「New Gen」と一致するもの

Boris - ele-king

 去る2022年、30周年記念アルバム『Heavy Rocks』をリリースしたBoris。同作を引っ提げたツアーは北米、オーストラリアをめぐり終え、今月末からは欧州ツアーがはじまる(最終日は6月8日、スペインのプリマヴェーラ・サウンド)。それに先がけ、昨年LAおよびサンフランシスコでおこなわれたパフォーマンスの映像が公開されている。チェックしておきましょう。

talking about Yves Tumor - ele-king

 今日のポピュラー・ミュージックの中心はラップである。そんな時代にあって、次世代のロックはどんな姿をかたどるのだろう──もしかしたらイヴ・トゥモアの試みに、そのヒントが隠されているのかもしれない。エレクトロニック・ミュージックに出自を持ちながらその後ロックへと大きく舵を切り、己の美学を貫くイヴ・トゥモアの新作『Praise A Lord Who Chews But Which Does Not Consume; (Or Simply, Hot Between Worlds)』について、Z世代のライター・yukinoise と、ロックをルーツとした初期衝動をダンス・ミュージックに落とし込むDJの arow が自由気ままにロック・ヴァイブス溢れる音楽談義をカマします。

イヴ・トゥモアは自身のキャリアの歩みの中で音楽と真摯に向き合いつつ、関わる人やコミュニティが広がっていく中でも、周囲からの期待を跳ねのけることなく、かつその上で自分自身の美学をクリエイションに反映させている。(arow)

yukinoise:前作に引き続き、今回のアルバム・リリースでもイヴ・トゥモアは相変わらずインタヴューを受け付けてないみたい。最近で唯一彼がインタヴューを受けたのはコートニー・ラヴとの対談くらいしかなかったので、今回は以前ライヴを観に行ったことのある自分と、ロックに詳しい同世代のDJ・arowくんとイヴ・トゥモアの魅力について対談するわけですが、5年前の来日ライヴは観に行った?

arow:そのライヴ行けなかったんだよね、たしかいまはなき渋谷の Contact に緊急来日したんだっけ?

yukinoise:そうそう。Contact に普段遊びに来るタイプのクラバーよりか、イヴ・トゥモアが気になってる音楽好きの層が集結して、平日のデイ公演なのにメインフロアの Studio X がお客さんでパンパンだった光景を覚えてる。その後、渋谷のWWWで speedy lee genesis さん主催の《Neoplasia》ってパーティーにも出演してたんだけど、ヘッドライナー級なのに出番が日付越える前という独特のパフォーマンスをしてたらしい。〈Warp〉からの異色デビューっていうので彼の存在を知ったのと来日がちょうど同時期で、すぐにライヴを観れたのはラッキーだったな。

arow:イヴ・トゥモアはもともとエレクトロニカやエクスペリメンタル系のアーティストだし、パフォーマンスもスタイルも華やかだから当時は新進気鋭のファッショナブルな印象があったな。でも、そういった印象や解釈を変えてくれたのが “Jackie” を収録した2021年リリースのEP「The Asymptotical World」。ロックやバンド・サウンドが好きな人にはかなり刺さる作品だし、いままでのリリースの中でいちばん好きかも。

yukinoise:“Jackie” でこれまでのエレクトロニカ、インダストリアルR&Bやグラム・ロック的な印象から少し雰囲気が変わったよね。シューゲイズ、ドリーム・ポップ、ポスト・パンクなテイストが取り入れられていて、バンドというかギター・サウンドに対して欲を出してきたな、と。

arow:ディープな電子音楽から活動をスタートして、キャリアを積み重ねていくごとに見える景色の変化に応じてちゃんとクリエイションも進化していくのはアーティストとしてひとつのあるべき姿だと思う。というのも、音楽をやっている全員がそういうことができるわけではないと思っていて。生計を立てるためとかいろいろあると思うんだけど、どうしてもいままでついてきたファンを離さずに活動するために既存の路線から外れないよう、いわゆる正解を取りに行くようなスタンスが活動を通して透けて見えてしまうようなアーティストも中にはいるわけで。だけど、イヴ・トゥモアは自身のキャリアの歩みの中で音楽と真摯に向き合いつつ、関わる人やコミュニティが広がっていく中でも、周囲からの期待を跳ねのけることなく、かつその上で自分自身の美学をクリエイションに反映させているし、少なくともそう勤めようとしている気概が音を通してリスナーにも伝わってくるような説得力があるよね。

yukinoise:美学ね。インタヴューを受けずにソーシャルと距離を置くスタンスや、来日公演でもレーベルや国外アーティストだからって肩書は関係なしに、セルフ・プロデュースで世界観を徹底してるところに惹かれた。イヴ・トゥモアを語ればグラム・ロックが必ずキーワードに登場するけど、たしかに彼のクィアなファッションや強烈なスタイル然りロック・スター的なカリスマ性は持ってる。

刹那的な盛り上がりより、パフォーマンスを目撃したアーティストの曲を帰り道でも聴きたくなるくらい世界観で圧倒されたい。そういう意味ではソロ時代からもステージングを徹底してたし、どんなかたちであれちゃんと自分の個性を100%表現しているアーティスト。(yukinoise)

arow:クィアもロックもどっちも彼のルーツにあるけど、意識的にも無意識的にもステージングや社会との関わり方とかの、自らのパブリック・イメージに関わる細かな部分にまで自分の意思を反映させて世界観を表現できるアーティストはそれだけで希少価値が高い。イヴ・トゥモアの最近のライヴがバンド・セットなのもそのイメージの強化に一役買ってるというか。バックDJがいて、オケを流してる上にマイク通して声を乗せるだけというヒップホップ由来のスタイルがいまでは当たり前のようになった中で、パフォーマンスを差別化するとしたらいちばん効果的なのはやっぱり音楽の捉え方とライヴの見せ方になるんじゃないかな。たとえば普通にラップやってる若いアーティストのライヴだと、いまこの場所をいかに盛り上げるかという点だけに重きを置きがちになる感じがあるけど、その場限りの高揚だけじゃ訴求できない部分って受け取り手のオーディエンスからしても絶対的にあるはずだし。

yukinoise:ライヴの体験価値はオーディエンスにとって欠かせないポイントだよね。刹那的な盛り上がりより、パフォーマンスを目撃したアーティストの曲を帰り道でも聴きたくなるくらい世界観で圧倒されたい。そういう意味ではソロ時代からもステージングを徹底してたし、どんなかたちであれちゃんと自分の個性を100%表現しているアーティストだったな。

arow:60~70年代まで遡るとロック・オペラとかもあったくらいだし、ひとつの世界観を作り上げていくジャンルとしての美学がロックにはある。当然、時代性やバックグラウンドによってアプローチは多種多様なんだけど、自分なりの世界観を築きやすいのがロックというフォーマットの魅力だと思うんだよね。もちろんやりようによってはどんなジャンルの音楽であっても独自の世界観は作れるものだと思うんだけど、記号化される前のロックでは一曲単位の持つ強度に加えてアルバムの構成だったりでいろんな見せ方がされてきたし、とくにリスナーにとっては何のことかわからないような歌詞だったり、音楽的にも新しい試みを取り入れやすかったという点において、ある種音楽の持つ非日常的な側面を反映させやすいという強みがあったんじゃないかな

yukinoise:なるほど。ロックの対比としてのヒップホップ、現代のトラップ・カルチャーはどちらかと言えばストリートやライフ・スタイルの延長線上にある音楽かもね。リアルを大事にしてるし。個人的にはロックは夢を見せてくれるジャンルだと思っていて、たとえば日本でいうヴィジュアル系はサウンドやファッション、世界観を徹底して作り上げて非日常的な雰囲気のステージングがメインだし。でもイヴ・トゥモアにも意外と人間味のある瞬間もあって、インスタ・ライヴとかもたまにする(笑)。Joji や Drain Gang の Ecco2k みたいな同世代のアーティストともコラボしてるし、隣接するシーンとクロスオーヴァーしていく視点はきちんと持ってる人なんだなと。ただ孤高のロック・スターを目指してるわけじゃない。彼の場合は孤高じゃなくて、シーンの中で異質な存在であるという想いが原動力になっている気もするんだけど、なんでロックが王道のサウンドではない時代にあえてこの路線を選んだんだろう?

arow:孤高のロック・スターのイメージに当てはめすぎちゃうと、本当にただ突っ走るだけになっちゃうからそれは本人にとっても良くない(笑)。カート・コベインやフレディ・マーキュリーあたりも世界的な成功を手に入れたからこそ反面自分が理解されていないって葛藤に陥ってしまったりした歴史もあるくらいだし。そもそもロックという音楽自体がR&Bやブルースから発展しているわけで、そういったブラック・ミュージックと呼ばれる音楽自体マイノリティが他者に理解されないところをモチベーションにして、自分たちはここに存在しているんだと主張するために育まれてきたものでもある。イヴ・トゥモアの場合、「マイノリティでありながら電子音楽をやっている」という情報だけじゃ大衆への大胆なアプローチはやっぱり難しいけど、そこにロックという記号を持ち込むだけでオリジナリティが増す。自分たちはすでにロックが一度終わった後の時代にいるわけだけど、かつては王道だった過去があって常識的にロックというものがジャンルの前提として根付いているからこそ、いままではあまり触れられてこなかったマイノリティ性や異質さ、普遍さとかいったものを組み合わせることによってバランスが取れるという。

yukinoise:エレクトロニカ時代の彼のサウンドは大衆的に受け入れがたくとも、ロックがベースになっている最近のサウンドなら受け入れやすいリスナーも多そう。とくに今回の新作はグラム・ロックとダンサブルな感じである種のポップさも含んでるし、去年ヒットしたイタリアのマネスキンの功績で新世代のロックがやっとメインストリームに頭角を現してきた時代ともマッチしてる。

arow:時代によってあり方が変化していったロックがちゃんとメインストリームな音楽だったのは、体感でしかないけど2007年くらいまでかなあ。90年代にいわゆるオルタナティヴ・ロックの時代があり、そこから地続きでインディー・ロックも盛り上がりを見せる一方、スタジアム級のバンドもいて、だんだんその幅が開いていったのが2000年代。個人的な印象では、メジャーで人気になるほど王道なロックが飽きられてしまって、逆に2010年代にかけてはどんどんインディーが盛り上がって、バンドマンと言えどロック・スターにはなろうとしないみたいな、ちょっと内向的なアティチュードのアーティストが増えていった。実際本人のパーソナリティが内向的なのかは置いておいて(笑)、ヴァンパイア・ウィークエンドなんかはその最たる例かも。あくまでも地に足つけて音楽を好きでいるってスタンスのロックが多くなる中で、ザ・1975みたいにインディーの方法論でメジャーとの間に生まれた壁をぶち壊そうとするバンドも現れてから、同レーベル所属の Pale Waves や Beebadoobee といったソーシャル・スター的なロック・アーティストたちが次のフェーズを作っていった感じ。

バンド・サウンドはシンプルになればなるほどひとつの音に対する向き合い方もストイックに成らざるをえなくて、今回のアルバムも曲の構成自体はシンプルだけどギターの印象でかなり喰らわせてきてる。(arow)

yukinoise:ソーシャル・スターね。ザ・1975のマシュー・ヒーリーもかなりアイコニックな存在だし最近も炎上騒ぎがあったし、いまやロックのアーティストですらインフルエンサー的な立ち位置になってしまう時代なのか……。SNSの流行でかつては遠い存在だったアーティストのライフ・スタイルを手軽に知れたり、ちょっとした発言もすぐキャッチできたりするようになった時代の中で、イヴ・トゥモアがソーシャルとうまく距離を置いてるのは正解だね。

arow:それでも、イヴ・トゥモアはいまめちゃくちゃ真正面からロックにぶつかってきてるアーティストだと思う。新作のライナーノーツや本人自身からも異物というワードがよく登場するけど、ロックという音楽として触れたときに異物感は全くないしもはや王道だとも言える。新しい音楽を、誰も見たことのないロックをやるぜ! というタイプでもない。

yukinoise:きっと往年のバンド・サウンドやいろんなロックに触れて育ってきたんだろうな。ロックのアーティストはバンドを経て晩年を迎えたりソロになったりしてから電子音楽に傾倒する節があるけど、イヴ・トゥモアはどんどん初期衝動的なバンド・サウンドに回帰していってるのが面白いところ。

arow:しかも意図してやってるわけじゃないと思わされるところもまたイイ。本当にロックが好きでいまこの音楽がやりたいと素直に思ってるだろうし、世の中での売れ方や音楽産業に振り回されずサウンドを突き詰めてる。俺がいちばん深くロックに触れていた高校時代、教室の隅っこでヘッドホンして爆音でアイスエイジとか聴いて救われてた、あの心が揺らされる感覚こそ、まさに初期衝動でありロックの美学のひとつだね。

yukinoise:彼自身、初期衝動やそういった美学は元来持っていたのに、いまこうしてロックに真正面から向き合っているのは、キャリア的にちゃんとしたクリエイションができる環境でハイクオリティに実現したかったからなのかな、とも思うわけよ。もちろんソロのときでも荒削りに実現できたと思うけど、キャリアが浅い時期にDIYでチャレンジしていたら時代的に宅録系みたいなジャンルで括られてしまった可能性がなきにしもあらず。本人のスタンス的に絶対クオリティ面は重視しているから、自分の理想が実現できる万全な状態でやりたかったんだと思うよ。

arow:ソロでロックに挑戦するのはかなりハードルが高いしね。サンプリングでそれっぽい音はDAWで作れても、結局は打ち込み系の解釈になってしまうし、イヴ・トゥモアはそういうのを嫌がるタイプな気がして。特にバンド・サウンドはシンプルになればなるほどひとつの音に対する向き合い方もストイックに成らざるをえなくて、今回のアルバムも曲の構成自体はシンプルだけどギターの印象でかなり喰らわせてきてる。特にギター・ソロはバンド・サウンドの中でもアンプのつまみがちょっと違うだけで全く印象が変わってしまうようなシンプルだからこそシビアな世界でもある。こだわろうと思えばどこまででも時間をかけられるからこそ、この音でいくぞと決心をするのにどれだけ勇気がいることかはバンドを経験した身としてよくわかるし、その葛藤の末に生まれたサウンドなんだと意識して聴くことでまたそれまでとは違った聴こえ方になったりするところが生音の面白さだと思うな。

yukinoise:タイトルが『Praise A Lord Who Chews But Which Does Not Consume; (Or Simply, Hot Between Worlds)』、和訳すると「齧るが喰わぬ主君を讃えろ」──なんだかスケールが大きくて意味深な感じ。収録曲のうちシングルとして先行リリースされた “Echoalia” のMVからも見て取れるように、本作は『ガリヴァー旅行記』がコンセプトになってるそうで。『ガリヴァー旅行記』は巨人などの異質なキャラクターと世界の関わりが描かれている物語だし、イヴ・トゥモアのクィア性やいまの時代におけるロック・スター的なスタンスといった持ち前の個性が反映されているなと。この曲はビート感が強くてダンサブルだからアルバム全体の中でも割とポップで好きなんだけど、arowくんはどう?

