「PIL」と一致するもの

interview with Rafael Toral - ele-king

 Bandcampに掲載されたラファエル・トラルのプロフィールによると、彼はそのキャリアを通して、‶サウンドのなかの音楽と、音楽を超越したサウンドのあいだを行ったり来たりしている〟という。このポルトガル出身の音楽家は、実験音楽の世界でもう30年以上も極めて重要な存在であり続けているが、目下のところ、昨年のアルバム『Spectral Evolution』をきっかけに再評価の波に乗っている。このアルバムは、トラルの尽きることのない探求心の溢れる実践のさまざまな要素——初期の『Wave Field』(1995)などで聴かれた液化したようなギターの音色や、2004年から2017年に取り組んだ「Space Program」時代に収集した、規則にしばられない自由なDIYの電子楽器の数々など――が融合された、記念碑的な作品なのだ。なかでも、鍵となる構成要素は、伝統的なジャズのハーモニーで、“アイ・ガット・リズム”や“A列車で行こう”の即座に認識可能な(ただし、氷河の形成のごとくゆっくりとした)コード進行が、アルバムに意外な情感の重みを与えている。
『Spectral Evolution』は、3年がかりの骨の折れる緻密な制作プロセスの結果であり、その間トラルは作品の56ものヴァージョンを制作した。アドヴァイスを求めて友人のジム・オルークに聴かせると、感銘を受けたオルークは、長年休止状態にしていた自身のレーベル〈Moikai〉を再始動させ、アルバムを発売するために動き出したのだった。
 2008年以来となる日本ツアーでオルークと石橋英子と共演する前に、トラルはEメールでのやりとりを通じて、音楽家としてのジャズとの関わり、ますます醜くなっていく世界のなかでの美の重要性、そして、『Spectral Evolution』をライヴで演奏した際に経験した‶愛のフィードバック〟について語ってくれた。
 この会話は明確さの保持と長さを考慮して編集されている。

ますます醜くなっている世界において、私たちは美しいもの、広い意味での美しさ、単に綺麗というだけではなく高潔さをそなえたもの、たとえば、誠実さなどから手を離すべきではないんだ。

『Spectral Evolution』についての昨年のトーン・グロウとのインタヴューで、あなたは「このレコードを作るために多くのことを学んで研究し、開拓する必要があった」と語っていました。これについて、もう少し教えていただけますか?

ラファエル・トラル(Rafael Toral、以下RT):まず、このアルバムにはたくさんのジャズ・コードが含まれているんだけど、それらを繋ぎ合わせるためには、自分が何をやっているのかを明確に知らなければならなかった。ひとつの音符が本来あるべき所からずれるだけで、和音が違う色調に変化する仕組みを理解する必要があったんだ。私にはその準備ができていなかったから、正しい形に仕上げるために説得力を持たせて、最終的に美しく仕上げるまでに相当な努力を要した。その過程でジム・オルークに助言を求めたら、彼がリリースを決断してくれたという経緯がある。

あなたとジムとの関係について教えてください。ふだんから、制作途中の作品を共有することはあるのでしょうか? それとも、今回だけが特別だった?

RT:ジムとは1995年頃からの大の仲良しで、最初に出会ったのはシカゴでだった。彼は常に忙し過ぎるぐらいだったから、私のことで煩わせようなんて思ったことはなかったんだ。でも、今回だけは違った。アルバムでやろうとしたことが自分の能力を超えてしまい、私はアレンジやハーモニーのことで苦慮していた。だから背に腹は代えられないと思った。ジムが私よりも音楽の多くの分野で知識が豊富だと知っていたから、友人として音を聴いてほしいと頼んだんだ。

ご自分の能力の限界を突破するのは、あなたの仕事では日常的なことのように思うのですが、このような挑戦を続けるための意欲はどこから得ているのでしょう?

RT:私はただ、自分がすべきことを理解しようと思っているだけかな。自分の力をどこに注ぐべきなのか、やりたいことの中核はどこにあるのか、その時の前向きな動きとは何か、何が言われているのか、そしてそれが私の名を冠してやる価値のあることなのかどうか。多くの場合、それは私が土台から築き上げなければならないもので、約束とヴィジョンを伴うものでもある。私はたとえそれで自分を追い込むことになっても、実行するしか選択肢がないことが多いんだ。もっと言えば、私たちはまだ進化が終わっていないことを忘れがちだけど、人間には進化する義務があると思っているんだよ。

あなたの仕事において、美の役割があるとすれば、それは何ですか?

RT:(考えながら)うーん、役割ではないかもしれないけれど……私は一方では、20世紀の文化に浸って育ってきた。つまり、大雑把にいえば、キュビズムからパンク、セリエリズムからグリッチまで、構造の解体や脱構築、破壊することで忙しかった。私が若い頃には、美しいものを真っ当な芸術として見なすべきではないとする風潮があったんだ。これは当然、ものすごく粗雑な一般論だけど、私はそういった束縛から自分を解放して、美を現代の芸術には不可欠な要素として受け入れる必要があると思った。これは延々と議論することができる話で、要約するのは難しい。もう一方で、美というのは、単なる文化的で美学的な話でもなくて、個人の好みを超えたところにあるものだ。好みと、私たちが目で見て、耳で聴くことへの生物学的、そして神経学的反応には、多くの重複する部分がある。例をあげると、完全5度の響きを美しく感じるのは、実は単純な数学的な比率の3対2の隔たりに基づく音程で、自然な振動現象だ。その振動が人の身体の細胞を共鳴させ、背筋が寒くなるぐらい良い音だと感じると、もう何が起きているのかわからなくなる。美とはそれほど深いところにまで届くんだ。最後にもうひとつ、ますます醜くなっている世界において、私たちは美しいもの、広い意味での美しさ、単に綺麗というだけではなく高潔さをそなえたもの、たとえば、誠実さなどから手を離すべきではないんだ。

ピタゴラスは正しかったというわけですね! この科学的な側面について、深く掘り下げたことはありますか?

RT:私は科学にはあまり入こんでいないかな。科学は文明の柱のひとつではあるけれど、測定できないものや、説明できないことを欠いている側面もある。むしろ私は、頭でそういったことを‶知る〟ことを避けている。私は直感で自分の動きを確認するようにしているんだけど、それは直感が脳よりも身体に根差した知識からくることが多いからだ。そして、何よりもその辺はリスナーが音楽を自分なりに取り込むことができるように、オープンにしておきたい思いがある。

あなたが言及された‶高潔さ〟という資質は、優れた芸術と凡庸な芸術を差別化する要素のひとつでもある気がします。美しさについての考えを再考することになった特定のきっかけはあったのですか?

RT:今日、醜さが飛躍的に増加していることや、文明の衰退……なんかであることはたしかだね。不思議なことに、美を守り続けるのは、生存戦略となりつつあり、精神の健全さを保つための意識的な努力にほかならない。それは、広義に理解された美しさのことだ。たとえば、嘘を広めるよりも、事実を認識する方が美しい。あるいは、対立する世界を結んで、対話を促すような美しさ。それが『Spectral Evolution』の核心なんだ。

『Spectral Evolution』に収録された最終ヴァージョンを制作するのに、それだけの労力がかかっていることを踏まえると、それをライヴで演奏したときの感覚はどのようなものだったのでしょうか?

RT:コンサートは、アルバムから構造的な恩恵を受けているので、非常に隙の無い構成になっていて、ライヴで聴く音の響きは、まるで物理的にサウンドフィールド(音場)に没入しているような感覚になる。ハーモニーの情感的な側面と、振動の物理的な体験が結びつけられているんだ。オーディエンスにとっては、とても強烈な体験になっているようで、たまに「泣きそうになった」と打ち明けてくれる人もいる。私にとって、リスナーを音に引き込むことが重要で、それによって愛のフィードバックが生まれるんだよ。

‶愛のフィードバック〟とは、素晴らしい表現ですね! これはあなたとオーディエンスの関係性についての多くを物語っていると思います。

RT:一部のコンサートでは、その感覚が非常にクリアに感じられるんだ。このアルバムとすべての音は愛を込めて制作され、オーディエンスもまた、愛を込めた聴き方で受け入れてくれ、彼らの積極的な関与と、感情の質がステージに送り返されてくるんだよ。

私は常にオーディエンスを敬愛してきたし、彼らの人生で活用できる何かを提供できることにすごく感謝している。何かを捧げて、それが良い受け取り方をされると、それ自体が自分にまた贈り物として戻ってくるんだ。私はいつも、彼らが自宅を出てチケットを購入し、私が演奏するどんな音をも聴くために時間を費やしてくれることを思うと、それに値するものを提供しなければいけないと、心に誓っている。

あなたのキャリアを通じて、オーディエンスとの関係性は、どのように発展してきたのでしょうか?

RT:私は常にオーディエンスを敬愛してきたし、彼らの人生で活用できる何かを提供できることにすごく感謝している。何かを捧げて、それが良い受け取り方をされると、それ自体が自分にまた贈り物として戻ってくるんだ。私はいつも、彼らが自宅を出てチケットを購入し、私が演奏するどんな音をも聴くために時間を費やしてくれることを思うと、それに値するものを提供しなければいけないと、心に誓っている。

『Spectrum Evolution』をライヴで演奏す際に経験されたという激しい感情的な反応は、
新しいことなのでしょうか? 過去の他のプロジェクトからも同じような反応を引き出したことはありますか?

RT:これは新しい体験なんだ。過去にやってきたことよりもずっと情感のこもった作品だし、ライヴではそれを激しい形で表現しているから。

アーティストのなかには、‶感情的(ルビ:エモーショナル)〟な音楽を、あなたが先ほど美しさについて述べたような、疑いの目で見る人もいると思います。あなたもおっしゃったように、これはあなたにとって新しい領域だと思いますが、どうやってここに辿り着いたのでしょう?

RT:はっきりとした感情を扱うのは、私にとっては新しいことだけど、決して意図的なものではなかった。私としては、感情をオープンにしながらも、抽象性を保つことで、リスナーが自分自身の感情を投影できるようにしたいと考えているんだ。これらのハーモニーには感情が組み込まれていて、そこから逃れることはできないと思う。でも、実は、私はそのサウンド自体により興味があるんだけど。

『Spectral Evolution』のライヴは、パフォーマンスごとにどれほど違うものなのでしょうか?

RT:ライヴ版は、拡張されていて、一部の移行部はよりゆったりとしたテンポで演奏している。当初、このアルバムは、ライヴ演奏をする前提で作ったものではなかった。だから、可能な限りライヴでは多くのギター・パートを実際に演奏し、そのいくつかでは即興している。それでも、全体的にはすごく一貫性を保っているよ。細部のヴァリエーションはあるけどね。会場の響きとPAの設定が決定的な影響を与えるから、毎回良い音にするために、何時間もサウンドチェックに費やしている。

あなたのサウンドチェックにはどういったことが含まれますか? その一連の流れを効率化するためのメソッドをお持ちですか? それとも毎回が新しい挑戦のようなものなのでしょうか?

RT:その両方だね! 良い会場で良いPAシステムがあれば作業は楽になることもあるけど、普通は、課題が見つかるものだ。もちろん順序立ったやり方をしていて、強烈でありながらも人びとを誘い込むような、サラウンドな、コクのある音を作るのを目標にしている。誰かを無理に押すようなサウンドではなく、引き込むような音。支配するのではなく、包み込むようなサウンドをね。会場ごとに全然違うから、綿密なチューニングが必要なんだ。

昨年末にあなたが『The Wire』誌で発表した「Wire Mix」を聴いていたのですが、あれはアルバムの素晴らしい補完物となっていますね。ケニー・バレルは本来、私の好みではないのですが、この文脈では完璧に理に適っています。興味本位でお聞きしますが、あなたと伝統的なジャズとの関係はどのようなものなのでしょうか?

RT:常に軌道上の衛星になったような感覚だね。ものすごく注目しているけど、自分は別の場所に立っているような。以前、フリージャズに影響を受けた私のエレクトロニクスのプロジェクト「Space Program」について、こう言及したことがある。‶音楽以外の、すべてがジャズだ〟と。それとはまったく異なる理由から、同じことが『Spectral Evolution』にも当てはまるんだ。ジャズにおける高い人間性には心からの敬意を抱いている。学ぶべきことも、感じるべきことも多い。(ジャズには)知性と心のための深い層が存在するんだ。

あなたのジャズへの理解と、先ほど挙げていただいたような特徴は、歳を重ねるごとに深まっていると思いますか?

RT:ああ、それは確かだね! 私が15歳だった頃、ジャズは理解できなかったし、興味も持てなかった。たまには良いと思えるものに出会うことはあったけれど、それを理解するための知識や経験がなくて、5年か10年経ってから、ようやくその真価を認められるようになった。それらの意味や価値は、それをどのように採り入れるかによって変化していく。例えば、初めてケニー・バレルを聴いたときには、彼がもっとも刺激的なジャズ・ギタリストだとは思えなかったけど(なんとも二〇世紀らしい考え方だね)、自分が演奏するようになってからは、彼をより尊敬するようになった。

あなたはジャズのギタリストとしての技術を持っていると思いますか?

RT:えーっ? いや、まったく! できるだけ学んで吸収したいと思ってやってはいるけど、それはジャズ・ギタリストを目指してやっていることではないし。私は実際の‶音楽〟ではなく、演奏される音に興味を持っているんだ。

「Space Program」時代には、完全にギターから離れていたのですか?

RT:15年間ギターに触っていなかったね。より多くを要求されるギター文化を受け入れるようになった今、まるで一から始めるような気持ちになる。学ぶべきこと、練習すべきことが多くてハードルも高いから、8歳ぐらいの子どもに戻ったような感じだ。困ったことに、自分はほとんどのギター特有の表現法に興味がないのに、それでも演奏はしたいから、どうやったらいいのかと考え中だ……。

あなたは最近、「Layers」という新作からの抜粋を発表しましたね。それについて何か教えていただけることはありますか?

RT:「Layers」は、持続音が蓄積されて、少しずつ互いを置き換えていくという作品で、調性音楽から無調に変化させながら演奏される。その後、とんでもなく複雑に変化し続けるハーモニクスを生み出す装置に通されるんだ。これは、完全にライヴで演奏するための新作だ。「Layers」は、創作過程としてのパフォーマンスを指向した、単一の作品であるのに対し、『Spectral Evolution』は、作曲における繋がりの広い領域を表している。「Layers」はすでに未来の一部であり、自分が愛することを実践している。未知と対峙するということを。


■ラファエル・トラル公演概要
Scaffold #1

2025.06.26
京都 Club METRO | OPEN 19:00 / START 20:00  
早割¥4,000 ドリンク代別途 [受付期間:5/19 17:00〜5/23 23:59迄]
前売¥5,000 ドリンク代別途
https://www.metro.ne.jp/schedule/250626/

2025.06.28
鳥取 jig theater | OPEN 18:00 / START 19:00  
前売 \ 5,500 (定員80名)
https://x.gd/WLRbt

2025.07.01
渋谷クラブクアトロ| OPEN 18:00 / START 19:00
前売 ¥6,000 ドリンク代別途
https://www.club-quattro.com/shibuya/schedule/detail/?cd=017126
出演者: Rafael Toral / Jim O‘Rourke×石橋英子

お問い合わせ:
京都Club METRO: ticket@metro.ne.jp
鳥取jig theater:mail@jigtheater.com
渋谷クラブクアトロ:03-3477-8750

主催 (Organize):PARCO
制作(Produce):DOiT / CLUB QUATTRO
協力(Cooperation):Club METRO / jig theater

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interview with Rafael Toral

Written by James Hadfield

As Rafael Toral’s Bandcamp profile puts it, he’s spent his career “bouncing between the music within sounds and the sounds beyond music.” The Portuguese musician has been a vital presence in the world of experimental music for over three decades, but he’s currently enjoying a renaissance on the back of last year’s “Spectral Evolution.” A landmark work, the album unites different strands of Toral’s endlessly inquisitive practice: the liquefied guitar tones heard on early releases like “Wave Field” (1995); the menagerie of unruly DIY electronic instruments he assembled during his “Space Program” period, which ran from 2004-2017. The key ingredient is classic jazz harmony, including the instantly recognisable (if glacially slow) chord progressions of “I Got Rhythm” and “Take the ‘A’ Train,” which give the album a surprising emotional heft.
“Spectral Evolution” was the result of a painstaking three-year process, during which Toral produced 56 versions of the piece. When he turned to his friend Jim O’Rourke for advice, the latter was so taken by what he heard, he revived his long-dormant Moikai label in order to release it.
In an email exchange with Toral ahead of his first tour of Japan since 2008 – where he’ll be sharing a bill with O’Rourke and Eiko Ishibashi – the musician discussed his relationship with jazz, the importance of beauty in an increasingly ugly world, and the “feedback of love” he’s experienced while performing “Spectral Evolution” live. The conversation has been edited for clarity and length.

Speaking about “Spectral Evolution” in an interview with Tone Glow last year, you said you “had to learn and study and develop a lot in order to make this record.” Can you expand on this?

