本稿は2022年5月9日月曜日のインタヴューおよび同年5月19日アップの記事のあとがきとして構想したものである。思いのほか時間がかかった事情についてはお察しいただくほかないが、その間聴きこむうちに『物語のように』の印象もまたかわりつつある。
『物語のように』は坂本慎太郎4作目のアルバムで、前作『できれば愛を』からはじつに6年ぶり。ただしあいだには3枚のシングルをはさむ。ことに2019年8月の「小舟/未来の人へ」から間を置き、2020年11~12月にリリースした「好きっていう気持ち/おぼろげナイトクラブ」と「ツバメの季節に/歴史をいじらないで」の2枚4曲(のちにEP化)は『物語のように』の露払い役を担うとともに、シングルの機動性を活かした率直な自己表出にはこの時期の坂本の思考を記録するドキュメンタルな趣きもあった。このことについては取材時にも指摘があったが、私どもの質問に坂本はコロナ禍によるライヴと制作環境の変化を要因にあげ、アルバム(本作のことです)の尻尾もみえていなかったからその時期のムードや考えを比較的反映しているかもしれないと述べている。とはいえ悲観や絶望が全面をぬりこめるわけではない。また同時に問題意識と音楽がぬきさしがたく結びついているわけでもない。坂本慎太郎らしい絶妙な屈折と脱力――とは誤解を招く言い方だが――があり、ほんのりとしたグルーヴがある。一連の楽曲でもっとも直截な「歴史をいじらないで」でひとつとっても、そこで描くのは歴史修正主義者たちの思想や行為よりも戯画化した姿である。それによりそのものたちの抑圧的な表情の裏にあるぬめぬめとした姿態があらわになるが、あたかも世界の表層を捲りあげる、そのような認識のあり方をさして「物語のようだ」ということは可能だろうか。坂本慎太郎はつねにすでにそのような資質を私たちの前にむきだしにしていたが、そのことに気づくには『物語のように』ということばの到来をまたなければならなかった――。
この事後性ないし遡行作用はアルバム冒頭の“それは違法でした”に精確にあらわれている。本作でもとりわけ政治的なこの曲は音楽、映画、絵画、会話から恋愛にいたるまであらゆることが違法な世界を、おそらくは法や制度の恣意的な運用を是とする昨今の風潮を土台に誇張するが、主題はそのディストピックな世界観より「でした」という過去完了形にある。違法状態は過去のある時点でなりたち、現実に伏在しつつ(暴)力として顕在化することでその射程は過去におよぶ。歴史と不可分ではないこの機制は坂本のこの時期の問題意識の在処をあらすとともにシングルとアルバムをむすびつける。他方「違法」の文言で主題化する「法」とはいうまでもなく特定の国家や地域における社会規範であり、違反には罰則がともなう。現実世界では違法かいなかの判断には司法機関があたるが、坂本がこの曲でイメージする法は個々の法律というよりも人々を浸食しつづける権力の作用、フーコーが指摘する権力の編成としての法を思わせる。法は欲望を抑圧するともに新たな欲望を産出すると述べるフーコーにしたがえば、適法的なものこそ倒錯的でなければならない。坂本慎太郎の音楽に「あとの祭り」感がただようのはいまにはじまったことではないが、その淵源は上にみた法=権力の分節機能への透徹したまなざしにある。
『物語のように』でそれはきわまっている。とはいえ奇怪に入り組んだ無情の世界をみさだめるのは、それこそパンドラの箱をもって紛争の緩衝地帯でフラフラと踊るのにも似た離れ業なのかもしれない。坂本慎太郎の歌詞ではしばしば幻や幽霊やロボットやイヌやキジや鬼が象徴的な役割を担うが、『物語のように』にはそのような機能をもつ記号はひかえめで、作中の光景もどことなく日常にちかい。ファンタジーと私小説における虚構性の差異とでもいえばいいだろうか、あるいはリアルとフィクションが転倒した世界を反映したのか。物語を掲題しながらことばは煽情的なドラマを迂回し、良質の短篇集を読み終えたときにも似た余韻をのこす。もっとも本作はサブスク全盛期における野心的な音楽アルバムであり、“それは違法でした”にはじまり“恋の行方”で幕を引く全10曲40分のあまりの時間には山もあれば谷もある。演奏の布陣は過去3作をひきつぐが、サウンドはアンサンブルの輪郭をくっきりと描くより全体的に内向させるような捉え方をしている。隙間は多いが距離感はちかい、そのような質感の音でエレキ・サウンドやアメリカン・ポップス、ラテン歌謡のムーディなエッセンスをまぶした曲調がつきぬけた明るさのなか展開していく。むろんそこには星降るようなキラメキだけでなく、星をみあげるような慨嘆も存在する。前半の楽曲については取材時にもふれたのであわせてご参照いただきたいが、5曲目の“悲しい用事”でおりかえす後半にも、メロトロン風のフルートのリフも印象的な“スター”、本作ではやや異色でアーバンな“愛のふとさ”、坂本の弾くベースがジャグっぽい“ある日のこと”など、聴きどころはいくつもある。記号のせめぎあいを調停し、郷愁を避けるでもなく、さりとてそこに埋もれるでもない、坂本慎太郎の曲づくりはいよいよ円熟味を増しつつあるが、その妙手は作詞面にも敷衍すべきであろう。発言によれば、歌詞は曲のあとにおとずれることが多いようだが、本作ではその事後性が坂本慎太郎という音楽家の起源をいままで以上に鮮明に照らし出している。7曲目の“浮き草”の登場人物のように「一人で違うとこ見てる」にちがいない坂本慎太郎の独創的な観点と朗々とした響きがおりなすポップスに、私はやはり寓話(Fable)にも通じる普遍的な多層性をおぼえるのでである。
「Fã€ã¨ä¸€è‡´ã™ã‚‹ã‚‚ã®
ひさしぶりだ。00年代後半に華々しく登場し、エレクトロニック~ヒップホップ~ベース・ミュージックの境界を書き換えたハドソン・モホーク。なんとこの夏、7年ぶりのオリジナル・アルバムがリリースされることになった。あいだにゲーム『Watch Dogs 2』のサントラやトゥナイトなどを挟んでいるとはいえ、2015年の2枚目『Lantern』以来の新作なわけだから、これは期待せずにはいられない。発売は8月12日。
現在、新曲 “Bicstan” とアルバムのさまざまな要素をひとつにまとめたティーザー音源 “Cry Sugar (Megamix)” をカップリングした先行シングル「Cry Sugar (Megamix)」がデジタルにてリリースされている(試聴・購入はこちらから)。この夏はハドモーで爆発しよう。
Hudson Mohawke
ハドソン・モホーク帰還!!!
待望の最新作『CRY SUGAR』を8月12日リリース決定!
アルバムのメガミックス音源 “CRY SUGAR (MEGAMIX)” と
新曲 “BICSTAN” を解禁!
