「PAN」と一致するもの

The Bug - ele-king

 ザ・バグは早かった。2003年に〈Rephlex〉から出た『Pressure』。きれいなエレクトロニカが隆盛を極めていたあの時代に、独自の歪んだ音響で大胆にダンスホールを導入、怒りを表現したこと──ザ・バグは10年先を行っていた。
 最近も彼は動きつづけている。2019年にはゾウナルとして過激なアルバムを発表、ベリアルとのフレイムもあった。昨年はケヴィン・リチャード・マーティン名義で怒濤のごとくアンビエント作品を投下、ザ・バグ・フィーチャリング・ディス・フィグとしても〈Hyperdub〉からアルバムを送り出すなど、休むことを知らない。
 なのであまり久しぶりという感じはないのだが、しかしザ・バグ単独名義としてはじつに7年ぶりとなるオリジナル・アルバムがリリースされることになった。その名も『Fire』。タイトルからして熱い。『Pressure』のときはイラク戦争だったけれども、今回はやはりパンデミック~ロックダウンが契機となっている模様。ムーア・マザーも参加している。発売は8月24日。聴き逃す理由はない。

THE BUG
エイフェックス・ツイン、トム・ヨーク、ケヴィン・シールズ、エイドリアン・シャーウッドら錚々たる面子が賛辞を贈る〈NINJA TUNE〉のカリスマ、ケヴィン・マーティンが、7年ぶりにザ・バグ名義でアルバムをリリース! 新曲 “Clash” が解禁!

2008年にスマッシュヒットを記録した『London Zoo』、デス・グリップスなど超凶力なゲスト陣も話題となった2014年の『Angels & Devils』という二枚のザ・バグ作品以外にも、テクノ・アニマルやキング・ミダス・サウンドなどいくつもの名義を操り、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインのケヴィン・シールズも在籍した伝説のバンド、エクスペリメンタル・オーディオ・リサーチのメンバーとしても名を連ね、エレクトロニック・ミュージック・シーンのアウトサイダーとして、長きに渡って活躍するカリスマ的プロデューサー、ケヴィン・マーティンが、メイン・プロジェクトであるザ・バグの実に7年ぶりとなる最新作『Fire』のリリースを発表! あわせて新曲 “Clash (feat. Logan)” を解禁した。

The Bug - 'Clash (feat. Logan)' (Official Audio)
https://youtu.be/OgBwOYRuVAw

『London Zoo』『Angels & Devils』に続く、都市を舞台にした三部作の最終作品としても位置づけられている新作『Fire』。MCには、Flowdan、Roger Robinson、Moor Mother、Manga Saint Hilare、Irah、Daddy Freddy などの長年の仲間に加え、Logan、Nazamba、FFSYTHO などの新鮮な面々も参加。音の身体性と強度を追求し続けるケヴィン・マーティンにとって間違いなく最高傑作であり、彼がこれまでに制作した音楽の中で最も獰猛かつ感動的なサウンドが展開する。

ザ・バグを始めたのは、俺の倉庫にあったサウンドシステムのための音楽を作りたかったからだし、バグのライヴ体験こそ、常にレコード作品に反映させたいと思っていた。いつだって炎に、ライヴ体験に注ぐための燃料を探してるんだ。だからロックダウンによってライヴができないことが大きなきっかけとなった。常に「どうしたらもっと盛り上げられるだろうか?」「どうすれば人々をもっとコントロール不能にできるのか?」と問いかけてる。俺にとって、ライヴは生涯忘れられないものでなければならない。オーディエンスをDNAから変えてしまうもの、良い意味で彼らの人生に傷痕を残すようなものでなければならないんだ。俺は、摩擦や混沌、音で炎をあおることが好きだ。このアルバムは、ライヴの激しさや、ライヴ中の “ファックオフ” というアティチュードという点で、俺のライヴが最も良く反映されてる。「WHAT the FUCK?」というのが俺がオーディエンスから望む反応だよ。人々が音楽をどのように消費するかについて多くのコントロールがあり、文化的に抑圧されてる時代において、常軌を逸するということこそ正しいリアクションだ。 ──Kevin Martin

ザ・バグ最新アルバム『Fire』は、8月27日(金)世界同時リリース! 解説付きの国内流通仕様盤CD、輸入盤CD、グレー・ヴァイナル仕様の通常盤2枚組LPの他、シルクスリーン・プリントによるスリーヴ、レッド&イエロー・ヴァイナル仕様の限定盤で発売される。さらに世界限定500枚の Bleep 限定仕様盤(クリアレッド&クリアイエロー・ヴァイナル)が Beatink.com で超限定数販売決定!

label: NINJA TUNE / BEAT RECORDS
artist: The Bug
title: Fire
release date: 2021/08/27 FRI ON SALE

国内流通仕様盤CD
解説書封入 BRZN275 ¥2,000+税
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=11960

BEATINK.COM 限定盤LP
(クリアレッド&クリアイエロー・ヴァイナル)
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=11961

TRACKLISTING
01. The Fourth Day (feat. Roger Robinson)
02. Pressure (feat. Flowdan)
03. Demon (feat. Irah)
04. Vexed (feat. Moor Mother)
05. Clash (feat. feat. Logan)
06. War (feat. Nazamba)
07. How bout dat (feat. FFSYTHO)
08. Bang (feat. Manga Saint Hilare)
09. Hammer (feat. Flowdan)
10. Ganja Baby (feat. Daddy Freddy)
11. Fuck Off (feat. Logan)
12. Bomb (feat. Flowdan)
13. High Rise (feat. Manga Saint Hilare)
14. The Missing (feat. Roger Robinson)

interview with Terre Thaemlitz - ele-king

このインタヴューは来年に延期されたテーリ・テムリッツ氏が出演予定のドイツの都市モンハイムで開催される音楽フェスティヴァル、《Monheim Triennale》から依頼を受け、英語でインタヴューをおこない執筆したものに若干の編集を加え日本語にしたものです。日本で20年、外国人でクィアで反資本主義なアーティストとして活動しているテーリさんの深い考察は、日本の人たちにこそいま読まれるべき示唆に富んでいます。

 DJスプリンクルズとして知られるテーリ・テムリッツは世界を見渡しても、最も進歩的な芸術・音楽家たちのなかでさえも、極めてユニークな立場にある人物だ。批評性というものに深く向き合うことを決意している彼女は、あらゆる先入観や前提を疑うことを書く者に容赦なく迫るので、彼を題材にした記事を書くのは容易ではない。「私はかなり反パフォーマティヴで、どちらかというと文化評論家だと思っています。私は自分をアーティストやミュージシャンだとは思っていません」と彼女はさっそく私の第一の前提をはねのけた。
 とはいえ、テムリッツは音楽制作・パフォーマンスをするアーティストとして最も広く知られているのは事実で、初期作品はドイツの電子音楽レーベル〈Mille Plateaux〉から、それ以降は東京の〈Mule Musiq〉やパリの〈Skylax Records〉といったレーベルから作品がリリースされている他、自身が運営する〈Comatonse Recordings〉がずっと彼の執筆活動や従来のフォーマットに収まらないプロジェクトのためのプラットフォームとなっている。最近では、76曲入りのアルバム『Comp x Comp』(2019年)や、オーディオ、ビデオ、テキストで構成されたマルチメディア・アルバム『不産主義』(2017年)などがそのディスコグラフィーに加えられた。
 彼女のハウスDJ名義であるDJスプリンクルズは、過去10年ほど世界各地のクラブやフェスティヴァルのラインナップに名を連ねる人気を博している。特に、2008年に高い評価を得たアルバム『Midtown 120 Blues』をリリースした後、RAポッドキャストのミックスで国際的な注目を集め、さらに近年こうしたシーンでラインナップの多様性とジェンダー平等を実現しようとする取り組みに後押しされた側面もある。

 ここまでに、「彼」、「彼女」と代名詞が混在していることに気づき、若干の混乱や読みにくさを感じている方もいると思うが、これは意図的である。トランスジェンダーであるテムリッツは、ひとつの代名詞に絞ることに抵抗を示す。近年、英語圏ではノン・バイナリーを性自認する人が、she/her でも he/his でもなく they/them を代名詞として使用することが一般化しつつある。自己紹介の際に、名前の次に代名詞は何かを本人が指定すること、あるいは相手に確認されることがマナーになってきている。しかし、彼女は第三のジェンダー代名詞(they/them)を使うことを拒否している。なぜかというと、「それは、家父長制の下でのジェンダー危機を解決しないからです。私は全く心地よさを感じません。読者には読みやすいかもしれませんが。それより私はむしろ、家父長制下での私自身のジェンダーの違和感を読者が共有することに興味があります。だから、代名詞が交互に入れ替わる文を読むのが心地悪いと感じるなら、いらっしゃい、私の世界へようこそ!」

移民という経験は、日本に順応したと公言することよりも、アメリカにいたときの自分を解体していくこと=“アンビカミング” に役立っているという風に考えています。そのような “それまでの自分のあり方を取り壊していく” =アンビカミングのプロセスこそが、私がより権威を持って語れることであり、より正確でより有益な情報となるのと思います。概して私は、「何かになる」ことよりも「規定されたあり方を壊す」ことの過程について語るほうが有益だと思っています。

移民として日本にいること

この春、テムリッツが母国アメリカから日本に移住して20周年を迎えた。これは、彼が現在住んでいる千葉の田舎の農家と、私が住むベルリンを Zoom を介してかなりじっくりと話を聞かせてもらってまとめたものだ。私は日本人でありながら、オーストラリアとドイツに合計20年近く住んでいるので、移住という経験でいえばほぼ逆相関という関係にある。

芸術や非商業的な音楽に携わる者にとって、日本は通常、移住先として真っ先に浮かぶ国ではない。特に東京では生活費が高く、公的機関や社会一般からのサポートと言えるものがほとんどない。しかし彼女が日本に住む動機は、私たちの多くがごく当たり前に享受している、身体の安全であると言う。

「私はアメリカから日本に、トランスジェンダーとして来ました。アメリカでは、 “ファック・ユー(お前がどう思おうが関係ない)” という個人主義的な文化があり、誰もが気に入らないことがあれば、すぐにそれを表明する権利があると考えています。唾を吐きかけても、物を投げつけても、殴っても、何をしてもいい権利があると思っているのです。一方、日本では気に入らなければ、最悪の場合でも無視されるだけです。だから、私がいたアメリカ社会生活と比べれば、私にとって日本での “沈黙は金” なのです。嫌われても、放っておいてくれるなら構いません。ここでは、ボコボコに殴られずに済むんです。だからといって、ここでの生活を美化するつもりありません。この世界は相当酷い場所だと思っています。アメリカで散々バッシングにさらされて育ってきた結果、私は周りの暴力との関わりをなるべく減らす努力をしてきたのです」

彼が評価する日本の沈黙は、外の人からは礼儀正しさや、場合によっては「zen」な態度としてすら受け取られがちだが、彼女はそれが社会的抑圧のひとつの形態であり、外からは穏やかに見えていても、それがその裏では最も弱い立場の人を息苦しくさせていることがあることをよく知っている。

「ここでの日常生活は、表面的には信じられないほど礼儀正しく、フレンドリーです。おそらく地元の人同士でも。文化と言語の機能、そしてコミュニケーションという概念をめぐる人びとの心の動き……あるいはその欠如。それが自殺率の高さにも繋がっていると思います。この国の人々は、抑圧の概念とそれがもたらすダメージを受け入れられていないと思います」。このような問題意識を持ちながら、なぜ日本に住むことを選んだのかという質問に対して、テムリッツは次のように答えた。「多くの人は、移民というものを誤解していると思います。ほとんどの場合、移民や他国への移住は、いま置かれている状況から逃れるためのものであり、夢を追うためのものではありません。限られた可能な選択肢のなかで動き、それが上手くいくよう願うしかないのです」

◆「ビカミング(何かになる)」という感覚に抗うこと

日本の政治家や高官が女性やLGBTQの人びとに対して放った数々の “不適切” な発言を、世界も時折目にするようになった。森(元)東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長や、内閣府特命担当大臣(男女共同参画担当)の丸川珠代の例が思い浮かぶが、数年前の自民党議員杉田水脈の「生産性がない」発言や、つい最近もLGBT理解増進法案が自民党によって見送られたばかり。現在の拠点が、彼にとって理想的な社会環境でないことは容易に想像できる。日本のジェンダーギャップ指数は、世界153カ国中120位(2021年世界経済フォーラム調べ)という厳しい状況にある。社会全体で保守的な風潮が強まっており、時代遅れな家父長制的な考え方が助長されているだけでなく、勢いを取り戻している。しかし、そのような背景があるからこそ、表現者としてのそれに準拠しない彼女の存在と批評的な表現の実践が、これまで以上に重要な意味を持つのではないか。

「日本における移民という立場に対する私のアプローチは、自分自身のジェンダーやセクシュアリティに対する反本質主義と平行していて、その知識を参考にしていると思います。私は、日本や日本での経験について権威を持って語る外国人になろうとは思っていません。移民という経験は、日本に順応したと公言することよりも、アメリカにいたときの自分を解体していくこと=“アンビカミング” に役立っているという風に考えています。そのような “それまでの自分のあり方を取り壊していく” =アンビカミングのプロセスこそが、私がより権威を持って語れることであり、より正確でより有益な情報となるのと思います。概して私は、「何かになる」ことよりも「規定されたあり方を壊す」ことの過程について語るほうが有益だと思っています。これは、私がアメリカに住んでいたときからの考え方だと思うのですが、私のクィアで非本質主義的なトランスジェンダリズムの観点からも言えることで、単一性(シンギュラリティ)のカミングアウトを指針とすることや、AからBへ移行することではなかったのです。私はいつも、痛みを伴う社会化のシステムに結びついたものや、離れたいと思っているものからどうやって距離を置くか、ということに興味を持ってきました。何か他のものに合わせるのではなく。そして、移民をめぐる支配的な言語は、トランスジェンダリズムやセクシュアリティや “カミングアウト” をめぐる多くの言語と同様に、つねに他の何かになること= “ビカミング” についての大衆的な感覚に根ざしています」

さらに彼は、支配的な社会的権力構造との調和ともなり得る、“ビカミング” の感覚に従うことの潜在的な危険性について説明を加えてくれた。それは冒頭の、代名詞に関する彼女の発言の意味するところとも繋がってくる。「私にとって、調和や可視性を強調することは、社会的関係性の本当の複雑さについて考えることを止めさせてしまうような、有害なことです。それどころか、アイデンティティ・ポリティクスの言語に陥らせ、それはすぐ本質主義的な議論になります。人びとは、社会的に構築されたアイデンティティを、“自然” の力に起因するものだと考えるようになるのです。これは、私は危険なことだと考えます。多くの偏見や暴力はこのような考え方から生まれているのです。

◆DJスプリンクルズ

DJスプリンクルズの「パフォーマンス」を体験したことがある人なら、彼の選曲とミックスは、単なる体感的なグルーヴ感や高揚感でパーティーを盛り上げる類のセットでないことはご存じかと思う。どちらかといえば、内省的で自分の内面を探っていくようなロングセットで真の持ち味を発揮するタイプのDJだ。彼女とこのようなDJ表現との関わりは、昨今の多くのDJとは異なる、極めて特殊なルーツに根ざしており、それはディープで繊細なテクスチャーのサウンドからも伝わってくる。

「私がDJをはじめたのは、88年から92年にかけての非常に特殊な時期でした。ニューヨークのゲイ・プライド・パレードで流すミックステープを制作していました。その後、〈Sally's II〉というクラブのレジデントになったのですが、このクラブはラテン系とアフリカ系アメリカ人の、トランスセクシャルのセックス・ワーカーたちが集まるクラブでした。週に3回プレイしていましたが、そのうちの2回はドリアン・コーリーと一緒でした。ドリアンはニューヨークのボール・シーンでは本当にオールドスクールの、オリジナルで重要なパフォーマーのひとりで、『パリは燃えている』などにも出演しています。ちょうど、ニュージャージーやニューヨークのローワーイーストサイドから、ハウス・ミュージックやディープ・ハウス・ミュージックが台頭してきたばかりの頃です。私はこのような明確にクィアでトランスセクシャルなセックス・クラブでプレイしていたのと同時に、ACT UP(AIDS Coalition To Unleash Power)にも参加していました。文化的には、当時アイデンティティ・ポリティクスの大きな波が押し寄せていました。

プライド運動が結晶化しつつあった、この周囲の誰もが「声高に、誇りを持って」いた時代に、テーリは、性的指向や欲求がそこまであからさまではない形で共有されていた〈Sally's II〉とそのクィアネスにより居心地の良さを感じたという。

「〈Sally's II〉の本当にありがたかったところは、私の “クィア” の理解と経験にずっと近かったことです。私はミズーリ州の出身ですが、そこに唯一あったゲイバーは西部劇に出てくるバーのようなところで、入るとそこには結婚指輪をした60代の男性が2人座っている。それぞれ田舎に奥さんと子供が住んでいるのは明らかで、彼らは奥さんや子供のところに帰る前に、そのバーで手をつないで一緒にウイスキーを飲むわけです。世界的な現実として、男性同士のセックスのほとんどは、自己実現をしている、声高に誇りを持っている男性間では起こりません。それは、片方か両方がゲイであることを否認している状況で起こる。それが、男性同士のセックスの伝統的なパラダイムです。だからこそ私は、“クローゼット”(*) 戦略や秘密主義や不可視性が自己防衛の手段であり、主流のプライド文化が主張するような、タブー視しなければならない単なる心の傷の原因ではないことを理解しています。この考え方はDJスプリンクルズ活動の一部であり、セクシュアリティの商品化とも関連する “プライド” の概念や構造に批判的なクィアネスのモデルと関連しています」

* 同性愛であることを公表していない状態のこと。カミングアウトの反義語。

“クローゼット” 戦略や秘密主義や不可視性が自己防衛の手段であり、主流のプライド文化が主張するような、タブー視しなければならない単なる心の傷の原因ではないことを理解しています。この考え方はDJスプリンクルズ活動の一部です。

◆組織化と教育の場としてのクラブ

このように、DJスプリンクルズが形成されたクラブ環境は、今日の一般的な「娯楽とエンターテイメントの場としてのクラブ」というイメージとは全く異なる意味を持っていた。彼女の関心対象と、彼が考える社会的空間としてのクラブが担う機能は、「グッド・ヴァイブス」や快楽主義をはるかに越えたところにある。

「例えば、アメリカには社会医療制度がなく、ほとんどの人が保険に加入していません。特に、家を追い出されたり、家族から勘当されたりしたホームレスのトランスのキッズたちであればなおさらです。ですから、ハウス・シーンやクラブは、ホルモン剤の投与量や移行期の治療法の効果・不効果、安全な医者とそうでない医者などについて、お互いに情報交換する場としても機能していました。また、薬をシェアする場でもありました。例えば、〈Sally's II〉の売人は、コカインだけでなく、ホルモン剤や処方箋も売っていました。いわゆる踊って楽しむような快楽主義的な従来のクラブの世界であるのと同時に、組織化、教育、セックス・ワークの場でもあったのです」

最近ではこのような場所が少なくなったため、彼女の表現方法は様々な場面に対応できるように、また生活のためにも、多様化した。

「クラブでは、誰もがハイになっているか、酔っ払っているかで、通常は攻撃的な批判をするスペースがありません。だから私は、クラブでは伝えきれない問題、困難、偽善、矛盾などを、執筆やインタヴューで伝えています。また、私はそのような状況に参加することの意味を複雑化するように心がけています。これらは雇用の場であり、私は収入を得ている。正直なところ、ヨーロッパのフェスティヴァルでDJをすることはできれば避けたいです。それらは、私がDJをしていた場所のルーツや、特定の時期にニューヨークで私をDJに駆り立てたものとは一切関係がないからです。また、最近ではクィア・イベントからDJ出演の依頼を受けることはほとんどありません。クィア・イベントには、日本から地球の裏側まで誰かを呼ぶような予算がないからです。だから、私はつねに間違ったオーディエンスに向けてプレイしているのです。でも、経済的な理由でそうしなければならない。同じように、私は “非演奏的” な電子音響作品をステージなどで演奏することを余儀なくされています。これらは、私にとって重大な妥協であり、現実的な問題です。私の作品のパフォーマンス的側面は、完全に経済的な理由からであり、完全に問題を抱えています。私はそれがいかに問題であるかをオープンにするようにしており、基本的にはそれも私の包括的なプロジェクトの一部としています。つまり、私たちがやらざるを得ないタイプの雇用にまつわる問題や矛盾を実際にオープンにしながら、どこまでできるかを検証するということです」

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ハウス・シーンやクラブは、ホルモン剤の投与量や移行期の治療法の効果・不効果、安全な医者とそうでない医者などについて、お互いに情報交換する場としても機能していました。薬をシェアする場でもありました。組織化、教育、セックス・ワークの場でもあったのです。

◆テーリ・テムリッツ電気音響「パフォーマンス」

テーリ・テムリッツとして自身の電気音響作品を「パフォーマンス」することもある彼だが、彼女はこれを今日のパフォーマンス中心の経済に疑問を投げかける機会として捉えているという。

「通常、テーリ・テムリッツのショーのためにフェスティヴァルに呼ばれるときは、『不産主義』や『ソウルネスレス -魂の完全なる不在-』などの特定のプロジェクトをおこなうことが多いです。私の普段のパフォーマンスは、非演技的に構成されています。ある意味、初期の電気音響テープの再生作品のように、再生ボタンを押すと映像が流れ、私は基本的に何もせずに1時間座っているような構成になっています。これは、伝統的なアカデミックな電気音響テープのパフォーマンスを商業的なパフォーマンスの領域に持ち込むことへの言及でもありますが、一方でドラァグ・クイーンとしては、キャンプやパフォーマティヴィティ、派手さ、ジェスチャーといった従来のトランスジェンダーのステージに対する拒否反応でもあります。ですから、私はトランスジェンダーのステージに関連するパフォーマティヴィティにも批判的です。だからこそ、私はステージ上では静けさを好むのです」

グローバル・パンデミックの最中、私たちの多くがライヴ・パフォーマンスやその不在によってそれらの同空間での共有体験を「欲している」と感じている一方で、彼女はノンパフォーマティヴな作品に焦点を当てた文化的空間の不可能性に対する懸念を強めている。

「どこに向かっているかは明確だと思います。それは、ライヴ・ストリームや代理パフォーマンス・システムに焦点を当てたテクノロジーに表れています。さらに、ライヴ・パフォーマンスのモデル、真正性のモデル、即興のモデル、観客対演奏者のモデルなどに対する文化的な投資が結晶化し、具体化しています。そして、それは完全に保守的、徹底的に保守的で、根本的につまらないものです。私には、それは火を見るよりも明らかです」

彼が異なる名義を使い分け、多様な形態の活動で異なるコンテクストに関わっていることは、本質主義や単一性に抵抗するための戦略でもあることがわかる。すべてのものがロゴやサムネイル、ヘッドラインや短いプロフィールに凝縮されてしまう世界において、彼女は私たちに戸惑い、複雑さを受け入れることを強いる。

