世界観を放つライブ・パフォーマンスは中毒性が高く、今最も注目される女性アーティストのひとりシンガーソングライターであるメイリンのソロプロジェクト“ZOMBIE-CHANG”(ゾンビーチャング)は Electro Set で出演。
蓮沼執太 & ユザーンと ZOMBIE-CHANG は、2016年に開催された蓮沼執太の音楽活動10周年を記念して行われたワンマンライブ「蓮沼 X 執太」以来、約3年ぶりの競演となる。

ジャンルに捉われない/括り切れない2組のLIVEをお見逃しなく!

【公演情報】

- 蓮沼執太 & ユザーン × ZOMBIE-CHANG -
開催日:11月17日(日)
開場/開演 17:00

出演者:
蓮沼執太 & ユザーン
ZOMBIE-CHANG -Electro Set-
...and more!

Ticket:
前売り ¥2,500 + 1Drink ¥600
https://t.livepocket.jp/e/1117_wallandwall (8月28日正午より販売開始)

会場:WALL&WALL (https://wallwall.tokyo/
東京都港区南青山3-18-19 フェスタ表参道ビルB1F(表参道交差点)

INFO
WALL&WALL PRESS
〒107-0062 東京都港区南青山3-18-19 フェスタ表参道ビルB1F
TEL 03-6438-9240
Mail press@wallwall.tokyo
Web Site: https://wallwall.tokyo/
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■ 蓮沼執太 & ユザーン

蓮沼執太と U-zhaan による不定形ユニット。2015年5月に U-zhaan がナビゲーターを務めた J-WAVE「RADIO SAKAMOTO」へ蓮沼がゲスト出演した際のスタジオセッションを耳にした坂本龍一氏から「あれ、もったいないから続けたほうがいいよ」と言われたことにより調子に乗って始動し、様々な形で共演や共作を続ける。2016年公開の映画『マンガをはみ出した男~赤塚不二夫』では音楽を手がけ、同作のサントラ盤『マンガをはみ出した男~赤塚不二夫オリジナル・サウンドトラック/U-zhaan + Shuta Hasunuma』もリリースした。2017年にはゲストにアート・リンゼイ、デヴェンドラ・バンハート、坂本龍一を迎えたアルバム『2 Tone』を発表。翌2018年に同アルバムのアナログ盤が世界発売され、ニューヨークでリリースライブを行った。

https://www.shutahasunuma.com
https://u-zhaan.com

■ ZOMBIE-CHANG

メイリンのソロプロジェクト、ZOMBIE-CHANG(ゾンビーチャング)
作詞作曲、トラック、リリック全てを彼女が手掛け、2016年に配信「恋のバカンス E.P.」でデビュー。その後、1stアルバム『ZOMBIE-CHANGE』をリリース。2017年3月には2ndアルバム『GANG!』をリリースし、リリースパーティーを青山の PIZZA SLICE で開催。また、SUMMER SONIC 2017、WORLD HAPPINESS、コヤブソニックなどのフェス出演や、TAICOCLUB 主催のサンリオ43周年パーティー、sacai と UNDERCOVER による Party へのライブ出演など、活動範囲は多岐に渡る。2018年からは3ピースバンド体制で始動。3rdアルバム『PETIT PETIT PETIT』をリリースし、フジロックへの出演、初のツアーを国内3都市と、中国、台北、香港のアジアツアーも決行し盛況に終える。今年、同アルバムをUKのレーベルから Vinyl でリリース予定。昨年、カナダのR&Bシンガー The Weeknd が、自身で選曲した Apple music の Radio Program "beats1" に「イジワルばかりしないで」を選曲、またインスタグラムの告知ティザーのBGMでも使用され大きな話題に。音楽プロジェクト以外にも、モデル、執筆業などでも活動。ジャンルに捉われないオリジナルティ溢れる音楽性と、 独自の世界観を放つライブ・パフォーマンスは中毒性が高く、今最も注目される女性アーティストのひとり。

interview with Dai Fujikura - ele-king

 ときは2007年。それは偶然の巡り合いだった。もしあなたがクリストファー・ヤングの書いた評伝『デイヴィッド・シルヴィアン』を持っているなら、15章と16章を開いてみてほしい。ご存じシルヴィアンという稀代の音楽家と、若くして次々と国際的な賞を受け高い評価を得ていた新進気鋭の作曲家・藤倉大との出会いが鮮やかに──そして通常はコレボレイションと呼ばれる、しかしじっさいには互いの情熱をかけた音楽上の熾烈な闘いの様子が──じつにドラマティックに描き出されているはずだ。『Manafon』(2009年)とそれを再解釈した『Died In The Wool』(2011年)、あるいはそのあいだに発表されたコンピレイション『Sleepwalkers』収録の“Five Lines”(2010年)。それらがふたりの友情の出発点となった。
 クラシカルの分野で若くして才能を発揮──なんて聞くと、「さぞ裕福な家庭で英才教育を施されたエリートにちがいない」と思い込んで身構えてしまうかもしれないが、藤倉大はいわゆるエリーティシズムからは遠いところにいる。「じつはぜんぜんクラシック育ちという感じではないんですよ。むしろクラシックのことはぜんぜん知らない」と彼は笑う。「10代や20代のときに聴いていたアルバムを挙げてくださいと言われても、クラシックは1枚くらいしか入らない」。そんな彼が少年時代に何よりも夢中になっていたのは、デイヴィッド・シルヴィアンと坂本龍一だった。それが後年、じっさいに共作したり共演したりすることになるのだから、運命というのはわからない。
 ともあれ、音楽的なルーツがそこにあるからだろう、藤倉大の作品には、現代音楽にありがちな人を寄せつけない感じ、理論をわかる人だけが楽しめるあの閉じた感じが漂っていない。彼は近年、笹久保伸との共作『マナヤチャナ』を皮切りに、『世界にあてた私の手紙』『チャンス・モンスーン』『ダイヤモンド・ダスト』と立て続けに〈ソニー〉からソロ名義のアルバムをリリースしているが、そのどれもがアカデミックな堅苦しさとは距離を置いている。
 この6月に発売された新作『ざわざわ』もじつにエキサイティングなアルバムで、たとえば最初の3曲の声の使い方には、ふだんいわゆるエクスペ系の音楽を聴いているリスナーにとっても新鮮な驚きがあるだろうし、後半のコントラバスやホルンの曲も、最近エレクトロニック・ミュージックの分野で存在感を増してきているイーライ・ケスラーオリヴァー・コーツロンドン・コンテンポラリー・オーケストラあたりが気になっている音楽ファンにはぜひとも聴いてもらいたい楽曲だ。
 現代音楽の作曲家であるにもかかわらず、クラシカルについてはよく知らない──その不思議な経歴と背景に迫るべく、ロンドン在住の彼にスカイプでインタヴューを試みてみた。


じつはぜんぜんクラシック育ちという感じではないんですよ。むしろクラシックのことはぜんぜん知らない(笑)。10代や20代のときに聴いていたアルバムを挙げてくださいと言われても、クラシックは1枚くらいしか入らない。

藤倉さんはロンドンのどのエリアにお住まいなのですか?

藤倉大(以下、藤倉):グリニッジほど遠くはないですが、南東のエリアです。たぶん昔、デヴィッド・シルヴィアンやジャパンのメンバーが高校に通っていて、バンドを結成したエリアじゃないかな。

それが理由でそのエリアを選んだというわけではなく?

藤倉:ちがいますね。たんに家賃が安いところを探して選びました。ここはもともとドラッグの売人とかが歩いているような治安の悪い、荒れた地域だったんですよ。それで家賃が安かったから、あえてここを選んで引っ越したのに、2012年のロンドン・オリンピックの影響で、電車とかがものすごく便利になってしまった。それで一気に家賃が高騰して、住んでいる人たちも変わりました。それでも僕がそこに住み続けられたのは、家主が牧師だったからなんです。大家から電話があるたびに、「人間として最悪の罪は欲望ですよね」と言って、そしたら向こうも「そのとおりだ」と言う。聖書にそう書いてあるわけですし、当たり前ですよね。それをずっと言い続けていたら、うちだけ家賃が上がらなかったんです(笑)。

すごい裏技ですね(笑)。

藤倉:そうでもしないと住み続けられなかった。その後、近くに引っ越したんですが、そこも信じられないくらい小さなところで、家の状態もよくなかった。だから高くなかったんです。ちなみにチェルシーはお金持ちが住むところなんですが、僕らが住んでいる地域もいまや「東のチェルシー」と呼ばれるくらいにまでなってしまいました。人種も変わりましたね。以前は白人があまりいなかったんですが、いまは白人やお金持ちの人たちばかりです。

お金のないアーティストたちが住めるような街ではなくなってしまった。

藤倉:そう。ただ、イギリスには不思議な制度があって、売れない画家を装っていても、じつはその両親がお金持ちというケースがあります。譲渡税というか、そういう税があまりかからないらしいんです。だから、親の稼ぎがあるとか、あるいは代々受け継がれてきた家があるとかで、画家としては売れていなくても、ふつうに生活できるんですよ。ここにはそういう人たちが多く住んでいますね。現代美術の画家のような、一見どうやって生きているんだろうと思うような人たちが、このエリアにたくさんスタジオを持っていたりする。たぶん家賃を払う必要がなかったり、親から譲ってもらった家を貸し出してそれで生活したりしている人も多いと思います。イギリスってそういう国なんです。大金持ちではなくても、財産を受け継いで生活できちゃう人たちが多い。
 ちなみに僕は日本人で、妻はブルガリア人なのですが、そういうふうにどちらも外国人だとかなり不利ですね。イギリスはふつうの家でも築100年とか200年とか経っていて、そんなぼろぼろの家でも高額で売れちゃう。そういうおじいちゃんやおばあちゃんの家を売って、孫の数で割って入ってきたお金を頭金にして、みんな20歳くらいでローンをはじめるんです。外国人にそれは難しい。だから、小林さんもイギリスの人にインタヴューする機会があると思いますけど、貧乏っぽく装っていてもけっこう良いところに住んでいたりするような人たちは、そういうことなんですよ。

なるほど。ちなみに、ロンドンへ渡ったのは10代のときですよね?

藤倉:留学するためにイギリスに渡ったのは15歳のときですが、そのときはロンドンではないんです。ドーヴァーの高校にひとりで入って、そこで3年間寮生活をして、ロンドンの大学に行った。ロンドンはそのときからですね。

クラシック音楽はヨーロッパ、大陸のイメージがありますが、イギリスに行ったほうが良い理由があったんでしょうか?

藤倉:ほんとうはヨーロッパに行きたかったんです。ドイツでクラシックをやりたいと言っていたんですけど、まずは英語を喋れるようになってから、そのあと大学でドイツに行くなりなんなりすればいいじゃないかと親に言われて、まずはイギリスに留学することになった。結果的にそのあとも住み続けているという流れですね。
 ちなみに、僕がまだ日本に住んでいたとき、子どものころに聴いていた音楽って、デヴィッド・シルヴィアンとか、坂本龍一さんだったんですよ。『未来派野郎』とか。おそらく僕より10くらい上の人たちがリアルタイムで聴いていたものだと思いますが、そういう音楽に中学生のときにハマって、ひとりで聴いていました。そのままイギリスに渡って、ドーヴァーのCD屋で作品を買い漁ったりして、いまの僕がある。だから、じつはぜんぜんクラシック育ちという感じではないんですよ。むしろクラシックのことはぜんぜん知らない(笑)。10代や20代のときに聴いていたアルバムを挙げてくださいと言われても、クラシックは1枚くらいしか入らない。でもまわりにいるのはクラシックの方が多いから、ふだんこうやってインタヴューを受けるときも、デレク・ベイリーがどうだとかジョン・ハッセルのトランペットが良くてといった話ができなくて残念なんです(笑)。あとは映画音楽かな。ホラーの映画音楽が大好きだったので、中学生・高校生のころは聴きまくっていました。当時日本ではミスチルや小室哲哉が流行っていて、イギリスでは2 アンリミテッドとかもいましたけど、そういうのにはあまり興味がなかったな。当時のチャートに入るようなポップスっていまはもう聴いていられないですよね。でも、80年代のデヴィッド・シルヴィアンの『Gone To Earth』とかは、いま聴いてもものすごくミックスも編集も素晴らしいと思える。

デヴィッド・シルヴィアンとはその後じっさいに共作することになるわけですが、それはどういう経緯ではじまったのでしょう?

藤倉:もともと僕はたんなる彼のファンだったんです。作品はぜんぶ持っていましたね。その一方で、僕は大学2~3年生くらいから現代音楽の作曲コンクールとかで優勝するようになったんですけど、それはもともと賞金が目当てだったんですね。その賞金で家賃を払ったりしていた。僕は外国人だから働く時間が制限されていたというのもあり、賞に応募しまくってその賞金で生活していたんです。
 そうすると、BBCだとかオーケストラの人たちが僕の名前をよく見かけるようになって、それで僕の曲がラジオで流れるようになったりもして、演奏するようになったのが大学3年くらい。そういう感じでゆるやかにキャリアを積んでいったんですが、そんなときにすごくパワフルなおばさまに出会って、彼女が僕にチャンスを与えてくれた。そのおばさまが僕の作品を名門のロンドン・シンフォニエッタに送ったんです。
 そのころ、ロンドン・シンフォニエッタでビートボックスとオーケストラを融合させて曲を書くというプロジェクトの話が持ち上がった。そういうことに関心のある作曲家を探しているから、ワークショップに来てくれと連絡があって、それでそのワークショップに行ったんですけど、それじたいはぜんぜんおもしろくなかったんです。で、「行ってみた感想はどうだった?」と訊かれたので、素直に「つまらなかった」と伝えました。「そういうものよりも僕は、デヴィッド・シルヴィアンと一緒に何かをやるのが夢なんだ」って話したんです。
 そしたら、「デヴィッド・シルヴィアンなら来週オフィスに来るよ」と。それで彼と会うことになって、作品の交換をしたりしました。そのとき彼はちょうど『Manafon』の録音中だったんですが、僕が自分の音楽を送ると、ぜひ参加してほしいと言われて、そこから仲良くなりましたね。

きっかけは幸運な偶然だったんですね。

藤倉:そうですね。デヴィッド・シルヴィアンはめちゃくちゃプロフェッショナルで頑固で、自分が納得しない音楽は絶対に許せないという感じの人なんですが、僕も若かったので、彼のほうから誘ってもらったのに、自分が参加した音の使われ方に文句を言ったりしていたんです。なんて失礼なやつだと思いますが(笑)、でもデヴィッドも不思議な人で、投げやりな人だったりギャラを貰ったからやるというような人よりもむしろ、こだわりがあって譲らないような人のほうがいいみたいなんです。それで、口論したりもしましたが、いまも仲は良いですね。現代音楽の作曲家よりも彼のほうがずっと芸術家っぽいですよ。絶対に譲らないし。マスタリングが気にいらないとか、デヴィッド以外の人には聞こえないレヴェルでも。

その後、坂本龍一さんとも一緒にやられていますよね。それはどういう経緯で?

