「IO」と一致するもの

The Escape Velocity - ele-king

 ジェフ・ミルズが編集する雑誌『The Escape Velocity』の2号目が早くもリリースされた。今回はデザインもヴィジュアルもさらにグレードアップされ、さらにまたひじょうに興味深いコンテンツが収録されている。まずは表紙が動画仕掛け、3つある動画のひとつではジェシカ・ケア・ムーアの書き下ろしによるポエトリーが読める。音楽以外の記事では、地球上に存在するもっとも黒い黒のペイントを開発したというアーティストStuart Sempleのインタヴュー、『Another Science Fiction』の著者Megan Prelingerのインタヴュー、「白という色の意味」というアート系のコラムなどがある。もちろんアクシスから作品をリリースしたばかりのOrlando VoornやDeetronらも登場。中国のテクノの記事もある。最後に少しだけ日本語があるとはいえ基本は英語なので日本人が読むのには苦労するのは仕方がないにしても、とにかくジェフ・ミルズののレトロフューチャー好みのテイストが反映された凝ったデザインとヴィジュアルが見事なので、ぜひページをめくって欲しい。データが重たいので読み込みに時間がかかるので、いつか紙版が出ることを期待しましょう。

interview with Galcid - ele-king

ふつうの音楽ならどんどん進行していってくれるので、あまり考える余白がないじゃないですか。私にとってのアンビエントって、考える余白がめちゃくちゃあるものなんですよ。

 副業にこそ活路を見出すべし。本人からはお叱りを受けそうだが、モジュラーシンセ・マスター galcid によるアンビエント作品はそれほど魅力的なのだ。
 最初の驚きは前回の「Galcid's Ambient Works」。それまでのインプロ主体の印象を覆し、アルバムとしての完成度を高めた(齋藤久師との)SAITO 名義の作品もリスニング・テクノとして刺戟的ではあったのだけれど、galcid の可能性はじつはアンビエント路線にこそ潜んでいるのではないか。少なくともぼくはそう感じた。

 整理しておこう。去る3月、〈Detroit Underground〉から『Hope & Fear』が出ている。これが、前回のインタヴューで語られていた、完成しているのに世に出るのが遅れに遅れたセカンド・アルバムだ。SAITO における音の冒険や幅の広がりなんかも、きっとこの『Hope & Fear』で手ごたえをつかんだ結果なのだろう。冒頭のメッセージ・ソングを筆頭に、いろんなタイプの曲が並んでいる。とくに注目しておきたいのは最後の “Microscope”。このノンビートの小品こそ、「Galcid's Ambient Works」の天啓をもたらしたにちがいない。
 その続編となる「Galcid's Ambient Works 2」も4月27日にリリースされたばかり。これまた「1」に引けをとらない良質なアンビエント作品で、やっぱり galcid のアンビエント路線、めちゃくちゃ合ってるんじゃないかと思う。そんなわけで今回は、galcid にとってアンビエントとはなんなのか、大いに語ってもらいました。

コロナで外に出なくなって家で音を流していると、やっぱりスクエアプッシャーとかに反応してしまうんですよね。「エモい!」みたいな(笑)。やっぱり私の源流はここにあるんだなって。

まずは3月に出た『Hope & Fear』についてですが、これが昨年のインタヴューで仰っていたセカンド・アルバムですよね。

レナ:はい。あれからコロナでさらに遅れて、3年越しですね。もう自分でも内容を憶えていないレヴェル(笑)。ちょっと他人事というか。そのときは一生懸命つくりましたけど、3年も空くとね。もうフレッシュではないイメージになっていて。半分お蔵入りというか(笑)。

ファーストよりも曲の表情というか、ヴァラエティが豊かになっていて、機械のエモーションのようなものを感じました。

レナ:それはあるかなと思います。1作目は意識的にかなりミニマルにしていましたので。この2作目は、たとえば最後の曲なんかは、前回のアンビエント作品(「Galcid's Ambient Works」)につながる感じになっています。自分のそういう側面も出していきたいという想いが増えて。あと、言葉もけっこう入れていますし。

冒頭からいきなりメッセージ・ソングですよね。原爆と原発をつないでいる。なぜこれを1曲目に?

レナ:聖域をつくるというか……

聖域?

レナ:メッセージも強いし、音も過激なので、これを聴けるひとはその後の曲も聴けるだろうって。ここを越えてきてくれたひとは、ぜんぶ受けいれてくれるだろうなと。会員制のような(笑)。超えてきてくれたひとに「どうぞ、ほかにもいろいろあるよ!」って。

なるほど、だいぶ分厚い扉ですね(笑)。3・11について、考えることがよくあったということですよね。

レナ:ありましたね。じつは、この曲だけ “Noticed nuclear” という名前で、少し前につくっていたんですよ。でもそれから年月が経つにつれ忘れられていっている感じがしたし、知り合った福島の方がいたんです。それでリアルな話を聞く機会もあったので、“Noticed nuclear” のように安易な曲名ではなく、“Awareness” に変えて冒頭に持ってきたというのはありますね。

アルバムが出たのが3月だから、ちょうど10周年のタイミングですよね。

レナ:しかも、他の曲名もいまのコロナの世相を反映している感じになっていて。

期せずして、いろんな意味を含んだアルバムになったと。

レナ:はい。“Large Crowd” とか「密」じゃないですか。3年寝かせた意味があったのかもしれないと思いました。聴きなおして、音も古くはなっていなかったのでよかったです。それに、買ってくださった方も多くてびっくりしました。

ヴァイナル即完だそうですね。ディスクユニオンでも1位になったとか。

レナ:そうなんですよ。ダンス・チャートで1位に。

再プレスの予定はあるんですか?

レナ:ないです。転売してください(笑)。うちにも1枚しかないんですよ。

それほどリアクションがあったのは、ご自身ではなぜだと思いますか?

レナ:ぜんぜんわからないんですよね。大々的に広告を打ったわけではないですし。予約時点で売り切れていたそうなんですが、だれかが頑張ったというわけではないんですよね。リリース・パーティもいっさいできなかったので、理由はわからないです。ただ、バンドキャンプでの注文が多かったみたいなので、けっこう試聴はしてもらったのかもしれないですね。

今回も基本はインプロですか?

レナ:インプロ感を残しつつ、作曲しています。そのせめぎ合いを(齋藤久師に)プロデュースしてもらった感じで、勢いは残したいけれど、作品としてリピータブルにもしたい、そのせめぎ合いでしたね。

つくられたのは3~4年前ですが、そのとき「これはブレイクスルーだな」と思った曲はありましたか?

レナ:じつは、自分にとってすごく恥ずかしいことをやったんですよ。“Back To Teenagers” とかモロじゃないですか。

いわゆるドリルンベースですね。

レナ:高校生のときに聴いていたやつをそのままやったんです(笑)。もちろん、いまの私なりの解釈は入れてますけど、ここまで「まんま」でやる? みたいな笑っちゃう感じの自己開示ですね。これまでは「とくに影響受けてないです」みたいな顔をしていたんですが、コロナで外に出なくなって家で音を流していると、やっぱりスクエアプッシャーとかに反応してしまうんですよね。「エモい!」みたいな(笑)。やっぱり私の源流はここにあるんだなって。この曲を聴いたレーベルのオーナーもニヤニヤしていました(笑)。

今度まさにスクエアプッシャーのファーストがリイシューされますよ。ちなみにぼくは “Electronic Flash” が気になりました。ちょっと点描的な感じがあって。

レナ:その曲も好評でした。あと “Scheme And Impatience” も好反応が多かったです。みんなばらばらなんですけどね。でもそうやっていろんな方にプレイリストに入れてもらったりしたのがセールスにつながったのかもしれないですよね。これまでは、アンダーグラウンドであることに妙なプライドがあったというか、「べつに売れなくていいんです」みたいな、ちょっと卑屈な感じがあった。「どうせ理解されないし」みたいな。でも今回結果を出して、ひとつスタイルを確立できて、自分のなかですごく自信になりました。

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美しいメロディをつくるというよりも、まぬけなメロディをいかにきれいに美しくやるか。

そして「Galcid's Ambient Works 2」も出ました。

レナ:今回、カセットテープは JetSet Records と waltz で取り扱ってもらっています(註:4月27日現在、waltz では予約段階でソールドアウト)。

アンビエント・シリーズはカセットで、みたいなこだわりがあるんでしょうか?

レナ:レーベルは変わりましたが、そもそも1作目のとき、カセットで出さないかというオファーだったんです(〈Detroit Underground〉)。その1作目を聴いたスペインのレーベル(〈Sofa Tunes〉)がすごく気に入ってくれて、うちからカセットで出さないかと言ってくれて。

なるほど、そういう経緯でしたか。このレーベルは知らなかったんですが、どうして急にスペインのレーベルになったんだろうと。Galcidのアンビエント路線、ぼくはかなり良い方向だと思っています。

レナ:アンビエントはすごく開眼させてくれますね。自分の色づけや音楽の幅を持たせてくれる。

でもやっぱりノイズを入れずにはいられないところはニヤッとさせられました。そこは久師さんですか?

レナ:ふたりともですね。どうしても汚しにいってしまいたくなるというか。その辺はやっぱり中学生なんですよね(笑)。宅録の延長というか、音質の悪さを追求したくなる。

1曲目はとくに、良い音の濁り具合だなと思いました。

レナ:宅録でカセットテープでやっちゃったみたいな、そういう音にしたかった。それを実際にカセットで聴いたらどうなるか、わからないですけど(笑)。あとメランコリーというか、退廃的な匂いを入れたいというのもありました。1曲目はとても暗くて。暗くないですか? モールス信号でメッセージも入れています。ぜひ解読してください(笑)。

暗さはそれほど感じませんでしたけど、美しい風景のようなものは浮かび上がりました。

レナ:私としては、デヴィッド・リンチが好きなので、ああいう滲んだ色というか、緑がかった映像のイメージがありました。写実的なかっちりしたものよりも、リンチだったり『ブレードランナー』だったり、ああいう青緑の雰囲気を醸し出したいというのは無意識的にあったと思います。

好きなアンビエントのアーティスト、あるいは作品はなんですか?

レナ:ベタすぎですが、やっぱりブライアン・イーノとエイフェックス・ツインが好きなんですよね。

おおお。イーノだと、どれがいちばん好きですか?

レナ:『Thursday Afternoon』ですね。『Music For Airports』も好きですけど、やっぱり『Thursday Afternoon』かな。

85年の、ワン・トラックのやつですね。どの辺が?

レナ:まどろみというか、あれもやっぱり独特のカラーを感じて。いま私、「アルコール・インクアート」というのをやっているんですよ。アルコール・インクアートってご存じですか? 

知りませんでした。

レナ:インクをアルコールに垂らすと、ぶわーっと混ざっていって、色がどんどんまだらになるんです。そういうアートがあって。(スマホで動画を見せる)私はそれを利用して音を使い「周波数アート」と命名してやっています。

名前からしてヤバそうですね。

レナ:(スマホで動画を見せながら)色に音を当てるんです、こうやって模様を描いていく。ブライアン・イーノの音って、まさにこういう世界なんですよ。音色がゆっくり混ざっていく感じ。抽象画を描くプロセスを見ているイメージで、すごく想像力を与えてくれる。

『Thursday Afternoon』って、もともと「ヴィデオ・ペインティング」としてはじまった作品なんですよ。たしかインスタレーションのサウンドトラックのような位置づけで。ヴィデオ版も出ています。だから、レナさんのその受けとり方はまさにどんぴしゃというか。

レナ:そうだったんですね! 映像は観ていないですけど、音でそれを感じたんです。音ですごく色を感じて。しかも一色ではなくて、動いて、ちがう色が出てきて、それが流れていくという。アート作品のプロセスを観ているような。音楽って一般的には譜面というプロセスがあるけれど、それをキャンバスのうえでやっているような雰囲気がすごく好きですね。でもなんで『Thursday Afternoon』なんだろう。木曜日にやったのかな(笑)。

きっと共感覚をお持ちなんでしょうね。しかし、イーノ作品で『Thursday Afternoon』がいちばんというのはおもしろいですね。

レナ:「Bloom」というアプリがありましたよね。あれもすごく好きなんですけど、それにも通じているんですよね。時代順に聴いたわけじゃなかったので、最初『Thursday Afternoon』も「Bloom」でやったのかな? って思ったくらいです。

『Reflection』は聴きました? アプリでも出ていて、再生するたびにちがう音が鳴るんです。(アプリを立ち上げ)春夏秋冬でムードが変わるようにも設計されている。

レナ:いいですね! 「Bloom」で止まってました(笑)。いろんな意味でブライアン・イーノは先輩なんですよ(笑)。創始者でもありますし、考え方や、医療関係だったり教育関係だったり、音楽と活動の仕方にかんしても。人としてすごく興味があります。

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アンビエントを聴くと頭が支配されてしまうんです。キャンバスが用意されているような状態、「なに描くの?」って言われているような状態なんです。最初からそこに模様がいっぱいあったらなにも描こうとは思わないじゃないですか。でもアンビエントは余白が多いから、「ここにはなにを描こうか」とか、いろいろイメージが湧いてきちゃう。

エイフェックスは、やっぱり『Selected Ambient Works Volume II』ですよね?

レナ:そうです。(「Galcid's Ambient Works 2」という)タイトルからしてもう「すんません!」って感じです。これも自己開示ですね。これまで Galcid は、影響元を隠していたわけではないですが、ルーツが見えづらい部分もあったと思うんです。そこら辺はもう、ドーンと出していこうと思って。あとエイフェックス・ツインのメロディって、拙いというか、すごくチープですよね。カシオトーンのプリセット音色で弾いてるんじゃないかくらいの(笑)。それが心を打ったりもするんですけど、自分たちの音をつくるとき、それにすごく勇気づけられた。美しいメロディをつくるというよりも、まぬけなメロディをいかにきれいに美しくやるか、という。

『SAW2』にも色彩を感じますか?

レナ:そうですね、またべつのタイプの。緻密さがないように私は感じたんですよね。日本人の音の構成ってすごく緻密で凝っているけど、エイフェックスには感性的なものを感じました。そこに憧れているところがあって、だから自分でやるときも作りこみすぎないようにしています。あとエイフェックスは、アンビエントじゃない作品ももろに聴いていたので、その振れ幅もリスペクトしていますね。

まあエイフェックスはちょっと別格ですよね。

レナ:そうそう。最近ワークショップとかでいろんな方と話す機会があるんですが、思考で音楽を聴く時代は終わったなって思っているんです。日本の方はまじめなので、情報とか、思考で音楽を聴いてしまうところがある。私にもありました。でも、本当は心で聴きたいというか、感性で聴きたい。それって、つくる側もそうじゃないと、そういうふうに聴いてもらえないんじゃないかって思うんです。プロデューサー(齋藤久師)が思考ではつくらないタイプ、完全に感性だけでやっていくタイプなので、私は「ちょっとこれは……」とか思うときがあるんですけど、(齋藤久師は)「いやぁ、頭で考える必要ないでしょ!」みたいな(笑)。

アンビエント・シリーズはぜひ今後もつづけてほしいですね。

レナ:つづけたいですね。ほかのこともやりながらですけど、やっぱりアンビエントは好きなひとも多いので。

ひと口にアンビエントといってもいろいろありますが、なにをアンビエントだと思いますか?

レナ:もともとは「環境音楽」ですよね。どんな音楽でも「環境」を変えると思うんですが、とくにアンビエントは、「その場」の空気を変える印象があります。アンビエントは「場」を変えて、人間を持っていっちゃうイメージ。だから、アンビエントを聴いていると持っていかれちゃうので、仕事にならないんです(笑)。私の定義だと、そうなりますね(笑)。

それは、鳴っているサウンドに注意が向いてしまうということですか?

レナ:うーん、あまりにも余白があるからなのかなぁ。アンビエントって、楽曲としての主張がそれほどないじゃないですか。だからどうしても場に調和してしまう。だから「環境音楽」なんだと思うんですが……

音を聴きこんでしまって聞き流せない、ほかのことに集中できない、ということでしょうか?

