「R」と一致するもの

Mark Fisher - ele-king

 こんなご時世であるから、当たり前だ。いろんな国でいろんな人が、政治的良心を歌に、曲に託している。もうずいぶん昔から、60年代から、良いことを言っている歌、メッセージ、そういうものはたくさんある。そしてそういう曲に熱狂したりする。だが、そのすぐ直後にため息が出てしまう人もいる。これが続いてほんとに自分は楽な気持ちになれるのだろうかと。あるいは、その熱狂にいまいち冷めている自分を責めてしまう人もいるかもしれない。抵抗とか反抗とか、威勢の良い言葉にいまいち乗り切れない自分はダメなのかと思ってしまう人だっていよう。マーク・フィッシャーという思想家は、言うなればそうした「ため息」の意味を解明し、そうした「冷め」をどうしたら「ため息」なしの熱狂へと、どうしたらほんとうに人が楽になれるのかをとことん考えていった人だった。
 カウンター・カルチャーをお経のように何度も唱えることがカウンターでもなんでもない、いや、それこそじつは新自由主義のリアルであることはみんなもうわかっている。ひと昔前では雑誌がこうした文化をスタイリッシュに見せることに腐心したものだったが、過去を「すでに起きたもの」として語り直されること、懐古主義に還元されることは、あのとき爆発しようとしていた夢の力を無効化することであり、同時に、それは資本主義の新しい精神すなわち新自由主義に荷担することだ、とフィッシャーは考える。過去ほど安全なものはない。だいたい自由という概念は、パンクの歴史書『イングランズ・ドリーミング』にも書いてあるように権力の側に盗用されてしまったのだ。
 しかしながら、過去の語り直しのなかで、きわめて政治的に、あるいは反動的に、抑圧され、消去された、潜在的な可能性があるのではないか、かつて60年代的な抵抗文化を嘲笑する側にいたであろうフィッシャーは、労苦から解放される世界へと踏み出すための考察において、そう思い立った。そして、70年代とは、60年代の二日酔い、運動の縮小化、しらけの時代などという一般論をひっくり返し、じつはその地下水脈において継続された「カウンター」がより躍動した歴史的な瞬間を調査する。
 それは、若者のサイケデリック文化と呼ばれたものと労働者階級による労働運動という同じ時代を共有しながら反目し、乖離していたものをなんとか接続させることで、「60年代が新自由主義を生んだ」という定説を超えようとする試みである、とここでは言っておこう。集団よりも個人が大事という考え方を植え付けられる前にたしかにあった、「自由になりえたかもしれない世界」の亡霊をいま呼び起こすために。これがフィッシャーの未完の論考、その草稿となった「アシッド・コミュニズム」の入口だ。「資本主義リアリズム」が集団的不幸の理論であったとしたら、「アシッド・コミュニズム」は、そのアンチテーゼとなるべき「集団的精神構造」への未完の路線図だったとは訳者あとがきの説明である。この「アシッド・コミュニズム」という言葉を、フィッシャー自身も挑発的だが「ふざけた言葉だ」と自嘲するが、同時に「そこには真剣な狙いがある」と述べる。彼はそして、ビートルズとテンプテーションズのサイケデリックな瞬間(“ア・デイ・イン・ザ・ライフ”と“サイケデリック・シャック”)を引っ張り出し、論を進めていく——。

 9月30日刊行の『K-PUNK:アシッド・コミュニズム——思索・未来への路線図』(セバスチャン・ブロイ+河南瑠莉・訳)にて、『K-PUNK』全三巻が揃う。既刊には、『夢のメソッド——本・映画・ドラマ』(坂本麻里子+高橋勇人・訳)、『自分の武器を選べ——音楽と政治』(坂本麻里子+高橋勇人+五井健太郎・訳)がある(全巻デザイン:鈴木聖/写真:塩田正幸)。これでマーク・フィッシャーの主要書籍は、すべて日本語訳になった。
 マーク・フィッシャーをなんとなくの印象で語ってしまう人は、彼の「資本主義リアリズム」を「うちら資本主義に支配されているし、資本主義ダメじゃん」、という程度の話だと勘違いしていることが多い。あるいは「世界の終わりは想像できても資本主義の終わりは想像できないよね」、とか。いや、そういう話ではなく、彼が強調したいのは、そういう風に思わされてしまっている「リアリズム」の話なのだ。「リアル」なものなど信用するな。フィッシャーが「サイケデリック」すなわち意識の変容をいまさらながら再訪することは、たしかにひとつの道筋としてある。
 『アシッド・コミュニズム——思索・未来への路線図』の前半に掲載された、生前彼がメディアで受けたインタヴュー集には、語り言葉で「資本主義リアリズム」を説明しているがゆえにもっともわかりやすいガイドになっている。また、ここには『K-PUNK』においてもっとも炎上し、もっとも批判され、もっとも物議を呼んだ「ヴァインパイア城からの脱出」も収録されている。SNSに見られるリベラルの過剰さ、近視眼的なアイデンティティ議論の洪水に疑問を呈している方には必読のエッセイで、これは訳者あとがきといっしょに読んで欲しい。

 つい先日、話題の『HAPPYEND』がいま封切り前の映画監督、空音央氏に取材した際、きっと好きだろうなと『K-PUNK』全三巻を持っていったら、「フィッシャーじゃないですか!」と思っていた以上に喜ばれてびっくりした。まったく、嬉しい驚きである。原書で『資本主義リアリズム』を読み、「ものすごく影響を受けている」とまでいう空監督は、『K-PUNK』も原書で読んでいたようだった。彼に限らず、マーク・フィッシャーが2010年代以降、若い世代にもっとも影響を与えた思想家/批評家のひとりであることは、これまでで計5冊の訳書を出した経験からもよくわかっている。ぼくといえばフィッシャーの、音楽をはじめ映画やドラマ、SF文学などの大衆文化のなかから、じつに示唆に富んだ言葉や政治性、そして考え方のヴァリエーションを独創するその名人芸にずっと惹きつけられていた。日本で最初にフィッシャーを引用したのはぼくだと思う。フィッシャーがまだ生きていたころ、Burialのライナーのなかそれこそ彼のブログ「k-punk」からの一節をつたない日本語訳で引用した。彼はまた、『Wire』においてマイク・バンクスにインタヴューした人物でもあった。ぼくは彼のその記事で見せたデトロイト・テクノ論にも魅了されていた(URが標的にした “プログラマー” こそ「資本主義リアリズム」なのだし、フィッシャーはURがフィクションを通じてメッセージを伝えることに共感を寄せていた)。
 フィッシャーは大衆文化にこだわった。労働者階級出身である10代の彼に、音楽こそが(高度な教育を受けていなければおおよそ出会うことのない)哲学や文学を教えてくれたからだ。フィッシャーが「資本主義を終わらせる」といういまではお決まりの科白ではなく、もちろん「労働を通しての自由」でもなく、「抑圧的な労働そのものからの自由」に向かったのも、彼が生涯を通じて不安定な経済状況のなかで生活してきたことも影響しているに違いない(『K-PUNK』は主にブログをまとめたものなので、そうした彼の生活感も垣間見れる)。前衛よりも大衆性の側に立とうとしたのも労働者が好む文化の肩を持ちたいからだろうし、しかし彼は単純化された物語に対する抵抗感も隠さず、「大いなる拒絶や異議申し立て」が時代の遅れのロマン主義であるという認識もあった。そんな手垢のついた「反抗」では「資本主義リアリズム」の時代に通用しない。もしくは、「オルタナティヴ」が資本主義文化とは相容れない「異なる生きたかのイメージ」としての文字通りの「オルタナティヴ」ではなく、「同じ生き方のなかの変人」の一種へと転じてしまうことも見逃さなかった。「オルタナティヴ」はそうなってはならない。あくまで、この社会とは相容れない「異」でなければ。フィッシャーは、研究と経験のなかで自分の思想を(それこそ過去の自分の言葉に執着せずに)修正し、執筆活動のなかでどんどんハードルを上げていった。「フィッシャーのヴィジョンに私たちはまだ追いついていない」、とホーリー・ハーンドンは語っているが、21世紀もそろそろクォーターに差し掛かっている現在、彼が残した診断がほとんど当たっている以上、その言葉はいまも未来への指針としての力を失っていない。(野田努)