ハドソン・モホークが8月12日 (金) に〈Warp Records〉より待望の最新アルバム『Cry Sugar』をリリースすることを発表! 合わせて新曲 “Bicstan” と映像作家 kingcon2k11 が監督した強烈な映像と共にアルバムのメガミックス音源 “Cry Sugar (Megamix)” が解禁!
Hudson Mohawke - Cry Sugar (Megamix)
https://youtu.be/l19Fxfk-QxU
Hudson Mohawke - Cry Sugar Megamix / Bicstan
https://hudmo.ffm.to/cry-sugar-megamix
アルバム全体の様々なパーツを一つにまとめ上げた “Cry Sugar (Megamix)” を聴くことで、本プロジェクトが持つサウンドやキャラクターを味わえることができると同時に、先行シングル “Bicstan” は、Roland TB-303 のアシッドなサウンドと躍動感あるガバ・スタイルのトラックに、浮遊感のあるボーカル、ケリー・チャンドラー風のクラシックなハウスのコード進行を組み合わせた、聴いた瞬間から体を動かさずにはいられない、ハドモ・サウンド全開のトラックとなっている。
2015年の『Lantern』以来の3rdアルバムとなる本作『Cry Sugar』は、パンデミックを経てついにクラブやライブイベントに戻ってくるすべての音楽ファンのモチベーションを高める音楽として、ハドソン・モホーク特有のアンセミックなサウンドがアルバム全体に余すところなく展開している。ハイカルチャーとローカルチャーを融合させることにおいては、もはや右に出るものがいないハドソン・モホークだが、彼こそが、2010年代を席巻したトラップミュージックの設計者で、世界中のパーティーからTVコマーシャルまで、今もなおあらゆる場面でその影響を感じることができる。
本作の背景にはアメリカの退廃があるという。アルバムのアートワーク (グラフィティシーンからキャリアをスタートさせた画家で映像作家としても活躍するウェイン・ホースことウィレハッド・アイラースによる) に描かれているように、我々はゴーストバスターズのマシュマロ・マンと腕を組んで、ジャックダニエルの瓶を片手に帰宅するところで、灰色の暴風雨という大惨事が近づきつつあるのを、ただじっと見つめている。そんな現実を目にし、ハドソン・モホークは、DJブースを指揮台に、放蕩と黙示録の間の緊迫したドラマを描き出している。ハドソン・モホークにとって本作は、故ヴァンゲリスの後期作品から90年代のジョン・ウィリアムスによるベタなメジャーコードのサウンドトラックまで、黙示録的な映画やそれらの音楽に深く影響を受けた最初の作品でもある。本作はいわば、文化的メルトダウンの黄昏を記録した映画の狂ったサウンドトラックである。
ハドソン・モホーク最新作『Cry Sugar』は、CD、LP、デジタル/ストリーミング配信で8月12日(金)に世界同時リリース! 国内盤CDにはボーナストラックが追加収録され、解説書が封入される。LPフォーマットは、ブラック・ヴァイナル仕様の通常盤とブルー・ヴァイナル仕様の限定盤で発売される。

label: Warp / Beat Records
artist: HUDSON MOHAWKE
title: Cry Sugar
release: 2022.08.12 FRI ON SALE
国内盤CD BRC711 ¥2,200+税
解説封入/ボーナストラック追加収録
輸入盤1CD WARPCD347
輸入盤2LP+DL(ブラック・ヴァイナル) WARPLP347
限定輸入盤2LP+DL(ブルー・ヴァイナル) WARPLP347I
BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=12883
TRACKLISTING
01. Ingle Nook
02. Intentions
03. Expo
04. Behold
05. Bicstan
06. Stump
07. Dance Forever
08. Bow
09. Is It Supposed
10. Lonely Days
11. Redeem
12. Rain Shadow
13. KPIPE
14. 3 Sheets To The Wind
15. Some Buzz
16. Tincture
17. Nork 69
18. Come A Little Closer
19. Ingle Nook Slumber
+
Bonus Track for Japan
ギシギシと鳴り響くノイズとサウンド・コラージュの渦、そして行く先を惑わすパーカッション、下から湧き上がってくるのは超ヘヴィーウェイトでダビーなダンスホール・リディム~マシン・ビート。そのサウンドの要を成しているのは、目の前の景色をひん曲げるほどのヘヴィー・サイケデリア。サノ・ケイタの新たなサイドとも言えそうなアルバムが届いたのは、今春。と、何度も聴き直しているうちにうだるような暑さがやってきたものの、なんだかむしろこの季節に相当しい感覚もある。
パワフルなボトムでグルーヴを刻む、そんなロウなハウス・トラックで、2010年代のNYアンダーグラウンド・ハウスの牙城〈Mister Saturday Night〉など海外レーベルから多くの12インチをリリース、また名門、瀧見憲司の〈CRUE-L〉やプリンス・トーマスの〈Rett I Fletta〉からアルバムをリリースしているサノだが、2017年に共同主宰に名を連ねて設立したのが本作品をリリースしているレーベル〈MAD LOVE〉。本レーベルのもうひとりの主宰は、思い出野郎Aチームのパーカッショニストであり、アンダーグラウンドのダンス・シーンにおいてはDJとしても活動する松下源 aka サモハンキンポー。
レーベルは、かの Wool & The Pants をいち早くリリースしたり、Ahh! Folly Jet やラテン・クォーター(新たな作品『pattern02』ももうすぐリリースされる模様だ)といった長らく作品をリリースしていなかった逸材をひっぱり出してきたりと、そのリリースはインディとダンスフロアとの距離感にしても、時代感覚にしても、提案という部分でどこか示唆に充ちたリリースばかりをおこなっている感覚がある。〈MAD LOVE〉は、これまでサノ自身の作品もリリースしていて、ポール・ジョンソンを彷彿とさせるボトム・ヘヴィーなディスコ・リコンストラクションものハウス『MAD LOVE』や『Come Dancing EP』といった12インチ、さらに彼のハウス・グルーヴとも、本作ともまた違ったサイドを提示する、コロナ禍のベルリンで制作されたというレイドバックしたメロウなダウンテンポ集『this love』を2020年末にリリースしている。
そして巡って2022年、本作が〈MAD LOVE〉からリリースされたわけだが、冒頭に書いたように、それはヘヴィーでパワフルなグルーヴというある意味で彼のこれまでのハウス系の作品とも共通するテイストを持ちながら、一聴してわかるそのコラージュ感に溢れたラフな作風は、新たなサイケデリックなゾーンへと一歩踏み込んでいる。
