「PAN」と一致するもの

BPM ビート・パー・ミニット - ele-king

記憶するということと/思い続けることは違います/たいていの人間は/時とともにすぐに忘れてしまう/それが一番/むずかしい事です 清水玲子『パピヨン』1994

 カンヌ国際映画祭には2010年に創設された「クィア・パルム」という独立賞があり、全上映作品の中からセクシュアル・マイノリティに関する要素を持つ作品が候補作として選定される。昨年この賞(カンヌではグランプリも獲ってるが)を受けたのが本作『BPM』で、3年前(2014年)のクィア・パルム受賞作は『パレードへようこそ(原題:Pride)』。

 LGSM(Lesbians and Gays Support the Miners)の軌跡を描いた『パレードへようこそ』の舞台は1984年の英国で、創設メンバーの一人であるゲイ・アクティヴィスト、マーク・アシュトンは1987年2月11日にエイズのため死去している。米国における、エイズ施策に消極的な政府や、感染当事者の要望に応えない製薬会社などに対する直接抗議行動団体「ACT UP」がニューヨークで始動したのが1987年の3月なので、彼はそのムーヴメントの萌芽を見ることなくこの世を去ったことになるが、さらに2年後の1989年には英国の対岸フランスで「Act Up-Paris」が活動を開始する。『BPM』が舞台に設定したのはその頃、90年代前半のパリである。

 実際にAct Up-Parisのメンバーでもあったロバン・カンピヨ監督はこの映画を、実在した過去の人物を役者に割り振ることをせず、あくまでフィクションとして再構成した。それは「フランスにおける90年代前半のエイズ・アクティヴィズム」といった言葉で記憶されるであろうムーヴメントの渦中にいた人々に、改めて顔と名前を与える作業とも言える。いかにあの時代の空気から乖離せずに描くか、という困難な作業をナウエル・ペレーズ・ビスカヤート(個人的に印象深いのはアルゼンチンからベルギーのパン屋のおっさんに身請けされる青年を演じたデヴィッド・ランバート監督の『Je suis à toi』)やアデル・エネル(『午後8時の訪問者』ほか。余談ながらパートナーは同性)を始めとした俳優陣が過不足なく体現することで成立させている。また監督が「出演者の大部分がオープンリー・ゲイだった」と語っていることからは、制作現場が現在と過去とがせめぎ合う空間であったことも窺える。

ゲイ社会にとってエイズはいまだに終わっていないのだ、と心に留めておくことが大切だ。僕の俳優たちはカクテル療法や併用療法の時代しか知らなかった。彼らは予防的治療の時代を生きている。にもかかわらず、未だに彼らはどこにでも存在する忌まわしい伝染病を抱えて生きなければならない。この映画の時代と現代では25年の歳月が経過しているのにね。 (監督インタヴューより)

 映画が始まって割とすぐ、Act Up-Parisの定例ミーティングに初めて来た若者に古参のメンバーが活動内容などを矢継ぎ早やに説明した後で実にさり気なく、こんな一言を付け足すシーンがある。「あ、あと君らの(HIV)検査結果がどうであれ、この活動に参加した時点で世間からはHIV感染者ってことにされるからね」。この実にあっけらかんと軽く、かつ絶望的なジャブを繰り出された観客は、かつて存在した空気の中に引きずり込まれる。

 早期に適切な治療にアクセスできれば、という条件付きではあるが現在、少なくとも先進国においてはHIVに感染しても生きるか死ぬか、というものではなくなった。が、90年代前半にはまさしく生きるか死ぬかの問題だったのであり、加えて感染者に近づくことすら避けられるような、無知に基づく恐怖が社会に充満していた時代である。当事者とその関係者以外(もちろん政治もである)のマジョリティーができるだけエイズについて考えないことで事態をやり過ごそうした果てに感染は拡がり、そしておびただしい数の人々が死んだ。マドンナが1989年に発表したアルバム『ライク・ア・プレイヤー』の日本盤ライナーには枠囲みで「AIDS(エイズ)に関する事実」というタイトルのコラムがあり、オリジナルのブックレットには見当たらないこのテキストが収録された経緯はよく判らないが、最後の一文はこうだ:「AIDSはパーティーではありません」。

 それから、だいたい四半世紀が経った。2018年現在、医療の進歩によってHIVウィルスの影響自体は効率的に抑えこむことが可能となっている(適切な服薬によりウィルスが検出されない状態を保つことができる)のに、いまだ感染者への差別――日本に限定すればお馴染みの「ケガレ」に近い忌避感、と言い換えてもいいだろうか――だけがスモッグのように残ってしまった状態である。感染しても取りあえず死なないらしい、という曖昧な雰囲気が関心を薄れさせている状況は、現実に向き合って判断していないという意味では「AIDSがパーティー」だった頃と似たようなものだ。

 この映画の仏語原題は『120 Battements par minute』である。音楽のテンポとしてならBPM 120は割と普通にあるけれども、安静時の心拍数としては早すぎる(走っている時にはこのくらい出るだろうが)。もしかすると本タイトルにおける「ビート(Battement)」はどちらとも取れるように「120」に設定されたのかもしれないが実際、この映画もビートとともに始まる。そして心拍としてのビートは、血液のイメージにも接続される。本来体内を循環するのが役割であるはずが、時に思いも寄らないところにまで運ばれ、また思いも寄らないものを運んでしまう血液のイメージが視覚的にも随所で使われ、なまじリアルな流血をこれでもかと繰り出すより効果的に作用している。

 登場人物がほぼ10~20代の若者たちで、かつアーバンな首都の生活者で、ある一時期ヒートアップしたムーヴメントを描いた映画であるのは間違いないので、この映画を観て受け取った感動をつい「駆け抜けた青春」などと形容しそうにもなるが、当時の渦中ただ中にあった人にとっての現実は、何も考えずに歩いていた道が実はランニングマシーンだった(止まったが最後、容赦なく地面に叩きつけられる)ことに気づいてしまったようなもので、ひたすらに追いかけてくる現在の中で自らの青春にうっとりしている余裕などなかったであろう。ハードコアな日常に否応なく放り込まれた彼らの顔は、だからどこか茫洋としている。

 『BPM』の中で彼らが束の間の陶酔を表情として見せるのは、観ていて息苦しくなるようなセックス・シーン(フェラチオする時にコンドームを付けたほうがいいのか大丈夫なのか、といったノイズがいちいち邪魔をする)ではなく、ほぼ深夜のクラブでのシーンに留められている。彼らが昼間の活動を終えた後でゆらゆらと漂うクラブで流れるサウンドはあくまで90年代風に作られた、ただしその音の硬さがあの頃の音とはどこか決定的に違う響きを持った新曲が大半を占めているが、そこからも制作者の「これはフィクションである」という明確な意志が伝わってくる。それはつまり、下手を打つと間違い探しによって内容がぼやけてしまう「事実に忠実な再現ドラマ」という枠組から自由になるために選ばれた語り方である。

 確かにエイズはパーティーではなかった。が、どうしようもなく熱を持っていた時期があった。やがてその「フィーヴァー」は去り、しかし終わったわけでもない25年後のいま、ノスタルジアを極力排した映画『BPM』が届けようとしているものは、かつてその熱が何を奪い、何を生んだのか? という人と社会の動きについてであり、そして一番にそれが届けられるべきなのは現在、この映画の中を生きた彼らと同年代の人々と言うことになるだろう。苦闘した先人たちを英雄的に描くことで若者に恩を着せるのが目的では無論なく、この先も人間社会は似て非なる愚行を幾度も繰り返すだろうし、幾ら歴史を学んでも過去が現在のシミュレーションではない以上、眼の前の事象にどう対処したらいいのかの判断は、その場に立ち会ってしまった未来の誰かがするしかないのだ。先に道を歩いてきた者は、さらにその先へと進もうとする誰かに「覚悟だけは決めておけ(幸運を祈る)」とだけ伝えて倒れていくほかに、できることはないからだ。


interview with Toshio Matsuura - ele-king


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 まあとにかく集まって、互いに音を出す。思わずディナーショーの席を立ち、汗まみれのダンスフロアに向かう。エクレクティックな音楽をやる。SoundCloudからは見えないそのシーン、いわば現代版「Jazz not Jazz」現象がUKでは注目を集めている。松浦俊夫のソロ・アルバムは、まさにその瞬間にアクセスする。
 彼の新しいアルバム『LOVEPLAYDANCE』は、表向きには90年代のクラシックをカヴァーするアルバムとなっているが、それは表層的な情報で、目指すところは「過去」ではない、「現在」だ。参加メンバーを紹介するのが早いだろう。
 メルト・ユアセルフ・ダウンやサンズ・オブ・ケメト、あるいはフローティング・ポインツでドラムを叩くトム・スキナー。レディオヘッドにも参加しているバーレーン出身の女性トランペッター、ヤズ・アーメド。アコースティック・レディランドのベーシスト、トム・ハーバート。ヘンリー・ウーとのプロジェクト、ユセフ・カマールのユセフ・デイズ。ザ・コメット・イズ・カミングのダン・リーヴァーズ……そして『We Out Here』にも参加した今年の注目株のひとり、アフリカ系の女性サックス奏者、ヌビア・ガルシア。要約すれば、UKジャズの新たなるエース、シャバカ・ハッチングス周辺、そしてフローティング・ポインツやペッカムのフュージョン・ハウス・シーンのキーパーソン、ヘンリー・ウー周辺の人たちである。
 DJはプロデューサーであり、オーガナイザーであり、ときにはジャーナリストでもある。松浦俊夫とジャイルス・ピーターソンは、たったいま南ロンドンで起きていることをとらえて、そのエネルギーを90年代のダンスフロアで愛された楽曲にぶつけた。こうして生まれた『LOVEPLAYDANCE』は、ノスタルジーという誘惑を見事に退けて、現在から明日へ向けられるアルバムとなった。しかもこのタイミングでのリリース。これは大きいかも。

この20年くらいで世のなかがまったく変わってしまったので。うーん、生き方が変わったという気はしますよね。だからそれぞれがしょうがないからこうやって生きるかみたいなところで受け入れたり、諦めたりする部分が出てくるのかなと思っていて。自分もけっこういまその岐路に立っていると思っているんですけど……諦めきれないんですよね。

まずはアルバム、『LOVEPLAYDANCE』のコンセプトについて教えていただけますか? いままでのご自身のキャリアのなかでとくに思い入れのある曲ということで選んだんでしょうか?

松浦:曲目を見ていただけるとわかると思うんですけど、90年代前半の曲が意外となくて、90年代半ば以降のサンプリング・ミュージックからすこし移行したあたりの楽曲が中心になっています。最初に何百曲か選んでみて、サンプリング・ミュージックをいま生でやり直すということってどうなのかなと思うところがあったんですよね。サンプリングを通過したクラブ・ミュージックが展開していくうえで、逆にミュージシャン的な人たちを必要とした時期があって。生のバンドでやり直すんだったらそこらへんなのかなと思ったんです。

時期を限ったというか。ところで、ご自身のDJ歴はいつからになるんですか? 

松浦:人前で名前を出してDJをしたのは、川崎のクラブ・チッタが出来たころですね。クラブキングにいたときに、「革命舞踏会」というイベントを(桑原)茂→さんがやっていたんですね。そのクラブ・チッタのイベントでやってからなので、実は今年でちょうど30年目なんです。

30年前ですか。

松浦:クラブキングの頃もそうですし、ジャズ・クラブで働いていたときもそうだったんですけど、自分の音楽歴の要所要所ですごくターニング・ポイントになることがあって。そのターニング・ポイントの入り口を作ってくれたのが、ケニー・ドーハムの『Afro-Cuban』というブルーノートから50年代半ばに出たアルバムなんですけど、それをいまやるのも違うなと思ったんですね。やっぱりいまの時代にリプレイして聴き直す、あらたに世のなかにプレゼンテーションするとしたらなんなんだろうか、というところが実はいちばんこだわったポイントです。
とくに時間的な縛りを設けたというよりは、自分が作り手として出す以上にDJとしていまの時代に出すという意味も含めて考えたときに、自分は作曲だとは思っていないんですけど、曲を作ることと曲を紹介するということが両立出来ないといけないなと思ったんですね。それはどちらかに寄せるだけでもいけないなと思ったので、すごく難しいところではあると思うんですけど。コンセプトはすごくシンプルなんですけど、この楽曲ラインナップになるまではけっこう迷い続けていたところがあったかもしれないですね。

なるほどね。たとえばカール・クレイグの“At Les”やロニ・サイズの“ Brown Paper Bag”みたいな曲とか、ニューヨリカン・ソウルの曲(“ I Am The Black Gold Of The Sun”)はそれ自体がカヴァーだったので違いますけど、クルーダー&ドーフマイスターみたいな人たちの打ち込みの曲なんかは、やっぱりそのローファイな音質やアナログ・シンセの音があって成立する曲かなと長いあいだ思っていたんですね。でも松浦さんの今回のアルバムを聴いて、楽曲そのものの良さというのが他の人がやっても生きているというように思ったんですよ。20年くらい前の曲が入っていますけど、20年経ったいまも楽曲として生きていますよね。そういう意味でいま松浦さんが仰ったことの主旨には納得しましたし、アルバムを聴いたときにもそれは感じました。だから、ひとつにはこういう90年代の打ち込み主体の曲が、いまも楽曲として生きているということを証明するアルバムとも言えるじゃないかと。

松浦:録音自体は4日しかなかったんですけど、そこまでに時間がかかりましたね。実は収録していない曲もあったりして、もしこれが世のなかに認知されたら続編というかたちもあるかなと思ってあえて入れなかったんですね。未完成の状態だったので、新たに作り直したほうがより楽曲としてこなれるだろうなと。どちらかと言うとテック寄りの楽曲だったので、もうちょっと良くなると思って今回はあえてカットしました。

全部ロンドンで録音したんですよね? ぼくもこの2年くらい南ロンドンのペッカム周辺のシーンを好きで聴いていたんですが、松浦さんのアルバムがそのシーントリンクしていてすごく嬉しく思いました。だからこのアルバムはノスタルジーになっていないんですよね。こういうことをやるときってそこが微妙じゃないですか!