Well, the album has lots of jazz chords and to connect these chords together you need to know what you’re doing. I had to understand why and how a single note out of place steers a chord into a different colour. I wasn’t prepared for that, so a lot of work went into having it done correctly, then convincingly, then beautifully. As I was struggling with that, I asked Jim for advice, and that’s how he decided to release it.

Can you tell me about your relationship with Jim? Do you often share your works-in-progress with him, or was this a special case?

Jim and I have been great friends since 1995 or so; we first met in Chicago. He’s always been way too busy, so it doesn’t occur to me to distract him with stuff. But this case was different: I was struggling with the harmonies and arrangements, because the album was beyond my capacities and I knew I didn’t have a choice but to climb up to that bar. I knew Jim has much more knowledge in many fields of music than myself, so I asked him to listen, as a friend.

Reaching beyond your capacities seems to be a regular thing in your work. Where do you find the motivation to keep pushing yourself like this?

Well, I just try to make sense of what I am supposed to do: Where should my energy go, and where is the nexus of what I want to do; what is a positive move in its time, what is being said, and whether it should bear my name. Very often, it turns out to be something I must build from the ground up and it entails a promise, a vision. I don’t really have a choice but to fulfil it, even if that means I’ll be pushing myself. Besides, I guess it’s easy to forget we’re not done with evolution: I think we actually have the obligation to evolve.

What role does beauty have in your work?

[Thinking] Well, maybe not a role, but… on the one hand, I’ve grown up immersed in 20th century culture, which, broadly speaking, was mostly busy with dismantling/deconstructing/destroying structures, from cubism to punk, from serialism to glitch. When I was young, anything that was “beautiful” was not to be considered seriously as legitimate art. This is a very gross generalisation, of course. But I felt I needed to claim freedom from that and embrace beauty as something integral to today’s art. We could discuss this forever – I can’t really put it in a nutshell. On the other hand, beauty is not simply cultural/aesthetic; it goes beyond one’s likes and dislikes. There’s a lot of overlap between preferences and our biological and neurological response to what we see and hear. Like, a perfect fifth sounds great and is beautiful, but it’s an interval from a simple mathematical proportion, 3/2, and is a natural vibrating phenomena that has the cells in your body resonating, and who knows what else is happening, when a sound gives you chills down the spine because it’s so good – beauty does go that deep. And lastly, the world is getting so ugly that we better hold on to what is beautiful – in a broad sense, not just pretty, but anything that contains elevated qualities, like integrity, etc.

Pythagoras was right! Have you delved much into the science of this?

I haven’t gotten into the science much. Science is a pillar of civilisation but also lacks everything it can’t measure and explain. I also try to keep away from “knowing” that sort of thing with my head. I try to validate my movements with intuition, often from a kind of knowledge that pertains more to the body and not so much to the brain. And besides, I always prefer to leave that open, for the listener to have their own way to integrate the music.

I think the elevated qualities you’re talking about are also often what separates great art from the mediocre. Was there any particular impetus that made you reconsider your thoughts about beauty?

Definitely today’s exponential increase of ugliness, the decline of civilisation… holding on to beauty is strangely becoming a survival strategy, a conscious effort towards sanity. And yes, beauty understood broadly. Like, acknowledging facts is beautiful, as opposed to spreading lies. Or the beauty of bringing opposite worlds together and having them talk to each other: That’s what “Spectral Evolution” is all about.

Given how much work was involved in producing the final version of “Spectral Evolution” heard on the album, what’s it been like performing it live?

The concert benefits from the album’s structure, which makes it very solid, and the way it sounds live is like being physically immersed in a sound field. It connects the emotional aspects of harmony with the physical experience of vibration. It seems to be intense for the audience; sometimes people tell me they almost cried. For me, it’s important to draw listeners into the sound and that creates a feedback of love.

“Feedback of love” is a great image – I think it says a lot about the relationship you have with your audience.

In some concerts, it can be felt very clearly. These sounds and this whole album have been made with love and it’s been met with a loving way of listening by the audience, and that engagement, that quality of feeling, beams back to the stage.

How has your relationship with your audience developed over your career?

I’ve always respected the audience very much and I’m grateful for how I’m able to contribute something they use in their lives. When you give something and it’s well received, that receiving is in turn a gift back to you. I always commit myself to deliver something that justifies their getting out of their homes and buying a ticket and spending their time listening to whatever I play.

Are the intense emotional reactions you’ve encountered when performing “Spectral Evolution” something new, or have you elicited similar responses with other projects in the past?

This is new, as it’s much more emotional than anything I’ve done before, and it’s delivered with intensity.

I think there are artists who'd view "emotional" music with the same suspicion you talked about earlier, in relation to beauty. As you said, this is new territory for you, but how did you arrive here?

Dealing with clearer emotions is new to me and is unintentional. I like to keep emotions open and abstract so that the listener can project their own. These harmonies have emotions built-in and it’s almost impossible to escape them. I’m more interested in their sound, however.

How much does “Spectral Evolution” vary from one performance to the next?

The live version is expanded; some transitions take a more relaxed time. The album was not originally conceived to be played live, so I play as many live guitar parts as possible, and a few of those are improvised. But it’s very consistent: The variation is in the details. The room acoustics and the PA configuration have a decisive effect, and that’s why I spend hours of soundcheck making it sound good every time.

What does your soundcheck involve? Have you found any ways to streamline the process, or is it always a challenge?

Both! I mean, sometimes a fine PA in a good venue makes things easier, but it’s usually a challenge. I do have a sequenced method and the goal is to create a surround body of sound that is intense but invites people in. A sound that doesn’t push you, but pulls you instead. A sound that isn’t there to dominate, but to embrace you. Every room is different, so the tuning has to be very precise.

I was listening to the mix you did for The Wire at the end of last year, and it’s a fascinating complement to the album – Kenny Burrell isn't normally my thing, but he makes perfect sense in this context. Out of interest, what’s your relationship like with the jazz tradition?

It’s always been like a satellite in orbit. Totally focused in but standing elsewhere. Once I said about the Space Program (my previous free-jazz inspired project of electronics), “It’s all jazz, except the music.” For entirely different reasons, the same applies to “Spectral Evolution.” I have a lot of admiration for the heightened humanity of jazz. There’s a lot to learn and a lot to feel. Layers of depth for the mind and heart.

Do you think your appreciation of jazz, and the qualities you mentioned, has deepened as you get older?

Oh yes, indeed! When I was 15, jazz just didn’t make sense to me and I didn’t have any interest in it. Sometimes, I’d come across something that I could acknowledge was good but I didn’t have the references or experience to process it, eventually becoming able to appreciate it only 5 or 10 years later. The meanings and values change with respect to how you integrate them. For example, when I first heard Kenny Burrell, I thought he wasn’t the most exciting jazz guitarist (there goes the typical 20th-century thinking). But when I started playing, now I’ve come to respect him a lot more.

Do you have jazz chops as a guitarist?

Gosh, no! I do try to learn and absorb everything I can, but it’s definitely not towards becoming a jazz guitarist. I’m interested in the sound of the guitar as it’s played, more than the actual “music”.

Did you completely step away from the guitar during your Space Program period?

I didn’t touch a guitar for 15 years. As I’ve embraced a much more demanding guitar culture, I feel like starting from scratch. There’s so much to learn and practice, because the stakes are so much higher, so it’s almost like I’m 8 years old or so. To make it more difficult, I find myself uninterested in most guitar idioms, but I still want to play – so I’m figuring out what…

You recently released an extract of a new piece called “Layers.” What can you tell me about it?

“Layers” is an accumulation of sustained notes, gradually replacing themselves, played with varying degrees of tonal intention. Then it goes through some gear that brings out incredibly complex and shifting harmonics. It’s a new piece to be played fully live. “Layers” is just one specific thing, more simple and completely oriented to performance as a creative process, as opposed to “Spectral Evolution” which is a broad field of connections in composition. “Layers” is already part of the future and doing what I love: engaging with the unknown.

dublab.jp - ele-king

 1999年にLAで立ち上がった非営利インターネット・ラジオ局のdublab。2012年にその日本支部として発足したのがdublab.jpだ。LAと深い関わりをもつ彼らが、今年1月に発生した当地の大規模な山火事被災者たちの支援を目的として、チャリティ・コンピレーション・アルバムをリリースする。

 その『dublab.jp presents A Charity Compilation in Aid of the 2025 LA Wildfires -resilience-』は計38曲ものトラックをフィーチャー。岡田拓郎、食品まつり a.k.a. FoodmanやBUSHMIND、Daisuke Tanabe、Albino Sound & Daigos (D.A.N)、SUGAI KEN、優河、Ramza×hotaru、TAMTAM、嶺川貴子、白石隆之などなど、おもに日本の有志たちによる楽曲が収録されている(カール・ストーンも参加)。収益は全額、被災者に寄付されます。この試みが少しでもLAのアーティストやDJ、被害に見舞われた人びとの助けとならんことを願って。

https://dublabjp.bandcamp.com/album/a-charity-compilation-in-aid-of-the-2025-la-wildfires-resilience

Artist : V.A.
Title:dublab.jp presents A Charity Compilation in Aid of the 2025 LA Wildfires -resilience-
Release Date:2025.6.7(予定)
Label : dublab.jp
Format : Digital
Buy : https://dublab.jp/show/resilience/
Tracklist:

1. BLUEVALLEY: own -minimal mix-
2. BUSHMIND: Sunbright
3. Carl Stone: The Fiery Crab
4. Daisuke Tanabe: for the twin (masutomi edition)
5. Dekai Fune|でかい船: K0
6. DJ Dreamboy: Beyond A Dream
7. DJ Pigeon: Echo Chamber Recovery
8. "Dungeoneering -Albino Sound&Daigos(D.A.N)- “: Hua Jiao
9. Endurance: Jonesy
10. Final Drop: ASAKURU
11. Foodman|食品祭り: sunflower
12. Fujimoto Tetsuro: Akashi
13. Kankyo (Yu Arauchi + Hiroki Chiba)|王睘 土竟(荒内佑 + 千葉広樹): Yuku
14. Leakman: When I was 8、I drank orange juice、in LA
15. mamekx: UTOPIA
16. methodd: Adaptive Radiation
17. Metome: Toucan
18. Ramza×hotaru: kagashima,kodomo mikoshi#3
19. RGL: Echoes for the West
20. RLP: Memories
21. Sakura Tsuruta: MB
22. Shöka: Polaris
23. SUGAI KEN: れじりえんす
24. SUISHOU NO FUNE. |水晶の舟: Cherry Appears in a Dream|夢に現れた"チェリー
25. SUNNOVA: 救
26. suzuki keita: contingency
27. Suzuki-33rpm-Masao|鈴木33回転正夫: Yattokame Biscuit
28. Takako Minekawa|嶺川貴子: みんなへ
29. Takayuki Shiraishi|白石隆之: Kōsen-ga
30. Takuro Okada, Aska Mori, Kazuhiko Masumura: Valley
31. TAMTAM|花を一輪 - Hana Wo Ichirin
32. TARO NOHARA: AIR
33. Tidal: Nagi
34. YAMAAN: LAKE
35. yohei: Home For Now
36. Yoshio Ojima & Satsuki Shibano: Germinatio
37. Yosi Horikawa: Second hand
38. Yuga. |優河: 愛を Session at the Hut

Compile and Produce: Yuki Tamai, Hi-Ray, mamekx
Mastering: AZZURRO
Production Management: Yusuke Ono
Advisory: Masaaki Hara
PR Support: Kunihiro Miki
Design: Kohei Nakazawa

2025年1月7日、ロサンゼルスを襲った広範囲かつ長期にわたる山火事は、多くの住民の生活を一変させました。
家を失い、大切なものを奪われた人々の中には、我々のdublabの仲間であるアーティストやDJたちも含まれています。

あれから5ヶ月が経とうとしている現在、日本国内はもちろん、現地でも報道されることは少なくなっていますが、被災者たちの困難な状況は今なお続いています。

それでも、ロサンゼルスのコミュニティは力強く結束し、復興に向けたさまざまな活動を行っています。特にdublabを中心とした音楽コミュニティは、支え合いながら歩みを進めています。

インフラの完全な復旧には莫大な資金と、長期的な支援が必要です。
災害復興は短距離走ではなく、マラソンであるとも例えられます。私たちは今こそ、音楽を通じた持続的なサポートのかたちを考えるべき時だと感じています。

そして、その一環として、私たちはチャリティ・コンピレーションアルバムを制作しました。
このアルバムには、ロサンゼルスの音楽文化に影響を受けてきた日本のクリエイターたちが、リスペクトと共感を込めて参加しています。

驚くほど幅広いサウンドが詰まったこの作品は、ロサンゼルスの多様で豊かな音楽文化そのものであるといえ、その文化に敬意を表し、それを今に繋いでいるコミュニティを、音楽を通して支援していただければ幸いです。

本アルバムの収益は全額、ロサンゼルスのdublabを通じて被災者へ寄付されます。

*ENG

On January 7, 2025, a widespread and prolonged wildfire struck Los Angeles, drastically changing the lives of many residents. Among those who lost their homes and cherished possessions were artists and DJs who are part of our dublab community.

Nearly five months have passed since the disaster. While media coverage has declined both in Japan and locally, the affected individuals continue to face challenging circumstances.

Still, the Los Angeles community remains resilient and united, actively engaging in various recovery efforts. In particular, the music community centered around dublab is moving forward by supporting one another.

Full restoration of infrastructure will require substantial funding and long-term assistance. Disaster recovery is often likened not to a sprint, but to a marathon. We believe now is the time to consider sustainable forms of support through music.

As part of that effort, we have created a charity compilation album. This album features Japanese creators who have been influenced by Los Angeles’ musical culture, participating with deep respect and solidarity.

Packed with an astonishingly wide range of sounds, this project embodies the diverse and rich musical culture of Los Angeles. We hope that through music, you can help support the community that honors and continues this cultural legacy.

All proceeds from this album will be donated to the victims of the wildfire through dublab in Los Angeles.

eat-girls - ele-king

 「それってたんにおまえの好みだろ」と言われてしまわないためにも、これからイート・ガールズがいかに素晴らしいかを説明しなければならない。自分で言うのもなんだが、ぼくはイート・ガールズをかなり気に入っている。そのアルバムは、以下のバンドが好きな人には必聴である。ザ・レインコーツのセカンド、ダブをやったときのザ・スリッツ、アント・サリー、ポカホーンテッド、スティル・ハウス・プランツ……ハルモニアやクラスター的なエレクトロニックなアプローチも見受けられるが、しかし上記のどれとも違っている。ただ、発売レーベルがドイツの〈ビューロー・B〉(クラスターなどのリリースで知られる)は偶然ではない。さあ、説明するぞ。

 イート・ガールズが良い理由、そのひとつはすぐに言える。『アレア・シレンツィオ』とは、優れたポスト・パンク再評価である。既述したザ・レインコーツのセカンド(1981年の『オディシェイプ』)は、コーラジュやダブを応用した当時としては実験作だった。ヴァース/コーラスというポップソングの慣習的な構造を解体したという点で、その後のポスト・パンクに多大な影響を与えた『アンノウン・プレジャー』や『メタル・ボックス』といったインパクトとは別のアプローチによってサウンドの冒険を具現化したアルバムである。いまでこそ評価されているが、リアルタイムでJDやPILと同じように大絶賛されたかと言えば違った。ザ・スリッツのよりダビーな作品は、エイドリアン・シャーウッドがリミックスした“マン・ネクスト・ドア”(1980)だが、これもまた両雄たちのような賛辞があったわけではない。この路線の同胞には、最初期のスクリッティ・ポリッティの“スカンク・ブロック・ボローニャ”(1978)がある。
 これらポスト・パンクにおけるミニマリズムとダブの密約めいた神秘的な音響工作は、当時のほんの一瞬のカルトに留まり、ザ・レインコーツもスクリッティ・ポリッティもそれを続けて発展させようとはしなかった。イート・ガールズは、1980年あたりのUKポスト・パンクがわずかに試み、忘れられたそうしたダブの応用(On-Uのインダストリアル路線でもジャマイカ路線でもない)を引っ張り出して、それがまだ拡張可能なスタイルであることを証明している。チープなドラムマシン、反復するベースライン、モノトニーなヴォーカリゼーション、冷たいギターという、言うなればポスト・パンクの常套手段を踏襲し、自分たちのサウンドを模索することは決して安易ではないが、それを具現化しているのがイート・ガールズのデビュー・アルバム『アレア・シレンツィオ』なのだ。

 ザ・レインコーツは方向転換したがうまくいかずバンドは消滅し、スクリッティ・ポリッティは態度を反転させ、その数年後にはコマーシャル路線へと突進した。これが意味することは、ポスト・パンクにおける音響実験が数年後、いかに袋小路に陥っていたかという話だ。サウンドを更新したことが新しいリスナーを増やすことには繋がるとは限らない。伝統的なヴァース/コーラス形式を好むリスナーがその当時も多かったことは、インディ・ロックの興隆やポール・ウェラーのような人の音楽が人気だったことを鑑みればあきらかだ。しかし、21世紀の現在、スティル・ハウス・プランツやイート・ガールズのようなバンドは、すでに終わったその頃の実験を完全に甦生させている。

