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渋谷慶一郎

渋谷慶一郎

ATAK015 for maria

Atak

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國枝志郎 Dec 12,2009 UP

 近しい人の死をきっかけに作られた音楽は古今枚挙に暇がない。フォーレの"レクイエム"は、自身の母親の死をきっかけに作られたが、直接的に死者を悼むための音楽であるそうしたレクイエムのような作品ではなくても、たとえば後期ロマン派の作曲家ブルックナーの交響曲第7番の第2楽章の終結部のように、崇拝する師(楽劇の創始者R.ワーグナー)逝去の知らせを受け(あるいは、その予感を持って)、新たに慟哭のようなコラール楽段を付け加えたものもある(このコラールは、1994年にドイツのテクノ・ユニット、サン・エレクトリックがコペンハーゲンで行なったライヴの実況録音盤において、エレクトロニクスの海とみごとな融合を果たしている)。

 こうした曲は、例外なく「美しい」。それはもちろん、作曲に導く動機ゆえということもあるだろう。その動機から、醜くひき歪んだ創造物を作り出すということはまず考えにくいからだ。たとえ「美しさ」という概念にひとそれぞれ違いがあったとしても、おそらくそのほとんどは普遍的な観念に回収されるものである。

 この渋谷慶一郎(東京藝術大学作曲家卒・2002年よりレコード・レーベル「ATAK」主宰)による初のソロ・ピアノ作品集「for maria」は、彼の奥様であるマリアさんの死が直接的、あるいは間接的な契機となって作られたアルバムであるという。なるほど、それならば、これまでに渋谷が作り出してきたエレクトロニックな音楽にくらべて、よりわかりやすい美しさを持った音楽になっていることには納得がいく。

 が、しかし、おそらく渋谷はこんなセンチメンタリズムめいたことばでアルバムをジャッジされることを好まないだろう。それはなぜなら、このアルバムの美しさは、単に美しいという言葉だけではすまされない、これまでに感じたことのない「凄み」があるからだ。

 この「凄み」を感じる最初の要因は、ここで聴かれる音そのものの「凄み」でもある。最初の1音が鳴った瞬間から、これは違う、と感じさせる鳴りがある。鳴り、というか、ピアノの音がホログラフィックな体裁を持って立ち現れる。聞けば、本作は本来スーパーオーディオCDのための技術として開発されたDSD(Direct Stream Digital)でレコーディングされているという(エンジニアは名手オノ・セイゲン)。確かにこれはまさにCDの44.1kHZ/16bitをはるかに超える再現性を持つDSDならではの空気感の再生音だ。場の空気感の再現こそがDSDの真骨頂であるとぼくは思っているのだが、しかし驚かされるのはその空気感が、いくとおりもの質感を持って再現されること。もともと渋谷は音色でもって世界観をドラスティックに強制変換するタイプの音楽家であったと思うが、ここでは音が放射される空間の質感がその出音(これもまたすばらしく変化に富んだ音色がすばらしい。ベーゼンドルファーの銘器とのこと)によってさまざまに変化してゆくことによって、渋谷のそうした特質がいっそう強調されている。われわれはその「美しさ」のみに耽溺することなく、クールな感情を持ってその成り行きを見つめることができる。ここには慟哭や歎きのメロディはない。メロディとか和声といった音楽要素を超えて、それを形作るあらゆるエレメンツがひとつになって聴き手の心に届くとき、印象はその都度更新される。よってこの音楽は、永遠に古びることがないのだ。

國枝志郎