サウンドシステムから吐き出されるデジタル・リディムをそのままマイクでサンプルしたようなラフな音像のダンスホール・リディムの前半部(カセットではA面となる “The Peace of Mind”~“Chholia Riddim”)は、さまざまなコラージュとノイズ、どこか街の雑踏にいるような音の顆粒で塗り固められている。ひょっこりと中東や北アフリカあたりの街路に顔だけ出てしまいそうな、時空の歪みを感じる強烈なサイケデリアに包まれている。ここ最近のテクノにおけるダンスホールの受容とも共鳴しながらも、むしろ23スキドゥーやムスリムガーゼをケヴィン・マーティンがノイジーなダンスホール・ヴァージョンとしてリミックスなどという妄想も浮かぶ音像でもある。
ちなみにカセットで聴いていると、B面は、幾分その混乱が晴れたヘヴィー・リディム “Fat Man Riddim” でスタート、変わって「スタラグ」からまさかのアートコア・ジャングルへと展開する “Peace”。ざらついたブレイクビーツ “Singing To The Moon (Bass Mix)”、そしてスペーシーなグライム “Stressful Blocks” など、A面とはまた違った景色を見せられていることに気づく。そして極めつけはパーカッションとノイズが欲望のままに高速回転していくカタストロフな “Skullptureeeee” へ、それは本アルバムのハイライトと言えるだろう。そしてエンディング・テーマのようなダウンテンポ “Mo Problem Feat. Shy Lion” で終わる。アルバムはジェットコースターのようにめまぐるしく景色を変えながらものすごいスピードで景色が変わっていくのだ。
恐らくだが、彼がこれまでの作品にてこだわり抜いてきた、ハウスやテクノといったフォーマット性の強い音楽で自らの味を出すということから、その制作のベクトルを少々別の方向へとそのエネルギーをかたむけ、欲望のままにひとつ外に歩み出した感覚の作品という感じもする。が、もちろんそれこそコレまで彼が培ってきたそうしたハウスやテクノの音楽的土台があるからこその反射神経と蓄積したテクニックを痛感する作品でもある。ここで見せるのは、ある種のフィーリングはこれまでとは違った景色ながら、なんというか現場で、そして制作で築き上げてきた、アーティストとしてのキャリアというか下半身の強さを感じさせるサウンドだ。とにかくエネルギッシュなすごい作品なので、ぜひともLP化などがなされて海外でも聴かれて欲しい。
レアグルーヴ・ファンから支持を集めるドラマー、レス・デマールのライヴ盤2作がクリア・ヴァイナルでリリースされる。1枚は1978年の『Concerts By The Sea』、もう1枚はザ・レス・デマール・トランスフュージョン名義で1979年に送り出された『Transcendental Watusi!』だ。200枚限定プレス、ナンバリング付きとのことで、ご予約はお早めに。
レア・グルーヴ・ファンから絶大な支持を得るドラマー、レス・デマールの伝説のライヴ録音2タイトルがクリア・ヴァイナルで同時リリース。VINYL GOES AROUNDとfRUITYSHOPにて限定販売。
レア・グルーヴ・ファンから絶大な支持を得るドラマー、レス・デマールの伝説のライヴ録音『Concerts By The Sea』『Transcendental Watusi!』2タイトルがクリア・ヴァイナルで同時リリース。Pヴァインが運営するアナログ・レコードにまつわるプロジェクト「VINYL GOES AROUND」と中国の人気レコード・ショップ「fRUITYSHOP」での限定販売となります。
どちらも数多のアーティスト、DJにサンプリングされてきた怒涛のドラム・ブレイクと強烈なグルーヴでジャズ・ファンクリスナーを虜にしてきたアルバム。
ナンバリング付きの200枚限定プレスとなりますので、お早めにお買い求めください。
・VINYL GOES AROUND 予約ページ
https://vga.p-vine.jp/exclusive/vga-7816c/

[リリース情報①]
アーティスト:LES DEMERLE
タイトル:Concerts By The Sea
品番:PLP-7816C
価格:¥4,950(税込)(税抜:¥4,500)
*商品の発送は2022年7月下旬を予定しています。
*限定品につき無くなり次第終了となりますのでご了承ください。
■トラックリスト
A1. Quetzal
A2. Ambidextrous
A3. Island Winds
A4. Music Is The Message
B1. San Quentin Quail
B2. Freedom Jazz Dance
B3. Sambandrea Swing

[リリース情報②]
アーティスト:THE LES DEMERLE TRANSFUSION
タイトル:Transcendental Watusi!
品番:PLP-7817C
価格:¥4,950(税込)(税抜:¥4,500)
*商品の発送は2022年7月下旬を予定しています。
*限定品につき無くなり次第終了となりますのでご了承ください。
■トラックリスト
A1. Manfred S
A2. Once Upon A Time
A3. Ear Food
B1. Transcendental Watusi
B2. Daggerpoint
B3. In Transit
90年代後半におけるUKのエレクトロニック・ミュージック、ことにAFX周辺(という言い方は他のプロデューサーに失礼だが、日本ではわかりやすいので敢えてそう書いている)の多くの作品、スクエアプッシャーにしろルーク・ヴァイバートにしろグローバル・コミュニケーションにしろ、そしてマイケル・パラディナスにしろ、あの時代の彼らをジャングルからの影響を抜きに話すことはできないでしょう。主要な影響源がNYエレクトロやシカゴ・ハウスやデトロイト・テクノにあった90年代前半のやり方から、いきなりハンドルを切ったかのように、それがラウンジであれ、ジャズ・フュージョンであれ、インダストリアルであれ、ブレイクビートを使った自由奔放かつ創意ある組み合わせによるリズムを取り入れている。ジャングルにおけるリズムの進化のなかに、これは面白いことができそうだという可能性を見いだしたのだろう。『ドラムンベース・フォー・パパ』やカメレオンの「リンクス」、“カム・トゥ・ダディ”や“ガール/ボーイ・ソング”、『ハード・ノーマル・ダディ』……、そしてマイケル・パラディナスの『ルナティック・ハーネス』。