彼が他と一線を画してるのは忠実にロックと向き合ってるところと、ソーシャルやハイパーなカルチャー・シーンと距離をきちんと置いてるところ。その美学の貫き方こそが、イヴ・トゥモアなりにロックを解釈したひとつのかたちなんだろうな。(yukinoise)

arow:このアルバムはダークなところからどんどん曲が進むごとにちょっとずつ光が見えてくる展開だと思った、歌詞もメンタルヘルスや他者との関わりを内包しつつ明るく振る舞おうとしている感じで。となると、中盤の “In Spite of War” がやっぱり好きかな。ヴォーカルもエモいしこのギターの感じも無条件で嬉しくなるサウンド。

yukinoise:このオクターヴを上げた歌い方のヴォーカルのエモさって、2015年くらいのリル・ピープみたいなエモ・ラップ、トラップ・カルチャーとも世代的に親和性があると思うんだよね。イヴ・トゥモアやうちらの世代ならではのエモさだし、王道なロックが入りじゃないからこそグッとくる要素として欠かせない。ただ往年のロックにチャレンジするんじゃなくて、現代に届くロックをやろうとしてる。

arow:今回はポップスとしてもロックのカタルシスを踏襲してる気がする。王道もそうじゃないやり方もどっちも物怖じせずやれること自体、イヴ・トゥモアや自分たちの世代の特徴で、2010年代のインディー・ロックはたぶんそういうのがちょっと嫌だったとこもある。90年代のオルタナティヴなノリに回帰してカマしたくても自信ないみたいなヴァイブスだったけど、ベタな展開でも自分のモノにしちゃうスタンスがいまのロックの特徴かもしれない。

yukinoise:ダークなサウンドからアッパーまで雑多に聴く世代というか、当たり前にクロスオーヴァーしちゃう世代だもんね、わたしたち(笑)。

arow:それも大きいし、案外家で聴いたりディグったりするだけじゃなくていろんなライヴやパーティーに遊びに行って生で聴いて知ろうとする世代でもあるからね。イヴ・トゥモアが来日公演した Contact もクラブだけどバンドも出演してた箱だったし、いろんなものが混ざりつつもミクスチャーともまた違う新鮮な感覚を常に持ってる。

yukinoise:この世代や次世代で流行ってるハイパーポップにもロックのテイストは取り入れられてるけど、それでも彼が他と一線を画してるのは忠実にロックと向き合ってるところと、ソーシャルやハイパーなカルチャー・シーンと距離をきちんと置いてるところ。その美学の貫き方こそが、イヴ・トゥモアなりにロックを解釈したひとつのかたちなんだろうな。

interview with Toru Hashimoto - ele-king

 日本を代表するDJ/選曲家のひとり、橋本徹(SUBURBIA)。そのコンパイラー人生30周年を祝し、特別インタヴューを掲載しよう。
 クラブやDJなど、90年代渋谷で起こったストリート・ムーヴメントの中心で橋本は活躍し、その活動をパッケージ化したコンピレーションCD、「Free Soul」シリーズ第一弾を1994年春に発表している。同シリーズはジャンルではなく、時代のムードを感覚的にとらえつつ、過去の音源から選曲していく点が新しかった。すでに名盤・名曲としての地位を確立していた作品以外からも多くの素晴らしい曲を発掘していくことで、既存のコンピレーション概念を覆すこと──やがて「Free Soul」はたくさんのレコード会社から引く手あまたとなり、メジャー/インディペンデント問わず複数のレーベルをまたぎながら、数多くのタイトルを送り出していった。そのクオリティの高さとリリース量から同シリーズは大ヒットを記録し、橋本は一躍その名を全国区に広めていくことになる。音楽を選び編集すること。過去の音源をディグすること。そういった文化を日本に広めた貢献者のひとりが橋本徹である。
 今回のインタヴューのきっかけになったのは、これまでになんと350枚にも及ぶ人気コンピレーションを監修・選曲してきた橋本徹の、コンパイラーとしての人生30周年を祝した1枚『Blessing ~ SUBURBIA meets P-VINE “Free Soul × Cafe Apres-midi × Mellow Beats × Jazz Supreme』(P-VINE)だ。以下、彼の活動のまさに集大成とも言えるこのコンピの制作にまつわる話を含め、これまでの選曲家人生を振り返るインタヴューをお楽しみください。

橋本さんのコンパイラー人生が2022年秋で30周年を迎えたとのことですが、「Free Soul」シリーズが始まったのは1994年ですよね?

橋本:今回のコンピCDのブックレットに入っている、30年を振り返るインタヴューにも書いてあるけど、フリーペーパーの『Suburbia Suite』を始めたのが1990年暮れ。その後91年夏から渋谷のDJ BAR INKSTIKでDJパーティなどを始めて、92年の春からTOKYO FMで『Suburbia's Party』という選曲番組がスタートしました。そして、それらのフリーペーパーやラジオで選曲してきたレコードを再編集して紹介する『Suburbia Suite; Especial Sweet Reprise』というディスクガイド本を92年の秋に出します。解説がないと音楽を楽しめないという傾向には違和感があったので、何年のリリースだとか、プロデューサーが誰かとかは記載せずに、そのレコードが持っている雰囲気や気分を伝えることで、リスナーにカジュアルに聴いてもらえたら、という思いで作ったディスクガイドでした。そのときに初めてコンピレーションのオファーをいただいて、『'tis blue drops; a sense of suburbia sweet』というCDを作りました。それが初めて僕が手がけたコンピレーションなんですね。今回のコンピのジャケットではそのアートワークをリデザインしています。
 その最初のコンピレーションは、先日亡くなったアート・ディレクター、コンテムポラリー・プロダクションの信藤三雄さんと、イラストレーターの森本美由紀さんと、僕の計3人が1枚ずつコンピレーションを作るという企画のうちの1枚で、当時の僕はまだ音楽を本職としていたわけではなく雑誌編集者でした。デザイナーとイラストレーターとエディターがそれぞれ90年代前半の東京の空気感を表現するという意味で、すごく象徴的なシリーズだったと思います。「Free Soul」を手がける前は、FM番組などで、サントラやソフト・ロック、ボサノヴァ、ラテン・ジャズからムード音楽的なものまで含めて、自分のなかの「白」っぽいセンスを表現していたんだけど、「『Suburbia』のディスクガイドに載っているものでうちのレコード会社から出せる音源はないか」というお話がたくさん来て、リイシュー・シリーズの監修をやったりしていたんですね。たとえば93年には〈Blue Note〉のBN-LAシリーズから選曲した『Blue Saudade Groove』というコンピレーションを手がけているけど、これもコンパイラーが3人いる企画の1枚で、二見裕志さんの『Blue Mellow Groove』と小林径さんの『Blue Bitter Groove』と一緒に出ています。

大手出版社に入るのは大変だと思うんですが、それを辞めてフリーランスになったのは、音楽に手応えみたいなものを感じたからですか?

橋本:気持ちが完全に音楽のほうに傾いていった感じかな。もう出版社にいた最後の1年くらいは完全にそういう感じで。92年のディスクガイドの波及効果が大きくて、レコード会社の方からリイシュー・シリーズの監修の話とかもたくさん来ていて、『Suburbia』以外のパーティでのDJも少しずつ増えてきて。そういう状況のなかで、92年のディスクガイドのテイストを段落変えして、自分のなかの「黒」っぽいセンスを形にしたい、という気持ちが93年はどんどん膨らんでいったんです。そのタイミングでボブ・トンプソンとヘンリー・マンシーニのリイシューの監修の依頼をいただいて、「それももちろんやりたいんですけど、70年代ソウル周辺のコンピレーションをやりませんか」ってこちらから提案したのが「Free Soul」コンピの始まり。94年4月のリリースに合わせて2冊目のディスクガイドも作ろう、その前の月からDJパーティも始めよう、三位一体で盛り上がっていきますよ、って話して。時代の空気感もそれを後押しする感じが増していってましたね。

音楽家ではない人が企画を持ってきて「じゃあそれやりましょう」という流れになるのが本当にすごいなと思いますが、それくらいの影響力が『Suburbia』のディスクガイドにはあったんですね。

橋本:それ以前のガイド本とは異なって、資料的なことにはこだわらず、エッセイ的というか、レコードの持っている雰囲気そのものを伝えるディスクガイドだったからでしょうね。レーベルや年代が書いていないから、レコード会社の方もどれなら自社から出せるか聞きに来るんですよ。そのときにいろんなレコード会社の方と知り合って、提案すると何でも実現してもらえるような雰囲気がありました。そうして94年の春に「Free Soul」がスタートすることになるんだけど、それが『Suburbia Suite』に負けないくらいブレイクしたんです。あの時代の気分を捉えていたんだと思う。
 背景として最初は渋谷系的なファン層がいたから、〈A&M〉のソフト・ロックとかサントラあたりまでは自然な流れでリスナーもついてきてくれたけど、そのころはまだリスナー側には「え、ソウル? ブラック・ミュージック?」みたいな感じはありました。でも『Free Soul Impressions』の音とあのジャケット、それ一発で「ソウルいいよね」って、すべてがひっくり返った。もちろん、他の背景としてジャミロクワイやブラン・ニュー・ヘヴィーズみたいに世界的に人気のあるアーティストがいたり、オリジナル・ラヴみたいな70年代のソウル・ミュージックを下敷きにした日本のバンドが人気を高めていったり、そういう状況も当然シンクロしていたと思います。アシッド・ジャズやレアグルーヴが、アーティストやファンたちにとってシンパシーを抱けるものになっていったタイミングにどんと出たのが「Free Soul」だった。
 よく覚えているのは、ちょうどそのころア・トライブ・コールド・クエストのシングル「Award Tour」(1993年。ウェルドン・アーヴィンの “We Gettin' Down” をサンプリングしている)が出て。渋谷のCISCOに1000枚入荷したものがあっという間になくなってしまうような、そういう熱気のあった時代でした。それが「Free Soul」の直前で、だから『Free Soul Impressions』にもウェルドン・アーヴィンの “We Gettin' Down” が入ることになる。当時、小西(康陽)さんに渋谷の引っ越したばかりの僕の家で “We Gettin' Down” を聴かせて、「これがATCQのあれなんだ」というような会話を交わしたことを覚えていますね。

当時の日本で「Free Soul」的なチョイスを開拓するのってすごく大変だったと思うんです。たとえばレコード屋でソウル・コーナーにあるのはよくてザ・シャイ・ライツくらいな状況で、(『Free Soul Actions』に入っている)ヴォイシズ・オブ・イースト・ハーレムが入っていたかというと、あまりその記憶がないんですよ。

橋本:それは、入荷してもすぐ売れちゃう時代だったっていうのもあるかも。94年春に出した『Suburbia Suite; Welcome To Free Soul Generation』っていうディスクガイドは、それまでのソウル・ミュージック界隈のプライオリティや価値観を変えました。それ以前のブラック・ミュージックのディスクガイドでは、たとえば「リロイ・ハトソンは歌が弱い」というように書かれていたりしたんだけど、そういった(低く評価されていた)ものを自分たちの感覚に忠実にもう一度取捨選択していくという行為が「Free Soul」の営みでした。

現代も古いものを掘り起こしていくことが流行っていますが、そこに「Free Soul」に通じるものを感じたりシンパシーを覚えたりはしますか?

橋本:まず、当時大きかったのはやっぱり現場があったこと。クラブでDJパーティがあったり、音楽好きが集まるレコード屋やCDショップがあったり。いまはもしかしたらそれがオンライン上にあるのかもしれないんだけど、僕のような(カフェやクラブで曲をかけたりレコード屋で掘ったりする)スタンスの人間からすると、それは見えづらい。インターネットのことは詳しくないから無責任なことは言えないけど、誰でも発信できる時代だからこそ、90年代の「Free Soul」のように突出した感じにはなりづらいのかもしれないですね。

最近知り合った20代の若い人からYouTubeに上がっている、90年代のトンネルを作る映像で流れている音楽がすごくかっこいいから聴いてみてくださいと教えてもらったのですが、じっさい僕も聴いてみてかっこいいと思ったんです。普通はそういう行政が作ったようなビデオにかっこいい音楽が入ってるとは思いもしないわけですが、いま若い子たちはそういうところから掘ってくるんですね。感覚は違うのかもしれませんが、ある意味ではかつての「Free Soul」と少し近いのかもしれません。

橋本:「Free Soul」だけでなく、『Suburbia』初期のころの “黄金の七人のテーマ” の「ダバダバ」(スキャット)とかもそうなんだけど、『11PM』(65年から90年まで放送された深夜のお色気番組)とかで使われているような音楽だったり、B級映画のサントラで聴けるようなもののなかから、「これかっこいいじゃん!」みたいに、親しい者同士の会話のなかで情報が精査されていって、ひとつのシーンやサブジャンルみたいなものが生まれていく、っていうのは90年代といまとで共通する部分があるのかもしれないですね。かつてであれば深夜の長電話だったり夜中のクラブのバーカンだったりで情報交換していたものが、いまではSNSとかになっているのかもしれない。

当時、他にも選曲家はいましたが、「Free Soul」のようなシリーズを構築できたのは橋本さんだけだと思うんですよね。

橋本:もちろん似たような趣味で僕以上に詳しい人も当然いたと思う。僕がたまたま「Free Soul」として始めたコンピやイベントが大きくなって、言葉がひとり歩きして、何かひとつのスタイルを指すようになったけれども、「橋本なんかに負けない!」っていろいろ掘ったりDJプレイしていた人はたくさんいたと思いますね。

とはいえ橋本さんの編集能力があったからこそフリーペーパーやCDとして形にできたと思います。音楽に詳しい他の人がああいうフリーペーパーを出せたかというと……

橋本:もし僕がそういう人たちと少し違ったとすれば、自分の好きなものをみんなと分かち合いたいっていう気持ちが強かったからかも。当時のDJは、お客さんから曲名を聞かれても教えない人もいたし、「俺は人とは違うんだぜ」っていうスタンスのマニアやコレクターも多かった。こだわりを持っているからこそ深いところまで行けたんだとは思いますけどね。僕は逆に、もっとフラットにカジュアルに多くの人に伝えて、一緒に楽しみたいっていうタイプだったので。

それとも関連すると思うんですが、昔のクラブは尖っていて怖かった。それが90年代に変わっていきますよね。オシャレな場所になっていきます。

橋本:もちろんそれもあると思う。クラブが、誰でも気軽に遊びに行ける場になっていった。クラブは90年代後半には、20歳前後の普通の若者にとって親密な場に変わっていたように思います。

世界的にもそういう流れだったような気がするんですよ。80年代ニューヨークのクラブは危険な場所だったけれど、そこにロンドンのシャレたクラブ・シーンの情報が入ってくるようになって。

橋本:役割が少しずつ変わってきたというか。それまではクラブが尖った人たちや、いろんな意味でマイノリティに属する人たちにとっての最高の遊び場だったのかもしれないけど、もうちょっと広くフレンドリーな存在になっていったのが90年代で。「Free Soul」のお客さんも、いかにも遊んでいる感じのクラバーだけじゃなくて、女性やカップルも多くて、ピースフルな雰囲気があった。その点はコンピCDを作るときも考えていました。「Free Soul」にはオープンマインドでポジティヴな気持ちが反映されている気がしますね。そこが他のDJやマニアやコレクターと比べて、自分が少し違っていたところなのかな。でもいまは僕みたいなタイプのほうが多くなっているのかも。それどころかたくさん「いいね」やフォロワーが欲しい、みたいな状態になっている(笑)。

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橋本さんの拠点は渋谷のイメージがありますが、渋谷だったのはなぜでしょう?

橋本:もともと駒沢で生まれ育って、就職して出版社時代は2年半目白にいて、フリーランスになって渋谷に来ました。会社を辞めるタイミングでCISCOのすぐそばに引っ越したんですね。その後そこが手狭になってカフェ・アプレミディを始める99年のタイミングで公園通りの渋谷ホームズへ移って。だから90年代後半は15秒でCISCOにレコードを買いに行って、オルガンバーでDJやって、30秒で家に帰ってくるみたいな生活(笑)。(当時編集長を務めていたタワーレコードのフリーマガジン)『bounce』の編集部までも5分かからない感じ。でもなぜ渋谷だったのかというと、やっぱりレコード屋がたくさんあって近かったからでしょうね。

「Free Soul」を手がけたりコンパイラー生活を続けていくなかで、印象に残った事件や出来事があれば教えてください。

橋本:コンピレーションCDのオファーが来るタイミングのときは、短い期間にものすごい数のオファーが来ていたのね。たとえば2007年はアントニオ・カルロス・ジョビンの生誕80周年記念の年で、リオに行ったりしつつ、ブラジル関連のコンピレーションが増えたこともあって32枚作りました。2014年は「Free Soul」20周年ということで、もう毎週のようにコンピのリリースがあって、たしか、10週連続でコンピCDが出ているような状況だったと思う。すごく楽しいし気持ちも乗って、「世界は45回転でまわってる」っていう感覚だったけど、逆に近年はパタッとそういうオファーが来なくなって。「30年間続けてきた」という言い方もできなくはないけれど、「進んだり止まったりを繰り返してきた」っていうのがじっさいのところなのかなと。

人生って進んだり止まったりするもので、でも止まったときにそのまま止まっちゃう人もいますよね。でもそういう波は絶対にあるんだよっていうのは、若い人には知っておいてほしいです。

橋本:僕もいまなら言える。けっして30年間で350枚ちょっと、年に12枚くらいをコンスタントに作ってきたわけではなくて。仕事も気持ちも浮き沈みがある。2009~11年くらいは精神的にもピンチでした。気持ちがダウナーで、鬱みたいな雰囲気もあって。2000年代前半にカフェ・アプレミディが大ブームになって、その勢いでレストランやセレクトショップを作って、僕としては楽しかったんだけど、経済的には赤字が続いて。お金がなくなっていったり、まわりの人が離れていったり、気分が落ちたり。『Suburbia』のディスクガイドの1冊目が出た後や「Free Soul」が成功したりカフェ・アプレミディが大人気になったりしたときは、ものすごくたくさんの人が寄ってくるのよ(笑)。それがもう2010年ころにはなくなっていった。それで夜中の12時ごろから朝の4時くらいまでニック・ドレイクみたいな音楽ばかり聴いて、ぼわんとした生活を送っていた時期もありました。自死がよぎったことさえあったし、自殺したミュージシャンの音楽以外聴きたくないと思っていた時期もあったくらいで。2010年の終わりには駒沢に戻ったんだけど、そのとき海に行こうと車で迎えにきてくれた友だちにはほんとうに感謝しかない。そういうことで少しずつ心のリハビリをしていって。負のスパイラルを逆回転させてもとに戻すことって、当人だけじゃとても無理だと思う。無償の愛のようなものがないと難しいと思いますね。
 2009年の秋に加藤和彦さんが亡くなって、2010年にはNujabesが亡くなって、その翌年には東日本大地震があって、さすがにそのころは音楽を聴ける感じではなかった。当時出たばかりだったジェイムズ・ブレイクファーストが救いになったのを覚えていますね。何も聴けない状態だったのに、それだけは聴けて。コンピも作ってはいたけど、内省的なものが増えていって。もちろんそれはそれである層の共感を呼ぶし、大切な人たちが聴いてくれたんだけど、「Free Soul」やカフェ・アプレミディのように一般の方たちも巻き込んで劇的に売れるというような状況にはならなくて。
 でもいまはこうやってアニヴァーサリーを迎えたり、去年結婚式を挙げたりして、一緒に幸せにならなきゃいけない人ができたりすると、あのとき命をつなぎ止めておいてよかったなと思うことはあります。生きていればなんとかなるから。お気楽に幸運に30年間暮らしてきたように映るかもしれないけど、僕でもそういう時期はあったんですということは、最近亡くなる方が多いこともあって、お伝えしたいことですね。だから生死の一線を超えないように、互いが互いを大切にしながら生きていきたいなと思います。そういうときに助けてくれた友人ってやっぱり特別だし。

それでは今回のコンピレーションの選曲について伺います。割と古めの音楽の比重が高いように思いましたが、それはどのような意図で?

