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There are many many alternatives. 道なら腐るほどある

There are many many alternatives. 道なら腐るほどある

第6回 笑う流浪者、あるいはルッキズムに抗うための破壊

文:高島鈴 Jun 06,2019 UP

 「女の子」の手で「女の子」を再定義・再肯定するムーヴメントが地を這いながら立ち上がってきた。今まで家父長制社会にジャッジされ、引き裂かれ、苛まれてきた「かわいい」/「女の子」が、シシガミの首のようにようやく一つの身体へ取り戻される。数多の「私」たちが主体的に「かわいい」を掴み取り、「女の子って最高」と叫ぶ。真夏の海辺で着せられた真っ白いワンピースに染み込んだ血が乾き、ピンク色のフラッグになる。よい潮流だ、すばらしい、もっと激しくなれ。もっと燃えろ、全部塗りつぶせ。
 ……このフェミニズムの一ストリームを心から応援している一方で、(私/俺/わし/自分/?)は常に輪の外側にいた。別に「あの子たちが仲間に入れてくれない」と拗ねて見せたいわけではない。(私/俺/わし/自分/?)自身が「かわいい」にも「女の子」にもピンときていなかったのだ。
 そもそも「女の子」というたった三文字の背後に、長大な違和感がとぐろを巻いている。「女」に関しては、かぎかっこつきでまあ受け入れるにしても固定される感じが不愉快である。そしてそれ以上に、「子」が本当にいやだ。「男」「女」以外のベクトルを無限にはらんだ宇宙を揺れ動きたい。成熟した人間でいたいしそう見られたい。「かわいい女の子」が誰かの救いであると知っていても、(私/俺/わし/自分/?)はどうにも「そう」じゃない。
 「求めていないなら全部ほっときゃいい」と言うことはできる。それでも(私/俺/わし/自分/?)の戸籍は「女」だ。自分を「女の子」だと思っていなくても、「かわいい」/「女の子」を内面化せずに生きていけるわけがなかった。生きているだけで、そこらじゅうに「かわいい」/「女の子」を是とする思想に衝突し続ける。クラスメイトが突然金髪メッシュを入れてきたのにいっさい気がつかないぐらい人間の顔に意識が向いていなくても、目が大きくて顔が小さくて肌に毛がないほうが「いい」ことは知っている。「かわいいは作れる!」……ん~~、はい、うーん。

 「かわいいは作れる」の一種の完成形として、「ル・ポールのドラァグレース」は面白い。Netflix で配信されているこの番組は、次世代のドラァグ・スーパースターの座を懸けた過酷なショーレースを追う人気バラエティだ。ドラァグクイーン界のゴッドマザーであるル・ポールの後継者に選ばれるべく、クイーンたちが毎回難しい課題に挑む。「化粧経験のない女性格闘家をドラァグクイーンにせよ」とか「化粧品ブランドのプロモーションCMを撮影せよ」などといったメインのチャレンジが設定され、その成果をランウェイで披露するのだ。衣装作り、メイクアップ、パフォーマンス、全てを自ら考えて実践せねばならない。最下位の評価を下されたクイーンは脱落となる。ル・ポールに「胸を張って消えなさい」と言われたらそれが合図だ。あなたは美しいが、その美はこの場以外で発揮されるべきだと、はっきり宣告を受けるのである。
 「ドラァグレース」における美とは、己と己が置かれた環境に対する解釈であり、それを実現する技術である。レースにおいて評価の基準にされるのは元の顔立ちではなく、常に与えられた課題に対する応答の内実だ。勝ち残るためには高い能力とメンタリティが不可欠である。課題に込められた意図を読み取り、何が求められているのかを考え、自分にしかできない解答を提示しなくてはならない。
 「ドラァグレース」ファーストシーズンで、ル・ポールがクイーンたちを鋭く叱責するシーンが出てくる。撮影終了後の出演者が再集合してレースの振り返りトークをする回のさなか、一人のクイーンが「審査員の批判で傷ついた」「私に対する評価は不当だった」と表明したことがきっかけだった。彼女の名前はシャネル。ラスベガスの一流ショーガールだ。
 シャネルはレースの最中、ずっと「今回は負ける要素がない」「私が一位になる以外ありえないと思う」などと勝気な態度を取っては、最終的には彼女が思うほど評価されない、という状況を繰り返してきた。そのたびにシャネルのストレスは蓄積し、最終的には自ら「このゲームを降りたい」とまで口にする。シャネルには自信がありそうでないのだ。泣きそうになりながら批評を受ける苦痛を語るシャネルに、ル・ポールは言い放つ――「あなたたちはスターなの、違うなんて言わせないで」と。そもそも全員スターであることは前提で、批評はより高い場所へ至らしめるための道具なのだと、ル・ポールは言おうとしていた。
 映像を見ながら、勝手に自分が叱られているような気分になってぞわぞわと恐怖していた。「ル・ポールのドラァグレース」がもし持ち前の顔で判断するコンテストであったなら、この審査員たちはここまできついことは言わないであろう(審査員たちがこの番組の外でどのような発言をしている人物かはよく知らないのだが、それぐらいの倫理観は期待していいと思う……日本じゃあるまいし!)。むしろ純粋に技術力やテーマ解釈の能力が問題であるからこそ、職人が建てた一軒家を診断するように審査員は美に口を出す。「かわいいは作れる!」の行く末、それは救いかといえば、それでもシャネルの涙は彼女の目尻を濡らしたのだ。たとえ持って生まれたものに言及されなかったとしても、美しいこと、スターであることが前提であったとしても、それでも「美のジャッジ」に耐えるのはつらかったのだ。自らこの過酷さを仕事にする決意を持った一流ドラァグクイーンでも苦しいことに、どうしてそこらをうろうろ生きているだけの一人間が耐えられるだろうか?

