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interview with ASA-CHANG&巡礼

interview with ASA-CHANG&巡礼

アウフヘーベンという「まほう」──ASA-CHANG&巡礼、インタヴュー

取材・文:北沢夏音    Mar 12,2016 UP

ASA-CHANG&巡礼
まほう

Pヴァイン

PopExperimental

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 古代インド神話におけるトリムルティ(三神一体論)に登場するシヴァ神は、破壊神でありながら、破壊後の創造をも担うという両義性を持つ。ヒンドゥー教の経典『リグ・ヴェーダ』では、シヴァは暴風雨神ルドラとして現れ、暴風雨による風水害を引き起こす一方で土地を肥沃に潤し、作物の恵みをもたらす。またルドラには人々の病を治癒する超能力があるという。

 破壊とその後の再生を担うという両義性。病を治癒する力。ルドラやシヴァのこうした特性は、ASA-CHANGという優れて特異な音楽家の創作態度とぴったり重なる。既成の様式を破壊するだけでなく、根底から創り直して再生させる――ASA-CHANG&巡礼のこれまでの軌跡は、文字通り破壊と再生の連続であった。ASA-CHANGが切り開いた“けものみち”に咲きみだれる、美しくも異形の花々は、いつしか世界中に散らばる同志たちにとってのひとつの道標となっている。

 2009年の5thアルバム『影の無いヒト』をピークとして、翌10年にこれまでの編成を一旦解体したASA-CHANG&巡礼から、7年ぶりの新作『まほう』が届いた。後関好宏と須原杏という二人の新メンバーを迎えて制作された初のオリジナル・アルバムとなる今作は、全曲歌モノで構成された、まさに初ものずくしの作品となった。とりわけその核となる“まほう”と“告白”の2曲は、かつてない方法論でつくられ、体験したことのない衝撃を聴き手にもたらす未知の音楽であると同時に、日本語のポップスが未踏の領域に足を踏み入れた瞬間の記録でもある。前者の歌詞は、『惡の華』(『別冊少年マガジン』09年10月創刊号~14年6月号連載、講談社コミックス全11巻刊)などで知られる漫画家の押見修造が、吃音に悩む少女を主人公にした学園物の短篇“志乃ちゃんは自分の名前が言えない”(太田出版WEB連載空間『ぽこぽこ』11年12月~12年10月連載、13年1月同題のコミックス全1巻刊)からサンプリングしたことばのぶつ切りと作中に登場する歌詞の引用がミックスされ、後者の歌詞は、今作のジャケットも手がけたアート・ディレクター/映像作家の勅使河原一雅のウェブサイトに上げられた赤裸々なプロフィールをそのまま引用した。「そんなのありか!?」と思わず叫びたくなる意表をついたアプローチだが、チョップされたことばと音が曼荼羅のように脳内を回り出す、ASA-CHANG&巡礼の専売特許というべきえもいわれぬ聴き心地がさらに深まって、なんと形容していいか分からない、まったく新しい感情が自分の中に芽生えるのを感じる。

 1969年にカナダのトロントで行われたマーシャル・マクルーハンとジョン・レノンの対話のなかで、マクルーハンは言う。「言葉というものは、どもりを整理した形態だ。人は喋るときに、文字通り音を切り刻んでいる。ところが、うたうとき人はどもらない。つまり、うたうという行為は、言語記号をひきのばして、長く調和のとれたさまざまなパターンと周波をつくり出すことなのだ」。

 一方、レノンは言う。「私にとって言葉とか歌は、理論的に震動がどうのこうのということを別にすれば、夢を語ろうとするようなものなのです」。そして、「どもることに関しての話はたしかにおっしゃるとおりですね――言いたいことって言えないものです。どんなふうに言っても、いいたいようにはけっして言えませんよ」と述懐した後、「音楽が新しいリズム、新しいパターンを採用する方向に向いつつあることをどう思う?」というマクルーハンの問いかけに対し、「完全な自由があるべきですね。とにかく、人間が何千年もかかえてきたパターンをいったん捨ててみることです」と言い切っている。

 「ビートルズの音楽はよい趣味になりつつある危険に瀕しているのかね?」とマクルーハンに問われたレノンは即答する。「その段階はもう通りすぎましたよ。もっと徹底的にむちうたれなくてはいけないのです」。ぼくには、ASA-CHANGとレノンが、47年間という時の隔たりを超えて、方法論こそ違えども、創造にかかわる問題意識を共有しているように思えてならない。マクルーハン曰く、「それが、中央集権化している現代の世界を白紙に戻す方法でもある」。

