「Low」と一致するもの

The Cure - ele-king

 16年という歳月は、少なく見積もっても16通りの可能性と熟考を伴う16の人生を反映した期間だ。しかしながらこの16年間、ザ・キュアーからの言葉は一切なかった。ザ・キュアーの最後のリリースから16年が経過したというのは、控えめに言っても驚くべきことだ。これほど多作なバンドが、ただ消えてしまったのだ。実際には、彼らは断続的にツアーを行い、Instagramのアカウントを維持するなど、なんらかの発信はあった。しかし、それでもなお、どこか意図的に現実から切り離されていた。
 ザ・キュアーの「多くの現実」は、『Wish』から2008年までのリリースがどこか断片的で、かつての激しさを失っていたことが私に少なからぬ不安を与えていた。彼らのデビュー・アルバム『Three Imaginary Boys』(1979)における軽快で鋭いポップ・サウンドを思えば、その期間のキュアーが「憂鬱のゴスキング」としての最終的な戴冠へと向かっているようには思えなかったし、いまふたたび80年代半ばの明るく軽快なポップ路線へ転向するとも、あるいは、ゴシック・サイケデリアへと見事な弧を描きつつ大人びたサウンドにいくようにも思えなかった。

 そんな私がある寒い静かな夜、外の寒さをしのぐために立ち寄ったタワーレコードで偶然新作を見つけたときに覚えた不安をお察しいただきたい。白黒で不明瞭な、控えめで魅力的とは言い難いアートワークには、バンド名さえ自信なさげだ。それは喜びではなく、私に戸惑いを引き起こした。最初の30秒を聴いても歌がなく、1分経っても、2分経ってもヴォーカルが現れない。レトロでシンプルなシンセサウンドも最初は火花を散らすような魅力は感じられなかった。だが、不思議なことに私はそれを聴くのをやめられなかった。各楽器はじょじょに感情を重ねていき、やがて魔法のように濃厚なスープのようなサウンドが私を捕らえて離さなかった。そして3分20秒後、ロバート・スミスの変わらぬ声がフェイドインすると、1997年から2024年までの弧がおのずと架けられたのだった。

 『Songs of a Lost World』は、私が今年もっとも強く愛着を感じた、もっとも暗く、悲しく、それでいて抗えないほど聴きたくなるアルバムだ。そのリリースは一見すると目立たない一過性の出来事のように見えるが、不安定な世界、トランプ大統領の再登場、喜びとシリア解放への不安定な期待、さらには韓国の驚くべき混乱という状況下においては、なんともその存在感がしっくりくる。スミスは、このアルバムがそんな「タイムカプセル的瞬間」になるとは意図していなかったのだろうが、宇宙に間違いはない。いまこそ人びとはザ・キュアーを必要とし、その必要性は際立っている。スミス自身、シングルらしくないスローテンポの“Alone”が英国のラジオ局で頻繁に流れていることに驚いているではないか。

 エモが誕生する以前のエモ、固定観念の市場において多面的な存在感を放つザ・キュアーは、可愛らしく踊れるポップ・ソングを送り出したかと思えば暗く荒涼とした英国ゴシックへと逆戻りし、感情、愛の危うさ、そして究極的には死の未知なる本質について、荒々しく論じている。
 『Songs of a Lost World』、とくに“Alone”と“Warsong”を聴くと、サイケデリック期の“Burn”を思い出さずにいられない。苦痛に満ちた感情表現と音響的な魅力において、ザ・キュアーはその不在期間中、自らの最良の要素を見直し、それらを集約して最高のものを絞り出したのだ。
 それは単なる作曲だけでなく、バンドのソウルとエモーションに根ざしたものだった。各楽器は録音上でクリアに響き、バンド全体がまるでポップ・ジャズ・バンドのように一体化して機能している。コーラス部分もぎこちなくなく、むしろ強烈で、新規リスナーも古参ファンも歌いたくなるような誘引力がある。この新しいアルバムは彼らのディスコグラフィーに自然に溶け込みつつ、しかし過去の作品のいくつかを凌駕している。

 2020年代は、新しい形でのゴシックが再興した。だからこそ、ザ・キュアーの復活は奇妙にも筋が通っている。運命に間違いがないと信じるならなおさらだ。人びとはいまザ・キュアーを必要としている。『Songs of a Lost World』は、1992年以来初めてビルボード・チャートの数々で1位を獲得した。それは正気の沙汰ではないが、同時にザ・キュアーの音楽がいかに普遍的であるかを物語ってもいるのだ。


16 years reflects 16 lifetimes with at least 16 possible outcomes and ruminations and yet not a word from the Cure. For it to be literally 16 years since the last Cure release is jaw-dropping to say the least. For such a prolific band to just. . .disappear. In reality, they were touring on and off while maintaining an Instagram account among other transmissions. But still somewhat intentionally disconnected from our reality.

The many realities of the Cure has previously created a bit of anxiety for me as the later releases after “Wish” before 2008 were slightly fragmented without the previous coherence and intensity. Peering back at their very first album of flat, agile, angular pop “Three Imaginary Boys,” it would never seem to point toward their eventual crowning as goth kings of sadness and gloom. Nor their coin toss change to bright skippity pop in the mid 80’s. Then their amazing arc to goth psychedelia which would end up truly defining their most adult sound.

So you would have to forgive me my acute anxiety finding their record in tower records purely by accident one quiet cold night while I sought to keep warm from the outside. The unassuming unappealing artwork of unintelligible black and white with even their name somewhat obscured didn’t spark a jump for joy. I reluctantly listened to the 1st 30 seconds with no vocals and then 1 minute with no vocals and then 2 minutes with no vocals with very retro simple synth not creating a spark but i couldn’t stop listening as the band steadily layered more emotions through each instrument creating a thick

soup of magic which refused to let me go. After 3 minutes 20 seconds, Robert Smith’s vocals came fading in and his voice, unchanged, naturally bridged an arc between 1997 and 2024.

“Songs of a Lost World” Is the most bleak, sad but irresistibly listenable record I’ve ever felt so attached to this year. It’s release seems by untrained eyes a blip, an outlier in this incongruent year but feels just so right with a dark unbalanced world, the incoming Trump presidency, joy but uncertain apprehension towards the Syrian liberation, and the surprise instability for South Korea. Smith never meant for the record to be such a time capsule moment but the universe makes no mistakes. People need the Cure and they really need it now. Smith himself felt the surprise of “Alone,” an incredibly un”single”-like slow song being in high rotation on UK radio stations.

Emo before emo, versatile in a un-versatile market, the Cure is a multi-faced burst of energy that squeaks out cute danceable pop songs and then reverses backwards to dark, stark English goth, and stormy dissertations on pure emotion, fraught love, and ultimately the unknown nature of death.

Listening to “Songs of a Lost World” and especially “Alone” and “Warsong” reminded me immediately of “Burn” from their psychedelic period. Torturous and emotional lyrically and sonically, I feel that The Cure took a look during their absence, at their best attributes, collected

them and squeezed out the best. Not just with songwriting but primarily with feeling and with the soul of the band. Each instrument in the band on record is crystal clear with the band itself united like a motor. Almost like a pop jazz band. The choruses aren`t awkward but intense and inviting to sing for anyone new or old. The new album sits snuggly in their discography without sticking out and actually towers some of their other work. The 2020`s have seen a renewal of goth, in a new way of course. So it does strangely make sense that the Cure have returned, especially if we choose to believe that fate doesn`t make mistakes. The people need The Cure and it shows. “Songs of a Lost World” has gained the number 1 spot on numerous Billboard charts, their 1st in 1992. That is quite insane but also speaks to the universality of The Cure sound.

