初めて聴いたとき、背筋がぞわぞわした。そんな感覚を味わったのは久しぶりだった。ブラジル音楽あるいはフラメンコ、そのどちらでもありどちらでもないような不思議な時間を刻む、ギターにドラム。けれども軸はあくまでインディ・ロック。2019年、アフロなどからの影響をさりげなく、だが斬新にとりいれたグリズリー・ベアの意欲作『Painted Ruins(彩られた廃墟)』の、さらに先を冒険する音楽がここに鳴り響いている。バンド・サウンドのように聞こえるが、これをほぼひとりでつくり上げたというのだからおそろしい。
アニマル・コレクティヴやダーティ・プロジェクターズと並び、00年代後半のブルックリン・シーンを代表するバンドがグリズリー・ベアだ。そこにギタリスト兼ヴォーカリストとして最後に加わったメンバーであり、もともとはデパートメント・オブ・イーグルスでロウファイなサンプリング音楽を実践していたダニエル・ロッセンは、2012年にも一度ソロEP「Silent Hour / Golden Mile(静かな時間/洋々たる前途)」を発表している。それは、第四のメンバーであるはずの彼がじつはグリズリーにおいて大きな役割を果たしていたことに気づかせてくれる、サイケデリックな小品だった。
それからちょうど10年。時代は変わった。グリズリーも変わった。ロッセンも変わったのだろう。長きインターバルを経てついにお目見えとなるファースト・アルバム『You Belong There(そこがきみの居場所)』はグローバル・ミュージックを独自に消化しつつ、『Painted Ruins』においてもやはり彼の貢献度が高かったことをほのめかしている。と同時に、SNSやトレンドから自由であることがいかに音楽を豊かにするのか、みごとに証明してくれてもいる。
かねてグリズリー・ベアを愛聴しつづけてきた森は生きているのふたり、ギタリストの岡田拓郎と大分在住のドラマー増村和彦が、ロッセンの新たな旅路を祝福する。
“SNS的なもの” から離れた音楽は可能なのか、という問いが本人の意思はさておき音楽で体現されているように感じました。(岡田)
グリズリー・ベアも含め、『Yellow House』からぜんぶ聴き直して、ダニエル・ロッセンのグリズリーへの貢献度の大きさを感じましたね。それを今回ぜんぶ咀嚼していると思った。(増村)
■最初に新作『You Belong Here』を聴いたときの印象はどうでした?
岡田:今回ダニエル・ロッセンが外界とのアクセスやノイズを遮断してつくったというのは音を聴いただけの時点でも感じました。トレンドで溢れている時代に、そこから離れた視点を持つのってなかなか難しいことだと思う。みんなそうありたいけどなかなかできない。ダニエル・ロッセンは、森は生きているのときからずっと大好きで、グリズリー・ベアをいかに我々が学ぶべきかということを増村くんの家のこたつで説法するくらいだった(笑)。だから彼の動きはネットとかでつねに気にしていたけど、あるときぱたりとSNSから消えてしまって。グリズリーの前作『Painted Ruins』以降は、ネット上でもぜんぜん情報が出てこなくなってしまった。一度レコード・ストア・デイに「Deerslayer」というシングルが出たけど、それくらいしか情報がなかった。そこからひさびさの新作になるわけですが、“SNS的なもの” から離れた音楽は可能なのか、という問いが本人の意思はさておき音楽で体現されているように感じました。
増村:なるほど。
岡田:2010年代は音楽のトレンドが出続けていて、サウンドも言説も2010年代後半に向けてどんどん過激になっていった印象があります。そこが面白かったところでもあるけど、逆にそれがキツいと感じるひともいたと思う。それまでグリズリー・ベアのアルバムは『ピッチフォーク』でいつも「ベスト・ニュー・ミュージック」に選ばれていたのに、『Painted Ruins』は7.3点という半端な評価だった。そういう時代のなかで、外界から切り離されたロッセンの音楽が、いまの僕にはすごくクリティカルに響きました。
増村:SNSという視点は思い浮かばなかったけど、やっぱり圧倒的にすごいアルバムでありながら、素朴でリスナーとしては気持ちよく聴ける感じも同居している。それはたぶん、その(SNS的なものから)切り離されたところから来ているんだろうね。ニューメキシコ州のサンタフェに住んでいるらしい。人口6万人くらいの田舎です。