 押見、勅使河原の両氏は、ASA-CHANG&巡礼が14年に始動した、異なる分野の表現者とマンツーマンでセッションするライヴ・イヴェント「アウフヘーベン!」のvol.3とvol.2 にそれぞれ出演しているが、aufhebenというドイツ語には、廃棄する・否定するという意味と、保存する・高めるという二つの矛盾する意味がある。これはドイツの哲学者ヘーゲルが提唱した弁証法の基底となる概念であり、否定を発展の契機としてとらえる考え方である。テーゼ(命題)に対するアンチテーゼ(反対命題)として古きを否定する新しきものが現れるとき、矛盾するもの同士を高次の段階でジンテーゼ(統合)することにより新しい何かを生み出し、さらなる高みに到達しようという、このプロセスをアウフヘーベン(止揚)と呼ぶ。それはまさしく「ASA-CHANGという哲学」そのものだ。

 今作『まほう』は、否定の感情をぶつけあい傷つけあって、いたずらに混迷するばかりの世界に向けてASA-CHANG&巡礼という破壊神が投じた、止揚への大いなる一石であり、決して癒されることのない痛みに苦しむ人たちにおくる鎮魂歌集である。


■ASA-CHANG&巡礼
1997年、ASA-CHANGのソロユニットとして始動。国内で評価されるとともに各国のメディアにも取り上げられる。 また、ミュージックビデオにおけるコンテンポラリーダンサーとの共演が世界的な話題となり、09年に音楽×ダンス公演『JUNRAY DANCE CHANG』を世田谷パブリックシアターにて開催。 12年に後関好宏、須原杏をメンバーに迎え、国際的な舞台芸術祭「KYOTO EXPERIMENT 2012」への参加、アニメ『惡の華』のEDテーマ曲の提供など、多岐にわたり活動を展開している。 また、14年9月からライブシリーズ「アウフヘーベン!」を始動、世界的な舞踏家・室伏鴻や映像作家・勅使河原一雅、漫画家・押見修造といったジャンルを横断した作家とのコラボレーションを行う。2016年3月、6thアルバム「まほう」をP-VINEより発売。

音楽=サウンドだけだと思えませんでした。本当に管楽器が欲しかったら、そのメンバーに歌ってもらうなんてことはしないと思うんですよ(笑)。そのひとと作りたい、その滲み出るもの全部と関わりたいんですね。

新しい編成になって、いろんな意味で新しいスタートラインに立った──ご自身もそういう気持ちでレコーディングをされたのでしょうか?

ASA-CHANG(以下AC):そうですね。メンバーが変わりましたからね。で、ひとが変わったわけだから、音も変わりますね。

前の3人編成のときに、ASA-CHANG&巡礼の音楽は確立されていました。ぼくは活動が広がっていくにつれて、少しずつ理解できるようになったというか。最初は突然変異系の音楽だと受けとめていたんです。だけど、やっぱり“花”という曲がぼくも好きで、ずっと心に残っているんですよね。あの曲があるから、たとえ変わったとしても全然関係のないところへ行ってしまうことはないだろう、という気持ちはありますね。今回のアルバムを聴いても、作品から受ける感動の性質は変わらなかった。生と死の両方を感じさせ、なおかつ、ぎりぎりの果ての果てからそれでも先に行かなければいけないときに支えになってくれる音楽というか。新しいメンバーはどういう経緯で集まったのですか?

AC:前のメンバーとの形が解体して、それ以降、自分のソロとして続けると告知したんですけどね。そのちょっと前から舞台芸術というか、コンテンポラリー・ダンサーといっしょにやったり、世田谷パブリックシアターなんて大きな劇場から声をかけてもらったりとか。やっぱりソロでは活動できなかったので新メンバーを公募したりしていたのですが、なかなか見つからない……。それでようやく巡りあったメンバーが後関(好宏)さんと須原(杏)さんだったんですね。

後関さんは在日ファンクのメンバーですよね。

AC:そのときは在日ファンクのメンバーじゃなかったと思います。いまはそうですが……。ちょっと定かではないです。

管楽器ができるひとが欲しかったのですか?

