「Low」と一致するもの

Busta Rhymes - ele-king

 90年代前半のUSヒップホップ・シーンを代表するグループ、Leaders Of The New School のメンバーとしての活動を経て、その後、ソロ・アーティストとして20年以上に亘って活動を続けてきた Busta Rhymes が通算10作目として8年ぶりにリリースしたアルバム『Extinction Level Event 2: The Wrath of God』。タイトルにある「2」という数字が示す通り、このアルバムは「世界の終焉」をコンセプトに掲げて1998年にリリースされた3rdアルバム『E.L.E. (Extinction Level Event): The Final World Front』の続編的な作品でもある。本来であれば、このタイトルで2013年頃にはアルバムをリリースする予定であったそうであるが、改めてレコーディングを重ねた上でこのタイミングに本作をリリースしたのは新型コロナウイルスによって世の中が大きく変化したことが影響しているのは言うまでもなく、骸骨にマスクというアルバム・カヴァーも見事に2020年という年をヴィジュアルで表現している。

 オールタイムで言えばヒップホップ・シーンの中で最もテクニカルなラッパーのひとりにも挙げられる Busta Rhymes であるが、少なくともアルバム前作、前々作あたりの頃はアーティストとしてのピークはとっくに過ぎていて、悪い意味でのベテラン感さえ漂っているようにも感じられた。しかし、2014年にリリースされた Q-Tip とのコラボレーションによるミックステープ『The Abstract Dragon』はそんな空気を一変させ、Busta Rhymes のラップの本質的な部分であるテクニカルかつエンターテイメント性の高さを強くアピールすることに成功し、その流れは本作にもダイレクトに反映されている。

 その象徴とも言える一曲が、Kendrick Lamar をゲストに迎えた “Look Over Your Shoulder” だ。Nottz がプロデュースを手がけた、Jacksons 5 の代表曲 “I'll Be There” を大胆にサンプリングしたトラックも素晴らしすぎるこの曲だが、Michael Jackson のヴォーカル・パートを絡めながら展開する Kendrick Lamar と Busta Rhymes とのマイクリレーが実にスリリング。この曲でふたりはヒップホップ/ラップをテーマにリリックを展開していくのだが、実に巧みな比喩を織り込みながら、ラッパーとしての自らの優位性とヒップホップに対する絶対的な愛情を説き、凄まじいフロウとライミングによって聞く者を圧倒する。ラッパーとして間違いなく現時点最高ランクに位置する Kendrick Lamar に対して、Busta Rhymes は互角に勝負を繰り広げており、キャリアを重ねたことによる説得力の高さでは上回っているようにも感じる。

 ゲスト参加曲で言うと、ネイション・オブ・イスラムの創始者の名前をタイトルに掲げた “Master Fard Muhammad” での Rick Ross との貫禄あり過ぎるマイクリレーも圧巻で、他にも Anderson .Paak(“YUUUU”)、Q-Tip(“Don't Go”)、Mary J. Blige(“You Will Never Find Another Me”)、Mariah Carey(“Where I Belong”)、Rapsody (“Best I Can”)と実にバラエティに富んだ豪華なゲスト・アーティストたちとの共演も大きな聞きどころ。「世界の終焉」というアルバム・コンセプトやカヴァー・ヴィジュアルのダークさとは裏腹に、エンターテイメントとしての部分の完成度も非常に高く、Bell Biv DeVoe “Poison” をモロ使いした “Outta My Mind” での最高な弾けっぷりには、Busta Rhymes のキャラクターの良さが充分過ぎるほど反映されている。

 往年の Busta Rhymes ファンはもちろんのこと、彼の全盛期を知らない人にもぜひ聞いてほしいアルバムだ。

Byron The Aquarius - ele-king

 ハウス・ミュージックが好きで、かつデトロイトやシカゴのサウンドが大好物という人であれば、「バイロン・ジ・アクエリアス」という名前を知らない人はそろそろいないだろう。それを裏付けるだけの豊富なリリース量が彼には備わっており、ここ4~5年のプロダクションで彼の実力や才能は随分と浸透したように感じられる。J・ディラやATQCを敬愛し、自身もヒップホップやビートメイカー界隈からキャリアをスタート。オンラーやフライング・ロータスとのコラボレーションを経て、バイロン自身が師と仰ぐ NDATL のボス、カイ・アルセのスタジオでキーボーディスト兼プロデューサーとして活躍。セオ・パリッシュの〈Sound Signature〉からリリースした彼の出世作「High Life EP」を皮切りに、現在までほぼ休むことなくリリースが続いている。上記の偉大な先人に加えて、デトロイト新世代枠のカイル・ホールや〈Apron Records〉のスティーヴ・ジュリアン(aka ファンキンイーヴン)ら同世代のアーティストとも積極的に活動し、いわゆるディープハウス界隈でのリリースはほぼ制覇しているように見えていただけに、ジェフ・ミルズとの邂逅はサプライズというよりも、ある種バイロン自身が実直にリリースを積み上げたキャリアへの「ご褒美」的なリリースに近い気がする。