 イート・ガールズは、フランスのリヨンで暮らすアリサとエミリで2021年に始動し、アルバムはマクサンスが加入した三人で制作された。スティル・ハウス・プランツよりもキャリアは短いが、本人たちいわく「昆虫学者の忍耐力をもって」ここに到達したそうだ。少なくとも「アシッド・トラックス」のように遊んでいたら偶然生まれたものではないことはたしかだ。そのサウンドはアトモスフェリックで抑揚がないとはいえソングライティングにはメロディがある。ここではエレクトロニックの要素も重要だが、三人いっしょに歌っている感じも良いし、ザ・レインコーツ直系とも言える飾り気のなさ、普段着なのも良い。無理してセクシャリティを見せつけることもないしがんばって人目をひくヴィジュアルをしたためることもない
 そして冒頭の “On A Crooked Swing” から全開の気怠さ……どんな競争や狂騒からも滑り落ちていくような感覚がたまらない。バンドはそれを没入感有するサウンドに仕立てているわけだが、 なかでも“Canine”という曲が白眉だ。「あなたが私に電話したので、私は恐くなって地下鉄のレールの上に落としてしまった/パンケーキが焼ける匂いのなかで愛し合ったのがまるで昨日のよう/いや、違う。私は誰も愛していない」
 英語で歌っている曲が多いが、スペイン語のパンク・ダンス・ソングで、マラリア!を彷彿させる “Para los Pies Cansados(疲れた足のために)” なんていう威勢の良い曲もある。
 アルバム名はイタリア語で、その意味は「静かなエリア」。ヤング・マーブル・ジャイアンツ風の静寂は、アルバムの多くに、こと“earthcore”なる曲に受け継がれている。それは眠たい目をこすりながらパジャマのまま世界を眺める不快感にも似ているが、“Trauschaft”なる曲の荒削りの疾走感でアルバムが締めくくられるとき、リスナーは自分の世界が少しだけ、でも確実に広がった気持ちを抱くだろう。

aya - ele-king

 aya——2021年年末のデビュー・アルバム『im hole』のインパクトがいまだに忘れられない人も多いでしょう。そこで、嬉しいニュース。待望のayaのセカンド・アルバム『hexed!』が出るのですが、これ、期待にじゅうぶんに応えている。2025年、動き出しています……

 以下、レーベル資料から

 『hexed!』は——ayaのセカンド・アルバムは依存の絶望と崩壊に真正面から向き合う。内面化された恐怖症や抑圧されたトラウマが、かつて2021年の『im hole』でロマンティックに描かれた廊下や“ゴールデンアワー”をさまよう。夜通しのアフター巡りやキー・バッグの輪の中に隠された白昼の悪夢。『hexed!』とは、ayaがその明かりを灯したときに起こるすべてのこ。。
 私たちは早朝からクラブに押し寄せ、最初のシングル「off to the ESSO」をリリースした。ラップの歌詞は、チューブラインやライフラインを包み込む弾力性のあるもので、蛇行するベースの揺れはドラッグ中毒者の欲望の道を切り開く。全盛期のHatebreedがKevin Martinのミキサーにかけられ、ハードダンスフロアへと召喚されたサークルピット。クィアな献身の甘やかな果実——「リンゴを半分に切って / 交互にかじりながら午後を過ごす」——はゆっくりと腐りゆく。互いの“sic(病)”を育みながら、自傷のサイクルに絡み合うカップル。“peach”はBDSMコアであり、マルキ・ド・サド装置としてのayaは、プログラムされた鞭で主人と奴隷の二元論を斜めに叩く。一方で彼女は痰を絡ませながら呟く“navel gazer”。鼻から漏れるephlegmera(痰とエフェメラ)、皮肉たっぷりのワードプレイ、そして過渡期以前の過去が、濃縮されたBASSの魔法釜のなかで煮えたぎる。
 “heat death”は静的/静止の黒ミサで、その熱狂的なパニック発作は崇高なものとの交わりを引き起こす。それは“hexed!”と“The Petard is my Hoister”においてフーガのようなノイズを伴いながらドローンの不協和音として響き渡る————まるでPortalやKralliceを生み出した虚無が吐き出したかのように。パルサーの爆発を呼び寄せ、重厚なブラスを打ち鳴らすayaは、暗黒の玉座にまたがっている。ガシャガシャと鳴る打楽器、錆びついた軋み、闇の中の囁き——“droplets”は、まるで95〜99年のSlipknotを息苦しいTotal Freedomのエディットに押し込めたようなものだ。敗血症を患ったIncubusが巣食うこのニューメタルの物語は、かゆみを伴い、煮えたぎり、膿み、息づいている。ayaが再訪するのはヨークシャーの村で迎えた悲しい11月、あの10代の記憶だ。
 反抗的なDeftonesのメロディが解放へと導く。それは、エンジェルダストの注射のように、彼女の“vaynes”から毒の泥を洗い流していく。引き裂かれる喉が叫ぶ“Time at the Bar”ではBABYMETAL的な「カワイイ」が交差する。(sl)ayaは、郊外の退屈な2.4人家族的均質性に呪いの乾杯を捧げながら、ジェットコースターのようなJoey Jordisonのドラムソロ、SOPHIEのウォータースライド、テク・ガバ・グラインドのドッジム(バンパーカー)の pileup、そしてトリルを響かせるArca-deゲームの中を駆け巡る。彼女は、捨て去られた自分の亡霊たちの首を掲げ、金属的すぎるブラストビート/ブレイクビートの左手の小道へと分岐する——

aya
hexed!

Hyperdub – March 28, 2025
HDBDLP069 – LP / Digital

 いや、だから「インディ・ロック」というものはだね、そもそもは……えー、そもそもは……そもそもはあれですよ、あれ、……そう、「あれ」で通じるよね、いまとなっては。だからここでは自省を込めて、あらためて「インディ・ロック」というものがそもそもなんだったのかを振り返ってみたい。なにぶん私奴は「ポスト・パンク」から「インディ・ロック」の時代、70年代末から80年代なかばのUKの自主制作によるアンダーグラウンドな音楽にけっこう漬かってもいたので当時のことは憶えている。「インディ・ロック」とは、単純なところでは1980年代の英国のインディペンデント・レーベルに所属するギター・バンドのことを意味していたが、文脈というものがあったし、文脈こそが重要だった。そこには、固有の繊細さ、固有の美意識、そして希望を秘めた敗北感という興味深いパラドックスがあった。〈サン〉や〈モータウン〉をインディーズとは呼ばないように、独立系レーベルの音楽というだけの定義ではないのだ。

 かつてキース・レヴィンは言った。「自分がロックンロールをどれほど嫌悪していたのかわからなかったけれど、その感情はPiLの動機の一部だった」
 パンクが成し遂げられなかったロックの古い伝統との断絶を実行するか、ロックを別の何かに書き換えるか、とにかくサウンドの可能性を重視しながら、メインストリームや業界とは距離を持って、わざわざ首都に出向くことなく、地元にいながらにして自分たちの創造的な活動を実行したのが、1979年以降の「ポスト・パンク」だった。その基盤となったのは〈ラフ・トレード〉や〈ファクトリー〉のようなインディペンデント・レーベルで、当時こうした自主制作の音楽を聴くことは、メジャーにはないただ変わった音楽を聴くこと以上の新しい体験で、最近の例で言うなら最初にヴェイパーウェイヴを聴いたときのような、少し昔の話で言えば最初にシカゴ・ハウスを聴いたときのような、ちょっとやばいものに手を出してしまったんじゃないかとハラハラするようなあの感覚だ。ザ・レインコーツやザ・スリッツやザ・ポップ・グループの7インチなんて、もう、とにかくミステリアスで、そこから漂うのは、ラジオから流れるアバやYMOのポップ・ヒット、ロッド・スチュワートやクイーンが何万もの人間に向けて歌う音楽とはあきらかに異質の、ある特定の文化圏を拒絶する、前向きな閉鎖性と呼べるような気配だった。八方美人ではないからこそ生まれる強度、それが思春期特有の自意識とばっちり重なっただけの話でないのは、ポスト・パンクが変えた文化がその後どのように発展していったのかを歴史的に振り返ればわかる。ディスコがその後のポップ・ミュージックのあり方を永遠に変えてしまったように、ポスト・パンクはこの文化の新しい未来像を描いた地殻変動だった。

 ポスト・パンク以降の新しい文化土壌──DIY主義、地方主義、意図的に主流から外れることで得られる自由などなど──こうした文脈から生まれのが「インディ・ロック」だった。「インディ・ロック」におけるもっとも重要な始祖を挙げるなら、何よりもまず、グラスゴーの〈ポストカード〉という1979年に始動したレーベルを拠点に登場したオレンジ・ジュースになるだろう。ほかには、ロンドンではサブウェイ・セクトやテレヴィジョン・パーソナリティーズほか。そしてもうひとつ重要な「インディ・ロック」はマンチェスターで生まれている。オレンジ・ジュースのファンだった(*1)ジョニー・マーがスティーヴン・モリッシーを誘って結成したバンド、ザ・スミスだ。
 これらのバンドに共通するのは、ロックのフォーマットに忠実で、ポスト・パンクが腐心したサウンドの変革よりもポップであることを優先させたところにある。彼らのように過去のポップス(シャングリラスからバーズ、ヴェルヴェッツなど)からの影響をつつみ隠さず取り入れるなんてことは、ポスト・パンクにはなかった。ジーザス・アンド・メリー・チェインのフィードバック・ノイズの背後から60年代ポップスの引用を聴き取れたとしても、ワイヤーのなかにロネッツやビーチ・ボーイズを見つけることなど絶対にあり得ない。
 ディスコやソウルが注がれたオレンジ・ジュースのギター・サウンドは荒削りだが力強く、そして何よりも当時としては新鮮なくらいにロマンティックだった。敗北感にみちた歌詞を歌うザ・スミスにはジャングリーな(きらきらした)ギターと陶酔感をもった旋律があった。サウンドだけ見れば、ポスト・パンクの革新性から後退したように思えるかもしれないが、DIY精神と前向きな閉鎖性は継承されているし、図書館に通うような学生にも突き刺さる言葉があった。もうひとつのポイントは、ザ・スミスが当初プロモーション・ヴィデオを作らなかったこと、多くのバンドが初期のニュー・オーダーのように自分たちの顔写真をジャケットに載せなかったことだ。
 初期のインディ・ロック・バンド界隈が活気づいた1980年代半ばのポップ・ミュージックの世界はMTV時代の真っ直中で、メジャー・レーベルでは新作を出すたびに不特定多数の人目を惹くための凝ったPVが作られていた。マドンナ、プリンス、マイケル・ジャクソンのようなポップ・モンスターばかりでなく、ピーター・ゲイブリルからカジャグーグーのような落ちぶれたニューウェイヴまで、手の込んだPVを使ってその凡庸な曲をチャートに載せていた。「インディ・ロック」はこうしたやり方も拒絶した。この姿勢は、「セレブになるために音楽をやった」と敢えて堂々と言うことを選んだマドンナのアプローチとは真っ向から対立する。「インディ・ロック」はたくさんのポップ・ソングの名作を作ったけれど、フィル・コリンズのそれとは違う何かであった。
 「インディ・ロック」は、アメリカでは「オルタナティヴ」という言葉に翻訳されるが、意味を考えればこれは妥当な言い換えである。たしかにそれはオルタナティヴな、しかしアヴァンギャルドでもエクスペリメンタルでもないポップ・シーンだったのだから(*2)。1986年に『NME』は、ザ・スミス以降における「インディ・ロック」の広がりを『C86』という、いまとなっては時代の分水嶺を象徴するカセットにまとめた。ここにはプライマル・スクリームやザ・パステルズをはじめとする22組のバンドの音源が収録されている。
  初期の「インディ・ロック」にはそれなりに強い信念はあったと思うが、オレンジ・ジュースの1982年のデビュー・アルバムはメジャー・レーベルからのリリースだった。厳密に言えばその時点でインディ・ロックではないし、『C86』に参加した多くのバンドもそうだった。つまりインディ・ロックという枠組みは早くも揺れたわけだが、オレンジ・ジュースはインディ・ロックであり続けた。バンドにとってもファンにとっても、インディペンデント・レーベルに所属していること以上に、ポスト・パンク以降の流れを汲んでいたかどうかがその定義により大きく影響していたからだろう。ファンション面から見みても、当時のインディ・キッズが高価なブランドものを着ることはあり得なかった。男女ともにドレスダウン志向で、ビート族のようにアンチ・エレガント、古着や軍の払い下げ(*3)を工夫して着ることのほうが、キャサリン・ハムネットがデザインしたワム!のTシャツよりも格好いいという自負があった。周知のように服に対するこうしたアプローチをアメリカで受け継いだのがグランジやライオット・ガール(あるいはオルタナ・カントリー)だ。

 ところで80年代には、「インディ・ロック」と並走して、もうひとつの閉鎖的な一群が存在した。「ゴス」である。スージー・アンド・ザ・バンシーズやジョイ・ディヴィジョン、マガジンを起点としながら、キュアー、バウハウス、キリング・ジョーク……(ほか多数)、USからはリディア・ランチにザ・クランプス、オーストラリアからはバースデー・パーティー……これらアドロジニアスで黒装束の社会不適合者たちによる秘密めいた集会もまた、ポール・マッカートニーやビリー・ジョエルの歌のように誰に対しても開かれてはいなかった。こうした「インディ・ロック」や「ゴス」──日本では「根暗なニューウェイヴ」などと嘲笑された音楽が、いやー、ぼくは大好きだったなぁ。

 2000年代はポップ界の大物たち、たとえばコールドプレイがリアーナと、カニエ・ウェストがケイティ・ペリーと、ニッキ・ミナージュが誰それと……といった具合になんだかやたらと交流するようになった。それが常態化し、たいして話題にもならなくなってくると、10年代はカニエ作品にボン・イヴェール、ビヨンセ作品にジェイムス・ブレイク・ソランジュにパンダ・ベアとか、大物と元インディの交流がはじまった。話題作りのためではなく、互いにリスペクトあっての交流だとは思うけれど、どれほど意味のあることだったのかは議論の余地がある。あの時代、ベン・ワットの作品にロバート・ワイアットが参加することはあっても、モリッシーやビリー・ブラッグがスプリングスティーンのアルバムに参加することなど500%考えられなかった。だいたいインディーズはメジャー・レーベルへの対抗意識を露わにしていたし、自分たちのほうが数段格好いいと思っていた。ポップ・ミュージック・シーン全体から見れば、これは良き対抗意識で、良き緊張関係にあったと言えるんじゃないだろうか。そう、誰かが言ったように、「逆張りなくして進歩はない」のだ。

 かのデイヴィッド・ボウイが「バイセクシャルと言ったのは人生最大の失敗」と、70年代の偉業を自ら突き放したのが1983年──ボウイが保守的なポップスへの迎合を果たした『レッツ・ダンス』の年──だった。その前の年にオレンジ・ジュースがデビュー・アルバムを発表し、84年にザ・スミスが “ヘヴン・ノウズ”を歌っている。「仕事を探して、やっとこさ仕事を見つけたけれど、天もご存じ、ぼくは惨めだ。ぼくが生きているか死んでいるかなど気にしないような連中のために、何故ぼくは自分の時間を割いているのだろう?」。こういうキラーなフレーズは、インディの世界からしか生まれなかった。
 80年代の「インディ・ロック」は、70年代末の「ポスト・パンク」の流れをもって、自分たちのリスナー像が見えていた。もちろんフィル・コリンズだってひとりバーで佇む傷心のオヤジに向けて歌っていたのだろうし、スプリングスティーンが汗水ながす労働者階級に向けて歌っていたのは言うまでもない。しかし80年代「インディ・ロック」の焦点はもっと絞られていたし、メインストリームでは歌われないであろう題材(政治的なものからあいつやあの娘のほんとうの感情)に意識的で、それが等身大であることの強みだった。

 あの時代の「インディ・ロック」の功績はここでは書ききれないほど大きい。ボサノヴァを取り入れたペイル・ファウンテンズやEBTG、暗い雨の夜からはエコー・アンド・ザ・バニーメン、誰よりもドラッグについての曲を書いたスペースメン3、不本意ながらシューゲイザーと括られるマイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、エーテル系の始祖コクトー・ツインズのようなバンドは、ポスト・パンクからインディーズへと展開した1980年代のアンダーグラウンド・シーンから出てきている。さらにまた、80年代末のレイヴ・カルチャーに集合した主要成分が元インディーズや元ゴスだったことを思えば、閉鎖性を持つことは次なる大爆発へのプロセスだったと言える。
  あるいは、こんな考えもできるだろう。1980年代〜90年代のデトロイトのテクノ・シーンは、UKの86年型インディーズの黒人版のようだ。じっさいこの世代のデトロイト・ブラックは、80年代の欧州ニューウェイヴが大好きだったし(*4)、ハリウッドに魂を売ったモータウンに対する複雑な感情のみならず、オリジナルUKインディーズのようにメインストリーム(ジミー・ジャムとテリー・ルイス──デトロイト・テクノがプリンスを愛したことを思えば皮肉な話だが──みたいな爽快なR&B)への対抗意識をあきらかに持っていた。メッセージ・トゥ・メジャーズ。あの時代のあの閉鎖性、あの特権意識、自分たちの美意識に関するあの自信が、まったく違う国の違う人種における未来の音楽の活力の醸成にひと役買ったとしたら、それはやはり、逆説的に開かれていたということなのだ。 “モダン・ラヴ” や“イントゥ・ザ・グルーヴ”がどれほど売れようと、こうした変革力に与していない。(*5)