藤倉:坂本さんがロンドンでコンサートをする機会があったんですが、そのときはチケットを買い逃してしまったんですよ。それで完売しちゃったという話をデヴィッド・シルヴィアンにしたら、どうも彼が僕を紹介するメールを坂本さんに送ってくれたようなんです。あとで坂本さんから、すごく美しいメールだったと聞きました。それでそのコンサートに行けることになり、知り合うことになりましたね。
 ちなみに僕は坂本さんの音楽を聴きまくっていたので、日本のアルバムと海外のアルバムとでマスタリングのバランスが違ったりするんですが、知り合いになってからそれを指摘すると、「たしかに違うはずだ」と。「そこまで聴かれているんだ」と驚かれました。「あそことあそこのピアノの音がちょっとだけちがいますよね」みたいな話をしたら、「それはエンジニアが変わったからだ」とか。デヴィッド・シルヴィアンとおなじで、もともとそういうふうなたんなる聴き手だったので、まさか一緒に仕事をできるとは思っていませんでしたね。

作曲コンクールとかで優勝するようになったんですけど、それはもともと賞金が目当てだったんですね。その賞金で家賃を払ったりしていた。僕は外国人だから働く時間が制限されていたというのもあり、賞に応募しまくってその賞金で生活していたんです。

先ほど少しロンドン・シンフォニエッタのお話が出ましたけれど、彼らは〈Warp〉の作品を演奏したことがあって、テクノの文脈とも関わりがあるんですが、藤倉さんの作品もよくとりあげていますよね。

藤倉:昔はそうでしたね。24歳か25歳くらいのころ、僕は大学院生で、そのときにデヴィッド・シルヴィアンに引き合わせてくれたのとおなじ方から、「メンターをつけて進めていく新しいプロジェクトをするんだけど、ダイはつきたい先生はいるか?」と訊かれたんです。それで、せっかくだから手の届かない人の名前を言ってみようと思って、そのときハマっていたペーテル・エトヴェシュという有名な指揮者であり作曲家の名前を挙げたんです。そしたら、一応聞くだけ聞いてみるね、ということになった。
 すると、そのペーテル・エトヴェシュから、「楽譜と音源を送ってくれ」というメールが届いたんです。次にイギリスに行くのは8か月後になるが、そのとき20分だけロンドンのスタジオでレッスンをしてもいい、と。彼は超スーパースターだから、こちらはもう棚からぼた餅のような感じで、言われるままに楽譜と音源を送りました。そしたらそれ以降、奇妙なメールが届くようになったんです。スイスやドイツ、フランス、オーストリアから、ときには添付ファイルしかないような怪しげなメールが送られてくるようになって、これ絶対ウイルスだろうと思いながら開封してみると、どれも「ペーテル・エトヴェシュがあなたのことを知れと言っているが、君はいったい何者なんだ」というような内容で。名門オケからのメールだったんです。とにかく楽譜や音源を送ってくれ、と。それで、まだデータでやりとりする時代ではなかったので、郵送でCD-Rを送ったりしましたね。
 そうすると、運がいいことに「この作品を演奏したい」とか「一緒に新作をつくりたいのでベルリンに来てほしい」とかいう話になって。ルツェルン音楽祭のブーレーズのプロジェクトに応募したのもそれがきっかけでした。それからもロンドン・シンフォニエッタとも仕事はしましたが、ヨーロッパのプロジェクトが多くなっていって、イギリスは減っていきましたね。

こうしてあとから話を伺うと、ものすごくとんとん拍子のように聞こえますね。

藤倉:僕にとって嬉しかったのは、人柄を気に入ってもらって紹介されたのではなかったというところですね。あくまで曲を聴いて判断してもらった。ロンドン・シンフォニエッタとの関係もそうです。大学2年の年末テストのときに、大学とは関係のない外部から審査員としてロンドン・シンフォニエッタのメンバーの方が来たんですが、面接のまえに先に作品を聴かせるんですね。それでいざ面接のときにその人が、テストのことなんか忘れてしまって、「この楽譜を持って返ってもいいか」と言い出して。その横では、僕の先生がニコニコ笑っている。
そして次のシーズンが発表されたときには僕の作品がプログラムされていました。そんな感じで関係がはじまりました。それが大学生2年生のときですから、シルヴィアンと会うのはもっとそのあとですね、20代後半か30歳くらいのころ。

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デヴィッド・シルヴィアンと坂本龍一さん、ペーテル・エトヴェシュとブーレーズ、この4人が僕にとっていちばん重要な人たちです。その4人全員に会えたというのはすごいことでした。僕の人生の財産ですね。

ブーレーズの名前も出ましたが、晩年の彼とも親しかったんですよね。

藤倉:それもペーテル・エトヴェシュが僕の話をしてくれたおかげですね。スイスのルツェルン音楽祭が若い作曲家を探していて、推薦された大勢の作曲家のなかから何人かを選ぶという流れでした。さらにそのなかからブーレーズ本人がふたりを選んで、そのふたりの作品を2年後の同音楽祭でブーレーズが指揮をする、というプロジェクトです。それでルツェルン側から「君が誰だかは知らないけれど、エトヴェシュから名前が挙がっているので応募してくれ」と言われて、そのとおり応募しました。オーケストラの作品をふたつ送らなければならなかったんですが、クラシックの世界ではオーケストラ作品が演奏されるというのはすごく大変なことなんです。4人のバンドで弾くのであれば4人集めればいいわけですけど、80人のオーケストラに曲を弾かせるというのはそうとうなことがないとできない。しかも若い作曲家にはぜんぜんチャンスもないから、貴重な体験でした。それで僕は最後のふたりまで残ることができたので、そのとき初めてブーレーズに会ったんです。もともと僕は彼のただのファンだったんですが、それから2年後のルツェルン音楽祭で自分の作品がブーレーズ指揮のもと演奏されることになって、そこからかなり親しくなりました。28歳のときですね。
 彼はすごく厳しい人として知られていますが、じっさいに会うとぜんぜんそんなことはなくて、ニコッとして「ミスター・フジクラ」とか「ダイ」って呼ぶときもあるし、ほんとうにふつうに接してくれた。この後、もう1曲指揮してくれたこともありましたし、もっと僕の作品を指揮する予定もあったんですが、そのころから体調が悪くなってしまったので、残念ながらそれはなくなって、彼も観客として見守るみたいな感じで、僕の作品が演奏されるときにはブーレーズが観客にいたりしたしたことはけっこう何回もありましたね。当時もう85歳くらいでしたからね。

すごく出会いに恵まれていますよね。

藤倉:デヴィッド・シルヴィアンと坂本龍一さん、ペーテル・エトヴェシュとブーレーズ、この4人が僕にとっていちばん重要な人たちなんです。じっさいに会うかはべつにしても、この4人から学んだことはすごく大きかった。ずっと彼らの作品を聴いて学んできたので、その4人全員に会えたというのはすごいことでした。しかも、みんな長く関係を続けてくださっている。たとえばペーテル・エトヴェシュは去年、僕の作品の世界初演をやってくれたんですが、そんな感じで10年以上経ったいまも良い関係で、それは僕の人生の財産ですね。お金では買えないですから。

2年前には《ボンクリ・フェス》という音楽フェスを起ち上げていますが、そのとき大友良英さんの曲も取り上げていますよね。

藤倉:今年もやりますよ! 今年の《ボンクリ・フェス》は9月28日です。大友良英さんも出ます。坂本龍一さんの日本初演もあります。「デヴィッド・シルヴィアンの部屋」というのもあります。そこでは、《ボンクリ》のためだけにデヴィッド・シルヴィアンが作業してくれた作品も発表するので、ぜひエレキングの読者の方がたにも来てほしいですね。しかも1日3000円ですから(※《ボンクリ・フェス》の詳細はこちらから)。

大友さんの良いところは?

藤倉:もう僕はたんなるファンですね。大友さんもデヴィッド・シルヴィアンの『Manafon』に参加していて、「キュイーン!」みたいな音ばかりの大友さんのトラックがたくさんあったんですよ。僕がそれを加工させていただくことになって。シルヴィアンからも、大友さんがいかに素晴らしい人かという話も聞いていましたし。デヴィッド・シルヴィアンは誰でも褒めるような人ではないですから、彼が言うならそうとうすごい方だろうと思って、じっさいそのあとに出た水木しげる原作のNHKのドラマの音楽なんかもすごく良かったですし、そうこうしているうちに大友さんからSNSでフレンド申請が来て、それですぐに《ボンクリ・フェス》のお話をさせていただいて。出演してもらうなんてめっそうもない話だから、「演奏させていただける曲はありますか」ってお尋ねしたんですが、そしたら新曲をつくってくださり、出演までしてくださることになって。それが1年目ですね。それで去年も出てくださって、今年も出ていただくことになった。
 でも大友さんは、毎回、どういう音楽になるか前日までわからないと言うんです。譜面をほとんど書かずに、リハーサルを1時間半くらいやって決めて、音楽を作っていくというやり方は、僕みたいに何ヶ月も時間をかけて楽譜にしている立場からするとうらやましいですね。僕もああいうふうに曲ができたらいいのになっていう憧れがあります。

まだ《ボンクリ》には出演していない人で、今後出てほしい方、何か一緒にできたらいいなと思う方はいますか?

藤倉:〈ECM〉から出している(ティグラン・)ハマシアンですね。僕はとにかく熱狂的な彼のファンなんです。彼のアルバムも好きでよく聴いています。

彼はほんとうに試行錯誤して、デザインから何からすべて、隅から隅までこだわる。それをみて、「やっぱりアルバムを作るというのはこういうことだな」というのがわかった。中身は妥協できない。そういう姿勢はデヴィッド・シルヴィアンから学びましたね。

新作の『ざわざわ』についてお尋ねします。再生して最初がいきなり強烈な“きいて”だったので、驚きました。続く“ざわざわ”や“さわさわ”も声を効果的に用いていますし、今回「声」にフォーカスするという、テーマのようなものがあったのでしょうか?

藤倉:それはぜんぜんなくて。僕は基本的に、リリースできる音源が集まったら出すというかたちでやっているので、とくに今回「声」にしようというテーマがあったわけではないんです。日本では〈ソニー〉から出ていますが、もともとは自分でやっているレーベルの〈Minabel〉から出していて。それで、僕は貧乏性なのか、CDを1枚出すのにもいろいろと費用がかかりますから、いつも、出すならぎゅうぎゅうに詰め込んで出そうと思っていて。なので今回も70分以上あるはずです。それでたまたま集まったものに声の作品が多かったというだけの話ですね。ただ、曲の並べ方は毎回かなり悩みますよ。あと、僕はマスタリングも自分でやっているんですが、それもすごくチャレンジですね。たとえば“きいて”なんかはいじりまくっています。モノラルみたいな感じではじめて、途中から広げたり。

ご自身で編集やミックス、マスタリングまでこなすのは、そこまでやってこその音楽家だ、というような矜持があるんでしょうか?

藤倉:人に任せるとお金を払わなきゃいけないというのもありますね。しかも、お金を払わなきゃいけないわりには、僕が納得するマスタリングとかミックスだったことはほとんどなくて。なので、よく素材だけもらって、僕なりにミックスして、友だちのアーティストに送ったりするんですが、そういうときも「こっちのほうがいいじゃん」と言われることが多い。だから何十時間という時間をかけて自分でやるほうが、金銭的にも気分的にもいいなと思っているんです。僕はサウンドエンジニアとかプロデューサーの友だちがけっこう多いんですけど、みんな親切で、丁寧にいろいろ教えてくれるんです。それでどんどん上達したと思います。今回は冒頭が“きいて”で、そこから“ざわざわ”に移るので、最初は眉間の部分を小突く感じではじまって、“ざわざわ”でうわっと世界が広がるという感じかな、とか考えてやっていましたね。あと、僕の場合ライヴ録音がほとんどなので、(オーディエンスの)咳をとり除いたりするのには時間がかかりますね。

“きいて”は小林沙羅さんの息継ぎ、ブレス音も絶妙で。

藤倉:ちゃんと残っていましたよね? あまりにもなくしちゃうと変になっちゃうから。小林沙羅さんはいわゆる正統派のオペラ歌手なんですが、それをこういうふうに遊びで、ちょっとグロテスクな曲にしてしまう。ひどいですよね(笑)。彼女から委嘱されたのに。でも、そういう曲を書いたり変なミックスをしても沙羅さんはおもしろいと言ってくれるんですよ。そういうところが一流のアーティストはちがいますよね。ふつうは守りに入りますから。彼女は気に入ってくれたみたいで、いろんなところで歌ってくれているそうです。しかも毎回ちがう演出らしい。そういうふうにおもしろがってくれるのは、ホルンの福川伸陽さんもそうなんですよ。ホルンで曲を書いてくださいと言われたんですが、じつは僕はホルンが嫌いなので、ホルンっぽくない音を探しましょう、と。これも失礼な話ですよね。でも彼もそれをおもしろがってくれて、何曲も委嘱してくださって。それで“ゆらゆら”という、最初から最後までホルンの変な音が鳴り響く曲ができた。

まさに“ゆらゆら”は音響的におもしろい曲だと思いました。

藤倉:ふつうではない奏法なので。ふつうのホルンのサウンドは嫌ですから。

そして、その前後にはコントラバスのこれまた変な曲(“BIS”、“ES”)が並んでいて。

藤倉:弾いている佐藤洋嗣さんもおもしろいことをやるのがお好きな方で。アンサンブル・ノマドの佐藤紀雄さんのご子息なんですが、アルバム後半のこのあたりの曲は僕が自分でマイクを立てて録っているんですよ。

レコーディング・エンジニアのようなこともされているんですね。

藤倉:でもやり方を知らないから、ぜんぶ見よう見真似です。前のアルバム『ダイヤモンド・ダスト』でヴィクトリア・ムローヴァさんというめちゃくちゃ有名なヴァイオリニストの方に参加してもらったんですが、そのときも彼女の家までマイクを持っていって、自分で録音したんです。6チャンネルで録ったんですけど、そのうちのふたつはムローヴァさんの旦那さんが良いマイクを持っていたのでお借りして。でもヴァイオリンを録るときのマイクの立て方がわからない。そしたらムローヴァさんが、彼女は小さいころからレコーディングしているから、「ふつうはもうちょっと上だね」とか教えてくれる。そういう感じで録っていきましたね。時間があればエンジニアリングも習いたいです。

そういうチャレンジ精神は何に由来するのでしょう?

