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先日のフィリップ・シーモア・ホフマンの急逝で心が乱れたのは、その訃報を最初に知ったのがツイッターのタイムライン上だったことである。しばらくして流れていく、数々の「追悼」ツイート……おかしな話だが、自分もその「ソーシャル・ネットワーキング・サービス」を利用していながら、しかし彼の死をそこで見たくはなかったのだ。それはこの20年間のアメリカ映画に夢中だった自分にとって、会ったこともないがしかし、たぶん遠くない人間のものだった。僕がたしかに好きだった彼の死の「情報」は、ほかの日常的なツイートに紛れて、しばらくすると消えていった。
レッド・ハウス・ペインターのマーク・コズレックの現在のプロジェクト、サン・キル・ムーンの6枚めのアルバム『ベンジ』はおびただしい数の死が描かれたアルバムで、聴きながら歌詞を追っているとふと、自分の知っている人間の死に出くわすこととなった。ジェームズ・ギャンドルフィーニというアメリカの俳優で、僕は彼の愛嬌のある風貌が好きだった。昨年の彼の急死も、僕はたしかインターネットで知ったはずだ。彼の死について、アルバムではこんな風に歌われている。「ラーメンを食べて緑茶を飲んでいるときに、『ザ・ソプラノズ』のジェームズ・ギャンドルフィーニが51歳で死んだニュースを見た/ドラムを演奏しに来る男と同じ年だ」。このアルバムに参加しているドラマーのことらしいが、サン・キル・ムーンのソングライター、マーク・コズレックはそんなふうに徹底して自らの身の周りに起きたこととしての死をここで語っていく。この曲のタイトルは「リチャード・ラミレスは今日自然的原因で死んだ」だ(リチャード・ラミレスは実在の連続殺人犯の名前)。『ベンジ』はそして、簡単にひとの死をどこかに流し去ったりせず、それをアコースティック・ギターの穏やかな調べとコズレックの深い歌声に変換して、語り手の揺らぐ感情へと流し込んでいく。結局、ひとはどんな状況でそれを知ったとしても、次々にやってくる誰かの死と対峙するしかないのだと……ただそのことが、このアルバムを陶酔的なまでにメランコリックで美しいフォーク・ソング集、ある種の優れた文学作品の領域へと引きこんでいる。
オープニングの“カリッサ”でのギターの丹念な演奏と不思議に震える音程、そしてストーリーテリングが見事な導入となっている。カリッサはコズレックのいとこで、不慮の事故によって35歳で命を落としたのだという。長らく会っていなかったという親戚の死にコズレックは、ひどく打ちひしがれている様子をここで隠さない。だが、ウィル・オールダムが加わるコーラスは気が遠くなるほど優美だ。そうしてアルバムは、老いた母への愛、叔父の死、自らのセックス体験、子ども時代の父の記憶……と、きわめて私小説的に場面を変えていきながら、ディープなブルーズ(“トラック・ドライヴァー”)やときにヒップホップ的なフロウ感覚(“リチャード・ラミレス~”)をも通過していく。歌っている内容のせいだろうか、コズレックのヴォーカルはときにこちらがぎくりとするような危うさを隠さない。
僕はウィル・オールダムの名前を見て思い出し、本当に何度となく聴いたボニー・プリンス・ビリーの『アイ・シー・ア・ダークネス』に久しぶりに耳を傾けてみた。近いものがあるのではないかと思ったのだ。たしかに時間感覚が消えていくような静けさは共通するものがあった、が、そのアルバムに収録されているたとえば“デス・トゥ・エヴリワン”のようなぞっとするような暗さは『ベンジ』にはない。ジャケットの色合いのちがいにも表れているように、もっと茫漠とした悲しみが広がっていて、それはどこまでも沈んでいくようなものではない。ふと音を外すギターのように、心地よい揺らぎが漂っている。ラスト・トラックの“ベンズ・マイ・フレンド”に至っては、ジャジーで涼しげなサックス・ソロすら聴けるナンバーで、ポスタル・サーヴィスのライヴを観に行った体験とそこで自覚する自らの老いを描いており、これも私小説的だが語り口はユーモラスだ。そしてこの曲でアルバムが終わることで、不思議と聴いたあとの感触は軽やかだ。
「きみの知っているひとはみんな死ぬ」と歌ったバンドのことが僕は大好きだが、しかしその現実をたやすく受け止められるほど僕たちは強くなくて、だから『ベンジ』はその弱さにゆっくりと混ざり溶けていくレコードである。震えるギターの弦の音に意識を委ねているうちに、不条理に暴力的に訪れる数々の死、その悲しみに浸るある種の心地よさを思い出させるフォーク・ミュージックだ。そしてそれは僕たちがまた日常、老いて死に向かっていく日々に帰っていくこと……生きることを歌っている。
木津 毅