 昨年ある人物から日本の有望な若手グループについて説明を受けたとき、その人は、「彼らが良いのは、自分たちがやっているのは “J-POP” だと主張しているところなんですよ!」と語気を強めた。これがぼくには、「彼らはインディよりもメインストリームを格好いいと思っているんですよ!」に聞こえた。いや、ぼくはその価値観に賛同はしないが尊重はするし、そういう考えのほうが日本では共感されやすいことも理解している。ただぼくは、バンド/ミュージシャンのキャリアをインディーズ時代/メジャー・デビュー以降という風に分ける日本の価値基準にはかねてからずっと違和感を覚えている。だってこれがいかにナンセンスであるかは、たとえば80年代のニュー・オーダーの功績、あるいはR.E.M.のインディーズ時代の作品を鑑みても瞭然でしょう。
 まあ、R.E.M.もいまとなってはレディオヘッドやコールドプレイらと肩を並べるダッド・ロック・バンドの代表格であって86年インディーズの価値観とはだいぶ遠いのだが……。が、しかしその86 型の理想とて霧散したのもあっという間の話で(その後のモリッシーに関しては……いまここでは省略です)、よって残されたのはそのサウンド、そのスタイルだけ──まあ、それはそれでじゅうぶんな恩恵ではある。かつてのインディーズのもうひとつのトレードマーク、主にジョイ・ディヴィジョンやザ・スミスがまき散らした内省的なメランコリーや倦怠感も90年代には時代遅れになったが、それでもこのフィーリングはしぶとくも90年代前半のブリストルのトリップホップやアンドリュー・ウェザオールにといったロック以外のところで受け継がれていった(あるいは、シアトルのニルヴァーナへと)。
 さらに輪をかけて今日では、既述したように「インディ・ロック」というターム自体はますます意味不明になっている。ギター・バンドであれば何でも「インディ・ロック」になっているし、かくいう私奴もかなりいい加減に使ってしまっている。まあ、それでなんとなく伝わることもあるのだろうし、アニマル・コレクティヴをインディ・ロックと呼んでも、もう、さほどの違和感はない。が、しかしぼくはある日突然、何故かわからないのだが、これはやはり、その源流に関しては、はっきりさせておきたいと思ってしまった。

 以上、ぼくと同世代人には「何をいまさら」という話であります。幸か不幸か現代の音楽リスニングでは古いものと新しいものとの境界線がますますなくなって、古くてもそれがその人にとって新しい衝撃になる機会は1980年代よりも確実に多くある(ぼく自身もそうです。サン・ラーやPファンクやアーサー・ラッセル他多数、過去の音楽に感動している)。というわけで、ザ・フォール、ニュー・オーダー、オレンジ・ジュース、サブウェイ・セクト、ヤング・マーブル・ジャイアンツ、テレヴィジョン・パーソナリティーズ、アズティック・カメラ、ザ・スミスなどなど……あの時代のバンドとわりと最近出会った人にはぜひとも当時の「文脈」を知っておいてもらいたいなと、はい、インディよもやま話、ではまた来週お会いしましょう。

(*1)
ジョイ・ディヴィジョンの影響力もすごいが、オレンジ・ジュースのそれもでかい。同郷のベル・アンド・セバスチャンにとっても大きな影響源だった。

(*2)
アメリカのオルタナティヴは、その時代のカレッジ・ロックという括りにも近い。カレッジ・チャートは、メインストリームに価値観に対する反論でもあった。

(*3)
古着はかつて安かった。安いからインディ・キッズは着ていた。軍の払い下げもそう。面白いことに、かつて軍の払い下げのミニタリー・ウェアは60年代末から反戦運動家のファッションになり(一時期のジョン・レノンを参照)、そして80年代のインディ・キッズがダボダボのパンツを穿いたのも、安くて丈夫で、着方を考えれば格好良かったからだった。それがいまではすっかり高価なファッション・アイテムになっていることにお父さんは面食らいます。

(*4)
ホアン・アトキンスはリエゾン・ダンジュールズ、デリック・メイはデペッシュ・モードにニュー・オーダーとエレクトロニック・ミュージック系ではあったが、カール・クレイグはザ・キュアーが好きだった。

(*5)
エクスキューズをひとつ。何もこの原稿で、マイケルやマドンナを貶めるつもりはない。ぼくはデトロイトのクラブで高速にミックスされた “ビリー・ジーン” で踊っているし、『オフ・ザ・ウォール』は良いアルバムだと思います。マドンナに関してもとくにファンだったことは一度もないが、ただ、後にコートニー・ラヴが評価したことは憶えているし、フランキー・ナックルズへの尊敬を込めて、1990年の “ヴォーグ” の世界的なヒットがハウス・ミュージックが世界に認められた瞬間であったという説には賛同しておこう。 “イントゥ・ザ・グルーヴ” や “ライク・ア・プレイヤー”も良い曲だと思いますけどね。

interview with Shuya Okino & Joe Armon-Jones - ele-king

ジョージ・デュークとかハービー・ハンコックとか、ロニー・リストン・スミスとかハリー・ウィテカーとか、キーボーディストが好きなんですけど、そういったレジェンドたちと比べてもジョーのコードのチョイスはすごくいい。(沖野)

 これはもはやジャズではなくルーツ・レゲエそのものではないか──ジョー・アーモン・ジョーンズの最新シングルをチェックしたリスナーの多くはおそらく面食らったにちがいない。
 大胆にアフロビートやラテン音楽などをとりいれる雑食的スタイルで10年代後半以降のUKジャズを牽引してきたグループのひと組、エズラ・コレクティヴ。その鍵盤奏者であり、ソロ・アーティストとしても確固たる地位を築きあげているのがジョー・アーモン・ジョーンズだ。UKらしいというか、おなじトゥモロウズ・ウォリアーズで学んだヌバイア・ガルシア同様、音楽的冒険を厭わない彼の射程にももともとレゲエ/ダブが含まれており、その影響は当初から作品に反映されてきた。
 しかしここまでストレートなルーツ・サウンドに舵を切るとだれが予想できただろう。12月6日にリリースされた「Sorrow」によくあらわれているように、2024年にジョーンズが自身のレーベルから送り出した3枚の12インチ・シリーズは、どれもこれまで以上に深くダブに傾斜している。ただ、さりげなく3枚ともB面にローズ・ピアノ・ヴァージョンが収められている点は見過ごせない。それらのヴァージョンからは、通常異なる文脈にあると思われている音楽との接点を探ろうと果敢に奮闘する、ひとりのジャズ・ミュージシャンの姿が浮かび上がってくるからだ。
 そんなジョー・アーモン・ジョーンズのことをかねてより高く評価してきたのがKYOTO JAZZ MASSIVEの沖野修也である。2024年にデビュー30周年を迎えた沖野は、これまでKYOTO JAZZ MASSIVEがカヴァーしてきた曲を集めたコンピレイション『KJM COVERS』を12月4日にリリースしている。彼らがどんな音楽からインスパイアされてきたのか俯瞰できるありがたい1枚だが、ブギーからブロークンビーツまで横断するその軽やかな身ぶりは、ジョー・アーモン・ジョーンズの越境性と共通するところかもしれない。
 そんなわけで、ほぼおなじタイミングで最新タイトルを発表したふたり、昨秋来日していたジョー・アーモン・ジョーンズと、まもなくKYOTO JAZZ MASSIVEとしてリリース・ライヴ(1月16日@COTTON CLUB)を控える沖野修也による特別対談をお届けしよう。

優れたジャズ・ミュージシャンというのは毎年、あるいは10年ごとに自分の音楽的なアプローチやジャンルをまったく違った方向性に変えながら進化しているひとたちなので、自分もそうありたいと思う。(JAJ)

おふたりが直接対面するのは、今回が初めてですか?

沖野:いえ、以前から何度も会っていました。最初はジャイルズ・ピーターソンの《Worldwide Festival》で。あと、コロナ前に大阪でエズラ・コレクティヴのライヴがあったときに、ジョーはぼくのラジオ番組で「ベスト・ニュー・アーティスト」というのを受賞していましたので、トロフィーをあげました(笑)。大阪まで持っていったんですよ、トロフィーを。そのときに初めてちゃんと話をしました。

JAJ:2019年ころだったと思う。

沖野:最後に会ったのは去年の《We Out Here》というフェスティヴァルで、彼はエズラ・コレクティヴとしてメインステージにいたんですが、ぼくもKyoto Jazz Massiveとして早い時間にライヴをやって。そのときにも会いましたね。

ジョー・アーモン・ジョーンズさんは以前インタヴューでKyoto Jazz Massiveのことをすばらしいと発言していましたが、Kyoto Jazz Massiveの音楽と出会ったのはいつごろで、どういう経緯で知ったんですか?

JAJ:Kyoto Jazz Massiveは日本のアーティストで最初に好きになったバンドなんだ。たぶん、ジャイルズ・ピーターソンがプレイしていたのを聴いて知ったのが出会いだったんじゃないかな。それで興味を持って、作品を聴いたりライヴを観たりしてすごくいいなと思って。

逆に沖野さんがジョー・アーモン・ジョーンズの存在を知ったのはいつごろでしょうか。

沖野:ぼくもジャイルズがかけていたのがきっかけで。『Starting Today』に収録されていた曲を彼がかけていて。

JAJ:『Starting Today』はアルバムって呼ぶひともいればEPって呼ぶひともいるんだ。

沖野:以降、ジョー・アーモン・ジョーンズの名前の音源が出るたびにチェックしていて、自分のラジオ番組でもかかて、アウォードにもノミネートして。

JAJ:ジャズがつないでくれたコネクションだよね。とてもありがたいと思う。

沖野:ジョーの音楽はコードのセンスがいいんですよ。ぼくはジョージ・デュークとかハービー・ハンコックとか、ロニー・リストン・スミスとかハリー・ウィテカーとか、キーボーディストが好きなんですけど、そういったレジェンドたちと比べても彼のコードのチョイスはすごくいい。もちろん作曲能力もすばらしいんですが、最初にぼくが惹かれたのはコード感ですね。

JAJ:いま名前が挙がったひとたちはぼくのヒーローでもあります。Kyoto Jazz Massiveの音楽は、たとえばロンドンのような都会に住んでいると「ジャズとはこういうものだ」っていう固定観念があって、みんな同じようなことをやっているし過去のコピーに陥りがちなんだけど、それらとはまったく違った音楽性、サウンドにたいするアプローチを感じて、そこにすごく惹かれた。新しいエネルギーを感じたね。ジャズっていうのは本来そういうものであるべきで、他人と違った新しいアプローチこそジャズのすべてだと思うんだけど、まさにそれをやっているなと思った。

雑食性または横断性はおふたりの音楽に共通するものかもしれません。

沖野:もともとジャズってハイブリッドな音楽ですし、ぼくはさっきコードのことしかいいませんでしたけど、ジョーの音楽にはいろんなエッセンスが入ってもいる。ジャズ、フュージョン、ソウルにファンクに、R&Bにレゲエに、アフロビート。そのミックスされた感じが彼の魅力でもあるし、ぼくらに共通するジャズのあり方かなと思います。混ざってる要素が必ずしも一致してるわけではないんですが、いろんな音楽をとりこんで自分のサウンドにするという点はKyoto Jazz Massiveにもジョー・アーモン・ジョーンズにも共通する要素だと思いますし、指向性は似ているかもしれないですね。

JAJ:その意見には賛成だね。いろんなジャンルをとりこむか、もしくはまったく新しいジャンルを生み出すものがジャズだと思っています。ぼくが好きな尊敬しているジャズ・ミュージシャンもそういうことをずっとやってきていると思う。ロンドンに来て、音楽を勉強するためにカレッジに入ったとき、そこでは「スウィングがジャズにとって大切だ」とか「技術的にどうインパクトを与えるか」といったような部分ばかりが強調されていて、学生たちもそういうことに執着していたんだけど、ぼくが思うジャズはもっと「音楽のための音楽をつくる」ものというか、コンセプトありきで、自分の発想のなかで自由に音楽をつくっていくものなんじゃないかな、とずっと考えていて。たとえばソウルフルなものをつくるのでもいいし、即興でもいいんだけど、優れたジャズ・ミュージシャンというのは毎年、あるいは10年ごとに自分の音楽的なアプローチやジャンルをまったく違った方向性に変えながら進化しているひとたちなので、自分もそうありたいと思う。

沖野:こういうふうにしっかり語れるのも彼のすごいところ(笑)。自分の意見をしっかりもっているひとだなと思います。日本にはなかなかいないですね。UKのひとたちは年齢はそこまで関係なくおなじ視点で話せるんですよ。それもあってぼくはロンドンが好きですね。

JAJ:いまのイギリスには2種類の上の世代がいて、いちばん上の世代のなかには、若いひとたちがやっていることには興味を示さず、若いひとたちのギグを観に行ったり音楽を聴いたりはしないんだ。自分のやっていることだけで完結しているような、ちょっとオタクっぽいひとたちがメインで、自分のやっていることと違うことを受け容れられないひともいる。一方で、自分にも若いときがあって、自分が新しいことをやりはじめたときに上の世代がどう感じたかをちゃんとおぼえているひともいて。
 たとえばギャリー・クロスビーがいい例だと思う。彼は若者が新しいことをはじめるとき、それに興味を持ってサポートをしてくれるんだ。自分がエズラ・コレクティヴをはじめたときも手厚いサポートをしてくれて、「どんな音楽をやっても大丈夫だし、どんな服装でも大丈夫だよ」って受け容れてくれた。UKのジャズ・シーン全体もいまはそういう方向に向かっていて、若いひとたちをもっとサポートしていこうというムードになっているから、それはすごくいいことだととらえています。

レゲエのレコードを買うのが好きなんだけど、かならず違ったフォーマットのトラックが入っていて。そういうふうにいろんなヴァージョンをつくっていくことは、ジャズとおなじだと思うんです。(JAJ)

ジョー・アーモン・ジョーンズさんは2024年に3枚シングルを出しています。これまでもダブの要素は大きな特徴でしたが、今回のシリーズはジャズとのブレンドではなくかなりストレートなルーツ・サウンドですよね。

沖野:ぼくもびっくりしました。ぐっとルーツに寄っていて。でもヴァージョンがあって、最新シングル「Sorrow」も、ホーンが入っているもの(“Sorrowful Horns”)とローズ・ピアノのもの(“Sorrowful Rhodes”)が収録されていて、アウトプットをちゃんと考えているなと思いました。「ルーツに寄ったね」ってみんなから言われることを想定したうえでフェンダー・ローズを弾きまくっているのがすごく気持ちよくて。発信の仕方を練っているなと感じましたね。

最初の「Wrong Side Of Town」でもヌバイア・ガルシアのサックスがフィーチャーされていました。

JAJ:レゲエのレコードを買うのが好きなんだけど、かならず違ったフォーマットのトラックが入っていて、たとえばA面にはヴォーカル・ヴァージョンとダブ・ヴァージョン、B面にはホーン・ヴァージョンとディージェイ・ヴァージョンが入っていたり。そういうふうにいろんなヴァージョンをつくっていくことは、ジャズとおなじだと思うんです。キング・タビーにしても、いろんなヴァージョンのものをひとつにまとめてリリースして。そういうやり方はもともとはジャズの大ファンだったひとによって発明されたんじゃないかな、って考えることもある。たとえばジャズのスタンダード “Autumn Leaves” もいろんなひとが新たなスタイル演奏したり新しいヴァージョンをつくってきた。そういうことに面白さを感じる。

昨年ヌバイア・ガルシアに取材したときにロンドンのサウンドシステム文化で育ったことが大きいと言っていたんですが、ジョー・アーモンさんもやはりおなじ文化から影響を受けてきたのでしょうか?

JAJ:さまざまな音楽のジャンルの多くはロンドンから出てきたもので、たとえばドラムンベースもそのひとつだけど、そういったもののルーツをたどるとかならずダブやサウンドシステム文化に行きつく。だからダブやサウンドシステムは、ジャズに限らずいろんなジャンルに影響を与えていると思う。
 ぼくは田舎育ちだから、ロンドンのサウンドシステム文化で育ったわけではなくて。上京してきた17歳、18歳のころに出会ったんだ。サウンドシステムでプレイされる音楽はある意味で守られたジャンルというか、ラジオで聴くことはできなくて、そういう場やなにかのイヴェントに行かないと出会えない音楽だった。それ以前からレゲエ自体はふつうに聴いていたけど、強くおぼえている初めてのダブの体験は、ロンドンのスカラというヴェニューでやっていた《University of Dub》ってパーティだね。通常のイヴェントであれば、みんなDJのプレイに集中しているけど、そこではひとつの部屋にふたつのサウンドシステムがあって、ひとつのサウンドシステムで30分プレイして、次にもうひとつのサウンドシステムで30分プレイする、っていうのを行ったり来たりするような感じなんだ。両サイドから音楽が流れてきてクラッシュしているような瞬間もあった。最初はそれぞれが違ったものをひとつの部屋でかけているということにすごく混乱したけれど、来ているオーディエンスもDJがそれぞれやっていることにフォーカスするというよりも、部屋全体に流れている音楽を楽しんでいたのがすごく印象的だった。DJのことを見ているというより、音楽そのものを聴いているような感じがしてね。そこでは自分の好きなDJ、たとえばムーディマンなんかもプレイしていたんだけど、そういうDJたちを観る感覚ではなくて、純粋に音楽を楽しめたんだ。

沖野さんにお伺いしたいんですが、「ジャズとダブ」というキーワードからはどういった作品が思い浮かびますか?