K-PUNK アシッド・コミュニズム──思索・未来への路線図

マーク・フィッシャー(著)セバスチャン・ブロイ+河南瑠莉(訳)


K-PUNK 自分の武器を選べ──音楽・政治

マーク・フィッシャー(著)坂本麻里子+髙橋勇人+五井健太郎(訳)


K-PUNK 夢想のメソッド──本・映画・ドラマ

マーク・フィッシャー(著)ダレン・アンブローズ(編)サイモン・レイノルズ(序文)坂本麻里子+髙橋勇人(訳)

interview with Jon Hopkins - ele-king

 サウナ・ブームがいまだにある程度の盛り上がりを維持し続けているのは結構なことで、むしろ安易に乗っかったような人たちが、あのダウナーな魅力に取り憑かれて残り続けているのだろうと想像している。そうすればもはや敵視する対象ではない。情報の過剰摂取で脳が肥え太っている我々には、あのような嗜好品類に頼らないセラピーの一時が必要なのだ。
 自分にとって銭湯やサウナなどの温浴施設に通うことは教会や告解室に向かう営みに近く、同年代の客層をほとんど見かけなかったブーム到来以前から十数年ほど続けている。とにかく落ち着きがなく衝動的で、不注意ゆえの失敗を幾度となく繰り返し、頭のなかは常にダンプ・データで埋め尽くされている自分を強制的に落ち着かせるためには、あらゆる情報をシャット・アウトして、裸になってゆっくり浴槽やサウナ室で過ごしたり、薄暗い休憩室でまどろんだりするほかに手がない。肩肘を張らずにメディテーティヴな一時を過ごし、深い落ち着きを得るための、自分にとって唯一と言っていい救済措置として長年助けられている。

 前作『Music For Psychedelic Therapy』でサイケデリクスによってではなく、アマゾンの巨大な洞窟での3泊4日ほど過ごした体験をもとにして、音楽そのものによって別の世界に到る手引きを試みたジョン・ホプキンス。ティーンエイジャーのころからすでにプロ・ミュージシャンとして活動をスタートさせていた彼は、その長いキャリアのなかで次第に瞑想やヨガといった体験を通し、カウンター・カルチャーのなかで生まれたサイケデリック・セラピーへの関心を示すようになった。2014年作『Immunity』ではインダストリアル気味なIDM~ベース・ミュージックとたおやかなエレクトロニカ~アンビエントが同居していたが、年を経るにつれてその比率は次第に崩れ、どんどんと静謐かつサイケデリックな質感へ傾いていった。

 最新作『RITUAL』は、前作に引き続き直球的な「儀式」というタイトルの名を関した全8章構成のフル・アルバム。ショート動画の隆盛によってただでさえ奪われていた人類の集中力はさらに悪化の一途をたどっており、音楽産業のセオリーも「より短く、より過剰に、より華美に」変化しつつあるが、そうした潮流に真っ向から反旗を翻すようなシームレスな作りとなっている。本作はホプキンス自身もそう言及しているように、むしろ41分のワン・トラックとして聴かれるにふさわしい機構を備えており、深く潜るような聴き方をすべき作品であると断言できる。

 さて、そんな『RITUAL』の着想源となったのは、2022年にホプキンスがロンドンで参加したストロボ効果で視覚刺激を引き起こす「ドリームマシーン (Dreamachine)」という装置を介しての集団的リスニング体験プロジェクトだという。Dreamachine、つまり「夢みる機械」というこの装置は光と音による深い没入感を参加者に与え、体験を経て生きることの意味を再考してもらったり、疲弊した心のケアの一助となることを目的としているようで、うっすら疑似科学的な匂いもしないではないものの、僕にとってのサウナ施設のように、そこでしか得られない安らぎもきっとあるのだろう。

昔の人間はとても長い音楽を聴いていたし、そんなに珍しいことではなかったわけで、それを取り戻そうとしているんだ。

新作がリリースされて10日ほどが経ちますが、なにか嬉しいリアクションはありましたか?

ジョン・ホプキンス(Jon Hopkins、以下JH):世界中のいろんな都市で新作のリスニング・セッションをおこなっているんだけど、その反応がすごくよくてとても嬉しいね。たしかちょうどいま、モントリオールでやっているはず。バンクーバー、サンティアゴでもやったし、ロンドンでもやったんだ。結構激しい反応もあって、理屈抜きで受け取ってくれる人も多いみたいだ。素敵なコメントを見つけたんだけど、リリース当日にグループで集まって聴いてくれたようで、スタジオにキャンドルを灯して自分たちなりの儀式をしたらしい。まさにそういう反応を望んでいたから嬉しかったね。

「サイケデリック・セラピー」をテーマとした前作の背景には、エクアドルのアマゾンの洞窟で過ごした体験がありましたが、前作から今作のあいだに起こったことで、あなたにとって大きな出来事は何かありましたか?

JH:今回はそういう特定のアドベンチャーがあったわけではないんだ。外の世界ではなかったけど、自分の内なる世界では多くの冒険があったよ。アルバム冒頭部分は、僕も参加した「Dreamachine」というインスタレーションに影響を受けているんだ。本当の大きな変化は、それはおそらく以前よりもコラボレーターたちとの作業が増えたということじゃないかな。今作には友だちや素晴らしいミュージシャンたちが関わってくれていて、僕にとってはちょっとした旅のような経験だった。なにもかも自分だけでやってしまうのではなくて、より広がりのある作り方というか。素晴らしく励まされる経験だったね。創作中に壁にぶつかったり、なにかが自分の思っていた方向に進んでいないと感じたりしたときに、友だちやコラボレーターという頼もしい存在がいて一緒に考えてくれて。それであっという間に物事が前に進んだりして、作ることをより楽しめたよ。

いま言ったように今回のアルバムは、イギリス政府も資金援助している、「Dreamachine」というプロジェクトのために作曲した楽曲から生まれたものだそうですね。「Dreamachine」とは、複数人が共同で幻覚を体験するための装置のようですが、具体的にどういうものなのでしょうか?

JH:複数人での集団的リスニング体験で、参加者が目を閉じているところでストロボ・スコープの光が明滅するんだ。正確な理屈や理由は分かっていないけれど、光が一定の頻度で明滅すると人間の脳が様々な光景と瞑想状態を生み出して、明滅する速度によって見えるものが変わったり、人によって見るものが違ったりする。つまり本質的にはその人自身の心や脳の内容を見ているということ。非常に面白いプロジェクトで、今後も続いていくし、願わくば世界各地をツアーして多くの人に体験してほしい。僕にとってはこのアルバムの素晴らしいスタート地点にもなったからね。「Dreamachine」の仕事が終わったあとに、かなり方向性が変わったんだ。あのプロジェクトに参加できて本当に良かった。

ウィリアム・S・バロウズの著作はこれまであなたに影響を与えてきましたか?