「異なるジャンルやさまざまな名義で活動することは、本質的なエッセンスや単一的な芸術的ヴィジョンを一般に投影されること──“存在の真実” とか “テーリ・テムリッツとは何者か?” とか、あたかも答えがひとつしかないかのように──を避ける、という私の批判的な関心と平行しています。ですから、このような断片化、グレーゾーンに入ること、白か黒かという考えからの脱却──単一の芸術的アイデンティティ、創造的プロセスの起源の単一性、原作者の単一性、何かが正真正銘自分のものであると信じること──これらすべてからの脱却が、私がサウンド・コラージュやサンプリングに取り組む理由です。純粋な音楽学や組成の真正性のようなものを起点としていないもの。そんなものはクソ食らえです。こうしたものこそが、私が対抗するものです」

実際には微積分レヴェルの問題を扱っているのに、私たちはいつも算数や足し算、引き算で語ることを強いられています。それより私は、オーディエンスに微積分をぶつけるような作品を発表したいのです。クィアな微積分をそのままぶつけたい。

◆クィアの微積分と向き合うことへの呼びかけ

さらに彼は、決してそれを簡単にはしてくれない。

「誰かがたまたまテーリ・テムリッツのイベントやDJスプリンクルズのイベントに行ったり、アルバムを手に取ったり、インタヴュー記事を読んだりして、それが何かをより深く知るための入り口になるのなら、それはそれでいいと思います。でも、私はビギナーのために手を差し伸べてあげるということには興味がありません。なぜなら、文化的にマイナーなレヴェルでは、メインストリームにつねにアピールしようとすることが、問題や危機についてより深く正確に話し合う方法を育むことを妨げるからです。メインストリームは、ある種の拡張主義的にフォーカスしていて、これは非常に西洋的なグローバリズムと資本主義の考え方です。聴衆はなるべく多い方がいい、より多くの人に届ける方がいい、というものです。支配的なポピュリズムの流通モデルを、非常にマイナーで文化的に特殊な形態のメディアに適用するという考え方は間違っている可能性があり、少なくとも私のメリットにはなりません」

彼女は数学をメタファーとして、詳細を省かない交流の必要性をさらに説明する。

「実際には微積分レヴェルの問題を扱っているのに、私たちはいつも算数や足し算、引き算で語ることを強いられています。それより私は、オーディエンスに微積分をぶつけるような作品を発表したいのです。クィアな微積分をそのままぶつけたい」

テーリ・テムリッツの微積分を受け入れようとしながら話をまとめようとしたとき、私はほとんど無意識のうちに、いつものように会話をポジティヴに終わらせる方法を探していた。彼女は最後にそれに対してもピシャリと応えた。

「私はニヒリストです。私たちはもうダメだと思います。私たちは社会に、いつも楽観的に終わらせなければならないと思わされていますが、できません。すべてが最低なクソです。つねに悪い方向に向かっています。私たちは、もう右か左かではなく、上か下かという世界に突入しています。これはセクシュアリティやジェンダーの権力関係とも通じていますね。それが私たちのいる世界です。良いことばかり考えるのではなく、私たちの周りで起こっている暴力や破壊に危機感を持つようにしなければなりません。暴力はあらゆる場面で助長されています。このような状況に希望を持つのではなく、希望を捨てて、『なんてこった!』と思う必要があるのです。バラ色の眼鏡は外してください。パニックしてもいいんですよ」

interview with Emma-Jean Thackray - ele-king

 このたびデビュー・アルバムの『イエロー』をリリースしたエマ・ジーン・サックレイは、現在のサウス・ロンドンのジャズ・シーンにもリンクするアーティストではあるが、たとえばシャバカ・ハッチングス、ジョー・アーモン・ジョーンズ、モーゼス・ボイドなどのように、世間一般で言われるサウス・ロンドンのジャズ・シーンの文脈から登場してきたわけではない。そもそも彼女はヨークシャー出身で、ロンドンの音楽文化とは異なる環境で育ってきたし、サウス・ロンドン・ジャズ勢を多く輩出したトゥモローズ・ウォリアーズの外にいて、シャバカやモーゼスたちとはまた違う経路を辿ってロンドンへやってきた。
 サウス・ロンドンのグリニッジにはトリニティ・ラバン・コンセルヴァトワール(旧トリニティ音楽院)があり、エマはその大学院に通うためにロンドンにやってきたのだが、ペッカムあたりを拠点とするサウス・ロンドンのミュージシャンたちもこのトリニティ音楽院出身者が多く、エマはその方面で繋がっている。いずれにしても、サウス・ロンドンのカルチャーに属しつつも、その一方でアウトサイダー的な感覚も持つのがエマで、そうしたさまざまな多様性を持つミュージシャンが活動するのがまたロンドンらしいのである。

 トランペット奏者であり、ほかにもキーボードをはじめとしたさまざまな楽器を演奏するマルチ・ミュージシャン/プロデューサーでもあるエマは、これまで「レイ・ラインズ」(2018年)、「ウム・ヤン」(2020年)、「レイン・ダンス」(2020年)などのEPリリースで注目を集めてきた。また、マカヤ・マクレイヴンのミックステープの『ホエア・ウィ・カム・フロム』(2018年)やニュー・グラフィック・アンサンブルの『フォールデン・ロード』(2019年)、〈ブルーノート〉のカヴァー・プロジェクトである『ブルーノート・リ・イマジンド 2020』(2020年)への参加など、精力的に活動を行なっている。
 そんな彼女が満を持して発表した『イエロー』は、ドゥーガル・テイラー(ドラムス)、ライル・バートン(ピアノ、キーボード)、ベン・ケリー(チューバ、スーザホーン)たちとのライヴ・セッションを軸に録音を行ない、そこへエマの自宅スタジオで録音された演奏素材をミックス・編集したもの。演奏家としてのみならず歌も歌い、多重録音も含めたエマのマルチ・プロデューサーぶりが遺憾なく発揮された作品である。ジャズ、ファンク、アフロ、ゴスペル、ブロークンビーツのようなダンサブルなサウンドが融合され、宇宙や神秘世界をイメージさせるタイトルがつけられた楽曲群は、サン・ラーやファンカデリックなどのアフロ・フューチャリズム派の音楽性にも通じている。そんな『イエロー』の世界観と、そこに至るエマ・ジーン・サックレイの音楽人生について話を訊いた。

彼も独学で音楽を学んだミュージシャンだから、基本から外れた「間違った」演奏の仕方をするときもある。でも、だからこそ彼の音楽は面白い。自分の直感を信じていいんだと思わせてくれたのがギル・エヴァンス。

現在はロンドン南東部のキャットフォードに住んでいるあなたですが、もともとヨークシャーの出身ですね。この町はどんなところですか? 音楽ではブラスバンドの活動が有名と聞きますが。

EJT:文化的にはとても保守的な町で、あまりアート系の経験ができる場所じゃない。だから、アーティスト気質でちょっと変わっている私は、結構孤独を感じていた。いつも逃げ出したくて、町の外にでることを夢見ていたの。でも、あの町にいたから音楽の基盤が築けたのも事実。あなたの言うとおり、ヨークシャーではブラスバンドが有名だから、私もブラスバンドで演奏することで音楽の経験を積むことができた。あの経験があったから、ギターやドラムやほかの楽器にも興味を持つようになったんだと思う。ブラスバンド以外の音楽活動はひとりでやっていたから孤独だったけど、それが悪いことだとも限らないしね。自分自身の世界に浸ることもできたから。

小学校でコルネットを吹きはじめ、13歳の頃に地元のブラスバンドでリード・コルネット奏者となったそうですね。コルネットという楽器のどんなところに魅かれたのですか? また、ブラスバンドではどんなことを学びましたか?

EJT:キラキラしていたから(笑)。音も大きかったし、あとは単に学校にその楽器があったから。子供ってピカピカしたものや大きな音を出すものに興奮するでしょ(笑)?
ブラスバンドで学んだことはほかの人びとと一緒に上手く演奏すること。特に管楽器はひとりでも合ってないと耳障りなサウンドになってしまう。でも逆に全員が通じ合ってピッタリ合致して演奏すると、ものすごく美しくて優しいサウンドを生み出すことができる。自分自身のサウンドをほかの人たちと一緒に作り、演奏するということを学べたのはブラスバンドにいたおかげだと思う。

ブラスバンドの音源をいろいろダウンロードしている最中に、ギル・エヴァンスがアレンジしたマイルス・デイヴィスの “アランフェス協奏曲”(原作はホアキン・ロドリーゴ)を聴いて衝撃を受けたそうですね。この演奏が収録された『スケッチ・オブ・スペイン』(1960年)はスパニッシュ・モードによる歴史的作品で、マイルスとエヴァンスのコンビはほかにも数多くの名作を生み出すわけですが、彼らの音楽のどんなところに衝撃を受けたのでしょうか?

EJT:初めて聴いたときはほんとうに衝撃だった。私の人生を変えたと言ってもいい。私の音楽の世界の扉を開いてくれた。いま振り返ると、あのときこそが私の人生の方向性が大きく変わった瞬間だったと思う。それまで、ああいう音楽を聴いたことがなかったのよね。私の家族はメインストリームのポップスやロックを聴いていたし。あの音楽を聴いたときは、ものすごくイマジネーションが湧いた。そこからもっとそういった音楽を知りたいと思って、自分で探求していったの。お小遣いを持ってCDショップに行って、マイルスのアルバムを探したり、そのアルバムで演奏する別のアーティストの作品を見つけたら、それも聴いてみたり。すごく自然にジャズの世界が広がっていった。人にオススメを訊いたりはせずに、自分だけでジャズとの繋がりを深めていった。

皆と繋がってもいるんだけど、同時にまったく離れた場所に自分がいるとも感じる。私はサウス・ロンドンやその近辺で育った人とは同じ音楽システムを経験していないから。私はロンドン出身でないし、トゥモローズ・ウォリアーズにも行っていないのよ。だから自分がアウトサイダーとも感じる。

そうしたジャズの体験は自身の音楽へも深い影響を与えていったのですか?

EJT:最初は違った。最初はMIDIキーボードで制作をするようなもっとポップな音楽をやっていたから。あとはギターでニルヴァーナっぽいグランジ調の音楽を作ったり演奏したりしていた。だから、当時ジャズは全く作っていなかった。自分の中で結構区別化されていた。演奏だとトランペットでクラシックをやっていて、聴くのはジャズやプログレッシヴ・ロック、作るのはインディなポップスやギター・サウンド。ジャズっぽいものを作るようになったのはもっと後の話ね。

コルネットにはじまってほかにもいろいろな楽器をマスターし、また作曲や編曲も行なうようになるのですが、これらはどこか学校で学んだのですか? それとも独学でマスターしたのですか?

EJT:他の楽器は全て独学で学んだ。家や学校で音楽室が空いてたらそこを使ったりして。あとはとにかく音楽を聴いていたね。その音楽のドラム・ビートを聴いて覚えて、曲と一緒に叩いてみたり。ギターもそれと同じ。コード・チェンジも何にも知らなかったんだけど、まずは聴いて、その音が出せるようになるまでギターを弾いてみて、それにほかの楽器を合わせて弾いてみたりと。その過程はすごく楽しかったし、その方法だったからこそいろいろな楽器を演奏できるようになったんだと思う。一度コツを掴むと、どの楽器でもそれができるようになるから。

作曲や編曲、特にホーン・アレンジにおいてはやはりギル・エヴァンスの影響は大きいのでしょうか?

EJT:そう思う。彼も独学で音楽を学んだミュージシャンだから、基本から外れた「間違った」演奏の仕方をするときもある。でも、だからこそ彼の音楽は面白いわけよね。トランペットにトロンボーンを乗せようなんて、技術的にはやるべきじゃない。でも彼の音楽を聴いて、自分がやりたいことは何でも試してみていいんだということを学んだ。そのサウンドが素晴らしければ、そのまま残していいんだと。そういう意味で彼は、私自身の音楽を作っていいんだという自信をくれたと思う。自分の直感を信じていいんだと思わせてくれたのがギル・エヴァンス。

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今回意識的に参照しているのは、アリス・コルトレーンやPファンク、ジョージ・デュークなんかの1970年代のサウンドね。

ロンドンにはいつ頃出てきましたか? 進学か、またはプロ・ミュージシャンとして仕事をしていくなかでロンドンに住むようになったのですか?

EJT:ロンドンに来る前に、まずウェールズのカーディフに引っ越したの。18歳になった1週間後にヨークシャーを出た。その後2007年から2011年まで4年間カーディフに住んで、2011年からずっとロンドンに住んでいる。カーディフに引っ越したのはロイヤル・ウェールズ音楽演劇大学へ通うため。その後、ロンドンへはトリニティ・ラバン・コンセルヴァトワール(旧トリニティ音楽院)の大学院に通うために引っ越した。でも、16歳のときから既にセミ・プロとして音楽を演奏してはいたから、ロンドンに引っ越してからもすぐ音楽の仕事をはじめた。自分が住む場所でミュージシャンとして働くのは、私にとっては自然の流れなのよね。

最初のレコーディングはウォルラスというグループによる2016年リリースのEPですね。これはあなたのグループですが、どのようなバンドですか?

EJT:ウォルラスはそのころ私が一緒にトリニティ音楽院で学んでいた人たちや、音楽活動で知り合った音楽ファミリーのなかの人たちで作ったグループなの。音楽仲間ってお互い必要なときに演奏で参加したり、皆で声を掛け合って演奏したりするものよね。ウォルラスもメンバーも私のことをよく理解してくれる人たちで、音楽の趣味を理解し合える人たちだった。
 でも、もうウォルラスというバンドとしては活動していないの。いまは私の音楽は全て自分の名前でリリースして演奏している。バンドのショーでも、自分ひとりで作ったレコードも、オーケストラと一緒にやるショーも、内容は全て違うけれど私の頭のなかから生まれたもの。だから、区別化しないで全部私の名前にすることにした。分けたほうがマーケティングしやすいのにって言う人もいるんだけど、自分にとっては私が作ったものは全て繋がっているし、将来皆もそれらをひとつのものとして受け止めてくれたらいいなと思ってる。

そうしてソロ名義となってから、2018年にリリースした「レイ・ラインズEP」の表題曲がジャイルス・ピーターソンのコンピに収録され、あなたの名前はいろいろ知られるようになりました。ちょうどサウス・ロンドンのジャズ・シーンが注目を集めるようになった頃と重なるのですが、こうしたシーンにあなたも結びついているのですか? サウス・ロンドンのジャズにも関係しますが、ニュー・グラフィック・アンサンブルのレコーディングにも参加していたことがありますし、マカヤ・マクレイヴンのミックステープにヌバイア・ガルシアやジョー・アーモン・ジョーンズらと共にあなたの作品がフィーチャーされたこともあります。また、サウス・ロンドン勢が中心となった〈ブルーノート〉のカヴァー・プロジェクトで、あなたはウェイン・ショーターの “スピーク・ノー・イーヴル” をやっていたので、あなたとサウス・ロンドン・シーンの関係を聞ければと思った次第です。

EJT:たくさん関わっているとも言えるし、全く属してないとも言えるかな。トリニティ音楽院はサウス・ロンドンのグリニッジに校舎があって、サウス・ロンドンのペッカムあたりにいるミュージシャンたちのなかにはトリニティ音楽院に通っていた人たちも大勢いる。だから同じ時期に一緒に勉強していた人たちもいるのよ。学校で共通して学んだのはジャズだけど、皆アフロビートやダンス・ミュージックとかも好きで、そういった音楽への愛もシェアしてきた仲間たち。だから皆と繋がってもいるんだけど、同時にまったく離れた場所に自分がいるとも感じる。私はサウス・ロンドンやその近辺で育った人とは同じ音楽システムを経験していないから。私はロンドン出身でないし、ロンドンのアーティスト開発システムのトゥモローズ・ウォリアーズにも行っていないのよ。だから自分がアウトサイダーとも感じる。これはロンドンに限ったことではなく、子供の頃から何かに属していると感じたことはなかった。どのグループもしっくりこなくて、つねに輪の外にいた。前はそれに対して孤独も感じていたけど、いまではそれが良いことだと思えるようになってきた。

なるほど、そうした孤独感があったからこそ、あなたの音楽におけるアイデンティティの確立へと繋がっていったわけですね。昨年は「ウム・ヤン」と「レイン・ダンス」というEPをリリースします。「ウム・ヤン」ではラッパーでもあるサックス奏者のソウェト・キンチと共演していますが、演奏の軸となるのはドゥーガル・テイラー、ライル・バートン、ベン・ケリーですね。ベン・ケリーはウォルラスにも参加していましたし、ドゥーガルはあなたと一緒にニュー・グラフィック・アンサンブルのレコーディングにも参加していましたが、彼らは今回あなたがリリースするデビュー・アルバム『イエロー』の中心メンバーでもあります。彼らはどんなミュージシャンで、どのように交流を深めていったのですか?

EJT:ベンは私と同じヨークシャー出身なの。彼はまるで私の兄弟みたいな存在。ふたりともロンドンに越してくるまでは一緒には演奏したことはなかったんだけど、同じカルチャー・セミナー会社で音楽を教えていたから偶然顔を合わせる機会があって、「地元が同じだよね?」って意気投合して仲良くなった。
 ドゥーガルとはロンドンのトータル・リフレッシュメント・センターで出会ったの。トータル・リフレッシュメント・センターはレコーディング・スタジオやリハーサル・スタジオもあるミュージック・カルチャー・センターで、ドゥーガルはそこを拠点にヴェルズ・トリオっていうバンドで活動していたの。私はそのファンでもあったし、そのまま友達になった。私たちは好きな音楽も似ていて、もちろんジャズは好きだけど、「ジャズ・ノット・ジャズ」というか「ジャズじゃないジャズ」みたいな精神を持っていて、ダンス・ミュージックやロックも聴く。私たちの目標も同じだったから、テイストが似ているお互いの存在はとても重要だった。
 ライルについては、まずエリオット・ガルヴィンっていうトリニティ音楽院で知り合ったミュージシャンの話からはじめないといけないね。エリオットはダイナソーっていうジャズ・ロック・バンドのメンバーでもあったけど、ウォルラスや『レイン・ダンス』にも参加してくれていて、そうしていろいろと一緒に演奏していた。エリオットとのギグにライルも参加していたんだけど、エリオットが自分のプロジェクトやダイナソーの活動で忙しくてあまりセッションができなくなってきた。エリオットとはじめたプロジェクトだけど、エリオットが参加できないときにも継続して続けたいと考えて、そこでライルと一緒の演奏を増やすようになっていったの。そこからは段々とライルがセッションの中心になっていった。彼はすごく良い耳をもっていて、私が何をしようとしているかをつねに理解してくれる。私が考えていることがお見通しで、文字どおり何でもできるの。頼まれた音全てを演奏できる。彼は本当にオープンで、人としてもすごく良い人。つねにベストな音楽を作ることを心がけていて、様々な可能性を試し、良いものは何でも受け入れる。
 3人とも本当に素晴らしい。この3人に加えて、ライヴではパーカッショニストが加わる。クリスピン・ロビンソンっていうんだけど、このアルバムでも演奏してくれていて、ツアーでは彼がメインのパーカッショニストになる予定。彼ともトータル・リフレッシュメント・センターで出会ったんだけど、話しているうちにお互い近所に住んでるって気づいたの。

ベン・ケリーはチューバやスーザホーンを演奏するので、あなたの作品にはチューバ奏者のテオン・クロスが参加するサンズ・オブ・ケメットにも通じるところを感じます。テオン・クロスやシャバカ・ハッチングスたちとは交流はありますか?

EJT:知り合いではあるわよ。テオンは近所に住んでるし、シャバカとも顔を合わせることはある。ロンドンに住んでいるミュージシャンたちは、いろんな場で一緒になるから。でもいまはパンデミックだから、最近はあまりほかのミュージシャンに会ってないのよね。またギグがはじまったらもっと会うようになると思う。

ホーン・アンサンブルという点ではシーラ・モーリス・グレイやヌバイア・ガルシアらのネリヤにもあなたのサウンドとの共通項を感じさせます。ネリヤのドラマーのリジー・エクセルはウォルラスにも参加していたのですが、シーラやヌバイアたちとは何か交流はありますか?

EJT:シーラのことは直接的にはあまり知らない。同じ楽器を演奏するミュージシャンたちほど、逆に現場で一緒になる機会が少ないから。でも数回だけ会ったことがあって、すごく良い人だったのは覚えてる。ヌバイアはトリニティ音楽院で一緒だった。フェラ・クティの作品を演奏するプロジェクトで初めて出会った。彼女も私の近所に住んでるし。

トランペットや同系のコルネット、フリューゲルホーンを演奏するミュージシャンに限ると、ロンドンにはいま話したシーラ・モーリス・グレイやヤズ・アーメッドなど才能溢れる女性たちがいます。同じ楽器を演奏するプレーヤーとして彼女たちを意識するところはありますか?

EJT:ヤズと同じギグに出たことはないけど、数回会ったことはある。彼女も良い人だったし、話していてすごく面白かった。考え方が面白いのよね。でも、彼女たちを意識することはあまりない。皆演奏の仕方は違うし、それぞれが作る音楽も同じじゃない。トランペットとジャズという共通点以外は、皆それぞれ違う特徴を持っているから、同じフィールドと考えることがあまりないの。しかも正直なところ、私はいまとなっては自分自身をトランペット・プレイヤーだとさえ思っていない。今回のアルバムもヴォーカル曲が多いし、いろいろな活動をしているから「自分が何なのか?」と訊かれると答えるのは難しいけど、一言でと言われたらプロデューサーと答えると思う。

『イエロー』にはタマラ・オズボーンも参加しています。現在のロンドンのジャズ・シーンにおけるリード演奏の第一人者で、フリー・ジャズやアヴァンギャルドな表現をする一方でアフロ・バンドのカラクターも率いる彼女ですが、彼女とはどんな繋がりがあるのですか?

EJT:彼女は最高。いろんな場で一緒に演奏する機会があって、お互いを知るようになった。彼女って本当に素晴らしくて、どんな楽器のリクエストにも答えてくれる。そこに彼女の素敵な色を加えてくれるのがタマラ。今回のレコードではフルート、バリトン・サックス、バス・クラリネットなんかを演奏してくれている。私が彼女と一緒にやったギグでは、彼女はテナー・サックスやオーボエも吹いていた。本当に何でもできちゃうの。

次のレコードがテクノになる可能性も、アンビエントとかドローン・ミュージックになる可能性もあるというわけ(笑)。私はいつも、そのときに作りたいと思う音楽を作っているから。

『イエロー』には何か全体のテーマやコンセプトはありますか? “サン”、“マーキュリー”、“ヴィーナス” など宇宙や惑星をテーマにした作品があり、全体的には神秘的で抽象的なメッセージを持つ作品が並んでいます。宇宙というテーマもそうですが、“メイ・ゼア・ビー・ピース” のようなメッセージはサン・ラーの音楽観や哲学に通じるとこともありますが。

EJT:テーマは普遍的な一体感。私たちと宇宙の繋がりであったり、ちょっと1970年代のヒッピーっぽい世界観ね。「存在するもの全てはひとつ」みたいなヒッピーの考え方(笑)。それは私自身が感じていることだから、そうしたイメージが曲に出てくる。占星術とか、宇宙観とか。あとは人も動物も木も皆同じ存在物であるという考え方。私たちの間に違いはなく、私たちは大きなひとつの塊。それも私が表現したかったアイデアのひとつ。全ての存在がそれぞれの個性を持つけれど、元を辿れば私たち全ては皆同じもので作られている。だからその繋がりを皆で共有して祝福するべきだと思うし、その愛を感じるべきだということがこのアルバムのコンセプト。私は左派寄りで、前は右派寄りの意見にすぐ怒りを感じたりしていた。でもいまは怒り合い、反発し合うばかりでは何も解決しないことがわかった。お互い共通のものを見つけて、それに対する愛を共有しあうべきだと思うようになったの。

アフロやファンクを取り入れた “グリーン・ファンク” や “ラーフ&ケートゥ” はファンカデリックに通じるような部分を感じさせます。サン・ラーや彼らのようなアフロ・フューチャリズムの影響があるのかなと感じますが、いかがですか?