橋本:まず、今回はメモリアルだという前提がありましたからね。僕のコンピレーションはおよそ350枚のうち27枚を〈Pヴァイン〉から出しているんですが、その「ベスト・オブ・ベスト」というのが今回の基本コンセプトで。ただ、それに加えて、自分が30年間やってきたことを、その断片でもいいから新しい世代やリスナーに伝えたいという気持ちも強くあって。昔からよく僕のコンピは、数が多すぎて初心者はどこから聴いたらいいのかわからないって言われていたので、そういう方のためになるものにするのもアニヴァーサリーにはふさわしいかなと思いました。コンピレーションのコンピレーションのような感じですかね。
 この場を借りて感謝すると、先ほど話した負のスパイラルを逆回転させるのが難しかったタイミングで、2013年に〈Pヴァイン〉から声がかかったんですよ。2014年の「Free Soul」20周年に向けて、『Free Soul meets P-VINE』と『Free Soul~2010s Urban-Mellow』を作らせてもらって。『Suburbia』の別冊扱いのディスクガイドも作ったことで現役復帰できるきっかけになりました。その少し前、2007年の「Mellow Beats」と2008年の「Jazz Supreme」も〈Pヴァイン〉がスタートでした。当時、現在進行形でよく聴いていて好きで選曲したいと思っていたテイストのものを、シリーズのファースト・リリースとして立ち上げてくれたのが〈Pヴァイン〉だったので、今回はその要素も反映させたいなと。だから、それらが全部サブタイトルに入っています。

難しいとは思いますが、今回のコンピレーションのなかから、あえて1曲選ぶとすれば?

橋本:うわっ、難しい(笑)。どれも本当に思い出深い曲ばかりだけど、「Free Soul」的にはその曲がかかると空間がとくに光り輝いていたのはアリス・クラークだよね。ジョン・ヴァレンティやジョイス・クーリング、12インチ探している人も多いDump「NYC Tonight」の坂本慎太郎ヴァージョンもだけど。カフェ・アプレミディ代表としては最後の2曲かな。ザ・ジー・ナイン・グループ “I've Got You Under My Skin” とメタ・ルース “Just The Way You Are”。「Mellow Beats」代表としては、プリサイズ・ヒーローとケロ・ワン。ボビー・ハッチャーソン “Montara” とアーマッド・ジャマル “Dolphin Dance” という僕の大好きなサンプル・ソース両雄をサンプリングしていて、共にシリーズ最初の『Mellow Beats, Rhymes & Vibes』に入れた曲でした。「Jazz Supreme」の観点からはやはり、もっとも思い出深いファラオ・サンダースを。

ホルガー・シューカイの “Persian Love” はちょっと意外でした。

橋本:“Persian Love” は本来であれば〈Suburbia Records〉の「Good Mellows」シリーズに入るようなテイストの曲だとは思うんだけど、2008年に『Groovy Summer Of Love』というコンピの選曲を依頼されたときにセレクトしているんだよね。イランのラジオ放送からサンプリングした歌声がほんとうに気持ちよくて。夏の海辺のDJではずっとかけつづけている曲で、自分のなかでは定番で、ある意味では僕の選曲を象徴している曲かなとも思う。一般的には元カンでジャーマン・ロックとされるけれど、バレアリックやスロウ・ハウス、サマー・チルアウトとして解釈してプレイしてきたということ。あと、中学生のころにサントリーのCMで聴いていたというのもある。そういういろんなパースペクティヴがあって思い出の詰まった曲なので、自分にとって重要な曲なんです。本当にグッとくる、心が洗われる大切な曲ですね。

今後のヴィジョンについて教えてください。

橋本:それほど大きなヴィジョンを抱いているわけではないけど、コンピCDをもうちょっとだけでも作っていけたらという気持ちはあります。「Free Soul」の30周年までもうひと頑張りできたらと思っています。今回これを作らせていただいたことで、そういう気持ちが湧いてきました。

最後に、これから何かを成し遂げたいと思っている若者にアドヴァイスをお願いします。

橋本:特にないですね(笑)。やりたいこと、やらずにはいられないことに忠実にというか……強いて言うなら、一歩踏み出す勇気みたいなものは重要なんじゃないかなと思います。

◆橋本徹(SUBURBIA)コンパイラー人生30周年記念インタヴュー
https://note.com/usen_apres_midi/n/n11d377e01339

◆橋本徹(SUBURBIA)コンパイラー人生30周年記念コンピ『Blessing』リリース記念トークショウ
3月4日(土)15時から16時半までタワーレコード渋谷店6Fにて
出演:橋本徹/柳樂光隆

◆橋本徹(SUBURBIA)コンパイラー人生30周年記念コンピ『Blessing』リリース記念パーティー
3月4日(土)17時から23時までカフェ・アプレミディにて
DJ:橋本徹/櫻木景/松田岳二/高橋晋一郎/三谷昌平/青野賢一/山崎真央/中村智昭/waltzanova/haraguchic/NARU/KITADE/MITCH/aribo/松下大亮
Live:サバービア大学フォークソング部(山下洋&安藤模亜)

橋本徹のコンパイラー人生30周年を記念したベスト・コンピ『Blessing ~ SUBURBIA meets P-VINE "Free Soul x Cafe Apres-midi x Mellow Beats x Jazz Supreme"』に連動したTシャツを発売。

VINYL GOES AROUNDでは過去350枚に及ぶ人気コンピレーションを監修・選曲してきた橋本徹(SUBURBIA)のコンパイラー人生30周年を記念したTシャツの受注販売を開始します。
90年代以降に全世界で人気を博したコンピレーション・シリーズ、『Free Soul』のロゴを使用し、30周年にちなんで30色のカラー・バリエーションで展開。
今回は完全受注生産になりますのでお早めにどうぞ。

橋本徹(SUBURBIA)
編集者/選曲家/DJ/プロデューサー。サバービア・ファクトリー主宰。渋谷の「カフェ・アプレミディ」「アプレミディ・セレソン」店主。『Free Soul』『Mellow Beats』『Cafe Apres-midi』『Jazz Supreme』『音楽のある風景』シリーズなど、選曲を手がけたコンピCDは350枚を越え世界一。USENでは音楽放送チャンネル「usen for Cafe Apres-midi」「usen for Free Soul」を監修・制作、1990年代から日本の都市型音楽シーンに多大なる影響力を持つ。現在はメロウ・チルアウトをテーマにした『Good Mellows』シリーズが国内・海外で大好評を博している。

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“Free Soul” Official T-Shirts

White / Black / Sport Grey / Ice Grey / Irish Green / Indigo Blue / Military Green / Mint Green / Light Pink / Lime /
Red / Royal / Safety Orange / Safety Pink / Safety Green / Tan / Daisy / Natural / Orange / Cardinal Red /
Gold / Cornsilk / Sand / Sky / Purple / Pistachio / Prairie Dust / Vegas Gold / Heliconia / Maroon

S/M/L/XL/XXL

¥3,000
(With Tax ¥3,300)

※商品の発送は 2023年4月下旬ごろを予定しています。
※Tシャツのボディはギルダン 2000 6.0オンス ウルトラコットン Tシャツになります。
※期間限定受注生産(〜2023年3月31日まで)
※限定品につき、なくなり次第終了となりますのでご了承ください。

https://vga.p-vine.jp/exclusive/vga-1035/

 ‟ガールズ・バンド ” という概念は、元来不条理なものだ。
 勿論、ガールズ・グループに対してボーイズ・バンドという言葉も存在する。これは最近では、おおむね作りこまれたポップな商品であることを意味する。この業界のある側面は、しばしば搾取的であり、このようなアーティストたちはあきらかにメンバーの性的な魅力を利用して売り出されていることも、すべての加担者が基本的に理解していることだ。しかし、ロックの分野では “ガールズ・バンド ” という言葉は通常、外部から押し付けられたものであり、女性の芸術形式を男性の規定値から分離し、女性たちの作品が何を伝えようとしているかに関わらず、性別というレンズを通した型にはめてしまうのだ。私が東京で時々一緒に仕事をしている、女性がリードする素晴らしいポスト・パンク・バンド、P-iPLEは、Twitterのプロフィールに素っ気ない調子で「私たちはガールズ・バンドではない」と記している。
 もうひとつ、明らかにガールズ・バンドではない男性ばかりから成るアイルランドのノイズ・パンクスであるガール・バンドは、最近バンド名をギラ・バンドに改名した。10年前に元のバンド名を採用したのは、まさにその不条理さにこそあり、多くの人にとっては今でもどちらかというと無害な皮肉ぐらいに捉えられるのは、名前に込められたジョークがあきらかにバンド自身のことを指しているからだ。それでも彼らには絶え間ない反発が寄せられ、何年も前に馬鹿々々しいジョークとしてつけたバンド名を使い続ける利点よりも、最終的にはこの言葉が人を不快にする、あるいはノン・インクルーシヴ(非包括的)であると受け取られるリスクの方が高いと判断したようだ。

 社会の生々しい部分を指摘する人たちへの無責任な対応は、何も新しいことではなく、激しい対立や整合性のない指摘は、リスナーに音響的な不快感を与えようとする音楽と密接に結びついている。スティーヴ・アルビニが1980年代にビッグ・ブラックやレイプマン時代に放った過激な挑発の数々は、ガール・バンドという間抜けなバンド名のユーモアと比較するのは必ずしも有効とは言えないが、アルビニが当時について語ったことから、このような問題やそれを指摘する人への対応の背景にある暗示などの興味深い洞察を得ることができる。
 それは、大雑把でリベラルであるアーティスティックなバブルのなかで生活をしていると、自分が属する社会集団の規範が、必ずしも外の世界と共有されていないことを忘れがちになることに起因する。アルビニは「自分自身、そして多くの仲間たちは思い違いをしていた。人びとの平等とインクルーシヴネス(包括性)の獲得への戦いはすでに勝利で終わり、やがては社会においてもそれが発現し、私たちが対立や衝撃、嘲りや皮肉で何かを害することはないと思っていた」と総括している。

 4人組の男が “ガールズ・バンド ” というような馬鹿げた発想で遊ぶのは、性差別に打ち勝った勝利のダンスをしているように見えるかもしれない。だが、音楽の世界で活動する女性たちがあらゆる障害に直面し続けることを考えると、このジョークはもはや同じようには通用しないし、ミュージック・シーンでハラスメントや差別を経験した女性たちは、それらの問題を顔面に突き付けられたように感じるかもしれないのだ。
 バンド名の変更は、ほんの数文字を変える小さなもので、バンド自身は軽視していたもの確かだ(彼らは私がここで問題提起しているよりもずっと小さなこととして扱った)。だが私にとって興味深いのは、彼らの芸術がオーディエンスにますます敬意を持って受け入れられている様であり、それこそがギラ・バンドのニュー・アルバム『Most Normal』の素晴らしさの鍵となるかもしれないということだ。

 ノイズ・ロックは元来、不条理な音楽だ。
 それは、聴く者に居心地の悪さを与えようとする音楽だ。メロディやハーモニー、そして従来の心地よさや満足感をもたらす全てのツールを意図的に除去するかわりに、ディストーション、騒音や断片的なリズムを武器としている。それはまた、ある種の子供じみた音楽でもあり、物を壊してかき混ぜ、そこに出現するカオスや混乱、悪臭などに喜びを見出す。
 だがそれは同時に遊び心があり、好奇心をそそる音楽でもある。思いがけない音のテクスチュアに、厳格なロックの伝統の外側にあるものを感じ、再発見する喜びに没頭できるのだ。この分野で活動するバンドが3枚目のアルバムを作る際、冒険心を失わずに成長するにはどうすればいいのだろうか?
 ひとつの方法は、鳴り響く金属的な不協和音や、吹き出す紙やすりのようなディストーション、そして対立するリズムの一つひとつがどのように着地するのかに注意を払うことだ。どの混乱した音が痺れるようなものに変化するのか、どこで喜びと痛みの間に走る緊張感を保つのか、そしていつそのバランスを、酔ったようなよろめきで一方向に傾かせるのかに敏感になることだ。

 『Most Normal』は、1トンの爆発物のような着地を見せるが、バンドの過去2作のアルバムと比較して、その分野に対しての高まり続けるインテリジェンスや自覚に導かれている。オープニング・トラックの ‟The Gum“ の金切り声のようなディストーションを強調するように反復するディスコ・パルスは、バンドがエレメントのバランスを取ることに確信を深めているのが分かり、2曲目の ‟Eight Fivers” を際立たせる轟音の爆発は、拳を突き上げるような高ぶりからEDMのビート・ドロップに着地する。アルバムを通して、ギラ・バンドはサウンドをこれまでにないほどの挑戦的な極限へと押しやり、ほとんどメロディを落ち着かせることはないながらも、それぞれのエレメントの、オーディエンスへの作用を敏感に感じ取り、恍惚とした残酷さでリスナーの感覚を操っている。
 微かな旋律の気配が漏れ出る最後から2曲目の ‟Pratfall” では、Lowの前2作のアルバムの特徴であった素早く走るようなディストーションに引き裂かれ、ふるいにかけられる。他でも同様に、アルバムがタイトでまばらなビートと吐くようなノイズの発作の間を飛び火する様は、リスナーを、その忍耐力の限界までプッシュすることを存分に意識した内部のリズムによって作られている。

 ギラ・バンドが改名についての説明をする際に、あまり深く考えずに決めたことで、「この選択を正当化したり、説明したりすることは不可能だとわかった」と言及している。この、説明できないということこそが、彼らが名前を変えたことが正しかった理由であり、『Most Normal』の音楽が、不快感を享受しながらより鮮明な音楽的な理由でもって、それを証明している。それは未だに馬鹿げた、生意気なパンク的な面白さだが、薄っぺらに着想されたものでも気まぐれなものでもない。いまやすべての要素が、なぜそこにあるのかを正確に把握しているようだ。


Gilla Band – Most Normal
Rough Trade /ビート

 

Gilla Band, girl bands, and musical discomfortby Ian F. Martin

The idea of a “girl band” is essentially an absurd one.

Of course the term boy band exists too, as the alliterative counterpart to the girl group: nowadays meaning a more or less manufactured pop product. Exploitative as this side of the industry often is, it’s basically understood by all participants that these acts are being sold explicitly on the gendered appeal of the members. In the rock arena, though, the term “girl band” is typically imposed from the outside, segregating women’s art from the implicitly male default, framing their work through the lens of their gender regardless of what they intend to communicate. One band I sometimes work with in Tokyo, the wonderful female-led post-punk band P-iPLE, put it bluntly on their Twitter bio: “We are not girls band.”

Another band who are definitely not a girl band are all-male Irish noise-punks Girl Band, who recently renamed themselves Gilla Band. The absurdity of the term was at the heart of their adoption of it as their band name ten years ago, and to a lot of people it probably still seems like a more or less harmless bit of irony, where the joke is clearly on the band themselves. Still, they received a steady stream of pushback over it and eventually seem to have decided that the potential for it to be read as mocking or non-inclusive outweighed the benefits of sticking with a name they clearly came up with as a silly joke years ago.

This sort of playing fast and loose with signifiers that poke at raw spots in society is nothing new, with harsh juxtapositions and mismatched signifiers going hand in hand with music that seeks to sonically provoke discomfort in the listener. The extremeness of the provocations Steve Albini unleashed via Big Black and Rapeman in the 1980s mean they’re not necessarily a very useful comparison with the goofy humour of a band name like Girl Band, but Albini’s subsequent discussion of that time does offer some interesting insights into the thinking behind and implications of playing with these issues and signifiers.

