Home > Interviews > interview with Telex - なぜユーモア、笑い、ギャグにこだわるのでしょう?
ベルギーはヨーロッパの中央に位置する国だし、だから誰もがベルギーを襲ってきた。ローマ人の昔から、ドイツ人、フランス人、スペイン人等々。それくらい行き来が盛んだと、ユーモアの感覚を持たずにはやっていられない。それがないと、死ぬか、裏切り者になるしかないから(苦笑)。
テクノ四天王などとは言いたくはない。テレックスは仏教徒ではないのだから。しかしテレックスは、クラフトワーク、ジョルジオ・モロダー、YMOらと並ぶ、70年代テクノの始祖たちの重要な一角を占めていることは間違いない。それにしても、テクノにおいてドイツ、イタリア、日本、そしてベルギーというポップの主流たる英米以外の国において突出した個が出現したというのは、一考にあたいする興味ぶかい事実だ。
とまれテレックスは、その70年代テクノ・ビッグ・フォーのなかでは、わりかしマニアックなポジションに甘んじていた感があった。つまり知る人ぞ知るというヤツだ。そこで、CANの再評価を促した〈ミュート〉の総帥ダニエル・ミラーが、2021年からはブリュッセル生まれの伝説のテクノ・ユニットのリイシューに着手した。で、まずは挨拶状として、『This Is Telex』が4月30日にリリースされる。テレックスの全カタログから選曲されたベスト盤的な内容で、未発表も2曲ある。
テレックスは、すでに音楽家としてのキャリアのあった3人のベルギー人によって結成されている(そこはYMOと同じだ)。たとえば、その言い出しっぺであるマルク・ムーランなる人物は2008年に他界してしまったが、彼はテレックス以前にはプラシーボなるジャズ・バンドの中心メンバーで、エレクトリック・マイルスへのベルギーからのアンサーとしていまだに再評価が続いたりする。そんな事情もあって、じつはテレックスはレアグルーヴ方面からの注目もあったりするのだ。
とにかく我々は、ユーモアと実験、ポップへのこだわりをもって挑んだブリュッセルのテクノの始祖たちに話を訊くことにした。ありがたいことに、取材はダン・ラックスマン&ミッシェル・ムアースの2人が同時に受けてくれた。長いインタヴューだが、これを読んだらあなたはますますテレックスが好きになってしまうだろう。若い世代もこれを機にぜひ、テレックスの愉快なエレクトロニック・ミュージックの世界に触れて欲しい。楽しいってことは素晴らしいことなのだから。
いかにしてテレックスは生まれたのか
我々はちょっとスペシャルなことをやりたかったし、単なる「ポップ・ミュージック」ではなく、そこに別の次元が加わった何かをやりたかったんだと思う。
■ミッシェルさん、ダンさん、こんにちは。
ダン・ラックスマン&ミッシェル・ムアース:(それぞれ)こんにちは。
■今日はお時間いただきありがとうございます。
ダン&ミッシェル:(共に笑いながら)どういたしまして。
■まずは今回の〈ミュート〉との再発プロジェクトについて。どのようにこの企画ははじまり、そしてこれから進展していくのでしょうか?
ミッシェル:ああ、今回の『This is Telex』は予告篇に過ぎないんだ。6枚のアルバムからそれぞれ2曲ずつ選んであり、未発表曲を2曲加えてある。うまくいけば今年じゅう、もしくはその後に、(オリジナル・アルバム)全タイトルを再発する予定だ。それに続いて、たぶんリミックス・アルバムが出るよ。素敵な男の子&女の子たちによるリミックスが(苦笑)。
ダン:(苦笑)
ミッシェル:リミクシーズを出す予定だ。
■わかりました。で、日本には昔ながらの熱心なテレックスのファンがたくさんいますが、この取材はあなたたちを知らない若い世代のための取材にしたいなと思います。
ダン&ミッシェル:(共にうなずいている)
■まずはテレックスの歴史についてお訊きします。結成は、1978年、ジャズ・バンド、プラシーボ(Placebo)解散後に故マルク・ムーラン(Marc Moulin)さんがおふたりに声をかけてはじまったと聞きますが、大体それで合ってます?