岡田:砂漠地帯みたいなところでしょ。
増村:そうそう。6万人の都市に住んでいる僕としては、ちょっと他人事としては聴けないなと思って。
岡田:ははは、ほんとそうだね(笑)。
増村:今回グリズリー・ベアも含め、『Yellow House』からぜんぶ聴き直して、ダニエル・ロッセンのグリズリーへの貢献度の大きさを感じましたね。それを今回ぜんぶ咀嚼していると思った。それも、トレンドとかではなくて、田舎にいて自分の家庭を背負っていることとかも含めて、メインストリームを全身で経験しているひとが距離を置いたところで制作して、かたちにして出したようなロマンがある。それって渦中にいたらなかなかできる作業ではないのかなと。まあグリズリーはトレンドをつくってきたひとたちでもあるけれど。でも、『Painted Ruins』にはダニエル・ロッセンはそんなに参加してなかったらしいよね。
岡田:参加してないって言ってたけど、じつはごまかしてるんじゃないの(笑)。
増村:今回のアルバムにもやっぱ『Painted Ruins』のビート感はあるよね。
岡田:ビートもだし、和声もすごく由来する感じがした。
増村:『Painted Ruins』にはあんまり参加してないのにバンドの影響が感じられるところも興味深い。もともとの貢献度が高いからそうなるんだろうね。ぜんぶ聴き直したけど、やっぱグリズリーでは『Painted Ruins』がいちばん好きやったな。
岡田:いいアルバムだよね。ビートの感じとかはマスくんがかなり好きそう。
■これまでのグリズリーの音楽性が、ロッセンの新作に詰め込まれていると。
増村:たぶんロッセンが自分を振り返ったのかなと。『Painted Ruins』のビート感にはフールズ(ドラムのクリストファー・ベアのソロ・プロジェクト)の感じもあったから。今回のロッセンの新作にもベアが1曲だけ参加してるけど、ほとんどはロッセン自身でドラムを叩いてるんですよ。これがまた、ドラマーとしてはへこむくらいの完成度なんやけど(笑)。
岡田:ははは。
増村:それができたのは、田舎の環境にいるからかなと強く感じました。宅録の音だけど、そこにいまの音が混ざっているようで気持ちよくも聴けるし。
岡田:ドラムとヴォーカルだけ近所のスタジオで録り直したとは言ってたね。
増村:たしかにそういう音だね。
岡田:現代的な音のよさとか関係なく、いい演奏でいい音ってことだよね。
■現代的な音って、たとえばどういうのですか?
岡田:たとえばサブスクのプレイリストとかには、この音圧でこういう帯域感で、こうするとプレイリストのなかでもバキッと前に出るみたいな、ある種の音のテンプレがある。そういう音ではなく、ちゃんとダイナミクスがあり、小さいところはちゃんとミクロだなと。もともと音楽ってそうだったはずだけど、それをいまポップスでやるのはなかなか厳しい。それこそメインストリームの商業的な世界にいるひとは、いまさらやろうとも思わないだろうし。プレイリスト的かそうでないかの基準が生まれたことで、ポップスにおけるサウンド・デザインはそれ以前に戻れなくなってしまったという感じはしますね。
■ぼくはやはりリズムが面白いなと思ったんですが、そのあたり増村さんはドラマーとしてどう聴きました?
増村:面白かったです。1曲目 “It's A Passage” で小気味よい三拍子のギターから、いきなり攻撃的というか、ドーンと四拍子になったり、イントロでもうやられましたね。あのビートも三拍子と四拍子でおそらくオン・タイムではない。そこも、いまのDAWありきのきっちりしたものから切り離されているというか。全体的にリズムはヴァリエイションがあって、4曲目の “Unpeopled Space” は少しアフロっぽい。
岡田:1曲目のバンドインはほんとうにびっくりした。変なよじれ方というか、わざとなのかわからないようなよじれ方をしている。そういうこと、忘れてたよなって思った。
増村:おそらくバンドで録ったわけではないけど、バンド・アンサンブルでしかできないリズムやBPMの変化のようなものがある。バンドで「せーの!」でやるときの変化。たしかに岡田くんがいうように「音楽ってもともとそうだったよねえ」って思い出させてくれるよね。7曲目はけっこうグリズリーっぽいかも。グリズリーって速いビートが多いじゃないですか。
岡田:迫りくるようなね。