Partly, it comes down to how life in a broadly liberal artistic bubble makes it easy to forget that the norms of your social group aren’t always shared by the world outside. Albini summarises, “For myself and many of my peers, we miscalculated. We thought the major battles over equality and inclusiveness had been won, and society would eventually express that, so we were not harming anything with contrarianism, shock, sarcasm or irony.”

So four guys playing with a patently absurd idea like the notion of a “girl band” might feel like a victory dance over defeated sexism. However, once you consider that women in music continue to face all manner of obstacles, the joke doesn’t work in the same way, and to women who have faced harassment or discrimination in the music scene, it could feel like having those troubles thrown in their face.

It’s true that the name switch was a small change, of just a couple of letters, and one the band themselves downplayed (they made it far less of a deal than I’m making of it here). What interests me, though, is that it shows a growing respect fot how their art lands with its audience, and this maybe offers a key to what’s so fantastic about the new Gilla Band album “Most Normal”.

Noise-rock is essentially absurd music.

It’s music that wants to make you uncomfortable, It deliberately strips songs of their melody, harmony and all the conventional tools to trigger comfort and satisfaction, instead reaching for distortion, discord and fractured rhythms as its weapons. It can be a childish sort of music too, that breaks things and stirs the shit just to delight in the chaos, mess and bad smells that emerge.

But it’s also playful and curious music. It delights in the unexpected, in the texture of sound, it’s steeped in a sense of rediscovery outside the rigours of rock tradition. For a band in this general arena making their third album, how do you mature without losing that sense of adventure?

One key way is to pay attention to how every piece of clanging dissonance, blown-out sandpaper distortion and rhythmical confrontation lands — to be conscious of which fucked-up sounds resolve into something electrifying, when to hold the tension between pleasure and pain and when to let the balance lurch drunkenly one way or the other.

“Most Normal” lands like a tonne of explosives, but it’s guided with a growing intelligence or awareness of its terrain compared to the band’s previous two albums. The repetitive disco pulse that underscores the screeching distortion of opening track “The Gum” offers an immediate sense of the band’s growing assurance in how they balance their elements, while the bursts of thundering noise that punctuate second track “Eight Fivers” land with the fist-pumping heart-surge of an EDM beat drop. Throughout the album, Gilla Band push sounds to ever more challenging extremes, hardly ever reaching for the comfort of melody, but somehow applying each element with a keen sense of how it’s working on the audience, puppeteering the listener’s senses with ecstatic cruelty.

Where the hint of a tune does filter through, on penultimate track “Pratfall”, it’s ripped apart and filtered through the sort of skittering distortion that characterised Low’s last couple of albums. Elsewhere, the way the album ricochets between tight, sparse beats and convulsions of vomiting noise happens according to an internal rhythm that’s aware of the limits of the listener’s patience just enough to push them.

When explaining their change of name, Gilla Band noted that they had chosen it without much thought and increasingly “found it impossible to justify or explain this choice.” This inability to explain is the most important reason why they were right to change it, and the music on “Most Normal” in its own way proves the point, revelling in discomfort but with an increasingly clear musical reason. It’s still silly, snotty punk fun, but it’s not flimsily conceived or whimsical: every element now seems to know exactly why it’s there.

Shovel Dance Collective - ele-king

 伝統的なフォーク・ソングは、上手く演奏されると尋常ではないクオリティーの高さを発揮する。空気中の何かが変化したかのように、演奏者もオーディエンスも、その会場にいるのが自分たちだけではないことに気付くのだ。シャーリー・コリンズが、かつてインタヴューで「私が歌うと、過去の世代が自分の背面に立っているように感じる」と語ったように。
 これは、現代のフォーク・アンサンブル、Shovel Dance Collectiveの音楽を特徴付ける性質のひとつである。ロンドンの9人組は、いわゆるフォーク・ソング歌手のようには見えない。まずほとんどのメンバーがまだ20代であり、ドローン、メタル、アーリー・ミュージック、そしてフリー・インプロヴィゼーションなどの異端なジャンルへの愛着を公言する。数年前の結成以来、まるで歴史修正主義者のような熱意でフォークの正典に向き合い、労働者階級、クィア、黒人、プロト・フェミニズムの物語を前面に出してきた。その切迫感が音楽にも乗り移り、生々しく、土臭く、非常に生き生きと感じられる。端的に言えば、存在感があるのだ。
 2021年のクリスマスにShovel Dance CollectiveのYouTubeアカウントに投稿された動画は、まさに彼らの典型的なアプローチの仕方といえる。ヴォーカリストのマタイオ・オースティン・ディーンが、がらんとした工業用建物に独り佇み、19世紀の哀歌“The Four Loom Weaver”を歌う。労働者階級の失業と飢餓についての苦悩の物語だ。荒涼としたセットの感じが、ディーンの、首を垂れ、目を閉じてトランス状態にあるかのように切々と歌うパフォーマンスにさらにパンチを加えている。

 これまでのShovel Dance Collectiveのレコーディングの多くは、洗練よりも即時性を重視している。彼らの最初のリリース、2020年の『Offcuts and Oddities』は、手持ちのレコーダーや携帯電話で収録され、しばしばハープ奏者のフィデルマ・ハンラハンのリビング・ルームで録音されているのだ。彼らが従来のスタジオ録音を行うことは想像しにくく、これまででもっとも充実したリリースとなった『The Water is the Shovel of the Shore』(水は岸辺のシャヴェルである、の意)も、勿論そうではない。
 アルバムは4つの長尺の作品(シンプルにIからIVと番号付けられている)で構成され、ヴォーカルとインストゥルメンタルの演奏に、ロンドンのテムズ川とその近辺の水路などで収録された環境音がブレンドされている。マルチ・インストゥルメンタリストのダニエル・S.エヴァンスにより継ぎ合わされたこれらのメドレー/サウンドコラージュは、存分に感情に訴えてくる。
 そこかしこに水が在る。激しく流れ、足元を跳ね上げ、天上から滴り落ちる。たくさんの声が、溺れた恋人や海で遭難した船員、捕鯨船団や、海軍の遠征の話を語り、亡霊のように霧の中から浮かび上がる。しかし同時に、観光客がカモメに餌をやる音、艤装の際の軋む音、そして聖職者が毎年行う川への祝福の音なども聞こえてくる。過去が現在と共存している。歌と、歌に込められた物語は、街そのものから切り離せないものとなる。
 このアルバムは、エヴァンス、ディーンと同じくヴォーカルのニック・グラナータが、ロンドン南東部のかつては水車で埋め尽くされていた地帯であるエルヴァーソン・ロードDLR駅地下を走るトンネルで録音したセッションに端を発する。航海にまつわるテーマの“Lowlands”や“The Cruel Grave”といった曲ではディーンとグラナータの声が幽霊のように空間に轟く。
 他のメンバーたち(彼らのことをショヴェラーズと呼んでもOK?)も水にまつわるテーマを取り上げ、ヴァイオリン、ハンマー・ダルシマー(訳注:イギリスの伝統音楽で多用されるピアノの原型の打弦楽器)、そして私のお気に入りであるバスハーモニカなどの楽器で、バラッドやジグやシーシャンティ(船乗りたちの労働歌の一種)に貢献している。多種多様な録音の忠実度が、hi-fi/lo-fiがブレンドされたcaroline(キャロライン)の自身の名を冠したアルバムを思わせる、ある種の面白いコントラストを生み出している。実際、「The Rolling Waves」の美しいヴァージョンを演奏しているヴァイオリニストのオリヴァー・ハミルトンとロー・ホイッスル奏者のアレックス・マッケンジーは、両方のグループに共通のメンバーだ。
 アルバムに付随するエッセイでは、テムズ川の象徴性と一般的な水について深く掘り下げている。「土地と人々の支配に欠かせない水は、土地の文化とは一線を画した、植民地化、奴隷制度、人種差別、資本、商品や人々の移動の過程で形成された独自の文化を持っている。」という認識は、選曲や演奏のスピリットにも反映される。それは決して騒々しいものではないが、ブリティッシュ・フォークと聞いて多くの人が想像するような気取った田園風のものでもない。
 複数の民族の血を引くこの集団のメンバーと同様に、音楽は特定の国や地域に限定されておらず、イングランド、スコットランド、アイルランドにガイアナの歌がある。アルバムはガイアナ人の母親を持つディーンが歌う「Ova Canje Water」で幕を閉じるが、この曲は旧イギリス領ギアナで逃亡した奴隷が、新しく手にした自由について思いを巡らせながら、タイトルにもなっているカンジェ川の水を振り返って見渡すと言う内容だ。
 荒涼とした話になりがちなこのアルバムのなかでは、希望のある終わり方だ。特に第2部の冒頭を飾る悲痛なバラッド“In Charlestown there Dwelled a Lass ”(チャールズタウンに一人の小娘が住んでいた)がそうで、ハンラハンのハープをバックに、グラナータがアノーニのような情感豊かな震える声で、悲運のロマンスを表現している。衝撃的だ。
 全員によるアンサンブルを聴けるのは、冒頭の“The Bold Fisherman”の1曲のみであるにも関わらず、このレコードにみる団結力のすごさは印象的だ。個々の声が組み合わさり、何よりも大きな物を創造する、真の意味での集団的な仕事なのである。曲の多くが断片としてしか聴こえてこないのも、生きた伝統に触れているという感覚を高めてくれる。人から人へと受け継がれるもの、時が止まっているのではなく、常に動いているもの。過去から未来へと流れる共同体のようなものを。

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Shovel Dance Collective

The Water is the Shovel of the Shore

Memorials of Distinction / Double Dare

James Hadfield
 
Performed well, traditional folk songs can have an uncanny quality. Something in the air seems to shift, as players and audience alike become aware that they’re no longer the only ones in the room. As Shirley Collins once told an interviewer[1] : “When I sing, I feel past generations standing behind me.”
This is a defining quality of the music made by contemporary folk ensemble Shovel Dance Collective. The London nine-piece don’t look like your typical folkies: most of the members are still in their twenties, for starters, and they cite an affection for such heterodox genres as drone, metal, early music and free improvisation. Since forming a few years ago, they’ve been tackling the folk canon with the zeal of revisionist historians, foregrounding working-class, queer, Black and proto-feminist narratives. That sense of urgency carries over into the music itself, which can feel raw, earthy, and very much alive. Simply put, it has presence.
A video[2]  posted to Shovel Dance Collective’s YouTube account on Christmas Eve in 2021 is typical their approach. Vocalist Mataio Austin Dean stands alone in a vacant industrial building and sings the 19th-century lament ‘The Four Loom Weaver’, a wrenching tale of working-class unemployment and starvation. The starkness of the setting gives added punch to what’s already an impassioned performance – which Dean delivers with his head bowed and eyes shut, as if in a trance.
Much of Shovel Dance Collective’s recorded output to date has prized immediacy over polish. Their first release, 2020’s “Offcuts and Oddities,” was captured on handheld recorders and phones; they often record in harp player Fidelma Hanrahan’s living room. It’s hard to imagine the group making a conventional studio record – and “The Water is the Shovel of the Shore,” their most substantial release to date, certainly isn’t it.
The album comprises four lengthy pieces (simply numbered ‘I’ to ‘IV’), in which vocal and instrumental performances are blended with environmental recordings captured along London’s River Thames and nearby waterways. Spliced together by multi-instrumentalist Daniel S. Evans, these medley/sound collages are richly evocative.
Water is everywhere: flowing in torrents, sloshing underfoot, dripping from the ceilings. Voices emerge like revenants stumbling out of the fog, telling stories of drowned lovers and sailors lost at sea, whaling expeditions and naval campaigns. But we also hear tourists feeding gulls, the creaking of rigging, and clergy conducting their annual blessing of the river. The past coexists with the present. The songs, and the stories they contain, become indivisible from the city itself.
The genesis of the album was a session recorded by Evans, Dean and fellow vocalist Nick Granata in a tunnel that runs under the Elverson Road DLR station in south-east London, a site once occupied by a watermill. Dean and Granata’s voices resound through the space, haunting it, as they perform nautically themed fare including ‘Lowlands’ and ‘The Cruel Grave.’
The other members (is it OK to call them “shovelers”?) pick up the aquatic theme, contributing ballads, jigs and sea shanties on instruments ranging from violin to hammered dulcimer and – my personal favourite – bass harmonica. The varying fidelity of the recordings makes for some delicious textural contrasts, redolent of the hi-fi/lo-fi blend on caroline’s self-titled album. Indeed, the groups share a couple of members – violinist Oliver Hamilton and low whistle player Alex Mckenzie – who do a beautiful version of ‘The Rolling Waves’ here.
An accompanying essay delves deeper into the symbolism of the Thames, and water in general: “Vital in the control of lands and people, water has its own culture, distinct from land cultures, formed by processes of colonisation, slavery, racialisation, movement of capital, goods, people.” This awareness informs both the choice of songs and the spirit in which they’re performed. It isn’t raucous, exactly, but nor is this the kind of genteel, bucolic stuff that most people think of when you mention British folk.
In keeping with the mixed heritage of the collective’s members, the music isn’t restricted to any one country or region. There are songs from England, Scotland, Ireland and Guyana. The album concludes with Dean – whose mother is Guyanese – singing ‘Ova Canje Water’, in which an escaped slave in what was then British Guiana looks back across the waters of the titular Canje River, contemplating his newfound freedom.
It’s a hopeful finish to an album whose tales tend to be bleaker in nature. That’s especially true of ‘In Charlestown there Dwelled a Lass’, the heartbreaking ballad that opens the second part. Accompanied by Hanrahan’s harp, Granata delivers a story of doomed romance in a quavering vocal with the emotional intensity of Anohni. It’s a stunner.
Only once – on the opening performance of ‘The Bold Fisherman’ – do we hear all of the ensemble together, yet it’s impressive how cohesive the record is. It’s a collective undertaking in the truest sense, in how the individual voices combine to create something greater than all of them. The way many of the songs are only heard as fragments heightens the sense of tapping into a living tradition: something passed on from one person to the next, in constant motion rather than fixed in time. Something communal, flowing from the past to the future.

律動と残響 - ele-king

 2010年9月4日の深夜、伊豆山中で開催された「Metamorphose 2010」。スティーヴ・ヒレッジとエリオット・シャープを従えたマニュエル・ゲッチングは『Inventions For Electric Guitar』全曲を星空の下で黙々と演奏し続けた。2時間立ち続けて確保した最前列でその波動を浴びながら、私はいつしか30年前のことを思い出していた。ハンブルクからベルリンへと向かう夜行列車の暗い車窓の向こうにぼんやりと浮かんでは消える町の灯り。携帯テレコから延々と流れ続ける『Inventions For Electric Guitar』と『New Age Of Earth』。1980年の夏、2ヶ月かけてヨーロッパを一周していた私は、時間はかかるけど、どうしてもベルリンに行きたかった。『New Age Of Earth』のジャケット(ヴァージン盤)にある風景を見たかった。有刺鉄線が張り巡らされた柵際に屹立する廃墟のようなビルと、その頂に冷たく輝く太陽──あの風景がベルリンのものなのかは不明だったが、とにかくあの孤絶感の中でゲッチングを聴きたいと思ったのだ。

 当時のドイツはまだ東西に引き裂かれ、東ドイツ内の飛び地ベルリン市もコンクリートの壁と有刺鉄線で東西に分断されていた。西ドイツの他の都市とは異なる冷ややかな空気に包まれた陸の孤島には、肌を刺すような緊張感が漂っている。そしてその緊張感は、色彩を失った東ベルリン(旅行者は許可をとって1日だけ行けた)では倍増していた。ゲッチングを聴きながら東西ベルリンをあちこち歩き回った私は結局『New Age Of Earth』のあの場所は見つけられなかったが、ゲッチングのサウンドはこの町だからこそ生まれたということだけはわかった。

 半世紀以上にわたって活動したゲッチングのサウンド手法は初期と後期ではずいぶん異なるが、その哲学を極言すれば「トランス」の一語に尽きる。それは「Trance(意識の変容)」であり、「Trans(超越)」でもある。50年間ひたすら Trance / Trans し続けた音楽家、それがマニュエル・ゲッチングだと思う。何が彼にそうさせたのかといえば、ベルリンという孤島である。孤島で生きる者が抱える緊張感、寂寥感、内省、それらの反作用としての快楽性、刹那性、夢想性。そういったもろもろが混然一体となって昇華されたのがゲッチングの Trance / Trans の正体だろう。ドラッグとの関係にもしばしば言及されるわけだが、実際彼がドラッグ・ユーザーだったとしてもそれは些末な問題だと私には思える。ゲッチングがひたすら奏で続けた律動と残響は、孤島の哀しみにほかならない。


「Metamorphose 2010」にてプレイするマニュエル・ゲッチング

 ベルリン市の西半分(東京都23区よりもやや小さい程度)が壁と有刺鉄線で完全に包囲されたのは1961年のこと。その9年前の52年、マニュエル・ゲッチングは西ベルリンで生まれた。ベルリンの壁は89年には崩壊したわけだが、ゲッチングは生涯この町を離れることはなかった。