 これは推測でしかないが、おそらくバイロンの存在は以前からジェフの目にも止まっていたのだろう。ただし、ジェフ本人の理想としているプロダクションに彼の音楽性やスキル、その他アーティストやミュージシャンとの関係性など含め全てが出揃うのを虎視眈々と待っていたようにも感じるし、ゆえに今回のアルバム『Ambrosia』はまさに「機が熟した」と言えるような内容に仕上がっている。それを裏付けるようにドラムマシーンやコンピューターでの「打ち込み」がメインの過去作とはうって変わって、ジャズやフュージョン、ラテンの要素を取り入れ、楽曲の方向性や角度が広く、高くなっている点が大きい。収録曲の大半がアトランタの Patchwerk Studios にて収録されたセッション・アルバムになっており、参加ミュージシャンも豪華。ジョージ・デュークやロバート・グラスパーなどともセッションの経験があるドラマーのリル・ジョン・ロバーツを筆頭に、今後様々なジャンルのリリースで名前を見かけそうな予感のする気鋭のミュージシャンが揃っている。レーベルのネーム・ヴァリューを気にせずに集めたような等身大のバンド編成も長くローカルで活動している彼らしいやり方に思える。

 スタジオ・アルバムといえどやはりバイロンらしさは十二分に表現されており、1曲目の “New Beginning” から得意のピアノ・ソロとラシーダ・アリのフルートが絶妙に混ざった疾走感のあるトラックで始まる。アルバム・リード曲になっている “Edgewood Ave” はエレクトロニックなシンセをアクセントにしながら現行のUKジャズにも橋渡しできるような見事なフュージョン/ジャズに仕上がっており、ラテン・フレーヴァーを取り入れた “Space & Time (Jam Session)” はヒップホップやハウスを守備範囲にしていたバイロンの新たな境地を垣間見れることができる。僕自身、ハウス/クロスオーヴァー界隈の視点からこの作品を見ているだけに、よりエレクトロニックなサウンドがメインになっている〈AXIS〉のファンからすればこの作品がどう映っているのか気になるところではあるが、いままでのバイロンのプロダクションとミュージシャンシップがジェフ・ミルズの太鼓判を経てさらなる高いレベルへと押し上げられたのは間違いない。

 とはいえ、まだまだ山の五合目といった感じで、連日連夜止まることなく作品作りに明け暮れている姿を彼の Instagram から垣間見ることができる。今後テクノなり、ジャズなり、彼の音楽がどのように旅をしていくのか非常に興味深いし、古代ギリシャ語で「不死」を意味するタイトルを持ったアルバムは彼自身にとってのキャリアのマイルストーンに選ばれる1枚になったに違いない。


Dyl - ele-king

 ここ数年、ドラムンベースのフォーマットが崩れ過ぎてダブ・テクノや広義のアンビエントとして受け止められるものが増えてきた。しかし、それらはアンビエントに収まろうとして変化しているわけではなく、あくまでもドラムンベースの可能性を広げようとして結果的にアンビエントだったり、ミュジーク・コンクレートに聞こえるだけであって、そのような既視感の範囲を超えてしまえば途端に分類不可とされてしまう。そう、「アンビエントで片づけよう」とする発想自体が間違っているのであって、やはり「ドラムンベースがどこに向かっているのか」という耳で聴かないと見失ってしまうものがあるだろうと僕は思う。そして、そのようなものとしてエデュアルド・コステアによる3作目『Acvatic』をここではクローズ・アップしてみたい。ルーマニア語で「アクアティック」を意味する『Acvatic』はアンビエントの定番概念といえる「アクアティック」という言葉の響きも見事に裏切っていて、その意味でも興味深いアルバムであった。

 ドラムンベースを現在のような姿に変えたのはやはりASCや直接的にはフェリックス・Kだろう。Enaやペシミストがこれに続き、ビート主体だったドラムンベースはテックステップやドリルン・ベースが内在させていたサイファイ感覚を可能な限り増大させ、そのためにビートは必ずしも前面に押し出されるものではなくなっていく。古くはアレックス・リース、最近ではエイミットが流行らせたハーフタイムが広く手法としてシーンに浸透することでフリースタイル化は一気に進み、同時に観念肥大も起きていく(ハーフタイム=本来は音楽用語でビートを半分にするという意味ながら実際には6だったり10だったりで8で刻むとは限らない)。ソフィア・ロイズの3作目『Untold』も曲の冒頭で2小節から4小節ほどカチャカチャッとビートが鳴ったあとはノン・ビートで完結するというスタイルを貫いていたり。

 『Acvatic』の前作にあたる『Sonder』はまだ試行錯誤の段階にあり、雑然として捉えどころのない内容だった。ASCやフェリックス・Kのものまねとは言わないけれど、ドタバタとしたビートに不気味なメロディを組み合わせ、どの曲も聞いたような展開にしかならない。それがたったの1年で飛躍的なイメージの跳躍と驚きの完成度を示したのが『Acvatic』である。同作は洪水のような激しい水の音から始まる。水は時に人に襲いかかるもの。アンビエント・ミュージックの発想にはない水の描写であり、ノイズ・ドローンの背景にはモダン・クラシカルが折りたたまれるように詰め込まれている。続いてハーフタイムが導入され、ダブ・テクノの変形へと雪崩れ込む。曲名は“1.1”“1.2”……と素っ気ない。どの曲でも水は常に早く流れている印象で、これまでに海中を描写した作品で知られるミシェル・レドルフィや2・ローン・スウォーズメン『Stay Down』とも似たところはない。淀んだ水や溜まっている水ではなく、勢いをつけて動いている水がここではすべてなのである。曲が変わっても緊迫感は途切れることなく続き、不協和音の連打は水流が荒れ狂っている様を表しているということか。“1.5”などはむしろ金属的な響きが全体を覆い尽くしていてポリゴン・ウインドウ“Quoth”を思い出してしまった。完全にバッド・トリップである。気分を変えることもなく、徹底的に同じイメージが何度も追求され、エンディングを迎える頃には南極の氷がすべて溶けて大陸の多くが海に没した気分。ルーマニアといえばミニマルのペトレ・インスピレスクが代表格だけれど、陰鬱とした世界観はここでも共通していて、ローリン・フロスト同様、チャウセスク政権の後遺症がまだ尾を引いているという感じなのかなと。そして、それらがずべて吐き出されないと次には行かれないということなのだろう(クリスティアン・ムンジウ監督『4ヶ月、3週と2日』』なども同じ理由でつくられたに違いない。少子化対策として堕胎が違法と定められた時期を描いた同作は07年にカンヌでパルムドールを受賞した)。