レナ:聴きこむわけではないですね。たぶん、音がそれほど入っていない分、余白が大きすぎて、自分の脳がいろいろ想像しちゃうんですよね。ふつうの音楽ならどんどん進行していってくれるので、あまり考える余白がないじゃないですか。私にとってのアンビエントって、考える余白がめちゃくちゃあるものなんですよ。世界観だったり、昔のことを思い出したりして、頭が忙しくなっちゃうんです。

ああ、なるほど。シンプルに4つ打ちが鳴っているほうが楽、みたいな。

レナ:そうそう! 私はですけどね(笑)。

珍しいタイプですよね。4つ打ちがむしろアンビエントとして機能してしまっている(笑)。

レナ:そうかもしれない(笑)。珍回答だなあ。アンビエントを聴くと頭が支配されてしまうんです。キャンバスが用意されているような状態、「なに描くの?」って言われているような状態なんです。最初からそこに模様がいっぱいあったらなにも描こうとは思わないじゃないですか。でもアンビエントは余白が多いから、「ここにはなにを描こうか」とか、いろいろイメージが湧いてきちゃう。私も他方ではやかましい音楽もやっていますけど、そっちはもうすごい幾何学模様で、描く余地も考える余地もない。ただ受けるだけで、こちらから能動的になにかする余地がないというか。

なるほど。さきほどからアプリの『Reflection』を流しっぱなしにしてしまいましたが、レナさんは取材に集中できなかったかもしれないですね(笑)。

レナ:引っぱられぎみにはなりますね(笑)。クラシックとかもそうなんですよ。ドビュッシーの「月の光」とか聴いてもどんどん持っていかれちゃいますからね。ゆっくりできない(笑)。

イーノとエイフェックスのほかに、ピンときたアンビエントはありますか?

レナ:タイトルが数字の……『1979』だっけ? DERUの。

それは知りませんでした。聴いてみます。

レナ:すごく好きなんですよね。あれも独自の世界観を持っていて。やっぱり持っていかれちゃいます。忙しい作品です。

逆に、アンビエントの名作と言われているけれど、ピンとこなかったものってあります?

レナ:イーノとかエイフェックスを聴きだしたら、ジ・オーブがチャラくみえてきました(笑)。なんかめっちゃCGチックというか(笑)。好きなのは間違いないんですけど、私は基本的にツルっとしたものよりもノイジーだったり、いわゆるアナログな音が好きなんだなというのがよくわかりました。

なるほど(笑)。では最後に、レナさんにとってアンビエントとは? ひと言でお願いします。

レナ:「頭が忙しい」ですね(笑)。クリエイティヴィティをすごく刺戟されるのがアンビエント。落ち着けません!

5/4 galcid 配信ライヴ
“Galcid Wars”

(アフターパーティーあり)
https://galcidwars.peatix.com/view

Galcid
Galcid's Ambient Works 2

Sofa Tunes

JetSet Records
https://www.jetsetrecords.net/i/747005900779/
Waltz
https://waltz-store.online/?pid=159209631

RCサクセション - ele-king

 ♪バカな頭で考えた〜、これはいいアイデアだ〜と、日本のロック史に燦々と輝くRCサクセションの1980年4月5日久保講堂でのライヴ盤『RHAPSODY』のことは説明するまでもないだろうけれど、当日演奏された9曲をあらたに加え完全版として2005 年にリリースされた『RHAPSODY NAKED』のことも知っているよね? え? ぜんぜん知らないって? あ、そう。。。
 無理もないよなぁ、まだ君が生まれる前の音楽だし、この音楽を聴いて君のお父さんやお母さんがまだ若く仲良くしていたなんてとても信じられないだろう。もはや見る影もないかもしれないけれど、心のどこかにはまだロックンロールの欠片が残っているかもしれないよ。ちなみにぼくがこのバンドのライヴを初めて見たとき、まだ15歳とかそんなだったんだけれど、“ブン・ブン・ブン”という曲をはじめる前に、「最近、俺のダチの井上陽水が捕まったけどよ、冗談じゃねぇ、俺は絶対捕まらないぜ」なんてMCが入って曲がはじまったことをいまでも鮮明に憶えているんだ。すごいだろう。
 さすがに今回の『RHAPSODY NAKED Deluxe Edition』は、マニアックだし高価だし、まだ10代の君には重たいかもしれないけれど、君のお父さんやお母さんにぜひ教えてあげて欲しい。とんでもないシロモノがリリースされるみたいよと。そしたらこう言うだろう。えええー、当時の未発表が12曲も追加だって? マジかよ!!! 何もこんな金がないときに出さなくたっていいだろうが! と突然怒り出すかもしれないけれど、多めに見てやってくれ。いつか君もこの音楽を聴くときが来るだろう。

RC サクセション
『RHAPSODY NAKED Deluxe Edition』

■仕様
〈通常盤〉3CD──三方背 BOX +紙ジャケ(ゲイトフォールドジャケ&シングル紙ジャケ)+44P ブックレット
〈限定盤〉3CD+1 Blu-ray+3LP(180g 重量盤)──LP3 枚入りジャケット+4 disc トレイ+LP サイズブックレット+LP サイズケース

■価格
〈通常盤〉¥4,000(税込)
〈限定盤〉¥14,000(税込)
■発売日
〈通常盤〉2021年6月9日(水)
〈限定盤〉2021年7月7日(水)
〈「RHAPSODY NAKED 2021 Remaster」デジタル配信(ハイレゾ含む)2021 年 6 月 9 日(水)
■収録内容
〈通常盤〉〈限定盤〉共通
Disc1,2(CD)RHAPSODY NAKED 2021Remaster
Disc3(CD) Official Bootleg
ライナーノーツ:宗像和男+高橋 RMB
〈限定盤〉のみ
Disc4(Blu-ray) ライブ映像(“NAKED”収録映像の音声をリマスター音源に差し替え)
3LP(180g 重量盤)RHAPSODY NAKED 2021 Remaster


・収録曲目:
【Disc1】(RHAPSODY NAKED 2021 Remaster)
01. Opening MC
02.よォーこそ
03.ロックン・ロール・ショー
04.エネルギー Oh エネルギー
05.ラプソディー
06.ボスしけてるぜ
07.まりんブルース
08.たとえばこんなラヴ・ソング
09.いい事ばかりはありゃしない
10.Sweet Soul Music~The Dock Of The Bay

【Disc2】(RHAPSODY NAKED 2021 Remaster)
01.エンジェル
02.お墓
03.ブン・ブン・ブン
04.ステップ!
05.スローバラード
06.雨あがりの夜空に
07.上を向いて歩こう
08.キモち E
09.指輪をはめたい

[MUSICIANS]
RC サクセション:忌野清志郎(Vo)仲井戸麗市(G)小林和生(B)新井田耕造(Dr)G2(Key)
Guest Musicians:小川銀次(G)梅津和時(Sax)金子マリ(Vo)
Recorded at久保講堂 1980年4月5日

【Disc3】(Official Bootleg)
01, 雨あがりの夜空に
 1979 年 7 月 17 日放送 NHK-FM『サウンドストリート 対決スタジオ LIVE』
02, ステップ!
 1979 年 7 月 17 日放送 NHK-FM『サウンドストリート 対決スタジオ LIVE』
03, スローバラード
 1979 年 7 月 17 日放送 NHK-FM『サウンドストリート 対決スタジオ LIVE』
04, いい事ばかりはありゃしない
 1980 年 4 月 5 日「LIVE!!RC サクセション」 久保講堂リハーサル
05, お墓
 1980 年 4 月 5 日「LIVE!!RC サクセション」 久保講堂リハーサル
06, よォーこそ
 1980 年 6 月 21 日「HARUMI オールナイト・ロックショー’80」
 at 晴海オーディトリアム国際貿易センター
07, ブン・ブン・ブン
 1980 年 6 月 21 日「HARUMI オールナイト・ロックショー’80」
 at 晴海オーディトリアム国際貿易センター
08, ボスしけてるぜ
 1980 年 6 月 21 日「HARUMI オールナイト・ロックショー’80」
 at 晴海オーディトリアム国際貿易センター
09, エネルギー Oh エネルギー
 1980 年 8 月 17 日「JAPAN JAM 2」at 横浜スタジアム
10, 雨あがりの夜空に
 1979 年 9 月 2 日「第一回下北沢音楽祭」
11, いそが C
 1980 年 12 月 25 日「PLEASE Play it Loud」at 渋谷公会堂
12 ヒッピーに捧ぐ
 1980 年 12 月 25 日「PLEASE Play it Loud」at 渋谷公会堂

 Guitar:小川銀次 on Track 01,02,03,04,05,10
 Sax:梅津和時 on Track 04, 05, 06, 09
 Horns:生活向上委員会 on Track 11,12
 Vocal:金子マリ on Track 04・美空どれみ on Track 01
 *M-1,2,3,6,7,8,9,10:Licensed by NHK/NHK SERVICE CENTER,INC.
 *M-11,12 はオーディエンス録音のカセットテープ音源につき、お聞き苦しい箇所がございます。
 ご了承ください。
*Disc3 の音源に関しては、RC サクセション 50 周年プロジェクト委員会の主導の元、選曲しております。

【3LP】
SIDE-A
01.Opning MC
02.よォーこそ
03.ロックン・ロール・ショー
04.エネルギー Oh エネルギー

SIDE-B
01.ラプソディー
02.ボスしけてるぜ
03.まりんブルース
04.たとえばこんなラヴ・ソング

SIDE-C
01.いい事ばかりはありゃしない
02.Sweet Soul Music~The Dock Of The Bay
03.エンジェル

SIDE-D
01.お墓
02.ブン・ブン・ブン
03.ステップ!

SIDE-E
01.スローバラード
02.雨あがりの夜空に 03.上を向いて歩こう

SIDE-F
01.キモち E
02.指輪をはめたい

 昨年、このサイトの記事で、音楽における政治の重要性について書いた。アーティストがオーディエンスの生活と繋がりを持ち、自分たちの音楽と世界への視点を豊かにする方法と、メインストリームな組織以外の場所で、繋がりを築く方法について述べた。しかしその記事では取り上げなかったひとつの大きなイシュー(問題点)がある。政治に内在する対立が芸術に入り込んだ時に何が起こるのか、ということだ。

 これこそが、多くの人が日常的な交流のなかで、政治の話を避けようとする主な理由だ。新しい同僚に対して慎重になって政治についての話題を避けたり、高校時代の旧友が、政敵について好意的に語ると胃が締めつけられる気がしたり、何杯かの酒の後に抑制が効かずに家族と衝突してしまったりする。学校の教師をしている両親の息子である自分は、普段、ミュージシャン、ライター、アーティストやその他のクリエイティヴな人びとの輪のなかでほとんどの時間を過ごしているが、自分の政治観(社会的リベラル、経済的には左寄り)が決して皆のデフォルトではないことを想像するのが難しい時がある。だが、自分の住む国やより広い世界に少しでも目を向けると、それが真実ではないことがわかる。

 音楽の世界にも充分すぎるほどの対立があり、ミュージシャンが自分の意見をオープンにすればするほど、その境界線が明確になる。セックス・ピストルズとPiLのジョン・ライドンは、昨年の米国大統領選挙でトランプ支持を表明した。ザ・ストーン・ローゼズのイアン・ブラウンは、COVID-19の偏執的な陰謀論の声高な擁護者となり、アリエル・ピンクとジョン・マウスは米連邦議会を襲撃したトランプ支持者たちとともに行進し、モリッシーは口を開くたびに、人種差別的なばかげた言葉の塊を吐き出し続けている。彼らは何をしているのだろう? 彼らは我々の仲間ではなかったのか? どうやら“我々”にはあらゆる大衆が含まれているらしい。

 一見、似たような政治観を持つ人びとの間でも、より微妙な対立が生じることがある。英国のグループ、スリーフォード・モッズとアイドルズは表面上、非常によく似ている。どちらも政治意識が高く、イギリスの保守党体制を鋭いリリックで批判し、音楽的にはまったく異なる方法で、ポスト・パンクのねじ曲がって歪んだ構造を想起させる。しかし、彼らの間には、階級政治に根差した意見の相違があったのだ。

 2019年、スリーフォード・モッズのジェイソン・ウィリアムソンが、アイドルズは、はるかに安定したミドル・クラス(中流階級)出身であるにもかかわらず、「ワーキング・クラス(労働者階級)の声を盗用している」と批判した。このコメントで引かれた、スリーフォード・モッズとアイドルズの間の境界線は、新しいものではない。1981年にドイツのSPEX誌がザ・フォールのマーク・E.スミスに、ギャング・オブ・フォーについて訊ねた際のスミスの批判は、似たような所から来ていたのだ。

「彼らは左翼的な思想を説く。彼らは大学で学び、特権階級に属している。ワーキングクラスが何を求めているのか、知ったふりをしているのが問題だ。でも何もわかっていない。シャム69は、自分たちが言っていることをよく理解していてよかった。自分を含むイギリスのワーキングクラスにとって、ギャング・オブ・フォーの音楽は、侮辱的で、無礼で傷つけられると言う意味で有害だ」

 ここには、階級政治に関わるイシューがあり(2017年のジョーダン・ピールの映画『ゲット・アウト』でも人種問題における力学の似たような試みが行われている)、ブルジョワのリベラル派が自分自身のブランド価値を高めるためにワーキングクラスを装って、もがいてみせることがある。その方法で迎える典型的な結末は、ワーキング・クラスの人たちが元の場所に置き去りされ、彼らの声さえもが他人に利用され、薄められてしまうのが常だ。スリーフォード・モッズの最近のアルバム『Spare Ribs』からの曲、「Nudge It」で、ウィリアムソンは、こう言う。

愚かで自暴自棄になってる奴らの前でプレイしてきた  
愛とつながりについての乏しい見解
バカな考えにとらわれて
お前が作れる料理はそれしかないから
クソッタレなクラス・ツーリス((階級見学ツアーの参加者)め
お前たちは社会集団というものを混同している

 もう少し根本的なところでは、いつの時代も説教臭い人間は忌々しいし、リベラルや左派の人間が他人の意見に対して小うるさく、偉そうにする傾向があることが、ジョン・ライドンを、トランプの、ガサガサした革のような腕の中に押し込めた原因のひとつかもしれない。そもそもパンクは、進歩的な政治のムーヴメントとはいえないものだった。パンクは常に何かに反応していたが、反応と反動の境界線は、我々の多くが信じたかったものよりも、薄っぺらなものだったのだ。1970年代後半、パンクはしばしば保守の体制に反応したが、根本的には、世間体のよい立派な人間になるように命令する、あらゆる声に反発していたのだ。

 そういう意味でトランプは、良いパンクな大統領だった。彼の魅力の多くは、結果など気にもとめずに、人を混乱させ、無視し、奪ったり侮辱したりしながら人生を歩む能力にある。トランプの不名誉な行いを見ると、パンクが与えたのと同じような、責任感からの解放がある。彼は立派であろうとせず、繊細さや礼儀正しさが求められるところで失敗しても、無頓着でいられる才能があるのだ。話す内容の細部は意味をなさないが、彼が発するメッセージはキャッチ―でシンプル、そしてパンク・ロックのコーラスのように、反復的だ。

 トランプと極右の人びとのシンプリシティを志向する本能こそが、ブルース・スプリングスティーン(“ボーン・イン・ザ・USA”)やニール・ヤング(“ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド”)、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン(“キリング・イン・ザ・ネーム”)などの反国家主義的な曲を、国家主義的な主義信条のサウンドトラックとしてうまく利用できた理由だ。彼らはバカではない。これらの曲が彼らに反対するものであることを知りながら、その繊細なメッセージを一切見ようとはせずにそれを消し去り、完璧な重度の繰り返しにより、自分たちのための曲だと主張することができた。曲のキャッチ―さを利用し、皮肉を逆手にとり、洗練された部分にはドリルで穴をあけて、曲が元来持つシンプルな魅力を掘り起こしたのだ。トランプの「クソッタレ、お前のいうことなんて聞かない」という態度こそが、彼の支持者たちへのアピールの核心だ。

 スリーフォード・モッズは、そのような伝統のなかにおいては、それほど派手な不作法さはない。ウィリアムソンは音楽が生まれた場所について正直であることを重視し、演壇やお立ち台などがなくても人びとにコミュニケートする能力がある。“Elocution”という楽曲は、皮肉たっぷりの歌詞で始まる。

やあ、そこの君
今日は独立系コンサート会場の重要性について話しに来た
そしてそれについて話すことに同意することで、
俺自身がそのような会場でプレイすることをやめられる立場になることを、密かに望んでいる。

 この歌詞は、アイドルズや他のミドル・クラスのロッカーたちへの批判のようにも読めるが、バンドが成功するにつれ、より大きな会場に招かれ、ウィリアムソン自身が隣人たちのことを書いて有名になった地元の街から、家族を連れて郊外に引っ越すにつれ、自分のなかで芽生えた不安が反映されているのかもしれない。歌詞の皮肉はさておき、スリーフォード・モッズはパンデミックで大打撃を受けた、インディペンデント系の会場の強力な支援者であり、2020年12月には、“インディペンデント・ヴェニュー・ウィーク・キャンペーン”を支持してコンピレーション・アルバムに曲を提供している。

 アイドルズもまた、インディペンデント系の会場の積極的な支援者であり、2021年に発表した楽曲“Carcinogenic”のミュージック・ヴィデオは、彼らの故郷ブリストルの地元の会場を支援するために制作された。バンドとPR会社は、確かにそれを大々的に宣伝しているが、ブリストルにある会場のうち、文句を言っている所などあるだろうか?