P-VINE - ele-king

 レコードにまつわるさまざまな取り組みを実現する「VINYL GOES AROUND」の発足、プレス工場「VINYL GOES AROUND PRESSING」の設立など、近年さまざまな挑戦をつづけてきたPヴァイン。ここへ来てまた新たなプロジェクトがアナウンスされている。
 ひとつは、スマートフォン向けアプリ「VINYLVERSE(ヴァイナルヴァース)」のローンチだ。あなたが持っている実物のレコード・コレクションをデジタルで管理できるのみならず、共有や売買まで可能な新しいサーヴィスとのこと。
 そしてもうひとつ、NFCチップが搭載された次世代レコードの開発だ。「PHYGITAL VINYL(フィジタル・ヴァイナル)」と名づけられたそれは、ブロックチェーン技術を活用し、これまでとは異なるレコード体験をもたらすものになっている模様。その第1弾として、人気の高いザ・ウドゥン・グラス・フィーチャリング・ビリー・ウッテンの『Live』が限定リリース、豪華特典も予定されている。
 Pヴァインが踏み出す新たな一歩に注目したい。

“Always with Your VINYL.” スマートフォンアプリ「VINYLVERSE」と次世代レコード「PHYGITAL VINYL」をリリース

インディーズ音楽シーンの草分け的存在である株式会社Pヴァインは、スマートフォン向けアプリ「VINYLVERSE(ヴァイナルヴァース)」と、ブロックチェーン技術を活用した次世代のレコード「PHYGITAL VINYL(フィジタル・ヴァイナル)」を開発しました。2024年12月25日よりベータ版からサービスの提供を開始いたします。

<レコードの新時代へ>
音楽を楽しむ環境が多様化する中で、一度は注目を失ったレコードが近年再び脚光を浴びています。私たちはレコード市場を活性化させる目的でVINYL GOES AROUNDを2021年に始動し、そのプロジェクトの一環として2024年にレコードプレス工場を立ち上げました。それに続いて、私たちはレコードに秘められた特別な魅力を活かしつつ、現代のテクノロジーと融合させ、新しい価値を創出することに挑戦しました。今回リリースする2つのプロダクトをご紹介いたします。

<VINYLVERSE(ヴァイナルヴァース)でできること>
「レコードの世界」を意味するこのアプリは、あなたの実物のレコードコレクションをデジタルで管理・共有、売買できる新しいサービスです。

コレクションの管理・共有とソーシャル機能
アカウント登録をすると各ユーザーのギャラリーが開設されます。実際のレコードのジャケットをアプリで撮影するだけで、簡単にデータベースから情報を検索してギャラリーに自分のコレクションを追加して披露することが可能です。ギャラリーを通して、他のコレクターをフォローしたり、気に入ったレコードに「いいね!」したりと、音楽を通じたつながりを楽しめます。

マーケットプレイス(2025年開始予定)
ギャラリーに追加したレコードをユーザー同士で売買できるマーケット機能も導入予定。実際のレコードショップがオンラインストアを簡単に開設することも可能です。

PHYGITAL VINYLという新しいレコードの認証機能と新しい音楽体験の付与
アプリによってPHYGITAL VINYLがブロックチェーンと接続し様々な機能をお楽しみいただけます。

<PHYGITAL VINYL(フィジタル・ヴァイナル)とは?>
フィジカルとデジタルを融合した次世代のレコードです。

所有の証明
レコードのレーベル面に貼付されているQRコードが印刷されたNFCチップを、アプリのカメラでスキャンすることで、ユーザーによる所有をNFTで証明できます。

新しいファン体験
所有者限定のギフトやイベント参加権などを後から受け取れたりするなど、アーティストとファンのコミュニティ形成に役立つ、新しい形の継続的なつながりを提供します。

未来への展望
将来的にはメタバースなどの仮想現実との連携を視野に入れ、オンラインでもオフラインでも楽しめる音楽体験を拡張します。

<PHYGITAL VINYL第一弾リリースのご案内>
世界的なヴィンテージ・レコード市場で高い価値を持つ、THE WOODEN GLASS featuring BILLY WOOTENによる『Live』を、PHYGITAL VINYLの第一弾リリースとしてこのたび限定リリースいたします。購入してアプリでスキャンを行った所有者には豪華な追加特典のご提供を予定しております。

<アプリをダウンロードして、新しい音楽の世界へ!>
VINYLVERSEをダウンロードして会員登録するだけで、あなたのレコードコレクションを美しく管理し、音楽ファン同士のつながりを広げることができます。さらに、PHYGITAL VINYLでアーティストとの特別な体験も手に入れられるのです。私たちと一緒に「音楽の未来」を体感してください!

3年前にたくさんのレコードが世界中の皆様に届くようにという願いを込めてVINYL GOES AROUNDチームが発足しました。
この間、細々とではありますが熱狂的なヴァイナル支持者の期待に応えるべく、レコードのみならず、Tシャツやシルクスクリーン仕様のハンドメイドのエクスクルーシヴ商品そしてele-kingを通しての書籍やウェブでのコラムなど、ヴァイナルにかかわる様々な企画をしてまいりました。
今春にはVINYL GOES AROUND PRESSINGというレコード・プレス工場を設立しました。少しずつレコードと音楽とカルチャーが大好きな皆様に我々のヴァイナルに対する想いが届いていればと思っております。

VINYL GOES AROUND発足当初より、我々はヴァイナルが好きな人たちが集うコミュニティーの形成を目指しておりましたが、この度、VINYL GOES AROUNDによる新たなプロジェクト「VINYLVERSE」を開始することになりました。
ヴァイナル好きが自身のコレクションをデジタルの棚(「デジ棚」と呼んでください)にアーカイヴしキュレートすることで、世界中の人々やレコード店とつながりを持つことができ、そして、そこに集まった様々なレコードを手にできるマーケットプレイスへと発展していくことを目指すサービスです。

併せて、少しだけレコードの未来に向けた試みにもトライしております。

まずは、自分のレコードをVINYLVERSEのデジ棚にアーカイヴしてみることから始めてみませんか?
まもなくPヴァインは50周年を迎えようとしております。
我々が掲げてきた「THE CHANGING SAME ~変わりゆく、変わらないもの~」というバリューの元、これからも音楽文化の伝統を大切にしながら、テクノロジーと融合した新しい価値をお届けします。

たくさんのレコードが世界中の皆様に届くように ~Vinyl Goes Around~

株式会社Pヴァイン
代表取締役社長 水谷聡男

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VINYLVERSE Webサイト
THE WOODEN GLASS featuring BILLY WOOTEN『Live』販売ページ

12月のジャズ - ele-king

 先月はムラトゥ・アスタトゥケとフードナ・オーケストラとの共演作を紹介したが、今月もそうしたレジェンド級アーティストの新作が登場した。正確に言えば未発表レコーディングなのだが、ラップの元祖とも言えるポエトリー・リーディング集団のラスト・ポエッツと、アフロビートのオリジネーターである故トニー・アレンとの共演作である。録音は2018年で、『Understand What Black Is』を遺作としてラスト・ポエッツのジャラール・マンスール・ナリディンが死去した後に、残されたメンバーであるアビオダン・オイェウォレとウマー・ビン・ハッサンがブライトンにあるプリンス・ファッティのスタジオに赴き、そのときレコーディングをしていたトニー・アレンとセッションをおこなったというものである。当時のトニーのバンドであるエジプト80にはコートニー・パイン、カイディ・テイサン、ジョー・アーモン・ジョーンズらが参加し、ロンドンのアフロ・レゲエ・バンドであるスーズセイヤーズがホーン・セクションを固めていた。


E王

The Last Poets feat. Tony Allen & Egypt 80
Africanism

Africa Seven

 2018年と言えばサウス・ロンドンのジャズ・シーンが注目を集めはじめた時期で、そうした中にいたジョー・アーモン・ジョーンズがトゥモローズ・ウォリアーズ(ジャズ・ウォリアーズ)の先輩格にあたるコートニー・パインや、ウェスト・ロンドンのブロークンビーツ・シーンでも活躍してきたカイディ・テイサン、そしてモーゼス・ボイドエズラ・コレクティヴなどに多大な影響を与えたトニー・アレンと会したという非常に興味深いセッションである。ジョー・アーモン・ジョーンズやエズラ・コレクティヴはヒップホップやグライムの要素を持つ作品もやっているが、そうした点ではラップの元祖であるラスト・ポエッツとの共演も彼にとって大きなものだったろう。レゲエやダブのエンジニアとして名高いプリンス・ファッティのスタジオというのも面白く、『Understand What Black Is』はかなりレゲエに傾倒した部分もあったが、コートニー・パインにしろ、ジョー・アーモン・ジョーンズにしろ、レゲエやダブの影響も大きなアーティストであり、UKのジャズ、レゲエ、ヒップホップが集積したようなセッションだったと思われる。

 基本的に新曲をやるのではなく、“This Is Madness”、“When The Revolution”、“Gash Man”、“Niggers Are Scared Of Revolution” など、ラスト・ポエッツの過去の代表曲を再演するものとなっている。かつて公民権運動ともリンクしていたラスト・ポエッツの作品には人種差別などを痛烈に批判したメッセージが込められていて、近年のブラック・ライヴズ・マター運動とも重なり、改めて彼らのやってきたことは再評価されるべきと思うのだが、この『Africanism』のリリースにはそうした意義もある。そして、“This Is Madness” に顕著なように、トニー・アレンの叩き出す強烈なアフロビートとラスト・ポエッツのメッセージはとても相性がよい。そもそもトニー・アレンもフェラ・クティと共にナイジェリアの軍事警察に対抗するべく音楽活動をおこなっていたわけで、そうしたレベル・ミュージックとしての同志が共演したセッションだったと言える。


