「IR」と一致するもの

K-PUNK 自分の武器を選べ──音楽・政治 - ele-king

「グラム・ロックこそパンクである──歴史的にもコンセプトにおいても」

彼を一躍人気作家にしたブログ「K-PUNK」から選集されたマーク・フィッシャーの原点にして最終作

21世紀初頭において、もっとも影響力のある
労働者階級出身の批評家によるエッセイ/論考集の「音楽・政治」編
資本主義の向こう側に突き抜けるための思考の記録

思想家/批評家、マーク・フィッシャーの人気を決定づけたブログ「K-PUNK」からのベスト・セレクションの第二弾。著書『資本主義リアリズム』で広く知られるフィッシャーだが、彼の批評活動の原点にあるのは音楽だ。その音楽批評には彼の政治思想が共鳴している。グラム・ロックやポスト・パンクからサッチャーにトランプまで。資本主義にも、音楽のレトロ化にも、頭でっかちなアカデミックな考えにも、左翼の高級化にも反対し続けた批評の数々。

本書で言及される音楽:
ロキシー・ミュージック、ブライアン・フェリー、デイヴィッド・ボウイ、グレイス・ジョーンズ、ケイト・ブッシュ、スージー・アンド・ザ・バンシーズ、ジョイ・ディヴィジョン、マーク・スチュワート、ザ・フォール、ザ・バースデー・パーティ、ギャング・オブ・フォー、スクリッティ・ポリッティ、テスト・デパートメント、ザ・キュアー、アンダーグラウンド・レジスタンス、モロコ/ロイシン・マーフィ、カニエ・ウェスト、ジェイムス・ブレイク、ドレイク、ダークスター、DJラシャド、スリーフォード・モッズ、ほか。

本書で扱われるテーマなど:
ポスト・フォーディズム、新自由主義、サッチャー、9・11と監視社会、ブレアと新しい労働党、テロリズム、メンタル・ヘルス、トランプとブレグジット、「コミュニスト・リアリズム」、ほか。

四六判/648頁

目次

日本語版編者序文

第三部
自分の武器を選べ:音楽関連の著述 (坂本麻里子+髙橋勇人訳)

今や恒例、グラストンベリーに対する暴言
アート・ポップ、いや、これは本物のそれの話
k‐パンク、あるいはグラムパンクなアート・ポップの非連続体
反資本としてのノイズ──『アズ・ザ・ヴィニア・オブ・デモクラシー・スターツ・トゥ・フェイド(民主主義の虚飾が消え薄れはじめるにつれて)』
うたた寝から目覚めたライオン、あるいは今日における昇華とは?
今におけるすべての外部
あなたの不快楽のために──ゴスの尊大なオートクチュール
僕たちみんな死んでしまおうが構わない──ザ・キュアーの不浄なる三位一体
光を眺めてごらん
ポップは不死身なのか?
クラーケンのメモレックス──ザ・フォールのパルプ・モダニズム パート1~3
スクリッティの甘美な病い
病理としてのポストモダン主義、パート2
自分の武器を選べ
あるテーマの変奏
ランニング・オン・エンプティ
ユー・リマインド・ミー・オブ・ゴールド──マーク・フィッシャーとサイモン・レイノルズとの対話
戦闘的傾向は音楽を養う
オートノミー・イン・ザ・UK
二一世紀の隠れた悲しみ──ジェイムス・ブレイクの『オーヴァーグロウン』
デイヴィッド・ボウイ、『ザ・ネクスト・デイ』評
すべてを持っている男──ドレイクの『ナッシング・ワズ・ザ・セイム』
ブレイク・イット・ダウン――DJラシャドの『ダブル・カップ』
自分のナンセンスを始めろ!──イーエムエムプレックズとドリー・ドリーについて
スリーフォード・モッズの『ディヴァイド・アンド・イグジット』と『チャブド・アップ:ザ・シングルズ・コレクション』評
テスト・デパートメント──左派理想主義と大衆モダニズムが出会う場
融資なしじゃロマンスはあり得ない

第四部
今のところ、我々の欲望には名前がない:政治に関する文章 (五井健太郎訳)

投票するな、奴らをその気にさせるな
一九七九年十月六日──資本主義と双極性障害
彼らが抗議して、皆が参加したからといって、いったいそれで何になるというのか
ヒドラを退治すること
テロリズムの顔なき顔
衒示的武力と害虫化
私の人生、私のカード──アメックス・レッド・キャンペーンについての注解
グレート・ブリンドン・クラブ・スウィンドル
ストレスの民営化
囲い込み(ケトル)の論理
不満の冬2.0――戦闘性の一ヶ月に関するメモ
フットボール/資本主義リアリズム/ユートピア
ゲームは変化した
創造的資本主義
現実の管理経営(マネジメント)
UKタブロイド
未来はいまだ我々のもの――オートノミーとポスト資本主義
美学的な貧困
確実なのは死と資本だけ
メンタル・ヘルスはなぜ政治の問題なのか
ロンドン版ハンガー・ゲーム
時間戦争──新資本主義時代のオルタナティヴに向けて
上手く負けるのではなく、勝つために戦うこと
マーガレット・サッチャーの幸福
微笑みとともに苦しむこと
ゾンビの殺し方──新自由主義の終わりを戦略化する
殺人罪を逃れ切ること
誰も退屈していない、すべてが退屈させる
影のための時間
未決状態は終わった
コミュニスト・リアリズム
今こそ痛みを
希望を棄てろ(夏がやって来る)
今のところ、我々の欲望には名前がない
アンチ・セラピー
民主主義とは喜びである
サイバーゴシック対スチームパンク
マネキン・チャレンジ

索引

[著者]
マーク・フィッシャー(Mark Fisher)
1968年生まれ。ハル大学で哲学の学士課程、ウォーリック大学で博士課程修了。ゴールドスミス大学で教鞭をとりながら自身のブログ「K-PUNK」で音楽論、文化論、社会批評を展開する一方、『ガーディアン』や『ワイアー』などに寄稿。2009年に『資本主義リアリズム』を、2014年に『わが人生の幽霊たち』を、2016年に『奇妙なものとぞっとするもの』を上梓。2017年1月、48歳のときに自殺。邦訳にはほかに講義録『ポスト資本主義の欲望』、ブログからの選集第一弾『K-PUNK 夢想のメソッド──本・映画・ドラマ』がある。

[訳者]
坂本麻里子(さかもと・まりこ)
1970年東京生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒業。ライター/通訳/翻訳者として活動。ロンドン在住。訳書にコージー・ファニ・トゥッティ『アート セックス ミュージック』、ジョン・サヴェージ『この灼けるほどの光、この太陽、そしてそれ以外の何もかも』、マシュー・コリン『レイヴ・カルチャー』、マーク・フィッシャー『K-PUNK 夢想のメソッド』ほか多数。

髙橋勇人(たかはし・はやと)
1990年、静岡県浜松市出身。ロンドン在住。早稲田大学国際教養学部卒業後、ロンドン大学ゴールドスミス校で社会学修士課程と文化研究博士課程を修了。ウィンチェスター美術学校でメディア論を教える。音楽ライターとして、ハイパーダブの日本版ライナーノーツを執筆し、DJなどの音楽活動も行っている。

五井健太郎(ごい・けんたろう)
1984年生まれ。東北芸術工科大学非常勤講師。専門はシュルレアリスム研究。訳書にマーク・フィッシャー『わが人生の幽霊たち』『奇妙なものとぞっとするもの』、ニック・ランド『暗黒の啓蒙書』『絶滅への渇望』、共著に『統べるもの/叛くもの』『ヒップホップ・アナムネーシス』など。

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Iglooghost - ele-king

 満を持して、というべきだろう。先月〈LuckyMe〉から鮮烈なニュー・アルバム『Tidal Memory Exo』を送り出したばかりのイグルーゴースト。かつてフライング・ロータスの〈Brainfeeder〉から放たれた『Neō Wax Bloom』(2017)で注目を集め、“Z世代のAFX/スクエアプッシャー” とも呼ぶべきサウンドを打ち鳴らすこのロンドンの才があらためて来日を果たすことになった。東京、高知、大阪の3か所を巡回、2年前同様全公演に BABii (イグルーとは『XYZ』を共作)が帯同する。新作発表直後のツアーという絶好の機会、デジタル時代のプロデューサーならではの独創的な表現を見逃すことなかれ。

Iglooghost「Tidal Memory Exo」Release Japan Tour 2024

Special Guest: BABii

東京 TOKYO
7/5(金) @CIRCUS TOKYO
open 18:30 start 19:00
adv: ¥4,000(+別途 1 drink)
https://circus-tokyo.jp/event/iglooghost%E3%80%8Ctidal-memory-exo%E3%80%8Drelease-japan-tour-2024/
https://eplus.jp/sf/detail/4118800001

高知 KOCHI
7/6(土) @OUTER SPACE
open / start 20:00
adv: ¥3,000(+別途 1 drink)
https://outer-space.info/event/20240706_iglooghost/

大阪 OSAKA
7/7(日) @CIRCUS OSAKA
open 18:00 start 18:30
adv: ¥4,000(+別途 1 drink)
https://circus-osaka.com/event/iglooghost%E3%80%8Ctidal-memory-exo%E3%80%8Drelease-japan-tour-2024/
https://eplus.jp/sf/detail/4119140001-P0030001

interview with John Cale - ele-king

 ジョン・ケイルほどの充実したキャリアがあると、どこから話をはじめればいいのかわからない。ウェールズの小さな村ガーナントで、近所の教会でオルガンを弾き、地元の炭鉱労働組合の図書館が収蔵する楽譜に熱中したのがはじまりかもしれない。ロンドンでフルクサスの芸術家コミュニティと協働していた時期や、アメリカで名前の似たジョン・ケージやラ・モンテ・ヤングと一緒に活動していた時期もある。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドでロックのオルタナティヴな領域まるごとの基盤を築きもした──そこから派生するもうひとつのロック史を、モダン・ラヴァーズやパティ・スミスやハッピー・マンデーズなどのプロデュース仕事を通じて育んだことは言うまでもない。彼の長く多彩なソロ活動のどの時点でも物語の入口となる。
 しかし、彼のすばらしい最新アルバム『Poptical Illusion』は、ジョン・ケイルの現在地とそこに至る歴史の両方への窓口として、ごく自然な出発点となるだろう。
 ケイルはこのアルバムのタイトルにあまり大きな意味を持たせたくないようだが、これは本当に内容を表している。『Poptical Illusion』をポップ・アルバムとして聴くことは可能だし、1曲目の “God Made Me Do It (Don't ask me again) ” から、フックとメロディーと結晶のように完璧なプロダクションが差し出される──その意味で、ここにはポップを求める人に発見されるべきものがたしかにある。
 幻想的な側面はより制約から自由だ。あらゆるポップは幻想やファンタジーの技なのだという感覚がある。それは悲しみの物語を伝えるときでさえ、すべて大丈夫だと嘘をつき、慣れ親しんだコードやメロディーであなたを心地よく抱擁し、期待通りに解決してくれる。だが、それはジョン・ケイルのやりかたではない。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの頃から、彼の音楽はつねに慣れ親しんだものを転覆させ期待を裏切るやりかたを見出してきた。彼のソロ活動はひとつの成功を定型化することを決してよしとしない道のりをたどってきた。初期にはテリー・ライリーと大部分がインストゥルメンタルのコラボレーションをおこない、評価の高い1973年のアルバム『Paris 1919』では繊細なチェンバー・ポップを、続く『Fear』や『Slow Dazzle』では全体的により荒涼とした、歪んで揺れる脱構築されたロックンロールを聴かせた。以降、彼はクラシックとアヴァンギャルドとポップの極致を探求し、決してひとつの場所に留まることなく、つねに次へと動き続けている。
 『Poptical Illusion』自体が多彩なアーティストたちとのコラボレーションを特徴とした前作『Mercy』からの変化を示しており、今回はより音楽的に自己充足した世界となっている。とはいえ、作品のテーマやケイル独自の豊かなヴォーカル、そして歌詞には連続性がある。初期にルー・リードとつながりがあったからだろうか、ケイルは作詞家としては十分に評価されていないようだが、彼はストーリーを理解するのに必要な情報のほとんどを行間に置いて語り人を惑わせる才能がある。曲中の登場人物が恐怖や不安や憂鬱を表現し、それらの文脈となる出来事や行動を断片的にしか明かさないやりかたは、M・ジョン・ハリスンやアラン・ロブ=グリエのような作家たちの不安げでありながら解き放たれた雰囲気を想起させる文学的な色合いを、この新しいアルバムにもたらしている。
 そしてケイルの音楽的な多様性に関して言えば、『Poptical Illusion』には、 “Calling You Out ” の途中でキーが外れて胃が痛くなるような急展開や、 “Shark Shark ” のキャッチーなフックのループを通して何層にも重なってゆくディストーションなど、彼の過去の作品に通じる慣れ親しんだものを脱臼させる感覚がある。
 このアルバムのリリースに先立って、ロサンゼルスの自宅にいるケイルにオンラインで話を聞いた(以下の会話は簡潔性と流れを重視して編集されている)。

図書館はすごく重要だった。あの小さな小さな建物の一室にあらゆる本が揃っていて、そこからたくさんのことを学んだ。

あなたの新しいアルバム『Poptical Illusion』は昨年の『Mercy』から間を置かずにリリースされますね。

JC:できるだけたくさんの仕事をしようとしているんだ。きっかけはロックダウンだった。あれが起こったとき一緒にやってくれる人が周りに誰もいなくて、突然、自分がいつまで仕事をやっていけるのかわからなくなった。本当に周りに人がいなかった。だから動き出したらできるだけたくさんの仕事をしようとした。その結果、プロジェクトの最後まで自分でかなり精力的に取り組むことになった。最終的にはこの成り行きにとても満足した──音楽にはたくさんのアイデアと、さまざまな種類の攻撃性があった。完成に至ったときにはたくさんの曲ができていた。期待していなかったことだけれど、とても満足していたんだ。

すべての曲が他のアーティストとのコラボレーションだった『Mercy』に比べると、新作はより自己充足している感じがします。それはパンデミックの影響ですか?