 ある意味、アイドルズのヴォーカルのジョー・タルボットは、ウィリアムソンとは異なる領域に、自分の真正性の杭を打ち込んでいるともいえる。彼のリリックや公式見解の多くは、ソーシャルメディアなどの不安定な場でよくみられる、告白めいた、少し防御的な姿勢で書かれてはいるが、ある種のポジティヴな自己表現を土台としている。彼には(ワーキング・クラスとしての)“真正な”生い立ちの物語はないかもしれないが、自分に対して正直だ。2020年のアイドルズのアルバム『ウルトラ・モノ』に収録されている“The Lover”では、まさにこのような声で、批評する人たちに訴える。

お前は俺の決まり文句が嫌いだというが
俺たちのスローガンやキャッチフレーズは
”愛はフリーウェイのようなものだ”
クソッタレ、俺はLOVERだ

 社会の変化に伴い、ワーキング・クラスとミドル・クラスの伝統的な区分が複雑になっているのも問題のひとつだろう。アイドルズ自身はワーキングクラスではないかもしれないが、彼らの音楽の怒りと祝福の声は、増え続ける不安定雇用に陥っている、大学教育を受けた社会的意識が高い若者層と呼応している。最近出現したプレカリアート(雇用不安定層)の新メンバーたちは、その苦悩や先の見えない将来の不安を味わっているにもかかわらず、気取ったノスタルジックな1950年代の田舎やワーキング・クラスの生活の幻想を懐かしむ政治やメディアから、特権的な学生と嘲笑されているのだ。彼らは、田舎は自分たちの世界よりも現実的だといわれたり、ビスケットの缶の絵からそのまま取ってきたような田舎の愛国心のイメージなどに、また、自分たちの理想主義が揶揄され、軽蔑されることに疲れている。多くの人にとってアイドルズのヴォーカリスト、ジョー・タルボットは、“本当のイングランド”という安直な概念を切り崩し、フラストレーションや怒りを受け止めてくれる存在なのだ。

 「不平等ということに怒っているのなら、“お前は間違っている、クソッタレ”というのではなく、代替案としての平等を説くべきだ」と、タルボットはウィリアムソンの批判に応えて述べた。「1970年代にパンクスがやっていたことをいまも議論し続けているのは、“クソッタレ”的なことでは成功しなかったという事実があるからだ」

 「もうウンザリだ、俺の怒りは正当化される!」というアチチュード(姿勢)もあり、トランプ支持者のそれと似ているようにも聞こえるが、極端な比較をするのには慎重になる必要がある。似たような怒りのアクティヴィズム(行動主義)であっても、残酷ではない社会を求めて戦うことと、白人至上主義を支持して議会を襲撃することは同義ではない。だが、その原動力には似通ったものがある。どちらも怒りを原動力とするマシーンであり(“怒りはエネルギーだ”と言ったのは誰だっけ?)、いずれも無力感やある程度の個人的な承認欲求から生まれたものだ。彼らは信じられないぐらい複雑化する社会に方向性を与えると同時に、人びとの声を多数に分けて、それぞれに自分の主張を最も声高に叫ばせている。

 アイドルズは、多くの政治的な議論やレトリックには軋轢が存在することを認識しているようだが、団結を求める彼らの声(少なくとも彼ら側では)は、自分自身の真実を語るというタルボットの、本質的には個人主義的な必要性に、常に磨きをかけている。“Grounds”という曲のなかで、彼は批判者たちが建設的ではないと非難する。

勇敢なことや役に立つことなど何もない
お前はクソなたわごとを小個室の壁に書きなぐり
俺の人種や階級はふさわしくないという
だから俺は自分のピンク色の拳を振り上げ、
ブラック・イズ・ビューティフルと言う。

 タルボットにしてみれば、自分の人種や階級を理由に、自分が関心のあるイシューに貢献することを妨げられたくはないのだ。しかし他人は、タルボットのその思いには、白人のミドル・クラスの男性として、自分が選択したどの領域の誰の問題にも関わって指揮を執ることができるという、生まれながらの特権があると思っていると感じてしまう。さらにその結果として得られるキャリア上の利益の権利があると思っている、そのことこそが問題の核心なのだ。

 このような論争を、大きな視点から眺めてみれば、それほど重要なことではない── 「音楽は政治問題を解決できない」と言ったジェイソン・ウィリアムソンはおそらく正しいし、その延長線上にあるミュージシャン同士の政治的な不和はさほど重要ではない。しかし、音楽における政治の役割が、アーティストがいかに自分たちのオーディエンスにつながるかということに行きつくのだとすれば、スリーフォード・モッズとアイドルズは微妙に異なりながらも、かなりの程度、重なり合うオーディエンスに対して、非常に効果を発揮している── 一方は政治を辛辣でシュールな、時に自嘲的な日常の見解と織り交ぜ、他方は、あらゆる自制心を焼き尽くす、自分自身と信念に対する祝福のような主張をしているのである。


Class, Politics, Sleaford Mods and Idles

by Ian F. Martin

In an article for this site last year, I talked about the importance of politics in music — as a way for artists to connect with their audience’s lives, of enriching both their music and perspective on the world, and to build links with others organising outside the mainstream. One big issue that piece didn’t try to address, though, was what happens when the conflict inherent in politics enters art.

This, of course, is the reason many people try to avoid politics in their daily interactions — why we tiptoe around it with new coworkers, why we feel our stomachs tighten when an old high school friend drops a talking point favoured by our political enemies into the conversation, why we clash with family members after a few drinks have loosened our inhibitions. For me, the son of schoolteachers, who spends most of his time in a bubble of musicians, writers, artists and other creative people, it’s sometimes hard to imagine that my politics (socially liberal, economically left-leaning) aren’t the default for everyone, but a simple glance around the country I live in or the wider world proves that’s not true.

Within the music world, there’s plenty of division too, the lines of which become clearer the more open musicians are about their views. John Lydon of The Sex Pistols and PiL came out in support of Donald Trump during last year’s US elections; Ian Brown of The Stone Roses has been a vocal proponent of paranoid COVID-19 conspiracy theories; Ariel Pink and John Maus marched with the Trump supporters who invaded the US Senate in January; nuggets of racist idiocy continue to drop out of Morrissey’s mouth every time he opens it. What are they doing? Weren’t they one of us? Apparently “us” includes multitudes.

Even among people with apparently similar political outlooks, more subtle antagonisms can arise. The British groups Sleaford Mods and Idles are on the face of it quite similar — both delivering politically conscious, sharply worded lyrics critical of the British Conservative establishment, with music that evokes, albeit in very different ways, the twisted and distorted structures of post-punk. Nevertheless, they’ve had their disagreements, with the roots lying in class politics.

In 2019, Jason Williamson of Sleaford Mods criticised Idles for “appropriated a working class voice” despite coming from a far comfortable, middle-class background. The line these comments draw between Sleaford Mods and Idles isn’t a new one. Back in 1981, when German magazine SPEX asked Mark E. Smith from The Fall about Gang of Four, Smith’s criticisms came from a similar place:

“They preach the leftist ideas. They went to university and belong to the privileged class. The problem is that they pretend to know what the working class wants. But they haven't got a clue. Sham 69 knew what they were talking about and they were good. The English working class (including myself) find the music of the Gang of Four offensive, insulting, hurtful.”

There’s an issue relating to class politics here (and Jordan Peele’s 2017 movie “Get Out” takes aim at a similar dynamic in race issues) in how bourgeois liberals often dress themselves up in the struggles of the working classes to boost their own personal brands, in a way that typically ends up leaving the working classes right where they were, with even their own voice appropriated (and often watered down) by others. On “Nudge It” from Sleaford Mods’ recent album “Spare Ribs”, Williams says:

“I been out playin to this mindless abandon / This ropey idea about love and connection / Just stuck on silly ideas / ‘Cause it's all you can cook / You fucking class tourist / You mix your social groups up”

On a more fundamental level, of course, people who come across as preachy are always annoying, and the tendency of liberals and the left to be fussy and pompous about other people’s opinions seems to be part of what pushed John Lydon into the leathery arms of Trump. But then punk was arguably never a politically progressive movement to begin with: it was always reacting against something, and the line between reactive and reactionary is perhaps thinner than a lot of us want to believe. In the late-1970s, it was often reacting against a conservative establishment, but more fundamentally, it was reacting against any voices ordering them to be respectable.

Trump was a good punk president. A lot of his appeal lies in his ability to shuffle, shrug, mug and insult his way through life with no care for the consequences. There’s a liberation from responsibility in watching Trump’s disgracefulness that is similar to what punk gives — he doesn’t care about being respectable and he has a talent for blundering carelessly through any demands for subtlety or decorum. When he speaks, the details are always nonsensical, but the message is as catchy, simple and repetitive as a punk rock chorus.

It’s an instinct for simplicity that has enabled him and other far right figures to successfully co-opt anti-nationalistic songs by Bruce Springsteen (“Born in the USA”), Neil Young (“Rockin' in the Free World”) and Rage Against The Machine (“Killing in the Name”) to soundtrack a nationalist cause. They’re not stupid: they know these songs are aimed against them, but by simply refusing to see the subtlety in the message, they can erase it and claim the song for themselves through sheer weight of repetition, using the catchiness of the hooks to turn irony back against itself, drilling past its layers of sophistication and reclaiming the simple appeal that the song hangs from. The attitude of “Fuck you, I won’t do what you tell me” is at the heart of Trump’s appeal to his supporters.

Sleaford Mods are in a less brash sort of tradition. Williamson puts a great deal of importance on honesty about the place music comes from, and his talent is in his ability to communicate to people without a soapbox or pedestal. The song “Elocution” begins with the sarcastic opening line,

“Hello there, I'm here today to talk about the importance of independent venues. I’m also secretly hoping that by agreeing to talk about the importance of independent venues, I will then be in a position to move away from playing independent venues.”

You can read this as a criticism of Idles and other middle class rockers, but it’s perhaps just as much as a reflection of his anxieties about himself as he grows more successful, as his band gets invited to play larger venues, as he moves his family out from the neighbourhoods that he became famous writing about and into the suburbs. The line’s sarcasm aside, Sleaford Mods are strong supporters of independent venues, which have been hit badly by the pandemic, and in December 2020 contributed a song to a compilation album in support of the Independent Venue Week campaign.

Idles have also been vocal supporters of independent venues, and the 2021 music video for their song “Carcinogenic” was made to support local venues in their hometown of Bristol. The band and their PR machine certainly make a big show out of their cause, but how many venues in Bristol are complaining?

In a way, Idles vocalist Joe Talbot is just staking out his own sort of authenticity in a different territory from Williamson, many of his lyrics and pronouncements coming in the sort of confessional, slightly defensive voice usually encountered on the unsteady ground of social media, but grounded in a sort of positive-minded self-expression — he may not have an “authentic” backstory, but he’s true to himself. On “The Lover” from Idles 2020 album “Ultra Mono”, he addresses his critics in just this voice:

“You say you don't like my clichés / Our sloganeering and our catchphrase / I say, ‘love is like a freeway’ and / ‘Fuck you, I'm a lover’"

Part of the problem may also be that traditional divisions between working- and middle-class have been complicated by changes in society. Idles may not be working class themselves, but the angry yet celebratory voice of their music chimes with the growing class of university-educated, socially-conscious young people trapped in unsteady employment. Despite their struggles and increasingly dim futures, these new members of the recently emerged precariat have been derided as privileged students by a political and media establishment that prefers to see authenticity in twee, nostalgic 1950s fantasies of rural and working class life. They’re tired of being told that (for example) the countryside is more real than their world, when images of rural patriotism come straight off biscuit tins — tired of having their idealism sneered at and derided. To many people, Idles vocalist Joe Talbot cuts through these facile notions of “the real England” and offers a voice that acknowledges their frustration and anger.

“If you’re angry about inequality, you have to preach equality as an alternative rather than go, ‘Fuck you, you’re wrong,’” said Talbot in response to Williamson’s criticisms. “The fact that we’re still talking about the same stuff punks were dealing with in the 1970s means that ‘Fuck you’ thing didn’t work.”

There’s an attitude of “I’m tired of it, and my anger is justified!” that might sound similar to that of the Trump supporters. We should be wary of taking the comparison too far — similarly angry activisms, one fighting for a less cruel society and one storming the Senate in support of a white supremacist, are not the same thing — but there’s something similar in the dynamics. They’re both machines powered by anger (who was it that said “anger is an energy”?), both born from feelings of powerlessness, and also on some level driven from a personal desire for validation — to feel heard. They give people direction in a world that feels like it’s becoming impossibly complicated, but they also divide them into a multitude of voices, all trying to shout out their claims loudest.

Idles seem aware of the divisiveness of much political debate and rhetoric, but their calls for unity (on their own side at least) constantly rub up against Talbot’s essentially individualistic need to speak his own truth. In the song “Grounds”, he accuses his critics of being unconstructive:

“There’s nothing brave and nothing useful / You scrawling your aggro shit on the walls of the cubicle / Saying my race and class ain’t suitable / So I raise my pink fist and say black is beautiful”

To Talbot, he doesn’t want to be held back from making a contribution to issues he cares about simply because of his race and class. To others, though, Talbot’s annoyance at being told what it’s appropriate for him to say or otherwise may seem like a reflection of the core problem: that as a white, middle class man, he feels he has an intrinsic right to take command of any issue he chooses, on anyone’s territory, as well as the right to whatever career benefits that might accrue to him as a result.

When you look at disputes like this from a wide view, they’re obviously not that important — Jason Williamson is probably right when he says that “music can’t solve political problems”, and by extension of that, the political disagreements between musicians themselves are of little consequence. However, if the role of politics in music really comes down to how artists connect to their audiences, this is something both Sleaford Mods and Idles are doing very effectively to slightly different (but also to a large degree overlapping) crowds — one interweaving politics with caustic, surreal and often self-mocking observations of daily life, the other a celebratory insistence on itself and its beliefs that burns through all demands for restraint.