EJT:もちろん。特にPファンクなんかは大好きだし、ファンカデリックやアフロ・フューチャリズムの方法論も音の世界も大好きだから、絶対に影響を受けていると思う。特に “グリーン・ファンク” はそう。あのトラックは大麻について歌っているんだけど、プロモーターがその言葉を使って欲しくなかったから、タイトルを「グリーン・ファンク」にしたの(笑)。私はもう吸わないし、お酒も飲まないけど、私の人生の中で起こっていたことの一部だから曲にした。吸う人を批判もしないし、それに関しての私の考え方はオープンよ。

“アバウト・ザット” は1970年代前半のマイルス・デイヴィスのようなエレクトリック・ジャズで、ジャズ・ファンクの “マーキュリー” やメロウな “ゴールデン・グリーン” でのスペイシーなキーボードやシンセの使い方はハービー・ハンコック的でもあります。『イエロー』では彼らの音楽や演奏を参照したりしているところはありますか?

EJT:直接的にはしていない。そういうサウンドにしたいと意識していたわけではないから。でも、彼らの音楽は本当にたくさん聴いているから、私のなかに流れているんだと思う。だから自然に出てくるんでしょうね。マイルスは私にとっていちばん大きなインスピレーションの源だし、そこから完全に離れるなんてきっと無理なんだと思う。彼の影響があっての私だから。逆に今回意識的に参照しているのは、アリス・コルトレーンやPファンク、ジョージ・デュークなんかの1970年代のサウンドね。

“セイ・サムシング” はディープ・ハウス的なビートを持つ作風で、“ヴィーナス”、“サード・アイ”、“サン”、“アワ・ピープル” などはブロークンビーツとジャズの融合といった具合に、ダンサブルなリズムの作品が多いのも『イエロー』の特徴かなと思います。あなたの作品においてダンス・ビートはどのような意味を持っているのでしょうか?

EJT:そうなったのは自然の流れ。私が作りたいように音楽を作っていたらそうなったんだと思う。私自身がグルーヴィーな音楽を作るのが好きだから。たとえダンスに向いてない曲であっても、そこには必ずグルーヴがあるのが私の音楽なの。いちリスナーとしても、私はそういう音楽が好きだし。人を踊らせようと意識して曲を作ったことは一度もないけど、体が思わず動きたくなるような音楽は作りたいと思ってる。でも、それはクラブで踊れるような音楽である必要はなくて、踊らせることが目的になってしまうと、その意識からリミットができてしまうのよね。四つ打ちや決まったテンポを意識しないといけなくなるから。どんな種類にせよ、制限がかかると私は爆発しちゃう(笑)。誰かに指示されるのが好きじゃない性格だから、何かをしろと言われると敢えてその逆のことをしたくなる。例えば “ヴィーナス” や “セイ・サムシング” のテンポは、ダンスをするにはちょっと気持ちが悪いテンポだけど、それでもグルーヴィーなトラックであることには変わらない。だから曲に合わせて体は動くんだけど、クラブ向けではないのよね。

オルガンとコーラスとハンド・クラップをフィーチャーした “イエロー” はゴスペル的ですが、白人のあなたにとってブラック・アメリカンの音楽であるゴスペルはどのようなものですか?

EJT:大好きな音楽。素晴らしい音楽だと思うし、“イエロー” を聴いたら私がゴスペル音楽を聴くってことがきっとわかると思う。でも、ゴスペルっぽい曲を作ろうとして作ったわけではないの。私は人びとが同じ目的のために一緒に歌うというアイデアが好きだから、あのトラックではその要素を取り入れたというだけ。私はキリスト教信者ではないから、宗教への熱意は表現できない。それでも音楽への愛は皆とシェアできるし、大勢で共に表現できる。そういう意味で皆が一緒に歌を歌うというアイデアが大好きなの。この宇宙で私たちは皆同じでひとつだという一体感は、ゴスペルに通じるものがあると思うのよね。大勢で一緒に歌い、音楽への愛をシェアするというのは、このアルバムのテーマにとっても重要な要素だし。

なるほど、普遍的な一体感というテーマがゴスペル音楽と通底しているわけですね。では最後に、今後の活動予定やプロジェクトがあれば教えてください。

EJT:私はあまり予定を立てないタイプなのよ(笑)。できるだけ頭や体はオープンにしておいて、何かをやることにしっくりきたと感じたときにそれを実行できるようにしている。だから次のレコードがテクノになる可能性も、アンビエントとかドローン・ミュージックになる可能性もあるというわけ(笑)。私はいつも、そのときに作りたいと思う音楽を作っているから。次は何をしようとか、誰に向かって作ろうとか、あまりそういうことは考えない。つねに自分に正直でいて、自分に降りてくるものをインスピレーションに音楽を作るのが私の活動なの。

ツアーの予定はないですか?

EJT:ライヴは計画を立てるのが難しいのよね。このご時世だから、予定してもキャンセルになることもあるし。今年はいくつかフェスへの出演が決まっているから、それが無事に開催されることを祈っている。あと、ヨーロッパを周るショーもできたらいいな。来年になったらUKツアーはもちろんだし、アメリカや日本でもショーをやりたい。いまはとりあえず様子見。いきなりノーマルな世界に戻るのは無理だと思うから、ショーの数は少なくても、そのひとつひとつの内容を濃いものにしたいと思ってる。

interview with Midori Takada - ele-king

 前世紀、西洋音楽ひいては音楽そのもののあり方をとらえなおすにあたって打楽器が重要な役割をはたしたのは楽音をになうのに五線譜の外の世界と響き合う特性をもつからであろう。ヴァレーズ、クセナキス、シュトックハウゼンら欧州生まれの前衛音楽家たちはむろんのこと、カウエル、ケージ、ハリソンら米国実験音楽の先駆者たちにも打楽器は幾多の霊感をもたらし、本邦の戦後音楽史も基本的にはその後追いだが、思考と方法と実践の蓄積により、やがて模倣や援用にとどまらない表現がしだいにあらわれはじめる、その全体像はおりをみて考察したいが、そこでは高田みどりという打楽器奏者の存在は欠かせないものになるであろう。複雑な現代曲をこなす打楽器演奏の呼び声を皮切りに、ライヒらが端緒をひらいたミニマル・ミュージックの探求をすすめる他方で、ジャズやワールドミュージックにも活動の場をひろげる、高田みどりの軽々とした身のこなしは現代音楽の言い換えとしての「コンテンポラリー」の範疇にもとよりおさまるものではなかった。というよりむしろ、83年のソロ作『鏡の向こう側』が動画共有サイトで口コミ的な評判を呼び、いまもなお再評価の声が止まないながれをみれば、彼女のあり方こそことばの真の意味での「contemporary(同時代的)」といわねばならない。


ボッテガ・ヴェネタ 表参道フラッグシップ
東京都渋谷区神宮前5-1-5
営業時間 11:00-20:00
電話番号 03-5962-7630

 高田みどりとの対話もやはりこの作品の話題からスタートする。取材したのは表参道のボッテガ・ヴェネタ旗艦店の上階、高田みどりはその前日、おなじ建物の一角でショーケース的な演奏をおこなっていた。そこでは方形の空間の対角線上に、響きの異なるシンバル類を列状に配置し、動線上にウォーターフォン、ドラムセットとタムタム、壁沿いを移動した上手側にはマリンバを配置し、それらの楽器間を移動しながら、最後にホラ貝の音具を手にその場を去るまで、おそらく30分にもみたなかったはずだが、音楽は演奏者の身体の現前と観衆の存在もふくめて、その場その時間のなかにあるという、強烈な一回性を喚起するものだった。

変化がないと音楽として成立しない、というときの変化はコードや様式や音色や音量における変化をさしています。それよりも同じ音を延々とくりかえすことのほうがどれほどむずかしいか。

ele-kingの読者には高田さんの作品の熱心なリスナーも多いと思います。

高田:私はリスナーの方といってもどのような方が聴かれているかよくわかっていないのですよ。音楽業界にうといものですから。

ここ数年で高田さんの音楽を聴く若いリスナーも増えたと思います。『鏡の向こう側』の再評価はお耳に入っているとは思いますが。

高田:まあそれはおどろくべきことでした。というのはね、『鏡の向こう側』は83年に出ましたよね。その当時は、むしろ私よりご存じかもしれませんが、評価というのも入ってこないし、すこししかプレスしていないものですから。当時の日本はバブルの初期段階で景気がよくて、私のような実験音楽的なものにもレコードをつくってくださるというようなところがありました。ジャズやロックの世界でも前衛的な音楽をつくっている方がたくさんいた時代で、なにかを壊しつつなにかをつくるというような、世の中にも文化全体にもそういう風潮がありました。活気があってあたらしいものにも挑戦的な時代でしたよね。また企業もそういうものにお金を出してくれるところも多かったですよね。セゾン財団ですとか、毎年のように大きな現代音楽のフェスティヴァルを開催したり、東京だけじゃなくて軽井沢のセゾンがもっている美術館などでも文化的なイベントを行っていました。

開館イベントではデュシャンやケージが来日しました。

高田:美術界でも、キース・ヘリングやバスキアが世に出た時代ですよ。それがまた再評価されているじゃないですか。

キース・ヘリングやバスキアはここ数年で大規模展が相次ぎましたね。

高田:ええ。(『鏡の向こう側』の再評価にもつながる)動きがなにかあるのかな、とは思います。ただそういう美術の再評価のような動きが目立つ前に『鏡の向こう側』がなにか海外でたくさん若いひとたちに聴かれ出しているというのを耳にしたので、それにたいしては「へー」って、ぜんぜんピンとこなかったです。創ったときにはまったく反応がなくて、いってみれば売れない。でも実験的なものだから売れるかどうかということはレコード会社もあまり気にしていなかったと思いますよ。売れたほうがいいにきまってますけど。私の音楽はジャンルがわからなくて、私自身もジャンルを自分でいっていないんですね。じっさいに盤ができてお店に並べるとき、どこに並べるか、みんなとても困ったと思うんですね。ジャズでもロックでも、フュージョンでもない。結果的に現代音楽、クラシカル・コンテンポラリーの棚になってしまう。でもクラシカル・コンテンポラリーというと、作曲家としての評価がある方たちが音楽の古典からのながれのなかで、ヨーロッパを中心にして、あたらしい「前衛」という時代を切り拓いたその先にあるものです。だから実験音楽とはちがうんですね。コンテンポラリーといったときは「前衛」というものがはっきりと意識されていて前衛はヨーロッパのクラシカルなラインとつながったものだったわけです。私はキャリアの初期にそういうこともやっていたものですから、レコード・ショップでどこに入れるかわからないときに現代音楽に入ってしまった。そうしたらまったく反応ながなかったんです(笑)。

時代をさきどりしていたのかもしれませんね。

高田:前後してミニマルというものが米国で出てきはじめたころでした。(ミニマルは)日本でも認識されていましたが、当時日本ではあくまで現代音楽のあたらしい潮流のひとつで、同じことをくりかえすことの重要性やそれがもたらすものについて根本的な検証はなかったと思います。もちろん何人かの先鋭的な意識をもっていたひとたちは真面目にうけとっていましたが、演奏家にそういう例はほとんどなかったですね。なぜかというと、演奏家にはクラシカル・コンテンポラリーのように技術を披露する、ひじょうにむずかしい譜面を再現することに価値を置いていた時代だったんです。クセナキスやシュトックハウゼンのような人間の身体能力の限界をいく前衛の作品に、ひとびとが意識を向けていた時代だったと思うんですね。ミニマリズムはもともと美術のことばですが、音楽ではみずからミニマル・ミュージックを称した作品はないんですね。ジャンルに分類するさい、美術のミニマリズムと同じような構成や価値観という共通項のなかで、しだいにミニマル音楽という呼称が定着していったのだと思います。そういう時代の流れのなかで、私はミニマル・ミュージックとしてやっていたわけでも環境音楽やアンビエントをみずから謳ったこともありません。研究してはいましたが。

具体的な研究対象はどのようなものだったんですか。

高田:ブレインウェーヴ・ミュージックなどです。身体の変化、生体内における変化、脳の変化とマインドの結びつきにとても興味があったものですから。カナダのデヴィッド・ローゼンブームやアルヴィン・ルシェ等、ブレインウェーヴ・ミュージックをやっていらっしゃる方がひとりふたりいらっしゃって、ミニマルというならあれらこそ究極のミニマルであって、脳と生態系の変化という観点からは複雑系でも視野に入ってきますね。結局ミニマル・ミュージックと呼ばれている音楽はひとつのことを延々とつづけていきますよね。そうすると生体内にある変化が起きてきます。いうなれば「無意識化」してくるのです。演奏家の脳では身体には音の動きを把握するためベータ波が働いていますが、私はその対極にある精神状態、アルファ波を出しながら音楽ができないか、半瞑想的な状態のなかで音楽ができないかと考えていました。

訓練(ディシプリン)でそのような状態に到達するのですか。

高田:どのような訓練をすべきか、まず考えます。私はそれまで、クラシカル・コンテンポラリーの作品で、たくさんの楽器をつかったり図形譜を読み解いたり、点描的な演奏で非拍節、非旋律的な演奏をおこなっていました。そのような作品を演奏するには何度となく練習をくりかえさなければなりません。また非拍節、非旋律的な作品には、当時は「インプロヴィゼーション」ではなく「偶然性」といっていましたが、偶然性をもちいるものもあります。ところが偶然性といいながら、同じことを何度も練習しなくちゃならない(笑)。あまりにもむずかしい譜面を何度も訓練する——そこにはすごく大きな矛盾があります。音楽がひとつの哲学であるときにそれで成立すると思うんだけど、音になるとき、演奏するときにはものすごく大きな矛盾をはらんでくる。そこを、私は離れたい、と(笑)。それまでコンテンポラリーのなかでやっていましたが、もっとちがう身体とマインド、音にする段階で身体内の変化に着目しなければならない、と思いました。のちにミニマル・ミュージックになっていくものにたいしては(コンテンポラリーに限定できない)大きな可能性を秘めていると感じていました。だけど日本では技術的に、簡単なんでしょ、と思われてしまったんです。

単純なフレーズをくりかえしているだけだ、と。

高田:ええ。変化がないと音楽として成立しない、というときの変化はコードや様式や音色や音量における変化をさしています。それよりも同じ音を延々とくりかえすことのほうがどれほどむずかしいか。変化、変化、変わらなきゃ、変わらなきゃで、音楽も日本の社会もずっときていますよね。変化を止めた途端に怠惰になるのではないかという強迫観念があるのかもしれません。だけど変化をしないことによってなにがゆたかになるかというと、身体の内部なんですね。そういう状態を受動する身体の変化がものすごく大きいんですけど、そこにいたる前にミニマル・ミュージックの時代は終わってしまった。ポスト・ミニマリズムというような時代がありましたけど(すこし間をおいて)……みんな苦しいんだと思いますよ。日本の音楽家も西洋の影響をどうやったら抜けられるんだろう、西洋から学ぶことと日本古来のもの、雅楽や邦楽の語法を一所懸命追究して西洋音楽の(脈絡の)なかに位置づけよう、と先達の方たちが途方もない努力をされてきた時代でもありました。一方でミニマル・ミュージックというものがポンとアメリカから入ってきた。アメリカのひとたちもアフリカ、インド、インドネシアなど、芸術音楽という位置づけではなかった場からいろいろなフレームをかりうけています。

西洋音楽の限界を感じて、高田さんもアフリカや、非西欧圏のリズムの探究に入っていかれた?

高田:私自身はその流れでした。

名人芸的な方向はすでに頭打ちであるという認識があったということでしょうか。

高田:現在もヴィルトォーゾを求める風潮はありますよね。それをもとめるのは一種のスポーツに似た、アスリートにも似た快感ではあるとは思いますよ。それはだれもが一度は通過することではあると思います。

高田さんのおっしゃる身体性はスポーツとはちがう身体性ですよね。

高田:ええ。私はまず技術の改革としてやりはじめたのは、動かずに同じ音を出しつづけるということでしたが、それをはじめた80年代は音楽にもデジタル化の波がおとずれて、苦労して身体をつかうなんてことをしなくとも、スイッチひとつでずっと同じことをやっていてくれる時代になってしまった(笑)。身体というものがなくなれば、それ(デジタル的なミニマリズム)は原理的には可能だけれども、文化というものと身体というものはきりはなせないとも思うのです。それを忘れて、便利だとか早いということでデジタル音源にはしってしまうと、こんどは脳に返ってくるわけです。脳が前頭前野でうけとめる音楽と、思考としてしっかりととらえる音楽はまったくちがう脳の働きですから。デジタル音は刺激であって、興奮させることはできますが、しかしそれは材料を与えてもらって脳が興奮しているだけです。音楽はもっと瞑想にちかい深い感動であるとか記憶であるとか、身体を治していくものとか、そういうものに役立ったはずだと思うんですけどね。そこがいま、不経済なものとみなされている。

私はいろいろな文化をイコールにみていかなければならないと思っています。どこかによりそうというよりも、まったく同等にみていく、そこが私は大事だと思いますし、ひとつの音楽をつくる原動力にもなっています。

昨日演奏を拝見しまして、生の演奏にふれること自体パンデミック下ではひさしぶりだったんですが、演奏者と同じ空間に身を置き、響きを感じることも高田さんのおっしゃるデジタルではない音のあり方だと感じました。

高田:ありがとうございます。つまりね、音というのはヴァイブレーション、空気振動なんですね。空気振動というのは皮膚を動かすものですから、たとえば19ヘルツぐらいの低い音は遠くで聞こえる祭の太鼓の振動周波数がそれぐらいなんですけど、それっていうのは皮膚をやさしく撫でられるのと同じ振動周波数だともいわれています。遠くから聞こえてくる音と人間の身体はかつてひじょうに密接にかかわっていました。位置を確認する道具でもあったんです。

アフリカの太鼓によるコミュニケーションみたいですね。

高田:もっといえば350万年前のアウストラロピテクスもそうですよね。あのひとたち、あのひとたちって知り合いじゃないんですけど(笑)。

(笑)そうだと思います。

高田:彼らも楽器をもっていました。鳥の骨に穴を開けただけの原始的なものですが、それを吹いていたのはわかっています。そこから、楽器を手にすることがどういう意味をもつのかということを考えます。森のなかで骨の笛を吹くとどういう精神状態の変化が起こるかと想像するんですね。そうするとまず、音というのはそのひとが安全であるということ、生命を維持するために必要だということ、つまり自分が居る場所を仲間に教えることにつながります。これはまず生命の維持には不可欠です。そういう音を聴くことで空間というものを測ることもできます。響きの返りですね。響きを聴きとる能力というのが生命の維持に役立つはずなんです。生命の維持装置としてまず音があったにちがいない。それがデジタルになってしまうとイヤホンのなかで鳴るものになり、外界を遮断するものになってしまった。
 私は今回はミラノのファッションブランドBottega Venetaのお仕事でこういう場所で、ほんとうにひさしぶりに生演奏をしたんですけど、服も同じ効果をもっていると思っているんですね。服というのは人間の皮膚の次に得られる、身体にたいする空間だと思うんです。その役割は身体を保護すること、命を守ることです。ネアンデルタール人も毛皮を着るという点で服飾文化をもっていましたが、服というのは着飾るものであると同時に命を守るものでもあります。皮膚の次の空間、いちばん心地よい、命を守るための部屋として服があり、その外に屋根のある部屋のような空間があり、町や国がある。それもまた安全でなければならないと思うんです。音楽もまた、人間が服を着るのと同じように、空間をつくることで安全で命を守る、命を守るというのは原初的な感覚ですが、そういうものでなければならないと思うんです。

きのうの演奏で印象にのこったのも、高田さんの空間の捉え方でした。空間の特性を考慮し、響きを重視されている印象がありました。

高田:響きもそうですし、お客さんの耳にどのようにとどくかを意識します。音が移動してちかづいてくるという距離感は生でないとできないんですよ。会場にスピーカーを置いてLRから出すだけでは空間がこわれてしまいます。空間を音の響きでとらえることはアウストラロピテクスの命の音と同じ意味をもつと思います。

場が決まってはじめて楽器の配置などが決まってくるんですね。

高田:はい。

コンサートホールのような会場ならまだしも、高田さんはふつうの演奏に適さない空間も数多く経験されてきた気がします。

高田:もちろんです。それはたいへんですよ。どのような場所であっても、そこで精一杯という場合は尊重して演奏しますよ。そこにみんな集まって、サウンドを聴くことで、マインドを守ることができる。特定の空間における人間に、最適の音の状態を考え、原理や原則に基づいた音楽を提供するのが私の仕事だと思っています。場所という点では、訪れたなかにはコンサートという概念がない国や地域もありました。西アフリカでは演奏中に電源が落ちて会場が真っ暗になったこともあります。しばらくして、ようやく私の周囲だけ、発電機もってきて電灯で照らし出して演奏したこともあります(笑)。

アフリカのどちらですか。

高田:ガーナやコートジボワールです。コートジボワールはフランス領だったこともあるので、西洋化されたスペースもありますが、そういうところに行きますと、現地のひとたちが駐留しているひとたちのサービスのために雇われている現状がありまして、そういう西洋社会がつくってきたアフリカとのかかわりなどを如実に感じることもありました。

そのような状況にアンビバレンスを感じることはありますか。

高田:つねに感じていますよ。そこが歴史であり経済の格差でもあります。だからこそ私はいろいろな文化をイコールにみていかなければならないと思っています。どこかによりそうというよりも、まったく同等にみていく、そこが私は大事だと思いますし、ひとつの音楽をつくる原動力にもなっています。

西洋と非西洋を対立的に考えるのではないということですね。

高田:西洋は西洋でネアンデルタールのひとたちが毛皮を着ていたところにはじまる歴史をもっています。その足音のようなものをつねに共有していたいと思うんです。アンチ=ヨーロッパということはまったくなくて共有していたい。さいきんは西洋の象徴ともいえる美術館とか教会などの場所での演奏の依頼を受けることも多くなりました。いまハンブルクの教会の鐘の音をつくるプロジェクトにとりかかっているんですよ。37ヵ国から移民が集まっている、ハンブルクのなかでもとくに貧しい地域で、プロテスタントの教会なんだけれども、イスラムのひとたちも集ってイベントをやることもあるそうです。移民の癒しの場になっている教会の鐘の音をつくって一ヶ月間ながすというプロジェクトなんですね。お金は出ないんだけれども、といわれて、いいですよって(笑)。