E王

Sun Ra Arkestra
Lights On A Satellite

In+Out

 サン・ラー・アーケストラの草創期からのメンバーで、サン・ラー亡き後のおよそ30年に渡ってバンド・リーダーを務めるマルチ・リード奏者のマーシャル・アレンが、今年5月に100歳を迎えた。100歳という高齢ながら現役で演奏活動をおこなうことが信じられないことなのだが、その誕生日からおよそ半年後、個人名で初のソロ・アルバムとなる『New Dawn』をリリースする(予定では来年2月頃)ということだから全くもって驚かされる。そんなマーシャル・アレンの生誕100年を祝ったトリビュート的なアルバムが『Lights On A Satellite』である。サン・ラー・アーケストラとしても今年6月にニューヨークで録音された新作アルバムであり、マーシャル・アレン以下、アルト・サックス奏者でアレンと共にバンドのアレンジャーを務めるノエル・スコット、テナー・サックスのジェイムズ・スチュワート、フレンチ・ホルンのヴィンセント・チャンセイ、トランペットのマイケル・レイ、セシル・ブルックス、ベースのタイラー・ミッチェル、トロンボーンのデイヴ・デイヴィス、ロバート・ストリンガー、パーカッションのエルソン・ナシメント、ギターのデイヴ・ホテップ、ヴァイオリンとヴォーカルのタラ・ミドルトンなど、前作『Living Sky』(2022年)や前々作『Swirling』(2020年)と同じようなラインナップとなっている。

 表題曲は1960年代からの楽団のレパートリーで、『Fate In A Pleasant Mood』(1965年)、『Art Forms Of Dimension Tomorrow』(1965年)、『Live In Paris At The Gibus』(1973年)、『Live At Montreaux 1976』(1976年)などで度々録音されてきたサン・ラー代表曲のひとつ。『Swirling』でも演奏していたほか、クラブ・ジャズ世代にはトゥー・バンクス・オブ・フォーがカヴァーしたことでも知られる曲だ。美しいバラード・タイプの曲で、ほとんどワン・フレーズのメロディをアーケストラが重層的に重ね合わせていく。シンプルに統一された楽曲構成であるが、その循環されるフレーズの中で奏者たちの即興性やアイデアが積み重なり、壮大なドラマが展開される。“Friendly Galaxy” も1960年代からの代表曲で、『Secret Of The Sun』(1965年)や『Disco 3000』(1978年)などに収録された。スペイシーなSEを交え、サン・ラー・アーケストラらしい宇宙旅行へ誘うような楽曲となっている。マーシャル・アレンの100歳を祝うにふさわしいラインナップと言えよう。


Richard Spaven
Sole Subject

Fine Line

 リチャード・スペイヴンにとって『Sole Project』は、2020年にリリースしたサンデューンズとの『Spaven x Sandunes』以来、久々のアルバムである。この間は、アルファ・ミストの『Bring Back』(2021年)、クラークの『SUS Dog』(2023年)、ロイル・カーナーの『Higo』(2024年)などのレコーディングに参加するなど、ジャズに限らず幅広く活動していた。また、盟友のギタリストであるスチュワート・マッカラムやジョーダン・ラケイなどが参加したEPの「Spirit Beats」(2022年)をリリースしているが、これなどはドラマーというより人力ビートメイカー的な視点に立ったものである。このEPにはラッパーのバーニー・アーティストとコラボした曲もあり、よりクラブ・サウンドを意識した内容となっていたのだが、『Sole Project』もそうした延長線上にあるビート・クリエイター的なアルバムと言えよう。

 参加メンバーはスチュワート・マッカラムのほか、ネイティヴ・ダンサーなどで活動してきたキーボード奏者のサム・クロウ、ブラジル系のパーカッション奏者でダ・ラータなどで長年活動してきたオリ・サヴィル、アルファ・ミスト、ロイル・カーナー、ジョーダン・ラケイらの作品に参加するトランペット奏者のジョニー・ウッドハムといった面々で、シンガーのナタリー・ダンカンやネイティヴ・ダンサーのヴォーカリストだったフリーダ・ツアーレイ、DJのワイルドチャイルドなどもフィーチャーされる。スチュワート・マッカラムのメロウなギターや哀愁に満ちたワードレス・ヴォイスが空間を埋める “Spirit Quintet” は、かつてのシネマティック・オーケストラジャザノヴァあたりに代表されるクラブ・ジャズのエッセンスを感じさせる楽曲。実際にリチャード・スペイヴンやスチュワート・マッカラムはシネマティック・オーケストラに在籍していたこともあるので、そうした要素は自然と表れるのだろう。

 “Stellar” では人力ブロークンビーツ的なドラミングを披露し、ナタリー・ダンカンのディープな歌声をフィーチャーした表題曲ではダブステップ的なドラムにより、サブモーション・オーケストラのような世界を導き出す。“Find Peace Within” はブロークンビーツ調のドラムスと、アフロ・ラテン的なパーカッションが絡み合ったグルーヴィーなリズムが特徴だが、これもプログラミングではなく全て生演奏によるもの。“Faders” のドラムンベースでもブロークンビーツでもテクノでもない有機的なビートは、マシンでは出すことのできないスペイヴンのドラムスの真骨頂と言える。プログラミングと生演奏の境界線が曖昧になるアルバムだ。


Tomin
A Willed and Conscious Balance
International Anthem Recording Company / rings

 トミンはフルネームをトミン・ペレア・チャンブリーといい、ニューヨークのブルックリンを拠点に活動するマルチ・プレイヤーである。主に演奏するのはフルート、トランペット、アルト・クラリネットなどで、即興演奏家であり作曲家であると共に、詩人としても活動する。ジャズ・アット・リンカーン・センター・ユース・オーケストラのトロンボーン奏者として出発し、ジャズ、ヒップホップ、パンクなどをミックスしたアーティスト集団のスタンディング・オン・ザ・コーナーの出身者でもある。以前は個人で作品発表をおこなってきたが、今年に入ってからシカゴの〈インターナショナル・アンセム〉と契約を結び、『Flores Para Verene / Cantos Para Caramina』と『A Willed and Conscious Balance』の2枚のアルバムをリリースした。『Flores Para Verene / Cantos Para Caramina』はこれまでの自作曲をまとめたコンピで、全くのひとりで作った作品集となる。エリック・ドルフィー、アルバート・アイラー、チャールズ・ミンガス、マル・ウォルドロン、デューク・エリントン、ローランド・カーク、カル・マッセイなど、彼が影響を受けたジャズ・ミュージシャンたちに捧げた楽曲が収められていた。一方、『A Willed and Conscious Balance』はセプテット編成のグループによる録音で、〈インターナショナル・アンセム〉における正式なデビュー・アルバムという位置づけである。

 バンド・メンバーはニューヨークのミュージシャンとシカゴのミュージシャンが混在し、なかでもベーシストのルーク・スチュワートとドラマーのチェザー・ホームズはイレヴァーシブル・エンタングルメンツのメンバーで、チェリストのレスター・セント・ルイスは故ジェイミー・ブランチのバンド・メンバーとして活動してきた。トミンはジェイミー・ブランチが存命中の2021年にシカゴを訪れ、ジェイミーやエンジェル・バット・ダーウィッドらと共演をするが、そのときにルーク・スチュワート、チェザー・ホームズ、レスター・セント・ルイスやキーボード奏者のティアナ・デイヴィスらと会し、このグループの結成へと繋がった。アルバム収録曲はブッカー・リトル作曲の “Man of Words” とカラパルーシャことモーリス・マッキンタイア作曲の “Humility in the Light of the Creator” を除いて全てトミンのオリジナル曲。“Movement” は軽やかなリズムに乗せてトミンのフルートが優しく奏でられる牧歌性に富む作品。スピリチュアル・ジャズとして語られるフルート奏者のロイド・マクニールの作品を彷彿とさせる楽曲だ。“Life” も疾走感のあるリズムを持ち、エレピの力強い演奏やチェロのスリリングな音色も光る。ストリングスが印象的な点では、ジャズ・ヴァイオリン奏者のマイケル・ホワイトを思い起こさせるところもある。“Humility in the Light of the Creator” はモーリス・マッキンタイアがシカゴのAACM在籍中に発表したデビュー・アルバムのタイトル曲で、シカゴのフリー・ジャズ・シーンに対するトミンなりの敬意の表われとも言える。“Man of Words” の原曲はほぼブッカー・リトルによるトランペットの独奏だが、ここではトミンなりのアンビエントな解釈で再現している。