Claire Rousay - ele-king

 2021年におけるアンビエントのいまを担う新星とは誰か。私が真っ先に思い浮かべるのは、テキサス州のサンアントニオを拠点とする若き音響作家クレア・ラウジーである。
 ラウジーは2019年頃からいくつもの音源をリリースし始めた。これまでも電子音楽からフリー・ジャズまでもリリースするテキサスのエクスペリメンタル・レーベル〈Astral Spirits〉、その傘下にある〈Astral Editions〉、アトランタの〈Already Dead〉、アイオワのダビュークを拠点とする〈Personal Archives〉、ワシントンはシアトルの〈Never Anything Records〉といったいくつもの実験音楽レーベルから音源を発表するなど旺盛な音響作家活動を行ってきている。しかもソロのみならずシカゴのジャズ作曲家にしてサックス奏者としてケン・ヴァンダーマークなどとの共演を行うなど、ジャンルの垣根を超えた音楽を行っている。

 そんなラウジーのアルバムのなかで頭ひとつ抜けたと思ったのは、2020年にリリースしたリチャード・ヤングス、カテリーナ・バルビエリ 、フランク・ブレットシュナイダー、セラー、サム・プレコップらのアーティストの長尺トラックのみをリリースし現在注目を浴びているエクスペンメンタル・レーベル〈Longform Editions〉からの『It Was Always Worth It』と、ケヴィン・ドラム、エヴァ・マリア・ホーベンなどの音響作家たちの選りすぐりの作品をリリース〈Second Editions〉から発表された『Both‎』だった。この二作は、それまでのアルバムと比べても、そのサウンドの精密さと大胆さが大きく飛躍したように感じられたのだ(もっとも彼女のサウンドを聴き込んでいるマニアの方は別の意見をお持ちだろうが)。

 それゆえシカゴのエクスペリメンタル・ミュージック・レーベル〈American Dreams Records〉から新作『a softer focus』がアナウンスされたときから、今度のアルバムは傑作になるのではないか、とリリースを楽しみにしていのだ。リリース後にさっそく聴いて、その予感が当たったと思った。これまでの彼女の音楽的な成果を踏まえて、領域を超えるような傑作だったのである。
 日常的な環境音のコラージュ、柔らかいドローンの持続、微かなノイズ、ピアノなどのメロディ、チェロやヴァイリンの音などが互いの存在/響きを否定することなく、それらを包括するような「音の場」として音環境を形成していたのだ。さらに耳をすまして聴き込むと、ASMR的とも形容できそうな快楽的なサウンドスケープも展開している。いわば「環境の意識」と「個人へのインナートリップ」の交錯と共存という、とても複雑かつ豊穣なテクスチャーを持った「現代」のアンビエント作品だったのである。

 1曲目“Preston Ave”はキーボードを叩く音などがコラージュされる環境音のコラージュ・トラックだ。音の輪郭線が明確なサウンドながら、耳に痛くない音でとても気持ちの良い音である。
 2曲目“Discrete (The Market)”では最初は環境音が継続するが、やがて柔らかなアンビエンスのドローンがゆっくりと折り重なっていく。その環境音とドローンの見事な交錯にうっとりして聴き進めていると、 チェロの音や、ピアノによる即興的なメロディが不意にレイヤーされるのだ。ふつう音響的な要素に音楽的な要素が環境音にプラスされると、わざとらしく感じられてしまって興ざめになる場合が多いのだが、クレア・ラウジーの音はそうなってはいない。音と音のミックスが絶妙で、環境音とドローンとピアノと弦などのさまざまな音のエレメントとして対立することなく音響空間のなかで共存しているのだ。まるで広い広場で鳴っている音たちのように。
 3曲目“Peak Chroma”ではなんとオートチューンで加工されたっぽいアカペラのヴォーカルライン(!)のような音が環境音に重ねられていく。以降も声とヴァイオリンと環境音が交錯する4曲目“Diluted Dreams”など、音と音楽が優美に繊細に、かつ大胆に、快楽的にレイヤーされていく。アルバムには全6曲が収録されているが、どの曲もまるで環境音と音楽のアンサンブルのように展開していく。

 コロナ禍で常に緊張感に満ちた日常を送っているわれわれにとって、クレア・ラウジーのサウンドは、まるでひとときの清涼水のように心地良く響く。同時にその音響空間には時間の向こうある濃厚な音の存在やムードを引き出してくるような力にも満ちている。まるでソフトフォーカスで撮られた写真のように、日常の風景のむこうにある「何か」を感じさせるような音なのだ。まさに2021年の時代のアトモスフィアを放つ「ライフ・アンビンエント」作品とでもいうべきか。
 そう、クレア・ラウジーのアンビエント/アンビエンスは、「音楽」も「ノイズ」も「環境音」も「楽器音」も「声」もすべて否定しない。そこにあるのは音響と音楽の共存と共栄だ。まさにコラージュ的手法を用いた現代的なアンビエント・ミュージックの「豊かさ」がここにある。

Nav Katze - ele-king

 なんと、今年でメジャー・デビュー30周年だという。長らく活動休止状態にあるナーヴ・カッツェ、1984年に山口美和子、飯村直子、古舘詩乃により結成されたこの稀有な日本のバンドの全作品が配信開始、ストリーミングでも解禁されることになった。
 エイフェックス・ツイン、ウルトラマリン、ブラック・ドッグ、グローバル・コミュニケイション、オウテカ、シーフィール、サン・エレクトリック、ジェントル・ピープル、マイク・パラディナス……UKテクノの錚々たる面々とリアルタイムでリンクすることのできた彼女たちの音楽を、ひさしぶりのひとも、初めてのひとも、いま聴こう。発掘音源もあるそうです。

女性ロック・ユニットのオリジネーターともいえるNav Katze(ナーヴ・カッツェ)の全作品が4月21日(水)から、iTunes Store、レコチョクなど主要配信サイト、またLINE MUSIC、Apple Music、Spotifyなど定額制ストリーミングサービスにて配信が開始された。

SWITCHレーベルとビクターエンタテインメントに残した全音源に今回始めて発掘されたライブ音源やアウトテイクスなどのボーナス・トラック音源を加え、Nav Katzeのプロデューサー・エンジニアである杉山勇司がリマスタリングを施して配信される。

Nav Katzeは、山口美和子(ベース・ボーカル)、飯村直子(ギター・ボーカル)、 古舘詩乃(ドラム)の3人で結成され、1986年にSWITCHレーベルからミニ・アルバム(12インチシングル)『NAV KATZE』でデビューした。その後、1991年4月21日にビクターエンタテインメントからアルバム『歓喜』でメジャー・デビューし、以降、1997年に活動休止するまで、シングル3枚、アルバム7枚、リミックス・アルバム2枚の作品を残している。

彼女たちの音楽性は、英国のニューウェーブの影響を受けつつも自由にそのスタイルを変化させ、1994年の『OUT』以降テクノ・アンビエント(エレクトロニカ)の要素も取り入れ、後の先鋭的なロック・バンドが志向するボーダーレスな多様性をいち早く実現していたと言える。

1994年と1997年にはリミックス・アルバム『Never Mind The Distortion』『Never Mind The Distortion II』をリリースし、エイフェックス・ツイン、ジェントル・ピープル、オウテカなどのテクノ/エレクトロニカのリミキサーと共に自らの作品を再構築している。

彼女たちの作品には、個性的なミュージシャンが多数参加している。SWITCHレーベル時代の作品ではプロデューサーに岡田徹(ムーンライダーズ)を迎え、窪田晴男(パール兄弟)、福原まり。ビクターに移籍してからはASA-CHANG、楠均(Qujila、KIRINJI)、遊佐未森、寺谷誠一(URBAN DANCE)、LUNA SEA、藤井麻輝、遠藤遼一(ソフトバレエ)、フィル・マンザネラ、アンディ・マッケイ(ロキシー・ミュージック)、小林“Mimi”泉美など、正にジャンルを超えた多彩なミュージシャン達と共演している。

今年、Nav Katzeはメジャー・デビュー30周年を迎える。2004年に発売された「サウンド&レコーディング・マガジン」2月号付録CDに参加して以来活動を休止しているが、ファン及び関係者の間では彼女たちの活動再開を望む気運が高まっている。

[配信情報]
iTunes Store、レコチョク他、各配信サイト
またLINE MUSIC、Apple Music、Spotifyなど定額制ストリーミングサービスにて4月21日(水)より一斉配信開始。

https://jvcmusic.lnk.to/NavKatze

[各作品について](オリジナル発売日)

① Nav Katze (1986/12/5発売)
SWITCHレーベルからリリースされたデビュー・ミニアルバム。岡田徹プロデュース。福原まりがピアノで参加。
(収録曲)
(1)黒い瞳
(2)病んでるオレンジ
(3)駆け落ち
(4)パヴィリオン

② 夕なぎ (1987/8/21発売)
アルバム『Oyzac』に先行して発売された岡田徹プロデュースのシングル。「夕なぎ」のアレンジで窪田晴男が参加。
(収録曲)
(1)夕なぎ
(2)闇と遊ばないで

③ OyZaC+1 (1987/9/21発売)
シングル『夕なぎ』が収録された岡田徹プロデュースによる初のフルアルバム。ボーナス・トラックとして「金色のクリスマス」収録(1990年2月21日発売 オムニバス・アルバム『ADVENTURES in “Turn To The Pop”』収録)。
(収録曲)
(1)御七夜の夢
(2)夕なぎ
(3)ゆりかご
(4)入浴
(5)愛しあう夜
(6)水のまねき
(7)銀の羽の戦士
(8)螺旋階段
(9)赤い真夏
(10)闇と遊ばないで
【ボーナス・トラック】
(11)金色のクリスマス

④ 歓喜+4 (1991/4/21発売)
SWITCHレーベルからビクターへ移籍したメジャー・デビュー盤。透明かつ繊細なヴォーカル&ハーモニーと鮮烈なギター・サウンドに溢れる意欲作。ボーナス・トラックとして4曲のライブ・バージョンとデモ・トラック収録。
(収録曲)
(1)星のパレード
(2)こわれた世界
(3)瞳は D a i s y
(4)彼 方
(5)椅 子
(6)闇と遊ばないで
(7)P u r e D a y s
(8)V o i c e s - 声 -
(9)太陽の思い出
【ボーナス・トラック】
(10)歓喜SE(1990.12.20/原宿クエストホール)
(11)太陽の思い出(Live 1991.5.10/京都ミューズ)
(12)カーニバル(Live 1990.03.13/渋谷クラブクアトロ)
(13)椅子(デモ)

⑤ 新月 (セレクション) (1991/11/21発売)
  前作『歓喜』の作風を受け継ぎながら、アレンジ面での自由度が増し、民族楽器とともに打ち込みの手法も取り入れた作品。ボーナス・トラックとして3曲のライブ・バージョンを収録。
(収録曲)
(1)Green Eye
(2)ひとりぼっちの空
(3)プリティ・リトル・ゼラニウム
(4)虹のゆりかご
(5)ビルの中で遊んでたら日が暮れなかった
(6)真 夏
(7)草の記憶
(8)七つの夜,七つの夢
(9)海の百合
(10)水の中の月
【ボーナス・トラック】
(11)病んでるオレンジ(アコースティックバージョン)
(Live 1991.5.10/京都Muse Hall)
(12)彼方(Live1991.6.2/香林坊109)
(13)こわれた世界(Live 1991.6.2/香林坊109)
※CD収録曲「遙かなるCross」は配信不可につき未収録

⑥ Frozen Flower (1992/7/21発売)
少年ジャンプに連載されていた「電影少女」OVA挿入歌「メッセージ」「Frozen Flower」が収録されたシングル
(収録曲)
(1)Frozen Flower
(2)メッセージ
(3)メッセージ (インストルメンタル)
(4)Frozen Flower(オリジナル・カラオケ)

⑦ The Last Rose in Summer+3 (1992/9/23発売)
新たなるNav Katzeを感じさせるメジャー・サードアルバム。アコースティックサウンドとエレキサウンドが融合した彼女たちの集大成とも言える作品。ASA-CHANG、楠均、遊佐未森、寺谷誠一、福原まりが参加。3曲のライブ・ヴァージョン、デモ収録。
(収録曲)
(1)海
(2)Frozen Flower
(3)マリリン
(4)不機嫌
(5)アルカディア
(6)子供の名前
(7)光の輪
(8)きらきら
(9)蒼い闇
(10)名残りの薔薇
【ボーナス・トラック】
(11)入浴(ピアノバージョン)(Live 1990.12.20/原宿クエストホール)
(12)水のまねき(ピアノバージョン)(Live 1990.12.20/原宿クエストホール)
(13)光の輪(デモ)

⑧ OUT+2 (1994/3/24発売)
アルバム『うわのそら』と同時に制作され先行発表されたミニ・アルバム。LUNA SEAや藤井麻輝(ソフトバレエ)らが参加。フェミニンな繊細さと過激な音楽性を合わせ持つ作品。「DANCE 2 NOISE」に収録された2曲をボーナス・トラック収録。
(収録曲)
(1)CRAZY DREAM
(2)CRUSTY Song
(3)アラビアの夜
(4)Topaz
(5)Velvet
【ボーナス・トラック】
(6)無邪気な絆 (featuring Maki's Noises)
(7)TAKE ME HOME COUNTRY ROADS

⑨ うわのそら+4 (1994/5/21発売)
ロンドンでレコーディングおよびミックスを行う。Matrix Studioではロキシー・ミュージックのフィル・マンザネラとアンディ・マッケイ、小林“Mimi”泉美を迎え、日本ではソフトバレエの遠藤遼一、LUNA SEAのINORANなどがレコーディングに参加。ゲスト・プレイヤー達の個性とNav Katzeが紡ぐ、新たな世界が表現された秀作。未発表曲「Hundred Worlds」他、1989年渋谷クラブクアトロにて収録された
計4曲のボーナス・トラック収録。
(収録曲)
(1)TV惑星
(2)うわのそら -Nobody Home-
(3)Cherry
(4)Glitter Love
(5)More than a feeling
(6)Ziggy
(7)Wild Horse
(8)まばたき-blinking-
(9)Polyester
(10)Spy
(11)Never Not
(12)Change
【ボーナス・トラック】
(13)Hundred Worlds
(14)入浴(オリジナルバージョン) (Live 1989.05.31/渋谷クラブクアトロ)
(15)黒い瞳(オリジナルバージョン) (Live 1989.05.31/渋谷クラブクアトロ)
(16)駆け落ち(オリジナルバージョン) (Live 1989.05.31/渋谷クラブクアトロ)

⑩ Never Mind The Distortion (1994/9/21発売)
1994年発売された『OUT』と『うわのそら』の2枚のアルバムからのリミックス集。ウルトラマリン、エイフェックス・ツイン、リロード、ブラック・ドッグなどテクノの精鋭たちの手でナーヴ・カッツェを再構築している。
(収録曲)
(1)Nobody Home (Ultramarine Mix)
(2)Ziggy (Aphex Twin Mix #1)
(3)Never Not (Black Dog Mix #1)
(4)Crazy Dream (Retro 313 Future Memory Mix )
(5)Change (Aphex Twin Mix #2)
(6)More than a feeling (Black Dog Mix #2)
(7)Wild Horse (Global Mix Communication)

⑪ Gentle & Elegance+4 (1996/5/22発売)
テクノという手法を大胆に取り入れ制作されたアルバム。オリジナル楽曲と共にオウテカ、シーフィール、サン エレクトリックによる3曲のリミックスを1枚のアルバムとして成立させた。「Happy」「Border」の英語バージョンを含む4曲のボーナス・トラック収録。
(収録曲)
(1)レディ・トゥ・ゴー
(2)ライラック・ムーンライト
(3)タイニー・コグ
(4)ハッピー
(5)ハッピー?(Qunk Mix by Autechre)
(6)タイトロープ
(7)ヘブン・エレクトリック
(8)ヘブン-disjecta-エレクトリック(Seefeel Mix)
(9)ボーダー
(10)ボーダーレス(Sun Electric Mix)
(11)ジェントル&エレガンス
【ボーナス・トラック】
(12)Platinum
(13)Magenta
(14)Happy
(15)Border

⑫ Never Mind The Distortion II (1997/5/21発売)
『Gentle & Elegance』に収録された曲のリミックス集第二弾。 ジェントル・ピープル、シーフィール、ミュー・ジック、サン エレクトリックなど参加。
(収録曲)
(1)Ready to go(Remixed by The Gentle People)
(2)Lilac moon light(Remixed by Disjecta)
(3)Tightrope(Remixed by Disjecta)
(4)Borderless #2(Remixed by Sun Electric)
(5)Tiny cog(Remixed by Disjecta)
(6)Happier・・・(Remixed by Seefeel)
(7)Happy!(Remixed by u-Ziq)
(8)Happy?-qunk mix Dub(Remixed by Autechre)

[プロフィール]
日本のロック・バンド。山口美和子(ベース・ボーカル)、飯村直子(ギター・ボーカル)、 古舘詩乃(ドラム)によって結成。翌年より東京都内を中心に本格的なライブ活動開始。1986年12月、岡田徹(ムーンライダース)プロデュースによる『NAV KATZE』でデビュー。飯村と山口による透明かつ繊細なヴォーカル&ハーモニーと鮮烈なギター・サウンドで人気を博す。1991年にアルバム『歓喜』でビクターからメジャー・デビュー後、古舘が脱退。以降、二人組ユニットとしてロックをベースに、アコースティック、ノイズ、アンビエント、テクノなど、ジャンルの束縛を受けない多様な手法による独自の音楽性を確立。1996年の『Gentle&Elegance』以降、活動中止。女性ロック・ユニットの先駆的存在として、後年、再評価が著しい。

●Nav KatzeオフィシャルHP:https://navkatze.net
●Twitter : https://twitter.com/nav_katze2021