 ブラジルとスペインに拠点を置く〈ディフューズ・リアリティ〉は基本的にはテクノのレーベルで、それがこのところは『Acvatic』に続いて、チェコのOFKや、この11月には日本のイッチ(Itti)ことトモユキ・イチカワも実験的なドラムンベースのアルバムをリリースしている。ハーフタイムでほとんど全編を埋め尽くした後者の『Get Into』は前半はリズムが少しもたつくものの後半の出来はかなりよく、Enaに続く人材が日本にもいるという期待を抱かせる内容だった。同レーベルはまたサワ・カツノリやユウキ・サカイといった日本人のリリースも多く、マサヒロ・メグミを逆から綴ったImugem Orihasamが『Acvatic』では“1.7”と“1.8”のリミックスを手掛け、ボーナス・トラックとして収録されている。

Sleaford Mods/スリーフォード・モッズ - ele-king

 ♪ウィ・アー・モッズ、ウィ・アー・モッズ、ウィアー、ウィアー、ウィ・アー・モッズ♪ではありません。時代は、♪スリーフォード・モッズ、スリーフォード・モッズ、スリーフォー、スリーフォー、スリーフォード・モッズ♪です(嘘だと思うなら、彼らのライヴ映像を検索すべし)。
 来春早々、新しいアルバム『スペア・リブス』をリリースするそのスリーフォード・モッズが、ビリーちゃんをフィーチャーした気怠く魅力的な“Mork n Mindy”に続いての新曲およびそのMVを先日公開した。曲名は“Shortcummings(ショートカミングス)”。
 「ショートカミングス」とは、まあ、「早漏」のことだが、この場合は、ロックダウン中にぬくぬくと家族旅行した政治家ドミニク・カミングスにかけられている。日本にもいます──緊急事態宣言下でちゃっかり会食した議員、性風俗に行った議員、現在でもこうした政治スキャンダルは後を絶たない(元首相がまさにその渦中でもある)。スリーフォード・モッズは、ふざけた政治家たちを巧妙な言葉遣いと煉獄ループをもって、容赦なく虐殺しているわけだが、これぞパンクってもんでしょう。自分がイギリス人だったら合唱してる。「ショート、ショート、ショート、カミングス〜」って。(訳せないよね、これは)

interview with Isayahh Wuddha - ele-king

シティ・ポップ特有の一部のハイソな出来事や愛を聞いたり歌うのは、どこか虚しさでもあるし、満たされない欲求でもある。でもそれがエンターテイメントでもあるのだけど、決定的にあれはリアルではないし共感なんかできないと思っていました。

 京都の秘宝……いや、もしかするとこれは世界に誇る秘宝かもしれない。去年偶然に、本当に偶然に手にとった1本のカセットテープを繰り返し聴く中で、ふとそんな予感がした。そしてあれから約1年半、その予感は次第に確証になりつつある。

 Isayahh Wuddha(イサヤー・ウッダ)。台湾と日本にルーツを持ち、現在は京都に暮らすインナートリップ・シンガー・ソングライター。昨年、カセットテープのみでひっそりとリリースされたファースト・アルバム『アーバン・ブリュー』が口コミでじわじわと広がり、気がつくとジャイルス・ピーターソンがアルバム収録の “something in blue” をオンエアし、イギリスのディープ・ガラージ系レーベルの〈Wot Not〉からアナログ・レコードでもリリースされるに至った。BTS や BLACKPINK から、Yaeji や CHAI まで、メジャー/インディー問わず若き東アジア産のポップ・ミュージックが世界規模で注目を集め、細野晴臣や山下達郎の旧作もまた欧米の若い世代に聴かれている2020年。年齢も素性も謎に包まれた Isayahh Wuddha が飄々と国境を超えている様子は痛快極まりない。

 もちろん、DJやクラブ・ミュージックのフィールドでは古くから日本のクリエイターたちが海外で評価されていたし、YMO やサディスティック・ミカ・バンドのような例外もあるにはある。だが、竹内まりやの “Plastic Love” が近年、ネットミームで拡散されているような状況を目の当たりにするにつけ、この曲がリリースされた80年代にタイムラグなく海外でも聴かれていたらどうなっていただろう……と思う。そういう意味では、YouTube はもとより、SoundCloud や Bandcamp を通じ、全ての国の音楽にリスナーがどこからでも自在にアクセスできるようになった現代は幸せな時代だとも言えるだろう。実際、Isayahh Wuddha の『アーバン・ブリュー』が海外リリースされることになったのも、Bandcamp を通じてレーベルから直接連絡があったからなのだという。派手なプロモーションもない、ライヴも滅多にやらない、そんな彼が京都の自室でカセットテープのMTRでひっそりと作った曲が、世界中でじわじわと面白がられている状況は、そもそもが「海外リリース」という古くからの戦略概念をニヒリスティックに嘲笑しているかのようだ。