Wendy Eisenberg - ele-king

 ニック・ドレイクの曲に “River Man” がある。アコースティック・ギターの弾き語りに近い曲だが、何気ない5拍子のリズムと不協和音がジャズを感じさせるという、シンプルだが単純な曲ではない。西東京の自分が住んでいるエリアには、多摩川までに仙川と野川という小さな川がある。自転車を降りて、川沿いを歩いているときに“River Man” を思い出してしまうのは、自分も黄昏れている人間だからなのだろうか。はあ……出るのはため息ばかりだが、音楽のことを考えよう。
 そう、ジャズとフォークだ。年明けにはティモシー・シャラメ主演のボブ・ディランの若き日々を描いた映画が上映されることなので、現代のニューヨークから熱狂的なジャズを我がものとし、雑食性とフリー・インプロヴィゼーションに興じる若き前衛による、冬の空気のように澄み切ったアルバムを紹介したい。
 ウェンディ・アイゼンバーグはギターの名手で、「音楽シーンにおいて、私は女性として扱われ、私の性別は神話化されている。『あなたは女性ギタリスト』だとか、『かわいいから雇っただけ』といった感じで、それに対抗するために私がとった方法は、その楽器をとんでもなく上手に演奏することだった」——とアイゼンバーグは『Tone Glow』のインタヴューで語っている。が、しかしながらこの人物は、自分の技術をひけらかすことよりも音楽のなかの自由を拡張し、思索することに長けている。たとえばアイゼンバーグは、セシル・テイラーあるいはモートン・フェルドマンの領域、レインコーツにロバート・ワイアットあるいはジョアンナ・ニューサム、ときにはジョアン・ジルベルトやエグベルト・ジスモンチへと、そしてデレク・ベイリーとデイヴィッド・シルヴィアンの回路を自由に行き来し、ジョン・ゾーンのレーベルからも作品を出している。ジャズを流暢に演奏しながら、アイゼンバーグにはソングライターとしての側面があって、だからヴォーカリストでもある。詩を書き、歌を歌う。メアリー・ハルヴォーソンとの大きな違いはそこで、ジャズでSSWといえばジョニ・ミッチェルの名前も出てくるだろうが、この人はもっとオルタナティヴに尖っていて、ずいぶんな読書家でもあるアイゼンバーグは音楽を感覚的なものであると同時に思考の契機としても捉えている。

 音楽は言葉では語れないというミュージシャンに限って言葉で語れるような紋切り型の音楽をやっていることが多い。そもそもそ言葉で語れない音楽を聴きたいから我々はこうして音の海を探索している。そして、紋切り型の音楽に限って音楽を視覚化する(MVを作ったりする)傾向にあるわけだが、この世界には、視覚化しようがない音楽もある。2024年、アイゼンバーグは2枚のアルバムを出している。1枚は『Viewfinder』で、これは彼女のレーシック手術を契機として生まれたソロ作品、もう1枚はサックス奏者のキャロライン・デイヴィスとのコラボレーション作品、まずは前者からいこう。
 『Viewfinder』、カメラで撮影のさいに視覚的に確認するため目で覗く部分のことで、比喩的に言えば「ものごとの視点を決めるもの」、すなわち「世界の見方」のようなことになるのだろうか。作中でもっとも人気のある曲は冒頭の“Lasik”で、これは視力を矯正して見えるようになったはずが治癒にはなっていないという暗喩的な歌詞が歌われている。「自分が愛することもできない物語に向けて/視線を定めているわけにはいかない/さてと、次なるポップショーを観るため/お気に入りのアーティストのチケットを取ろう」。こうしたウィットが、トロンボーンとベース、ピアノの神妙な絡み合いに溶け込んでいる。
 アルバムには、“Two Times Water”のような華麗な室内ジャズがあるいっぽうで、“HM”や“Afterimage”では透き通った空間におけるポスト・パンク的な遊び心があり、作者が言うようにレインコーツの『オディシェイプ』と共鳴しているように思える。これらは個人的にとくに没入できる曲でもあるのだけれど、作中、もっともポスト・パンク的なささくれだった感覚が聴けるのは表題曲の“Viewfinder”だ。スティル・ハウス・プランツとも充分に通じ合う、2024年の喜ばしきオルタナティヴ・ロック・ソングである。
 「ファシズムに対するもっとも真の反抗は複雑なものを作ること」だとアイゼンバーグは信じている。実際我々の感情は複雑で、紋切り型のラヴソングですべてが解決できるほど人生は簡単ではない(少なくともぼくの場合は)。いろんな感情を込めて孤独な魂を歌う深夜のジャズ・ソング“In the Pines”でアルバムは締めくくられるわけだが、アイゼンバーグの世界をもっと楽しみたい人にとっては、今年は嬉しいことにキャロライン・デイヴィスとの『Accept When』もある。複雑なリズムの曲のなかにもギターとサックスの美しいメロディが交錯し、いくつもの素晴らしい瞬間が待っているこのアルバムには独特の温かみがあって、とくにアイゼンバーグのヴォーカルが聴ける冒頭の“Attention”は2024年のベスト・ソングのひとつ。川沿いを歩くには寒い季節だが、最近の乾燥した空気はこの音楽とうまく調和している。ぜひ聴いて欲しい。

Shinichiro Watanabe - ele-king

 来年公開が予定されている渡辺信一郎監督の最新作『LAZARUS ラザロ』。そのオープニング・テーマ曲とエンディング・テーマ曲が発表されている。前者は、今年ひさしぶりのアルバムを発表したカマシ・ワシントンによる “Vortex”。そして後者はなんと、まさかのザ・ブー・ラドリーズの “Lazarus”。90年代、〈クリエイション〉に所属していたブー・ラドリーズはポップなシューゲイズ・バンドとして知られているが、同曲は彼らの比較的初期の人気曲。おそらくそのタイトルから採用されたのだろう。
 なお、あわせて『LAZARUS ラザロ』の最新ヴィジュアルも公開されている。いったいどんなアニメに仕上がっているのか……妄想を膨らませておきましょう。

Acidclank - ele-king

 トラックメイカーにしてシンガーソングライター、そしてモジュラー・シンセの使い手でもあるYota Mori。そのソロ・プロジェクト、Acidclankがニュー・アルバム『In Dissolve』をリリースする。発売は2月5日で、ガムランを用いた曲からジャングル、ドリーム・ポップ、ダブステップまでとりいれた独自のポップ世界が構築されている模様。3月7日にはリリース・パーティ《acidplex (dissolution)》の開催も決定しているので、あわせてチェックしておこう。

Yota Moriによるソロプロジェクト Acidclank、ニューアルバム「In Dissolve」2025年2月5日リリース決定!

Yota Moriによるソロプロジェクト Acidclank が、2025年2月5日(水)ニューアルバム『In Dissolve』をリリースすることを発表。
前半では、ガムランやシンセのミニマルフレーズが織りなす反復とメロディアスな音像が、リスナーを深い瞑想状態へと導く。後半に進むにつれて、ドラムンベース、ドリームポップなど多彩なアプローチを通じて、さらなる精神の深淵へと誘う楽曲展開が待ち受けています。民族音楽、サイケデリックトランス、ミニマルテクノ、エレクトロ、ドリームポップまで、幅広いジャンルの要素を取り入れた本作は、Acidclankの音楽的挑戦を結晶化した実験的な作品。アルバムアートワークもYota Mori自身が手掛け、音楽と視覚が一体となった世界観を構築している。
本作のリリースに伴い、2025年3月7日(金)に渋谷CIRCUS TOKYOにてリリースパーティー『acidplex (dissolution)』の開催も決定。

[リリース情報]

Acidclank 『In Dissolve』
2025.02.05 [CD] / 03.05 [VINYL]
PCD-25459 / PLP-7534
定価:¥2,750(税抜¥2,500) / ¥4,400(税抜¥4,091)
Label:P-VINE

*Pre-order now
CD: https://anywherestore.p-vine.jp/products/pcd-25459
LP: https://anywherestore.p-vine.jp/products/plp-7534

Pre-teaser
https://youtu.be/PaV8ER8exew
https://youtube.com/shorts/4nv79AabfEg

Tracklist:
1. Enigma
2. Hide Your Navel
3. Hallucination
4. Radiance
5. Mantra
6. Remember Me
7. Out Of View
8.Grounding