JC:そうだね。私はただ仕事に取りかかり、自分が音楽に求めるある種の攻撃性を掴んだ。ほんの少し楽になったよ。だけど、あのアルバムが完成してからたくさんの曲を書いたし、このアルバムがあったからすぐに出すのはまあ簡単なんだ。

ある種の攻撃性とおっしゃいましたが……

JC:まあ、それは作品を完成させられるか本当に不安だったから生まれたものだね。

これはまた違う種類の攻撃性かもしれませんが、いくつかのテーマは『Mercy』から続いているように感じます。歌詞はおそらく抽象的だったり斜めからアプローチしているのかもしれませんが、そこには現在進行中の社会の崩壊という一本の線が引かれているようです。

JC:そう、それが歌詞を書くことの魅力のひとつだ。さまざまな言葉の使いかたがある。ものごとの混沌とした側面が自分にとっては本当に魅力的なんだ。ただ要求に合わせようとして、自分の詩的な側面が無視されていることを確認するだけの話じゃない。

あなたは過去に、作詞家としてのルー・リードと曲を作ってよかったことに、彼がものごとの矛盾を扱うのがとても上手かったことがあると言っていましたね。

JC:ああ、そうとも言えるね。つまり、私はそれを心に刻んでいた。混沌が受け入れられるということが自分にとってとても重要だったんだ。

あなたの過去の作品にはディラン・トマスの影響もあるように感じます。

JC:というか、そうしようとしているんだよ! うまくいかないとき、「どうなろうがディラン・トマスの詩を全部音楽にしてやるぞ!」と言った。それは挑戦だった。すごく力強い詩の感覚を持っている人物を相手にしているわけだから、そこからできる限り吸収して学ぼうとしたけど、彼のリズム感はただただ圧倒的だ。ウェールズで育つと、「わあ、僕もこんなふうにできたらいいのに!」と思うようになることのひとつだね。すごく重要なことだ……「わかった、やってみろ! 心配しないで、やるしかない!」ってね。

ディラン・トマスの詩を音楽に合わせるのに本格的に取り組んだのは、『Words for the Dying』でしたね。

JC:そのとおり。

自分はウェールズ系の家庭で育ったので、彼の作品の重要性はよくわかります。つまり、ウェールズからの影響というのは、ずいぶん前にそこから離れているにもかかわらず、あなたがたびたび戻ってくる主題だと思うのですが。

JC:(笑)そうだね、それは認めるよ! ウェールズという土地のあたたかさと寛大さに一度気づくと、それはずっと心に残り続けるんだ。誰かに腹を立てるだけで無くなるものじゃない。特にその遊び心。 “Davies and Wales ” を書いたときはそういうユーモアの一面があらわれていて、自分としては満足だ。そして “Shark Shark ” にも、その領域に通じるある種の陽気さがある。

“Davies and Wales ” と聞いて思い出されたのは、自分の家族のウェールズ系の人びとが80年代から90年代にかけて、ジョナサン・デイヴィスがキャプテンを務めていた頃のラグビーを観戦していたことでした。

JC:私はラグビー的感性が織り込まれていることについて聞かれ続けてるよ!

年に一度、シックス・ネイションズ、当時はファイブ・ネイションズ(※ラグビーの国際選手権大会)の期間中に、母が「デイヴィスとウェールズ! カムリュ・アム・ベス!(※ウェールズ語で「ウェールズよ永遠に」)」と叫ぶのが聞こえてくるようでした。

JC:ファイブ・ネイションズ、ちょっと怖いね。ある意味笑えるし、活気と喜びに満ちあふれているけど、それと同時に他のどこでも同じような過ちが犯されてきた可能性がたくさんある。

そこにはある種の暴力性も潜んでいるかもしれませんね。

JC:間違いない。

ウェールズでの少年時代、あなたにとって故郷の村の図書館がとても重要だったと読んだことがあります。

JC:図書館はすごく重要だった。あの小さな小さな建物の一室にあらゆる本が揃っていて、そこからたくさんのことを学んだ。そこに行って探している本が見つからないときは、本の名前を言えば走って取ってきてくれた。バートランド・ラッセルやウィトゲンシュタインなんかの哲学者だったら1週間以内に手元に届いた。でも、音楽は(ロンドンの)メリルボーン公共図書館から取り寄せることになって、そこが楽譜を手配してくれたんだ。シェーンベルクやもっと無名の作曲家が欲しかったりすると彼らが買ってくれる。図書館はとても重要だった。たとえばハウベンシュトック=ラマティの音楽が欲しいとき──図書館のなかでもっともすばらしく、もっとも知られていない曲のひとつだった!──それが突然に自分の手のうちにやってくるんだから、すごくわくわくしたよ。

あの時点で私たちがやろうとしたことを本当にやった人はまだ誰もいなかった。つまり、ルーはそれに夢中になり、私はなんとしてもその境界線を壊してやろうとしていた。自分たちはいい線いってたと思う!

今朝起きてソーシャルメディアのフィードで目にした最初のニュースは、アイダホ州にあるそういう小さな図書館の話でした。新しい州法によって子どもが本にアクセスすることが法的に難しくなりすぎたという理由で、子どもが図書館を利用できなくなったというのです。あなたの新しいアルバムにある歌詞、「右翼が図書館を焼き払う」を思い出しました。

JC:その歌詞にはとても満足している。いい歌詞をいくつか書けたよ!

でも、混沌のなかに身を置いている割に、『Poptical Illusion』というタイトルは……

JC:ただの思いつきだよ! そこにユーモアのセンスが効いていたから、思いついたときに「こんなことを考えたんだけど……」と言ったら、その場にいた人が、「それ使わないと!」と言ったんだ。だから、いろいろなことにあてはまるし、そこに忍び込んできたんだ。

あなたの作品はつねにポップ・ミュージックとある種の関係を結んでいるように見えます。違いますか? あなたはキャリアの早い段階から、広い意味でポップ市場と呼べるようなところで仕事をすることを選んできましたね。したがって、ポップはクラシックやアヴァンギャルドと対話しているわけですよね。

JC:そう、それは豊穣な土地だ。人生で発見する最良のものごとをすごいスピードで吸収する──音楽や他のあらゆるもの、図書館やきみが必要なもの何もかも。アイダホのああいう人びとは思慮が浅い。人生に何が役立つのかについて考えが足りないんだ。私たちは何かを学んだり身の回りのものを吸収したりする機会があるからここにいるのであって、それを利用しなければただ時間を無駄にしているだけだってことを、彼らは考えたこともないんだろう。

この背後に潜んでいるのは子どもたちが学びすぎることへの恐れ、あるいは子どもたちが成長することへの恐れだと思います。子どもの自立に対する恐れです。

JC:そう! その通り! 恥ずべきことだ。愚かなことだ。はっきり言っていい、それはただの無知蒙昧だ!

この1週間あなたの旧譜を聴き直してみて、『Paris1919』の興味深い点は、表面的にはポジティヴだけれど、おそらくいまは抑えつけられているけれどふたたび表に出るのを待っている暗いものの種を体現しているところだと感じました。

JC:ある時点で、『Paris1919』は言ってみればその醜悪さを楽しませるようにして生き延びてきたと思うようになった。でも、あのアルバムが出たときには、「おまえは何をやってるんだ? 自分にとってヨーロッパとは何かを説明した、LAに住んでる、ワーナー・ブラザーズのために働いてる、すごく変わった感性を備えたアルバムを作った、自分がやってきたことのかなりの部分はウェールズからLAに行くことの意味をカタログ化し、そこに戻って何が起こっているかを語ることだ……『そこに戻って』が何であろうとも」と考えていた。

なるほど。自分があの作品に惹かれたのは、あれが参照している時代のためだと思います。第一次世界大戦が終わり、第二次世界大戦が未来に迫っている。ある意味、それはいまの私たちが経験していることに似ています。瓶詰めにされたものがふたたびこぼれはじめている。

JC:同感だ。でも、それは同時に……ひとつの設定なんだ。このまま続けるためにやっているのか、それともただ自分の周りのことを観察するためにやっているのか? これはそれ以上のものだと思う。避けては通れないものだ。これが私たちの持っているもの、つまり、さあ、やってみようという。

いま、私たちは少しばかり暗い時代の最中にいるように感じていますが、新しいアルバムではほんの少し希望や光を求めているところがあるのではないでしょうか?

JC:それほど頑張ってはいない。そんなに頑張ろうとはしていないよ。

“How We See The Light ” について考えているのですが、この歌詞は憎しみが溶けてゆくようなちょっとしたエンパシーの瞬間に触れているように思えます。

JC:ううむ……つまり、それはとても上品な言いかたで、自分にはまだその準備ができているとは思えないな!

音楽をやっていて年をとるのは避けられないことかと思うのですが、『Mercy』はいまは亡き人や、過去に一緒に仕事をした人、あなたにとって重要な人びとの亡霊たちに取り憑かれているような感じがします。

JC:亡くなった人びとというよりも自分にとって重要な人びとという言いかたがしっくりくるね。なぜかはわからないけれどそれを認識し、認識する行為が自分にとって必要なことのすべてであるように祈るんだ。

今回のアルバムにもそうした亡霊たちの一部がまだ残っているのでしょうか?

JC:たしかにいるだろうね。ただ自分がそれらを意識していないだけなんだ。自分には取り組むべきものがたくさんあると思うけど、ただやり続けるだけだ。というのも、自分のやってきたことは作曲や作詞のスタイルに関して手を出してみたことやアルバムのエネルギーそのものにあらわれていると思う。自分がどうやっているか、何をしているかにより多くの情熱が傾けられているんだ。

意識的に何かに取り組むことなく曲を書き、しばらく時間が経ってから「ああ! あれはこういうことだったんだ!」と思うようなことはありますか?

JC:あるある!『Paris1919』について言ったのはそういうことだ。

ブライアン・イーノが自身のファースト・アルバムについてコメントしたのを読んだことがあります。友だちに「あの曲でブライアン・フェリーについて書いたのはとても勇敢だ!」と言われて、「何だって? あの歌詞はただのナンセンスだ!」と思ったけれど、聴き返してみると「うわ、これは彼のことに違いない!」と思ったそうで。

JC:(笑)! ほらほら、認めろよ、ブライアン! ほら! 私たちは結局のところみんな嘘つきなんだ。

ある意味こっそりやるんだ。そこには狡猾さがある。文学的な側面に寛大な態度でアプローチしようとすると、人びとは曲から出てくる言葉に心地よい驚きを覚える。それは重要だった。

ポップという概念と、それがあなたが経験してきた他の分野といかに相互作用を起こしているかの話に戻ります。それがヴェルヴェット・アンダーグラウンドであなたが担った役割の一部だったのでしょうか? つまりある意味で耳慣れた心地よいロックンロールのようなものを採用し、それを複雑化させたり脱臼させたりする方法を見つけることが。

JC:そう。つまり、脱臼させることはとても重要だった。あの時点で私たちがやろうとしたことを本当にやった人はまだ誰もいなかった。つまり、ルーはそれに夢中になり、私はなんとしてもその境界線を壊してやろうとしていた。自分たちはいい線いってたと思う!

たしかに! その後、あなたはソロアルバムの制作に移行しましたが、『Vintage Violence』の際により馴染みのある伝統的なやりかたでの曲作りを学ぶ必要があるという感覚はありましたか?