 公表されている Isayahh Wuddha の経歴は、「第二次世界大戦中に日本統治下の台湾にて徴兵され、衛生兵として日本へ従軍した台湾人の祖父と、日本人の祖母の孫にあたるということと、自身は日本に生まれ、現在は京都に暮らしていて、今も時々台湾におもむく……」ということくらい。2019年にトラックメイカーとして活動を開始し、自ら歌も歌いながら曲を作るようになった彼は、しかしながら、かなり確信犯的にポップ・ミュージック制作を視野に入れている。アーサー・ラッセル、プリンス、エイドリアン・シャーウッド、スリッツ、カエターノ・ヴェローゾ、デヴェンドラ・バンハート、クルアンビン、あるいはフランク・オーシャンやジェイムス・ブレイクあたりまでもチラつかせる豊かな音楽体験を武器としつつも、どこか人を食ったようなシニシズムとユーモアを掲げ、同時にロマンティシズムと妄想を抱えたまま、それでもポップな存在であろうとする開かれた感覚が魅力だ。

 そんな Isayahh Wuddha がセカンド・アルバム『Inner city pop』を12月16日にリリースする。ファーストはカセットテープでの販売だったが、今回はCDでの発売。ファンク、ダブ、トロピカリズモ、アシッド・サイケ、ディスコなど様々な音楽性を横断させながらも、深く語られることからスルリと抜け出してしまうような自嘲的軽やかさがさらに際立っているのがいい。曲そのものもキャッチーだし、呟くようにリフやフレーズに寄り添わせながらラップするメロウなヴォーカルも健在だ。

僕が目指しているのはマイケル・ジャクソンのようなキング・オブ・ポップ。より多く消費されて楽しんでもらえたら嬉しい限り。諸行無常

 タイトルにあるインナーシティについて、Isayahh 本人はこう話してくれた。
「日本の事、貧困、スラム化している現状です。通常インナーシティとくればマーヴィン・ゲイの “Inner City Blues” になりますが、ここはシティ・ポップにかけてポップを付けました。音楽家・プロデューサーの冥丁さんが言っていたことなんですが、架空の東京の音楽が溢れて、日本の地方どこでもそんな架空の東京の音楽ばかり鳴らしているという話がありまして。まさに2010年代のシティ・ポップ・ブーム、ヴェイパーウェイヴと重なるように思います」

 アルバムは11曲入り。ライヴでも使用するカセットテープMTRのチープな音像を生かしているからか、音自体は極めて不安定に揺らいでいる。ファースト以上にジャストなリズム、ジャストなメロディとは最も遠い位置で鳴らされ、アウトラインのハッキリした音処理を嫌って仕上げられたとんでもないアルバムだ。それは1970年代のタイやベトナムで制作されていた無国籍ファンクやソウルの持っていた妖しい歌謡性をも連想させ、ひいては Isayahh のルーツが台湾にあることを再認識させられる。実際、近年の台湾から登場している 9m88、落日飛車など新しい世代のシティ・ポップ系、AOR系アーティストとのシンクロもここにはあると言っていい。もっとも、Isayahh の作品は全くハイファイではないが。

「シティ・ポップ特有の一部のハイソ(上流社会)な出来事や愛を聞いたり歌うのは、どこか虚しさでもあるし、満たされない欲求でもある。でもそれがエンターテイメントでもあるのだけど、決定的にあれはリアルではないし共感なんかできないと思っていました。それは多様化ではなくてソフトに形骸化した音楽の様に感じます。アク抜きされたホウレンソウみたいな、一斉に栽培された味の薄い野菜みたいなものです。自分にとってそれらは美味しく感じませんでした。そもそも自分の音楽は歪で、世間一般からみて不完全だと思われるでしょうが、音像の歪さ、不完全さ未完成さが逆説的にリアルを体現していると思うのです。それは有名アーティストのデモ・テイクやライヴ盤に魅力を感じるのと同じかと思います。目に見えない息遣いがそこにあるような感覚なんです。自分はひねくれているから、誰かができる事を自分がやる必要はないと思いますし、自分が出せる音があるからそれをやると、音質もカセットテープMTRだから下手くそに音が割れたりする、そこも含めて誰も僕の音を鳴らす事はできないだろうって勝手な自信があります」

「僕が目指しているのはマイケル・ジャクソンのようなキング・オブ・ポップ。より多く消費されて楽しんでもらえたら嬉しい限り。諸行無常」と自虐的に話す Isayahh Wuddha。超絶にウィアードで超絶にミステリアスで超絶にフリーキーで、超絶にポップでチャーミング。新型ウイルスで人間ありきの社会が転覆した今、人間様の鼻っ柱を排除したところから始まる資本主義葬送行進曲のためのこのアンチ・ポップが、最後の消費文化の一つとして世界中でユラユラと鳴らされることを待ち望んでいたい。


プロフィール

■台湾と日本にルーツを持つ蠱惑(こわく)のインナートリップ・シンガーソングライター、Isayahh Wuddha(イサヤー・ウッダ)による 2nd Full Album『Inner city pop』が完成。
どこにも属さずサイケデリックに揺らぎながら鳴らされる、愛と狂気の密室ドラムマシーン歌曲集。

カセットテープとアナログレコードで発表された前作『urban brew』(2019)に引き続き、ヴィンテージのカセットテープMTRを用いて制作された Isayahh Wuddha(イサヤー・ウッダ)の2ndアルバム『Inner city pop』。演奏、録音はすべて本人が行った密室ドラムマシーン歌曲集がここに完成。本作にも収録の先行 7inch シングル「I shit ill」でもみられるサイケデリックなリズムに揺らぐ LO-FI サウンドは、音楽の深層に触れる喜びを想起させる。ミュージック・マガジン誌2020年9月号特集「日本音楽の新世代 2020」では注目の10組に選出され注目を集めながらも、未だ所在不明の彼から焙りだされる陰りを帯びた天然色の煙は社会と対峙するサウンドトラックになるだろう。