[イベント情報]
Acidclank 「In Dissolve」Release Party
『acidplex (dissolution)』
日時:2025年3月7日(金)
OPEN / START:18:00 / 18:30
会場:東京・渋谷 CIRCUS TOKYO (https://circus-tokyo.jp/)

[PROFILE]
トラックメイカー/シンガーソングライターであるYota Moriによるソロプロジェクト。 シューゲイザー/クラウトロック/サイケデリック/アシッドハウス/マッドチェスター/ドリームポップにインスパイアされたサウンドで、その活動形態やジャンルを流動的に変化させる。 2021年、2022年には国内最大級のフェス「FUJI ROCK FESTIVAL」にバンドセットとして出演。 2022年のRED MARQUEEステージでのパフォーマンスでは、日本人離れした音楽性・高い演奏力で大きな話題を呼んだ。 2023年からは活動拠点を大阪から東京に移し、サポートメンバーに元NUMBER GIRLの中尾憲太郎氏がベースとして参加するなど、各著名アーティスト達から支持されつつ精力的にライブ活動・リリースを行っている。 また、モジュラーシンセサイザー奏者としての一面も持ち、2023年には国内最大のモジュラーシンセ見本市であるTFoMにソロセットで出演するなど、クラブ、バンドのシーンに関わらず多岐にわたる活動を行う。

Acidclank:
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Dennis Bovell - ele-king

 UKレゲエにおけるイノヴェイター、デニス・ボーヴェル。ジャマイカと同じく、旧イギリス植民地、西インド諸島の西の端にある珊瑚礁の島、バルバトスにて1953年に生まれ、1965年に家族の移住とともに12歳のときに彼はサウス・ロンドンの地に降り立った。いわゆる非ジャマイカのカリブ系の「ウィンドラッシュ世代」であり、デニスが音楽を手がけた、UKブラックの若者とサウンドシステム・カルチャーを描いた映画『バビロン』の主人公たちとほぼ同じか、もしくは少しだけ上の世代と言えるだろう。1971年にバンド、マトゥンビを結成し、来英するジャマイカン・アーティストやディージェイのバックを務めつつ、自らの楽曲も発表、UKレゲエの礎を作っていくことになるのだが、もうひとつ彼の重要な活動の場としてサウンドシステムの運営があった。今回、本稿のテーマとなる、〈Warp〉傘下の〈Diciples〉からリリースされる、彼の1976年から1980年の作品をまとめた『Sufferer Sounds』は、彼が運営していたJah Sufferer Soundsystemからとられている(「Sufferer」とは植民地・人種主義の文字通り「受難者」として、ジャマイカのゲットーの人びとが自らを呼ぶ言い方だ)。
 彼は1970年代初頭よりJah Suffererを運営しつつ、マトゥンビとは別にさまざまな音源制作も手がけていく。まずは自身が活動するサウンドシステムの “スペシャル” の需要がありつつ、彼の場合、1970年代の後半に関わったマテリアルの数々を考えると、それだけに留まらない猛烈な創作意欲が垣間見られる。その原動力のひとつに、「UKのレゲエ」を地元UKのシーンに認めさせるというものがあったようだ。当時のUKのサウンドシステムで重宝されていたのは「本場」ジャマイカのレゲエであって、彼らが欲しがっていたのはジャマイカの名プロデューサーたちがUKに持ち込むダブプレート(未発表、もしくは特別な別ミックスのテスト・プレス盤、ないしはそのマスター・テープ)だった。こうした状況のなかで、彼はさまざまなサウンドを試し、ダブ・ミックスの技を、そしてさまざまな音楽に対するアイディアを磨き、当時シーンに自分たちの力量を認めさせていった。そのなかのひとつにラヴァーズ・ロック・レゲエ=ミリタントなレベル・ミュージックではなく、ラヴ・ソング中心のポップな流行歌としてのレゲエもあると言えるだろう。
 また彼の通り名とも言えるブラックベアード、4thストリート・オーケストラや『Sufferer Sounds』にも収録されているアフリカン・ストーンなど、匿名性の高い名義を使い、場合によってはあえて海外でプレスし逆輸入、ジャマイカ盤のようにいわゆるドーナッツ盤(センターホールがラージホールになっている)にするために、わざわざカッティング・マシンで穴まであけて、あたかもジャマイカのアーティスト、盤であるかのように偽装までしていた。また彼は基本的にはベーシストとして知られているが、じつはギター、ドラム、キーボードを操るマルチ・インストルメンタリストでもあって、レコーディング・エンジニアとして多重録音で楽曲を制作、さらにそれをダブ・ミックス、ときにはそうしてできた音源を、自身のシステムでその晩にプレイするためにダブプレートのカッティングすらした。おそらくセッション・ミュージシャン費を浮かせたい意図もあったとは思うが、演奏のニュアンスからアレンジからコントロールする狙いもあったのではないだろうか。
 本国ジャマイカのダブ音源は基本的に歌入りのオリジナル・ヴァージョンの、演奏家の意志がほぼ介在しないリミックス・ヴァージョンであったが、デニスの場合は、純然たるダブ・ヴァージョンのためのレコーディングもおこなっていた。アレンジからダブ・ミックスありきで作られることもあったのではないだろうか、そこからまさに特別な、キラーなダブが生まれたことは想像に容易い。ちなみに、こうした『Sufferer Sounds』で見られるデニスの仕事のなかから、ダブの手法が極まった作品として、1980年の2枚のダブ・アルバムをあげておこう。UKで初めてダブ・アルバムを流通させたウィンストン・エドワーズ(ジョー・ギブスのいとこ)のレーベルからリリースされた、オーソドックスなレゲエのリズムながら手数の多いダブ・エフェクトが楽しめる『Winston Edwards & Blackbeard At 10 Downing Street - Dub Conference』と、さまざまな音響的な仕掛けや演奏も含めて、単なるダブ・アルバムから一歩踏み込んでダブを表現として昇華させた『I Wah Dub』の2枚だ。
 ロイド・ブラッドリー『ベース・カルチャー』に掲載されているインタヴュー(「16 : 俺たちのルーツ」収録)によれば、デニスはある種のフォーマット化されたジャマイカのリズム(バニー・リーのフライング・シンバル~ロッカーズ・スタイル、スライ&ロビーによるステッパーなど)をはねのけるUK独自のリズムの創出を目指しもした。そのひとつが、その後、ラヴァーズ・ロック・レゲエの代名詞ともなるジャネット・ケイの “Silly Games” のリズム・デリヴァーだという。アスワドのアンガス・ゲイをドラマーとして起用し、ハイハットとスネアがエレガントに進む、デニス言うところの「スティックラー(こちょこちょくすぐる)・リズム」(上記インタヴューにて発言)は、たしかに大きくジャマイカのリズムを変えるまではいかなかったが、UK生まれの独特のレゲエのスタイルとしてのラヴァーズ・ロック・レゲエの最大のヒット曲となり、代表曲となった(『Sufferer Sounds』には、アンガスのジェントルなタッチのドラムも堪能できる未発表のダブ “Game Of Dubs” が収録されている)。

 1970年代のこうした彼のサウンドに対するトータル・プロデュースとアンダーグラウンド・サウンドシステム・シーンの実験は、演奏が人力である点を除けば、そのまま現在のダブステップ・アーティストがDAWでやっていることとあまり大差がないことがわかるだろう。『Sufferer Sounds』は、まさにこうした地下の先鋭的な音楽の実験のドキュメンタリーとなっている(デニス本人が語っているライナーノーツも必読だ)。1970年末になるとこうしたサウンドの実験とその手腕が、LKJとの共闘などUKレゲエ・シーンの重要作を経て、ジャンル外の人びとにも注目され、ザ・スリッツやザ・ポップ・グループ、さらには坂本龍一の作品などを手がけることになり、国際的な評価にもつながっていく。
 そういえば、デニス・ボーヴェルのコンピが〈Disciples〉からというのは以外な感覚もしたが、レゲエ史というよりも、ダブをひとつ、現在につづくエレクトロニック・ミュージックの手法とすれば、つまりUKのアンダーグラウンドに存在したある種のエレクトロニック・ミュージックの埋もれていた重要な実験であり、そう考えればこれまでのレーベルの方向性とも合致すると合点がいく。