 幼少時には家族でオペラなどを楽しみ、クラシック・ギターを習っていたゲッチングだったが、10代半ばには英米のロック・ミュージック、とりわけジミ・ヘンドリクスやエリック・クラプトンなどのブルース・ロックに耽溺し、67年(15才)に最初のバンド、ブルーバーズをハルトムート・エンケ(b)と結成。それはボム・プルーフス、バッド・ジョー等へと名前を変え、69年にはスティープル・チェイス・ブルースバンドになった。そして70年、ゲッチングとエンケの2人に、タンジェリン・ドリームをデビュー・アルバム・リリース後に抜けたばかりのドラマー、クラウス・シュルツェが合流して生まれたのがアシュ・ラ・テンペルだ。ゲッチングとエンケ、シュルツェは皆、60年代末期ベルリンの実験音楽/アートの梁山泊的クラブ、ゾディアック・フリー・アーツ・ラボに出入りしており、同ラボの出資者の一人でもあるコンラート・シュニッツラーの即興音楽コレクティヴ、エラプションで共演していた仲間である。

 ブルースを基軸にサイケデリック・ミュージックを奏でるアシュ・ラ・テンペルの最初の4作品(71年『Ash Ra Tempel』、72年『Schwingungen』、73年『Seven Up』、73年『Join Inn』)では年長のシュルツェに遠慮したり、ドラッグ大好きエンケに引きずられたりしていたゲッチングだが、シュルツェの脱退、エンケの廃人化によるオリジナル・トリオ崩壊後、恋人ロジ・ミュラーのスペース・ヴォイスをフィーチャーした5作目『Starring Rosi』(73年)で気分転換し、6作目『Inventions For Electric Guitar』(75年)からいよいよ彼は独自のトランス・ワールドを確立してゆく。ゲッチングの名前がプログレ/クラウトロックの狭い囲いからはずれ、彼に商業的成功と歴史的名声をもたらしたのは言うまでもなく84年の『E2-E4』だが、ハウス/テクノに絶大な影響を与えたあのミニマル・サウンドは、既に『Inventions For Electric Guitar』において大本ができあがっていた。

Ash Ra Tempel - Ash Ra Tempel (1971) FULL ALBUM

Manuel Göttsching - Inventions for Electric Guitar (Full Album) 1975

 74年、ベルリンの自宅内プライヴェイト・スタジオ〈Studio Roma〉でゲッチングは新作を作り始めたが、その時彼の手元にあったのは、エレキ・ギターとティアックの4チャンネル・テレコ2台、ディレイやエコーなどわずかなエフェクターだけだった。しかしそのミニマムな制作環境ゆえに新たな世界への扉は開かれたのである。微細にピッキングされたギターのミニマル・サウンドがディレイやエコーによって絶え間なく波紋を広げてゆく中、ブルース・スケールを絡めながらめくるめく幻覚的空間を現出させてゆくオープニング曲 “Echo Waves” は、サイケデリック・ロックとミニマル・ミュージックの融合例としていまなお超える作品がない、律動と残響による革命的名曲である。と同時にゲッチングの「Trance / Trans」哲学がポップな形で初めて表現された成功例でもあった。
 その成果を元に、今度はシンセサイザーとシークェンサーを用いてインナー・スペースからアウター・スペースへと視線を転換させたのが成層圏を突き抜ける法悦感に包まれた次作『New Age Of Earth』(76年)であり、その路線はやがて大銀河に溶け込む無我の音響マントラ『E2-E4』へと結実することになる。

Ash Ra - New Age Of Earth (Full Album) 1976

Manuel Göttsching - E2-E4 (Full Length Version) - 1981/1984

 同じ律動が1時間弱続くアルバム・タイトル曲1曲のみを収録した『E2-E4』は84年のリリースだが、録音されたのは81年の12月12日である。たった1日で完成された一筆書きの作品ではあるけど、一筆書きだからこそゲッチングの人生すべてが詰まっていた。緊張と快楽、内省と無我、永遠と刹那、現実と夢想……ベルリンという孤島で70年の生涯をまっとうしたマニュエル・ゲッチングの人生のすべてが。公式サイトによるとゲッチングが亡くなったのは12月4日だという。しかし公に発表されたのは12月12日だった。41年前にたった1日で『E2-E4』を作り上げた “その日” の持つ意味はゲッチングにとっても、音楽史的にも、重い。

不気味なものの批評を超えて - ele-king

 イギリスの批評家マーク・フィッシャーの『奇妙なものとぞっとするもの』の日本語訳が、先日 ele-king books の一冊として刊行された。本書は日本語に訳されたフィッシャーの著書としては『資本主義リアリズム』、『わが人生の幽霊たち』、『ポスト資本主義の欲望』に続く四冊目に当たる。これらのうちでおそらく最も有名な『資本主義リアリズム』は、ドナルド・トランプのアメリカ合衆国大統領就任と著者フィッシャーの自殺がほぼ同時期に起きたあの悪夢のごとき2017年の翌年である2018年に邦訳が出版され、資本主義とは異なる社会的組織化の原理をもった世界を想像することさえ困難になってしまった現在の私たちを取り巻く生と思考の諸条件をクリアに描き出してみせた絶望的なまでにリーダブルな書物として、日本でも大きな話題となった。それゆえ多くの人にとってマーク・フィッシャーの名は、『資本主義リアリズム』の著者として、同書における怜悧で核心を突くような政治的社会的考察の数々とともに記憶されているに違いない。彼の晩年の講義録であり最近邦訳が刊行されたばかりの『ポスト資本主義の欲望』は、2010年代に入ってからのフィッシャーがゼロ年代後半にみずから提示した暗鬱たるヴィジョンからの逃走線を、いやむしろ構築線とでも呼ぶべきものをいかにして引こうとしていたかを生々しく物語るものとなっており(ジェルジ・ルカーチの『歴史と階級意識』とヘルベルト・マルクーゼの『エロスと文明』があのような仕方で再評価されるなどといったい誰が予想できただろうか)、『資本主義リアリズム』に感銘を受けた多くの読者の期待に応えるものとなっている。「出口なし」の状況、個人主義的な快楽主義の規範のなかで見失われる集合的な享楽の可能性、「新しいもの」や実験への欲望に対して絶えず加えられる新自由主義的な抑圧──そのような条件のもとで実存的に窒息しかけながら、打開策を求めて必死で手探りし続けている人々に、翳りを帯びた表情で、しかしユーモアを忘れずに内在的な救いの手を差し伸べる。マーク・フィッシャーとはそのような人だった。現代大陸哲学の確かな知識にもとづき政治と社会を縦横無尽に論じてゆく左派のブリリアントな「理論家」としてのフィッシャーの姿が、そこには明瞭に記録されている。
 他方で、『わが人生の幽霊たち』と『奇妙なものとぞっとするもの』の二冊にはフィッシャーの別の相貌が映し出されている。すなわち、「理論家」としての政治的フィッシャーに完全に統合されているとは言いがたい、「批評家」としての美学的フィッシャーである。周知のとおりフィッシャーは90年代にウォーリック大学の哲学科で学び、博士号を取得している。当時そこでは異端のドゥルーズ&ガタリ派哲学者ニック・ランドが教えており、レイ・ブラシエやイアン・ハミルトン・グラントやロビン・マッカイといった、思弁的実在論と呼ばれる大陸系哲学運動の中核をのちに担うことになる人々も学生として籍を置いていた。フィッシャーは彼らと晩年まで友人であり続ける。彼が一見すると『資本主義リアリズム』での自身の立場と正反対に見えるもの、すなわち加速主義──イギリスではランドを通じて広められた、資本がもたらす認知的かつ技術的な生産のプロセスを徹底的に加速させることで資本主義そのものを内破させることができるとする立場──に積極的にコミットする姿勢を見せたのにもそのような背景がある。しかしフィッシャーは初めからウォーリック大学にいたわけではない。ランドとともにあの伝説的な CCRU(Cybernetic Cultural Research Unit)を立ち上げたセイディー・プラントが96年に同大学に移ってくるまでは、70年代以来カルチュラル・スタディーズの牙城であったバーミンガム大学で学んでいた。つまり彼はもともと、スチュアート・ホールやポール・ギルロイの系譜に属するカルチュラル・スタディーズの研究者(の卵)だったのである。94年には雑誌『ニュー・ステイツマン』にオアシスやブラーに代表されるブリットポップの反動性を批判した記事を寄稿する傍ら、D-Generation という「パンクの幽霊に取り憑かれたテクノ」をコンセプトとしたグループで「Entropy in the UK」というEPを発表し、音楽批評家サイモン・レイノルズの目に留まったりもしている。したがってフィッシャーの活動の中心には当初から音楽が、それも文化全体への批判的視点に貫かれたものとしてのパンク(もしくはポストパンク)があったのだと言われねばならない。
 以上のとおり「批評家」としてのフィッシャーは、ポピュラー文化が生み出した諸々の作品、あるいはより正確に言えば「文化的生産物」のうちに、解放的未来への政治的想像力を活気づけるようなエッジの効いた美学的ポテンシャルを探ろうとする立場をとっていた。資本主義リアリズム(サッチャー的な「この道しかない=オルタナティヴなど存在しない」)への政治的批判と、加速主義(パンク的な「未来などない=未来の幽霊の声を聴かなければならない」)への美学的コミットメントという二つのパースペクティヴの不安定な総合を試みるルート、抑鬱への傾斜をも含んださまざまな危険に満ちたルートを歩みつつあった彼の姿は、2000年代の前半から彼が自身のブログ K-Punk や『The Wire』などの雑誌に発表してきた音楽、小説、映画、テレビドラマといった多彩なジャンルの生産物を取り扱うテクストからなる『わが人生の幽霊たち』(原著は2014年に出版)においてとりわけはっきりと確認することができる。そこでフィッシャーは、ザ・ケアテイカーブリアルといったミュージシャンたちを「アンイージー・リスニング」の実践者、失われたユートピア的未来の亡霊を絶えず回帰させるような「憑在論」(哲学者ジャック・デリダの用語)の美学の実践者として、力強く支持することになる。この「憑在論」の美学に関して強調されねばらないのは、そこで念頭に置かれている聴取のタイプが、80年代リバイバルやヴェイパーウェイヴなどに見られるような明らかに自己慰撫的な「ノスタルジー・モード」(批評家フレドリック・ジェイムソンの用語)の聴取のそれとはまったく似て非なるものであるということだ。幽霊や亡霊の形象を動員することでフィッシャーが試みているのは、私たちの眼と耳を私たちの慣れ親しんだ世界のイメージから引き剥がして、見慣れないもの、よそよそしいもの、異邦的なもの(the alien)のほうへと向けなおさせることである。フィッシャーの美学的格率が述べるのは、私たちは自身の思考をつねに「外部(the outside)」へと方向づけておかなければならない、ということだ。
 『わが人生の幽霊たち』と同じく五井健太郎によって日本語へと訳されたフィッシャー生前最後の著作『奇妙なものとぞっとするもの』は、何よりもそのような「外部」の概念の具体的な練り上げを試みたものとして読むことが可能な書である。本書では、ホラー小説とSF映画と(広義の)実験音楽とが同じ概念的道具立てによって論じられるが、そこで基軸となるジャンルはホラーだ。このことは、ダルコ・スーヴィンの『SFの変容』が典型的であるように、批評的評価の観点からは伝統的にSFのほうがホラー(ファンタジー)よりも意義深いものだと見なされてきたことを踏まえるならば意外に感じられるはずである。さらにフィッシャーは、本書の序でみずから定義する「奇妙なもの」と「ぞっとするもの」という二つの概念を用いることによって、ホラーやSFをめぐる批評的言説の世界でこれまで覇権的な地位を占めてきた「不気味なもの」という精神分析的な概念を乗り越えることを企てる。「奇妙なものやぞっとするものを「ウンハイムリッヒ」なもの〔=不気味なもの〕の一部と見なすことは、外部から世俗的なものへの撤退の徴候である。広範に見られる「ウンハイムリッヒ」なものにたいする偏重は、ある種の批判〔critique〕へと向かう衝動に対応するものであり、そしてこの批判はつねに、内部の穴〔gaps〕や行き詰まりを通じて外部を処理することによって作動する。だが奇妙なものやぞっとするものはこれとは反対の動きをおこなう。すなわちそれらは、外部の視点から内部を見ることを可能にするのだ」(邦訳、14頁)。外部を内部化し、幽霊をドメスティケートしてしまう精神分析および「不気味なもの」の概念を拒絶したうえで、内部をいかなる意味でもその相関項ではないような外部の視点から掴み返し、幽霊をオイディプス的三角形から解放して猛り狂わせるような戦略をフィッシャーはとる。これは批判/批評への反逆でもあるのだ。また、ここでのフィッシャーの「不気味なもの」概念の批判(あるいはむしろ「批判の批判」)には、先述した通り彼と近しい間柄であった思弁的実在論の哲学者たちが「相関主義」──カント以来の、したがって「批判/批評哲学」以来の大陸哲学に支配的であった傾向──への批判として展開した議論とよく似た点があることも指摘されるべきだろう。ホラーの概念的ポテンシャルを展開することで、外部を内部と相関させることなく、しかもあまりに難解な表現に頼ることなく、素面で思考する方法を彼は開発しようとしたのだ、と言ってもよい。本書におけるグレアム・ハーマンやレザ・ネガレスタニやベン・ウッダードへの参照は、フィッシャーが友人たちのそうした哲学的思弁の冒険に対してある種の親近感を抱いていたことの証左を与えている。
 さて、しかしそうなってくると問題は──なお、本書の訳者である五井が原語の多義性に配慮して「奇妙なもの」という包摂度の高い訳語を充てた “the weird” は、H・P・ラヴクラフトのクトゥルー神話や日本における怪談に相当するゴシックとの結びつきがはっきりと意図されている概念である以上、私個人は「怪奇なもの」あるいは「奇怪なもの」と強く訳すのが妥当ではないかとやはり思ってしまうのだが、それはともかく──「不気味なもの」の「批評/批判」を超えるための概念がなぜ二つあるのか、ということになりそうである。もっと踏み込んで言うなら、「外部」はなぜ二つ存在しなければならないのか、ということだ。それに関連することとして、フィッシャーが「奇妙なもの」と「ぞっとするもの」を恐怖(horror / terror)の情動に必ずしも結びつくものではないとしている点も注目に値する(邦訳、10頁参照)。この二つの「外部」の存在様態は、恐怖へのゲートとしても十分に機能するが、そうならないように機能することもできる──それはなぜなのか。このような問いに納得のいく答えを与えることは、この短い紹介記事ではもちろん到底なしえない。しかし、「何にも属していないもの(that which does not belong)」というフィッシャーによる「奇妙なもの」の定義が、アラン・バディウの哲学における「出来事とは状況へのその所属〔appartenance; belonging〕が決定不可能であるような多のことである」という主張を思い起こさせるという事実から、少なくとも彼がどのような狙いのもとで、「奇妙なもの」は「モダニズム的な作品や実験的な作品」にしばしば見出されるものであり、「新しいもの」の指標となるものだと述べているのかを推測することはできる(邦訳18頁)。それは「理論家」フィッシャーの関心事であるポスト資本主義的世界の実現可能性という問題に、おそらく深く関わっている。すなわち、その世界は、いまだ資本主義的世界の想像力のなかに生きる私たちにとってはたいへん「奇妙なもの」と感じられるに違いないが、にもかかわらず、私たちはそれを享楽しようとするポジティヴな感情をもつことができる──そのような含意が、「奇妙なもの」に関するフィッシャーのさまざまな記述からは浮かび上がってくるように思われるのだ。
 他方で、「不在の失敗や現前の失敗によって」構成されると言われる「ぞっとするもの」が、運命論(fatalism)と行為主体性(agency)に関わるとされているのは、これもやはり『ポスト資本主義の欲望』における「資本には媒介する力(エージェンシー)があります」(邦訳174頁)という発言と関連づけて読まれるべきであろう。『奇妙なものとぞっとするもの』では資本自体がそもそもあらゆる点で「ぞっとするもの」であることが述べられている(邦訳15頁)。「ぞっとするもの」の概念は、いるはずなのにいない誰か(現前の失敗──遺跡)やいないはずなのにいる誰か(不在の失敗──幽霊)への回路を開く「ケア」的なニュアンスをもつものと解釈することもできるが、他面では、徹底的に非人称的で脱中心化された運命の車輪──私たち自身が始めたものであるはずなのにその終わりを想像することができなくなってしまったもの──としての資本主義という恐ろしいイメージに通じているものでもあるのである。「ぞっとするもの」という情動はそれゆえ、「外部」のネガティヴな存在様態としての側面をもつと言っていいだろう。むろん、ネガティヴであってもこの情動を通して私たちは、「外部」としての世界についての認知地図を拡張する機会を手に入れられることに変わりはないのだが。
 必ずしも恐怖に結びつくわけではないとはいえ、それでもジャンル・フィクションとしてのホラーとの結びつきが強固な二つの「外部」概念である「奇妙なもの」と「ぞっとするもの」をどのように読み解いていくかは、読者に委ねられている。ここまでの紹介で誤解させてしまっていないことを願うばかりだが、本書『奇妙なものとぞっとするもの』は、難解な哲学書の類いではまったくない。取り上げられる作品や作家は具体的かつポップであり、フィッシャーの筆致はつねに明快でありヴィヴィッドでさえある。にもかかわらず、ここまでの紹介が示してきたとおり、フィッシャーの「理論家」的テクストと「批評家」的テクストを今後私たちが総合的に読もうとする際には、『奇妙なものとぞっとするもの』は間違いなく鍵となるような内容を含んでいると判断される書物なのである。「批評/批判」が前提とするようなジャンル間ヒエラルキーを疑いつつ、「不気味なもの」によってドメスティケートされない「外部」を思考すること、そのような普遍的(でおそらくは集合的)な理論的課題に取り組みつつも、個体的で特異的な作品や作家と向きあい、そこに表現されている幽かな行為主体性を言葉で掬いとることを、たとえその行為が淡々としすぎていてほとんど淡白に近いものになる瞬間があったとしても、本書においてフィッシャーは一切怠っていない。そこで賭けられているのは、自己の行為主体性を信じるのと同じくらい、運命の奇怪な力、あるいはむしろ運命のなさの不思議な力を感じつつ、世界そのものの行為主体性を信じることだ。それは決して簡単なことではないだろう。だからこそ、そのようなことが目論まれた書物は──ラヴクラフトが作り上げた架空の/ハイパースティショナルな書物『ネクロノミコン』がそうであるように──千年でも二千年でも、永遠に、読まれそして読みなおされることができてしまうのである。本書「も」また、そのような呪われた書物の一冊、ぞっとするほどにポップで、怪奇/奇妙なまでに希望に満ちた書物の一冊なのだということは、もちろん、言うまでもない。

