「レイヴ・カルチャー」と一致するもの

talking about Hyperdub - ele-king

 2021年のエレクトロニック・ミュージックにおいて、こと複数のメディアで総合的に評価の高かった2枚に、アヤの『im hole』とロレイン・ジェイムスの『Reflection』があり、ほかにもティルザの『Colourgrade』とか、えー、ほかにもスペース・アフリカの『Honest Labour』もいろんなところで評価されていましたよね。まあ、とにかくいろいろあるなかで、やはりアヤとロレイン・ジェイムスのアルバムは突出していたと思います。この2枚は、ベース・ミュージックの新たな展開において、10年代のアルカそしてソフィーといった先駆者の流れを引き寄せながら発展させたものとしての関心を高めているし、そしてまた、〈ハイパーダブ〉という21世紀のUKエレクトロニック・ミュージックにおける最重要レーベルの新顔としての注目度の高さもあります。ロンドン在住の現役クラバー、高橋勇人と東京在住の元クラバー、野田努がzoomを介して喋りました。

■アヤとは何者?

E王
Aya
im hole

Hyperdub/ビート

高橋:先週はコード9に会いましたよ。

野田:なんで?

高橋:イースト・ロンドンのダルストンにある〈Café Oto〉というヴェニュー。大友(良英)さんや灰野(敬二)さんがよくやってる。

野田:うん、わかる、日本でも有名。Phewさんの作品も出してるよね。

高橋:そこでアヤがインガ・コープランドの新名義ロリーナと対バンしたんですよ。

野田:くっそー、その組み合わせ、最高だな。

高橋:インガ・コープランド、とくにハイプ・ウィリアムスって、ある種、ダンス・ミュージック以外にも注目しはじめた第二期〈ハイパーダブ〉を象徴するアーティストですよね。

野田:そう、いまハイプ・ウィリアムスの話からはじめようと思ってた。高橋くんって、(マーク・)ロスコの原画って見たことある?

高橋:テート(・モダン)で見たことあります。

野田:あの抽象表現絵画って絵葉書とかになってたりするけど、原画はものすごく巨大で。

高橋:ウォール・ペインティングですもんね。

野田:あの原画の前に立ち尽くすと、圧倒的なものを感じるんだよね。俺はドイツの、たしかデュッセルドルフで原画を見たんだけど、しばらくその前から動けなかったぐらい圧倒された。ハイプ・ウィリアムスのライヴは、自分が21世紀で観てきたなかでいまだベストなんだけど、そのときのハイプ・ウィリアムスのライヴは、言うなればジャングルやベース・ミュージックの抽象絵画だったんだよ。

高橋:なるほど。

野田:抽象化されたベース・ミュージック。そのときのライヴは、壮絶な電子ドローンからはじまったの。サブベースありきのね。もし、“ドローン・ダブ” なんて言葉があるとしたら、あれこそまさにそんな感じだった。それで最初にアヤを聴いたとき、ハイプ・ウィリアムスの続きがここにあると思ったんだよ。ほら、冒頭の電子ドローン、あれを大音量でちゃんとしたシステムで聴いたら、近いモノがあると思うし、電子的に変調された声もそう。

高橋:ははは、そうなんですね。僕にとってハイプ・ウィリアムスとは〈ハイパーダブ〉からの『Black Is Beautiful』ですよ。あのイメージが僕には強い。だから、サンプリングを重視したすごく変なポップ・ミュージックって印象です。

野田:そうだよね。コンセプチュアルでメタなエレクトロニカだよね。とくにその後のディーン・ブラントは音楽そのものを偽装する奇妙でメタなポップ路線に走るけど、あのときのライヴは、言葉が通じない日本人に対してサウンドで勝負したんだよな。そこへいくと、アヤは詩人であり、言葉の人でもある。しかしそのサウンドがあまりにも斬新なんだ。ちなみにさ、アヤってどこから来た人なの?

高橋:経歴を説明すると、出身は北イングランドのヨークシャー。いまって若手のアンダーグラウンドのミュージシャンでも、大学で音楽を勉強している人がすごく多いじゃないですか、ロレイン・ジェイムスとレーベルの〈Timedance〉を主宰しているブリストルのバトゥと彼のレーベルメイトなんかもそうだし。アヤもそうで、音楽大学でミュージック・プロダクションを勉強して、そこで出会ったティム・ランドというランドスライド(Landslide)名義でドラムンベースを作っていた先生に出会うんですよ。その人からアヤはアルカやホーリー・ハードンなどについて学んでいる。

野田:えー、大学でアルカを学ぶって。日本じゃ考えられない(笑)。

高橋:(笑)それがウェールズの大学で、アヤはそこからマンチェスターにいった。そこでベースやUKガラージのシーンへと入って、〈NTS〉マンチェスターとかその周辺の人たちとやっていた。で、『FACT Magazine』のトム・レア元編集長がはじめた、ロンドンの〈Local Action〉レーベルがあって、現行のベース系だけど、ダブステップよりもUKガラージとかから派生している、フロアで機能するようなレーベルです。そういったコミュニティにいたのがアヤ。そこではまだ、ロフト名義でやってた。

野田:ロフト名義のころから注目されてたの?

高橋:詩のパフォーマンスもやってはいたけど、リリースでは音がメインでしたね。ちなみに、トム・レアやその周辺のベース・ミュージックと日本でつながってるのはdouble clapperzのSintaくんとかじゃないかな。

野田:Sinta、素晴らしいな。

高橋:トム・レアってすごく敏腕ディレクターで、新しいことをいろいろやってる。いわゆるEDM的なものではない、カッティング・エッジなベース・ミュージックをロンドンから発信していた。そのなかのひとつとして、ロフトも注目されていた感じです。ロフトはブリストルの〈Wisdom Teeth〉からもリリースしていて、アンダーグラウンドのベース・ミュージック新世代のひとりとして認知されていましたよ。

野田:話が飛んじゃうけど、いまブライアン・イーノの別冊を作っているのね。60年代から70年代って、イギリスはアートスクールがすごかった。アートスクールという教育機関が、70年代のUKロックに影響を与えていたことは事実なんだけど、きっと、いまはそれが大学なんだね。

高橋:まあ、アートスクールが大学ですからね。ブレア政権時代に、いわゆる昔の職業専門学校みたいなのが大学になったりしている。その大学改編の一環で、それまでのアートスクールが大学になっているんじゃないかな。いわゆる美大みたいな感じに。

野田:なるほど。それでアルカについて教えたり、Abletonの使い方を教えたりしてるんだ。そりゃあ面白いエレクトロニック・ミュージックが出てくるわけだな(笑)。ブライアン・イーノがアートスクール時代の恩師からジョン・ケージや『Silence』、VUなんかを教えてもらったようなものだね。

高橋:似ているかもしれない。それこそ僕の在籍しているゴールドスミス大学はジェイムス・ブレイクの出身校ですからね。


Photo by Suleika Müller

野田:話を戻すと、アヤの『im hole』は2021年出たエレクトロニック・ミュージックではいちばん尖った作品だったよね。

高橋:尖ってましたね。

野田:しかもあれって、ベース・ミュージックだけじゃなく、ドローンやアシッド・ハウスとか、いろんなものがどんどん混ざっている。ハイブリットっていうのはまさにUKらしさだし、まあいつものことなんだけど、アヤのそれは抽象化されているんだけど、巧妙で、リズムの躍動感が抜群にかっこいいんだよ。

高橋:僕の好きな曲は4曲目の“dis yacky”です。

野田:あー、わかる、あのベースが唸るやつね(笑)。アルバムを聴いていって、あの曲あたりから踊ってしまうんだよ。部屋のなかで。

高橋:基盤にグライム、ダブステップとジャングルが入ってる。曲の作り方がほかの人とぜんぜん違います。ちなみに、アヤはもともとドラマーでリズム感がめちゃくちゃいいんです。あれって普通に聴くとダブステップと同じようなスピードなんですよ。でも、うしろで鳴ってるのが五連付のドラムロールで、その音だけ、だいたいBPMが170でジャングルと同じなんです。で、アヤはそのBPM170をエイブルトンで設定して作っているんだけど、普通に音楽を聴くときはダブステップやグライムで主流のBPM140で聴こえる。つまりポリリズムですよね。普通はそうやって凝り過ぎるとIDMっぽくなるというか、フロアではシラケちゃったりする。けれどアヤはそこのバランスがうまい、ぜんぜんサウンドオタクっぽく聴こえない。

野田:なるほど、たしかに。

高橋:僕はそこにある種の、ポリリズムとある種のクィアなアイデンティティの相関関係みたいなものがあるんじゃないかと思った。クィア・サウンドとはこれまでにない音を作り出す、それまでのサウンドの境界線をプッシュするというか。そこでポリリズムもリズムの多重性と考えられないかなと。ちなみにアヤ自身はトランスウーマンで、自分のジェンダー自認は女性って公表しているので、その自認がクィア、つまり男性でも女性でもない、というわけではないんですけどね。ただ彼女の生き方には、そういったクィア性はみてとれる。そういった表現をサウンド・テクスチャ―から感じるプロデューサーはいるけど、リズムでやってる人はそこまでいないような気がする。

野田:クィア・サウンド……、なるほどね、それっていま初めて聞いた言葉だけど、面白いね。だって、ハウスはゲイ・カルチャーから来ていて、やっぱりあのサウンドにはその文化固有のエートスが注がれているわけで、最近のエレクトロニック・ダンス・ミュージックでおもろいのは、気がつくとクィアだったりするんだけど、同じようにその独特なノリやその文脈から来ているテクスチュアがあるんだろうね。

高橋:10年代でいえば、〈Night Slugs〉なんかがクィア・シーンではすごい人気ですけどね。

■ソフィーの影響はでかかった


Photo by Suleika Müller

野田:アヤは〈ハイパーダブ〉がフックアップしたの? 

高橋:これはスティーヴ・グッドマン(コード9)がロフトのライヴに感銘を受けて、〈ハイパーダブ〉から出したとインスタグラムで言ってました。まずポエトリー・リーディング、詩のパフォーマンスがすごいとも言ってた。そしてあのサウンドテクスチャー。

野田:〈ハイパーダブ〉の資料によると、アヤはクィア文化に対しても批評的なことを言ってるよね。それも俺、興味深く思っててさ、自分がクィアでありながらクィア文化に対しても批評的であるということは、それが「LGBTQであるから評価するのは間違っている」ということだよね?

高橋:そうです。つまり、クィア文化そのものを批判しているんじゃなくて、そこに向けられる言葉に懐疑的なんです。「LGBTのサウンドはこうでしょ、LGBTのアーティストに求められるものはこうでしょ」、といったものを完全に拒否した音楽です。

野田:逆に言うと、それはジェンダーの認識がすごく成熟に向かってるということでもあるのかね。

高橋:そういう見方もできるかもしれません。だからこそかもしれないけど、リリックのなかでクィアなアイデンティティを全面にだすより、単純に自分が感じている日常的なこと、たとえば自分はヨーク出身で、マンチェスターを経由していま音楽をやっているとか、そういうことをうまい言葉遊びで表現してる。だから必ずしも、クィアやLGBTを取り巻く言説に対する批判だけにとどまらないアティチュードが面白いんですよ。

野田:言い方を変えれば、ジェンダーを超えたところで評価してほしいってことだよね。

高橋:もちろん。アヤはソフィーからの影響が強いアーティストなので。

野田:あらためて思うけど、ソフィーはホント、でかいなぁ。

高橋:ソフィーなんてでてきた当初、誰がやっているかさえわからなかったじゃないですか。でも、ブリアルとぜんぜん違うのはメディアとかにもでていて、ソフィーが顔をだすまえ、つまりアルバム『Oil Of Every Pearl's Un-Insides』を出す前、インタヴューを受けても顔を隠して声も変えたりしてた。

野田:まさにそれはアヤもやってることだよね。

高橋:そう。〈NTS〉のラジオでもずっとやってた。ソフィーの影響だと思う。このアルバムにはソフィーが死んだ数日後に作ったという“the only solution i have found is to simply jump higher”という曲が入ってます。僕が買った『im hole』の本の謝辞にも「ソフィへ、すべての永遠の満月を(To SOPHIE for every full moon forever)」って書いてある。ポスト・ソフィーっていい区切りになりますよ。サウンド・ミュータントを追求するアルカやフロアで革新性を求めた〈Night Slugs〉もすごく影響力があるけど、ソフィーがやったハイパーポップがもっと重要みたいです。アヤとロレイン・ジェイムスはふたりともソフィーの影響下にありますからね。

野田:ああそうだね、ロレインも。


Photo by Suleika Müller

高橋:去年、僕が感動したDJは、ロレイン・ジェイムスが〈NTS〉でやったソフィーへのトリビュート・セット。あれは素晴らしい。ソフィーの楽曲だけじゃなくて、そのカバーもミックスしていて、みんなのソフィー像が浮かび上がってくるみたいなんです。 LGBTコミュニティに属するアーティストの紹介と言う意味でも、〈ハイパーダブ〉も頑張っていますね。クィア・アーティストとか、マージナルなアイデンティティの人をよくだすようになった。サウス・アフリカのエンジェル・ホ(Angel-Ho)とか。

野田:ところでアヤのライヴってどうだった?

高橋:2回観てますけど、去年のライヴ・ハウスみたいなとこでやったのは、黒いパーカーを着てステージにあらわれて、体を使ったボディ・パフォーマンスがすごかった。本人はスケボーもやっていて運動神経がすごくいいんです。

野田:あれで運動神経がいいなんて、ちょっと反則だ(笑)。

高橋:なんて言えばいいのかな……、ソフィーやアルカも、ライヴをやってるときってけっこうシリアスな感じになるんですね。でもアヤはそういう感じではない。どんなにシリアスになったときでも、アヤはお客さんとジョークを交えたコミュニケーションを取ることを忘れない。

野田:北部の人たちは、昔からロンドンのお高くとまったところに対抗意識を持ってるんだよ。

高橋:ありますね(笑)。うまく言えないんだけど、すごくイギリス人っぽいユーモアを持ったひとです。だからアルバムからは想像できないけど、すごくフレンドリーです。じょじょに曲が進むとパーカーを脱いで、すごくかっこいい衣装になってダンスしまくる、みたいな。その日はちょうど、アルバムにも参加してるマンチェスターのアイスボーイ・ヴァイオレットもMCでステージに現れました。アイスボーイのジェンダープロナウンは「They/Them」で、男性と女性でもないことを自認していますね。

野田:はぁ……(深くため息)、いまコロナじゃなきゃ、日本でもきっと見れたんだろうなぁ。君がうらやましいよ。じゃ、ロレイン・ジェイムスのことを話そう。彼女は〈ハイパーダブ〉が見つけたんじゃなく、ロレインが海賊ラジオに出演したとき、これは〈ハイパーダブ〉が契約しなきゃだめだろってリスナーが騒いで、で、〈ハイパーダブ〉が契約したっていう話を読んだんだけど。

高橋:たしかに。ロレインは同じ世代からの信頼がすごく厚いプロデューサーなんです。オブジェクト・ブルーというロンドンのプロデューサーや、ロレイン・ジェイムスのフラット・メイトで、〈Nervous Horizon〉を運営するTSVIと彼女は仲がいい。みんな非常にスキルフルで影響力のある作り手たちです。そういったロンドンのコミュニティがあるのは面白いですよね。

野田:面白い話だね。そういうのは日本からはぜんぜんわからないよね。

高橋:オブジェクト・ブルーさんは日本語が母国語のひとつだし、『ele-king』で日本語圏に向けて取り上げるべき人ですよ。最近ではジェットセットでもレヴューを書いてたな。彼女はレズビアンであることを公言していて、昔Twitterには自分のことをテクノ・フェミニストと呼んでいてかっこいいなと思いました。

野田:へー、それも興味深い。

高橋:そういうコミュニティからロレイン・ジェイムスがでてきてるっていうのは、ひとつありますね。いわゆる団体というよりも、友だちって感じですけど。

野田:ロンドンって再開発して物価が上がってボヘミアン的なアーティストが住めないって聞くから、もう新しいものは生まれないって思ってた。そういうわけじゃないんだね。

高橋:そんなわけでもないですよ。たしかにブレグジットの影響でボーダーは前ほど自由ではないけど、音楽シーンにインターナショナルな感じはあるかな。TSVIはイタリア人なので。ヨーロッパから人がたくさん集まってる。ベルリンみたいな雰囲気もあります。

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■ロレイン・ジェイムスの内省

E王
Loraine James
Reflection

Hyperdub/ビート

野田:そのロレイン・ジェイムスなんだけど、彼女の『Reflection』、俺はアヤ同様に、昨年ものすごく気に入ってしまってよく聴いたんだよね。ドリーミーで、内省的なところにすごく惹かれたよ。ロンドンに住んでる人とは、日本はだいぶ状況が違うから聴き方も違っているのかもしれないけど、いまロンドンはプランBでもって、すべてのクラブは解禁されて、マスクなしでみんな騒いでるわけでしょ? でも日本はまったく違うのよ。年末年始に久々にリキッドルームやコンタクトに行ったけど、当然マスク着用で、基本、みんな静かに踊ってる感じ。日本はさ、なんか陰湿な社会になっていて、相互監視がすごくて、その場で注意されるんじゃなく、ネットで批判されたりするんだよ。で、まあ、久しぶりにクラブやライヴハウスに行くとやっぱ楽しいんだけど、でも、いつまでこうやって、マスク着用で静かに踊ってなきゃならないんだろうかって思うと、途方に暮れるんだよね。だから相変わらずひとりでいる時間も増えたりで、内省的にならざるをえないというか、むき出しのエネルギーみたいなものより、内省的なものにリアリティを感じちゃう。俺の場合はロレイン・ジェイムスはそこにすごくハマった。それにアヤとは違ってロレインのほうがメロディックじゃない?