和音を刻む手 - ele-king

坂本といえば、少年時代に出会ったドビュッシーとラヴェルを敬愛し続けた音楽家として知られており、坂本自身もこの2人の影響を折に触れて語ってきた。だが、 “Asience-fast-piano” は違う。この曲には、坂本がドビュッシーやラヴェルを通して習得し、彼独自の和声語法のひとつへと昇華した、くぐもったような和音の響きがほとんど感じられない。


Ryuichi Sakamoto
/04 /05

ワーナーミュージック・ジャパン

Amazon Tower HMV

 坂本龍一の2枚のセルフカヴァー・アルバム——2004年発売の『/04』と2005年発売の『/05』——が2枚組リマスター盤『/04 /05』として再発されることになった。2枚とも坂本のピアノ曲のベスト盤ともいえるのだが、全ての収録曲が坂本自身によって再構成されており、ほとんどの収録曲はオリジナルの楽曲とはすっかり別の新しい音楽に生まれ変わっている。ピアノを主柱としているものの、この2枚のアルバムは性格がやや異なる。
  『/04』は坂本によるピアノ独奏だけでなく、チェロの藤原真里(『Undercooled-acoustica』、 “Tamago 2004” )、同じくチェロのジャキス・モレレンバウム( “Bibo no Aozora” )、尺八の藤原道山( “Seven Samurai – ending theme” )らとのコラボレーションも交えた構成となっており、ピアノを中心としたアンサンブルや室内楽の可能性を感じさせる。
 多重録音を駆使して全演奏を坂本ひとりが担っている『/05』は、『/04』と比べると内向的な印象を与えるかもしれないが、この状況を究極の自己完結性とも言いかえることができるだろう。

【参考映像】『/04』2004年発売時のメイキング映像
ここで坂本は「こういう曲はピアノではできないと思っていたものも、あえて挑戦してとりあげているんですよね」と語っている。

 本稿では、楽曲の内容や作曲技法のみならず、演奏も含めた広い概念として坂本のピアノ曲を捉えたいので、 “ピアノ音楽” という言葉を使うことにした。
 坂本のピアノ音楽の特徴をじっくり考えてみようと、アルバム2枚をまずは1曲ずつ収録順に聴いてみた。決して大げさな表現ではなく、『/04』の1曲目“Asience-fast-piano”に筆者は強い衝撃を受けた。2003年にシャンプーのテレビCMのために書き下ろされたこの曲を覚えている人も多いだろう。当時、CMで流れていたのは、『/04』のボーナス・トラックとして収録された鮮やかなオーケストレーションを特徴とするオリジナル版だった。この曲のピアノ版では、輪郭のはっきりした下行形の跳躍モティーフで始まるメロディを右手が弾き、そこに左手が伴奏として和音を刻む。中間部では、新たなモティーフが高音域と低音域で呼び交わし合い、その後、東南アジアのどこかの地域(それは想像上の場所かもしれないが)の音階を思わせるパッセージで冒頭のメロディへと戻って曲が締めくくられる。シャンプーのCMということもあってなのか、清潔感さえ漂わせる、この簡潔で清々しい小曲に筆者は本当に驚愕してしまった。これはこんなにすごい曲だったのかと、ピアノ版で思い知らされたのだった。
 坂本といえば、少年時代に出会ったドビュッシーとラヴェルを敬愛し続けた音楽家として知られており、坂本自身もこの2人の影響を折に触れて語ってきた。だが、 “Asience-fast-piano” は違う。この曲には、坂本がドビュッシーやラヴェルを通して習得し、彼独自の和声語法のひとつへと昇華した、くぐもったような和音の響きがほとんど感じられない。フランス近現代音楽とは明らかに異なる、この曲の明瞭さはどこに由来するのだろうか。そこで筆者の頭に浮かんだのがモーツァルトだ。幼い頃からクラシック音楽の技法、理論、歴史を身につけてきた坂本にとってのモーツァルトの存在は、当然、通っておくべき教養であり、バッハやベートーヴェンと並んで、身近な作曲家だったはずだ。また、これは坂本に限らず、いわゆるクラシック音楽を体系的に学んだことのある人ならば、今も昔も誰もが通る道だろう。
 聴き手にまっすぐに飛び込んでくる晴朗な旋律は “Asience-fast-piano” の 「モーツァルト感」を特徴付ける要素だが、左手による和音の連打も看過できない。たとえば、モーツァルトの “ディヴェルティメント ニ長調 K136” (1772)は弦楽四重奏曲なのでピアノの音色ではないが、第1楽章の明るい旋律と小気味よく刻まれる和音は、 “Asience-fast-piano” の華やかさとどこかで繋がっているようにも思える。
 過去に、坂本はモーツァルトについて、 「かなり弾かされたし、聴いてもいるし、自分のなかにずいぶん入ってはいますけどね。でも扱いにくい人ですよね、モーツァルトは」(『コモンズ:スコラ 音楽の学校 第18巻 ピアノへの旅』アルテスパブリッシング、2021年、123頁。)と発言している。この発言の背景を詳述すると、音楽の訓練の痕跡が見つからないにもかかわらず、モーツァルトの音楽は全てが最初から完結していることと、彼のピアノ曲を完璧に弾くのは限りなく不可能なこと(同前、123-124頁)から、坂本はモーツァルトを 「扱いにくい人」と言ったのだった。この発言をふまえると、坂本のピアノ音楽を語る際にモーツァルトを持ち出すのは無謀にも思えるが、それでもやはり、彼のピアノ曲における和音の連打を聴くと、モーツァルトのいくつかの楽曲を連想せざるを得ない。
 映画『ラストエンペラー』の音楽として書かれた、『/04』5曲目の “Rain” も和音の連打が効果的に用いられている。皇帝溥儀の第二皇妃、文繡は決然とした口調で 「I want a divorce(私は離婚したいのです)」と溥儀に訴え(この時、溥儀は彼女にまともに取り合っていない様子だが)、召使いが差し出した傘を晴れやかな顔で断り、降りしきる雨の中、彼のもとを去って行く。 “Rain” はこの緊迫したシーンそのものだと言ってもよいくらい、ここで起きる出来事や人物の機微を見事に捉えている。劇中でのオリジナル版ではシンセサイザーの短い前奏の後に、高音域の弦楽が端正なメロディを奏で、低音域の弦楽が和音をすばやく刻む。この緊張感はもちろんピアノ版でも変わらない。粒の揃った硬質なタッチで連打される和音がただならぬ雰囲気を放ち、聴き手を音楽に引き込む。そして、ここでまたもモーツァルトが思い出される。 “ピアノ・ソナタ第8番 イ短調 K310” (1778)(『新モーツァルト全集』以降は第9番に変更された)の第1楽章は、モーツァルトのピアノ・ソナタには珍しい短調だ。第1楽章の冒頭、右手のメロディと左手の和音の激しい連打のぶつかり合いは “Rain” の緊張感に通じるものがある。このソナタに限らず、私たちはモーツァルトの短調の曲に特別な意味を持たせようとしてきた。古くは小林秀雄が 「モオツァルト」(1946)の中で、 “弦楽五重奏曲第4番 ト短調 K516” (1787)を 「モーツァルトのかなしさは疾走する」と評した。 “Rain” から感じるのは悲哀だけではなくて、新たな世界に対する期待や高揚感も含まれるが、いずれにせよ、短調の和音が決然と連打されることによる音楽的、心理的な効果ははかり知れない。

【参考映像】
本文中で言及したモーツァルトの3曲。 「和音の連打」やモーツァルトの「かなしさ」が何を指すのかを実際に聴いてみてほしい。

モーツァルト “ディヴェルティメント ニ長調 K136” 第1楽章

モーツァルト “ピアノ・ソナタ第8番 イ短調 K310” 第1楽章

モーツァルト “弦楽五重奏曲 第4番 ト短調 K516” 第1楽章

ピアノの弦の間にボルトやゴムなどを挟んで、ピアノの本来の音色を変化させるプリペアド・ピアノにも坂本は積極的だった。『/04』8曲目 “Riot in Lagos” でのプリペアド・ピアノは打楽器的な用法に徹している。一方、『/05』最後の “Rainforest” でのプリペアド・ピアノは、ピアノを楽器という枠組みから解放し、単なる物体と捉えて様々な音を出している。音を発する物体と、音そのものへの関心は2017年のアルバム『async』につながった。