もっともマイケル・パラディナスは、『ブラフ・リンボー』(1994)の頃から、たとえば当時度肝を抜かれた“ヘクターズ・ハウス”のような曲にも、いや、襲撃だったあのデビュー・アルバム『タンゴ・ンヴェクティフ』(1993)にだってレイヴ・カルチャーとの繋がりを示す痕跡はあった。それを言ったら、そもそもパラディナスをその気にさせた“アナログ・バブルバス”のブレイクビートからして遠からず繋がっている。だが、ジャングルを自分たちのリズムとして咀嚼するというか、より創造的に応用し、リスニング・ミュージックとして洗練させたのは90年代後半になってからの話だ。なんにせよ、AFX周辺がUKの移民文化とリンクする荒々しいアンダーグラウンドから生まれたそのリズム革命を自己流に解釈していったとき、彼らはもうひとつの高みに向かっていったと言えるだろう。その音楽にタグ付けされた、“ドリルンベース”という珍妙なネーミングは、ある意味バカバカしく、ある意味適切でもあった。ドリルの音でダンスするのは難しいが、あり得ないほど速い連打に笑えるかもしれない。
『ルナティック・ハーネス』はそんななかの1枚で、いまではすっかりIDMクラシックに括られている、パラディナスの代表作の1枚だ。もっとも、リアルタイムにおいては、さきほど挙げたほかの作品のインパクトもそれなりに強くあって、とくにパラディナスの場合はAFXとの比較が不可避的だったりしたので、印象で言えばこの1枚だけが突出していたわけではない(それほどこの頃は濃密だった)。あるいは、在りし日のパラディナスが恐ろしく多作だったことも関係しているのだろう。1995年に初めて取材したとき(ele-king vol.01収録)、彼はすでに550曲作ってあると言っていたが、それはあながちハッタリではなく、『イン・パイン・イフェクト』(1995)以降、ファンキーなジェイク・スラゼンガー、フロアよりのタスケン・レイダーズ、テクノよりのキッド・スパチュラ、ジャジーなサンプルを多用したゲイリー・モシェレス等々、いろんな名義でいろんな作品を出しまくった。(そして近年は、この頃出し切れなかったものを出し続けている)
だからこそ、『ルナティック・ハーネス』の25周年記念としてのリイシューには意味があるのだろう。ジャングルのみごとな応用とパラディナスの遊び心ある折衷的なアプローチのもっとも洗練されたアルバムは、いま聴いても、いや、いま聴くとなおのこと十分に楽しめる。つまり同作はいまや歴史から切り離されているわけで、だからもう、同じようなアプローチの他の作品のことは忘れて、この作品のみに集中できるのだ。“ブレイス・ユアセルフ・ジェイソン”なんて本当に良い曲だけれど、この頃は他にも良い曲がたくさんあったから。(歴史のなかで聴く醍醐味を失いつつある現在において、それを感じたいのであれば〈プラネット・ミュー〉をチェックしましょう)
というわけで新作の『マジック・ポニー・ライド』の話をすると、「少なくともジャンルやスタイルに関しては『ルナティック・ハーネス』のフォローアップのようなものとして作られている」と〈プラネット・ミュー〉のサイトの紹介文に記されている。手法的には「続編」と見ていいのだろうが、趣は著しく違っている。だってこれは、「喜びとメロディ、ジャングルにインスパイアされた」と、まあ、ぶっちゃけたことが書いてあって、たしかにその通りの内容なのだ。
もとよりパラディナスの音楽を特徴付けるのは、激しいリズムとメロディアスな上物にあったわけで、くだんの『ルナティック・ハーネス』はヴァリエーションの豊かさと完成度の高さにおいて傑作だった。その幅の広さのなかには、ラウンジ的なゆるさやユーモアもありつつ、ブレイクコアへの架け橋ともなるような暴力性も内包している。刃物恐怖症の身としては、ハサミの音?に聞こえるルーピングには、いまでも耳をふさいでしまうのだけれど、そこへいくと『マジック・ポニー・ライド』はじつに平和な作品だ。彼の家族への曲(娘のエルカをフィーチャーした曲があり、亡き父への曲など)があるように、これは愛情によって生まれた心温まるアルバムなのである。
『ルナティック・ハーネス』のフォローアップ作と言っても、“ヘスティ・ブーム・アラーム”のような複雑なエディットで飾り立てるよりは、シンプルに聞こえることを意識したのだろうか、地味であることの美学(表向きの華やかさよりも地に味があること)に徹しているように感じる。そのことは最初の2曲を聴いてもらえればわかると思う。とはいえ、“ターコイズ・ハイパーフィズ”のように“ヘスティ・ブーム・アラーム”直系の曲もあるにはある。が、ぜんぜんドリーミーだし、向いているところが違いすぎる。繊細なメロディやアンビエント・タッチの柔らかい音色もまた今作の特徴で、シングル・カットされたリズムが強めの“グッドバイ”にしてもそう。
パラディナスといえば、このところずっとレーベル・プロデューサーとしての仕事のほうがよく知られるところで、〈プラネット・ミュー〉は変わらず活動的だし、エレクトロニック・ミュージックのプラットフォームとしていまでも生き生きとしている。だが、ミュージック名義としての作家活動となると、90年代とは打って変わって、すっかり寡作な人になっている。先にも書いたように、ここ最近は未発表作品をまとめたアーカイヴ・シリーズ(1992年から1999年までの未発表曲が年代別に4枚のアルバムに分けられている)のリリースがあるぐらいで、昨年、スペインの〈Analogical Force〉からリリースした『スカーレイジ』(2021)が2013年の『チュード・コーナーズ』以来となる8年ぶりのオリジナル・アルバムだった。
『スカーレイジ』を作ったこと、それからアイスランドでの乗馬が新作を作るうえでの重要な体験となったそうだ。なるほど、たしかにそんなイメージかもしれない。軽快で心地よく、もうこれは“ドリル”ではない。しかしね、実際馬のうえにまたがったりすると、思っている以上に高くて、硬くて、けっこう怖いんだよね。しかし、マイケル・パラディナスは、馬に乗ってアイスランドの大地を駆けていったと。
アイスランドを駆ける馬かぁ……よくわからないけど、猛暑の夕暮れ時にビールを飲みながらそんなことを想いつつこのアルバムを聴いていたら、ほんのちょっと気分が良くなった。世のなかが暗く沈んでいる時期には(ここ日本ではとくにそうだよね)、このとんでもない多幸感はだいぶ場違いな気もするのではあるが、だいたいパラディナスは、昔から少しだけなんかちょっとズレている感じがあったし、そんなところが魅力でもあるので、うん、これはいいんじゃないでしょうか。
1990年代半ばのUKの〈ニンジャ・チューン〉や〈ワープ〉、〈モー・ワックス〉あたりのサウンド、その頃の呼び名でいうトリップホップは基本的にDJ主導によるサンプリング~プログラミング・ミュージックだった。そうしたなかで生演奏やバンド・サウンドからトリップホップにアプローチしていったアーティストも少数派だが存在していて、レッド・スナッパーやフレットレス・アズムことマックス・ブレナンだとか、ジャングル~ドラムンベースにアプローチしていったスクエアプッシャーことトム・ジェンキンソン、ジンプスターことジェイミー・オデルなどが代表的なところだ。こうしたなかには生演奏とプログラミングを巧みに融合させるアーティストもいるわけだが、レッド・スナッパーはアリ・フレンド(ダブル・ベース)、リチャード・ゼア(ドラムス)、デヴィッド・エアーズ(ギター)のトリオによる完全生バンドで、あくまで生演奏に拘ったアーティストだ。