松浦:そうなんですよ。だから許される条件として当事者であるということと、いまのイギリスのシーンのなかで頑張っている人たちと世代が違うのに一緒にやれたというところが大きかったですね。実際に演奏してくれた人たちにしてみるとノスタルジックな思いというのは一切なかったりするんですよね。トム・スキナーというミュージカル・ディレクターのドラマーの彼はすごく音楽を知っていて、“At Les”なんかも好きだって言っていたんですけど、基本的にほとんどのプレイヤーは“Brown Paper Bag”も知らないという人たちがほとんどでした。でも逆に知らなくて良かったのかなと思いますけどね。

知らないからこそ良かったんでしょうね。

松浦:事前に楽曲データを送って、余裕があれば聴いてくださいねとは伝えていたんですけど、みんな忙しかったのでロクに聴いていないという(笑)。でもそれが逆に良かった。思いもよらないようなアレンジが途中で出て来たりしたので、それはそれで自分の考える「ジャズ」みたいなものにとっては結果オーライだったんじゃないかなと思っているんですよ。もともとジャズを作ろうと思ってやっているわけではないですし、ジャズはジャズ・ミュージシャンのものだと思っているので。気持ち的にジャズの精神みたいなところ、新しいものに挑戦していくということと、すべてを吸収するものがジャズだという考えであれば、このプロジェクトはOKじゃないかなと思ったんですよね。

ある意味では意図した部分ではあるんでしょうけど、すごくフレッシュな演奏ですもんね。楽曲を知っているヴェテランがやってしまったら……。

松浦:いわゆるカヴァーになっちゃうと思うんですよね。打ち込みの音楽を生でやりました、というか。

ああ、ありましたね。なるほど(笑)。

松浦:いわゆるスタンダードをいなたく、いまのミュージシャンを使ってやるというだけだとたぶん失敗するなと思ったんですね。そこに関してはスタジオでもかなり気を使いました。

なるほどね。なるべくオリジナルに囚われない自由な発想で演奏してほしいということですよね。

松浦:そうですね。だからそもそもイギリスでやろうと思ったのはそこが大きいと思います。

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いまのイギリスのシーンのなかで頑張っている人たちと世代が違うのに一緒にやれたというところが大きかったですね。実際に演奏してくれた人たちにしてみるとノスタルジックな思いというのは一切なかったりするんですよね。

ロンドンはこのところジャズ・シーンみたいなものがとても活気づいていますよね。シャバカ・ハッチングスの新しいジャズの流れもあるし、ヘンリー・ウーみたいにカニエ・ウェストを聴いて育った世代が途中でジャズに向かったような流れもありますよね。今回のアルバムに参加しているヤズ・アハメドやヌビア・ガルシアみたいな人は、シャバカ周辺の人たちで、ヘンリー・ウー周辺ではユセフ・デイズが参加していますよね。このあたりの雑食的な感じがぼくはロンドンのいちばん好きなところで、本当に今回のアルバムではその現地の感じもパッケージされていて、嬉しかったんですよね。

松浦:活気がありますよ。アフリカ大陸からの新たな移民とかも含めて、より人種が多様になってきているじゃないですか。今回のアルバムのメンバーにもユセフ・カマールのユセフ(・デイズ)なんかはそうですし。

ユセフさんは親が移民なんですか?

松浦:親が移民ですね。だからパスポートはみんなイギリスなんですけど、ヤズ(・アーメド)はバーレーンだし、ヌビア・ガルシアもそうですし。いわゆる生粋のイギリスの白人というのは3人くらいかな。アメリカの多人種とは違うおもしろさがありますよね。
ロサンゼルスとかニューヨークを中心とするアメリカのジャズというのはすごくまとめやすい状況だと思うんですよね。(シーンが)ひとつになっているというか。イギリスの場合は多種多様でジャンルも跨っていて表現しようとしているので、それぞれが違うことをやっているというか。グルーヴがあるようなものを中心としてやっているなと思っていて。

そうですよね。ハウスやドラムンベース、テクノともリンクしていますよね。

松浦:それが自分のいままでいた30年間みたいなもので考えると、もちろんアメリカのシーンもおもしろいんですが……。バック・トゥ・ベーシックじゃないですけど、自分が90年代で1枚目のアルバムからロンドンでレコーディングをしていたんで、そういう意味では久しぶりにホームに戻った感じですよね。

まあU.F.O.(ユナイテッド・フューチャー・オーガニゼイション)はロンドンですからね。

松浦:そうですね。

UKのジャズ・シーンは自己流っていうか、USのように楽器はうまくないけど独創的な味がありますよね。

松浦:ヘンリー・ウーにしてもある意味で自己流なんですよね。音楽大学に行っていたわけじゃないですから、音楽理論というよりはもうちょっと感覚的にやっている。だからこそおもしろいものが出来てくるのかなと思います。かと思えばフローティング・ポインツみたいな、より数学的なところのアプローチをしている人もいて、作曲の仕方も違うんだろうなと思いつつ。そういういろいろな才能があってひとつのイギリスのシーンになっていると思うので、その人たちと個々それぞれでやっている人たちがひとつになって、東京から来た自分が入ることによってまた違う反応が起きるんじゃないかなということをすごく期待していました。それは自分が期待していた予想以上に反応が起きてくれたのですごくよかったかなと思います。

とはいえ、90年代のスピリットみたいなものをいまの人たちにも伝えたいという思いはありますか?

松浦:あります。ただその伝え方は難しいかなと思っていて……、ノスタルジックなことではないし、昔はよかったということではなくて、知っておいてほしいことがあるなと。それがバトンだとすると、自分は90年代にキャリアをはじめたとき、どちらかというと先人が残したものをコラージュして新しい物を作ろうとしていて、それを聴いた人たちがその次にバトンを受け取って、さらにその次の世代に渡してもらえる、というように考えていたんですね。でもとくに国内においてはそのバトンがいまひとつうまく渡しきれていなかったかなと思っていますね。
シーン自体が細分化して自分たちが好きなものに特化して、小さなサークルにしてしまったために、全体のシーンというものがいまひとつ見えづらくなっちゃって、なにが起こるかわからないというよりは「これ、レアなんだよね」みたいなところに落ち着いちゃって、趣味の世界に行っちゃったのかなと思うところもあるし。それぞれが刺激し合ってその化学反応が自分だったらこうするみたいのところで、また新しいアプローチが生まれるみたいなことが、イギリスに比べると圧倒的になくなってしまったのかなと思います。

これは今日話したかったことなんですけど、ぼくが松浦さんと初めて会ったのってどこか覚えています?

松浦:どこでしょうかねえ。リキッドルームとかですか?

いやいや。これはすごく笑える話なんですけど、僕が90年代の『ele-king』で初めてU.F.O.にインタヴューしたときは矢部(直)さんひとりだけだったんですね。その当時ぼくはシニカルな質問もよくしたので「なんでU.F.O.はそんなにスーツにこだわるんですか?」みたいな質問をしたんですよ。そのときに矢部さんがどう答えたか、細かくは覚えていないけど「そんなにこだわっているわけじゃない」云々、みたいなことを返してきたんですよね。そのインタヴューが掲載されてからしばらくして、「イエロー」で酔っ払っている松浦さんが僕に突っかかってきたんですよ(笑)。「なんだ、あのインタヴューは!」って(笑)。

松浦:はははは(笑)。

で、ぼくも酔っていたから「なんだ?」みたいな感じになって、当時『bounce』にいた栗原聡さんって編集者のかたが僕と松浦さんのあいだに入って「まあまあ」って(笑)。

松浦:そんなことありましたっけ(笑)。

パチパチ火花を散らしていましたね(笑)。

松浦:そうですか(笑)。すみません。

いえいえ、こちらこそすみません(笑)。松浦さんはたしかそのとき日本代表のユニフォームを着ていなかったっけな(笑)。それは別のときだったかな?

松浦:余計熱くなっちゃってますね(笑)。

いや、でもパチパチやるぐらい真剣だったんですよ。みんな状況を良くしたいから、シーンに良い意味での緊張感がありましたからね。

松浦:その緊張感がなくなってしまったほうが良いか悪いかということの判断基準ではなくて、やっぱりそういう側面はなきゃいけないんじゃないかなという気はしていて。それは頭のなかで考えてどうこうするものではなくて、アティチュードみたいなものがあるというか……喧嘩を売るつもりではなかったと思いますが。

はははは、笑い話ですけど(笑)。

松浦:自分はクラブ・シーンのなかでは一番下っ端みたいな年齢で入ってきたので、怖い大人に比べれば、どちらかと言うと柔らかいほうだったと思うんですけど。ただ、いまは時代が経ったうえで、ある程度下の世代からレジェンド扱いされてお終いにされちゃうというか。レジェンドって言葉の使いかたもちょっとイージーになりすぎているみたいなところがあって。マイルス・デイヴィスはレジェンドだけど(ロバート・)グラスパーはまだレジェンドにはなっていないだろう、みたいなことだと思うんですよね。そういう意味でもうちょっとスリリングで研ぎ澄まされた感じや、体のなかにたぎる青白い炎みたいなものがもうちょっとあってもいいのかなと。そういうものも含めて今回のプロジェクトでなにか動き出すというか、「あ、そうだよね」と思って当時そこにいた人たちも含めてそうやって感じてくれる人がいればいいなというのは大きいですね。

でもこれはもう「Jazzin'」に行っていた世代にとっては「待ってました!」という感じだと思いますよ。もちろんヘンリー・ウーから入っている子たちにも聴いてほしいし。

松浦:それこそサチモスを聴いているような子たちにも届かなきゃいけないなと思っているので。

松浦さんはこの21世紀の現代に対してどう思っていますか? 抽象的な質問で恐縮ですが、どんなところに変化を感じます?

松浦:この20年くらいで世のなかがまったく変わってしまったので。うーん、生き方が変わったという気はしますよね。だからそれぞれがしょうがないからこうやって生きるかみたいなところで受け入れたり、諦めたりする部分が出てくるのかなと思っていて。自分もけっこういまその岐路に立っていると思っているんですけど……諦めきれないんですよね。
このシーンにおいていうと起点の頃からいるので、なんとかしなきゃなという思いはずっと持ち続けていますが、ただ時代のなかで変わっていくということも当然のことながら必要なことであって。それは音楽だけじゃなくて必要だなと思っていて、そのスピリットはなんとか変えずにいく方法はないかなと思っているんですけど。もしかしたらそれが意固地だと思われているかもしれないし、もしかしたらそれがストッパーになっているのかもしれないなと。リミッターみたいなものにかかっているのかなとは思うので。

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ロンドンは活気がありますよ。アフリカ大陸からの新たな移民とかも含めて、より人種が多様になってきているじゃないですか。今回のアルバムのメンバーにもユセフ・カマールのユセフ・デイズなんかはそうですし。ヤズ・アーメドはバーレーンだし、ヌビア・ガルシアもそうですし。

前に取材させていただいたのがHEX(ヘックス)のときで、HEXのときは松浦さんがモーリッツ・フォン・オズワルドの影響を受けていて、アシッド・ジャズのリスナーが望んでないかもしれないことに挑戦したというか、長いキャリアのなかでも違う側面を見せたじゃないですか。しかし今回は、「バック・トゥ・ベーシック」に立ち返って、それを現代版としてアップデートして見せるみたいな感じでやったと。今回のプロジェクトをはじめるにあたって、なにかきっかけはあったんですか? 