JH:実は読んだことがなくて。あの世界についてはあまり知らないんだ。

いまは短い断片だけを聴くというような聴き方で、そこに迎合する音楽がたくさんあって。今回僕はそれに迎合せずに作った(……)深く潜り込んで聴くよう誘っているんだよ。

今回のアルバムのインスピレーションには「英雄の旅」もあるようですが、古代や神話にアイデアをもとめた背景には、現代文明における疲労が関わっていますか?

JH:面白いことに、僕の仕事のやり方は、実際にはなにかにアイデアを求めることはなくて、すべて直感で、自分のアイデアがどこから来ているのかはあまり考えない。でもアルバムを完成させたら、それを世界にどう提示するか、作ったものを言葉でどう表現するかを考えなければいけなくなるわけだ。本来はサウンドを言葉に翻訳する必要がないというのが理想だけどね。なぜならそのサウンドが物語のすべてだから、アルバムについて自ら進んで語りたいことというのはこれまでも特になかった。でも僕らが生きるこの世界ではそうはいかなくて、人びとはなぜ自分がそれに時間を費やすべきなのかを納得する必要がある。でも興味深いことに、作り終わってから追想する形で自分が深層心理的もしくは潜在意識下でなにを考えていたのか分析したときに、作品の流れが古典的な「英雄の旅」と同じだと気づいたんだ。ただ、たしかに古代であり神話ではあるんだけど、それは現代にも通じるどころか完全にいまのものでもある。多くのメジャー映画も本も同じストーリーの流れだからね。僕にとってはそれが内なる物語だったというか、勝てないと思う戦いで最後の最後で勝つとか、あるいは人生を捨てた放蕩者が後に自分の目的を再発見して本来の自分に戻って家に帰ってきたように感じるといったこと。古典的なものだけど、それが音楽に表れていたことが興味深かった。それは作り終わってから分かったんだ。
 我々は皆、さまざまな問題を抱えているわけだけど、それは人間がそこに住むべく進化してきたような世界に住んでいないからだと思う。これまで常に独自のペースで変動しながら自己改善していく自然なシステムの中で暮らしてきて、人間はそのほんの一部に過ぎなかったのに、なにもかもを科学と建物で塗り替えてしまい、極限まで人間が増えて動物が減り、その結果として人類は種としていまいろんな課題に直面しているんだと思う。だから、それに反抗するために僕らができる小さなステップのひとつは、深層にある動物的自己と意識に再びつながることだと思う。高尚なことを言っているように聞こえるかもしれないけど、でもこのアルバムと前作で僕がやろうとしているのはそういうことで、一時的に失われたなにかに再接続してほしいという思いがあった。そういうエンパワメントの作品を作りながら、それが自分自身にも影響があって、作ったことで強くなったと感じられたからすごくよかったよ。

8月に公開された、『the Quietus』のお気に入りの12作を選ぶ名物企画「Baker's Dozen」で、クラスター&イーノ “Ho Renomo” を選んでいましたね。そこであなたは「わたしたちの注意はつねに攻撃にさらされている」「ほんとうに音楽に没頭できるかどうかは、携帯電話を部屋から追い出して、WiFiを切ることにかかっている」と仰っていました。今回8つのパートをシームレスにつないだのは、40分間、音楽に集中してもらいたかったからですか?

JH:もちろんそう。元々8つのパートに分かれていたわけではなくて、全部でひとつの作品だけど、契約上というか現実的、物流的理由で分けたまでで。だから本来は分かれていなくて、聴いてもらったとおり曲と曲の間に隙間がないんだ。僕はアーティストの仕事とは、もしアーティストとしての良心があるなら、自分がこの世界で聴きたいと思うものを作ることだと考えていて。その際には、いまの音楽の聴き方の枠組みから外れるものを作るリスクを取ることになる。いまは短い断片だけを聴くというような聴き方で、そこに迎合する音楽がたくさんあって。今回僕はそれに迎合せずに作ったから、その結果として当然聴く人は少なくなるだろうけれど、より深いリスニング体験になることを願っている。今後は、より長い集中力を取り戻そうとする人がもっと増えるんじゃないかと僕は思ってるし、このアルバムも、深く潜り込んで聴くよう誘っているんだよ。そこには時間を拡張する効果があって、聴いていると時間の経過かが分からなくなるくらいの素晴らしい冒険になる。だからこそ没入感のあるいい音で聴いてほしいし、そうじゃないとあまり意味がなくなってしまう。とにかくいろんな意味で“普通のアルバム”ではないから、ちゃんと体感したければ、普通のアルバムとはなにかってことを忘れた方がいいかもしれない。昔の人間はとても長い音楽を聴いていたし、そんなに珍しいことではなかったわけで、それを取り戻そうとしているんだ。

前作リリース時のインタヴューの際、前作『Music For Psychedelic Therapy』は「アンビエントではない」と仰っていましたが、新作『Ritual』もやはりそう呼ばれるべきではない作品でしょうか?

JH:そうだね。アンビエントはブライアン・イーノ独自の定義を参考にしていて、それによるとアンビエントとは「無視できるけど注目すればそれに報いるもの」。あとアンビエントという言葉は、電子音楽のなかでも優しい感じのサウンドが多く使われているスタイルと結び付けられていると思う。それだけを取ってもこのアルバムはアンビエントとは言えないと個人的には思う。『Music For Psychedelic Therapy』はリスナーが生息できる音楽的構造物のようなもので、ゆえに深い没入型のリスニングをお勧めしたいし、それは自分を深く掘り下げるためのものであって、BGMではないしアンビエントとして聴かれるべきものでもない。『Ritual』はさらにそうで、非常にラウドで強いクライマックスがあって、作品全体がその極限のカタルシスに向けて高まっていくから、アンビエントとはまったく関係がないもので。アンビエント音楽にはその定義からしてストーリーがないからね。一方『Ritual』にも前作にも物語があるんだ。

空白、まっさらなキャンバスのようなもので、誰もが1日のうちにおこなう儀式のようなものがあるというか。お茶の淹れ方でも食事の作法でもなんでもいいけど、なんらかの深い実践。

今回のアルバムは「儀式(ritual)」と題されています。これには宗教的な含意があるのでしょうか? それとも、たとえば「シャワーを浴びるときは頭から洗う」のような、あるいは先ほどの「音楽を聴くときはWiFiを切る」のような、個々人それぞれの習慣的なニュアンスでしょうか?

JH:いや、頭から洗うとかではないかな(笑)。宗教的なものでもなくて、このタイトルは空白、まっさらなキャンバスのようなもので、誰もが1日のうちにおこなう儀式のようなものがあるというか。お茶の淹れ方でも食事の作法でもなんでもいいけど、なんらかの深い実践。個人的に宗教という言葉は使わないし、それがなにかはリスナー次第だと思うけれど、手がかりはトラックのタイトルに全部あるし、フィーリングやサウンドにもヒントがある。僕にとっての意味を言ってしまうと、どうしてもそれがリスナーの聴き方を左右してしまうと思うんだ。

宗教は人間にとって救いやシェルター、日々の励みとなる側面がある一方で、多くの対立や戦争も生んできました。何かを信じる、信仰するということは、あなたにとって、どのような意味を持ちますか?