2nd album 『Inner city pop』
2020年12月16日リリース
形態:CD maquis-008
価格:2000円+TAX

01. In to r
02. for ever
03. agricultural road
04. i shit ill
05. celebretions
06. need
07. spacey
08. guitar
09. sexy healing beats
10. together
11. wait

Tunes Of Negation - ele-king

 電子音楽プロデューサーのサム・シャックルトンがベルリンを拠点に率いるグループ、チューンズ・オブ・ニゲーション(Tunes of Negation, 以下TON)の前作、『Reach the Endless Sea』は13世紀のペルシャの神秘主義詩人、ジャラール・ウッディーン・ルーミーから着想を受けている、ということを担当した自分のライナーの結びに書いた。それが全てではないにしろ、シャックルトンが、パーカッショニスト/作曲家タクミ・モトカワ、ヴィブラフォニストのラファエル・マイナートとともに新たなサウンドの地平を目指すプロジェクトが、TOGである。2020年、その2作目となる『Like the Stars Forever and Ever』が一年という短期間で我々のもとに届いた。
 まずは〈Skull Disco〉時代のシャックルトンの円循環的リズムのごとく、自分のライナーから反復させてもうが、イスラム神秘主義、つまりスーフィズムにおいて、無限的な存在である神への消滅を目指すことが主眼におかれている。それを実行する上で非常に重要な役割を果たすのが、高校の世界史の授業でも登場する、自我忘却へと向かうあの旋回するダンスである。音楽を通し、スーフィーたちは無限へと回転する。
 シャックルトンがやってきたダブステップとそれ以降のエレクトロニック・ダンス・シーンを見渡せば、このような非西洋由来の音楽の影響は散見される。シャックルトンとは共作で『Pinch & Shackleton』(2011)という名盤を残しているブリストルのピンチによる “Qawwali”(2006)(カッワーリーはスーフィズムの宗教童謡である。著者が住むロンドンでは、ムスリム系の住民たちは地域の大学や公民館などにあつまってその演奏会などを定期的に開いており、コミュニティの壁がないわけではないが、イギリスでは一般市民たちがその文化に触れる機会は決してゼロではない)、西欧の外側からやってきたトライバル・リズムと重低音のミクスチャーのある種の完成形を見せたクラップ!クラップ!の『Tayi Bebba』(2014)などは大きな例である。
 それらはダンスフロアにおいて、リズムを経由し非日常的な空間を出現させたわけだが、TONはよりコンセプチュアルな方向へと向かい、サウンドの持つ思弁性や崇高なアレンジメントを駆使し、各楽曲のタイトルが持つイメージを聴き手に想起させる。 それはアルバムに先立ち公開された “Your Message Is Peace” のビデオが、VRゴーグルを装着しているような一人称の視点から、ジャケットに描かれているサイケデリックの世界を探索していくように、「外側」の「内側」へと埋没させていく感覚に近いかもしれない(「矛盾」もTONのテーマであると今作のプレスリリースにはある)。
 これまでのシャックルトンのソロ作のように、敷き詰められたビートがあるわけではなく、太鼓がゆっくりと聞き手の意識を揺れ動かしながら空間を分割し、星のようにこぼれる旋律が、ソファにうずくまる身体を飲み込んでいく。埋没するVR的美学の採用という点や、彼と同世代のティム・ヘッカーが濃霧という自然現象が持つ超越性をアンビエントのフォーマットで表現していることを考慮すると、ここにはある種の同時多発的現代性も認めることができるだろう。

 フロアでの昇天というよりは、神秘的な感覚へと向かうTONだが、シャックルトンがこれまでに我々の身体を震わせてきた重低音も、今作では基調的に機能している。前作に引き続きゲストとして参加している、演奏家/ヴォーカリストのヘザー・リーが冒頭部分を飾る “Naked Shall I Return” では、多層化されたコーラスと入れ替わるように登場するサブベースが主導権を握り、ダブが発生させる磁場によって他パートの演奏にグルーヴを生んでいる。
 平均して一曲9分という長尺で構成されている今作は、一曲中だけでもドラマチックな展開がなされているが、アルバムの構成という点においても、異なるナラティヴが登場する。“You Touched Us With Light” では、それまでに生まれたリズムの磁場が消失し、視界の奥で微かになるヴィブラフォンと宙を舞う蝶のようなスネアが弾くポリリズムが、オルガンの旋律とともに奇妙なテクスチャーを生成している。光を経由して我々に接触してくる「You」という二人称は、おそらくは「神」のような超越存在を指しているのだろう。そのような抽象的存在と、触れることはかなわないが、確かに存在している光という「物体」の性質を表現するように、身体に響くという意味でのリズムの具象的な物質性がここでは後退していくかのようである。
 『Like the Stars Forever and Ever』で最後に登場する概念は、終曲のタイトルにも現れているように “Impermanence / Rebirth”、つまり「無常」と「転生」である。前作からの共通概念として今作に引き継がれているのは「無限」だが、今作においてシャックルトンはその対概念ともいえるものに触れているのだ。アルバム最長の15分にも及ぶ再生時間のなかで、これまでとは対照的により静かに進行していく楽曲は、光り輝く前半部とは逆方向の隠を写している。異なる概念たちをそれ相応のサウンドで鳴らしてみせる描写力は、電子音楽作家としてシャックルトンのひとつの到達点だろう。
 2020年はポーランドのマルチ楽器奏者ワクロー・ジンペル(Wacław Zimpel)との共作『Primal Forms』 を、今作と同様に〈Cosmo Rhythmatic〉からもシャックルトンはリリースしている。そちらはユニットであることに主眼が置かれ、より電子的なサウンドとリズムがサックスなどの楽器をシンプルに包握していく過程がスリリングな一枚だが、TONは四人のパフォーマンスにより、さらにアンサンブルな表現形態となっている。この流れでいくと、当然のことながら待たれるのは、この共作過程をへて「転生」したシャックルトンのソロ作品だろう。
 TONにあえて的外れの粗探しをすれば、ここにないのは、これまで我々をフロアで汗だくにさせてきた強靭で最高に滑稽なシャックルトンのダンス・ビートである。前作から引き続き無限と対面することにより、新たなサウンドをそこから引き出し、変化を予期させるタイトルで終わる今作。輝く星々のように無限ではないものとは何か。それは他でもない人間である。2021年、一度粉々に砕け散った世界の再生が期待されるタームにおいて、無限に接近した孤高の作家がその有限な生で何を作るのか。我々はそれを心して待たなければならない。