松浦:結局自分が納得のいくものを作っても聴いてくれなければ意味がないなと思っていて、HEXの場合は本当にやりたいことだけやったというところがあって、すごくコアな層に届いて、ブルーノート・レコーズ社長のドン・ウォズにも気に入ってはもらえてアメリカでアナログをリリースするかもって話にはなったんだけど、結局出ずじまいになってしまって。説得力に欠けたかもしれないなと思ったんですよね。いま野田さんが仰って下さったようなことがリスナー全員にわかってもらえるとは限らないので。

長い活動をしていれば当然求めているものもあるので、そことのバランスの取りかたというのは難しかったと思いますね。


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松浦:もしかしたらこの新しいアルバムでなにか拡げることができたら、HEXをもう一度やり直すこともあるかなという気持ちもあったんですよね。だからどうしてもひとつひとつに全部を集中しようとすると、U.F.O.だったらその名のもとにできたんですけど、ただ自分でやるとなってアウトプットをどうしようかと考えたときに、これをやり終えてみて肩の荷が下りたところがあったので、いまはもっといろんなことをやってもいいかもと思えるようになったというか。だったらHEXだけじゃなくて、いろんな名前でいろんなことをやるほうが伝えやすいのかもしれないなというのはやってみて思ったことですよね。これで自分がいったんこのシーンにピリオドをつけられたかなと思っていますね。ジャイルス(・ピーターソン)はアシッド・ジャズも含め、いわゆる「ジャズ」という括りのなかで表現されないようにすごく気をつけているのを感じたんですよね。

それはどういうことですか?

松浦:「ジャズ」というカテゴリーのなかに自分を当てはめられたくないというようなことですね。イギリスってクールかどうかというところが大事じゃないですか。だからいまの時代はオルタナティヴみたいなほうがクールというか、そういうところで評価されたいのかなということを傍から見ていて思うんですよね。

それはたとえば『マーラ・イン・キューバ』だとか、南米の音楽との接続というか。

松浦:そうですね。いまも(ジャイルスは)キューバに行っていますけど。なにか未知の物を求めたがるので、そこで新たな出会いを求めるというのが彼の場合はブラジルだったり、キューバだったりしたのかなとは思いますね。ヨーロッパのシーンだと人によってはアフリカのほうが多いじゃないですか。レアなアフリカの音源とか、アフリカのディスコ音源とか。そういうなかで彼の関心は、いま南米のほうにあったのかなという気はしますね。

しかし今回は、“L.M.Ⅱ (Loud MinorityⅡ)”は驚きましたけどね。

松浦:これももともとは(原曲を)やり直そうとしていました。いままでにミュージシャンと三度プレイしたことがあるのですが、90年代の新宿のリキッドルームでU.F.O.のパーティをやったときに、マンデイ(満ちる)さんやMONDO GROSSOのミュージシャンの方々に協力していただいて生演奏したのが最初で、2回目は3年前にユニットでクロマニヨンとHEXが対バンでライヴをやったとき。あともう1回は2016年にスタジオコーストでジャイルスと一緒にソイル(&ピンプ・セッションズ)と日野(皓正)さんを組み合わせたり、ミゲル・アトウッド・ファーガソンとサンラ・アーケストラが出演したりしたイベントがあったんですけど、そのときにソイルにやってもらったんですけど、結局やってもらっておきながら、さっきの話じゃないですけどサンプリング・ミュージックを生でやってもそれ(原曲)を超えることが出来ないというところに行き着いてしまったんですね。
ただ去年で“Loud Minority”を作って25周年だったということもあって、いわゆるクラブ・ジャズみたいなものだったり、自分はもう所属していないもののU.F.O.がもっと評価されていいんじゃないかという思いもあったりして、だったら抜けた人間だけどもカヴァーして聴かせるということがプロジェクトの肝にもなっていたんですね。とにかくその3回の生演奏を自分で客観的に聴き直して「なんか違うな」というところに行き着いて、すごく矛盾しているんですけど今回のスタジオに入るというときに、いかに“Loud Minority”から離れられるか、というかいかにサンプリング要素を削ることができるかということに挑戦しはじめて、その結果曲の途中で一瞬だけベースが出てくるんですけど。

僕はこの曲にHEXとの繋がりを感じたんですよね。だってCANみたいじゃないですか(笑)。

松浦:完全にそうですね。だから本当はオーヴァーダビングするかもしれないということを想定して、ドラムとベースとキーボードの3人での30分くらいセッションが残っているんですけど、最初にああじゃないこうじゃないといろいろやってみて、リズムとかも変えてみて、瞬間的にこれだというのがリズムから出たので、それを中心に回してくださいってことをエンジニアに言ったら、それで演奏が始まっちゃったからもうほっておいたんですよね。それで30分くらいしたら止めたから(笑)、これでOKってことで。あとでオーヴァーダビングもしなくていいからこのままにしようってことで、あとで自分がエディットしたものを聴いてもらうから、それでよければこれでOKですってことでセッションは終わったんですけどね。そのときにこれってHEX2かもしれないって思ったんですよね。もしかしたらこれが次のヒントになると思っていたんですけど……これはたぶんリキッドルームの壁に書かれている「alternative / jazz」ってことなのかなと。それが体現できたかなと思いますね。

ちなみにアルバム・タイトルは最初からこれ(『LOVEPLAYDANCE』)に決まっていたんですか?

松浦:これも悩みました。「ジャズ」とか「クラブ・ジャズ」という言葉を入れるべきか入れないべきかみたいなところでいろいろ考えて、当初は『DANCEPLAYLOVE』か『PLAYDANCE&LOVE』だったんですよ。ちょうどそれを決めなきゃいけないときにトマト(TOMATO)のサイモン・テイラーが来日していて話をしたんですけど、自分が考える英語とネイティヴの連中の英語のニュアンスの受け取り方はたぶん文字以上に違うだろうなと感じていて、「&LOVE」にするとすごく感傷的になると言われたんですね。そのニュアンスは自分にもあったんですよ。クラブでも出会いと別れがたくさんあったような気がするなあと(笑)。それも含めてだったんですけど、その感傷はいったん置いておこうと思ったんですね。「LOVE」を頭に持ってきたほうがおもしろいし、ワン・ワードのほうがいいってサジェストしてくれたので、それにしようと代官山のデニーズで決めました(笑)。

(笑)。「DANCE」は松浦さんがずっとやってきたことで、ダンス・ミュージックということが基本にあると思うのでわかるんですけど、この「LOVE」というのはどうやって出てきたんですか?

松浦:だからやはり出会いと別れですよね(笑)。

そういう意味なんですね。

松浦:音楽をプレイすることも好きだったし、踊ることも好きだったし、人を愛することもすべてそこにあったというか、それがすべてだったような気がしていて。それで人生が回っていたのってすごく幸せだったんだなと。ノスタルジックになっちゃいけないんですけどね。

でもそれはいまでも絶対にあるものだと信じていますね。

松浦:だからそれも含めて「&LOVE」じゃなくて「LOVE」を頭に持ってきて、このジャケットをぶつけたというのはあえて先入観を取り払うためというか。ちょっとポップに見えるじゃないですか。昔だったらもっと渋いジャケットになっていたんだろうと思うんですけど、ポップだけど狂気があるみたいな感覚を表現したかったんですよね。こういうデザインも、作るまではすごく試行錯誤をして悩んだりしたんですけど、最終的には一瞬で決まったんですよね。だいたいそうやって直感的に決まるものはのちのちうまくいくというか、“Loud Minority”然りなんですけど。

“Loud Minority”が当時どれだけすごかったかというのは本当にリアルタイムで知らないとなかなか伝わらない部分があると思うんですけどね。

松浦:2日間くらいスタジオに篭って、卓の下で順番に仮眠を取っていましたからね。だからエンジニアの人辛いなあと(笑)。3人がかりでずっと寝ないで立ち会われているから大変だったと思います。

当時はものすごくヒットしたじゃないですか。

松浦:そういうのがいまの20代の人たちに掘り起こされているということも感じていて。ただし、今回は“L.M.Ⅱ”という名前に改題してオリジナルにしようと思ってやりましたね。

そうですよね。これだけは、カヴァーではなく、ほとんど松浦さんのオリジナルですもんね。

松浦:まだ“Loud Minority”の可能性は残していたときにある人に聴かせてみたんですよ。そしたら一瞬だったんですけど、聴き終わったときにその人の表情を見たらちょっと顔ががっかりしているんですよ。“Loud Minority”じゃないって(笑)。

(一同笑)

松浦:それがわかって、これは(曲名を)変えたほうがいいかもしれないと思ったんですよね(笑)。作っているほうは新しいことができたから「これぞ“Loud Minority”じゃないか」と思っていたんですけど、“Loud Minority”に強い思いを持っている人こそ「なんで!?」って思いが聴いたときに出ると思うんですよね。

それはそうでしょうね(笑)。難しいですよ。去年のゴールディの“Innercity Life”のブリアル・リミックスが賛否両論であったように(笑)。では最後に松浦さんの今後の抱負をお聞かせください。今日も会った瞬間からさっぱりされているなと思ったんですけど、下手したら4年前よりも元気なんじゃないかなと(笑)。

松浦:そうですね。昨日も氷点下のなか10キロくらい走ったりしていたので。

はははは。運動のしすぎはダメですよ(笑)。

松浦:この時期は寒いのに抵抗力ができますからね。12月くらいはすごく寒くてへこたれたんですよ。だからダメだなと思って日々心がけて運動をしていたら、この寒さのピークのときに寒さを感じなくなったので、こういうことだなと思って。とくにこのアルバムが出るのが3月ですし、毎年東日本震災の子どもたちのチャリティでランニング大会をやっているんですね。今年の3月11日は日曜日で、皇居周りをみんなで走るという企画を毎年やっているんですよ。

松浦さんが主催なんですか?

松浦:そうです。基本的には僕がやっています。その参加費をみなさんから集めて、それを現地の子どもたちのために動いてくださっているNPOのかたに送るというのを毎年やっているんです。

本当にえらいですよね。

松浦:いやいや。やっぱり何者でもなかった自分が音楽に拾われたみたいなところがあって、いままでこうやって生業みたいなこととしてできてきたことが幸運だっただけに、恩返しは続けていかないといけないなという思いがあるので。意固地になっている部分はあるのかなと思いますけど。自分も好きなことをやるためにはもっと土台をしっかりさせないとさせなければいけないなと感じますよね。でも前向きなので、根拠のない自信ではあるんですけどなんとかなるんじゃないかなと思っています。

それは重要ですよね。ありがとうございました。

※このページもぜひチェックしてみて! 80年代のUKソウル/ジャズから現在までが聴けます。
https://www.universal-music.co.jp/toshio-matsuura-group/news/2018-02-13-playlist/

資本主義リアリズム - ele-king

内面は疲れ果て、いまぼくたちは永遠に魂を失う。 ──ジョイ・ディヴィジョン“ディケイド”

資本主義リアリズムがこうも網羅的で、現在の抵抗の形がこうも絶望的かつ無力であるなら、実のある異議申し立てはどこから来るのだろう? 資本主義がいかに苦しみをもたらすかを力説するモラル的な批判は、資本主義リアリズムを増長させるだけだ。貧困、飢餓、戦争は、現実の避けられない一面として描かれ得るが、こうした苦しみを無くせるかもしれないという希望となれば、しばしばナイーブなユートピア主義のレッテルを貼られれてしまう。資本主義リアリズムを揺るがすことができる唯一の方法は、それを一種の矛盾を孕む擁護不可能なものとして示すこと、つまり、資本主義における見せかけの「現実主義(リアリズム)」が実はそれほど現実的ではないことを明らかにすることだ。  ──マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』


 待望の翻訳だ。妥協のない厳しいメッセージではあるが、率直で勇敢な本だ。ある意味気が滅入るかもしれないが、世界を変えようと真剣に考えている。なんにせよ、昨年1月に自害したイギリスの批評家、マーク・フィッシャーが2009年に発表した『資本主義リアリズム』、彼の代表作がついに日本語で読める。
 ジャンル的に言えば、現代思想に精通している人が評すべき本だと思うが、サイモン・レイノルズが嘆くように、音楽についての文章がただ音楽のためだけの文章になってしまった今日、同調主義的かつナルシスティックなFacebookやインスタのようなネット文化ではないそのオルタナティヴにおいて、フィッシャーはただ音楽のためだけではなく音楽についても書き続けた人でもある。読みやすい本だし、音楽好きにも読んでもらいたいと思うがゆえに自分で書くことにした。
 だいたいフィッシャーは、いまのところ公式では最後にURを取材した人である。2007年の『WIRE』誌に掲載されたそのインタヴューの一部分は、拙著『ブラック・マシン・ミュージック』の新装版のあとがきに引用させてもらった。もうひとつ、彼こそはBurialないしはダブステップをを論じた第一人者であり、現代においてジョイ・ディヴィジョンを論じ直した人だ(あるいはリアーナのようなポップスターについてとか)。レディオヘッドについて書いている文章は読んだことはないが、いずれにせよ、この本を避けて通ることはできない。