藤倉:僕の最初のアルバム『Secret Forest』は、芸術のために活動しているイギリスの小さな〈NMC〉というレーベルから出たんです。そこはすごく良心的な現代音楽をやっているところで、売るためにやっているわけではない。そこから出すことになったときに、デヴィッド・シルヴィアンのアルバムのつくり方をずっとみていたんですよ。彼はほんとうに試行錯誤して、デザインから何からすべて、隅から隅までこだわる。それをみて、「やっぱりアルバムを作るというのはこういうことだな」というのがわかった。それで自分のレーベルもはじめようと思いましたし。隅から隅までやって、「これだ」と思えるものしか出さない。ちなみに僕の場合は、助成金とかをもらって作っているわけではないので、ぜんぶ自分の生活費から出ています。いま借りている家には3人で暮らしているんですが、寝室がふたつなんです。仕事するのに自分の部屋がないんですよ。こんなアルバムを出していなかったら、もう一部屋借りられていたかもしれない。それでも出したいということですよね。ほかの人が聴いてくれるかどうかはわからないけど、中身は妥協できない。そういう姿勢はデヴィッド・シルヴィアンから学びましたね。それだけこだわったアルバムなら、好き嫌いはべつにして、出す価値があるって。1トラックに20時間かけるなんてどう考えてもバカじゃないですか(笑)。妻は元音楽家なので耳が良いんですけど、その妻も「そんなもの誰も聴かないんだからもういいじゃん」「でもその音、狂っているよね」とか言って部屋を去っていきます(笑)。

職人ですよね。

藤倉:やっぱりアルバムを作っていると、最後のほうはもう精神病棟に行かないといけないんじゃないか、というくらいになっちゃいますよ。以前、チェロ協奏曲の作業をしていたときに、チェロってそもそも弓が弦に擦れて音が出るものなのに、そのこすれる音が気になりはじめちゃったりして。でもそのこする音がなかったら、それこそサンプラーのチェロみたいな音になっちゃう。そういう感じで、編集とかミックスをしているととまらなくなるんですよね。だから、どこでとめるかというのが問題ですね。

では最後に、ふだんテクノを聴いているような人におすすめの、現代音楽やクラシカルの作品、あるいは演奏家を教えてください。

藤倉:悩みますね。ポーリン・オリヴェロスのディープ・リスニングはどうでしょう。


Haruomi Hosono - ele-king

 いやはや、半世紀である。細野晴臣がエイプリル・フールとしてデビューを果たしてから50年──はっぴいえんどやYMOはもちろん、ソロとしてもじつに多くの遺産を音楽史にもたらしてきた彼のアニヴァーサリーを祝し、その足跡を追ったドキュメンタリー映画が公開される。タイトルは『NO SMOKING』。近年の活動にも密着し、昨年のワールド・ツアー(高橋幸宏、小山田圭吾、坂本龍一が参加したロンドン公演も含まれる)やヴァン・ダイク・パークス、マック・デマルコらとの交流の様子も映し出されているそうで、音楽とタバコとコーヒーと散歩を愛する細野晴臣の人間性がぎゅっと凝縮された作品になっているとのこと。11月、シネスイッチ銀座、ユーロスペース他にて全国順次公開です。

細野晴臣デビュー50周年記念ドキュメンタリー映画
『NO SMOKING』
公開決定&特報解禁&場面写真解禁!

水原希子、小山田圭吾など著名人も愛してやまない「“細野さん”に会いにいこう。」
音楽家・細野晴臣のこれまでの歴史と知られざる創作活動を収めた特報映像が解禁!

タイトル『NO SMOKING』とは? by細野晴臣

世界中を旅して最も感じたことは、当然のことながらどこもNO SMOKINGだったということです。しかしそれは屋内のこと。外ではほぼ喫煙OK。意外と寛容なところがありました。紐育、倫敦では路上ポイ捨てが常識で、それに馴染めずに自分は携帯灰皿を持ち歩いたのです。それを見た土地の人から「礼儀正しいね、でも吸い殻を清掃する業者の仕事を奪う」ってなことを言われました。なるほどそういうこともあるのか。その携帯灰皿を紐育で紛失し、買い求めようとしたらどこにも売ってません。あれは日本独自のものらしい。仕方なく紙コップを持ち歩きました。日本の路上禁煙は珍しい例だそうです。香港はブロック毎に大きな灰皿が設置してあり、喫煙率が高そう。長旅でホテルに泊まれば、ぼくは1時間毎に外の喫煙所へ出ることになり、それはかなり苦痛なことです。部屋で吸えば高額な罰金を取られますから。世界が歩調を揃えているこの禁煙法には違和感を持ちつつも、逆らうことはできません。ですから人に迷惑がかからないことを念頭に、周囲を見渡しながら喫煙を心がけているわけです。喫煙所さえあれば一安心。こうしてNO SMOKINGの世界でSMOKERを自認するのは、ひょっとするとタバコをやめるよりも意志の強さが必要となります。煙を吐くだけで差別され、否応なく少数派の立場に立たされるのですから。「詭弁を言わずにやめたら?」と言われます。いやいや、20世紀の文化を支援してきた紫煙に、突然愛想をつかすわけにはいかないのです。(細野晴臣)

《細野晴臣 コメント》
自分の映画が出来上がって上映されるとは夢のようですが、同時に悪夢だとも思えます。何故生きている間にこんなことになったのかといえば、今年になって50年も音楽生活を続けてきたせいでしょうか。このような映画を自分で作ることはできません。製作陣の熱意があってこそ実現したものであり、自分も観客のひとりとして見ることになります。しかし到底客観的な評価などできるはずもありません。どうか見た人が少しでも得ることがあるように、と祈るばかりです。

《佐渡岳利監督 コメント》
YMOに衝撃を受けた少年時代から仕事をご一緒させていただく今に至るまで、細野さんを「スゴい!」と思い続けてきました。私と同じ思いの方には、その再確認ができて、初めて細野さんに出会った方には我々と同じ思いになれる映画にしたいなと思います。カッコ良くて、カワいくて、音楽を心から大好きな細野さんに、是非会いにきてください。

〈細野晴臣 ホソノハルオミ〉 プロフィール
1947年東京生まれ。音楽家。1969年「エイプリル・フール」でデビュー。1970年「はっぴいえんど」結成。73年ソロ活動を開始、同時に「ティン・パン・アレー」としても活動。78年「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成、歌謡界での楽曲提供を手掛けプロデューサー、レーベル主宰者としても活動。YMO散開後は、ワールドミュージック、アンビエント・ミュージックを探求、作曲・プロデュース、映画音楽など多岐にわたり活動。2019年デビュー50周年を迎え、3月ファーストソロアルバム「HOSONO HOUSE」を新構築した「HOCHONO HOUSE」をリリース し、6月アメリカ公演、10月4日から東京・六本木ヒルズ展望台 東京シティビュー・スカイギャラリーにて展覧会「細野観光1969-2019」開催。
https://hosonoharuomi.jp

〈監督:佐渡岳利 サドタケトシ〉 プロフィール
1990年NHK入局。現在はNHKエンタープライズ・エグゼクティブプロデューサー。音楽を中心にエンターテインメント番組を手掛ける。これまでの主な担当番組は「紅白歌合戦」、「MUSIC JAPAN」、「スコラ坂本龍一 音楽の学校」「岩井俊二のMOVIEラボ」「Eダンスアカデミー」など。Perfume初の映画『WE ARE Perfume -WORLD TOUR 3rd DOCUMENT』も監督。

【細野晴臣デビュー50周年 〈細野さんに会いに行く〉】
〈NEW ALUBM〉「HOCHONO HOUSE」発売中
〈展覧会〉「細野観光1969-2019」10/4(金)-11/4(月・休)@六本木ヒルズ展望台 東京シティビュー・スカイ
ギャラリー(六本木ヒルズ森タワー52F)
〈コンサート〉特別記念公演 11/30(土)、12/1(日)
〈COMPILETED CD〉「HOSONO HARUOMI compiled by HOSHINO GEN」(8月28日(水)発売)
「HOSONO HARUOMI compiled by OYAMADA KEIGO」(9月25日(水)発売)連続リリース!
詳細は⇒hosonoharuomi.jp

出演:細野晴臣
ヴァン・ダイク・パークス 小山田圭吾 坂本龍一 高橋幸宏 マック・デマルコ
水原希子 水原佑果(五十音順)

音楽:細野晴臣
監督:佐渡岳利 プロデューサー:飯田雅裕
製作幹事:朝日新聞社 配給:日活 制作プロダクション:NHKエンタープライズ
(C)2019「NO SMOKING」FILM PARTNERS
HP:hosono-50thmovie.jp
twitter:@hosono_movie50

11月、シネスイッチ銀座、ユーロスペース他全国順次公開

WXAXRXP - ele-king

 今年で設立30周年を迎えるということで、大きな盛り上がりを見せているUK屈指の優良レーベル、〈Warp〉。先日のオンライン・フェスもどえらいことになっていましたが(とくに良かったのはケレラ)、ついに30周年特設サイトがオープン。各種Tシャツやら小物やら、よだれだらだらのグッズが山ほど……これまで日本ではオンライン販売されなかったエイフェックスのグッズも陳列。こいつはやばいぜ!

https://www.beatink.com/user_data/wxaxrxp.php

〈WARP〉30周年特設サイトが本日オープン!
これまでオンラインでは手に入らなかった
エイフェックス・ツインのレアグッズを含む
〈WARP〉グッズの販売がスタート!

音楽史に計り知れない功績を刻み続ける偉大なる音楽レーベル〈WARP〉。設立30周年を迎えた今年は、『WXAXRXP』(ワープ・サーティー)と題した様々な企画を実施中。6月には東京、大阪、京都でポップアップストアが行われ、カッティング・エッジなキュレーションで音楽ファンから絶大な支持を集める「NTS Radio」とのコラボレート企画では、100時間以上に渡って貴重な音源をオンエア。エイフェックス・ツインやボーズ・オブ・カナダ、ブライアン・イーノ、フライング・ロータス、バトルス、チック・チック・チック、オウテカ、スクエアプッシャー、Bibio ら、人気の所属アーティストのみならず、坂本龍一やエイドリアン・シャーウッドら豪華なゲスト陣の参加もファンを喜ばせた。

次なる展開に期待が集まる中、本日〈WARP〉30周年特設サイトがオープン! それに合わせ、これまで国内ではオンライン販売されてこなかったエイフェックス・ツインの『Donkey Rhubarb』テディベアや『Windowlicker』傘などのグッズや、大竹伸朗によるデザインTシャツを含む30周年記念グッズらが販売開始! アイテムによって、販売数に制限があるため、この機会をぜひお見逃しなく!

https://www.beatink.com/user_data/wxaxrxp.php

またサイトでは、今後の〈WARP〉リリースやイベントの情報も随時更新されていく予定。8月30日には、チック・チック・チックの最新アルバム『Wallop』のリリースが控え、フライング・ロータスの単独公演が9月に、チック・チック・チックの単独公演が10月に開催決定している。

CFCF - ele-king

 カナダはモントリオールの才人 CFCF =マイク・シルヴァーの新作『Liquid Colours』は、「ニューエイジ+ジャングル」という「2019年のモード」を感じさせる卓抜なコンセプトを持ちながらも、澄み切ったミネラルウォーターのように体に染み込んでくる洗練されたエレクトロニック・ミュージックでもあった。
 いちど再生してしまえば清流のようにアルバムは流れ、曲はシームレスにつながる。しかし音のトーンは変化し、ラストの曲まで全15曲が時間旅行のように進行する。とにかくリラックスできるし、エレクトロニック・ミュージックならではの快楽にみちてもいる。テクノ・ファンにもIDMファンにもニューエイジやアンビエント・ファンにも広くおすすめできる逸品である。

 『Liquid Colours』は洗練されたエレクトロニック・ミュージックだ。それは「過剰なまでの洗練」と言いかえてもいい。この洗練。この快適さ。この心地よさ。
 まるでどこかの企業のコールセンターに電話したときオペレーターに回線が繋がるまでのあいだに耳元に流れる軽快な音楽、実践的な教習用ビデオの邪魔にならないBGM、巨大なホテルのロビーにうっすらと流れる清潔なサウンド、ショッピングモールに流れる瀟洒な音楽のようにも聴こえる。いわば社会の隅々にまで浸透したバッググラウンド・ミュージックのように極度に洗練されているのだ。完璧に構成された消費社会のための音楽? これは批判ではない。ストレスフルな現在を生きる私たちの心身はこういった音を求めている。