高橋:まあ、そうですね。

野田:メロディがはっきりしていて、そういう意味ではポップともいえる。

高橋:アヤはどっちかというと、リズムの実験。

野田:そうだね、あとテクスチュア重視。ロレインもリズムはこだわってるけど、メロディのところでは対照的かもね。あとさ、ロレインって、紙エレキングでインタヴューさせてもらったんだけど、ほかのインタヴューを読んでも、すごく誠実そうな人柄が伝わってくるじゃん? IDMは大好きだけど、ベタなポップスもけっこう好きってことも言うし。俺はレコードで買ったけど、レコードには歌詞カードがちゃんと入っている。彼女はファーストがすごく騒がれて、で、がんばりすぎて鬱になってしまって、だから決してドリーミーな言葉ではないんだろうけど、でもサウンドはドリーミーなんだよね。悲しみから生まれた音楽かもしれないけど、悲しい音楽ではない。

高橋:パワフルでエネルギッシュな音楽ですよね。

野田:あるイギリスのライターが書いたレヴューで共感したのが、「この音楽は絶望から生まれたかもしれないけど、もっとも絶望から遠ざかってもいる」みたいなね。

高橋:そういう意味で〈ハイパーダブ〉にいままでなかった音楽ですよね。ロレイン・ジェイムスは顔が見えるというか。そういうパーソナルな部分がでている。〈ハイパーダブ〉は「ハイパーなダブ」ですからね。音の実験みたいなところ。ロレインそういう意味で〈ハイパーダブ〉の新しい章のはじまりかもしれない。僕はファースト『For You and I』に漂っている、あの自分の生まれ育ったノースロンドンをサウンドで振り返る感じがすごく好きです。

野田:ブリアルを輩出したレーベルだから、やはり匿名性にはこだわってきたんだろうし。

高橋:〈ハイパーダブ〉は2004年にはじまったわけだから、もうすぐ20年近くになりますね。

野田:最初はカタカナで「ハイパーダブ」って書いてあったんだよね。サイバーパンク好きだから。

高橋:そうですよね。クオルタ330とか、いまも食品まつりとか日本人のも出し続けてますね。

野田:食品さんが〈ハイパーダブ〉から出したのはいちファンとして嬉しかったな。


Photo by Suleika Müller

■〈ハイパーダブ〉とレイヴ・カルチャー

野田:〈ハイパーダブ〉には、レイヴ・カルチャーをリアルタイムで体験できなかった人たちがレイヴ・カルチャーを再評価するっていうところがあるじゃない?

高橋:そうかな?

野田:そうじゃないの?

高橋:たしかにコード9の後輩とも言えるゾンビーやブリアルは、本人たちも言っているようにレイヴを直接経験していないですよね。でもコード9、スティーヴ・グッドマンは1973年生まれのレイヴ世代ですよ。それこそグラスゴー出身で、レイヴに行ってた。そしてエジンバラ大学で哲学を勉強して、それからウォーリック大学に移って、そこでニック・ランドとセイディー・プラントが教鞭を取っていて、マーク・フィッシャーなんかもいた。いま頑張って訳してるマーク・フィッシャーの『K-PUNK』にも書いてあるんですけど、CCRUのなかでひとつ共有されていたのは、ジャングルは哲学化する必要なんかなくて、最初から概念的だったということだと、そうマーク・フィッシャーは言ってます。

野田:〈ハイパーダブ〉って、ブリアルとコード9がそうだったように、すごくメランコリックだったでしょ。それってやっぱり、1992年はもう終わったという認識があったからだと思うんだよね。

高橋:たしかに。

野田:ノスタルジーとメランコリックは違っていて、ノスタルジーは過去に囚われている状態だけど、メランコリックは過去は終わってしまったという認識からくるものでしょ。彼らのメランコリーって、そういう意味で過去を過去と認め明日を見ていたというか。それをこの20年くらいのあいだ実践してきたのがすごいなと。

高橋:面白いのは、コード9は自分のことをジャングリストっていうけれど、彼はいちどもストレートなジャングルを作ったことはないですよね。しかも、やっぱり最初にコード9が注目されたのはダブステップのシーンであったわけで。かといって、ダブステップの曲ばかり作っていたかといえばそうではなくて、UKファンキーを作ったりとか、そういうこともやってた。いま彼のプロダクションは、フットワークの影響が強い楽曲がメインですね。

野田:そのときどきの変異体に柔軟に対応しているよね。でもずっと通底しているのはジャングルから発展したベース・ミュージックだよね。

高橋:それはあります。彼がいうように、〈ハイパーダブ〉はサウンドの伝染していくウイルスで、形が変わってもジャングルの要素は残っているんでしょうね。DJではコード9はいまも直球のジャングルをかけてます。

野田:ま、UKアンダーグラウンドのブルースであり、ソウルみたいなものだしな。ちなみにUKのレイヴおよびジャングルをリアルタイムで経験してる音楽ライターって、日本では俺とクボケン(久保憲司)だけだと思うよ。これ自慢だけど。

高橋:〈ハイパーダブ〉のレーベル・カラーとしてスティーヴ・グッドマンが最初から明言してる重要なことなんですけど、自分たちはIDMみたいな音楽は出さないと言ってます。彼はもっとシンプルなダンス・ミュージックのフォーマットに惹かれているのであって、いわゆるIDMとされる音楽の表現形態とは離れてると。

野田:レイヴ・カルチャーってのはラディカルだったけど、大衆文化のなかにあったからね。業界のエリートが集まってやってたものではないから。

高橋:たぶんスティーヴ・グッドマンが考えているのは、いわゆるIDMみたいに複雑なことをやらなくても、常にそのなかに、あえていうなら哲学的でコンセプチュアルな可能性は秘められているというか。そこの価値転換みたいなことを〈ハイパーダブ〉は実践としてやっているのではないかと。コード9と同世代のリー・ギャンブルが数年前に〈ハイパーダブ〉に移籍したときはびっくりしたけど、彼のレーベル〈UIQ〉にもそれを感じるかな。リー・ギャンブルの〈ハイパーダブ〉の作品はすごく複雑でコンセプチュアルで、僕にはIDMに聴こえるんですが(笑)。

野田:ブリアルが新しい作品をだして話題になってるけど、タイトルが「Antidawn」だよね。

高橋:造語ですね。

野田:そう、「反夜明け」って造語。それって明るいものに対する反対みたいな、否定的なニュアンスで受け取られてるよね。でもね、レイヴ・カルチャーってことを思ったとき、レイヴの真っ只中では誰もが「夜明けなんて来るな」と思ってるんだよ。だから、必ずしも「Antidawn」は否定的な言葉ではないとも思ったんだよね。

高橋:なるほど。アンダーグラウンドの世界が終わらない、というか。野田さんって『remix』で、日本で唯一ブリアルにインタヴューしている人ですよね。

野田:まあ、電話だけどね。

高橋:あれすごく面白くて。彼が音楽の比喩として使っているのが、公園とかにある石を裏返すと虫が元気にうごめいてると。クラブ・ミュージックはそういうものだと、太陽が当たらないほうが元気だろ、と。こういうことをしゃべる人なんだって(笑)。

野田:そうそう(笑)。彼はほんとうにアンダーグラウンド主義者だよね。

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■〈WARP〉や〈Ninja Tune〉との違い

E王
Burial
Antidawn

Hyperdub/ビート

高橋:「Antidawn」をどういうふうに聴きました?

野田:あれって日本にいるほうがリアリティを感じるよね。クラブに行きたくても昔のようには行けないじゃない。リズムがないってことはそういう状況の暗喩なわけで。

高橋:あれはロックダウン中に作られた音楽ですよね。個人的なことを話すとロックダウン中に、僕は散歩をたくさんしていた。クラブに行けない状況で、ヘッドホンをしながらパーソナルに聴く状況が増えた。その雰囲気にかなりぴったりですよね。レヴューでも書いたけど、僕はこの続きを聴きたいなって思わせる音楽だと思いました。

野田:スタイルとしてはサウンド・コラージュだよね。風景を描いている音楽。

高橋:野田さんは〈ハイパーダブ〉をずっと紹介してきたけど、いままでのUKレーベルの〈Ninja Tune〉や〈WARP〉との違いって何だと思いますか?

野田:そのふたつのレーベルはセカンド・サマー・オブ・ラヴの時代に生まれたってことが〈ハイパーダブ〉との大きな違いだよね。ただし、リアルタイムでレイヴやジャングルを経験するってことはそのダークサイドも知るってことで、あとからジャングルを形而上学的に分析することはできるだろうけど、あの激ヤバな熱狂のなかにいたらなかなかね……。

高橋:そういえば、野田さんは〈fabric〉から出たコード9とブリアルのミックスのことを形而上学的だって書いてましたね。

野田:で、ジャングルと併走して白人ばかりでドラッギーなトランスのシーンもあったし、だからあの時代(1992年)に〈WARP〉が“AIシリーズ”をはじめたことは、当時はものすごく説得力があったんだよね。IDMに関しては、その言葉はオウテカやリチャード・ジェムスもみんな嫌いで、だから90年代は“エレクトロニカ”って呼んでいたんだよ。そして、ではなぜ〈Ninja Tune〉や〈WARP〉がジャングルに手を出さなかったかと言うと、ひとつは、すでにレーベルがいくつもあった。〈Moving Shadow〉であるとか、4ヒーローの〈Reinforced〉であるとかゴールディーの〈Metal Heads〉であるとか、そういうオリジネイターに対してのリスペクトもあったし、でも、その革命的な音楽性に関してはドリルンベースなどと呼ばれたようなカタチで取り入れているよね。あと、ジャングル前夜のベース・ミュージックって、それこそブリープの元祖、リーズのユニーク3だったりするんだけど、そこと〈WARP〉は繋がってるじゃん。もともとシェフィールドのレコ屋からはじまってるわけで。そこに来てシカゴやデトロイトのレコードを買っていた連中が音楽を作るようになっていって、レーベルがはじまった。

高橋:それに対して、〈ハイパーダブ〉はウェブ・マガジンとしてはじまってるんですよね。その読者がブリアルであって、そこからいろいろつながった。そういう意味で、ゼロ年代のある種のインターネット音楽のパイオニアみたいなところもあったんじゃないかな。

野田:たしかにね。レコ屋世代からネット世代へってことか。

高橋:そういえば、スティーヴ・グッドマンは現実の政治性を全面にだす感じではなく、むしろ冷ややかに離れて見ていた印象があったんです。自分のイベントでは「ファック、テレザ・メイ」とMCで言っているのを見たりしましたけど(笑)。でも最近、ブラック・ライヴズ・マター以降の彼の言動をみると、〈ハイパーダブ〉がいまのブラック・ミュージックを世界に出すうえでのハブというか、ブラック・ミュージックを意識的に紹介していくことをひとつの重要な点として考えているってことをソーシャルメディアで公言しているんです。フットワークもそう。〈ハイパーダブ〉の00年代後半の功績のひとつとして、イギリスにフットワークを広く紹介した。

野田:それは〈Planet Mu〉でしょ。

高橋:〈ハイパーダブ〉と〈Planet Mu〉のふたつですね。〈ハイパーダブ〉はDJラシャドをだしてますから。また、〈ハイパーダブ〉から紹介されて以降、ラシャドはジャングルに興味を持つようにもなる。そういう相互関係も生まれてくる。コード9はいまもフットワーク・プロデューサーをどんどん紹介している。あと最近ではさっきのエンジェル・ホを出したり、南アフリカのゴム(Gquom)やアマピアノを紹介したり。西洋中心主義に陥いることなく、そういう音楽を意識的に紹介している。そういう意味で食品まつりを出したのも面白いですよね。

野田:〈ハイパーダブ〉はイギリスではどんなポジションなの? 

高橋:先日用があってブライトンに行ってレコ屋を覗いたんですが、「Antidawn」のポスターがメジャーなアーティストと並んでました。

野田:やっぱブリアルは別格だよね。でも、当然あの作品に対する批判はあるでしょ? あれだけ極端で、思い切ったことやっているわけだから。

高橋:ダンス・ミュージックじゃない点で、少し物足りなさを感じる人はいますね。あとはやってることがまえとそんなに変わってないから、もっと違うことをやればいいんじゃないかとか。そのまえにいくつか12インチをだして、そちらはダンサブルでいままでにないアプローチもあったから、そっちの続きが見たいって人も多いですね。

野田:そりゃまあ、そう思う人が多いことはわかる。

高橋:僕はロックダウン中、ダンス・ミュージックと同じくらいアンビエントもフォローするようになっていて。いわゆるアンビエント・サウンドのなかでも、すごくパーソナルな方向というか、そういうひとたちが増えたと思うんですよね。デンシノオトさんもレヴューを書いてますが、アメリカのクレア・ロウセイってひとはアンビエント音楽のうえで、すごくパーソナルなエッセイを朗読したり、すごく作り手の顔が見える音楽をやっている。

野田:ああ、なるほど。たしかにパンデミック以降、アンビエントの需要が拡大したのは事実で、「Antidawn」はブリアルにとってのアンビエント作品という位置づけもできるよね。

高橋:ロンドンの視点で言うと、コロナで休止しちゃったけど、エレファント・アンド・キャッスルの高架下にある〈Corsica Studio〉ってライヴ・ハウス/クラブで〈ハイパーダブ〉は「Ø(ゼロ)」というイベントを月イチでやってました。最初の回がコード9のオールナイト・セットで、さっき言ったインガ・コープランド、ファンキンイーブンやジャム・シティも出ていた回もありました。〈ハイパーダブ〉からリリースはしていないけど、ロンドンで活動しているプロデューサーをコード9がフックアップしていたんです。そういうブッキングは、彼ひとりでやるのではなく、たとえばシャンネンSPという黒人の女性のキューレーターと一緒にやっていたりする。ロンドンのダンス・シーンにはいろんな人種がいるわけだけど、その文化を意識的に紹介することも面白いと思いました。

野田:ポスト・パンク時代の〈ON-U〉みたいなものだね。俺さ、昔のレイヴ・カルチャーを思い出すとき、自分の記憶で出てくるのが、女の子の穴の空いた靴下なんだよね。これは91年にロンドンのクラブに行ったときの話で、当時のクラブはコミュニティ意識が強かったから、ひとりで踊っているとよく話しかけられたんだよ。「どっから来たの?」とか「何が好きなの?」とか。で、なぜかそんときある青年と仲良くなって、明け方「いまから家に来ない?」ってことになって、昼過ぎまで数人で車座になって紅茶を飲んで音楽を聴いたんだけど、そこにいたひとりの女の子が穴の空いた靴下を履いていたんだよね。それが俺にとってのあの時代のロンドンのクラブ・カルチャーであり、レイヴの時代の象徴というか、良き思い出だね。要するに、気取ってないし、牧歌的だったんだよ。

高橋:いまは牧歌的な感じではないかな……。日本とは比較できないオープンな感じはもちろんあるけど。

野田:じゃあ27歳くらいの俺がふらっと来て、そのまま誰かの家に行ったりすることっていまでもあるのかな?