JH:宗教的な信仰の悪用は現代世界最大の問題で、組織化された宗教に伴うナンセンスや教義をよそに、本来精神的な経験ほど個人的なものはないんだ。その人の内なる世界、内なる風景は極めて個人的なもので、これ以上に個人的なものなんてない。だからほかの人間がそれに構造を与えることなんてできないし、すべきではない。存在する多くの宗教が神聖な世界へのアクセスと、神聖がなにを意味するかということを制御しようとしてきた。それを取り戻そうとする試みは、この時代に起こり得ることだと思うし、人びとは自分自身の中にある強大な力を発見しつつあると思う。それもこのアルバムのテーマのひとつなのかもしれない。

これまでのアルバムでもそうですが、あなたが「物語(物語性)」に惹きつけられるのはなぜですか?

JH:長編の音楽、年齢を重ねてきた僕がいま作っているような音楽は、通常のアルバムよりもおそらく映画に近い気がする。よくあるアルバムの作り方として、30から40曲ほど書いてそこからベストの10曲を選んで曲順を決めるという方法があるけど、僕の場合はいつも聴かれる通りに頭から作るし、どういう順番なのかが最初から分かっているんだ。これまでに映画のスコアを手がけたこともあるけれど、言ってみれば存在しない映画の音楽を作っているような感じだな。なぜなのかは分からないけど好きなんだよね。

Seefeel - ele-king

 ロンドンのエレクトロニック・ユニット、シーフィールの6曲入りミニ・アルバム『Everything Squared』がリリースされたのは8月30日のこと。僕はすぐにBandcampでハイレゾ・データを入手して、エアコンの効いた涼しい部屋でゆっくり聴く……はずだった。
 だがしかし。日本はこの時期、迷走を繰り返して列島を行きつ戻りつし、各地に大きな被害をもたらすことになる台風10号に翻弄されていたのはご存じのとおり。まずいことに僕は8月末、飛行機で西に赴く予定を入れていた。目的は京都の法然院で8月31日におこなわれる素敵なアンビエント・イベント「Electronic Evening 2024」に、昨年に続いて今年も参加するためである。
 多くの友人たちも各地から参加すると聞き、ひさしぶりに会う友人の顔を思い浮かべながら京都でなにを食べようかななどと呑気に考えていた矢先、8月22日にマリアナ諸島付近で台風10号が発生したというニュース。もっとも当初の気象庁の予測では、27日か28日には日本を抜けるコースを取るとされていたので、31日なら余裕じゃん、台風一過で澄み切った京都の青空を見れるなあ、なんて考えていたら、日が経つごとに雲行きが怪しくなってきた。抜けるはずの台風が速度を極限まで落として日本に腰を下ろしてしまう状況になり、九州地区に大きな被害が出はじめたというニュースを知ったのが出発の数日前。まもなく本州でも豪雨による道路冠水などで地上の交通網が麻痺しはじめ、やがて新幹線が計画運休をするというアナウンスが届く頃にはさすがにこれは……と焦りを隠せなくなった。ある友人はせめて前乗りしようと予定を早めて向かおうとするも、新幹線は止まり、飛行機も運休が増えるなか、かろうじてフライト可能な便は早くも満席の状況であえなく脱落。さすがに僕もこれはもう無理だろうと思い、30日に翌日のフライトをキャンセルしようと航空会社のウェブサイトにアクセスしたところ、マイルで取った特典航空券のキャンセルは電話でなければ受け付けないという記述。この状況で電話? と絶望と怒りのなか電話するも、当然のことながらいっこうにつながらない。数十回のトライのあと、キャンセルは諦めて、翌日の奇蹟に一縷の望みをかけてみることにした……というより、そうせざるを得なかったのだが。
 外の豪雨の音を聞きながら出発の準備を終え、神様お願いと祈りながらベッドに入ったところで思い出した。そうだ、今日はあれのリリース日じゃないか……ベッドから出てデスクに向かい、パソコンでBandcampのサイトにログイン。……あった。出ていた。
 翌日は早いし、ダウンロードして部屋で聴いている時間はないので、携帯電話のアプリでダウンロードしておいてそのまま寝た。

 翌朝起きると雨は小降りになっていた。航空会社のウェブサイトをチェックすると、フライトは大丈夫のようだ。急いで身支度をして羽田に向かう。チェックイン。搭乗。機体が動き出した!

 搭乗したボーイング787が厚い雲を抜けたころ、僕はようやくヘッドフォンを取り出し、13年ぶりの新作『Everything Squared』を、青空を横目に見ながらで聴きはじめた。

 2011年に、ふたりの日本人(DJスコッチエッグことベースの石原茂とボアダムスにも関わったドラマーE-Daこと飯田和久)の加入を得て制作された(これは前作から実に14年ぶりの作品でもあった)バンド名を冠したアルバム『Seefeel』は、初期の(エイフェックス・ツインも関わった)シングルからファースト・アルバム『Quique』に至るシューゲイザー・エレクトロ、〈WARP〉に移籍しての2枚のシングルとアルバム『Succour』で、同僚のオウテカにも通ずる音響彫刻的なアブストラクト・エレクトロ、その路線をさらにブラッシュアップし、エイフェックス・ツインの〈Rephlex〉レーベルからのラヴコールで制作された『Ch-Vox』へと音の抽象化を押し進めた彼らが、さらに音を粒子化して結晶化させ、それまでとは違った地平に歩を進めたことを物語る作品だったが、残念ながらそれは一種の袋小路という感もあった。そこから彼らが新たな作品を生み出すのに13年かかったということは、前作の14年とは意味合いが違う。14年という歳月の間には、メンバー間の不和と課外活動があった。オリジナル・カルテット(マーク・クリフォード、サラ・ピーコック、ダレン・シーモア、ジャスティン・フレッチャー)は、マークとサラのデュオ形態へと縮小され、2011年のアルバムではそのデュオに日本人ふたりが手を貸すというかたちで制作されたもので、カルテット時代の作品とはやはり微妙にズレが感じられるものだった。
 その後、マークとサラは2021年に過去の作品と精力的に向き合い、〈WARP〉期(〈Rephlex〉のものも含む)の作品群をひとまとめにした『Rupt and Flex (1994 - 96)』を出した。未発表曲を含むこのCDにして4枚組の大作ボックスの音楽群が、わずか3年足らずで生み出されたものということには改めて驚かされるが、この作品集から3年後にリリースされた『Everything Squared』は、やはりこのレトロスペクティヴな作業からもたらされた要素も多分に含んでいるのだろう。前作に足りないと思われた牧歌的なムード、空気が泡状になって震えるような響きがあちこちに配置されているのに気が付く。
 冒頭の “Sky Hook” が、サラの歪みながらも幽玄なヴォーカルではじまるときの懐かしい感覚。それでいながらマークの生み出す鼓動のようなビートにまとわりつく石原茂(彼はこのアルバムの冒頭2曲に参加)の深いダブベースは新しい。まるで弩級のサウンドシステムを聴いているようでもある。このダブ感覚(アルバム・タイトルもダブを思わせる)は、よりタイトになったヴォーカル・ループと相まった “Multifolds” でも持続し、しかもここには『Quique』期の彼らを思い起こさせる響きが同居している。
 3曲目の “Loose The Minus” は、初期の彼らを彷彿させもするファズ・ギターのサウンドが、弧を描くようにグリッサンドで奏でられるロー・ベースとのデュオ(珍しくこの曲には彼らのトレードマークでもあるメタリックなパーカッションが入らない)によるアンビエントな間奏曲。
 続く “Antiskeptic” は、オウテカ的なスネアと木目を感じさせるキックによるインダストリアルなビートと、ときおり混じる稲妻のようなコード音を従えた牧歌的なシンセの対比によって、その美しさがさらに倍化されている。
 サラのトリートメントされたヴォーカルをリズム的に使用したトライバルな “Hooked Paw” から密にレイヤーされたメロディが美しいラスト・トラック “End of Here” への流れは、エイフェックス・ツインやオウテカのアンビエント作品の反響と捉えられるかもしれないが、しかしここにはあの名曲 “Spangle” にも匹敵するフック、シーフィールでなければ生み出せないフックが間違いなくある。そう、シーフィールに僕(ら)が期待するものがここには確かにあり、それ以上のものも確かに存在する。