 坂本とモーツァルトを並べてみたところ、実は和音の連打が坂本のピアノ音楽にとって重要な役割を持っているのではないか。そんな仮説さえ成立しそうだ。拍に合わせて和音を規則的に刻む方法はとてもシンプルだが、打鍵の強さやテンポ次第で音楽は様々な表情を見せるだけでなく、リズムを担う低音部や打楽器セクションの効果も期待できる。和音の連打はピアノ音楽の表現の幅を広げていると同時に、坂本のピアノ演奏のスタイルを特徴付けているようにも感じられる。先に紹介した2曲の他に、『/04』と『/05』のいくつかの楽曲においても、和音の連打が効果的に用いられている。
 『/04』4曲目 “Merry Christmas Mr. Lawrence” では、後半に差しかかると、1拍目にアクセントを付けた和音の連打が聴こえてくる。それまでのゆったりとした曲調が一転し、あのなじみ深いメロディがどこかへ向かっているような感覚を得る。多重録音のピアノにのせて坂本自らが歌う5曲目 “Perspective” の和音の連打は、内省的で落ち着いた雰囲気を揺さぶるような効果をもたらす。冒頭のメロディがとても有名な『/05』4曲目 “Energy Flow” では、古典舞曲のような中間部を経て、もとのメロディに戻った時に、高音域での和音の連打が出てくる。これら3曲の和音の連打にはモーツァルトの音楽に感じる悲哀はなく、曲全体の均質性に対する変化や刺激としての役割を持っている。
 『/05』3曲目 “Amore” のオリジナルは1989年のアルバム『Beauty』に収録されている。オリジナルではアート・リンゼイとユッスー・ンドゥールが参加して賑やかな音楽に仕上がっているが、ピアノ版では右手がメロディを弾き、左手が柔らかで控えめな打鍵で和音を鳴らしている。メロディもコード進行も同じはずなのに、2つのヴァージョンはまるで別の曲のように聴こえる。
 『/05』7曲目の “Happy End” は “Amore” 以上にオリジナルと乖離している。この曲は1981年にシングル “Front Line” のカップリングとして発表され、同年のYMOのアルバム『BGM』にも別のアレンジで収録されている。1981年のYMOのウィンター・ライブでもこの曲は演奏された。これら3つを聴き比べるだけでも十分に面白いのだが(この中では『BGM』ヴァージョンが最も抽象的だ)、『/05』では4台ピアノ版に再構成されている。整ったメロディ+規則正しく刻まれる和音+これらを支える低音の明瞭な構造は、バロック時代の古典組曲のひとつ、ガヴォット(2拍子系の中庸なテンポの舞曲)を想起させる。筆者はこのピアノ4台版を聴いて、この曲の全貌がようやくわかった。また、この曲は坂本の最後となった演奏を記録したコンサート映画『Opus』(2023)でも演奏されている。ここでの演奏では和音の連打は消え、ガヴォットから荘重な足取りのパヴァーヌ(2拍子系の厳かな舞曲)へと変貌を遂げている。
 『/05』6曲目 “The Last Emperor” と10曲目 “The Sheltering Sky” はどちらも映画のテーマ曲としてオーケストラ編成で書かれた。この2曲のピアノ版でも和音の連打が登場する。 “The Last Emperor” では、メイン・テーマが終わって中間部に移ると、和音は音域を低くしていき、最後にはトレモロをダイナミックに奏でる。 “The Sheltering Sky” はシンプルに右手の高音域でのメロディに左手が和音で伴奏をつけるシンプルな構成だが、 “The Last Emperor” と同じく、曲が進むにつれて左手の音域が低くなり、和音よりもさらに劇的な効果を生むトレモロを経て、静かに幕を閉じる。
 以上が『/04』と『/05』に聴くことのできる、坂本による和音の打鍵の数々だ。ここでは、あえて音の響きではなくて、音のアタックに着目して彼のピアノ音楽を紐解いてみた。もちろん、彼のピアノ曲と演奏には他の多種多様な要素が複雑に絡み合っている。たとえば、『/04』3曲目の “+33” にミニマル・ミュージックとのつながりを見出すこともできる。また、YMOをよく知っている人なら、この曲にYMOの映画『プロパガンダ』(1984)の最後を飾った “M16” を思い出して懐かしい気持ちになるかもしれない。『/05』5曲目の “Aqua” と9曲目 “Fountain” は水の音楽だ。水をテーマにした曲をいくつも遺したドビュッシーやラヴェルに限らず、水は古今東西の音楽家に大きなインスピレーションを与え続けており、坂本もその例外ではなかった。2009年のアルバム『out of noise』の中で、坂本がハンディ・レコーダーや水中マイクを使って採取した北極圏の様々な音を聴くことができる。
 ピアノの弦の間にボルトやゴムなどを挟んで、ピアノの本来の音色を変化させるプリペアド・ピアノにも坂本は積極的だった。『/04』8曲目 “Riot in Lagos” でのプリペアド・ピアノは打楽器的な用法に徹している。一方、『/05』最後の “Rainforest” でのプリペアド・ピアノは、ピアノを楽器という枠組みから解放し、単なる物体と捉えて様々な音を出している。音を発する物体と、音そのものへの関心は2017年のアルバム『async』につながった。

 『/04』と『/05』2枚組リマスター盤発売に合わせて、このアルバムのスコアブック(楽譜集)も発売される。作曲家と演奏家の分業化が進んだ現在、自作曲の演奏をこれほど多く残している音楽家は坂本の他になかなかいないのではないだろうか。自分の曲を弾くことについて、坂本は 「十年一日というか三十年一日のごとく同じように弾くのは嫌なので、なんとか違う新鮮な弾き方がないものかと、いつも頭の中で考えてはいるんですけれど、なかなかないんですね、これが」(『コモンズ:スコラ 音楽の学校 第18巻 ピアノへの旅』91頁。)と言っている。だが、この発言に続けて、10年くらいのスパンで弾き方、和音、テンポが変わっていることもあり、たまに伴奏の仕方を変えてみるとも述べている(同前、91頁)。自作曲を自分で書いた楽譜通りに演奏することにこだわり、自分の曲を完全に客観的に捉えてピアノを弾くフィリップ・グラスと違い、坂本にとってのピアノ演奏は、自分の創作の足跡を確認し、そこから新たな可能性を発見する大事な作業だったのかもしれない。

■坂本龍一『/04 /05』はワーナーミュージック・ジャパンから12月18日発売。また、大規模なインスタレーション展『坂本龍一 | 音を視る 時を聴く』(https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/RS/)は東京都現代美術館にて2024年12月21日から。



Ryuichi Sakamoto
/04 /05

ワーナーミュージック・ジャパン

Nujabes Metaphorical Ensemble & Mark Farina - ele-king

 ヌジャベスの音楽を未来につなぐプロジェクト、Nujabes Metaphorical Ensemble。ヌジャベスの作品を愛するミュージシャンやDJから成る彼らが出演するライヴが12月29日、恵比寿ガーデン・ホールにて開催される(https://flows-jp.com)。マーク・ファリナやパウダー、活動休止前の最後のライヴを披露するNABOWA、ペース・ロック、寺田創一らが集う同イヴェントの最終ランナップが公開されており、新たにnasthug、Kento Nagatsuka、DJ NORIの出演がアナウンスされている。
 さらに、会場では、ヌジャベスの楽曲のみで制作されたマーク・ファリナによるミックステープ『Tribe Sampler Mushroom Jazz』が先行販売される。チケットなどの詳細は下記より。

Nujabesの音楽を未来に繋ぐプロジェクトNujabes Metaphorical Ensemble、Mark FarinaやPowder、活動休止前のラストライヴとなるNABOWA、Pase Rock、Soichi Teradaに続く最終ラインナップが公開。

2023年に出演したBoiler Roomでのパフォーマンスが120万回以上再生され、一躍注目を集める存在となったnasthugが登場する。

そしてエクスペリメンタル・ソウルバンドWONKのボーカリスト Kento Nagatsukaが豊かな音楽性を背景にしたDJセットにて参加。

さらにキャリア40年を超える日本が誇る至宝DJ NORIの出演が決定した。

全9組による極上のラインナップ。
タイムテーブルはflowsのSNSから近日公開予定となっている。


ミックステープ「Tribe Sampler Mushroom Jazz」がリリース!

