Home > Columns > 万華鏡のような真夏の夜の夢- ──風車(かじまやー)の便り 戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)音楽祭2019
文・写真:土田修 Aug 22,2019 UP
■フランス革命は娼婦が先頭に立った
キャンプ・シュワブゲート前の仮設テントではさすらい姉妹の芝居が続いている。沖縄県読谷村在住の彫刻家・金城実は仰天大王の役で特別出演した。「チビリガマ世代を結ぶ平和の像」や三里塚闘争をモチーフにした「抗議する農民」などの作品で知られる金城はこの夏、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止された問題に憤り、自ら初の「慰安婦像」の制作に取り組んでいる。「世の中を変えるのはインテリじゃない。芸術と女性だ。フランス革命はパリの娼婦が先頭に立った」。独特な“金城史観”が仮設テントに響きわたると、反対派住民から笑みがこぼれた。
金城によると、1609年の第一次琉球処分は琉球の漁民が仙台藩に流れ着いたのがきっかけで起きたという。薩摩藩は中継貿易で繁栄する琉球を侵略し、徳川幕府から琉球王国を賜った。金城は鬼退治に向かった桃太郎の伝説に琉球処分を重ね合わせる。
■あの世はこの世、この世はあの世
「イヌやサル、キジを従えた桃太郎がヤマトンチュで、鬼ヶ島が琉球と陸奥ってわけだ。南と北の鬼たちの競演を是非やろうじゃないか」。仰天大王はこう語ると豪快に笑い、脱いだ下駄を両手に持ちエイサーにも似た下駄踊りを披露。金城が自ら考案したという得意技に仮設テントの観客から大きな歓声と拍手が起きた。
金城実の下駄踊り(背後に大久保鷹)
芝居は第2場に進み、主演女優の千代次演ずるレラが腕にフクロウを乗せ、アイヌ民族の姿で登場。錫杖を手にした白装束のイタコ(風兄宇内)との「あの世はこの世、この世はあの世」「アメリカ世(ゆ)はヤマト世、ヤマト世はアメリカ世」といった時空を超えたやりとりが観客を夢幻の世界へと引きずり込む。
千代次と風兄宇内
「ここは初めて来た場所なのに、懐かしい匂いがする」と言うレラに、童女の姿をしたフクロウの精霊(増田千珠)は「ここは、魔物たちが跳梁跋扈する魔の森、運玉森だ、気をつけろ、レラ」と不穏な言葉で応じる。その時、それまで真夏の太陽が輝いていた空がみるみる暗雲に覆われ、激しい雨が降り出した。全身びしょ濡れになりながら演技を続けるレラと精霊。さすらい姉妹の母体である水族館劇場は大団円で必ず、大量の水が天井から降り注ぐが、辺野古では天の恵みがその役目を代行した。
激しい雨
■風車の便りは闘争へのエール
芝居の後半、大久保鷹演ずる男の口から97歳になると老人が子供に還るという風車の言い伝えが語られる。それに千代次演ずるレラが応える。「風車はいろんな風を届けてくれる。いにしえの風、明日の風、優しい風、不吉な風、嘆きの風、そして炎の風……」。翠にとって“風車”は沖縄の長い抑圧の歴史の象徴だ。“風車の便り”は、不屈の魂を胸に暴虐の荒波を乗り越えようとする「オール沖縄」闘争へのエールなのだ。
芝居は出演者全員による「森が哭いている、海が哭いている……」という合唱でフィナーレを迎えると、観客席から温かい拍手が送られた。その後、ミュージシャンの海勢頭豊が新基地建設への抗議を込めて琉球ことばで歌った。翠が夢想した祝祭的な路地での風車は「オール沖縄」の反対基地闘争への便りとなって歌から歌へと伝えられ、くるくる回り続けているようだ。
海勢頭豊
夜は那覇市の新都心公園内の特設天幕ステージで渋さ知らズオーケストラの単独公演があった。タイトルは「天幕渋さin沖縄」。竹で編んだ骨組みを大きな凧を伏せたように組み立てた天幕は、出演者のノボリが周りをぐるりと取り囲み、一見すると旅芸人の股旅興行に見える。「サーカスの巡業ですか」と尋ねる散歩者の姿も。「いつも旅の途中」(不破大輔)という渋さ独特の公演スタイルは変わっていなかった。