Jeff Mills - ele-king

 ジェフ・ミルズがなんと、ディオールの音楽を手がけている。12月4日に発表された「2023年フォール メンズ コレクション」は、「Celestial」と題され、ギザの大ピラミッドを背景に近未来的に演出されているのだけれど、デザイナーのキム・ジョーンズがセレクトしたミルズの楽曲群がアフロフューチャリスティックな要素をつけ加えている(最初のみサバーバン・ナイト“The Art of Stalking”)。トラックリストは下記よりご確認を。

Tracks include:

Suburban Knight / The Art Of Stalking *
X-102 (Jeff Mills) / Daphnis (Keeler’s Gap)
Jeff Mills / Microbe
Jeff Mills / A Tale From The Parallel Universe
Jeff Mills / Gamma Player
Jeff Mills / Resolution
Jeff Mills / Step To Enchantment (Stringent Mix)
Jeff Mills / The New Arrivals

*The Art Of Stalking by Suburban Knight courtesy of Transmat Records

 ちなみにミルズは11月25日に新作EP「Extension」をリリースしたばかり。そちらもチェックしておきましょう。


Label: Axis Records
Artist: Jeff Mills
Title: Extension

Format: EP
Release Format: Vinyl & Digital
Release Date: November 25, 2022
Cat. No. AX109
Distribution: Axis Records

TRACKLIST
A: Rise
B1: The Storyteller
B2: Entanglement

axisrecords.com/product/jeff-mills-extension-ep/


Terri Lyne Carrington - ele-king

 グラミー賞を受賞するジャズ・ドラマーであり、過去10年間女性やトランス、ノンバイナリーの人びとの声を高めるために精力的に活動してきたテリ・リン・キャリントンは、2022年9月に発表した作品『New Standard vol.1』で、ジャズの物語を変えようとしている。

 このアルバムは、テリのキュレーションによる101人の女性作曲家の楽譜集「101 Lead Sheets By Women Composers」(ジャズで主に使われる楽譜はリードシートと呼ばれ、メロディーやリード・ラインとコード・シンボルだけの簡素な表記で構成される)がもとになっており、ここからの11曲がアルバムに収録されている。この楽曲集には、1922年のリル・ハーディン・アームストロングの作品から、学生が2021年に書いた曲まで、ほぼ1世紀にわたる女性の楽曲が集められているが、そのなかからハーピストのブランディー・ヤンガー、クラリネット奏者のアナット・コーエン、ヴォーカリストのグレッチェン・パーラトからアビー・リンカーン、カーラ・ブレイらの作品が選ばれ、演奏者は、キャリントン(ドラム)、クリス・デイビス(ピアノ)、リンダ・メイ・ハン・オー(ベース)、ニコラス・ペイトン(トランペット)、マシュー・スティーブンス(ギター)中心に、アンブローズ・アキンムシーレ、ラヴィ・コルトレーン、サマラ・ジョイ、ジュリアン・レイジなどの11人のゲストを迎える構成になっている。ヴォーカル・ナンバーから意匠を凝らしたコンテンポラリーな作品、フリーフォームなものまで、ジャズの幅広さを証明した選曲であると同時に、各ゲストが、冒険心を持って新たな価値観に向かっているような演奏が曲の端々に窺える。

 ドラマーとしてハービー・ハンコックや、ウェイン・ショーターとの共演で知られるテリ・リン・キャリントンは、ジェームス・ブラウンのバックバンドをしていたサックス奏者の父親の影響で幼少期から音楽活動を開始し、その天才的な才能を買われ偉大なミュージシャンの舞台にも立っていた。11歳のときオスカー・ピーターソン・バンドにゲストとして迎えられ、その演奏に感銘を受けたバークリー音楽大学の創設者は、キャリントンに全額奨学金を提供した。高校から週1回の授業を重ね、同校卒業後はニューヨークやロサンゼルスを拠点に活動。教育者としても活動を広げ2007年には母校の教授に就任、2018年には、Berklee Institute of Jazz and Gender Justiceという新しい学部を創設した。

 楽譜集を作るきっかけとなったのは、この学部の最初のオープンイベントを開催するときのことだった。学生たちと女性が書いた曲を演奏しようという企画が持ち上がり、標準的なリードシートとされる教材「The Real Book」を見たところ、女性が書いた曲がひとつしか見つからなかった。その瞬間からテリはこのジャズにおける “作られた物語” を編み直す作業を着々と地道に進めていった。

 1960年代以降ジャズが全米の大学の正式な基礎過程に定着してからというもの、約40年以上にわたって、学生やプロのミュージシャンは、ジャズ・スタンダードのリードシートをこの「The Real Book」に頼ってきた。じつは、この「The Real Book」の初版は、ビバップ時代に流行った曲を手書きのチャートに書き写ししただけのものだったとも言われている。ここに手書きされたものがいつしかジャズの正典として、確固たる位置を占めるようになっていく。

 テリは、長年のキャリアのなかで男女の意識をすることなく多くの実力者と出会い共演してきた。そのなかには、作曲もできる女性が当たり前のようにいた。しかしこうした女性の実力は、十分に残らないことを「The Real Book」が示しており、それと同時に、ジャズや作曲について学ぶとき、男性だけが書いた教材に基づいていることに気づいた。

 「New Standardsは、未来のミュージシャンのためのものでもある」とテリは答える。「高校生や大学生、偉大なプレイヤーから初心者まで、このリードシートから何かを見つけられると思う。だから、大学の図書館に置いてほしいし、高校の教育者が教えるための道具として使ってほしいのです」

 「New Standard vol.1」は、テリとマシュー・スティーブンスのプロデュースによって作られたが、これはまだ「Vol.1」に過ぎない。これに誰かが続き、楽譜集から101曲すべてを録音し世に広めた後には、ジャズの姿はまたいまとは違ったものになっているだろう。テリがしていることは、公平な歴史の編み直しであり、それは同時に新たなジャズの価値を見出すことでもある。

interview with Dry Cleaning - ele-king

 『Stumpwork』というのはおかしな言葉だ。口にしてみてもおかしいし、その意味を紐解くのに分解してみると、さらに厄介になる。「Stump(=切り株)」とは、壊れたものや不完全なもの、つまり枯れた木の跡や、切断された枝があった場所を指す。そして、そこに労働力(= work)を加えるのは奇妙な感じがする。

 「Stumpwork」とは、糸や、さまざまな素材を重ねて、型押し模様を作り、立体的な奥行きを出す刺繍の一種で、もしかしたら、そこにドライ・クリーニングの濃密で複雑なテクスチャーの音楽とのつながりを見い出すことができるかもしれない。しかし、まず第一に、この言葉が感覚的に奇妙でおかしな言葉であることを忘れないでいよう。

 フローレンス・ショウは、いま、英語という言語を扱う作詞家のなかでもっとも興味深い人物の一人であり、面白くて示唆に富む表現に関しての傑出した直感の持ち主である。アルバム・タイトルでもそうだが、彼女は言葉の持つ本質的な響きというテクスチャーに一種の喜びを感じているようだ。“Kwenchy Kups”という曲では、歌詞の「otters(発音:オターズ)」という単語で、「t」を強調し、後に続く母音を引きずっているのが、音楽らしいとも言えるし、ひそかにコミカルとも言える。また、「dog sledge(*1)」、「shrunking(*2)」、「let's eat pancake(*3)」といった言葉や表現には、「あれ?」と思うくらいのズレがあるが、言語的な常識からすると、訳がわからないほど逸脱しているわけではなく、ちょっとした間違いや、型にとらわれない表現の違和感を常に楽しんでいることがうかがえる。このような遊び心あふれるテクスチャーは、「Leaping gazelles and a canister of butane (跳びはねるガゼルの群れと、ブタンガスのカセットボンベ)」のような、幻想的なものと俗なものを並列させる彼女の感性にも常に息づいている。ドライ・クリーニングの歌詞は、物語をつなぎとめる組織体が剥ぎ取られ、細部と色彩だけが残された話のように展開する。何十もの声のコラージュが、エモーショナルで印象主義的な絵画へと発展していくのだ。

*1: 正しくはdog sled(=犬ぞり)。「Sledge」はイギリス英語で「そり」なので、dogと合体してしまっているが、dog sledが正確には正しい。
*2: 正しくはshrinking(=収縮)。過去形はshrank、過去分詞はshrunk、現在進行形はshrinkingでshrunkingという言葉は存在しない。動詞の活用ミス。
*3: 正しくはLet’s eat a pancakeもしくはLet’s eat (some) pancakes。文法ミス。冠詞が入っていないだけだが、カタコト風な英語に聞こえる。

 音楽性において『Stumpwork』は、彼らの2021年のデビュー作『New Long Leg』(これも素晴らしい)よりも広範で豊かなパレットを露わにしている。ドライ・クリーニングのサウンドは、しばしばポスト・パンクという伸縮性のある言葉で特徴付けられ、トム・ダウズの表情豊かなギターワークからは、ワイヤーの尖った音や、フェルトやザ・ドゥルッティ・コラムの類音反復音を彷彿とさせるような要素を聴くことができるが、彼は今回それをさらに押し進めて、不気味で酔っ払ったようなディストーションやアンビエントの濁りへと歪ませている。ベーシストのルイス・メイナード、ドラマーのニック・バクストンは、パンクやインディの枠組みを超えたアイデアやダイナミクスを取り入れた、精妙かつ想像力豊かなリズムセクションを形成している。オープニング・トラックの“Anna Calls From The Arctic”では、まるでシティ・ポップのような心地よいシンセが出迎えてくれるし、アルバム全体を通して、予想外かつ斜め上のアレンジが我々を優しくリードしてくれる。このアルバムは、聴く人の注意を強烈に引きつけるようなものではなく、煌めくカラーパレットに溶け込んでいく方が近いと言えるだろう。

 だがこの作品は抽象的なものではない。現実は、タペストリーに縫い込まれたイメージの断片に常に存在するし、自然な会話の表現の癖を捉えるショウの耳にも、そして彼女の蛇行するナレーションとごく自然に会話を交わすようなバンドの音楽性とアレンジにも存在している。ある意味、このアルバムはより楽観的な感じがあって、人と人がつながる幸せな瞬間や、日常生活のささやかな喜びに焦点を当てているのだが、やはり、フローレンスの歌い方は相も変わらず、不満げで、擦れた感じがある。イギリスの混乱した政治状況は、曲のタイトル“Conservative Hell”に顕著に表れているのだが、私は、とりわけ混乱した状況の最中にトムとルイスと落ち合うことになった。イギリス女王は数週間前に埋葬されたばかりで、リズ・トラス首相の非現実的な残酷さが、ボリス・ジョンソンのぼろぼろな残酷さに取って代わったばかりで、リシ・スナックの空っぽで生気のない残酷さにはまだ至っていないという状況だった。

 3年ぶりにイギリスを訪れた私は、いきなりこんな質問で切り出した。

最近のイギリスでの暮らしはどのような感じですか?

トム:ニュースを見ていると、まるで悪夢だよ。しかも、すべてはいままでと同じような感じで進んでいる。新しい首相が誕生したことで、ひとつ言えることは、いまがまさにどん底だってことで、保守党政権の終焉を意味してるということ。12年間も緊縮財政を続けたのに、何の成長もなかったから、上層部の議員でさえ、もはや野党になる必要があるなんて言っているんだ。まあ、良い点としては、次の選挙で保守党が落選することだろう。デメリットは、保守党落選まで、俺たちは、彼らが掲げる馬鹿げた政策に付き合わなければならないってことだね。

ルイス:うちの妹みたいに政治に全く興味のない人でも、「ショックー! マジでクソ高い!」って言ってるんだ。 請求書や食料の買い出しなど、いまは本当にキツイ状況になってる。

トム:まさにその通りだね。もし次の選挙で負けたいなら、国民の住宅ローンをメチャクチャにしてやればいい!


by Ben Rayner(左から取材に答えてくれたギターのトム、中央にベースのルイス、そしてヴォーカルのフローレンスにドラムのニック)

ニュースを見ていると、まるで悪夢だよ。しかも、すべてはいままでと同じような感じで進んでいる。新しい首相が誕生したことで、ひとつ言えることは、いまがまさにどん底だってことで、保守党政権の終焉を意味してるということ。12年間も緊縮財政を続けたのに、何の成長もなかったから、上層部の議員でさえ、もはや野党になる必要があるなんて言っているんだ。

私の家族も同じようなことを言っていますよ。さて、この話題をどうやって新しいアルバムにつなげようかな......(一同笑)。先ほど、普段通りの生活をしながらも、現在の状況が断片的に滲み出てきているとおっしゃっていましたね。もしイギリスの政治情勢がアルバムに影響を与えているとしたら、それは日常生活のなかに感じられる、そういったささやかな断片なのだと思います。例えば、ある曲でフローレンスは「Everything’s expensive…(何から何まで物価は高いし...)」と言っていますよね。

トム: 「Nothing works(何をやっても駄目)」そうなんだよ。俺たちがフローの歌詞についてコメントするのはなかなか難しいんだけど、彼女は、ひとつのテーマについて曲を書くということは絶対にしない人なんだ。彼女の曲を聴いていると、脳の働き方がイメージできる。俺は以前、自転車に乗っていて車に轢かれたことがあるんだが、気絶する直前、不思議なことがいろいろと頭に浮かんできたんだ。でも、さっき俺が言った「いままでと同じような感じで進んでいる」というのは、「いままでと同じような感じで進んでいるけど、すごく抑圧的な空気が影に潜んでいる」という意味なんだ。それでも仕事に行かないといけないし、請求書も払わないといけないし、日常のことはすべてやらないといけない。ただ、政治情勢がね……俺たちは12年間この状況にいたわけで、少しでも好奇心や観察力がある人なら、その影響を受けていると思うよ。

ルイス:俺たちはいつもひとつの場所に集まって、一緒に作曲をする。フローは、自分の書いた歌詞を紙に束ねて持って来るから、それを組み合わせたり、繋げたり、丸で囲んだり、位置を変えたりしている。そうやって、様々なアイデアが集まるコラージュのようなものを作っているんだ。

(ドライ・クリーニングの音楽を)聴いていると、何かの断片が自分を通り越していくような感じがするんです。

トム:でも、ランダムってわけじゃない。彼女は、歌詞を一行書くと、次は、逆の内容を書くという性分みたいなものがあると思う。響き的にも、テクスチャー的にも、コンセプト的にも、まったく違うものを書くんだよ。例えば、絵を描くときに、すべての要素がうまく調和するようにバランスをとっているような感じかもしれない。

ルイス:俺たちが自分たちのパートを演奏することで彼女の歌詞に反応するという、会話みたいなことをたくさんやっているんだ。

(アルバムには)日常生活の断片のような一面もあるので、自分たちでアルバムを聴いていて「あ、この会話覚えてる……」と思ったりすることはあるんですか?

