「レイヴ・カルチャー」と一致するもの

レコード・コレクティングの教科書!

21世紀のいま、レコードは特別な価値を持つに至った──
レアグルーヴ、モダン・ソウル、スピリチュアル・ジャズ、ランダム・ラップ、ブギー、ニューエイジ、アート・パンク、サイケデリック……

本書は、インターネット時代におけるレコード収集のテクニックからコレクターに人気のジャンル/サブジャンルの解説、およびレコード収集の哲学や社会学まで網羅する。

世界最大規模のオンライン・レコード店〈カロライナ・ソウル〉のマーケティング・ディレクターによる、21世紀のレコード・コレクティングの教科書。

(本書より)
ヴァイナル・レコードは魔法の商品だ。銅やコーヒーのように日々売り買いされるにも関わらず、レコードの真価は常に現金価格を上回る。現在のヴァイナルの収集家はこれまで以上に、自らの所有するレコードに対し深くスピリチュアルな、知的な、エモーショナルな意味合いを付与している。ヴァイナルを愛する者の心と精神の中において、一枚のレコードは決して単なる「引っ掴み、引っくり返す」ための「ちょっとした名も無きオブジェ」ではない。むしろ、レコードはアルバート・アイラーが「宇宙を癒すフォース」と呼んだものを内に宿す存在だ。

Max Brzezinski / マックス・ブレジンスキー
カロライナ・ソウル社のマーケティング・ディレクター。デューク大学で英語モダニズムの博士号を取得、以前はウェイクフォレスト大学の英語教授を務めていた。文学エッセイと批評は「Novel」と「The Minnesota Review」に、音楽批評は「Dusted」誌に掲載。長年DJとして活躍し、カロライナ・ソウルのラジオ放送の司会を毎月務めている。ノースカロライナ州ダーラム在住。

Carolina Soul / カロライナ・ソウル
ノースカロライナ州ダーラムに本拠を置く〈カロライナ・ソウル〉は、世界最大の高級レコード販売店の一つであり、ダーラムのダウンタウンにある実店舗とオンラインの活発なレコード・コミュニティで広範囲に存在感を示し、週に1000枚以上を動かしている。Instagramではカルト的な人気を誇り、月間150万人のユニークリスナーを持つオンラインラジオ局、NTSでは長時間のラジオ番組が放送されている。

坂本麻里子 / さかもと・まりこ
1970年東京生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒業。ライター/通訳/翻訳として活動。訳書にイアン・F・マーティン『バンドやめようぜ!』、コージー・ファニ・トゥッティ『アート セックス ミュージック』、ジョン・サヴェージ『この灼けるほどの光、この太陽、そしてそれ以外の何もかも』、マシュー・コリン『レイヴ・カルチャー』、ジェン・ペリー『ザ・レインコーツ』など。ロンドン在住。

目次

前書き
始めに──今、なぜヴァイナルなのか?

CHAPTER 1 レコード・ゲームの遊び方
CHAPTER 2 収集のメソッドをはぐくむ
CHAPTER 3 コレクター向けジャンルおよびサブジャンル解説
CHAPTER 4 レコード収集の政治学
CHAPTER 5 レコードを経験しよう

結び──我々の時代の雲行きにマッチしたレコード

謝辞
索引

付表1:カロライナ・ソウル店のジャンル別売り上げトップ作品
付表2:州別人気ジャンル
付表3:国別人気ジャンル

オンラインにてお買い求めいただける店舗一覧
amazon
TSUTAYAオンライン
Rakuten ブックス
7net(セブンネットショッピング)
ヨドバシ・ドット・コム
Yahoo!ショッピング
PayPayモール
HMV
TOWER RECORDS
紀伊國屋書店
honto
e-hon
Honya Club
mibon本の通販(未来屋書店)

P-VINE OFFICIAL SHOP
SPECIAL DELIVERY

全国実店舗の在庫状況
三省堂書店
紀伊國屋書店
丸善/ジュンク堂書店/文教堂/戸田書店/啓林堂書店/ブックスモア
旭屋書店
有隣堂
TSUTAYA
未来屋書店/アシーネ

interview with Hudson Mohawke - ele-king

 トラップ(ラップ・ミュージックのではなく、ダンス・ミュージックのそれ)のヒットメイカーとしてハドソン・モホークが自身の名をメジャー・シーンにまで轟かせたのはいまから遡ることちょうど10年前、2012年のことだ。彼とモントリオールのプロデューサー、ルニスによって結成されたユニット TNGHT がリリースしたEP「TNGHT」は、2010年代初頭からトラップがビート・ミュージックから巨大なダンスフロアを沸き立たせるサウンドへと進化する過程を語るには欠かせない作品であり、そのサウンドの鮮やかさはいまもなお保たれている。2015年にはソロ名義では 2nd アルバムとなる『Lantern』をリリース、その後もカニエ・ウェスト、クリスティーナ・アギレラ、FKA・ツイッグスなど数々のビッグネーム・アーティストとのコラボや Apple のCMへの起用、ゲーム『Watch Dogs 2』のサウンドトラックを手がけるなど、フロアからデジタルな画面の中までをも席巻してきた。

 そして悪夢のようなパンデミックが世界中を襲った2020年、マッチョでクレイジーなアートワークが特徴の未発表音源集「B.B.H.E.」「Poom Gems」「Airborne Lard」のミックステープ3作品を突如リリース。この作品群にはビート・ミュージックやヒップホップ、IDMなどと自由度が高く、かつレイヴィーな彼のエッセンシャル的サウンドがみっちりと詰め込まれており、彼がビートメイカーの神童として登場してから、世界中のシーンを席巻するいちプロデューサーになるまでの道筋をリスナーに深く実感させたはずだ。そうして2020年代初頭も、ハドソン・モホークはサウンドの進化をじわじわと重ねながらユニークなアイデアを世に放出し、ついに2022年のこの夏、新作としては7年ぶりとなるニュー・アルバム『Cry Sugar』を引っ提げてエレクトロニック・ミュージック・シーンに華々しく帰ってきた。

 アメリカの退廃といった背景がある本作は、マシュマロマンとジャックダニエルの瓶が描かれたアートワーク、けたたましい彩度で次々と繰り出されるサイケなティザームービーは彼らしいユニークさがありながらもどこか薄暗さを感じさせる。アシッドでレイヴィーな “Bicstan” ではカオスに弾けながら、壮大なストリングスが響く “Lonely Days”、ブラック・ミュージックからのインスピレーションが感じられる “3 Sheets To The Wind” ではメロディアスな側面を垣間見せ、7年の間にアップデートされたサウンドの裏に潜む彼の心象が伺えるだろう。

 カオスな現実に対して独自のレイヤーを高精細に投影し、創造性を体現するハドソン・モホークが今日のシーンに示すものは一体何か。この10月には来日も決定し、待望の帰還を果たす彼に話を聞いた。

人気のレコードを作ることに成功すれば、それを再び作ることはもちろん難しくはない。でも、創造的に自分が面白いと思うことができ、満足できるものを作るためには、そのアプローチじゃダメなんだ。

今年で自身としてはデビューEPのリリースから14年、TNGHT としてのデビューから10年とアーティスト活動の節目を迎える頃になります。ファースト・アルバムのリリースや(“Chimes” が) Apple のCMで起用されたこと、ゲーム『Watch Dogs 2』のサウンドトラックを手がけるなどいくつかのターニング・ポイントがあったと思います。この十数年の軌跡をどのように振り返りますか?

ハドソン・モホーク(以下HM):多くを学んだ10数年だったと思う。いい意味で、成功するぞという意欲に駆り立てられて突き進んできた10数年だったと思うね。僕はすごくシャイな性格だから、本当は積極的に何かをやるタイプではないはずなんだけど、仕事に関しては成功したいという大きな向上心を持っていたんだ。金銭的な成功というよりは、音楽で自分のメッセージを伝えられるようになりたいという成功。活動の中で起こったことのいくつかは、僕の想像をはるかに超えたものもあったね。良い意味でも悪い意味でも。この10数年内には、すごくエキサイティングな瞬間もあったし、同時に、こんなことになるなんて、と、自分が行きたくない方向に物事が進むこともあった(笑)。でもまあ、人生ってそういうものだから仕方がない(笑)。

ロックダウン中はどのように過ごしていましたか。住んでいたのはLAでしょうか? 当地の状況を教えてください。

HM:ロックダウンの直前に、パンデミックが起こるとは知らずに、LAに自分のスタジオを買ったんだ。でも、そのタイミングは良かった。家の他に時間を過ごす場所を持つことができたからね。誰かに会う必要まではなかったけど、もしそのスタジオを持っていなかったら、ずっと家にこもりきりになってたと思う。家以外どこにも行けなかった人たちは、本当によくやったと思うよ(笑)。期間中はほとんどLAにいたけど、イギリスにまた入れるようになった段階で、すぐ戻ったんだ。僕の姉妹がコロナ期間中に子どもを産んだけど、ずっと会えていなかったから。僕にとって初の姪っ子なんだけど、彼女が1歳になるまで会えなくてさ。でも、ロックダウン中にLAにいられたのはよかったと思う。あの街は開放感があって、閉じこもるのに悪い場所じゃないからね。

パンデミック下の2020年にリリースされた未発表音源集「B.B.H.E.」「Poom Gems」「Airborne Lard」のミックステープ3作品はあなたのビート・ミュージックやヒップホップ、IDMなどといったサウンドのエッセンスが多彩に詰め込まれているように感じました。あのタイミングでリリースに至った経緯を教えてください。

HM:もう何年も、未完成のトラックがいろいろなハードドライヴにたくさん放置されていたんだ。それをわかってはいたんだけど、まあ、もうそれらのトラックを完成させることはないだろうなと思っていた。忙しくて時間がないし、何か劇的なことが起こらない限り、そのための作業をすることはないだろうって。でも、パンデミックという劇的な何かが起こって、作業をする時間ができた、というわけ。その曲の中には、ライヴやラジオでだけ披露したことがあるものもあって、周りから「あの曲はどうなったの?」なんて聞かれることもけっこうあったんだよね。だから、完全な自由な気持ちで新作作りに挑みたければ、そういった曲の数々をまず世に送り出す必要があると思った。外に出して処分するってわけじゃないけど、振り返って作業すべきものがあるっていう気持ちを持ったまま新しい作品にとりかかるのは少し落ち着かなくて。まっさらなクリーンな気持ちで新作にとりかかりたかったから、あのミックステープをリリースして、まずは気持ちをリセットすることにしたんだ。

状況から目をそらして、全てがうまくいっているようなフリをするレコードは作りたくなかった。物事がうまくいっていないことは事実で、いま世界はゾッとするような状況下にある。僕は、それを認識しつつも希望を抱くようなアルバムを作りたかったんだ。

いま現在の(ダンス・ミュージックの)トラップは、10年代にシーンで勃興した初期に比べ、ビート・ミュージックの文脈からメインストリームのヒップホップやダンス・ミュージックにも浸透し、かなり異なるサウンドへと進化を遂げたように思います。EDMやヒップホップに影響を与えたトラップ・ミュージックの立役者としてあなたの名が挙げられることが多々ありますが、進化過程をどのように見つめていたか興味があります。

HM:僕がルニスと曲を作りはじめたとき、トラップ・ミュージックはラップの一種とみなされていた。当時はまだEDMではなくて、ラップ・ミュージックのサブジャンルだったんだ。だから、僕自身はEDMとしてのトラップがあまりしっくりこないんだよね。僕とルニスが作った最初のレコードは、あれは偶然でき上がったとさえ言える作品で、ふたりでただ楽しみながら音楽を作っていた結果でき上がったのがあの TNGHT のアルバムなんだけど、あれを作っていたときは、あの作品をパフォーマンスしたいとか、人にどう受け取って欲しいなんて思ってもみなかった。でもリリースされると、これまた偶然人気になってしまった。もちろんそれは嬉しいことだったよ。でも、そのあとあれと同じ音楽を作ることを人びとから求められるようになってしまって、僕はそこにフラストレーションを感じるようになってしまったんだ。そして結果的に、トラップ・ミュージックはジャンルとしての進化が止まってしまったと思う。フェスティヴァルで盛り上がるエキセントリックな音楽になってしまってからは。トラップ・ミュージックといえば花火、みたいになってしまったし、男性アーティストが中心になった。あのときは、僕もルニスも、これは自分たちが進みたい方向じゃないなと思ったね。あれはもう、僕たちがアルバムを作っていたときに作りたいと思っていた音楽とは方向が全然違ってしまっていたから。だから僕たちは、少し距離を置くことにしたんだ。トラップというものが、もう何なのかわからなくなってしまったから。もちろんトラップは僕のキャリアの一部であり、ディスコグラティの一部でもある。でも、僕は自分の音楽がトラップだと認識される必要はないと思っているし、僕は新しいアイディアで、あのときの音楽とは全く違うものを作りたいと思ってる。人気のレコードを作ることに成功すれば、それを再び作ることはもちろん難しくはない。でも、創造的に自分が面白いと思うことができ、満足できるものを作るためには、そのアプローチじゃダメなんだ。同じことを繰り返さず、何か新しいものを作ってこそ、自分の創造性を満たすことができる。所属しているレコード会社が自由に好きな音楽を作ることを認めてくれているのは、すごく幸運だと思うね。あと20年同じレコードを作りつづけろ、なんてレーベルもきっとあると思うから。

前作『Lantern』はポップ・シーンを席巻するハウシーな要素だけでなく、ここ数年のベース・ミュージックやハイパーポップなどに繋がる要素も含まれているかと思います。近年のシーンの流れを踏まえ、前作からどのように制作軸やサウンド面がアップデートされていったか教えてください。