高橋:それは僕もたまにありますよ。それこそ、ele-kingでレヴューを書いた2016年の〈DeepMedi〉の周年パーティのあと、ダブステップ好きの人と知り合って、その人の家で二次会しました(笑)。ブリアルかけたり、アンビエントかけたり。

野田:ああ、よかった。それ重要だよね。

高橋:でも、〈ハイパーダブ〉は牧歌的ではないですよね。もっと音楽そのものが持ってる凶暴な感じというか、サウンド・テクスチャ―であったりポエトリーの表現がつながるんだとか、いかに音そのものでサイエンス・フィクションのような、いわゆるウィリアムギブスンやJ・G・バラードを読んでるときの感じが蘇ってくるんじゃないかとか、そういうことですからね。

野田:そこが〈WARP〉や〈Ninja Tune〉との違いなんじゃない? そのふたつは幸福な時代に生まれたレーベルであって、〈ハイパーダブ〉はロンドンが再開発されていて、そのあと911もあって、荒野の時代に生まれたレーベルってことだよね。

HYPERDUB CAMPAIGN 2022
https://www.beatink.com/products/list.php?category_id=3

Primal Scream - ele-king

 「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」のように、たった1枚のレコードが世界の見方を変えてしまうことがポップ・ミュージックの世界では起こりうるが、プライマル・スクリームの「ローデッド」もそんな1枚だった。世界の見方、見えはじめた景色、考え方、これから聴きたい音楽、これから着たい服、そして行きたい場所、そういったものすべてを変えてしまった。イギリスだけの話ではない。日本においてもまったくそうだった。若者文化を決定的に変えてしまった、これほどパワフルな曲はそうあるものではない。そして、それに続いた壮大な「カム・トゥギャザー」は、いまが変革の季節であることを、念を押すかのように言い聞かせた。ソウルフルな「ドント・ファイト・イット・フィール・イット」は同じようにアンセムとなり、「ハイヤー・ザン・ザ・サン」のサイケデリアに誰もが昇天した。こうした一連の奇跡的なシングルのリリースを経て、『スクリーマデリカ』は1991年9月にリリースされた。レイヴ・カルチャーの時代のまったく新しいサイケデリア、いわば90年代の『ペット・サウンズ』、つまり時代の金字塔である。
 しかしながら、そのデモトラック集が出ると聴いて、正直なところとくに気持ちが上がったわけではなかった。なにせ、まあデモ集なのだ。収録されているアンドリュー・ウェザオールによる“シャイン・ライク・スターズ”のふたつのリミックス(ひとつはまったくの未発表)は聴いてみたいけどねと、そんなようなたいした期待もなく『デモデリカ』を聴きはじめたわけだが、ひとことで言えば、もうすっかり感動してしまった。ここにあるのは『スクリーマデリカ』に収録された曲のいわば青写真であり、それらの多くは、あのアルバムの高揚感を思えば意外なほどメランコリックで、内省的だったことがよくわかる。『スクリーマデリカ』の中心部にあるのは、決して単純な多幸感でもわかりやすい連帯感でもなかった。また、バンド演奏によるそれらの最初の姿からは、それぞれの曲に込められた元のアイデア(ゴスペルだったり、カーティス・メイフィールドだったり、Pファンクだったり、シーズだったり、ビーチ・ボーイズだったり)がよくわかる点も面白い。こうした聴き方は『スクリーマデリカ』をすでに愛聴した経験があるから可能なわけで、この時期のプライマル・スクリームに思い入れがある人には声を大にして推薦したい。完成品はもちろん逸品だけれど、ウェザオールたちに加工される前の生々しいその姿もまた魅力的だった。
 ブックレットにはジョン・サヴェージによる長いライナーノーツ(日本語訳)があり、また、メンバーによる詳細な全曲解説(ボーナストラックは除く)もある。これらも充分一読に値します。
 

Primal Scream
Demodelica

Columbia‏‏/ソニー
※日本盤は10月27日発売

interview with Parquet Courts (Andrew Savage) - ele-king

ニューヨークのアーティストとは、「生き延びるために創造しないといけない必要性」があるひとたちなんだと思う。競争が激しいし、物価や生活費も高い。だから生き延びるために精力的に活動しないといけない。ニューヨークでアーティストとしてやっていくのは昔から非常に困難なことだった。たくさんの血と汗と涙を流さないとやっていけない。

 都市の喧騒が聞こえる。行き交う人びとの姿が見える。彼らはそのテンポを「ダウンタウンのペース」と呼んでいるが、これは、街から生まれたノイズを使って身体を揺らそうとする者たちの音楽だ。
 ニューヨークのブルックリンからイキのいいガレージ・バンドとして2010年代初頭に登場し、ぶっきらぼうだがオリジナル・パンク~ポスト・パンクへのたしかな敬意を感じさせた3作目『Sunbathing Animal』で世に知られたパーケイ・コーツは、00年代なかばのディスコ・パンク/ポスト・パンク・リヴァイヴァルにも、00年代後半のブルックリン・シーンにも間に合わなかったからこそ、特定のシーンに絡め取られることなくマイペースに自分たちの音楽を拡張してきた。その間ノイズをやったりヴェルヴェット・アンダーグラウンドっぽいことをやったりハードコアのルーツを意識したことをやったりしているのだが、バンドとしてのまとまりとパフォーマンス性を一段引き上げたのが、いくらかダンス寄りになった前作『Wide Awake!』だった。初期から持っていた猥雑な音の感触は残しつつも、パーカッションや電子音を整頓して配置することでデザイン性を高めたのである。
 そして、その路線を推し進めたのが、(変名バンドParkay Quartsやダニエル・ルッピとのコラボレーション作を除いて)通算6作目となる『Sympathy for Life』だ。バンド・メンバーたちはアルバムを作りながら、COVID-19によるロックダウンをまだ知らないニューヨークのインディ・パーティで踊っていたという。ストンプ・ビートとワイルドなベースラインが痛快な “Walking at a Downtown Pace”、ポスト・パンク・バンドがサーフ・ロックをカヴァーしたような “Black Widow Spider”、パルスめいた電子音がユニゾン・コーラスとゆったり絡み合う “Marathon of Anger” と、テンポを変えつつも足腰を動かすロック・チューンが続く。同じくニューヨークのLCDサウンドシステムや!!!のように、ハードコア・パンク育ちのキッズがテクノやハウスに触発されて生み出した音楽の系譜を受け継いでもいるだろう。

 アルバムは本格的なパンデミック以前に完成していたというが、ある意味、ロックダウンによってニューヨークが(一時期)失っていたものを封じこめた作品だと言える。人びとが狭い地下やビルに一室や路上に集まって踊ること、そこで交わした社会的/政治的議論を生かし、ともに声を上げること。パーケイ・コーツは以前から歌詞に都市で生きることのジレンマや苛立ちをミックスしてきたが、パンデミックを経たことでその個性がよりクリアに見えることになった。彼らはこのアルバムで、踊って考え、考えて踊っている。以下のインタヴューでヴォーカル/ギターのアンドリュー・サヴェージはパーティ文化をコミュニティと表現しているが、パーティは都市に生きる人間たちにとって考えや価値観をシェアする場としても機能しているのだ。また、ロックダウンによって人びとの集まる機会が失われた2020年のニューヨークにとって、ブラック・ライヴズ・マターが再集結のきっかけだったという証言も興味深い。パーティに通っていたひとたちが、デモの現場で久しぶりに再会するなんてこともあっただろう。
 パーケイ・コーツによる「ダンサブルなロック」は、ロック・リスナーがただ気持ち良く踊れるように設計されて提供されたものではない。異なるジャンルの音楽を聴いていたはずの人間たちが一堂に会して同じリズムで踊り、そこにこめられた問題提起と向き合うものとして、『Sympathy for Life』は野性的なグルーヴを展開している。

ブラック・ライヴズ・マターの抗議活動は、人びとを再び集結させる上で非常に重要な出来事だったと思う。怒りが昂っていたし、とても感情的な雰囲気ではあったけれど、同時にポジティヴな空気も感じられた。ニューヨーカーたちの間では「みんないっしょに乗り切ろう」という意気込みがあった。このような団結力は、俺がこの街に10年以上住んでいていままで見たことがないようなものだった。

いま、海外のミュージシャンのライヴが観られない状況なのでもはや懐かしい気持ちになるのですが、2018年わたしはフジロックであなたたちのステージを観て、すごく踊って最高の気分になりました。『WIDE AWAKE!』、そして本作『Sympathy for Life』とダンサブルなロック・アルバムが続きますが、これはあなたたちにとって自然な流れだったのでしょうか?

アンドリュー・サヴェージ(以下AS):そう思うね。いままでのバンドの進化というものはすべて、自然な流れだったと思う。変化や進化というものを無理に起こそうとしても、それは見え透いたようになるだろうし、もしかしたら気取っていると思われるかもしれない。でも俺たちはそれには当てはまらないと思う。バンドの11年の活動を見れば、バンドの重要な進化に気づいてもらえると思う。俺たちはいま、サウンドもヴィジュアルもファースト・アルバムのときと違うし、5枚目のアルバムのときとも違う。それはつまり俺たちが人間として進化し、俺たちの志向や音楽に対する考え方が進化し、ニューヨーク・シティという俺たちが住んでいる世界で生活していることの意味や、地政学に対する考え方が進化していることが反映されているからだと思う。そういうものの影響は受けているし、世界も進化しているからね。そういう意味で自然な流れだったと思う。それに、バンドとして同じことを繰り返したくないという思いもある。だから意識的に、バンドとしてのコアなアイデンティティを変えずに、どうやったらいままでとは違うことができるかと考えている部分はあるね。

アルバムはパンデミック前にニューヨークのパーティに通ったことに影響されているとのことですが、どのような音楽がかかるパーティに行っていたのでしょうか?

AS:ロックダウンになる前の話になるけど、俺はレイヴ・カルチャーに興味を持ちはじめた。だからおもにテクノ・ミュージックだ。オースティンは何年も前からディスコ寄りの音楽のDJをしていて、〈ザ・ロフト〉という昔からあるディスコのパーティに行っていたよ。

あなたたちの音楽は、たとえば70年代のニューヨークのアート・ロックからの影響もありますが、もともと自分たちはニューヨークのバンドだというアイデンティティ意識は強い方ですか?

AS:強いほうだと思う。ただ、「ニューヨークのアーティスト」というものが何なのかということが明確ではないから答えにくい質問ではあるね。たとえば、「70年代のニューヨークのアート・ロック・シーン」など人びとが強いこだわりを持つ分野もあるように、ニューヨークは文化的な文脈で定義されることが多いと思う。つまり、あるひとが想像するニューヨークとは、感情的・文化的な経験がもとになって定義されることが多いと思うんだ。だけど、ニューヨークという街を定義するのは難しい。この街はつねに変化しているという性質を持っていて、静止しているということがない。だから「ニューヨークのアーティスト」が何であるのかを定義することが難しい場合もある。俺が思うにニューヨークのアーティストとは、「生き延びるために創造しないといけない必要性」があるひとたちなんだと思う。ニューヨークは競争が激しいし、物価や生活費も高い。だから生き延びるために精力的に活動しないといけない。それはどんな時代でも、どんな文化的要素に紐つけようとしても共通していることで、ニューヨークでアーティストとしてやっていくのは昔から非常に困難なことだった。たくさんの血と汗と涙を流さないとやっていけない。俺たちには昔からそのメンタルが備わっているからニューヨークのアーティストだと言えると思う。

ニューヨークはパンデミックの影響をとくに大きく受けた街だと思うのですが、あなたたちの音楽制作やこのアルバムに対して、パンデミックはどのような影響を与えましたか?

AS:パンデミックがはじまる直前のほんの数日前にアルバムの制作を終えていたから、音楽制作には影響を与えなかった。でもアルバムのリリースには影響を与えた。理想としては2020年9月にアルバムをリリースするはずだったんだけど、それは実現されなかった。その代わり、というかそのおかげで、どうやってアルバムをリリースしていくかという方法について考える時間が増えたから、それについてじっくり考えることができた。たとえば、アルバムのすべての曲でミュージック・ヴィデオを作ることにしたから11のミュージック・ヴィデオが公開されるし、アルバムのプロモーション企画として11のイヴェントが予定されている。それから俺はアルバムのアートワークをすべて担当しているんだけど、今回のアルバム・アートワークには制作に手掛けられる時間に1年間の猶予が生まれた。2020年9月にアルバムをリリースしていたら、これらのことはすべて不可能だった。ツアーができなくなってしまったから、従来の方法でアルバム・プロモーションができなくなってしまったから、こういう流れになったんだけれど、このタイミングでアルバムをリリースできたことは良かったとじつは思っている。パンデミック当時、ニューヨークは俺がいままでに見たことのないような状況だった。最初はものすごく静かだった。
 そして去年の夏にブラック・ライヴズ・マターの抗議活動が起こり、それは、人びとを再び集結させる上で非常に重要な出来事だったと思う。そのときに人びとは再び外に出るようになった。人びとの怒りが昂っていたし、とても感情的な雰囲気ではあったけれど、同時にポジティヴな空気も感じられた。ニューヨーカーたちの間では「みんないっしょに乗り切ろう」という意気込みがあった。このような団結力は、俺がこの街に10年以上住んでいていままで見たことがないようなものだった。だからパンデミックの影響で世界は大きく変わってしまったけれど、そこからポジティヴなものも生まれたと思う。

あなたたちのこれまでの楽曲はよくデザインされたものだったように思います。本作では長時間の即興演奏がもとになったそうですが、それはこれまでの方法論とかなり異なるものだったのでしょうか? そして、その方法はこのアルバムにどんな影響を与えましたか?

AS:まったく異なるものだったよ。アルバムの曲のなかでも、従来の作曲方法で作られたものはいくつかある。“Walking at a Downtown Pace”、“Pulcinella”、“Sympathy for Life” などがそうだ。だけど、今回の新しい方法は40分の音源──おもに俺たちが即興演奏をしているもの──をテープに録音して、ロデイド・マクドナルドの協力を得て、それをひとつの曲にエディットしてまとめていくという方法だった。コラージュを作ることをイメージしてもらえればわかりやすいと思う。

『WIDE AWAKE!』はデンジャー・マウスがプロデュースでしたが、本作でプロデュースに関わったロデイド・マクドナルドとジョン・パリッシュはどのような役割を果たしたのでしょうか?

AS:ロディ(ロデイド)は先ほど話したように、エディットをするというプロセスで重要な役割を担っていた。彼はその方向性にバンドを向かせていってくれた。彼はアルバムの音を操作して様々なテクスチャーを加えてくれた。ギターの音をシンセに通して、アルバムで聴こえるグリッチーでザラザラとしたテクスチャーを表現してくれたんだ。彼は四六時中でも作業したいというひとで、俺たちと作業したときもノンストップでやっていた。そのいっぽうで、ジョンは音の操作や音に介入するということをほとんどしないひとで、とてもクリーンなサウンドを好むんだ。彼はピュアなサウンドを表現する才能に長けていて、マイクを楽器などに近づけて、その音をそっくりそのままテープ・マシーンに直で伝えることが非常に上手い。完璧にそれをやってくれる。素晴らしいよ。非常にプロ意識の強いひとで、ミュージシャンとしても素晴らしい腕の持ち主だ。彼といっしょに録音したものでは、彼はシンセとピアノを弾いてくれている。このふたりの協力がなければ、アルバムはこのような仕上がりにはなっていなかったと思う。

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ニューヨークという街はつねに変化している。だからこそ、現状を表現するということが非常に重要だと思うんだ。アルバムとは、どこでレコーディングされて、どこで制作されて、アーティストがどんなマインドでいたのかという、そのときと場所のスナップショットだと俺は考えている。

本作においてグルーヴが何より重要だったとのことですが、あなたたちの音楽にとって、グルーヴを生み出すためにもっとも重要な要素は何でしょうか?

AS:何だろうな。(考えて)わからない(笑)、良いリズムセクションがあるのに越したことはないね。

Walk at a downtown pace and
Treasure the crowds that once made me act so annoyed
ダウンタウンのペースで歩いて、
イラつかされたこともある群衆を大切にするんだ
(“Walking at a Downtown Pace”)

リード・シングル “Walking at a Downtown Pace” はワイルドなパーティ・チューンで、街の息使いが伝わってくるミュージック・ヴィデオも印象的です。あなたたちにとって、ダウンタウンはどんなものを象徴する場所なのでしょうか?

AS:それは、ニューヨークのダウンタウンのことかい? それとも曲で歌っているダウンタウンのことかい?

曲で歌っているダウンタウンは、ニューヨークのダウンタウンではないのでしょうか?