 もっとも CFCF のこのような音楽性は、本作から始まったわけではない。2015年に〈Driftless Recordings〉からリリースされた『Radiance & Submission』、同年〈1080p〉からリリースされた『The Colours Of Life』以降、彼が追求してきた「80年代的な電子音楽を現代のサウンドで再生させる」をコンセプトとサウンドを継承するものといえよう(余談だが、2015年こそ2010年代における先端的な電子音楽を考えるうえで重要な時期だろう)。
 これら『Radiance & Submission』や『The Colours Of Life』で CFCF は失われた80年代をモダンなサウンドでアップデイトした。結果としてヴェイパーウェイヴ・ムーヴメントやニューエイジ・リヴァイヴァルにも共通・貫通する「2010年代的な」音楽となった。「失われた未来を、過去から希求する」ものである。
 しかしマイク・シルヴァーの音楽は、ヴェイパー的な喪失した過去と未来から生まれた濃厚なノスタルジアに浸っている「だけ」ではない。CFCF の音楽は、不思議と「いまここ」に鳴っているのだ。これが彼の独自性に感じられる。
 マイク・シルヴァーは、極度に洗練した消費社会のもろもろの音楽をミニマルで洗練された日用雑貨のように、この現在に再生しようとしている。CFCF の音楽からはヴェイパーウェイヴにあるようなブラックユーモアは希薄になり、ミニマムな空間にマッチするようなアンビエンスをたたえたエレクトロニック・ミュージックとなった。
 その意味で CFCF =マイク・シルヴァーはブライアン・イーノ直系のアンビエント思想を継承するアーティストともいえるし、家具のような音楽という意味でエリック・サティのクラブ・ミュージック経由ヴァージョンといえなくもない。
 つまりマイク・シルヴァーは、オーセンティックな音楽家/作曲家の資質を持っているアーティストなのだ。さすがポスト・クラシカルの巨匠マックス・リヒターのリミックスを手掛けるだけの音楽家である。
 むろん、CFCF の音楽が現代的な批評性を欠いていることを意味するわけではない。彼はこの社会にただ存在する音楽の存在にとりつかれているし、消費社会に存在する幽霊のような音楽を探し続けているアーティストだ。
 CFCF はもろもろの音楽フォームが、全盛期を過ぎて先端性を失い、やがて洗練を極めたBGMになり、ポストモダンな社会に浸透している状態に興味があるのだろう。本作はまるで「存在しない無印良品の店内音楽」のようでもある。ミニマムな製品たちが陳列される空間のための音楽として聴くこと。20年から30年前の音楽を洗練された音楽として再生し、過去と現在の亡霊(?)をこの時代に蘇生すること。

 思うにニューエイジとジャングルを合体・蘇生させた意味もそこにあるのではないか。社会に浸透した音楽。彼はそのために音を洗練させていく。じじつ、アルバムは1曲め“Re-Utopia”から、全15曲、どのトラックの音色もテンポも曲の構造も共通のトーンで進行する。2曲め“Green District”以降もシームレスにトラックは繋がり、まるで良質なミックス音源のようにまったく淀みなく進む。私は本作聴き終えたとき、浮遊するような幸福感を感じた。空間が綺麗になったような感覚である。同時にニューエイジ+ジャングルということは、つまり80年代と90年代を交錯させることを意味するとも思った。
 “Re-Utopia”のマリンバ的な音色などは、まるで坂本龍一『音楽図鑑』や80年代に手掛けたCM音楽を思わせるが、そこに90年代的なジャングル・ビートをレイヤーさせる。つまり80年代と90年代を融合させている。その手腕は実に見事で、異質なはずのものが極めて自然にミックスされている。澄んだ水を飲むように何度も聴けてしまう。
 加えて渋谷系およびネオ渋谷系リヴァイヴァルのごとき9曲め“Oxygen Lounge”に現在のニューエイジ・リヴァイヴァル「以降」の萌芽も聴き取った(次にくるリヴァイヴァルは渋谷系~ネオ渋谷系か?)。

 いろいろと御託を並べてしまったが、心地よく繰り返し何度も聴ける極上のエレクトロニック・ミュージックに仕上がっていることが何より重要である。洗練と極上の結晶。特に静かな盛り上がりを見せる12曲め“Last Century Modern”以降は、現代のエレクトロニック・ミュージックならではのミニマルにしてエモーショナルなサウンドスケープを生んでいた(13曲め“Closed Space”では坂本龍一『エスペラント』収録曲を引用するなど小技も実に効いている)。
 ニューエイジ+ジャングル。それは80年代と90年代の融合であり、洗練された心地よい電子音楽の完成であり、心身をケアする完璧な消費社会への希求である。そう、つまり『Liquid Colours』は、ストレスフルな現代社会に対するシェルターのようなものかもしれない。

interview with Francesco Tristano - ele-king

日本はジャズの流れているカフェが多い。ヨーロッパでそんなところはもう存在しない。僕は子どものころ、ジャズ・ミュージシャンになりたかった。東京にいると、当時の思いがふたたび感じられる。東京はジャジーな街だ。

 街を歩くのが好きだ。安物の発泡酒を片手に、目的地もなく、ひとりで、ふらふらと都内をうろつくのが大好きだ。新宿、四谷、市ヶ谷、飯田橋あたりは殿堂入りである。秋葉原も良い。神田~大手町~有楽町も趣のあるラインだが、その先の銀座はとりわけすばらしい。昼間でもじゅうぶん魅力的だけど、夜はなお格別で、見上げ続けていると首が痛くなってくる高層ビルの群れ、きらびやかなネオン、せわしなく行き交う年収の高そうな労働者たち──それらを眺めながらとぼとぼ歩いていると、なんというか、生きている実感が沸いてくる。どこまでも明るく残酷なバビロンの風景は、「ここにいる連中と気が合うことは一生、絶対にないんだろうな」と、自分がどういう場所に生き、どういう角度から世界を眺めているのかを、明確に思い出させてくれる。そしてそれは、どこまでも個的な体験だ。

 リュクサンブール出身、現在はバルセロナを拠点に活動しているピアニスト、フランチェスコ・トリスターノの新作は、『東京ストーリーズ』というタイトルどおり、東京がテーマになっている。
 トリスターノといえば“Strings Of Life”のカヴァーで名を馳せ、デリック・メイとはじっさいにコラボも果たし、カール・クレイグの作品にも参加するなど、まずはデトロイト勢との交流が思い浮かぶ。かの地のテクノを吸収することで獲得されたであろうグルーヴ感は、ピアノが前面に押し出されたこの新作においても、たとえば冒頭の“Hotel Meguro”や“Insomnia”、ヒロシ・ワタナベを迎えた“Bokeh Tomorrow”などのトラックによく表れ出ているし、あるいは“Neon City”や“The Third Bridge At Nakameguro”といった曲のビート感はヒップホップとして享受することも可能だろう。他方で彼は一昨年、アルヴァ・ノト、フェネス、坂本龍一とともにグールド生誕85周年を機にセッションをおこなうなど、ダンスとはまたべつの角度からもエレクトロニック・ミュージックの文脈に切り込んでおり、着々とモダン・クラシカルの重鎮への道を歩み進んでいるように見える。
 そんなトリスターノが東京をテーマにしたアルバムをつくったと知ったとき、最初に気になったのはやはりその切り口だった。日本との接点も多い彼は、いったいどのような観点から東京を眺めているのか?
 今回の新作がおもしろいのはまず、最終曲“Kusakabe-san”の琴を除いて、表面的なオリエンタリズムをいっさい排している点だろう。「僕は日本人じゃないから、日本らしいものをつくる意味がない」と彼は言う。「日本人のミュージシャンがバルセロナに来て、バルセロナについてのアルバムをつくろうとして、カタルーニャの民族音楽みたいなサウンドのアルバムをつくるようなものだよ。それはあまりおもしろい作品とは言えない」。とはいえ、ご機嫌な3拍子“Electric Mirror”初っぱなの声優的な声のサンプルに代表されるように、アルバムには随所に日本語の音声が挿入されていて、ほらやっぱりエキゾティシズムじゃんと目くじらを立てることも可能なわけだけど、他方でスペイン語も聞こえてくるから、むしろそれらは彼自身の内的な何かを表現するものだと考えたほうがいい。「たいせつなのは何かパーソナルなものを持ち込むことだ」と彼は続ける。『東京ストーリーズ』は、ひとりの人間のどこまでも個的な──すなわち誰とも絶対に共有不可能な、でもだからこそ逆説的にもしかしたら共有できるかもしれない──記憶の風景を浮かび上がらせる。それはいったいどのようなものだったのだろう?


日本人のミュージシャンがバルセロナに来て、バルセロナについてのアルバムをつくろうとして、カタルーニャの民族音楽みたいなサウンドのアルバムをつくるようなものだよ。それはあまりおもしろい作品とは言えない。

目黒や新宿など東京の都市が曲名になっていますが、東京をテーマにしてアルバムをつくろうと思ったのはなぜですか?

フランチェスコ・トリスターノ(Francesco Tristano、以下FT):僕が初めて日本に行ったのは2001年だから18年前だった。それから少し間があって、2009年からは定期的に日本に行っていまに至る。初めて東京に行ったときも、東京という街にすごく感心したけれど、街が巨大すぎてクレイジーすぎて掴みづらい感じがした。だから、東京にハマるまで時間がかかったよ。東京に40回くらい訪れてからは、東京の友人や、行きつけの場所や飲食店などができてきた。ある意味、東京でレコーディングする時期を待っていたんだと思う。僕は6年前に京都でアルバムをレコーディングしているんだ。良い経験になったし、良い準備運動になった。けれど今回の東京をテーマにしたアルバムはとても特別なものになるとわかっていた。

曲名になっている赤坂や銀座などはどちらかといえば高級感のあるエリアですが、とくにそういう側面は意識しなかった?

FT:いや、これは僕の個人的な体験がもとになっている。たとえば銀座はたしかに高級感のあるエリアだけど、その一面は僕には関係ないことで、銀座にはヤマハがあったから、僕はピアノの練習のために銀座に行っていた。赤坂から自転車で銀座に行き、ピアノの練習をする。だから“Ginza Reprise”はピアノの練習曲みたいな曲なんだ。アルペジオがあったり、同じフレーズの繰り返しだったりする。銀座は僕の練習スペースだから。赤坂についての曲は……同じ場所に何度も滞在していると、そこが自分のホームのような感じになってくるよね? 赤坂には僕が滞在しているホテルがあって、とても落ち着いた感じのホテルで宣伝もされていない、変わったホテルなんだ。東京のホテルにしては珍しく部屋にバルコニーがついているから、おそらく、以前は居住用のマンションだったのだと思う。そこが偶然、僕の拠点になったんだ。じつはデリック・メイがそのホテルのことを教えてくれたんだよ! 10年くらい前に彼から教わって、それ以来、毎回そこに滞在している。だから赤坂は僕にとって、朝起きて、バルコニーのドアを開けて、外の音、車の音や、人の音、下にいる子どもの声なんかを聞いて、下に降りていき、そこでコーヒーを飲むところなんだ。つまり朝のルーティンだね。“Akasaka Interlude”という曲だけど、日本盤にはその「リズミック版」のボーナストラックが入っている。
 いま話したふたつ、銀座と赤坂は僕にとってのルーティンを表している曲なんだ。僕が東京にいるときに毎日おこなっていること。

ユザーン、ヒロシ・ワタナベ、渋谷慶一郎と、日本のゲストが多く参加していますが、東京についてのアルバムだから日本の人を使おうという前提があったのでしょうか?

FT:もちろんだよ。東京でレコーディングをするとなれば、日本人のミュージシャンの友だちにぜひ参加してもらおうと思っていた。ヒロシさんとはかなり前から友だちで、ヨーロッパでも何度か共演してきたし、彼にリミックスをしてもらったこともある。何年か前に彼と一緒に曲をつくりはじめたけれど、結局完成されなかった。僕が彼のスタジオに行って、一緒に作業して、彼が送ってくれたファイルに、今度は僕がレコーディングを追加してというように、ファイルのやりとりをしていたんだけど、「スタジオで生のレコーディングをしよう」と僕から提案した。そのほうがファイルをやりとりしているよりもずっと強烈な体験になるからね。
 ユザーンとは何年かお互いのことを知っていたんだけど、今回のスタジオ・セッション以前に共演したことはなかった。でも彼とは何か一緒にやりたいと思っていた。それが何かは具体的にわからなかったけど……。一緒にライヴをやろうと企画してもいたけど、それも流れてしまった。他にも一緒に何かをやる案があったんだけど、「スタジオ・セッションを一緒にやらないか?」と僕から提案したら彼は快諾してくれた。
 渋谷さんとは最近、1年前くらいに出会って、共通の友人が僕たちを紹介してくれた。東京は巨大な街だけど、世界は狭いなと思った。なぜなら、僕のジュリアードの同級生のマキヤさんが、渋谷さんと東京で同級生だったから! マキヤさんは、いまでもニューヨークに住んでいてヤマハで働いているよ。多くの人と出会えば出会うほど、世界を狭く感じるのは当たり前かもしれないけれど、 さまざまな人たちと一緒に音楽を演奏していくと、僕たちはみんなファミリーの一員なんだって気づくんだ。

エレクトロニクスと生楽器とを共存させるときに注意していることはなんでしょう?

FT:エレクトロニックの楽器を使うときは、アコースティックの楽器と同じように扱うようにしていたね。少なくとも今回のアルバムにおいては。シーケンスされている部分も少しはあるけれど、リズムやベースの部分を含む、エレクトロニクスの多くは生演奏している。エレクトロニクスの楽器をそのままの音として聴こえるように、エレクトロニックの楽器を直接的な方法で使いたかった。あまりプロダクションが過度にされていないようにしたかった。もちろんマスタリングやミキシングはおこなったけど、パソコンからトラックが1ヶ月間流れていて、それに合わせてミックスをするというわけではなかった。テイクやトラックを毎回録音して、それをミックスするというやり方だった。シンセサイザーに直接音を出させて、僕がそれを演奏して録音するという感じだった。僕以外にも、ヒロシさんやグティ、渋谷さんもシンセサイザーで参加してくれたけどね。

3曲目“Electric Mirror”はリズムが楽しく、疾走感があり、ユーモラスな曲ですが、これには何か参照元はあったのでしょうか?

FT:アルバムの曲の多くは日本で作曲したんだけど、これは東京で作曲しなかった数少ない曲だ。ジャン=フィルップ・ラモーのバロック・オペラ「カストールとポリュックス」がもとになっている。1800年代初期の作品で(註:正しくは1700年代)、僕はこのベースラインとその他の要素をいくつか拾って、エレクトロニックな楽器用に書き直した。作曲しているうちに、ある種の対話のようになっていったから「ミラー」というタイトルにした。鏡で自分の姿を見ると、そこには少し違う感じの自分が見える。この曲もバロック・オペラを使っているけれど、音は歪んでいるし、エレクトリックな響きがある。秋葉原や原宿で見られるクレイジーな日本の若者文化のイメージなんだ。表現力が豊かというのか、曲の最初の部分で、お店で何かを売っているような女の子の声が聞こえるだろう? 曲には、異文化間のアイデンティティが存在しているよね。秋葉原では自分たちの趣味に没頭して遊ぶ若者たちがいる一方で、他の国でも似たような美意識を持つ人たちが存在している。そんなイメージなんだ。ライナーノーツには「Impossible is nothing (=Nothing is impossibleを鏡で写した感じ)」って書いたと思うけど、バロック・オペラを原宿風に演奏することだってできるという意味なんだ。

6曲目“Lazaro”や8曲目“Insomnia”などには、ニューエイジ~アンビエント的なシンセが入っていますが、ふだんそういった音楽は聴くのでしょうか?