ミッシェル:……っていうか、君はもうわかってるよ。質問しなくて大丈夫!(笑)
ダン:たしかに。アッハッハッハッハッ!
■(笑)当初あったコンセプトについてお聞かせください。
ミッシェル:うん。彼は以前に、別のプロジェクトでダンと何度かセッションで仕事したことがあってね。わたしもそのプロジェクトに参加していて、そこでマルクが思いついたのは──ダンは、すでに電子楽器に関するスキルで知られていたし、マルクはポップ・ミュージックを作ってみてはどうだろう? と思いついたんだ。それまで彼はジャズ、わたしは地味なフォーク・ロック~ジャズ的な音楽をプレイしていたからね。大衆に受ける音楽をやっていたのはダンだけだった。
ダン:(笑)
ミッシェル:そんなわけで、マルクは何かポップなものを、欧州大陸発の、ギターを使わない音楽をやりたいと考えたんだ。当時電子音楽は盛り上がりつつあったし、そこで彼はまずダンに声をかけ、彼らふたりはわたしをシンガーとして参加させるのに同意してくれた、と。
ダン:(苦笑)
ミッシェル:(笑)彼らが望めば、他にもっといいシンガーはいただろう。
ダン:アッハッハッハッハッ!
ミッシェル:とはいえ、歌の上手い/下手だけではなく、わたしの物事の考え方や曲の書き方等々が新しかったから、それで参加することになった。
ダン:その通り! でも、もちろんシングル1枚だけ、とは思っていなかったよ。我々はちょっとスペシャルなことをやりたかったし、単なる「ポップ・ミュージック」ではなく、そこに別の次元が加わった何かをやりたかったんだと思う。テレックスをやる前からマルクと仕事したことがあったのは事実だよ、あれはたしか、プラセーボの最後のアルバムのひとつじゃなかったかな? ブリュッセルの大きなスタジオで、わたしはシンセサイザーで協力してね。で、スタジオでの休憩中にマルクから「我々で電子音楽のグループを結成するのはどう思う?」と尋ねられて、ものすごく驚いたし、即座に「もちろん!」と答えて。
とはいえ、自分たちにはもうひとりのパートナー、兼シンガーにもなってくれる第三の人物が必要なのはわかっていたし、ミッシェル・ムアースはどうかな? という話になった。ミッシェルとは、我々の一緒にやっていたレコーディングのひとつで出会ったばかりだったし、わたしもそれはいい、オーケイ! 試しに彼とやってみようじゃないか、と。
わたしはあの頃、まあ「ホーム・スタジオ」と呼んでいいくらいの設備を自宅に構えていて、セミプロ級の8トラック・マシンも持っていた。でも、まずはそれで充分だったんだよ、我々がやりたかったのはシンプルなことだったから。8トラック、そして非常にベーシックなエレクトロニック機材、ヴォーカルで事足りるだろう、と。
というわけで改めて1日一緒に集まることにし、スタジオで「さて、試しに何をやってみよう?」と話し合った。そこで、とても有名なフランス産の大衆ポップ曲、“Twist a St. Tropez”(※Le Chats Sauvages/1961)を取り上げ、それを作り替えてみよう、ということになった。オリジナルの歌詞はキープしつつ……あの歌詞は、非常に、なんと言えばいいのか……
ミッシェル:シュールレアリスティックだった。
ダン:そう、シュールな内容だったし、原曲のテンポをできるだけスローなものに変えてみたところ──突如として曲のトーンも非常に単色で、ヴォーカルもフランジャーがかかったものになり、自分たちも完全に「これはいい」と思えるものになった。というわけで、その日のうちにラフ・ミックスをカセット・テープに録り、たしかその後、翌日か、その2日後くらいだったかな? マルクはたまたま、我々の共通の知り合いと話していたんだ。彼は当時新興の、我々も知っていた〈RKM/Roland Kluger Music〉というレコード会社で働いていた人で、マルクが彼にデモを聴かせたところ「いいね、気に入った。上司(ローラン・クルーガー)に聴かせる」と。それでデモを聴いてもらい、すぐにレコード契約に至った。ところが「やばい、1曲しかない」と気づいて(苦笑)、B面用にもう1回セッションをやることになった。そもそもデモだった“Twist a St. Tropez”にトラックをひとつ付け足しリミックスしたものを作ってB面に入れ、それがテレックスにとってのファースト・シングルになった、と。
ミッシェル:“Twist a St. Tropez”のいいところは、我々が最初に抱えた疑問が「オリジナルを聞き返すべきかどうか?」だった点だね。というのもあの曲、原曲はずいぶん古くて、あの20年くらい前に出たのかな?