増村:あれは当時けっこう憧れたね。だけど、手法は同じかもしれないけどロッセンのこのアルバムではもっと柔らかく聞こえるから、その変化は面白い。同じようなことをやってるように見えるかもしれないけど、確実に変化はある。まえのソロEP「Silent Hour / Golden Mile」はもうちょっとグリズリーに近い攻撃的なビートだったし、バンドはもうフェラ・クティじゃないけど集団戦のようなイメージで(笑)。今回は以前と同じ感じはありつつも、もうちょっと気持ちよくなれる。そういうリズムの変化は聴いていて楽しかった。マニアックな聴き方だけど(笑)。
■ほんのりラテンも入ってますよね。
増村:うん、ありますよね。どこから来てるんだろうと思って、アルバムをぜんぶ聴き直して初めて気づいたけど、『Yellow House』の頃からアフロやラテンを感じる曲はちょこちょこあるんです。それが表に出たのが『Painted Ruins』だった。彼らにジャンルの分け隔てはそもそもないだろうから、今回もそれを感じられたのはよかったですね。「隔てないわー、深いわー、(音楽)詳しいわー」って。
岡田:「詳しい」って(笑)。
増村:だんだんわかってきたけど、ブラジルやラテンのリズムって、もともとほかのものを隔てているわけではないというか。もちろんそれぞれルーツを大事にしてはいるけど、アフリカだからこう、ブラジルだからこうというふうに壁をつくっているわけではない。今回のアルバムはそういう自由さを教えてくれたというか、思い出させてくれた。ラテンっぽさはありつつも、自由なアイディアが結実している。
岡田:あらためて編集感覚がめちゃくちゃすごいなと。(エグベルト・)ジスモンチのような瞬間があったかと思えば、ロビー・バショウとかエルモア・ジェイムズみたいになったりもするし。あるレコードのある箇所のいい瞬間を模倣していき、ヴォキャブラリーを増やしていくというのは当たり前によくあることですが、ダニエル・ロッセンやグリズリーはそれらの楽曲への落とし込み方の解像度は抜群に高いと思います。あと、ダニエル・ロッセンはグリズリー以前にデパートメント・オブ・イーグルスをやっていましたよね。いまのいわゆるロウファイ・ヒップホップじゃなくて、ほんとうにロウファイなヒップホップみたいな感じの。サンプリング以降の世代の編集感覚、サウンド・デザインという点では、そもそも彼自身の出自がサンプリング・ミュージックだったというのはなんとなくつながりを感じました。
増村:デパートメント・オブ・イーグルスの『Cold Nose』では、2曲目の “Sailing by Night” で YMO の “ライディーン” を弾くんだよ。あれはヤバかったなあ。
岡田:ははは(笑)。ほんのり覚えてる。
増村:ヒップホップやクラブ・ミュージックの感覚があって好きだったな。そのあとグリズリー・ベアをやるわけで、だからもともと音楽性の幅は広かったということ。
岡田:うん。グリズリーのファーストはまさにフリーフォークのお手本みたいな感じだからね。だから、どこでビートに向かっていったのかは興味深いよ。ヒップホップ的なビートというより、もっとワールドワイドな方向のビートにね。そういうことをやるひとたちはロック・バンドにはあまりいなかったじゃん。
■やはりグリズリーの延長のイメージが強いですか?
増村:延長でもありつつ、ダニエル・ロッセンのソロだと思いました。
岡田:うん。
増村:比較するとしたら、前回の(ロッセンのソロ)EP「Silent Hour / Golden Mile」と比べるほうが面白いかも。
岡田:EPのほうがわりと、8ビートっぽいイメージがあったかな。
増村:“Silent Song” とかね。
岡田:70年代ロックの文脈でいうところの、ポール・マッカートニー的なフィーリングだよね。グリズリーって70年代ロックの文脈では語りづらいけど、ロッセンの「Silent Hour / Golden Mile」にわりとその感じがあるなとは思った。でも全体像的な音を聴くとグリズリーと近いかなと。
ポップスでフラメンコってけっこう使いどころが難しいなとギタリストとして思う部分はある。フラメンコって絶対フラメンコになっちゃうからね(笑)。フラメンコのオルタナティヴを提示しているというか、こういうフラメンコの使い方があるんだと(岡田)
ダニエル・ロッセンは、バンドが取り入れるべきクラブ・ミュージックのさらに先を行ってるということだね。(増村)
■岡田さんはギタリストとして、今作のギターについてはどう思いました?