JC:少しはあったけど、ロックの作曲法には取り止めなく実験的な部分もあって、それもちょっと邪魔になったな。

何かに斜めから取り組むことが、あなたがつねに追求しているアプローチなのでしょうか。そうでなければストレートでありふれたものになってしまいかねないような。

JC:私の問題は歌詞でも曲でもシンプルに完成させることができないことで、だからつねに何かにぶつかってしまうんだ。衣装棚か何かにつまづいて自分が追い求めていたのは何だったっけと考えなければならない。それは最近でも続いている。つまり、こんな話をするほど私の頭ははっきりしていないんだ。

なるほど。近頃では音楽制作技術の進歩によって、やりたいことに関して技術的な制約がほぼないようなものになって、無限の選択肢がありますよね。

JC:そうだね。自分が何をやってみたいかを選ぶことの方が問題になるね。

それについて今回はいかがでしたか?

JC:このレコードにどれだけ怒りを込めることができたか、かな。ただ、人に気づかれないようにね。

それをどのようにやりましたか?

JC:ある意味こっそりやるんだ。そこには狡猾さがある。文学的な側面に寛大な態度でアプローチしようとすると、人びとは曲から出てくる言葉に心地よい驚きを覚える。それは重要だった。

怒りに満ちたものによりソフトなアプローチを採用することで、力強いものが生まれるかもしれません。つまり、パンクとそれがノイズ・ミュージックに発展していく過程において、衝撃を与えるために音響的にできることには限界があると、かなり前に結論が出ています。

JC:かつてアヴァンギャルドはそれを大量に提供し、その背後にはジョン・ケージの微笑みがあった。それはきみの人生を少しだけ楽にしただろう。「これを理解しようとしなくてもいい」と言って。一方でシュトックハウゼンなら「これを聴こうが聴くまいがどうでもいい!」と言うだろう。だから、もうそういうゲームの時代は過ぎ去ったという意見には同意するよ。いずれにしてもヒップホップがすべてを追い越していったと思うね。

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“I think how much anger I could get into the record. But without people noticing it.”
interview with John Cale
by Ian F. Martin

In a career as rich as John Cale’s, it’s hard to know where to start. You could start at the beginning, in the small Welsh village of Garnant, playing organ in a nearby church and immersing himself in sheet music from the local miners’ union library. His early years in London collaborating with the Fluxus art community, or in America working with his near-namesake John Cage and La Monte Young. Creating the foundations for a whole alternative universe of rock with The Velvet Underground — not to mention fostering the parallel rock history that spun out from it through his production work for The Modern Lovers, Patti Smith, The Happy Mondays and more. Any point in his long and diverse solo career is the entry point into a story.

But for both a window into where John Cale is now and into the history that underscores it, his superb new album “Poptical Illusion” is the natural starting point.

For all Cale’s reluctance to attribute too much meaning to the album’s title, a big part of why it works is because it rings true. It’s possible to listen to “Poptical Illusion” as a pop album and it delivers right from the moment opening track “God Made Me Do It (don’t ask me again)” in the hooks, melodies, the crystalline perfection of its production — in that sense, there’s certainly a pop album in there to be found by those with a mind to seek it out.

The illusory aspect is more open-ended. There’s the sense in which all pop is the art of illusion or fantasy: that it lies to you that everything is OK, wrapping you in the comforting embrace of familiar chords and melodies that resolve just how you’re expecting them, even when relaying stories of of sadness. That’s not how John Cale does things, though. Ever since his days with The Velvet Underground, his music constantly finds ways to subvert the familiar and upend expectations. His solo career has followed a path of never letting one success become a formula. His early years took in a largely instrumental collaboration with Terry Riley and the delicate chamber pop of his well regarded 1973 album “Paris 1919”, followed by the deconstructed rock’n’roll and generally starker, lopsided lurch of the subsequent “Fear” and “Slow Dazzle”. From there, he has explored classical, avant-garde and pop extremes, never satisfied to stay in one place, constantly moving on to the next thing.

“Poptical Illusion” itself marks a shift from its predecessor, “Mercy”, which was characterised by its many collaborations with a wide variety of artists. Instead, it’s a far more musically self-contained world. There are nonetheless markers of continuity in the themes, Cale’s distinctive, rich vocal delivery, and also in his lyrics. Perhaps partly due to his early connection with Lou Reed, Cale seems like a songwriter who has never fully got his due as a lyricist, but he has a disorientating talent for telling stories that leave most of the information needed to fully understand them in the gaps between the lines. The way characters in the songs express their fears, anxieties and melancholy, rarely revealing more than fragments of the events and actions that give them context, lends this new album a literary hue recalling the queasy and untethered atmosphere of writers like M. John Harrison or maybe Alain Robbe-Grillet.

And for all Cale’s musical diversity, “Poptical Illusion” shares his past work’s sense of dislocating the familiar, from the stomach-turning lurch out of key in the middle of “Calling You Out” to the layers of distortion that build up through the catchy, looping hook of “Shark Shark”.

In advance of the album’s release, I spoke to Cale online from his home in Los Angeles (transcript edited for concision and flow):

IM:Your new album “Poptical Illusion” comes quite swiftly after last year’s “Mercy”.

JC:I’m trying to get as much work done as possible. It all started because of the lockdown. When that happened, all of a sudden I didn’t know how long it was going to be possible to get the work under my belt because there was no one around to work with me on it. A lot of people were really not around. So I tried to get as much work done as I could when I got going. It turned out that I was pretty aggressive about getting to the end of the project. In the end, I was very happy about how things were going — there were plenty of ideas around and different kinds of aggression in the music. By the time I finished it, I had a whole lot of songs. I didn’t expect it, but I was very happy about it.

IM:Compared with “Mercy”, where every track was a collaboration with other artists, the new one feels more self-contained. Was that the influence of the pandemic?

JC:Yeah. I just got to work, and I got a grip on the kind of aggression that I wanted in the music. And it just came a little bit easier. But the fact I wrote so many songs since that album was finished, and now I have this one so it’s a little easier to bring it out quickly.

IM:You say about a kind of aggression…

JC:Well that’s something that just happened because I was really anxious to get the work finished.

IM:Maybe this is a different sort of aggression, but it feels like some of the themes carry over from “Mercy”. The lyrics maybe approach it from an abstract or oblique angle, but there does seem to be this thread of an ongoing breakdown of society.

JC:Yeah, that’s one of the attractive things about writing lyrics. You have different ways of using language. The chaotic side of things are really attractive to me. It’s not just trying to fit the bill and make sure your poetic side is is ignored.

IM:You’ve said in the past that one of the great things about working with Lou Reed as a lyricist is that he was so good at teasing out the contradictions in things.

JC:Yeah, you could say that. I mean, I took it to heart. It was very important to me that chaos is acceptable.

IM:I feel like there’s also been this influence of Dylan Thomas that runs through your work in the past.

JC:I mean, I try to! And then when I didn’t quite get it together, I just said “To hell with it, I’m going to try to set all of Dylan Thomas’ poems to music!” That was a challenge. You’re really dealing with someone who has a very powerful sense of poetry, so I took what I could and tried to learn as much from it, but his sense of rhythm is just stunning. It’s just one of those things when you grow up in Wales that you… “Wow, I wish I could do that!” It’s very important… “OK, go ahead and do it! Don’t worry about it, get on with it!”

IM:It was on “Words for the Dying” that you went really hard into setting Dylan Thomas’ poetry to musig, wasn’t it?

JC:That’s right.

IM:Growing up with Welsh family, I understand exactly what you mean about the importance of his work. I mean, I think the influence of Wales generally is a topic you keep coming back to, despite having moved away a long time ago.

JC:(Laughs) Yeah, I confess to that! It’s really, once you’ve had that inkling of the warmth and generosity of that place, it stays with you. It’s not something you can get rid of just by getting angry at somebody. Especially the sense of fun. When I wrote “Davies and Wales”, that was something satisfying to me because it showed that side of humour. And “Shark Shark” too, there’s a certain frolic that goes with the territory.

IM:When I heard “Davies and Wales”, what it reminded me of was the Welsh side of my family watching the rugby in the 80s and 90s when Jonathan Davies was captain.

JC:I’ve been grilled about the tapestry of rugby sensibilities!

IM:I could kind of hear my mother crying out “Davies and Wales! Cymru am byth!” once a year during the Six Nations, or the Five Nations it was then.

JC:The Five Nations, it’s kind of scary. It’s kind of funny in a way, and full of life and joy, but at the same time, there’s so much potential there for the same sort of mistakes that have been made everywhere else.

IM:Maybe a kind of violence lurking inside there as well.

JC:No doubt.

IM:In your early days in Wales, I read that the library in your home village was very important.

JC:The library was very important, very important. I learned so much from that small, little building with one room in it that had all the books. And you could go in there and if you couldn’t find what you were looking for, you gave them the name of the book and they would run off and get it. Bertrand Russell, Wittgenstein, any of the philosophers, you would get within a week, but if you went and asked them for music, I would get the music from Marylebone Public Library (in London), who would make sure they got you the scores for the music. If I wanted Schoenberg or I wanted some obscure composers, they would go and buy it for you. The library was very important. It was very exciting for me if I wanted a piece of music by Haubenstock-Ramati, for instance — one of the finest, obscurest titles in the library! If you suddenly had it in the palm of your hand.

IM:The first piece of news I saw in my social media feed when I got up this morning was a story about a small library like that in Idaho that has just announced they can’t allow children anymore because new state laws make it too legally difficult to let children access books. It reminded me of the lyric on your new album about “the right wingers burning their libraries down”.

JC:I was very satisfied with that. I got a good few licks in there!

IM:But for all of this immersing yourself in chaos, the title “Poptical Illusion”…

JC:I just made that up! The thing with it was that it had a sense of humour that worked, so when I came up with it and said, “Here’s something to think about…” the other person in the room said, “You’ve got to use that!” So that covers a lot of ground, it sneaks in there.

IM:Your work does always seem to be in a sort of relationship with pop music though, doesn’t it? You chose from an early point in your career that you were going to work in what I suppose we could broadly call the marketplace of pop, so pop’s in this conversation with the classical and the avant-garde.

JC:Yeah, it’s a fertile ground. It’s the speed at which you can absorb the best things you can find in life — music and everything else. Libraries and whatever you need. These people are thoughtless: whoever these people are in Idaho are. They’ve no consideration for what is useful in life. I don’t think it ever occurred to them that you’re around here because you have a chance to learn something or absorb what’s available to you, and if you don’t take advantage of it, you’re just wasting time.

IM:I think what’s lurking behind this is almost a fear of children learning too much or a fear of children growing up. A fear of the independence of children.

JC:Yes! Absolutely! It’s shameful. It’s so stupid. You’ve got to call it what it is: it’s just ignorance!

IM:Listening back over your back catalogue this past week, I felt that an interesting aspect of “Paris 1919” was that it’s positive on the face of it but maybe it embodies the seeds of something dark that’s been repressed, waiting to come out again.

JC:I think at one point, Paris 1919 did have a life that had these uglinesses being entertained, shall we say, but by the time the album came out, I thought “What are you doing? You’ve now explained what Europe means to you, you live in L.A., you’re working for Warner Brothers, you’ve written an album that has very peculiar sensibilities in it, and pretty much what you’ve done is you’ve catalogued what it means to go from Wales to L.A. and talk about what’s happening back there… whatever ‘back there’ is.”

IM:I see. I suppose what caught me with it was the time period it references, between the end of the First World War and with the second looming in the future. And in some ways that feels like what we’re going through now, with things that had been bottled up starting to spill out again.

JC:I agree, but it’s also… it’s a set up. Are you doing this to carry on or are you doing this just to observe what’s around you? I think it’s more than that: it’s something you can’t evade. This is what we have: let’s get on with it.

IM:We’re in the midst of what feels like a bit of a dark period right now, but on the new album aren’t there perhaps places where you looking for a bit of hope or light?

JC:Not too hard. I’m not trying too hard.

IM:I’m thinking of “How We See The Light”, where the lyrics seems to touch on these little moments of empathy where the hatreds can dissolve.

JC:Hmm… I mean, that’s such a genteel way of putting it, I’m not sure I’m ready for that yet!

IM:I suppose this might be an inevitable feature of growing older in music, but “Mercy” seems like it was haunted by the ghosts of people who’ve now passed, or who you’ve worked with or were important to you.

JC:That’s the way to put it: not so much people who’ve passed but people who were important to me. You don’t know why, but you recognise it and you pray that the act of recognising it is everything that you need.

IM:Are some of those ghosts still present on this current album?

JC:I’m sure they are. I just haven’t addressed them. I think I’ve got plenty of stuff to work with, but I carry on. Because I think what I’ve done is I’ve put my finger on something in the style of writing and the lyrics, and the energy of the album itself, that’s a lot more passionate about how I’m doing and what I’m doing.