HM:それをどう思うかは聴く人次第だとは思う。僕自身は、自分が作る音楽の核は変わらず存在しつつ、少しだけ洗練されたと感じるかな。今回のアルバムでは、他のプロジェクトの中でさえも試したことのないサウンドに挑戦してみたりもしたからね。生演奏をここまでフィーチャーしたことも初めて。これまでそれをやってこなかったのは、自分の音楽がシンセやサンプルベースだったから。だから、ここまで生演奏をフィーチャーしていると、今回のサウンドを嫌う人も必ずいると思う。でも、やっぱり僕にとっていちばん大切なのは、自分自身が納得のいくサウンドを作ることなんだ。

今作はハウスやUKG、ガバ~ハードコアといった様々なダンス・ミュージックの要素がありつつ、一方ではアッパーなだけでない側面も感じさせますよね。改めてアルバムのコンセプトを教えてください。

HM:コンセプトはひとつではないんだけど、メインのひとつを説明すると、いま僕たちは、怖くて、気が遠くなるような世界の中に生きているけど、その状況から目をそらして、全てがうまくいっているようなフリをするレコードは作りたくなかった。物事がうまくいっていないことは事実で、いま世界はゾッとするような状況下にある。僕は、それを認識しつつも希望を抱くようなアルバムを作りたかったんだ。

アルバムの制作はいつ頃からはじめましたか? 構想のインスピレーションを受けたものなどがあれば教えてください。

HM:制作をはじめたのは、たぶん2020年の初めだったと思う。インスピレーションというか、僕がつねに意識していたのは、自分自身の鳥肌が立つようなサウンドを作ること。パンチが効いて、明るくて、エキサイティングでありながら、効いた瞬間にゾクッとするような作品をイメージしながら作業したんだ。例えば、高揚感のあるサウンドと30秒間の奇妙なインタールードが組み合わさっているとかね。自分自身が聴きたくなるような、自分自身がその展開に驚かされるような作品を作るというアイディア、自分自身を驚かせたいという気持ちが、アルバムのインスピレーションだったと思う。

制作中に気になったトピックやアーティスト、作品は何かありますか? あるいは制作期間だけでなく、近年気に入っているアーティストや作品があれば教えてください。

HM:おもに聴いていたのは、ライラ・プラムク(Lyra Pramuk)の『Fountain』っていうアルバム。アルバムを聴いて泣くなんてめったにないんだけど、あのアルバムを聴いたときは涙が出た。ドラムもシンセも使われていなくて、アルバム全体がひとりの人間の層でできているんだ。まるで聖歌隊みたいなんだけど、人数はひとりだけ。あのアルバムは本当にたくさん聴いたな。自分のアルバムにも少しは影響していると思う。10分間の曲なんかもあって、聴いたらきっと気に入ると思うよ。是非チェックしてみて。

[[SplitPage]]

自分自身が聴きたくなるような、自分自身がその展開に驚かされるような作品を作るというアイディア、自分自身を驚かせたいという気持ちが、アルバムのインスピレーションだったと思う。

アルバム・タイトル「Cry Sugar」は70年代のソウル・グループであるダイソンズ・フェイシズに由来しています。その曲をサンプリングした “3 Sheets To The Wind” のように、アルバムではソウルやゴスペルのサンプル、浮遊感のあるヴォーカルがユニークに織り交ぜられています。かつてなくブラック・ミュージックへの愛を表現している作品のようにも思えましたが、それは2020年の事件が関係していますか?

HM:2020年の事件に関係しているかはわからないけど、僕自身は、さっきトラップのEDM化の話をしたけど、そういった音楽や TNGHT の音楽にソウルフルな要素が欠けているからなんじゃないかと思う。トラップって、けっこう白人化してしまったと思うんだよね。TNGHT 以外の僕の音楽は、これまでもラップやヒップホップといったソウルフルな音楽の影響がたくさん反映さていた。でも、TNGHT の僕だけを知っている人たちは、僕の音楽のその側面を知らないんじゃないかと思う。だから、その僕の音楽の根源的なものを見せようとした部分はあったと思うね。

今作の制作プロセス、機材面などは以前に比べて何か変化はありましたか?

HM:これまでとは少し違ったんだ。LAにいる何人かの友人のひとりが、TV・オン・ザ・レディオのメンバーのデイヴ(・シーテック)なんだけど、彼とはすごく親しくて、僕も彼もふたりとも機材オタクでさ(笑)。ロンドンでは彼みたいな友だちはいなかった。僕はつねに違う機材を試したいタイプなんだけど、ロンドンでは同じタイプの人があまりいなくて。でもLAでデイヴに出会った。彼は、試したい機材があると即手に入れるんだ(笑)。まるでおもちゃで遊ぶかのように、いろいろな機材を散りばめ、それを使いこなす彼を見ているのは刺激的だったし、僕は彼の機材を使えたおかげで新しい機材にお金を使わなくてすんだから、すごく良かった(笑)。

アルバム・リリース後、どのようなパフォーマンスをしていきたいと考えてますか?

HM:あのとき、もうツアーはやりたくないと思ったんだ。毎日がパーティーだったし、気分的にもあまりいい状態ではなかったから。でも、しばらくそれから離れたおかげで、またツアーをやるのがいまはすごく楽しみになった。音楽シーンや音楽文化の動きや変化はものすごく早い。5、6、7年ギグをしてなかったり、アルバムをリリースしていないと、オーディエンスもガラっと変わっていると思う。だから、いまライヴをするということがどういう感じなのかをこの目で見て体感するのがすごく楽しみなんだ。10月には日本でもショーがあるし、ヨーロッパでもいくつかフェスに出る。いまいちばん興奮しているのは、それがどんなショーになるかがまったく予想できないこと。何が起こるか、どんなショーになるのかが全くわからない。それはもちろん強くもあるけど、同時に楽しみでもあるんだよね。

パンデミックの状況を鑑みつつ、各所でフェスやイベントが再開されていますが、パフォーマンスにおいてムードの変化は感じますか?

HM:フェスにはいくつか行ったけど、変化を感じたかどうかはなんとも言えないな。実際のところムードがどんな感じか、判断するのがすごく難しいと思う。またショーが再開して皆やっと普通に戻りそれを楽しんでいるように見えるけど、なんとなくそこには心配もまだ隠れているような感じがする。だからわからないな。完全に前のように戻るには、もう少し時間がかかりそうな感じはするね。

トラップって、けっこう白人化してしまったと思うんだよね。TNGHT 以外の僕の音楽は、これまでもラップやヒップホップといったソウルフルな音楽の影響がたくさん反映さていた。でも、TNGHT の僕だけを知っている人たちは、僕の音楽のその側面を知らないんじゃないかと思う。

“Lonely Days” はストリングス使いが印象的で、アルバム全体のなかで浮いているように感じました。「孤独な日々」という曲名ですが、ご自身の体験が反映された曲でしょうか?

HM:そうだね。もちろんパンデミックもその一部だけど、LAで数年暮らして感じた孤独も反映されているんだ。LAって広大な場所で、果てしなく広がっているから、ときには誰にも会わない日があったりもするんだよね。LAは、友だちに会いたいと思ったときに、サッと会いにいけるような環境じゃない。みんなお互い遠くに住んでいるし、僕はLAに越してきたときは車が運転できなかったから、なおさら大変だった。だから、最初の数年はものすごく孤独を感じたんだよね。それが映し出されているんだ。

パンデミック下では多くのアーティストが自己内省の機会を得ていましたが、自身も過去やキャリアを振り返ることはありましたか?

HM:いつもだったら、周りが動き続けているから、人ってなかなかそういう機会はないよね。でも良い意味で、僕らは今回そのチャンスをもらえた。だから僕もここ10数年のことを振り返ったし、最初に話したように、良い意味で想像を超えたこともあれば、悪い意味で想像を超えたこともあったな、と考えていたね。

パンデミックの影響で制作やライフスタイルに大きな変化はありましたか?

HM:僕は、いままで早起きを楽しんだことなんて一度もなかった。これまでは早起きが大嫌いだったのに、パンデミックに入ってから、朝方人間になって、それを楽しむようになったんだ。自分でもびっくりだよ。

今作では楽観主義と持続可能性を強く意識し、ご自身も健康面を優先されているとのことですが、日頃から健康面で実践していることは何かありますか?

HM:ははは(笑)。それってプレスリリースに書いてあった? あれは僕の友だちが書いたんだけど、あの資料のほとんどはでっちあげなんだ(笑)。超真面目なプレスリリースにうんざりしちゃってさ。無理やり賢くきこえるような文章を書いたりとか。だから、でっちあげの方が面白いんじゃないかと思ったんだ(笑)。一応早起きはしてるけどね(笑)。あとはときどきジムに行く。

今回のアルバムでいちばん好きな曲は “Bicstan” なのですが、クラシックなハウスの旋律が根底にありながらもリズミカルなガバキック、フーバー音やアシッド音などレイヴィーな要素が散りばめられています。ここ近年ではレイヴ・カルチャーのリヴァイヴァルの流れが生まれてきていますが、あなたにとってのレイヴ・カルチャーとは何ですか?

HM:レイヴ・ミュージックは、ラジオから流れてくるポップの次に僕が最初に夢中になったアンダーグラウンドの音楽。かなり前の話だね。レイヴ・ミュージックにハマったのは9歳とか10歳のときだった。1995年くらいかな。僕には年上の従兄たちがいて、彼らが皆パーティーに行ってたんだ。それに影響を受けてレイヴ・ミュージックが大好きになったから、僕の音楽はもう長いことレイヴ・ミュージックにインスパイアされてる。あのサウンドとエナジーは、僕のハートのそばにずっとあるもの。いまレイヴ・ミュージックのリヴァイヴァルが起こっているのはちょっと変な感じがするけど、流行りに関係なく、レイヴ・ミュージックはずっと僕の一部なんだ。

通訳:ありがとうございました。

HM:ありがとう。10月に日本に行けるのを楽しみにしているよ。

[ハドソン・モホーク来日情報]

SQUAREPUSHER
W / LIVE VISUALS BY DAITO MANABE / Rhizomatiks

SPECIAL GUESTS
HUDSON MOHAWKE (DJ SET)
DAITO MANABE

10/25 (TUE) 梅田 CLUB QUATTRO
10/26 (WED) 名古屋 CLUB QUATTRO
10/27 (THU) 渋谷 O-EAST
10/28 (FRI) 渋谷 O-EAST

イベント詳細はこちら:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10760

Lianne Hall - ele-king

 『エナジー・フラッシュバック』——このタイトルに反応してしまう人は、真性のダンス好きか、さもなければ90年代前半の週末のほとんどをダンスフロアで過ごしていた人たちなのだろう。が、しかしこれはテクノのアルバムではなく、フォーク&インディ・ポップのアルバムだ。リアン・ホールというシンガーが、若い頃に経験したレイヴ・カルチャーの思い出をコンセプトにひとつのアルバムを作ったと知っては、これはもう絶対に聴かなければならない、使命である——なんてことを書いているが、ぼくはリアン・ホールというSSWが何者なのかをよくわかっていなかったりする。だから、つまりその、『エナジー・フラッシュバック』というタイトルが面白いじゃんと、それで彼女の音楽を初めて聴いた次第なのだ。

 この作品は、ある意味おそろしいタイムマシンだ。アルバムの1曲目の表題曲“エナジー・フラッシュバック”、「909 on 303〜」という歌い出しの、ドラムマシンの名称からはじまるメロウなフォーク・ソングは、しかも、曲の要所要所で、90年代初頭のレイヴ・カルチャーのアンセムのフレーズが繰り返される(その曲がなんなのかはすぐわかるので、自分で聴いてたしかめてください)。「エクスタシーというささやき声が〜」——思わず笑ってしまったが、目を閉じて聴いていると、いろいろなことを思い出してしまう。
 自分が夏を好きなのは、それが冒険の季節で、思い出がたくさんあるからというのもある。それはもう、少年時代からずっといろいろとあるが、ひとりのダンス・ミュージック・ファンとしては野外レイヴや野外音楽フェスティヴァルの数々の記憶には特別なものをいまでも感じる。それは、ステージの上で演奏していた有名な誰かの記憶ではない。レイヴ・カルチャーは、主役は自分たちリスナーだとオーディエンスを改心させたムーヴメントだったので、クラブやライヴハウスでは経験できないアクシデントや偶然性によって生まれる、たとえばそこで出会った見知らぬ誰かとの物語が面白かったりするのだ。リアン・ホールの『エナジー・フラッシュバック』には、そうした“我らの”親密さが横溢している。
 
 とはいえ、この『エナジー・フラッシュバック』は、レイヴ・カルチャーを体験していないリスナーが聴いても楽しめるだろう。ブライトン出身で現在ベルリン在住らしいこのシンガーは、すでにキャリアがあり、かのジョン・ピールが「偉大なるイングリッシュ・ヴォイスのひとり」と評したほどのチャーミングな声の持ち主だ。アコースティックとエレクトロニクスが絶妙に混じり合うその音楽は、初期のラフトレード系の手作り感(DIY感)を彷彿させるし、ピアノやヴァイオリンも良い感じで鳴っている。こじんまりとしているが、だからこそ良く、大物になることにはなんの興味もない音楽家が持ち得る愛らしさでいっぱいなのだ。
 