FT:あまり聴かないな。“Lazaro”で聞こえるのはアナログ・シンセサイザーだから、それがそういうふうに聴こえたのかもしれないね。“Insomnia”のアイディアは、シンセサイザーを特定な響きを持つ楽器として使っただけで、ニューエイジ的な感じを出そうと思ったわけではないよ。“Lazaro”では単純にシンセサイザーにとても柔らかい音の出るアナログパッドを使ってピアノのメロディの伴奏をしていたんだ。“Insomnia”のつくりはもう少し複雑で、グティがシーケンスしたシンセサイザーのパーツを持ち込んできたから、より複雑なサウンド・デザインが聴ける。“Insomnia”で僕が気に入っているところは弦楽器のピッツィカートな音だ。これは僕が子どものころから好きな音だった。オーケストラでもこういう音を書くことができるけれど、今回はそれをシンセサイザーのために書いた。するとより直接的で差し迫った感じの音になる。

僕が東京の街を楽しみはじめたのは地下鉄を使うことを止めてからだった。自転車だけで移動するようになったんだ。街を本当に知りたいなら、自転車を使うほうが良い。

9曲目“Cafe Shinjuku”にはクラリネット奏者のミシェル・ポルタルが参加しています。彼はどのような経緯で参加することに?

FT:ミシェル・ポルタルも健在するアーティストのなかの偉人のひとりだ。僕は彼の音楽を聴いて育ったから、彼の音楽は昔から聴いている。 彼と共演できたことも、やはりこのうえなく光栄なことだった。僕たちは4年くらい前に共演をして、その一度限りの共演からは何も発展しなかったのだけれど、僕が作った曲で、彼にぜひ演奏してもらいたい曲があったから、彼にスタジオに来てくれるようにお願いした。そこで“Cafe Shinjuku”をレコーディングしたんだ。
 僕には新宿での記憶が明確にあるから、彼に曲がどのようなものなのかを説明した。僕は新宿のカフェに座って人を待っていた。外は雨がひどくて、だからその人は遅れていた。僕はコーヒーを何杯もお代わりしながらカフェのラジオを聴いていた。日本はご存じのとおり、ジャズが流れているカフェが多い。ヨーロッパでそんなところはもう存在しないから、それはとてもクールなことだと思う。ヨーロッパではどこに行っても、ジャズがかかっているところなんてもうない。とくにカフェなんかではメインストリームのラジオしかかかっていなくて、ジャズはいっさいかかっていない。僕は子どものころ、ジャズ・ミュージシャンになりたかったんだ。即興で演奏して、自由に弾くジャズ・ミュージシャンになるのが夢だった。そういう思いを僕はずっと抱いてきた。 東京にいると、当時の思いがふたたび感じられる。東京はジャジーな街でもある。ラジオでかかっているところも多いし、少し高級感のあるジャズ・クラブもある。ジャズの街である東京にオマージュを捧げたいと思った。だからミシェルにバスクラリネットを吹いてもらいたかった。これはアルバムのなかでもとくにお気に入りの曲なんだ。

今回のアルバムでもっともフロアでかかってほしい曲はどれですか?

FT:アルバムはダンスフロア向けではないけれど、いまアルバムの曲のリミックスをしているところで、自分がリミックスしたものもいくつかある。ダンスフロアで、あるいはリミックスとしてもっとも可能性のあるのは“Insomnia”、“Bokeh Tomorrow”、“Nogizaka”の3曲だ。“Nogizaka”の原曲ヴァージョンは遊び心がいっぱいでピアノっぽいけれど、僕が作ったリミックスは観客の反応も良いし、みんな踊ってくれるからいちばんフロア向けなのは“Nogizaka”だと思う。

逆に、もっともコンサート・ホールで聴いてもらいたい曲はどれですか?

FT:“Yoyogi Reset”か“Lazaro”だと思うな。とても親密な曲だし、僕の個人的な経験がもとになっているし、とても繊細なところに触れているから。“Yoyogi Reset”は僕が日本でブレイクダウンを体験したときの曲だ。僕が東京の街を楽しみはじめたのは地下鉄を使うことを止めてからだった。自転車だけで移動するようになったんだ。それは6年くらい前の話だけど、街を本当に知りたいなら、自転車を使うほうが良いと思った。僕は自転車が大好きで、どこの街でも、どこに行くときにも自転車を使う。最初は東京で自転車に乗るのは難しくて危険だと思ったけれど、勇気を持って乗ってみたら、東京をまったく違った形で楽しめるようになった。代々木公園は、僕の拠点からあまり遠くないところにあったから、代々木公園まで自転車で行ったり、そこでジョギングしたりしていた。僕は毎日ジョギングをしていて、東京では代々木公園で走っていた。でもこの曲はジョギングについてではなくて、2年前、僕の妻の父親が亡くなったときの曲だ。そのとき、僕はちょうど日本行きのフライトに乗っていたから、この体験は日本と深く関わりのある出来事になった。フランクフルトで乗り継ぎをしていたときに電話がかかってきて、「父親が亡くなりそうだから戻ってきて」と妻に言われた。だから僕は妻のもとに戻り、翌日は義父の葬儀でピアノを演奏した。バッハの曲を弾いたよ。東京に行くスケジュールを立て直し、2日後に日本へ向かった。その当日に演奏をしなければいけなくて大変だったよ。夕方5時に到着して、その日の8時にはもうステージにいなければいけなかった。シャワーを浴びる時間もじゅうぶんになかったくらいだ。その後も公演が続き、僕が葬儀で弾いた曲も含まれていたから、僕にとってはとても辛い体験だった。そのツアーは非常に大変なツアーだった。東京での僕の体験は、楽しいことや、愛情を感じていることや、美味しい食べ物を食べることばかりではない。孤独を感じたり、家族や故郷と離れていることから、物事をしっかりと受け止められない辛さを感じたりすることもあった。だからこのときに代々木に行ったのは、呼吸をするため、マインドをリセットするためだった。だからこの曲がいちばんパーソナルな曲だね。

バロック音楽には現代の音楽と共通するものがある。すべてはベースの音が基本になっているだろう? テクノの曲からキックドラムとベースラインを取ったら、もうあまり何も残っていない。要となっているのはベースだ。

今回のアルバムは東京をテーマにしつつも、いわゆる「和」の要素やエキゾティシズムに頼った部分はほとんどないですよね。

FT:そうだね、偉大な監督、小津安二郎の言葉に次のようなものがある。「I'm Japanese so I make Japanese things (俺は日本人だから日本らしいものをつくる)」。僕だったらこう答える。「僕は日本人じゃないから、日本らしいものをつくる意味がない」。 東京が僕に与えてくれたものや、東京で出会った人たちのおかげで、僕は東京が大好きだ。でも僕が日本人になることはけっしてないし、いつか東京に住む機会があるかもしれないけれど、ずっと日本に暮らしているわけでもない。今回のアルバムは僕の、謙虚な気持ちからの、とてもパーソナルな体験がもとになってつくられたものだ。だから日本っぽい音にしようとか、江戸の感じを真似したりするようなことはいっさいしなかった。今回のアルバムでは、フィールド・レコーディングもたくさんしたし、琴の音が入っている曲もアルバムの最後の方にある。あれは、たんに琴の音が好きだからというエピソードとして入れたんだ。とにかく日本らしいサウンドのアルバムをつくろうとはしなかったよ。それは間違っていると思う。それはまるで日本人のミュージシャンがバルセロナに来て、バルセロナについてのアルバムをつくろうとして、カタルーニャの民族音楽みたいなサウンドのアルバムをつくるようなものだよ。それはあまりおもしろい作品とは言えない。やはりたいせつなのは何かパーソナルなものを持ち込むことだと思う。だからこのアルバムは、東京での僕の個人的な体験や、街から受けたパーソナルなインスピレイションがもとになってつくられた。

今回のアルバムを「日本」や「東京」、「寿司」などの単語を使わずに言い表すとしたら?

FT:「ラーメン」はどうかな(笑)? 今回のアルバムにはラーメンについての曲はなかったね。こういう質問には、「その空間にあるピアノ(Piano in space)」と答えることが多い。これはピアノ・アルバムで、ピアノの音がアルバムの曲すべてから聴こえる。そこにエレクトロニック機材がオーケストラのように伴奏してくれている。〈ソニー〉からリリースされた僕の前の作品『Circle Songs』は100%ピアノ・ソロだったけれど、今回のアイディアとしては純粋なピアノ・ソロの音から、フル・オーケストラによる、エレクトロニックなサウンドに移行するというものだった。

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バッハは楽器に強いこだわりがない人だった。彼が作曲する音楽の言語は絶対的だった。彼は楽器という表現方法をもとにしていない。だからバッハは技術の進歩には興味を示すと思う。シンセサイザーにも興味を示していたと思うよ。

クラシカルは歴史が長い分、バロックや古典派、ロマン派、印象主義などさまざまなスタイルがありますが、そのなかでもとくに影響を受けたのはなんでしょう? バッハはよく取り上げていますし、あなたの大きなルーツのひとつだと思いますが、できればそれ以外で。

FT:僕はバッハを毎日聴くし、バッハを毎日聴いて育ってきたからバロックが第一のインスピレイションになっているね。でももうひとつの理由として、バロック音楽には現代の音楽と共通するものがあると思うからなんだ。とても遊び心があって非常にリズミカル。テクノやエレクトロニック・ミュージックと同じようにベースがとても重要で。すべてはベースの音が基本になっているだろう? テクノの曲からキックドラムとベースラインを取ったら、もうあまり何も残っていない。リズムの要素が少し残っているかもしれないけれど、やはり要となっているのはベースだ。だからバロック音楽には間違いなく強い影響を受けているね。

ピアノはいまでこそ古典的な楽器とみなされていますけれど、発明された当時の人びとにとってはとてもハイファイでデジタルな音に聞こえたのではないか、それこそ今日におけるシンセサイザーのように聞こえたのではないかと想像しているのですが、この考えについてピアニストとしてはどう思いますか? たしかバッハはピアノ曲をひとつも書いていませんよね。

FT:ピアノは非常に複雑な楽器だ。どう言えばいいのかな……。ピアノは未来から来た楽器だと当初から考えられていた。とても複雑で巨大で、出る音も大きかったから、作曲家はどうやってピアノを扱っていいのかわからなかった。バッハが弾いてみたピアノはおそらく最高級のものではなかったと思うんだけど、彼はピアノを好まなかった。そのときバッハはかなり高齢だったということもある。正直な話、バッハは楽器に強いこだわりがない人だった。キイボード楽器向けのバッハの音楽でも、ヴァイオリン向けのバッハの音楽でもまったく同じに見えるよ。彼が作曲する音楽の言語は絶対的だった。楽器という表現方法をもとにしていない。だからバッハは技術の進歩には興味を示すと思うよ。当時もそうだった。当時もっとも技術的に進歩していたのはオルガンだった。教会がすばらしいオルガンを所有していた。それはきわめて優れた技術を持つ楽器だった。バッハはオルガンに強い興味を持っていた。オルガンの技術に強い関心を持っていたから、彼は現代の考えに近い考えを持っていたと思う。シンセサイザーにも興味を示していたと思うよ。

あなたは2011年のアルバム『BachCage』でバッハとケイジを同時に取り上げていましたけれど、その2組を一緒に取り上げようと思ったのはなぜ?

FT:このふたりは対話しているんだ。互いに対してね。彼らは数多くの点でつながっている。ふたりの作曲家の対話というか、卓球のラリーのようなプレイリストをつくって、このふたりをつなげる要素を探していた。たとえば、各作曲家の作品に共通するメロディや、ある特定の音やリズムの参考になるような音の要素。僕が先ほど話したバッハについての内容は、バロック音楽全般に当てはまることだ。現代の音楽との共通点が非常に多い。だからケイジの音楽や自分の音楽と、バロック音楽のあいだに共通点を見つけることは僕にとって容易なことなんだ。

ケイジだと“4分33秒”に注目が集まりがちですが、彼はピアノ曲や数々の電子音響の実験も残しています。あなたにとってケイジのベストな作品は?

FT:そうだな……ケイジが何を作曲したということよりも、彼が作曲したということ自体が重要なことだと思う。彼のヴィジョンは、緊迫性や現代的という意味では、他の作曲家のヴィジョンよりはるかに先を行っている。ジョン・ケイジ前とジョン・ケイジ後がある。彼はすばらしい音楽をたくさんつくったけれど、重要なのは、彼の作品の底には非常に強力な概念的な基盤があったということなんだ。そのせいで音楽の影が薄れてしまった。彼は自分でも言っているけれど、ジョン・ケイジ後は著作者という概念が消えてしまった。ジョン・ケイジの登場により、作曲家という概念が消滅した。僕たちは、作曲家であれ演奏者であれ一般の観客であれ、みな同じ体験の一部である。同じ体験の一部であり、体験を共有している。作曲家が独裁的権力を持ち、演奏者は作曲家の忠実なメッセージを観客に伝えなくてはいけなくて、それを聴く観客も静かに従うべき、という構造/ヒエラルキーはもう存在しない。それがケイジの思想だ。ケイジ以降、僕たちは音楽をまったく新しい思想として捉えている。だから彼は20世紀における超重要人物だったと思う。彼のベストな作品にかんしては、僕はケイジの作品で大好きなものがいくつもあるけど、“In A Landscape”というピアノ曲はとても美しい作品だと思う(*『AMBIENT definitive』をお持ちの方は22頁を参照)。

バッハとケイジの作品で、ピアノで録音されたもののなかでは、それぞれどの演奏家によるものがおすすめですか? 前者はできればグールド以外で。

FT:僕はグールド以外のバッハ演奏家をあまり知らないから、おすすめするとしたらやはりグールドだな。それ以外だと誰がおすすめできるかな……坂本龍一も僕が好きなバッハを弾いていたかもしれない。でも、彼はむしろキュレイター的なことをしているのかも。ケイジにかんしては、ケイジ専門の演奏家という人がいないから答えるのは難しい。それにケイジはピアノ作曲家として有名なわけではないからね。でも、ひとりだけケイジのピアノ音楽をよく演奏していた人がいた。ケイジを聴くには、スティーヴン・ドゥルーリーという人がおすすめで(*『AMBIENT definitive』をお持ちの方は22頁を参照)、バッハを聴くならやはりグールドをおすすめするね。

昨年は『Glenn Gould Gathering』でアルヴァ・ノト、フェネス、坂本龍一と共演していますが、それ以前から彼らの音楽は聴いていましたか? それぞれどのような印象を持っています?