IM:Do you find something that happens is that you’ll write music without consciously addressing something and then after some time’s passed between you and the music’s passed, you think, “Ah! That’s what that was about!”

JC:Yes! Yeah, that’s what I was saying about “Paris 1919”.

IM:I remember reading a comment by Brian Eno about his first album and having a friend come up to him and say, “It’s so brave what you wrote about Bryan Ferry on that song!” and him thinking, “What? Those lyrics were just nonsense!” but then listening back and thinking, “Oh God, this is absolutely about him!”

JC:(Laughs!) Come on, own up, Brian! Come on! We’re all liars in the end.

IM:To come back to this idea of pop and how it interacts with the other disciplines you’ve experience in, was that part of your role in The Velvet Underground? To take something that could be kind of familiar, comforting rock’n’roll and to find some way of complicating or dislocating that?

JC:Yes. I mean, the dislocation was very important. No one had really done what we tried to do at that point. I mean, Lou was enthralled by it and I was hellbent on breaking the boundaries. I think we got somewhere with it!

IM:Definitely! When you moved onto making your solo album after that, with “Vintage Violence”, was there a sense where you had to learn how to write songs in that more familiar, traditional way as well?

JC:I mean, there were a few, but there were also some disjointed experiments in rock writing that got in the way a little bit as well.

IM:So is that approach of always looking for oblique approaches to something that otherwise might be straightforward and familiar something you always gravitate towards?

JC:My problem was that I couldn’t complete a verse or a song with simplicity, so there was always something that I was bumping into. I’d trip over a chest of drawers or something and I’d have to figure out what it was I was going after. And it kept going, even recently. I mean, I’m not clear-headed enough to talk about all of that.

IM:Sure. Though nowadays, with music production technology’s advances, it’s almost like there are almost no technical restrictions on what you want to do if you want to because there are so many options available.

JC:That’s true. It’s more a problem of choosing what it is you want to mess with.

IM:How about this time round?

JC:I think how much anger I could get into the record. But without people noticing it.

IM:How do you go about that?

JC:It’s kind of sly. There’s a trickiness to it. You try and approach the literature side of it in a forgiving way, and people can be pleasantly surprised by the kind of language that comes out of these songs. Not quite as understandable, which was important.

IM:It can be powerful to take a softer approach into something angry. I mean, with punk and how it evolved into noise music, it’s almost like the limits of what you could do sonically to shock reached their conclusion a while back anyway.

JC:The avant-garde used to provide this in reams, and behind it there would be a John Cage smile that would make your life a little easy, saying “Don’t worry about understanding this.” Whereas Stockhausen would have said, “Listen to this or get lost! I don’t care.” So I agree with you that the time has passed for that game. I mean anyway I think hip-hop has overtaken the whole lot.

FUMIYA TANAKA & TAKKYU ISHINO - ele-king

LIQUIDROOM 20th ANNIVERSARY
-HISTORY OF TECHNO-

djs
FUMIYA TANAKA
TAKKYU ISHINO

vj
NAOHIRO UKAWA
with REAL Rock DESIGN
(FULL GENERATIVE AI VJ SET)

2024.08.03 saturday
LIQUIDROOM
open/start:23:00
TICKETS:¥4000(+1drink order別) 
先着先行:6/15(sat)10:00-7/7(sun)23:59
https://eplus.jp/sf/detail/4123530001-P0030001

・注意事項
※ご入場の際、ドリンクチャージとして700円頂きます。
※本公演は深夜公演につき20歳未満の方のご入場はお断り致します。本人及び年齢確認のため、ご入場時に顔写真付きの身分証明書(免許書/パスポ ート/住民基本台帳カード/マイナンバーカード/在留カード/特別永住者証明書/社員証/学生証)をご提示いただきます。ご提示いただけない場合 はいかなる理由でもご入場いただけませんのであらかじめご了承ください。

歴史は夜作られる

 夜は、昼に対するオルタナティヴだ。いつだってそう、歴史は夜作られる。とはいえ、何もわかっちゃいなかった。90年代がはじまったばかりの頃、ある程度、ハウスやテクノの知識はあったし、そうタグ付けされたレコードも所有していた。クラブに行って踊ってみたりもした。だが、じつは何もわかっちゃいなかった。自分はただ、それまで好きだったロックの耳で、ハウスやテクノを聴いていたに過ぎなかった。ダンス・ミュージックとしての、身体的で、肉欲的な、解放の音楽を、感覚や魅惑がつねに優位にたつ、言うなればこのエクスタシーの音響科学の本質を30年前のぼくに教えてくれたのは、田中フミヤと石野卓球である。
 すばらしく安全で、しかしまったく安全ではない自由。熱狂的で過激な欲望が、この音楽文化のイマジネーションと創造性の原動力になる。彼らふたりが日本のテクノ史において重要なのは、まさにそこだ。フロイト的に言うならイドの解放。テクノに対するこうした解釈、すなわち週末が楽しみでならないライフスタイルの喜劇と悲劇を、その最高の瞬間の数々を、この日本で、ディスコもハウスも知らない世代に叩き込んだ偉大な、罪深きDJたち(笑)。ダンス・ミュージックとしてのテクノが彼らからはじまったとは言わない。しかし、それをこの日本にいっきに広めたのは、間違いなく彼らだった。
 ふたりはある時期からは、それぞれの道へと進んで、それぞれの音楽を更新し続けている。同時に、あれから30年、シーンの細分化は加速し、多くのサブジャンルが生まれている。みんなが同じ場所にいるということは、いまでは滅多に見られない。だから、いまいちど、彼らふたりのDJというだけでじゅうぶんに胸アツなのだ。「history of techno」などというお題がなくても、彼らがまたその夜、歴史の新たな1ページを作ってくれるだろう(もうひとりのすばらしい共演者、我らが宇川直宏がREALROCKDESIGNとタッグを組んだ、フルAIによるVJとともに)。
ele-king 野田務

SOUL FIRE meets Chica/Undefined meets こだま和文 - ele-king

 いまダブの波が来ている。宇田川町に居を構える虎子食堂の15周年記念イベント特別編、強力な面子×2組による熱い一夜のお知らせだ。
 ひと組は、大阪のダブ・マスターHav率いるSOUL FIRE。バンドとしてはひさびさの東京でのライヴで、ヴォーカリストChicaとともに出演する。
 もうひと組はレジェンドこだま和文と、共作『2 Years / 2 Years In Silence』を残すUndefinedによるタッグ。こちらもひさびさのライヴとなる。
 DJ陣も抜かりない。レゲエ・セレクターのパイオニアのひとりである佐川修、blastheadのHIKARU、そして先日seekersinternational & juwanstocktonの強烈なダブ・アルバムを送り出したレーベル〈Riddim Chango〉(1TA&Element)の3組。
 さらに会場では、SOUL FIREの7インチが先行販売されるという。8月24日は渋谷WWWに集合です。

超の付くダビーな15周年、超虎子の宴開幕です!

うまい飯とうまい酒、そして音楽とそこに集まる人、人、人──宇田川町に居を構えて15年、虎子食堂、今年の周年のスペシャル・ヴァージョンは現地を飛び出し、同じく渋谷のWWWにて「これしかない」と店主熟考の下に集めたラインナップで開催決定!この国のダブのオリジネイターのひとり、こだま和文、そして海外のモダン・ダブの牙城〈ZamZam Sounds〉などからもリリースするダブ・ユニット、Undefined。2022年にコラボ・アルバム『2 Years / 2 Years In Silence』をリリースした両者が、同年の同じくWWWでのライヴ以来、ひさびさにライヴを行う。もう一方のスペシャルなライヴ・アクト、大阪のダブ・マスター、Hav率いるSOUL FIREがヴォーカリスト、Chicaと共に出演。バンドとしては虎子7周年記念以来の東京でのライヴ。この国の東西のある意味でレジェンダリーでありながら、現在進行形のダブ・サウンドが直撃する一夜となる。DJには、この国のレゲエ・セレクターのパイオニアのひとりであり、「溶け出したレコード箱」などここ数年、虎子食堂での出演が活発化している佐川修。想像の外側からエコーの残響にのってダビーにアシッドの熱風を呼び込む、HIKARU。国内外の現在進行形のダブ・サウンドをリリース、1TAとElement──今回会場で先行で販売されるSOUL FIREリイシュー7インチをリリースするなど過去の国内産ダブの遺産を紹介する1TA〈Rewind Dubs〉、そして I Jahbarとのコラボなどカッティング・エッジなダブ・サウンドをリリースするElementによる〈Parallel Line〉というサブ・レーベルもそれぞれ運営──によるセレクター・デュオ / レーベル、Riddim Changoも登場する。レゲエやダブを後景にしつつ、さまざま音楽とそれを愛する人が集まるあの場所の、15年の集大成、いわば超虎子食堂的な一夜を!(河村祐介)

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公演タイトル:SUPER TIGER

出演:
〈LIVE〉SOUL FIRE meets Chica/Undefined meets こだま和文
〈DJ〉佐川修/HIKARU (blasthead)/Riddim Chango (1TA & Element)

日時:2024年8月24日(土曜日)開場/開演 18:00
会場:WWW
前売券(2024年6月12日(水曜日)18:00発売):3,500円(税込・ドリンク代別)
前売券取扱箇所:イープラス、虎子食堂店頭
問い合わせ先:WWW 03-5458-7685

フライヤー画 : 西加奈子

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★国産Dubリイシュー・レーベル〈Rewind Dubs〉より、関西のレジェンドDubバンドSOUL FIREのアーカイブから7インチアナログレコードがリリース決定、そして本イベントにて先行販売!
2000年初期にリリースされたアルバム「SOUL FIRE」から煙立ち込めるルーディなステッパーチューン"Rizla”と、未発表曲"Who is DirtyHarry?"をカップリングした一枚。

7-inch Vinyl single
Soul Fire - Rizla w/ Who is DirtyHarry?
Catalog number : RWDS7-001
Price : ¥1,980 (tax in)

https://www-shibuya.jp/schedule/018020.php

James Hoff - ele-king

 ニューヨークのアーティスト、ジェイムス・ホフ(1975年生まれ)の新譜『Shadows Lifted from Invisible Hands』がフランスの実験音楽レーベル〈Shelter Press〉からリリースされた。アルバムとしては2014年にドイツのエクスペリメンタル・ミュージック・レーベル〈PAN〉から発表された『Blaster』以来なので実に10年ぶりにということになる。
 もっとも2022年にEP『Inverted Birds And Other Sirens』を〈PAN〉よりデジタルリリースしているので、ホフのサウンドアーティストとしての音源発表は2年ぶりなのだが、そもそも2022年のEPリリースもそれなりに驚きだったのだ。だいいちこの時点で8年ぶりだ。 
 というのもホフは現代アートの画家としても活動をしているし、さらには60年代以降の知られざる現在美術を発掘する独立系出版社「Primary Information」(https://primaryinformation.org)の共同設立者でありディレクターでもあるのだ。つまり現代アート/美術方面での活動がメインと言ってもよいかもしれない(ちなみに『Shadows Lifted from Invisible Hands』のアートワークは米国の画家・彫刻家のジャック・ウィッテン(Jack Whitten)の1979年作品「Mother's Day 1979 For Mom, 1979」)。だからもうサウンド・アーティストとしての音源はリリースされないのではないかと勝手に思っていた。ゆえに2022年の『Inverted Birds And Other Sirens』は驚きだったし、今回の『Shadows Lifted from Invisible Hands』も同様である。次のリリースまで10年近い月日が必要だったのだろう。
 
 テン年代エクスペリメンタルミュージックのリスナーにとって、〈PAN〉からリリースされたジェイムズ・ホフの『How Wheeling Feels When The Ground Walks Away』(2011)と『Blaster』(2014)は忘れ難いアルバムだった。新しいノイズ・ミュージックを提示する10年代前半の〈PAN〉とのノイズとポップの領域を拡張するような作品をリリースし始める10年代後半以降の〈PAN〉との「はざま」にあるような作品/アルバムだったからである。ノイズとポップ、実験とポップの領域を拡張するような作風だったというべきか。
 特に『Blaster』はダンス・ミュージック的な躍動感と強烈な電子ノイズが同居する躍動的なアルバムであり、コンピューターウイルスに感染させたサウンドファイルを用いるなどコンセプチュアルなアルバムでもあったのだ。あえていえばマーク・フェル直系のグリッチ/テクノ・サウンドだった。