〈参考作品〉

高田みどり - 鏡の向こう側 RCA Red Seal / 1983


全曲多重録音によるファースト・ソロ。4曲入りで、10分を超える長尺曲2曲で全体を挟み込むアーチ構造をとっている。冒頭の「Mr. Henri Rousseau's Dream(アンリ・ルソー氏の夢)」にいうアンリ・ルソーとはジャケットにもみえるフランスの素朴派の画家で、その奇妙に均衡を欠いた作風と、熱帯的なアンビエントのとりあわせが、夢幻的なひろがりをもたらし、2曲目の「Crossing」はライヒ風のマリンバをもちいたクロスリズム、「騙し絵」の意の仏語のタイトルを冠した「Trompe-l'œil」ではアウストラロピテクスが吹くリコーダーを思わせる音を奏でたかと思えば、ドラムスが登場する「Catastrophe Σ」でゆっくりと上昇線を描き幕を引く、端的だがきわめて高度な構想と内実をもつ傑作。

ムクワジュ・アンサンブル - Mkwaju Better Days / 1981


作曲家久石譲のグループを起点にした打楽器アンサンブルで、高田のほか定成庸司、荒瀬順子からなる。2作あるうちのこちらはファーストで、すべての曲を久石が作曲し、キーボードで演奏にも加わっている。グループ名にもなった冒頭の「Mkwaju(スワヒリ語でタマリンドの樹の意)」はじめ、基調はミニマル・ミュージックだが、ニューウェイヴやポップスにも通じる、サバンナのようなみはらしのよさをおぼえるのは作曲者の資質によるものか。間をおかず発表した2作目の『Ki-Motion』では久石は離脱し、ワハハの千野秀一がプロデュースを担当。高田の手になる「Wood Dance」「Ki-Motion」をふくめ、前作よりも陰影の増した空間性を展開している。

Kakraba Robi & Midori Takada - African Percussion Meeting CBS/Sony / 1990


一柳慧の招きで83年にはじめて日本の地を踏んだガーナの至宝との共演作。87年のサントリーホールでのライヴ録音で、幾多の打楽器を即興的にあやつりリズムの交感をこころみるが、聴きどころは現地でコギリと呼ぶアフリカ・マリンバを使用したパートとなろうか。はげしく交錯する音列がポリリズムなる穏当な言い方ではおいつかない酩酊的をもたらす音の波と化している。

高田みどり、佐藤允彦 - Lunar Cruise Epic / 1990


やはり再評価の対象となった90年作。佐藤と高田は韓国のサックス奏者姜泰煥をふくむトリオ「トン・クラミ」でも継続的な活動をおこなうなど、即興音楽の分野でも重要な足跡をのこすが、初期の協働の記録となる本作ではフュージョン〜クロスオーヴァーを換骨奪胎したかのような方向性で、映像喚起的な作品世界をかたちづくっている。細野晴臣がフレトレスベースを手にする「Madorone」など、小品だがピリリとした楽曲多し。

ボッテガ・ヴェネタ 表参道フラッグシップ
東京都渋谷区神宮前5-1-5
営業時間 11:00-20:00
電話番号 03-5962-7630

 ファッション・ブランド〈C.E〉からまた新たなカセットテープの登場だ。
 今回はゴースト・リーマズ・オブ・マダガスカル(Ghost Lemurs Of Madagascar)なる2人組による昨年10月のライヴ音源を収録した「Blue Moon (Cav Empt Tape)」。このグループを構成するひとりは、これまでズリジェシー・オズボーン=ランティエなどをリリースしてきたレーベル〈Haunter〉を主宰し、自身もハイス(Heith)として活動するダニエル・グェリーニ (Daniele Guerrini)。もうひとりは、カリーム・ロフティ(Kareem Lofty)。ちなみに、名前が似ているがカリーム・ロトフィ(Kareem Lotfy)とは別人だそう。
 今回も〈C.E〉のウェブサイト(www.cavempt.com/)にて試聴可能です(右上の再生ボタンをクリック後、カセットを選択)。ぜひチェックをば。

アーティスト:Ghost Lemurs Of Madagascar
タイトル:Blue Moon (Cav Empt Tape)
フォーマット:カセットテープ
収録音源時間:約83分(片面約40分)
価格:1,100円(税込)
発売日:発売中
販売場所:C.E
〒107-0062 東京都港区南青山5-3-10 From 1st 201
#201 From 1st Building, 5-3-10 Minami-Aoyama, Minato-ku, Tokyo, Japan 107-0062
問合せ先:C.E www.cavempt.com/

interview with Hiatus Kaiyote (Paul Bender) - ele-king

「誰もが大きな試練を乗り越えてきた。これを作り上げるために、僕らは泥の中を突っ走ってきたような気がする。そしてこの勇敢(valiant)で誇らかな感覚が、嵐の中から穏やかな海に流れ出した。サウンドの響きと感情の奥行きに誇りを感じる。この辛い毎日に、人々にちょっとした安らぎを届けることができたらと思う」
──ポール・ベンダー(アルバム・インフォメーションより)

 ハイエイタス・カイヨーテが6年ぶりにアルバムを引っさげて帰ってきた。あのパンク・ロックっぽいアートワークでネオ・ソウルなヴァイブスを奏でる前作『Choose Your Weapon』はギャップも含めかなりのインパクトがあったし、ジャズやソウル、ロックやポップスなどの絶妙なバランスを縫ったサウンドとヴォーカルのネイ・パームが放つ独特の雰囲気と歌が、ジャンルの垣根を超えた日本のオーディエンスにもバッチリ支持されている証拠だろう。
 新作『Mood Valiant』はなんとブラジリアン・サウンドの「生ける伝説」とも言えるアルトゥーロ・ヴェロカイとのコラボレーションが実現。そして引き続き飛ぶ鳥を落としまくっている〈ブレインフィーダー〉からのリリースということで、僕らの期待をいい意味で裏切ってくれたと思う。しかしながらアルバム・リリースまでの道のりは決して順風満帆ではなく、メルボルンの4人組バンドはここ6年間で様々な出来事に直面してきたのである。世界中を飛び回るハードなツアー・スケジュール、過去に母親を同じ病で亡くしたヴォーカル、ネイ・パームの病気が発覚、そして誰もが予想だにしなかったコロナ禍を乗り越えて……。

 個性的なサウンドが彼らを反映するように、「ユニーク」な時間を大事に制作に取り組んだそう。「“Mood Valiant” というふたつの単語は、“二重性”、“双対性” を表現した言葉なんだ。“ポジティヴ” と “ネガティヴ”、“陰” と “陽”。物事や人間には全てはふたつの面があるからね」と語ってくれたポール・ベンダーは、数多くのネガティヴなシチュエーションを忍耐強く乗り越えたポジティヴなアンサーを僕らに届けてくれた。

〈Brainfeeder〉とすでにけっこう繋がっていたんだ。だから、僕たちにとっては自然の流れだったし、まあそうなるだろうねって感じだった。

アルバム制作に6年かかったと伺いました。前作『Choose Your Weapon』がリリースされてほぼすぐのタイミングだと思いますが、そのときからすでに次のアルバムを作ろうと思っていましたか? それとも、ライヴやツアー、新しい曲の制作の過程で自然な流れになったのでしょうか?

PB:『Choose Your Weapon』のツアーのあとは少し休んだんだ。けっこうツアーがハード・スケジュールだったから、ちょっと休みたくてね。皆でスタジオに集まるまでには時間は多少かかったけど、アルバムのなかには、その前からずっと存在していて今回のアルバムで使うことにしたアイディアや曲なんかもある。そういった昔のアイディアと新しくできあがったもので新作は成り立っているから、ピンポイントでいつアルバム作りをスタートさせたかを断定するのは難しいんだ。僕たちの場合、いつも自然の流れに任せているから、何がきっかけだったかを考えるのは毎回難しいんだよね(笑)。ハイエイタスのアルバムってのは作るのが本当に難しい。メンバーそれぞれのこだわりが強いから、それを全て落とし込むとすごく複雑になる。だから時間がかかるんだ。

アルバムのタイトル『Mood Valiant』にはどんな思いやコンセプトが込められていますか?

PB:ネイ(・パーム)の母親が、ネイが子どものときに白と黒のヴァリアント(クライスラーの車)を持っていて、その日のムードによってその2台を乗り分けていたんだ。学校にネイを迎えにくるとき、もし母親が黒いヴァリアントに乗っていたら、その日は母親に逆らわない方がいいという意味だった(笑)。同じ車でも、ムードによって変わる。つまり、同じ人、物でも様々な情緒状態を持っていて、様々な面があるということ。“Mood Valiant” というふたつの単語は、“二重性”、“双対性” を表現した言葉なんだ。“ポジティヴ” と “ネガティヴ”、“陰” と “陽”。物事や人間には全てふたつの面があるからね。

インタヴューの前に曲それぞれの解説を読ませていただきました。ネイ・パームの作詞や曲に対するアプローチが本当に独創的だなと感じました。ユニークなサウンドを作るためにバンドとして心がけていることはありますか?

PB:メンバーの誰かがユニークなアイディアを持ってきて、最初からそのアイディアを元にユニークなサウンドを作りはじめるときもあるし、シンプルなサウンドができあがってから、そのなかで何かユニークなことをしようとするときもある。でも僕らの場合、4人それぞれが異なるアイディアを持ってくるから、それを組み合わせる時点ですでに十分ユニークなものが自然にできあがることが多いと思う。セッション・ミュージシャンたちのなかには、直感を大事にするミュージシャンも多い。でも僕たちは、もしシンプルなものができあがったら、それをもう少し追求して、掘り起こしていくタイプなんだ。

例えば他のバンドのメンバーがネイの歌詞に何かリクエストや書き換えをお願いしたりすることもあるんでしょうか?

PB:いや、それはないな。僕たちはメンバーそれぞれの役割を尊重しているから、お互いにあまりリクエストをすることはない。まあときどきはあるけど。ネイが歌詞を書いたら、それがその曲の歌詞ということは決まってる(笑)。それは彼女の仕事だから、僕らは立ち入らない(笑)。

“Get Sun” がリリースされたときアルトゥール・ヴェロカイとのコラボレーションは正直驚きました。彼との出会いのキッカケを教えてください。

PB:アイディアを出したのはネイなんだ。曲ができあがったとき、ネイがその案を出したら、全体の意見としては「それが実現したら最高! でもまあ無理だろうな」っていう感じだった(笑)。そこでマネージメントに連絡をとってもらったんだ。いきさつはそれだけ(笑)。僕らがただ彼の音楽の大ファンで、アプローチしたのさ。彼だったらパーフェクトだと思ってね。彼が乗り気になってくれるかはわからなかったけど、人生一度きりだし(笑)。ダメもとで頼んでみるしかないと思って連絡したんだ。そしてブラジルへ行く1週間ほど前にメールをもらって、そこに短く「この曲にはすでにかなりの種類の楽器が使われているようだし、これ以上何をすればいいのか考えあぐねている。健闘を祈る」と書いてあって。実際彼からは事前に何も送られてこず、初めて彼が書いたものを聴いたのは実際にリオのスタジオに行ったときだったんだ。アルバムがほぼできあがりそうなギリギリのタイミングだったのに、そこからさらにアルバムがぐんと進化したんだ。あのセッションで、シングル級の作品が新たに生まれたんだよ。

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失恋したり、病気になったり、誰かが亡くなったり、大変な状況に置かれているときは、音楽の意味が増すと思う。いまはコロナやその他様々な複雑なことが世界では起こっている。だから、アートのなかには美しさを増している作品もあるんじゃないかな。

アルバムで “Stone Or Lavender” がいちばん好きなんですが、このストリングスもアルトゥール・ヴェロカイが弾いたものですか?

PB:そう。そのトラックのためにブラジルに行ったわけではなかったけど、ブラジルでのレコーディングで運良く時間があまったから、彼に弾いてもらったんだ。

ブラジルでの制作活動はいかがでしたか? 地元メルボルンのスタジオとはまた違ったテンションになると思いますが、制作の雰囲気など具体的なエピソードがあれば教えてください。

PB:素晴らしい経験だった。あのセッションは、いままでの活動のなかでも最高のセッションのひとつだね。もともとの目的は “Get Sun” のホルンとストリングスのレコーディングだったし、実際にブラジルに行かなくてもどうにかなったんだろうけど、経験のために実際あの場にいられて本当に良かったし、すごくエモーショナルになった。実際にやってみるまで何が起こるか想像もつかなかったけど、いざはじまると、彼の演奏が本当に素晴らしかったんだ。皆ものすごく興奮して、勢いで延長してその日の残りの時間もスタジオを借りることにした。その時間でレコーディングしたのが “Stone Or Lavender” と “Red Room”。あの2曲はあの場で本当にサッとできあがった。最初のレコーディングでそれくらい興奮したし、活力を得たからね。

通訳:何か具体的なエピソードはあったりしますか?

PB:ホルンとストリングスが完成したとき、僕は感動してコントロール・ルームで泣いてしまったんだ(笑)。あの瞬間は本当に素晴らしかった。どんな瞬間とも置き換えられない特別な経験だったからな。

〈Brainfeeder〉との契約もサプライズでした。レーベルとの出会いのキッカケはなんでしょうか?

PB:〈Brainfeeder〉のメンバーとは、数年かけてだんだんいろんな人と出会っていった。Timeboy こと John King は僕たちのライヴのステージ・デザインを手がけてくれているから近い存在だし、サンダーキャットとはたくさんのショウやフェスティヴァルで共演する機会があって親しくなった。フライング・ロータスも同じ。テイラー・マクファーリンはずっと昔に僕たちの音楽を広めてくれたし、ミゲル・アトウッド・ファーガソンは前回のレコードでストリングスを担当してくれた。そんな感じで、僕らは〈Brainfeeder〉とすでにけっこう繋がっていたんだ。だから、僕たちにとっては自然の流れだったし、まあそうなるだろうねって感じだった。バンドにすごく合うレーベルだと自分たちも感じているし、彼らの一員になれてすごく嬉しいね。

通訳:〈Brainfeeder〉とサインしたことで変化したことや、プラスになったことはありますか?

PB:〈Brainfeeder〉のクルーは、皆すごく前向きで自分たちがやりたいことを応援してくれる。最高のレーベルだと思う。インスパイアもされるし、こっちの方から自分たちの活動にぜひ関わってほしいと思える存在。彼らは真のクリエイティヴ・コミュニティだと思う。彼らと一緒に仕事ができるなんて夢みたいだよ。

6年間もかけて1枚のアルバムを作る作業は途方もない作業のように思えます。制作の過程で「途中でアルバムを作るのを辞めよう」と挫折するような瞬間はありましたか? 約10年近くに及ぶハイエイタス・カイヨーテの活動のなかで、バンドが継続していける秘訣のようなものがあれば教えてください。

PB:どうだろう。波はもちろんあったけど、僕ら4人が一緒に曲を作るというのは、自分たちが楽しめる瞬間だし、何かユニークなものが生まれる時間でもある。僕らはいまや家族のような存在だし、すでに様々なことを一緒に乗り越えてきている。だから挫折するということは特になかったし、意識しなくても自然と続けたいと思えるんだ。僕たちはそれぞれ全く違う人格だから、ときには複雑な場合もある。でも、だからこそスペシャルなものができあがるんだと思う。自分にできることは、自分の役目以外は人に任せて自分は自分の仕事をきちんとこなすこと。長く活動していれば波があるのは当たり前だし、それに流されず自分が提供できるクリエイティヴィティを提供し続けていけばいいんだと思う。流れのなかで自分はとにかく創作を続け、それを皆が合わせたいときに一緒に合わせればいいんだと思うね。バンドの音楽活動は、大変だけどそのぶん大きなやりがいも感じる。必要なのは忍耐とパッションを持ち続けることさ。

コロナの影響を受けて、フェスティヴァルやイヴェントの形や、音楽の聴き方や存在自体が変化していますね。皆さん自身は今回の期間を経て行動や音楽に対する価値観が変わりましたか?

PB:人生のなかで、より大変な状況に自分が置かれているときは、自分にとっての音楽の意味が増すと思う。例えば、失恋したり、病気になったり、誰かが亡くなったりしたときは、これまで以上に意味と繋がり、美しさを感じるようになると思うんだ。いまは、コロナやその他様々な複雑なことが世界では起こっている。だから、アートのなかには美しさを増している作品もあるんじゃないかな。

ネイ・パームを除いた3人でのトリオ Swooping Duck や、最近インスタグラムで見かけた Space Boiz (!?)などいろんなプロジェクトも進行してますね。Patreon でも積極的に活動してますが、今回のアルバム以降の活動の予定を教えてください。

PB:まだわからないんだよな。8月にシドニーのフェスに出演することは決まってる。国内のショウはいくつかありそう。いまはショウのための準備をしている感じだね。あとは、タイニー・デスクの出演も決まっていて、それはもうすぐ収録なんだ。個人的には、リリースの予定はまだないけど、自分のソロ・アルバムのミックスを終えたところ。今年のどこかでリリースできたらいいんだけど。僕が初めて歌っている作品なんだ。本当に悲しいハートブレイクのレコード。すごく良い作品に仕上がったと僕は思ってる。誇りに思えるし、とりあえず世に送り出してみたい。それは僕にとっての大きな予定だな。

日本ではまだ Patreon が浸透していないのですが、ハイエイタス・カイヨーテとして利用してみていかがでしたか? 良いプラットフォームであればぜひ日本のアーティストにもオススメして欲しいです。

PB:良いと思う。メンバー全員が気に入ってるし、素晴らしいプラットフォームだと思うよ。舞台裏でも他のプロジェクトでも何でも、自分が載せたいものを載せられるんだ。そのページのファンクラブの会員みたいなものになるために、ファンの皆が月額で会費を払う感じだね。それに入ると、他の人には見られない特別な作品を見ることができる。そんな仕組み。僕とサイモンがたくさんのシンセにプラグを差し込んでクレイジーなジャムをしているビデオだったり、僕がチェロで即興をやったり、舞台裏の様子だったり、本当になんでもあり。面白いと思うよ。チェックしてみて。

昨年、今年と立て続けにオーストラリアのアーティストやバンドが活躍しています。もしご存じであれば地元メルボルンでぜひ注目して欲しいアーティストはいますか?

PB:レニアス(Laneous)をチェックしてみて。特に『MOSNTERA DELICIOSA』っていうアルバム。僕がプロデュースしてるアルバムで、作品のなかで演奏もしてる。すっごく良いアルバムなんだ。作業していていちばん楽しかったレコードのひとつ。バンドキャンプやスポティファイで聴けるから、ぜひ聴いてみて。

日本にももう何度も来日されてますね。19年はフジロックにも出演されましたが来日時に特に記憶に残る思い出はありますか?

PB:買い物した。けっこう面白いものを買ったんだ。ギラギラのシルクのガウンとか、クラゲの柄のショーツとか、フラミンゴ柄のシャツとか(笑)。めちゃくちゃ派手な服ばかり(笑)。日本で買い物するのって本当に楽しいんだよね。あと、言うまでもないけど食事も最高。日本に行くときは毎回良い時間をすごしてる。ただ歩き回って、レコード屋や服屋で買い物をして、ハイボールを飲みまくる(笑)。

聴く人それぞれに解釈はあると思いますが、ハイエイタス・カイヨーテが『Mood Valiant』を通してオーディエンスやリスナーへ伝えたいメッセージはありますか?

PB:アルバムを聴いて、素晴らしい時間を過ごしてくれたら嬉しい。アルバムの音楽が必要な感情を引き出して、皆がそれに浸り充実感を感じてほしい。何か必要なものがあるとしたら、それを僕らのアルバムのなかで見つけてもらえたら最高だね。

通訳:今日はありがとうございました!

PB:こちらこそ。またね。

interview with Flying Lotus - ele-king

 フライング・ロータス史上、もっともまとまりのある作品──。言われてみればたしかにそうかもしれない。とくに最新オリジナル・アルバムの『Flamagra』が、あまりに多くの要素をぽいぽい詰めこんだ鍋のような作品だっただけに、この『Yasuke』のサウンドトラックを聴いているとそう感じる。
 本人が「自分自身の作品」だと主張しているように、今回のサントラはこれまでの彼のオリジナル・アルバムに連なる作品として聴くことができる。サウンド面での変化は、ヴァンゲリスに触発されたというアナログ・シンセの活用、和太鼓や拍子木のごとき打楽器とアフリカン・パーカッションとの並存、部分的に顔をのぞかせる東洋的な旋律の3点に要約することができよう。いくつかの曲においてトラップが披露されているのも感慨深い。そこには、「これまでだってトラップをやろうと思えば余裕でできたんだぜ、でも流行ってることをやってもしかたないだろ」という、00年代に完全に独自の音楽を生み出したプロデューサーの、力強い矜持が感じられる。さらに、ちょいちょいセンティメンタルなムードの曲も用意されていて、心地いいインスト・ヒップホップを求める向きにもおすすめだ。
 他方で──当たりまえだが──これはアニメを愛するひとりのオタク(最近は『呪術廻戦』に夢中のようだ)が手がけた、アニメのサントラでもある。その観点で捉えてみた場合、これほどつくり手の個性がにじみでたサントラというのも、なかなかお目にかかれないのではなかろうか(少なくとも、日本のアニメのサントラでこんな音の鳴りは出てこないだろう)。かつてケンドリック・ラマー『To Pimp A Butterfly』に提供されたトラックがそうだったように、フライング・ロータスの生みだすサウンドは、べつの文脈に放りこまれたときにより一層その特異さを際立たせ、輝かせる。
 作家性を失わず、しかしどんどん柔軟になっていくフライング・ロータス。これはアニメ・サントラであると同時に、ひとりの独創的な音楽家による新たな挑戦の、ドキュメントでもあるのだ。

※補足。実際のサムライは長らく支配層であり人びとを抑圧する側だった。いま生きている日本人はほとんどが農民の子孫だろう。念のため。(7月1日追記:アカデミックな場にいたコード9でさえ “9 Samurai” という曲をつくったことがあるくらいなので、フライローだけの問題ではないのだけれど……いやはや、海外におけるサムライへのポジティヴな評価は根が深い……)

このプロジェクトも「自分自身の作品」として扱った。まとまりのあるプロジェクトという感じがするし、今作で自分がとても気に入っているのもその点だね。自分の他のアルバムと較べても、この作品はもっともまとまりがある気がする。

ここ1年は世界的に大変な時期でしたが、どう過ごしていましたか? 精神的に参ったりしませんでしたか?

FL:状況を考えれば、俺はかなりうまくやれてきたね。うん、これまでのところOKだったと思う。取り組めるクリエイティヴな仕事があったことを非常に感謝していたし、この間にキャッチアップできた良い作品などもあり、そのおかげで気をまぎらわせることもできたから。

今回スコアを書くうえで参考にした、あるいは影響を受けたスコア~サウンドトラックはありますか?