沖野:意外と少ないんですよね。自分のキャリアのなかでもレゲエとかダブの影響が入った曲って2曲しかプロデュースしたことがなくて。MONDO GROSSOがカヴァーしたことでも知られるファラオ・サンダースの “Oh Lord, Let Me Do No Wrong” (1987年)はレゲエ寄りの曲ですね。MONDO GROSSOのカヴァーはキーボードがスタイル・カウンシルのミック・タルボットで、ヴォーカルは2年前に亡くなってしまったんですが、UKのソウル・シンガーのノエル・マッコイでした。その後、MASA COLLECTIVE(Sleep Walkerのサックス奏者、中村雅人によるソロ・プロジェクト)でおなじノエル・マッコイをヴォーカルにフィーチャーして、フレディ・マクレガーの “Natural Collie” をカヴァーしています(2007年)。ジャザノヴァのマネージャーのダニエル・ヴェストが〈Best Seven〉というダブのレーベルをやっているんですが、“Natural Collie” もライセンスされてそこから出ていますね。
 あとはやっぱりエズラ・コレクティヴになりますよね。最近の、ヤスミン・レイシーとコラボした “God Gave Me Feet For Dancing”(最新作『Dance, No One's Watching』収録)ではジャズとダブのテンポが入り混じっていて。すごくよくできた曲なんです、遅いテンポと早いテンポが混在していて。だから、レゲエのエッセンスをとりいれるうえではやっぱり、エズラ・コレクティヴやジョー・アーモン・ジョーンズがすごく参考になる。もし次のKyoto Jazz Massiveの曲にレゲエとかダブのエッセンスが入っていたら、それは彼に影響を受けたものになると思います(笑)。

JAJ:やっぱり自分たちの世代だと、たとえばハービー・ハンコックのようなレジェンドからインスパイアされることが正しいとされがちなんだけど、それは間違っていて、やっぱり同世代やおなじ時代の音楽家からもインスピレーションを受けるべきだと思う。

自分の目指す理想に向かって近づけているかどうかにしか関心をもっていないですね。仮に実現できなくても、そこに向かおうとするプロセスが大事だと思う。(沖野)

ジョー・アーモンさんの「Sorrow」とほぼおなじタイミングで、Kyoto Jazz Massiveのデビュー30周年記念盤『KJM COVERS』もリリースされましたね。これまでのカヴァー曲を集めたコンピレイションですが、なぜカヴァー集になったんでしょうか?

沖野:じつはぼく、Kyoto Jazz Massiveではカヴァーを禁止しているんです。むかしイギリスの先輩DJに「日本人アーティストはカヴァーが多すぎる」と言われたことがあって。ぼく自身も “Still In Love”(2011年)というローズ・ロイスのカヴァーがヒットしたりしているので、Kyoto Jazz Massiveとしては封印しているんですよ。だからこの先もカヴァーはやらないと思うんですが、30周年記念としてなにかしら出したいなと思ったときに、こういう区切りであればファンへの感謝として、これまで出してきたカヴァーをまとめるのも許されるかなと。それと、次のアルバムを出すにあたって、自分たちが影響を受けてきた音楽をもう一度検証する機会でもあった。ただ、先ほど話に出た “Natural Collie” は諸事情あって漏れているんですけど(笑)。

最後に、おふたりそれぞれ、音楽活動をしていくうえでポリシーのようなものがあれば教えてください。

JAJ:ひとつ言えるのは、自分がバンドで曲を書くときは、各パートの音楽性をメンバーに押しつけるんじゃなくて、メンバーごとに解釈を任せられるように、オープンな部分を残しておくことはかならず念頭に置いているね。それはたとえばデューク・エリントンがやっていたことでもあるんだけど、ぼくは彼のやり方を参照していて、その姿勢を自分の創作にもとりいれている。すばらしいジャズのアーティストたちは──たとえばマイルス・デイヴィスもそういった余白をバンド・メンバーに与えていたと思うから、そういうことは心がけているね。

沖野:ぼくの場合は、これまで出した曲よりいい曲を書くこと、それにしか興味がないんです……ってあらゆるインタヴューで答えています(笑)。できれば、ハービー・ハンコックとスティーヴィー・ワンダーのあいだにかけられる曲とか、ロイ・エアーズとかアース・ウィンド・アンド・ファイアのあいだにかけられる曲をつくりたいと思っているんです。もちろんすごく高い目標ですし、ぼくは現時点ではまだその域には達していない。だから、自分の目指す理想に向かって近づけているかどうかにしか関心をもっていないですね。仮に実現できなくても、そこに向かおうとするプロセスが大事だと思う。そういうことは、かならずしもレジェンドたちだけではなくて、ヤスミン・レイシーとジョー・アーモン・ジョーンズのあいだにかけられる曲とか、ヌバイア・ガルシアとエズラ・コレクティヴのあいだにかけられる曲とか、ぼくはコンポーザーですがDJでもあるので、やはりこの曲とこの曲のあいだに挟みたい、ということはよく考えるんですね。
 もうひとつは、繰り返しになりますが、できればカヴァーはやりたくない(笑)。カヴァーにもどの曲をどうアレンジするのかっていう面白さがあるんですが、やはりオリジナルで勝負したいなと思っています。

C.E presents Josey Rebelle, PLO Man, Rezzett, Will Bankhead - ele-king

 ブランドの発足以来、さまざまなパーティを開催してきた〈C.E〉。その2025年最初のパーティがアナウンスされている。選曲からストーリーのつくり方までそのDJスキルが評判のジョージー・レベルを筆頭に、PLOマン、レゼット、ウィル・バンクヘッドが出演。1月24日はVENTに足を運びましょう。

C.E presents
Josey Rebelle, PLO Man, Rezzett, Will Bankhead

2025年度初となるC.Eのパーティが1月24日金曜日、VENTにて開催。
洋服ブランドのC.E(シーイー)は、2025年1月24日金曜日、表参道VENTを会場にパーティを開催します。
C.Eは、2011年のブランド発足以来、不定期ながらミュージシャンやプロデューサー、DJと共にパーティを開催してきました。
約4ヶ月ぶり、2025年初の開催となる本パーティでは、Josey Rebelle, PLO Man, Rezzett, Will Bankheadを招聘致します。

C.E presents

Josey Rebelle
PLO Man
Rezzett
Will Bankhead

開催日時:2025年1月24日金曜日11:00PM
会場:VENT vent-tokyo.net
料金:Door 3,000 Yen
Advance ticket 2,000 Yen
https://t.livepocket.jp/e/vent_20250124

Over 20's Only. Photo I.D. Required.
20歳未満の方のご入場は固くお断り致します。年齢確認のため顔写真付きの公的身分証明書をご持参願います

■Josey Rebelle
Josey Rebelle(ジョジー・レベル)は、「世界中の一流ダンスフロアを席巻するジャンルの垣根を超えるDJ」(Mixmag)、「UK音楽シーンのヒーロー」(The Face)と評されるロンドン出身のDJ 。
DJ Magの「100 of the World's Best DJs 2022」、BBC Radio 1の「Essential Mix of the Year 2019」、DJ Magの「Best of British Award for Best Compilation 2020」、Resident Advisorの「Mix of the Year 2020」、DJ Magのカバー、DJセット、ミックス、ラジオ番組で毎年恒例の「Best Of」リストに掲載されるなど、数々の受賞歴を持つ。
ダンサー、DJ、サウンドシステム・オペレーターというカリブ海の文化の中で育ち、幼い頃からデッキに親しみ、13歳の頃に兄からハウス、テクノ、ジャングルのコレクションでミックスを教わった。彼女がベッドルームDJからクラブのブースに立つまでの自信を得たのはそれから数年後のことで、数え切れないほどの練習を重ねた上でのこと。最終的には、ロンドンの伝説的なクラブであるPlastic Peopleのレジデントとして、またロンドンの先駆的ラジオ局Rinse FMにおいて10年にわたり毎週番組のホストを務めた。
また、世界で最も象徴的なクラブやフェスティバルで魅惑的なセットをプレイし、フェスティバルのステージからBerghainのメインフロアまで、あらゆる場所でオーディエンスを魅了している。加えて、BBC Radio 1、The Trilogy Tapes、Resident Advisor、The Face、Fader誌に提供したミックスで高い評価を得ている。
2010年にはBoiler Roomの初放送出演し、2020年2月にはDJ Magの表紙を飾った。
2020年、Beats in Space Recordsからリリースされた自身初のコンピレーション・アルバム『Josey In Space』には、彼女の大切なレコード・コレクションの奥底から掘り起こされたエクスクルーシヴ音源や、これまでレコードでしか聴くことのできなかった楽曲の数々が収録されている。『Josey In Space』は、「DJ Mag Best of British Awards 2020」のベスト・コンピレーション賞とResident Advisorのミックス・オブ・ザ・イヤーを受賞した。
自身がティーンエージャーだった頃へ捧げられ、丹念にキュレーションを行った2021年にThe Trilogy Tapesからリリースされたカセットテープに収められたミックスは、ピッチフォーク誌に「ヴィンテージのUKパイレーツラジオを最も忠実に再現した」と評された。
ニューヨーカー誌はこう述べた「ジョジー・リベルは稀有な存在だ」、 「プロデュースではなく(彼女はプロデューサーではない)、デッキにおけるプレイだけで名を馳せるDJだ」。
ソーシャルメディアにおいて存在を示さないジョジーは、長年にわたり選りすぐりの情熱と信憑性に基づいた評価を築くため努力してきた。ノイズから自分自身を切り離し、彼女が最も愛するもの以外に何も必要とされない場所、つまりはDJブースの暗闇に足を踏み入れ、ただプレイすること、それだけにたどり着くために。
www.joseyrebelle.com

■PLO Man
2015年よりACTING PRESSの共同運営及び代表を務める。ソロ、C3D-Eとの共同作品、INTe*raやGlobex、CC Not等のグループとして音楽を発表している。2024年、Doo loreのSnP 500と共にテクノレーベルPinを立ち上げ、SnPLOのEPを2作リリースした。
ヨーロッパ、北米、アジア、オセアニアにてDJを行っており、キャリアはおよそ15年に亘る。ベルリン在住。
2013年から2019年まで、今はなきBerlin Community RadioでPLO Radioのホストを務めた。その後、Lot Radio、Refuge Worldwide、Rinse.fm、IDAなどで番組を担当。現在はロンドンのNTSにてレジデントとしてバイマンスリー番組Drizzle.FMを担当。
DJのレコーディングについては、C.Eからリリースされた2作のテープ、ACTING PRESSとTerraformaから発表されたCDに加え、Youtubeにアーカイブされている。
www.tracksplease.com
soundcloud.com/p_el_oh

■Rezzett
TapesことJackson Bailey(ジャクソン ベイリー)とLukidやRefreshersとしても知られるLuke Blair(ルーク ブレア)の2人組によるRezzett(レゼット)。
2013年に楽曲をYouTubeへアップロードしたのち、Will Bankhead(ウィル バンクヘッド)の音楽レーベルThe Trilogy Tapes(ザ トリロジーテープス)より、歪みが特徴的なテクノとジャングルのEPを5枚リリースし高い評価を得た。
Rezzettは現在のダンス ミュージックにおいて珍しいものでなくなくなった「ローファイ」サウンドのパイオニアと言っても過言ではない。
2018年には前述したThe Trilogy Tapesよりデビュー アルバムをリリースしたのち、突如としてリリースは止まり、時折ライブをおこなうことだけがRezzettがまだ存続している証拠だったが、2023年6月、記念すべきThe Trilogy Tapesのレーベル100番目のリリースとなる2ndアルバム『Meant Like This』を突如リリースし、ライブパフォーマンスを収録したカセットテープ、4曲を収録したEP『Boshly』を発表した。
最新の音源は2024年5月に自主リリースで発売したEP『Puddings』。
rezzett.bandcamp.com/

■Will Bankhead
イングランドのインディペンデント音楽レーベル、The Trilogy Tapes(ザ トリロジー テープス)主宰。
Mo Waxでメイン ヴィジュアル ディレクターを務めたのち、洋服レーベルであるPARK WALKやANSWER、音楽レーベルのPKを経て、2008年にThe Trilogy Tapesを立ち上げる。
Honest Jon's Recordsをはじめとする音楽レーベルのためのスリーヴデザイン、Palace Skateboardsなどの洋服ブランドのグラフィックデザインも手がける。
www.thetrilogytapes.com
thetrilogytapes.bandcamp.com

11月のジャズ - ele-king

 エチオピアン・ジャズのパイオニアであるムラトゥ・アスタトゥケは、2009年に〈ストラット〉のコラボ・セッション・シリーズ『Inspiration Information』でザ・ヒーリオセントリックスと組んで以来、LAの〈モチーラ〉が企画した『Timeless』でミゲル・アットウッド・ファーガソン、ブランドン・コールマンフィル・ラネリン、エイゾー・ローレンス、ベニー・モウピンらと共演し、その後もロンドンのアレキサンダー・ホーキンス、バイロン・ウォーレン、トム・スキナーらによるステップ・アヘッド・バンド、メルボルンのジャズ・ファンク&ヒップホップ・バンドのブラック・ジーサス・エクスペリエンスなど、さまざまなアーティストとのコラボをおこなってきた。

Mulatu Astatke And Hoodna Orchestra
Tension

Batov

 新作の『Tension』は、イスラエルのテル・アヴィヴを拠点とするフードナ・オーケストラと共演する。フードナ・オーケストラの正式名称はフードナ・アフロビート・オーケストラで、総勢12名からなるバンドだ。ディープ・ファンクからソウル・ジャズ、サイケ・ロックなどの影響を受け、これまで2枚のアルバムをリリースしているが、2017年にエチオピアのシンガーであるテスファイエ・ネガトゥと共演してから、エチオ・ジャズに感化されるようになった。アフリカの中でもエチオピアはイスラエルや中東とも文化圏的に接しており、もともとの音楽性に類似点が見られるところでもある。そして、ムラトゥ・アスタトゥケとのセッションを熱望するようになり、そうして『Tension』のレコーディングに漕ぎつけたのである。

 レコーディングは2023年初頭にムラトゥをテル・アヴィヴに招いておこなわれた。収録された6曲はすべてこのレコーディング用に書き下ろされたもので、ディープ・ファンク系レーベルの〈ダプトーン〉創設者であるニール・シュガーマンがプロデュースを担当。荘厳な出だしに始まる“Tension”は映画音楽風のスリリングな作品で、ムラトゥの神秘的なヴィブラフォンとグルーヴィーに疾走するフードナ・オーケストラの演奏がマッチする。“Yashan”はエチオ・ジャズ特有のエキゾティックなメロディが印象的で、煽情的なテナー・サックスのソロに対し、ムラトゥの演奏は幻想性を帯びていて、そうした演奏のコントラストも味わえる。そして、ディープでサイケデリックなグルーヴを放つ“Dung Gate”、クリフォード・ブラウン作曲のジャズ・スタンダード“Delilah”のラテン・ジャズ的なアレンジなど、非常に充実したセッションとなっている。


Flock
Flock II

Strut

 フロックはタマラ・オズボーン(サックス、クラリネット、フルート)、サラティー・コールワール(ドラムス、タブラ)、ダン・リーヴァーズ(エレピ、キーボード、シンセ)、ベックス・バーチ(ヴィブラフォン、シェーカー、ベル、ゴング他)、アル・マックスウィーン(ピアノ、シンセ)と、ロンドンのジャズ、フリー・インプロヴィゼーション、エクスペリメンタル・シーンで活躍するミュージシャンによるセッション・バンド。アフロビートとフリー・ジャズを結びつけたカラクターのタマラ・オズボーン、サッカー96ザ・コメット・イズ・カミングで実験的なエレクトロニック・ジャズを創造するダン・リーヴァーズ、ジャズ、インド音楽からテクノ、グライムなど異種の音楽を融合するサラティー・コールワールと、それぞれ個性溢れるミュージシャンが集まった民主的なプロジェクトである。2022年にファースト・アルバムをリリースし、この度セカンド・アルバムをリリースした。