  
 昔、七尾旅人が電気グルーヴの“虹”をアコースティック・ギターでカヴァーしたことがあって、それは涙が出たほど感動的だったし、そういえば旅人とやけのはらの“Rollin' Rollin'”も、ダンス・カルチャーを叙情的に捉えた名曲のひとつだ。レイヴ・カルチャーの延長線上で聴いた曲としては、フィッシュマンズの“ナイト・クルージング”なんかもそう。ぼくのなかでは、暑くも甘ったるいあの時代にリンクする歌モノはこんな感じでいくつかあるにはある。が、『エナジー・フラッシュバック』は、アンダーグラウンドなダンスフロアや野外レイヴをがちで経験してきた人間が、完全に終わってしまった季節に対して歌っているという意味において、じつに胸が痛い作品だったりする。いや〜、これは切ない。ブリアルのレクイエム・フォー・ザ・レイヴ・カルチャーなんかよりも、当事者の愛情がこもっている分、本質的にはずっと切ないのだけれど、作品名がそうであるように、賢明なリアン・ホールはそれをユーモアで包んでくれているし、創意工夫をもった彼女のサウンドのいろんな引き出しが楽しさをもたらしてもくれる。まあ、このカセットテープのデザインからして、面白がっている感じが出ている。
 『エナジー・フラッシュバック』の最後の曲は“あなたはテクノでもう踊らない(U Don't Dans To Tekno Anymore)”。「ストロボライトの下であなたとは会えない‏‏‏/あなたはシカゴとデトロイトにさよならを言う‏‏‏‏/あなたはテクノでもう踊らない」——あれから30年以上も経っているのだ。変わっていく人もいれば変わらない人もいて、自分はいったい何をしているんだろうかと気を失いそうになることもあるけれど、とりあえずがんばってます(笑)。 

interview with Mars89 - ele-king

このアルバムを巨大資本がすべてをコントロールしようとする都市の隙間で、ネズミやカラスと暮らす都市生活者に捧げる。 ──Mars89(アルバムのライナーノーツより)

 「日本」や「東京」は、これまで何度も西洋から描かれてきた。しかしながら、たとえば大友克洋が『AKIRA』の連載をはじめた1982年、映画『ブレードランナー』における酸性雨に濡れた未来のロサンジェルスのなかにカットインされた「日本」はエキゾティシズムそのものだったし、1984年の『ニューロマンサー』の舞台となった「千葉シティ」や「ニンジャアサシン」にいたってはなかば荒唐無稽なファンタジーだと当時のぼくには思えた。無理もなかろう。生活者目線で言えば、代官山にも麻布にも銭湯があって、地方から上京したぼくのような学生は家賃2万ほどの風呂無しアパート生活が標準だった時代だ。稲垣足穂が極貧生活を送っていた東京のほうが身近に感じたくらいだった。
 ゆえにヴェイパーウェイヴがルーピングした「80年代日本」は、面白くはあるがそれはアメリカのサブカルチャーにとって都合良くステレオタイプ化された「日本」にもなっている。昨年ピッチフォークに掲載された「シティ・ポップの無限ライフサイクル」なるエッセーは、インターネット時代における分裂的なノスタルジアの特性と、シティ・ポップがことのほかYouTubeとTikTok、さらにはアニメと親和性が高いことを論じている。こうした西洋からの日本神話をいまや日本の側でも利用するので、エキゾティシズムとしての「日本」や「東京」は手が付けられないほど膨張している。ゆえに、経済大国世界二位などと言われた時代の低所得者の生活と同時に衰退した現在におけるそれもまた周縁化されるわけだが、ひとつだけ神話と現実の両方に共通していることがある。資本主義的ユートピアの消滅だ。

 Mars89の話からは、彼の音楽のインスピレーション源のひとつに東京があることがよくわかる。迷路のようになったいまの渋谷駅が象徴的だろう。世にも奇怪な拗くれた街=東京の音。世代的に見れば、彼のなかにはエキゾティシズムとしての「東京」もあるのかもしれない。が、1994年にゴールディーが“Inner City Life”で表現した都市生活者の痛みと愛も『Visions』にはある。たったいま、働きながら音楽を作っている、汗をかいて生きているひとりの生活者の視点をもって描写される現在の東京、ブランド化(再開発)によって周縁化された東京とそのマージナルな領域で生きている人生、コロナ禍で味わった葛藤とダンス・ミュージック。

 これは、すべてを焼き尽くしてしまいそうな猛暑日になる前の、6月なかばに録った記録になる。アルバムの傑出したエネルギーの根源について聞き出そうと取材ははじまったが、話は広がって、後半は政治の話題にまで及んでいる。ちょうど選挙前だし、このタイミングでの掲載で良かったのかもしれない。今日の「日本」とは国際社会ではひとつの階級となっていることが、国境を越えて活躍しているこのDJ/プロデューサーにはわかっているようだった。

例えば朝の渋谷でクラブから這い出てくると、同じくどこからともなく出てきたネズミやカラスと道で一緒になるじゃないですか。嫌がる人も多いけど、実はそこで一緒に生きているはずなんです。例えばバンクシーもたくさんネズミを使うじゃないですか。

作品を聴いて、すごくびっくりして。レヴューに書いたことなんだけど、いままでやってきたことを踏まえた上で、それとはまた違うところに行こうとしているというか、最初いきなり四つ打ちで、あれ? 間違えたのかな、と(笑)。

Mars89:(笑)。いままで、いわゆる4×4のキックは一切使ってこなかったですよね。

ではテクノなのかというと、音の遠近感も歪ませ方もテクノの人のセンスではないな、とも思いました。ベリアルがディープ・ハウス(“Moth”のこと)をやってもハウスにならないのと同じで、かなり独特なサウンドを作っている。そもそも、『Visions』はいつから作はじめたんですか? 

Mars89:もともと〈Bedouin Records〉から出そうという話があったので、けっこう前に何曲か作っていたんです。ヴォリュームがあるのを出したいね、という話だったんですけど、そこからあまり進まなかった。で、ちょうど2020年のコロナ禍に入ってから、それまで作ったものを全部作り直して。

てことは、一回作っていて、それをまた作り直したと?

Mars89:そうですね。だから100%コロナ禍に入ってからできたものです。

2017年に最初のカセット・テープ「Lucid Dream」を出して、そこからシングルをコンスタントに出してるじゃないですか。それを考えると、もう少し早くアルバムがあっても良かったのかな、という感じもするし。でも、エレクトロニック・ミュージシャンってシングルをたくさん作って、アルバムってそんなに出すものじゃなかったりするし、人によるとは思うんですけど。Mars君は、アルバムってどういう風に捉えてますか?

Mars89:これまでは、何曲もたくさん作るまでの忍耐力がなかった。4曲くらい作ったら満足して、すぐ出したくなって、レーベルに送って、という感じでした。3曲のEPとかでも、一応まとまった雰囲気を考えてるんですけど。

そうだよね。「End Of The Death」は5曲入っていて、そこには世界観がある。これは全部違う曲だし、考え方によってはミニ・アルバムぽい感じもあって。

Mars89:そうですね。

だから、今回人から「Mars89がアルバム出したんだよ」って言われて、「あれ、まだ出してなかったんだ?」って(笑)。

Mars89:ヴォリューム的にフル・アルバムというのは初めてで、これまでアルバムとEPの間くらいのものを何作か出してますね。

〈Bedouin(Records)からオファーがあって、2020年から作りはじめて。一回作ってあったものを全部やめて。

Mars89:そうですね。

トム・ヨークのリミックスが2019年?

Mars89:あれは元々Undercoverのショーの劇伴的に作ったもののリミックスだったりするんで、ほかの作品とは違うんですけど。

今回の音楽性というか、方向性はどうやって決まっていったんですか?

Mars89:やっぱり、コロナ禍というのが大きかったんでしょうね。単純に言うと、これまでの日常だったダンスフロアというものが失われて、人と人の熱気のぶつかり合いみたいなのが一切なくなった。それを求めて、YouTubeで昔のアシッド・ハウスやイリーガル・レイヴの映像を観たりして、「いい過去があるんだなー」という気持ちになったりしてました。自分が経験したものではないのでノスタルジーとは厳密には少し違うのかなと思うんですけど、自分が得られなかったものに対する憧れというか、それがこの先あるかどうかもわからない状態で、その欲望が(新作の)モチベーションになりましたね。

クラブのDJブースに立つ回数もすごく増えただろうし、ダンスフロアの現場で経験したものがフィードバックされたことも大きかったのでは?

Mars89:それもあって。普段当たり前だと思っていた、満員のフロアのなかで知らないやつの汗とかが服について嫌な思いをすることすら懐かしいというか。あのときの、密閉された空間で肺が圧縮されたり、空気が押さえつけられる酸欠状態の感じが懐かしくなることはありました。

クラブの熱気への郷愁というか。

Mars89:肉体的なものに対する郷愁。

いわゆるテクノのリズムを取り入れたのは、どういうことなんですか?

Mars89:いままでは、Deconstructed(脱構築)とはちょっと違うとは思うんですが、クラブが当たり前にあるときは、いわゆる4×4というリズムがいちばん機能的なんですけど、でも自分はなんかもっと挑戦したい気持ちがありました。どんなリズムで踊れるんだろう、とか、身体の動かし方の可能性なんかも考えながら、4×4以外のリズムを探して、作っていたんですね。もちろんそれは、4×4がもっとも機能的に身体を動かすだろうということをわかった上でやっていました。でも、逆にフロアがなくなったことによって、機能的に身体を動かす4×4というリズムがフロアがない現場ではもっと重要な気がしたんです。身体がそれを求めているというか。いろいろなリズムを試したんですけど、あの失われたフロアの感じをいちばん思い出させるのは4×4かもしれないな、と。

なるほど。

Mars89:あとはシステム・カルチャーから受けた影響もあって、ステッパーズの4×4とサブ(ベース)が持っている肉体にダイレクトに影響するパワーというか、その圧力に対する渇望みたいなものがありました。

Mars君はそれこそ、アフリカン・ヘッド・チャージとか、80年代の〈On-Uサウンド〉の作品に影響を受けているわけだけど、自分の作品として出して来るものはまた違うじゃない? ダブやレゲエの影響を受けながら、ストレートにはやらないよね。

Mars89:あんまりそこは意識してないですけど、好きなものと、普段遊んで得たものは違うので。

[[SplitPage]]

ダークなものとか、憂鬱なものに対して、それをそのまま発散させたいというか。ポジティヴに変換するということ自体が嘘臭く感じてしまった。なので、閉じの感じがそのまま出ています。

作るときはどんな感じで作ってるの?

Mars89:作るときは、最初は簡単なリズムから打ちはじめて、ずっと座ってるよりは途中で動き回ったりして。その動きをまた曲に落としこんで、という感じです。

あと、今回は違うけど、バスドラの音をパーカッションのように使うじゃない? あれはなんで?

Mars89:なんなんでしょうね。システム(・カルチャー)の音楽って低音域のヴァリエーションがすごいじゃないですか? あれに憧れがあって、ジャングルみたいにブレイクスの下で伸びるサブ(ベース)もやってみたいし、ダブステップみたいなサブが伸びてその隙間で他のパーカッションが鳴って、みたいなのも好きだし、もっとインダストリアル・テクノみたいにゴリッとした低音が響くのも好きだし、ニューウェイヴみたいなもっと乱雑に打ったものも好きだし、というところで、いろいろ良いとこどりして組み合わせを探ってる感じですかね。

その自分のインダストリアルなところってどこからきてるんだと思う?

Mars89:元を辿ると、幼稚園くらいの頃に『AKIRA』にめちゃくちゃハマったことが大きいんじゃないかと思います。

幼稚園! 

Mars89:最初は映画で、そのあと親が芸能山城組のサントラを持っていたので、それをよく聴いてました。あれはガムランとか使ったバリ島の音ですけど。

幼稚園で、ディストピアを知って(笑)。

Mars89:そうですね(笑)。映画のイメージがやっぱり強かったんです。乾いた瓦礫だったりとか、そういう世界観が。もう少し大きくなってからは『パトレイバー』や『攻殻機動隊』も好きでしたけど。

ぼくの世代は幼稚園でウルトラマンやウルトラセブンだったけど、ある程度大人になってから、作品の意味を理解したりするものだよね。

Mars89: そうですね。ぼく、関西出身なんですけど、小さい頃に阪神淡路大震災があって、そこらじゅう瓦礫だらけだったというのもあります。

どの辺りに住んでたの?

Mars89:兵庫県の伊丹市です。

じゃあ思い切り直撃したんだ。それ、何歳の頃?

Mars89:小学校入る直前とかで、『AKIRA』を観ていた時期ですね。『AKIRA』のなかで都市が瓦礫だらけになるじゃないですか。現実でも高速道路とか落ちて瓦礫だらけだし、というので、あんまり遠い話じゃなくてけっこう身近な話として見ていたのかもしれない。実家は崩れはしなかったんですけど、家のなかはめちゃくちゃになって、しばらく知り合いの家に避難したりしてました。おじいちゃんおばあちゃんがやっていた商店が潰れたりとか。そういう世紀末感がある時代ではありましたね。テレビつけたらノストラダムスやってたりとか。「酒鬼薔薇事件」もあったし。

あれも神戸だっけ?

Mars89:はい。あとはサリン事件もあったりとか。だから、なんか常に世紀末感があったのは覚えてます。

そういう瓦礫の世界への郷愁がある?

Mars89:郷愁というよりは恐れに近いと思うんですが、自分のなかには瓦礫の世界が常にある感じはしています。視覚的なものだと、例えば、いま笹塚で中村屋の工場を崩して半分瓦礫になってるんですけど、その後にショッピング・モールとタワマンが建つことになっています。でも、そんなタワマンよりも、いまの瓦礫のほうが美しく感じます。新宿のNEWoManができるときも、建設途中の鉄骨剥き出しのほうがいまの状態より美しいと思ったりしたんで。そういうコントロールされ切ってない状態へのフェティシズムはある気がします。それとは別にある意味、いまも瓦礫の世界を生き抜こうとしているというような意識もあって。この瓦礫を共有する者たちで支え合って、新しい世界を想像したいと言うような気持ちと言うか。コミックのほう『AKIRA』でも最後に市民の力で瓦礫のなかから新しいものが生まれようとしてましたし。

街の再開発に対する嫌悪感というか、違和感があると。それは『Visions』のテーマでもあるよね。でも、アルバムにはいろいろなテーマが詰まってるでしょ?