岡田:12弦ギターのハープのような速いアルペジオって、昔からのダニエル・ロッセンのシグネチャー・サウンドのようなものですが、それはブラジルだったり、それこそジョン・フェイヒィやロビー・バショウなどから由来していると思った。あと “Unpeopled Space” なんかで聴ける、半音ずつ和声を行き来する進行はフラメンコっぽい感じがありますね。カタルーニャ音響派のギタリストでアルバート・ギメンズ(Albert Gimenez)というひとがいるのですが、彼のコンテンポラリーなフィルターを経由したスペイン音楽なんかを思い出しました。ロッセンは若い頃からクラシック音楽やフラメンコの勉強をしていたそうですが、ポップスでフラメンコってけっこう使いどころが難しいなとギタリストとして思う部分はある。フラメンコって絶対フラメンコになっちゃうからね(笑)。フラメンコのオルタナティヴを提示しているというか、こういうフラメンコの使い方があるんだと、ギタリスト的に面白いと感じました。
増村:たしかにフラメンコ感はあって面白かったよね。なんだろう、アメリカーナ・フラメンコ? 8ビート・フラメンコ? どう言えばいいのかわからないけど、ハマってるよなあ。
岡田:アメリカーナ・フラメンコ(笑)。でも、アメリカのジョン・フェイヒィみたいな音楽ってけっこう馬の足が転がるような感じがあるから、フラメンコのビートとまあ似てると言えば似てる(笑)。
増村:なにか通ずるものを発見したんだろうね。その仲介役がジスモンチだったと。
岡田:グリズリーっぽい幾何学的なコード感はやっぱりブラジル由来だと感じます。逆に言うと、グリズリーのその要素はもともとダニエル・ロッセンの力が大きかったんだなと、今回のアルバムを聴いてると思います。あとやはり12弦ギターが、アルバム全体のダイナミクスの指揮者だなって感じる。コントラバスやチェロ、管楽器も自分で弾いてるけど、それらがぜんぶギターに、植物のようにうねりながらまとわりつく感じ。マジでひとりオーケストラですね。そういう絡みつくような流動性を持たせるためにビートがオーガニックだったり。曲自体を生き物のように動かすというのは、このアルバムのアンサンブルの軸にありそう。逆にひとりじゃなきゃこうしたミクロな波の打ち方はできないと思うし、このうねりを出したくてひとりで演奏するのはすごくわかる。
増村:それで思い出したけど、なぜか今作を聴きながらローレル・ヘイローが「サウンドに呼吸をさせるんだ」みたいなことを言っていたのを思い返してた。深いことばだと思いつつ、「どういうことだろ?」と2年くらいまえに思っていた。いまオカちゃんの言ったことに近いのかも。曲を生き物として捉える、みたいな。ギターという軸はありつつ、そこから派生させてかたちにしていくような作業。そういうことなのかな。
岡田:エレクトロニック系のひとはそういう植物~生き物の状態に憧れるだろうからね。エレクトロニックだと、最初は誰が弾いても同じ音しか出ないから。それをいかに自然の状態、生き物の状態に持っていくかって考えるのはすごく理解できる。逆にここ10年、楽器側やバンドのほうはいかにエレクトロニック的にグリッドさせていくかに腐心していた側面もあるし、それがトレンドにもなっていた。だからいまは同じように考えているひとはすごく多いんじゃないかな、僕も、ここ1~2年は音楽を植物的な状態に近づけることをずっと考えていたりする。
増村:ダニエル・ロッセンは、バンドが取り入れるべきクラブ・ミュージックのさらに先を行ってるということだね。
岡田:かもしれない。
増村:たださっきも言ったように隔てがないからね。基本的に楽器を探求するひとでもあるし。
■歌詞についてはどうでしょう。
増村:音とすごくリンクしている。自伝……いや自伝って感じはぜんぜんしない。私小説的だね。「You」といいつつそれはじつは自分というか、けっこう私小説的な詞やなと。このサウンドと歌詞のマッチは感動的やったね。
岡田:グリズリーのアルバムが出たあとはしばらく4年くらいぼんやりしていたらしい。4年もぼんやりしているのもすごいけど……(笑)。ただその期間はなにもしてなかったわけではなく、どうやら外界との接触はほどほどに、ひとりでいろんなことを考えていた。このアルバムはその4年間のドキュメンタリーみたいになっている気はするよね。音楽に付随するメガホン的なイシューが多くの場で期待されている時代に、こういうパーソナルでドキュメンタリー的なものが、こじんまりしたサウンドではなく、こういった内宇宙的なサウンドで示されるのはなんだか励まされるよね。
増村:ドキュメンタリーでもありつつ、それが吹っ切れた感じもする。前回のEPの曲の歌詞も読んだけど、あのときはニューヨークのもっと北のほうの田舎にいたらしい。いま住んでいる田舎とは違うから単純な比較はできないけど、そのときは(トレンドの)渦中にいる感じで、離れられない葛藤や田舎を選びつつもどうしても感じてしまうよくない部分が歌詞にあらわれている感じがした。けれど今回は吹っ切れて、田舎の付き合い方も都会の付き合い方もぜんぶ自分のなかでクリアして、「ついにやれるぞ」という決意表明めいたものを感じました。1曲目の最初が「また戻ってきた」で、いまは安定のなかにいて、それは田舎でただリラックスしてるんじゃなくて、「走っていた」頃を思い返す作業も、走ろうと思っても走れなかった時代も経て、ついに準備が整ったということなのかなとか。そういうところが面白かったね。9曲目 “The Last One” には「なんという躁状態/それが僕を適切な状態に保っていた」とあって、たしかになにかをつくるには一種の躁状態が必要で、いまは新たな環境と方法で、その感覚が「次々と戻ってくる」のだとしたら、生き方や創作のあり方の励みになる作品、勇気の出るアルバムだと僕は思いました。
岡田:大事だな。コロナ禍で結局みんなダニエル・ロッセンの住むサンタフェ状態になったからね。
なにかをつくるには一種の躁状態が必要で、いまは新たな環境と方法で、その感覚が「次々と戻ってくる」のだとしたら、生き方や創作のあり方の励みになる作品、勇気の出るアルバムだと僕は思いました。(増村)
自分で演奏できるとか反則だよ。もう「ひとりグリズリー・ベア」だね(笑)。グリズリーのなかでソロをつくっていちばんグリズリーっぽくなるのは、おそらくダニエル・ロッセンだろうね。(岡田)
■ちなみに今回おふたりがいちばん好きな曲は?