 ロンドンのスタジオで1日で録音したファーストに対し、セカンドは西ウェールズのドルイドストーンの田園地帯にある教会を改築したスタジオで、1週間に渡るセッションの中で制作された。自然環境に恵まれた中で、イマジネーションやインスピレーションがより豊かに育まれたセッションであったことが想像される。“Cappillary Waves”はアフロビート的なビートと重厚なバリトン・サックス、エレクトロニックなキーボード&シンセ群によるコズミック・ジャズ。“Turned Skyward”はディープな音響空間に神秘的なフルートが舞うアンビエント・ジャズで、“A Thousand Miles Lost”も同様に抽象性に富む静穏な世界が描かれる。“Meet Your Shadow”はフリーキーなサックス・インプロヴィゼーションがサイケデリックなシンセ群と即興演奏を繰り広げる。“Large Magellanic Cloud”はダブやニューウェイブなどを通過したトリッピーな世界で、エクスペリメンタル・シーンで活躍するメンバーならではの楽曲。全体的にはエレクトロニクスを交えたアンビエントな世界と、サックスやフルートなどのフリーフォームなインプロヴィゼーションが鍵となるアルバムだ。


Anna Butterss
Mighty Vertebrate

International Anthem Recording Company

 マカヤ・マクレイヴンダニエル・ヴィジャレアルなどのアルバムに参加し、ジェフ・パーカーのETAカルテットというグループのメンバーでもあるベーシストのアンナ・バターズ(https://www.ele-king.net/news/011494/)。シカゴ・シーンと繋がりが深い彼女ではあるが、活動の拠点はロサンゼルスで、ラリー・ゴールディングスのような大物ミュージシャンから、やはり彼女と同じくLA~シカゴを股にかけて活動するサックス奏者のジョシュ・ジョンソン(彼もジェフ・パーカーETAカルテットのメンバー)などとも共演している。これまでダニエル・ヴィジャレアル、ジェフ・パーカーとの共演作『Lados B』などをリリースしてきているが、ソロ名義のアルバムとしては2022年の『Activities』以来の2枚目のアルバムとなるのが『Mighty Vertebrate』である。

  『Mighty Vertebrate』のレコーディングはカリフォルニアのロング・ビーチのスタジオでおこなわれ、ジョシュ・ジョンソンとジェフ・パーカーも参加するなど、ジェフ・パーカーETAカルテットに近い形でのセッションとなっている(ちなみに、ETAカルテットとしては今年頭にライヴ録音による『The Way Out Of Easy』というアルバムをリリースしている)。“Bishop”はグルーヴ感に富むベース・ラインが印象的で、ジャズ・ファンク、ジャズ・ロックなどのミックスチャー的なナンバー。ポスト・ロック、ジャズ、実験音楽などを縦断して活動してきたジェフ・パーカーの近くにいる、アンナ・バターズらしい曲と言えるだろう。“Shorn”もジャズとオルタナ・ロックの中間的な作品だが、アンナ・バターズはベース以外にギター、フルート、シンセ、ドラム・マシーンなどを演奏していて、この曲でもシンセなどをオーヴァーダビングし、エフェクトも多用したサウンド・クリエイターぶりが発揮される。ジェフ・パーカーが参加した“Dance Steve”や、ミスティカルなムードに包まれた“Saturno”は、最近クローズ・アップされることの多いアンビエント・ジャズ的な作品。“Saturno”などはリジョイサーやバターリング・トリオなどイスラエルのアーティストの作品に近いものを感じさせる。


Svaneborg Kardyb
Superkilen

Gondwana

 マシュー・ハルソールの〈ゴンドワナ〉は、近年はマンチェスターやイギリスのみならず、ベルギーやポーランドなど他国のアーティストの作品もリリースしていて、スヴェインボゥグ・カーディーブはデンマークのアーティスト。鍵盤奏者のニコライ・スヴェインボゥグとドラマー&パーカッション奏者のジョナス・カーディーブ・ニコライセンによるユニットで、北欧のジャズとデンマークの伝統音楽を融合し、エレクトロニクスを用いたアプローチで現代的に表現する。地元の〈ブリック・フラック〉というレーベルから2019年に『Knob』でデビューするが、このアルバムはE.S.T.(エスビョルン・スヴェンソン・トリオ)やトール・グスタフセン、ヤン・ヨハンソンなどのスカンディナビアン・ジャズの系譜を引き継ぎ、ニルス・フラーム的なポスト・クラシカルなエレクトロニック・ミュージックを融合していると評論家たちから高評価を博し、デンマークのジャズ音楽賞などを受賞した。

 〈ブリック・フラック〉から2枚のアルバムを出した後、〈ゴンドワナ〉から2022年に『Over Tage』をリリース。そして、〈ゴンドワナ〉から2枚目となる最新作が『Superkilen』である。“Superkilen”はゴーゴー・ペンギンポルティコ・カルテットなどを思わせる作品で、アンビエントなテクノとジャズが融合したような世界を見せる。ちなみに曲名はコペンハーゲンのノレブロ地区にある公園にちなんでいる。多様な民族が住むコペンハーゲンにおいて、移民と地元民の交流の場として親しまれている公園だそうで、そうした寛容と団結のムードを音楽として表現している。“Cycles”は抒情的なメロディがデンマークの民謡を想起させるもので、E.S.T.や〈ECM〉の作品に近いイメージ。今回はアンビエントなジャズを幾つか紹介したが、スヴェインボゥグ・カーディーブもそうしたアーティストのひとつと言えよう。

interview with Coppé - ele-king

 だれもかれも、自分がどう見られるかばかり気にしている。ヴィジュアル主体のインスタだろうがテキスト主体のツイッターだろうがそれはおなじで、スマホとSNSの普及はむしろどう見られるかを意識していないほうが変わり者であるかのような時代を生み出してしまった。一見自分史をテーマにした昨年のOPN『Again』は、じつはそういう自分だらけの現代を鋭くえぐったものだとぼくは解釈しているけれど、これはもう不可逆の流れなのかもしれない。
 その点、みずからを火星人だと呼称するコッペは完全にアウトサイダーだ。独創的なファッションに身を包み、「キョイーン」「でぴゅ」「うれぴー」といった語を駆使する彼女が周囲の目やらトレンドやらに振りまわされていないことは明白である。一度会ったら忘れられないこの強烈な個性の持ち主は、90年代をアリゾナとLAで過ごし、ZトリップやQバートといったヒップホップDJらと交流したり、ドラムンベースを生演奏するバンドをやったりするなかで音楽家としてのキャリアを(再)スタートさせている。1995年に送り出されたファースト・アルバムこそトリップホップという時流とリンクする側面を有していたものの、近年のリリースを振り返ってみると、モジュラー・シンセでオペラに挑戦した『Na Na Me Na Opera』(2019年)、モダン・クラシカルなソロ・ピアノ曲集『蜜 Mitsu (25rpm)』(2021年)、スタンダードも多く含まれたジャズ・ヴォーカル作品『*(Un-)tweaked』(2022年)とやはり独自路線で、だれがなにをいおうが好きなことをやるという気概がビシバシ伝わってくる。

 そんなコッペの最新作『*( -)tweaked』は、上述のジャズ・アルバム『*(Un-)tweaked』のリミックス盤だ。どのリミキサーも「とりあえずぶっ壊して!」とのオーダーを遵守、オリジナルの上品なジャズはみごと解体され、一筋縄ではいかないトラックが並んでいる。招集されているのはコッペと親交のある面々なのだけれど、これがまたそうそうたる顔ぶれで、アトムTMにプラッドにニカコイにルーク・ヴァイバートにDJ KENSEIに……きっとみんな、型にはまらない彼女の気質に引き寄せられるのだろう。
 いったいコッペとはいったい何者なのか? じつはファースト・アルバム以前にも長いキャリアをもつ彼女。取材には流通担当の猪股恭哉も同席し、このユニークな音楽家の歩みを深掘りしてくれた。

お謡からはじまった

長いキャリアをお持ちですので、まずはバイオグラフィからお伺いできればと思います。

Coppé(以下C):死んだことになっていることもあるしね(笑)。いろいろお仕事してたのに、ある時期に急に日本からいなくなったひとなので。「長谷川コッペ」で検索すると出てくるけど。

かなり幼いころから音楽にはご関心があったのですよね。ご家庭の影響でしょうか?

C:生まれながらの音楽ジャンキーだと思う。オギャーッと生まれたときからほぼ曲つくってるようなもので。コッペのパパとママも、おじいちゃんとおばあちゃんも、ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんも、全員、観世流〔※能の流派のひとつ〕のお謡(うたい)をやってたので、家ではもうずーっと、年がら年中、お謡が聞こえてきて。当然コッペもママから仕込まれたので、そういうのが知らず知らずのうちに出てきているのかな。今日、そのお謡の本を持ってきたんです。



Coppéが持参したお謡いの教科書

初めて目にしました。すごいですね。まったく読めないです。これはどう読むんですか?

C:読めないところもちゃんと振りがあって。上がるとか、下がるとか。最初、教科書に書きこむことも怒られたんですけど、でも覚えられないから、いっぱい書きこんでます。
 コッペの曲にはオリエンタルなフレーヴァーが出てるよねってよく言われるんですけど、たぶんお謡がその由来かなと。お謡って口伝だから、キーが存在しないんですよ。お師匠さまが出したその音に合わせてついていかなきゃいけない。でもコッペはキーのひとなので、「キーがないってどういうことなの?」っていっぱいママに文句言って。でももともとそういうものだから。歌い方、フレーズもぜんぶ口伝で、ようするに先生の真似をするわけなんですけど、そのやり方が叩きこまれてるから、インプロしているときもジャズを歌っているときも、自然と出てきちゃうんですよね。それでオリエンタルだねって言われるのかな。

猪股:ルーツはポピュラー・ミュージックでもクラシック音楽でもなかった、ということでしょうか。

C:いえ、小学生のとき、藤家虹二(ふじかこうじ)先生っていうクラリネット奏者の方に出会って、そこからコッペの人生はギョイーンといまのような感じになっていくんです。『日清ちびっこのどじまん』という番組〔※フジテレビ、1965~69年放送〕で優勝しちゃって、そのときの審査員のひとりが藤家先生でした。コッペが小学4年生とか5年生のころ。そのころからもう、他人の曲には見向きもせず、自分で歌って曲を書いてばかりで。それで藤家先生から「お前は歌はそれほどうまくないけど作曲のセンスがいいから、俺のところに週一で来て楽典とか和声とかハーモニーの勉強をしなさい」って言われて。
 毎週かならず宿題が出るんですよ。「どんな長さでもどんなキーでもいいから、3曲完結させて仕上げてくるように」と。どんなものでも5分でできたけどね。それで、そのうちの1曲を藤家先生が気に入ってくれて、ストリングスを入れてアレンジしてくれて、ある日突然「プロのスタジオ入るぞ」って。それがキング・レコードだった。宿題の楽曲にため息が出るくらい素敵な先生のアレンジがついて、それを歌ってドーナツ盤にしたらレコード大賞の童謡賞をいただいちゃった。小学生だからよくわからないんだけど、親はピーピー泣いていて(笑)。そこからですね、コッペの人生が3分の1くらい芸能人みたいになっちゃったのは。そのあと「Let's Enjoy English」というレギュラー番組もやりましたね〔※NHK、1972~1982年放送、長谷川コッペ出演は1975年度〕

『*(Un-)tweaked』(2022年)はジャズ・アルバムですが、ジャズからの影響も大きかったのでしょうか?

C:藤家先生がクラシックだけじゃなくて、ベニー・グッドマンのコピーもやっていらして。それでどんどんジャズのほうにも行きました。あと当時、水島早苗先生というジャズ・ヴォーカリストの先生もおられて。だから小学生のころからジャズも歌っていたんですけど、歌詞なんてわかるわけないんですよ。でもジュリー・ロンドンとかを丸コピして歌っていました。

その後70年代はどのようなことをされていましたか?

C:『オールナイトニッポン』のレギュラー番組がはじまって、タモリさんと出会って、「なんだこのヘンテコリンなおじさんは?」って(笑)。イグアナの真似とか、四ヶ国語麻雀とか激・面白かったですよ。1時から3時までの1部がタモリさんで、3時から5時までの2部がコッペでした。コッペの好きな英語の曲をがんがん流しまくってたら、当時そういう番組はあまりなかったので需要も上がって1部に昇格させていただいて。そこでタモリさんとはバイバイで、今度は近田春夫さんと一緒にやることに〔※1977~79年放送〕
 近田さんのことはチカちゃんと呼んでいたんですが、すごくかわいがってもらって。ザ・スーパーマーケットというバンドも一緒にやっていたので、たぶん番組を面白くするためとは思うんですけど、コッペとチカちゃんがバトルさせられるんです。それで「なんだお前!」とか怒られながら毎週スタジオに生で入ってました。コッペは洋楽一辺倒だったから、チカちゃんはオンエア中に「お前そんなくだらないもんばっかり聴いてないで、日本人だったら都はるみを聴いてみろ! お前こぶしまわしなんかできないだろう!」とか(笑)。それで急に歌わされる(笑)。


photo by paul ward
clothes by disorder boutique

レジェンドたちとの思い出

ジェイムズ・ブラウンって「ウンッ!」「アッ!」とかシャウトがすごいじゃないですか。その出し方を30分とか40分、ずっと踊りながらレクチャーしてもらってた(笑)。

Coppé名義でのファースト・アルバムが1995年ですので、そこへ行き着くまでにまだありますね。80年代はどのように過ごされていましたか?

C:80年代は、『ザ・ポッパーズMTV』っていう番組〔※TBS、1984~87年放送〕をピーター・バラカンさんとやっていました。それまではどんな番組も自分で選曲してたんですけど、『ポッパーズ』は唯一、自分で選曲してなかったテレビ番組。来日アーティストを片っ端からインタヴューするっていうお仕事で。超楽しかった! なにを訊いてもOKだったし、ジェイムズ・ブラウンからシンディ・ローパー、マイケル・フランクスからスティーヴィー・ワンダーまで。マドンナのインターナショナルなものとしては最初のインタヴューもコッペだった。
 ジェイムズ・ブラウンのときがいちばん大変で。伝達ミスで、クルーが40分とか45分とか遅れて来たんですよ。それでしばらくコッペとジェイムズ・ブラウンのふたりっきり。「クルー来てないの? じゃあ帰る」って言われてもおかしくない状況で、でもそうなったらインタヴューがなくなっちゃうから、コッペも怖いもの知らずで、「いろいろ教えて!」みたいな感じで話して。ジェイムズ・ブラウンって「ウンッ!」「アッ!」とかシャウトがすごいじゃないですか。その出し方を30分とか40分、ずっと踊りながらレクチャーしてもらってた(笑)。その場面を撮ってくれてるひとがいたら、インタヴューよりぜんぜん面白かったと思う(笑)。

すさまじい面々とお会いされてきているんですね。ちなみに、ファンクはお好きだったんですか?

C:いや、当時はぜんぜんジェイムズ・ブラウンはわからなかったです。インタヴューするときはかならず事前にそのアーティストの音源をしっかり聴くんですけど、ジェイムズ・ブラウンはまったくピンとこなかった。なんでだろう? たぶんミーのなかではあのころ、「ンワッ!」とかそういうフレーズのスウィングの仕方にしか興味がなかったのかもしれない。

渡米されたのはその後ですか?

C:えっとね、『ポッパーズ』をやってたときに、コッペじつは一度結婚してるんです。アリゾナの方と。コッペはマイケル・フランクスが大好きだったんですけど、ハワイでヴァケイションしてるときに、マイケル・フランクスと瓜ふたつのひとがニコニコしながら歩いてきたんですよ。「ヤバい! マイケル・フランクスだ!」と思って。ぜんぜんちがったんですけど(笑)。でもそのひとと結婚しました(笑)。ハワイで「イエス!」って言っちゃった。
 その彼、メルくんというんですが、メルくんのパパが急に病気になっちゃったことがあって、そのタイミングでUSAに戻らなきゃならないことになって、いったん番組を全部降ろさせていただいたんです。ラジオのレギュラーが3本くらい、テレビも2~3本あったし、雑誌も『POPEYE』とか『Olive』とかあったんですけど、もしメルくんのパパが仮に亡くなっちゃったりしたら一生恨まれるだろうなと思って、全部お休みさせてもらってアリゾナに渡って。そしたら超居心地がよくて。パパとママには2年くらいの約束でアリゾナに行ってたのに、20年くらいになった(笑)。


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トリップホップとリンクしたファースト・アルバム

まわりにいたのが、Zトリップとかロック・レイダとか、インヴィジブル・スクラッチ・ピクルズのDJ Qバートとか、アリゾナとLAでつるんでたのがヒップホップ系の方々で。

ファースト・アルバム『Coppé』(1995年)にはトリップホップとリンクするフィーリングがありますが、あのアルバムがリリースされたときはアメリカにいらっしゃったのですか?

C:そうです。アリゾナでレーベル〈Mango & Sweet Rice〉を立ちあげて、日本からもってきていたオープンリールを使ってひとりでつくりました。ただ8チャンネルしかなかったので大変で。ひとりじゃダメだなと思って、2枚目の『O Of M』(1998年)からはアリゾナのお友だちとコラボするようになりました。

80年代後半から90年代前半にかけてはエレクトロニック・ミュージック、ダンス・ミュージックの勢いがすさまじかった時代ですが、やはりそうしたものから影響を受けたのでしょうか?