Mars89:いままでの人生で考えたことをギュッと詰め込んでいますね。

アルバムには、「カラスやネズミと暮らしている都市の生活者に捧げる」というようなことも書いてあって、それはどういうことなの?

Mars89:例えば朝の渋谷でクラブから這い出てくると、同じくどこからともなく出てきたネズミやカラスと道で一緒になるじゃないですか。嫌がる人も多いけど、実はそこで一緒に生きているはずなんです。例えばバンクシーもたくさんネズミを使うじゃないですか。あれも、いないことにされているけどそこに一緒に暮らしてる人へのオマージュだったりしますし、そういう感覚です。

なるほど。音楽の話に戻ると、シングルで出した「Night Call」とアルバムは繋がっている?

Mars89:あれは〈SNEAKER SOCIAL CLUB〉から出したんですけど、やっぱりグライムやダブステップのようなUKの都市の音楽を、自分のローカルな都市に当てはめて作ってみようと思って。

それで "North Shibuya Local Service" なんだ。

Mars89:そうですね。幡ヶ谷の近辺でずっと生活してたので、ああいうタイトルになりました。あとは、ちょうどコロナ禍に入ってすぐ、自警団みたいなのが夜も開けてる店を叩いてまわっていたり、宮下パークがオープンしたのもその頃だったので。(「Night Call」では)そのローカルな都市の情景を自分なりに描いてみたいな、と。

で、なぜダブステップをやろうと思ったの?

Mars89:元々別のレーベルからオファーがあって、BPM140のEPを作って欲しいと。そのBPMで自分が面白いと思うものを詰め込んでみた、という感じです。だから、実はダブステップを作ろうという気持ちはなかったんですよ。

なるほど。でもそれと同じことをアルバムではやらなかった。作ってる時期は重なってるわけでしょ?

Mars89:ほぼ同じですね。でも『Visions』のほうはより自分のプライヴェートな作品という色が強いんじゃないかな。

自分の生活みたいな?

Mars89:生活とか、自分の好きだったものとかを含めたこれまでの人生から、その先に向けて、という。半分以上は自分に向けて作っているような気持ちです。それに比べて「Night Call」はもっと外に向けて作っているという違いですかね。

「Night Call」は、やっぱりダンスフロアに向けて作っている感じだよね。『Visions』には内省的な部分もあるし、同時に攻撃的な過剰さがあるんだけど、ただ、全体的にダークで、ただここまで妥協無しでダークサイドを突っ走るのはしんどいんじゃないかと思ったんですけど。

Mars89:あの時期、精神状態的にはどうしてもダークにならざるを得なかったんです。それとダークなものとか、憂鬱なものに対して、それをそのまま発散させたいというか。ポジティヴに変換するということ自体が嘘臭く感じてしまった。なので、閉じの感じがそのまま出ています。

このダークさは何を反映してるんでしょう?

Mars89:基本的には、コロナ禍に入ったというのが大きいでしょうね。そのなかで自分個人というより、社会と向き合って絶望的な気持ちになった。とはいえ、生きていかなきゃいけないし。自分が生きてかなきゃいけないだけじゃなくて、みんなが生きていかなきゃいけないし。都市生活者に向けて、「けっこうヤバいけど生きていこう」という感じです。

コロナ禍になって、生きるってどういうことだろうとも考えたよね。

Mars89:そうですね。ただ生命があることが生きるということなのか、という。

では、アルバムのなかのアグレッシヴな感覚はどこからきてるの?

Mars89:この状態での破滅への願望とか、自滅への願望と、それと正反対の生きていくんだ、という気持ちのせめぎ合いがアグレッシヴな部分に反映されているのかもしれない。

内面の葛藤みたいな。

Mars89:そうですね。

曲順というのもこのアルバムでは大切なんでしょう?

Mars89:そうですね。一応ストーリーがあります。

最後2曲が、激しいカオスから、それとは違うところへ行こうとしてるような印象を受けましたね。

Mars89:そこは野田さんがレヴューに書いてくれた通り、カタストロフィーが訪れている最中ではあるけど、その先にある希望に向かって一歩踏み出したい、という気持ちがあります。

ドラムンベースぽいフレーズがあるけど、それもストレートに展開するのではなく、断片化して、コラージュ的に使ってるじゃない?

Mars89:今回どの曲でも、けっこういろいろなパーツを細切れにして断片的に使っているんですが、例えば、ドラムンベースのハードなパーティとかウェアハウスでのレイヴとかがYouTubeの画面の向こう側の世界になっている。自分が欲している世界と、自分のいる世界とのあいだに、ディスプレイというどうしようもない物体があって。で、求めているけどなかなか手に入らないというプレッシャーに押し潰されそうな感覚があるんです。距離感が縮まらない感じを表現したかったというのはある。

[[SplitPage]]

肉体的にも精神的にも解放されること、都市生活のプレッシャーからの解放というか、そういう効果がいちばん魅力な気がしてます。

去年の年末号(『ele-king vol.28』)で、年間で一番良かった作品としてThe Bugの『Fire』を挙げてたと思うけど、『Visions』を作ってるときに影響を受けた音楽ってあります?

Mars89:もう、あらゆる音楽から影響を受けているんですけど、でも世代的には90s前半のドラムンベース、初期のメタルヘッズとか、あの辺ですね。『レイヴ・カルチャー』にも書いてありましたけど、郊外でのレイヴ・パーティーというユートピア的なものから、都市生活者の憂鬱に対する表現へと変わっていった時期の音楽にはすごく影響を受けました。あとは、オウテカが「反レイヴ法」(クリミナル・ジャスティス・ビル)を受けて出した曲(「Anti EP」)とか。

アルバム・タイトルを『Visions』にしたのはなんでなんですか?

Mars89:『Visions』ってそのまま視界という意味と、未来像や幻視といった意味があるんですけど、その自分の現実の視界と未来の幻視が重なった状態というか、(ウィリアム・)ギブスンの『ガーンズバック連続体』に近い感覚というか、その差異や、そこからくる渇望みたいなイメージですね。

曲名にはどんな意味があるんですか? 最後の "LA1937" とか、1937年のロスに何かあったんだろう?って。

Mars89:ある男が自分の想像する黄金時代として1937年のLAをヴァーチャルで作って、そのなかに住もうとする、という映画があって。そういうネガティヴなノスタルジーみたいなものをイメージしました。手に入らないものに対する渇望ですね。それは『13F』というB級っぽい映画ですが、ほかのどの曲名も、そういう好きな映画からのリファレンスがあります。

"Goliath"は?

Mars89:"Goliath"と"Auriga" と"Nebuchadnezzar"は、全部船の名前。"Auriga" は『エイリアン』シリーズで、"Nebuchadnezzar"は『マトリックス』、 "Goliath" は80年代にやってたUKの同名映画に出てくる海に沈んだ豪華客船の名前です。あと『天空の城ラピュタ』に出てくる空飛ぶ戦艦の名前もGoliathでしたね。

「Lucid Dream」を飯島(直樹)さんのところで買ってから5年も経つわけだけど、Mars89の音楽が日本でも理解されてきているという手応えはありますか?

Mars89:あんまり考えたことはないかな。でも、出演する場所は増えているし、見てくれる人も増えているし、ちょっとずつ認知が広がっているのかな、ということは感じています。

パンデミック以前には、シーンができつつあったのかな?

Mars89:どうなんだろう……。東京でのシーンというものがよくわかってないかも。内側にいるから、わからないんだと思うんですけど。ただ、ぼくらから下の世代はジャンルとしてのシーンはないような気がするし、すごく細分化されているけど、とくに孤立しているイメージはない、という感じです。フワッとした「東京のクラブ」みたいなものはありますが、それがシーンと呼べるものなのかはわからないですし、それはいまも同じかな。

パンデミックがあって、クラブ・カルチャーにとっては大きなダメージがあって、でもいま再開しつつあるじゃない。(DJなどを)やっていて(パンデミック以前に)戻りつつあると思う?

Mars89:そうですね。徐々に戻りつつあるんだろうな、という手応えはあります。パンデミック以降、クラブで遊ぶ子は若い子しかいなくなって、若い子は若い子だけでイベントやっていて。そうすると変なクラブのルールとかに接さずに、20歳になったからクラブに来て自分たちの独自の審美眼でパーティをやってて。それとコロナ以前に連綿と続いてきたものがいま繋がろうとしてる感じがありますね。

それは良い兆しだね。しかし、Mars89君のDJでみんな踊る? あんまり踊らせるタイプに思えないけど(笑)。

Mars89:踊ってるといいな、という(笑)。

実験的すぎるんじゃない(笑)?

Mars89:でもコロナ禍を経て、四つ打ちというものへの考え方が改まった部分もあって、前に比べると4×4のリズムを使う比率は少し増えました。

好きなDJとかいます?

Mars89:もちろんいますし、いろいろな人をつまみ食いして聴くんですけど。例えば、オランダのDJ マーセル(DJ Marcelle)とか。P.I.Lかけたり、ジャングルかけたり、いきなりハード・テクノかけたりとか一見めちゃくちゃなんですけど独特のノリがあって、面白いです。

面白い曲をセレクトする人が好きなんだ?

Mars89:そっちも好きですし、身近だとDJ NOBUさんのようにしっかりひとつのスタイルを突き詰めてフロアのためのDJをする人もいいなと思いますし、KODE 9のような新しい世界を見せてくれるような人も好きです。

クラブ・ミュージックとかクラブ・カルチャーは、なぜ良いと思いますか?

Mars89:ひと言で話すのは難しいな(笑)。肉体的にも精神的にも解放されること、都市生活のプレッシャーからの解放というか、そういう効果がいちばん魅力な気がしてます。それと同時に新しい考え方とか、目を開くチャンスに出会える場でもあると思います。

いまの日本の現状では、その可能性がものすごく少ないとはいえ、その可能性が存在することを示すだけで、意味があると思います。それこそマーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』での「他の可能性を考えられない状態」こそが絶望的なものだと思うし、他の可能性があることを示すだけでも未来は違ってくるのかな、と。

『Visions』は、いまの東京や日本を反映している作品でもある。で、ぼくは日本のことを考えると、暗いことしか思い浮かばないんだよ(笑)。Mars89が夢を人に語れるとしたらどんな夢がある?

Mars89:絶望だけ見せつけるのは、なんか無責任な気がしているんですね。いまの現状が絶望的なことはみんなわかりきっていて、じゃあどうするの、という。やっぱり可能性を追い求めたいという気持ちがあって。
 例えば、個人商店がどんどん潰されてショッピング・モール化していくこととか、大麻の使用罪が検討されていたりすること、同性婚も選択的夫婦別姓も認められないとかってことに、全部「仕方ない」で片付けることを良しとするような風潮があるような気がします。でも仕方なくはなくて、小さな個人商店が元気に自分たちのスタイルでやっていける可能性だってあるし、ドラッグが非犯罪化する可能性だってあるし、同性婚なども然り。いまの日本の現状では、その可能性がものすごく少ないとはいえ、その可能性が存在することを示すだけで、意味があると思います。それこそマーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』での「他の可能性を考えられない状態」こそが絶望的なものだと思うし、他の可能性があることを示すだけでも未来は違ってくるのかな、と。

Mars89が自分の作品を作ったりDJをやったりする上で、大切にしていることって何でしょう?

Mars89:DJは、フロアとのコミュニケーションが大事で、自分が持ってるものとフロアが持ってるエネルギーのぶつかり合いを大事にしていて、そのなかで自分が持っているものを出していくというものなんですけど、曲を作る方に関しては、もっとプライヴェートで、ごく個人的なものの延長としてリアルなものを描けたらいいな、と。あまり聴く人のことを考えてなくて、自分はこの社会のなかでこういう生活をしていて、こういうことを考えている、ということを抽象的なものとして伝えてみる、という感じですね。その両方に通じるものとしては、前へ向かうエネルギーがあって欲しいと思っています。

今回のアルバムでも、労働者階級に対する共感みたいなことを書いているけど、日本は階級社会ではないけど、明らかな格差社会で、ということだよね。そのメッセージはどういうところから出てきたの?