AS:ああ、確かにそうだよ。その両方について話せばいいか。曲のヴィデオは、ニューヨークの現状を非常にうまく切り取っていると思う。先ほども話したようにニューヨークという街はつねに変化している。だからこそ、現状を表現するということが非常に重要だと思うんだ。ニューヨーク出身のアーティストとして俺たちは、そのときの瞬間を定義しようという狙いがある。アルバムとは、どこでレコーディングされて、どこで制作されて、アーティストがどんなマインドでいたのかという、そのときと場所のスナップショットだと俺は考えている。このヴィデオは、制作された2021年夏のニューヨークがどんな感じだというのを非常にうまく伝えている。ニューヨークがかっこよく描かれていると思うし、曲にすごく合っていると思う。ある意味、ニューヨーク・シティに宛てたラヴ・ソングだと言えるね。

現在のニューヨークのもっとも好きなところと嫌いなところを教えてください。

AS:いまのニューヨークのもっとも嫌いなところは何もかもが高すぎるということ。物価がどんどん上がっているから、ニューヨークで暮らすことが難しくなっていっている。でも(好きなところとして)通常の生活では、ニューヨークでは素晴らしいイヴェントや体験が可能だ。それもじょじょに戻りつつある。音楽イヴェントも再開したし、美術館も再開した。もう少しで通常に戻ると思う。本当にいまの話で答えると、今日はニューヨークでは初めて秋らしい日で、外はすこし肌寒かった。それが良かった。俺は秋が一年で一番好きだから。だから今日のニューヨークにはとても満足している。

『WIDE AWAKE!』ではジェントリフィケーションで変わる街が一部モチーフになっていましたし、パーケイ・コーツは「考えるバンド(thinking band)」だとしばしば言われてきました。本作において、あなたたちがとくに考えてバンド内で話していたことは何でしょう? 政治でも社会でも哲学でも、はたまたバカバカしいことでも何でも教えてください。

AS:資本主義というテーマが引き続き探求されている。このテーマはパーケイ・コーツの歌詞にかなり頻繁に登場する。“Black Widow Spider”、“Homo Sapien”、“Application/Apparatus”、“Just Shadows” といった曲は資本主義がテーマになっている。資本主義を批判する視点で歌詞を書いていると同時に、資本主義に加担している身として書いているんだ。俺たちはプロのミュージシャンとして資本主義制度の一部になっているし、資本主義の恩恵を受けている身でもある。だけどそれに批判的になりたいという欲求もある。世界の大都市や世界の大部分が資本主義の恩恵を受けていると言える。パーケイ・コーツは、資本主義から逃れられないことや、資本主義が俺たちに与える影響について歌っていることが多い。それから、このアルバムの強いメッセージとして「コミュニティ」というものもあって、それはパーティなどに遊びにいってそこにいるひとたちといっしょに踊るというような一体感や、ひととひとの間にある空間やエネルギーという概念を表している。人びとが集まっている一体感というものがアルバムで感じられるから、今作は、楽しくてダンサブルなアルバムになったんだと思う。それに素敵なラヴ・ソングもアルバムには入っているよ。それにしても「考えるバンド(thinking band)」と言われるのは嬉しいね。

Young people enjoying urban habitation
Headlights beaming with western potential
都市での居住を楽しむ若者たち
西洋文化の可能性とともに輝くヘッドライト
(“Application/Apparatus”)

What a time to be alive
A TV set in the fridge
A voice that recites the news and leaves out the gloomy bits
こんな時代に生きられて最高だ
テレビ画面が埋めこまれた冷蔵庫
憂鬱な部分を避けながら、ニュースを読み上げる声
(“Homo Sapien”)

“Application/Apparatus” や “Homo Sapien” ではとくに、テクノロジーに対するアイロニカルな視点が提示されているように思います。このアルバムにおいて、現代の都市のライフスタイルはテーマのひとつだと言えますか?

AS:それはバンドにとってのテーマのひとつだと言えると思うよ。でもアイロニカルな視点と言えるかはわからないな。“Homo Sapien” は辛辣な冗談(サーカスティック)と言えるかもしれないけど、“Application/Apparatus” はアイロニーでも辛辣な冗談でもない。そしてどちらともテクノロジーに対する批判ではないんだ。“Application/Apparatus” はテクノロジーに関与することによって生まれる孤立感について歌っている。それは批判と言うよりはむしろ観察だと思う。“Homo Sapien” は批判ではあるんだけど、多少、からかい半分な感じで批判している。

俺たちはプロのミュージシャンとして資本主義制度の一部になっているし、資本主義の恩恵を受けている身でもある。だけどそれに批判的になりたいという欲求もある。世界の大都市や世界の大部分が資本主義の恩恵を受けていると言える。パーケイ・コーツは、資本主義から逃れられないことや、資本主義が俺たちに与える影響について歌っていることが多い。

“Zoom Out” というタイトルからはどうしてもヴィデオ通話サービスのZoomを連想してしまいますが、歌われていること自体は、かなりぶっ飛んだ無限の可能性が提示されていますよね。これはパーカッションとベースが効いたワイルドなダンス・チューンですが、どういった精神状態を表したものなのでしょうか?

AS:この曲の歌詞を書いたのは俺じゃないんだ。でも俺の予想では、先ほども話した「コミュニティ」という概念に行き着くんだと思う。けど、わからないな、俺たちは自分たちが書いた歌詞の内容についてあまり話さないんだよ。だから俺の予想でしかないんだけどね。いま、歌詞を思い出しているけど、「When you zoom out, the power is now / When you zoom out, together is now」と歌っている。だから一体感(togetherness)についての歌で、ズームアウトするということは、自己という個人のアイデンティティから、コミュニティという、より大きな規模で俯瞰して物事を見るということなんじゃないかなと俺は思う。

先ほども少し話に出ましたが、本作に併せた企画「The Power of Eleven」が面白いですね(アルバム収録曲に合わせて世界各地で開催されるイヴェント。その第1弾として、Gay & Lesbian Big Apple Corpというマーチングバンドが “Walking at a Downtown Pace” をマンハッタンで演奏した)。これはどのような目的意識で生まれたアイデアだったのでしょうか?

AS:(ロックダウンの最中は)この先、コンサートなどのライヴ・ミュージックが可能かどうかがわからないという状況だった。そこでコンサートなどがなくても人びとが集まることのできるイヴェントを企画することにしたんだ。この企画をしたとき、世界が今後どのようになっていくのかは不明だったけれど、世界がどんな状況になっても、拡張や縮小が可能な企画にしたんだ。何かのファンであると言うことは、コミュニティの一部であることを意味する。長い間、コミュニティから外れていたひとたちを、バンドの宣伝になるようなクールな体験を通して、再びコミュニティ内に戻してあげるというのがこの企画の狙いだった。

日本ではまだまだ、パンデミック以前のようにライヴでひとが集まって踊ったり歌ったりするのが難しい状況なのですが、このダンサブルなアルバムをどのようなシチュエーションでリスナーに楽しむことを薦めますか?

AS:自分の家に友人を招いたりすればいいんじゃない(笑)? ひとりで踊ってもいいし。わからないよ、日本の状況がよくわからないからね。自分の家に友人を招いたりしているのなら、自分の家で小規模なダンス・パーティをするのがいいと思う。

最後に遊びの質問です。パーケイ・コーツにとって最高にダンサブルなロック・アルバムを3枚教えてください。

AS:トーキング・ヘッズの『サイコ・キラー'77』。このアルバムを聴いてたくさん踊った覚えがある。ロック・アルバムだよな? それから、ロキシー・ミュージックのファースト・アルバム。セルフ・タイトルだ。あとはなんだろうな……(しばらく考えている)。シルヴァー・アップルズのセルフ・タイトルのアルバム。

Autechre × Humanoid - ele-king

 11月19日に『Chiastic Slide』と『LP5』がヴァイナルでリイシューされることになっているオウテカ。彼らがヒューマノイドのレイヴ・アンセムをリミックスしている。
 より正確を期せば、ヒューマノイドが1988年に発表した “Stakker Humanoid” を本人がアップデイトした “sT8818r” という2019年の曲があり、今回オウテカがリミックスしたのは後者のほう。12月3日にベルギーの〈De:tuned〉からリリースされるEP「sT8818r Humanoid」に収録される。
 ヒューマイノドは、後にフューチャー・サウンド・オブ・ロンドンを結成するブライアン・ドーガンズによるプロジェクトで、〈Rephlex〉からも編集盤が出ている。“Stakker Humanoid” は多くのひとから愛され続けているレイヴ・アンセムだ(88年当時UKのシングル・チャートで17位をマーク、その後何度もリイシューされている)。
 なお「sT8818r Humanoid」にはオウテカのリミックス以外にも、原曲 “Stakker Humanoid” のリマスター・ヴァージョンと、ルーク・ヴァイバートおよびマイク・ドレッドそれぞれによる “sT8818r” のリミックスが収録される。アートワークはデザイナーズ・リパブリックのイアン・アンダーソン。すぐになくなりそうなので、早めに予約しておこう。
 しかし、こういう盤が出るということは、もしかしたらイギリスの一部の人びとはレイヴ・モードなのかもしれない。感染者数はえらいことになっているものの、日常的な検査は続いており、死者数が増えないようなら政府はこのまま行くようだ。もうバンドはがんがんツアーに出ているし、なんだか日本とはえらい違いですな……
 いまや「レイヴ」という言葉はいろんなところで目にするようになっているが、実際に90年代のイギリスでなにが起きていたのかを知るためにも、ぜひ『レイヴ・カルチャー』を手にとっていただけると嬉しい。

Saint Etienne - ele-king

 いまの若い世代はどうかわからないけれど、少なくともぼくの世代あたりまでは、日本にはイギリスのポップ・カルチャーへの強い憧れがあった。いまとは比較にならないぐらい、ある時期までのイギリスは文化の吸引力がすごかったのだ。そして音楽はつねに文化の中心だった。で、その最初の爛熟期=スウィンギング・ロンドンに象徴される60年代のポップ・カルチャーを快く思っていなかった同国の政治家がトップに立ったのは、1979年のこと。セイント・エティエンヌは、快楽を目的とする人生を否定したその人=マーガレット・サッチャーが11年続いた首相の座を退任した1990年にロンドンで結成されている。バンド名はフランスのフットボール・チーム、ASサンテティエンヌから取られた。
 そして、サラ・クラックネル、ボブ・スタンリー、ピート・ウィッグスの3人によるポップ・カルチャーに恋した音楽は、スウィンギング・ロンドンと当時はまだ最先端だったハウス・ミュージックとを調合し、ニール・ヤングの深いラヴソングを甘美なラウンジ・ミュージックへと変換してみせた。彼らはポップにおけるイギリス的なるもの、すなわちセンスの良いスタイリッシュな折衷主義を強調したわけで、これが90年代初頭の日本で受けないはずがなかった。

 セイント・エティエンヌが2012年にリリースした『Words and Music by Saint Etienne』というアルバムは、トップ・オブ・ザ・ポップスをきっかけに“世界を探検する“ことを覚えた10代の若者の話からはじまる。『NME』のポール・モーリー(80年代の人気ライターのひとり)が書いた記事を読み、〈ミュート〉や〈ファクトリー〉や〈ZOO〉、それからニュー・オーダーやデキシーズに夢中になるという、ひとりのインディ・ミュージック・ファンの思春期のストーリーが描かれている。また、同アルバムにはドナ・サマーやKLFへのオマージュも含まれていたりするのだが、このように、セイント・エティエンヌの音楽においてはポップ・ミュージックそのものが主題であり、コンセプトにもなり得ている。
 1992年の彼らの魅力的なシングル「Nothing Can Stop Us」の裏ジャケットの写真は、ソファーに座ってビリー・フューリー(マルコム・マクラレンも愛した50年代UKのロックンローラー)を表紙にした雑誌を手にしているヴォーカルのサラだ。そして同曲を収録した1991年のデビュー・アルバム『Foxbase Alpha』は、彼らの部屋にあるレコード・コレクションとその時代のロンドンにおけるポップ・カルチャーから生まれた作品だった。レトロなポップ・ミュージックを切り貼りしたそのアルバムは、海外では「インディ・ポップ」、日本では「インディ・ダンス」と括られているジャンルのひな形であり、いまだそのジャンルを代表するクラシカルな1枚となっている。
 しかしながらセイント・エティエンヌにおけるもっとも輝かしい瞬間はその次のアルバム『So Tough』にある。前作以上にサンプリングを駆使し、ポップのいろんな輝きをつなぎ合わせ、巧妙なスタジオ・ワークによって完成させた彼らのセカンドは、『ファンタズマ』が90年代渋谷のレコード文化から生まれた作品であると言うのなら、ある意味似たようなアプローチをもって、それより先立つこと4年前に多彩なポップ・カルチャー(この作品においてはフレンチ・ポップ、ヒップホップ、エレクトロニカ、そして映画などなど)をなかば感傷的にブレンドした作品だった。ポップ・ミュージックを愛する者たちのためのエレガントで洗練されたポップ・ミュージック。しかもそれは、いかにも90年代的な陶酔感を有した、けだるく甘美なサウンドでいっぱいだった。そんなポップの腕のたしかな調理人であるセイント・エティエンヌが『Foxbase Alpha』から30年目の今年、90年代末を主題とする新作を出したと。しかも通算10枚目になるそのアルバムが、じつにメランコリックで悲しみに包まれているとなれば、これはもう、放っておくわけにはいかない。
 というのも、思慮深いセイント・エティエンヌが、90年代がテーマだからといって自分たちの過去の焼き直しなどしないことは、まあ想像がつく。ジョン・サヴェージやサイモン・レイノルズ、マーク・ペリーまでならまだしも、ダグラス・クープランドにまでライナーを依頼するほど音楽評論や読書が好きな彼らの創作行為には、大まかに言って批評性も備わっている。彼らが現在という地点からあの時代をどのように描くのかは、まったくもって興味深いところだ。
 

字幕
「失われた黄金時代としての90年代後半の楽天主義を振り返りますか?」
「それは、素朴で妄想と愚かさの時代だったと思いますか?」
「あなたはすべてを憶えていますか?」
「記憶の霧を通して」 
「あなたには確信がありますか?」

 だいたいこの、『私はあなたに伝えようと努力してきた(I've Been Trying To Tell You)』という含みのある言葉をタイトルにしたアルバムは、手法的には『So Tough』を踏襲しながら、じつになんとも不思議な作品で、たとえばバンドのトレードマークであるサラの歌がまともに入った曲が、1曲と言えるのか2曲と言えるのか3曲と言えるのか、まあそんな感じなのだ。アルバムの大半がインストで、たまに聞こえるサラの声はサンプリングされた断片としてミックスされているか、さもなければ亡霊のごとく靄のなかで歌っているかのようで、これは明らかに『スクリーマデリカ』よりも『メザニーン』やボーズ・オブ・カナダのほうに寄っている。
 さらに奇妙なことだが、たとえば“Little K”や“Blue Kite”といった曲のなかには、ある種ヴェイパーウェイヴめいた響きや反復もある。かつてそこにあったリアルの喪失。90年代初頭の快楽主義を謳歌する人生観や無垢だったダンス・カルチャーは、90年代後半になるとトニー・ブレアを通じてエリートたちのものになるか、もしくはおおよそすべてがただの娯楽産業へと姿を変えた。
 あるいは、ベリアルがレイヴ・カルチャーのレクイエムを作ったように、本作もまた叶わなかった夢への痛みをもった鎮魂歌と言えるのかもしれない。今回のサウンドは、「インディ・ポップ」というには少し無理があって、エレクトロニカやトリップホップ、アンビエント・ポップなどと呼んだほうがまだしっくりくる。いずれにしても本作には、90年代のセイント・エティエンヌが武器として持っていたスタイリッシュなレトロ・ポップのパッチワークはない。だが、ここにはリスナーを惹きつける力がたしかにあり、ぼくはけっこう気に入っている。とくに冒頭の“Music Again”〜“Pond House”は圧巻で、そして後半に待っている2曲──“I Remember It Well”から“Penlop”にかけてのいささかホーントロジーめいた展開もみごとだ。それは亡き者たちの囁きであり、アンビヴァレンスであたかも終わりの合図のようでもあるのだけれど、が、しかしセイント・エティエンヌがその甘美な響きを失うことはなかった。最後に収録された“Broad River”という、フォーキーなアンビエントは、とくに目新しいサウンドではないが、ぼくにはずいぶんグッと来る。きっとノスタルジーに浸ることが、この曲においては許されているのだろう。 


 

Richard H. Kirk - ele-king

野田努(9/22)

 日本時間の昨晩、キャバレー・ヴォルテール(通称ザ・キャブス)の活動で知られるリチャード・H・カークが9月21日、65歳で亡くなったことを〈ミュート〉が発表した。昨年11月はキャバレー・ヴォルテールとしては26年ぶりのアルバム『Shadow of Fear』を発表し、エレキングの取材も快く答えてくれたカークだが、いまあらためてその記事を読み返してみると、すでに体調に問題があったのだろうか、取材中に何度か咳き込む様子が記されている。いずれにせよ悲しいことだ。各国の主要メディアが報じているように、偉大な音楽家/アーティストがまたひとりいなくなってしまった。