FL:ああ、インスパイアされたものは多い。でも今回は、ヴァンゲリス的なシンセサイザーへのアプローチを用いて何かやってみようとトライする、そのアイディアが非常に気に入ってね。映画でシンセサイザーを使う、という。そのアイディアにとてもインスピレイションを掻き立てられることになった。どうしてそうなったのかは自分でもわからないけれども、シンセサイザーとそれをミックスすることに惚れ込んでしまったし、そういうことをやるのにパーフェクトなプロジェクトだった。

今回、ある程度は先に映像がある状態で音をつくっていったのですか? それとも映像はまったくない状態で?

FL:その両方をやった。映像を観ることが可能だったときもあれば、番組のもつフィーリングを自分なりに解釈し、そのフィーリングにもとづいて音楽をクリエイトしただけという場合もあった。ある場面を観て、俺は「この場面の持つ意味合いは? ここでのフィーリングはなんだろう?」と考え、そこで映像をいったん消し、なにかをクリエイトしていったり。うん、双方のプロセスを用いたね。一方で、大きな闘いや戦闘場面といったがらっと異なる趣きの場面もあったから、ふたつの映画をやろうとしたというか。それにいくつかのシーンでは、まず音楽をつくってみることもやった。というのも監督のラショーン(・トーマス)、彼はたまに、曲に対してこちらとは異なるヴィジョンを持つこともあったから。たとえば俺が何かクリエイトして、それを俺は予想もしていなかった場面で彼が使う、とか。それでこちらも「フム、これは興味深い」と思ったり(苦笑)。

監督に自由に選んでもらうために、余分にマテリアルをつくりもしたんですね。

FL:そういうこと。時間をかけたし、「この作品にだけ専念する」と決めた。サウンドからなにから、自分がいまクリエイトしているのはこの作品向けのものであって、うまく合うものもあれば、そうはいかないものもあるだろう、と。

ご自身で映画を監督なさったこともありますし、映画に限らず様々な視覚メディア/視覚アートに関する仕事をしてきました。音楽言語だけではなくヴィジュアル言語も理解しているわけで、ラショーン監督もあなたとは仕事しやすかったんじゃないでしょうか。

FL:ああ、その面は助けになるだろうね。それに加えて、俺はこのプロジェクトに最初期から関与していたぶん作品のすべてをすでに知っていたわけで、そこも大いに役に立った。

製作総指揮としても参加し、キャラクターの造型やストーリー面でも関わったそうですね。まさに一からこの作品と付き合ってきた、と。

FL:ああ、そうだね。

これまでのフライング・ロータス作品と今回の最大の違いはパーカッションにあると思います。和太鼓やアフリカン・ドラムを積極的に使用したのは、それが『YASUKE』の映像や物語とマッチしそうだから、という理由だけでしょうか? まあ、日本にいるアフリカ人という設定なので、そうなって当然かもしれませんが……

FL:(苦笑)その通り。

とはいえ、なにか他に理由はあるでしょうか?

FL:そうだな……んー、自分にもわからない。ただとにかく、この番組にはやはり(メインになるのはシンセであっても)日本のサウンドを含めなくてはならないな、そう感じただけであって。なにかしら、非常に日本的なものをね。かといってまた、俺は日本音楽のパロディっぽい印象を与えるもの、そういうことはやりたくはなかったというか?

はい、わかります。

FL:日本音楽を侮辱しているように映ることは避けたかった。というわけでとにかく、自分からすれば敬意に満ちていて、ユニークで、と同時に「俺」らしくもある、そういうなにかをクリエイトしたかったんだ。

実際に聴くまでは、「もしかしたら海外作品でよくある、日本の異国趣味を感じさせるものになるかもしれない?」と思ったこともあったんですが、さすがあなただけあって、日本のカルチャーや伝統へのリスペクトのある内容です。ありがとうございます。

FL:フフフッ!

先ほどヴァンゲリスの名前を挙げていたように、上モノのシンセもオールドな響きがあり、これまでのフライング・ロータス作品とはだいぶ異なっています。

FL:ああ、80年代のシンセだ。

アナログ・シンセですよね?

FL:そう。大好きだね。うん、あれは本当に好きだ。

今回この音色を用いようと思ったのはなぜ? 1980年代のサウンドを16世紀に合わせようとしたのはなぜでしょう?

FL:とにかくあのサウンドにはなにかがあるし……これまで、あのサウンドがアニメで使われたのを俺は耳にしたことがなくてね。アニメ界においてなにか新しいことにトライしたいと本当に思っていたし、アニメ作品のなかでも強く記憶に残る、そういうサウンドをぜひクリエイトしたいと思っていた。俺たちが過去にもう聴いたことのあるものとは異なるなにかをね。というわけで、この音楽をユニーク、かつ俺にとって正直なものにするのに、自分にできることはなんだろう? と考えたんだ。シンセサイザーにものすごくインスパイアされていたし、その面と、自分が観ているもの(=アニメ)を感じさせるもの、それらすべてをどううまく機能させればいいだろうか、と。

アニメは残念ながら全話観ていないのですが、このサントラは音楽作品として独立して聴けると思っています。

FL:ああ、それはグレイト! そう言ってもらえて嬉しいよ、ありがとう。

いくつかの曲でトラップのビートが用いられていることに驚きました。あなたはトラップの潮流からは距離を置いていると思っていたのですが、かならずしもそうではなかったのですね?

FL:(笑)大好きだよ! 好きだし、自分でもつくる。あの手のビートだってつくるし、ただ、あまり世に出していないだけ。まあたしかに、誰もがやっていることをやるのは安易だ、みたいに感じることもあるけれども、実際、あのサウンドはときに戦闘シークエンスでとても活きるんだ。うん、あれをやるのはクールだよ。それに、キッズはあのサウンドがお気に入りだし(笑)。

エキサイティングで盛り上がるビートですし。

FL:ああ。やっぱり、なにもかもダウンテンポで……というわけにはいかないんじゃないかな。

(笑)たしかに。

FL:アクション・シーンなんかは特にね。でも、その手の場面には♪ダンダンダンダン・ダンダンダン・ダッ!(と、スリル感を増す激しいタイプのビートを口真似する)という音楽がよく使われるけれども、ああいうのは俺にはとても退屈に思えたし、もっと違うものを書きたかった。

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これまで戦争のための音楽をつくることを考えたことは一度もなかったんだよ、俺は戦争を嫌悪しているから。けれども今回は戦争とはどんなふうに聞こえるのか? と考えることを自分自身に強いることになった。

自身のオリジナル・アルバムをつくるときとの最大の違い、苦労はなんでしたか?

FL:まあ、俺は同じものは二度つくらないわけで。でも、このサントラでの仕事について言えば……戦争をつくり出さなくてはならなかったんだよな。戦争のサウンドと音楽をもっと、もっと、とクリエイトしていった。ひとつのシリーズのなかに戦闘シーンが3回あるからね。これまで、戦争のための音楽をつくることを考えたことは一度もなかったんだよ、俺は戦争を嫌悪しているから。けれども今回は、戦争とはどんなふうに聞こえるのか? と考えることを自分自身に強いることになったし、俺のヴァージョンの戦争とはどんなサウンドだろう? と考えた。で、とにかくそうやって自らの能力とこれまでやってきたことをストレッチしさらに伸ばすのは、非常に、非常に楽しく、かつ試されもするチャレンジだった。

想像力でギャップを埋めていかなくてはならないわけですね。平和主義者であるあなたが、フィクションの世界では戦士や人殺しをイメージしなくてはならない、と。

FL:そう。ただ、ありがたいことに、こちらはヴィデオでイメージを観ることができたから、「なるほど、いま自分の目に映っているものを音楽でサポートしさえすればいいんだ」と思えた。というわけで、いったん自分の使おうとするサウンドと音のパレットとを見極めたら、ギャップを想像力で埋めていく作業は非常に楽になった、みたいな。それでも、戦争絡みの音楽をやるのはとても難しかった。なにせ俺は、ああいうことはいっさい考えないから(笑)。

その他に、なにか苦労なさった点は?

FL:スケジュールだな。スケジュール調整がとてもむずかしかった。うん、スケジュールの面はとても大変だった。というのも、自分の作品をつくるとき、締め切りはないんだ。スケジュールは存在しない、という。けれども映画やテレビの仕事の場合はスケジュールが決まっていて納期までに仕上げなくてはならないし、締め切りも非常に厳しい。その意味でむずかしかったとはいえ、おかげで自分のアイディアに確信をもち、作品をどんどん仕上げていくのを自分に強いることができた。

時間のせいでもっと断定的になり「よし、これで完成」と決断しやすくなった、と。

FL:そう。うだうだ考えているわけにはいかない、とにかくやるのみ、とね。

映画やアニメは音楽に較べて関わるスタッフの数も桁違いですし、タイトなんでしょうね。

FL:ああ。クレイジーなことになる。

逆に、これまでの自身のオリジナル作品と共通しているもの、連続しているものはなんだと思いますか?

FL:このアルバムも自分のやってきた他の作品と同様、アルバムとして流れがあるように曲順をアレンジするようにした。単に番組から派生したものではなく、このプロジェクトも「自分自身の作品」として扱った。まとまりのあるプロジェクトという感じがするし、今作で自分がとても気に入っているのもその点だね。自分の他のアルバムと較べても、この作品はもっともまとまりがある気がする。だから、もっとも……ステイトメントというか、アイディアがもっとも凝縮されている作品という感触がある。要するに、「これはサムライ・アルバムだ」というふうに(笑)。

ある意味、他の作品よりも定義しやすい、と。

FL:イエス。対して以前の俺がやっていたのは、「こういう感じのもの」、「ああいう感じのもの」という具合にあれこれ持ってきて、それらを混ぜ合わせることでこの、大きなピースというか、ひとつのコラージュをつくっていたんじゃないかと。ところがある意味今作は、まとまりのあるひとつの大きなピース、という感じがある。ひとつに統合されたアイディア、というね。

1曲1曲が短く収録曲数が多い、というのはサウンドトラックの特徴ですが、奇しくもこれまでのあなたの作品もそうでした。

FL:(苦笑)その通りだ。

これまでもどこか架空のサウンドトラックをつくるような意識があったりしたのでしょうか?

FL:ああ、いつもそうだった。いつもそう。つねに自分の作品にテーマやヴィジョンを持たせようしてきたし、そうやって音楽をマインドのなかでたどる旅路に感じられるようにしてきた。けれども、いま感じているのは、今後、自分が通例的なアルバムづくりに戻るのはむずかしくなりそうだな、ということで。自分は大きく成長したし、自分の限界を押し広げようと本当に努力もしたわけで、その進みを維持していかなくてはならない、そう思うから。

たとえば映画『ブラックパンサー』は、当時のトランプ政権やBLMなど、時代や社会の状況とリンクする側面があったと思うのですが、『YASUKE』にもそのような部分があると思いますか?

FL:とても多くある。社会/時代に対する非常に多くのコメンタリーが含まれている。あの番組が明かし開いて見せるものは、じつに多くある。うん、いくらでもある。

『YASUKE』という作品のもっとも重要なテーマあるいはメッセージは、なんだと言えるでしょうか。ラショーン監督の作品とはいえあなたも大きく関わっていますし、「このひとつ」とは選びにくいかもしれませんが、それはなんだとあなた自身は思いますか?

FL:フム……『YASUKE』を通じて俺が見つけたもっとも重要なメッセージ、それは「正しいことをやれば、われわれみんながヒーローになれる」ということだね。正しいことをやること、それさえちゃんとやればヒーローになれる。だから、ときに人びとは、だれかの表面だけを見てその人間を判断し、その人の内面/リアリティにまで目が届かないことだってある。けれども、それは無意味だし気にすることはない。とにかく自分自身をつらぬき、正しいことをやっていく、と。言葉より、行動そのもののほうが大きくものを言うからね。『YASUKE』で俺が好きなのもそこだと思う。見た目が他とは違うというだけの理由で誰かが彼をおとしめることを彼はけっして許さないし、彼は自分が抜きん出ていること、ほかをしのぐ存在であることをつねに証明していく。言葉ではなく、ひたすら行動を通じてね。

だからYASUKEはサムライなのですね。

FL:フフフフフッ!

『YASUKE』を通じて俺が見つけたもっとも重要なメッセージ、それは「正しいことをやれば、われわれみんながヒーローになれる」ということだね。

ゲストについて。サンダーキャットやニッキ・ランダは長年のおなじみのコラボレイターですが、今作唯一のラップ曲でデンゼル・カリーを起用したのはなぜ? 彼は『Flamagra』にも参加していましたが、そのときのコラボが他のラッパー以上に良かったのでしょうか?

FL:それもあったし、彼は友人でよく知っているし、しかも俺の近所に住んでいる(笑)。彼もアニメが大好きだし、YASUKEという人物のことも知っていた。だからもう俺からすれば、ラップしてくれと彼に頼まないほうがおかしいだろう、みたいな。

(笑)なるほど。

FL:俺にとっては彼もこの一部だし、彼のあのラップは俺も大好きなんだ。というのもあれはたんなるラップ曲ではなくて、YASUKEのヒストリーを語っている。キャラクターの物語をラップで語っているということだし、そういう曲をアルバムに入れられたのはとてもクールだった。

ちなみに、日本のラップ/ヒップホップで好きな作品や注目しているアーティストはいますか? ラッパーでもビートメイカー、プロデューサーでも。

FL:うん。あの子は……彼の名前はHakushi Hasegawa(長谷川白紙)、だな。ブリリアントなミュージシャンだ。彼の音楽は大好きだ。彼は新人で、キーボードの弾き語りをやるんだけど、非常にトリッピーで、めちゃいいんだ。チェックしてみて。

『YASUKE』の制作会社がMAPPAなのは渡辺信一郎さんの紹介?

FL:いいや、それはないね。ノー。俺はただラショーンと一緒に日本に行き、彼らとミーティングを持ち、そこで彼らも「イエス」と答えてくれた、と。

すでに存在している映画やアニメで、できることなら自分がスコアを書きたかったと思った作品はありますか?

FL:それはしょっちゅう感じるよ、しょっちゅうね。テレビ版の『ウォッチメン』、あれの音楽を自分がやれていたら……と思う。

未見ですが、出来はどうなんでしょう?

FL:俺は気に入った。ただ、音楽を自分が担当していれば、すばらしいことをやれていただろうなと思う。その他で、好きな作品で自分が音楽をやれたらよかったのに、と本当に思うものといったら……? ああ、現在進行中の映画『ブレイド』の新作。あれは、ぜひやりたい。

おお! ウェズリー(・スナイプス)が主演なんですか?

FL:(苦笑)いやいや、違うよ。

違う役者なんですね。

FL:ああ。あれは、あと何年かかかるだろうな(訳注:『ブレイド』はMCU内でリブートされる予定で、ブレイド役はマハーシャラ・アリが引き継ぐ予定)。

『ブレイド』は好きなので、楽しみに待ちます。

FL:うん、『ブレイド』は最高。

亡くなったMFドゥームとはEPを制作していたのですよね。それが世に出る可能性はあるのでしょうか?

FL:そう祈っている。そうだといいよね。あれに関してはなんの連絡も受けていないから、俺にはなんとも言いにくい。ただ、出たらとても嬉しいね。

音源はご遺族が管理されている、ということ?

FL:そのとおり。できあがった音源を俺自身聴いたことはないんだけど、俺が送った音源を使って何曲かやったと彼が話してくれたことがあったんだ。でも、どうなるかは俺にもわからない。

というわけで、質問は以上です。お時間いただき、ありがとうございました。

FL:こちらこそ、取材してくれて、本当にありがとう。

お元気で。

FL:きみもね。

Netflixオリジナルアニメシリーズ『Yasuke -ヤスケ-』
4/29(木)よりNetflixにて全世界配信中

interview with Black Midi - ele-king

 ブラック・ミディの存在は、2018年からロンドンより漏れ伝わってきていたものの、情報は少ないし、レコードも聴けないし、彼らを知るすべといえば、おもにルー・スミス(Lou Smith)が撮影したウィンドミルでのライヴ映像だった。そして、2019年、2つのシングル(アルバムには収録されていないけれど、ラフ・トレードからのファースト・シングル「Crow’s Perch」にはほんとうに興奮した)とデビュー・アルバム『Schlagenheim』で、彼らはじぶんたちがどんなバンドなのかを、ようやくはっきりと示した。聴き手の前にぬっと現れた、奇妙でいびつなかたちをしたその音楽は、まるでキング・クリムゾンが1969年が1984年までの間にリリースしたレコードをぎゅっとひとまとめに固形化したような、あるいはジョン・ゾーンが指揮を執ってポップ・グループとシェラックがいちどきに演奏しているような、とにかく強烈なものだった。つまり、破格の存在感を放っていたのだ。

 ブラック・ミディの演奏は常に性急で、なにかから追われているかのように切迫した感覚があるのがよかった。それでいて、どんなポスト・パンク・バンドよりもうまく、タイトで、おまけに自由に伸び縮みするプレイを聴かせていた(その様子を知るには、彼らを一躍有名にしたKEXPでのパフォーマンスを観るのが手っ取り早い)。それに、セッションがベースにある彼らのライブとレコードには、ロック・コンボで演奏するよろこびが宿っていた。ブラック・ミディの音楽を聴いていると、4人の人間が手足と喉と4つの楽器を使って、音によるコミュニケーションをしている様子がありありと伝わってくる。だからこそ、演奏のなかに、なんとなく予感や余白、可能性が残されているように感じられるところもよかった。

 ただ、ブラック・ミディの4人は、居心地のよいところに安住せずに、定型化や様式化を忌避して、早くも新しい表現を模索している。というのも、このセカンド・アルバム『Cavalcade』は、セッションではなくコンポジションとアレンジメントによる孤独な作業を深く追求して、それをバンドに持ち寄って演奏したことで完成された。ギタリストのマット・クワシニエフスキー・ケルヴィンはメンタル・ヘルスの問題によって現在バンドから離れているため、作曲のみの参加に留まるが、サポート・メンバーのサクソフォニストであるカイディ・アキニビ(Kaidi Akinnibi)とキーボーディストのセス・エヴァンズ(Seth Evans)らの助力によって、音はかなり厚みを増した。そのあたりの内情やプロセスは、次のジョーディ・グリープへのインタヴューでたっぷりと語られている。とくに、クラシカル・ミュージックについての情熱的な語りには、『Cavalcade』が纏っているエレガンスの出どころが見えてくるんじゃないだろうか。

 2019年に日本でインタヴューした時のジョーディ・グリープは、移動や取材が重なっていたためか、ちょっとナーバスなムードを醸し出していた(そのときの記事は、インディペンデント・ファッション・マガジン『STUDY7』で読める)。でも、今回はかなりリラックスして話してくれたみたいだ。この見慣れない「隊列」がどうやって組まれ、どこからやってきて、さらに次(サード・アルバム)はどこへ向かって行くのか。『Cavalcade』がどうやらバンドにとって通過点でしかないことが、さまざまな固有名詞やエピソードに彩られたジョーディの語りから伝わってくる。

子供のころからポピュラー・ミュージック、ロック、ジャズとかに加えて、常にクラシックを聴いていた。だから、自分の音楽にもクラシック音楽からのインスピレーションをいつも取り入れるようにしている。

以前インタヴューした際、ジョーディさんがゲームの『ギターヒーロー』で演奏を学んだと楽しそうに語っていたことをよく覚えています。『Stereogum』のインタヴューでは、インスパイアされたものとして『タンタンの冒険』を挙げていましたが、そういった子どものころに触れたもので現在もバンドに活かされているものはありますか?

ジョーディ・グリープ(以下、GG):子どものころは『ルーニー・テューンズ』や『トムとジェリー』が大好きで、そういうアニメをたくさん観ていたよ。番組で流れるドタバタ感のある音楽が大好きだったんだ。ブラック・ミディの音楽をやるときも、それに似たような、直感的な衝撃やエネルギーを音楽に持たせたいと思っている。
 それから映画もたくさん観ていたね。(アルフレッド・)ヒッチコックの映画とか、ウディ・アレンの映画とか。かなり前に、そのあたりの映画をたくさん観ていた。特に、『ウディ・アレンのバナナ』(1971)や『スリーパー』(1973)といったウディ・アレンの初期の作品なんかをね。

そういう経験は、いまも音楽に反映されていますか?

GG:そう思うよ。俺たちが長年好きだったもののすべてが、いまの音楽に反映されていると思う。

新作『Cavalcade』では、インプロビゼーションやジャム・セッションで作曲された前作『Schlagenheim』とは対照的に、メロディやコード・プログレッションの妙など、コンポジションに重きが置かれているそうですね。作曲の段階ではメンバー個々の孤独な作業になるのでしょうか? それとも、作曲中にも意見交換をするのでしょうか?

GG:どちらのパターンもあるけれど、最近多いのは、個々で曲をすべて完成させるほうだね。少なくとも、俺は曲を全部完成させてから他のメンバーに聴いてもらうほうを好む。その理由は、自分の曲を自分でコントロールしたいからかもしれないし、完璧主義だからなのかもしれない。それに、そのほうが曲に継続性があるんだ。曲の終盤が、曲の序盤と合っていなかったり、曲のある部分が残りの部分と調和したりしていなかったら、よくないだろう? でも、曲の、音楽の部分だけを完成させて、それを他のメンバーに紹介して、他のメンバーが歌詞を書いたり、ヴォーカルを加えたりするという共同作業はあるよ。

なるほど。では前作と比べて、もっとも対照的な作りかたになった曲は?

GG:“Marlene Dietrich”と“Hogwash and Balderdash”とアルバム最後の曲“Ascending Forth”、それからアルバムには収録されていない“Despair”(国内盤にボーナス・トラックとして収録)という曲は、俺が自宅で作曲したから全部俺が作って、「これができた曲だよ」とみんなに紹介したものだよ。“Diamond Stuff”も同様に、(ベーシスト、ボーカリストの)キャメロン(・ピクトン)がすべて自宅で作った曲だ。だからいま挙げた曲はすべて、ファースト・アルバムの大部分の曲とはまったく対照的な作り方になっているね。

リズムやグルーヴに対する考えかたは変化しましたか?

GG:とくに変化していないと思うけど、今回作った曲の方が複雑になっているし、従来の構造に倣って作られているからリズム・セクションに関してもやりがいがあったんじゃないかな。つまり、(ドラマーの)モーガン(・シンプソン)が曲を聴いて、どういうリズムを加えるのかを考える際に、今回のアルバムの曲には様々な要素が既にあったから、いろいろな可能性を感じられたと思う。おもしろく聴こえるような曲にするために、その曲の流れに合わせてクレイジーなおもしろいリズムを加えたというわけではなくて、今回の曲にはリズムが既に存在していた。だから、そこにあった自然のリズムを活かして、それを前面に出していった、という感じ。

アルバムに全面的に参加しているサクソフォニストのカイディ・アキニビ、キーボーディストのセス・エヴァンズについて、どんなミュージシャンなのか教えてください。

GG:カイディと俺たちは同じ学校(ブリット・スクール)だったからもう8年の付き合いになるんだ。セスはロンドンでライブをやっているときに知り合った。俺たちが当時やっていた他のバンドでセスも一緒にやっていたんだよ。

 俺とカイディは、もう何年もいろいろな音楽を一緒にやってきている。だから、サックス・プレイヤーを入れようとなったときに、カイディに頼むのは自然な選択肢だった。カイディのいいところは、熟練した演奏者であると同時に、俺たちがやろうとしているどんな種類の音楽に対してもオープンだし、クレイジーな音楽に対してもオープンだというところだ。彼もクレイジーな音楽を色々と聴いているからね。一緒に音楽をやるには最高だよ。
 キーボード・プレイヤーのセスも、演奏者として素晴らしい。あまりやり過ぎないというか、派手すぎないし、そういうすごい演奏ももちろんできるんだけど、曲に最適な演奏をしてくれる。
 カイディもセスも俺たちの仲のいい友だちなんだ。みんなで楽しく作業ができるし、カイディとセスの相性も良い。だから最初は去年のツアーに参加してもらって、ライブに出てもらおうという話になった。それがすごくいい結果になったから、アルバムに参加してもらうのも自然な流れだった。すごく楽しかったよ。今年の秋からはじまるツアーにも彼らに参加してもらおうと思っている。それに、サード・アルバムにもね。

へえ! サード・アルバム、楽しみです。今回はアレンジも構築的になっていて、とくにギター・ロックと管弦楽の融合が印象的でした。管弦楽やパーカッションなどのライブ・インストゥルメントによって音楽性を拡張した理由は?

