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R.I.P. 藤圭子

R.I.P. 藤圭子

野田 努 Aug 23,2013 UP

 藤圭子登場の衝撃で花ひらいたブルース演歌の世界は70年代なかばころまでに最初のピークを迎えた。私は藤圭子の神髄はデビュー曲「新宿の女」、「圭子の夢は夜ひらく」、あるいは「命かれても」「東京流れもの」あたりだと思うのだけど、いずれも70年の『新宿の女/"演歌の星"藤圭子のすべて』にまさにすべて集約されていた。演歌であり艶歌、五木寛之にならえば「怨歌」でもあった藤圭子の低音のドスのきいたしゃがれ声は、おりしも70年安保の〜とつづけると話が長くなるからはしょりますが、私のように母の腹の中であさま山荘事件のテレビ中継で胎教され、沖縄が本土に復帰した後、つまり60年代末までの夢がついえた世界に生まれいずる者がはじめて吸った空気に残り香のように漂っていた----かどうかは知らない。そんなこと憶えているはずもない。『仮面の告白』でもあるまいし。しかし一方で彼女の歌がその時代のBGMだったのは音盤を聴けばわかる。音盤に吹きこまれた歌はそのブレスに演奏に休符に無音部に時代の空気を纏うから、歌は音盤がすり切れても褪せることはなかった。たとえば「圭子の夢は夜ひらく」は、演歌というよりもムード歌謡であった園まりの「夢は夜ひらく」の軽く身体を揺らすリズムに乗せた女と男の恋模様を、夜のなかに灯された光とすれば、藤圭子のヴァージョンは光の届かない闇としての夜を思わせ、またその底から声を響かせることで、彼女は宿命の女であるより移ろいゆく時代に翻弄された女の宿命を歌う宿命だった。母音に吐息が混じる園まりと音のたちあがりが濁る藤圭子の発声法には天と地ほど----というのは価値の高低はなく声の指向性のたとえである----のちがいがあった。そこにすべてが終わった後のニヒリズムをつけくわえたのは三上寛だった。三上寛の「夢は夜ひらく」にはサルトル、マルクス、明日のジョーといった70年代の風俗とともに男たちの挫折が歌いこまれ、両極から見た時代の風景が補完されることであのときひとつのパノラマとなったのだと思う。もう十年以上の前になるだろうか、寛さんにインタヴューしたとき、宇多田ヒカルのあの声はやっぱり北の声だと思うんだよな、とおっしゃっていた。宇多田ヒカルが飛ぶ鳥も落とす勢いだったころの話だ。70年代以降、来るべき消費文化を経て、歌謡曲がJポップと呼ばれるなかで、夜は白み、真の意味での闇は片隅に追いやられたかにみえたが、夜はいまでも獅子身中の虫のように私たちのなかに巣くっている。歌が時代を超えて人々と響き合うゆえんである。合掌。(松村正人)


 僕は歓楽街で生まれ育ったので、演歌や喧噪を生活音として育った。"夢は夜ひらく"は、"悲しい酒"や"ざんげの値打ちもない"などと同様に、子守歌......といったら言い過ぎだが、歌えるぐらいに環境に聞かされている。僕はそんな自分の環境を呪って、忌み嫌うあまりに洋楽(なる文化)に溺れたのであるが、しかしある年齢を越えてからは、自分の出自に向き合えるようになった。
 "夢は夜ひらく"は、いろいろな人が歌っているが、やはり藤圭子の歌っているヴァージョンに僕は馴染みがある。園まりや緑川アコのヴァージョンが売れてた頃、僕はあまりにも幼すぎたし、藤圭子のが売れていた頃は小学生だったからだろうけれど、彼女の容姿があの歌詞にハマっていたのは疑いようのない事実である。
 藤圭子が自殺したことを知って、その日の夜から翌朝のニュース番組をハシゴ見した。彼女の歌を聞くにつれて、こうした暗い心の音楽がテレビから閉め出されてしまったことにある種の恐怖を覚えた。いや、幼い僕は、"新宿の女"にせよ、"夢は夜ひらく"にせよ、それらが暗いとは思わなかった。あの時代の歌謡曲は歌詞も大変よく出来ているので、押しつげがましい、なかば洗脳的なまでにアゲアゲの音楽でなくとも言葉のインパクトの強さゆえに耳に入り過ぎるのである。要はうるさかった。子供は潔癖症なものである。
 幼い頃はそう思って、窓をあけては隣のビルに、届くはずもないのに「うるさい」と叫んだものだったが、いまはそう思わない。夜のメロドラマは心情を歌っている。それは男と女の心の欠点から生まれている。無常観、孤独、未練、失意、哀愁を表現している。彼女のことを波瀾万丈の人生、時代の精神性みたいなことで語るのをどうかと思うのは、そもそも欠点の表現が大衆文化として広がったという過去を書き換えているんじゃないかと思うからだ。いまでも心は欠点だらけであり、波瀾万丈だろう。
 が、そして、時代は変わり、藤圭子の居場所は、つまり人間の心の欠点の居場所は、この20年のあいだ綺麗になくなった。テレビからもネオン街からも。僕はそうなれば良いと願った、こんなものはなくなってしまえと、かつて強く願ったことのあるひとりである。ちなみに"夢は夜ひらく"が何ヴァージョンもあるのは、ジャマイカのヴァージョン文化とは別の日本のヴァージョン文化──つまり"あほだら経"に代表される替え歌文化に端を発している。替え歌は、日本の大衆音楽においてもっとも重要な手法だった。(野田努)

野田 努野田 努/Tsutomu Noda
1963年、静岡市生まれ。1995年に『ele-king』を創刊。2004年~2009年までは『remix』誌編集長。2009年の秋にweb magazineとして『ele-king』復刊。著書に『ブラック・マシン・ミュージック』『ジャンク・ファンク・パンク』『ロッカーズ・ノー・クラッカーズ』『もしもパンクがなかったら』、石野卓球との共著に『テクノボン』、三田格との共著に『TECHNO defintive 1963-2013』、編著に『クラブ・ミュージックの文化誌』、『NO! WAR』など。現在、web ele-kingとele-king booksを拠点に、多数の書籍の制作・編集をしている。

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