Billy Nomates - ele-king

NOはもっとも大きな抵抗
あなたを無にすることにNO
NOは歩くこと、お喋りではない
ノー、それはいいことに思えない
YES、私たちが共闘すれば強い
しかし、NOはパワー
どんなときも、どんな場所でも
ビリー・ノーメイツ“No”

 ノー、ダメですよ、ダメ。洗練された我らが日本においては、権力や富の世界に向かって二本指を立てることなんてことはもう流行らないでしょう。だが、セックス・ピストルズを生んだ国では、2020年はビリー・ノーメイツ(友だちのいないビリー)という名の、ずば抜けた才能と熱いパッションをもったシンガーがデビューしている。夜中にいそいそとスーパーストロングの500mlを買っているような、いつだって財布が薄くて軽い人たちへの励ましの歌、スリーフォード・モッズに続く労働者階級からのみごとな逆襲である。
 レスター出身のビリー(本名Tor Maries)は、売れないバンドで歌いながら一時期はうつ病を患ったというが、スリーフォード・モッズに勇気づけられてふたたび音楽をやる決意をする。ぼくが彼女の存在を知ったのも、年明け早々に新しいアルバム『スペア・リブ』をリリースするスリーフォード・モッズの先行シングル曲、“Mork N Mindy”がきっかけだった。
 で、意外というかさすがというか、彼女の才能をいち早く見抜いたのは、ブリストルのジェフ・バロウ(ポーティスヘッド)だった。彼女のデビュー・アルバムはバロウ・プロデュースによる彼のレーベルからのリリースとなる。アルバムがリリースされたのは去る8月、だからこれは4ヶ月遅れのレヴューです。

プロテインシェイク飲んで鏡を見るのは、NO
恐れのない夜のジョギングには、YES
デジタル世界の物語には、NO
無意味な比較には、NO
私にはあなたの言葉がある

 しかしなんだろう、デビュー曲“No”のMVにおいて踊っている彼女を見ると、ぼくはそれこそザ・スリッツやザ・レインコーツといったポスト・パンクの偉人たちを思い出さずにいられない。男の目線なんかをまったく気にしていないその服装、その髪型、その立ち振る舞いがまずそうだし、ダンスのレッスンなどクソくらえと言わんばかりの動きがまた最高なのだ。
 “No”に続くシングル曲、“FNP”=Forgotten Normal People(忘れられた普通の人びと)は、鋭いシンセベースとエレクトロ・ビートの反復をバックに彼女がラップする。この曲もキラーだ。

私は床に寝る
狭い部屋で
やりたくない仕事のために
私はフォークでスプーンじゃない
すべては失敗にて終了
生活はあまりにも高価だし
あー、私を守るものなどない
そう、血が欲しい?
私はポジティヴだよ
 
かつてそのために走ってもみた
いつからやってみたけどダメ
1マイル離れても連中は私をかぎつける
だから私は不名誉ながら辞職
で、いま私にあるものと言ったら
私は何も所有していないという事実に
なにごとも私を所有できないということ

 もうひとつのシングル曲“Hippy Elite”では、題名通り環境のために活動する裕福なリベラルを面白く皮肉っているようだが、彼女の歌詞の主題もまた、スリーフォード・モッズとリンクしている。格差社会における持たざる者たちから生まれた詩であり、風刺であり、そして怒り。ひるむことのない情熱。

 ビリーの音楽もスリーフォード・モッズ・スタイル(あの冷酷なループ&ベース)を発展させたものだが、ジェフ・バロウがその卓抜したプロデュース能力をもって、そのフォーマットを鮮やかなポップ作品へと改変している。彼は本当に良い仕事をしたと思う。サウンドをざっくりと喩えるなら、スリーフォード・モッズ・ミーツ・ブロンディーとでも言えるのかもしれないけれど、全収録曲にはバロウらしく機知に富んだ実験(グリッチ、ミニマリズム、そしてベース&エレクトロ等々)があり、耳も心も楽しませてくれるわけだ。ええと、ジェイソン・ウィリアムソンも1曲参加しております!
 UKではコロナ禍においてスリーフォード・モッズのベスト盤がチャートの上位になったが、まあ、いまの日本ではこうしたパンクな音楽は売れないということでとくに話題にもならなかった。だが、政治のトップがことごとく不信を増幅させているご時世、この手の音楽を必要としている人たちは必ずいるはずである。そもそもビリーの音楽は、消費生活を気ままに謳歌することなど到底できない、まったく味気ない日常を送っている人たちが日々をオモシロ可笑しく過ごすための知恵でもあるのだ。いやー、良かった。2020年という悪夢のような1年にもひと筋の光があった。

