Home > Reviews > Album Reviews > Ehua- Panta Rei
つい先週、某誌のあたらしい記事の「ダンス・ミュージックは、より伝統的な“シリアス”な芸術と同じくらい、思慮深いジャーナリズムと批評的な分析を受けるに値する」——という一文を読んで、何をいまさら、当たり前だろうと思った。しかしながら、ハウスとテクノを“ブラック・ミュージック”史のなかに認めない人たちがいまでもいるように、こうした言葉が繰り返されるのも慣れてしまった。ああそういえば、数年前、「俺ぁ、クラブ・ミュージックなんて大嫌いだ!」と、居酒屋で偶然ばったり会った某音楽評論家から大声で言われたことがあった。これは半分は笑い話だ。某氏はぼくより年上で、一時期は『ミュージック・マガジン』あたりでぶいぶい言わせていた人物で名前も知られている。まあ、こういう手合いは某氏だけの話ではないのだが、そのいっぽうで、そもそも年齢的に(体力的に)この文化に入るには無理があった、という人もいる(すでにぼくがそうだ。松島のDJを聴きたくても身体が動かない)。なにしろダンス・ミュージックはコンピュータ越しに消費されるわけにはいかない、リアルな現場があっての音楽だ。体験なくしてその本質を語ることのできない音楽の代表的なジャンルなのだ。
されどダンス・ミュージックが、それがたとえどんなにアンダーグラウンドであっても、つねにポップ・ミュージックと隣接していることはムーディーマンのDJを聴いているクラバーなら重々承知だ。そこではデトロイトの超アンダーグラウンドなハウス・ミュージックに混じってビートルズもストーンズもミックスされる。これは、ダンスフロアの閉じながらも開いているという面白い矛盾を表している。
だからアンダーグラウンドなダンス・ミュージックそれ自体がポップ化することも、90年代からたびたびあった。いいものもあれば駄作も数多くあるわけだが、重要なのは、作品がこの音楽をほんとうに愛している人たち/必要としているダンスフロアを優先しているかどうかだ。アフリカ系イタリア人、イフア(Ehua、エフアと表記する人もいると思われる)のデビュー・アルバムはベース系テクノと括られるダンス・ミュージックだが、ポップスとして聴いても楽しめる。リリース元はマーティン(ポスト・ダブステップ時代に一世を風靡したプロデューサー)のレーベルで、20年ほど前の彼の作品を知る者には、なるほどね、これはマーティンらしいや、と思わせるサウンドでもある。つまり、そぎ落とされたダブステップのテクノ化、テック・ハウス超のトラック、デトロイト・テクノ風のアトモスフェリックなシンセサイザーが効果的にミックスされるという、あれだ。
つまりイフアのアルバムは、ダンス・ミュージックをほんとうに必要としている人たちと繋がっている。彼女の物憂げな声が乗った“Bricks”や“Ragni”はクラブ・バンガーとしても十分で、これならジェイミーXXのアルバムに物足りなさを覚えたディープ・リスナーも納得するだろう。政治的なテーマを掲げたエレクトロ・ポップで知られるマリー・デヴィッドソンとも違って、こちらはアンダーグラウンドなフロア寄り。デトロイト直系の“Aria”のような、一歩間違えると懐古的になりがちなトラックも、若々しく甦生させている。目新しさには乏しいかもしれないが、全14曲それぞれのトラックにそれぞれのリズム/アイデアがあることは、ダンス・ミュージックのアルバム・リリースが減少傾向にあると言われる状況が本当なら、もっと評価されてしかるべきだろう。シカゴのフットワークを取り入れた実験的なトラックもさることながら、生楽器をフィーチャーした“Candies”など、ひとつひとつのトラックには繊細さと力強さがバランス良く共存し、イフアがサウンド・プロダクションに注力していることがうかがえる。
加えてぼくが好感を覚えるのは、この音楽が、野外フェスティヴァルのステージ上で拳をあげながら昂ぶりを繰り返すDJのためにあるのではないことだ。アンドリュー・ウェザオールの沈んでいくような感覚に近いというか、こういうアンダーグラウンドな心地よい響きは、広すぎないダンスフロアの親密さのなかでこそ活かされる。
それにもかかわらず、本作にはクラブ・ミュージックとR&Bのグラデーションにおける最良の場面、たとえばティルザが切り開いたところに生まれたとおぼしき曲もある。“NYC”がまさにそれで、こうしたポップ・センスとアンダーグラウンドな実験性を両立させてしまう音楽は、これからも出てくるのだろう。いわば歌えるテクノ・ミュージシャン、いわばシンガーソング・プロデューサー、しかも薄明かりの美学をもったこのアルバムを、ぼくは一聴して気に入った。
野田努