1993年にロンドンで結成されたレッド・スナッパーは、ダブ、ファンク、ジャズ、ブルース・ロック、ポスト・パンク、ニュー・ウェイヴ、ディスコ、アフロなどいろいろな音楽を飲み込んだUKらしい折衷性の高いジャム・バンドで、当時終焉を迎えつつあったアシッド・ジャズからブレイクビーツを軸とするダンス・ミュージックやレイヴ・サウンドの狭間に登場してきた。ザ・ポップ・グループからア・サートゥン・ラシオなどの系譜に位置するバンドと言える。
セイバーズ・オブ・パラダイスの元メンバーらが集まり、リチャード・ゼアもメンバーだったザ・アルーフの運営する〈フロウ・レコーディングス〉からデビューした後、1996年に〈ワープ〉からファースト・アルバム『プリンス・ブリメイ』を発表。トリオ演奏にサックスやフルートのオリー・ムーアを加えた編成で、なかにはヴォーカリストをフィーチャーした曲があるものの基本はインストで、エレキ・ベースではなくダブル・ベースという点も特徴的。ベースの重低音が支えるソリッドなブレイクビーツは、その頃のマシンが作り出すダンス・ビートに馴染んでいた耳にはとても新鮮で、当時は人力トリップホップとも評された。セイバーズ・オブ・パラダイスの『ホーンティッド・ダンスホール』(1994年)、ナイトメアズ・オン・ワックスの『スモーカーズ・ディライト』(1995年)などと並ぶ〈ワープ〉の傑作トリップホップ・アルバムで、いま改めて聴いてもすごく新鮮でカッコいい作品だ。
1998年リリースのセカンド・アルバム『メイキング・ボーンズ』ではシンガーのアリソン・デヴィッドやラッパーのMCデットらのほか、英国ジャズ界の巨匠であるバイロン・ウォーレンとも共演し、2000年秋には彼らの最高傑作とも評されるサード・アルバム『アワ・アイム・イズ・トゥ・サティスファイ』を発表するが、その約1年後の2002年初頭にバンドは解散。長く活動する内にメンバー間で音楽性の相違が生じ、それぞれのソロ活動に移行していくことになる。未発表作品集やリミックス・アルバムなどがリリースされた後、2007年末に約6年ぶりに再結成される。バンドは新たに新メンバーのトム・チャレンジャー(クラリネット)を加えた4人編成となり、復活作となる『ア・ペイル・ブルー・ドット』を2008年に〈ロー・レコーディングス〉からリリース。その後も『キー』(2011年)、『ハイエナ』(2014年)とアルバムをリリースしていくが、バンド活動はどちらかと言えばスロー・ペースだった。そうしたなかでアリ・フレンドとリチャード・ゼアはバイロン・ウォーレンなども交えたナンバーズというニュー・ウェイヴ~ファンク~エクスペリメンタル・ディスコ系のサイド・プロジェクトを起こし、アルバムの『バイナリー』を2020年にリリース。そして、久しぶりに本家のレッド・スナッパーがニュー・アルバムをリリースした。
この新作『エヴリバディ・イズ・サムバディ』は過去3年に渡って東ロンドンのハックニーにあるスタジオでレコーディングしてきた作品をまとめたもので、4人のメンバーのほかにピアノ、キーボード、トロンボーン、サックス、チェロなどのゲスト・ミュージシャンが参加する。ヴォーカリストも数名参加するほか、面白いところではテルミンをフィーチャーした曲もある。“B・プラネット” や “トゥルース” は往年のレッド・スナッパーらしいソリッドなジャズ・ファンク・ナンバーで、“ターザン” はアフロ・サンバ風味が前面に出たディスコ・ナンバー。“ザ・ワープ・アンド・ザ・ウェフト” は ポエトリー・リーディング調のヴォーカルを交えたスモーキーな味わいが正しくトリップホップ的で、サックスを交えた “トラヴィス・ビックル” の演奏はジャズ・ファンクとディスコの中間をいくもの。“デタッチ” の神秘的でアンビエントなテイストはテルミンによるものだ。雑多な音楽性を持ちつつもどの音楽ジャンルにも分類できない、レッド・スナッパーの音楽は本作でも健在である。
かつてスティーヴ・レイシーは自らが目指すソロ・インプロヴィゼーションについて「自己へ向かいつづけること、それが他へ向かってゆきつづけることになるような開かれた行為」と語ったことがある*。内的な探求が外部へと裏返るクラインの壺にも似た奇妙な回路。彼は演奏の際に自らを複数化して捉え、行為のただ中にいる自己と、その行為を客観視する自己の、二つに分裂した「私」が必要なのだとも説明していた。あたかもソロ・インプロヴィゼーションにおいて自分自身をある種の他者と見做して共演しているかのようでもある。語義矛盾に見えるだろうか。しかし今や、こうしたスタンスは、テクノロジーを介してきわめて具体的に実現されるようになった。
2022年6月4日と5日、山口情報芸術センター(YCAM)でドラマー/パーカッショニストの石若駿とYCAMがコラボレートしたパフォーマンス・イベント「Echoes for unknown egos—発現しあう響きたち」が開催された。石若は2019年にもYCAMとコラボレートしており、その際はサウンド・アーティストの細井美裕とともにコンサート・ピース「Sound Mine」を発表。二度目のコラボレーションとなる今回は、YCAMのほか、AI(人工知能)の研究者でクリエイターでもある野原恵祐と小林篤矢らを交え、約1年半にわたって共同研究開発に取り組み、自らの演奏を学習したAIを含む自動演奏楽器との共演を試みた。

一つの起点となったのは2020年に虎ノ門・黒鳥福祉センターで実施した特殊なライヴ・パフォーマンスだった**。このとき石若は12分間の即興演奏を行なった後、その記憶を辿りながらもう一度同じ時間の即興演奏を行い、それら二つの演奏の記録映像を重ね合わせることで擬似的なセッションを構築した。打楽器の弓奏を中心とした「デュオ」は思わぬシンクロニシティと意想外の響き合いを生んだ。それは石若が長年取り組んできたフリー・インプロヴィゼーション主体のソロ・パフォーマンスの新たな展開でもあった。ここで「自分と共演することは可能なのか」というテーマをあらためて見出した彼は、YCAMでの制作において自身の演奏データを抽出し、そのデータにもとづく自動演奏楽器を共同で開発していくことになる。2021年10月から翌2022年5月にかけて都内で計三回の試験的なライヴも実施し、公演直前までシステムは改良され続けていた。
そしてイベント当日。最終的に自動演奏楽器のシステムは大まかに次のようなものとなった。会場はステージ中央にドラムセットが置かれ、その周囲には解体されたドラムセットや音具がインスタレーションのように設置されている。後者はAIが石若を模したリズムを物理的な打音でインタラクティヴに演奏するための装置だ。ステージ奥には一台のピアノがあり、これもAIを用いることでリアルタイムに反応しメロディを生成/演奏する。ドラムセットの脇には抽選器のような形状の「ポンゴ(Pongo)」なるオリジナル打楽器が高々と掲げられている。内部に小さなシンバルやウッドブロック、カウベルなどが固定され、複数の球体を入れて回転させることでガラガラとパーカッシヴな音を発生させる。一定の速度に達すると打楽器音は消えるが心音のようなパルスを発し始める。さらにステージ周辺には複数のシンバルが並べられている。それぞれに磁石とコイル、マイクが取りつけられ、作動することで繊細なフィードバック・ドローンを生むようになっている。またスピーカーから石若が過去に演奏したピアノの音源を断片的に流すというシステムもあり、リアルタイムの演奏パターンをきっかけとしてローファイなサウンドのサンプリング音が響く。以上のように、解体されたドラムセット類、ピアノ、ポンゴ、シンバル、サンプラーと、自動演奏楽器はこれら計五種類の装置=エージェントからなり、個々のエージェントがいつ作動するのかリアルタイムに指令を出すのが「メタエージェント」なる存在だという。