 だが本作『Shadows Lifted from Invisible Hands』はやや趣が異なる。理由は3点ある。まずリリースが〈PAN〉からではなく、フランスの〈Shelter Press〉ということ。そしてピアノやドローンを用いたクラシカルなサウンドということ。加えてマシニックかつ無機的な『Blaster』と比べるとエモーショナルなこと。この3点である。
 むろんノーコンセプトというわけではない。「ここ数年頭から離れないポップソング(ブロンディ、マドンナ、ルー・リード、デイヴィッド・ボウイ)の断片と、何十年も経験してきた耳鳴りの周波数から作られた」という。だが同時にこれは「自伝的」ともホフが語っている。つまり「このアルバムは主に、現代の音響状況の中で、個人的、感情的、そしてもちろん批判的な新しいものを作ることをめざした自己肖像です」というのだ。
 ここで興味深いのは、この明晰な「コンセプト」が、そのまま自伝的な意味合いを帯びている点である。それが結果として静謐でエモーショナルなクラシカル/アンビエントになったことが自分には興味深い。この作風は確かにストリート・エクスペリメンタルな作風の〈PAN〉というより、室内楽的な音響作品を主とする〈Shelter Press〉的だ。
 
 アルバムは30分ほどの収録時間で全4曲収録している。先に書いたようにピアノ、シンセサイザーによるアンビエント調の楽曲だが、どこか中心点な曖昧で、音がゆっくりと崩壊していくようなムードがある。そこに微かなエモーションが息づいているという不思議な音楽だ。マシンからエモーショナルへ? ともあれ確かに現代はエモ・アンビエント(クレア・ラウジー)の時代なのかもしれない。
 1曲目“Eulogy for a Dead Jerk”は低音のシンセサイザーによる短い持続音から始まり、やがてそれが弾け飛ぶような音と共に本格的に幕を開ける。その一撃から音楽性は一変し、点描的なピアノと弦学風のシンセサイザーによるアンサンブルになる。やがて高音の電子音も絡みつく。実に見事な電子音のアンサンブルだ。
 2曲目“Everything You Want Less Time”はクラシカルなピアノから始まり、透明なシンセサイザーのフレーズが折り重なる短い楽曲だ。3曲目“The Lowest Form of Getting High”は1曲目“Eulogy for a Dead Jerk”のような高音の電子音にクラシカルなフレーズがレイヤーされるトラックで、その旋律はやがて誰もが耳にしたことがあるだろうメロディへと変化していく。4曲目“Half-After Life”は以前のホフ的な強烈なノイズからは始まり、すぐさま弦の音とピアノの音が絡み合うサウンドへ変化する。それがやがて美麗なシンセサイザーと加工された声や電子ノイズが応答するようなサウンドスケープを形成する。何より霞んだピアノの響きが美しい。

 このアルバムに自伝的な要素があるとすれば、先にあげたポップソングの引用だろう。しかしそれらの楽曲の音は徹底的に加工され、原型は消失し、もはやほぼ判別ができない。だから重要なのは「記憶」が溶け合っていく、そして「消失」してしまう、その感覚の表現にこそあるように思える。記憶、生成、消失。その音楽/音響化を、例えばザ・ケアテイカーとは異なる手法で実現したアルバムが、本作『Shadows Lifted from Invisible Hands』ではないかと思う。20年代のアンビエンスがここにある。

ドライブアウェイ・ドールズ - ele-king

 ラナ・デル・レイが昨年リリースしたアルバム『Did You Know That There’s A Tunnel Under Ocean Blvd』に収録された〝Margaret〟は、同アルバムをプロデュースしたジャック・アントノフの妻で役者のマーガレット・クアリーの名前をタイトルにしている。アントノフはクアリーに一目惚れだったとデル・レイが最初に歌い、それを受けてアントノフ本人(=ブリーチャーズ名義)が現在のパートナーに少しでも疑問がある人はすぐにその場から逃げろ、逃げろ、逃げろと強く訴える。さらにデル・レイが自分の恋愛に迷いがある人はアントノフとクアリーの結婚式に参列したらいいと結婚式の日取りを告げる。複雑な構成だけれど、基本的には自分の恋愛に漠然とした不安を抱いている人は時間がそれを解決してくれると繰り返す曲で、デル・レイのなかでもとりわけ甘ったるく、暗いカントリーである。アントノフはデル・レイだけでなく、テイラー・スウィフトやロードも手掛ける売れっ子のプロデューサーで、〝Margaret〟はどことなく〝Royals〟などを思わせる。

 マーガレット・クアリーは5年前にタランティーノ監督『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でクリフ・ブース(ブラッド・ピット)を誘惑するプッシーキャットの役で鮮烈な印象を残し、イーサン・コーエン監督『ドライブアウェイ・ドールズ』で早くも主役の座を射止めることとなった(2年前のランティモス監督『哀れなるものたち』では実験材料の役だった)。『ドライブアウェイ・ドールズ』は簡単にいえばレズビアンのカップルがフィラデルフィアからタラハシーまで南下しながら、スピードを出し、食事をしたり、セックスの相手を探すなどふざけ半分でドライヴを楽しむロード・ムーヴィーで、同作の性格は、脚本を書いたイーサン・コーエンの妻、トリシア・クックの言葉が最もわかりやすい説明となっている。いわく、レズビアンを描いた作品は重くシリアスなものが多いので、楽しいセックスを描こうと思ったと。確かに『アデル、ブルーは熱い色』『キャロル』『ロニートとエスティ』と、10年代に公開されたレズビアン映画は受難の時代を題材にしたものが多く、勇ましい気分になることはあっても楽しい作品とはいえなかった。対して『ドライブアウェイ・ドールズ』は笑いっぱなしに近い。共演のマリアンを演じたヴェラルディン・ヴィスワナサンによればカメラが回ってないところでもマーガレット・クアリーは彼女のことを笑わせにかかっていたという。

 1999年12月、オープニングはキケロのバーでアタッシェ・ケースを抱えたサントス(ペドロ・パスカル)がボックス席に座っている。店内にはリジー・メルシェ・デクローによる〝Fire〟のカヴァーが鳴り響いている。サントスは歌詞の通り火がついたようにいきなり店を飛び出すと後から追ってきた店の主人に殺される。場面変わって隠キャのマリアンが仕事場で同僚の男にナンパされるも無視し、陽キャのジェイミーとレズビアン・バーに出掛けていく。ステージに上がり、みんなから脚光を浴びるジェイミーとは対照的にマリアンは地味な服装に嫌味を言われるなど、まったくその場を楽しめない。ジェイミーはしかし、実際にはガールフレンドと別れたばかりでやさぐれた気分になっていて、マリアンがタラハシーに住んでいる叔母の元を訪ねるという話を聞くと、配送サーヴィスで車を借りて一緒にドライヴしながら行こうと提案する。配送センターでタラハシー行きの車を探すシーンがいきなり面白い。胸に「カーリー」という名札をつけたおっさん(ビル・キャンプ)にジェイミーが「カーリー」と話しかけると、おっさんは芝居がかった芝居をしながら「初対面でいきなりカーリーと呼ぶんじゃねえ」と怒り出す。カーリー・ヘアのジェイミーが怒るならわかるけれど、カーリー・ヘアがカーリーのことをカーリーと呼んでカーリーに怒られるのである。ジェイミーがガールフレンドと住んでいた部屋に自分の荷物を取りに戻ると、留守にしているはずのスーキー(ビーニー・フェルドスタイン)がなぜか家にいて壁に取り付けられたディルドをぶっ壊している。「2人で使わないのならこんなディルドはいらない!」とスーキーは絶叫し、マリアンはひたすら怯えている。部屋のドアを開けてすぐのところにある壁にディルドを取り付けていることがそもそもどうかしている。

 配送センターにギャングがやってくると、タラハシーに向かうはずの車が何者かによって先に持って行かれたことを知る。ギャングたちはカーリーをボコボコにし、スーキーの家を探り当てて部屋に乗り込むと、荒れ狂うスーキーに返り討ちにされる。わやくちゃなシーンが様々に続き、ジェイミーとマリアンの車がフロリダ州に着くとタイヤがパンクし、スペアを取り出そうとしてトランクを開けてみる。そこには冒頭でサントスが抱えていたアタッシェ・ケースと丸い箱があり、箱のなかには切り落とされたサントスの首が入っていた。首だけになったペドロ・パスカルというのも笑うけれど、この構図はどうやらファンカデリック『Maggot Brain』のジャケット・デザインを模倣したものなのである。

 本作はイーサン・コーエンによる初の単独作で、実質的な共同監督だという妻のトリシア・クックとも初めて組んだ劇映画となる(2人はジェリー・リー・ルイスのドキュメンタリーを撮ったことはある)。演出スタイルはラス・メイヤーやジョン・ウォーターズを意識したらしく、なるほどかなりえげつない。とはいえ、僕が観た限り同作の演出はコーエン兄弟の方法論そのままで、複数の要素を絡ませる手際はもはやお家芸。アメリカの政治状況を寓話に落とし込むのが天才的に上手いコーエン兄弟の作品は誰かの自由意志によって物語が進むという印象を与えず、登場人物すべてが神の手のひらで転げ回っているように見えてしまうのが特徴。そうしたセンスはこの作品も同じくで、脚本がつくり込まれ過ぎていて独自に人物造形をする余地がなかったと出演者たちが回想していたようにジェイミーがマリアンを振り回しながらレズビアンが自分たちに必要な感情を探り当てていく過程はそのままクリントン政権下でレズビアンがひとつの勢力として固まっていくプロセスを表しているかのよう。ジェイミーとマリアンがお互いを理解し、最終的には人生のパートナーになっていくことはわかりきったことだけれど、なかなかストレートにそこまで辿り着かないところが『ドライブアウェイ・ドールズ』を、まあ、過分に面白くはしているし、それこそラナ・デル・レイの歌詞が言い得て妙ということになる。

(以下、ネタバレ)ジェイミーとマリアンがアタッシェ・ケースを開けてみると複数のディルドが入っている(!)。だいぶ後になってわかることだけれど、そのうちのひとつは上院議員ゲイリー・チャネル(マット・デイモン)のペニスを形どったもので、これが今後も世に出回ると大統領選に響くと考えたチャネルがこれを回収しようとしてギャングたちを動かしていたのである。この映画にはところどころで挿入されるトリップ・シーンのような映像があり、観ている時はなんだかわからなかったのだけれど、終わってからパンフレットを読んでみると、60年代にジミ・ヘンドリックスやウエイン・クレイマー(MC5)のペニスを実際に型取りしたヴィジュアル・アーティスト、シンシア・プラスター・キャスター(22年没)を題材としたもので、この役をノー・クレジットでマイリー・サイラスが演じている。シンシア・プラスター・キャスターがチャネルのペニスを型取りしたという無茶苦茶な設定はどうなのかと考える暇もなく、さらにはマイリー・サイラスがそのシーンで使うようリクエストした曲が〝Maggot Brain〟だったという……うむむ。

 チャネルがジェイミーたちとの取引に応じ、バーのボックス席で待っている時にも〝Fire〟が鳴り響いている。100万ドルを用意してきたチャネルの前にジェイミーたちが姿を現すとチャネルが「誰?」と尋ね、マリアンは「デモクラッツ」と答える。普段、アメリカ人は、民主党のことは「デム」と発音するので、ここで「デモクラッツ」とフルでゆっくり答えるところは爆笑だった(チャネルは大統領候補だとされていたので、翌年が大統領選だったことを考えるとやはりブッシュ・ジュニアを念頭に置いている?)。上映中はそういえば女性たちの笑い声が何度も湧き上がっていた。そもそも観ていたのは女性の方が多く、帰り道で興奮したように話し合っている女性たちの姿も微笑ましかった。そう、間違っても反フェミのアニオタは観に行かない方がいい。女性たちをそうした視線で眺める世界観はここにはまったくない。とはいえ、僕にはこの作品のタイトルがもうひとつよくわからなかった。作品の終わり頃、壁に落書きされた「Drive-Away Dykes」の文字に「oll」という文字が飛んできて上から貼り付き、「Drive-Away Dolls」というタイトルに様変わりするシーンがある。「Drive-Away Dykes」はヘンリー・ジェイムズの小説だそうで、「Dykes」はレスビアンを表す俗語。これがなぜ「Dolls」に置き換えられたのか。「Dolls」は明らかにジェイミーとマリアンのことで、彼女たちを「人形」と呼び換える意味がよくわからない。単に「かわい子ちゃんたち」という意味なのだろうか。ジェイミーがレズビアン・バーでワン・ナイトの相手を見つけて帰ってくるとマリアンはいつも本を読んでいて、それもヘンリー・ジェイムズの『ヨーロッパ人』だという。勉強不足でどうもこのあたりのことが腑に落ちないままです。