Nujabesの楽曲たちとMark FarinaによるMushroom Jazzがコラボレーション。
Hydeout ProductionsのサブレーベルTribeから
ミックステープ「Tribe Sampler Mushroom Jazz」がリリース。

ジャジーなヒップホップからダビーなダウンテンポトラックを中心にミックスされるMushroom Jazzは過去に幾つもの名作を残しており、Nujabesの作品のみで構成された今回の特別な音源はMark Farinaのセンスと手腕により美しい楽曲の新たな魅力を引き出している。
NujabesとMark Farina。時を経て邂逅した必然のコラボレーションとなっている。

flowsにてミックステープの先行発売をおこないます。
完全限定生産となっているので、会場で売り切れた場合、一般販売はございません。

TITLE : Tribe Sampler Mushroom Jazz
ARTIST : Mark Farina
LABEL : Tribe
PRICE : ¥2,500 (taxout)


OUTLINE

TITLE : flows
DATE : 2024.12.29 SUN, OPEN 14:00 CLOSE 21:00
VENUE : The Garden Hall(東京都目黒区三田1-13-2)
LINE UP : Nujabes Metaphorical Ensemble、Mark Farina、Powder、
NABOWA, Pase Rock、Soichi Terada、nasthug、Kento Nagatsuka、DJ NORI
ADV TICKET :
Category 1 : ¥6,800 -SOLD OUT-
Category 2 : ¥7,800
Category 3 : ¥8,800
U-23 : ¥5,000
※小学生以下の児童及び乳幼児は保護者1名につき1名まで入場無料です
※カテゴリー1から順に完売次第、次のカテゴリーに移行します
※規定枚数に達した場合には当日券の販売はございません
TICKET AVAILABLE AT : Zaiko(https://flows.zaiko.io/item/367270)

HP : https://flows-jp.com
Instagram : https://www.instagram.com/flows_jp
X : https://x.com/flows_jp

PAS TASTA - ele-king

 ……といったところで、終わりでいいんじゃないですか? とりあえず、ね。

 とラフに結ばれているPAS TASTAの前作『GOOD POP』のレヴューだが、とりあえずという形で置かれたそのバトンを今回受け取ったのは私。ついに六人がカムバック! さて、hirihiri、Kabanagu、phritz、quoree、ウ山あまね、yuigotという現行インターネット・ミュージックにおける精鋭が集ったこのグループの成り立ちについては松島広人氏による前作の評を読んでいただくとして。とりあえず終わりでいいんじゃないですか、とゆるいノリで終わったわりには、とんでもなく精巧に作られた夢の続き~最新作~について語っていくことにしましょう。

 まず、アルバム・タイトルがつくづくすばらしいと思った。『GRAND POP』。これはもう、恐ろしく素敵なタイトルだ。例えば『Pop2』や『brat』といったチャーリーXCXのタイトル芸はファッショナブルでインディペンデントっぽいセンスだけど、PAS TASTAはあえての優雅な方向にドーン、とね。そう、『GOOD POP』からの進化を感じさせようという意思が迫力に満ちている。しかし、そこで『GRAND POP』なんて普通思いつくだろうか? Chat GPTに訊いてみるといくつか提案してくれたけれど、実にセンスに欠けるものばかりだった。『NEXT POP』? ありきたりだね。『DEEP POP』? それはPAS TASTAの本質じゃない。『PURE POP』? ちょっと酔いすぎ。『PRISM POP』? 小さくまとまっちゃったな。『ETERNAL POP』? それはインターネットっぽくないかな。メンバーは前作以上にこの作品をウェルメイドなものにしていきたいと考えていたようで、大きさがあり上品さもある「GRAND POP」にした、と語っている(J-WAVE 『GRAND MAREQUEE』11/19放送回より)。サラッと言っていたが、重要な発言だ。インターネットのジャンク感を大切にしつつも、表面上はそれを削ぎ落とし、オーセンティックなJ-POPの王道感を看板に掲げるということか。まるで『POSITIVE』期のtufubeatsのような大文字の音楽をやろうとしている! と解釈したのだが、しかしあれから約10年が経ち、「ポップ」のありかたも激変してしまったわけで。一つに、もうみんながバラバラになっちゃった、というのがある。国内のアンダーグラウンド・シーンに10,000人いたミュージシャンがいまは100,000人いて、そのうちの1人が「私、ポップやります!」と言ったところで、どうしてもスベった感が出てしまう現在。今年いよいよ流行語にもノミネートしてしまったこの「界隈」というやつは、狭いうえに横のつながりも密なもので、まぁいろいろと面倒も多くて大きいことを言いづらい。という中で、誰もが納得する実力者が組むアベンジャーズ作戦というのはとても良い。「J-POPやります宣言」を、ジョークやアイロニーではなく、語義通り受け取ってもらえるリアリティがある。

 『GRAND POP』、見事なアルバムだから次々とすごいポイントが出てきます。もう一つは、「ポップ」に見合うだけのストーリーがあるということ。ここで言うストーリーとは、歌詞の物語性とかアルバムとしての起承転結とかそういったことを言っているわけではなく、もっと本質的な部分において、サウンドと情緒の連なりが作品の思想を深めていくような感覚──と言えばよいだろうか。この点において効果的なのは、やはり、ギター・ロックやシューゲイズの導入が必然性をもってなされているのが大きい。今年はTORIENA『圏外』やVitesse X『This Infinite』など、エレクトロニック・ミュージックにギターを導入することで作品の深度を深めていくようなアプローチが散見されたが、本作においてもロックの要素が重要な鍵を握っているように思う。そもそも、Patrick St. Michel氏が書いていた通り(※)ロックはJ-POPの基盤であるがゆえに本作では引用されてしかるべきなのだが、『GRAND POP』においてはなんだか全てがどこかで聴いたかのような既視感があり、それらがすべてPAS TASTAらしいテクスチャで鳴らされている(“亜東京” で顔を覗かせるRADWIMPSには仰天!)その点で、「90年代~00年代のJ-POPの記憶」を、オーセンティシティの装置として効果的に使った作品であるとも言える。今回のアー写なんか、2000年前後のナントカやナントカといったアーティストの写真にそっくりだ。『WHAT's IN?』や『CDでーた』で、たくさん見た! どこまで狙ってるのかはわからないけれど、すばらしいパロディ・センス。

 つまり、インターネット・ミュージックは、点としての固有の面白さがありつつもどこか散発的で断片的な印象にとどまりがちなものだが、そこを出自に持ちながらもPAS TASTAはストーリーを描くことができるからこそポップになり得ているということ。それは、六人の存在感のつなぎ目がどんどんなくなってきているというのも大きい。「ここの音はhirihiriさん!」「この癖はあまねさん!」という凸凹が随分とならされていて、PAS TASTAが制作スタジオとして使っているというDiscordの、あの現代の「シェルター」の中のくつろいだ空気が、ボカロとエレクトロとヒップホップとハイパーポップとハードコアとガラージを糊代なしでシームレスにつなぐ。フォルムが綺麗なのだ。そうそう、シームレスといえばひとつ不思議なことがあって、本作は「車」をテーマにしているようだけど、どうもタイヤの接地面がなくふわふわと宙に浮いているような感じがする。車というとすぐに¥ellow Bucksのようなふくよかなベース音をどっぷり排出するサウンドを連想してしまうのは私の悪い癖だが、それと比べると、『GRAND POP』はまるで空飛ぶ車だ。ようこそ未来。六人のアイデアがどんどん浮かんできて、それを継ぎ接ぎしつつもこねてこねて洗練させていった音。「もしも、ぜーんぶ追い越して/懐かしくなっても/はやさの中にしか/おれはいないのだろうな」と見事な歌詞が歌われる “THE CAR” は、妙に懐かしいギターに包まれながら──なんといまどき呑気にフェードアウトしながら終わるという、これもまた「あの頃のJ-POP」をやっている。

 中でも、全体通してヴォーカル表現がとても空中浮遊的だ。「シュッシュ/シンフォニー/ヒュッヒュッヒュッ/ピット/ピピピ」と歌う柴田聡子は過去一番の軽やかさだし、ボカロ以降のモードに矯正されたchelmicoは悶絶するほどの脱‐人間。ピノキオピーは言わずもがな、ここにLIL SOFT TENNISのザラついた声を混ぜるのも面白いし、キタニタツヤの入り方も2024年のJ-POPとして完璧です。さて、ここまでくると早くも次作が楽しみで仕方ないのだが、ポップ無き時代のポップを背負うのはもうPAS TASTAしかいないので、どこまでもやっちゃってほしいです。できるだけ大文字の、でも意外な人たち──星野源、ado、中村佳穂、aiko、折坂悠太……etc.と、最高のコラボ相手はまだまだたくさんいらっしゃいます。夢があるって、すばらしい。ぶんぶん鳴らしてふわふわ浮いて、PAS TASTA with tomad氏の挑戦がどこまでもどこまでも広がっていきますように!

 ……といったところで、終わりでいいんじゃないですか? とりあえず、ね。



https://www.scrmbl.com/post/pas-tasta-goes-big-on-second-full-length-album-grand-pop

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