初日のライヴは冒頭でマレット、ブラシ、スティックと持ち替えて様々なリズム・パターンを提示するように約8分のソロを行い、その演奏データを「メタエージェント」が指令を出すための基準値としつつ、石若と自動演奏楽器との約30分にわたるセッションが繰り広げられた。いや、その光景とサウンドはセッションというよりも、石若の身体と記憶をテクノロジーを介して拡張/外部化することによって、いわば増殖した複数の彼が特異なソロ・インプロヴィゼーションを試みているようにも思えた。石若は鋭敏な耳で自動演奏楽器のリズムを聴き取り、それを自らの演奏に取り入れながら発展させ、不定形なリズムを叩き出す。ステージ後方上部のスクリーンには石若を含め作動しているエージェントの数だけ心電図のような線が三次元で走り、周波数と振幅に応じて上下左右に動いていた。加えて作動中のエージェントには照明も当たっており、システムの作動状況は視覚的にも把握し易くなっている。終盤で畳み掛けるようなソロ・ドラムを披露して演奏を終えると、当日の会場内の音響データをもとにした「ヴァーチャル・ポンゴ」がスクリーンに映し出され、4分弱にわたって電子音が流れる。そして会場の外、石若とYCAMがコラボレートした複数のシンバルがフィードバック・ドローンを発するインスタレーション「Echoes for unknown egos with cymbals」が設置されている広々とした空間へ移動。そこでフィードバック・ドローンに囲まれながら、石若はヴィブラフォンの即興演奏を行なった。公演終了後は会場内に戻ると、石若とYCAMのスタッフおよびAI技術者たちを交えて、主に自動演奏楽器のシステムを解説するトークが行われた。

二日目はゲストとしてサックス奏者の松丸契を迎え、同様の流れでライヴ・パフォーマンスを実施。だが拡張されたソロ・パフォーマンスの様相を呈していた初日とはやや趣きが異なっていた。冒頭から緊迫した空気が辺りを包む。共演経験の豊富な二人だけあって、呼吸の合った、しかし予定調和には陥らないインタープレイを約8分間繰り広げると、自動演奏楽器を交えたセッションへ。複数の装置が同時に起動するシーンは初日以上に壮観だ。松丸はサイン波を思わせるロングトーンや微分音を交えた繊細に揺らぐ響き、軋るようなフラジオや鋭い叫び、素早く攻撃的なフレーズまで繰り出す。スピーカーからは石若のピアノではなくドラム演奏と松丸のサックス演奏のサンプリング音源も流れる。過去のデュオ演奏の録音から似た演奏パターンのシーンを抜き出し、そのとき相手が発していた音を流すという、まるで演奏の記憶を呼び起こすかのような仕掛けだ。加えて印象深いのはピアノである。ときにはバグを起こしたようなフレーズを、あるいは現代音楽を彷彿させる調性感の希薄な音の連なりを、はたまたどこか聴き覚えのあるメロディを奏でるのだが、緩やかに落ち着いたセッションの流れを打ち破るように突如としてピアノが切り込むシーンが繰り返し訪れたのだった。きわめつけはラストで、石若と松丸が息を合わせて終着点を見出したかと思いきや、数秒後にピアノが勢いよく鳴り出した。約30秒のフレーズを奏でた後、石若と松丸はしばらく様子を伺い、結果的にはリアクションを起こさずに演奏は終了した。まるで「メタエージェント」が意志を持ち、二人にもっとセッションを続けるよう誘っているかのようでもあった***。

自動演奏楽器は石若にとってアンコントローラブルな他者であると同時に、拡張された彼の一部でもある。機械がまるで意志を持つかのように人間味を帯びるという事態は、第三者として松丸が参加していたからこそより強く感じ取ることができたのだろう——松丸にとって自動演奏楽器は端的に共演相手の他者である側面が大きいからだ。初日と二日目では単に演奏人数が増えたというだけでなく、自動演奏楽器の意味合いそのものが変化していたとも言える。しかしいずれにしても、こうした状況はやはり石若にとってきわめて特殊だったはずだ。果たしてどこまで石若駿の演奏に含まれているのか。たとえ人力で演奏していてもアンコントローラブルで意想外の響きが生じることはある。それと自動演奏楽器が発する音はどのように線引きできるのか。少なくともそこで石若には通常のソロ・パフォーマンスとも複数人でのセッションとも異なる在り方が求められることとなる。
フリー・インプロヴィゼーションの文脈においてAIといえば、有名な事例として1980年代にジョージ・ルイスが開発したリアルタイムに即興演奏を行なうコンピュータ・プログラム「ヴォイジャー」が知られている。だが「ヴォイジャー」はあくまでも他者としての共演相手である****。他方で石若が共演したAIを含む自動演奏楽器は自己と他者が入り混じった存在であった。それはテクノロジーを介することで自らを明示的に分裂させたのだとも、あるいは自己を見つめ直すことが同時に他なるものの探求でもあるような開かれた行為をテクノロジカルに実現したのだとも言える。ただしフリー・インプロヴィゼーションである以上、ゴールがあらかじめ定められているわけではない。その場で価値判断を下していく必要がある。自らをテクノロジカルに複数化することは、むろんそれ自体が目的でも、さらには珍しい響きを生むだけでもなく、全く新たな判断基準を持ち込む必要に迫られることを通じて、即興演奏の価値を創造的に発見し直すことへと向かうはずだ。そのプロセスの大きな一歩を彼らは踏み出した。
* 間章『この旅には終りはない』(柏書房、1992年、46ページ)
** 「Disco 3000 Vol.02_1+2 Layer Shun Ishiwaka extended technique」(企画:SONG X JAZZ/会場:blkswn welfare centre)
https://www.youtube.com/watch?v=LW5xmOa1xAs