GG:ブラック・ミディ関連の音楽以外だと俺はほとんどクラシック音楽しか聴かないんだ。子供のころからポピュラー・ミュージック、ロック、ジャズとかに加えて、常にクラシックを聴いていた。だから、自分の音楽にもクラシック音楽からのインスピレーションをいつも取り入れるようにしている。クラシック音楽という領域のなかから、自分が好きなものを選んで活用しているんだ。
 クラシック音楽やオーケストラ音楽からインスピレーションを得るなんてレベルが高過ぎて無理だろう、それは思い上がりだ、高望みしている、という考えもあるけれど、俺に言わせれば、人生は長くないし、自分が情熱を感じている大好きな音楽があって、それを自分の音楽に取り入れたいなら、そうすればいい。時間は限られている。明日死ぬかもしれないんだぜ? だから、そういう音楽の影響を今回のアルバムにも取り入れた。
 アルバムの曲にはクラシック音楽の影響が入っているものがいくつかあって、クラシック音楽に使われているテクニックは、ほとんどそのままブラック・ミディの音楽にも使えるんだ。俺が好きなクラシック音楽と同じくらいにすばらしくはできないかもしれないけど(笑)。インストゥルメンテーションにおいてクラシックで使われているテクニックを今回のアルバムの曲にも使ってみたんだ。

たしかに、クラシカルで荘厳な音を構築しているアプローチだと思いました。ライヴ・インストゥルメントではなく、エレクトロニクスを取り入れるアプローチも考えていますか?

GG:可能性としてはあるよ。俺はあまりエレクトロニクスには精通していなくて、そういうのはキャメロンが全部やっている。キャメロンはDJもやっていて、曲のリミックスもやっているんだ。だから、キャメロンはすごいよ。今後はいつか、そういうアプローチで曲作りをしたり、ブラック・ミディの音楽を作っていったりすると思うよ。

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アルバムをもう1枚作るのには、じゅうぶんな数の曲ができている。2時間分の音楽があるよ。この数か月でサード・アルバムのレコーディングができると思う。そして来年の3月ごろまでにはリリースできていると嬉しいね。

話は戻りますが、弦楽器のアレンジメントについて教えてください。“John L”などでのストリングスは、どこか不協和な響きを持っています。こういった緊張感のある響かせかた、アレンジのしかたは、どのようにして生まれたのでしょうか?

GG:“John L”はフリースタイルでできたんだ。ロンドンのアーティストで俺たちの友人でもあるジャースキン・フェンドリクス(Jerskin Fendrix)を呼んで、“John L”の基本的なリフや曲のパートを教えたんだけど、あとは彼が自由にバイオリンを演奏しながら、一緒に曲を作っていった。“Ascending Forth”のストリングスは、ジャースキンがヴァイオリンを演奏して、別の友人のブロッサム(・カルダロン、Blossom Caldarone)がチェロを演奏したんだけど、曲のなかでストリングスを入れたいところでトラックを止めて、俺がピアノでそのパートを弾いて、「じゃあ、これを演奏してくれ」と彼らに頼んで、彼らが演奏するのを録音した。そしてまた別のセクションにトラックを進めて停止させて、「次はこれを演奏してくれ」と俺がピアノで指示を出す……という作業をずっとやっていた。3時間くらいかかったよ。“Marlene Dietrich”のチェロのアレンジメントも俺が作曲をして、ブロッサムに演奏してもらった。

それに関連して、楽器の音の美しいハーモニーとノイジーに重なるタイミングと両方が共存している様子が今回のアルバムは特に印象的でした。作曲やアレンジ、演奏における音の調和と不協和について、どんなことを考えていますか?

GG:調和と不協和は対になっているというか、どちらか一方が欠けても成り立たないと思う。不協和ばかりだと意味のない不協和になってしまうし、すべてが調和していたらベタな感傷主義になってしまう。だから、常に調和と不協和の両方が必要だ。不協和の脅威があるからこそ、調和という息抜きがある。そういうところにおもしろみを感じるんだ。
 俺たちは、常に緊張感がギリギリのところで漂っている音楽を作りたい。でも、そういう緊張感があるからこそ、その後に来る脱力感や穏やかな感じが引き立つ。だから、その両方が必要なんだ。

そういった点では、ブラック・ミディの緊張感やダイナミック感はすばらしいですよね! すごく刺激的で、ユニークな音楽だと思います。

GG:ありがとう!

さきほど言及した『Stereogum』のインタヴューでは、イーゴリ・ストラヴィンスキーの“カンタータ”とオリヴィエ・メシアンのオペラ“アッシジの聖フランチェスコ”を挙げていましたよね。そういったコンテンポラリーなクラシカル・ミュージックからは具体的にどんなインスピレーションを得られるのでしょうか? 

GG:俺が10歳くらいのとき、地域の学校の生徒全員が行くというコンサートがあって、それに行ったんだ。子どもたちにクラシック音楽に興味を持ってもらおう、という学校の行事だ。それで、ロンドンにあるバービカン(・センター)というコンサート・ホールに行った。そのときの観客はみんな生徒だから子どもで、オーケストラは様々な作曲家による曲を10〜15曲くらい演奏していた。クラシックの歴史を学ぶ、みたいな感じで。それを聴いたときには衝撃を受けたよ。でも、そのときは学校の行事だったから、俺は「つまらねえ音楽だよな」なんて他の子どもたちと言いあっていたけど、内面では「なんてかっこいい音楽なんだ!」と思っていたんだ。そのコンサートで演奏されていた音楽は、すごくよかったよ。具体的なものは思い出せないけど、ひとつ覚えているのは、チャールズ・アイヴズの「答えのない質問」。これを聴いたとき、俺はこの曲はあんまり好きじゃないなと思ったけれど、どうして好きじゃないのかという具体的な理由を説明できなかった。でも、この音楽には、聴き続けていたいと思わせるなにかがあった。そういう体験をしたのは、それが初めてだったな。そういう感覚を自分の音楽でも喚起させたい、という気持ちがある。
 ストラヴィンスキーに関しては、俺の父親と母親は色々な音楽を聴く人で、ストラヴィンスキーの音楽もよく聴いていた。ストラヴィンスキーは、『スター・ウォーズ』のような、クレイジーな映画音楽の祖先みたいなものだ。だから、そういう映画を観てきた人がストラヴィンスキーの音楽を聴いても、あまり異常なものや、異世界のもののように感じることがなく、自然に受け入れられる。それはリズムがベースになっているからなんだ。
 俺が12歳か13歳のころ、学校の音楽の先生で、すごく好きな先生がいた。すごく親しくなって、昼休みにはよくその先生のクラスに行って、俺は彼と音楽の話を一緒にしていたんだ。その先生が学校を去っていったあと、別の先生が来た。この先生はかなり歳がいっている人で、昔ながらの伝統を好む人だった。誰も新しい先生のことが好きじゃなくて、俺も同じだった。こいつはイケてないし、おもしろくもないと思っていた。俺はその先生と1年くらい過ごして音楽について話したり、音楽の課題を一緒にやったりしていたから、じょじょにこの先生も悪くないな、と思いはじめていた。まだ彼のことは尊敬していなかったけどね。普通にいい付き合いはできていた。ある日、彼はストラヴィンスキーの“春の祭典”を聴かせてくれたんだ。そのときに俺は、先生がどれだけやばい人かに気づいた。先生は「この作品は史上最高の楽曲です」と言って、スピーカーから大音量でかけたんだ。俺は先生に向かって「はいはい、先生はおかしいよ」と言っていた。先生の前では平然を装っていたんだけど、内面では「これはまじでクレイジーな音楽だな!」と思っていたんだ。

では、実際にはいい音楽だと思っていたんですね。

GG:まあね。でも先生には「そんな風に思う先生は変だよ。これは全然良い音楽じゃない」って言っていた。俺と先生は10分くらい曲を聴いていたんだけど、そのときに彼はこう言ったんだ。「この音楽を初めて聴く瞬間に戻れるなら、私は何だってしますよ」って。それには心を打たれたね。俺はいま、その瞬間を実際に体験していて、それを当然の権利のように感じていたから。俺はそのときは、「先生の言うことはでたらめで、あの老いぼれは馬鹿げている」と思っていて、その場はそれで終わったんだけど、“春の祭典”は常に俺の頭の片隅にあった。その6か月後くらいにまた聴いてみて、それ以来、何度も繰り返して聴いてみた。もう何年もそうやって聴いてきている。ストラヴィンスキーの音楽も全部聴いたし、バッハの音楽もたくさん聴いたし、メシアンの音楽も、ブラームスやベートーヴェンの音楽も聴いてきた。非常に楽しめる音楽だよ。

クラシックから、それほどの影響を受けていたとは思いませんでした。話は変わりますが、今回のアルバムにおけるジョーディさんの歌について教えてください。ヴォーカリゼーションが以前よりもシアトリカルなふうに変化したように感じました。これは、「三人称のストーリーを重視した」という楽曲ごとのテーマから生じたものなのでしょうか?

GG:そうかもしれない。主な理由としては、俺が好きな音楽や歌手の多くが、おおげさだったり、度を超えた感じの歌いかたをしているからだと思う。でも、今回のアルバムの曲でヴォーカルを歌っているときはある特定の歌手を意識したり、まねたりしているという感じではなくて、ある特定の感情や風変わりな映画や演劇などをイメージしながら歌っていたんだ。確かに今回のアルバムでは全体的に名作のおおげさでドラマチックな、メロドラマに近い雰囲気を体現しようとした。マルセル・オフュルスの映画や、マイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガーが監督した『赤い靴』みたいな。おおげさなドラマや、奇妙なくらいおおげさな感じ。あまりやりすぎてもだめだけど、ドラマティックさを体現することも必要だと思う。
 最近の音楽を聴くと、おおげさにならないように、感情的になりすぎないようにと意識し過ぎている人ばかりだと思うんだ。まるで、そういう表現が意図的に禁止されてしまったかのように。すべては控えめにしないといけないかのように。それはそれでいいんだけど、俺はあのシアトリカルな感じも好きなんだ。だから、そういう表現方法をたまにはしても悪くないんじゃないかと思って。今回はやりすぎたかもしれないけど、どうだろう。サード・アルバムで、次はどうなるかな、というところだね。

さきほどからサード・アルバムについて言及していますよね。どんな内容になるんですか?

GG:アルバムをもう1枚作るのには、じゅうぶんな数の曲ができている。2時間分の音楽があるよ。この数か月でサード・アルバムのレコーディングができると思う。そして来年の3月ごろまでにはリリースできていると嬉しいね。音楽制作は、音楽が完成していてもリリースまでに時間がかかるときもある。だからリリースのタイミングを遅らせることなく、なるべく早くリリースできたらいいと思っている。

ものすごい創作意欲ですね。たのしみです。最後に、たびたび共演しているブラック・カントリー・ニュー・ロードについてお聞きしたいです。彼らの音楽について感じていること、彼らとブラック・ミディが共有していることと、あるいは両者の相違点について教えてください。

GG:ブラック・カントリー・ニュー・ロードはメンバーもみんないい奴ばかりだし、バンドとしても最高だ。演奏も素晴らしいし、ライヴも観ていて爽快感がある。音には重みが感じられるけど、繊細に感じるときもある。彼らの新曲の多くは、バンドの微妙なニュアンスが感じられるものになっているよ。演奏も上手だから、クリスマスの時期に彼らと共演できたのはとても楽しかった。
 相違点については、これは彼らも同じことを言うと思うけれど、ブラック・ミディとブラック・カントリー・ニュー・ロードは、似たようなところからはじまったけれど、そこからちがう方向へと枝分かれしていった。彼らが最近作っている音楽は、ボブ・ディランに近い感じで、軽音楽というわけではないけれど、よりシンプルで、ひたむきな感じなんだ。それはそれでクールだと思うけど、ブラック・ミディがやるような音楽ではない。ブラック・カントリー、ニュー・ロードの音楽を聴くと、俺は「すごくいいね。俺たちだったら絶対にやらないけど」と思う。ブラック・カントリー・ニュー・ロードが俺たちの音楽を聴いても、「最高だね。俺たちはけっしてそういう音楽は作らないけど」と言うと思うよ。でもその状態が気に入っている。お互い、友好的なライバル関係で競争心もあるけれど、同じ領域・分野にいるわけではない。隣の芝生はいつも青い、ってことだよ。

Damon Locks & Black Monument Ensemble - ele-king

 シカゴのヴェテラン、デイモン・ロックス。元トレンチマウス、その後90年代にジ・エターナルズを結成、最近ではロブ・マズレク作品に参加するなど、ポスト・ハードコアからジャズまで、ミュージシャンとして長らくシカゴのシーンに貢献してきた彼は、他方でサン・ラーの未発表録音を用いたサウンド・アニメや、マカヤ・マクレイヴン『Universal Beings』のアートワーク手がけるなど、ヴィジュアル・アーティストとしても活動している。
 そのデイモンが18名にもおよぶアンサンブルを引きつれ(9歳から52歳まで幅があるらしい!)、なんともスピリチュアルなジャズ・アルバムをつくり上げた。前作で公民権運動を取り上げた彼ら、今回は昨年のパンデミックの恐怖と人種差別の悲劇~闘争のなかでつくられたとのことで、やはりメッセージが込められている模様。押さえておきたい1枚です。

Damon Locks & Black Monument Ensemble
Now

シカゴを拠点に活動するサウンド&ビジュアル・アーティスト、デイモン・ロックス率いる総勢18名に及ぶアンサンブル。そのポジティヴな活動が、ニューヨーク・タイムス紙に取り上げられる等、注目が一気に高まっている彼らが、スピリチュアルでファンキーなセカンド・アルバムを完成させた。日本限定盤ハイレゾMQA対応仕様のCDでリリース!!

Official HP :
https://www.ringstokyo.com/damonlocksbme

ポスト・ハードコアからポストロック、そしてジャズの復興へと、80年代末からシカゴの音楽シーンの変遷を当事者として関わってきたミュージシャン、ビジュアル・アーティスト、アクティヴィストのデイモン・ロックス。トレンチマウスやエターナルズでも活動した彼が率いるブラック・モニュメント・アンサンブルは、いま最も注目される音楽ムーヴメントの一つだ。楽器奏者、シンガー、ダンサーを含む、年齢層も幅広いメンバーによる、ブラック・ミュージックの過去と未来を繋ぐ多次元的なサウンドは、真にポジティヴなアクションを起こし始めている。(原 雅明 rings プロデューサー)

アーティスト : DAMON LOCKS & BLACK MONUMENT ENSEMBLE (デイモン・ロックス & ブラック・モニュメント・アンサンブル)
タイトル : Now (ナウ)
発売日 : 2021/7/21
価格 : 2,600円+税
レーベル/品番 : rings / International Anthem / Plant Bass (RINC78)
フォーマット : MQACD (日本企画限定盤)

* MQA-CDとは?
通常のプレーヤーで再生できるCDでありながら、MQAフォーマット対応機器で再生することにより、元となっているマスター・クオリティのハイレゾ音源をお楽しみいただけるCDです。

Tracklist :
01. Now (Forever Momentary Space)
02. The People vs The Rest of Us
03. Keep Your Mind Free
04. Barbara Jones-Hogu and Elizabeth Catlett Discuss Liberation
05. Movement And You
06. The Body Is Electric
& Japan Bonus Track (予定)

interview with Squarepusher - ele-king

 ロンドンのチェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインの美術学部に入学したとき、トム・ジェンキンソンは借りられる最高額の学生ローンを受け取り、その全額をはたいて中古の機材を買い揃えた。1400ポンド分の小切手は、中古のAkai S950サンプラー、2台のドラムマシン、ミキサー、DATレコーダーを買えるだけの額であり、これらの機材は、スクエアプッシャーとしての1996年のデビューアルバム『Feed Me Weird Things』に収められた音楽を作る上で不可欠な役割を果たした。当時のジェンキンソンは、レイヴ・ミュージックの文体を身につけながらそこに変化を加えてより斬新な可能性を追い求めようとするミュージシャンたちの流れに属していると見なされており、ルーク・ヴァイバート、μ-Ziq──そしてもちろんエイフェックス・ツインといった顔ぶれと交流を持っていた。ブレイクビーツのリズムを非常識な速度に高めたり、その性質をシリーパテ(粘性と弾性を兼ね備える合成ゴム粘土)のように多彩に変化させたりといったスタイルは、ほどなくしてドリルンベースと呼ばれるようになるジャンルの象徴となっていた。だが、彼の音楽を何より際立たせていたのはエレキベースの卓越した使い方で、奏者としての圧倒的な才能は、あのジャコ・パストリアスが比較対象になるのも納得できるものだった。

 1995年にノースロンドンで開かれた実験的電子音楽のイベントに登場したジェンキンソンは、幸運にもエイフェックス・ツインその人であるリチャード・D・ジェイムスの耳にとまり、その後押しによって『Feed Me Weird Things』が彼のレーベル〈Rephlex〉からリリースされた。ジェイムスは収録トラックを選曲し、アルバムに熱烈なライナーノーツを寄稿した(例えば「ミスター・ジェンキンソンが指揮をするとき、彼を除く世界中のあらゆるものがオーケストラピットにある」といった記述がある)。翌年スクエアプッシャーは〈Warp Records〉からの最初のアルバム『Hard Normal Daddy』をリリースし、ドラムのプラグラミングと、ジャズ・フュージョンの過激さと、ひねくれたユーモアが混ざり合っていたことで、先進的な評論家の中からは彼をジャングル・ミュージック界のフランク・ザッパと位置づける声も上がった。しかし続いて1998年にリリースされた『Music Is Rotted One Note』では、大胆な方向転換──以後何度もおこなわれる方向転換のはじまりでもあった──がなされ、シーケンサーがアナログ楽器に置き換えられるとともに、ミュジーク・コンクレートといったジャンルやエレクトリック期のマイルス・デイヴィスを起源とするサウンドが作られるようになった。

 その後に続くジェンキンスの多様な作品──2001年の『Go Plastic』のように〈Warp〉の歴史に刻まれる名作から、ベースのソロ・アルバム(『Solo Electric Bass 1』)、オルガン(『All Night Chroma』、ジェイムズ・マクヴィニーとの共作)またはアンドロイドを活用した作品(『Music for Robots』、Zマシーンズとの共作)にまでおよぶ──において、彼は一貫して独特の音の響きを保ち続けた。そして『Feed Me Weird Things』の時点で、すでにその音の響きは完成していた。本アルバムのリリース25周年を記念したリイシュー盤には、本人による新規のライナーノーツが付属するが、そこに記載されるまるで『Sound & Recording』などの専門書のようなマニアックな分析は、彼がたびたび言及する初歩的な技術のあり方とは対照的だ。『Feed Me Weird Things』のサウンドは、現在の〈Warp〉らしいスタイルのIDM(インテリジェント・ダンス・ミュージック)の神髄を表しているが、その起源が1980年代のインディー・シーンで培われたDIYの手法にあることも伝わってくる。

 昨年の『Be Up A Hello』でジェンキンソンは、キャリアの初期に使用していた機材をひさしぶりに持ち出して、ひねりを加えたアシッド・ハウスやレイヴ・サウンドを生み出し、アルバムはこれまで制作してきた中で最も面白味のある作品のひとつと評価された。Zoomでのインタヴューで『Feed Me Weird Things』のリイシューに触れることはほとんどなかったが、長時間に渡って、10代のころの話やベースとの関わり、また創作における制約こそがつねに自らの取り組み方を決定してきたことなどについて積極的に語ってくれた。

子供時代が再来したかのようだった。「大人の世界」が遠のいて、もはや自分のやっていることと世界の間に現実の関わりがあるという感覚がなくなってしまったんだ。僕は、かなり本気でこの状態を保ちたいと思っている。

昨年はあなたにとってどのような年でしたか?

TJ:たぶん、いろいろな意味で未知なる日々だった。何よりも最初は、そこにある恐怖がすべてだったけど、次第にある種の安堵感が混ざるようになった。1年中ツアーに出るだろうと思っていた状況から、程度の差はあれ、基本的に全部が撤回されるという状況に変わってしまったからね。ここでは正直に話すけど、もしこれで僕の思うようにやらせてもらえるとすれば、申し分のない状況だ。つまり、大人たちの世界は事実上機能を停止した。先を見据えたプロジェクトや何かが話題になることがなくなり、それは何が起ころうとしているのか誰にもわからなかったからだ。そんなわけで、創作活動に当てられる、願ってもない時間が早々に訪れたということだ。

それはいいですね!

TJ:そう、ある意味ではそうだった──だからといって、この1年間ずっと降りかかってきた恐怖を軽視しているわけでは決してない──ただ、どことなく子供時代が再来したかのようだった。ある日突然、僕はこの場所でひたすら自分に向き合うことになり、それでいわゆる「大人の世界」が遠のいて、もはや自分のやっていることと世界の間に現実の関わりがあるという感覚がなくなってしまったんだ。僕は、かなり本気でこの状態を保ちたいと思っている。平常時であれば、それこそ無難な距離感を保つために、もっと慎重に取り組んだだろうけど、パンデミックの場合、なるようにしかならなかったんだ。

ここ1年ほどの間に、自身が何か特定の方向性に引き寄せられていると感じることはありましたか? 現在取り組んでいることでも、あるいはこれから創作しようとしていることでも。

TJ:大まかに言えば、まだ『Be Up A Hello』の余韻が残っている。包み隠さず話すけど、これほどまでに大人の世界が遠ざかっている感覚が強くなって、自分のいままでの日常生活とか、考え方とか、対話とかがもはや通用しないとなるにしたがって、「好きなようにやってやろう!」という意識が戻ってきた。確かにいまのところ大きな仕事とか、大きなプロジェクトは何もない。それなら思い切り遊んでみようと思うだろう? そしてその考えは、すでに『Be Up A Hello』にもある程度は、取り入れられている。なぜなら、このアルバムそのものが、度重なる人生の厳しい出来事に影響を受けているからで、おかげである意味で再出発をして、最初の原則に立ち返ることができた。楽しいことをするっていうところにね。

過去には、心から楽しいと思えない仕事をしていた時期もあったということですか?