 が、おそらくぼくたちはそれをいつの間にかずいぶんと避けてきているかもしれない。避けているとういよりは、慣らされてしまったというか、ほぼ盲従しているというか。たとえばの話、ぼくたちはなんとなくハリウッドがろくでもないバビロンかもしれないと思っている。そのハリウッドではいまどきのトピックの社会派の映画が優秀な人材を配して作られる。そして言う。いや、ハリウッドだろうとないよりはマシだと。この「マシ」にはかなりの説得力がある。
 数年前『パレード』という映画があった。80年代の炭坑夫とゲイが共同してデモをするという、言うなれば集団的オルタナティヴの形成に関する美しい実話をもとにしたイギリス映画で、いまでもぼくは人に薦めたいと思っている。が、その物語は、サッチャーから炭坑廃止をめぐって「それしか道はない」と強制/提言されたことで生じた労働者階級の「亀裂」については突っ込んでいない。資本主義リアリズムはその「亀裂」に深く関わっている。それはジェイムス・エルロイの「ノワール」とも、ギャングスタ・ラップにおける「リアル」とも連なる。
 
 ギャングスタ・ラップとは、その支持者がしばしば主張するように、既存の社会状況を単に反映したものでもなければ、その批判者が主張するように、そうした状況をただ引き起こすものでもない。ヒップホップと後期資本主義の社会的フィールドが互いに浸透し合う回路はむしろ、資本主義リアリズムがアンチ・神話的な神話と化すところと通底している。(本書より)

 本書の特徴は、まずは「ポストモダニズム」よりも「資本主義リアリズム」という用語を優先して使っている点にある。フィッシャーは、サラヴォイ・ジジェクのようにいくつかの映画を解読しながら、複数のアングルから「資本主義リアリズム」なるものを暴いてみせる。そのひとつに、ポスト・フォーディズムの問題がある。いま企業で働いている人たちには身近な話で、これから働く人たちにとってもじつにシリアスな問題だ。

 というのも、ごくまっとうな理由からではあるが、四十年間も同じ工場で働き続けるのはごめんだと思ったのは彼らだから、左派はいろいろな意味で、フォーディズム的バランスを崩し、そしてそのことから未だに立ち直れていないままでいる。特に英国では、労働者階級の伝統的な代弁者、つまり労働組合と労働党の幹部らによって、フォーディズムはむしろ都合が良すぎた。安定した階級対立によって彼らの役割は保証されていたというわけだ。しかしその結果、ポスト・フォーディズム的資本主義を唱える者として容易に自己アピールすることができた。(本書より)

 新自由主義が基本的に人の弱みや満たされない欲望につけ込んで入ってくることは、我が国の政治家たちを見れば一目瞭然であり、歴史の分水嶺ともなったサッチャーの言葉=「これしか道はない」は、訳者もあとがきで指摘しているように安倍内閣が執拗に使っているフレーズでもある。フィッシャーが言うように「反国家主義的なレトリックを明示しているにもかかわらず、新自由主義は実際のところ、国家そのものに反対しているのではなく、むしろ公的資金の特定の運用に反対しているのだ」。そして、こうした新自由主義(非道徳的な合理性)と新保守主義(道徳的で規制的な合理性)は、たがいに矛盾しながらも「資本主義リアリズム」のなかで融合する。
 その結果、現在ぼくたちは自由にお買い物を楽しみ、そして自由に転職して失業するという不安定さのなかで生きる/死ぬことを甘受している。ラップのMCバトルは、あらかじめ敗残者に溢れた世界を生きることを前提とする社会、それが当たり前(リアル)だと思わせるという点で「資本主義リアリズム」を補完する。それは起業家ファンタジーとの親和性を高めるはするものの、みんなが勝利する世界をますます想像しづらくする。
 ラップだけのことではない。それはありとあらゆるものに接続可能だ。社会貢献が好きなボノのような人がつい口にしてしまった「パンクやヒップホップは硬派な商業主義」という言葉から漏れている「資本主義しか道はない」という合意にも通じる。
 インディーズやオルタナティヴも他人事ではない。インディーズやオルタナティヴがメインストリームの外部にあるのではなく、「メインストリームに従属しているどころかそのなかでもっとも支配的なスタイルにさえなっている」ことは、Jポップやファッションを見ていてもわかる。それはテクノやレイヴ・カルチャーがEDMや企業イベントに吸収されたことや、リヴァイヴァルと冷笑主義ばかりが繰り返され、新しいモノが生み出せなくなってきている文化的膠着状態ともリンクしている。いや、「新しいモノ」は出てきてはいるかもしれない。が、「経済的効果」を生み出せないがゆえにメディアで紹介されない、されなくて当然となっている、日本ではいまにはじまったことではないが。
 「資本主義リアリズム」におけるこうした文化の衰退、そして誰もが幸せな未来を描けなくなっていることへの無力感、あるいは、健康や禁煙を奨励するいっぽうで、統計的にもその疾患者の増加が目覚ましいのに関わらず、政治経済からは放置され続けるうつ病/情動障害……これら「資本主義リアリズム」の異常さをフィシャーはとことん見逃さない。

 早とちりしないで欲しいのは、本書は「またかよ」の新自由主義批判ではないということだ。最近問題視されている奨学金制度もそうだが、金利の値下げによりまずは人びとを債務者にする新自由主義にもほころびが起きている。フィッシャーが「新自由主義は必然として資本主義リアリズムであったが、資本主義リアリズムは必ずしも新自由主義である必要はない」というように、実際いまぼくたちはトランプ政権やイングランドのEU離脱という出来事を目の当たりにしている。そしてディスピアを量産することはできても(ディストピアを描くことは現状認識という点において重要だと思うが)、ユートピアを想像できないままでいる。
 「Is there no alternative?」、オルタナティヴはないのか?(選択肢はないのか?)が本書の副題となっているが、フィッシャーは彼なりに未来への手がかり(実験的かつ実践的なオルタナティヴ)をある程度まで具体的に書いている。興味深いことに、毛利嘉孝のようにUKのポスト・レイヴ・カルチャーをバックボーンに持つ彼は、東浩紀のようにポストモダニズムの「大きな物語」批判を超克するための、左派の新しい目標として一般意志という概念の再興を説いている。(そして、原書で読んでいる高橋勇人がぼくにしつこく言ってくるのは、ポストモダニズムの限界とうつ病というテーマにおいて、國分功一郎的でもあるということ)

 フィッシャーが48歳で自ら命を絶ったということもあってか、いまUKの大学生のあいだでは、およそ10年前に著されたこの本がさらにまた読まれているという。学生はカスタマー(顧客)ではないし、公的サーヴィスはビジネスであってはならないのにビジネスにすらなっていないという現実。人口減少にも関わらずマンションが新築され続けるように、多国籍企業の店舗を破壊したところで破壊されることのない「資本主義リアリズム」。フィッシャーの意見をすべて肯定する必要はないだろうけれど、手遅れにならないためにも、その実体を確認することは急務だろう。

JASSS - ele-king

 〈Modern Love〉のアンディ・ストットやデムダイク・ステアらが(結果的にだが)牽引していた2010年代のインダストリアル/テクノの潮流は、2016年あたりを境界線に、ある種の洗練、もしくはある種の優雅な停滞とでもいうべき状況・事態になっている。それはそれで悪くない。インダストリアル/テクノはロマン主義的なテクノという側面もあるのだから退廃こそ美だ。
 しかし、その一方でサウンドは、ボトムを支えていたビートはレイヤーから分解/融解し、複雑なサウンドの層の中に溶け込むようなテクスチャーを形成する新しいフォームも表面化してきた。分かりやすい例でいえばアクトレスローレル・ヘイローの2017年新作を思い出してみれば良い。ビートとサウンドの音響彫刻化である。
 つまり洗練と革新が同時に巻き起こっている状況なのだ。すべてが多層化し、同時に生成していく。時間の流れが直線から複雑な線の往復と交錯と層になっている。いささか大袈裟にいえば2020年以降の文化・芸術とはそのような状況になるのではないか。

 今回取り上げるスペインのサウンド・アーティストJASSSは、そのような状況を経由した上での「新しさ=モード」を提示する。彼女にとって「新しさ」とはフォームではなくモードに思えた。スタイルや形式は、その音楽の中で並列化しているのだ。
 JASSSは、2017年に、ミカ・ヴァイニオと共作経験のある(『Monstrance』)、カルト・ノイズ・アーティスト、ヨアヒム・ノードウォール(Joachim Nordwall)が主宰する〈iDEAL Recordings〉からファースト・アルバム『Weightless』をリリースした。私はこの作品こそ現代のエクスペリメンタル・テクノを考えていくうえで重要なアルバムではないかと考えている。
 2010年代以降のインダスリアル、ドローン、テクノなどの潮流が大きな円環の中で合流し、2017年「以降」のモードが生まれているからだ。どのトラックも形式に囚われてはいないが大雑把に真似ているわけでもない。個性の檻に囚われてもいないが猿真似の遠吠えにもなっていない。ときにインダスリアル(の応用)、ときにアフリカン(の希求)、ときにタブ(の援用)、ときにアシッド(の記憶)、ときに硬質なドローン(の生成)、ときにEBM(の現代的解像度アップ)、ときにジャズ(の解体)など、1980年代以降の音楽要素を厳選しつつも自身の音楽へと自在にトランスフォームさせているのだ。それゆえどのトラックにも「形式」を超える「新しさ」が蠢いている。「個」があるからだ。

 JASSSは『Weightless』以前もベルリンのレーベル〈Mannequin〉からEP「Mother」(2016)、EP「Es Complicado」、〈Anunnaki Cartel〉からEP「Caja Negra EP」をリリースしていたが、『Weightless』で明らかにネクスト・レベルに至った。そのトラックメイクはしなやかにして、柔軟、そして大胆。そのうえ未聴感がある。
 何はともあれ1曲め“Every Single Fish In The Pond”を聴いてほしい。メタリック・アフリカン・パーカッシヴな音とインダストリアルなキックに、硬質で柔らかいノイズや微かなヴォイスがレイヤーされる。そして中盤を過ぎたあたりからアシッドなベースが唐突に反復する。どこか「インダストリアルなバレエ音楽」とでも形容したいほどのコンポジションによって、重力から逃れるような浮遊感を獲得している。続くA2“Oral Couture”も同様だ。ミニマル・アシッドなサウンドを基調にさまざまな細かいノイズが蠢くトラックメイクは優雅ですらある(スネアの入り方が人間の通常の身体性から少しずれたところをせめてくる気持ちよさ)。そしてB1“Danza”もアフリカン・インダストリアル・ミニマルとでも形容したいほどに独創的。さらに電子音のカットアップによる解体ジャズとでもいいたいB2“Cotton For Lunch”は、フランスのミュジーク・コンクレート作家ジーン・シュワルツを思わせもした。C1“Weightless”以降はインダスリアル・ミニマルなサウンドにダブ効果を導入したEBM的なトラックを大胆に展開する。
 全8曲、テクノ、インダスリアル、電子音響、ダブなど、さまざまなエレクトロニック・ミュージックのモードを自在に操りながらJASSSはわれわれの使われていない感覚を拡張する。どのトラックも、ビートはあっても重力から自由、硬質であっても物質的ですらない。ちなみに本作の印象的なアートワークを手掛けたのは、2017年に〈PAN〉からアルバムをリリースしたPan DaijingでJASSSのサウンドが持っている独特の浮遊感をうまく表現しているように思えた。

 『Weightless』を聴くとJASSSが特別な才能を持ったサウンド・アーティストであると理解できる。そしてその音からは壊れそうなほどに鋭敏な感受性も感じてもしまう。例えばミカ・レヴィ=ミカチューのように映画音楽にまで進出してもおかしくないほどのポテンシャルを内包した音楽家ではないか、とも。いや、もしかするとポスト・アルカと呼べる存在は彼女だけかもしれない(言い過ぎか?)。
 なぜなら、JASSSは技法やスタイルの向こうにある「音楽」を構築しているからである。ポスト・インダストリアルからアフター・エクスペリメンタル。コンセプトよりも分裂。もしくは物語よりもテクスチャー。 新しい音、モード。 その果てにある「個」の存在。
 20世紀以降、大きな物語が終焉したわけだが、それは21世紀において小さな物語が無数に生産されたことも意味する。それを個々のムーヴメントと言いかえることもできるが、JASSSはそのような個々の潮流ですらも手法(モード)として取り込み、単純な物語化に依存していない。テクノもエクスペリメンタルも包括した「音楽」の実験と創作に留まり続けている。それは停滞ではない。自分の音楽を希求するという意味では深化である。

GEIST - ele-king

 昨年出た YPY 名義のアルバムも記憶に新しい日野浩志郎。バンド goat の牽引者でもある彼が2015年より続けている大所帯のオーケストラ・プロジェクトをさらに発展させた公演が、3月17日と18日、大阪の名村造船所 BLACK CHAMBER にて開催される。イベント名は《GEIST(ガイスト)》。マルチチャンネルを用いた音響により、空間全体を使って曲を体験できる公演となるそうだ。ローレル・ヘイロー最新作への参加も話題となったイーライ・ケスラー、カフカ鼾などでの活動で知られる山本達久らも出演。詳細はこちらから。

