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2018年から剋目すべきアンビエント作品をリリースしてきたDuval Timothy(デュヴァル・ティモシー)は、ケンドリック・ラマーの『Mr.Molare&The Big Steppers』でピアノを弾いたことで一躍知名度を高めた才人である。だが、筆者は彼をミュージシャンと呼ぶのにいささかのためらいを覚えてしまう。それは、彼が絵画や写真やデザインなどの制作も行っている、という理由からだけではない。音響を設計する手さばきに卓越した技能をもつ彼は、むしろサウンド・デザイナーと呼ぶのが相応しいと思うからだ。
もっと言えば、彼は音楽を使って建築や彫刻に近いものを切り出しているように感じられる。空間構成のダイナミズムに長けた人なのだろう。どこにどの音を配置したらどのような効果をリスナーにもたらすかを、徹底的に知り尽くしているのではないだろうか。そうした鋭敏な感受性が新作『wishful thinking』の隅々には息づいている。
南ロンドンとシオラレオネを拠点にしている彼は、シエラレオネの首都フリータウンに自宅兼スタジオを所有しており、そこで創作に励んでいるという。本作の作業も基本的にここで行われている。主軸となるのはギター、ベース、ピアノ、ハープシコード、エレクトロニクス、フィールド・レコーディングによる具体音である。
そのサウンドは、流動的で浮遊感に溢れながら、いびつで整然としていない。どこか割り切れない過剰さを孕み、アンビエントと括るのを躊躇してしまう異形のものとしてある。例えば2曲目“big flex”では、端正なピアノの調べが突如ピッチベンドにより極端に歪曲/変形させられる。これには時空が歪むような効果があり、先述した過剰さのひとつの表れとみることができるだろう。
ビートは意図的にクォンタイズされていない箇所も多く、何かが足りなかったり多すぎたりするような印象を与えるのも特徴だ。“long life”では唐突にキックが挿まれるのだが、それが続いて定則的なビートを刻むわけでもない。フィールド・レコーディングによるモーター音や話し声や車のクラクションも楽器の音と噛み合っているのかいないのか分からない。サブウーハーから発せられたような地鳴りの如きベース音が突如響くこともある。
だが、そうした意想外の心地の悪さがクセになるのだ。次にどんな音が鳴るのか、鳴らないのか、変調されるのか、まったく予想できない。反復からの急なズラしには予定調和の欠片もなく、しばしば度胆を抜かれる。決して油断できない。
本作でもうひとつ重要な要素はダブの発想だ。デュヴァルにとってはリー・ペリーやキング・タビーがそうだったように、レコーディング・スタジオも楽器のひとつなのだと思う。“sleep”の冒頭ではエリック・サティを想わせるピアノのフレーズが反復されるが、極端なディレイとピッチベンドのかかった音が混じり合い、もはやまったく原型を留めていない。その旋律は優美極まりないが、醸し出される空気は不穏そのものである。『ワールド・オブ・エコー』(=反響の世界)という、アーサー・ラッセルのアルバム・タイトルを連想する、という人もいるだろう。
冒頭で建築にも触れたように、本作は左右非対称で流線形の建築物のような様相を呈している。「住宅は住む機械」と言い放った近代建築の巨匠ル・コルビジェ(1887‒1965) は活動の後期に、建築の指揮のもとで絵画や彫刻をつなぐ試みを「諸芸術の綜合」と言い表した。やや大げさに言うならば、デュヴァル・ティモシーこそは音楽の領域でそのような「綜合」を行っているように思えてならない。
土佐有明