C:まわりがみんなDJだったし、音づくりもやっていたから自然と。まわりにいたのが、Zトリップとかロック・レイダとか、インヴィジブル・スクラッチ・ピクルズのDJ Qバートとか、アリゾナとLAでつるんでたのがヒップホップ系の方々で。彼らとoToっていう名前の、ドラムンベースを生でやるバンドをやっていたんですよ。ほぼ毎日コッペの家でリハしてて。「もったいなから、このままライヴはじめよう」って、家賃が払えなくなりそうになるとちょっとライヴをやって稼いで……とか。ドラマーのステファン・ポンドはドラムンベース好き、いちばんよくつるんでたテリー・ドリーシャーはアンビエント・ダブのひとで、そのころに受けた影響はすごく大きかったと思う。3枚目の『Peppermint』(2000年)からはアリゾナやLA勢だけじゃなくて、出会いが広がって、プラッドとかも入ってくるんです。『Peppermint』のときがいちばんコラボしていたかな。

ちなみにファーストには “He Didn't Know...Brian Eno...” という曲が入っていますよね。このタイトルはどういう意味なのですか?

C:コッペ、ブライアン・イーノが大好きで。そのころ親しかったoToのメンバーでめっちゃくちゃいいギターを弾くひとがいて、コッペの曲づくりにもとってもインスピレイションをくれたひとりなんですけど、イーノの話をしたら「え、だれそれ?」って。ブライアン・イーノのこと彼はぜんぜん知らなかったんです。だからそのまんまの曲!

ファーストでいちばんお気に入りの曲はなんでしょう?

C:難しいー。こないだリリース・パーティがあってDJ KENSEIと話してて、彼は “Floatin’” を気に入ってくれてるみたいで。30周年だからリメイクするのもいいんじゃないなんて話になったけど。でも毎日聴きたい音って変わるから、自分で選ぶのは難しい。猪股さんに聞いてみようよ!

猪股:いま現在の感覚で選ぶと、初期の作品に惹かれます。さきほどちらっとダブっていうキーワードが出ましたけど、スモーキーな具合、浮遊感、重さみたいなところが当時のアブストラクト・ヒップホップとかエレクトロニカの流れにあって、それがちょうどいま聴くと気持ちいいですね。

C:2枚目とか、3枚目とか?

猪股:それこそファーストですね。

C:えー嬉しー! もうアホみたいに嬉しいですよ。だってコッペが全部自力でプロデュースして全部自力で曲書いたのってファーストだけだもん。そういえばポーティスヘッドは大好きなグループのひとつだった。アリゾナの家で掃除機かけてたときにラジオから “Dummy” が流れてきて、「やばっ、なんだこれ」って。コッペの耳にはアイザック・ヘイズがビリー・ホリデイとコラボしたように聞こえて、もう鳥肌もので。でもポーティスヘッドは最初の1枚だけだったな。

マッシヴ・アタックはいかがですか?

C:マッシヴは大好きですね。マッド・プロフェッサーがやった『No Protection』ってあるでしょ。今回のリミックス盤も、『No Protection』みたいにぶっ壊せばいいかと思って出す決心をして。

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近年の2作『*(Un-)tweaked』と『蜜』をめぐって

亡くなってしまった方々って、エネルギーとしてふわふわ飛んでるじゃないですか。だから、コッペみたいな頭が空っぽな火星人に、チョウチョみたいに降りてくるんです。

『*(Un-)tweaked』(2022年)は落ち着いた雰囲気の、聴きやすいジャズ・アルバムですね。デューク・エリントンの “Satin Doll” のようなスタンダードのカヴァーも多くあります。これを出す時点で、リミックス盤の『*( -)tweaked』をつくることは決まっていたのですか?

C:はい。もう絶対ぶっ壊そうと思ってました(笑)。〈Mango + Sweetrice〉ってコッペのほぼすべてなので、絶対に嘘ついちゃいけないんですよ。自分が出したくないものは出してはいけない。でも唯一、『*(Un-)tweaked』で初めて、ヒロくん〔※コッペの弟〕をハッピーにするために出すっていう動機からはじまって。だから自分のなかですごく葛藤があった。でも、マッシヴの『No Protection』があったから、あとでぶっ壊せば大丈夫だっていうことで踏ん切りがついたという。
 もともとの録音は、ジェイキー(Richard ‘Jakey’ Slater)のコンピュータから出てきたんです。お蔵入り音源が。おくある状況ですけど、録音してたってことさえコッペは憶えていなくて。『蜜』(2021年)をつくり終わったあとに、ジェイキーが「じつは、昔のコンピュータからジャズの音源が出てきて、めちゃくちゃいいかわ、使わないのはもったいないよ」って。聴いてみたらまあたしかにいいかなって内容で、そこに何曲か足して。

では、だいぶ前の録音が使われているんですね。

C:もう10年とか、15年くらい前。たしかジェイキーが新しいスタジオで仕事をはじめたときで、「ちょっとテストしたいからなにかやってみて」みたいな感じで、当時よくライヴを一緒にやっていたメンバーと集まって。それを彼が録っていたんだと思う。

録られていたことに気づかず。

C:そういうのばかりですよ! ピーナッツ・バター・ウルフの “PBWolf vs. Mothra (feat. Cappe)” もそう。ずいぶん昔、彼のスタジオに遊びに行ったときにレコーディングされてたことをコッペはまるでわかってなくて、レコードが出たこともぜんぜん知らなかった。ひどいやつらですよ(笑)。でも、それはUSのヒップホップだと普通みたいで。「そうなんだ、いいよべつに」みたいな。

ほかにも知らないうちに出ている作品もあるかもしれませんね。

C:いっぱいあると思いますよ。昔はドラムンベースでも歌いまくってたし、ロンドンの〈No U-Turn〉のスタジオとかでも、行くたびにインプロで歌いまくってたので。オービタルの最近の “Moon Princess (feat. Coppe)” も、「ちゃんとクレジットしてくれるのかな?」って不安だったけど、彼らはやっぱりプロフェッショナルなのでちゃんとやってくれた。でも「Coppé」の最後のチョン〔※アクサンテギュ〕はつけてくれなかった(笑)。

先ほど少しお話に出た、もうひとつ前のアルバム『蜜 Mitsu (25rpm)』はピアノ・アルバムでしたね。

C:あれはもうずいぶん昔みたいな感覚……ロックダウン中につくったやつです。生まれて初めて経験して、でもコッペにとってはかけがえのない時間でもあったんですよ。くだらないミーティングとかで外に出ていかなくてよくなって、棚からぼたもちのような、自由になる時間ができて。もうスタジオに缶詰めになるしかないですよ。それで。コッペが持ってる楽器でいちばん古い、コロンビアのエレピがあって、ピノコっていう名前をつけているんですけど、スタジオの奥でほこりをかぶっていたそれをジェイキーきれいに掃除して、「ピノコごめんね」って言ってぽろぽろ弾きながら、ピノコとの会話をスタートさせました。そしたらジェイキーが「レコーディングしてもいい?」って言ってくれて、そこからサクッと3~4日くらいでできたのがあのアルバムです。だから、ぜんぶインプロなんです。たぶん、バッハが降りてきたと思う(笑)。
 こういうこというと「コッペさん、イっちゃってる」とか思われるかもしれないけど、亡くなってしまった方々って、エネルギーとしてふわふわ飛んでるじゃないですか。バッハにしてもジム・モリスンにしても、みんな、もっともっといい曲を書きつづけていたかったと思う。でも病気とかいろんな理由があって、先に逝っちゃって。でも、みんなスピリットとして元気にやっていて、曲を書きつづけてるんですよ、絶対。でも地上にいないと形にはできない。だから、コッペみたいな頭が空っぽな火星人に、チョウチョみたいに降りてくるんです。コッペはいつも頭を空っぽにしてるので、チョウチョが来るとすぐに指が動いたり声になって出てくる。だから、けっしてコッペが書いているんではない。頭で考えてとか、そういう暇はまるでないので。小学生のころは「ここまでAマイナーだったから次はメジャーにしよう」とかいろいろ考えていたんですが、この『蜜』にかんしてはそれはまったくなかった。自然とできあがってしまったという。

憑依されているというのはシュルレアリスムっぽいところもあっておもしろいですね。自分の意識の外からやってくるもの、コントロールできないものによって作品ができてしまうという。

C:コッペの作品はもう80パーセント以上、もしかしたら90パーセント以上そうだと思います。歌詞もほぼ夢からできているし。そもそも地に足が着いていないですしね。だいたい毎日ふわふわしているので。

「ぶっ壊して!」とオファーした最新リミックス盤


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「とりあえずぶっ壊して!」っていうのだけ。やっぱり嫌じゃないですか、「ビョークみたいなのをやってください」とか「エンヤみたいに」とか、だったらビョークに頼みなさいよって思いますし。

さて、あらかじめつくることが決まっていたという今回のリミックス盤『*( -)tweaked』ですが、人選にはどのような狙いが?

C:いや、なにもないですね。ただコッペのまわりにいる仲良しなひとたちにお願いするっていう(笑)。ただみんなそれぞれスケジュールがあるから、そこはタイミングを見て。プラッドがいちばん時間がかかったかな。

個人的には今回のリミックス盤では、このプラッドの “Satin Doll (Plaid Remix)” がいちばん好きでした。

C:プラッドだとコッペは、“Atlantis Is Kushti (Plaid mix)” (『Peppermint』2000年、収録)がいちばん好きかな。あれはプラッドのふたりが日本にツアーに来たとき、そのころコッペはまだアリゾナに住んでたんですけど、同行して一緒に沖縄の座間味島っていうところまで泳ぎに行って、そのときできた曲で。1998年だったかな。元ジ・オーブのクリス・ウェストンやミックスマスター・モリスも一緒にいました。みんなプラッドとつながってて。座間味島ってほんとうに海がきれいで、みんなで潜ってレインボー・フィッシュを追いかけたり。サンゴって死ぬと真っ白になるんですけど、そのうえをはだしで歩くとしゃりしゃりして、痛いんだけど気持ちいいんです。その音が大好きで、当時MDのレコーダーでレコーディングしていたので、それを持ってその音を録りに潜ったんですよ。でもぜんぜんダメで、MDが壊れちゃって。みんなから「そういう電子機器は水中では使えないんだよ」って教えてもらいました(笑)。そしたら数年後にプラッドのエド(・ハンドリー)が、海の中にも持っていけて、クジラの声まで録音できるコンタクト・マイクをプレゼントしてくれて。

猪股:「エド」で思い出しましたが、ドラムンベースのエド・ラッシュ&ニコのニコが、2002年ころの作品にはよくクレジットされていましたよね。

C:ニコとはすごく仲良くなってます。ニコのスタジオがいちばんレコーディングしてる場所だと思う。ニコは当時あのあたり、エド・ラッシュとかオプティカルとかを仕切っていたひとで、でもなんか悪いことをされて音楽業界が嫌になっちゃったみたいで。自分が書いたのにクレジットしてもらえなくて、大ヒットしてとか。向こうってそういう大事なところが抜けてるんですよ。でもいまでもロンドンに行ったらつるんでますよ。たしか父親がBBCの偉い方で、ボブ・ディランとかにインタヴューしてる方で。でもニコは不良(笑)。

今回のリミックス盤でいちばん気に入っているのはだれのリミックスですか?

C:難しいなあ。もうあんまり憶えてない(笑)。いつも次につくってるもののことを考えてるから。来年ファーストの『Coppé』が30周年なので、いまはレーベル〈Mango & Sweet Rice〉30周年記念盤をつくってます。ルークと一緒に。

(今回のリミックス盤にも参加している)ルーク・ヴァイバートですか?

C:そう。ヒップホップ。じつは、今回の “My Funky Valentine (Luke Vibert Remix)” をお願いしたあと、いろいろあって、30周年記念盤でも一緒にやろうということになりました。それ(30周年記念盤の曲)はもう鳥肌が立つくらい、めちゃくちゃいい曲になっています。目玉の1曲。

それは楽しみです。今回のリミックス盤で、予想外のものが来たなというのはありましたか?

C:コッペはニカコイが好きなんですけど、彼とのコンビネーションってすごいと思うんですよね。以前『Milk』(2017年)というアルバムをつくったときに、当初ニカコイには1曲だけお願いしていたのに、3曲もやってくれて。相性がいいんです。『Rays』(2012年)のときも、最初はとりあえず1曲って感じでスタートしたんだけど、あれよあれよという間に1枚まるごと共作になって。今回のリミックスについてはノー・コメントですが、ずっと近くにいてほしいひとです。

猪股:いろんな方にリミックスをオファーする際、方向性など注文を出したりはしましたか?

C:「とりあえずぶっ壊して!」っていうのだけ。やっぱり嫌じゃないですか、「ビョークみたいなのをやってください」とか「エンヤみたいに」とか、だったらビョークに頼みなさいよって思いますし。そういうことをみんなにはさせたくないので、好きなようにぶっ壊してくれって。クリエイティヴのフリーダムはかならずみんなに与えます。そういうオーダーですね。

猪股:DJ KENSEIさんについてもお尋ねしたいです。今回の面子のなかでKENSEIさんはいちばんスタイルの幅が広い方で、いろんなことができる方ですよね。

C:KENSEIは達人ですよね。KENSEIは「そのままバッキング・トラック流して」って言っても絶対やりたがらないようなひとなので、いろいろやりとりしながら、「好きなようにぶっ壊して」と。2023年のフジロックのピラミッド・ガーデンにCoppé feat. Kensei & Hatakenとして出演したんですけど、キャンドルの火に囲まれて、すばらしいライヴだったんです。コッペたちのアンビエントな感じの音と、そよ風で炎が揺れる感じが化学反応を起こして。みんな芝生に座って聴いてくださっているんですけど、その吐息まで伝わってくるような、ハッピーなライヴでした。

困っちゃうぐらい火星人


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あなたはこうで、あなたはこう、って区別するの、ぜんぜんわかんないんですよね。音楽もいろんなものを混ぜるし、お料理も混ぜるし、友だちも混ぜるし。そんな感じの、困っちゃうぐらい火星人って感じ。

最近の音楽で気に入っているものはなにかありますか?

C:フローティング・ポインツ。ミックスマスター・モリスは日本に来るといつもかならずうちに来るんですけど、フローティング・ポインツは神経科学の博士号を持っているのにこんないい曲をつくってるんだよって教えてくれて。あと、サム・ゲンデル。彼が “Satin Doll” を使った曲があって、それは超キョイーンってきましたね。

アートワークについてもお伺いさせてください。デザイナーズ・リパブリックのイアン・アンダーソンが手がけていて、オリジナルがピンク、リミックス盤が淡いブルーないしグリーンのセットですが、なにかコンセプトがあったのですか?

C:イアンはエレクトロニカが好きなひとなので、ジャズ・アルバムのデザインやってくれるかな、断られるかなと思ってました。でもオッケーしてくれました。彼は、もしジャズの音源のデザインの依頼が来たら、ボビー・ハッチャーソンのジャケットみたいなアイディアでやりたい、っていうのをずっと考えていたみたいで。「その路線で進めてもいい?」って確認されて、でもミーはいつものようにボビー・ハッチャーソンのことはぜんぜん知らなかったから、「いいよ、好きなようにやって」と伝えて、こうなりました。

イアン・アンダーソンとはいつごろからお知り合いなんですか?

C:『Coppe' In A Pill』(2010年)っていうUSBメモリー・スティックのコンピレーションを出したときだから……いや、『20rpm』(2015年)のころだから、10年くらいかな。デザインも音も、「キョイーン」ってくるものだから、イアンのデザインは最初から「キョイーン」ってきて好きでしたね。あの、バットを持っている女の子のキャラ、「Sissy」が大好きです。『蜜』のときは「蜜」という漢字で遊んでみて、ってお願いしました。

ちなみに、こんにちでは電子音楽をやっている女性はたくさんいますが、コッペさんがエレクトロニック・ミュージックをされはじめたころは、少なくともいまよりはぜんぜん少なかったと思うんです、とくに日本では。そういうことを意識したことはありますか?