GEIST

Virginal Variations で電子音と生楽器の新たなあり方を提示した日野浩志郎(goat、YPY)の新プロジェクトは、自然音と人工音がいっそう響き合い光と音が呼応、多スピーカー採用により観客を未知なる音楽体験へと導く全身聴取ライヴ……字は“Geist

島根の実家は自然豊かな場所にあって、いまは、雨が降っている。その一粒一粒が地面を叩く音をそれぞれ聞き分けることはもちろんできないから、広がりのある「サー」という音を茫と聞く。やがて雨があがり陽が射すと、鳥や虫の声が聞こえてくる。家の前の、山に繋がる小さな道を登っていけば、キリキリキリ、コンコン、と虫の音がはっきりしてくる。好奇心をそそられ、ある葉叢に近づくと音のディテイルがより明瞭に分かる。さらに、たくさんのほかの虫の声や頭上の風巻き、鳥の声、葉擦れ衣擦れなどを耳で遊弋し、小さな音を愛でる自分の〈繊細な感覚〉に満足、俄然興が乗り吟行でもせんかな、いや、ふと我に返る。と、それまで別々に聞いていた音が渾然となって耳朶を打っていることに気づきなおしてぼう然する。小さな音が合わさって、急に山鳴りのように感じる。……。「〈繊細な感覚〉なんてずいぶんいい加減なものだ」と醒めて、ぬかるんだ山道で踵を返す。きっと、あの時すでに“Geist”に肩を叩かれていたのだ――。

【日時】
2018年 3月17日(土)
昼公演 開場:13:30 開演:14:00
夜公演 開場:19:00 開演:19:30

2018年 3月18日(日)
昼公演 開場:13:30 開演:14:00
夜公演 開場:19:00 開演:19:30

【会場】
クリエイティブセンター大阪(名村造船所跡地) BLACK CHAMBER
〒559-0011 大阪市住之江区北加賀屋4-1-55
大阪市営地下鉄四つ橋線 北加賀屋駅4番出口より徒歩10 分
https://www.namura.cc

【料金】
前売り2500円 当⽇3000円

【ウェブサイト】
https://www.hino-projects.com/geist

【作曲】
日野浩志郎

【出演者】
Eli Keszler
山本達久
川端稔 (*17日のみ出演)
中川裕貴
安藤暁彦
島田孝之
中尾眞佐子
石原只寛
亀井奈穂子
淸造理英子
横山祥子
大谷滉
荒木優光

【スタッフ】
舞台監督 大鹿展明
照明 筆谷亮也
美術 OLEO
音響 西川文章
プロデューサー 山崎なし
制作 吉岡友里

【助成】
おおさか創造千島財団

【予約方法】
お名前、メールアドレス、希望公演、人数を記載したメールを hino-projects@gmail.com まで送信ください。またはホームページ上のご予約フォームからも承っております。

【プロフィール】

日野浩志郎
1985年生まれ島根出身。カセットテープ・レーベル〈birdFriend〉主宰。弦楽器も打楽器としてみなし、複合的なリズムの探求を行う goat、bonanzas というバンドのコンポーザー兼プレイヤーとしての活動や、YPY 名義での実験的電子音楽のソロ活動を行う。ヨーロッパを中心に年に数度の海外ツアーを行っており、国内外から様々な作品をリリースをしている。近年では、クラシック楽器や電子音を融合させたハイブリッドな大編成プロジェクト「Virginal Variations」を開始。

Eli Keszler
Eli Keszler(イーライ・ケスラー)はニューヨークを拠点とするアーティスト/作曲家/パーカッション奏者。音楽作品のみならず、インスタレーションやビジュアルアート作品を手がける彼の多岐に渡る活動は、これまでに Lincoln Center や The Kitchen、MoMa PS1、Victoria & Albert Museum など主に欧米で発表され、注目を浴びてきた。〈Empty Editions〉や〈ESP Disk〉、〈PAN〉、そして自身のレーベル〈REL records〉からソロ作品をリリース。ニューイングランド音楽院を卒業し、オーケストラから依頼を受け楽曲を提供するなど作曲家としても高い評価を得る一方で、最近では Rashad Becker や Laurel Halo とのコラボレーションも記憶に新しく、奏者としても独自の色を放ち続けている。

山本達久
1982年10月25日生。2007年まで地元⼭⼝県防府市 bar 印度洋を拠点に、様々な音楽活動と並行して様々なイベントのオーガナイズをするなど精⼒的に活動し、基本となる音楽観、人生観などの礎を築く。現在では、ソロや即興演奏を軸に、Jim O'Rourke/石橋英子/須藤俊明との様々な活動をはじめ、カフカ鼾、石橋英子ともう死んだ⼈たち、坂田明と梵人譚、プラマイゼロ、オハナミ、NATSUMEN、石原洋withFRIENDS などのバンド活動多数。ex. 芸害。青葉市子、UA、カヒミ・カリィ、木村カエラ、柴田聡子、七尾旅人、長谷川健⼀、phew、前野健太、ヤマジカズヒデ、山本精⼀、Gofish など歌手の録音、ライヴ・サポート多数。演劇の生伴奏・音楽担当として、SWANNY、マームとジプシーなど、主に都内を中心に活動。2011 年、ロンドンのバービカン・センターにソロ・パフォーマンスとして招聘されるなど、海外公演、録音物も多数。


Event details - English -

Following “Virginal Variations”, a project which explored a new way of merging electronic and acoustic sounds, Koshiro Hino (from goat and YPY) presents his latest composition, titled “Geist”. Set in an immersive environment with interacting sounds and lightings, “Geist” invites audience to a new world of live music experience which people listen sounds with their whole body.

My home in Shimane is located in a nature-rich environment, and now, it’s raining outside. Needless to say, I cannot hear each of the raindrops hitting the ground, so I hear the rain’s “zaaaaa” sound that spreads in space. Soon after, the rains stopped and sunshine began to pour, and I started to hear the sounds of birds and insects. As I walk up the small path that connects from my home to the mountain, those insects’ buzzing and creaking sounds became more clear. As I get closer to the trees, the sound details became more distinct. With my ears, I observed closely a myriad of sounds from other insects, the wind blowing above, birds, rustling leaves and my own clothing. I enjoyed my ‘delicate sensibility’ that appreciates those little sounds, thinking, “Maybe I suddenly get excited and start composing a poem…” But soon later, I came back to myself. And suddenly, I got stunned, realizing that the sounds I heard separately now forms a harmonious whole and hits my ears. Those little sounds became one, and I hear it as if the mountain is rumbling... “The ‘delicate sensibility’ is so unreliable. “ I recalled myself and walked back the muddy path. — And by then, I now believe that I had already made my encounter with “Geist”.

[Date / Time]
Saturday, March 17, 2018
Day time performance Open: 13:30 Start: 14:00
Night time performance Open: 19:00 Start: 19:30

Sunday, March 18, 2018
Day time performance Open: 13:30 Start: 14:00
Night time performance Open: 19:00 Start: 19:30

[Venue]
Creative Center Osaka (Old Namura Ship Yard) BLACK CHAMBER
4-1-55, Kitakagaya, Suminoe Ward, Osaka City, Osaka 559-0011
https://www.namura.cc

[Price]
Advanced ¥2500 Door ¥3000

[Website]
https://www.hino-projects.com/geist

[Composed by]
Koshiro Hino

[Performers]
Eli Keszler
Tatsuhisa Yamamoto
Minoru Kawabata (*only on the 17th)
Yuuki Nakagawa
Akihiko Ando
Takayuki Shimada
Masako Nakao
Tadahiro Ishihara
Nahoko Kamei
Rieko Seizo
Shoko Yokoyama
Koh Otani
Masamitsu Araki

[Staff]
Stage direction - Nobuaki Oshika
Lighting design - Ryoya Fudetani
Stage art - OLEO
Sound engineering - Bunsho Nishikawa
Co-direction - Nashi Yamazaki
Production - Yuri Yoshioka

[Supported by]
Chishima Foundation for Creative Osaka

[Reservation]
To reserve your seat(s), please send an email to hino-projects@gmail.com with your name, your contact, number of people, and the performance date you wish to visit.

Flying Lotus, Thundercat, George Clinton & P-Funk - ele-king

 こ、これはすごい。一昨年、ジョージ・クリントンとの契約が大きなニュースとなった〈ブレインフィーダー〉だけれど、その後しばらく音沙汰がなかったので、いったいどうなったのかとやきもきしていたファンも多いだろう。それがここへ来てとんでもないアナウンスである。今夏8月17日、SONICMANIAに〈ブレインフィーダー〉ステージが出現、フライング・ロータス、サンダーキャット、ジョージ・クリントン&Pファンクのビッグ3が一堂に会する――そう、ここ日本で。まるで夢のような話じゃないか。これはもう行く/行かないを迷うような次元の話ではない。これから半年間、首を長く長~くして待っていよう。

SONICMANIAに〈BRAINFEEDER〉ステージが登場!

フライング・ロータス、サンダーキャット、そして
ジョージ・クリントン&パーラメント・ファンカデリックが出演決定!

‘Brainfeeder Night In SONICMANIA’
featuring
FLYING LOTUS
THUNDERCAT
GEORGE CLINTON
...and more!!

ナイン・インチ・ネイルズ、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、マシュメロという、SUMMER SONICに引けを取らない強力な出演陣が発表され、大きな話題となっているSONICMANIA。今回第2弾アーティストが発表され、フライング・ロータス主宰レーベル〈Brainfeeder〉ステージが登場することが明らかに!

昨年は自ら手がけた映画『KUSO』の公開や、短編アニメーション『ブレードランナー ブラックアウト2022』の音楽を手がけたことも記憶に新しいフライング・ロータス、最新作『Drunk』をリリースし、2017年の音楽シーンを象徴する存在と言っても過言ではない活躍を見せたサンダーキャット、そして言わずと知れたファンクの神様、かねてより〈Brainfeeder〉への参加が噂されていたジョージ・クリントンがジョージ・クリントン&パーラメント・ファンカデリックとして出演決定!

SONICMANIA 2018
2018.8.17
www.sonicmania.jp

2017年11月にMVと共に公開されたフライング・ロータスの最新曲“Post Requisite”
Flying Lotus - Post Requisite
>>> https://youtu.be/2XY0EHSXyk0

フライング・ロータスの長編デビュー映画『KUSO』の公式トレーラー
Flying Lotus - Kuso (Official Trailer)
>>> https://youtu.be/PDRYASntddo

映画『ブレードランナー2049』と、前作『ブレードランナー』の間を繋ぐストーリーとして渡辺信一郎が監督した短編アニメーション
「ブレードランナー ブラックアウト 2022」
>>> https://youtu.be/MKFREpMeao0

80年代を代表する黄金コンビ、マイケル・マクドナルドとケニー・ロギンス参加のリードシングル
Thundercat - Show You The Way (feat. Michael McDonald & Kenny Loggins)
>>> https://youtu.be/Z-zdIGxOJ4M

東京で撮影されたMVも話題となったアルバム収録曲
Thundercat - Tokyo
>>> https://youtu.be/QNcUPK87MnM

フライング・ロータス、サンダーキャット、シャバズ・パラセズによるプロジェクト、WOKEの1stシングル。ジョージ・クリントンが参加!
WOKE (Flying Lotus, Shabazz Palaces, Thundercat) feat. George Clinton - The Lavishments of Light Looking
>>> https://soundcloud.com/adultswimsingles/woke


label: BEAT RECORDS / BRAINFEEDER
artist: FLYING LOTUS - フライング・ロータス
title: YOU'RE DEAD - ユーアー・デッド
release date: NOW ON SALE
cat no.: BRC-438
国内盤特典: ボーナス・トラック追加収録

本日リリース!
label: BEAT RECORDS / BRAINFEEDER
artist: Thundercat
title: Drank
release date: 2018/02/02 FRI ON SALE
国内初回生産盤:スリーヴケース付
歌詞対訳/説書封入
BRC-568 ¥1,800+税

label: BEAT RECORDS / BRAINFEEDER
artist: Thundercat
title: Drunk
release date: NOW ON SALE
国内盤特典:
ボーナス・トラック追加収録/歌詞対訳/解説書封入
BRC-542 ¥2,200+税

interview with Rhye - ele-king


Rhye - Blood
Loma Vista / ホステス

R&BSoul

Amazon Tower HMV iTunes

 シャーデーを好きな男は当然、昔からたくさんいた。だが、シャーデーのような男、はどうだろう。姿を明かしていなかった登場時、その声の主は女性であると多くの人間が思いこんだ。が、そうして愛の憂鬱を呟いていたのはマイケル・ミロシュという男だった。