TJ:(笑)いい質問だね。いや、本当に大事なことだ。何ていうか、そうだな、実際問題、楽しさを期待するだなんて、笑われても仕方がないからね……つまり26年の「キャリア」と呼べる年月が僕にはあって、それどころか子供だったころの準備期間を考慮すればもっと長くなる。確かに、すごく昔、それこそキャリアがはじまる前は、楽しいという感情がすべてを突き動かしていた。だからこそ毎日学校から走って家に帰ったし、ギターを触るのが待ちきれなかった。面白いという気持ちだけだった。職業にするという気はなかったし──もっとうまくなりたいという向上心すらなかった。初めは、何かすごいことをしたいという考えさえ持っていなくて、ただ単に「この楽器が好きでしょうがないし、この楽器が鳴らす音が好きでしょうがない」というだけだった──すごく素朴な向き合い方だ。もちろんそこからさまざまなことが進歩しているし、そのぶんつねにいろいろと気を配って、できるだけついていくようにしていることもつけ加えておきたい。要するに、46才になった自分に、10才の少年みたいな心持ちを期待されても困るということかな。

(笑)そうですね……

TJ:だけど正直に言うと、できるだけ変わらないでいたいと思っている。自分にとってはそれがすべての根本だから。活力の源だ。言い方を変えれば、自分にルールを課して、楽器を弾いてもうまくいかないとき──そして楽しめていないとき──には、「いいか? いまは距離を置くべきなんだ」と考えるようにした。なぜなら、そうやってできあがったものを誰かが耳にしても、苦労の痕跡や憤りや退屈が伝わるばかりで、意味が変わってしまうから。ただときにはおかしなことが起こって、例えば取り組んでいるものがまるで気に入らなくて「どうしても最後までやらないといけないんだよな。気に入らないし、どうせ全部消去することになるんだろうけど、ともかく終わらせないと……」と考えていても、翌日聴いてみれば「あれ、思っていたより、ずっといいぞ」ってなることはある(笑)。それでもまあ、全体的には、僕は悩みながら取り組み続けるタイプではない。そういうやり方は自分に合わない。ただそれだけだ。
このことは、つねにあちこちのインタヴューで話している。まさに事実だからね。強い熱意が根っこにあって、あらゆるものがそこから派生している──そして何かに取り組むさいに無理を重ねて、身を粉にしてまでとことんやり抜くのは、かえってすべてを台なしにすると思う。駄目にするのはその日だけに限らず、もしかすると、何日も何週間も棒に振るかもしれない。たぶんプログラミングにもそういう面があって……実は昨日もいろいろとやっていたんだけど、結局放り出したんだ。義務感だけでやっている仕事に思えたから。いつかアシスタントのような人を置ければいいと考えている。仕事を押しつけるためではなくて、一緒に作ることで、もっと楽しめることがあるかもしれないと思うからね。でもそうなると、長年の習慣が変わってしまうだろう。まあやってみないとわからないけど。

とはいえ、何度か他の人たちと一緒に仕事をしていますね? バンド(ショバリーダー・ワン)で活動していたこともありましたし……

TJ:うん、そのとおりだ。

……そしてある時期(だいたい2008年の『Just A Souvenir』のころ)には、ボルト・スロワーのメンバーだったドラマーとともにステージに立っていました。

TJ:アレックス・トーマスだね。そうそう。いや、確かにああやってすばらしい時間を過ごしたけど、実際、技術的な面というか機械に関する面では、誰かに手伝ってもらったことはないよ。思うに、コラボレーションが実現するのは(つまり他のミュージシャンたちと演奏することは)僕にとっていちばん自然なことだ。何しろ10代のころを振り返れば、ずっとバンドに入って音楽活動をしていたわけだから。それが当時は何より大切なことだったし、自分の作品を作り続けてきたなかで、いまもまた活力を与えてくれている。

なるほど、そうですか。10代のころ楽器を演奏しているときに、ベースに引き寄せられたわけですよね。その理由は、バンドでベーシストが必要とされていたからでしょうか? それとも、楽器そのものがあなたを引きつけたのでしょうか?

TJ:最初に楽器があって、それからバンドで演奏するようになった。というより、楽器があったからこそバンドをはじめたんだ。じつは最初の楽器はベースではなかった。当時は、何であれギターに類する楽器を身につけたいなら、昔ながらのアコースティック・ギターからはじめるのが一番だというのが定説だったし。そして僕は11才だった。経験も知識もまるでなくて誰にも相談しようがなかった──それにお金もなかった。安物のエレキ・ギターでさえ縁遠いものだった。初めてのアコースティック・ギターを15ポンドで買って、もちろんそれは、まったくもって大した楽器ではなかったけど、それでも新しい世界への扉を開くのには役立ったね。
だけど僕はずっとベースだけでなく電子楽器の世界にも引き寄せられていた。何がそんなに魅力的だったかと言えば、音色の質とか、奥深さ、エネルギーといったものが、自分にはその楽器を体現しているように思えたんだ。僕は、ベースがどんなものかさえ知らなかった。確かに、耳を慣らしていなければ、あの楽器はちゃんと聴き分けられない。そこに興味が湧いた。例えば「この楽器は何をしているんだろう? どこの音域なんだろう? どんな可能性を秘めているのだろう?」といったように。そしてその答えが明らかになる瞬間が何度かあった。振り返ってみれば、例えばポール・サイモンのアルバム『Graceland』が挙げられる。あのアルバムは傑作で──あれを知らないなんて許されないと言ってもいいくらい、それこそ触れる機会はいくらでもあるはずだ──そのなかに、あの素晴らしいベーシスト(バキティ・クマロ)が弾いているシングル曲があるんだけど……

“Call Me Al” ですか?

TJ:そう、それだ。“You Can Call Me Al” だよ。このポップ・ソングのなかに、2小節だけ入っているベースのソロ・フレーズがある。それがもう「いまのは何だ!? めちゃくちゃ格好いいぞ!」っていう感じだった。パーカッションみたいにリズムを刻んで、それでいて美しいメロディーを奏でている。それに心を奪われた。あの音域ですごく面白いことをやっている。現在までの僕の音楽は、メロディー重視の曲を作る風潮に反していると思っている。メロディー重視の音は、クラシックでも、ポップでも、ジャズでもあらゆるジャンルで聞こえてくる──そこではトップの音が売り上げを左右して、低い音域はあくまで土台とされている。僕は低音域の作用に魅了されていて、多くの場合、自分の作品では上の音域が控え目になっている。どういうわけか、そのほうが性に合っている。でもとにかく……ベースは僕を惹きつけたんだ。
そういう出来事は他にもあった──例えば、ジミ・ヘンドリックスのモンタレー(1967年のモンタレー・インターナショナル・ポップ・フェスティヴァル)でのパフォーマンスだ。僕はあのステージのビデオテープを持っていて、本当に夢中になった。彼がギターに火を放つ場面があって、あの意味についてはそれこそ無限に解釈ができる。どことなく愉快なシーンだし、たぶん狙ってやっているところもあるんだろうけど、僕にとってはいまでも思い出すだけで背筋がぞくっとする。あれはロックの象徴で、それがああやって粉々にされて火を点けられた──そのときに鳴っていた音が魅惑的だった。いつまでも続く魅惑的な音が、楽器を酷使することで生まれていた。小遣いは足りていなかったし、ガソリンも持っていなかった──だから子供だった僕は、自分のギターに同じことはできなかったよ(笑)。
それはそれとして、ジミヘンがこれをやっている間、ノエル・レディングが演奏を引っ張って、ベースの音程を上げていき、そしていつの間にか甲高い音をバックで奏ではじめた。すごく刺激的だった。ここでもまた、別の意味で僕は引きつけられた。「そうか、ベースはこんなに激しくて力強い音も出せるのか」と思った。そういったできごとがあって、僕はすっかり納得していた。やがて次の機会が巡ってきた。ベースが70ポンドで売りに出されているのが地元の新聞に載っていて、しかもアンプまで揃っていたんだ。すぐに飛びついたよ。

僕の音楽は、メロディー重視の曲を作る風潮に反していると思っている。メロディー重視の音は、クラシックでも、ポップでも、ジャズでもあらゆるジャンルで聞こえてくる──そこではトップの音が売り上げを左右して、低い音域はあくまで土台とされている。

スクエアプッシャーとして活動しはじめた頃、ベースも使うべきか迷いましたか、それともそこは最初から自然なことだったんでしょうか?

TJ:まあ、そうだね。スクエアプッシャーとなったものは、どのみち子供の頃にやっていたことの延長線上にあったものだから、つまり、手元にあった機材や、借りられるものを手あたり次第使ってみたってことだ。『Feed Me Weird Things』の頃も、それ以降もそうだった。最近になってその頃のことを思い出した。インタヴュー等で、あの作品の技術面について語ることがあったんだ。実際、あの機材の3分の1は借り物だった。おかしいよな(笑)。大体こんな風に「あ、このギターアンプ借りられる? ドラムマシンも貸してくれる? ちょっとこいつを試してみたいんだ……」とね。終始そんな調子だった。ギターペダルも借りたんだ。全然自慢にならないけど、まだ返してない(笑)。『Be Up A Hello』でもまだ使っているよ。だから、ある程度は言いわけは立つかもね。悪いことをしているのに変わりはないけど。
 忘れられないのは、ビスケットの缶でスネアドラムを作ったことだ。画鋲を中に放り込んで、てっぺんに絶縁テープを張り巡らせてスキンを作った。ドラムセットの構成だってよくわかってなかったんだ、その頃は。「あの音だ。よく2拍目か4拍目に入るやつ。あのシャンシャンいう響き、〝シャラシャラ〟って鳴るあれ。あれは何? ドラムみたいだけど、でも……どうやってシャンシャン鳴るドラムを作るんだろう?」そういうわけで、「まあ、わかんないけど、画鋲をビスケットの缶に入れてみよう。それで上に何かを張ればいいや。そしたら叩けるだろ?」で、うまくいったんだ! それなりにね。最初の頃はともかく、恐ろしく原始的なものだった。予算ゼロだし、手元にあるのは安物のギターだけ。でも、そういうメンタリティーでいったんだ。
 いまとなってはわざわざこういうことを追求してみようっていう気はないけど、近頃のミュージシャン志望の子たちが置かれている状況と比べてみると面白いとは思う。正直、彼らのほうが恵まれている。ラップトップさえあれば、無限の音楽作成ツールにアクセスできるんだから。夢みたいな環境だ。ほんの少し前を振り返って見るだけで、40年も前のことでもないのに、まったく、恐ろしいほど違っているんだ。
 さて、もとの質問に戻るけど、ベースはなくてはならないものだった。あの頃、エレキ・ギターを持っていなかったから、電子機材で高音域を探求するという選択肢がなかった。でもまあ、「じゃあ、ベースのネックのいちばん上までいってみよう。それでギターみたいな音を出してみよう」ってやったんだ。で、もちろん、ギターの音にはいまいち似ていないけれど、別の味があった。それがなかなか面白かった。おかげでコードや和音、それから右手を使った色々なテクニックに首を突っ込むことになり、最終的には2009年にリリースした(『Solo Electric Bass 1』)みたいなソロのベースの作品になった。だからあれはそういう慈善バザー的な意識と取り組み方の集大成みたいなものなんだ。
 それから少しして、バンドで演奏する傍ら、友だちと一緒に地元でパーティーを開くようになった。近所のYMCAとかでね。地元のサッカークラブなんかも良かった。そういうところで何度もパーティーをやったものだ。ドライアイスを敷き詰めて、手元にあった当時の最新レイヴのレコードをかけた。そこへベースを持っていっては演奏に合わせてジャムって、違った味を出そうとしたんだ。デッキでブレイクビートをかけて、ミキシングをしているやつがいれば、それに合わせてジャムってみたり。スクエアプッシャーはそういう活動からそれほど飛躍したものじゃない。中核になっているのはそういったもので、それが礎になっている。

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楽器の演奏方法には一般的な思い込みが氾濫していて、「そうだ、偉大な先人はこうしていたんだ、だから君もうまくなりたいなら、彼らのやり方に習わなきゃ」っていうようなナンセンスだらけだ。

ミュージック・シーンに初めて登場したときのことを振り返って見ると、ダンス系の音楽をああいう風に生の機材でやろうとしていた人びとはあまりいなかったかと思います。ある意味、ただひとり、自分の道を歩んでいましたよね?

TJ:ああ……いい勉強になったよ。その後、かなり早い段階であの世界から身を引いたからね。僕の見たところ、少なくともイギリスの評論家の一部は、僕がジャズやフュージョン・ジャズの要素を取り出してダンス・ミュージックと融合させていると思い込み、「どういうつもりなんだ?」と言っていた。それでまあ……奇をてらっているだとか、コメディ路線だとか思われたんだろう。確かに僕の作品にそこはかとないおかしみがあるのは否定しない、含まれているものなら他にもいろいろあるけれど。でも、あの機材はパロディやおどけじゃなかった。そういう反応が生まれた原因の一部は、もちろん、みんながそういう見方をしていたわけじゃないけど、ご指摘にあった通りだと思う。あまり流行ってなかったからだね。
 でも、その目新しさが素晴らしい出会いにつながることもあった。例えば、タルヴィン・シンだ。彼は様々なスタイルや伝統音楽を用いている。彼もきっとタブラ演奏で同じようなことをやっていたんだと思う。しかも非凡な演奏者だったしね。彼とはたまたま同じギグに出演したときに知り合って、すぐに意気投合した。互いのアプローチに共通点があったからだ。当時のダンス・ミュージックと昨今の作品とのつながりを保ちつつも、生の楽器とそういった音楽との接点を見出し、互いに影響しあえる絶妙なツボを模索していたんだ。結局は、それこそが醍醐味だからね。そして、その具体的な成果がいまになって目に見えるようになったんじゃないかと思ってる。とくに最近のドラマーたちの多くにね。いまでは彼らはとても、とても明白に影響を受けていて……いや、自画自賛をするつもりはないよ。僕だけじゃない、もちろん。でも、わかるはずだ、彼らが受け継いでいるのを。例えば、僕やタルヴィンや他の人びとが探求してきたものをだ。そしていまでは逆方向へのフィードバックがはじまっている。素晴らしいことだと思う。
 そのフィードバックのプロセスは、ある意味、僕のなかでも起きていた。ほんの束の間だけど、10代前半の頃に戻れたんだ。ベースラインの濃厚なレイヴのレコードがしっくりくるアシッドの曲やなんかで。そういうレコードにはしょっちゅうあることだが、たぶん(プロデューサーが)従来的な楽器のイロハを学んでないことに関わりがあるんだろうな。レコードの音程がサイケデリックなんだ。何て言うのか、音階が完全にぶっ飛んでいる。そこから音階を作ろうとしたら、とても妙なものができあがるだろう。2オクターヴの音階だとか、リピートしないものだとかね。そういう曲を演奏しようとすると、そういったある種どうしても内面化してしまっている、いわゆる「原理原則」を手放すことになる。というのも、とても多くの音楽がそういう特定の作法に従っているからだ、音階だとか、そういったものにね。あまりに普遍的で、どうすることもできない……知っておかなければならないことではあるけど、そういったものもある種の制限を課してくるんだ。
 だからDJピエールの(フューチャー名義の)“Slam” や “Box Energy” を演奏して、理解を深めようとしたことがあるんだけど、「ものすごく変!」ってなる。けれども演奏しているうちに「こいつは……本当に未来的だ」とわかる。実に勉強になるんだ。演奏に別の角度から影響を与えてくれる。楽器の演奏方法には一般的な思い込みが氾濫していて、「そうだ、偉大な先人はこうしていたんだ、だから君もうまくなりたいなら、彼らのやり方に習わなきゃ」っていうようなナンセンスだらけだ。実際、視線をその向こうに据えて、サウンドだけに集中してみるといい。「偉大な先人」から目を背け、名演奏とはまるで関係ないレコードだけじゃなく、それ以外のもの全て、周りのノイズのようなものも含めてシャットアウトする。そうすると、少なくとも同じくらいか、むしろそれ以上のインスピレーションが得られるはずだ。

あなたのキャリアを振り返るのはじつに興味深い。アルバムとアルバムの間である種の綱引きがおこなわれているようなんです。きわめてライヴ要素を重視しているものがある一方で、もっとこう、箱の中で展開しているようなものもある。

TJ:ああ、実にその通りだ。

何であれ、手元にあるもので音楽を作る。自慢できることがあるとすればそこだ。つまり「僕はどんなものを手にしたって、音楽が作れる」ってこと。ある意味、パンク精神と言おうか、独立精神と言おうか。

楽器を用いずに、完全にコンピュータだけでやっているときでも、ベースはつねにあなたの人生の一部で、何があっても触れ続けているものだったんですか?

TJ:ああ……もちろん。練習そのものに注ぎ込む時間は、まちまちだけどね。そこは一定してない。芯からプロ意識を持っている人っていうのはそういうところに厳しく取り組むんだろうけど、僕は違う。弾きたいときに弾くんだ。でも結局のところ、限界みたいなものがあるんだ。そこを過ぎるとスタミナを失っていくポイントがね。でも、他にあるのは……僕が言っているのは原理原則の体系だとか、音階ってこと。僕の理解では、他の多くの人もそう思っているだろうけど、指がどこに行くのかを心得てればいいってもんじゃない。指が行先を心得ているのは全体像となるメンタルマップがあるからなんだ。演奏しているとき、指にそこに行けと命じているわけじゃない。頭の中にイメージがあって、そのイメージをなぞっている。ある種の構造化したネットワークのようなものの、異なった道筋を辿っているんだ。それはつねにある。ギターを手にしていようがいまいがね。

なるほど。

TJ:だから、しょっちゅう、電車を待ってるときとか、行かなければいけないところがあるけどやることがないとか、そういうときには大体頭のなかで演奏して楽しんでいる。基本的には同じことなんだ。楽器はないけれど、音はそこにある。僕が辿る構造化した道筋は同じだ。それはもちろん、コンピュータをベースにした作曲のときにもあると思う。だからこの構造化した道筋を通じて情報がろ過されていく。こう言ったらわかってもらえるかな。例えば、『Damogen Furies』のメロディーには、僕がギターを手に取れば演奏しそうな要素がある。

ああ、なるほど。

TJ:そこが面白いところでもあり、楽器の恐ろしいところでもある。テクノロジーを使うだけというような単純な話じゃない。テクノロジーに使われてしまうんだ。テクノロジーが構成の前例、構成のパターン、そして構成の傾向を固めてしまう。僕が使っているあらゆる機材もそうだ。シンセサイザー、キーボード、ドラムに対応する構造やネットワークがあり、他にも僕がとても慣れ親しんでいる機材は、それらに対応する脳内イメージを持っている。でもって、それらがまた、フィルターとしても働く。だから僕は絶えずそれに抗おうとしているんだ。必ずしもフィルターというわけでもないな。努力さえすれば、型を破ることができるのだから。だから僕は「原理原則」と言うんだ。必ずしも従わなきゃならないってわけではない。でも、そうしないように意識的に努力しないと、確立されたネットワークや道を辿るのが最も抵抗の少ない道になってしまう。そして、そうなってしまうと本当に、最終的には自分の使っているものが定めてしまうことになるんだ。

じゃあオーネット・コールマンみたいにヴァイオリンを弾きはじめるとか、そういうことで、自分の殻を完全に破ってみたくなったことはないんですか?

TJ:何をやったかは具体的には挙げられないけど、つい最近、そういうことがあったのは認めるよ。いや、でも、あのメンタリティーは尊敬に値する。時々、こういうことをやるのはとても大事なことだと思う。そうだとも。ヴァイオリンと言えば……もちろんギターとの共通点がある。だけど根本的な違いは、思うに、少なくとも僕にとってだけど、ヴァイオリン系の楽器を手にしたときに感じるのは、弦が完全5度に調律されているってことだね。一方、ギターの場合はそれが4度だ。だから、僕が言っていた同じ体系をそのまま当てはめることはできない。完全にずれて新しいパターンになっているから。だから、それに抗って、僕がヴァイオリンを手にしたときにやれることを実現するには、ギターのチューニングを変えることだ。ラディカルさに欠ける嫌いはあるけど、ある程度はやれるようになる。でも本当にラディカルなのは、管楽器を手に取ることだろうね、いままで一度もやったことないから。やってみたら、たまげるだろうな! ぜひ挑戦したいね。

そうでしたね、『Feed Me Weird Things』のライナーノーツで “The Swifty” でのベース演奏はサックス奏者の影響を受けたと言ってましたね。

TJ:うん、そうなんだ。実に。

でも、そこまでやったことはまだないと?

TJ:ないな。なぜって、これと戦うというのは、そうだな……怠惰と呼んでもいい。僕には手近なところにあるものでベストを尽くさずにはいられないっていう微妙に染みついた癖があるんだ。僕のメンタリティーというのは、良きにつけ悪しきにつけ、前にも言ったが、音楽的な自由が身の回りにほぼなかったという状況の産物なんだ。まあ、アコースティック・ギターとテーププレイヤーがあって、ペダルが何個かあって、後になってキーボードみたいなものがきた。まあ、それはいいんだ。でも機材はとても限られていた。あれこれ手に入れようとはしたけど、限界を受け入れなければならなかった。そしてそれがある意味、僕の姿勢を決定づけた。そりゃ、贅沢だってできるよ。楽器店に出向いて、何かすごいものを手に入れて、「おい、見てくれ、新しいオモチャだぞ!」って言うんだ。もちろん、そういうことをしてみることもある。4弦から6弦のベースに変えたのは大きな変化だった。「いいんじゃない? 手を出してみよう。贅沢してみようか?」ってね。性格的に、さっき言った背景の強い影響もあって、「金に飽かして音楽を作ろう」っていう(メンタリティー)はない。何であれ、手元にあるもので音楽を作る。自慢できることがあるとすればそこだ。つまり「僕はどんなものを手にしたって、音楽が作れる」ってこと。ある意味、パンク精神と言おうか、独立精神と言おうか。DIYするっていうのは「教会のオルガンも、24トラックのテープも、Neveのミキサーも、アウトボードも聖歌隊も要らない……」ってことだ。僕には不要なんだ。

リック・ウェイクマンとは違うんだと。

TJ:(笑)。よくわかってるじゃないか! まさにそう。いや、まあ、あの人はあの人だ。だけど僕にはそういう選択肢はまったくなかったし、異なった状況でベストを尽くさねばならなかった。そして次第に、そういうことが僕にとっていちばんいいメンタリティーを造り上げていったんだと思う。断言するけど、それでよかったんだ。なぜなら、外部的なものに頼りきっていると、膨大な予算だとか、大勢のキャストやスタッフだとかに頼るとね、そういうのに支配されるようになる。そして、そこに不安を覚えるんだ。自分の制作プロセスを左右されたくない。他人の気まぐれやら、彼らの考えるいいサウンドだとか、彼らの考える「支払ってもいい妥当な金額」とかにね。そういうくだらないことには一切悩まされたくない。とにかく没頭したいんだよ、わかるだろ? まあ、じつのところ、性格的に僕は浪費できないんだろうけど。
 困ってしまうのは、テクノロジー系の雑誌なんかと(インタヴューを)やるときだね。彼らにとってはそれが全てなんだ。完全に業界に縛られていて、「新しい機材=新しい音楽」という図式なんだ。必ずしもそういうわけじゃないだろうって。そんなことはない。陳腐なやり方を当てはめてしまったら、そこから生まれてくるのは、クソみたいに無意味で、味気なく、つまらない音楽だ。反対に、こういうやり方も……いや、リック・ウェイクマンの冗談はさておき、メシアンのような作曲家(のやり方)を見習える。実に幅広く、とてつもなく面白い、刺激にあふれたオルガンのための作品を彼は生み出した。オルガンは何世紀も前の楽器だけど、彼が手にすると突然に、前代未聞のサウンドを奏で出す。僕に言わせれば「新しい機材、新しい音楽」の間には抜け落ちているものがたくさんある。それはもう……そりゃそうだ。新しい機材は音色が違うのはわかる。多少はね。(眉をよせる)だけど、そんなことじゃ僕は興奮しない。そういうことに意欲をかき立てられはしないんだ。

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interview with Squarepusher

by James Hadfield

When he enrolled as a student of Fine Art at London’s Chelsea College of Art and Design, Tom Jenkinson took out the largest student loan he could get and blew the whole thing on second-hand gear. His £1,400 cheque was enough to buy a used Akai S950 sampler, two drum machines, a mixer and a DAT recorder, which played integral roles in the music collected on his 1996 debut album as Squarepusher, “Feed Me Weird Things.” At the time, Jenkinson seemed to be part of a wave of musicians who were taking the language of rave music and twisting it to weirder ends, putting him in the company of the likes of Luke Vibert, μ-Ziq — and, of course, Aphex Twin. The way he pushed breakbeats to insane speeds or turned them into silly putty was typical of what would soon be known as drill’n’bass, but his music was distinguished by its prominent use of electric bass, which he played with a virtuoso flair that made Jaco Pastorius comparisons inevitable.