AC:正直そういう見方でもなくて、音楽=サウンドだけだと思えませんでした。本当に管楽器が欲しかったら、そのメンバーに歌ってもらうなんてことはしないと思うんですよ(笑)。そのひとと作りたい、その滲み出るもの全部と関わりたいんですね。だからヴァイオリニストにヴァイオリンだけを望まないし、管楽器奏者から管楽器だけを望まない。その限られた人数のなかでつくっていこうと思うと、どうしても起こってくるんですけど。かといって、そのひとを深く知ろうとするわけでもないんですけど。

そのひとがピンとくるポイントってどこですか?

AC:んーわかんない。相性というか。感覚よりも明確な何かがあるでしょうけれども……、わからないですね。鍵穴みたいなものというか……。

音を出す前から、どんな感じかわかるのですか?

AC:音は関係なくなっちゃいますね。当然音はいいだろうと確信しているので。

後関(好宏) さんとの出会いはどんな感じでしたか?

AC:覚えてないです(笑)。メンバーになる前から知っていたので。ゴセッキーというアダ名がありまして。ゴセッキーとまさか巡礼をやるとは思いもしなかったですね。この東京の音楽業界の片隅に必ずいた人物なので。念頭にはなかったんですが、メンバーを探していたときにお願いしてみたというか。

須原(杏)さんは?

AC:ひとづてです。こういうことを話しても、ドラマ性がなくて面白くないんですよ(笑)。

「ワン、ツー、スリー、フォー」ってドラマーがバチをカンカン鳴らしてカウントするのも、なんだか恥ずかしいと思っていましたから。

きっとなにがしか引き合うものがあって、メンバーになっているわけですよね?

AC:そうですね。でも僕らは、バンド体質を持っていないというのは大きいですね。ベースがいてドラムがいてピアノがいないと成り立たない音楽だとは思わないので。バンドマンが持っているような考え方や、出会いのドラマチックさが、ある意味全然なんですよ。

それは前からそうなんですか?

AC:うん……。あんまりそういうのはないかもですね。あったらロック・バンドをやっていますって。スカ・バンドしかやってないですから。「ワン、ツー、スリー、フォー」ってドラマーがバチをカンカン鳴らしてカウントするのも、なんだか恥ずかしいと思っていましたから。自分の好き嫌いは相対的なもので、もっとかっこいいものが他にあったら、浮気症な男なんで、自分の音楽哲学みたいなものは変わってしまいますよね。だから、出会いかたはつまんないんですけど、いまは本当に大切なメンバーですね。

新編成になってからの第一歩を、どういう形で記したのですか?

AC:前の編成(ASA-CHANG、ギタリスト/プログラマーの浦山秀彦、タブラ奏者のU-zhaan) を2009年に解体しました。加入した時には、まさかお茶の間レベルにまで浸透するなるなんて想像もつかなかったU-zhaanという存在、彼と活動をともにしなくなってから、3年後ですか。京都で舞台芸術のイヴェント(「KYOTO EXPERIMENT 2012」) があって、それに出ることになったんですが、そのとき初めて新体制で動きました。

2010年から2012年の間は、朝倉さんがひとりでいろんなことをやっていたのですか?

AC:いや、何もやってないです。正直ちょっと面倒くさくなっちゃいました。

ある意味、一旦解散したような感覚があったのですか?

AC:辞めようとまでは思っていませんでした。でも、言い方が悪いですが、本当に面倒くさくなっちゃったんですよ。これはぼくのいけないところだと思うんですけど、(巡礼以外の)他のプロデュースや演奏に集中してしまうと、そこに鍵をかけて置いておけるんです。一旦そうすると、自分で何か始めるまでおいておけるんですね。そういうナマケモノの場所が自分にはあるので、数年間はほっぽっておいちゃいました。

ASA-CHANG&巡礼は、朝倉さんが他所に心がいっているときは、別に動かさなくてもいいわけですね?

AC:それがすごくナマケモノなところだと思います。

舞台芸術なんていうと、なんでみんなそんな同じような表現しかないのかな、というところに自分のアンチがあったので、たとえ野暮でも極彩色で明るいものにしようと。

「KYOTO EXPERIMENT 2012」に参加したときに、新メンバーとリハーサルで音を出してみて、そこでいっしょにやる音楽が見えてきた感じですか?