Mars89:格差があって、その拡大が進んでいくなかで、いわゆる新自由主義に支配されてしまうと、運が良かった金持ちとか、先祖が金持ちだったり権力を持っている人たちと、そうではない人たちにバツっと別れてしまう。そのときに自分や自分の周りの人って、いわゆる労働者階級で、経済的な勝ち組に入る人ってそうはいないだろうと思って。自分の目線と同じような高さの人に向けて、というのはあります。

日本の音楽で、その経済格差をいう作品って、意外と少ないんだよね。地球温暖化とか環境問題なんかはわりとテーマにする人がいるんだけど。

Mars89:基本的に生存権の問題で、全部繋がっていると思います。マイノリティやマージナライズドされた人たちは、経済的にも不当な扱いを受けやすいので経済格差を考える上でそこは無視できないと思いますし、いまの新自由主義社会をそのままにアイデンティティや環境の問題を考えることが可能とも思えません。例えばいまの社会で、企業に対する性的マイノリティ受容を促進する文脈で、ゲイのカップルは社会のなかで男性として働いている場合、カップルとしての総資産は男女のカップルや女性同士のカップルより多いから、ゲイ・フレンドリーの方が企業として儲かるよ、みたいな言説を目にしたことがあって。でも人権ってそういう経済的な利益の引き換えではないよね、と思うし。自民党の杉田水脈の「生産性」発言だって根は同じ。いまの社会って経済的な成功不成功というものがあらゆる価値観の中心にある感じがしてて。そういうのがあるから、今月プライド月間だったりするんですけど、いわゆるLGBTQフレンドリーというものが企業の広告のツールになったりとか、ピンク・ウォッシングやグリーン・ウォッシングがあったり。まだまだ利益優先というところが強いので、問題にしっかり向き合うためには、そのルールから脱するべきだと思っています。

それこそ黄色いベスト運動なんかは、環境対策によってガソリン税を上げられたことに怒った地方の労働者たちが起こしたデモだったわけで。

Mars89:例えば脱プラスチックしましょう、と言ったときに、レジ袋の1枚数円というのが、総資産が少ない人の方が絶対負担が大きいし、経済格差というものを正すことを前提としないと、良いものを長く使いましょう、という運動を貧困層はそもそもできないし。環境問題への取り組みとしても、格差を正すことを入れないと成功しないと思うので。それこそSDGsとかのなかには格差の解消ということも含まれているけど、そこはあまり省みられていない気がするし。
 ぼくなんかの周りでも、インボイス制度の話だったりとか、消費税が今後増えるかも、とか、消費税はそもそも要らなくない、という話をしたりしています。いまの日本は大企業優遇で、金利下げて円安になって、海外行くにしても高いし。円安が進むと、日本の(食料)自給率が低いから、いろいろなもののコストが上がって、収入増えてないのに、物価が上がって。言うならセルフ経済制裁状態なんじゃないかな、とかそういう話はします。

Mars89の周りでは、そういう社会や政治のことを話題にする人が多いんだね。だとしたら日本の音楽シーンもだいぶ変わったというか。

Mars89:似たような人が集まってくるんで(笑)。でもこの社会の問題に向き合って生きてると、考え方次第ではありますけど、基本的に負け続けてるような気持ちになりがちなわけじゃないですか。で、負けるのに慣れちゃって、負けを受け入れつつ、来たる絶望的な未来に対する贖罪というか、ある種言い訳的に意見表明をしている。というような精神状態に陥ってしまったり、諦めてしまいたくなることも少なくない気がするので、あんまりそうはしたくないし。明るい未来を諦めたくないんですよね。
 だから『Visions』のどの曲も、街に生きている人をイメージして作っているんです。普段クラブで会う人もそうだし、街だからこそ生まれる職業、例えばメッセンジャーとかフード・デリバリーとか、身近にやってる人もいるし、そういう街での生活を描きたかったんですね。
 それと、少し先の未来のサウンドトラックというイメージもありますね。それは、瓦礫だらけの東京と、ショッピング・モールだらけの東京と、両方のパラレル・ワールドを合わせたイメージで、なんとかそこで生き抜こうとしている人たちに向けてと言う感じですね。

小林:パンデミックがあってから、あの激しいThe Bugでさえアンビエント作品をたくさん作ったじゃないですか。そういう方向になりはしなかったんですか? 

Mars89:なぜか全くならなかったです(笑)。

むしろ逆にダブステップを作ったりして(笑)。

Mars89:それこそベリアルの「Antidawn」はすごく好きなんですけど、それに対していまの自分が抱えてるものは全然これじゃなくて、どちらかというとThe Bugの『Fire』のムードなんです。一回全部破壊し尽くす感じというか。だから、アンビエントを聴くという感じではないです。コロナ禍がはじまったときにみんな「ステイ・ホームしよう」と言っていても、「家にいても平気なやつはいいよな」と思ったし(笑)。例えばメンタル・ヘルスケアとかでも、みんなチルを求めるけど、そんな余裕なんかない。仕事のストレスを一時的に忘れて、明日からまた仕事頑張ろうとか、そういう傾向も資本主義のシステムのためのパーツとして人を形成していくための手法のひとつじゃないか、と思ったりしてて。そういう怒りとかもあって、アンビエントにはいかなかったですね。

µ-Ziq - ele-king

 90年代後半におけるUKのエレクトロニック・ミュージック、ことにAFX周辺(という言い方は他のプロデューサーに失礼だが、日本ではわかりやすいので敢えてそう書いている)の多くの作品、スクエアプッシャーにしろルーク・ヴァイバートにしろグローバル・コミュニケーションにしろ、そしてマイケル・パラディナスにしろ、あの時代の彼らをジャングルからの影響を抜きに話すことはできないでしょう。主要な影響源がNYエレクトロやシカゴ・ハウスやデトロイト・テクノにあった90年代前半のやり方から、いきなりハンドルを切ったかのように、それがラウンジであれ、ジャズ‏・フュージョンであれ、インダストリアルであれ、ブレイクビートを使った自由奔放かつ創意ある組み合わせによるリズムを取り入れている。ジャングルにおけるリズムの進化のなかに、これは面白いことができそうだという可能性を見いだしたのだろう。『ドラムンベース・フォー・パパ』やカメレオンの「リンクス」、“カム・トゥ・ダディ”や“ガール‏/ボーイ・ソング”、『ハード・ノーマル・ダディ』……、そしてマイケル・パラディナスの『ルナティック・ハーネス』。

 もっともマイケル・パラディナスは、『ブラフ・リンボー』(1994)の頃から、たとえば当時度肝を抜かれた“ヘクターズ・ハウス”のような曲にも、いや、襲撃だったあのデビュー・アルバム『タンゴ・ンヴェクティフ』(1993)にだってレイヴ・カルチャーとの繋がりを示す痕跡はあった。それを言ったら、そもそもパラディナスをその気にさせた“アナログ・バブルバス”のブレイクビートからして遠からず繋がっている。だが、ジャングルを自分たちのリズムとして咀嚼するというか、より創造的に応用し、リスニング・ミュージックとして洗練させたのは90年代後半になってからの話だ。なんにせよ、AFX周辺がUKの移民文化とリンクする荒々しいアンダーグラウンドから生まれたそのリズム革命を自己流に解釈していったとき、彼らはもうひとつの高みに向かっていったと言えるだろう。その音楽にタグ付けされた、“ドリルンベース”という珍妙なネーミングは、ある意味バカバカしく、ある意味適切でもあった。ドリルの音でダンスするのは難しいが、あり得ないほど速い連打に笑えるかもしれない。

 『ルナティック・ハーネス』はそんななかの1枚で、いまではすっかりIDMクラシックに括られている、パラディナスの代表作の1枚だ。もっとも、リアルタイムにおいては、さきほど挙げたほかの作品のインパクトもそれなりに強くあって、とくにパラディナスの場合はAFXとの比較が不可避的だったりしたので、印象で言えばこの1枚だけが突出していたわけではない(それほどこの頃は濃密だった)。あるいは、在りし日のパラディナスが恐ろしく多作だったことも関係しているのだろう。1995年に初めて取材したとき(ele-king vol.01収録)、彼はすでに550曲作ってあると言っていたが、それはあながちハッタリではなく、『イン・パイン・イフェクト』(1995)以降、ファンキーなジェイク・スラゼンガー、フロアよりのタスケン・レイダーズ、テクノよりのキッド・スパチュラ、ジャジーなサンプルを多用したゲイリー・モシェレス等々、いろんな名義でいろんな作品を出しまくった。(そして近年は、この頃出し切れなかったものを出し続けている)
 だからこそ、『ルナティック・ハーネス』の25周年記念としてのリイシューには意味があるのだろう。ジャングルのみごとな応用とパラディナスの遊び心ある折衷的なアプローチのもっとも洗練されたアルバムは、いま聴いても、いや、いま聴くとなおのこと十分に楽しめる。つまり同作はいまや歴史から切り離されているわけで、だからもう、同じようなアプローチの他の作品のことは忘れて、この作品のみに集中できるのだ。“ブレイス・ユアセルフ・ジェイソン”なんて本当に良い曲だけれど、この頃は他にも良い曲がたくさんあったから。(歴史のなかで聴く醍醐味を失いつつある現在において、それを感じたいのであれば〈プラネット・ミュー〉をチェックしましょう)
 
 というわけで新作の『マジック・ポニー・ライド』の話をすると、「少なくともジャンルやスタイルに関しては『ルナティック・ハーネス』のフォローアップのようなものとして作られている」と〈プラネット・ミュー〉のサイトの紹介文に記されている。手法的には「続編」と見ていいのだろうが、趣は著しく違っている。だってこれは、「喜びとメロディ、ジャングルにインスパイアされた」と、まあ、ぶっちゃけたことが書いてあって、たしかにその通りの内容なのだ。
 もとよりパラディナスの音楽を特徴付けるのは、激しいリズムとメロディアスな上物にあったわけで、くだんの『ルナティック・ハーネス』はヴァリエーションの豊かさと完成度の高さにおいて傑作だった。その幅の広さのなかには、ラウンジ的なゆるさやユーモアもありつつ、ブレイクコアへの架け橋ともなるような暴力性も内包している。刃物恐怖症の身としては、ハサミの音?に聞こえるルーピングには、いまでも耳をふさいでしまうのだけれど、そこへいくと『マジック・ポニー・ライド』はじつに平和な作品だ。彼の家族への曲(娘のエルカをフィーチャーした曲があり、亡き父への曲など)があるように、これは愛情によって生まれた心温まるアルバムなのである。
 『ルナティック・ハーネス』のフォローアップ作と言っても、“ヘスティ・ブーム・アラーム”のような複雑なエディットで飾り立てるよりは、シンプルに聞こえることを意識したのだろうか、地味であることの美学(表向きの華やかさよりも地に味があること)に徹しているように感じる。そのことは最初の2曲を聴いてもらえればわかると思う。とはいえ、“ターコイズ・ハイパーフィズ”のように“ヘスティ・ブーム・アラーム”直系の曲もあるにはある。が、ぜんぜんドリーミーだし、向いているところが違いすぎる。繊細なメロディやアンビエント・タッチの柔らかい音色もまた今作の特徴で、シングル・カットされたリズムが強めの“グッドバイ”にしてもそう。
 
 パラディナスといえば、このところずっとレーベル・プロデューサーとしての仕事のほうがよく知られるところで、〈プラネット・ミュー〉は変わらず活動的だし、エレクトロニック・ミュージックのプラットフォームとしていまでも生き生きとしている。だが、ミュージック名義としての作家活動となると、90年代とは打って変わって、すっかり寡作な人になっている。先にも書いたように、ここ最近は未発表作品をまとめたアーカイヴ・シリーズ(1992年から1999年までの未発表曲が年代別に4枚のアルバムに分けられている)のリリースがあるぐらいで、昨年、スペインの〈Analogical Force〉からリリースした『スカーレイジ』(2021)が2013年の『チュード・コーナーズ』以来となる8年ぶりのオリジナル・アルバムだった。
 『スカーレイジ』を作ったこと、それからアイスランドでの乗馬が新作を作るうえでの重要な体験となったそうだ。なるほど、たしかにそんなイメージかもしれない。軽快で心地よく、もうこれは“ドリル”ではない。しかしね、実際馬のうえにまたがったりすると、思っている以上に高くて、硬くて、けっこう怖いんだよね。しかし、マイケル・パラディナスは、馬に乗ってアイスランドの大地を駆けていったと。
 アイスランドを駆ける馬かぁ……よくわからないけど、猛暑の夕暮れ時にビールを飲みながらそんなことを想いつつこのアルバムを聴いていたら、ほんのちょっと気分が良くなった。世のなかが暗く沈んでいる時期には(ここ日本ではとくにそうだよね)、このとんでもない多幸感はだいぶ場違いな気もするのではあるが、だいたいパラディナスは、昔から少しだけなんかちょっとズレている感じがあったし、そんなところが魅力でもあるので、うん、これはいいんじゃないでしょうか。

GemValleyMusiQ - ele-king

 「アマピアノの第2章」という惹句が目に飛び込んできた。ジェムヴァレーミュージック(以下、JVMQ)のファースト・アルバムについて書かれた資料の1行目。正確には「JVMQのファースト・アルバムはラフ・アマピアノの第2章だ」という書き出し。資料を読む前にアルバムを聴き終えていた僕は「え、アマピアノだった?」と戸惑った。「催眠的なヴォーカル、不気味なキーボード、コミュニティ感覚と自由、未来からストレートにやってきたFLスタジオのリズム」と資料は続ける。FLスタジオというのは音楽制作ソフトの名称。調べてみるとJVMQは確かに南アフリカはプレトリアのダンス・ユニットで、プレトリアがここ何年か発信し続けているのは確かにアマピアノである。プレトリアの音楽ならいまはほとんどがアマピアノ。それは間違いない。アマピアノというのは、しかし、基本的にはディープ・ハウスである。JVMQはどう聴いてもディープ・ハウスではない。彼らのデビュー・アルバム『Abu Wronq Wronq』はむしろ僕にはバカルディに聞こえた。そう、公式資料も「ラフ・アマピアノ」と表現し、「極端にパーカッシヴで、ベースを中心とし、その辺のアマピアノよりも実験的だ」と強調している。