 「かわいい」のゲームに勝てずに泣いている人には二種類いる。ゲームに勝ちたくて泣いている人と、ゲームをやめたいのにやめられなくて泣いている人だ。「かわいいは作れるんですよ」と囁く行為が救うのは「かわいい」のゲームで勝ちたいと思う人だけであって、ゲームを降りる方法はそこにない。そして「かわいいは作れる」は、容易に「かわいいは作れるものなのになぜ作ろうとしないんですか?」に転化するだろう。ぼんやりと生きているだけで足元にゲーム盤が広がっていた人間にとっては犯していない罪で責められているようなものだ。
 あるいは人の数だけ「かわいい」はあるのだと言ったとしても、それは「勝ち」判定のオルタナティヴを増やすという意味であり、ゲーム自体は持続する。(私/俺/わし/自分/?)ももちろん「かわいい」は後天的に構築可能だと思うし、「かわいい」の「正解」があらゆる要素を含んで人数分存在する状態はある種の光で、どちらも非常に重要な主張であると考えている。だが、それだけでは足りないのだ。道はもう一ついる。すなわち、「そもそも「見た目をよくする」という方向性を選ばない」ことを大いに許す道が!
 見た目が泥でもそれはただの選択肢のうちの一つだ。あなたが存在することに誰一人けちはつけない、誰もが「よい/悪い」のベクトルに進んで乗らねばならないいわれはないのである。全員が全員肌をつるつるに脱毛して、きれいに化粧をして、髪の毛をきれいに整えておかねばならない――「女」という記号に課せられる重圧をきちんとはねのけるには、己が乗せられたゲーム盤自体を叩き壊して外へ出る必要がある。これは全員見た目に手を入れることをやめろとか汚い格好をしろという意味では全くない。強く切実な覚悟を持って美の世界に身を置く人を否定するものでもない。この社会で生きている限り身の内に溜め込まざるを得ない見た目にまつわる規範と批評とベクトルを、きちんと捨てたいということだ。そして捨てた「その先の世界」が、脅かされずにちゃんと存在している必要があるということだ。簡単ではない。(私/俺/わし/自分/?)も言い出しておいて全く内面化したルッキズムを追い出せていない。いまだこの選択肢は道として確立されていない。黒々とした濃密な山である。
 Like逢坂山。