今里(STRUGGLE FOR PRIDE/LPS) - ele-king

敷居を高くしていないとご飯が食べられない人達のお茶碗を、
夜な夜な割っていく作業に従事しています。

1.META FLOWER /DOOM FRIENDS
誠実な人柄が全ての作品に現れていて、動向がとても気になる。LSBOYZのALBUMも最高でした。

2.JUMANJI/DAWN
くそみたいな気分で目が覚めた朝方でも、再生した瞬間にFRESHにしてくれる。

3.YOUNG GUV/RIPE 4 LUV
AOYAMA BOOK CENTERの店員さんが教えてくれた。どうもありがとうございます。

4.HATCHIE/KEEPSAKE
今は亡きBONJEUR RECORDS LUMINE新宿店の店員さんが教えてくれた。どうもありがとうございます。

5.ISAAC/RESUME
こういう気持ちにさせてくれる音楽が身近にあることに、心から感謝しています。

6.MULBE/FAST&SLOW
DO ORIGINOOを聴きながら豊洲を歩いていたら、一瞬どこに居るか解らなくなった。

7.SHOKO&THE AKILLA/SHOKO&THE AKILLA
武道館ライブ楽しみにしてます!

8.HIKARI SAKASHITA/IN CASUAL DAYS
誕生日を過剰にアピールしたら送ってくれた。どうもありがとう。

9.CAMPANELLA/AMULUE
今になって思うと待ち続けてた時間も楽しかったし、
聴いてすぐに報われた。

10.CENJU/CAKEZ
「もしもVINがいたらあんなもんじゃ済まなかった」って笑って帰宅して、
すぐに再生した。
発売には立ち会えなかったけど、当時の我々の空気が全て詰まってる。

Kruder & Dorfmeister - ele-king

 クルーダー&ドーフマイスターとはジョイントの高級ブランド名ではない、オーストリアはウィーンのふたり組、90年代の音楽におけるとっておきのカードだ。彼らがシーンに登場したのは1993年、マッシヴ・アタックの『ブルー・ラインズ』(ないしはニンジャ・チューンやモ・ワックス)へのリアクションだった。サイモン&ガーファンクルによる名作『ブックエンド』のジャケットのパロディ(だからふたりの名字を名乗ったのだが、実際リチャード・ドーフマイスターがアート・ガーファンクルに似ているので、パっと見た目は『ブックエンド』と間違えそうになる)を意匠にしたそのデビューEPのタイトルは、モーツァルトからシューベルトと歴史あるクラシック音楽の街に似つかわしいとは思えない「G-Stoned」。そう、ガンジャ・ストーンド。Gは、彼らが住んでいた通り名の頭文字でもあるのだが、しかしもっとも重要なのは、どこまでもメランコリックな『ブルー・ラインズ』に対して、「G-Stoned」はとにかく至福の一服だったということである。

 欧州において音楽教育がとくにしっかりしている言われているウィーンのふたりは、トリップホップと呼ばれるスタイルではさまざま音楽を混ぜ合わせることができるというその可能性を早くから理解していた。「G-Stoned」のわずか4曲には、従来のトリップホップの主要要素であるヒップホップ、ファンク、ソウル、ダブやハウスに加えて、映画音楽やラウンジ音楽、そしてジャズやブラジル音楽の美味しいところも加えてある。のちに本人たちは「1日中吸っているのに飽きたから音楽を作った」などとうそぶいているが、本当のことを言えば彼らは友人のレコード・コレクションをサンプリングしまくり、そして綿密な構成を練って職人的なミキシングを施して(クルーダーはすでにスタジオで働いていた)作品を完成させたのだった。それは、同じようにサンプルデリックな傑作であるDJシャドウの『エンドロデューシング』の暗さやDJクラッシュの「Kemuri」のストイシズムともまったく対照的なサウンドの、自称“オリジナル・ベッドルーム・ロッカーズ”による完璧なデビューEPだった。未聴の方は、ぜひ“Hign Noon”から聴いて欲しい。

 が、しかしK&Dは、その後ミックスCDを出してはいるが、コンビでのオリジナル作品発表はすぐに途絶えてしまい、90年代半ばからはそれぞれがそれぞれのプロジェクトで作品を制作する。リチャード・ドーフマイスターは、ルパート・フバーとのToscaを始動させると、「Favourite Chocolate」や「Chocolate Elvis」、あるいは『Opera』や『Suzuki』といったヒット作を出しつつ、ここ数年はそれほど話題にならなかったとはいえ現在にいたるまでコンスタントに活動を続けている。いっぽうのピーター・クルーダーは、90年代にピース・オーケストラという名義で素晴らしいアルバムを2枚リリースしている。
 ちなみに90年代のジャケット・デザインにおいて個人的にベストだと思っているのが、ピース・オーケストラのファースト・アルバムだ。世界で唯一、(肌色のジャケットに)絆創膏の貼られたレコード/CDであるそれは、ラディカルなユートピア思想がなかば感傷的に表現されているとしか思えないという、ぼくにとっては哲学的と言えるアートワークだった。こればかりはアナログ盤の見開きジャケットでたしかめないと、その衝撃はわからないんだけれど。

 いずれにしても、ダンス・ミュージックを愛するリスナーにとってK&Dは立派なリジェンドなのだが、なんと……、そう、「なんと!」、1993年のデビュー以来27年目にしてのファースト・アルバムが先日リリースされたのである。で、そのタイトルは『1995』、日本人の感覚で言えば意味深くも思えるが、これはチルアウト黄金時代の年を指しているそうで、アルバムに収められた14曲は当時彼らが録音したDATからの発掘をもとに手を加えられたものらしい。まあ、再結成して新たに録音した代物ではないようだ。とはいえ、27年目のファースト・アルバムであることに違いはない。