 以前、紙エレキングに書いたことだけど、もう一度繰り返そう(もう読んだという人はこの段落はトバして下さい)。南アフリカのハウスはクワイトと呼ばれ、早いものだと80年代からつくられてきた(V.A.『Urban Africa (Jive Hits Of The Townships)』など)。クワイトが独自の色合いを持ち始めるのは90年代中盤からで、ヨハネスブルグやダーバンのタウンシップが中心となる(V.A.『Ayobaness! - The Sound Of South African House』など)。タウンシップというのは簡単にいえばゲットーのことで、2008年にプレトリアからDJムジャヴァがミリタリー・ドラムを駆使した“Township Funk”をローカル・ヒットさせ、これを〈Warp〉がライセンスしてヨーロッパ中に広め、プレトリアにはバカルディというムーヴメントが起きることに。ところが、プレトリア以外の南アでは“Township Funk”はまったく知られていなかったといい、それが本当なのかどうなのか、ほどなくしてバカルディがフェイド・アウトしていったのに対し、やはりミリタリー・ドラムをサウンドの核としたゴムがダーバンから巻き起こるとイギリスのDJ、ナン・コーレが〈Gqom Oh!〉を設立して、これを世界規模に拡張させる。この流れが“Township Funk”のプロダクション・チームは面白くなかったようで(知名度の落差が原因でDJムジャヴァはすでに精神病院に入っていた)、プレトリアではダーバンをこき下ろす発言も目立ち、その時期からプレトリアはクワイトのベースラインにジャズ・ピアノを太くフィーチャーするアマピアノへと流れを変える。バカルディもアマピアノもいってみればディープ・ハウスのヴァリエーションであるのに対し、ゴムのインパクトは明らかにテクノのそれで、プレトリアとダーバンの差はビートの強弱など、もっと違うところにあるような気もするし、南アを代表するディープ・ハウスのDJ、ブラックコーフィーがダーバン出身で同地に肩入れするなど、音楽性よりも地域差による対立が目立つ結果となった。ドミノヴェ『Umthakathi』(2017)の頃に比べると昨年のキッド・フォンク『Connected』などダーバンもかなりプレトリアの影響は受け始めていると思うし、ダーバンのポテンシャルにもプレトリアのそれにも目を見張るものがあったことは確かで、遠目に見ればデトロイト・テクノとシカゴ・ハウスが互いを補完をしてきた関係と似ていると思うのだけれど。ちなみにイーロン・マスクはプレトリア大学卒。

 何度か聴き直してみたけれど、やはり『Abu Wronq Wronq』はアマピアノというよりバカルディに戻ったと考えた方がいい。それこそ“Township Funk”の続きを聴いている感じで、腰にまとわりついて離れないベースラインの力強さは往時の何倍も強力になっている。アフリカにベース・サウンドがしっかりと定着したのだ思う。勝手にゴムのピークだと思っているDJティアーズ・PLKやオワミ・ウムシンド(Owami Umsindo)と同じく、リニアな動きは一切なく、同じ場所でじわじわとリズムを循環させる感じはレゲエと同じ。一度、腰を回し始めてしまうと、絶対に抜け出せない。この粘り強さは上半身をあまり動かさずに踊る人には最高のグルーヴで、パラパラや盆踊りのように腰から下を動かさずに踊る人には一生わからないだろう。ポップ・グループ“She Is Beyond Good And Evil”が79年に公開した最初のヴィデオはレゲエ・クラブで踊る人たちの姿を捉えたもので、僕はそれを観て上半身をほとんど動かさない踊り方というものがあるのだと初めて知ったのだけれど、実際に自分がそのように踊ってみるようになったのはレイヴ・カルチャーと出会ってからだった。『Abu Wronq Wronq』を聴いていると、どうしても”She Is Beyond Good And Evil”の映像が蘇ってしまう。体の中でグルーヴがぐるぐると渦巻いているのに外見的にはほとんど動いていないというのが踊っている本人には意外と面白い。ヒップホップで踊るのが好きな人も同じだったりするのではないだろうか。このミニマルな運動感。そして、それはヤキ・リーベツァイトのドラムにも通じるものがあり、カンがレゲエと出会ってつくったのが『Flow Motion』(76)なら、彼らがもしもまだ現役で、ゴムと出会っていたらつくっていたかもしれないと思うのが“Spice Ko Spicing”である。



 JVMQが名乗る「ジェム」というのは「宝石」のことで、マイケル・ベアードがコンパイルした『African Gems』(14)や〈Mukatsuku Records〉の諸作など、この10年ほどヨーロッパがアフリカの音楽を指して呼ぶ表現を自分たちから名乗ってしまおうというしたたかさが感じられる。宝石の谷の音楽。これを発見し、世界に解き放ったのがフランスのレーベルだというのもまた興味深い。南アやウガンダはいままでイギリスとオランダの資本が投入され、フランスはマリやコンゴといった北アフリカがテリトリーだったからである。フランスは〈Good Morning Tapes〉や〈Human Disease Network〉といった面白いダンス・レーベルが増えているので、ロウ・ジャックの〈Les Disques De La Bretagne〉以降、勢いがついていることは確か。『Abu Wronq Wronq』は後半に入るとアマピアノ色も強くなってくる。リズムがしっかりしていると、その上でリード楽器がソロを取ると思った以上に気持ちがいいし、そういう意味ではなるほどアマピアノである。そして、まさにアコースティック・ピアノが炸裂する“Dance A Lot”で僕は一気にセカンド・サマー・オブ・ラヴまで連れ去られてしまった。このゴージャス極まりない高揚感。今年の2月にデムダイク・ステアが『The Call』というピアノ・ハウスのミックス・カセットをリリースしていて、彼らのことだからさすがにバカっぽくはなかったものの「なんで?」という気持ちになっていたところ、“Dance A Lot”はそれともつながってしまう曲で、もしかして、今年の夏はコロナ禍の鬱憤をすべて晴らすかのような、とんでもないダンス・カルチャーの大爆発が起きたりして……とか思ったり。

Mars89 - ele-king

 ことにイギリスと比較した場合、日本がアンダーグラウンド・シーンに対するリスペクトの少ない国であることは、国内から影響力を持ったDIYレーベルがなかなか生まれない現状からもうかがえる。まあ、イギリスが特殊なのかもしれないが、強者にすり寄り弱者に冷たいのは何も政府のことだけではないし、アンダーグラウンドでサウンド・アートを追求しているミュージシャンたちは相変わらず苦戦を強いられていることだろう。とはいえ、昔と違っていまは(たんなる内輪になってしまいがちなリスクはあるものの)細分化された小さなシーンがいくつもあり、bandcampなどを介して海外との回路も作れるので、自国内でのサポートがなくても活動を続けやすいことはせめてもの救いなのかもしれない。Mars89は、ここ数年の東京のアンダーグラウンド・シーンにおいてもっとも目覚ましい活躍を見せているDJ‏‏/プロデューサーのひとりで、彼の名声もイギリスや欧州のほうが大きい(なにせ、トム・ヨークがリミックスをするくらいだ)。去る5月上旬にリリースされた彼にとって初となるアルバムは、現在アテネに拠点を置く〈Bedouin Records〉からリリースされている。日本にもし『ガーディアン』のようなジャーナリズムと文化を重んじる真性の左派メディアがあったなら、大きくフィーチャーされたであろう作品(であり、アーティスト)だ。
 
 まあいい。そう、彼には時代の潮目を感じ取る嗅覚があったことも大きい。Mars89がカセットテープ作品「Lucid Dream EP」をブリストルの〈Bokeh Versions〉からリリースした2017年は、アンダーグラウンドにおけるダンスホールとダブの再研究が高まりはじめた時期でもあった。〈Bokeh Versions〉がロウ・ジャック vs タイム・カウの「Glacial Dancehall 2」をリリースし、ジェイ・グラス・ダブスが頭角を現し、あるいはレイムが「Reel Torque Volume 13: Our Versions Of Their Versions」を出したりといった具合に、新しい世代が自由な発想をもってダンスホールやダブを再解釈する、シーンのそんな動きのなかでMars89も脚光を浴びた。
 
 2018年のシングル「End Of The Death」においてもそれを確認することができるように、Mars89には彼独自のサウンドがあった。ぼくが思うに彼の初期のサウンドは、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンの“ユーグン”におけるリミックスやタックヘッドのプロデュースなどを手がけていた1980年代半ばのエイドリアン・シャーウッドに通じるセンスがある。インダストリアル・ダブの再解釈と言えるもので、つまり混沌とし、テクノとの境界線は曖昧となって建築現場のノイズと親和性を持っている。それが情け容赦ない攻撃性を帯びているのは、Mars89がこうした彼の作品を、オリンピックを前に東京都がジェントリフィケーション(都市の高級化)を加速させていた時期に録音していたことも無関係ではないだろう。豪華なリミキサー陣で話題になった「The Droogs」でも、彼の産業廃棄物めいたダンスホール・スタイルは圧倒的だった。しかも彼はそこに留まらず、「New Dawn」や「Night Call」といった最近のシングルにおいてヴァリエーションを着実に増やしている。いまやMars89は、ドレクシアの深海やブリアルが描く深夜の裏通りと共振しながら、アンダーグラウンド・レイヴを掘り下げているように見受けられる。「Night Call」にいたってはダブステップとの接続も果たしているし、たとえば“North Shibuya Local Service”などは、日本にもしゴス・トラッドザ・バグが着手したダブの異形接合体を継承する者がいるとしたらMars89ではないかと思わせてしまう曲だったりする。
  
 そんなわけで『Visions』は待望のファースト・アルバムだが、ありがちな〝これまでの総集編〟にはならなかった。ここにはMars89にとっての新章と言えそうな、あらたな試みがある。1曲目からしてそうだ。旋回する電子ループの向こうから4/4キックドラムが聴こえるという“They made me do it”は、デトロイトのロバート・フッドによる暗いハード・ミニマルとリンクする、ジャンル分けするならテクノのタグを付けられる曲だ。もっとも、それぞれの音の位相は独特で、音の歪み方も過剰だし、いわゆる4つ打ちのテクノとは質感が少々異なっている。だが、ビートの入り方はテクノのそれで、喩えるなら、どこかの地下室でおこなわれているレイヴを地上の少し離れた場所から聴いているような錯覚を覚えてしまう、そんな遠近法を持った曲だ。しかもこうしたアプローチはこの1曲だけではない。“Flatliner”という曲などは、ディストーションをかけられた電動工具によるミニマルのごとしである。
 これまでのダブ路線を踏襲する曲はもちろんある。たとえば“Auriga”という曲がそれで、ずたぼろになったメランコリックなダンスホール・レゲエとでも言えばいいのか、そんなサウンドだ。他方ではダーク・アンビエントめいた様相も配置されているし、“Nebuchadnezzar”なる曲にはクラウトロックめいた催眠的なリズムがある。

 「This album is dedicated to the city dwellers who live with the rats and crows in the gaps of the city where the giant capital tries to control everything.(このアルバムは、巨大資本がすべてを支配しようとするシティの隙間で、ネズミやカラスと暮らすシティ・ドウェラーズ(都市生活者)に捧げられている)」と本人がジャケットに記しているように、『Visions』はポリティカルな作品でもある。Mars89の「シティ」は、日本がアメリカ型の消費生活に憧れ、この国もひょっとしたら欧米のように豊かな国じゃないかと信じられていた時代の「シティ」とはまるっきりの別物だ。「Don't dream the past. Remember the future.(過去を夢見るな、未来を思い出せ)」とも彼は記しているが、Mars89は、明るいイメージの未来を描けないでいる今日の日本を生き、足下をたしかに未来に向かおうとしている。徹頭徹尾ダークだが、ここには自由があるし、売れることよりも出したい音がある。それがアンダーグラウンドってものだ。誇り高き音の実験場であり、それは世界に開かれている。
 最後の“Goliath”から“LA1937”への展開では、錯乱したハード・テクノの混沌からドランベースの断片が宙を彷徨う静寂さへとたどり着く。夜が明ける前に、我々はふらふらになりながら、地下からようやく地上に這いずり出て、地面に腰を下ろしひと息ついて空を見る。よし、まだいける。もういちど地下に潜ろう。いわばポスト・レイヴ・カルチャー。Mars89の冒険は、はじまったばかりである。

 なお、アルバムのデザインは日本人DJのゾディアック。彼は同レーベルの作品のデザインを多数手がけているが、ほかにも大阪の音響作家、Ryo Murakamiが主宰する〈Depth Of Decay〉レーベルのデザインも担当している。チェックしましょう。

The Ephemeron Loop - ele-king

 たまに何年かにいっぺん、サウンドの激烈さによるインパクトをもって衝撃を与える音楽作品がある。近年で言えば『リターナル』がそうだったろうし、古くはルイジ・ルッソロ(古すぎか)、たとえばヴェルヴェッツやジミ・ヘンドリックス、アシュ・ラ・テンペルのファースト、ボアダムス、オウテカ、あるいは『ラヴレス』とか……騒音芸術の系譜を引きながら超越的であろうとするこれら狂おしき連なりに、いまあらたにジ・エフェメロン・ループの『サイコノーティック・エスケイピズム』が加わった。痛ましくも烈しいこの音楽は、先週末ようやくbandcampでアルバム全体が聴けるようになったのだ。
 