ダン:60年代のヒット曲だ。
ミッシェル:10年か20年近く前の古い曲だし、聞き返さずにカヴァーすることにしたんだ。記憶に頼ってカヴァーした、みたいな。
ダン:うん。
ミッシェル:だからこそ原曲の「コピー」にならずに、ほぼ自分たちの言語で作り替えることができたという。
■3人がグループをはじめた当初は、シリアスな思いよりも、むしろ実験してみよう、というのに近かったでしょうか? テレックスというグループのヴィジョンは最初からはっきりしていた? それとも続けていくうちにそれが見つかった感じですか?
ミッシェル:そもそもの発想は、自分たちも気に入る、と同時にラジオやクラブでもかかる音楽を作る、というものだったね。けれども、さっき話したようにポピュラー音楽を作っていたのはダンだけだったし、わたしとマルクの音楽はもうちょっと一般には知られないものだった。そうだね、人びとにもっと聴いてもらえるものを作ろう、というのがアイディアとしてあった。
ダン:ああ。それに、我々もスタジオで楽しんだんだよ。たとえば、ファースト・アルバム用のセッションの際も「よし、今日は何をやろう?」「こんな曲にトライしたらどうだ?」という具合で、機材のスウィッチを入れてね。“Twist a St. Tropez”だと、まずあの曲のシークエンスからスタートして、例の(同曲のリフ・メロを歌う)♪ダダダ・ディ・ダダダダ……と弾いてみた。非常にシンプルなメロディだし、では続いてテンポに取り組もう、と。もちろん当時コンピュータはなかったし、テンポにしてもボタンをマニュアルで操作してスピードを落とす/上げるしかなくてね。で、テンポをどんどん落としていき、いいじゃないか、これでよし、というところまで遅くしていった。1曲目はそんな具合で、メインのシンセ・メロに続いて他のトラックをひとつずつレコーディングし、ヴォーカルを録り、ミックス。次は何をやろう? じゃあ、パリからモスクワに向かう列車についての曲はどうかな、ディスコなパートのある曲を? と。いいアイディアだ、やろうということになったし、さて、列車か。じゃあ、それを蒸気機関車だと想像してみて、ハイハットを通常のサウンドではなく、♪チチチチチチッ……という響きにして蒸気に見立てよう、と(編註:テレックスの大ヒット曲“Moskow Diskow”のこと。曲の冒頭ではポッポーという機関車の音が入っている)。そんな具合で、我々は本当にひとつひとつ作っていったし、かつそれを楽しんでいた。それに尽きる。
ミッシェル:アルバムを作ったとき、マルクはいろいろ考えていたと思う。
ダン:ああ、もちろん。単にマシンでやっただけではない。
ミッシェル:わたしにしても、いくつかデモを作ってきたし、あの頃はギターで作ったね。
ダン:もちろん、うんうん。
ミッシェル:だから、何もロマンチックなおとぎ話のように、「マシンに電源を入れたら、すぐに何もかも出来上がり」なわけではなかった。歌詞にしても、ちゃんと書いたしね。
質問・序文:野田努(2021年4月23日)