AC:舞台表現だから、相当な稽古量なんですよ。だからその音楽だけのリハーサルなんていうのは、本当に歯車の一個という感じで。台本に合わせた細かい打ち合わせを毎日やるわけです。ライヴバンドみたいに「やっちまえ!」という感覚は許されない。

演出家が指示を出して、それにミュージシャンも従うという。

AC:その演出家が自分なんですよ。だからいい意味で音だけに集中しなくて済んだので、音は他のふたりに預けておけた。それが自分にとって良い形のスタートを切れたのかもしれないですね。舞台芸術なんていうと、なんかアカデミックで、モノクロの光がわぁーっときて、なんでみんなそんな同じような表現しかないのかな、というところに自分のアンチがあったので、たとえ野暮でも極彩色で明るいものにしようと。なんでいつもこう暗黒舞踏みたいなのだろう、と。誰が決めたんですかね? 舞台芸術の常識っていうのはとても不思議だなと。

ぼくは観客として舞台や演劇に接するとき、なかなかその世界に素直に入れないタイプなんです。

AC:ぼくもそうです。ちょっとかゆくなっちゃうというか(笑)。正直、わざわざお金を出して観に行こうとは思わなかったんです。突然奇声を張り上げたりとか、ステージ脇から走ってきて止まってバタンと倒れたり(笑)。あのスタイルは誰が決めたんだと。それが(効果的に)作用するときがあったんだろうと思うんだけど、それを固定してやられても、ちょっと気持ち悪いですよね。でも、気持ち悪いと思っているひとだから切り開ける部分もあって。だとしたら、ずっと走っていてバタンと倒れるのが上手くなれば「最高」ってなるわけじゃないですか?

それってコントみたいですね。

AC:何かの思想だけで表現しているみたいなのがね……。しかしそういう界隈で巡礼の音楽はすごく評価されているんですよ。それで観に行って勉強するというか、通ってみたりして。ただ嫌い、って言うのもいやになっちゃって、好きなものもあるかもしれないぞと。でも、どうしても嫌いで。

そんなに急には変らないですよね(笑)。

AC:好きなカンパニーも少しは出来たんです。そのひとたちと手を組んで強烈にいろんなことをやっていったら、「KYOTO EXPERIMENT」の舞台の演出の話がきたんです。嬉しかったですね。

その試みは『JUNRAY DANCE CHANG』(※09年5月15日~17日、世田谷パブリックシアターで開催された音楽×ダンスの3DAYS公演。音楽・演奏:ASA-CHANG&巡礼/構成・総合演出:ASA-CHANG×菅尾なぎさ/振付・出演:熊谷和徳、菅尾なぎさ、斉藤美音子、康本雅子/出演:井手茂太、上田創、酒井幸菜、佐藤亮介、鈴木美奈子、須加めぐみ、中村達哉、中澤聖子、松之木天辺、メガネ、U-zhaan、ASA-CHANG、他)/空間美術:宇治野宗輝×ASA-CHANG)からはじまっているんですか?

AC:そうです。その前(06年3月29日~31日)にも、六本木の〈スーパー・デラックス〉で『アオイロ劇場』(※ASA-CHANG&巡礼とMV“つぎねぷと言ってみた”、“背中”、“カな”のミュージック・ヴィデオに出演したダンサーたちが舞台空間で競演する、JUNRAY DANCE CHANG名義の3DAYS公演)というのをやりました。そういう感じですね。

『アオイロ劇場』はどういうきっかけではじめたのですか?

AC:自分の作った“花”とか、“つぎねぷと言ってみた”を「公演で使っていいか?」という依頼が、いろんなダンス・カンパニーから――ヨーロッパやアメリカ、もちろん日本からもくるようになって。

それは思いがけない反響でしたか?

AC:思いがけないです。まさか身体表現のひとからそんなに愛されるとは思っていなかったですね。そういう反応があって、自分もそっちへ接近していったんです。

なぜ身体表現をするひとたちに好かれるのか。あるいは、なぜ彼らがASA-CHANG&巡礼に触発されるのか。その理由について、朝倉さん自身が接近していくにつれて何か見えてくるものはありましたか?

AC:「なぜ」かはわからないですね。ただみんな好きで使ってくれたみたいです。「なぜ」を問うたりしなかったです。既存の曲のように1番があって2番があって間奏があってエンディングに向かって盛り上がってダンっと終わる曲が踊りづらいんでしょうね。同じビートが続いて……それじゃ、クラブ・ミュージックで自然に反応するような動きしかできなくなっちゃうんですよ。パルス過ぎるんでしょうね。かといって、巡礼の“花”なんかクラブで結構かかっていた時期もありましたね。

エクスペリメンタルな音楽には、想像力を喚起して身体を動かしたくなる不思議な作用があって、そういう要素がASA-CHANG&巡礼には入っているような気がしますね。

AC:そうだと嬉しいのですけれど……。ぼくは例えば本を作ろうとすると、紙の原料になるコウゾやミツマタの木を伐採に行くようなことから始めるわけです。そこから作って紙をすいて、そのインクまで作るみたいなことをしないと、自分のなかではオリジナルだとは思えなくなってしまって。そうしないといけないと前世で誰かに言われてしまったんだと思うぐらいです。

家を作るんだったら、まず瓦を作りたいんです。そういうことをすることが音楽だと思ってしまっている。

そういう気持ちが高まってきたのはいつぐらいからですか?