Tribute to Ryuichi Sakamoto “Micro Ambient Music” - ele-king

 坂本龍一への敬意を表する国内外 41 名の音楽家による未発表の 39 作品を収録した コンピレーション、2023 年ドイツ音楽評論家賞 Electronic & Experimental部門を受賞した『Tribute to Ryuichi Sakamoto “Micro Ambient Music”』が、2024 年5月29日から配信されている。また、同時にアナログ盤もリリースされる。以下、リリース・スケジュールとその内容です。

Tribute to Ryuichi Sakamoto “Micro Ambient Music”

Vol. 1 2024 年 5月31日 (水)発売
01. Tetuzi Akiyama / Transparent Encephalon
02. Otomo Yoshihide / Moonless Night
03. Toshimaru Nakamura / nimb#75
04. Sachiko M / to the sunny man
05. David Toop / Hearing Cries From the Lake
06. Rie Nakajima and David Cunningham / Slow Out
07. Lawrence English / It Is Night, Outside

Vol. 2 2024年7月31日 (水)発売
01. SUGAI KEN / Swallow & Electronic Swallow (2023 Rainy Season)
02. Kazuya Matsumoto / ice
03. Shuta Hasunuma / FL
04. Takashi Kokubo / Rainforest soloist
05. Miki Yui / Hotaru
06. Tomoko Sauvage / Weld
07. Christophe Charles / microguitar

Vol. 3 2024年9月25日 (水)発売
01. Alva Noto / für ryuichi
02. Yui Onodera / Untitled #1
03. Marihiko Hara / extr/action
04. Ken Ikeda / Circulation
05. Hideki Umezawa / Sculpting in Time
06. AOKI takamasa / UKIYO
07. ASUNA / Elephant Eye
Tribute to Ryuichi Sakamoto "Micro Ambient Music"

Vol. 4 2024年11月27日(水)発売
01. Stephen Vitiello / Motionless Wings
02. Sawako / Tokyo Rain Forest 35°40ʼ 25” N 139°45ʼ 21” E
03. Tujiko Noriko / Iʼ ll Name It Tomorrow
04. ILLUHA / Gratitude
05. Christopher Willits / Study for Sakamoto (March 2023)
06. Tomotsugu Nakamura / backword to blue
07. Kane Ikin / Pulsari
08. Bill Seaman / Tears Namida

Vol. 5 2025年1月29日(水発売
01. Tomoyoshi Date / Placement Of The Drops
02. Federico Durand / Alguien escribió su nombre en el vidrio empañado
03. Marcus Fischer / Overlapse
04. Taylor Deupree / A Small Morning Garden
05. Chihei Hatakeyama / Mexican Restaurant
06. Stijn Hüwels / Shinsetsu
07. hakobune / hotarubune


Vol. 6 2025年3月26日 (水)発売
収録曲未定

world's end girlfriend - 抵抗と祝福の夜 - ele-king

 その日は土砂降りと霧雨が交互に顔を出すような荒天とともにやってきた。昨年9月にworld's end girlfriend 7年ぶりのフル・アルバムとしてついに開花した大作『Resistance & The Blessing』の特別なリリース・ライヴ、題して「抵抗と祝福の夜」。人によってはいささか仰々しすぎるフレーズのように受け取ったかもしれないけれど、タイトル自体は8年前の『LAST WALTZ』期においてもWEGが一貫して掲げてきたイシューそのものであり、ごくシンプルで実直なメッセージだと自分は受け止めている。「抵抗と祝福の夜」は、WEG・前田氏が「音楽という巨大な喜びの中で、それがそのまま支援や寄付に繋がっていく形を作れないか?」という想いから、クラウドファンディングを活用したチケット販売がおこなわれていたことも特徴的だった。チケット売上の10%、ライヴ音源データ売上の80%、ライヴ映像データ売上の 80%、グッズ売上の40%をパレスチナ・ガザ地区へと寄付するプロジェクトとしても動いていた。その結果、756人の支援者を集め大成功という形でこの日を実現した。音楽表現という個人的な欲望からスタートするクリエイションを外側へとひたすら押し進め、一切の妥協なく「抵抗と祝福」を体現したという意味でもエポックな一夜だったと言えるだろう。

 本編SEが流れはじめたタイミングでなんとか会場にたどり着き、用意された2階席の後方からステージを見守る形で着座した。思えばこうして座ってライヴを鑑賞すること自体が久々の体験だ。自分が週末のほとんどを過ごす場所である小箱のそれとはなにもかもが違う音楽体験。ただ、体験におけるUI/UXの差異は大した問題ではなく、とにかく「どんな音が鳴らされるのか?」という点にまず期待と不安があった。全席指定の着座制でも1000人弱のキャパシティを誇る当会場は、果たして「鳴ってくれる」のだろうか? と。 とにかく、自分は基本的に野外でもないかぎりは大きすぎる規模の会場になにかを期待することはほとんどない。たとえば直近ならAdoのワンマン・ライヴの音響への文句は旧Twitterのフィードで嫌というほど目にしたし、一般的に大箱とされる1000人規模のヴェニューで「良い」以上のなにかを出音に感じる機会もほぼない。基本的に、いままで強く感銘を受けた音楽体験も、また単純に出音のサウンド・デザインへの感動も、そのほとんどは過剰にコンプレッサーの効いた、荒々しい、ボロボロの小さなクラブやライヴハウスで受けたものだったので、上質すぎる空間にはどうしても身構えてしまう育ちの悪さがある。

 けれど、そんな小箱のカビくささがまとわりついた懸念はただの杞憂でしかなかった。自分のなかの数少ないEX THEATERでの観覧体験(さいごにここを訪れたのはたしかムーンライダーズのワンマン)や、ここ数年浴びたあらゆる音響のなかでも突出した迫力と解像度を誇る音楽体験となった。ただのクリアで均整の取れたグッド・サウンドというわけでもなく、バンドセットとは思えない極低域の厚みと広がり方、痛覚化する寸前の高域の鋭利さと解像度の高さ、迫力と精緻さのバランス、どれをとっても極上だったと断言できる。聴覚的健康を一切顧みないアンダーグラウンドなクラブのそれに迫る荒々しさと、劇場的な空間だからこそ成立しうる上質さの矛盾した同居。WEGの集大成的な作品である『Resistance & The Blessing』のエッジーなサウンド・デザインの魅力を極限まで引き出すべく、薄氷を踏むように快と不快のスレスレを攻めた音響オペレーションを担った方々への賛辞をまずは記しておきたい。本当に素晴らしい仕事でした。

 ……という話ばかりをしていると、「で、ライヴの模様は? 曲目は?」と不特定多数にせっつかれるような被害妄想に駆られてしまうので、ここからは本編として内容の話を。
 オープニングSEを読み上げていた声に聴き覚えがあったけれど、後日それはWEGのポータルでもあるレーベル〈Virgin Babylon Records〉へ2年弱前に加わった窓辺リカというボーカロイド・IDMアーティストによるものだとわかった。誕生と輪廻について描いた作品のリリース・ライヴをはじめるにあたって、まずは生命体ではない導き手が必要だった、ということだろうか? 続けてアルバム冒頭を飾る2曲がプレイされ、その後に重要なリード・トラックのひとつである “IN THE NAME OF LOVE” が轟音のギターとともにスタート。ポスト・ロックや実験音楽といった枠組みを飛び越え、バンドセットならではの表現を突き詰めた結果、WEGの演奏がほとんどプログレッシヴ・ロックやシンフォニック・メタルの領域に入っていることに正直なところ面食らった。自分がWEGについて抱いていた印象はどちらかといえばポスト・ロック以降の電子音楽(の変異体)というものだったが、マニピュレーターだけでなくツイン・ギターにドラム、ヴァイオリン、チェロまでが入ったフルパワーでのライヴとなると、WEGの根底に横たわるゴシックな美学の濃度が高まるのだろうか。自分のふだんの趣向とメタルに類する音楽にはかなりの乖離があるため、その世界へ全編にわたって没入することは難しかったけれど、それでもそのスケール感には圧倒された。畑違いの音楽に頭から殴られるような体験も久々だ。

 前半の個人的なハイライトは、“歓喜の歌” をサンプリングした “Odd Joy” と “Black Box Fatal Fate Part.1+ Part.2 (feat. CRZKNY)” が立て続けにプレイされたことだった。アルバムのなかではよりエレクトロニクスに近接したこれらの楽曲たちがバンドのアンサンブルで再強化されていくさまは、今日この日しか味わえないものだっただろう。中盤以降には samayuzame 朗読によるポエトリー・トラックに、『LAST WALTZ』(2016)『The Lie Lay Land』(2005)『Starry Starry Night Soundtrack』(2012)などWEGの過去作からピックアップされた楽曲が織り交ぜられ、最新作のインタールードが異なる姿に再構成されていく様子も『Resistance & The Blessing』が掲げた「輪廻転生」というモチーフを想起させた。単なるファン・サービスとは一線を画す、本回のための特別な作劇としてかつての楽曲に光を当てる、という姿勢ひとつとっても、WEGの妥協なく万全を期して臨んでいるエネルギーが伝わってくる。

 後半部ではアルバムの持つポエジーと(手塚治虫『火の鳥』などを引き合いに出しても申し分ないほどの)遠大なスケール感がより強調されていき、しかしながら Smany、湯川潮音といったゲスト・ヴォーカルの歌も添えられることでディープに偏りすぎず、ポップにもならず、それでいて折衷的でもなくひたすらにWEGとしての美学に向かって突き抜けていくようなエッジーなアクトが続いていった。神聖さを帯びた “himitsu (feat. Smany)” からビープ音やクリック・ノイズで構成されたエクスペリメンタル・エレクトロニカ “Cosmic Fragments - Moon River”、ポエトリー・リーディング “Mobius” と続き、クライマックスにはWEGなりのアンセム・ラッシュが続いていく。アンセムというものは味の濃い食事のようなもので、ただ単に並べればいいものでは決してなく、無用な乱発は当然ながら熱気を削ぐ逆効果をもたらしてしまうものだが、その前提を背負ってなお “君をのせて” や “ナウシカ・レクイエム” のカヴァーを演奏したのち、“アヴェ・マリア” のアレンジを披露するようなライヴを、いったいだれが衒いなくできるだろうか。自分もこの一連の流れに面食らわなかったわけではないけれど、これまでの流れをたどると納得せざるを得なかった。アンセムを成立させるために必要なのは、とにかく妥当性ではなく正当性、偶然ではなく必然であること。正当/必然かどうかの答えは本人の頭のなかにしか存在しないので、その想いの容れ物として表現という営みが存在する。過去・現在・未来を並列化し再構成してみせたアルバムの世界を拡張する攻めの演出として受け止めた。

 終盤、WEGが轟音とともにシューゲイズ・モディファイを施した “Ave Maria” のフィードバック・ノイズを引き継いで披露されたのは “Two Alone” “unEpilogue JUBILEE” の2曲。アルバムの構成をなぞる形で着地していくのかな、と思った矢先に披露されたのは2010年作『Seven Idiots』から “Les enfants du paradis”。これには長年WEGの美学に触れてきている人ほど心を震わされたことだろう。そしてラストを飾ったのは、序盤披露された “IN THE NAME OF LOVE” と並ぶ重要な楽曲 “MEGURI” であった(本人解説曰く、この2曲こそがアルバムのコンセプトの根幹を成す「転生し続ける2つの魂」そのものとのこと)。極度の緊張感のもと進んだ2時間半以上にわたるライヴの最終局面で演奏にリテイクが初めて発生したのもラストのこのタイミング。シリアスなライヴ中のやり直しを、演出上の緩みと捉えるか魅力と捉えるかは人それぞれの話でしかないけれど、少なくとも自分は精緻なモノに発生するわずかな歪みに美を感じる人間なので、それも含め満足できた。いかに人間離れしたアクトを披露していたとて、だれもがただの人なのだということを思い出す安心感とともに。人間というのは常に間違い続ける存在でもあって、それゆえ世の中にはひどい歪みがたえず生まれ続けていて、ならいっそそんなもの喪失してしまえば……という危険な考えが頭をよぎることもなくはないけれど(もちろん、あくまでも「中二病」の時分の話)、そんなディストピアで観るライヴはおそらくライヴ足りえないし。間違いが起こることを否定しつつも、間違いを受容して前を向くこと。それもまた「抵抗と祝福」か。