増村:3曲目の “You Belong There” から4曲目の “Unpeopled Space” の流れがよかったね。
岡田:そこいいよね。カロリー高いってのもあるけど、1曲目から4曲目までの流れはすごい持ってかれた。
増村:5曲目の “Celia” からは「下がる」というか。
岡田:6曲目の “Tangle” もヤバくない?
増村:“Tangle” のドラムはクリストファー・ベア。
岡田:7曲目の “I'll Wait For Your Visit” のドラムも超すごい。このへんは完全にグリズリーを経由してるね。あれを(クリストファー・ベアではなく)自分で演奏できるとか反則だよ。もう「ひとりグリズリー・ベア」だね(笑)。グリズリーのなかでソロをつくっていちばんグリズリーっぽくなるのは、おそらくダニエル・ロッセンだろうね。
増村:そうだよね。ヴォーカルのエドワード・ドロストはファースト・アルバムがあるし、ベースのクリス・テイラーはカント名義でやってるよね。
岡田:カントの『Dreams Come True』は地味だけどすごい好きだったな。
増村:楽に聴けていいよね。グリズリーやこの(ロッセンの)アルバムとはぜんぜん違う。
岡田:カロリー使わないよね。
増村:やっぱ3~4曲目がね、歌詞の流れもすごいよかったんよね。3曲目がすごく詩的で、そこからカロリー高くなって4曲目に移っていく。「都会と田舎」「メインストリームと素朴」のダイナミクスが今回のアルバムのテーマだと仮定したら、3曲目はまだそのはざまにいて、そこから現実を俯瞰できているのが4曲目。
岡田:3曲目は困惑した感じだよね。
増村:アルバムをつくるときはもうすでに吹っ切れていて、思い出したように書いて、あえて困惑していることを表現した可能性もある。そう捉えるとやっぱり私小説みたいで面白い。
岡田:なるほど。アルバムの音自体にパーソナルなこと、かつて困惑したことも入ってると思うけど、この組み上げ方は明らかにつくってるね。なんの迷いもなさそうだもん。
増村:そうそう。テクニックがちゃんと入ってきているのも私小説的ポイント。
岡田:ははは(笑)。デモとか聴いてみたいね。
増村:うん、2014年~2018年のデモを聴いてみたい。すごい怨念がこもってそうで(笑)。
■もしこのアルバムの曲をカヴァーするとしたら、どれから手をつけますか。
岡田:どれもやりたくないよね(笑)。
増村:とんでもないアレンジと、パーソナルな歌詞が刻みこまれてるので(笑)。
岡田:もう「語り継ぐ」型のフォークの時代じゃないんだと思う。
増村:名言や……たしかに。
岡田:これは明確に録音物としてあるものです。“Tangle” はやっぱりヤバすぎたな。
増村:ヤバかった、コントラバスがすごいよね。
岡田:うん、あれは怖かった。迫る感じがある。
増村:最後の曲 “Repeat The Pattern” の歌詞に「長く続くものは何でも 最初から同じパターンを繰り返す」とあって。カヴァーしたいっていうか、これはリピートしたい言葉です。そこは語り継いでもいいのかなと思いました(笑)。自分が卑屈になったときに思い出したら元気が出そうだなと。
(構成:小林拓音)