 1973年のイギリスのシェフィールドという地方都市で、リチャード・H・カークを中心に、クリス・ワトソンにスティーヴン・マリンダーという3人の“ダダ中毒”によって結成されたキャバレー・ヴォルテールは、パンク以降の音楽シーンにおいて未来を切り開いた重要なバンドのひとつだった。ブライアン・イーノが提唱した「non-musician」(音楽を作るのに音楽家である必要はない)という考え方に感化され、アブストラクトなテープコラージュから出発した彼らは、自らを「ミュジーク・コンクレートのガレージ版」と呼んだように、いわばアヴァンギャルドとパンクとの融合を実現させた第一人者でもあった。(初期の音源は2019年に〈ミュート〉から再発された『1974-76 (1974-76)』で聴ける)

 個人的な話で恐縮だが、彼らの初期の代表作“Nag Nag Nag”で見せた原始的なドラムマシンとテープ操作による反復、シンセサイザーと電子ノイズにスポークンワードめいた声といったキャブスのスタイルは、それが出たとき高校生だったぼくには、音楽に対する感受の仕方をいきなり押し広げられたような、相当な衝撃があった。また、彼らは政治的でもあり、予見的でもあった。ヴェルヴェッツのカヴァーを収録し、“バーダー・マインホフ”で締める『Live At The Y.M.C.A.』(1980)をはじめ、レーガン政権下で右傾化するアメリカを題材とした『The Voice Of America』、そしてイスラム主義の台頭を主題とした「Three Mantras」(1980)という、アメリカと中東における原理主義や宗教の政治介入に対する彼らの関心はその後のアルバム『Red Mecca』(1981)にも集約されている。こうしたコンセプトはリアルタイムで聴いていた10代の頃には何のことかさっぱりだったけれど。(ちなみに高校1年生の石野卓球が静岡のぼくの実家に遊びに来たときにぼくのまだわずかながらのレコード・コレクションを見て最初に反応したのがキャブスだった。いまでもその場面を鮮明に憶えている。お互い初めて会ったそのとき、「それ俺も好きです」とかなんとか、そんなようなことを彼は言った)
 1981年にクリス・ワトソンが脱退し、カークとマリンダーのふたりになってからの第二期は、レーベルも〈ラフトレード〉から〈サム・ビザール〉またはメジャーの〈パーロフォン〉へと変わって、音楽も実験色の強いコラージュ的なものからダンス・ミュージックへと路線変更された。80年代のキャブスは、“Just Fascination”(1983)や“Sensoria”(1984)、“I Want You”(1985)などポップ・チャートに入っても不自然ではないような曲をいくつか発表している。もちろんこうした彼らのエレクトロニック・ダンス・ミュージックは、同時代のアメリカのアンダーグラウンドなブラック・コミュニティで始動したダンス・カルチャーと併走し、そしてやがて合流した。カークは1989年から数年のあいだ地元のハウスDJ、パロットと結成したスウィート・エクソシストを介して〈Warp〉を拠点にブリープ・テクノ・ダンス・トラックの 12インチを切り、1990年のキャブスの12インチ「キープ・オン」においてはデリック・メイによるリミックス・ヴァージョンを収録している。それまでの方向性を考えれば必然だったと言えるかもしれないが、ポスト・パンク世代ではハウス‏/テクノに対してのダントツに素早い反応だった。あの当時はカークのその行動に痺れたし、自分たちの選んだ道は間違っていないとずいぶん勇気づけられもした。

 ハウスやテクノといったクラブ・ミュージックとの出会いを機に、リチャード・カークとキャバレー・ヴォルテールは、いっきにアンダーグラウンドヘと潜っていった。1990年代以降のカークは〈Warp〉や〈R&S〉、〈Touch〉といった先鋭的なインディペンデント・レーベルからソロ名義のほか、サンドズ名義をはじめとする数々の名義で作品を発表するようになる。90年代半ばにはキャブスからマリンダーも離れてしまうが、結果ひとりになってからもカークはひたすら作品を制作し、彼自身の〈Intone〉レーベルなどから、カーク本人でさえもとてもすべてを覚えられなかったのではないかと思われるほどのたくさんの名義を使ってテクノ‏/アンビエントの作品のリリースを停止することなく続けた。
 その数はあまりに多く、彼のすべての作品をチェックしている人がどれほどいるのだろうかと思う。ぼくは1994年のサンドズ名義の『Intensely Radioactive』と同年のソロ名義による〈Warp〉からの『Virtual State』、そしてマリンダー在籍時のキャブスの最後のアルバム〈Apollo〉からの『The Conversation』の3枚がお店で購入した最後のレコードだった。それは以降は、2000年代初頭のポスト・パンク・リヴァイヴァル時にいっしゅん初期の音源を聴き直したことはあったかもしれないが、2010年代に〈ミュート〉が80年代のキャブス作品を中心に再発するまでは、キャバレー・ヴォルテールもカークも自分のリスニング生活とはほとんど無関係だったことは否めない。それは個人的ではあるが、1979年/1980年のキャブスに心底震えた世代にとってありがちなコースだったのではないだろうか。(ゆにえ、まだ聴いていない彼の作品はあまりにも多くあるとは言える)

 2020年11月にキャバレー・ヴォルテール名義としては26年振りにリリースした『Shadow of Fear』は、カークのなかの“ファンク”が噴出した生命力ある力作で、そしてまた、初期の作品を彷彿させる言葉のカットアップを効果的に使った作品でありディストピックで暗示的なアルバムでもあった。その破壊的な迫力と否定の力に、カークの芸術的始祖のひとりであるトリスタン・ツァラもさぞかし歓喜したことだろう。が、しかし65歳とは、やはり早すぎた。今年に入ってからは3月にキャバレー・ヴォルテール名義での1曲およそ50分の『Dekadrone』と1時間にわたる『BN9Drone』という2枚のドローン作品をリリースしているが、彼は結局、ぶっ倒れるまで作り続けたのだろう。「彼は最後まで、ハングリーでアングリーでファンキーだった」とは『ガーディアン』の追悼記事の見出しだが、いやまったく、本当にその通りだ。

野田努

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三田格(9/24)

 ele-king臨時増刊号メタヴァース特集のために原稿を書きながらキャバレー・ヴォルテールがこの春にリリースした『Dekadrone』を聴き直し、漠然と初期のインダストリアル・テイストをロング・ドローンでやり直している感じかなあと思っていたら、深夜になってリチャード・H・カークの訃報を目にした。第一報では死因は不明とあった。亡くなったことを知って聴くのとそうでないのとでは聴き方がまったく変わってしまう。え、死んじゃったの!と思って、もう一度『Dekadrone』を再生すると、今度はなんともオプティミスティックで、近年のデッドロックな気分を反映したドローンとは正反対の高揚感がダイレクトに耳を打ってきた。「デカドロン」というのはステロイドの一種であるデキサメタゾンとドローンを足して、イタリアの古典文学「デカメロン」と掛けた造語のようで、おそらくはカークが最後まで服用していた抗炎症薬を題材としたものなのだろう。LSDを開発した製薬会社サントスの名義で10枚以上のアルバムを残した男である。デカドロンという薬にも大きな希望を見出していたのかもしれない。

 訃報を目にして最初に思い出したのはなぜかメジャーフォースの工藤(昌之)さんに聞いた話だった。キャブスが初めて来日し、新宿のツバキハウスでライヴを行なった後、彼らは工藤さんがDJを務めていた六本木クライマックスに遊びに来たというのである。そして、キャブスの3人はナンパをはじめたんだよと工藤さんは笑いながら言った。僕もつられて笑い、旧ベイシング・エイプのスタジオは俗っぽい雰囲気でいっぱいになってしまった。工藤さんが言いたかったことはこうだろう。インダストリアル・ミュージックの急先鋒として喧伝されていたキャバレー・ヴォルテールは当時、神格化ではないけれど、どこか恐れ多い雰囲気に包まれていた。でも、そんなことはなくて、当時から彼らは人間味のある人たちだったんだよと。クライマックスは狭いハコで客がすし詰めになっているようなこともなかったから、ナンパなんかしていれば、ほぼ全員に何をやっているかわかってしまうクラブである。チーク・タイムという習慣を最初に辞めたハコであり、陰湿な性格には似合うスペースではなかった。ちなみにツバキハウスのライヴを収めた『Hai!』は名作ながらマスター・テープを紛失し、〈Mute〉の復刻版はアナログ起こしだという。

 〈Rough Trade〉の3枚目ということもあり、キャブスはデビューEPから聴いていた。正直、ピタッと来る感じではなく、いま聴いてもカンの粗雑なコピーみたいに聞こえてしまう曲も多い(それでも全部買っていたのは『ロック・マガジン』がプッシュしていたから)。それが先行シングルもなく、ふいに2枚組でリリースされた4thアルバム『2X45』で僕は彼らの編み出したインダストリアル・ファンクにめろめろになってしまった。『2X45』はインダストリアル・ミュージックとファンクの官能性をものの見事に融合させ、ボディ・ミュージックや遠くはハード・ミニマルに至るまでダンス・ミュージックのアンダーグラウンド化に多大な導線を示した作品である。それこそヴァージン・プルーンズのギャビン・フライデーは『2X45』を聴いて「自分たちはもっといいディスコ・レコードをつくれる」とコメントしていたけれど、カークによればそれまでもダンス・ミュージックをやっているつもりはあったようで、クリス・ワトスンが脱退したことで思いっきり舵を切ることができた結果が『2X45』だったという。しかし、さらに驚かされたのは、続く『The Crackdown』だった。『2X45』以前のインダストリアル・テイストを大幅に回復させ、有象無象のブリティッシュ・ファンク・ブームとは一線を画すオルタナティヴ・ファンクの流れがここに確立される。『The Crackdown』がなければそれこそフロント242もタックヘッドもなかったかもしれない。

 キャバレー・ヴォルテールとフラ、そして、フォン・フォースがシェフィールドをダンス・カルチャーに引きずり込み、やがて〈Warp〉が設立される。〈Warp〉ではただひとりの創設メンバーとなってしまったスティーヴ・ベケットは早くからキャバレー・ヴォルテールのアルバムを出したがっていたけれど、彼の思いはかなり歪んだかたちで実現する。シェフィールドでは逸早くアシッド・ハウスに手を出し、現在もクルックド・マンなどの名義でアシッド・ハウスの改良に余念がないDJパロットがカークを誘って二人はスウィート・イクソシストを結成、設立当初の〈Warp〉に“Testone”を吹き込み、「ブリープ」と呼ばれるタームを引き起こす。LFOのビッグ・ヒットもあって「ブリープ」は〈Warp〉を認知させる大きな要因となるも、ここからが少しややこしい。〈Warp〉の創設メンバーのひとり、ロブ・ゴードンはイギリス人がハウスやテクノをやるならアメリカとは違ってレゲエのリズムを取り入れなければならないと主張し、もうひとりの創設メンバー、ロブ・ミッチェルと対立、レーベルから離脱してユニーク3のプロデュースに専念する。この対立を受けてカークは〈Warp〉ではなく、ロブ・ゴードンとゼノン(XON)というユニットを組み、さらに「ブリープ」を推し進める。その本質は「信号音」ではなくレゲエのリズムにあることが明らかとなり、これはスウィート・イクソシストのアルバムがいまでもグローバル・ミュージックの文脈で聴くことができる土台にも通じている(カークはレゲエをメインとしたサントスもほぼ同時にスタートさせる)。

 以後は、スウィート・イクソシストの新作もカークが新設した〈Plastex〉からのリリースとなり、キャバレー・ヴォルテールの新作も同レーベルを通じて〈R&S〉傘下の〈Apollo〉にライセンスされることに。リチャード・H・カークが〈Warp〉からソロ・アルバムをリリースするのは〈Plastex〉を閉鎖した1994年を待ってからであり、カークがテクノというタームと格闘を続けた91~93年を〈Warp〉が共有できなかったことは〈Factory〉とニュー・オーダーの関係とは異なる気分を浮上させ、できれば本人からもっと詳しい事情を聞いてみたかったところでもある。〈Apollo〉にライセンスされた『The Conversation』は、そして、ようやくレイヴ・カルチャーと距離が取れるようになった作品として完成度も高く、2020年に復活を果たすまでカークにとっても超えられない壁となってしまった感もなくはない。アシッド・ハウスの波に飲み込まれてしまい、自分でもキャバレー・ヴォルテールの作品らしくなかったと述懐していた『Groovy, Laidback And Nasty』やアシッド・ハウスに対抗してミニストリーと組んだアシッド・ホース、あるいはテクノにオリジナリティを見いだすことができなかった『Plasticity』とは異なり、『2X45』や『The Crackdown』をテクノで再構築した『The Conversation』はゆったりとした官能性を呼び戻し、ようやくオルタナティヴ・ファンクの本流に返り咲くことができた傑作だった。2時間を超える大作にもかかわらず、まったく飽きさせないのはさすがとしか言いようがない。

 リチャード・H・カークがさらにスゴいと思うのは自分の音楽を先入観をもって聞かれたくないために40以上の名義を使い分けたことである。『Red Mecca』や『Three Mantras』など早くから西欧とイスラムの衝突に関心があったというカークは、ジョージ・ブッシュがイラクに戦争を仕掛けた際はバイオケミカル・ドレッドの名義で『Bush Doctrine』をリリースして奇天烈なレゲエを聞かせ、ヴァスコ・ドゥ・メント名義ではさらにインダストリアル・ダブをこじらせていく。イクステンディッド・ファミリー(拡大家族)とかニトロジェン(窒素)とか気になるネーミングはたくさんあるけれど、さすがにすべてはフォローできない。どの名義だったか忘れてしまったけれど、ある時、石野卓球とカークのソロ作を聴いていて、卓球が「いまどきダダダッてプリセット音をそのまま使うのは彼だけだよ」と笑っていたことを思い出す。そう言われるまで僕は気がつかなくて、以降、ダダダッというプリセットのスネア音を聴くとリチャード・H・カークのことを思い出すようになってしまった。それこそダダイズムだし。R.I.P.

三田格

ラディカルで、クソ面白い!

大勢の人が集まって踊る、ただそれだけのことが国家を動揺させた……
アシッド・ハウス、イビサ、マッドチェスター、ニューエイジ・トラヴェラーズ、ジャングル……
英国ジャーナリストが見事な筆致で描く
20世紀最後で最大の音楽ムーヴメントの全貌

1997年に刊行され、2010年に増補版が出たクラシカルな1冊がついに翻訳刊行!

