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Loraine James

Electronica popGlitch

Loraine James

Detached from the Rest of You

Hyperdub/ビート

野田努 May 19,2026 UP
E王

 いや、すごい、作品を出すごとに、新しい音響世界を見せることができるのは、並大抵のことではない。スケジュールの多くはギグで埋まっていると思われるし、それでもこうやって新境地の新作、それも質の高いアルバムを完成させてしまうのだから、やはり、ロレイン・ジェイムズはこの10年のエレクトロニック・ミュージックのシーンにおける重要アーティストのひとりだ。この名義では4枚目、ジュリアス・イーストマンへのオマージュ作品を入れれば5枚目となる『Detached from the Rest of You』は、本人の冗談めかした説明によれば“IDMポップスター・アルバム”、より正確に紹介するなら、いままで以上に歌(ゲスト)をフィーチャーしたグリッチ作品といったところである。

 少しだけジャンル用語説明にお付き合いいただきたい。1990年代から2000年代初頭にかけて、大いに発展した大衆派エレクトロニック・ミュージック(ハウス、テクノ、ジャングル、ミニマル、ガバなど)において、機能的なダンス・ミュージックから離れたスタイルを、IDM、エレクトロニカ、グリッチなどと呼んでいる。音楽の教科書のように明確な境界線があるわけではなく、互いに重なり合っているが、完全に同じではない。IDM(知的ダンス・ミュージック)は、四つ打ちから脱却した変則リズムとヨーロッパ的な旋律を組み合わせた複雑さが特徴のテクノで、AFXやスクエアプッシャーなどが代表である。
 もっとも彼らは、いや、彼ら以外の多くの作り手/メディアも、とくに当初は、IDMという呼称における「インテリジェント」という言葉を嫌った。で、それに取って代わったのが、“エレクトロニカ”という言い方である。こちらは、アンビエントやポスト・ロック的なサウンドをも包括する、より広範囲な音楽性を指す言葉となっている。だから初期のフォー・テットのようなフォークトロニカも、そしてグリッチもエレクトロニカのなかに含まれるサブ・ジャンルのひとつであり、グリッチに関して言えば、この用語の拡大にひと役買ったのが、フランクフルトのレーベル〈Mille Plateaux〉によるコンピレーション・アルバム『Clicks & Cuts』(2000年)だった。
 『Clicks & Cuts』——本来は「失敗」や「不具合」とされるクリック(プツッというノイズ)とカット(音飛び、断片化)、すなわちデジタル技術が本来排除すべきエラー(ノイズ)を音楽の主役へと反転させること、本来であれば機械が見せたくない部分、それをさらけ出す試み、こうしたコンセプト/手法をもって作られたエレクトロニック・ミュージックが“グリッチ”と呼ばれるものである。
 この手法の先駆者には、オヴァルやマウス・オン・マーズらがいるが、機械の「ミス」を主体化したグリッチをポストモダン思想をもって理論武装したのが〈Mille Plateaux〉レーベルだった。ドイツを発信地とし、ウィーンを経由して広がったグリッチは、イギリス製IDMの三巨匠たちの無邪気なドリルンベースとは異なるハイブラウな道筋だったわけだが、しかし、これがみごとに大衆ウケしたのである。“グリッチ”にひとが快楽を感じるとしたら、それはテクスチュアに対するフェティッシュな快楽か、さもなければ、システムの裂け目から漏れ出す表現性に対する心理的な喜びか、いやいやあるいは、テクノロジーにおける悪夢の魅惑か……。
 『Detached from the Rest of You』におけるもっとも重要な影響源であるとロレインが明かしている青木孝允、池田亮司は、ちょうど『Clicks & Cuts』の時代にグリッチと形容された作品を発表している。(ほかにもこの時代、2000年代初頭には、Jan Jelinek、Snd、Pansonic、SutekhやTwerkなど多数のグリッチ系がシーンを席巻していた。いまではアンビエントで知られるTaylor Deupreeや坂本龍一の共作者のAlva NotoやFenneszのような人たちもこの頃のグリッチ界隈から登場している)

 よって、なにをいまさらグリッチなのかと思われるベテラン・リスナーもいることだろう。しかしながら、ロレイン・ジェイムズがすばらしいのは、それをドリーミーな音響体として再定義し、現代的リズム(ジャングル/グライム/ダブステップ以降のリズム)と融合させつつ、曲によってはポップな響きに磨いている点にある。要するに、調理がうまいのだ。チボ・マットの羽鳥美保をフィーチャーした“Flatline”は間違いなく今作のクライマックスだが、この曲はほとんどコーネリアスの領域と重なっている。
 アルバムの冒頭には、たしかに池田亮司のグリッチを想起させる機械の誤作動めいたサウンドがある。機械のエラーに感じる恍惚と喪失感の両義性は、「あなたの残像から、切り離されて」といった意味の題名がほのめかすメランコリアに密接してもいる。ロレインは、彼女が尊敬するIDMの巨匠たちの楽天性(言わば脳天気さ)とは対極的に、内省的な方向性からは今回も逃れられていない。しかしながら、グリッチにおける遊び心と複数のゲスト陣との掛け合いのなかで、アルバムはその舞台を広げ、そのテクスチュアを楽しむこともできるし、ユーモアとエモーションを感じることもできる。“Flatline”に並んで、今作におけるもっとも突出した瞬間はティルザが歌う“Habits and Patterns”である。ほとんどマッシヴ・アタックの領域と重なっているこの曲は、最高に格好いい。
 ニューヨークのサウンド・アーティストのシドニー・スパンの低い歌声が入る“In a Rut”、アンシア・キムの蒸気のような歌声の“Score”も、さらにヒップホップ・ビートをバックにLowのアラン・スパーホークが歌う“Peak Again”も、いちど聴いただけで好きになれる曲だ。全編がグリッチなわけではない。アルバムの最後のほうでは、MCのLe3 bLACK(長年の共演者)とドラマーのFyn Dobsonをフィーチャーした“Ending Us All”がテンポを上げて、いっきに熱量を上昇させる。肉体的なビートは、それに続く“Forever Still”で激しさを増す。ちょっとAyaの過剰さを思い出すかもしれないが、しかし、クローザーの“See Through”では冒頭のグリッチへとつながるような、機械のエラーとメランコリアへと着地する。
 
 ロレイン・ジェイムズのアルバムを、Whatever the Weather名義もふくめてすべてぼくは好んでいるが、今回はとくに出色の出来で、将来的には彼女の代表作の1枚になるだろう。

野田努