Home > Reviews > Album Reviews > CFCF- Liquid Colours
カナダはモントリオールの才人 CFCF =マイク・シルヴァーの新作『Liquid Colours』は、「ニューエイジ+ジャングル」という「2019年のモード」を感じさせる卓抜なコンセプトを持ちながらも、澄み切ったミネラルウォーターのように体に染み込んでくる洗練されたエレクトロニック・ミュージックでもあった。
いちど再生してしまえば清流のようにアルバムは流れ、曲はシームレスにつながる。しかし音のトーンは変化し、ラストの曲まで全15曲が時間旅行のように進行する。とにかくリラックスできるし、エレクトロニック・ミュージックならではの快楽にみちてもいる。テクノ・ファンにもIDMファンにもニューエイジやアンビエント・ファンにも広くおすすめできる逸品である。
『Liquid Colours』は洗練されたエレクトロニック・ミュージックだ。それは「過剰なまでの洗練」と言いかえてもいい。この洗練。この快適さ。この心地よさ。
まるでどこかの企業のコールセンターに電話したときオペレーターに回線が繋がるまでのあいだに耳元に流れる軽快な音楽、実践的な教習用ビデオの邪魔にならないBGM、巨大なホテルのロビーにうっすらと流れる清潔なサウンド、ショッピングモールに流れる瀟洒な音楽のようにも聴こえる。いわば社会の隅々にまで浸透したバッググラウンド・ミュージックのように極度に洗練されているのだ。完璧に構成された消費社会のための音楽? これは批判ではない。ストレスフルな現在を生きる私たちの心身はこういった音を求めている。
もっとも CFCF のこのような音楽性は、本作から始まったわけではない。2015年に〈Driftless Recordings〉からリリースされた『Radiance & Submission』、同年〈1080p〉からリリースされた『The Colours Of Life』以降、彼が追求してきた「80年代的な電子音楽を現代のサウンドで再生させる」をコンセプトとサウンドを継承するものといえよう(余談だが、2015年こそ2010年代における先端的な電子音楽を考えるうえで重要な時期だろう)。
これら『Radiance & Submission』や『The Colours Of Life』で CFCF は失われた80年代をモダンなサウンドでアップデイトした。結果としてヴェイパーウェイヴ・ムーヴメントやニューエイジ・リヴァイヴァルにも共通・貫通する「2010年代的な」音楽となった。「失われた未来を、過去から希求する」ものである。
しかしマイク・シルヴァーの音楽は、ヴェイパー的な喪失した過去と未来から生まれた濃厚なノスタルジアに浸っている「だけ」ではない。CFCF の音楽は、不思議と「いまここ」に鳴っているのだ。これが彼の独自性に感じられる。
マイク・シルヴァーは、極度に洗練した消費社会のもろもろの音楽をミニマルで洗練された日用雑貨のように、この現在に再生しようとしている。CFCF の音楽からはヴェイパーウェイヴにあるようなブラックユーモアは希薄になり、ミニマムな空間にマッチするようなアンビエンスをたたえたエレクトロニック・ミュージックとなった。
その意味で CFCF =マイク・シルヴァーはブライアン・イーノ直系のアンビエント思想を継承するアーティストともいえるし、家具のような音楽という意味でエリック・サティのクラブ・ミュージック経由ヴァージョンといえなくもない。
つまりマイク・シルヴァーは、オーセンティックな音楽家/作曲家の資質を持っているアーティストなのだ。さすがポスト・クラシカルの巨匠マックス・リヒターのリミックスを手掛けるだけの音楽家である。
むろん、CFCF の音楽が現代的な批評性を欠いていることを意味するわけではない。彼はこの社会にただ存在する音楽の存在にとりつかれているし、消費社会に存在する幽霊のような音楽を探し続けているアーティストだ。
CFCF はもろもろの音楽フォームが、全盛期を過ぎて先端性を失い、やがて洗練を極めたBGMになり、ポストモダンな社会に浸透している状態に興味があるのだろう。本作はまるで「存在しない無印良品の店内音楽」のようでもある。ミニマムな製品たちが陳列される空間のための音楽として聴くこと。20年から30年前の音楽を洗練された音楽として再生し、過去と現在の亡霊(?)をこの時代に蘇生すること。
思うにニューエイジとジャングルを合体・蘇生させた意味もそこにあるのではないか。社会に浸透した音楽。彼はそのために音を洗練させていく。じじつ、アルバムは1曲め“Re-Utopia”から、全15曲、どのトラックの音色もテンポも曲の構造も共通のトーンで進行する。2曲め“Green District”以降もシームレスにトラックは繋がり、まるで良質なミックス音源のようにまったく淀みなく進む。私は本作聴き終えたとき、浮遊するような幸福感を感じた。空間が綺麗になったような感覚である。同時にニューエイジ+ジャングルということは、つまり80年代と90年代を交錯させることを意味するとも思った。
“Re-Utopia”のマリンバ的な音色などは、まるで坂本龍一『音楽図鑑』や80年代に手掛けたCM音楽を思わせるが、そこに90年代的なジャングル・ビートをレイヤーさせる。つまり80年代と90年代を融合させている。その手腕は実に見事で、異質なはずのものが極めて自然にミックスされている。澄んだ水を飲むように何度も聴けてしまう。
加えて渋谷系およびネオ渋谷系リヴァイヴァルのごとき9曲め“Oxygen Lounge”に現在のニューエイジ・リヴァイヴァル「以降」の萌芽も聴き取った(次にくるリヴァイヴァルは渋谷系~ネオ渋谷系か?)。
いろいろと御託を並べてしまったが、心地よく繰り返し何度も聴ける極上のエレクトロニック・ミュージックに仕上がっていることが何より重要である。洗練と極上の結晶。特に静かな盛り上がりを見せる12曲め“Last Century Modern”以降は、現代のエレクトロニック・ミュージックならではのミニマルにしてエモーショナルなサウンドスケープを生んでいた(13曲め“Closed Space”では坂本龍一『エスペラント』収録曲を引用するなど小技も実に効いている)。
ニューエイジ+ジャングル。それは80年代と90年代の融合であり、洗練された心地よい電子音楽の完成であり、心身をケアする完璧な消費社会への希求である。そう、つまり『Liquid Colours』は、ストレスフルな現代社会に対するシェルターのようなものかもしれない。
デンシノオト