並々ならぬ共感と知性によって書かれた、熱を帯び機知に富んだ真実の歴史 ──アーヴィン・ウェルシュ

あれは「特別な時代」以上の何かだったのだろうか? ドラッグ熱に浮かされた享楽主義に過ぎなかった? それとも、我々の多くがそう強く信じたがっているように、それ以上に重要な何かだったのか? アシッド・ハウスの誕生以来、「じゃああれは一体なんだったのか」の疑問は何度もしつこく繰り返されてきたし、本書はそれに対する幅広い回答のあれこれを含んでいる。そのいずれも必然的に個人的な視点に依るものであり、どれひとつとして決定的な回答ではない。もしかしたら、今にして思えば、あのとんでもない時代を実際に生き抜いただけで充分だったのだろう。共同体の全員と共に我を忘れるあれら歓喜の瞬間の数々を味わったこと、おそらくそれ自体が、我々にはあれ以上を望めない素晴らしい体験だったのかもしれない。(本文より)

目次

前書き(長い歳月の後で)

序幕 八〇年代のとある晩

第1章 快楽のテクノロジー
第2章 サマー・オブ・ラヴ
第3章 マジカル・ミステリー・ツアー
第4章 東への旅
第5章 フリーキー・ダンシング
第6章 テクノ・トラヴェラーズ
第7章 都市のブルーズ
第8章 ケミカルな世代

謝辞
索引

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interview with Koreless - ele-king

 コアレスとはいまから10年前、ジェイムス・ブレイクの次はこの人だと期待された、当時はまだ10代だったUKのプロデューサーである。あの頃はちょうど「CMYK」が出たばかりで、同時にマウント・キンビーやラマダンマンにも注目が集まり、じゃあ次は彼だろうと、デビュー・シングル「4D」を聴いた多くのリスナーが太鼓判を押したのだった。
 が、コアレスがベース・ミュージックに定住することはなかった。作品数こそ多くはないが、ひとつのスタイルに固執せず、自由奔放にリリースし続けている。なかでもとくに重要なのは、2013年に〈Young Turks〉から出した「Yugen」だ。もの悲しくも幽玄な音響を持つその「Yugen」もまた彼の才能を世に認めさせた作品で、今回のアルバム『Agor(アゴル)』の起点にもなっている。
 そもそも2011年のデビューEP1枚だけで、『ガーディアン』からは「ジェイムス・ブレイク、フォー・テットに続くのは彼だ」と紹介され、ジャイルス・ピーターソンからは「ほかの素晴らしいデビューと同様、将来も記憶に残るEP」などと讃辞を受けている。そんなシーンの寵児のファースト・ソロ・アルバムがこの度、ようやっとリリースされるとあればシーンはざわつき期待が高まるのも無理からぬことなのだ。しかも先行で発表された曲、“Joy Squad”は出色の出来とくる。

 もっとも『アゴル』には、こんなにも楽しそうな曲ばかりが収録されているわけではない。ウェールズ出身のロマン派による最初のアルバムに収録されたメランコリックなエレクトロニカ風の楽曲には、たとえば“ヨーガ”におけるビョークを彷彿させると言えばいいのか、オーガニックな響きを取り入れた叙情性に心が揺さぶられる。また、アルバムにはレイヴ・カルチャーの残響が断片化されてもいるようにも感じられる。どこまでも広がる牧草地帯、夜空の遠くからかすかに聞こえるダンス・ミュージック──1994年の夏、コーンウォールのレイヴに行き損ねたぼくたちはロンドンから西へ、羊たちが放牧されている一帯をどこまでも車で進んで、そしてコアレスの故郷、ウェールズにまで行った。山道を走ってすっかり迷子になり、ようやく辿りついた一軒のホテルでひと息入れてから眺めた星空は最高だったなぁ。
 『アゴル』は想像力を刺激する音楽であって、踊るための作品ではないが、ダンス・カルチャーの熱狂とも繫がっているようにも感じられる。たとえその音楽がアンビエントめいていたとしても、かの地のエレクトロニック・ミュージックがクラブ・カルチャーと乖離することはまずありえないのだ。しかしながら、ウェールズの田舎で暮らしながらバレアリックを夢見るというのは、まあ、あまりないことかもしれない……。我が道をいくタイプなのだろう。コアレスを名乗るルイス・ロバーツは、指定の時間よりも早く待機するような、天才と言うよりは謙虚で温厚なお兄さんだったと通訳の青木さんが彼の印象を教えてくれた。

学校の進路相談で、音楽プロデューサーになりたいと伝えたんだ。そうしたら先生から「それほど馬鹿げた考えはない」と言われたんだよ(笑)。

2011年にあなたが最初にリリースした12インチを東京のレコード店で購入しました。当時はダブステップ以降のベース・ミュージック全盛で、ぼくはBurialの次に来るような音を探していたんですが、Korelessの「4D」にそれを感じたからです。しかしあなたはその後、ベース・ミュージックとは別の方向に進みましたよね。あなたは自分の音楽の進むべき方向性についてどのように考えていたのでしょうか?

K:素敵な質問とコメントをありがとう。僕は同じことを1回以上やるということが得意じゃないのと、自分がこれから何をやるのかということが先にわかっているとすぐに飽きてしまう性分なんだ。だから自分が続けられる音楽制作のやり方は、自分がイメージしている音を作り出すのではなくて、何かしらの疑問や問いからはじめる。その疑問は技術的なものかもしれない。例えば、「このツールを極限まで使ったらどうなるんだろう?」とか。その過程で何か素敵なものが見つかるかもしれないし、「こんな曲を作ったら面白くない?」と自分に問いかけて、ただのジョークで終わることもある。
 もしくは、夜、何も考えずに何かを弾いてみるというときもある。そういうやり方をしているから僕の音楽は変わり続けているんだと思う。一度何かをやると、もう一度それをやるのが僕にとっては難しいことだから。つまらなく感じてしまうんだよ。だから音楽を作ることはゲーム感覚でやっていて、いろいろと探ってみたりしながら軽い気持ちでやっている。深く考え抜いてやっているわけじゃないんだよ。

あらかじめ求めているサウンドがあるというわけではないのですね。疑問からはじまって、それがどこに向かっていくのか様子を見ると?

K:最初から自分はこれを作りたいと思って制作をはじめても、決してその通りにはならないし、僕はすぐ飽きてしまうんだよね。でもゲーム感覚で制作をしていると、物事に対してもっとオープンになれる。だからどんなものができるかやってみて、予測していないことが起こっても、それはそれでよしとする。だから今回のアルバムの曲も同じようなサウンドの曲がひとつもないんだと思う(笑)。

ほかの仕事で忙しかったんだと察しますが、それにしてもアルバムを出すのにこれだけ(10年)かかった理由には、あなたがアルバムに関して慎重だったことが影響しているんじゃないのでしょうか? そして制作に費やす時間も必要だったと。

K:時間がかかった要因はいくつかある。アルバムを作りはじめたタイミングも比較的遅かったし、そもそもフル・アルバムを作るという予定がなかったからね。アルバムの曲のうち半分は、長い時間を要し、もう半分は2ヶ月でできた。最初の頃長い時間がかかったのは、「Yugen」をリリースした後だったから、すごくいいものにしなくちゃいけないと思って、自分に強いプレッシャーをかけてアルバム制作をしていたから。そう、ノンストップで、ものすごい量の楽曲を作ったんだ。すべてのトラックにつき何百ヴァージョンも作ったりしてね。で、数年後ニューヨークまで行ってポール・コリーという人とアルバムの音源をミックスしたんだけど、そこでアルバムは完成したと思った。自分のなかで祝杯を挙げていたくらいに。「Yugen」の4年くらいあとの話だよ。
 でもそのあとに、やっぱりアルバムは完成していないと思ったんだよ。アルバムには何かが欠けていたし、曲によっては強烈すぎるのもあった。だからやり直したんだ。この時点で僕はかなり落ち込んでいてね、すでにかなりの時間をかけていたからね。でもそこから2ヶ月で、“White Picket Fence”と“Act(s)”と“Stranger”とアルバムに収録しなかった他の音楽が次々と出来上がっていった。いままでのように自分に厳しくし、すべてに対して慎重にやるのはやめて、楽に、リラックスした感じで曲を作ろうと決めたんだ。そうしたらすごく早いペースで曲が仕上がっていった。だからアルバムが出来るまで、なぜこんなに時間がかかったのかはわからないけれど、いま話したような流れで完成したんだ。

アルバムが完成したと最初に思ってから、さらに2年間くらいかかったということですか?

K:それくらいかな? コロナの影響もあってリリースが遅れたというのもある。とにかくアルバムの半分はすごく時間がかかって、もう半分はまったく時間がかからなかった。

『アゴル』は、美しいメロディと繊細な電子音による壮大な広がりのあるアルバムですが、ジャンル名に困る音楽でもありますね。『Agor』は物語性がある、コンセプト・アルバムと受け取っていいのでしょうか? 

K:コンセプト・アルバムではないね。ジャンルに関して言うと、音楽には本当にたくさんの聴き方がある。例えば、「踊る」ということは音楽を聴く方法のひとつ。他にも体を動かしながら音楽を聴くことができる。音楽の種類によっては、座ってじっくりと聴くという聴き方もできる。スピーカーから音を流して、それ以外のすべての音を消して、音楽に集中する。また別の種類の音楽だと、そういう聴き方はまったく適していなくて、聴き流しているくらいがベストな音楽もある。

アルバムとしてのコンセプトがあるわけではなく、曲がひとつずつ独立しているということでしょうか?

K:その通りだよ。曲ごとに、そのスタート地点となった「疑問」があった。最初はアルバムというものを念頭に置いていなかったからね。僕はコンセプト・アルバムが作れるほど頭が良くないんだよ(笑)!

作中から聴こえるメランコリーは何に起因しているのでしょう?

K:僕はメランコリックな場所の出身だからね。ウェールズの田舎。ここの景色を見せてあげたいけれど、光の加減がとても奇妙なんだ。美しいところだよ。雑誌なんかでは、「壮大な場所」や「山頂を制覇する」という表現がよく使われていて、男性的で、登山的なマッチョのイメージがある。でも実際ここに住んでいると、そのイメージとはかけ離れている。ここの生活はこじんまりしていて、静かで、悲しい感じがするんだ。ここにいる僕の友人たちはみんなメランコリーな雰囲気があって、すごくシャイなんだ。静かで、引っ込み思案で、まるでホビットみたいなんだよ。そのことに今朝気づいたんだ。いま、じつはいま、1年ぶりくらいに両親の家=実家に戻って来ているんだ。今朝、散歩に出かけたんだけど、とても物悲しい、メランコリックな場所だと思った。だから音楽のメランコリーな感じはそこから来ているんだと思う。メランコリーと山の壮大な感じが共存している。それが僕の音楽に反映されているんじゃないかな。

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ピアノの先生は18歳くらいで、自宅にスタジオがある、オタク気質の人だった。シンセサイザーにめちゃくちゃハマっている人だったんだ。僕はピアノよりシンセの音に夢中になってしまった。

『アゴル』とウェールズの文化との関係について話してもらえますか? 

K:いま話したことと、ウェールズには壮大なイメージがあるということかな。自分でも気づいたのは、僕が作る音楽はいつも壮大になってしまうんだ。それにいつもメランコリック(笑)。それは自分でもどうしようもないことで、とにかくそういう感じにいつもなってしまう。最初はハッピーな感じの演奏をしていても、次第にメランコリーな方へ行ってしまう。毎回そうなんだよ。残念だよな(笑)!
 まあ、だからウェールズのメランコリックな感じと壮大な感じは、僕の音楽に関係していると思うよ。それからもうひとつ関係性が多少あるとすれば、ウェールズは他の世界から少し隔離されているという点かな。独立した国ではないんだけど、別の国という感じもあって、僕の音楽にもそういう雰囲気が少しあるかもしれないね。

ちなみに質者は、ウェールズに行ったことがあるそうです。1994年のことですが、車で山道で迷っていたら馬に乗った男性に会って、親切にしてもらった思い出があるとのこと。標識も英語ではない世界がイングランドと地続きにあるということが驚きだったと。それはともかく、ウェールズ特有のケルト的な世界観はあなたの作品にもあるのでしょうか?

K:僕の父親は昔、山道で馬を乗っていたから、それは僕の父親だったかもしれないね(笑)! 実家には馬が2頭いてね。最初は1頭だったんだけど、父親がドッグフード50袋と馬1頭を交換して、馬をもう1頭ゲットしたんだ。この辺の生活はいつもそんな感じなんだ。動物がたくさん周りにいてさ。1頭目の馬は山のどこかかから拾って来て、もう1頭はドッグフードか何かと交換して手に入れたんだ(笑)。家には昔、馬車があってそれを山で乗っていたよ(笑)。
 ……ケルト的な世界観についてだったね。その影響もあると思う。僕の祖父、つまり父親の父親は、ケルトの祈とう師というかエクソシストだったんだ。地元にある、とても小さな教会の神父で、彼の仕事のひとつは幽霊を追い払うということだったのさ。だから彼は古い家などを訪ねて、幽霊に語りかけたり、除霊したりしていたんだ。それ自体はケルト的ではないんだけど、ケルトの文化や歴史には魔法や神秘的な側面があって、みんなそれを話半分くらいで聴いている。そういう考え方は僕の音楽に共通するところがあるかもしれない。あとは静けさと古さ。ウェールズの山には古代の遺跡や昔からある集落などがあるからね。そういうのが背景としてあるんだけど、実際の町は、古びていて寂れている。 荒れていて、そこに居たいと思うような素敵な場所ではない。ケルト的な古代の壮大な感じと、悲しくて絶望的な感じが対照的なところなんだ。ウェールズの雰囲気をわかってもらおうと、長々と話してしまったね(笑)。

あなたの音楽に、そういったケルト的な感じは含まれていると思いますか?

K:“Black Rainbow”はいま聴くとケルトっぽい響きがあるように感じられる。あのヴィデオは弟と一緒に近くの裏山で撮ったんだけど、ヴィデオが完成してからは、曲の感じが、シンセっぽいバイクみたいな曲から、ケルトっぽい感じに聴こえるようになった。だからそういう風に聴こえることもあるかもしれない。 

サウンドのテクスチャーに拘ってますよね。エレクトロニックな響きは控え目にして、ストリングス系の音やオーガニックな響きを前景化していますよね。この狙いは?

K:アコースティックなサウンドを実際の演奏では不可能な方法で表現することに興味があった。以前、“Moonlight”というベンジャミン・ブリテンの曲をカヴァーしたんだけど、そのときもホルンの実際の音を崩壊させて、爆発させて、石灰化させて結晶化させたかった。けれど同時にその音がホルンの音であると認識できる状態にしたかった。僕はマジック・リアリズムについてそこまで詳しくないけれど、それとの関連性はあるかもしれない。ギターなどの音も同じように扱った。ギターの音として認識はできるけれど、実際に演奏するのは不可能な音。プログラミングの仕方によって、実際のギターでは出せない音にしているんだ。「Yugen」はシンセサイザーのテクスチャを追求した作品だったけれど、今回はまた別のことをトライしてみたというわけさ。

ではオーガニックな楽器を使って、オーガニックではない、非現実的な表現をしていたというわけですね。

K:そうだね。それに僕は音の精確性というものがすごく好きで、じつはオーガニックな感じが好きなタイプではない。音と音をつなげるときも計算機をよく使っているほどだよ。完璧にしたいからね。音を完璧につなげるというところに美しさを感じるんだ。そのつなぎ目が少しでもずれていると魔法は解けてしまう。アコースティックな楽器を使って数学的に完璧な流れにする。その流れが完璧に整う地点に到達すると何かが起きる。それがすごく好きなんだ。その地点に興奮する。その完璧には一切の余白がないから、「完璧に近い」じゃダメなんだ。だから、そういう完璧な状態に持っていくにはかなりの時間がかかるんだよ。

生演奏的な要素も入っていますよね? たとえば、とっても美しい曲のひとつ、“White Picket Fence”の冒頭のピアノはあなたが弾いているのですか? 

K:そう、僕が弾いた。アルバム制作の前半はすべての要素を慎重で高精度に扱っている。すべてを完璧で正確にするために膨大な時間をかけてエディットした。それが前半で、アルバムの後半は先ほども話したように時間がほどんとかからなかった。“White Picket Fence”は僕が一度だけ弾いた演奏がほぼ曲になっている。その夜、僕は落ち込んでいた。アルバムをもう一度最初から作り直さないといけないと思っていたからね。朝5時くらいにピアノの前に座って、“White Picket Fence”で使われているヴォーカルのサウンドがキーボードに入っていたからそれを片手で弾き、もう片方の手でピアノのパートを弾いた。ワンテイクでできたんだよ。自分でもびっくりした(笑)。それからベースの部分を加えて曲が完成した。だからこの曲はある意味、オーガニックな形でできたと言えるね。

その“White Picket Fence”のヴォーカルはシンセの音なんですか? 実在する人なんでしょうか?

K:その中間という感じかな。AIという訳ではないんだけど、実際に存在する人の声でもない。メロディは僕が自分で弾いたもので、声の持ち主は僕がそのメロディを作ったことを知らない。 

ヴォーカルのクレジットは非公開? 秘密ということでしょうか? 次に聞きたいのは“White Picket Fence”でとても印象的な歌を歌っているのはどなたでしょう? ということだったのですが。

K:彼女はセッション・ミュージシャンで「アー」や「イー」という匿名のサウンドを歌って、その音を貸してくれた。僕はその音をサンプリングしてシンセを通して演奏したんだ。こういうヴォーカルが気に入っている。
 僕は若い頃、イビザの『カフェ・デル・マール』(バレアリック系のコンピでもっともヒットしたシリーズ。地中海に沈む夕焼けのメロウな感じが特徴)をよく聴いていたんだけど、僕はウェールズに住んでいたから、まずそんな音楽があるなんてまったく知らなかった。なにせイビザのこと自体も知らなかったからね! 

(笑)。

K:なぜ知ったかというと、僕の叔父がロンドンからこのCDを持ち帰って来たからで、そこにはシンセのように聴こえるテクスチャのような、歌詞がないヴォーカルの音が入っていたんだ。ヴォーカルのクレジットはなし。声を楽器のように使っていたんだ。ヴォーカルもバックトラックの一部というか、そういう捉え方が好きだった。つまり、曲において、ヴォーカルというものに高い優先順位や重要性を与えるのではなく、ひととつの楽器として扱う。パーカッションと同じようなものとしてね。今回の曲でもその概念を適応させたいと思った。だからこのヴォーカルの部分はメロディなんだけど、僕がキーボードで演奏したもので、他の楽器と同じように、声も楽器として扱っている。

彼女の声はほかにも時折入って来ますが、声が表象しているのは、ある種の神聖さ、なのでしょうか?

