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RIP

R.I.P. Manuel Göttsching

R.I.P. Manuel Göttsching

追悼:マニュエル・ゲッチング

野田努 Dec 14,2022 UP

 ベルリン市内の、わりと街中の古いアパートメントの一室だったマニュエル・ゲッチングの家を訪れたのは、1995年7月のことだった。「外が騒がしくて申し訳ないね。ちょうどこの週末はラヴパレードをやっているから。ふだんのベルリンはもっと静かなんだけどね」と彼は苦笑しながら、日本から取材にやって来た数名を部屋に迎えい入れてくれた。「いや、ぼくらはそのラヴパレードのためにベルリンに来たんです」と正直に即答できなかったのは、それをあまり良きモノとは捉えていないのであろうゲッチングの表情を見てしまったからである。言うまでもなく当時彼の作品を強烈に欲していたのは、ラヴパレードの根幹にあるハウス/テクノの聴衆だったのだけれど。
 
 すでにこの頃、ハウス/テクノの文脈で再評価された70年代以降のドイツのロックはいろいろあった。『フューチャー・デイズ』や『ゼロ・セット』、クラスターやハルモニア、初期のポポル・ヴーやタンジェリン・ドリーム等々。そうした名作群においても、マニュエル・ゲッチングの『E2-E4』は別格中の別格だった。『E2-E4』や『ニューエイジ・オブ・アース』のような作品には、クラブ世代によるいかなる研ぎ澄まされたエレクトロニック・リスニング・ミュージックをもってしても到達できない境地が開けている。
 
 ゲッチングの部屋の白かったであろう石の壁は、彼の長年の煙草の煙によってすっかり黄ばんでいた。部屋のひとつの面には横長の大きな絵画が飾られていて、そこにはひとり女性が描かれていた。居間にはほとんどモノらしいモノがなく、そのときの彼はひとりで暮らしているようだった。
 取材のなかでぼくが知りたかったことのひとつには、18歳でアシュ・ラ・テンペルを結成した彼と時のドラッグ・カルチャーとの関わりというのがあった。この世界で指折りのコズミック・ブルース(ジュリアン・コープいわく「空前絶後のフリークアウト・ブルース」)『7up』をティモシー・リアリーといっしょにレコーディングしたこのギタリストは、しかし世間で妄想されているようなその関係性を否定し、じつはリアリーの名前すら知らなかったと、淡々とした口調で話してくれた。当初そのレコーディングに来るはずだったのは、アレン・ギンズバーグだったと彼は付け加えた。
 
 アシュ・ラ・テンペル(ラ=RAは、サン・ラーと同じエジプトの太陽神から取られている)の、インパクトあるデザインによるファースト・アルバムの観音開きのジャケットには、ギンズバーグの「吠える」の一節がまるで聖典か何かのように引用されている。ジャケットからレコードを取り出し、A面に針を落としたことがある人なら、あのサウンドから極めて強度の高いサイケデリックなヴィジョンを幻視した経験をお持ちだろう。たとえば30を過ぎてからロックをはじめたCANと違って、先にも書いたようにゲッチングは10代でそのアルバムを制作している。
 いずれにしても若かった。やがて「コスミッシェ」として知られることになる若きベルリン・スクールを取り巻くシーンに、ロックとフリー・ジャズ以外にも、アシッド・カルチャーからの影響がなかったとは思えない。悪名高きロルフ・ウルリッヒ・カイザーのような仕掛け人が登場したことで「コスミッシェ」の物語はある面ではいかがわしさを増し、その代表格たるコズミック・ジョーカーズなどは後に一部のコレクターの心を掴んだりもしている。しかしカイザーに反旗を翻したクラウス・シュルツもその渦中にいたゲッチングもそうした狂騒に呑まれず、何よりもまず自分の音楽をアップデートすることに集中していたことは、彼らの軌跡を見れば一目瞭然だ。占星術や宇宙旅行、神秘主義やアシッド・パーティが乱舞するこの時代から、たとえば構造的にはフリップ&イーノによる一連のミニマリズムにも似た音楽、テリー・ライリーに触発された、しかしそれらとは似て非なる陶酔の極みであり、より直感的な音楽、すなわち『E2-E4』が生まれたのは、サイケデリックやスペース・ロックがすっかり失速したばかりか、パンクやポスト・パンクでさえ存在が薄れていった1980年代初頭のことだった。
 それはNYの〈ザ・ロフト〉で知られる孤児院出身のDJ、デイヴィッド・マンキューソにプレイされたことでアンダーグラウンド・ダンス・カルチャーを起点に広がり、80年代末にイタリアのスエニョ・ラティーノにサンプリングされたことによって至福のエロティシズムへと変換された。1992年にはデリック・メイにリミックスされたことでそれは完璧なパラダイスとなってテクノ・ヘッズの体内に埋め込まれもしたが、カール・クレイグも自分の手で“リメイク”したいという欲望を抑えきれなかった。ぼくがベルリンで取材したのは、クレイグが自らの楽曲で“E2-E4”をサンプリングした1年後のことだった。
 
 1995年といえばそのときゲッチングは43歳で、いまのぼくよりもずいぶん若い年齢だ。もの静かな人柄の、理性的な人だったという印象を持っている。孤独な芸術家といった佇まいで、そして彼はまだ、彼がひとりで作ったエレクトロニック・ミュージックが、若者たちの進むべき方向性を示唆した作品として現在ものすごい影響力をほこっているという事実をほとんどわかっていなかった。「いきなり電話がかかってきてね、『あなたの曲を使わせて欲しい』って言うんだよ」彼は笑いながら言った。「ひょっとして、その電話の主は、カール・クレイグじゃなかったですか?」「ああ、たしかそんな名前だったかな」
 フランキー・ナックルズが最後に来日した際のリキッドルームでのDJはたしか“E2-E4”からはじまっている。イギリスの音楽評論家のデイヴィッド・スタッブスは、『E2-E4』はクラフトワークの『コンピューター・ワールド』以上に影響力が大きいと指摘しているが、同意する。あれはもう、ひとつの“型”であって、その後どれほどその“型”がアンビエントやハウスやテクノやエレクトロニカにおいて流用されてきたかはもはや数を数える範疇にない。ポップ・ミュージックの意味を大衆的な音楽とするなら、あれほどポップなミニマル・エレクトロニカはほかにないのだ。
 「70年代のベルリンはドイツ国内のなかでも孤立した、ある種の宇宙船のような街だった」と彼はぼくに話してくれたが、レコードに針を下ろせば、宇宙船はロマンティックに発光しながら、いまでも別世界への入口として部屋のなかに飛来するかのようだ。2022年12月4日、70歳のマニュエル・ゲッチングは永眠したが、彼が残した功績はあまりにも大きい。
 
 

野田努

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