FT:現代に健在するアーティストたちのなかでもっとも偉大な3人だと思う。坂本龍一と共演することになったと聞いたときは、信じられなかったよ。僕にとっての3大インスピレイションのひとつに入るからね。だから彼と、アルヴァ・ノト、フェネスと共演できたということはほんとうにすばらしい体験だった。もちろん以前から彼らの音楽はよく知っていたよ。何年も前から彼らの音楽を聴いてきたから。だからこの共演は僕にとってとてもたいせつで、共演した1週間の期間は充実した時間を過ごすことができた。それも、もうひとつの「東京ストーリー」になるよね。あの3人と一緒に東京で1週間を過ごした。そのとき、彼らには強い影響を受けたよ。

デトロイト・テクノは都会の悲しみをもっともうまく捉えた音楽だと思う。僕たちは本来の故郷である地球や自然界とはまったく切断された世界に暮らしている。僕たちが見るもの、触るもの、つくるものはすべて僕たち自身が発明したものだ。デトロイト・テクノはその悲しみをいちばん上手に表現している。

2016年の『Surface Tension』はデリック・メイをゲストに迎え、彼の〈Transmat〉からリリースされました。彼とはいつ、どのような経緯で?

FT:デリックとは10年くらい前に出会った。カール・クレイグがデリックのことを紹介してくれたんだ。僕たちは車でデトロイトの街を走っていて、一緒に時間を過ごしていた。互いにいろいろなアイディアが浮かんで、一緒に音楽をつくろうという話になっていた。初めて彼と一緒に仕事をしたのはオーケストラのプロジェクトだった。5年くらい前にベルギーでやった公演だったけれど、とても良い出来で、デリックとは結局、オーケストラ公演をその後もデトロイトやパリなどでもやることになった。彼と共演した後、僕は毎回こう言っていたんだ。「デリック、今度一緒にスタジオに入って制作しようよ」って。デリックは「うーん、どうかな。音楽のレコーディングはもう何年もやっていないから、わからないな」と言っていたから僕は、「じゃあ、こうしよう。スタジオに来てくれさえすれば、僕が適当に録音しておくから、何か良いものができたら、そのときにまた考えよう」と伝えた。そうやって彼を僕のスタジオに呼んだ。そしてスタジオで僕は、彼が演奏したものをすべて録音したんだ。彼が僕のスタジオに入るなり、録音ボタンを押してずっと録音していた。僕たちはアルバムを1枚リリースしたけれど、まだまだ音源はたくさんあるから、その音源だけであと2枚はアルバムがつくれるよ。現時点では、あの8曲がリリースされるのにふさわしい音だと思うから、残りの音源は保留にしているけれどね。

デトロイト・テクノが成し遂げた最大の功績はなんだと思いますか?

FT:個人的に思うのは、デトロイト・テクノは、人類の都会の悲しみをもっともうまく捉えた音楽だと思う。あなたも東京に住んでいるからわかると思うけれど、僕たちは都会という、僕たちの本来の故郷である地球や自然界とはまったく切断されてしまった世界に暮らしている。僕たちが見るもの、触るもの、つくるものはすべて僕たち自身が発明したものだ。僕たちは、自然の要素というものに触れてはいないんだよ。水道から流れる水道水を自然のものと捉えるならべつだけど、たとえば手を洗って石鹸を使うときも、なんらかの化学物質が入っているし、手を拭くときにタオルを使うけれど、そのタオルも、綿を織ったり、工場で染められたりという技術が使われている。そういった、自然界の要素から切断されているという状態。僕だって建築物などのつくられたものは好きだし、モノが嫌いだと言っているわけではない。ただ、僕たち人間がそういうモノに溢れた環境に暮らしていて、自然の要素に触れていないという状態に悲しみを感じるんだ。デトロイト・テクノは、その悲しみをいちばん上手に表現していると思う。僕にとっては、とてもエモーショナルでポエティックな音楽だ。同時にとてもグルーヴィで、他の感情が付随してくるときもあるけど、悲しみを感じられる音楽でもあると思う。

2年前には『Versus』でカール・クレイグともコラボしていますが、近年はジェフ・ミルズがオーケストラとやったり、デトロイト・テクノがクラシック音楽と結びつく例が目立つ印象があります。それ以外でも、ここ10年くらい、クラブ・ミュージック~エレクトロニック・ミュージックとクラシカルが融合するケースが増えてきていますが、そういう動きにかんして「カウンター・カルチャーが正統なハイ・カルチャーの地位にのぼり詰めようと背伸びをしている」、あるいは「ハイ・カルチャーの側がカウンター・カルチャーの良いところをかすめとろうとしている」、そういう側面はあると思いますか?

FT:その両面があると議論できると思うけれど、それはあまり関係ないことだと思う。たいせつなのは、音楽に限界はないということだから。音楽を、ジャンルやスタイルがあるものだと捉える必要はないと思う。なんらかの基準を満たすからこれは○○の音楽だ、という考え方は必要ないと思う。僕は、音楽に限界や辺境というものはないと思っている。だから、オーケストラを使ってエレクトロニック・ミュージックを演奏したいと思うのは自然なことだと思うし、エレクトロニック・ミュージックのアーティストたちがクラシック音楽のミュージシャンを使って自分を表現してみたいと思うのは自然なことだと思う。そういう試みにたいしオープンな姿勢でいることは、さらに豊かな体験ができるということだから。エレクトロニック・ミュージックにもアジェンダがあって、クラシックな音楽ホールで演奏会をやりたいと思うだろうし、その一方でクラシック音楽も観客の層を広げたいと思っているだろう。だからいま挙がったような側面はたしかに正論として存在すると思うけれど、僕個人の意見としてはとくに気にしていないな。

いま注目している若手のテクノ・アーティストはいますか?

FT:もちろん! 最近は才能あるプロデューサーが大勢活動している。ほんとうにたくさんの作品がリリースされているから、僕はそのすべてをフォロウすることはできないし、すべてを知るなんてことは不可能だけど、たとえば日本だけでもシーンは盛り上がっているし、すばらしい音楽をつくっている人たちがいる。メインストリームな音楽や、ダンス・ミュージックでいまいちばんホットなものを知りたいのであれば、僕はそこまで知らないけれど、ライヴ・セットで最近いちばん気に入っているのは、ブラント・ブラウアー・フリック。最近新しいアルバムが出たんだ。『Echo』というタイトルで先週リリースされたばかりだ。すごくおすすめだよ! 彼らも東京が大好きなんだ。

ふだんテクノやエレクトロニック・ミュージックを聴いている人におすすめの、最近のクラシカルの音楽家を教えてください。

FT:僕がおすすめするのは、僕のメンターであるブルース・ブルベイカー。ピアニストであり、偉大な人でもある。すばらしいアルバムを何枚か出しているよ。フィリップ・グラスのようなアメリカのミニマル・ミュージックに傾倒しているけれど、僕がいちばん好きなのは『Codex』というアルバムで、2年前にリリースされた作品。『BachCage』同様、とても昔の音楽と、アメリカのミニマリスト作曲家のテリー・ライリーの作品とを行き来しているんだ。すごくクールだよ。


Flying Lotus - ele-king

 通算6作目、じつに5年ぶりとなる待望のアルバムをリリースし、大いに称賛を浴びているフライング・ロータス。この秋には単独来日公演も決定し、ますます熱は昂まるばかりだけれど、多彩なゲストを迎えさまざまなスタイルを実践した渾身の新作『Flamagra』は、彼のキャリアにおいてどのような位置を占めているのか? そしてそれはいまの音楽シーンにおいてどのような意味を担っているのか? 原雅明と吉田雅史のふたりに語り合ってもらった。

ひとりで作ってきたトラックメイカーがそこからさらに成熟したことをやろうとすると、たいていは生楽器を入れたり、あるいは壮大なコンセプトを練るじゃないですか(笑)。彼は今回の新作でそれにたいする答えを出したんだと思います。 (原)

吉田:まずは、原さんが最初に『Flamagra』を聴いたときどう思われたか教えてください。

原:初めて聴いたときは、『You're Dead!』と比べると地味だなと思った。ゲストはたくさん参加してるけど、ひとりで作っている感じがして、すごくパーソナルな音楽に聞こえたんですよ。『You're Dead!』もいろんな人が参加していて、聴いた箇所によってぜんぜん音が違うという印象を受けたんですが、『Flamagra』は、もちろん各曲で違うんだけど、全体をとおして落ち着いていて、統一感のある作品だなと思ったんです。オフィシャルのインタヴューを読むと、今回は自分で曲を書いてキイボードも弾いて、クラヴィネットの音がポイントになっていると。じっさいに使われている音数もそれほど多くない。要素はたくさんあるけど、決めになる音が『You're Dead!』よりも拡散していない感じで、ずっとある一定のレヴェルでアルバムが進んでいくような印象を受けましたね。

吉田:曲のヴァリエーションは多様だけど、ひとつの原理に沿って聴こえるように「炎」というコンセプトを立てて、作り貯めたものをそこに全部入れたかったんだと思います。そのときひとつの軸になるのがクラヴィネットの音色で。ギター不在の今作では、鍵盤と弦楽器の両方の役割を担っているところがある。ソランジュとの曲(“Land Of Honey”)も4、5年前に作ったって言っていたけど、統一感のためにクラヴィネットの音はあとからオーヴァーダブしたんじゃないかと思うくらいで(笑)。それから今作の新しさを考えるにあたって、サンダーキャットを中心としたミュージシャンと一緒に書いてる曲が多い中で、ひとりで書いている曲がポイントになるのではないか。5曲目の“Capillaries”は、ビートやベースのパターンはこれまでのフライローっぽいんだけど、アンビエントなピアノの旋律が中心になることでピアノ弾きとしての彼の新しいサウンドに聴こえる。それから“All Spies”という曲もひとりで書いていて、これはひとつのリフをさまざまな音色のシンセやベースで繰り返し、その周縁でドラムが装飾的な使われ方をするという、シンプルながらひとつずつ展開を積み重ねる楽曲です。重要なのは、特定のサウンドで演奏されたメロディをサンプリングしてループするのではなくて、あくまでもリフとなる「ラドレファラド~」というひとつのシンセのメロディがあって、それをさまざまな音色がユニゾンしながら繰り返し演奏していく。つまりサンプリングループからアンサンブルへの移行を見てとれる。結果としてこの曲は、YMO的な印象もありますよね。そういう多様な楽曲がひとつの原理で繋がっている。

原:YMOは好きだったみたいな話を実際にしているよね。今回はやっぱり自分で曲を書いて、アンサンブルを活かしているのが大きい。

吉田:これまでは仲間のミュージシャン陣が演奏したラインをサンプリングフレーズのようにして彼が後から編集していた印象だけれど、今回はメインとなるリフや楽曲展開をあらかじめ書いて皆で一緒に弾いているようなところがある。今回ジョージ・クリントンが家にきて一緒に曲作りをしたとき、その場でぱっとセッションをしたらスポンティニアスに曲ができて、それがすごく自信になったと言ってますよね。それは自分で理論を学び直したことなんかもあって、ある程度即興的に楽曲を形にできるようになったからだと思うんです。とくに、『Cosmogoramma』以降は超絶ミュージシャンたちの演奏を編集するエディターの側面も強かったと思うんですが、今回は作曲者兼バンドマスターとしても自信をつけたんじゃないかなと。ちなみに俺は最初に聴いたときはポップなところがすごく印象に残りました。これまでのアルバムより多様性があるなと思ったとき、リトル・ドラゴンとやった“Spontaneous”や“Takashi”辺りが、とくにこれまでにない新しい景色だと。じっさいフライローは「もっと売れなきゃいけない」というようなことを言っていたから、意識的にポップな部分を入れているのかなと。そのあたりはどう思いました?

原:ポップさはあまり感じなかったかな。ポップだと思った曲もあるけど、相変わらず1曲が短いから、感情移入する前にすぐ変わっちゃうんですよね。だから、「この曲をシングルカットするぞ」みたいな感じは受けなくて。

コルトレーン一家という自身の出自へのがっぷり四つでの対峙がようやく終わって、みそぎが終わったというか。「俺が考えるジャズをひとまずはやり切った」みたいな感じがありますよね。 (吉田)

吉田:フライローの曲って、たとえばヒット曲とか代表曲がどれかって思い出しにくいですよね。曲が短くてたくさんあるから、曲単位で「あの曲がシングルでヒットした」というよりもアルバム単位で「あのアルバムはこういう感じだったよね」と記憶されている。だけどあらためて聴くと楽曲をさらに細分化した各パーツの部分、たとえば『Cosmogramma』だったら“Nose Art”のキックとベースの打ち方だったり、“Zodiac Shit”のエレピとストリングスとか“Table Tennis”のピンポン玉の音なんかは、とても印象的なんですよね。曲単位では残ってないんだけど、断片としてはけっこう残っている。
フライローがもともと持っているほかのアーティストと違う点は、アヴァンギャルドやアブストラクトさを追求しつつも、そういったエッジの効いたポップさのあるフレーズを量産しているところだと思うんですね。そういうポップさは昔から持っていた。ただ、全体としてはシリアス・ミュージックだった。扱ってきたテーマも、ジャズとどう向き合うかだったり、死とどう向き合うかという、スピリチュアルですごくシリアスで、その番外編としてキャプテン・マーフィーがあったり『Pattern+Grid World』があったりした。『KUSO』で雑多なイメージをコラージュできたことも活かされていると思うんです。今作も最終的にはアルバム後半に並ぶシリアスな楽曲群に回収されるけれど、そこまで展開はこれまでの雑多な世界観全部をひとつのアルバムにミックスしてもいいという感じになっている気がしますね。たとえばティエラ・ワックとやった“Yellow Belly”のように、『You're Dead!』のときのスヌープ・ドッグとの“Dead Man's Tetris”の奇妙なビート路線もひとつのイディオムになってきていたり、その雑多な世界観の中にクラヴィネットの裏拍のサウンドも含まれている。シリアス一辺倒ではない垢抜け感のようなものが、サウンド面でもリリック面でも楽曲構造面でもさまざまに表れている。リターン・トゥ・フォーエヴァーに『Romantic Warrior』というアルバムがありますよね。〈Polydor〉から〈Columbia〉へ移籍して、チック・コリアが使いはじめたARPの音色が印象的で、そしたらアルバムのサウンド全体も一気に垢抜けて。シリアスから脱皮したというか、ポップな要素もすごく入っている。少し似ているなと思いました。それこそ中世のシリアス・ミュージック=宗教音楽とポップ・ミュージック=世俗音楽の分裂という対置で考えられるかもしれない。ポップ化する以前のフュージョンやフライローのシリアスさにはそれこそスピリチュアルだったり、プレイを崇拝する宗教的な側面がありますし。