Appearing at an experimental electronic night at a North London pub in 1995, Jenkinson had the good fortune to catch the ears of Aphex Twin himself, Richard D. James, who would go on to release “Feed Me Weird Things” on his Rephlex label. James chose the track selection and wrote the album’s ecstatic liner notes (sample line: “When Mr. Jenkinson is conducting, the rest of the world is in the pit”). The following year, Squarepusher released his first album on Warp Records, “Hard Normal Daddy,” whose blend of frenetic drum programming, jazz-fusion excess and twisted humour led some enterprising wags to dub him the Frank Zappa of jungle. But its 1998 follow-up, “Music Is Rotted One Note,” pulled a volte-face – the first of many – by swapping the sequencers for analogue instruments and a sound rooted in musique concrète and electric-era Miles Davis.

For all the variety of Jenkinson’s subsequent work – from landmark Warp releases such as 2001’s “Go Plastic,” to albums for solo bass (“Electric Solo Bass 1”), organ (“All Night Chroma,” with James McVinnie) or androids (“Music for Robots,” with Z-Robots) – he’s maintained a distinctive voice throughout. And on “Feed Me Weird Things,” that voice was already fully formed. The album’s 25th anniversary reissue comes with new liner notes by the man himself, offering geeky breakdowns of each track in a “Sound & Recording”-style tone that stands in contrast with the often rudimentary techniques he’s describing. “Feed Me Weird Things” may sound like quintessential Warp-style IDM now, but it was also rooted in a DIY approach that owes as much to the 1980s indie scene.

On last year’s “Be Up A Hello,” Jenkinson dusted off some of the equipment he’d used during the early days of his career, delivering a set of twisted acid ravers that was among the most enjoyable things he’s done. Speaking via Zoom, he barely mentions the “Feed Me Weird Things” reissue, but is happy to talk at length about his teenage years, his relationship with the bass, and how those formative constraints have continued to inform his approach.

How has the past year been for you?

TJ:It’s been, I suppose, novel in ways. One of the first things, for me, was just the terror of it all, which then became mixed with a sense of some sort of relief. I moved from a situation where it was looking like I would be on the road all year, to one where, more or less, everything was basically cancelled. And I’ve got to be honest with you: if I’m left to my own devices, that’s the perfect situation. I mean, the adult world just more-or-less ground to a halt. There were no conversations regarding further projects or anything, because nobody knew what was happening. It quite quickly gave way to a really lovely creative period.

Oh, nice!

TJ:Yeah, and it was, in a sense – and I don’t mean this in any way to trivialise the horror of what’s been happening over the last year – but it was kind of like a second childhood, you know? It was suddenly like, there I was, working away on my stuff, and the adult world, in inverted commas, just receded to such a distance where there was no longer a sense of it having any real relation to what I was doing. I’m pretty keen on preserving that state anyway. In normal times, it’s more of a deliberate attempt to kind of push it to a safe distance, but in the case of the pandemic, it did it of its own accord.

Have you found yourself gravitating in any particular direction over the past year or so, in terms of what you’re working with, or what you’re trying to create?

TJ:Just following on from “Be Up A Hello,” in a general sense. And I’ll be completely frank with you: I think it’s very much part-and-parcel with the sense of the adult world receding to such a distance, where it was just no longer really a feature of my day-to-day life or thinking or conversations, that I correspondingly just kind of went back into this [state of] “Ah, let’s just mess about!” You know, there’s no big thing to do here, there’s no big project. Let's just play around, you know? To an extent, that was already what was underpinning “Be Up A Hello,” because that itself was precipitated by a couple of life events that were quite severe, and it just led me to kind of have a restart, and just go back to first principles. Fun stuff.

Have there been times in the past where what you were doing really didn't feel fun?

TJ:(Laughs) That’s a good question. No, I admire that. Because, yeah, let’s face it: it would be ludicrous to expect that across... I mean, it’s 26 years of what you might call a “career,” and actually much longer than that if you count all of the lead-up when I was a kid. Certainly, very early on, before career days, fun was what drove it. That was what got me running home from school and wanting to pick a guitar up: it was the sense of enjoyment. It didn’t feel vocational – it didn’t feel aspirational, even. I didn’t start, even, with the idea of being any good, it was just like: “I love this thing, and I love the sounds it makes” – a very, very elemental approach to it. Of course, things developed from there, and I would hasten to add that it is always something I’ve got my eye on, to retain as much of that as I can. I mean, at 46, you can’t expect to have the mentality of a 10-year-old boy.

(Laughs) Sure...

TJ:But I’ll be honest: I will try and preserve as much of it as I can, because for me, that is the root of it all. It’s the lifeblood. Put it like this: I would have a rule where, if I’m playing an instrument and it’s just not working – I’m not enjoying it – it’s like, “You know what? I just have to walk away.” Because you end up hearing it: you hear the struggle, and you hear the resentment, or the boredom, and it translates. The peculiar thing is, once in a while, you'll be sitting there hating it, and you think: “I’ve just got to get through this. I hate it, I’m going to delete it, but I need to get to the end…" And then the next day, you listen to it and think: “Wow. That’s pretty good, actually.” (Laughs) But in general, yeah, I’m not one for sitting there suffering. It’s just not the basis of it, for me. It really isn’t.

I always say this in interviews, because it’s so true: the enthusiasm is the root of it, and everything stems from there – and I feel like sitting there, slogging away and just grinding yourself into the ground, is just killing that. And it doesn’t kill it just that day: it kills it, potentially, for days and weeks. Programming is the side, perhaps… I was actually doing something yesterday, and I just walked away, because it was like: this is a chore. One day, I hope I will have an assistant. Not to palm off, but I think some of these things would be perhaps more pleasurable done in collaboration. But that would be changing the habit of a lifetime. We’ll see.

But you have worked with people at some points, right? You had the band [Shobaleader One]...

TJ:Yes, absolutely.

...and you had the period [circa 2008’s “Just A Souvenir”] when you were playing with that drummer, the Bolt Thrower guy.

TJ:Alex Thomas. Yeah, yeah. No, and those have been great times, but I’ve never had a technical or an engineering collaborator, really. I guess, if a collaboration is to happen, [playing with other musicians is] what comes most naturally to me, because then I’m referring back to teenage years, when a lot of my musical activity was playing in bands. That was the principle thing I was doing in those days, so it’s just re-energising a strain of my work that was always kind of there anyway.

Sure, sure. So when you were playing as a teenager, the way that you gravitated towards bass: was that because they needed a bassist in the band, or was it really like the instrument itself was drawing you in?

TJ:The instrument came first, and then I got into playing with bands, but it was the instrument that started it. Actually, I didn’t start on bass. The received wisdom at the time was that any branch of the guitar family that you eventually want to pursue, you’re best starting with classical acoustic guitar. And, you know, I was 11: I didn’t really have the grounds or the knowledge to argue with anyone – and also not the money. Even a cheap electric guitar was a different kind of commitment. I got my first classical acoustic for 15 quid, and of course, it was not a great instrument in any way, but it served to open the door.

But I was always being pulled along by, not just bass, but the electric instrument world. That was what fascinated me, is the sort of timbre, the amplitude, and the drive that seemed to me synonymous with those instruments. I didn’t even know what bass was. And, certainly when your ear is not trained to listen to it, it’s not always an instrument you can really pick out, so that intrigued me. It’s like, “What does this thing do? What is its register, and what are its possibilities?” And there were moments where it was clear. Thinking back, like on Paul Simon’s album, “Graceland,” which was a massive album – it was actually illegal not to know it, somehow, it was just so ubiquitous – there was that single with this amazing, amazing bass player [Bakithi Kumalo]…

“Call Me Al,” right?

TJ:Yeah, exactly, “You Can Call Me Al.” So it’s got these two bars of, basically, bass shred in the middle of this pop song. It’s like: “What’s that!?! That sound is COOL!” It’s got this kind of percussion thing, but it’s also melodic. It just captivated me: that register, doing something interesting. Still, I think, to this day, my music is kind of flipping that top, melodically oriented approach that you’ll hear across classical, across pop, across jazz, whatever – where the top is kind of where the business happens, and the lower registers are the foundation. I’m fascinated by activity in the low registers, and quite a lot of the time, the upper registers are more placid, in my stuff. Somehow, it just suits my temperament. But anyway... so the bass is the thing that pulled me in.

There were other things – like, for example, the Hendrix performance at Monterey [1967 Monterey International Pop Festival]. I had a video tape of a bit of that, and it really entranced me. This moment where he sets the guitar on fire: it’s such a limitlessly interpretable thing. I mean, it’s kind of funny, I guess, and perhaps a gimmick, but for me, I still think back to it and it makes the hairs on my neck stand up. It’s the central symbol of rock, and here it was, being smashed to pieces and set on fire – and the fascinating thing being the sound it was making at the time. It’s an endlessly fascinating thing, of what an instrument does when you mistreat it. I didn’t have the finances – or the petrol – to do that to my guitars when I was a kid. (Laughs)

Anyway, whilst Hendrix is doing this, Noel Redding kind of takes the lead, and he turns up the tone control on his bass, and suddenly it’s really clanging away in the background. It’s really exciting. So again, that was another thing that pulled me in. I thought: “Oh, bass can sound really hard and aggressive as well.” So that was it: I was sold. And then the next opportunity came around, I saw one in the local paper for 70 pounds, complete with amplifier, so I jumped in.

When it came time for you to start working on Squarepusher stuff, was there ever any question in your mind about whether or not you should incorporate the bass into it, or was that just kind of like a natural thing for you from the start?

TJ:Well, yeah, because what became Squarepusher is just an outgrowth of what I was doing as a kid anyway – i.e. just laying my hands on whatever instrument I had, or what I could borrow. Even up to the days of “Feed Me Weird Things” and beyond. I’ve been reminded of this recently, because I’ve been, in some interviews, talking about the technical side of that record, and actually it’s like a third of the equipment on this record is borrowed. (Laughs) It’s funny. That’s basically how it was: “Oh, can I borrow your guitar amp? Can I borrow your drum machine? I just want to try this thing…" So that was the story all the way through. I’ve borrowed guitar pedals, and – not to my credit, but – I’ve still not given them back. (Laughs) And I’m still using them on “Be Up A Hello,” so there’s some justification, even if it’s fundamentally wrong.

I remember, I made a snare drum out of a biscuit tin, but filled it with drawing pins, and then I made a skin on the top of the tin from criss-cross insulation tape. I didn’t know what, really, the elements of a drum kit were, in those days. “There’s a sound – typically on the second and the fourth beat – that’s kind of got this fizz, it’s like ‘pssh, pssh.’ What’s that? It’s like a drum, but... how do you make a fizzy drum?” And so, I was like, “Well, I don’t know, put drawing pins in a biscuit tin, and then a thing on top, so you can hit it?” And it was OK! It sort of worked. It was just very, very primitive early on, when there was zero budget, and really not much other than a cheap guitar, but that’s just kind of the mentality.

I’ve got no specific interest in labouring this point in itself, but I do think it’s interesting if you compare that to the situation that an aspiring musician would be in now – which I think is better, frankly – where if you’ve just got a laptop, you’ve got access to basically an endless array of sound-making tools. It’s a fantastic situation to be in. And it’s only looking back to those years – it’s not even 40 years ago – and it was very, radically different.

But going back to your question: the bass was just one of the things that I had to have. In those days, I didn’t have an electric guitar, so I didn’t have that scope to explore the upper registers of an electric instrument, but I would kind of, “Well, let’s go right up the top of the neck of the bass, just to try and make it sound like a guitar” – and of course, it doesn’t quite sound like a guitar, but it does something else, which is quite interesting. That led me to explore chords, and polyphonic stuff, and different right-hand techniques, which eventually led me to do stuff like the solo bass record that was released in 2009 [“Solo Electric Bass 1”]. So it was just really an outgrowth of that sort of jumble sale attitude and aspect of how things were being done.

A little bit later, parallel to playing in bands, my friends and I would put on parties locally – you know, the local YMCA, or the local football club was a good place. We did a lot of parties down there. We’d just fill it with dry ice, and play whatever the latest rave records were that we had at the time. I started taking my bass along, just to jam along top, to bring some different aspects to it. Whoever was on the decks might be playing breakbeat records and mixing those up, and I’d just jam along the top. It was really not a big jump from that to Squarepusher. That’s kind of the elements of it, set right there.

Thinking back to when you first came on the scene, I’m not sure if there were really many people who were trying to do dance-rooted electronic music with live instrumentation in that way. You were really kind of out there on your own, weren't you?

TJ:Yeah... it was instructive, because I backed away from that world fairly quickly afterwards, but it seemed to me – at least among certain British critics – that [my approach of taking] elements that they perceived as coming from jazz and from fusion jazz, and mixing it with dance music, was kind of like, “What are you doing?” That’s kind of… probably either pretentious, or for comedy’s sake. And whilst I don’t deny that there is obtuse humour – amongst other things – in my work, fundamentally, that instrument wasn’t there just to kind of make a parody, or make fun of itself. I think that response – and it wasn’t, of course, the only response at all – was partly because of what you said: it wasn’t really happening.

But that novel aspect of it did lead, also, to some really great hook-ups. For example, I believe Talvin Singh – as much as he was drawing on different styles, different musical traditions – was perhaps doing something analogous with his tabla playing, and he was an extraordinary player. I got to meet him, just through randomly being at the same gig, but we immediately clicked because of that common approach. There were references to the dance music of the time, and of recent times, but also trying to find the the sweet spot of where a live instrument might connect with those things, and how one informs the other – because that’s, in the end, the beauty of it. And I think now we can see really tangible results of this, especially in a lot of modern drummers, where they now very, very clearly have taken away some of the... I’m not saying this to blow my own trumpet or anything – it’s not just me, of course – but you can see that they’ve taken something from the kinds of things that, for example, Talvin and myself, and other people, were exploring. And that has now kind of fed back in the reverse direction, which I think is a wonderful thing.

That feedback process was kind of happening internally as well for me. Going back to earlier teenage days briefly again: I would get a rave record, or something with a really fat bass line of some sort, like an acid track or something. Quite often, you’d find on those records – and I believe it might relate to the fact that those [producers] didn’t always have training on conventional instruments – that the note intervals are really psychedelic. It’s like a completely screwed-up scale. If you were to try to derive a scale from it, it would be quite a weird, like, two-octave scale, or maybe something that doesn't repeat. So trying to play those things would take your hand away from those “tramlines” that inevitably you kind of internalise, because so much music is in those particular modes, whatever it is, scales. They’re so prevalent, and you can't help [it]… you must know them, but they also produce their own sort of restrictions.

So trying to just play something like “Slam” by DJ Pierre [as Phuture], or “Box Energy” by DJ Pierre – I remember trying to work that out, and it’s like, “This is so fucking weird!” But in the end, when you’re playing, it’s like, “This is... it’s totally future.” And it’s really instructive, and it really can inform your playing in a very sort of lateral way. There’s so much received wisdom about how to play instruments, and so much fluff about, “Oh, it’s what the greats did, so if you want to be great, you've got to do what they did…" Actually, I think looking beyond that, and looking away from “greats," and looking just to sounds – not just from records that are nothing to do with that virtuosic tradition, but even beyond that entirely, to kind of environmental sounds – there’s as much, if not more, inspiration to be derived from that.

It’s been interesting looking back at your career, how there’s been this kind of push and pull between some albums which were very much focused on the live element, and then others which were much more kind of happening within the box.

TJ:Yeah, absolutely.

Even when you weren’t incorporating instrumentation, and doing stuff purely on computer, presumably the bass was still present in your life, just as something that you’d be playing anyway?

TJ:Yeah... of course, the amount of time devoted to just practice, it does vary. It varies for me. I’m sure someone who’s truly internalised professional attitudes probably has a rigorous approach to this stuff. I don’t: I just play when I wanna play. But in the end, there’s always kind of a bare minimum, beyond which you start to lose the stamina. But the other thing is... I’m speaking about the tramlines of structures and the scales and so on. I believe the way I relate to it – I’m sure many other people do as well – is that it’s not just that your fingers know where to go: they know where to go because there’s a mental map of the whole thing. So when you’re playing, you’re not telling your finger to go there, it’s just a picture in your mind, and you’re following the picture, following a different pathway around this kind of structural network. And that’s there, whether you’ve got the guitar in your hand or not.

Right.

TJ:So, quite often, if I’m in a situation – waiting for a train or whatever it is – where you’re basically obliged to be somewhere but there’s nothing you can really do, I will quite often entertain myself by playing things, but just playing in my head. It’s basically the same thing: it's just without the instrument, but the sounds are still there, and the structure that I’m navigating is identical. That, of course, I think will also be present working on computer-based stuff, so the information will be sort of filtered through this structure. You might be able to pick it up: there are elements, for example, on “Damogen Furies,” where the melodies are very much the kind of thing I would play if I just picked up a guitar.

Ah, okay.

TJ:This is what fascinates me, and sort of scares me about instruments. It’s not like as simple as you use the technology: the technology uses you. It sets up precedents, it sets up patterns, it sets up tendencies. Every instrument I use does do that, so there’s also parallel structures or networks that correspond to synthesisers, keyboards, drums – other instruments that I’ve got strong familiarity with, there are these analogous kind of cerebral representations of them. But they do act, also, as filters, which is why I’m always trying to fight against them. They’re not necessarily filtering: you can always think beyond them if you make enough effort. That’s why I’m talking about “tramlines.” It’s not that you have to follow them, but if you don’t make a specific effort not to, the path of least resistance is to follow in those established networks and paths, and that really, in the end, will be established by whatever you use.

So you haven’t been tempted to do an Ornette Coleman and start playing violin or something like that, just to completely pull yourself out of your routines?

TJ:I can’t actually name an activity I’ve done, certainly in very recent times, where that has happened, I admit. No, but I admire that mentality. I think it’s really essential, from time to time, to do this. Absolutely. Speaking of violin... Of course, there are similarities between that and a guitar, but the principle difference, I think – at least for me, when I pick up a violin family instrument – is that the strings are tuned in fifths, and on a guitar it’s tuned in fourths. So you can’t just apply those same structures I was talking about: it’s all shifted out of place into a new pattern. And so one of the ways that I try to interrupt that, and get to something like how it might be if I picked up a violin, is just to tune the guitar differently. It’s less radical, but it gets some of the way there. But I think a really radical thing would be for me to pick up, like, a wind instrument, because I’ve never done that. That would blow my mind, trying to do that! I’d love to.

Oh yeah, you mentioned in the liner notes for “Feed Me Weird Things” that when you made “The Swifty,” your bass playing was inspired by saxophonists.

TJ:Yeah, that’s right. Exactly.

But you’ve never gone there?

TJ:No, because fighting against this is a sort of… you might call it laziness. It’s this slightly ingrained tendency I have to make the best of what I have to hand in my immediate environment. My mentality, for better or for worse – as I said earlier – is born of this situation, where I had virtually no musical degrees of freedom around me. I would have, like, an acoustic guitar and a tape player, a couple of pedals – and then later, perhaps, a keyboard of some kind, whatever – but this very limited range of stuff, and I was trying to acquire things but had to accept the limits. And I think this has kind of set my attitude, in a sense. Look, I can indulge, go to a music shop, get something great and then [say], "Hey, look, I've got a new thing!” And of course, once in a while, that will happen: when I switched from 4-string to 6-string bass, it was a big step. “Why not? Let’s try this. Why not indulge?” Just temperamentally – and very strongly informed by that background – I don’t have that “making music with my wallet” [mentality]. I make music with whatever I have to hand. If I take any pride in any of it, I take pride in that. It’s like: “I can just pick that up, and I can make music.” Something of it is the spirit of punk, some of that independence of mine: the DIY thing, the thing of, like, “I don’t need a church organ, a 24-track tape, and a Neve mixer and a stack of outboard and a choir…" I don’t need that.

You're not Rick Wakeman.

TJ:(Laughs) You know where I’m going! Exactly. I mean, whatever: he did his thing. But for me, that option was never there, and I’ve had to make the best of a different situation, and over time, I believe this is kind of cultivating the mentality that I think is best. I will say that: I think it’s better. Because I think relying on all this external stuff – relying on massive budgets, relying on a huge cast of staff – it just puts you at their mercy, and there’s something about that which alarms me. I don’t want my process to be vulnerable to other people’s whims, to their ideas about what sounds good, what their idea is about the amount of money it’s worth spending on it. I don’t want to think about any of that crap: I just want to get on with it, you know? But I think the flip of that is that I’m just not temperamentally inclined to indulge.

I get into trouble, because when you’re doing [interviews with] tech magazines, it’s like their whole thing – they are completely entwined with that industry, and the paradigm that “new instrument = new music.” It’s like: not necessarily. I don’t believe so. You can apply the same tired old habits to it, and in the end it produces more fucking irrelevant, flat, inconsequential music. Conversely, you can go to... well, joking about Rick Wakeman aside, you can [do what] a composer like Messiaen did, in a very broad and absolutely fascinating, inspiring body of work that he made for the organ – which was a centuries-old instrument, but suddenly, under his control, making sounds that were, to my mind, unprecedented. For me, there’s so much slippage between “new instrument, new music” that it’s... Yeah, okay. I get that a new instrument sounds different – a bit. (Frowns) That doesn’t fire me up, you know. It’s not the thing that gets me going.

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