Vladislav Delay - ele-king

 年末のサウンドパトロールでも書いたが、サス・リパッティ(1976-)ことヴラディスラフ・ディレイはバンドキャンプ上でのサブスクリプションを通して、自身の過去作の大部分と、新曲を毎月発表している。そこから見えてくる彼の経歴は実にユニークだ。VD名義の出世作となったベーシック・チャンネルの〈Chain Reaction〉から出した一連のシングルとその収集版である『Multila』(2000)や〈Mille Plateaux〉の『Anima』(2001)など、ダブ・テクノやグリッチ/アンビエント史の重要作は今日においてもその輝きを失っていない。2018年に出たコード9とベリアルの『Fabriclive 100』のミックスでも象徴的にプレイされていた “Otan Osaa” が入った『Demo(n) Tracks』(2004)を聴いてみても、サンプリング、グリッチ、低音そしてそこにダブを投入する才能が20代でここまで爆発していたのかと驚く。
 グリッチやアンビエントに加え、リパッティの探求においてリズムもひとつの鍵である。彼はテクノよりもジャングルやD&Bを愛し、ルオモ名義で取り組んだハウスよりもUKGの2ステップを愛する男である(リズム&サウンドの “Truly” リミックス(2006)が良い例だろう)。彼はもともとジャズ・ドラマーで生粋のリズム・コンシャスであり、その腕はモーリッツ・フォン・オズワルドにも買われ、彼のトリオにも一時期参加することにもなり、近年では自らの即興演奏カルテットでもドラムを叩いている。このリズムへの好奇心はシカゴにも接続され、リパッティ名義でのフットワーク作も生まれた。三田格が言うようにポーター・リックスマイク・インクらと並び、リパッティはベーシック・チャンネルの影響を抜け出してオリジナルをやった少数派のひとりであり、このリズムをめぐる変遷がそのことを証明している。
 研ぎ澄まされた感覚が10年代の〈Rastor-Noton〉からの諸作を生み、さらにはスライ&ロビーとの『Nordub』(2018)と去年の『500-Push-Up』に繋がっていく。これは彼の歴史のごく一部だが、そのキャリアを聴きまくった末にこうして昨年『Rakka』の続編である今作『Rakka II』が届けられたのだから、僕はこうして筆を取らないわけにはいかなかった。リリース元は引き続き、シェイプトノイズの〈Cosmo Rhythmatic〉。6月には絶好調の〈Planet Mu〉から、リパッティ名義でのアルバムもリリースされる。

 デンシノオトが前作のレヴューで書いているように、『Rakka』シリーズはライフスタイルと多くの機材を売り払ったことによる転換を迎えて生まれたものだ。多くの人間がそうであるように、リパッティの人生は変化に溢れている。20代に多用していたドラッグをきっぱりとやめ、パートナーの電子音楽詩人 AGF と結婚し、子供ができ、2008年に拠点としていたベルリンを離れフィンランド北部に位置する人口約1000人のハイルオト島に移住。自分で木を切りスタジオまで建てている。そのなかでも音楽生活の比重を自然散策にずらすことによって生じた影響が重要だと本人は語っている。プレスリリースは、ここには彼がフィンランドの自然環境が持つ音楽構造によって制限されることのない、力(フォース)の描写があると予想している。ここにはスピリチュアルな解釈も可能かもしれないが、リパッティの言葉によれば、彼が身をおく環境は風が唸る音が非常に轟音で、それに耳が慣れた影響が『Rakka』にはあるだろうとも語っていた。
 たしかに『Rakka』はラウドな音楽である。『II』を例にとれば一曲目の “Rakkn” は、吹雪のように細かいディストーションがかけられたドローンが両耳の聴覚を覆い、そこに左チャンネルのさらに歪んだノイズが定期的に回転し、高音域の反復がサイレンの警戒音のごとく聞き手の情動に作用。そのすぐ後に低音域のドローンがなだれ込んでくる。その後も多種多様なマテリアルが左右のスピーカーを飛び交っていき、轟音と音像にと圧倒されつつ、中盤からさらにキックの連打が打ち鳴らされる。いわゆるテクノ・マナーなど皆無で、音像は近年のSFのサウンドトラックのようでもある。とにかく、最小限かつマキシマムにエネルギーが解放されていく。
 『I』と同様の機材セットアップで作られているため、『II』も前作に似た歪んだヴァイオレントなテクスチャーを部分として持っている。彼の重低音を支えてきたモーグシンセを売り払い、DAWのロジックをメインにし、同ソフトウェアに初期装備されている EXS24 サンプラーを多用した、と彼は答えている(ロジックは去年サンプラーのインターフェイスを刷新して、いまのヴァージョンはかなり見やすいのだが、リパッティが使用しているのはその前世代のものだろう)。ラップトップに取り込まれた音は、ラットやビッグマフといったギター・エフェクターに送り込まれる(彼はフィンランド人らしくメタルの影響も受けている。『Rakka』のラウドな縦ノリ感はそこにも通じる?)。生々しい歪みたちは、彼のスタジオのエコロジーの産物だ。マッシヴなサウンドだけではなく、“Rakas” のような穏やかな曲においても、そのテクスチャーは独自のナラティヴを持っている。
 先ほど、彼のリズム・コンシャスについても触れたが、『Rakka』二部作もその延長線上にある。視界が開けた二曲目 “Raaa” において、太陽光のようなドローンを区切るようにキックはポリリズミックに鳴り、それと呼応するように、シンセの反復音は定期的にトリガーされる。ここにある言語は、間違いなくリズムだ。このリズムの迷宮は6曲の “Ranno” においてピークに達する。冒頭から断続するノイズの反復が時に遅延と揺らぎを含みつつ、ふたたびポリリズミックなキックが空間に介入していく。もちろんノイズやトーンの揺れは彼が愛するジャズのように即興的で詩的であるものの、このリズム構築は恐ろしいほどまでに細部までコントロールされている。
 これらが自然環境における人間の制約から無縁のフォースを『Rakka』で描写していく。いわゆるジェネラティヴ・ミュージックは、音楽構造のパターン化をアルゴリズムの生成によって偶発的に乗り越えていく。また、ランダムに発信するLFOによってシーケンサーやフレーズを規則性がないかのように構築する手法もある。リパッティはそのようなランダム性による「開放」の描写を目指すのではなく、徹底的にコントロールされた複雑なリズムを経由して自由/自然の輪郭を炙り出そうとしている。気象や地質的な非人間的アクター、そしてそれを感じる人間が織りなすエコロジカルな連鎖反応ものとしても映る。トレッキング・シューズに覆われた旅人の足が、地図をロジカルにたどり、非ロジカルに広がる岩の上を進んでいく身体性。そこにもリズムはたしかにある。

 『II』の表ジャケットは『I』の裏ジャケットを鏡写に反転させたもので、前作のピンク色に染められた入江は今作で緑に変わっている(入江の写真はリパッティの娘が撮影したもの)。この色彩と虚像関係の意図は不明だが、少なくとも、ここにはことなるモーメントがはたらいているようである。プレスリリースにあるリパッティの説明によれば、『II』は「希望とオプティミズムに満ちたロマンティックな夏のヴィジョン。一作目のブルータリストのヴァイブスのあと、嵐は過ぎ去り、空は晴れはじめている」とある。たしかに『I』の “Rakkine” で見られた視界を遮られた奈落の暴風雨のようなサウンドというよりは、『II』には終曲の “Rapine” のように、決して晴天ではないものの、彼方の空が晴れていくような感覚を覚えなくもない。いたずらに称賛される主体から切り離された対象ではなく、そこに参加することによって感じとられる恐怖にも希望にも転じる曖昧なグラデーションを保つアンビエンス。卓越したスタジオ・サイエンスを通して、ヴラディスラフ・ディレイが今日の我々に提示するのは、そのような自然像である。

第6回 慣れか、諦めか、それとも - ele-king

 僕は一生懸命に語りかけている。恋とか愛とかの話だったかもしれないし、Autechre が連続してリリースした2枚のアルバムの話だったかもしれない。古びたダイナーのボックス席で、向かいのトマト缶(ホール)に向かって語りかけている。あいつは何も言わず、黙ってそれを聞いている。埃や油で黄色く汚れた右側の窓から、砂塵や有害な化学物質を通過したオレンジ色のデイライトが差し込む。僕はテーブルの下に忍ばせたボストンバッグの中で、短くソードオフしたショットガンのグリップを強く握りしめて、銃口をトマト缶(ホール)に向けている。クソ、手が離れない。嫌な手汗が人差し指を伝ってトリガーを濡らす。もう爆発寸前だ。あのキャメル色の年季の入った革張りのシートを真っ赤に汚してやろう……。

 恐る恐るフェードインしてきたアラームの音に起こされ、ブラインドの隙間から差し込む朝日に目を細める。角度を調整してあるとはいえ、春の無遠慮な日差しの前では、ポリ塩化ビニル成の薄いブラインドはあまりにも弱々しかった。最近見た映画や読んだ小説(おそらく『裸のランチ』や『記憶屋ジョニィ』、そういえば安いトマト缶はギャングのシノギらしい!)なんかの内容が全部ミックスされた夢の内容を思い返しながら、手探りでチタン製フレームの眼鏡の冷たい感触を見つけ出し、部屋の隅にピントを合わせながらのろのろと体を起こす。iPhone のappで適当に BBC Radio 6 か 1xtra をつけて Bluetooth スピーカーに飛ばし、一昔前のOSなみに立ち上がりの遅い脳に耳から刺激を与える。春とはいえ、朝はまだ空気が冷たい。電気ケトルで湯を沸かし、ティーバッグを浸す。そして朝と同じ温度に冷えたアルミニウムボディのラップトップでメールの返事をいくつか書いているとスピーカーからはBLMの話が聞こえてきた。ジョージ・フロイドが警官に殺されてから1年が経ったらしい。僕は、BLM運動の中で生まれたいくつかの自治区のことについて思い返した。僕がアナキズムについて、より意識的になるきっかけになった出来事だった。おそらくあの時、警察の侵入を許さなかったそのいくつかのエリアが、アメリカでもっとも安全な場所のひとつになっていただろう。デヴィッド・グレーバーの『アナーキスト人類学のための断章』にも、浅沼優子さんが訳した『アンジェラ・デイヴィスの教え──自由とはたゆみなき闘い』にも「可能である」と強く書かれていた状態が部分的にではあるが実現していた。それは間違いなく希望だった。
 世界がコロナ禍に飲み込まれてからも、1年と少しが経過した。ワクチンが開発されたりするなど、先の見通しが少しは立つようになったとはいえ、この国の状況は悪い方へ突き進んでいるように思える。それにもかかわらず、なぜか僕の精神の衛生状態は1年前と比べると格段に良くなっている。慣れか、諦めか、それとも一時的な躁状態かは分からないが。この、正気でいるにはあまりにも狂いすぎている国で、精神状態が回復しているということは、正気を失いつつあるのかもしれない。
 メールを書く手が止まっていることに気づいた僕は、BGMを変えようと iPhone に手を伸ばす。次は SWU か NTS か Worldwide FM か。いやレコード棚から選ぼうか。行方を求めて彷徨う指は、ひとりでに、慣れた手つきで、半分無意識のうちに instagram のアイコンをタップした。Feedには Calvin Klein の下着を履いたモデル(程よく割れた腹筋と、白い肌にいくつかのタトゥー付き)の写真と、ソールの分厚いスニーカー(シューレースの通し方は神のみぞ知る)の写真に挟まれて、視覚的にデザインされた Stop Asian Hate の文字のグラフィックが。BLM のムーヴメントで反差別の戦いは大きく前進したはずだったが、差別主義者は、より大人しいマイノリティにエイムを切り替えただけで、問題の本質は理解していない。セミオートで動く親指に任せてFeedを下へ下へと進んでいく。Music Video の断片、新作のジャケット、人々が減って自然が回復した街の風景、犬と飼い主、海岸に打ち上げられた大量のマスク、誰かのディナー。
 「2年前の今日」と書かれた誰かのパーティーフォトのコメント欄に世界中から Miss you が届いている。パンデミック以降のこの1年と少し、新しいライフスタイルは新しい人々を繋げ、新しいコミュニティが生まれていくような気がしていた。しかし、この一年で傷を癒し合えたのも、未来への意志を確認し合えたのも、知らない人間の汗やタバコに濃厚なパフューム、ビールやシャンパンやウイスキー、いかがわしい色のエナジードリンクや吐瀉物のにおいが充満したあの空間を通して繋がることができた者のみだった。数週間前の午後9時ごろにダンスフロアの隅で会ったDJの大先輩は、自問自答を繰り返す毎日だったと言っていた。その一言で僕には、その自問自答の内容をなんとなく感じ取ることができた。僕自身、毎日のように同じく葛藤していたからだ。他人に話せること話せないこと。理想と現実のギャップ。進むべき未来。それらを反芻しながら帰路についた。Fixie の後輪を削りながら走り抜ける夜の渋谷は、博物館の陳列物のように凍りついていた。昼の街しか知らない人間は、彼らが捧げた生贄の大きさを理解できない。何人の人間の心臓を抉り出して石の祭壇に供えても、それが自身の心臓でない限り誰も気にかけない。そして往々にしてその気高い代償に権力者の心臓は選ばれない。
 人から奪い、虚栄心を満たす者。経済的な価値を信仰する者。彼らは消え去らなくてはいけない。僕が夢で見たような、もしくは僕が New Dawn の中で描いたような、オレンジ色の粉塵に覆われた赤褐色の荒野が現実になる前に。
 世界は常に変化し、いくつかの問題はより良い方向へ向かい、いくつかは悪い方向へ。そして人々のフォーカスは常に新しい問題へ。僕の右手にはオプティミズム。左手にはペシミズム。耳にはダイヤモンドを通して蘇る Ari Up の声。
 クロムメッキのデスクランプが、冷たくなった紅茶の入ったマグカップにスポットライトを当てている。


interview with Telex - ele-king

ベルギーはヨーロッパの中央に位置する国だし、だから誰もがベルギーを襲ってきた。ローマ人の昔から、ドイツ人、フランス人、スペイン人等々。それくらい行き来が盛んだと、ユーモアの感覚を持たずにはやっていられない。それがないと、死ぬか、裏切り者になるしかないから(苦笑)。


Telex
this is telex

Mute/トラフィック

Synthe-PopTechno

 テクノ四天王などとは言いたくはない。テレックスは仏教徒ではないのだから。しかしテレックスは、クラフトワーク、ジョルジオ・モロダー、YMOらと並ぶ、70年代テクノの始祖たちの重要な一角を占めていることは間違いない。それにしても、テクノにおいてドイツ、イタリア、日本、そしてベルギーというポップの主流たる英米以外の国において突出した個が出現したというのは、一考にあたいする興味ぶかい事実だ。

 とまれテレックスは、その70年代テクノ・ビッグ・フォーのなかでは、わりかしマニアックなポジションに甘んじていた感があった。つまり知る人ぞ知るというヤツだ。そこで、CANの再評価を促した〈ミュート〉の総帥ダニエル・ミラーが、2021年からはブリュッセル生まれの伝説のテクノ・ユニットのリイシューに着手した。で、まずは挨拶状として、『This Is Telex』が4月30日にリリースされる。テレックスの全カタログから選曲されたベスト盤的な内容で、未発表も2曲ある。

 テレックスは、すでに音楽家としてのキャリアのあった3人のベルギー人によって結成されている(そこはYMOと同じだ)。たとえば、その言い出しっぺであるマルク・ムーランなる人物は2008年に他界してしまったが、彼はテレックス以前にはプラシーボなるジャズ・バンドの中心メンバーで、エレクトリック・マイルスへのベルギーからのアンサーとしていまだに再評価が続いたりする。そんな事情もあって、じつはテレックスはレアグルーヴ方面からの注目もあったりするのだ。

 とにかく我々は、ユーモアと実験、ポップへのこだわりをもって挑んだブリュッセルのテクノの始祖たちに話を訊くことにした。ありがたいことに、取材はダン・ラックスマン&ミッシェル・ムアースの2人が同時に受けてくれた。長いインタヴューだが、これを読んだらあなたはますますテレックスが好きになってしまうだろう。若い世代もこれを機にぜひ、テレックスの愉快なエレクトロニック・ミュージックの世界に触れて欲しい。楽しいってことは素晴らしいことなのだから。

いかにしてテレックスは生まれたのか

我々はちょっとスペシャルなことをやりたかったし、単なる「ポップ・ミュージック」ではなく、そこに別の次元が加わった何かをやりたかったんだと思う。

ミッシェルさん、ダンさん、こんにちは。

ダン・ラックスマン&ミッシェル・ムアース:(それぞれ)こんにちは。

今日はお時間いただきありがとうございます。

ダン&ミッシェル:(共に笑いながら)どういたしまして。

まずは今回の〈ミュート〉との再発プロジェクトについて。どのようにこの企画ははじまり、そしてこれから進展していくのでしょうか?

ミッシェル:ああ、今回の『This is Telex』は予告篇に過ぎないんだ。6枚のアルバムからそれぞれ2曲ずつ選んであり、未発表曲を2曲加えてある。うまくいけば今年じゅう、もしくはその後に、(オリジナル・アルバム)全タイトルを再発する予定だ。それに続いて、たぶんリミックス・アルバムが出るよ。素敵な男の子&女の子たちによるリミックスが(苦笑)。

ダン:(苦笑)

ミッシェル:リミクシーズを出す予定だ。

わかりました。で、日本には昔ながらの熱心なテレックスのファンがたくさんいますが、この取材はあなたたちを知らない若い世代のための取材にしたいなと思います。

ダン&ミッシェル:(共にうなずいている)

まずはテレックスの歴史についてお訊きします。結成は、1978年、ジャズ・バンド、プラシーボ(Placebo)解散後に故マルク・ムーラン(Marc Moulin)さんがおふたりに声をかけてはじまったと聞きますが、大体それで合ってます?