原:基本的に今回の作品は、ゲストを自分のところに呼んできたり自分がどこかへ行ったりして録り溜めてきたものが膨大になってしまって、自分でもどうしたらいいか見えなくなっていたところがあったと思うんですよ。時間をかけたというのも、個々の録音を録り溜めていた期間が長きに渡ってということで、そこから実際に曲として仕上げるまでの、手を動かしていない空白の時間も相当長かったんだと思う。それで「炎」というストーリーやクラヴィネットの音を見つけて、ストーリー立てできると思ったんじゃないか。そして、キイボードを習って、アンサンブルや理論を学んだうえで、ようやく見えてきた結果なんだろうなと思いましたね。素材となる録音物はたくさんあったにしても、最終的に完成に導いたのは彼の作曲の能力とか構成力とかそういった部分なんだろうなと。『You're Dead!』はコラボしたものをそのままバッと出したという面もあったと思うけど、コラボして融和的なものができ上がったとして、じゃあその次はどうするかというときに、もう一回、個に戻った表現をしようとすると、ふつうは変にコンセプチュアルな方向に走りがち。でも彼はそうではなくて……『Flamagra』も一応コンセプチュアルなふうにはしてありますが、僕はじつはそんなにコンセプトはないと思う。

吉田:意外とそうですよね。プログレのバンドとかに比べたらワンテーマでガチガチではない。だからこそこれだけ雑多な楽曲群をゆるくつなげてるんだと思います。デンゼル・カリーもジョージ・クリントンも「炎」をテーマにリリックを書いているけど、たとえばラヴ・ソングも「燃える想い(炎のように)」「あなたが好き(炎のように)」みたいな感じで、アンダーソン・パークも「ソウル・パワー(炎のように)」みたいな。もうなんでも炎じゃんみたいなところがある(笑)。

原:「炎」の話も読んだけど、コンセプト的には隙がある。だからやっぱりそれよりも、要となる音、音色を見つけたとか、作曲に関して自信を持てたとか、アンサンブルを作れるようになったとか、そういう手応えの方が大きかったんじゃないかな。

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自分はこういうのを期待されているからそれを裏切って、もっと尖った方向に行かなきゃいけないとか、そういう意識もぜんぜん感じない。本人は「誰かがクリエイティヴになるのを励ますような作品にしたい」とふつうに良いことを言っているんですよ(笑)。 (吉田)

原:フライローが出てきた当初は、いわゆるひとりでこつこつと密室でビートを作っているビートメイカーのようなイメージでした。〈Stones Throw〉でインターンをやったりして、LAのビートメイカーのコミュニティのなかにはいたんだけど、じっさいはヒップホップ色は薄かったと思う。デビューも〈Plug Research〉だったし。当時『1983』は日本では「ポスト・ディラ」みたいな紹介のされ方をしていたけど、ぜんぜんそれっぽい音ではなかった。

吉田:いわゆる後期ディラの影響のあるブーンバップに電子音、サイン波ベースというイディオムで作られてるのも1曲目だけですね(笑)。

原:「黒い」か「白い」かでいえば「白」っぽい音だった。レコードより、ネットの隅を掘っているというか、マッドリブみたいな感じではない。だから〈Warp〉と契約したのもすごく納得がいって、むしろああいうのがLAのブラック系の人から出てきたということのほうが当時はおもしろかったんですよね。〈Warp〉は当時プレフューズ73を推していたけど、そのあたりの白人のビートメイカーもなかなかそのあとが作れないという状況だったから。ダブリーもそうだったけど、ヒップホップじゃなくて、テクノなどエレクトロニック・ミュージックの人が作るビートが、期せずしてディラのようなビートとシンクロする流れがあって、そこに影響されたのがフライローや初期の〈Brainfeeder〉のビートメイカーたちだった。その先駆けみたいなところはある。それでフライローをきっかけにLAのビート・ミュージックが注目されて、00年代後半から10年代頭にかけて広がったんだけど、それも頭打ちになった。フライローははやい段階で「俺のビートのマネするな」とか言ってたけど、そのころから特殊な位置に居続けている。

吉田:確かに『Los Angeles』で確立される16分音符で打つヨレたハットに浮遊感のあるシンセのウワモノ、シンセらしさが前面に出た動きの大きいベースライン辺りのビートの文法がフォロワーたちの間で蔓延する。それで本人は『Cosmogramma』に行っちゃいましたからね。

原:そこから先、ビートを作っている人たちがどういうふうに音楽的に成長できるか、成熟できるかということをフライング・ロータスは考えていたと思うんですよ。彼の音楽って、いろいろとごちゃごちゃ入っている要素を抜くと、根本にあるものはティーブスに近くて、すごくメランコリックな音楽の組み立て方をしていると思うんです。ティーブスとかラス・Gとかサムアイアムとか、あのへんが彼にいちばん近かった連中だと思う。そのコミュニティで作ってきたものがベーシックにあって、そのうえに何をくっつけていくのかというところでいろいろ思考錯誤して、それがその後の〈Warp〉での彼の音楽だと思う。
それで、それまでひとりで作ってきたトラックメイカーがそこからさらに成熟したことをやろうとすると、たいていは生楽器を入れたり、あるいは壮大なコンセプトを練るじゃないですか(笑)。彼は今回の新作でそれにたいする答えを出したんだと思います。『You're Dead!』までは筋道がわかるんです。『Cosmogramma』ではアリス・コルトレーンを参照して、じっさいにハープの音を印象的に入れてストリングスも入れたり、『You're Dead!』では凄腕のジャズ・ドラマーを4人も入れてフライロー流のジャズに接近する側面を見せたりして、でも今回の作品ではもう一度、密室でひとりでビートを作っていたころの感じがある。いろんなゲストを交えながらも、原点に戻っているようなところが。

吉田:ジャズとの距離感が変わったというか、ジャズの磁場をそれほど意識していない印象ですよね。コルトレーン一家という自身の出自へのがっぷり四つでの対峙がようやく終わって、みそぎが終わったというか。「俺が考えるジャズをひとまずはやり切った」みたいな感じがありますよね。

いまはもうネタはすぐバレちゃうし、なんでも組み合わせられちゃうし、「こうすればこういうトラックができますよ」というのが当たり前の世界になっちゃったので、つまらないなと思うわけ。そういう意識は当然フライローにもあったと思う。 (原)

吉田:フライローのインタヴューで、今作のドラムの音色には大きく3つあって、それぞれを「小宇宙」だと思っていると言っていたんですよね。MPCとかソフトウェアサンプラーでブレイクビーツをサンプリングしてチョップしたドラムと、ミュージシャンが叩く生ドラム、そして808なんかのドラムマシンという3つです。それぞれのドラム・サウンドは探求し甲斐のある小宇宙と呼べるほどの深みを持っているわけですが、フライローはそれらを並列に扱っている。それぞれの楽曲やアルバムごとに3つの小宇宙の力関係が異なるという。「Reset EP」のときも、“Vegas Collie”という曲ではLAMP EYEの“証言”など多くの曲でお馴染みの、ラファイエット・アフロ・ロック・バンドの“Hihache”のドラムを16分で刻んで複雑なパターンにしていたけれど、他方で最後の“Dance Floor Stalker”ではドラムマシンも使っている。ふつうはそういうふうにまったくソースの異なる音色のドラムをひとつのアルバムに散りばめると、いかにも「さまざまな手法を取り入れてます」みたいな感じになっちゃいますが、フライローは初期からそれがうまくできている。ドラム・サウンドに限らず、ネタと生楽器と電子音をミッスクしたときに徹底的に違和感がない。今回のアルバムも1曲のなかでソースがさまざまに切り替わったりしているし、そういう素材の扱い方はすごく優れていて、それがよく発揮されたアルバムだと思います。

原:もちろんこれまでもやっていたんだけど、その混ぜる能力がすごく洗練されてきている感じはするね。自分ですべての音のデザインまでやる感じになっている。前回まではミックスやマスタリングはダディ・ケヴがやっていて、今回もケヴが関わっているけれど、フライロー自身がけっこうやっている。録音全体にもすごく気を使っているし、いままで以上にアルバム全体を見る力、構成力みたいなものがアップしていますね。ちなみに『You're Dead!』って、じつは40分くらいしかないんですよね。

吉田:意外と短い。

原:今回は60分以上ある。『You're Dead!』はたしかに、あの構成でやると40分しかもたなかったという感じはするんだよね。60分も聴いていられないと思うんだけど、今回は何度でも聴ける感じがある。

吉田:フライローは「ミックスはすごく難しい」と『Cosmogramma』のころに言っていて、当時もダディ・ケヴにも伝わらないから自分でもトライしている。『You're Dead!』では生ドラムの音をめちゃくちゃ歪ませていてすげえなと思いましたけど、あれに行きつくのにそうとう思考錯誤があったと思うんですよ。『Cosmogramma』ではアヴァンギャルドな楽曲のベクトルに合わせるようにベースやドラムは歪みや音圧に焦点を当てて、次作は空間的なアンビエンスに焦点を当てて電子ドラムはハイを出してレンジが広がっている。そういった実験もひと通りやり終えた感じがします。だから今回は極端な歪んだサウンドも聞こえてこない。そうなると普通は「売れ線に走った」とか「きれいになっちゃっておもしろくない」ってなるんだけど、フライローだと「あなたがあえて綺麗な音作りをするということは、そこに何か意味があるに違いない」という像ができあがっていて(笑)、でも本人は裏をかいているつもりはないだろうし、気にしないで自由にやっているだけだと思うんです。自分はこういうのを期待されているからそれを裏切って、もっと尖った方向に行かなきゃいけないとか、そういう意識もぜんぜん感じない。本人は「誰かがクリエイティヴになるのを励ますような作品にしたい」とふつうに良いことを言っているんですよ(笑)。

原:人の励みになる音楽を作りたいとか、そんなこといままで言ったことないよね。たぶん立ち位置が変わってきたんだろうね。〈Brainfeeder〉についてもかなりコントロールしているというか、たんに自分の名前を冠しているだけじゃなくて、アーティストのセレクトもちゃんと自分でやっているし。本腰を入れてやっているからこその責任もあるんだと思う。これまでは自己表現みたいなことで終わっていたのが、あきらかに違うレヴェルに行っている。

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ジョージ・デュークとかスタンリー・クラーク的なフュージョンを通過して、このままいくとプログレからフランク・ザッパとか、超絶技巧の世界に行くのかなともちょっと思ったけど、やっぱりそっちじゃないんだなということがわかった。 (原)

吉田:原さんはフライローの音楽を聴いて、何かヴィジョンって浮かびますか?

原:僕はそもそも音楽を聴いてもあまりヴィジョンが浮かばないんですよね。ただこのアルバムは映画的でもあるし、ヴィジュアルと連動している作品だなとは思っている。

吉田:インストの音楽って日常の生活の中で流しっぱなしにしたりして、多かれ少なかれBGMになりうるところがあると思うんです。歌詞があると、その内容と自分の経験がマッチしないとハマらないけど、インストはどんな場面にもハマる可能性がある。外を歩きながら聴いたり車で聴きながら走ることで街の見え方が変わったりするし、自分の個人的な体験と結びついたりもするから、ベッドルームで聴いていてもリスナー自身のサウンドトラックになるところがあると思うんです。でもフライローの曲はそういうものに結びつきづらいと思うんですよ。BGMとなることを無意識的に拒絶しているというか。今作は半分くらいの楽曲に言葉が入っているというのもありますが、彼は視覚的なヴィジョンを持っていて、自分が表現したいヴィジョンを聴いている人に伝える能力に長けている。たとえば今作の“Andromeda”とか『Cosmogramma』の“Galaxy In Janaki”なんて、そういったタイトルで名付けられているからとはいえ、めちゃくちゃ宇宙のヴィジョンが見えるじゃないですか(笑)。宇宙を表現するための音像や楽曲のスタイルが、この2曲で大きく変わってるのも興味深いですが。インスト作品には適当な曲名を付けてるケースも多いと思うし、フライロー作品のすべてがそうだとは思わないけど、明確に彼の脳内のヴィジョンとリンクしている曲もある。今回のアルバムにはそれが結実していて、聴き手が勝手に自分のヴィジョンを重ねられない感じがある。

原:たとえばニューエイジのアーティストが、この作品の背景にはこういうものがありますって言っても、それを聴いている人にはなかなか伝わらなくて、ヨガの音楽として機能するとか、具体的なところに作用する効果というのはあると思うけど、精神的なものと音楽じたいがどう結びついているのかわからないことが多いのとは対照的な話ですね。ジャズ・ドラマーのマーク・ジュリアナにインタヴューしたときに、彼はオウテカとかエイフェックス・ツインが好きで、理論を突き詰めてビート・ミュージックというプロジェクトもやってきたわけだけど、いまいちばん興味のあるのは、音楽のマントラ、レペティション(反復)、トランス的な部分をもっと精査することだと言っていたのね。人間じゃなくて機械をとおして表現される感情、精神を愛してるとも。理論と技術を突き詰めていった先にある、精神的なものをどう扱っていくのかという話で、それは機械の音楽、エレクトロニック・ミュージックをどう捉えるのか、ということでもある。フライローはその点でも、興味深いところにいると思うんです。彼はアリス・コルトレーンとも近いスピリチュアルな世界にも理解があって、一方でエレクトロニック・ミュージックにも当然深く関わってきた。さらに今回音楽理論も突き詰めはじめた。