 ジ・エフェメロン・ループは、出身はウェールズだが、現在はリーズを拠点とするアーティストで、最近はVymethoxy Redspiders(ヴァイメソキシー・レッドスパイダーズ——でいいのだろうか)なる名義で活動していたようだ。つまり、まったくの新顔ではない。Guttersnipe(ガッタースナイプ)なるノイズ・バンドのメンバーだったこともあって、その際の名義はUroceras Gigas(ユロセラス・ギガス——でいいのだろうか)という。とにかく日本人には読みづらいスペルの名義を多数持っていることが、discogsを見ているとわかる。そして彼女はトランス・ウーマンである。
 『クワイエタス』に掲載された彼女のインタヴューを読むと、彼女の音楽遍歴と並行して、アイデンティティの葛藤、ドラッグ体験の数々、LGBTコミュニティとアンダーグラウンドなレイヴ・カルチャーやなんかが赤裸々に語られている。誤解を避けるために言っておくと、彼女は一昔前のロック文化のようにドラッグをロマンティックに語っているわけではない。ただそれは、彼女にとっては触媒だった。「サイケデリック・ドラッグはトランス・ウーマンとしての自分を認識するうえで重要な役割を果たし、音楽に対する認識を完全に変えてくれた。3回目のトリップはまさに画期的な再生体験だった」と、ジ・エフェメロン・ループは話している。
 本作は2008年から作りはじめていたそうで、音楽的に言えば、彼女がこれまで心酔したあらゆる音楽——シューゲイザー、ブラック・メタル、ノイズ、ダーク・アンビエント、スラッシュ・メタル、グラインド・コア、ハード・テクノ、ダブ・テクノ、ドリーム・ポップ等々——が無秩序に取りまとめられている。アルバムはカミソリのようなノイズからはじまるが、途中でダブ・テクノに急転したり、コクトー・ツインズ流のエーテルがミックスされたりとか、節奏がないといえばない。荒削りだ。
 しかしながらこの音楽にぼくは、感情のレヴェルにおいても突き刺さるモノを感じるのだ。サウンドが伝える切実さにおいて、彼女が自分の人生をかけて、大げさに言えば命をかけてこの作品を作っていることがぼくには理解できる。小さな知識と小手先だけで作られた軽々しいエレクトロ・ポップな作品とは訳が違う。ギリギリのところから這い上がってきた音楽、いま我々にとっての避難場所があるとしたら、このぐらい過剰に内的で、刹那的でしかありえないと言わんばかりの。
 本人の解説によると「コクトー・ツインズ、アルカ、ベーシック・チャンネル、ナパーム・デスのあいだに位置する」とのことで、bandcampの解説をそのまま引用すると、「リーズのクィア・アンダーグラウンドでシューゲイザー、レイヴ、サイケデリック・ドラッグに傾倒した彼女の悲惨な人生を打破するため、ミスVRはこのアルバムを書くのに14年もの長い年月と困難を要した。ネガティヴな感情に苛まれ、エクストリーム・ミュージックをサウンドトラックとした生活は、陶酔、高揚、そして恍惚とした自由を体験する機会に取って代わられ、その感情は 『サイコノーティック・エスケイピズム』で官能的に凝集されている」。
 
 ホログラフィックなヴィジュアルを装いながら、完璧なアンダーグラウンドからやってきたこの音楽を、ぼくが10年後に聴いているかどうかはわからない。しかし、たった“いま”、このときにおけるインパクトにはすごいものがあるし、それで良いと。いまにも倒れそうだというのに、その先のことまで考えられないだろ。

 

R.I.P. Mira Calix - ele-king

 こういう仕事をして、いろんな人と会って話したりするなかで、この人の性格はうらやましいなと思えるような人と会うことがある。ミラ・カリックスはそんなひとりだった。彼女のからっとした感じ、テキパキとした感じ、頭の回転の速さ、そしておそらくは、困難にぶち当たっても可能な限りに前向きに思考し、突破してしまいそうな明るさ——そうした彼女の属性は、彼女が南アフリカ生まれでロンドンに移住したコスモポリタンであるがゆえなのかどうかはわからないし、そもそもぼくが彼女と会ったのはわずか2回なので、まあ、365日そんな感じだったのかどうかもわからない。ただ、彼女にはどこか竹を割ったような、さっぱりした感じがあって、その感覚は彼女の音楽作品からもぼくは感じていた。どんなに彼女が実験的なことをやろうが、遊び心があって、ユーモアもあった。遺作となったアルバム『Absent Origin』のアートワークがそうであったように。
 ミラ・カリックス、本名、シャンタル・フランチェスカ・パッサモンテが亡くなったと所属元の〈Warp〉が3月28日発表した。死因は公表されていない。52歳だったという。まったく、なんて悲しいニュースだろう。
 彼女のキャリアは、90年代初頭のロンドンのアンビエント・ソーホーというアンビエントに特化したレコード店の店員としてはじまった。ぼくの、あまり頼りにならない記憶装置によれば、たしか彼女はDJシャンタルとして、1993年の「アンビエント・サマー」と呼ばれたあの夏、アンビエントDJとしてシーンの一部になった。
 懐かしい時代だ。奇跡的な時代だったと思う。シーンにいる誰もが自分個人のためではなくシーンのため、みんなのために動いた時代だった。「アンビエント・サマー」は、口もきけないくらいにぶっ飛んでダンスする第二期レイヴ・カルチャーから枝分かれしたシーンで、アンビエントでも実験音楽でもプログレでも、まあみんなでのんびりと、いろんな音楽を楽しんでチルアウトしましょうやというシーンだった。頭角を現した彼女は、シェフィールド時代の〈Warp〉の広報担当にフックアップされた。彼女のミッションは、それこそAIシリーズを売ることだったが、広報担当時代の彼女の最大の功績は、ハウス至上主義者からの「オウテカやAFXでは踊れない」といった批判に対して、『Blech』というDJフードによるミックス作品で反論したことだった。
  
 それから周知のように、シャンタルはミラ・カリックスとして多くの作品を発表した。2000年のデビュー・アルバム『One On One』、2003年のマスターピース『Skimskitta』。それから彼女はハイブローなアートの世界にも進出した。ロンドン・シンフォニエッタとの共作、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのための作曲、あるいはオペラのための作曲やインスタレーションなど、それらのいくつかの楽曲は『3 Commissions』と『The Elephant In The Room: 3 Commissions』にまとめられている。
 ミラ・カリックスは2021年、2007年の『Eyes Set Against The Sun(太陽に目を向ける)』以来となる、久しぶりのアルバム『Absent Origin』をリリースした。このアルバムはレヴューでも書いたように彼女の集大成的な内容の作品で、おそらくはもっとも傑出した作品だった(年間ベスト・アルバムにも挙げた)。このアルバムに先駆けて2019年にリリースされている復帰作となったシングルのタイトルは「Utopia」だったが、シャンタル・フランチェスカ・パッサモンテは間違いなくユートピストだった。最後まであの時代の精神を忘れなかったことは、その遺作が充分に証明している。彼女の最後のツイートは「help the displaced….save Ukraine ……save democracy…. save the world」だった。
 
 以下、これまでやった2回のインタヴューをここに掲載することで、彼女への供養としたい。


■エレキング、1997年8月/9月号

 ごきげんなヒップホップ野郎ジョージの取材を終えてから悪い知らせが届いた。スクエアプッシャーことトム・ジェキンソンが、列車に乗り遅れ、予定の時間よりも到着がだいぶ遅れそうとのことだ。
 ふーむ、仕方あるまいと思っている時に、〈Warp〉のオフィスにやって来たのはミラ・カリックスことシャンタル嬢だった。今年で28歳になる彼女は、もともとロンドンのアンビエント・ソーホーというレコード店で働きながらDJとして活動していて、メガドッグやメガトロポリスやフリー・パーティでまわしていた。パーティでオウテカと知り合い、その後オウテカのメンバーのショーン・ブースと結婚、住居をシェフィールドに移してからつい最近まで〈Warp〉のオフィスで働いていた。しかし今や彼女はミラ・カリックスという名のもと、〈Warp〉と契約したアーティストのひとりである。これからシーフィールのマーク・クリフォードの協力を得て、アルバムの制作に取りかかる予定だとも言う。
 ミラ・キャリックスの音は、まさしく〈Warp〉の“アーティフィシャル・インデリジェンス・シリーズ”的な展開で、それはブラッグ・ドッグやオウテカ、そして最近話題のボーズ・オブ・カナダと並んで古き良き〈Warp〉の伝統に基づくものである。スペースメン3の大ファンで、スペースメン3に関するものならすべて集めているという彼女と話してみることにした。

――〈Warp〉レコードにどういう印象を持っていましたか?
シャンタル:もともと〈Warp〉は大好きだった。とくにオウテカとブラック・ドッグの大ファンだった。初めて〈Warp〉のオフィスを訪れた時はあまりの小ささにショックを受けたことをよく覚えている。仕事はとても楽しかった。私が好きな3つのレーベルのひとつで働くことができたのはラッキーだったと思う。
――好きな他のふたつのレーベルは?
シャンタル:4ADとデディケイティッド。スピリチュアライズドの大ファンだからね(笑)。
――しかしミラ・カリックスやオウテカみたいな音は決して多くの人に聴かれる音じゃないですよね? 今後どうすればあなたがたのような音楽は残っていくと思いますか?
シャンタル:売れないといっても、そういったアーティストがささやかながら暮らしていける枚数が売れれば、それが彼らにとって売れたということになるのよ。たしかにオウテカみたいな音は私、すごくいい音楽と信じているけど、ラジオなんかでなかなかかけてもらえない。ラジオ局が最初から、この手の音楽は理解しづらいと思ってしまっているから。それはオーディエンスをみくびった態度だと思う。日本もきっとそうでしょうね。テクノでさえ、深夜のラジオでしかかからない。
――しかしオウテカみたいなアーティストも〈Warp〉は出し続けるじゃないですか。最近も5枚目のアルバム『LP5』を出したばかりですよね。そこは偉いなぁと思います。
シャンタル:まったくその通り。そしてリリースすれば買う人もがいることも事実。つまり、オウテカの音楽を好きな人が少なからずいるってこと。前はよくプラッドやオウテカのような音は踊れないからダメだって、ジャーナリストから叩かれたことがあったわ。だから私たちはDJフードに頼んでミックスCDの『ブレック』を企画したの。「どう? 私たちみたいな音でもDJの腕次第で充分に踊れるでしょ!」ってね。DJフードは素晴らしいDJだと思うわ。〈Warp〉の人たちはみんなDJフードのことが好きなの。だって彼らはジャンルで差別しないで、本当になんでもミックスできる人たちだから。
――そうだったんですかー。いやー、僕もあの『ブレック』には本当にぶっ飛ばされましたが、まさかその背景にあなたが関わっていたとは。
シャンタル:第2弾も考えていたんだけど、DJフードが忙しくなっちゃってねー。
――話は変わりますが、オウテカのショーンと結婚したんですよね?
シャンタル:ええ(笑)。一応オウテカのひとりと結婚したつもりなんだけど、家にスタジオがあるからオウテカのふたりとほとんど毎日顔を合わせていて、まるでオウテカのふたりと結婚したみたいになっちゃった(笑)。
――しかしあなたの家からはオウテカの音とミラ・カリックスの音が同時に鳴っているわけだから、近くを通る人は不思議に思うでしょうね。
シャンタル:しかも建物の一階はトルコ料理のレストランだから、トルコ音楽もミックスされている(笑)。


