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コンピュータ技術などの進歩によって、2045年ごろには、技術的特異点が生じ、これまでとはまったく異なる世界がやってくるらしいが、この技術的特異点=シンギュラリティは、はたしておとずれるのか。
シンギュラリティとは、制御できないほどに加速していくテクノロジーと、その結果引き起こされる重要な変化に対して人間が対処できなくなる、その加速化の到達点のことをさして言う。これは主にAIの進歩に関してたびたび耳にする言葉であって、AIが用いられている音楽においても同様の意味で用いられるだろう。
テクノロジー/人間性、ソフトウェア、エレクトロニクス/身体性のような対立項は音楽において切っても切り離せないものであり続けた。実際、1955年〜56年のシュトックハウゼンの〝少年の歌”は、歌われた音響と電子的に制作された音響の統一をはかるというテーマのもとに作曲されたものであった。もちろんテクノロジーはどんどん進歩していくものであるから、テクノロジー/人間性、ソフトウェア、エレクトロニクス/身体性のような対立項の関係性はシュトックハウゼンが1950年代に〝少年の歌″を作曲した頃とは変わっているだろう。音楽の領域においてのシンギュラリティにも人間は近づいているのかもしれない。
この問いにいま現在のこたえを出したのが自身のAIの赤ちゃんとコラボしたというホーリー・ハーンダンの『PROTO』である。このアルバムは「Spawn」と名付けられたホーリー自身のAIの赤ちゃんとのコラボレーションのなかで生まれた。
ハーンダンはテクノロジーに対して、「私たちはテクノロジーに向かって走っているが、ただしそれらは私たちの思い通りである」との考えを持っているようだ。そんな彼女の活動に通底するテーマもテクノロジー/人間性、エレクトロニクス/身体性という対立項であった。
そしてこれに対する彼女なりの答えが、人間の身体とデジタル・テクノロジーを結合させることの可能性を追求することであり、その方法として用いたのが彼女自身の「声」であった。
1曲名“Birth″から彼女の歌声は引き伸ばされ、加工され非人間的なサウンドを構築していく。が、一方でアルバムを通して人間的な力のある歌声も彼女は披露している。人間的/非人間的な、彼女自身の歌声たちの循環、呼応によってこのアルバムは作り上げられているように感じる。
私はこのアルバムを聴き、音楽=身体性について記述されているロラン・バルトの声のきめに書かれていたことを思い出した。声のきめとは「歌う声における書く手における、演奏する肢体における身体」であり、私たちはきめ=音の手触りを感じることができる。私たちがそれについて評価したところで、曲がもつ内容は個人的なものでしかなく、完全に科学的なものにはなり得ないのである。ハーンダンの歌声も、AIにより学習され、無機質に、テクノロジーによって加工されていくわけであるが、もととなる声はあくまで彼女自身のものであり、完全に科学的なものにはなり得ないのである。
音楽の領域におけるシンギュラリティを超える日が来るのかどうかは私にはわからないが、ホーリー・ハーンダンの今作『PROTO』は2019年現在のテクノロジーと人間の関係を体現した作品としてとても価値があることは間違いない。ハーンダンは、エレクトロニック・ミュージックにおけるテクノロジーと人間の正しい関係性を提示しているのである。
山﨑香穂