C:まるでない。自分がどういうところにいるのかとか、自分でまるでわかってないひとで。

猪股:男性よりもアタリが強かったりとか、あるいはその逆だったりとか、そういうことはなかったんでしょうか。

C:いい質問をくれました! いや、女性とか男性っていうのはいまいちわかんなくて。コッペ、火星人なもんで(笑)。あんまりそういうの意識してなくて、まわりはゲイばっかりだったし。あなたはこうで、あなたはこう、って区別するの、ぜんぜんわかんないんですよね。音楽もいろんなものを混ぜるし、お料理も混ぜるし、友だちも混ぜるし。そんな感じの、困っちゃうぐらい火星人って感じ。

interview with Tycho - ele-king

 ISO50という名義でヴィジュアル・アーティストとしても活動するティコは、DJシャドウやボーズ・オブ・カナダなどからの影響のもと2002年に「The Science of Patterns EP」でデビュー。トリップホップやエレクトロニカ、IDMのような風合いに郷愁を加えたようなフォーキーな作風が次第に話題を集め、2011年作の『Dive』、2014年作の『Awake』、2016年作の『Epoch』の三部作が00年代後半から10年代初頭にかけて巻き起こったチル・ウェイヴ・ムーヴメントとともにドリーム・ポップの秀作として一定の支持を集めた。この時期にソロ・プロジェクトから実質的にバンド・サウンドへと移行していき、よりスケール感の大きいクリアな音像を志向するようになる。

 文化的な刺激を際限なく求め続けていくと、遅かれ早かれどこかのタイミングで「健康」というものを軽視してしまいがちになる。もちろん自分もそのひとりだ。ある種のワーカホリック状態であることは薄々わかってはいるものの、ゆっくりすごしてじっとする方法は体力的な限界、つまりバッテリー切れを待つことのみで、適度に健康的な息抜きを楽しむような時間も余裕もパンデミック以降は失ってしまった。とはいえ、より長く音楽や文化(とそれにまつわるほどよい刺激)を楽しむためには、やはり捨て置いた健康についてどこかで再考の機会を設けないといけない気もする。

 そんななか、ティコがパンデミックを脱した2024年の晩夏に、約4年ぶりの新作『Infinite Health』をリリース。タイトルを直訳すると「無限の健康」という、いままでのディスコグラフィとは若干毛色の違うキーワードが飛び出した。グリズリー・ベアのクリス・テイラーを共同プロデューサーとして迎え、出発地点であるエレクトロニカやチル・ウェイヴの持つおぼろげな質感のみを引き継ぎつつ、よりクリアで写実的な、生の音像を追求することを目指したアルバムとなった。従来の陶酔感あふれるダウンテンポな作風からモードを一新し、全9曲中7曲のBPMが110~130というダンサブルなつくりとなっていることも特徴的で、イタロ・ディスコの香りもただようインディ・ダンス風味の作品として自身のディスコグラフィに新風を吹きこんでいる。実際、近年はティコ名義ではいままで挑戦してこなかったDJセットにも意欲的なようで、音楽の原体験がダンス・ミュージックであり、かねてから影響を受け続けているとも公言している。いわば、パンデミック下で自身の生活を見つめなおすとともに、改めて原点に立ち返ろうとした作品であるとも考えられる。今回ele-kingでは、コロナ禍のタームを通りすぎ健康や日常生活へも意識を向けはじめたスコット・ハンセンに、久しぶりに話をうかがった。

やはりパンデミックがきっかけだったんだ。健康とはなにか、健康であることとはなにか、健康であることがどれだけ幸運なことなのか、そして世界、地球、人びとの精神的健康、人びとの身体的健康、これらすべてを見直すことになった。

通訳:お元気ですか?

スコット・ハンセン(Scott Hansen、以下SH):元気だよ。いまはちょうどツアーに出発するところで、倉庫から荷物をおろして、バスに荷物を積み込んだところなんだ。

忙しいなか、お時間をつくっていただきありがとうございます。現在も引き続きお住まいはサンフランシスコですか? 東京は猛暑で大変ですが、そちらはいかがでしょう。気候変動の影響はありますか?

SH:いや、いまは湾を渡ってオークランドの近くに引っ越したんだ。オークランドに引っ越したのは家庭を築いて子どもができたから。子どももいるし、もう少し広々とした場所で、親の近くに住んだ方がいいと思ってね。オークランドの気候はサンフランシスコと比べると最高。世界で一番良い気候なんじゃないかってくらいだね。いつも暖かくて、だいたい21度くらい。毎日いい天気だし、暑すぎることはないし、寒すぎることもない。サンフランシスコはいつも寒くて風が強くて、天気がいい日は年に数週間しかないからね(笑)。

2020年の前作『Simulcast』から少し間が空きましたね。この間にはもちろんパンデミックがあったわけですが、この4年のあいだにあなたの人生でなにか大きな変化はありましたか?

SH:やはり一番の変化は家庭を持ったこと。物事に対する考え方が変わったし、ワーク・ライフ・バランスも変わった。あともちろん、コロナがきっかけで立ち止まり、この10年間がどんな時間だったか、そしてこれからの10年間はどうであるべきか、自分は音楽をどんなふうに人に聴かせたいかを考えるきっかけができた。あの期間は、自分のキャリアを一時停止して、ただ人生に集中し、ひとりの人間として自分が将来どうありたいのかということと仕事の折り合いをつける、ほんとうにいいきっかけになったと思う。

新作『Infinite Health(無限の健康)』に寄せたメッセージでは、「我々にほんとうに必要なのは肉体的、精神的に健康でいることであり、誰もが家族や友人が永遠に健康であることを願う」とおっしゃっていましたね。ご自身や家族、友人たちの健康へと意識が向かうようになった出来事がなにかあったのでしょうか?

SH:さっきも少し話したけど、やはりパンデミックがきっかけだったんだ。健康とはなにか、健康であることとはなにか、健康であることがどれだけ幸運なことなのか、そして世界、地球、人びとの精神的健康、人びとの身体的健康、これらすべてを見直すことになった。2010年から2020年までの10年間は音楽とキャリアに集中していたから、心身の健康が後回しになっていたんだよね。その期間はその期間で、音楽と自分のキャリアを結びつけ、それを優先させるいい機会だったとは思うけど。でも全体的に見れば、それは束の間のものでもある。肉体的であれ精神的であれなんであれ、いまこの瞬間に健康でいるからこそそれができるわけで。パンデミックを通して、最もポジティヴな影響を人びとに与えるためには、まずは最も強い自分である必要があると思うようになった。そこで、仕事とバランスをとろうとしたんだ。そのほうがうまくバランスがとれて健康的だからね。ぼくはちょっと仕事が好きすぎる傾向があるから(笑)。

健康のためになにかしていることはありますか?

SH:肉体的にも精神的にも、より健康的な自分になるために必要なこと、そして家族のために必要な人間になるためにやるべきことに、もっと耳を傾けるようにしている。だから、エクササイズに集中したり、仕事から離れて普通の人たちと同じことをする時間をつくったりして、仕事や音楽に没頭しすぎないようにしているんだ。そしてそれと同時に、音楽に費やす時間を最大限に活用して、最高の音楽をつくるようにしているよ。

過去には囚われたくないし、未来にこだわることもない。いまを大切にし、今日できることをすべてやって、よりよい結果を出していく。そうすれば、おのずと未来は解決していくと思うんだよね。

新しいアルバムは、インディ・ロックのギター・サウンドとイタロ・ディスコの融合といえそうです。今作は「自分たちのルーツに忠実でありながら、可能な限り異なるサウンドにしよう」というのがコンセプトだったそうですね。

SH:ロックの要素をより多くとりこむ方向には前から動いていたんだよ。そしてこのアルバムでは、もっとエネルギッシュでダンスっぽい方向にも向かいたかった。それが最初のアイデアだったんだ。今回は、できるだけ違うサウンドのアルバムをつくろうと思ってね。プロデューサーとして、ミュージシャンとしてどんなに頑張っても、ぼくには声があって、いつもぼくらしい音になってしまう。だからこのアルバムが根本的に違っているとは思わないし、ティコとして認識できなくなるようなサウンドだとも思わない。自分たちらしさを消したいとも思わなかったし、今回のアルバムは馴染みのサウンドを残しながらも進化を感じさせたり、新しい方向へ導いてくれるような作品にしたかったんだ。

通訳:こうした方向性に舵を切ったきっかけ、インスピレーションはなんでしたか?

SH:インスピレーションがあったというよりは、ぼくは長い間、このサウンドとアイデアを追い求めていたんだ。でもそこからちょっと一休みして『Weather』をつくった。あのアルバムは、音的には同じような感じだったけど、ヴォーカルを加えたことで、ちょっと違う実験的な作品になったと思う。そしてそのあと、また長い休みをとった。で、もしインスト・アルバムに戻るなら、そのときはちょっと違う視点からアプローチする必要があると思ったんだ。

今作の制作中、とくによく聴いていた音楽はありましたか?

SH:正直、音楽制作をしているときはあまり音楽を聴かないんだ。長い一日を音楽制作の作業に費やしたあとは、耳を塞ぎたいくらいだからね(笑)。でもここ数年でもっと多くのことをやるようになったと思うし、そのひとつがDJセット。だからダンス・ミュージックが音楽に大きな影響を与えているのはたしかだと思うね。でもまあ、ダンス・ミュージックからは常にインスパイアされてきたし、自分が音楽にハマったきっかけもダンス・ミュージックだったけど。でも、今回のアルバムに収録されている曲は、なにか特定の音楽を参考にできあがったものではないと思う。

バンド・サウンドとダンス寄りのエレクトロニック・ミュージックを融合させるうえで、とくに意識していることはありますか?

SH:意識していることは特にはない。ただ純粋にエレクトロニックなものを用いてひとりでつくった曲もあれば、ザック(・ブラウン)と一緒につくった曲もある。最終的には25曲くらいできたんだけど、そのなかからバランスよく、ダイナミックでいろいろなタイプの曲が入ったアルバムになるように選んでいった。まずたくさん曲を書いて、それをどう組み合わせるかを考えていったんだ。

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今回、共同プロデューサーにグリズリー・ベアのクリス・テイラーを迎えた理由を教えてください。彼とはどのような経緯で出会ったのでしょう?

SH:ぼくがグリズリー・ベアの大ファンだから(笑)。ぼくにとって、とくに『Painted Ruins』は音的にかなり惹きつけられるアルバムなんだ。まず自分にとってお気に入りのアルバムをリスト・アップしてから、そのアルバムを誰がミックスしてプロデュースしたかを調べていたら、クリスが『Painted Ruins』だけでなく、そのリストに載っていたほかの作品のエンジニアとプロデュースも手がけていたことがわかってさ。そこで彼にコンタクトをとってみたんだ。そしたら、幸運にも彼も一緒に仕事をすることに興味を持ってくれた。彼と一緒に仕事をした経験からはほんとうにインスパイアされたよ。

通訳:それまでクリスに会ったことはなかったんですね。

SH:というか、いまだに彼と会ったことはない(笑)。彼はバルセロナに住んでいるから、すべての作業をリモートでやったんだ。最終的には会おう、と最初は話していたんだけど、結局同じ部屋で作業するということはぼくたちにとって必要なことではなかった。個人的には、ある意味あの電報のやりとりのようなやり方がアルバムの仕上がりにいい影響をもたらしたと思う。リモートで作業したおかげで、彼のミックスを何度も時間をかけて聴いて、じわじわと理解することができたからね。

今回、彼が果たした役割を教えてください。バンド・メンバーとクリス・テイラーと、どのようなプロセスで制作を進めていったのですか?

SH:彼は、ほんとうにアグレッシヴな中音域を持っている。ぼくは彼の中音域の扱い方が大好きなんだ。ぼくは中音域の高音が大好きで、それを押し出すのも好きなんだけど、それをやろうとすると荒々しく醜いサウンドになってしまう。でもクリスはその周波数帯域と特別な関係を持っていて、押し出し方がうまいんだ。ドラムの扱い方といい、その他色々、彼はサウンドを駆り立てながらも、有機的で心地よい空間へと押し込んでいく。そして、そのサウンドに新しい命やエネルギーを与えるんだよ。それこそがぼくが求めていたものだった。彼には、エレクトロニックな要素をとりいれつつも、そのサウンドをロックやインディ・ロック・バンドがシンセサイザーやギターを扱うように扱って欲しかったんだ。彼はそれを得意としているからね。

ちなみに、グリズリー・ベアないしクリス・テイラーの作品ではどれが一番お好きでしょうか。やはり『Painted Ruins』ですか?

SH:そうだね。あれは傑作だと思う。ミックスの仕方、ベースの音、ドラムの音、すべてが調和している。ほんとうに美しい作品だと思うね。

全体的な終わりではなく、ある時代の終わり。今回は、『Past Is Prologue』の時代にもどるようなアルバムをつくりたかった。そして、ぼくがそれをやるのはおそらく最後だろうと思ってね。

今作のテーマは「未来への希望と過去へのレクイエム」だそうですね。ここでいう「過去」とはどのようなものでしょうか? たとえばあなた個人にとっての過去、これまでの作品だったり、あるいは若いころのことですか? それとも、より広い社会的なことだったり流行だったりを指しているのでしょうか。

SH:過去と折り合いをつけて、過去と和解することがテーマなんだ。そして過去のことで後悔したり、自分を追い詰めたりしないこと。それはほんとうに重要なことだと思う。ぼくにとってのここ10年間は、ただただクレイジーで、あっという間だった。だから、いまになってそれを振り返り、すべてを理解しようとするのは難しいんだ。でもその代わりに、これから先もっと良い結果を出すことがほんとうに重要なことだと思うようになった。過去には囚われたくないし、未来にこだわることもない。いまを大切にし、今日できることをすべてやって、よりよい結果を出していく。そうすれば、おのずと未来は解決していくと思うんだよね。もしぼくが過去や未来にとらわれすぎていたら、いまこの瞬間もきっと集中できていなかったかもしれないし。ぼくはノスタルジックな人間で、過去を振り返りがちなんだ。もちろん、過去から学ぶべきことはたくさんあると思うし、反省する必要もあると思う。でも、それをやりすぎるのはあまり健康的ではないと思うんだ。

最後の曲は “Epilogue” というタイトルです。これはシンプルに、この新作の最後の曲という意味でしょうか。2006年に〈Merck〉からリリースされたファースト・アルバムは、シェイクスピアを引用し、『Past Is Prologue』と題されていましたが、それと呼応していたりしますか?

SH:そう。あのアルバムがはじまりで、このアルバムがひとつの終わりのような気がしたから最後のトラックを「Epilogue」にしたんだ。全体的な終わりではなく、ある時代の終わり。今回は、『Past Is Prologue』の時代にもどるようなアルバムをつくりたかった。そして、ぼくがそれをやるのはおそらく最後だろうと思ってね。次につくる作品は、今回のものとはまったく違うものにしたいから。『Weather』のときみたいに、また新しいなにか、これまでにつくったことのないものをつくってみたい。そういう意味で、今回のアルバムは、一つの時代全体の締めくくりみたいに感じられたんだよ。

今年は、ファースト・アルバム『Past Is Prologue』のもとになった『Sunrise Projector』(2004)からちょうど20周年です。この20年を振り返ってみて、いちばん大きな転機はどこにあったと思いますか?

SH:音楽がぼくのキャリアになり、生活するための仕事になったことは、ぼくの人生におけるもっとも大きな変化だったと思う。この仕事にすべての時間とエネルギーを注げるようになって、ほんとうに充実した経験をさせてもらえていると思うね。

さまざまな問題にあふれている現代では、なかなか未来に希望を持ちづらい人も多いかと思います。ついついネガティヴになってしまいそうなとき、未来に希望を持つためのコツのようなものがあれば教えてください。

SH:それはとても大変なこと。近頃は皮肉屋になることは簡単だし、ぼく自身も時々そうなってしまってほんとうに落ち込むこともある。特に子どもがいると、希望を持てない未来を見るのは辛いしね。でも、SNSやニュース、メディアから自分を切り離すこと、そういったものをとりいれるにしても適度に保つことはできると思う。適度にとりいれる分には、SNSはとても助けになると思うしね。知っておく必要があることもあるし、避けられない現実もあるけれど、同時に、日常生活のなかではそれらを心に留めておくように最善を尽くす。それがすべてなんじゃないかな。未来のことを難しく考えすぎると、脳が爆発してしまう。だから、“いま”のことを考え、いま自分ができることをやっていけたらいいんだと思う。自分が無力だと感じるような、そして世界の問題の大きさを感じるような瞬間があるけど、ぼくはただ、音楽と、ミュージシャンとしてのぼくができることはなにかを理解し、それを通してポジティヴな影響を与えることができたらいいと思ってる。それが世界の問題を解決することになるとはもちろん思わないけど、自分ができることをやってその役割を果たし続けることができればそれで良いと思うんだ。それ以上のことを考えたって、どうすればいいか見当もつかないからね。そうして悲観的になってしまうよりは、いまできることを大切にしたほうがいいと思う。

新作のジャケットは、草原のなかに浮いている巨大な球体が印象的です。今回あなたはアートワークにも関与していますか?

SH:今回はフラン・ロドリゲスというアーティストを見つけ、彼と一緒にアートワークをつくったんだ。彼は写真コラージュのようなとてもクールな作品をつくっていて、ぼくが『Dive』時代にやっていたようなことをやっている。今回は70年代のアルバム・ジャケットのような、シュルレアリスム的な雰囲気がほしいと思ってその方向で行くことにしたんだけど、ぼくは彼の作品をかなり気に入ったし、そのアイデアには彼がぴったりだったんだ。できあがりにはかなり満足しているよ。

これまではオリジナル・アルバムを出したあと、リミックス・アルバムをつくるときとつくらないときとがありました。今回リミックス盤の予定はありますか? あるとしたら、いちばん参加してほしいプロデューサーはだれですか?

SH:つくりたいとは思うけど、まだそれについて考える段階にまで達していないんだ。だからいまのところ予定はない。でも、もしつくるとしたら、参加してほしいのはダスカス(Duskus)かな。あとはジョイ・オービソン。ぼくは彼らの音楽が大好きだし、彼らがリミックスでどんな仕事をするのか聴いてみたいから。

通訳:以上です。今日はありがとうございました。

SH:こちらこそほんとうにありがとう。またね!

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