 逢坂山を歩む人影があった。蝉丸である。その目は光を映さず、故郷の景色をもう一度目に焼き付けるために振り返ることもない。ただ緑の匂い、汗の匂い、己の息遣い、杖の先に感じる泥の感触、背負った琵琶の重みが、己が父たる帝に追放されたことをじっくりと理解させる。帝が求めていたのは目の見える皇子であった。都を追われた蝉丸にもはや声をかけてくれる人はいないかと思われたが、ある貴族は山中に庵を用意してくれた。蝉丸は庵に留まり、琵琶をつまびく暮らしを始める。
 あるとき、思わぬ客人が庵へ入ってきた。蝉丸の姉・逆髪である。逆髪は名前の通り天を戴くように髪の毛が逆立っており、櫛で梳かしても戻らない。逆髪は気が狂ったために一人御所を出て野をさまよっていたが、流浪の最中に弟の演奏によく似た琵琶の音を認め、庵へ引き寄せられたのであった。逆髪と蝉丸はしばしの間語らう。やがて逆髪はまた別の地へ流浪し、蝉丸はそれを見送る。

 能「蝉丸」で目をひくのは、蝉丸以上に姉の逆髪だ。重力に逆らった平安時代のLOCA(“狂った女”)が、猿の声と木々のざわめきだけが響く山の中を亡霊のように渡る。その景色を想像するだけでむしょうに胸のすく思いがする。この姿を見て人は逆髪は狂ったと判断したのだろうが、逆髪は自分の立ち位置について冷静に把握しているし、水に映った自分の姿を見てその浅ましさに呆れているように、都の論理を内面化している様子もある。理解はしているのだ。ただそこに迎合せず、逆髪は流浪を選んだのである。
 二人が出会う蝉丸の庵があるのは、関所で有名な逢坂山だ。都と外界をつなぐ場所、都市の外縁である。二人はいわば都の秩序と外界の無秩序のせめぎ合う場所で出会い直したのであった。都から見れば都を追い出された似た者同士であるとも言えるが、外縁から見てみると、〈中央〉を追い出されてもなお天皇家のたしなみとしても継承されてきた琵琶を持ち、誰かの訪問を受けられる固定の住所を得ている蝉丸と、自ら〈中央〉の外へ出て汚れた姿で一人さまよい、蝉丸と語らった後も放浪を続ける逆髪とでは、やはり性格が異なる。どちらがよいとかどちらが悪いとかではない。ただ秩序をずらすことと完全に秩序の外に出て行くのとでは、〈中央〉に対する批評性は同一であっても行動として全く違う性質を持つのだろうと考えている。
 逆髪は笑っている。この笑いは自嘲なのだろうか? 己の髪が逆立っているのも逆さまであるが、天皇の子である自分を市井の子どもたちが笑うことも身分上の逆さまである。全ては逆転する。もはや逆髪にとってはただ逆さまであることが単純に面白いのではないか。逆髪は全てがひっくり返っているから、何もかもに逆さまになる可能性があることも知っている。それがむしょうに面白い。
 別に逆髪に「新しい女の子」像を求めるような恣意的な話をしたいわけではない。逆髪の人生は逆髪の人生だ。ただ、王権のひずみを身に抱えた人が山奥で笑うとき、その声は2019年の泥沼でのたうつ(私/俺/わし/自分/?)の耳にも届くのだ。逆髪もまた、身の内に築かれた王権の論理を追い出しきれないまま、それでも耐えきれずに山で笑うことを選んだ。葛藤、自己矛盾、これらを友として、(私/俺/わし/自分/?)もまた笑う流浪者になりたい。胸も張らず消えもしない、ただ美の権力を離れた場所でこの世を真剣に面白がるのだ。ぎゃはは! 固く踏み固められた強く新しい道を作るために、まずは殺意を持って足の裏に全体重を懸ける。笑う流浪者の歩みがゲーム盤を破壊するのだ。全部踏み潰す、己の足で踏み潰す。完全にぶち壊したら盤の破片集めてゲリラどんど焼きしよう、消防呼ばれるまでのタイムアタックで……。

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高島鈴/Takashima Rin高島鈴/Takashima Rin
1995年、東京都生まれ。ライター。
https://twitter.com/mjqag

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