トム:ああ、たしかに俺たちの言ったこととか、自分がいた場で友だちが言ったこととかが、歌詞に入ってるよ。

ルイス:俺たちの演奏と同じように、彼女も即興で歌詞を書くことが多いし、あらかじめ考えたアイディアも持っている。バンドで演奏しているときは、その場の音がかなりうるさいから、ヴォーカルだけ別録りして、フローが言ったことを自分で聴き返せるようにしたんだ。今回のアルバムでは、ファーストよりも、レコーディングのプロセスで歌詞を変えていたことが多かったみたいだけど、それほど大きな違いはなかったと思う。

トム:それは、スタジオでの即興をたくさんやったからということもある。でも、だいたいの場合、フローは俺たちが曲を作り始めるタイミングと同じ時に作詞をはじめるんだ。曲を書きはじめる時はみんなで集まって、ルイスが言っていたように、フローがやっている何かが、俺たちのやっていること、つまりサウンドに影響することがよくあるんだよ。“Gary Ashby”を作曲しているときは、フローが、行方不明になった亀について歌っていると知った時点で、こちらの演奏方法が変わった。フローが言っていることをうまく強調する方法を探したり、フローの歌詞をもっと魅力的にできるように、もっとメランコリックにできるように工夫する。以前なら使わなかったマイナーコードなどを使うかもしれない。音楽を全部作った後に、彼女が別の場所で歌詞を書くということはめったにないよ。もっとオーガニックな形でやってるんだ。

ルイス:俺たちは、他のメンバーへの反応と同じような方法で、フローにも反応する。俺がドラムに反応するのと同じように、彼女のヴォーカルにも反応するし、その逆もしかり。(フローの声は)同じ空間にある、別の楽器なんだ。

初期のEPや、特に前作と比べて、(作曲の)アプローチはどのように変化したのでしょうか?

トム:作曲のやり方はいまでも変わらないよ。基本的にみんなでジャムして作曲するんだ。

ルイス:携帯電話でデモを録ることが多いね。みんなでジャムしていて、「これはいい感じだな」と思ったら、誰かが携帯電話を使って録音しはじめる。そして、翌週にその音源で作業することもあれば、半年間放置されていて、誰かが「そういえば、半年前のジャムはなかなか良かったよな」って思い出すこともある。ほとんどの曲はそんな始まり方だよ。今回はスタジオにいる時間が長く取れたから、意図的に、曲が完成されていない状態でスタジオに入ったんだ。

トム:そう、アプローチの違いは、基本的に時間がもっと使えたということ。前回は2週間しかなくて、なるべく早く仕上げないといけなかった。

ルイス:それに、ファースト・アルバムのときは、事前にツアーをやっていたから、レコーディングする前にライヴで演奏していた曲もあったんだ。今回は、ツアーができなかったから、アルバムをレコーディングし終わって、いまはアルバムの曲を練習しているところなんだ。

なるほど。曲を作曲している段階で、観客の存在がなかったということが、この作品のプロセスにどのような影響を与えたのか気になっていました。

トム: 実際に曲をライヴで演奏して試してみないとわからないから、何とも言えないね。その状況を受け入れるしかなかったよ。ライヴで曲を演奏することができなかったから、自分たちがいいと思うようなアルバムを作ることにしたのさ。

ルイス:(自分たちの曲を)聴くってことが大事だと思う。スタジオでは、また違った感じで音が録音されるから。スタジオで実験できるのはとてもいいことだし、俺たちの曲作りのプロセスには聴き返すという部分が多く含まれている、ジャムを聴き返すとかね。もし俺たちがレコーディングして、それを聴き直して編集するという作業をしていなかったら、ほとんどの曲は、演奏していて一番楽しいものがベースになるだろうけど、実際はほとんどそうならない。聴き返すということをちゃんとしているから。ライヴで演奏できなかったけれど、結局、同じようなことが起こったと思う。つまり、何が演奏して楽しいかよりも、何が良い音として聴こえるか、ということに重きが置かれることになるんだ。

トム:それと、1枚目のアルバムで学んだのは、あるひとつの方法でレコーディングしたからといって、必ずしもそれがライヴで再現される必要はないということ。だから、今回のアルバムをいまになって、またおさらいしているんだ。アルバムには絶対に入れるべき要素もあるけれど、また作り直していいものもある。『New Long Leg』のツアーでは、“Her Hippo”と“More Big Birds”に、新しいパートを加えたり、尺を長くしたりしていたから、この2曲は(アルバムヴァージョンより)少し違う曲になったんだ。

ルイス:偶然にそうなるときもあるよね。ツアーを通して、曲が自然に進化していくこともある。

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俺たちはいつもひとつの場所に集まって、一緒に作曲をする。フローは、自分の書いた歌詞を紙に束ねて持って来るから、それを組み合わせたり、繋げたり、丸で囲んだり、位置を変えたりしている。そうやって、様々なアイデアが集まるコラージュのようなものを作っているんだ。

今回のアルバムを聴いていてしばしば感じたことなのですが、曲が自然な形で完結し、これで終わりかなと思ったらまた戻ってきて、それが時にはそれまでとは全く違う感じになっているということがありました。それも、スタジオで色々と作業する時間が増えたからなのでしょうか?

トム:それにはいくつかの要因があると思う。まず、“Every Day Carry”を作ったときは、初めてスタジオで三つのパートを作って、そのなかでも即興演奏を加えたりした。“Conservative Hell”のときは、曲の最後の部分は、曲の最初の部分を完成させてから、何かが足りないと感じていたところに、ジョン(・パリッシュ、プロデューサー)が、何か作り上げようという気にさせてくれたから、出来たものなんだ。

ルイス:ファースト・アルバムでは、ジョンは曲を短くするのがとても上手だったけど、“Every Day Carry”では曲を伸ばそうという意図があった。ジョンにとっても、そのプロセスが実は楽しかったみたいだ。セカンド・アルバムのときも、ジョンはまた曲を短くするんだろうと覚悟していたんだけど、彼はもっと曲を伸ばそうとしていた。長くするのを楽しんでいたみたいだった。「曲は長い方がいいんだ!」とか言って。ジョンが曲を長くしてくれたことに、俺たちは驚きだったよ。

プロデューサーのジョン・パリッシュのことですね?

ルイス:そう。

ジョン・パリッシュは、私の地元ブリストル近辺の出身なんです。彼は、私が大好きなアルバム、ブリリアント・コーナーズの『Joy Ride』をプロデュースしたんですよ……(一同笑)。彼が他にも、さらに有名なアルバムを手がけているのは知っていますけど、私はとにかくブリリアント・コーナーズが大好きなんですよね。

トム:それがジョンのいいところだよね。自慢話をするような人ではないし、あまり有名人の名前を出したりしないんだけど、一緒に夕食をとっているときに、何か言ったりする。ジョンがトレイシー・チャップマンのレコードを手がけたって言うから、俺は「何だって!?」と思ったよ。彼にはそういうエピソードがあるんだけど、それは自然に彼から引き出さないといけないんだ。

ジョンとの制作は2回目ということで、親しみもあり、リラックスした雰囲気で仕事ができたのでしょうか?

トム:そうだね、それにはいくつかの理由があると思う。まず、自分たちの状態が安定していたということ。『New Long Leg』が好評だったことも自信につながったし、あの時点では、もっと大規模な公演にも出ていたから、とにかく気持ちが楽だったんだ。最初のアルバムでは、テイクを重ねながら、「これは絶対に素晴らしいものにしないといけないから、俺は全力を尽くさねば!」なんて思っていたんだけど、実際には、そんなこと思わなくていいんだと後で気づいた。アルバムを制作するということはとても複雑なことで、本当に数多くの段階があるから、ミキシングとマスタリングが終わる頃には、自分がそもそも何をしようとしていたのかさえ、すっかり忘れているんだ。だから、今回のアルバムでは、ある意味、ありのままを受け入れた。良いテイクを撮ろうとはするけれど、ジョンが満足すれば、次の作業に移るということをしていた。

ルイス:それにファースト・アルバムでは、ジョンと会った直後にレコーディングしたんだ。彼に会って、ほんの数時間で“Unsmart Lady”を録音して、次の曲に移って、また次の曲に移ってという感じ。バンドとして演奏する時間があまりなかったんだ。

トム:そうそう、それに前回は、彼が「それは嫌だから、変えて」とか言うもんだから、耐性のない俺たちにはショックだったよな(笑)。

ルイス:そうそう、で、トムは「え、今からですか?」ってなってたよね。前回は、日曜日に休みが1日だけあって、土曜日にジョンに「それは嫌だから、明日の休みの日の間に変えてくれ。では、月曜日に!」って言われたんだ。

トム:でも、前回のセッションが終わるころには、俺たちはすっかり溶け込んでいた。ジョンの仕事の仕方が気に入ったし、彼のコメントを個人的に受け止めなくていいってことが分かった。それに俺たちの自信もついたし、バンドとして少したくましくなったから、彼のコメントにもうまく対処できるようになった。だから、2枚目のアルバムでは、もしジョンが何かを違う風にやってみろと言ったら、俺たちは素直に違うやり方を模索した。

ルイス:それに、今回は音源に何か変更を加えるためにスタジオ入りしたという感じもある。最初のアルバムでは、多くの曲を既にライヴで演奏していたから、みんな自分のパートやアイデアに固執してしまっていて、それを変えるのは難しかった。でも今回は、もっとオープンな気持ちで臨んだんだ。

今回のアルバムは、ファースト・アルバムに比べて音の質感がかなり広がった感じがあります。それは自然にそうなったのでしょうか、それとも何か意識的に音を広げる要素があったのでしょうか?

トム:俺たちの音楽の好みが広いから、そうなることは自然だと思うんだよね。もし、もっと時間があれば、俺はアンビエント系のプロジェクトをやりたいと思うし、ルイスと一緒にメタル・バンドをやりたいとか、いつも思うんだよ。ニックはきっと何らかのダンス・ミュージックをやるだろうな。

ルイス:ドライ・クリーニングは、そうしたすべてのアイデアをさまざまな方向にうまく展開させた、素敵なコラボレーションなんだ。

トム:ルイスが1枚目のアルバムから今回のアルバムへの移行を説明したように、1枚目のアルバムでは、様々な方向に進むための余白がほとんど残っていなかった。2枚目のアルバムでは、そこから少し先に進めたという感じ。そして、もし次のアルバムを作る機会があれば、できれば3枚目のアルバムでは、さらにそれを発展させたいと考えているんだ。いろいろな道を模索していきたいと思っている。だから、もう少しアンビエントな方向に行きそうなときでも、「いや、こういう音楽は作りたくない」とはならずに、その流れに乗ることができるんだ。俺たちは、すでにそういう音楽が好きだからね。

ルイス:それに、スタジオで何ができるかということもいろいろと学んでいる。最初のEPはデモみたいなもので、2、3時間でレコーディングした。スタジオで演奏する時間があまりないから、リハーサルルームでいい感じに聴こえたものを、自分のパートとして書き留めていくような感じだった。2枚目のアルバムでは、スタジオ用に曲を書いていたという意識が強かった。曲を書いていて、トムが「この上に12弦ギターを乗せるべきだ!」などと言い出したりね。キーボードのパートがあったとしたら、ニックが静かに演奏しながら「アルバムではもっと大音量にするけど、こうやって弾くとすごくいい音になるんだよ」と言ったりね。そういう実験がもっとできるようになったんだ。

そのアンビエントな感じがもっとも顕著に表れているのが“Liberty Log”ではないかと思いますが、スポークン・ワードが大部分を占める曲のために作曲することというのは、従来のポップ・ソングのヴァース、コーラス、バースという構成に比べて、別のやり方で音楽を構成していくことになるのではないかと思うのですが。

ルイス:メンバーの誰かが「じゃあ、そろそろコーラスを演奏してみるか?」と言うんだけど、他のメンバーが「どれがコーラスなの?」って聞き返すことが何度もあったよ。

トム:そうそう、「どれがコーラス?」って。

ルイス:それで、どこがでコーラスなのか、みんなで決めるんだよ。

トム:それは実は良い傾向だと思うんだ。俺たちは皆、それぞれ別の考え方をしているけど、そんななかでも音楽は成立しているんだってこと。これは俺も同感なんだが、ルイスは過去のインタヴューで、俺たちのアイデンティティの強さのひとつは、すべての中心にフローがいることだと言っていて、彼女の声が俺たちをしっかりと固定して支えてくれることだと言っていた。たしかにミュージシャンとして、いろいろなものを取り入れる余地が与えられているように感じられるね。“Hot Penny Day”を書きはじめたとき、俺が最初にメイン・リフを書いたんだが、それは、『山羊の頭のスープ』時代のローリング・ストーンズみたいなサウンドに聴こえたんだけど...。

ルイス:誰かが、それをぶち壊したんだよ!

トム:それをルイスに聴かせて、一緒に演奏し始めたら、スリープみたいなストーナー・ロックみたいなものに変わり始めて、よりグルーヴィーになったんだ。

ルイス:そこにフローが加わると、一気にドライ・クリーニングのサウンドになるんだ。彼女の声や表現が、俺たちの音楽に幅を与えてくれていると思う。

トム:ミュージシャンとして、このメンバーと5年間一緒に仕事をしてきて、みんなそれぞれ、音のモチーフがあると思うんだ。ルイスだとわかる音があり、ニックだとわかる音があり、彼らにも俺だとわかる音がある。でもフローは間違いなくドライ・クリーニングという世界で、すべてを錨のように固定して、支えている存在なんだ。

by Ben Rayner

俺たちは皆、それぞれ別の考え方をしているけど、そんななかでも音楽は成立しているんだってこと。これは俺も同感なんだが、ルイスは過去のインタヴューで、俺たちのアイデンティティの強さのひとつは、すべての中心にフローがいることだと言っていて、彼女の声が俺たちをしっかりと固定して支えてくれることだと言っていた。

あなたがたが過去に活動していたバンド、サンパレイユとラ・シャークの作品を聴いていたのですが、例えばサンパレイユは一見パンク・バンドですが、わかりやすいパンク・バンドではないし、ラ・シャークは少しインディ・ポップ・バンドっぽいですが、これまたわかりやすいバンドではないように感じます。常に予期せぬ角度から攻めている気がするんです。

トム:俺たちが過去にいたバンドをチェックしてくれたのはすごく嬉しいよ! ドライ・クリーニングを理解するには、俺たちが過去にやってきたことがルーツになっていると思うからね。あなたが言う通り、俺たちは音楽の趣味が広い。俺が最初に経験した音楽はパンクやハードコアのバンドだったけど、スタイル的にかなり限界があると思っていたんだ。速い音楽のカタルシスも好きなんだけど、REMのメロディも好きなんだよ。ラ・シャーク(の演奏)は何度か見たことがあるけど、彼らは、明らかに歪んだ感じのポップ・バンドだったけど、後期の作品はインストゥルメンタルなファンカデリックのようなサウンドだったんだ。そんなわけだから、自分たちのいままでの影響をすべてひとつのバンドに集約するには時間が足りないんだよ。

ルイス:俺は運転中に、ふたつのバンドを組み合わせたらどうなるかっていう妄想をいろいろするんだけど、トムやニックやフローに会ったときに、そのアイデアを話すんだ。すると、彼らは「それ、やってみようよ!」と言ってくれる。で、やってみると、やっぱりドライ・クリーニングになるんだよね。ニュー・アルバムからフローのヴォーカルを抜いたら、いろんなジャンルに落とし込めそうな素材がたくさんあると思う。

フローレンスはすべての中心にいて、バンドのアイデンティティを束ねているとのことですが、同時に、彼女は少し離れているようなところもありますよね。新作では、ミックスの仕方だと思うのですが、以前よりもさらに、バンドがどこかひとつの場所で演奏しているように聴こえるのに、彼女のヴォーカルが入ってくると、まるで彼女が耳元で歌っているように聴こえるんです。まるで、自分がステージ上のバンドを観ているときに女性が耳元で囁いているような。

ルイス:それを聞いて、フローがバンドに入った経緯を思い出したよ。たしか、トムがバンド(の音楽)を演奏していたときに、フローがそれにかぶせるようにしゃべったのがはじまりだったね。

トム:俺たちは一緒にヴィジュアル・アートを学んでいて、当時は二人とも漫画の制作をしていて、その話をするために会ったんだ。彼女が「最近は他に何してるの?」と聞いてきたから、「ルイスとニックとジャムしはじめたよ」と答えた。そのときにちょうどデモがいくつかあったから、彼女に聴いてもらった。彼女はイヤホンを取り外して、「ふーん、面白いわね」と言って、喋りを再開したんだけど、まだイヤホンから音が出ていて、音楽が聴こえてきて、彼女の声がそれにかぶさっていた。ジョンが俺たちのバンドのことで一番興味があるのは、どうやってフローの声をミックスするかと言うことだと思うんだ。このアルバムでは、彼女の息づかいがかなり感じられるようになっている。フローはとても繊細なパフォーマーだから、彼女がするちょっとした仕草、例えば舌の動きとか、そういったごく小さな音も、ジョンは確実に取り込もうとする。このことについて、ジョンがインタヴューで語っているのを読んだことがあるけど、彼女がやっていることすべてを聴かなければならないと言っていた。それが第一で、それをベースにしてミックスを構築して、バンドの音を加えているんだ。

ルイス:レコーディングの時はいつも彼女も同席して、同時に彼女のトラックも撮る。スタジオには、隔離された部屋がいくつもあるから、俺のアンプは1つの部離すためにかなりの工夫がされているから、バンドの音の影響をあまり受けないようになっているんだ。トムが言ったように、ジョンはその点にかなり重点を置いている。

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The texture of broken things

by Ian F. Martin

Stumpwork is a funny word. It feels funny in your mouth, and it only gets more awkward once you start breaking it down to untangle its meaning. A stump is a broken or incomplete thing — the remains of a dead tree or the place where an amputated limb used to attach — and it seems like a strange thing to dedicate one’s labour toward.