 そんな形で、音楽ジャンルという切り口で観ると全編に対する没入感は得られずとも、趣味趣向を上回る圧倒的なクオリティで「抵抗と祝福の夜」は幕を閉じた。終演後、出口で会場に飾られた薔薇の花束の一輪が配られていたことも、また明日から生きていきましょうね、という小さな祝福のようで。これは取るに足らない私事にすぎないけど、その日は自分の誕生日で、ちょうど30歳を迎えたばかり。偶然にしては嬉しすぎるサプライズ・ノベルティだった。花は散り、枯れて、朽ちてもその鮮やかさの記憶は残り続ける。それ自体に意味はなくても普遍的な美を一瞬咲かせて、だれかの胸中に咲き続ける。ライヴという営みは、たとえそれが自己完結的な表現であったとしても、外に開かれている時点でだれかにとっての一輪となる。自身や世界のままならなさにつねに抵抗し続け、それと同時に自分と他者を祝福し続けること。そのサイクルを繰り返し続けていつか旅立つことができれば、次の道もあるかもしれない。ないだろうけど、なくてもそう生きたい。

interview with Tourist (William Phillips) - ele-king

 朝目が覚めたとき、妙なフィーリングにとらわれることがある。つい数秒前まで大冒険を繰り広げていたはずだった。アラームが鳴り響いた瞬間はまだ半分くらいそっちの世界にいる。どうやら刻限らしい。かならず戻ってくる。おまえらとの友情は永遠だ。この体験は生涯忘れない──そう固く決意しログアウトした瞬間、さっきまでなにをしていたのか、あっという間に記憶が薄れていく。見知った天井。絶対に忘れてはならないたいせつな出来事が起こったはずだけれど、電車に遅延はつきものだ。一刻も早く歯を磨かなければならない。ようこそリアル。ここがきみの居場所だ。

 その感覚がこのアルバムそのものなんだ──そうウィリアム・フィリップスは述べる。旅行者=ツーリストを名乗り、2010年代後半から4枚のアルバムを発表、2015年にはグラミー賞まで手にしているエレクトロニック・プロデューサーの5枚目のアルバムは『記憶の朝』と題されている。MJコールにフックアップされたという彼は、ハウス~UKガラージ、ブレイクビーツ~ジャングルといった、けして生やさしいとはいえない現実のなかで発明されてきたリズムを駆使し、やさしげな旋律と蠱惑的なヴォーカル・サンプル、きらきら輝く電子の断片をもってどこまでも夢幻的な空間を演出する。この桃源郷はタイコパンサ・デュ・プリンスらのエレクトロニカと通じるものだ。あるいはその淡くはかなげなポップネスに着目するなら、ナッシュヴィルのシンガー・ソングライター、コナー・ヤングブラッドあたりと並べて聴いてみるのも一興かもしれない(スタイルはまったく異なるけれど)。どこまでも広がる、ただただ美しい世界──わかってる。これは現実じゃない。だからこそ、いい。「ぼくにとって音楽というのはエスケープする場所なんだ」。フィリップスは音楽がもつ最高の効用のひとつ、エスケイピズムを称揚する。
 個人的なオススメは最後に配置された表題曲 “Memory Morning” だ。30周年を迎えたエイフェックス・ツインの名作『SAW2』(の数曲)を想起させるメロディに導かれ、ヒップホップのビートと、鳥のさえずりのごとくチョップされた音声が一日のはじまりを告げる──夢とうつつの転換、あのえもいわれぬ短い時間を表現しているのだろう、なんともさわやかなダウンテンポである。
 というわけで、このうるわしいアルバムを完成させた当人に、まだ日本ではあまり知られていない自身の背景について語ってもらった。

MJコールに大きな影響を受けたよ。初めてのチャンスをくれたのも彼でね。ぼくが17歳くらいのころに曲をリリースさせてくれたんだ。ぼくの絶対的師匠みたいなひとだね。

最初のシングルのリリースが2012年かと思いますが、音楽制作をはじめたのはいつ頃からですか?

Tourist(以下T):音楽制作? うわぁ……ぼくは1987年生まれ、つまりいま37歳ということになるんだけど、曲を作りはじめたのはたぶん10歳か11歳の頃じゃないかな。

通訳:早かったんですね。

T:そう、大昔だよ。3歳か4歳くらいの頃にピアノを弾くようになったんだ。レッスンを受けたわけじゃないけど、家にピアノがあったからね。なにせ3歳だし、押すと音が出るからすごく興味を持ったんだ。ワクワクしたよ。37歳のいまになっても、どこか押して音が出るとやっぱりワクワクする(笑)。
 ぼくにとって音楽というのはエンドレスで興味を惹かれるものなんだ。どんなタイプのものでもね。自分で書く曲のタイプも成長するにつれて変わっていった。10代のころ書いていたのと、20代のころ書いていたのと、30代になってから書いていた曲はちがうんだ。
 EP「Tourist」はそんななかで、これから長い間やっていくだろうと思ったタイプの音楽に、初めてコミットした作品だった。自分にとって初めてのちゃんとしたアーティスティックなペルソナだったんだ。それが……いまから12年前か。25歳だから、ひとによっては遅いとみる向きもあるかもしれないね。20代前半もけっこう曲を書いていたけど、あまり成功したわけじゃなかった。20代半ばくらいになってやっと手応えを感じてきたという感じだね。
 曲をコンピュータでつくりはじめたのはたぶん10歳くらいのころだと思う。

通訳:ツーリストを名乗りはじめたころに手応えを感じはじめたんですね。

T:そう、「Tourist」という名前だったらやりたいことがなんでもできると思ったんだ。あまり束縛感がなかったし、ダウンテンポでもハウス・ミュージックでも、UKガラージだっていい。この名前なら好きにやれると思ったんだ。そういう認識だけでもすごく助けになる。自由に音楽を感じて、自分に「好きにやっていいよ」と言えるからね。「Tourist」はぼくにとってそういうものなんだ。

通訳:ツーリストのように、どんなタイプの音楽を旅してもよいということですね。

T:(コップからなにか飲みながらにっこりうなずく)

音楽はぼくにとって現実逃避の手段だったんだ。自分の望む、大好きなカルチャーへの逃避。つまり90年代のロンドンだね。ジャングル、ドラムンベース、UKガラージ……ロンドンを思い出させてくれる音楽が大好きだったんだ。

幼いころはどういった音楽を聴いて育ってきたのでしょう? あなたにもっとも大きな影響を与えたアーティストはだれですか?

T:子どものころはドラムンベースやUKガラージをたくさん聴いていたんだ。LTJブケムが大好きだったね。それからロニ・サイズ、エイフェックス・ツイン、ケミカル・ブラザーズも大好きだった。少年時代はアヴァランチーズも大好きだった。ロイクソップも大好きだったし……メロディックで夢見心地な感じの音楽にインスピレイションを得ていたんだ。UKガラージではMJコールに大きな影響を受けたよ。人生にもほんとうにたいせつな影響をくれたひとなんだ。初めてのチャンスをくれたのも彼でね。ぼくが17歳くらいのころに曲をリリースさせてくれたんだ。

通訳:そうだったんですね!憧れの人があなたを「発見」してくれたんですね。

T:そうなんだよ。彼にはたくさんの恩がある。ぼくの絶対的師匠みたいなひとだね。彼には大いにリスペクトを感じているよ。ぼくの人生のなかでものすごく重要な人物なんだ。ケミカル・ブラザーズ、MJコール、LTJブケム……それから子どものころはジャズも大好きだったよ。あと80年代のシンセ・ポップ。トーキング・ヘッズ、ジョイ・ディヴィジョンニュー・オーダー。あの辺がぜんぶ大好きだった。20代のころにはフォーク・ミュージックを「ちゃんと」聴くようになった。10代のころはあまりクールに感じなかったんだけどさ(笑)。でも成長するにつれていろいろ学んで、耳を傾けるようになったんだ。……そんな感じで、ほんとうにたくさんの音楽を聴いてきたよ。

あなたはロンドン生まれのコーンウォール育ちだそうですが、コーンウォールの土地柄や風土は、あなたの音楽性に影響を与えていると思いますか?

T:ぼくは引っ越した当時の感覚をずっと憶えているんだ。ロンドンは魔法、ロンドンはカルチャー、ロンドンはあらゆるひとの場所だと思っていた。ところがぼくがまだ幼いころに両親が離婚して、コーンウォールに引っ越したんだ。まあ、よくある話だよ。
 コーンウォールのカルチャーはぜんぜんちがった。いい悪いじゃなくて「ちがった」。ぼくには馴染みがないものだった。思うに、コーンウォールで暮らしていたからこそ、ロンドンを思い出させる音楽をつくっていたんじゃないかな。ぼくのアイデンティティの大きな部分を占めていたからね。
 17歳くらいになって初めて、エイフェックス・ツインもコーンウォール出身だって知ったんだ。じっさいコーンウォールからはすばらしいアーティストがいろいろ出ているんだけど、ぼくにとって音楽をつくるのは、ある意味「コーンウォールにいない気分になる」ための手段だったのかもしれない(笑)。というのも、正直言ってコーンウォールに暮らしていたころはあまりいい思い出がないんだよね。だから音楽はぼくにとって現実逃避の手段だったんだ。自分の望む、大好きなカルチャーへの逃避。つまり90年代のロンドンだね。ジャングル、ドラムンベース、UKガラージ……ロンドンを思い出させてくれる音楽が大好きだったんだ。コーンウォール自体はすばらしいところで好きだけど、ロンドンは生まれたところだし、「どこ出身?」と訊かれたらロンドン出身と答えるよ(笑)。
 でもコーンウォールは海に近くていいところで、子ども時代はそこが好きだった。サーフィンもスケートボードもしたし、当時からの親友たちもいる。ただ、コーンウォールでぼくくらいの歳の子が音楽をつくるのはヘンというか珍しいことだった。

通訳:コーンウォールはあなたに逆説的な影響を与えた感じなのでしょうか。

T:そのとおり! 100%そうだね。自分がロンドンで恋しかったものを思い出させてくれたんだ。

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人間の声に手を入れた状態の音が大好きだし、それを逆回転させたときの響きも大好きなんだ。この世のものとは思えない崇高さが生まれるし、聴いたひと次第でそのひとだけのことばに聞こえてくる。そうすると言語の壁を超えるんだ。

ツーリストになる前もなってからもさまざまな作品を出してきましたが、これまでのアルバムないしシングルで、あなたにとっていちばんの転機となった作品はなんですか?

T:ふむ。いい質問だね……。ターニング・ポイントか~。……セカンド・アルバム(『Everyday』、2019)をつくり終えたときだったかな、人生には時間があまりないことに気づいたんだ。ファースト(『U』、2016)のときは時間があり余るほどあったから、自分がつくりたいまさに理想の音をつくることができた。でもファーストをつくり終えていざセカンドをつくるとなると……(ため息をつく真似)さて、これからどうする? と思うんだよね。
 ぼくのファースト・アルバムはそんなにビッグにはならなかった。大した成果はもたらさなかったけど、名は知られるようになった。その後セカンドをつくることになって、「そうか、何枚だって、好きなだけアルバムをつくればいいんだな」と気づいたんだ。すごく自由になれた気がしたよ。ファーストにたいしては出るまで後生大事にしているけど、いったん出ると拍子抜けしてしまうものだからね。グラミー賞を獲るとか、すごい会場でプレイするとか、そういうのがないかぎり。でもそのファーストがあまり目立たなくて、ぼくのことを知っているひとたちだけに届いたことによって、今度は自分の実力を証明しないと、と思ったんだ。ファーストをつくり終わってセカンドの曲を書きはじめて、何度でも繰り返して自分の実力を証明しよう、と思った。それにはただアルバム1枚分書くだけじゃだめ。もっともっとたくさんの労力を要するものなんだ。ぼくの好きなミュージシャンは全員……そう、全員が、何枚もアルバムを出している。それで気づいたんだ。このアルバムでやれなかったことは、次のアルバムでやればいいじゃないかってね。そう気づいてほっとしたよ。ものすごく自由な気持ちになれた。ただ1枚分だけじゃない。10枚分書くんだ。20枚分だって書ける。

通訳:1枚で終わりじゃなくて、その後も続くと。

T:ある意味1枚でおしまいだと思ったけどね。幼かったと思うよ。いまは「いや、何枚もつくればいいじゃないか」と思えるようになったんだ。ミュージシャンとして成長していくなかで、ほんとうにいろんなことを学ぶからね。

通訳:ということは『U』と『Everyday』の間がターニング・ポイント期という感じなのでしょうか。

T:そうだね。『U』でやったことをたんに繰り返すわけにはいかないと気づいたんだ。ほかのことをやらないと。ときの流れに適応しつつも、自分に誠実なものをつくることがたいせつなんだ。そうすると自分のスタイルはなんなのかということを考える。自分のスタイルはなんなのか。それをキープしながら変化させて、興味深いものにするにはどうしたらいいのか。あれはぼくにとって大きなターニング・ポイントだったね。
 ぼくのアルバムのなかで『Everyday』が好きだって言ってくれるひとは多いんだ。家でヘッドフォンで聴くのに向いていて、内向的だからね。一方ファーストの『U』はものすごく外に向いたアルバムだった。あの辺りがターニング・ポイントだった気がするね。というのも、『Everyday』を出してすぐ後……わずか8ヶ月後にぼくは(サード・アルバムの)『Wild』(2019)を出したんだ。それほどインスピレイションを得たということだね。次々にアルバムをつくっていけばいい、という考えに強くインスパイアされたんだ。すごく自由な気分になれたから、『Everyday』を出した後すぐに気持ちを切り替えることができた。

先ほどグラミー賞の話がちらっと出ましたが、あなたはツーリスト名義のファーストを出す前にグラミー賞を獲っています。あなたが作曲に参加したサム・スミスの “Stay With Me”(2015)は現在20億もの再生数を誇り、当時グラミーも受賞しました。その成功はあなたになにをもたらしましたか?