 ジェンダーとセクシュアリティの自由が拡張され続ける現在、ライはそんな時代にふさわしい性の新しい価値観をもっとも先鋭的かつポップに繰り広げようとするアーティストだ。ジャジーでスムースなソウルに乗せて囁かれる愛の歌……はけっして新しいものではないが、女性性の内側にまで男が入りこもうとする事態は、旧来の性のあり方を湯煎でチョコレートを溶かすようにゆっくりと無効にしてしまう。そう、ライの音楽は成り立ちのメカニズム自体がエロティックだ。性の境界を生理において越えること。ファースト・シングル“Open”のヴィデオが女性監督によるセックスする男女を映すものであったことは、完璧にライの音楽をリプリゼントした。
高い評価を受けたデビュー作『ウーマン』から5年を経たセカンド・アルバム『ブラッド』は、『ウーマン』の色香に悩殺されたリスナーの期待に応える仕上がりになっている。バンドの演奏はよりオーガニックになり、アルバム全体のトーンも前作よりまとめられているとはいえ、基本的な路線は変わらない。ジャズ、ソウル、R&B、香りづけとしてのディスコとハウス、それにファンク。ブラック・ミュージックの官能はあくまできめ細かく調理され、どこまでもエレガントに立ち上がる。スロウなテンポでストリングスがミロシュのアンニュイな声と絡み合う“Waste”。ファンキーなベースラインが品よく躍動する“Taste”。本作からのファースト・シングル“Please”におけるスウィートな愛の憂いに聴き手が辿りつくころには、前作同様の、あるいは前作よりも深くまで染みこむ恍惚が静かに押し寄せている。

 個人の性愛がインターネットを介してあっという間に晒されてしまう現在では忘れられがちなのかもしれないが、性の快楽は閉ざされた場所でこそその真価を発揮する。誰にも奪われない私だけの悦び。そしてそれは、秘めごとであるがゆえに限りなく自由であっていいはずだ。だからライの音楽にダンス・フィールはあってもダンスフロアの公共性には向かわないし、ライヴ会場にあっても一対一の関係を結ぶようなインティマシーを生み出そうとする。どこか不穏な緊張感が途切れずに漂う“Blood Knows”は『ブラッド』におけるハイライトのひとつだが、そこで音に集中していると、普段は押し隠したありったけのエロスを開放しろと迫られているような心地になる。
だが、ひとりだけの快楽だけでは『ブラッド』は終わらない。それをもっとも大切な誰かに明け渡すことで、このラヴ・ソング集は完成するのだとミロシュは言う。それほどエロティックな体験はないということなのだろう。

愛は愛だし、ジェンダーは関係ない。

ライの登場は衝撃的でした。というのも、シンガーの姿が明かされないまま洗練されたソウルが展開されていて、聴き手の興味と想像力を掻き立てたからだと思います。なぜ当初は姿を隠し、匿名的に登場したのでしょうか? また、なぜ現在は姿をオープンにすることにしたのでしょうか?

マイケル・ミロシュ(Michael Milosh、以下MM):最初も、とくに姿を隠したいとかそういう目的はなかったんだ。ただ、音楽をイメージで判断して欲しくなかったから、写真に自分が写らないようにしていただけなんだよ。でも、前のアルバムをリリースしてからパフォーマンスをするようになって、オーディエンスはもちろん僕が誰なのかをもう知っているわけだよね。だから、いまはもっと普通に姿を見せるようになった。それだけさ。ダフト・パンクみたいに、覆面になってまで自分を隠そうとしていたわけではないんだ(笑)。自分が写真に写らない、ということを考えていただけさ。

ファースト・アルバム『ウーマン』は日本も含めて、非常に大きな反響がありました。高い評価を受けた作品でしたが、どのようにリアクションを受け止めましたか?

MM:ただ自分が作りたいものをベッドルームで作っただけだったから、正直リアクションには驚いたよ。だんだん慣れていったけど、受け取るまでには時間がかかった。子どもから手紙をもらったり、僕の音楽を聴いてハグしあったり、泣いたりするひとを見たり、みんながすごくエモーショナルになっている姿を見たりすると、自分の音楽が彼らの感情にまで届いてるんだなというのを実感することができる。それって本当に素晴らしいことだし、本当に嬉しいよ。

また、『ウーマン』においてはバンドの姿が隠されていたぶん、ミュージック・ヴィデオが非常に重要な役割を果たしていました。音楽を映像で見せるとき、あなたからどのようにコンセプトやテーマなどが提示されたのでしょうか?

MM:自分に実際に起こっていることがヴィデオのコンセプトになった。でも、それをダイレクトにヴィデオで表現はしたくなかったから、チームには具体的なことは言わないでいたけどね。それを映像で表現しようとすると、あまりにも何を表現しようとしているかが明らかになってしまうときもある。だから、それが赤裸々になりすぎないよう、少し気をつけなければいけないと学んだよ(笑)。ヴィデオには、そういった自分の中の何かがアイディアになることもあるし、物語性を持ったものもあれば、動きを楽しむものもある。その多様性をみんなに楽しんでほしいんだ。

その意味で、あなた自身が監督した“Please”のヴィデオは昨年の7月には発表されましたが、ライのセカンド・アルバムを想像するための重要なものだったと思います。ダンサーの身体の躍動が観ているこちらにも伝わってくるものでしたが、このヴィデオのコンセプトやテーマについて教えてください。

MM:あのヴィデオのテーマは謝罪。ガールフレンドと実際に口論をしたんだけど、それに関して彼女に謝っている姿をダンスで表現しているんだ。

血というのは、命が生まれるときも出てくるものだし、女性も連想されるし、家族の繋がりにも関係がある。すべての曲に繋がりがあるし、「ブラッド」という言葉がそれをうまく表していると思ったんだよ。

あなたのヴィジュアル表現には身体、とくに裸体がその多くでモチーフとなっていますが、それはなぜですか?

MM:僕たちは人類なわけで、その表現の基本は、身体を動かすことなわけだよね。自分が少しフェミニンであることもわかっているし、裸体というよりは、女性の身体を身近に感じるんだ。でも、それだけが理由なのではなくて、たとえばアルバムのジャケットは、裸体の写真なのではなく、僕のガールフレンドの写真。ただ身体や裸体の写真を使いたかっただけではなくて、彼女の写真を使いたかったんだ。裸体がモチーフのメインではない。モデルや、誰か知らない人を使ってまで裸体で何かを表現したいというわけではないんだよ。

ライの音楽においては、その身体というモチーフもそうですし、性やセクシュアリティが重要なテーマになっているように感じます。あなたにとって、音楽と性、セクシュアリティはどのように結びついているのでしょうか?

MM:僕の曲は、愛についてのものが多い。そうなると、性やセクシュアリティというのは欠かせないテーマだと思う。それらは愛と自然に、そして必然的に結びついているものだからね。

また、ライの音楽は両性具有的としばしば評されたように、非常にジェンダーが曖昧なものになっています。実際のところ、ライにおいてジェンダーのアイデンティティはどのように捉えられているのでしょうか?

MM:僕自身、ジェンダーがはっきり分かれているような環境で育っていないんだ。子供の頃は長い間ダンスをやっていたんだけど、バレエの中でなんかはとくに、男性らしさが求められることもないし、男性の役割、女性の役割というものがはっきりとしていない。だから、僕にとっては男性も女性らしさを持っているし、女性も男性らしさを持っているし、あまり境界線を感じないんだ。だから、僕が何かを表現するとそれが自然と現れてくるんじゃないかな。

わたしがザ・エックス・エックスに取材したとき、彼らはジェンダーレスなラヴ・ソングを歌うことをとても意識していると話していました。あなたの歌も多くはラヴ・ソングですが、ジェンダーレスであることに意識的なのでしょうか? そうであるならば、それはなぜでしょうか? 

MM:意識もしているとは思うよ。それが愛というものだから。愛は愛だし、ジェンダーは関係ない。この前『Call Me By Your Name』という映画を見たんだけど(木津註:ルカ・グァダニーノ監督による映画。1980年代の北イタリアを舞台に、年上の男性に惹かれる少年の夏を描く作品。日本では『君の名前で僕を呼んで』のタイトルで4月公開予定)、あの作品は素晴らしかった。ふたりの男性の愛の物語なんだけど、自分がこれまでに見たなかでも、もっとも美しい愛を描いた映画のひとつだったね。映画を見ていると、彼らがホモセクシュアルということさえ考えない。性別関係なく、ふたりの人間の間に起こるラヴ・ストーリーとして自然に自分のなかに入ってくるんだ。線を引かず、あるがままに愛を表現するというのは、すごく大切なことだと思う。

男性であるあなたがフェミニンな表現をしていることは、聴き手の多くの男性に、ジェンダーやセクシュアリティにおいて自由であることに関して勇気を与えているようにわたしは感じます。ただあなたからすると、世の男性というのは「男らしさ」に囚われすぎだと感じますか?

MM:そう思うこともある。筋肉をつけて強くならなければというストレスや考えは、男性が持ちやすいものだと思うね。それは文化的なものだと思うけど、僕は、それは必要なことだとは思わない。筋肉がついていてもいなくても、強くても弱くても、そんなのどうでもいいこと。世のなかにはもっと大切なことがあって、男性として自分が愛するひとにとって良い存在であることのほうがよほど重要なことだと思う。お互いに戦わないことのほうが大切なのに、あえて線を引いて違いを深めることによって戦いを起きやすくしている。性別に限らず、国籍、宗教、そういったものすべての境界線を越えて、僕たちはみんな一緒に動くべきなんだ。それがいま起こっている深刻な問題の解決策なんじゃないかな。それができれば、そういった問題が生まれさえしないのかもしれないしね。

以上のような話を踏まえてお訊きします。今回のタイトル『ブラッド』が象徴するものは何でしょう?

MM:このアルバムの曲のほとんどすべての曲の歌詞が、それぞれの個性を持ちながら類似性を持っているからこのタイトルにしたんだ。血というのは、命が生まれるときも出てくるものだし、女性も連想されるし、家族の繋がりにも関係がある。すべての曲に繋がりがあるし、「ブラッド」という言葉がそれをうまく表していると思ったんだよ。

セカンド・アルバムの音楽的な側面についてもお訊きします。ツアーのライヴが今回の制作に影響を与えたそうですが、レコーディングもバンドでの演奏をベースに行われたのでしょうか? そのときとくに心がけたことはありますか?

MM:今回もこれまでのライのサウンドに近いものを作りたかった。だから、今回もすべてをライヴでレコーディングしたし、ドラムも全部自分で叩いたし、コンピュータのテクニックは使わず、すべて生演奏をレコーディングしたんだ。意識したのは、純粋な作品を作ること。サウンド的には、すごくアナログなものを求めていたね。70年代や80年代から感じられた、自分が好きなあのサウンドを思い起こすような。エレクトロニック・レコードを作らないことは、自分にとって大切だった。そうではなく、アーシーなレコードを作りたかったんだ。あと、前回はただ作りたいものを作ったけれど、今回はアルバムをリリースした後にパフォーマンスする機会が多く待っていることがわかっていた。だから、ステージでズルをすることなく曲をそのままライヴでパフォーマンスできることを考えながら曲を作ったんだ。

ライの音楽はメロウかつスムースで、ベッドルーム・リスニングに適したものでもあるのですが、“Taste”や“Phoenix”のベースラインはディスコ的なダンス・フィールを感じます。ダンス・ミュージックはライの音楽にどのような影響を与えていますか?

MM:ダンスは確かに少し意識したんだ。ライヴをしていて、人々が踊る瞬間が大切だということを学んだから、今回は、ライヴで身体を動かせるような曲も作りたかったんだ。みんながダンスしている瞬間って、美しいからね。僕も子供のころにダンスをやっていたからわかるんだけど、踊っている間、みんながひとつになっているような感覚になるんだ。でも、クラブ・ミュージックを作りたかったわけでもないから、ベッドルームでももっと大きな場所でもどちらでも楽しめる音楽になっていると思うよ。

僕は個人的には政治的な人間だけど、バンドとしては政治的になりたくない。政治的なメッセージを発信して、人びとをさらに分けるようなことはしたくないから。

あなたはこのアルバムにおいて重要なものは「親密さ(Intimacy)」だと説明していますね。これはファースト・アルバムから重要な要素だったと思いますが、その「親密さ」を作り上げるために、音楽的には、具体的にどういったことが重要でしたか?

MM:ヴォーカルをレコーディングする時は、自分が一緒に音楽を作った近いひとだけがそこにいるようにした。親密さは、自分自身に正直に、素直であることから生まれると思うんだけど、大勢でなく、近い少人数のひとだけが周りにいることでリアルになれるし、それをヴォーカルで表現することができるんだ。

『ブラッド』はメランコリックでもあり、同時にスウィートで官能的なためどこか幸福感も感じられます。実際のところ、あなたが『ブラッド』というアルバムにおいて、掴もうとしたフィーリングはどんなものなのでしょうか?