ミッシェル:……っていうか、君はもうわかってるよ。質問しなくて大丈夫!(笑)

ダン:たしかに。アッハッハッハッハッ!

(笑)当初あったコンセプトについてお聞かせください。

ミッシェル:うん。彼は以前に、別のプロジェクトでダンと何度かセッションで仕事したことがあってね。わたしもそのプロジェクトに参加していて、そこでマルクが思いついたのは──ダンは、すでに電子楽器に関するスキルで知られていたし、マルクはポップ・ミュージックを作ってみてはどうだろう? と思いついたんだ。それまで彼はジャズ、わたしは地味なフォーク・ロック~ジャズ的な音楽をプレイしていたからね。大衆に受ける音楽をやっていたのはダンだけだった。

ダン:(笑)

ミッシェル:そんなわけで、マルクは何かポップなものを、欧州大陸発の、ギターを使わない音楽をやりたいと考えたんだ。当時電子音楽は盛り上がりつつあったし、そこで彼はまずダンに声をかけ、彼らふたりはわたしをシンガーとして参加させるのに同意してくれた、と。

ダン:(苦笑)

ミッシェル:(笑)彼らが望めば、他にもっといいシンガーはいただろう。

ダン:アッハッハッハッハッ!

ミッシェル:とはいえ、歌の上手い/下手だけではなく、わたしの物事の考え方や曲の書き方等々が新しかったから、それで参加することになった。

ダン:その通り! でも、もちろんシングル1枚だけ、とは思っていなかったよ。我々はちょっとスペシャルなことをやりたかったし、単なる「ポップ・ミュージック」ではなく、そこに別の次元が加わった何かをやりたかったんだと思う。テレックスをやる前からマルクと仕事したことがあったのは事実だよ、あれはたしか、プラセーボの最後のアルバムのひとつじゃなかったかな? ブリュッセルの大きなスタジオで、わたしはシンセサイザーで協力してね。で、スタジオでの休憩中にマルクから「我々で電子音楽のグループを結成するのはどう思う?」と尋ねられて、ものすごく驚いたし、即座に「もちろん!」と答えて。
 とはいえ、自分たちにはもうひとりのパートナー、兼シンガーにもなってくれる第三の人物が必要なのはわかっていたし、ミッシェル・ムアースはどうかな? という話になった。ミッシェルとは、我々の一緒にやっていたレコーディングのひとつで出会ったばかりだったし、わたしもそれはいい、オーケイ! 試しに彼とやってみようじゃないか、と。
 わたしはあの頃、まあ「ホーム・スタジオ」と呼んでいいくらいの設備を自宅に構えていて、セミプロ級の8トラック・マシンも持っていた。でも、まずはそれで充分だったんだよ、我々がやりたかったのはシンプルなことだったから。8トラック、そして非常にベーシックなエレクトロニック機材、ヴォーカルで事足りるだろう、と。
 というわけで改めて1日一緒に集まることにし、スタジオで「さて、試しに何をやってみよう?」と話し合った。そこで、とても有名なフランス産の大衆ポップ曲、“Twist a St. Tropez”(※Le Chats Sauvages/1961)を取り上げ、それを作り替えてみよう、ということになった。オリジナルの歌詞はキープしつつ……あの歌詞は、非常に、なんと言えばいいのか……

ミッシェル:シュールレアリスティックだった。

ダン:そう、シュールな内容だったし、原曲のテンポをできるだけスローなものに変えてみたところ──突如として曲のトーンも非常に単色で、ヴォーカルもフランジャーがかかったものになり、自分たちも完全に「これはいい」と思えるものになった。というわけで、その日のうちにラフ・ミックスをカセット・テープに録り、たしかその後、翌日か、その2日後くらいだったかな? マルクはたまたま、我々の共通の知り合いと話していたんだ。彼は当時新興の、我々も知っていた〈RKM/Roland Kluger Music〉というレコード会社で働いていた人で、マルクが彼にデモを聴かせたところ「いいね、気に入った。上司(ローラン・クルーガー)に聴かせる」と。それでデモを聴いてもらい、すぐにレコード契約に至った。ところが「やばい、1曲しかない」と気づいて(苦笑)、B面用にもう1回セッションをやることになった。そもそもデモだった“Twist a St. Tropez”にトラックをひとつ付け足しリミックスしたものを作ってB面に入れ、それがテレックスにとってのファースト・シングルになった、と。

ミッシェル:“Twist a St. Tropez”のいいところは、我々が最初に抱えた疑問が「オリジナルを聞き返すべきかどうか?」だった点だね。というのもあの曲、原曲はずいぶん古くて、あの20年くらい前に出たのかな?

ダン:60年代のヒット曲だ。

ミッシェル:10年か20年近く前の古い曲だし、聞き返さずにカヴァーすることにしたんだ。記憶に頼ってカヴァーした、みたいな。

ダン:うん。

ミッシェル:だからこそ原曲の「コピー」にならずに、ほぼ自分たちの言語で作り替えることができたという。

3人がグループをはじめた当初は、シリアスな思いよりも、むしろ実験してみよう、というのに近かったでしょうか? テレックスというグループのヴィジョンは最初からはっきりしていた? それとも続けていくうちにそれが見つかった感じですか?

ミッシェル:そもそもの発想は、自分たちも気に入る、と同時にラジオやクラブでもかかる音楽を作る、というものだったね。けれども、さっき話したようにポピュラー音楽を作っていたのはダンだけだったし、わたしとマルクの音楽はもうちょっと一般には知られないものだった。そうだね、人びとにもっと聴いてもらえるものを作ろう、というのがアイディアとしてあった。

ダン:ああ。それに、我々もスタジオで楽しんだんだよ。たとえば、ファースト・アルバム用のセッションの際も「よし、今日は何をやろう?」「こんな曲にトライしたらどうだ?」という具合で、機材のスウィッチを入れてね。“Twist a St. Tropez”だと、まずあの曲のシークエンスからスタートして、例の(同曲のリフ・メロを歌う)♪ダダダ・ディ・ダダダダ……と弾いてみた。非常にシンプルなメロディだし、では続いてテンポに取り組もう、と。もちろん当時コンピュータはなかったし、テンポにしてもボタンをマニュアルで操作してスピードを落とす/上げるしかなくてね。で、テンポをどんどん落としていき、いいじゃないか、これでよし、というところまで遅くしていった。1曲目はそんな具合で、メインのシンセ・メロに続いて他のトラックをひとつずつレコーディングし、ヴォーカルを録り、ミックス。次は何をやろう? じゃあ、パリからモスクワに向かう列車についての曲はどうかな、ディスコなパートのある曲を? と。いいアイディアだ、やろうということになったし、さて、列車か。じゃあ、それを蒸気機関車だと想像してみて、ハイハットを通常のサウンドではなく、♪チチチチチチッ……という響きにして蒸気に見立てよう、と(編註:テレックスの大ヒット曲“Moskow Diskow”のこと。曲の冒頭ではポッポーという機関車の音が入っている)。そんな具合で、我々は本当にひとつひとつ作っていったし、かつそれを楽しんでいた。それに尽きる。

ミッシェル:アルバムを作ったとき、マルクはいろいろ考えていたと思う。

ダン:ああ、もちろん。単にマシンでやっただけではない。

ミッシェル:わたしにしても、いくつかデモを作ってきたし、あの頃はギターで作ったね。

ダン:もちろん、うんうん。

ミッシェル:だから、何もロマンチックなおとぎ話のように、「マシンに電源を入れたら、すぐに何もかも出来上がり」なわけではなかった。歌詞にしても、ちゃんと書いたしね。

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シンセサイザーの発見

“Twist a St. Tropez”のいいところは、我々が最初に抱えた疑問が「オリジナルを聞き返すべきかどうか?」だった点だね。

ダンさんは、70年代の早い時期からモーグを演奏されていますよね。

ダン:その通り。

テレックスの前にも『Disco Machine』というアルバムをThe Electronic System名義で発表したりしていますが、そもそもどうして電子楽器、シンセサイザー等に興味をもたれたのですか?

ダン:フム、それはたぶん、わたしは……音楽は多少勉強したけれども、キーボード奏者としてはあまり腕がよくなかったんだ。ミスも多かったし、楽譜もちゃんと読めなくて。で、マシンが登場したとき、わたしはまだ若いスタジオ技師だったけれども、新たなサウンドを出せるマシンに対して即座に興味が湧いてね。その点は自分にもすぐわかったし、実際、当時一般市場に出回った最初のシンセの一台をなんとか購入することもできた。モーグではなく、EMS VCS3というマシンだった。スタジオに置いてあったら、実物を君に見せてあげることもできるんだが……いまでも作動しているよ。でまあ、たまたまマシンを入手することができて、あれは1972年だったかな? 71年か72年のことだったと思う。ポピュラー音楽界にも突如として“Popcorn”(ホット・バター/1972)や“Switched on Bach”(ウェンディ・カーロス/1968)といったヒットが登場し出し、人びとも突然、シンセサイザーを発見しはじめた。
 で、そんな自分もスタジオにシンセサイザーを一台持っていたし、シンセをレコードで使いたがっている人びとのためにマシンをプログラムすることができるな、と思った。そんな風にして始まったんだ。みんなに「シンセを持っているから、エレクトロニック・サウンドを使いたかったら言ってくれ」と声をかけたし、おかげでそれがメインの仕事になっていった。
 フリーのエンジニアとしても働いていたものの、シンセサイザーのプログラマーとしての仕事の比重がどんどん大きくなっていって。そのうちにチャンスが訪れ、ソロとして最初のアルバムを作ることになった。“Coconut”というヒット曲を出してね。あれは世界各国で売れたし、日本でもヒットしたはずだ。スペインでは1位になったと記憶している。その成功で得た収入で、税金を払う代わりに、わたしは大型のモジュラー・シンセサイザーを買ったんだ。あのおかげで大きなモジュラー機材に投資することができた、と。あれがきっかけになって、ヴォコーダー等々、いろんな機材を買っていった。
 で、さっき君も言ったように、The Electronic Systemの最後のアルバムが『Disco Machine』で、あの作品でわたしはシーケンサーで実験していたんだ。まだ機材としてはプロトタイプの段階だったけれども、シーケンサーを使ってインスト・アルバムを作ろうと思った。だからたぶん、そうした何もかもがテレックスのはじまりを準備していたんだろうね。マルクにはそこがわかっていたんだと思う。彼とわたしは、我々がミッシェルと出会う以前に、わたしの狭いスタジオでアルバムを3枚レコーディングしたことがあったから。
というわけで、すべての要素はすでにあった、という。だからなんだよ、さっき「マシンに電源を入れたら、我々の準備はオッケー、レッツゴー」みたいに話したのは。というわけで……これが質問の答えになっているかどうかわからないけれども、うん、電子音楽機器には最初から興味があったよ。

ミッシェルさんは作曲家であり、デザイナーでもありますが、テレックスではどんな役目を負っていたのでしょうか? 作曲がメイン? それともヴィジュアルやコンセプト面を主に担当していたのでしょうか?

ミッシェル:いや、コンセプトは3人で考えたもの。でも、コンセプト面は主にマルクの範囲だったね。わたしはあの当時、建築家だったんだ。だから、音楽をやりつつ、建築仕事も掛け持ちしていた。ベルギーの都市計画等々のね。あの頃、ベルギーは新たな都市を作ろうとしていたんだよ。

■そうだったんですね。

ミッシェル:あれはたぶん、ベルギーで作られた唯一の「ニュー・シティ」だったんだろうな、というのも、この国はとても小さいし。

(笑)

ミッシェル:まあ、それはさておき──テレックスでのわたしの役割は作曲で、主に歌詞を担当した。それに、うん、レコード・スリーヴも何枚か手がけたな。写真家でもあるんだ。建築写真は結構撮ってきたし、音楽も作ったことがあるし、掃除も得意だ。

(笑)

ミッシェル:(笑)でも、テレックスでは主に、作曲面だったね。歌詞をメインで担当していたし、でも、何もかもをわたしひとりで書いたわけではない。

ヴィジュアル面やコンセプト的なところはいかがですか? すごく印象的ですし、たとえば『Neurovision』他で、エヴァ・ミューレン(Ever Meulen)のイラストを使っています。

ミッシェル:うん。

あなたたちにとって、ヴィジュアル面も、音楽と同じくらいに重要だったのでしょうか?

ミッシェル:というか、実は我々は、テレックスというグループとして、自分たちの顔を表に出したくなかったんだ。となったら一番いいのは、(本人たちの写真ではなく)ドローイングに代弁してもらう、ということで。実際、最初のうち、“Twist a St. Tropez”の頃はマスクをかぶっていた(※同曲のヴィデオでは、メンバーはゴーグルをかぶっていて顔が見えない)。でも、結局マスクは外さざるを得なくなってね、ドイツにテロリストがいたし、レコード会社から「テロリストのように、素性を出さずに顔を隠すのはまずい」と言われて。

(笑)

ミッシェル:(笑)だからなんだ、我々が正体を現すことになったのは。それにあの当時は、音楽業界側にもそういう思考を受け入れる準備が整っていなかった。いまだったら、ダフト・パンクがいるけれども。

たしかに。

ミッシェル:ただ、我々にとっては、音楽そのものの方が自分たち自身より重要だった。それに、ベルギーは国としてとても小さいから、常に副業を持っていないと音楽だけではやっていけなかった。ダンはエレクトロニック界でいろいろやっていたし、マルクもラジオの仕事をやっていた。

ベルギー人にユーモアは不可欠だ

たぶん……ユーモアはベルギー特有のものだろうけれども、それに加えて、我々がブリュッセルに住んでいるというのもあったと思う(苦笑)。というのも、典型的なブリュッセル人には、やや懐疑的なところがあってね。


Telex
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Mute/トラフィック

Synthe-PopTechno

クラフトワークやジョルジオ・モロダーからの影響があったのはわかるのですが、テレックスは彼らよりも遊び心とウィット、ユーモアがあったと思います。ユーモアについてのコンセプトもテレックス結成当初に話されていたと思うのですが、1997年にベスト盤『I Don't Like Remixes』を出したときも、2006年に『How Do You Dance?』で復活したときもテレックスは最後までユーモアを貫きましたよね。なぜそこまでユーモア、笑い、ギャグに強いこだわりを持っていたのでしょうか?

ミッシェル:思うに、それは……我々は、ここ(ベルギー)は、漫画に囲まれているわけでさ。エルジェの『タンタンの冒険』をはじめとしてね。それがどこから発しているかと言えば、ベルギーはヨーロッパの中央に位置する国だし、だから誰もがベルギーを襲ってきた。ローマ人の昔から、ドイツ人、フランス人、スペイン人等々。それくらい行き来が盛んだと、ユーモアの感覚を持たずにはやっていられない。それがないと、死ぬか、裏切り者になるしかないから(苦笑)。だから、我々のユーモア感覚はそこから来たんじゃないかとわたしは思う。それにもちろん、漫画文化もある。こっちでは“la ligne claire”と呼ぶんだけど……英語ではなんて言えばいいかな、『タンタン』がいい例だけれども。

ああ、「clean line」のことですね(※筆致の強弱がなく、陰影もつけない、平坦な画風のドローイング。日本大正時代のジャポニズム版画からも影響を受けたとされる簡潔な輪郭線と色彩の画法で、フランス/ベルギー圏のバンド・デシネに用いられた)。

ミッシェル:そう。で、我々の音楽も最初のうちはそんな感じだったんだ。それに──ユーモアの感覚もたまにある、っていうのはいいことなんだよ。音楽がおふざけになるのはよくあることだけれども、音楽でユーモアを醸すのは楽ではないから。

だと思います。たとえば映画にしても、真面目で重い映画だと誰もが「これは重要な作品だ」と言いますが、ユーモラスなコメディ映画だと、どんなによく作られた作品であっても軽んじられがちですし。

ミッシェル:そう。悲しいものを作るのがアートだ、と思われているからね。

ユーモアは、実はすごく難しいアートだと思います。

ダン:それもあったし、たぶん……ユーモアはベルギー特有のものだろうけれども、それに加えて、我々がブリュッセルに住んでいるというのもあったと思う(苦笑)。というのも、典型的なブリュッセル人には、やや懐疑的なところがあってね。たとえばブリュッセル人は、「ああ、もちろん!(yes, of course!)」と言いたい場面でも、ストレートにそう言わずに「いや、たぶんそうじゃないの?(no, maybe?)」と答えるんだよ。

(笑)

ダン:だから、いまミッシェルの言ったことに加えて、そこもあったんじゃないかと思うよ、我々がこう……やや「距離」を置いた音楽を作ったのは。音楽そのものは真面目に作っていたけれども、と同時に、そこに若干の距離も置いていた。要はロックンロールっぽいものだったわけで、そんなに「生真面目に」シリアスになることはないだろう、と。

(笑)。しかし、ただでさえ70年代末の当時は、まだエレクトロニック・ミュージックはシリアスに捉えられていなかった時代でしたよね。そんななかで、テレックスはさらにふざけていたように見えたから、ますますその作品がシリアスに評価されることはなかったというような話をムーランさんがされています。テレックスはリアルタイムではさほど評価されず、そこにフラストレーションを感じたことは?