*** 二日目は会場外のインスタレーション空間で松丸契がフィードバック・ドローンとともにサックスの即興演奏を行なった。なお通常時のインスタレーションは石若が手がけた複数の楽曲からなるコンポジションをもとにドローンを奏でているが、イベントで石若と松丸がインスタレーションと共演した際は、直前に会場内で行われたパフォーマンスの音響データをもとにドローンを発するようアレンジされていた。
**** ただし共演を通じて自らを見つめ直すことはある。ジョージ・ルイスは「Voyagerは私達自身の創造性と知性はどこにあるのかを問う。それは『どうやって知能を作り出すのか』ではなく『どこに見つけるのか』である」と語っている(dj sniff「消されざる声——ジョージ・ルイス」『別冊ele-king カマシ・ワシントン/UKジャズの逆襲』松村正人+野田努編、ele-king Books、2018年)。
現代におけるフォーク特集となるele-king vol.29のカヴァー・ストーリー、ビッグ・シーフのインタヴューでは「カントリー・ミュージックとコネクションを強く感じるのはどういうポイントか」、エイドリアン・レンカーとバック・ミークのふたりに質問している。回答についてはぜひ誌面を読んでいただきたいのだが、ふたりが懐古趣味に囚われることなく、カントリーの現代人に通じる価値を見出していることは間違いない。そこで自分の頭に浮かんだのは、やはりウィルコの存在だ。ビッグ・シーフが初期にウィルコのフックアップを受けたという事実ももちろんあるが、それ以上にウィルコがカントリーをどのように現代に向けて奏でられるか長年腐心してきたバンドだからである。近年ではラナ・デル・レイのようなポップ・シンガーがカントリーを頼りにしてアメリカの内側に分け入っていくような事態も起きているが、アメリカでは保守的な音楽の代表とされがちだったカントリーの別の側面を長い時間をかけて引き出してきたのが彼らだった。
別の……つまりウィルコの「オルタナティヴな」カントリーの要素は、しかし、代表作『Yankee Hotel Foxtrot』(2001/2002)辺りでは意識的に撹乱されていたようにも思える。90年代のアンクル・テュペロ時代にオルタナティヴ・カントリーという名称で語られすぎたことへの反動もあっただろうし、より実験精神を強調したいとする当時のジェフ・トゥイーディの野心もあっただろう。ジム・オルークによる大胆なミックスによって伝統的なカントリーの様式性はノイズとともに破壊されていた。そこで星条旗は燃やされていたのである(“アメリカ国旗の灰”)。しかしそれから20年が過ぎ、ウィルコはいまこそ12作目のダブル・アルバム『Cruel County』でカントリーに真正面から向き合っている。
アルバム・タイトルの「冷酷なカントリー」はカントリー・ミュージックと国家を示すもので、すなわちウィルコの四半世紀にわたって向き合ってきたもののふたつの太い柱のことである。タイトル・トラックでトゥイーディは「ぼくはぼくの国を愛している/小さな子どものように/赤、白、そして青/ぼくはぼくの国を愛している/愚かで残酷な/赤、白、そして青」と歌い始まる。レイドバックしたギター・サウンド……そこで星条旗は燃えておらず、己のなかの愛国心なるものと憎しみとの間の葛藤を象徴するものとしてはためいている。そしてその曲、“Cruel Country” は「きみがしなければないないのは、合唱団のなかで歌うこと/ぼくと」と繰り返して終わる。われわれ民衆の歌──フォークである。ここでは分化していないものとしてのフォーク/カントリーが立ち上がっていて、このミニマルで端的な語りにはウィルコのひとつの達成を見る思いがする。
全21曲のボリュームのなかの至るところにオーセンティックなカントリーの要素を発見できる本作は、パワーポップなどを取り入れストレートにロック・サウンドに接近した『Summerteeth』(1999)すら遡り、『Being There』(1996)の頃を思い出させるところがある。あるいはアンクル・テュペロ時代をも彷彿とさせる。“A Lifetime to Find” のようなストレートなカントリー・チューンは、ある時期のウィルコなら意図的に避けていたものだろう。ただ、それは単純に回帰的になったという話ではなく、驚くほどシンプルなフォーク/カントリー作だったジェフ・トゥイーディ『WARM』がそうであったように、時間と経験を重ねてきたからこそ(自分たちの/アメリカ音楽の)ルーツの見直しということではないだろうか。本作は約10年ぶりにメンバー全員が集まって一発録りに近いスタイルでレコーディングされたとのことで、20年前に称賛された音響に対する実験的な感性は目立たないものとして溶けこんでいる。バンド演奏のダイレクトな活力、素朴な歌の良さで聴かせるアルバムなのである。いまはたとえば、それこそカントリーとポップとヒップホップをミックスするリル・ナズ・Xもいるし、意図的にカントリー・ルックをコスプレしつつクィア性をドラマティックなカントリー音楽に混ぜて「現代性」を表現するオーヴィル・ペックのようなひとも面白いと自分は思っているが、何のギミックがなくともカントリーの豊かさを現代に向けて解き放てる――というところにまでウィルコは来ている。
これまたシンプルなフォーク/カントリー・ナンバー “Country Song Upside-down”、つまり「逆さまのカントリー・ソング」はきわめて自己言及的なタイトルと思われる。カントリーの音楽的・文化的な遺産の恩恵を受ける一方で政治的・産業的に長く孕んできた保守性に違和感を抱きつつ、そこに別の角度から光を当ててきたウィルコは、伝統的な意味でのカントリーを「逆さま」にしてきた存在だと言える。だが、中年の白人男性6人組でルーツに根差した音楽を奏でることの「古さ」も自覚しているのかもしれない、「ダッド・ロック」などと呼ばれることもある現在のウィルコは本当にシーンの「父」のような存在となり、後続のミュージシャンたちに、あるいは多くの聴き手に、アメリカと向き合うことの葛藤じたいの重さや尊さを受け継いでいる。彼らの豊かな、「アブストラクト・アメリカーナ」で。
最後に少しだけ、冒頭に書いたビッグ・シーフに対する質問の回答を引用しよう。カントリー音楽の研究家でもあるバック・ミークはその魅力のひとつについてこう語っている──「カントリー・ミュージックには何かしらアクセスしやすい面があるよね。こちらをすんなり迎え入れてくれる、というか。ワイルドなアイデアを探究するのに、それはとても安全な場だよ。すごくなじみがあるし、友だちとキャンプファイアを囲むような気がして、安全さを感じ、アット・ホームにくつろげる」。『Cruel Country』もそんなアルバムだ。温かくフレンドリーで、聴いていると冷酷な社会や時代の流れから守られる感覚がする。
2018年に急逝したラッパー/プロデューサーのFEBB。先月幻のサード・アルバムがリリースされているが、このたび2014年のファースト・アルバム『THE SEASON』のカセットテープが発売されることになった。新たにリマスタリングを施し、同時期の “BRAIN” をボーナストラックとして追加。
また、これを機に「THE SEASON 994」のロゴをあしらったジップアップ・パーカーとTシャツも期間限定の完全受注生産にて発売される。なくなる前に要チェックです。
FEBB AS YOUNG MASONが2014年1月にリリースしたファースト・アルバム『THE SEASON』のカセットテープが完全限定プレスの受注生産で発売決定! 同時にジップアップ・パーカーとTシャツも期間限定の完全受注生産で発売となり予約受付が開始!