 ロバート・ジョンソンのレコード(おそらく78回転の10インチ盤)をサンプリングした“Johnson”からはじまる『1995』は、K&Dの魅力を、もうこれ上ないくらいに絞り出している。肩の力の抜けたレイジーなグルーヴの魅力──K&Dはいつだって安モノのせこい品をまわしたりしたりはしなかったが、ここでも極上のストーナービートと気の利いたサンプリング(ラロ・シフリンからアントニオ・カルロス・ジョビンなど)がエレガントなミキシングによって展開されている。たとえば“Swallowed The Moon”や“Dope”などは、これこそチルアウトって曲だし、“King Size”にいたっては……たしかにぶっといものを口にくわえてるときのメロウなウィーン流のダブかもしれない。
 意外なところでは、13分にもおよぶ“One Break”がある。寒い冬の夜明け前のようにダークな曲で、リズムはいつものヒップホップ・ビートからドラムンベースへと展開する。クローサーのアンビエント・トラック“Love Talk”も彼らの試行錯誤の記録だろう。いろいろとやっていたんだなと。懐かしくもあり、グローバル・コミュニケーションの『76:14』がそうであるように、いま聴くと新鮮でもある。ただひとつ言えるのは、『1995』は思いも寄らぬ贈り物だということ。いまはもう寒い冬だけれど、1995年のように、意味もなくただただ愛を感じながら寝そべってみるのもいいかも、と思ったりもする。ピース・オーケストラの見開きジャケットが描いたあの凄まじい、あの時代ならではの光景は、現代では到底あり得ないのだろうけれど。


Cuushe - ele-king

 京都から世界にむけてドリーミーなエレクトロニカ・ポップを発信してきたクーシェ(Mayuko Hitotsuyanagi)が、前作EP「Night Line」から5年の歳月を経て待望の新作アルバムをリリースした。アルバムとしては2013年の『Butterfly Case』より7年ぶりである。
 エレクトロニカ・リスナーにとっては、まさに待望のという言葉に相応しいアルバムだが、そんな聴き手の思い入れを吹き飛ばすほどに、とても強い意志が光のシャワーのように溢れていた。
 とはいっても過激な音楽というわけではない。2009年のファースト・アルバム『Red Rocket Telepathy』から続くエレガントでポップな音楽世界がアルバム全編にわたって展開されており、聴きはじめた瞬間にクーシェならではの透明な世界観に一気に引き込まれてしまうことに変わりはない。だから過去2枚のアルバムを長年愛聴してきた熱心なリスナーは安心してクーシェ的電子音楽世界に飛び込んでいってほしい。

 と同時に『WAKEN』には明らかに進化している面がある。変化ではなく進化だ(深化といってもいいかもしれない)。「WAKEN」というアルバム名どおり、朝の目覚めのような生命力に満ちたエレクトロニック・ミュージックとなっているのだ。
 まず、楽曲を包み込むサウンド・レイヤーの緻密さ、美しさが、これまでのアルバム以上に磨きがかかっている点だ。たとえば1曲め “Hold Half” を聴いてほしい。電子音、アナログ・シンセサイザー、ギター、彼女の声が折り重なりあい、大きなハーモニーを形成し、清冽な音響を展開していることがわかるはずである。
 続く2曲め “Magic” はややダークなムードのなか、少しずつ光が差し込んでいくような楽曲だ。無駄のないトラックの構成、和声感とメロディの絶妙さに聴き入ってしまう。ディレクター田島太雄、アニメーション・ディレクター久野遥子が手掛けたMVも楽曲の世界観を見事に映像化した傑作だ。

 加えてビート/リズムの深化にも注目したい。クラブ・ミュージックの音響と音圧を取り込んだ複雑かつ大胆なビートは、クーシェの歌と絡み合うことによって、彼女の音楽にかつてないほど疾走感を生み出すことに成功している。
 特にUKガラージ的なビートと、水墨画のような音世界のなかで、エモーショナルなヴォーカルを展開する “Emergence”、ドラムンベースを導入したミニマル・ポップな “Not to Blame”、重低音のキックに優雅なピアノを交錯する “Drip” などは、クーシェがこれまでと違うフェーズに突入したことを告げる楽曲たちである。
 そして最終曲 “Spread” では日本語の歌詞をはっきりとした声で歌唱する。ヴォイスのまわりに電子音のレイヤーが美麗に重なり、まるでエレクトロニカ・ウォール・オブ・サウンドのように壮大な音響を生成していく。アルバムの最後を飾るに相応しい曲であり、自分と心の中の宇宙とが交信していくような壮大で感動的な曲である。アルバムを聴き終えたとき、一作の物語を読み終えたような感慨に耽ってしまったほどだ。

 全曲、これまでのアルバム・楽曲以上に、メロディが明瞭になり、歌詞などの言葉と共に「伝えたい意志」がより明確になっていた。そしてベースとコードとビートの関係が密接になることでより疾走するようなエモーショナルな感覚が楽曲に生まれてもいた。
 かつて瀟洒なエレクトロニカ・ドリーム・ポップによって多くのリスナーを魅了したクーシェは、「夢」の世界から目覚めて、この不穏な「現実」を肯定し、2020年の世を力強く生きていく「意志」の音楽を作り上げた。
 その「肯定の意志」こそ、この現代おいて、とても大切な「希望」をわれわれに伝えてくれるものではないかと思う。多くの音楽ファンに届いてほしいアルバムである。

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