吉田:フライローの音楽はフロア向きなのかベッドルーム向きなのかというのもちょっと判断しづらいところがおもしろいなと。曲は情報量が多すぎて1分とかで終わっちゃうし、踊りたくてもどこで乗ればいいのかが難しい。かといって静かに聴くものかというと、《ロウ・エンド・セオリー》出身ということもあって、フロアではバキバキにやってくる。《ソニックマニア》でもめちゃめちゃビートの音圧が凄くてオーディエンスも盛り上がっていた。だからフロアとベッドルームの間のグラデーションを行き来する音楽というか。

原:やっぱり曲がそもそも短いよね。1分、2分、長くて3分とか。初期のころはたしかに《ロウ・エンド~》の影響もあったと思う。《ロウ・エンド~》のDJはみんな1分か2分で次の曲をカットインでぶっこんで、それ以上は長くやらないという方針、スタイルだから、その周辺のビートメイカーも1分2分の曲ばかりだった。でもいま彼が1分2分の曲を量産しているのは、そうしたDJやフロア向けのためではないよね。なぜフロアでどんどん変えていたかというと、自分も、聴いているほうも飽きちゃうから。その「飽きちゃうから」という部分だけはいまの彼にも繋がっているような気がする。聴き手の意識をひとつの場所に留まらせずに、どんどん場面を展開していくという意味で。そのやり方が非常に巧みになってきた。

吉田:今回アンダーソン・パークとやった“More”はめずらしく4分以上あるんですよね。でも、最初の浮遊感のあるコーラスのシンガロング・パートは1分くらいで、次にラップ・パートが来ますが、それも1分半くらいすると一旦ブレイクが入ってアンダーソンのスキャット・パートへ展開する。だから1分から1分半で次々と展開する仕組みになっている。それこそテーマパークのライドみたいに飽きさせない構造になっている。それらの断片をどうやってつなげるかというのもポイントですよね。たとえば3曲目の“Heros In A Half Shell”も電子4ビート・ジャズという趣で、次の曲の“More”とはだいぶ毛色が違う。でも両者をうまくつなげるために、“Heros In A Half Shell”の最後の10秒ほどはミゲル・アトウッド=ファーガソンのストリングスだけが鳴るパートが入っていて、気が利いているなと。

原:ミックスとして非常におもしろいものになっているよね。だからある意味ではサウンド・アーティストみたいなところもあって、いまこんなミックスをしている人は特異だしおもしろい。ビートを作っていたときは短い曲の美学みたいなものがあったけど、そこにそのままコラージュに近いようなミックスの手法が入り込んでいて。今回の作品は謎のバランスで非常にうまくまとまっている。それが聴く人の意識を変えさせている。

吉田:27曲もあるから曲順はいろいろな可能性があったかと思いますが、同じようなカラーを持った曲が並ぶブロックがありつつも、個々の曲の並べ方はダイナミズムがある。たとえば中盤の流れだと“Yellow Belly”と“Black Balloons Reprise”とか、“Inside Your Home”に“Actually Virtual”とか、スムースにつなげるんじゃなくて、どちらかといえば対極のものをぶっこむ場面もありますよね。デペイズマンの美学というか。でもたんに落差を楽しむだけでなくて、落差のある両者をどうつなげば聴かせられるのかという点にはすごく意識的な感じがします。異質なものを突然入れるのはコラージュ的でもあるし、DJ的でもある。あるいはビートライヴをする際のビートメイカー的とも。現代音楽的なものに目配りをするクラブ・ミュージックの気配を反映しているともいえる。

原:でも、ヒップホップってもともとはそういうものだったからね。意外なネタを見つけてきて組み合わせて、そのなかにはふつうに現代音楽も入っていたんだけど、いまはもうネタはすぐバレちゃうし、なんでも組み合わせられちゃうし、「こうすればこういうトラックができますよ」というのが当たり前の世界になっちゃったので、つまらないなと思うわけ。それにたいする揺り戻しは、例えばザ・ルーツが『...And Then You Shoot Your Cousin』で突然ミッシェル・シオンのミュジーク・コンクレートを暴力的に挿入した様にも見て取れる。そういう意識は当然フライローにもあったと思う。

吉田:『KUSO』のコラージュ的な作風も含めて、いろいろなものをミックスする手つきの良さが際立つ。そういう意味で、スピリットの部分でヒップホップ黎明期のそれこそアフリカ・バンバーター的なものを体現していると考えると、またこのアルバムの聞こえ方も変わってくるかもしれない。

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『Cosmogramma』以降聴いていなかった人たちにもぜひ聴いてもらいたいですね。絶対ドープだと思える曲があると思う。ヒップホップが出自のビートメイカーにはとくに“FF4”を聴いてほしいです。 (吉田)

吉田:僕の周りのビートメイカーなんかは、ヒップホップの人が多いので、フライローにかんしては『Los Angels』までで、『Cosmogramma』からはビート作りに参照するようなものではなくなったという意見が多かった。『You're Dead!』も参照するのは難しかったと思うし、もしかしたらいまのヒップホップのビートメイカーたちはフライング・ロータスを自分とはあまり関係のない遠い存在と思っているかもしれない。でも今回のアルバムはどのジャンルのどの人が聴いても、それこそJポップの人が聴いても、自分のサウンドにフィードバックできるんじゃないかなと思います。もともとそうでしたが、ミュージシャンズ・ミュージシャンとしての懐がさらに深くなって、彼を参照しうるミュージシャンの母数が拡大している気がします。

原:生ドラムを使ったり808を使ったり、まったく質感の違うものを共存させるところなんかはふつうに参考になると思うけどね。

吉田:これまでは「あの変な歪みは下手に真似するとあぶねぇ」みたいな、真似できないという感じがあったけど、今回はサウンドのバランスもめちゃくちゃ良いですからね。荘厳なパッド系やコーラスっぽいシンセがだいぶ引いた背景で鳴っているんだけど、手前に来ている楽器隊はリヴァーブやエフェクトも控えめで、何を弾いているのかが聴き取りやすい。サンダーキャットがいて、ブランドン・コールマンのクラヴィネットがあって、ミゲルのストリングスがあって、本当に5ピースくらいのバンドで演奏している感じが目に浮かぶ曲もある。そこはいままでと違う。

原:やっぱり自分でアンサンブルを作っているのが今回はいちばん大きいんじゃないかな。これまではどうしてもミゲルがアレンジをして、ミュージシャンが演奏して、それをうまく合わせるという感じだったけど、今回はミックスまで含めてフライロー自身がちゃんとアンサンブルを作り直している感じがする。

吉田:インプロ含めた演奏データがありきの「切って、貼って」のやり方だと、各パート間の展開や繋ぎの部分がこんなにうまく成立しないと思うんですよね。曲としてちゃんとバンドっぽいキメやユニゾン、エンディングが多かったりするじゃないですか。もともとフライローの強みはループをベースとしたビート・ミュージックにいかに手打ちのドラムや楽器で展開をもたらすかにあったわけで、そこに完全に振り切っているともいえる。キャリアの初期に、ジョン・ロビンソンやオディッシーといったラッパーに提供しているヒップホップ・ビートは思いっきりワンループで作ってますが、そうするとフライローらしさをぜんぜん読み取れないんですよね。

原:アンサンブルって00年代後半以降、キイになっていたと思うんです。それまではダブの残響とか、ベースの音圧とか、楽音以外が構成するサウンドに魅力があって、もちろんアンサンブルが活かされている音楽もあったけど、多少乱暴に言うとポピュラー・ミュージックでも力を持っていたのは音響のほうだった。それが00年代後半からまたアンサンブルが重視されてきて、ミゲルのようなクラシック畑の人がたくさんフィーチャーされたり、ジャズの復活もそういう部分が大きいと思う。その時代にフライローが出てきて、当初はそういう流れとはぜんぜん違うところにいるように見えたけど、じっさいはその流れとも並走していたことに今回の作品で気づくことができた。

吉田:エヴァートン・ネルソンが活躍して、4ヒーローとかドラムンベースなんかでもアンサンブルが重視された時代の回帰のように見えるところもありますよね。でも今回のアンサンブルの作り方はバランスがいいんですよね。たとえばサンダーキャットって、やっぱり弾きまくるじゃないですか。でも今作はフライローや彼がフェイヴァリットに挙げるジョージ・デュークやスタンリー・クラークのようなテクニカルさはないですよね。『You're Dead!』では、そういうサンダーキャットのバカテクやBPM速めの4ビートのドラムのパッセージをいかに自分の音楽と融合させるかという試みでもあったと思うんですけど、今回は良く聞かれるユニゾンは速弾きではないし、むしろゆったりしている。

原:もしかしたらほんとうはサンダーキャットはめちゃくちゃ弾いていたのかもしれないけど、それをぜんぶカットしている感じだよね(笑)。

吉田:たまに思い出したように速弾きやワイドストレッチっぽいアルペジオが聞こえてきますけど(笑)、分量としては少ないですもんね。そういう意味でもフライローはテクニカルなフュージョンと対峙するというみそぎをも済ませた感がある。

原:そういうジョージ・デュークとかスタンリー・クラーク的なフュージョンを通過して、このままいくとプログレからフランク・ザッパとか、超絶技巧の世界に行くのかなともちょっと思ったけど、やっぱりそっちじゃないんだなということがわかった。

吉田:そこで、今回自分でピアノを学んだっていうのは良い話ですよね。坂本龍一の『async』に大いに影響されたって。

原:今回の作品を聴いてちょっと安心した感はあるよ。

吉田:『You're Dead!』からさらに突き詰めると「どこ行っちゃうの?」という不安がね。

原:ライヴではどうなるのかわからないけどね。そこでは超絶技巧になっているかもしれない。

吉田:それはそれで観てみたいですけどね。《ソニックマニア》のときも、映像との融合というのはこれまで多くのアーティストが試みた手法ではあるけれど、やはり静と動の展開というか、広大なランドスケープを想起させる「静」のパートと、バキバキのビートが引っ張る「動」のパートのギャップが際立つような映像の使い方をしていて、あらためて彼がやると違って見えたから。

原:立ち位置的にさらにおもしろいところに来たなという感じはある。『Los Angels』までは好きだけどそれ以降はダメという人がいるとして、そういう意味でもこの作品はいろんなところで人を励ます作品だと思うんだよね。

吉田:いまのヒップホップは、トラップが生まれたことによって、そっちの人たちと、ゴールデンエイジしか受けつけない人たちとに分かれちゃってると思うんです。トラップについては自分もある時期まではどう聴けばいいのかわからなかった。でもあるときイヴェントに行ったら、トラップがなんなのか身体的に理解できて大好きになったんです。

原:そういえば今回トラップは入っていないね。トラップをやる人は使っているけど。

吉田:たしかにトラップはないですね。フライローが808のハットを乱打したら、それはそれでおもしろかったんだけどな(笑)。他方で、いま日々リリースされるヒップホップ作品には、たとえば〈Mello Music Group〉周辺とかアルケミストやマルコ・ポーロやロック・マルシアーノ周りとか、誰でもいいんですが、ゴールデンエイジ以降のヴェテランから若手まで原理主義的なプレイヤーもたくさんいて、そういうアクトたちのレヴェルがすごく高い。しかもよりメインストリームにはオッド・フューチャー勢なんかもいるわけで。だからじつはゴールデンエイジのものを聴き直す必要すらなくなっていて、現在進行形のアーティストたちだけでじゅうぶんに成立する世界が広がっている。

原:ジャズと一緒だよね。いまのジャズもめっちゃうまいプレイヤーがたくさんいて、彼らは当然昔の作法を身につけてもいるから、それを聴いていればべつに昔のジャズをことさらに懐かしがる必要のない世界になっている。

吉田:そういう作品が元ヘッズの耳に届いてない状況があると思うんですよ。それはすごくもったいないなと思う。90年代の耳で聴いても、すごくクオリティが高くてドープなヤツらがたくさんいるのに。情報収集をして探すハードルが高いってのはわかるんですが。なにせ数が多すぎて、腰が重くなりますよね。で、ずっとATCQやギャングスターやウータン聴いてればいいやって(笑)。

原:だからフライローは今回デンゼル・カリーにやらせたんじゃないかな(笑)。『ファンタスティック・プラネット』のサントラの曲(アラン・ゴラゲールの“Ten Et Tiwa”)とか、大ネタをそのままバーンと使って、しかもそれをわざわざデンゼル・カリーに昔風にラップさせているでしょう。

吉田:あれは熱かった! 何この90年代感っていう(笑)。急に98年のアングラ・クラシックに回帰したみたいな。まあフライローはもともと『1983』と同時期に90年代後半のアングラ・グループのサイエンズ・オブ・ライフ(Scienz of Life)のプロデュースもしてますからね。得意分野(笑)。

原:彼はあのころのアブストラクトなヒップホップも当然好きで聴いていた。今回のビートにも《ロウ・エンド・セオリー》以前の音というか、それっぽいものがあって、それと対等な感じでポップなものも混ざっている印象です。そういう意味ではヴァリエーションがあるんだけど、それも含めて全体をフライローがひとりで作り直した感じがしますね。

吉田:そういう目配りがフライローはさすがだなと。だから今回のアルバムは、『Cosmogramma』以降聴いていなかった人たちにもぜひ聴いてもらいたいですね。絶対ドープだと思える曲があると思う。ヒップホップが出自のビートメイカーにはとくに“FF4”を聴いてほしいです。サンクラ世代のビートメイカーたちへのアンサーのような、かつてなくシンプルなキックとスネアとハットを。それから彼自身と思われるピアノにミゲルのストリングスの上ネタも、シンプルだけどいっさい隙がない。

原:音楽を組み立てるってどういうことなのかを、ここから学ぶことができると思う。他人の録音があって、生の音と機械の音といろんなレイヤーがあって、それをどうまとめるかということにかんして、すごくアイディアのある作品だと思う。

吉田:バンドスコアとか出てほしいですね(笑)。フライローの完コピのバンドスコアとかアツくないですか(笑)。サンダーキャットのベースはタブ譜付きで。これまでの過去作品だとしっくりこない曲もあると思うんですけど、今回は行ける感じがします。まあティエラ・ワックとの曲とかどうするんだっていう問題はありますが(笑)。


FLYING LOTUS in 3D
公演日:2019年9月26日 (木)
会場:新木場 STUDIO COAST
OPEN 18:30 / START 19:00
前売:¥7500(税込/別途1ドリンク代/スタンディング)※未就学児童入場不可

一般発売:6/29(土)~
イープラスローソンチケットチケットぴあBeatinkiFLYER
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