K:天使みたいな感じなのかもしれないね。僕は直接的な何かを象徴するということはしたくない。でも無意識的にそういう意味合いはあると思う。

“Joy Squad”は本当に良い曲ですね。この曲はクラブ・ミュージックを意識して作られたそうですが、あなたがダンス・カルチャーを支持する理由を教えて下さい。

K:僕が初めてカルチャーとしての一部という認識があったのがクラブ・ミュージックだった。ウェールズに住んでいた頃は、音楽の情報が多少入って来てはいたけれど、かなり遠い地域で起こっていたことだから、関与しているという感じはなかった。10代後半、僕はダブステップのイベントをはじめて、その後グラスゴーに移ってから本格的にクラブ・カルチャーに関与する。その頃の僕にとってクラブ・カルチャーはネットに載っている情報ではなく、まわりのみんなや友だちが実際にやっていることだった。週に5回はクラブ通いしていたな! クラブに住んでいるくらいだった。18歳のクレイジーな時期で毎晩違うクラブで違う音楽を聴いて遊んでいたけど、それが自分にとってもっとも大切だった。僕は大学生だったけれど、学校よりクラブのほうが断然重要だったし、その頃の思いがあるから、僕はいまでもダンス・ミュージックをリスペクトしている。
 とにかく、自分にとってこんなに重要なことがあったんだということが信じられなかったんだ。僕はテクノについて何も知らなかったけれど、グラスゴーのRUBADUBというレコード屋さんから「これを聴いてみなよ」と言われてレコードを聴いて、その音に衝撃を受けてね、で、「こんな音楽が存在するなんて信じられない!」なんて興奮しまくっていた。絶対にこのカルチャーに加わりたいと思ったね。

“Shellshock”もかなり好きですね。キャッチーなコアレス流のポップソングだと思うんですが、では、この歌詞は何について歌っているのでしょう?

K:ごめん、僕もわからない(笑)。僕は歌詞に関してはマックス・マーティンの思想に共感していて、「歌詞は語呂がすべて」だと思っている。マックス・マーティンは有名なポップ・ソングの作曲家で、ブリトニー・スピアーズなどの音楽を作った人だ。彼の母国語は英語ではないから、曲の歌詞に関しては言葉が音としてどう響くかということのほうが大切なんだ。「Hit me / baby / one more / time」(ブリトニー・スピアーズの曲)のようにね。歌詞の意味ではなくて、言葉の形や言葉のサウンドに重きを置いている。僕もそっちに興味があるんだ。つまり、言葉の形や言葉の流れに興味がある。だから解釈や意味はその人が好きなようにしていいのさ。

あなた個人のルーツを訊きたいのですが、いつからどのように音楽の世界に入ったのでしょう? 

K:僕の母親は看護師の仕事をしていたから夜遅くまで仕事をしていた。父親は園芸の仕事で外仕事が多かった。だから僕は放課後の時間を近所にある祖父母の家で過ごすことが多かったんだ。祖父母の家には古いピアノがあって、僕はいつもそれを弾いていた。祖母がピアノのスケールを教えてくれて、それが最初だった。
 その頃から曲を作るようになった。とてもシンプルでばかばかしいものだけどね。そうしたら、ピアノのレッスンを受けさせてもらえることになって、ピアノの先生は18歳くらいで、自宅にスタジオがある、オタク気質の人だった。シンセサイザーにめちゃくちゃハマっている人だったんだ。僕はピアノを習いに行っていたけど、そこにあったシンセの方に興味があった。たしかNovation Super Novaだったと思う。90年代のシンセサイザーだよ。それをいじって遊んでいて、「ヒューーーン」というすごい変な音を出して「すごいカッコいいー!!」と驚いていた。彼のスタジオにはシンセがたくさんあったから僕はそれに夢中になった。彼は本当は僕にピアノを教えるはずだったのに、僕はピアノにはお構いなしに、シンセの音に夢中になっていたよ(笑)。だからいまでも僕はあまりピアノが上手くない。それが一番最初のきっかけだね。
 そしてその後に、叔父が僕の家にパソコンをくれて、そこに音楽制作のソフトウェアが入っていた。Cakewalkという昔のソフトだよ。それを使って僕はまた馬鹿げた曲を作っていた。その時点でも僕はあまり音楽を聴いていなかったから、音楽の種類についてもあまり知らなくて、かなり普通の、愉快な曲を作っていたよ(笑)。でもそのときから曲を作るのはすごく楽しいことだと思っていて、それはいまでも思っているよ。

影響について訊かれることは好まないかもしれませんが、あなたの世界に入るひとつのとっかかりとして知りたいので訊きます。もっとも大きな影響は何でしょう?

K:最初のほうで話したことに戻るんだけど、僕の音楽のもっとも大きな影響というのは、音楽を作る前に自分が最初に考える技術的な疑問だと思う。もしくは、自分がやってみたいと思う楽しい試み。僕は音楽を聴くけれど、音楽ついての自分の様々な考え方を融合させるというような高度な技はできないんだ。だから音楽を制作する過程でワクワクするようなことに出会したり、新しい試みをやってみて結果として出来たものに対してオープンであるということが、自分が作る音楽のサウンドにおけるもっとも大きな影響だと思う。
 でも具体的な影響としては、『カフェ・デル・マール』の黄昏感のあるエレクトロニックな音楽。そういうメランコリックで壮大でバレアリックな雰囲気は昔から僕の一部になっていると思う。それから10代の終わりの頃にダブステップにハマってからは宇宙的な雰囲気が好きで、そういうサウンドが影響になっていた。最近ではクラシックをよく聴いていて、とくにベンジャミン・ブリテンに興味がある。
 ベンジャミン・ブリテンは誤解されがちというか、近代クラシックの作曲家としてあまり名が挙がらない。彼の音楽は古風で退屈なものとされていて、近代クラシックの時代の人なのに、ロマン派の音楽を作っていたからモダンではないと思われていた。彼の音楽はいつもメロディックで、それは彼にもどうすることができなかったことなんだと思う。僕もそういうところがあるから。耳障りな音楽を作ろうとしても、それがどうしてもできないんだよ(笑)。彼のそういうところが好きなんだ。
 それから彼の音楽には何かとてもダークなところがある。とてもスイートな音楽のなかにもね。何か合わない感じがする。そういうダークな感じがすごく好きなんだ。同世代の作曲家の多くから聴き取れるようなわかりやすいダークな感じではなく、彼は当時の人たちにとっても古臭いと感じられるような音楽を作っていて、それはロマンティックな響きの音楽だった。でもそこには何か、微妙に間違った感じが含まれている。何か計算が合わないというか、しっくり来ないというか…そういうダークな雰囲気にすごく興味をそそられるんだ。最近はブリテンの音楽について考えることが多かったから、“Moonlight”のカヴァーを作ったんだよ。もちろん、それ以外にも僕はたくさんのエレクトロニック音楽を聴くからその影響はあるだろうね。

ところなぜ海洋学に進んだんですか?

K:実際に学んだのは造船工学。いろいろな種類の船の構造や設計について学んだ。僕はティーンエイジャーの頃、音楽プロデューサーになりたかった。だから学校の進路相談で、自分の進路として音楽プロデューサーになりたいと伝えたんだ。そうしたら進路課の先生から「それほど馬鹿げた考えはない」と言われた(笑)。「その職業を選べないことはないけれど、私はお勧めしません。あなたは数学が得意で、船が好きでしょう?」と言った。たしかに僕は子供の頃から船に乗ったりして楽しんでいた。先生はこう続けた「だから船を作る技術者になればいいじゃない?」だから僕は「じゃあそれでいいです」と言ってその道に進んだ(笑)。
 大学に進んで造船工学を専攻したけれど、あまり面白くはなかった。大学に進学して良かった点は、大学がグラスゴーにあったからグラスゴーに移ることができたということだった。グラスゴーに行ったら膨大な量の素晴らしい音楽に出会うことができたから。
 つまり、造船工学を専攻したのは進路課の先生のアドヴァイスからなんだ。(音楽で成功していなければ)いまでもそういう仕事をしていたかもしれない。僕が最初にレコードを出したときは、船の桟橋で仕事をしていたからね。その仕事をしながら、空いている時間にギグをしたりしていたんだ。

ちなみに“Lost In Tokyo”という曲名の由来は、本当に東京で迷子になったからなんですか? あるいはあなたのなかの東京のイメージ?

K:東京で迷ったことは何度もあるよ(笑)。すごく面白い体験だった! あの曲を作ったのはかなり若い頃だからいまの僕なら、こんなにナイーヴなタイトルは付けないけれど、当時の僕は日本のことが大好きだったからこのタイトルにしたんだと思う。いまでも日本は大好きだけど、僕はもう少し大人になったし賢くもなったから、いま思うと曲のタイトルとしてはベストじゃないのかなと思ったりもする(笑)。

日本で迷っている外国人をしょっちゅう見かけるので、良いタイトルだと思いますけれど。

K:言っておくけど僕が迷ったのはGoogle Mapsがなかった頃だからね(笑)!

Korelessという名義にはどんな意味が込めらているのでしょうか?

K:16歳か17歳の頃、ギグをやることになって、名義をすぐに思いつかないといけなかった。そのときに思いついた名義でそれがいまでも続いているというわけなんだ。だからとくに意味はない。名義についての質問はよく受けるんだけど、これから話すことはいままでに話したことがない。
 きっかけとしては、当時、名義を考えているときにいろいろな言葉の文字の順序を入れ替えて考えていて、アイスランドのオーロラ(aurora borealis)という言葉を入れ替えたり変化させたりしているうちに、Korelessという言葉ができた。ギグ用のポスターを翌日には印刷しないといけないという状況だったから、即座にそれを名義にした。そう決めてから、その名義でずっとやって来ている。
 名前をつけるのは難しいことだといつも思う。名前は長い間続くものだしね。実はアルバムの制作が遅れたのもそれが大きな理由になっていて、作業中のトラックに馬鹿げた仮の名前を付けていたんだけど、正式な名前をつけるときに、すでにその仮の名前が定着していたから別の名前に変えるということができなかった。言葉は僕の得意分野じゃないんだ(笑)。

susumu yokota - ele-king

 数が多ければいいというわけではないが、しかし、試しにスポティファイで彼の名を呼び出してみたまえ。横には250万、180万、150万といった大きな数字が並んでいる。彼の音楽は世界じゅうで聴かれ、愛されている。
 日本を代表する電子音楽家がベートーヴェンやチャイコフスキー、サン=サーンスなどのクラシック音楽をサンプリングしたエレクトロニカ作品、2004年に発表された横田進の後期代表作『symbol』がリマスターされ、CDとLPでリイシューされる。
 その大胆なカットアップとビートとの組み合わせ方はいま聴いても斬新で、モダン・クラシカルの観点から見ても特異な、類まれなる作品といえよう。CDは6月2日、LPは8月18日に発売。美しき音の世界へ。

孤高の電子音楽家、横田進が追い求めた美の世界! 自らが主宰したレーベル〈skintone〉名盤リイシューシリーズ第一弾として後期代表作『シンボル』最新リマスタリングCD再発&初LP化!

「楽しみながら作品を作ったことはない、ぶっ飛んで作るか、涙を流しながら作るかだ」と、1997年暮れの池尻での取材で横田はぼくに語っている。『symbol』が涙を流しながら作った作品であることは、何度か彼を取材した人間として言わせてもらえれば、間違いない。 ──野田努(ele-king) * ライナーノーツより

かつて海外メディアから、日本人はなぜレディオヘッドを評価してススム・ヨコタを評価しないのかと言われたように、海外ではロンドンで回顧展が開催されるほどに評価されている横田進。彼の短い人生のなかで作られた、美しい電子音楽の傑作がここにリイシューされる。通算30枚目のアルバム、彼のレーベル〈Skintone〉からは8枚目となる『symbol』は、2004年10月27日にリリースされている。「象徴主義ということを意識して作った」と当時の取材で彼は答えているが、ここには彼の美学が集約されていると言えるだろう。「思えば、僕がやってきたことは象徴主義的だった。精霊であったり、天使であったり、魂であったり、そういうものはつねの自分のなかのテーマとしてあった」、横田は当時こう語っている。クラシック音楽の断片をカットアップしながら、彼が追い求める美を描写した問題作──リマスタリングされて、いよいよその魅力が世界に放たれる!

[susumu yokota]

90年代初頭から音楽活動を開始、1993年にドイツのテクノレーベル〈Harthouse〉から発表した『Frankfurt Tokyo Connection』が国内外で話題となり注目を集めると翌94年には日本人として初めてベルリンのラヴ・パレードに出演、レイヴ・カルチャー黎明期の日本においてシーンを牽引するテクノ/ハウス/エレクトロニカのプロデューサーとして広く知られるようになる。90年代は主に〈Sublime Records〉、90年代末からは自身のレーベル〈skintone〉、さらにはロンドンの〈Lo Recordings〉などインディペンデント・レーベルを拠点に活動を続けていたが、2006年にはハリウッド映画『バベル』に楽曲を提供するなどメジャーなフィールドでも活躍している。長らく続いていた闘病生活の末2015年に永眠、約22年間の活動中に35枚以上のアルバムと30枚以上のシングルをリリースし2012年に発表した『Dreamer』が遺作となったが、没後もシーンの評価が揺らぐことはなく未発表音源のリリースやリイシューなどはコンスタントに行われ、2019年にはロンドンでメモリアル・イベントが開催されるなど今なお世界中のリスナーから愛されているアーティストである。

[アルバム情報]

アーティスト:susumu yokota
タイトル:symbol
レーベル:P-VINE
-CD-
品番:PCD-25324
定価:¥2,750(税抜¥2,500)
発売日:2021年6月2日(水)
-LP-
品番:PLP-7156
定価:¥3,850(税抜¥3,500)
発売日:2021年8月18日(水)

[収録曲]
01. long long silk bridge
02. purple rose minuet
03. traveler in the wonderland
04. song of the sleeping forest
05. the plateau which the zephyr of flora occupies
06. fairy dance of twinkle and shadow
07. flaming love and destiny
08. the dying black swan
09. blue sky and yellow sunflower
10. capriccio and the innovative composer
11. i close the door upon myself.
12. symbol of life, love, and aesthetics
13. music from the lake surface
* LP SIDE A: M1-M6 / SIDE B: M7-M13

interview with Smerz - ele-king

DJラシャドの音楽がわたしたちのスタート地点だったと思う。いまではほかのいろいろな音楽にインスパイアされているけれどね。(アンリエット)

 スメーツが登場したとき、多くのリスナーが惹きつけられたのは彼女たちの音楽のクールな(冷たい)感触だったのではないだろうか。重たく金属的なビート、素っ気のない電子音の連なり、体温の感じられない醒めた歌。「Okay」(2017年)と「Have Fun」(2018年)の2枚のEPは当時、インダストリアル・リヴァイヴァルとオルタナティヴR&Bの北欧からの応答といちおうは位置づけられたが、その冷ややかさはどこかミステリアスなままで、スカンディナヴィアの冬の暗がりから微笑んでいるようだった。
 ノルウェーの首都オスロで育ち、同じ高校に通っていたにも関わらずデンマークはコペンハーゲンの音楽学校で親しくなったというアンリエット・モッツフェルトとカタリーナ・モッツフェルトのふたりは、ジューク/フットワークへの共通の関心などからエレクトロニック・ミュージックに接近。両者ともプロデューサーとシンガーを兼ね、ふたりの緊密な関係性をあくまで軸としてDIYにトラックを制作していく。〈XL〉から「Have Fun」をリリースする頃には、エリカ・ド・カシエールとともにコペンハーゲンの新しいR&Bとして注目されることとなった。

 だから、期待の新星としては間髪入れずにフル・アルバムをリリースしそうなものだが、ふたりは慣習に囚われずにしばしの沈黙に突入する。3年ほどのブランクを経ていよいよ放たれたデビュー作『Believer』は、なるほどEP群からかなりの飛距離を感じさせるものとなった。
 ダークなトーンのエレクトロニックR&Bという路線は踏襲しながら、オペラやクラシック、コンテンポラリー・ミュージック的な管弦楽の要素を大胆に、しかし断片的に導入。さらにノルウェーのトラッド・フォークの引用も加わり、異形のマシーン・ミュージックが出現している。“Rain” の気だるげでミニマルなR&Bにはエキゾチックな室内楽がまとわりつき、歌を中心に置いたシンプルなピアノ・バラッド “Sonette” にもひどくアブストラクトなシンセが響いてくる。聖と俗とがエレクトロニック・ミュージックのもとで入り乱れるのはビョークの新世代的な展開とも言えるかもしれないが、しかし、スメーツにはビョークのような情熱的なエモーションはない。
貪欲な実験が立て続けに繰り広げられるアルバムのなかで、思いがけずストレートにポップな “Flashing” などを聴くとむしろ煙に巻かれたような気分になるが、サイバーな響きと北欧フォークの土着的な旋律が同座するこの曲からはアヴァンとポップの微妙な領域を進もうとする意思が感じられる。ジャンル・ミックスが当たり前になった時代に、ほかにはない配合で音楽を混ぜ合わせて新しいものを生み出そうとすること。それも、どこまでもクールに。
 すべてのクリエイションを自分たちで掌握する女性ふたりのデュオというところも現代的だし、ラース・フォン・トリアーの諸作を思わせるミュージック・ヴィデオなどヴィジュアル展開を見るとファッショナブルな存在になっていくだろうことも予感させるが、何よりもそのサウンドにおいて、『Believer』はポップ・ミュージックのこの先の可能性を静かに照らしている。

ポップのメロディには、人びとに何かを伝えるというコミュニケーション能力が高く備わっていると思う。ポップ・ミュージックはストーリーを直接的に伝えるのがとても上手。(カタリーナ)

日本では現状ノルウェー出身のデュオと紹介されることが多いのですが、現在もデンマークのコペンハーゲンを拠点にしているのでしょうか? 自分たちの意識としては、「コペンハーゲンのデュオ」というアイデンティティのほうが強いですか?