ミッシェル:いいや……。

ダン:ノー、それはないなぁ。

ミッシェル:そこまで(評価は)悪くなかったし(苦笑)。もしかしたら唯一、ベルギーではそうだったかもしれないよ。というのも、我々のサクセスは国外発だったから。マルクはラジオでDJもやっていたけれど、彼は絶対に、自分のやっている音楽はラジオでかけなかった。だからあれは……

ダン:英語でどう言えばいいかわからないけれども、ベルギーではこういう意味のフレーズがあるんだよ、「生まれた国では誰も予言者になれない(Nobody's a prophet in his own country)」という。

ミッシェル:うん。

ダン:だから、ベルギー国内よりも国外でもっと成功を収めることになる、と。それに、ベルギー人というのはあんまり──フランス語では「chauvin(排外的な、熱狂的な愛国心)」と言うけれども、それほど強く自分自身を誇りに思っていないんだ。非常にchauvinなフランス人とは反対だよね、フランス人は(声色を強めて)「これはフランス産である、だからいいに決まっているではないか!」みたいな感じで。

(笑)

ダン:ところがベルギーでは、フランスのほぼ反対というのかな、(消極的な口調で)「我々はベルギー人です……」という感じだし。とは言っても、実は我々はいろんな面でクオリティは高いんだ。それは、さっきミッシェルも言っていたように、ベルギーはとても小さな国だからであって。たとえば、ベルギーのスタジオの人気が非常に高いのは、とてもいいスタジオだからであって。たぶん、小さな国だし、隣国と競い合う必要もあり、だからどんなスタイルの音楽にも対応できるいいスタジオになっていった結果じゃないかと。というか、それは世界じゅうどこでも同じだろうね。
 それに、ベルギー人というのは、たしかにユーモア感覚もあるけれども、他国と較べるととても自意識が強いところもあって。これはまあ……非常に大雑把な話だけれども、わたしはたまに、人びとが「自分はすごいことをやった!」と自慢して触れ回っているのを見て驚かされる。というのも、実際はそんなに大したことじゃないんだから。いやまあ、たしかにその人間はいい仕事をしたのかもしれないよ? けれども、別に奇跡的にすごい、というほどのことではないわけで──

ミッシェル:──我々は謙遜しがちなんだ。

ダン:そう、その通り。

ミッシェル:でも、ダンの言う通りだよ。我々が“Twist a St. Tropez”をリリースしたとき、ラジオでちょっと流れはじめてね。で、その頃行きつけだったカフェで、わたしが音楽をやっていると知っていた人に出くわして、その人は「聴いたかい? この曲(=“Twist a St. Tropez”)、最高じゃないか! でも、これがベルギー産のはずがない」と。

ダン:その通り。

ミッシェル:(苦笑)当時、我々はマスクをかぶっていたし、誰も正体を知らなかったんだよ。はじめのうちは自分たちが誰か明かさなかったし、それは我々3人にはそれぞれ異なるバックグランドがあったし、いろいろと悪口を言われそうだな、と。でも、リアクションは「いや、こりゃ絶対にベルギー産のはずがない!」だったっていう。

ダン:「ベルギー産だってぇ?」と。

(笑)。で、質問を作成した方は、ブリュッセルには90年代に2回(91年と98年)、2005年に1回行ったことがあるんです。古い街並みが美しくて印象に残っていて、91年に行ったときは、メインはアントワープのファッション・シーンの取材だったんですが、レコード店にはレイヴ音楽が溢れておりました。

ダン:うんうん(とうなずいている)。

で、テレックスが始動したころ、ブリュッセルにはあなたがた以外にも刺激的な音楽のシーンはあったのでしょうか?

ダン:……(困り顔で)ハッハッハッハァッ! ミッシェル、憶えてる?

ミッシェル:そうだねえ、ひとり、アルノー(おそらくArno Hintjensのこと)という男性アーティストがいたし──

ダン:たしかに、彼はもういたね。

ミッシェル:それに、わたしも好きだった、デウス(dEUS)というバンドもいて……

ダン:えっ? 彼らは70年代から活動していたっけ??

いやいや、90年代のベルギー・シーンではなく、70年代の話なんですが(※90年代のベルギーの話を枕にしたので、混乱させたようです)。

ミッシェル:ああ、そうか、オーケイ。70年代ね。

ダン:ぶっちゃけ、思い出せないなあ。憶えてる?

ミッシェル:いや、80年代に入ったら、一群のグループがいたよ。主に、イギリスから来た連中で。

ダン:ああ、そうだった。だから、ベルギーの「自国産」という意味では、ビッグなアクトはひとつもいなかったね。人気があったのは女性シンガー、あるいは北フランス出身のグループぐらいで。だからあの当時成功したものといったら、主にフランス発のヒットと、そしてイギリスから来たグループとに分かれていたね。

ミッシェル:でも、その後に〈クレプスキュール〉勢なんかも登場した。

ダン:そうだった。

ミッシェル:でも、彼らはそんなに人気が高かったわけではないし……

ダン:たぶん、我々がスタートした頃と言ったら、プラスティック・ベルトラン(Plastic Bertland)の“Ca Plane Pour Moi”(1977)が大きかったんじゃない?

プラスティック・ベルトランはパンク寄りなノヴェルティ・アクトで、エレクトロニック・ミュージックとはあんまり関係がない印象ですが。

ミッシェル:ああ、音楽的にはそうだね。

ダン:そうかな? でも……

あの頃だと、ボウリング・ボールズ(The Bowling Balls)なんかもいましたよね。

ダン&ミッシェル:ああ、イエス。

彼らも、ジョーク半分なグループだったようですが(※The Bowling Ballsは、漫画に登場する架空のバンドを具現化した、フェイクな企画ものグループ)。

ミッシェル:彼らは、もっと冗談寄りだったと思う。

ダン:たしかに、彼らは非常にジョークっぽかった。だけど、メンバーはいい連中でね。ミッシェルもわたしも知っているけれども、主要メンバーのひとりのフレデリック・ジャナー、彼もわたしの少し後にEMSシンセサイザーを買ったんだよ。彼もエレクトロニック・ミュージックを作りたがっていたからね。それに漫画家でもあったから、彼は常に「音楽をとるべきか、それとも漫画の道を進むべきか?」と悩んでいたね。でも、結局彼はどちらもやることにしたし、そんな彼の音楽作品のひとつがボウリング・ボールズだった。そう言っても、あれは友人仲間が集まってやったものに過ぎないし、実際、アルバムも1枚しか残していない。ただ、やっていて楽しかったし、あれは純粋に……英語だとどう言えばいいのかな、まあ、ジョークとして、お楽しみとしてやったことだったんだろうね。

ミッシェル:でも、彼らには、少なくともいい曲が2曲あったと思う。

ダン:ああたしかに、いい曲だった。それに、君にも見せてあげようか(と、立ち上がってアナログ盤を引っ張り出す)。フレデリック・ジャナー、彼は、わたしのレコードのスリーヴのイラストを描いてくれたんだ(見せてくれたのは、『The Electronic System Vol.2』のジャケット)。

素敵なジャケですね!

ダン:彼と出会ったきっかけは、彼から「VCS3を買うべきか、それともミニ・モーグを買うべきだろうか?」と相談を受けたことでね。で、わたしの答えは、「もしも君が、単にサウンド/音符を出したいだけではなく、ちゃんとエレクトロニック・ミュージックをやりたいのなら、VCS3の方がもっと可能性があるよ」と。で、彼も助言にしたがってVCS3を購入したし、「ありがとう」の意味を込めて、ある日、このイラストをわたしに残してくれてね。こちらとしても、ああ、これは完璧だ!と。ちょうど2枚目のアルバムを出そうとしていたし、これをジャケットに使わせてもらうよ、と。というわけで、この絵はボウリング・ボールズをやっていた、フレデリック・ジャナーの手によるものなんだ。


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『This Is Telex』と今後の展開

『This is Telex』の「これぞテレックス(This is Telex)」というタイトルは、テレックスの何たるかを示すと共に、おそらく、テレックスを知らない若いリスナーも「これがテレックスなんだ」と思ってくれるだろうし。


Telex
this is telex

Mute/トラフィック

Synthe-PopTechno

『This Is Telex』の選曲について教えてください。ダニエル・ミラーが選曲したんですか?

ミッシェル:〈ミュート〉が選曲してくれた。

ダン:うん、〈ミュート〉によるものだ。で、我々も「これはいいアイディアだ」と思ったんだよ、というのも、『This is Telex』は、さっきミッシェルも言ったように一種の予告編であり、いわゆる「ベスト盤」ではないからね。そうは言っても、割りと有名なヒット曲も含まれてはいる。ただ、アルバム6枚からそれぞれ2曲ずつ収録するというアイディア、これは素晴らしい。それに、このアルバムのタイトルだよね。「これぞテレックス(This is Telex)」というタイトルは、テレックスの何たるかを示すと共に、おそらく、テレックスを知らない若いリスナーも「これがテレックスなんだ」と思ってくれるだろうし、各アルバムから2曲、そして未発表曲も2曲含まれていて……

格好のテレックス入門編、イントロダクションだろう、と。

ダン:そうそう、イントロダクションだね。

“Rock Around The Clock”や“Dance To The Music”のカヴァーは当時としては画期的でした。テレックスにとって誰かの曲をカヴァーするというのはどんな意味があったんでしょうか?

ミッシェル:最初のうちは、我々自身のヴォキャブラリーを見つけるための手段としてやっていたんだ。

ダン:うん。

ミッシェル:ところが続けていくうちに、ポップ音楽のカタログみたいなものになっていった。たとえば、最初にやったカヴァーはロックンロール味のフレンチのイェ・イェ・ポップだったし、遂にはメキシコの“La Bamba”も取り上げた。だから、世界じゅうのポピュラー・ミュージックのカタログのようなものになったし、そこがポイントだった。ジャンルを越えて、それらを我々のものにする、という。かつ、どの曲もほぼ、原曲よりテンポを落としたものだったね。

ダン:ああ。

ミッシェル:誰にでもアピールするように(笑)

ダン:テンポがゆったりしていれば、誰でも踊れるからね!(笑)

“Moskow Diskow”はどのくらいヒットしたのでしょう? ベルギーよりも、むしろヨーロッパ全土でヒットした感じだったんでしょうか。

ミッシェル:というか、あの曲は世界的にヒットしたと思うよ。

ダン:そうだね。

ミッシェル:我々にとってのメイン曲というか、面白いもので、あの曲は我々の編集盤には大抵含まれる。だからおそらく、人びとがもっともよく知っている曲があれになるだろうね。もしかしたら彼らは、「テレックスの曲だ」とは気づかないまま聴いているのかもしれないが。

なにゆえテレックスはディスコないしはダンス・ミュージックであることは意識したのでしょう? ディスコというのは、初期のエレクトロニック・ミュージックにおいてもっとも自由に実験ができる場だったのですか?

ミッシェル:……自分たちとしては、「ダンス・ミュージックを作っている」という思いで音楽を作ったことはなかったんじゃないかと思うけどなぁ……?

ダン:まあ、“Moskow Diskow”は除いていいんじゃないかな。あれは、列車の中にディスコテークがある、というアイディアから生まれた曲だし。ただ、それ以外では、ミッシェルの言う通りだ。

ミッシェル:(フーッと嘆息)とにかく、テンポをああやって調整しただけだし。わたしは、たまにクラブ等に踊りに行ったことはあったよ。でも、他のふたりが踊っている姿を見かけたことは一度もないし──それより、ふたりが椅子に腰掛けている姿なら思い浮かべられるけどね!(苦笑)

ダン:ハッハッハッハッハッ!

ミッシェル:とにかく自分たちにとって気持ちがいい音楽を作っていたし、「ダンス・ミュージックを作ろう」という思いでやったことではなかったと思う。結果的にダンス・ミュージックになった、ということであって。

なるほど。“Rock Around The Clock”(1979)でリミックスを手掛けるPWL(ピート・ウォーターマン)とはどうやって知り合って、お互いどんな関係で仕事をしたのでしょう?

ダン:彼とは、〈RKM〉のローラン・クルーガー経由で知り合った。ローランだったんじゃないかな、彼にあのリミックスを依頼したのは? どう思う、ミッシェル?

ミッシェル:(考えながら)彼は、我々がBBCの『Top of the Pops』に出演した際について来てくれたんじゃなかった?

ダン:ああ、そうだ! 彼に会ったのは、あれがはじめてだった。

ミッシェル:で……そうして知り合ったし……

ダン:そうそう。

ミッシェル:でも、それ以外は──(苦笑)いや、可笑しかったのは、彼はリミックスをやってくれたけれども、あの曲にサックスを加えたんだよね。

(爆笑)

ダン:(笑)なんたる悲劇!

ミッシェル:(苦笑)でまあ、あれはちょっと、ヘンだった。

ダン:ハッハッハッハッ!

ミッシェル:(グフフッと吹き出しながら)あれは、我々のユーモア感覚の度すら越えていたよ。

(笑)サックスは、さすがにちょっとクサそうですね。

ミッシェル:どうだったんだろう? とにかく、あれは我々には理解できなかった。というか、リミックスを気に入ったことは滅多にない。だから、自分たち自身でいくつかリミックスをやったんだしね。でもまあ、時代的にも早かったんだと思う。リミックス自体、まだそんなに一般的ではなかったし。

ダン:そうだね。

ミッシェル:だからきっと、彼もいろいろ試していたってことだと思う。気に入らなくて、ごめんよ(笑)

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細野さんとの思い出

細野晴臣さんとコシミハルさんがスタジオを訪れたときのことは憶えていますよね? 

ダン:ああ、もちろん!

彼らの“L'Amour Toujours”もとても洒落ていましたが、当時どんな風にセッションがはじまったのか教えて下さい。細野さんがあなたたちにアプローチをかけたんでしょうか?

ダン:ああ、そうだよ。

ミッシェル:この話は、ダンに任せる。あのとき、わたしはヴァカンスに出かけていてスタジオにいなかったから(苦笑)

ダン:うん、彼(細野さん)が連絡をとってきて、ごく普通に、スタジオをブッキングしたんだ。わたしとしては「なんと!」と驚いたけれどもね、イエロー・マジック・オーケストラのメンバーが自分のスタジオに来るなんて、と思ったし、3日間のブッキングだったな。とてもシンプルなセッションだったよ。彼らがスタジオにやって来て、彼は英語を喋らなかったし、残念なことにわたしは日本語を喋らなかった。それで、とてもナイスなフランス人の通訳氏、たしか東京在住の人だったはずだが、彼が現場での通訳として付き添ってくれてね。ところが、彼にはほとんどやることがなかったんだ、というのも、音楽を通じてであれば、言葉を使って会話する必要はないから。それに、彼(細野さん)と自分のやっていることが非常に似ているのにも気づいた。わたしは非常に初期のシーケンサーのひとつ、とても複雑な、ローランドのMC-4という名前の機材を持っていてね。で、あれはMIDIやコンピュータ以前の時代のシーケンサーだったから、何もかも自分でプログラムを打ち込まなくてはならなかったんだ。あれでシークエンスを作るのは面倒で悪夢のようだったけれども、彼の打ち込みのスピードはあっという間、本当に早くてね! で、彼は「モーグ・モジュラーで曲をやろう」と言ってきて、我々は主にモーグのモジュラーを使い、一方で彼がシークエンスをプログラムしていき、それをレコーディングした、と。あれはファンタスティックな3日間だった。
 それに、さっきも言ったように、我々は言葉が通じなくても大丈夫だったんだ。それはグレイトだったし、思い出すよ、通訳氏が「僕は不要みたいなので、外に出かけるとします。あなたたちだけで放っておいて大丈夫でしょう」と言ったのは。そんなわけで我々はレコーディングを進め、ヴォーカルを録り、以上、と。そして彼はテープを……あの曲のミックスは、わたしがやったんだったかな? ミックスも、もしかしたらやったかもしれない。ともかく……ああ、たしか彼は、当時世界ツアーをしていたんだったと思う。で、レコーディングをやった何週間か後に、レコード会社から完成したアルバムが届いた、と。とてもシンプルで、とても素敵な、とてもいいお土産をもらったね。あれは素晴らしかった。

あの頃、もうイエロー・マジック・オーケストラのことはご存知だったんですね。

ダン&ミッシェル:うんうん、もちろん。

テレックスは、ときに「ベルギー版クラフトワーク」、あるいは「ベルギー版YMO」とも称されますよね。

ミッシェル:(苦笑)

もちろんそれぞれ異なる個性のグループとはいえ、そういった意味でYMOにはどこかしら親近感も抱いていましたか?