T:ものすごく正直に言わせてもらうと、ぼくがやりたい音楽をやる力を与えてくれたと思うね。ある意味すごく安定したし……それってミュージシャンにとってはプライスレスなことなんだ。住宅ローンを払うために毎週末DJしに行く心配をあまりしなくていいというのはね。
 ものすごく正直に言わせてもらうと、あの成功はぼくに自由を与えてくれた。そしてその自由をぼくは自分自身のプロジェクトに投資した。レコード会社が「こっち方面に力を入れようと思う。あなたには○枚アルバムをつくってもらいます」と言わないような、リスクをとりたがらないような分野にね。メジャー・レーベルのどこかを指して言っているわけじゃないけど、自由を得たことによって、ツーリストとはほんとうはなんなのかということに本格的にフォーカスすることができるようになったんだ。それが “Stay With Me” のくれた恩恵だね。“Stay With Me” がなかったらツーリストはいなかったと思う。“Stay With Me” はいまじゃクラシック・ソング(往年の名曲)化しているよね。すばらしいことだと思う。サムにもいろんなすてきなことをもたらしてくれて、彼のことを思うとハッピーだよ。ほんとうにすばらしいことになった。
 ぼくは曲を書くのが大好きで、いまもいろんなひとに曲を書いているけど、“Stay With Me” を超えるのは難しいね(笑)。でも、ぼくに自由を与えてくれた曲なんだ。

冥丁はほんとうに大好きだよ。彼はほんとにすばらしい。日本にはすばらしいプロデューサーが何人もいるよね。フードマン(食品まつり)もそのひとりだ。

あなたの音楽の大きな特徴のひとつにヴォーカル・サンプルがあります。ヴォーカル・サンプルに惹かれるのはなぜですか?

T:それは……ぼくが基本的に人間の声が大好きだからなんだ。人間の声に手を入れた状態の音が大好きだし、それを逆回転させたときの響きも大好きなんだ。この世のものとは思えない崇高さが生まれるし、聴いたひと次第でそのひとだけのことばに聞こえてくる。そうすると言語の壁を超えるんだ。

通訳:たしかに!

T:興味深いよ。もしぼくがフランス語だけを使って曲をつくっていたら、フランス語圏のひとにしかアピールしなかったかもしれない。ぼくは人間の声をピアノとして扱って操作するのが好きなんだ。ぼくにとって人間の声というのは、それが合唱であろうと、歌であろうと、だれかが話している声であろうと、大好きなサウンドということには変わりない。というか、たいていのひとが好きなサウンドじゃないかな? そうじゃないかもしれないけど(笑)。でもそれがないとなにもできないからね。ともあれ、ぼくは人間の声が大好きなんだ。ただ大好きなだけで、それ以上におもしろい理由はないけどね。声に手を入れて、アレンジしたり、まったく独特のものにつくり変えたりすることによって、新しい意味を与えるのが好きなんだ。

美しい夢を見ているような、きれいな電子音もあなたの音楽の特徴です。現実のつらいことを忘れさせてくれるような、いい意味での逃避性があなたの音楽にはそなわっているように思います。先ほど少し触れていたかもしれませんが、それは、あなた自身が音楽に求めている効果や役割でしょうか?

T:そうだね。音楽というのはきわめて基本的な意味で、ぼくにとっては逃避性なんだ。いままでずっとそうだったし、いまもそうだね。
 音楽をつうじて他人のなかに自分自身を見るのが好きなひとは多いと思う。シンガー・ソングライターや作詞家が人気があるのはそれだよね。でもぼくにとって音楽というのはエスケープする場所なんだ。自分の行きたいところやほかのところに連れていってくれるものでもある。いろいろな場所を思い起こさせてくれるもの、ぼくを連れていってくれるもの。アイスクリームを食べるのに少し似ている気がするよ。

通訳:それはいい表現ですね(笑)。

T:「うまっ! 別世界に行った気分だ」みたいな感じ(笑)。ぼくにとってはドラッグだね。ぼくの脳や神経に影響を与えてくれるんだ。いい影響をね。だからなんだ。ひとになにかを感じさせてくれるところが大好きなんだ。それに……音楽はいくら食べても食べ過ぎにはならないからね(笑)!

通訳:たしかに! アイスは健康によくないときもありますが、音楽は健康にいいですからね。

T:そう、いちばんたいせつなことだよ。音楽は自分と他人をつないでくれるし、自分自身ともつないでくれるんだ。それがもっともたいせつなことだよね。だからAIでつくった音楽にはあまり興味がないんだ。人間がつくったものじゃないからおもしろ味がない。加工食品みたいなものだよ。もちろんマクドナルドを1日じゅう食べていることはできるけど、そこからなにか感じられるものはあるのか、だれかの表現だと感じられるのか。そこだよね。音楽は人間がつくった、いちばん効果的なコミュニケーションのかたちだと思う。

『Wild』のリミックスEP(2020)にはアンソニー・ネイプルズメアリー・ラティモアらと並んで、広島のプロデューサー、冥丁が参加しヒット曲 “Bunny” をリミックスしています。人選はあなたご自身によるものですか? 冥丁の音楽についてどんな印象をお持ちでしょう?

T:冥丁はほんとうに大好きだよ。彼はほんとにすばらしい。日本にはすばらしいプロデューサーが何人もいるよね。フードマン(食品まつり)もそのひとりだ。知ってる? ぼくのレーベルにいたぼくの友だちの曲をひとつリミックスしてくれたひとなんだ。
 冥丁の音楽はぼくにとって……ものすごくピースフルなんだ。あんな感じのものは経験したことがなかった。ひたすら美しいし、スケールもコードもよく考えて使われている感じがする。それでいてすごく人間味があるし、脆さと音楽性の高さが同時に存在しているんだ。彼があの曲のリミックスを手がけてくれたのはほんとうに光栄なことだった。とても気に入っているよ。

通訳:彼のことはリミックス以前から知っていたのでしょうか。

T:ああ、彼のアルバムですごく気に入ったのがあってね。名前が思い出せない! けど、おなじ年に出たんだよね。ちょっと待って、ぼくのSpotifyにあるか探してみるよ。それは……(PC画面を眺める)これだ! 『Komachi』だ。それがぼくの好きなアルバム。すばらしいアルバムだよ。ぼくの『Wild』とおなじころに出て、よく聴いていたんだ。それで彼にリミックスをお願いしたらイエスと言ってくれた。ほんとうに光栄なことだよ。

新作収録曲 “Valentine” はジェレミー・スペンサー・バンドの “Travellin’” からインスパイアされたそうですが、アルバム全体としてはいかがでしょう? 『Memory Morning』を制作するうえでもっとも大きく影響を受けた音楽はなんでしたか?

T:サイケデリックな音楽をたくさん聴いていたね。1960年代のサイケデリカ、それからシューゲイズもいろいろ聴いていたし、ポスト・パンク、それから初期のレイヴ・ミュージックもよく聴いていた。“Siren” にその影響が聴きとれるかもしれないね。トリップホップぽいのもいろいろ聴いたな。“Ithaca” や “Memory Morning” はそっち系の色が強い気がする。いまの音楽は聴いていなくて、大昔にインスピレイションを与えてくれた曲をたくさん聴いていたんだ。だからある意味、あまり今風のアルバムには聞こえない。ヒップには聞こえないだろうな(笑)。いまの音楽の多くはすごく速いけど、ぼくはそういうものからむしろ遠ざかっていくような感じだったんだ。ときには大勢を押し返すのもいいからね。

新作でもっとも苦労した曲、難産だった曲、あるいはもっとも思い入れが深いのはどの曲ですか?

T:トラックリストが思い出せないよ(笑)! ちょっと見てみるね。……(PC画面を眺める)そうだな、“Siren” はこれまで書いた曲のなかでもとくに気に入っている部類に入るね。いまこうしてトラックリストを見ているけど、とても誇りに思うよ。“Siren” と、あと “A Little Bit Further” はしっくりくるものをつくるのがちょっと大変だったな。あれは基本的に2曲をひとつにまとめたようなものだからね。フォーク・ソングみたいな感じではじまって……マーク・フライという男の “Song For Wilde” からだんだん変化していって、ほとんどケミカル・ブラザーズみたいな感じになる。拍動感の強い、ハウスっぽいものにするのが狙いだったからね。“A Little Bit Further” はAの状態からBの状態に持っていくのがとても大変だったんだ。
 あの曲以外はそんなにつくるのは大変じゃなかった気がするね。すごく流れている感じがしたんだ。ほかのアルバムはみんな書くのがすごく難しくて、ぼくも細かいところまでこだわりがあったけど、今回はすごく自由な気持ちで、思いついたものをすべて尊重してアルバムに入れることができた。

アルバムのタイトル『Memory Morning』にはどのようなニュアンスが込められているのでしょう? それは最終曲の曲名でもありますね。わたしたちは朝、夢から目覚めたとき、たいていの場合は夢の内容をすぐに忘れてしまいます。あの不思議な感覚と関係がありますか?

T:その感覚がこのアルバムそのものなんだ。まさにそれだよ! わかってくれて嬉しいね。あのふたつの単語(「memory」と「morning」)を並べてみるとどうにも合わないというか……寝ている間にどこかに連れていかれるんだけど、目覚めたときに「うわぁ、いまのはいったいなんだったんだ?」なんて感じる、あれこそがいちばん強いインスピレイションになった。ああいう感じ方をさせる音楽をつくりたいと思ったんだ。これだ! と思ったよ。だから最後の曲は “Memory Morning” なんだ。このフレーズを使うことによって、いちばんステキなかたちで人びとの方向感覚を失わせたかったからね。『Memory Morning』の核心はそういうところなんだ。

通訳:今日はこのインタヴューまで一日じゅうこれを聴いていたので、明日の朝起きてどんな感じか興味が出てきました(笑)。(訳註:やはり起きた途端に夢を忘れてしまいましたが……)

T:悪夢を見ることになるかもよ(笑)?

現在ツアー中かと思いますが、ライヴやDJをやっていて最高だと感じるのは、どのような瞬間ですか?

T:基本的には「自分の音楽を知ってくれている、自分の知らない人たちに会うこと」だと思うね。いまでも感動するよ。ぼくの知らないひとたち、ぼくが行ったことのない国に住んでいるひとたちがぼくの音楽を聴いてくれているということに、いまでも大きなインスピレイションをもらっている。ぼくは自分のことをユビキタスなアーティストだと思っていない。知るひとぞ知るという感じで、全員に知られているわけじゃない。でもそれってほんとうにすばらしいことだと思うんだ。余計な期待をされないということだからね。ファンがとても真摯でいてくれることも意味する。ファンはあまり知られていないという事実も好きな傾向があるしね。ぼくはこの状態から大きな恩恵をもらっていると思うし、ぼくのショウに来てくれるひとたちに心から感謝している。彼らは心からショウに来たくて来てくれているわけだからね。友だちに連れられて仕方なく来たとか、1曲だけちょっと好きな曲があるから来てくれたわけじゃない。彼らが来てくれるのは、ぼくのアルバムを気に入ってくれているからだと思うんだ。そう言えるアーティストはけして多くない。アルバム・アーティストだって自分で言えるのは、とてもラッキーなことだと思うよ。ツアーに行くたびにそう思う。オーディエンスの反応がセットの特定の箇所だけ大好きという感じじゃなくて、一定しているんだ。ずっと同じレヴェルを保っている。とてもありがたいことだと思う。

あなたが生きていくうえで、あるいはあなたの人生において、音楽はどのような意味を持っていますか?

T:ぼくにとっての音楽の意味? ……音楽はぼくの人生全体に意味を与えてくれたね(笑)。笑顔も希望も。ときにはフラストレイションも(笑)。ときには音楽におじけづいてしまうこともあるし、特定の音楽が怖いこともあるし、大嫌いになることだってある。でも音楽がなによりも大好きなんだ。ぼくの人生にちゃんとした意味を与えてくれるからね。ぼくは自分の人生のすべての瞬間にサウンドトラックをつけることができる。その瞬間を思い出させてくれる音というのがあるんだ。そのことに感謝しているよ。人間に音楽があるということにね。

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