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三田 格 Jan 27,2012 UP
モーリツ・フォン・オズワルドにベーシック・チャンネルの原イメージがブライアン・イーノとジョン・ハッセルのコラボレイション『ポッシブル・ミュージック』から来ていると聞いた時は、まさしくなるほどだった。イーノはアンビエント・ミュージックのネクストとして「フォース・ワールド(第4世界)」という概念を立ち上げ、どこかスピリチュアルな響きを構想の核に据えていたのだろう。まだ商業ベースとは無縁だった時期のワールド・ミュージックがその背景には大きく広がっていたものの、そのシリーズに続きはなかった。ほどなくしてイーノはアンビエント・シリーズもストップさせてしまう。
アレックス・パタースン(ジ・オーブ)はイーノの『オン・ランド』をしてイギリスの湿地帯を想起させる音楽だと話してくれたことがある。『ポッシブル・ミュージック』にもそれはダイレクトに投影されていた感覚であり、ベーシック・チャンネルの2人はこれにデトロイト・テクノを掛け合わせることで、現在ではダブ・テクノと称されるフォームを構築したといえる。デトロイト・テクノ、とりわけアンダーグラウンド・レジスタンスによるそれは90年代初頭のジャーマン・テクノに野火のように燃え広がり、ある程度、キャリアを積んでいるプロデューサーの過去には必ずといっていいほど修作が存在する。つまり、ドイツとデトロイトを結ぶだけなら誰にでも出来ることだったのかもしれないけれど、彼らはそれにイギリスの湿地帯という要素を加えることで、他のプロデューサーたちとは一線を画す存在になっていったのである。さらにはマーク・エルネスタスによるダブへのこだわりがベーシック・チャンネルの中期から後期にかけて、もうひとつの大きな役割を果たすこととなり、邪推ながら解散の原因にもなっていったのだろう。
ベーシック・チャンネルのフォロワーというのは、本当に数え切れないほど出てきたし、いまでもそれは続いている。厳しいことを言えば、彼らが設立した〈チェイン・リアクション〉からデビューしたポーター・リックスやウラディスラフ・ディレイ、そして、マイク・インクと、これに触発されたというハーバート以外は物まねの域を出たものはいない。ロックン・ロールやファンクのフォロワーと同じく、物まねさえしていれば楽しいというような音楽になってしまったとさえいえる。当然のことだろうけれど、オズワルド本人はそのようなフォロワーの作品はまったく聴く気にもならないと言っていた(ロッド・モーデルさえ知らない様子だった)。オズワルドは広義のファンク・ミュージックに、エルネスタスはダブを経て現在はシャンガーンに夢中のようである。
ベーシック・チャンネルを基調にしつつ、これに初期のアクフェンを思わせるカット・アップを組み合わせたのがアンディ・ストットだった。昨年5月にリリースされて大きな話題を呼んだダブル・パック「パスト・ミー・バイ」と、その続編にそれぞれ2曲づつボーナス・トラックを加え、彼にとっては2作目の編集盤となるCDヴァージョンもつくられた。06年にリリースされたデビュー・アルバム『マーシレス』ではこのようなアプローチはまったく試みられていなかったどころか、クラロ・インテレクトのカヴァーをやるような存在(IDM系?)だったのに、いつどこでスタイルを変えていたんだろう...という感じである。ベーシック・チャンネルをファンク・ビートで刷新したような"ウイ・ステイ・トゥゲザー"を聴いても、その骨太なプロダクションはかなりな圧迫感を覚えるほどである。
まずはなんといっても"ノース・トゥ・サウス"。ガリガリととぐろを巻くベースに断片化された効果音が様々なニュアンスで襲い掛かってくる。たったそれだけのことだけれど、その臨場感はとても地震の直後に聴けるようなものではなかった。ソウル・ヴォーカルのカット・アップを加えた"ニュー・グラウンド"や"インターミッテント"も印象深い仕上がりで、ここでもやはり破片かされたストリングスが荒廃したムードを一気に覆してしまう手前で、あっさりと姿を消していく。その刹那が本当にたまらない。音が醸し出す文化的な意味合いに異常なほどのせめぎ合いを演出させているといった風である。もしかするとジェイムズ・ブレイクの影響なのかもしれないけれど、それを同質の場面ではなく、旧態としたテクノにフィードバックさせたところがむしろアイディアだった。大きな一歩ではないけれど、それほど小さくもない成果がここにある。
驚いたのは上記したポーター・リックスのデビュー・アルバムを〈タイプ〉がリイッシューしたことである。メタル・ケースのみで売られたということもあるかもしれないけれど、時には1万円近い値段が付けられていた『バイオキネティックス』を、しかも、アナログでは初リリース。早くも限定のクリア・ヴァイナルには同じぐらいの値段が付き始めている(CDは2月中旬発売予定)。トーマス・ケナーのアンビエント諸作を再発してきた流れで決定したものだろうし、それこそイギリスの湿地帯を追求しまくってきたレーベルなので、不思議はない。ない......けれど、仮にもテクノの領域から出てきたマスターピースをタイプが再発するのである。ダンス・ミュージックではなく、ノイズ・ドローンという価値観のなかで再生される『バイオキネティックス』は一体、新たなリスナーたちに、どのような音楽として聴かれるのだろうか。僕には想像もできない。
三田 格