ミッシェル:ああ。

ダン:自分と彼(細野さん)の仕事の仕方がどれだけ近いかに気づいたときは、とても驚かされたんだ。それもあったし、彼がモーグを好きというのにも驚いたね。日本には自国産の素晴らしいシンセサイザーがたくさんあるのに、彼はポリ・モーグのサウンドが好きで、あれは珍しかった。実際、可笑しかったんだが──あの何年か後、90年代に、わたしの新しいスタジオで日本人プロデューサーと仕事する機会があったんだ。残念ながら、彼の名前は忘れてしまったけれども。で、彼は細野氏の友人だそうで、わたしのスタジオに来てびっくりしていた。「細野さんのスタジオと同じですよ!」と。

ミッシェル:(笑)

ダン:で、ふと思い出したのが、そう言えば細野氏は、スタジオにいたときやたら写真を撮っていたっけな、と。

(笑)

ダン:(笑)だから、もしかしたら彼は自分のスタジオを、わたしのスタジオに少し似せて編成したのかもね? それはまあ、笑える逸話、ということだけども。

ちなみに、ダンさんのSynsound Studioはレコーディング・スタジオとしていまでも続いているんですね。

ダン:ああ。

しかもシンセサイザー(アナログ&デジタル)やサンプラー、ドラムマシンなど、70年代~80年代の貴重な機材が揃っています。やはりこういった機材がそうとうお好きなんですね?

ダン:そう。いま、君がスタジオにいないのが残念だね、こっちにいたらあれこれと見せてあげられるんだけれども。でも、うん、モジュラー・シンセはいつでも使えるよう整備してあるし、しかもミニ・モーグも新たに買った。わたしがもっとも好きなシンセサイザーは、もちろんアナログだ。ちなみに、アナログ・シンセはまた人気が再燃しているんだよ。

ですよね。

ダン:どうしてそうなったかと言えば、音響制作機材の進化はあったものの、その基本であるアナログ・シンセサイザーに再び立ち返ったということじゃないかと思う。だから、自分自身のサウンドを作る必要があるんだよ。どれだけプリセット他のサウンドがあったとしても、サウンドを考え、それを自分で作り出さなくてはならない。ただ他から音を盗んできて、それを何かに作り替えることのできるサンプラーとはわけが違う。だから、アナログ・シンセにやれることは少ないかもしれないけれども、そのぶん逆にクリエイティヴになれると思うんだ。
 というのも、本当に自分で一からはじめなくてはならないし、電気からサウンドを作ることになるから。本当に興味深いのはそこだ。というわけで、うん、わたしはまだいろいろやっているし、この取材の後にスタジオに入り、新たに曲を作るつもりなんだ。ベーシックなアイディアが浮かんでいるし、それをマシンにフィードして新しい曲を作ろうかな、と。スタジオ・エンジニアとして働くのも好きだけれども、できれば自分がやりたいのは、サウンドをクリエイトし、そこから曲を作ることだから。電気からね。

80年代以降、エレクトロニック・ミュージックを更新したもっとも重要なアーティスト、あるいはあなたたちよりも下の世代の電子音楽家で好きな人/共感できる人は誰ですか?

ミッシェル:……ビョークかな。

ダン:ああ、彼女だね。

ミッシェル:彼女は常に探索を続けているし、わたしが音楽に関して好きな点もそこなんだ。そうは言っても、わたしもポップな音楽は好きだよ。ただ、何かをサーチしている人が好きだね、音楽として、必ずしも聴きやすくはないかもしれないけれども。

ダン:ビョークに……

ミッシェル:たとえばビョーク、それからFKAツィッグス等。そういう人たちだな。

ダン:そう。ビョークは、もちろんだ。彼女は常にイノヴェイティヴで新たなことをやろうとしているし、それに──まあ、この名前はちょっと一般的過ぎるかもしれないけれども、わたしはビリー・アイリッシュも好きだ。

ミッシェル:(先を越されてやや悔しそうにつぶやく)彼女の名前は、わたしも言おうとしていたところだよ。

(笑)そうなんですね!

ダン:(笑)ああ、彼女は大好きだ。

ミッシェル:まあ、音楽面は、彼女の兄がほとんどやっているらしいけれども。

ダン:ああ、そうだよ。だが、あのふたりは、どちらも非常に才能がある。

ミッシェル:彼女の音楽は悲しい感じだけれども──

ダン:うん。

ミッシェル:──(苦笑)でも、音楽はグレイトだ。

テレックスにはグルーヴがある


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マルク・モーランがいまここにいないことは残念ですが、彼はどんな人だったのか教えていただけますか?

ミッシェル:彼はどうだったか……。彼は考える人だったと思う。かつ、ユーモアと才能にあふれていた。よき友だった。

ダン:そうだね。それに、彼は本当に優れたミュージシャンでもあった。そう思うのは、何年か前にテレックスの音源をデジタル化した際にマルチ・トラックを聴く機会があって、そこで彼がどれだけグルーヴにノって演奏していたかを発見したからでね。あの当時はテクノロジーも単純、ごく初歩的だったし、シークエンスに関してはあまりテクノロジーの活躍する可能性がなかった。だから、ドラムと非常に基本的なシークエンスを除き、ほとんどのトラックは手で、マニュアルに演奏されていたんだ。ベース・ラインの多くは手で演奏されていたし、それが実にグルーヴに富んでいてね。完璧ではなかったし、でも、それこそがグルーヴというものの概念であって。
 だからだろうな、自分たちがこう思ってきたのは……人びとは「エレクトロニック・ミュージックは冷たい音楽だ」と考えるけれども、そんなことはないんだよ。我々はそんな風に感じなかったし、スタジオにいた間、本当にグルーヴをエンジョイしていた。リズム・トラックがあり、ベーシックなドラムがあり、ベース・ラインがあり、そこに最初のキーボードが入ってくる云々、彼はそこに常にいた。それにもちろん、彼はアイディアが豊富だった。わたしは機材の背後でボタンetcを操る役まわりだったけれども、マルクとミッシェルが曲について話し合っている様は聞こえた。
 いまでもよく思い出すのは、3人一緒にサウンドを見つけようとしていた場面だね。わたしは機材のボタンを調整していて、そのうちに自分でも「これはいいな」と感じて、すると同時にミッシェルとマルクも「いいぞ!」と言ってくれて。「その位置のままで、いじらないで」と言われて、わたしも「わかった」と。そういった様々が組合わさった経験なんだ。

ミッシェル:それもあったし、たぶん……さっき、君は我々を「ベルギー版クラフトワーク」と呼んだけれども──いや、そう形容した人は君が最初ではないから、気にしなくてもいいんだよ(笑)

ダン:(苦笑)

ミッシェル:ただ、クラフトワークと我々の主なひとつの違いと言えば、それはおそらくグルーヴだろうね。

ダン:そう!

ミッシェル:というのも、マルクは黒人音楽に心酔していたし、彼はジャズ・マンでもあった。だから、思うにクラフトワークとの主要な違いは、テレックスにあったグルーヴではないか?と。さっきダンも話していたように、サウンドの多くは手で演奏したものだったからね。

ダン:そうだ。それにわたし自身、デジタルに変換していたとき、それに気づいて驚いたんだ。レコーディングの現場で、マルクがどれだけ楽々とあれらの演奏をしていたかは憶えているし、その場ではわたしも深く考えていなかった。ただサウンドを出し、プレイしていただけだし、そのテイクでオーケイ、それで決まりという感じで、実に楽だった。ところが、あれは一見楽そうに見えて、そうではなかったんだね。彼のプレイは本当に大したものだったな。タイミング感が、本当に、実によかった。そういえば、最後のアルバムを作る際に、マルクがキーボードを習い直しているんだ、と言っていたのは憶えているかい、ミッシェル? 彼は毎日数時間、もっと上手くなるためにキーボードを練習したんだ。そもそも非常に腕のいいキーボード奏者だったにも関わらず、それでもなおがんばった、という。

ミッシェル:間違いない、彼なしには、テレックスはあり得なかった。

ダン:それはもちろんだ。あり得ないよ、まったくそう。

ミッシェル:彼が決め手だった。

アルバムの最初と最後が未発表曲でしたね。2曲(“The Beat Goes On/Off”、“Dear Prudence”)ともカヴァー曲で、2曲ともとても面白いと思いましたが、どうしてこれがお蔵入りになっていたんでしょう?

ミッシェル:(苦笑)

秘密としてキープしてあった曲、とか?

ミッシェル:いやいや。あれは……我々が音楽作りをストップした後も、たまに顔を合わせて、何か一緒にやれることはないか?と探っていたんだよ。

ダン:アイディアをね。

ミッシェル:あれら2曲は、取り組みはじめてはみたものの、やった当時は興味深いとは思えなくてね。将来性を感じられなくて……。

ダン:アルバム1枚を作るに足るだけのアイディアが浮かばなかったんだよ。そこで、あの2曲はとっておくことにしたはずだ。で、やっと最後のアルバムができたとき、あれはマルクのアイディアをもとにしたんじゃなかったっけ、ミッシェル? この話は何日か前に思い出したんだけれども、そのアイディアは自分たち自身をサンプリングする、というものでね。だから、歌のパーツからはじめて、そこから新たなサウンドを作り出す、という。あのアイディアを、我々は実に──

ミッシェル:リサイクルする、ということだよね。

ダン:そう。興味深く、エキサイティングなアイディアだと思ったし、とても上手くいった。あのおかげで、最後のアルバムを完成させることができたんだ。

ミッシェル:とても上手くいったとはいえ、それほど成功には結びつかなかったな(苦笑)

(笑)

ダン:(苦笑)いや、それはなかった。

ミッシェル:でも、今回リミックスして、気がついたよ。あれは実にいいアルバムだ、うん。シンプルでいい作品。わたしも気に入っている。

ダン:わたしも同感。

日本には長きにわたってテレックスの熱狂的なファンがいますが、彼らに対してひと言お願いします。また、これからテレックスを聴くであろうリスナーにもひと言。

ミッシェル:んー……こう言おうかな。「我々を眺めるのではなく、音楽を聴いてください」

ダン:(笑)。そうだね、わたしも同じだ。「音楽を聴いてください」だ。

質問は以上です。今日はお時間いただき、ありがとうございました。

ダン&ミッシェル:ありがとう。

この再発を期に若いリスナーがテレックスを発見してくれると思うとワクワクしますし、今後の展開を楽しみにしています。もしかしたらあなたたちの新しい音楽を聴ける日が来るかも?と、期待していますので。

ミッシェル:……たぶん、それはない。

ダン:フフフフフッ!

ミッシェル:(苦笑)

そうですか。残念です……

ミッシェル:あ、ひとつだけいいかい? 君は通訳だよね? 音楽関係の仕事を主にやっているの? たとえば、いま君の言った最後のセンテンス、あれは質問者の言葉なのか、それとも君自身の言葉?

いちばん最後はアドリブです。でも、質問作成者も同じ思いを抱いているはずですので。今日は通訳として話させていただきましたが、わたし自身音楽ライターもやっていますので、音楽は少し知っています(苦笑)。

ミッシェル:ああ、そこはわたしも感じたよ。とてもいいインタヴューだった。どうもありがとう。

ありがとうございます。くれぐれも、お大事に。さようなら。

ダン&ミッシェル:ありがとう、君もね。

shame - ele-king

「shame + live show」で動画検索すれば、いま世界からもっとも失われているものがヒットするだろう。すなわち、満員になった小さなライヴハウスのステージで、野放図に楽器をかき鳴らし叫び散らす若者たちだ。学校に行けなくて教育や出会いの機会を奪われている学生の報道を見るたび僕は胸を痛めてしまうけれど、それと同じくらい、クラブやライヴハウスに行けない若者たちはどうしているのだろうと思う。2010年代中頃から顕在化しはじめ、現在ピークを迎えているように見えるUKを中心としたバンド・ブーム──そのほとんどがポストパンク的なものだ──は、「現場」が失われていることでむしろ訴求力を増しているようだ。シェイムはなかでもエネルギッシュなライヴとストレートにパンキッシュなサウンドで注目を集めたバンドであり、だから、彼らとそのオーディエンスはまさにいま「機会を失われた若者たち」としてここにいる。
 それにシェイムは、デビュー作の収録曲でテレーザ・メイ首相をおちょくったりするような分かりやすく反抗的な態度が受けていたところもある。最大の参照元のひとつにザ・フォールがあったという彼らは、音としてはブラック・ミディや〈ワープ〉と契約したスクイッドほどエクスペリメンタルではないものの、やはり反抗的な佇まいのホワイト・ファット・ファミリー周辺から出てきたというところも含め、自分たちの怒りや苛立ちをドライヴさせるためにパンク~ポストパンクを鳴らしているのだろう。再開発が進みパンデミック以前から(金のない若者たちの)「現場」が失われていたロンドンから、こうしたアティテュードのロック・バンドが登場し支持されたのは必然だった。

 ただ、彼らが若いエネルギーを発露させるロック・バンドとして人気を集めてきたということは、逆に言えばセカンド・アルバムが難しいということでもある。UKではとくに、デビュー作をメディアに持ち上げられたロック・バンドが続かないことがあまりにも多い。その点、シェイムは職人肌のジェームズ・フォード(シミアン・モバイル・ディスコ)をプロデュースに迎え、音のバラエティとサウンドの立体感を増すことで真っ当に成長を見せる道を選んだようだ。たとえば “Water in the Well” で方々から聞こえてくるユーモラスなパーカッションや、分厚いコーラス・パートへ突入するダイナミズムは、ファースト・アルバムから確実にビルドアップされたところだ。
 けれどもそれ以上に興味深いのは、『Drunk Tank Pink』をよく見ると浮かび上がってくる内省的なムードがパンデミック以降の閉塞感とシンクロしていることである。アルバム・タイトルはじっと眺めていると精神を落ち着かせるピンクのことで、バンドのフロントパーソンであるチャーリー・スティーンが自宅のクローゼットに塗った色のことだそうだが、それは過酷なツアー生活から心の平穏を取り戻すためのものだったという。歌詞を見れば、彼らの内側には行き場のない混乱が吹き荒れている。初期フォールズのように執拗かつミニマルなギター・リフではじまりカオティックなアンサンブルに突入していく “6/1” では「俺は自分が嫌悪しているすべてのものの象徴/それでも自分がずっとなりたいと夢見ていた者」という吐露からはじまり「俺は自分を憎み、自分を愛している」という叫びで終わるが、こうした分裂的な感覚がこのアルバムの肝だ。陰鬱なフィーリングを醸す “Snow Day” は偶然にせよ自己隔離期の孤独感を捉えているし(「いつものように会えないのなら、なぜ会うべきなのか?」)、ソリッドなギターと変拍子の応酬が不安定なグルーヴを生む “Harsh Degrees” では自分の意思で動けない苛立ちが蓄積される(「きみは俺の操り師/俺はきみの遊ぶオモチャ」)。もっともアップテンポで簡潔なパンク・ソングである “Great Dog” のような曲でさえ、よく聴けば下のほうでドローン音が鳴っているなど不穏な響きとなっており、なかば無理矢理に疾走するバンド・アンサンブルとも相まって抱えきれない不安が暴走していくようだ。
 そうした意味では、ミドル・テンポのなか濁った鍵盤音と迫力を増していくノイズが空間を覆っていくクロージングの “Station Wagon” はバンドにとってこれまででもっとも挑戦的なナンバーだ 。「新たな解決策を出さないと/新年の抱負を立てないと、まだ年末ですらないけれど」と投げやりに吐き出されるこの曲は、バンドや彼らのオーディエンスが抱える現在の行き止まり感と未来の不透明さをうまく捉えているように思える。だからこそ『Drunk Tank Pink』は2021年の子どもたちのためのロック音楽として鳴っているし、ここに収められた荒々しいパンク・ソングがライヴハウスで再び演奏されるときが待ち遠しい。“Station Wagon” ではそして、「腐っている暇はない/新車のステーション・ワゴンが旅に出ていく」と、同じように鬱屈する若者たちへのぶっきらぼうな励ましがこめられている。

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