 全曲を聴き終えたあたりでちょうど飛行機は高度を下げはじめ、伊丹空港への降下を開始した。ヘッドフォンを外し、窓の外を見る。雨はもうほとんど降っていないようだ。
 空港に着いたらすぐに京都に向かい、数時間後には夜のお寺でのアンビエント・イベントがはじまる。来るはずだった友人は結局2人しか来られなかったが、素晴らしいイベントになる予感は十分にある。

 そして宴のあとの京都の夜、僕はまたひとりでこの『Everything Squared』を繰り返し聴くだろう。

Eiko Ishibashi - ele-king

 映画とはやはり映画館で観るものだ、ということは身体全体で体験的に音楽を聴いているクラブ・ミュージックのファンにはとくに通じる話だろう。まあ、そう思っていてもじっさいは配信で観てしまうものだが、映画館という装置の、時間感覚の狂わせ方にはものすごいものがある。見終わって外に出たときのあの気持ち……。

 ぼくは冒頭でやられてしまった。雪が残る森のなかを天を見つめながら歩いていく。この詩的な、絵画のように美しくもどこか陰鬱なシーンが象徴的にずいぶんと長く続く。石橋英子の音楽が流れている。言いようのない複層的な気配に胸が高鳴った。それからおよそ1時間半後に物語は終わり、画面のエンドロールを眺めながら、いや、もうただ目を開けているだけで眺めてもいなかったのだが、とにかく衝撃のあまり、しばらくのあいだ映画館の椅子から起き上がることができなかった。何というか、多様な矛盾をすべて調和させるがごとく、『悪は存在しない』はじつに静的で(ありふれた日常で)あるがゆえに圧倒し、それはたしかに、ある意味では濱口竜介と石橋英子のコラボレーションと言えるような映画だった。

 飾り気のない天候、木々、風、空、雲、雪、川のせせらぎ、子供たち、山の生活。こうして言葉を並べると、まるで心穏やかな絵画のようなだが、そこに貫通する鋭い何かから血が流れている。そんな一筋縄ではいかない局面を直視して表現することが切実なものになるのは当然なのだろう。映画を観てからそれなりに時間が経っているというのに、アルバムの最初と最後のテーマ曲を聴いていると、いまでも思い耽ってしまう。

 “Hana V.2”も気に入っている。ジム・オルークのエレクトロニクスが、ぼくにはクラウトロックめいた澄み切った荒涼を呼び寄せる。短い曲だが“Fether”における物静かなピアノも、“Smoke”における山本達久の軽快なドラムも、“Deer Blood”の突き刺すようなストリングス(バイオリン、チェロ)でさえも、眠たくなるアート系映画と違って、ものごとの見方を揺るがし、夢から目覚めさせようとしているこの映画におおらかな光と影をもたらしているように思える。

 映画を、ほとんどなんの予備知識(あらすじや批評など)も無しに、ほとんどまっさらな状態で観たことが良かったと思っている。その映画の深遠さは、映像と音楽とともにあった。映画を観たからそこのサウントドラックも聴いてみたいと思った。そして『ドライブ・マイ・カー』以上に、今回は映画と切り離して聴くことが難しい。だから自分のなかの感傷的なところが、“Missing V.2”をついつい飛ばしてしまうのだった。とはいえ、音楽作品として聴いた場合、ここには多くの魅力があるのもたしかだ。じっさいぼくの友人には、映画は観ていないがこのアルバムを繰り返し聴いているひとがいる。

 また、ぼくはこの映画を解明したいと思わなかったと言えば嘘になるが(編集部コバヤシに、読むのに多大な忍耐を要するニーチェの『善悪の彼岸』まで借りたくらいで、いわく「人間が自然に従って生きようなんて、欺瞞!」)、いまはもう思っていない。ニーチェも途中で挫折したし、自分のなかで納得がいく言葉が出てくるまで、もう少し時間がかかりそうだ。

Yoshitaka Mori - ele-king

 ストリート、といってもこれは「ストリート系」と呼ばれる商品解説ではない。むしろそうしたお決まりの箱から脱出してきた文化のお話。日本の音楽文化を政治の文脈で再解釈し、2000年代から展開されるサウンドデモ〜素人の乱〜SEALDs〜プロテスト・レイヴの流れを追い、ダメ連やIRA、RLLのようなじつに緩やかなアンダーグラウンドな運動体を説く、毛利嘉孝の『ストリートの思想』が、20年代の状況もあらたに加筆した増補版として刊行された。1980年代のポストモダニズム的文化相対主義の泥沼から、旧来の左翼や体育会系のマッチョな活動に収まらない新しい抵抗の文化がいかにして生まれ、育っていったのかがわかりやすく(ドゥルーズからハキム・ペイ、ネグリ、あるいはギルロイといった現代思想を援用しながら)解説されている。日本のサブカルチャー史の政治的文脈に関心を持つひとにもぜひ読んで欲しい。サウンドデモのところは当事者としてちょっと納得いきませんが、まあ、ここはヨシとしましょう(笑)。かつて日本ではデモに行っても音楽の欠片もなかった。ミュージシャンもいなかったし、誰とも会わなかった。だからデモのなかに音楽を取り入れたかった。ただそれだけのことだった。いちばん最初のサウンドデモで何がプレイされたのか、だいぶ忘れてしまったが、とにかくPファンクをかけたときに、なんと、どこからかOTOさんが「Pファンクだ!」と笑顔で走ってきのだった。どうだ、毛利先生、知らなかっただろう。なーんてね。
 そう、毛利先生も書いているように、ストリートの思想には抵抗を創造することの楽しみがあり、その生気こそ重要なのだ。毛利嘉孝の『ストリートの思想』はちくま文庫として発売中。表紙はプロテスト・レイヴです。

Oliver Coates - ele-king

 ニューヨークの〈RVNG Intl.〉は良い作品を出し続けていますね。今年はとくにすごい。タシ・ワダの『What Is Not Strange?』、Black Decelerant、Dialectの新作も素晴らしいし、オリヴァー・コーツ(チェロ奏者/コンポーザー/プロデューサー)の新作も出ると。
 オリヴァー・コーツは、エレキングでは2020年の年間ベスト・ワンに選びました。Mica Leviとの共作、ミラ・カリックスやローレル・ヘイロー、アクトレスの作品参加など、地味ながら良いところに顔を出しつつも、自分の作品ではじつに情感豊かな作風を披露している。期待しましょう。発売は10月18日。

Oliver Coates
Throb, shiver, arrow of time

PLANCHA / RVNG Intl.