MM:ひとつではなく、様々なフィーリングがこのアルバムには込められている。それを全部ひっくるめて、このアルバムは喜びに満ちたアルバムに仕上がっていると思うよ。人生や変化、新しいものを祝福している作品。悲しみももちろん表現されているし、様々なフィーリングが複雑に絡み合ってはいるけど、全体的にはハッピー・レコードなんだ。

ボノボの作品(『マイグレーション』)でゲスト・シンガーとして登場していましたが、シンガーとしてもっとも意識していることは何でしょう? お手本にしているシンガーはいますか?

MM:ズルをしないことだね。僕は音程を修正するソフトウェアは使わないし、トーンを変えたりもしない。自分の声のトーンを感じるというのは、すごく大切なことなんだ。あと、自分の声、喉の震えから生まれるその瞬間の緊張感も大切だと思う。手本にしているというわけではないし、彼女のように歌いたいと思っているわけではないけど、ビョークは素晴らしいと思うね。尊敬してる。彼女のヴォーカルはすごくクレイジーだから。

社会が荒れるなか、政治的あるいは社会的なメッセージを含めたポップ・ミュージックが現在多く見られます。いっぽうでライの音楽は徹底して逃避的だと感じますが、あなたにとって、音楽が逃避的であることが重要なのでしょうか?

MM:僕も政治に関しては色々なものを読むし、目にするけど、政治について誰かが書いた本、新聞、批評はすでにいくらでも存在しているんだ。僕にできること、僕がやりたいのは、それをさらに増やすことではない。僕が自分の音楽でできるのは、人びとをひとつにすることだと思うんだ。政治に深く関わることだけが生活や人生じゃない。テレビが政治の重要さを押しつけてくるけど、人生において大切なのは、政治よりも分け合うことなんだ。僕は個人的には政治的な人間だけど、バンドとしては政治的になりたくない。政治的なメッセージを発信して、人びとをさらに分けるようなことはしたくないから。ラヴ・ソングで、皆に同じものを感じて欲しい。それが僕が音楽でやりたいことなんだ。あと、政治的になってしまっては、その曲が持つ世界観も限定されてしまうしね。

『ブラッド』はリスナーにどのようなシチュエーションで聴かれてほしいですか?

MM:レコードを理解するまで、ひとりでヘッドフォンで聴いて欲しい。ひとりでなくても、少人数でそれぞれヘッドフォンをつけながらでもいい。で、レコードを聴きこんだら、その経験を誰かとシェアして欲しいな。自分が愛するひとと作品を共有できるようになってくれたら嬉しいね。

最後に、カジュアルな質問です。あなたがもっともセクシーだと思う音楽をいくつか挙げてください。

MM:プリンスの“エロティック・シティ”。すごく官能的だし、美しい曲だから。あとは、オウテカのアルバムの『ガービッジ』(註:4曲入りEP作品)。あのアルバム全体がエロティックだと思う。ひとつの作品で、様々な雰囲気が表現されているんだ。同じ部屋のなかの雰囲気がどんどん変化していく感じ。思いつくのはそれかな。

ありがとうございました!

MM:こちらこそ、ありがとう。日本でまたパフォーマンスできるのを楽しみにしているよ!

interview with Kode9 - ele-king


Various Artists
Diggin In The Carts

Hyperdub / ビート

Amazon Tower HMV iTunes

 2004年に設立された〈ハイパーダブ〉はそれ以降、現代のエレクトロニック・ミュージックにおける最重要レーベルとしての地位を堅守し続けてきた。昨年に限定して振り返ってみても、アイコニカやローレル・ヘイローの意欲的なアルバム、クラインおよびリー・ギャンブルという尖鋭的な音楽家との契約、さらには日本のゲーム・ミュージックに特化したコンピレイション『Diggin In The Carts』のリリースと、興味深い動きが続いている。
 その〈ハイパーダブ〉の設立者がコード9ことスティーヴ・グッドマンである。去る11月、LIQUIDROOMにて催された『DITC』のイベントのために来日していた彼は、そのコンピレイションが持つコンセプトについて、昨年の〈ハイパーダブ〉の動きや最近注目している音楽について、そして自身が序文を執筆しているとある重要な本について、われわれの質問に対し真摯に応答してくれた。レーベル・オウナーであると同時にアーティストでもあり、さらには思索する者でもある彼の言葉を以下にお届けする。

僕がいいなと思った音楽のゲームは、じつはものすごくつまらなかったりもしたんだ(笑)。でも音自体は良かったので、それはぜんぶ選んだね。

今回日本のゲーム・ミュージックに特化したコンピレイションがリリースされましたが、〈ハイパーダブ〉はこれまでもクアルタ330のようなチップ・チューンのアーティストを送り出しています。以前から日本の音楽には関心が高かったのでしょうか?

スティーヴ・グッドマン(Steve Goodman、以下SG):〈ハイパーダブ〉はもともと、2005~06年くらいまではダブステップのレーベルだった。でもそういったサウンドにちょっと飽きを感じてしまって、もっと自分の音楽をカラフルなものにしたいと思っていたんだ。そんなときに友人がクアルタ330のリミックスを送ってくれて、それが気に入ったんだよね。それと、自分の音楽としてもう少しキラキラしたサウンドを作るために、ヴィデオ・ゲームの要素を取り入れるようになった。アイコニカゾンビージョーカーダークスターテラー・デンジャーたちもゲームの音楽から影響を受けているアーティストだった。テクスチャーを変えるためにゲーム音楽に興味を持ち始めたのが2005、06年で、その時代にレーベルに入ってきたものを今回また取り戻してリリースした、という感じだね。

日本のゲーム・ミュージックには幼い頃から触れてきたのですか?

SG:少しは遊んでいたね。でもそれが日本のものという意識はあまりなかった。自分がプレイしていたものが日本のゲームかどうかもわからなかった。ゲームはやっていたとはいえゲーマーではなかったし、今回のコンピレイションもけっして自分がゲームをしていた頃を懐かしむようなノスタルジックな作品ではないんだ。
〈ハイパーダブ〉というレーベルの目線で言うと、2010年に日本の80年代のエレクトロニック・ミュージックに注目するようになった。YMOや、YMOのメンバーそれぞれのソロ作品などから影響を受けていたから、(ゲーム音楽を)ゲームというよりもエレクトロニック・ミュージックとして見ているんだよね。伝統音楽とエレクトロニックのブレンドのようなところに魅力を感じている。5、6年前にスペンサーD(Spencer Doran)の『Fairlights, Mallets and Bamboo: Fourth-World Japan, Years 1980-1986』というDJミックスを聴いたんだけど、それでより興味を持つようになって、今回のコンピもそういう内容になっている。そのミックスにはマライア、坂本龍一や細野晴臣、高田みどり、ロジック・システム、清水靖晃、あとは越美晴なんかが入っていて、そこから日本の80年代の音楽をいろいろと学んだ。もちろんそういう音楽とゲーム・ミュージックは違うものではあるけれど、チップというものを使っている点は共通しているし、おもしろい時代の音楽だと思う。

先日監修者のニック・ドワイヤーさんに取材したのですが、『DITC』はゲーム・ミュージックのなかでもサウンドとしておもしろいものを選んでいると言っていました。つまり今回のコンピは、ゲーム音楽のファンよりもふだんから〈ハイパーダブ〉の音楽を聴いているような層に向けて、「ゲーム・ミュージックにもおもしろいものがあるんだよ」ということを伝える、というような意図で制作されたのでしょうか?

SG:その両方と言えるね。僕もゲームは好きだけれど、そこまでゲーマーではない。そういう両方の人たちが楽しめる作品になっていると思う。ニックがすごく深いリサーチをして、フィルターをかけた上で何百もの曲を送ってくれたんだけど、それまで自分が聴いたことのない音楽ばかりだった。それらのゲームに関して僕はいっさい思い入れがないんだ。ただたんに曲が良かったから選んだ。ゲームのプレイヤーがどうのというよりも、音としてベストだと思ったものを使った。やっぱり人気のあったゲームって、先にゲームがあってそれに合わせて音楽が作られているわけで、(音楽は)優先順位としては二番目のものだったと思うんだよ。それもあってか、人気のゲームのBGMにはあまりいいと思えるものがなかった。コマーシャルっぽいものもあるだろうし。だから、僕がいいなと思った音楽のゲームは、じつはものすごくつまらなかったりもしたんだ(笑)。でも音自体は良かったので、それはぜんぶ選んだね。

ヒップホップやクラシック音楽にはなりえない、ゲーム・ミュージックとしてだけ存在していたものを捉えるのが今回の目的だった。

先ほど「ノスタルジックな作品ではない」と仰っていましたが、送り手と受け手とのあいだである程度ギャップは生じると思うんですね。このコンピに先駆けて公開されたドキュメンタリーにはフライング・ロータスファティマ・アル・ケイディリらが出演していて、どちらかというといわゆる音楽ファンに向けて作られているように感じました。ですが、日本で今回のコンピを手にとってくれる人の多くは、懐かしさを求めているのではないかという気もします。そういう方たちがこのコンピをきっかけに、たとえば他の〈ハイパーダブ〉の作品を聴くようになってほしいと思いますか?

SG:それはすごく難しいところで、もちろんゲーム好きの人たちにも聴いてほしいとは思うし、他方でエレクトロニックな世界ともオーヴァーラップしているんだけれども、やっぱり同時に違う世界でもあるんだよね。ただ、いまはテクノロジーの進化でよりオーヴァーラップしているかもしれない。ニックが言っていたように、僕が捉えたかったのはメモリーやチップという制限のある時代のゲーム・ミュージックなんだ。質問への答えにはなっていないかもしれないけど、ゲームがそれ自身だけのゾーンのなかに存在していた時代のゲーム・ミュージックというものを捉えたかった。ヒップホップやクラシック音楽にはなりえない、ゲーム・ミュージックとしてだけ存在していたものを捉えるのが今回の目的だった。

今回のコンピには80年代後期から90年代中期までの音源が収められていますが、それはデトロイト・テクノやアシッド・ハウス、レイヴ・カルチャーやジャングルが出てきた時期と重なります。その時代に日本でこのような音楽が作られていたこと、その同時代性についてはどう思いますか?

SG:僕にとってデトロイト・テクノはデトロイトから来ているものだし、同時期に流行っていたアシッド・ハウスはシカゴから、ジャングルはロンドンから出てきたものだよね。日本ではそれがチップ・ミュージックだったということだね。そうやってそれぞれの場所から違うエレクトロニック・ミュージックが流行っていったんだと思う。それがお互いに影響し合っていた、いい時代だったと思う。

ゲーム・ミュージックには「音がメインではない、音が主張しすぎてはいけない」という側面があると思うのですが、それもある意味では8ビットや16ビットといったテクノロジーの問題と同じように制約と捉えることもできます。そういう側面についてはどう思いますか?

SG:音楽が第二に来るというのは映画音楽と同じだと思う。やっぱりまず映像があっての音楽だし、そのぶん予算も削られるし、音楽はいつも最後のギリギリのところで付けられるから、そこは共通していると思う。テクノロジーに限界があることと、音楽が第二に来ることは繋がっていると思うんだよね。音楽が第二だったからこそ、予算があるにもかかわらずそれが使われない、だから制限が生まれたんだと思う。お金をかければ音楽のためにすごくいい機材を使うことだってできたはずなんだ。でもヴィジュアルが最初にあるからこそ、音楽が第二のものになってしまった。だからこそ制作に使われるものに制限ができた。そのことによって逆にユニークなものが偶然生まれたという点がおもしろいと思うし、僕たちはそのユニークさに惹かれたんだ。

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僕はブリアルっぽいサウンドはいっさい聴かないんだ。だからぜんぜん知らない。10年くらい前から彼の影響を受けたアーティストがたくさん出てきていると思うんだけど、その頃からいっさい聴いていない


Various Artists
Diggin In The Carts

Hyperdub / ビート

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2017年、〈ハイパーダブ〉はクラインと契約してEPをリリースしました。彼女のEPを出すことになった経緯や、彼女の音楽の魅力について教えてください。

SG:彼女はすごくユニークなアーティストなんだけど……この質問は難しいね。

通訳:難しいのはなぜですか?

SG:なぜ難しいかって、彼女が特別でユニークだからなんだけど、それがどこにもフィットしないので、言葉で表現するのが難しいということ。あと彼女は歌声がとても美しいんだけど、音楽はちょっと奇妙で本当に予想がつかないから、これから彼女がどう進化していくかがすごく楽しみだね。彼女の音楽からはすごく即興性が感じられて、何か計画して作ったものではなく、自分がいま思ったことを外に表現している、そういう音楽だと思う。

同じく2017年、〈ハイパーダブ〉はリー・ギャンブルとも契約しました。彼の作品を出そうと思ったのはなぜですか?