■remix 2003年5月号

 前回〈Warp〉を訪ねたのは6年くらい前のことで、レーベルはまだシェフィールドにあった。当時〈Warp〉は冴えない地方都市のしかしもっとも成功しているインディ・レーベルだった。それがいまではロンドンの原宿ともえいるカムデンタウンだ。大きなドアを開けると広いフロアを囲むように円陣にデスクが並べられ、10人以上のスタッフが机のうえのコンピュータに向かってかちゃかちゃ音を立てている。フロアの中央にはスピーカーがあり、最先端のアンビエントが流れている。なんだか変な光景だ。
 ミラ・カリックスを名乗るシャンタル・パッサモンテと最初に会ったのも6年前のシェフィールド時代の〈Warp〉を訪ねたときだった。オウテカのショーン・ブースと結婚して間もない頃で、彼女が〈Warp〉を退職し、ミラ・カリックスとしてアーティスト契約したばかりの頃だった。最初のアルバム『One On One』がリリースされるおよそ2年前のことでもあった。
 シャンタル・パッサモンテは6年前と変わらずよく喋りよく笑う。とても楽しそうだ。彼女のキューリアスな音楽からもそんな彼女の振る舞いが聴こえる。日々の生活の微妙な変化に驚きと喜びを感じ、雨の音を聞き分け、風の匂いを音に置き換え、暗い夜の窓の外の化け物たち、遠い森の動物たちの内緒話に耳を澄ましているような、想像力を楽しむ人間がそこにいる。「音楽を作るときはいつも楽しんでやっているわ。遊び、そう、むしろ遊んでいるといった感じね」
 彼女はこの2年半のあいだに90曲を作り、それを1枚のアルバムにまとめたばかりだ。彼女の2枚目のアルバム『Skimskitta』は悪戯っぽいノイズのあとに美しいピアノが流れ、そして魔法の時間ははじまる。「音楽を作るのは主に昼間の時間帯。部屋に東の窓と西の窓があって、だから早朝から黄昏時まで太陽の光が入ってくる。こんな賢沢ないよね(笑)。だって朝の光から夕刻の光まで満喫しながら音楽を作れるんだから!」
 彼女の人生のパートナーでもあるショーン・ブースのいるオウテカはつねに最新のソフトウェアに目を光らせているが、彼女は彼らとは正反対の態度を取るかのようにアナログ機材や役に立たない楽器を好んでいる。オウテカとの比較でもうひとつ言うなら、オウテカの音の粒子の塊のようなビートに対して、彼女のドラムは石を鳴らしたときの音で構成されたりしている。そんなアイデアを捻り出すことが彼女の創作への情熱なのだ。
 3年前に引っ越した彼女の住むサフォークは、彼女の音楽に大きな影響を与えている。「シェフィールドに住んでいた頃はとんでもない場所で、部屋の窓の外が大通りだったからもういつでも騒がしいし、しかも部屋の下がトルコ料理屋でしょう(笑)。引っ越した場所はもっと田舎の、そうねー、私たち以外の住人といえば鳥ぐらい(笑)。どこに住んでようと変わらないと思っていたけど、だってスタジオの中身は変わらないわけだしね、でもね、環境の変化は……、やっぱ大きいわ(笑)!」
 ミラ・カリックスの音楽は数々の奇妙な物音で成り立つ一編のメルヘンのようだ。“狼と羊と扉”という曲では彼女だけが知る真っ暗な洞窟を探検しているような気分にさせられる。美しいピアノの音とざわめくパーカッションと遠くで聞こえる声。“I May Be Over There”のたどたどしいピアノの鍵盤の動きと宇宙のように広がるストリングスと奇妙なノイズ。
 「ロマンティックなものに惹かれるんだけど……」彼女はそう断ったあとで、ミラ・カリックスの音楽の秘密を教えてくれた。「それは具体的な人間関係のロマンスというよりも世界のロマンスみたいようので、私はその美しさを肯定したい。うまく言えなんだけど、もっと大きな美しさ、ボーズ・オブ・カナダは郷愁のなかの美だけど、私が表現したい美は過去のものではなく、だからといって遠い未来のことでもない、身近にあって尊い美、そんなものを見つけたいと思うわ。とても甘く美しい、そのロマンス、とても重要なことよ(笑)。音を選ぶときもそのことにはすごく神経を使う」
 「それは“喜び”という言葉で置き換えられるかもしれないね」彼女は次の質問を遮ってさらに説明を続ける。「変な話だけど、悲しみのなかにもそれはあるんじゃないかと思っている。メランコリーという言葉があるわよね、メランコリーというのは不思議な言葉で、淋しさと美とが共存している。メランコリックな眼差しというのは美にはつねに淋しさがつきまとうとういことで、私の感覚はたぶん正確な意味でのメランコリックではないと思っているけど、ちょっと近いところもあるわ。何故ならロマンスについて思いを巡らせているときやはり淋しさを100%拭いきれない自分がいるんだから。この感覚は説明しずらいわ、私が言いたいことが伝わればいいんだけど、でも考えてみればそれをうまく伝えること自体もひとつのロマンスよね (笑)」
 ロマンスという言葉は誤解を受けやすい言葉だが、面白いことに彼女はそれを積極的に使おうとする。もっとも彼女のロマンスは一次元的なものではなく、いま日本で流行のファンシー・ショップのようにすべてが人工的にかわいらしく整っているわけでもない。無邪気に音と戯れているかと思えば突然暗闇に包まれたりもする。ダークな曲もある。だからと言ってミラ・カリックスの音楽から、彼女が思春期に夢中になった〈4AD〉やスペースメン3などという過去を引き出しにくいのも事実なのだ。「そうは言ってもスペースメン3のことはいまでも愛しているわ」彼女は笑いながら自分の音楽的影響のいち部を明かす。「ま、思い出だけどね (笑)。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインを思い出にするにはまだ早いけど、だけどこの5年だけでも素敵な音楽はたくさん出てきていると思っているのよ。たとえばドレクシア、素晴らしいわ。ダークな音楽だけど、とても創造的でドライヴ感がとにかくダイナミックでしょ。ここ数年ではダントツね!」
 シャンタル・パッサモンテはDJとしてもここ数年はいろいろなイヴェントに呼ばれている。学生時代に彼女はDJフードなどとつるんでDJをしていたほどなのだ。最近ではリー・ペリー、スティーヴ・ライヒ、フィリップ・グラスなどの大物とイヴェントで一緒になっているが、とくにフランスのフェスティヴァルでリー・ペリーと会ったことは彼女にとって興味深い経験だったようだ。「リー・ペリーと会ったとき私はDJバッグを持っていて、彼は私に 『あなたはどんな音楽をプレイするのかね?』と訊いてきたわ。だから私は『そうね、エクスペリメンタルなエレクトロニック・ミュージックかな』と答えたのよ。そうしたらリー・ペリーが何て言ったと思う? 『ほほう、それではきみもダブをやっているわけだ』と彼は言うのよ。私は一瞬『え?』と思ったけど、すぐにあとで『言われてみれば、私はダブよね』と思ったの (笑)。だってたしかに私の音楽は、リー・ペリーのように考えればダブなんだから!」
 「気がつくということはすごいことだと思わない?」彼女はさまざまな人たちとの出会いを振り返りながら、興味深い話を続ける。「いままで気がつかなかったことに気づくって世界が広がることでしょ? 自分が知らなかった考え方や解釈と出会うことはだから最高なのよ。音楽によって自分が変化するわけじゃないわ。変化するんじゃなくて広がるのよ。自分の興味のない音楽に対して人は耳を塞いでしまうけど、私からすればもったいない話よね。音楽に新しい発見があるのは、発見はその音楽ではなくそれを発見した人間の側の発見なのよ。それって素晴らしいことだと思うわ」
 ミラ・カリックスの『Skimskitta』はそういう意味で音楽解釈の冒険でもある。風の音や木々のざわめきが音楽であるように、『Skimskitta』は想像力にどこまでもこだわっている。「少なくともファッショナブルな音楽ではないわよね (笑)」 彼女はそう言うと、アルバムのタイトルの意味とその狙いを次のように説明してくれた。「“動き”のあるタイトルが欲しかった。アルバム全体のテーマでもあったし。“スキムスキッタ”という言葉を発語するとき、なんか“動き”を感じない? 実際“スキッタ”という言葉には“動き”を予感させるニュアンスがあるし、“スキム”という言葉は、あの一、よく子供が川の水面に石を投げて石が水のうえを何度か跳ねたりするじゃない? あれを英語で“スキム・ストーン“と言うんだけど、他にもねー、実はスペルはちょっと違うけど“スキッタ”にも石を投げるというニュアンスもあるの (笑)。いろんな意味があるんだけど、最終的には“動き”というイメージからそれをアルバム・タイトルにしたわ」
 最後に彼女は現在の嘆くべき政治状況に関しても意見を述べてくれた。「私は毎日欠かさずニュースと新聞をチェックしているのよ。いまの状況は、ひょっとしたら多くの人にとって気にはなるけどよく知らないということだと思うの。マッシヴ・アタックはああいう風に自分たちの意見を言ったけど、それは大切なことよ。こういうときはアーティストでもジャーナリストでもなるべく意見を言ったほうがいいと思うわ。意見をシェアすることで理解を深めることができるわけだし、もっともシンプルなレヴェルでは友だちとカフェで話すだけでも違うと思っている。もっとみんなの意見を言い合うことでそれが動きに繋がるかもしれないし、戦争をくい止めることになるかもしれない。で、私の意見は、ブッシュとブレアをイラクに送って、フセインと3人で部屋に閉じこめて彼らだけで喧嘩してくれってことね。これなら兵隊も武器も使わずに済むわ。彼らのアイデアよりはいいんじゃない(笑)?」
 さて、この暗い時代に『Skimskitta』は美というロマンスを掲げているわけだが、その考え方に僕は共感する。僕も願わくは音楽を聴くときはロマンスを感じながら聴きたいと思っている。それはつまり身近にあって尊い美、それを肯定すること、これで決まり。

Various Artists - ele-king

 1月のある週末、私用のため静岡に行く機会があり、せっかくだからとローカルなクラブに顔を出した。土曜日の夜なんだし、そう思ってドアを開けると、90年代初頭に流行ったヒップ・ハウスにエレクトロ、さもなければブレイクビーツ・ハウスが鳴り響いている。ちょと待って、いまいったい何年だ? DJブースにいるのは20代前半の若者たちで、フロアで激しく踊っているのもそう。DJミキサーの両隣にある2台のターンテーブルにはレコードが回っている。
 これはいったいどういうことかと店主に尋ねてみると、ここ数年、若い世代ほどレコードを使い、若い世代ほど90年代モノをスピンするという。続いてその理由を問えば、まずレコードに関してだが、USBをぶっこんで100%完璧にピッチを合わせた、曲のつなぎ目もわからないデジタルなミックスが近年の世界的な潮流としてあるのはわかっていると。しかしミックスが、必ずしもすべてばっちり100%キマるとは限らないレコードには、やはり、どうしてもヒューマンな面白さがあるのだと。早い話、こっちはこっちで楽しい。たしかに、プレイの最中にミックスが微妙にずれたりするそのアナログな感覚がいまはなんだか新鮮に感じられてしまう。
 なぜ90年代のヒップ・ハウスやエレクトロなのかというその理由も興味深い。今日、新譜の12インチは下手したら2千円以上するが、中古の12インチなら500円からあるというリアルな経済事情もここには絡んでいる。しかもそれら12インチは21世紀でも立派に通用している。もちろん新譜(たとえばDJスティングレーのエレクトロ!)と交えつつの話なのだが、こうした傾向は日本全国で起きていることなのか、静岡のdazzbarだけの珍事なのかは知らない。いまどき誰ひとりとしてブランドものの服を着ていないってところがもう時代からズレているし、90年代的過ぎる。そもそもヒップ・ハウスやブレイクビーツ・ハウスなんてものは汗をかいて踊りまくるための音楽で、到底スタイリッシュとは言えない。あ、でもそうか、この子たちの目的は汗をかいて踊ることなんだ……。
 思えば90年前後のレイヴの時代のUKは、現在の日本と重なるところがあった。サッチャー・チルドレンと呼ばれた一部の優等生ビジネスパーソンを除けば、経済的にはおしなべて厳しく、だからこそクラブやレイヴは金のない階級のいろんな人間にとっての貴重な、そして少々ラディカルな娯楽となりえた。dazzbarの若いDJたちが無意識にやっていることは、「新しさ」に対するひとつの問いかけに思える。入場料1000円(1ドリンク)の古いヒップ・ハウスやエレクトロをかけているパーティにだって価値はあるんじゃないかと。それはヘタしたら、今日の日本をより正確に反映しているのかもしれない。

 90年代のDJカルチャーの遺産のひとつに〝リミックス〟という表現形態がある。いちど完成した楽曲をパーツごとバラしてあらたに音を足しながら組み替えることだ。90年代はリミキサーの時代だった。アンドリュー・ウェザオールという、2年前に他界したUKクラブ史におけるもっとも重要なDJ/プロデューサーは、90年代前半、リミキサーとしてそれはそれもう絶大な人気を誇っていた。ウェザオールのリミックスが収録されたレコードを見つけたら、誰もがそれを無条件に、売り切れないうちにと買った。オリジナルは知らないけれどウェザオールのリミックスなら知ってるなんてこもザラにあった。そもそも彼の名前が知られることになったのも、プライマル・スクリームの“I'm Losing More Than I'll Ever Have”というバラードを解体し、ハウスに再構築した“Loaded”という傑出したリミックスによってだったのだから。パーツの組み替え、ただそれだけのことが素晴らしいアートになりうるし、曲にあらたな輝きを加えることだってできる。

 本作『Heavenly Remixes 3 & 4』は、〈Heavenly〉というUKインディ・ロック系の老舗レーベルの楽曲において、アンドリュー・ウェザオールのリミックスを集めたCDで、レコードでは『3』と『4』に分かれている。なぜ『3』と『4』かと言えば、その前の『1』と『2』が同レーベルのほかのいろんなリミックス集で、『3』と『4』がウェザオール・リミックス集といことになるからだ。ウェザオールと〈Heavenly〉は、本作のような特別編が作れるほど深い付き合いがあったということでもある。
 本作に収められている16曲のリミックスのうち半分以上はわりと近年のもので占められていて、ぼくにとっては初めて聴くリミックスばかりだった。1曲目のスライ&ラヴチャイルドの“The World According to Sly & Lovechild”は、それこそ誰もが「アシィィィィィィィド!」とわめていた時代の産物で(昨年、念願叶って刊行した『レイヴ・カルチャー』の、Shoomという伝説的なパーティのところ参照)、ほかにもセイント・エティエンヌやフラワード・アップなど“Loaded”世代にはお馴染みのクラシック・リミックスは当然ある。しかし、その大半がトイ、オーディオブック、コンフィデンス・マン、グウェンノ、ジ・オリエレス、アンラヴド……などといった2010年代のインディ系の日本ではあまり知られていないであろうアーティストやバンドの楽曲だったりする。この〈Heavenly〉というレーベルも、90年代前半は日本でも人気レーベルのひとつだったが、近年において同レーベルの新譜が日本で積極的に紹介されることはほとんどない。

 90年代の音楽業界がリミックスという新たな価値に気が付くと、猫も杓子もリミックス・ヴァージョンを出すようになって、巷にはリミックスが氾濫した。雑誌の名称にもなった。リミックスはトレンドでハイプで、クールでファッショナブルだった。金のためにやったリミックスもさぞかし多かったことだろう。商売なんだから、それが悪いとは思わない。ジェフ・ミルズのように、そんなハイプを嫌ってどんな大物から依頼されても引き受けなかった人だっている。売れっ子中の売れっ子だったアンドリュー・ウェザオールのもとには、相当数のオファーがあったことだろう。なにせ彼がリミックスをしたら売れるから。しかしウェザオールもまた、商業的な理由によってそれを引き受けるタイプではなかった。自分が好きだったらやる、そういう人だった。

 本作は彼のベスト・リミックス集ではない。とはいえ、当たり前のことだが、本作に収録されたどのリミックスにもウェザオールらしさ──ポスト・パンク、クラウトロック、ダブ、テクノ、ファンク、エレクトロ──がある。そして、これも〈Heavenly〉なのだから当たり前のことだが、どのリミックスもインディ・ロックをダンス・ミュージックへと変換している。この人はUKのインディ・シーンを愛していたし、愛されてもいたとあらためて思う。だいたいウェザオールは、90年代に定着した〝リミックス〟という表現形態および付加価値が(おそらくフィジカルの売り上げが減少したことも手伝って)すっかり廃れてしまった今世紀においても、ずっとコツコツそれをやり続けていたのだ。そう、ずっと同じことを。
 アンドリュー・ウェザオールという人は、このリミックスをやったら人からどう見られるかなどというくだらないことを、考えたことすらなかっただろう。やりたいからやる、好きだからやる、愛がなければやらない、それだけだった。静岡のdazzbarでヒップ・ハウスをスピンしている若者たちも同じだ。君たちはまったく間違っていない。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19