OLIVER COATES:
現在はロンドンからスコットランドに居を移し活動しているチェリストで、これまでクラシック、オルタナティヴ、エクスペリメンタル、エレクトロニック・ミュージックなど様々なアーティストの作品に関わりながら、革新的なソロ作品を制作するプロデューサーでもある。王立音楽アカデミーでクラシックを学び、大学史上最高の成績を収め、オーロラ・オーケストラ、ロンドン・コンテンポラリー・オーケストラ、ロンドン・シンフォニエッタなどのオーケストラと共演を果たす。また、その一方で彼はAutechre等に触発されたエレクトロニック・ミュージックを制作している。Mira CalixとWarpの企画『The Elephant in the Room: 3 Commissions』でコラボを果たし、『Warp20 (Recreated)』のコンピでもMiraと共にBoards of Canadaのカヴァーを披露した。その他にも電子音楽家の重鎮Laurie Spiegel、現代音楽家John Luther Adamsとのコラボ、ポスト・クラシカル・アーティストとして注目を集めていたNico Muhlyのアルバム『Seeing Is Believing』や、Jonny Greenwoodが手がけた『There Will Be Blood』と『The Master』のサントラにも参加している。

2012年にはコンポーザー、Leo Abrahamsとエレクトロ・アコースティック的コラボ作『Crystals Are Always Forming』をリリース。翌2013年にデビュー・ソロ・アルバム『Towards the Blessed Islands』を発表した。その才能はThom Yorkeの目にとまり、Radioheadのアルバム『A Moon Shaped Pool』に参加し、その後HerbertやDemdike Stareも絶賛するMica Leviとコラボ作も発表。2016年にセカンド・アルバム『Upstepping』をリリースした後、NYの最先鋭レーベルRVNG Intl.との契約に至り、『Shelley’s on Zenn-La』を発表各所で絶賛された。その後Thom Yorkeのサポート・アクトに抜擢されワールド・ツアーを回り、2020年再びRVNG Intl.から『skins n slime』をリリース。各所で高い評価を得て、ここ日本でもele-king誌の年間ベストの1位を獲得した。その後はサウンドトラックのスコアに勤しみ、『Aftersun』(シャーロット・ウェルズ、2022年)、『The Stranger』(トーマス・M・ライト、2022年)、『Occupied City』(スティーヴ・マックイーン、2023年)などを手がけ賞賛された。

Belong - ele-king

 脈打つように規則的に刻まれるシンプルなリズム/ビート。その規則性から逸脱するように刻まれるノイズ。マイケル・ジョーンズとターク・ディートリックによるUSはニューオリンズ出身のビロング、その13年ぶりの新作アルバム『Realistic IX』は、00年代に華開いたネオ・シューゲイザーの極限、いや極北とでもいうべきか。じつにソリッドなサウンドを全編に渡って展開しているのだ。かといって大袈裟な作風ではない。サウンドはソリッドにしてシンプル。そこがたまらないのだ。リリースは〈Kranky〉。マスタリングはステファン・マシューが手がけている。

 ビロングはこれまでアルバムを二作リリースしている。まず2006年に〈Carpark〉からリリースした『October Language』。同アルバムは2018年に元エメラルズのジョン・エリオットが主宰する〈Spectrum Spools〉からリイシューされた。セカンド・アルバムは、2011年に〈Kranky〉からリリースされた『Common Era』。
 この二作はシューゲイザーのサウンドをアンビエント/ドローン化したような仕上がりで、アンビエント/ドローン・マニアやシューゲイズ・マニアから高く評価された。ちなみにメンバーのターク・ディートリックはインダストリアル・ユニットのセカンド・ウーマンのメンバーでもあり、2016年に『Second Woman』、2019年に『S/W』を〈Spectrum Spools〉からリリースしている(この二作のアートワークをマイケル・ジョーンズが手掛けている)。

 新作『Realistic IX』では、前二作において全面的に展開されていたアンビエント/ドローン的な要素は控えめであり、対してソリッドなリズム/ビートが導入されている。そうすることによって何をあぶり出しているかといえば、シューゲイザーがロックであること、そしてパンク、ポスト・パンクの継承であることを全面化させているように思える。いわば、シューゲイズとポスト・パンクの「交錯点」がここにあるのだ。
 この新作でマイケル・ジョーンズとターク・ディートリックのふたりが実現したかったことは、(おそらくだが)シューゲイザーのもうひとつの側面である「ロック」を全面化することだったのではないか。00年代以降、エレクトロニカ/アンビエントの系譜として再評価されることが多かったシューゲイザーから「ロックとしてのシューゲイズ」を再獲得すること。簡単にいえば、ざっくりとしたギターのノイズとリズムによって生まれる中毒性の再獲得とでもいうべきか。
 とはいえ13年ぶりのアルバムで、しかも〈Kranky〉からのリリースである。聴き手も前二作と同様のシューゲイザー風味のアンビエントを期待するはず。そこでソリッドなポスト・パンク/オルタナティヴ風味の音を鳴らすというのはなかなか挑戦的な試みだ。たとえるなら「シューゲイザー・パンク」とでもいうべきか。私は彼らの果敢な挑戦を断固支持したい。
 とはいえ音を聴き込んでいくと、ミニマムなリズムのむこうにマイ・ブラッディ・ヴァレンタイン『Loveless』直系の甘美なノイズやコーラス(声)が鳴っていることにも気が付くはず。いわばアンビエント/アンビエンスのエレメントは消失したわけではなく、全面化していないだけであり、サウンドの色彩のように、アンビエンスは鳴り響いているのだ。いっけんラフなロック・サウンドでありながらも、じつに繊細な音響も構築されているのである。

 ビートとシューゲイズ・ノイズで始まる1曲目 “Realistic (I'm Still Waiting)” でアルバムのトーンが明確に提示される。ギター・ノイズと霧のような声と性急なリズムの交錯は、彼らがマイブラの後継者であることを示しもする。切り刻むような鋭いギターリフもリズムからわかるようにロック・サイドのマイブラの後継というわけだ。いわばアンビエント/ドローンではないビロングのはじまりというわけである。2曲目 “Difficult Boy” も同様の曲だ。
 3曲目 “Crucial Years” では彼らのアンビエント・サイドを聴かせる。破壊された音響のアンビエント化とでもいうべきサウンドである。4曲目 “Souvenir” ではリズムが復活し、軽快にビートを刻む。一方ノイズは控えめになり、全体に軽やかな印象のシューゲイザーを展開する。
 5曲目 “Image of Love” ではインダストリアル・ミーツ・シューゲイザーのようなサウンドを展開する。続く6曲目 “Bleach” はブラックゲイズ的な硬質かつ激しいノイズと簡素なリズムが折り重なり、これも新機軸といってもいいサウンドである。
 7曲目 “Jealousy” はシューゲイザーらしいギターの刻みと声のレイヤーが新時代のシューゲイザーとでもいうべき音を作り上げている。そしてアルバム最終曲にして8曲目 “AM / PM” ではアンビエント・ノイズを展開する。カチカチと小さな音で刻まれるハットのような音がリズムを奏でてはいるが、サウンド全体はアルバム中もっともアンビエント/ドローンを思わせるものである。それもかつてのような薄暗いアンビエンスではく、まるで光の中に吸い込まれていくような、どこか煌びやかなアンビエントなのだ。

 全8曲、計37分。比較的コンパクトなアルバムである。一気に聴き通せることができる尺でもある。アルバム一枚を通してリズムとノイズを一気に堪能できるように考えられた構成ではないかと思う。
 何より重要なのは「過去」を反復していない点だ。彼らはかつてシューゲイズなアンビエント/ドローンの名作を作り上げたわけだが、しかし本作では同じことを繰り返していない。シューゲイザーというフォームに敬意を表し探求しつつも、ネクストを目指し、新たな音楽と音響を探求しているのである。シューゲイザー・リスナー、アンビエント・リスナーの両方に加えて、(
シューゲイザー以外の)ロックのリスナーですらも納得させるにアルバムといえよう。

万人のための豊かさへ 新たな方向性を描く

『資本主義リアリズム』で広く知られる思想家/批評家、マーク・フィッシャーの人気を決定づけたブログ「K-PUNK」からのベスト・セレクション・シリーズ、ついに完結!