It refers to a form of embroidery where threads or other materials are layered to create an embossed, textured pattern, giving a feeling of three dimensional depth to the image, and perhaps in this we can reach out and contrive a connection with the increasingly rich and intricately textured music of Dry Cleaning. But we shouldn’t forget that it’s first and foremost a viscerally strange and funny word.

Florence Shaw is one of the most interesting lyricists in the English language right now, and she has a remarkable instinct for interesting and evocative phrasing. Just as with the title itself, she seems to take a sort of joy in the inherent sonic texture of a word — the way she hangs on the hard t and trailing vowels of the word “otters” in the song Kwenchy Kups is both musical and quietly comical. There’s a constant delight in the awkwardness of small errors and unconventional phrasings that reveals itself in words and expressions like “dog sledge”, “shrunking” and “let’s eat pancake” that deviate disconcertingly but never incomprehensibly from linguistic norms. This playful texture is also ever-present in her instinct for juxtaposing the magical and the mundane that results in lines like, “Leaping gazelles and a canister of butane”. Dry Cleaning’s lyrics play out like a story where the connecting tissue of narrative has been stripped out, leaving only the details and colour — a collage of dozens of voices that adds up to an impressionistic emotional tableau.

Musically, Stumpwork reveals a broader, richer palette than the band’s (also excellent) 2021 debut full-length New Long Leg. The band’s sound has often been characterised with the elastic term post-punk, and you can hear elements that recall the choppy angles of Wire or the chiming sounds of Felt and Durutti Column in Tom Dowse’s expressive guitar work, but he takes it further this time, twisting it into queasy, drunken distortions or ambient haze. Bassist Lewis Maynard and drummer Nick Buxton make for a subtle and imaginative rhythm section that brings in ideas and dynamics from beyond punk and indie tradition. Smooth washes of almost city pop synth welcome you into opening track Anna Calls From The Arctic, and unexpected and oblique arrangements pull you gently one way and another throughout the album. It’s not an album possessed of an urgent need to grab your attention so much as a shimmering palette of colours to melt into.

It’s not an as disaffected and worn as ever. Britain’s confused political situation filters through, most explicitly in the song title Conservative Hell, and I catch up with Tom and Lewis in the middle of a particularly chaotic moment. The Queen has just been buried a couple of weeks prior, and the delusional cruelty of prime minister Liz Truss has recently replaced the ramshackle cruelty of Boris Johnson, but not quite yet given way to the vacant, lifeless cruelty of Rishi Sunak.

It’s been three years since I last had a chance to visit the UK, so I open with a big question.

IAN: So what’s it like living in Britain these days?

TOM: If you look at the news, it’s a living nightmare. Beyond that, though, things just carry on kind of as they were before, really. One thing that I think has happened now with the new prime minister is that this is the nadir: this is the endgame of Conservative politics. We’ve had twelve years of austerity and no growth, and even high ranking MPs are sort of admitting that they need to be an opposition party now. So one good thing about that is that the Conservatives are going to get voted out in the next election. The downside is that until that happens, we have to live with the stupid policies they have.

LEWIS:Even someone like my sister, who totally ignores it, even she’s like, “It’s shocking; it’s really fucking expensive!” — the bills, the food shopping, it’s getting really tough now.

T:That’s a really good point. If you want to lose the next election, fuck with people’s mortgages!

I:I’m hearing similar things from my family too, yeah. So seeing if I can segue this into the new album… (everyone laughs) What you were saying earlier about life going on as normal but with little pieces of the situation coming through, it feels like if the political situation in the UK informs the album, it’s in these little fragments filtering through normal life, like at one point Florence just remarks, “Everything’s expensive…”

T:“Nothing works.” Yeah, it’s quite difficult for us to comment on Flo’s lyrics, but she’s definitely the kind of person who wouldn’t make a song about one subject. Her songs remind me of the way your brain works. I remember being hit by a car on my bike once, and on the edge of the void there’s all sorts of strange things that come to your mind. But I should clarify what I said earlier about how everyone’s just getting on with things: everyone’s just getting on with things but under a very oppressive shadow. You still have to go to work, you still have to pay your bills, you still have to do all the normal things, it’s just that the political climate — we’ve been under this for twelve years, and if you’re an even slightly curious or observant person, it’s going to affect you.

L:We write together in the room at the same time, and she’ll have a stack of papers which will have lyrics that she’s written and will sort of combine and join together, and there’s lots of circling that and dragging it to that, making almost a collage where lots of different ideas come together.

I:When I’m listening, it feels like fragments of something flowing past me.

T:It’s not random though. When she writes a line, she has the sort of temperament to write the opposite line next — something completely different tonally, texturally, conceptually. It’s almost like when you’re making a painting or something, you’re trying to balance all the elements so it works nicely.

L:There’s a lot of reacting to us in the room playing our parts and us reacting to her, like a conversation.

I:There’s such an aspect of fragments of daily life to it and I wonder if there’s ever a sense where you’ll be listening to it and think, “Oh, I remember that conversation…”

T:Oh, there’s definitely things that we’ve said or things that friends have said when I was there and they’re in the lyrics.

L:And like ourselves, she improvises a lot when writing her lyrics as well as having some pre-formed ideas. We’ve had to get better at finding ways to record because the room’s quite loud when we’re playing, so a lot of times we’ll separately record the vocals so she can hear back what she said. I think on this record the lyrics changed more when it came to recording than on the first record, but not a huge amount.

T:That was partly because we improvised quite a lot of stuff in the studio. But generally, Flo will start at the same time we start writing the song. We’re all there at the start of it, and like Lewis says, a lot of the time there’s something Flo is doing that informs how we’re doing our thing as well — tonally, if that makes sense. When we were writing Gary Ashby, when I found out she was singing a song about a tortoise that’s gone missing, it changes the way you play; you find ways of punctuating what she’s saying, making it more charming or melancholy, you might use a minor chord or something that you wouldn’t have done before. It’s rare that we’ll write a whole song and then she’ll go away and write all the lyrics — that never happens, and it’s a more organic thing.

L:We’ll react to her in the same way we react to each other. I’ll react to the drums in the same way I react to the drums and the guitar, and vice versa. It’s another instrument in the room.

I:How has the approach changed, since the early EPs and the last album in particular?

T:We still write in the same way. We write by basically just jamming together.

L:There’s a lot of phone demos. We’ll be having a jam, think “This sounds OK” and someone just clicks on their phone and starts recording, and then sometimes we’ll work on it the next week or sometimes it’ll get lost for six months and someone will be like, “Hey, that jam from six months ago was quite good.” That’s how almost everything starts. This time, because we had more time in the studio, we intentionally went in with ideas less finished.

T:Yeah, the change in approach was basically that we got more time. Before we had two weeks to get it down as quickly as possible.

L:Also, with the first record, we were doing some tours beforehand, so we were playing some of that record live before we recorded it. This time we didn’t get a chance to do that: we recorded it and now we’re in the process of learning it.

I:Right, and I was wondering how not having the constant physical presence of the audience while you were developing the songs affected the process on this one.

T: It’s hard to say really, because without actually road testing the song, you never know. We just embraced it really: we couldn’t play live, so we just write the album the way we wanted to.

L:It comes down to listening, because things get captured differently in the studio as well. It’s quite nice to be able to try something in the studio and a lot of our writing process comes down to listening — like listening back to jams. It’s a nice way of doing it, because if we weren’t recording and listening back and editing from there, a lot of our songs would be based on what was the most fun to play, but that rarely happens because it’s all about listening. And I think that happens as well with not being able to play it live: it’s less about what’s fun to play and more about what sounds good.

T:I think also we learned from the first record that just because you’ve recorded a song one way, that’s not necessarily how it has to be live again, so that’s why we’re sort of relearning the album now. There’s things on the album that definitely need to be on there, but there’s also things that we can just make up again.Touring New Long Leg, there’s Her Hippo and More Big Birds where they just changed and became slightly different songs — added a new part to them, made them longer.

L:Sometimes by accident as well. Sometimes they kind of naturally evolve through a tour.

I:One thing that happens a few times on the new album is that a song will work its way to a natural sounding conclusion, I’ll think it’s ended, but then it will come back and sometimes as something quite different from what it was before. Was that something that came out of having more time to play around in the studio?

T:I think there’s several factors there. First, when we did Every Day Carry, that was the first time we did that in the studio, literally making three parts and kind of improvising some of them. When we did Conservative Hell, that whole last section of that song really came from the first part of the song down and feeling like there was something missing, and John (Parish, producer) was very good at motivating us to just go and make something up.

L:On the first album, John was quite good at making songs snappy, but with Every Day Carry we sort of extended it — and I think he quite enjoyed that process. When it came to the second album, we were kind of prepared for him to make things shorter again, but he seemed to extend stuff more. i think he kind of enjoys it, like, “It’s good when it’s longer!” He surprised us quite a lot by extending songs.

I:That’s John Parish, your producer, right?

L:Yeah.

I:He’s from around my hometown in Bristol. He produced one of my favourite albums, Joy Ride by The Brilliant Corners… (everyone laughs) I know he’s done way more famous albums than that, but they’re one of my favourite bands!

T:That’s one of the great things about John: he’s not the kind of person to brag about things or he doesn’t namedrop much, but when you’re having dinner, he’ll say something — he told me he did a Tracy Chapman record, and I was like, “What!?” He’ll have these stories, but you have to get it out of him naturally.

I:Was it more relaxing working with him this second time, with the familiarity?

T:I think in several ways. Firstly, we were more comfortable, just in ourselves; we’d been doing it longer and had more confidence. The fact New Long Leg did well gave us confidence, we’d played bigger shows by that point, and we were just feeling comfortable. I remember doing takes on the first record and feeling, “This has to be amazing, I have to give this everything!” and then you realise you don’t. Making an album is so complicated, there’s so many layers to it that by the time it’s mixed and mastered, you’ve completely forgotten what it was you were trying to do. So definitely on this one we sort of accepted things the way they were; you try to get a good take, if John’s happy, you move on to the next thing.

L:With the first one as well, we recorded it so quickly with John. We met him and within a few hours, we’d tracked Unsmart Lady, then we moved on to the next one and moved on to the next one. We didn’t have time to play so much.

T:Yeah. And it was a bit of a shock to the system last time when he would say things like, “I don’t like that. Change it.” (laughs)

L:And you’d be like, “Uh… now?” We had one day off last time, on the Sunday, and on Saturday, he was like, “I don’t like that. Change that tomorrow on your day off. See you Monday!”

T:But by the time we got to the end of that session, we were really onboard with it. We liked the way he worked and you just don’t take it personally. Because you’re more confident, a bit more robust, you can deal with it a bit better — you expect it and you welcome it. So with the second record, if he says to go and do something differently, that’s what you’re looking for.

L:And we’d go into the studio looking for things to change. With the first record, we’d been playing a lot of those songs live, so maybe people were a bit more fixed on their parts and their ideas, so that’s harder to change. This one was a bit more open to change.

I:The sonic texture of this album feels a lot broader than the first one. Did that come naturally, or was there some sort of conscious element to expanding the sound?

T:I think it’s natural in the sense that our listening tastes are so broad. I often feel that if I had more time, I’d do some kind of ambient project, or me and Lewis could do a metal band together. For sure Nick would do some kind of dance music, wouldn’t he?

L:And Dry Cleaning’s a nice collaboration of all those ideas pulling nicely in different directions.

T:The way Lewis described the transition from the first record to this one, it’s like the first record left little markers down for different directions to go in and on the second record we take them all a little bit further. And then hopefully on the third one if we get the opportunity to do another one, we’ll take it even further. It’s all about exploring different avenues. So when things seem to go a little more ambient, we’re already into that kind of music and we’ll go with it as opposed to being sort of, “Oh, I don’t want to make that kind of music.”

L:We’re learning more about what we can do in the studio as well. The first EP was really like a demo, recorded in a couple of hours. You don’t get much time to play in the studio, so you sort of write your parts for what sounds good in the rehearsal room. Writing the second record, we were writing for the studio more. We’d be writing a song and Tom would go, “There should be a twelve string on top of this!” There’d be a keyboard part here, or Nick would be playing really quietly and saying “On the record it’s going to be really big but it just sounds good the way I’m hitting it like this.” You get to experiment more like that.

I:I suppose it’s on Liberty Log where that almost ambient feeling is most pronounced, and I was wondering if writing for what’s mostly spoken word lends itself to a different way of structuring music compared to the traditional pop song structure of verse-chorus-verse-chorus.

L:There were a lot of times where one of us would say, “Should we do the chorus now?” and then we’d be like, “Which one’s the chorus?”

T:Yeah, “What’s the chorus?”

L:And we’d all have to agree on what’s the chorus.

T:Which I think was a good sign, actually. It shows how we’re all thinking in different ways but music is getting done. I think I agree: Lewis has said before in other interviews that one of the strengths of our identity is you have Flo in the middle of everything, and her voice anchors you, and certainly as a musician it feels that you’re given a lot of room to chuck things in. When we first started writing Hot Penny Day, initially when I wrote the main riff it sounded like Goats Head Soup-era The Rolling Stones to me…

L:And then someone fucked it up!

T:And then when I showed it to Lewis and we started playing it together, it started turning into something more like Sleep or stoner rock — made it more groovy.

L:And then Flo gets involved and it instantly sounds like Dry Cleaning. I think her voice and her delivery gives us a lot of scope.

T:I mean, as musicians, having worked with these guys for five years, I think we all have our own sonic motifs — I can tell it’s Lewis, I can tell it’s Nick, they can tell it’s me — but Flo definitely anchors things in Dry Cleaning world.

I:I was angles.

T:I’m really glad you checked our previous bands! I think if you want to understand Dry Cleaning, it has roots in what we’ve done in the past. Like you say, because we’ve got broad music taste, my first experiences in music were in punk and hardcore bands but I did find them stylistically quite limiting. I like the catharsis of fast music, but I also like the melody of REM. I remember seeing La Shark a few times and it was clearly a sort of skewed pop band but their later stuff sounded like instrumental Funkadelic, so it’s almost like there isn’t enough time to put all your influences into one band.

L:I’ll be driving and have little fantasies about combining two bands, and then I’ll meet up with Tom or Nick or Flo and I’ll say that, and they’ll be like, “We should do that!” And once again, it’s still Dry Cleaning. If you took Flo’s vocals off the new album, there’s so many different genres you could put stuff into.

I:You say Florence is in the centre of it all, holding the identity of the band together, but at the same time, she’s also a little bit separate from it in some ways. On the new album, even more than before, the way it’s mixed you hear the band playing, who sound like they’re in a room somewhere, but then her vocals come in and it’s like she’s right up against your ear. Like you’re watching a band on the stage and there’s just this woman whispering in your ear!

L:That reminds me of Flo’s story about her joining the band started with you playing the band and her talking over the top of it.

T:We’d studied visual art together — we were both making comics at the time, and we met up to talk about that. She asked, “What else have you been up to?” and I said, “I’ve started jamming with Lewis and Nick.” I had some demos and she listened to it. Then she took her earphones out, said, “Oh, that’s interesting,” and started talking, and I could hear the music still with her voice over the sound out of the earphones in the background. I think John’s key interest in our band is how he mixes Flo. On this record to a much greater extent you can hear bits of her breath. Flo is a very nuanced performer: just the little things she does, like the click of her tongue or something — very small sonic things that he’s very keen to make sure are in there. I’ve seen him talking about this in an interview, about how you have to hear everything she’s doing: that’s the first thing, and then around that, he builds the mix and brings the band in.

L:She’s always in the room when we’re recording, and she’s tracking at the same time. We’re lucky enough to have isolated rooms, so my amps can be in one room, Tom’s amps can be in another room, Nick could be behind some glass, Flo’s in the room with us, and she keeps a lot of those vocals. There’s a lot of effort put into isolating her vocals so there’s not too much bleed from the band. I agree with what Tom said, John puts a lot of focus on that.

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