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2017年、セコンド・ウーマンの新作『S/W』が〈エディションズ・メゴ〉傘下の〈スペクトラム・スプールス〉よりリリースされた。〈スペクトラム・スプールス〉は、元エメラルズのジョン・エリオットが主宰するレーベルで、イヴ・ド・メイ、コンテナ、ニール、ドナート・ドジーなどシンセティック/エクスペリメンタルな電子音楽を数多くリリースし、マニアから絶大な信頼を得ている。
セコンド・ウーマンは、その〈スペクトラム・スプールス〉から、2016年にファースト・アルバム『セコンド・ウーマン』をリリースすることでデビューしたユニットである。とはいえ、彼らは「新人」ではない。メンバーは、あのテレフォン・テル・アヴィヴのヨシュア・ユーステスと、〈クランキー〉からのリリースで知られるビロングのターク・ディートリックなのである。
もはや説明は不要だろうがテレフォン・テル・アヴィヴは、00年代エレクトロニカにおける最重要ユニットである。近年、〈ゴーストリー・インターナショナル〉からファースト・アルバム『ファーレン・ハイト・フェア・イナフ』とセカンド・アルバム『マップ・オブ・ホワット・イズ・エフォートレス』がリイシューされ、改めて00年代エレクトロニカ/IDMの再発見に一役を買っている存在だ。
対して、ヨシュアがメンバーでもあるセコンド・ウーマンでは、「現在進行形のエレクトロニック・ミュージック/電子音響」を提示する。いわば、マーク・フェル以降のグリッチ・ミュージックとテクノとアンビエントの交錯の実現である。むろんそれは単に「テクノ化する」という意味ではない。いわば00年代のグリッチ/クリックから10年代のアンビエント/ドローンに移行したときの「中間地点」を、もういちど見直し、それを現代的な音響作品として(再)生成する試みなのである。いわば、グリッチ・テクノとアンビエント/ドローンの融合という形式の実現だ。
それでも前作であるファースト・アルバム『セコンド・ウーマン』には、いかにもテクノ/IDM的なミニマリズム=反復性の残滓があったことも事実である。しかし、その反復性は、BPMの揺らぎによって、内側から機能を停止され、グリッチ的に散らばるサウンドの粒が次第に融解していくような感覚も聴き手に与えていた。これが重要なのだ。今ならば、『セコンド・ウーマン』は、10年代的なインダストリアル/テクノ的な重厚さを一度、解体するようなサウンドであったと理解できるだろう。このアルバムの真の役割は、インダストリアル/テクノなど、テン年代初頭のエレクトロニック・ミュージックを、一度、終わらせたことにある。
そして、EP「E/P」を経由し、リリースされたセカンド・アルバム『S/W』においては、グリッチ・ノイズの音とテクノ的な反復が、シンセ・パッドの音色の中に融解しかけており、新しいアンビエントな音楽/音響として再生成されていく、そんな新しい感覚を生み出していた。グリッチでもあり、テクノ的であり、フットワーク的でもあり、アンビエント的でもあること。00年代のグリッチ/クリックから10年代のアンビエント/ドローンの「あいだ」に存在していた「かもしれない」のサウンドを、セコンド・ウーマンは構築しているのである。
同時に、本作は、後半になるに従い、まるで時間がループするかのように、次第にテクノ的反復性が、表面化するような構成になっている。曲名が「/」で統一され、“/”、“//”、“///”、“////”となっていくわけだが、ちょうど折り返し地点である5トラックめ以降は、“////\”、“////\\”、“////\\\”……とバックスラッシュが逆向きから支える表記になっており、そこからもこの「反転」が意図的なものだと分かってくる。アルバム・ジャケットも赤と白で反転=対称的である。
時代のヘゲモニーは、ある真理が、空虚=洗練に辿り着いたとき、すべてが反転する。本作のアンビエントからテクノへの反転は、そんな時代の反転(反動ではない)を象徴しているように思えてならない。彼らは「グリッチ以降とアンビエントの中間領域に消え去った音」=「消え去った二番目の女」を探し求めるうちに、また最初の地点へと戻ってしまったのだろうか。ループする並行世界の只中を生きるように。
まあ、そんな妄想はさておき、少なくとも本作は、エレクトロニカの並行世界を生きているふたりによる「かつて、あったかもしれないサウンドの捜索(=創作)」の中間報告書ともいえるアルバムではないかとは思う。彼らは00年代以降の電子音楽/エレクトロニカ特有の「空虚さ=ミニマリズム」を現代からもう一度、辿りなおしてみせる。その結果、「かつてありえたかもしれない」グリッチとテクノとアンビエントの、精密で、マシニックで、美しい音のタペストリーを、われわれに向けて提出することになるのだ。
2000年代末期から2010年代初頭にかけて、クリック&グリッチなサウンドが、もしも急速にロマンティックなドローンへと反動的に転換せずに、あの〈ミル・プラトー〉の理想を受け継ぐように、アンビエントとグリッチが融合・交錯していたら? そんなエレクトロニカ/電子音響の並行世界を、彼らはセコンド・ウーマンとして意図的に生成するのだ。そんな気がしてならない。
真の未来とは、そして、本当の新しさとは、香水の残り香のように消え去った近過去の中に優雅に漂っているものだ。それは電子音楽でも変わらない真理である。セコンド・ウーマンの電子音には、そんなエレクトロニカ/電子音響の「二回めのゼロ地点」を聴き取ることができるはずだ。
デンシノオト