第三弾は、60年代のアメリカ~イタリアのカウンター・カルチャーを再訪し、私たちが「資本主義リアリズム」からもっとも解放された瞬間を分析する、未完の「アシッド・コミュニズム」ほか、「高級化する左翼」を厳しく批判し英国内で激しい論争を呼んだ「ヴァインパイア城からの脱出」をはじめ、「未来への可能性」をめぐる彼の舌鋒鋭いエッセイ/論考を収録。

互いのエネルギーを枯渇させるような吸血行為をやめ、「階級意識と社会主義・フェミニズム的な意識形成、それからサイケデリックな意識との収斂」のもとに再び集結せよ、そう呼びかけようとしたこのフィッシャーの最後の仕事は、まさしく今こそ読む価値のあるものに思われる。 ──訳者あとがきより

四六判/272頁

いちどは無効化された夢の力を取り戻すために──。マーク・フィッシャー『K-PUNK』全三巻刊行のお知らせ

目次

日本語版編者序文

第五部 
私たちは未来を創造しなければならない:インタヴュー

これからも、物ごとは変わることができる──ローワン・ウィルソンによる『レディ・ステディ・ブック』のためのインタヴュー(二〇一〇年)
資本主義リアリズム──リチャード・ケープスによるインタヴュー(二〇一一年)
今、目先にあるもの──『オキュパイド・タイムズ』(二〇一二年)によるインタヴュー
ポスト資本主義のヴィジョンが必要だ──アンチキャピタリスト・イニシアティヴによるインタヴュー(二〇一二年)
「未来を創造しなければならない」──マーク・フィッシャーとの未公開インタヴュー(二〇一二年)
憑在論、ノスタルジア、失われた未来──ヴァレリオ・マヌッチ、ヴァレリオ・マッティオリによる『ネロ』誌のためのインタヴュー (二〇一四年)

第六部
私たちは、あなたを楽しませるためにここにいるのではない:思索

一年後……
スピノザ、k-punk、ニューロパンク
なぜ不合意(ディセンサス)なのか?
新コメント・ポリシー
コメント・ポリシー(最新版)
慢性的な気力喪失
オイディプスをサイバースペースで生かす方法
われら教条主義者(ドグマティスト)
『ロンドンライト』にあふれた街
No Future 2012(ニック・キルロイによせて)
嘲笑は恐るるに足らず(ちょっとしたお返し)
灰色のアジトを突破せよ
実在抽象(リアル・アブストラクション)──現代世界への理論の応用
いや、仕事なんてしたことない……
新自由主義時代における英国の恐怖と貧困
ヴァンパイア城からの脱出
なんの役にも立たない

第七部
アシッド・コミュニズム

アシッド・コミュニズム(未完の序編)

カウンターフューチャーへの遡行──『K-PUNK』後書き

索引

[著者]
マーク・フィッシャー(Mark Fisher)
1968年生まれ。ハル大学で哲学の学士課程、ウォーリック大学で博士課程修了。ゴールドスミス大学で教鞭をとりながら自身のブログ「K-PUNK」で音楽論、文化論、社会批評を展開する一方、『ガーディアン』や『ワイアー』などに寄稿。2009年に『資本主義リアリズム』を、2014年に『わが人生の幽霊たち』を、2016年に『奇妙なものとぞっとするもの』を上梓。2017年1月、48歳のときに自殺。邦訳にはほかに講義録『ポスト資本主義の欲望』、ブログからの選集第一弾『K-PUNK 夢想のメソッド──本・映画・ドラマ』および第二弾『K-PUNK 自分の武器を選べ──音楽・政治』がある。

[訳者]
セバスチャン・ブロイ(Sebastian Breu)
1986年、南ドイツ・バイエルン生まれ。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学(表象文化論)を卒業後、ベルリン・フンボルト大学音楽・メディア学研究科で専任講師、同科のラボ「Signallabor」のキュレーターを務める。研究領域は科学思想史、メディア技術論。チェルフィッチュ(『現在地』『地面と床』)、サエボーグ(『House of L』『I WAS MADE FOR LOVING YOU』)など様々な上演作品のドラマトゥルクを担う。第一JLPP翻訳コンクール(ドイツ語部門)最優秀賞。共訳にマーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』。

河南瑠莉(かわなみ・るり)
1990年、東京生まれ。ベルリン在住。早稲田大学政治経済学学部を卒業後、ベルリン・フンボルト大学(ドイツ)の修士・博士課程で文化科学を学ぶ。現在はベルリン自由大学の美術史研究科で専任講師を務める。近代思想史、美術史を専門領域とし、なかでもイメージ論、視覚芸術とジェンダー論/身体論、加速主義やエスノフューチャリズムについて幅広く論じている。共訳にマーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』。

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Rema - ele-king

「あんにー、うちらの地元はクジラ獲ってすぐ食べるからなー」

 大学生のとき、和歌山から通っていた友だちがそう言っていて、妙に印象に残っている。確か「岬」だっただろうか、中上健次の小説を読んでいても鯨が出てきて、読んだときはちゃんとした知識がなくわかっていなかったのだが、どうやら紀伊半島の太地町周辺では捕鯨文化が根づいているらしい。それまで捕鯨については、親の話やTVなどで見聞きするだけで、もちろんそこに複雑な問題が絡んでいることは知っていたものの、身近な友だちが実家では鯨を獲ってすぐ食べているのに驚いた。人は、頭では複雑さを理解しているつもりでも、それを目の当たりにするとたじろいでしまう。

 和歌山出身のMIKADO『Re:Born Tape』を繰り返し聴いていると──今年の国内ヒップホップで最も重要な作品のひとつだ──、“Syachi” という曲で「本当の話ここらへんじゃみんな食べる鯨」というリリックが出てきて、和歌山の友だちのことを思い出した。野暮を承知で説明すると、「Syachi=シャチ」は鯨と同様に和歌山の地に名残が深く、多くの数で群れるが一頭ずつも知能が優れた、海の中においては敵がいない存在である。その強さと賢さの象徴であるシャチを、ラッパーとしての自分(と仲間たち)に重ね合わせているのがMIKADOというわけだ。ちなみにシャチは、音を言語のように使い分け高度なコミュニケーションを展開し、母親がリーダーシップをとりながら群れを形成する。銃撃によって父親を亡くしたことで母親しかおらず、ラッパーとして言語を巧みに操りながらラップ・ゲームを勝ち抜こうとしているMIKADOは、まさしくシャチのような存在なのだ。自身の置かれた状況を、地元を象徴する文化に重ね、「いつも隣仲間たち/だけど1人ずつのシャチ/群れてるけどださいのなし」と抜群の脚韻でラップするこの曲は、7やTOFUといった才能(=仲間たち)を次々と輩出する和歌山シーンの顔・MIKADOの鋭さを凝縮したような曲である。そして「Syachi」を聴いていると、捕鯨文化を享受する一方で、獲物とされる生き物の強さやたくましさに対する畏敬の念も同時に伝わってきて、ますます文化というものの複雑さを感じ考え込んでしまう。