AC:昔からです。スカパラのときもそうでした。どこにもないから作るという、収まりきらないようなモノをね。家を作るんだったら、まず瓦から作りたいんです。そういうことをすることが音楽だと思ってしまっている。例えば、DJはターンテーブルを作らないでしょう?

そうですね。ターンテーブルはすでに用意されている、という前提がありますね。

AC:それだと個人のスタイルが違うだけで、フォーマットは違わないじゃないですか? そこでフォーマットを変えることが音楽だと思っちゃったんですよ、ぼくは。ただそんなことをやっているとキツいんです。それは80年代に当時のファッションの最高にアツい現場にいて、20代でそういうことを感じてしまったことが影響しているのかもしれないですけどね。雑誌の「流行通信」などの撮影現場で、ものすごいモノを作り上げていて、ぼくはびっくりしたんです。そこで初めてクリエーターと呼ばれるひとたちに会うわけですよ。

朝倉さんはヘアメイクのお仕事をされていましたよね。その頃に出会って、とくに印象に残っているひとたちは?

AC:写真家の小暮徹さん。いまでも親交があります。伊島薫さんもそうです。素晴らしいひとたちと会い過ぎちゃって。自分は全然ダメで、ただ東北の田舎から出てきてカタカナ商売に憧れていただけの未成熟な少年で、ここで何かしなきゃ!と焦って、もがいていました。原宿のど真ん中で……入り込んだ美容集団が凄すぎたのは、ぼくにとってはとても大きいですね。そのなかで小泉今日子さんとも出会うわけですけど。だから、音楽にもその当時のクリエイティヴの熱気を求めますね。

あのころの……80年代の熱気って特別な感じがしますね。

AC:ただ、いまと空気が違うから、そのまますり合わせるのも無理なので、それをいまの自分とすり合わせて上手く作っていこうと思うんですけど。

創造性を触発されるクリエイターとセッションするという感覚は、朝倉さんのなかでずっと続いているんでしょうね。

AC:そうですね。ぼくはあまりにもそのひとたちと世代が違ったので、(相手が)デカすぎたんでしょうね。そういう風になりたい、大人になりたい、と常に思っています。「スタイリストって本当に洋服を選んでいるだけのか?」って思っちゃうくらいすごかったので。だから、音楽をやるために音楽だけに入り込むというのがまったくつまらなく思えたんですね。それよりも音楽を壊していくことが音楽を作ることに近い気がします。

スカパラも、初期の頃は魑魅魍魎が現れたというか、それまでの日本には存在しないニュータイプの楽団だった。でもスタイリッシュでカッコいい、まったく新しいグループとして世に出た記憶がありますね。

AC:とにかく人数が多くて、ライヴハウスのステージから常にひとりかふたりはみ出しているわけですから(笑)。

しかも当時はクリーンヘッド・ギムラという煽り役がステージの中心にいて、担当は“匂い”だという。そういうスペシャルなメンバーもいましたからね。

AC:それを作ろうと思ってああなったわけじゃないけど、いまでも使われている“東京スカパラダイスオーケストラ”というあのロゴをぼくが書くわけなんです。そういうデッサンみたいなものをぼくが(スカパラを構想したときに)書いているわけですよ。そういうことをイメージしちゃうと、それを実際にやりたくなって。でもそれは数年しかやれないわけですよ。じゃあ辞めて別のバンドに入ればいいわけですけど、ぼくの場合はそうじゃないんです。

スカパラのロゴが頭に浮かんで、そのデッサンを形にした後は、イメージが膨らんでくるのを楽しんでいる状態でしたか?

AC:ぜんぜん楽しくないですよ。焦りともがき。「これかっこよくない?! やろうよ!」って常に周りに勧誘してたと思います。やっぱり(実現するにはふさわしい)時があるんでしょうね。急速に集まり出すんです。それでデビューしていくわけですけど。

取材・文:北沢夏音(2016年3月12日)

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