2018年2月15日に24歳の若さで亡くなったラッパー/プロデューサー、FEBB AS YOUNG MASONが2014年1月にリリースした恐るべきファースト・アルバム『THE SEASON』のカセットテープが完全限定プレスで発売(税抜販売価格:¥2,300)。期間限定の完全受注生産であり、得能直也氏がカセット用に新たにリマスタリング。『THE SEASON - Deluxe』の収録曲に加え、同時期に制作された名曲 “BRAIN” をボーナストラックとして収録。
また「THE SEASON 994」のロゴを用いたジップアップ・パーカー(税抜販売価格:¥8,800)とTシャツ(税抜販売価格:¥3,500)も同時に期間限定の完全受注生産で発売。印象的な「THE SEASON 994」ロゴを左胸に入れ、パーカーは『THE SEASON』のジャケットもバック・プリントとして入れております。パーカーはボディがUnited Athleの10.0ozスウェット、カラーはブラック、ネイビー、グレーの3パターンでS~XXLサイズ。TシャツはボディがCOMFORT COLORSの 6.1oz ガーメントダイTシャツ、カラーはホワイトのみでS~XLサイズになります。

6/21(火)からP-VINE OFFICIAL SHOPのみの完全限定生産での予約受付となり、受注期間は6/30(木)正午まで、発送は8月上~中旬頃を予定しております。またカセットテープにはFEBBステッカーが封入され、パーカーとTシャツには「THE SEASON 994」透明ステッカー(100x70mm)が特典としてつきますのでお買い逃しなく!

*FEBB 『THE SEASON』 ジップアップ・パーカー / 994ロゴTシャツ / カセット販売サイト
https://anywherestore.p-vine.jp/pages/febb-the-season-preorder-fully-limited
*FEBB 『THE SEASON』 カセット / トラックリスト
1. No.Musik Track by Dopey
2. Time 2 Fuck Up Track by E.Blaze
3. Walk On Fire ft. KNZZ Track by Febb
4. Time Is Money Track by QRON-P
5. Hustla / Rapper Track by jjj
6. On U Track by Rhythm Jones
7. This Town Track by Golbysound
8. Deadly Primo
1. The Test Track by Serious Beats
2. PeeP Track by Ski Beatz
3. Season A.K.A Super Villain Track by Febb
4. Another One Track by Febb
5. Step Track by Kid Fresino
6. Navy Bars Track by Dopey
- Bonus Track -
7. Gone * Track by Febb
8. Hard White * Track by Kid Fresino
9. BRAIN*
※収益はFEBBのご遺族に分配しております。
※新型コロナウィルスによる状況によっては、発送期間が大幅に遅れる可能性がございます。あらかじめご了承ください。
※オーダー後のキャンセル・変更は不可となります。
※商品発送は8月上~中旬頃を予定しております。
※配送の日付指定・時間指定は出来ません。
ローレンス・イングリッシュとメルツバウの競演、いや饗宴とでもいうべきか。彼らふたりが初めてコラボレーションしたアルバムがリリースされたのだ。
ローレンス・イングリッシュはオーストラリアの音響作家であり、アンビエント・アーティストでもある。
ソロ・アーティストとしての活動のみならず、フランシスコ・ロペス、デヴィッド・トゥープ、鈴木昭男、ウィリアム・バシンスキーなどレジェンド級のアーティストとのコラボレーション・ワークも充実している。くわえて自身のレーベル〈Room40〉を長年運営し、個性豊かなエクスペリメンタル・アーティストの音源を多くリリースしてきた。
彼のアルバムは数多くリリースされているので、一枚だけを挙げるのは困難だが、本作との関連という意味でならばフィールド・レコーディングに徹した『Viento』(2015)をぜひとも聴いてほしい。荒涼とした環境音に本作との関連を聴き取ることができる。
メルツバウ=秋田昌美についてはもはや言葉を重ねる必要すらないかもしれない。日本のノイズ・ゴッドであり、世界のノイズ・レジェンドである。70年代末期から活動をはじめ、80年代には唯一無二のノイズ世界を鳴らし、90年代にはノイズの世界地図を席巻し、00年代以降も、ノイズの革新と拡張を重ねてきた……。まさに伝説のノイズ・アーティストである。
個人的に猛烈に惹かれているメルツバウのアルバムはノイズの限界突破とでもいうべき『Venereology』(1994)、『Pulse Demon』(1996)、00年代の電子音響期の『Electro Magnetic Unit』(2004)、10年代の長大なアンビエント作品『Merzbient』(2010)などである。また2020年にリリースされた Boris との『2R0I2P0』はロックとノイズの高次元の交錯が実現されていた傑作だ。まるでスプーキー・トゥースとピエール・アンリ『Ceremony』の2020年代版だった。
そんなローレンス・イングリッシュとメルツバウの共作となれば湧き立つのも当然だろうが、正確には初の顔合わせではない。2020年に〈Room40〉からリリースされたシュシュのジェイミー・スチュワートとローレンス・イングリッシュのユニット、ヘキサのアルバム『Achromatic』でローレンス・イングリッシュとメルツバウはコラボレーションしていたのである。
とはいえ本作はローレンスのソロとしての初の公式共演という意味では重要だ。ではどういった作品なのか。アルバム名からもわかるようにどうやらタルコフスキーの『ストーカー』からインスパイアを得たようである。
タルコフスキーと環境録音。タルコフスキーとノイズ。こう書くとその親和性の高さを感じてしまうが、アルバムを聴きはじめると、そんな安易な比較など一気に吹き飛ばされてしまった。
本作は、英国の広大な工場複合施設で録音されたフィールド・レコーディング音響をもとに構築されたアルバムである。その音はまるでSF的な廃墟空間のサウンドのようだ。
秋田自身も「ディストピアSFオペラのサウンドトラックのようだ」と語っているほど。じっさいその深く広大で、荒涼とした音響空間は、深い没入感を与えてくれた。
工場地帯の環境録音でアルバムは幕を開け、次第に、電子ノイズが作品を覆ってくる構成である。まるで暴風のように音響空間と聴覚をノイズが覆ってくるのだ。それは映画的でもあり、物語的でもある。いや物語の廃墟、痕跡のノイズ化とでもいうべきかもしれない。
「廃墟」の音響化のような1曲目 “The Long Dream” からはじまり、4曲目 “Magnetic Traps” あたりから次第にノイズが環境音に侵食をしはじめ、5曲目 “The Golden Sphere” ではSF的といえる光景を音響によって描き出す。
そして静謐な6曲目 “Black Thicket” を経て、アルバムはクライマックスを迎える。嵐の中、工場に鳴り響くノコギリ音のようなサウンドの7曲目 “A Thing, Just Silence” では、まさに「メルツバウ」という「神」が世界にむけて全面降臨するかのように圧倒的なノイズ空間が発生していた。まさに音響の暴風。
このアルバムには、ふたつの才能による、大きなノイズの渦が横溢している。ぜひとも多くの人に聴取/体験していただきたいアルバムだ。