 さて、前置きが長くなったが、本稿の主役はレマの『HEIS』だ。2023年に “Calm Down” がセレーナ・ゴメスとの共演によって全米アフロビーツ・ソングスチャート58週連続1位&ストリーミングで10億回再生を記録し、目下バーナ・ボーイ、ダヴィド、ウィズキッドのアフロビーツBIG3を〈BIG4〉へ書き換えようとしている、ナイジェリア出身のスターのセカンド・アルバムである。私とレマの出会いは “Dumebi” (2019、EP「Rema」収録)という曲で、何かでMVを観たのがきっかけだった。随所でカラフルな色使いが映えていて、音源のアートワークもアニメ調のトーンだったこともあり、なんとなくデビュー当初のリル・ヨッティみたいだと思った記憶がある。ゆえに、アフロビーツ云々というよりも、軽快なラップ・ソングとして聴いていた。その後も曲単位では聴いたり聴かなかったりを繰り返しながら、はっきりとレマのアーティスト性について認識したのは、昨年11月にロンドンのO2アリーナにておこなわれたショウ──の、ニュース記事であった。そこでは、レマのステージでの演出や振る舞いを観た観客が、悪魔崇拝主義者ではないか、あるいはイルミナティの一員ではないかなどと騒ぎ、一部で炎上しているという内容が記されていた。なるほど、そんなことになっているのかと思いライヴ映像を観てみると、確かにややサタニックなムードではある。冒頭から妖しく光る馬に乗り仮面をかぶってステージに登場した彼は、その後 “Addicted” を披露する際にはバンド・サウンドに乗りながら巨大なコウモリの上でパフォーマンスを見せていた。どこかアイアン・メイデンのステージ・セットみたいだと思い、個人的には嫌いな世界観ではないので、やはりトラヴィス・スコットやプレイボーイ・カーティのような耽美~ホラー感覚を取り入れるラッパーの存在に近い匂いをかぎ取り、現行のヒップホップに影響を受けているのだ、と解釈した。

 しかし、その後レマの口から、ライヴ演出について反論が語られることになる。馬もコウモリも、彼の出身であるナイジェリア・ベニンシティの文化にルーツがあったらしい。仮面は、16世紀のベニン王国の文化的象徴であるイディア女王にインスパイアされたもので、しかも女王の有名な彫刻を含むアフリカの芸術作品をイギリスが買い占め続けていることに対する異議申し立てでもあったようだ。ローカル性がメインストリームの文脈に持ち込まれることの怖さが露呈した出来事だった。それに、レマを聴いてライヴ映像まで観たにもかかわらず、単なるアメリカのヒップホップの文脈になぞらえて解釈するしかなかった自分の安易さを恥じた。

 という事件が起きてからのアルバムということもあり、『HEIS』は、レマの怒りと反骨精神が詰まったハイカロリーでこってりした作品になっている。オルタナティヴR&Bの優雅さと感傷すらも垣間見えた前作『Rave & Roses』と比較し、今作はとにかく燃えたぎっていて暑苦しい。トラップやダンスホール、エレクトロニック・ミュージックとアフロビーツ、さらにはアラブやインド音楽のようなメロディまでもが混在した音楽性を彼は「アフロレイヴ」と呼ぶが、そういった雑多なサウンドの融合を実現しているのは、ヴォーカルの力が大きいのではないか。不気味さと野性味を両立したバリトン・ヴォイスはさらに磨きがかかっており、背景に流れる様々な歴史的文脈を包括するような雄大さも備えている。しかも、そこでは英語はほとんど使われず、母国語が貫かれている。“Benin Boys” では同じくナイジェリアのスターであるシャリポピと共演し、ベニン文化を賞賛する。さらにサウンドを磨き上げている助っ人は、Producer XにLondonなど、これまでもレマ作品を担ってきたナイジェリア人、あるいはナイジェリア系イギリス人のプロデューサーたち。ルーツをかなり意識して作り上げたアルバムということがわかるだろう。

 ただ、軸足は故郷の文化に根ざしているものの、やはりレマの射程とする領域は途方もなく広範に渡っているのも確かだ。“VILLAIN” ではラナ・デル・レイの “A&W” をギミック的にサンプリングし甘美で退廃的なアメリカを引用しながら、目の前の金と女性の話に終始する。“OZEBA” ではがなり立て不安感を煽るプレイボーイ・カーティのような低音ヴォイスをぶん回しながら、性急なクドゥロのビートを乗りこなす。全編に渡って下部を支えるのはアフリカの地/血を感じさせるパーカッシヴなドラムであり、ヴォーカル表現や表層的な味付けにおいては頻繁にアメリカの断片が配される。ルーツを起点にしながらもジャンプする跳躍力こそが、本作におけるレマの独自性だろう。そして、そのジャンプの過程においては、つねにヒリヒリした殺気が発されている。

 もともと教会でゴスペルを歌い、ラップにも関心を持った彼は、14歳の頃には子どもたちにラップを教えるリーダーとして地域で人気を得たそうだ。その後ドレイクの影響を受け、自身の作る曲に歌を取り入れていったという。レマの『HEIS』は、そういった彼の音楽的背景が如実に表れていると同時に、ローカル・カルチャーとアメリカのポップ・ミュージックのミックス、それが世界規模での認知を獲得する中で生じる摩擦がありありと表現されている。これこそがリアルであり、いまのポップ・ミュージックが抱える複雑さそのものなのだ。

 そして私は『HEIS』を聴く度に、「あんにー、うちらの地元はクジラ獲ってすぐ食べるからなー」というあの方言を、「あんにー(=あのね)」というぶっきらぼうに放り出されたような一言を、思い出している。MIKADOを聴き、その耳でレマも聴く。どこかで、それらはゆるやかにつながっている。

誰かと日本映画の話をしてみたい──

これまで音楽映画やゾンビ映画、ホラー映画、アメコミ映画などのジャンルを扱い、好評を得てきた「ele-king cine series」が、満を持して「日本映画」を特集します!

■表紙・巻頭
『Cloud クラウド』
黒沢清ロングインタビュー「今、この社会で映画を撮ること」(真魚八重子)
論考「信じるに足る、とはどういうことか?」(佐々木敦)

■現代の日本映画 10人の監督
現代の日本映画にとって欠かせない監督10人を批評し本質に迫る。
【執筆)
吉田伊知郎/加藤よしき/森直人/児玉美月/岡本敦史/タダーヲ/朝倉加葉子/伏見瞬/三田格/水越真紀
【コラム】
「バブルが崩壊して始まった日本映画の話」(三田格)

■今、どのように映画を語るのか
愛の技法、動物化、反射のレッスン(荻野洋一)
クィア表象から読み解く日本映画(木津毅)
ゴジラ映画に描かれ続ける「時代の要請」(三田格)
このアニメ、この作家2024(岡本敦史)
二〇二〇年代のドキュメンタリー映画から紐解く社会問題(タダーヲ)

■草野なつかインタビュー「自分のやり方で映画を取り続けるために」(月永理絵)
英国映画協会(BFI)が発表した、「1925年から2019年までの優れた日本映画」の中で“2019年の一本”に選ばれた『王国(あるいはその家について)』をで国際的な評価を得るなど、世界から注目される映画監督のこれまでとこれからを訊く。
■巻末放談
中原昌也・三田格
「そんなことより、日本映画の話をしましょうよ」

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