アンリエット(以下H):わたしたちはいまそれぞれ違う都市にいるのね。カタリーナはオスロにいて、わたしはコペンハーゲンにいる。どちらの都市も違った意味でわたしたちの活動にとって大切だと思う。

初めてのインタヴューですので、基本的なところから少し聞かせてください。初期のバイオを見ると、DJラシャドジェシー・ランザに影響を受けたとありますが、結成時にふたりを強く結びつけた共通のアーティストや作品はどういったものでしょうか? 音楽以外でもだいじょうぶです。

カタリーナ(以下C):かなり昔の話になるね。たくさんあるから難しいけど、デンマークの音楽をふたりでよく聴いていた。でもやっぱりDJラシャドの音楽が当時のわたしたちを象徴していると思う。わたしたちにとってすごく新しいものに感じられたし、彼の平然とした態度もカッコ良かったし、複雑なリズムで遊ぶ感じも楽しくて好きだった。

H:そうね、DJラシャドの音楽がわたしたちのスタート地点だったと思う。いまではほかのいろいろな音楽にインスパイアされているけれどね。

初期のライヴの映像を見ると、おふたりとも機材を触り、歌っていますが、楽曲制作においておふたりの役割分担のようなものはありますか?

C:楽曲制作のときの役割分担はとくにないよね。ライヴのときはヴォーカルのパフォーマンスがメインになるから、機材はバックトラックをかけるくらいしか使っていないの。今回のアルバムでは過去に作ったトラックを生演奏してみた。アンリエットはヴァイオリンを弾いて、わたしはピアノを弾いている。でもライヴのときは、できあがったバックトラックを披露するという形で機材を使っているね。

H:楽曲制作のときはまた別のプロセスで、わたしが何かひとつのことをやって、カタリーナがまた別のことをやったりという感じで進めている。そうすることによって、おたがいを補完するような音楽にしていく。だからおたがいからフィードバックを受け合っているというプロセスなのね。たとえば、カタリーナがビートを作っていたら、わたしはそこからインスピレーションを得て、何か次のことをしようと思う。それをお互いの間で繰り返してやっている感じね。

EP「Okay」や「Have Fun」の時点でスメーツの個性はかなりできあがっていたと思っていたので、『Believer』でのサウンドの拡張には驚きました。デビュー・アルバムとしては時間をかけたほうだと思うのですが、それは音楽的な関心の幅がこの3年で一気に広がったからですか?

C:そうだと思う。新しい音楽にずっとインスパイアされ続けていると、自分の作品が完成したとなかなか思えなくて。新しい発見がつねにあったり、何か新しいことをやりたいという衝動につねに駆られていると、アルバムの完成というものが見えなくなってしまう。でもそういうことをやりたいという大切な時期があったから、今回のアルバムという形になった。

H:新しい音楽を作りたいという時期がしばらくあったのよね。

C:でもアルバム制作の時期のなかにも様々な段階があったね。ひとつの時期というわけではなかった。

通訳:制作中にも複数の段階があったというわけですね。

C:その通り。

ポップな音楽を作るのはもっとも難しいことのひとつ。だからその要素を扱って作業するのはとても楽しい。(アンリエット)

とくにEPにおいてコンテンポラリーR&Bからの影響が強いように思います。スメーツはトラックだけでもじゅうぶんに個性的で実験的ですが、ポップな歌の要素を捨てることもないですよね。スメーツにとって歌のポップさはなぜ重要なのでしょうか?

C:ポップのメロディには、人びとに何かを伝えるというコミュニケーション能力が高く備わっていると思う。音楽の聴き方はひとによって違うから一概には言えないけれど、個人的には、ポップ・ミュージックはストーリーを直接的に伝えるのがとても上手だと思っている。

H:それにポップな音楽を作るのはもっとも難しいことのひとつだとわたしは思っている。だからその要素を扱って作業するのはとても楽しい。いろいろな工夫をしてポップな音楽に仕上げていくのは楽しいよね。

ただ、歌の入っている曲においても、R&Bのヒット曲のようにエモーショナルに歌い上げないですし、スメーツにはどこか冷たさや醒めた感覚がつねにあるように思えます。この美意識はどこから来るものなのでしょうか?

C:それは意図的なものではないよ。それはわたしたちの作業の仕方から来るものなのかもしれないし、わたしたちの能力や技術によるものなのかもしれない。

H:わたしたちがインスパイアされた、ソースとなった音楽がわたしたちにそういう影響を与えて、その結果としてわたしたちの音楽にそういう雰囲気が含まれているのかもしれない。でもたしかに意図したものではないね。

C:それはパソコンで作業しているからなのかとたまに思う。パソコンだと、ピアノやギターを弾いて作曲するときとは違って、(画面を)縦に見ながら作業することが多いでしょ。でもわたしたちはその作業方法を少し変えていこうとしていて、もう少し横に進めていく感じの作業にしたいと思っている。パソコンで作業していると、最初から細かい要素をいろいろと詰めこみがちになってしまう。サウンドが最初から大切なものとして捉えられてしまうから。短い枠のなかで、取り扱う要素が多くなりがちだと思う。

リズムは初期からジューク/フットワークの影響がありますよね。あなたたちから見て、フットワークの面白さはどういったところにありますか?

C:ヒップホップと共通する要素があって、リズムがあって、とても直感的なところ。ひとを引きつける要素があるところ。フットワークは作るのが難しい部分もあるけれど、その瞬間を楽しめるし、ミックスをするのも楽しい。いいエネルギーがある。

H:難しい部分があるから、すべてを見透かすことができないというか、聴いていて毎回新しい発見があると思う。

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パソコンで作業していると、最初から細かい要素をいろいろと詰めこみがちになってしまう。サウンドが最初から大切なものとして捉えられてしまうから。短い枠のなかで、取り扱う要素が多くなりがち。(カタリーナ)

『Believer』ではオペラやコンテンポラリー・ミュージックの要素が強く入っていることが初期のEPとの大きな違いですが、これはアンリエットさんが作曲を学んでいることが関係しているのでしょうか。そうした要素を、スメーツのエレクトロニック・ミュージックとミックスしようという発想は自然に生まれたものですか?

H:いえ、その発想は、わたしが学校で学んだこととは直接的な関係はないと思う。むしろスメーツとして、いままでよりも幅広いことをやってみようというチャレンジから来ているんじゃないかな。

C:いつだったか忘れてしまったけれど、わたしとアンリエットがとても美しい音楽を聴いていて、それをとても楽しんでいたのね。そして、「このスタイルをわたしたちなりに解釈して音楽に反映させてみよう」ということになった。それがアルバムの曲になるなんてそのときは思っていなかったし、とくに何かを意図したわけではなかったんだけど、この宇宙でわたしたちが何を作れるかやってみよう、という気持ちで制作していたから。

H:でも「これからは新しいことをやろう!」というわかりやすいシフトがあったわけでもなくて。

C:楽しそうだからやってみようか、くらいの気持ちだったよね。

H:昔からそういうアプローチでやってきたんだけど、もう少し幅を広げてみようと今回は思ったんだ。

『Believer』を制作しているこの3年ほどで、おふたりが共通して強く刺激を受けたアーティストや作品は具体的にありますか?

C&H:(即答)バッハ!

C:インスピレーションとして挙げるにはリスクの高い答えかもしれないけど(笑)

通訳:バッハの音楽はタイムレスですよね、複雑なものもあるし。

C:そう! 簡単な音楽ではないけれど、バッハには強いインスピレーションを受けた。それ以外には、コペンハーゲンの音楽シーンにいる友人たちにも刺激を受けたよね。コペンハーゲンの音楽シーンはスタイルごとに細分化されていないというか、少なくともシーン内部にいる者としてはそう感じる。だからスタイルが「分断されていない」という概念に刺激を受けたと思う。

また、北欧の伝統的な文化の探究がヴィジュアル面においてもサウンド面においても『Believer』にはありますよね。これは今回、意識的にアクセスしたものなのでしょうか?

C:サウンド面は意識的なものではないね。アルバムでも、音楽のどの部分が北欧的なのかをピンポイントするのは説明しづらいと思う。でもヴィジュアル面に関しては、わたしたちが去年のロックダウンの最中に主に北欧にいて、ヴィジュアルを制作していたから、そういう選択肢を取るのが自然だった。

コペンハーゲンの音楽シーンはスタイルごとに細分化されていないというか、少なくともシーン内部にいる者としてはそう感じる。だからスタイルが「分断されていない」という概念に刺激を受けたと思う。(カタリーナ)

“I don’t talk about that much” のミュージック・ヴィデオで見られるのは、ノルウェーのハリングダンスでしょうか? 日本ではあまり馴染みがないものなのですが、どういったところにその魅力がありますか?

C:社交ダンスの一種で、どの国にもそういう踊りがあると思う。人びとが集って踊ることによってコミュニケーションを取っている。みんながその踊りという共通言語を知っているから。それってすごく美しいことだと思うのね。ノルウェーにもハリングダンスがまだあれば良いのにと思う。この要素は、パーティにもあれば良いのにと思うものだから。話さなくても、みんなといっしょにいるという一体感があって楽しめる方法。そしてみんながルールを知っている。ハリングダンスもそういう踊りで、色々なパターンに分かれているんだけど、「スプリンガード(訳注:ハリングダンスのパターンのひとつだと思います)をやりましょう!」となれば、みんなどういう動きかを知っていて、どのように踊れば良いのかを知っている。みんなといっしょになってコミュニケーションできる良い方法だと思う。ハリングダンスを通じて、自分のパーソナルな部分も表現することもできるし。そういう魅力があるね。

通訳:ではノルウェーにはハリングダンスは現在はないということですか? 昔の伝統的な踊りということでしょうか?

C:そう、昔の伝統的な踊りね。

ベンジャミン・バロンさんが監督した『Believer』の一連のヴィジュアル・イメージには、北欧の土着的な文化の要素が見られます。本作のヴィジュアル面においてのテーマはどういったものでしたか? また、それをどのように作り上げていったのでしょうか?

C:トレイラーのヴィジュアルを作ったときは、まずアルバムを聴き返して、サウンドには演劇っぽい、ドラマっぽい感じがあると思ったのね。アルバムの曲に登場する様々なシーンが感じられるトレイラーを作ろうと思った。それはより大きな物語から抜粋されたシーンなんだけどね。大きな物語というのは、スメーツの過去3年間の人生。アルバムはその一部。トレイラーはそれをさらに縮小したものということになるね。トレイラーのドラマティックな要素を活用したかった。トレイラーって、それぞれの物語の肝心な部分にすぐ行けて、何の結末も見えないじゃない? そういうのが楽しいと思ったんだ。設定に関しては、時代背景や場所がどこか分からないように、様々な要素を織り交ぜたね。

EP「Have Fun」のジャケットのイメージも強力でしたよね。シスターフッドと言うにはダークなムードもあったように思いますが、スメーツの表現と現代のフェミニズムの間にはどのような関係がありますか?

C:関係をピンポイントで説明するのは難しいけど、現代の時代において女性であることについての物語を語ることによって、フェミニズムの流れの一部という意味になると思う。わたしたちの個人的な物語を共有して、ほかのひとが共感してくれることが大切なのかもしれない。

H:いろいろな物語を共有していくことによって、人びとの視野が少し広くなれば良いと思う。

夢や期待が現実と合致するときもあればしないときもあるという考えがベースになっている。「Believer」というのは、何かが起こるのを信じていたり、信じていなかったりしているひとなんだけど、そういう夢や期待が実現するかしないかという状態。(カタリーナ)

タイトル・トラック “Believer” は歌詞を見るとラヴ・ソングと言えると思いますが、「Believer」という言葉は現代社会を見るとどこか暗喩的な響きがあるように思えます。この言葉をアルバム・タイトルにした理由は何でしょうか?

C:夢や期待というものが、現実と合致するときもあれば合致しないときもあるという考えがベースになっている。「Believer」というのは、何かが起こるのを信じていたり、信じていなかったりしているひとなんだけど、そういう夢や期待が実現するかしないかという状態を指している。その気持ちを総括したくて『Believer』というタイトルをつけた。

“Hester” や “I don’t talk about that much” には強力にレイヴ的なサウンドが入っていますが、レイヴ・カルチャーに思い入れはありますか?

H:レイヴ・カルチャーに強い思い入れはないけれど、コペンハーゲンには良いクラブ・シーンやテクノ・シーンがあるからそこからインスピレーションは得ている。

C:でも、昔のレイヴ音楽というか、多幸感がある感じの音楽には影響を受けているよね。

H:ユーロビートとかね。

C:そうそう、ああいう音楽には多幸感が強く現れていて、そういう要素をわたしたちの音楽にも取り入れたかった。そのような音楽が生み出す感覚というものに興味があるから。

クレジットを見るとペダー・マネルフェルト(Peder Mannerfelt)がいくつかのトラックで参加していますが、彼が本作で果たした役割はどういったものでしたか?

C:彼はわたしたちの音楽にとても良いフィードバックをくれた。完成したアルバムを通しで聴くというセッションをしたんだけど、最初にいっしょに聴いてもらったひとがペダーだった。彼の意見を聞けたのも良かったし、わたしたちも第三者といっしょに聴いたことによって、少し離れたスタンスからアルバムを聴くことができたと思う。そのときが、アルバム制作の過程におけるマイルストーンだった。彼といっしょに音楽を聴いたときに、わたしたちはアルバムを作っていたんだと初めて気づいたね。それまでは、ただいろいろなトラックを作っているという感覚だったから。ストックホルムにある彼のスタジオにはシンセサイザーがたくさんあって、“Lux” というトラックで彼はシンセサイザーを弾いてくれたり、ほかでもミキシングを手伝ってくれた。でも彼にいちばん感謝しているのは彼からのフィードバックね。

H:彼はとても良いひとで、良い友人という感じなのね。彼は外の人間だから、それが良かった。彼と過ごした1週間はとても素敵な時間だった。

現在、世界中がきわめて特殊な状況下に置かれているなかでのリリースですが、あなたたちにとって『Believer』はどのようなシチュエーションでリスナーに聴いてほしい作品ですか?

C:それはリスナーの自由だと思う。でも数多くのシチュエーションで聴いてもらえたら嬉しいね。

H:わたしも同感。わたしは洗い物をしているときに音楽を聴くのが大好きなんだ。

C:アルバムを通しで聴くように作ったんだけど、それも絶対そうしなくちゃいけないというわけでもない。でも一応、アルバムとしてまとめた作品ね。

『Believer』はスメーツが現代のエッジーなポップ・ミュージックとシンクロしながら、しかしどれとも異なる個性を見せつけたアルバムだと感じました。あなたたちにとっては、『Believer』でもっとも達成できたと思えるのはどういったことでしょうか?

C:アルバムがリリースされる前に、何を達成できたのかを答えるのは難しいけれど、わたしたちがアルバムを作ってきた過程は本当に素敵な時間で貴重だった。

H:わたしもそう思う。

C:それに、音楽を作っている過程で素敵な時間をたくさん過ごしてきたら、そこから何か良いものが生まれるかもしれないと思うのね。わたしたちがいっしょに制作をして、つねに会話をして、その会話の内容を音楽に反映できたことに満足感を得ている。それに制作中は、つねに新しいものを作りたいという欲求があって、その感覚があったこと自体に達成感を抱いているね。

H:それから、音楽を制作しているときにふたりで遊びながら演奏しているときも達成感があったね(笑)

通訳:とても楽しんで制作ができたようで素晴らしいですね!

H:次のアルバムも作るよ!

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