SG:僕も彼もジャングルが大好きで、その意味ではふたりとも同じバックグラウンドを持っているんだ。音楽性は少し違うけど、ジャングルの要素は彼の曲のなかに活かされているし、彼は哲学が本当に好きでそれを表現しようともしている。それについても僕と似ているから、シェアできるものがたくさんあるんだよね。彼のことはリスペクトしている。それはなぜかというと、サウンドの扱い方やエレクトロニック・ミュージックに対する姿勢などにすごく共感できたからなんだ。

そういったクラインやリー・ギャンブルとの契約のあとにこの『DITC』のリリースの話が入ってきたので、とても驚きました。サウンドの種類はまったく異なると思うのですが、今回のコンピもクラインやリー・ギャンブルと同じ地平に連なるものと考えているのでしょうか?

SG:共通点はないね(笑)。

なるほど(笑)。共通点はないがそれぞれ個別におもしろい、と。

SG:そのとおり。互いに違うからこそユニークなんだよ。

2017年はブリアルの『Untrue』がリリースされてからちょうど10年ということもあってか、ヴェイカントや〈フェント・プレイツ〉の諸作など、ブリアルから影響を受けた音楽が盛り上がりましたが――

SG:ヴェイカントは知らないね。僕はブリアルっぽいサウンドはいっさい聴かないんだ。だからぜんぜん知らない。10年くらい前から彼の影響を受けたアーティストがたくさん出てきていると思うんだけど、その頃からいっさい聴いていないので、知らないんだ。

そうなんですね。近年はフェイク・ニュースが横行したり「ポスト・トゥルース」という言葉が取り沙汰されたりしていますが、いま振り返ると『Untrue』というアルバム・タイトルは意味深長で、そういった昨今の情況を先取りしていたようにも思えます。

SG:いいセオリーだと思う。そうだと思うよ。

『Untrue』はいまでも聴き返しますか?

SG:やっぱりリリース10周年ということで、みんなが盛り上がっているのを見たり聞いたりして聴き返すことはあるんだけど、僕もブリアル当人も10周年というのは気にしていないんだ。僕たちが気にしているのは「彼が次に何をやるか」ということ。だからリリース10周年ということに関してはあまり意識していない。ファンだけが盛り上がっているような感じだね。

南アフリカで生まれたゴム(gqom)という音楽は、あなたがDJセットに取り入れたことで世界中に広がりましたが――

SG:(「ごむ」という日本語の発音を受けて)コッ(と口のなかで舌を鳴らす)。コッ、コッ(と「gqo」の部分の音を実演してくれる)。本当はこう発音するんだ。

へえ! そのゴムの魅力はどこにあると思いますか?

SG:リズムがすごく好きなんだ。3連符のリズムやダークなところが好きだし、あとはミニマルなんだけどダンサブルなところもすごく魅力的だと思う。

彼は左翼だったんだけど、いまは右翼になってしまった。当時彼の考え方に賛同していた人たちはいまはもう彼とは正反対で、嫌ってしまっているというか。僕も彼の90年代の考え方のほうに興味がある。

ゴム以降、非欧米の音楽で何かおもしろいものを発見しましたか?

SG:僕はここ最近ずっと中国でDJをしていて、中国の音楽にすごく興味を持っている。上海には〈Genome 6.66 Mbp〉というおもしろいレーベルもあるし、クラブ・イベントもどんどん増えてきていて、キッズたちが外の音楽を吸収するのはもちろん、それだけではなく、いま彼らは自分たちのエレクトロニック・ミュージックを作ろうとしている時期なんだと思う。これから中国のエレクトロニック・シーンはすごくおもしろくなっていくと思う。
もうひとつ、最近気になっているのはロンドンで「UKドリル」と呼ばれている音楽だね。これはグライムから進化したジャンルなんだけど、いまサウス・ロンドンのラッパーがすごく人気なんだ。ギグスというラッパーはすごく人気だし、あと67やハーレム・スパルタンズ(Harlem Spartans)といったクルーもとてもいい。やっぱりロンドンは自分が育った場所だから、僕にとってはローカル・ミュージックなんだよね。ブリクストンやペックハム、キャンバーウェルあたりの音楽はいまアンダーグラウンド・シーンが盛況で、メインにはスケプタストームジーがいるんだけど、そうじゃないもっとアンダーグラウンドなところも盛り上がってきている。

スケプタやストームジーはマーキュリー・プライズを受賞したりチャートの上位に食いこんだりと、オーヴァーグラウンドで彼らの人気が高いことは情報としては伝わってくるんですが、ここ日本にいると実感としてはわかりづらいんですよね。UKの若者たちはやはり日常的に彼らの音楽を聴いているのでしょうか?

SG:ロンドンではポップ・スターだね。ロンドンに限らず、イギリス全土でもアメリカでもポップ・スターだよ。まさにオーヴァーグラウンドなんだよね。それが影響して、これからヨーロッパでもポップ・スターになると思う。

日本でスケプタやストームジーを聴いていたら、おそらく「アンダーグラウンドな音楽好き」ということになります。

SG:はははは。やっぱりヴォーカルが何を言っているかということが重要な音楽だから、言語が理解できないと人気にはならないよね。難しいと思う。

ベルリンでもグライムはぜんぜん人気がないという話を聞いたことがあるのですが、それも変わっていくと思いますか?

SG:たしかにアンダーグラウンドだね。やっぱりそれも言語の壁があって、行けたとしても「ビッグなアンダーグラウンド」までだろうね。オーヴァーグラウンドまでは行けないと思う。たとえばフェスティヴァルで何千人もを前にしてプレイする、ということにはなるだろうけど、オーヴァーグラウンドのチャートに入れるかというと、入れないと思う。英語圏ではない国ではね。

2年前に『Nothing』がリリースされたときのインタヴューで、「加速主義に関心がある」と仰っていましたが(紙版『ele-king vol.17』掲載)、それ(accelerationism)に影響を与えたとされる哲学者ニック・ランド(Nick Land)は、UKではどのようなポジションにいるのでしょう? オルト=ライト(オルタナ右翼)にも影響を与えているそうですが。

SG:彼はいま上海に住んでいるよ。

通訳:ロンドンでは知られていないのでしょうか?

SG:そうだね。僕が90年代に勉強をしていたとき、彼は僕のスーパーヴァイザーだったんだよ。彼は左翼だったんだけど、いまは右翼になってしまった。当時彼の考え方に賛同していた人たちはいまはもう彼とは正反対で、嫌ってしまっているというか。僕も彼の90年代の考え方のほうに興味がある。いまはもう変わってしまったけれど、その政治論のオリジナルが90年代の彼の考え方だったんだよね。

私たちは2018年の秋頃に、コドウォ・エシュン(Kodwo Eshun)の『More Brilliant than the Sun』の翻訳を出版する予定です。

SG:ああ、その本の翻訳者がいまロンドンに住んでいてね、彼を知っているよ。マンスリー・イベントにいつも来てくれるんだ。

髙橋勇人くんですよね?

SG:そう。彼はいつも僕のインスタグラムを見てくれているしね(笑)。

彼はイギリスへ渡る前、ele-king編集部にいたんですよ。

SG:彼を知っているよ。ゴールドスミス大学で勉強していたね。その本を書いたコドウォ・エシュンがそこで教えていて、彼はエシュンのもとで研究しているんだ。

『More Brilliant than the Sun』は新版が発売される予定で、あなたがその序文を書いているんですよね。

SG:そのイントロダクションを書くために彼(コドウォ・エシュン)にインタヴューする予定なんだけど、まだできていないんだよね。

『More Brilliant than the Sun』の重要性について教えてください。

SG:僕にとってすごく影響力のある本で、本当にいろいろなアイデアが詰まっている。1000冊もの本がひとつになったような濃い内容の本なんだ。ソニック・フィクションからアフロフューチャリズムまで、エレクトロニック・ミュージックの歴史が詰まっていて、サン・ラやジョージ・クリントン、リー・スクラッチ・ペリーから始まって、ブラック・エレクトロのことも書いてあるんだけど、90年代の本だからジャングルで止まっているんだよね。〈ハイパーダブ〉はそのあとにできたレーベルだから、僕たちがその本のあとを辿っているような感じだね。

φonon - ele-king

 その特異な音楽性とDIYな活動で80年代に大きな足跡を残した伝説のユニット、EP-4。その中心人物・佐藤薫が新たにレーベルを始動する。その名も〈φonon(フォノン)〉。まずは2月18日に EP-4 [fn.ψ] と Radio ensembles Aiida のCD作品2タイトルがリリースされる。EP-4 [fn.ψ] は EP-4 の別働ユニットで、佐藤薫と家口成樹のふたりから成る。Radio ensembles Aiida は A.Mizuki のソロ・ユニットで、今回発売されるのは昨秋リリースされた初作品集の続編にあたるもの。かつて EP-4 はサウンドだけでなくその発信の方法に関しても独自の実践をおこなっていただけに、今後この新レーベルがどのような動きを見せていくのか目が離せない。

φonon (フォノン) について

新レーベル〈φonon (フォノン)〉は、EP-4の佐藤薫が80年代に立ち上げたインディー・レーベル〈SKATING PEARS〉のサブレーベルとして始動する。〈SKATING PEARS〉は当初カセットテープ・メディアを中心に多彩な作品をリリースしてきたが、φononは佐藤薫のディレクションによって主にエレクトリック/ノイズ系の作品を中心にリリースする尖鋭的なレーベルだ。

EP-4 [fn.ψ]
OBLIQUES

作品概要
EP-4 の別動ユニット EP-4 [fn.ψ] の初CDとなる『OBLIQUES』。EP-4 の佐藤薫と PARA や EP-4 のサポートなどマルチに活動する家口成樹の2人によって2015年に組まれたユニット EP-4 [fn.ψ]。ラップトップ・ガジェット、シンセサイザー、エフェクターなどが織りなす即興的音の立体空間は、ノイズでありアンビエントでもあるという対語的多面的要素を見事に融合した音のアマルガムを構成する。
本作は2017年6月大阪で行われたライヴの演奏を収録した作品だ。フィールド録音の変調や現実音を切り取って即興編集される佐藤のソニックスコープと純正律チューニングを自在に操る家口の重畳的シンセサイザーが、ときにストリームのように、ときにはフィルミーに立体的な音空間を織りなす。安易なリズムやビートを徹底して排除したかのような音の洪水が空間を切り裂く、約60分間のシームレスなライヴ録音となっている。※ [fn.ψ] = [ファンクション サイ]

アーティスト:EP-4 [fn.ψ]
アルバム・タイトル:OBLIQUES
発売日:2018年2月18日(日)
定価:¥2,000+税
品番:SPF-001
JAN:4562293382516
発売元:φonon (フォノン) div. of SKATING PEARS
流通:p*dis / 株式会社インパートメント
Tel: 03-5467-7277・Fax: 03-5467-3207

〈トラックリスト〉
01. Panmagic
02. Enantiomorphs
03. Sonic Agglomeration
04. Pluralism
05. Pogo Beans
06. Hyperbola
07. Diagonal
08. Flyby Observations
09. Plural (outro)

Radio ensembles Aiida (ラヂオ Ensembles アイーダ)
From ASIA (Radio of the Day #2)

作品概要
A.Mizuki のソロ・ユニットであるラヂオ Ensembles アイーダ『From ASIA (Radio of the Day #2)』。2017年11月に発表された初作品集『IN A ROOM (Radio of the Day #1)』の続編であり、Radio of the Day シリーズの第2作となる。複数のBCLラジオが偶然織り成す一期一会の受信音と、リレースイッチの電流制御などによって生まれるビート/グルーヴをコンダクトし、類のないサウンドスケープ的な音世界を紡ぐ。前作では自室の音風景を切りとり繊細かつ大胆な不思議空間を表現していたが、本作ではタイトルどおり、BCLチューナーを抱えて訪れたアジアの街角でのフィールド・レコーディングで構成された不思議空間を創出している。つまりその不思議が、待ち受け開放から本来の開放を求める不品行な能動へとシフトしたのがこの作品集だ。彼女とラヂオの出会う世界をひとはラヂオデリアと喚ぶ!


アーティスト:Radio ensembles Aiida(ラヂオ Ensembles アイーダ)
アルバム・タイトル:From ASIA (Radio of the Day #2)
発売日:2018年2月18日(日)
定価:¥2,000+税
品番:SPF-002
JAN:4562293382523
発売元:φonon (フォノン) div. of SKATINGPEARS
流通:p*dis / 株式会社インパートメント
Tel: 03-5467-7277・Fax: 03-5467-3207

〈トラックリスト〉
01. Secret SW - Singapore
02. Market - Singapore
03. Restaurant - Singapore
04. Square - Singapore
05. Changi Airport - Singapore
06. Secret MW - Japan
07. Revolve! - Japan
08. Specter × Festival - Japan
09. Radio TUK-TUK - Thailand
10. Squall - Thailand
11. T-Rap announcer - Thailand
12. Radio Free Bangkok - Thailand


Filastine & Nova - ele-king

 いまエレクトロニック/クラブ・ミュージックはどんどんワールド・ミュージックと交錯していっている。とはいえ、一言で「ワールド・ミュージック」といってもそのあり方はじつに多岐にわたる。その多様性や複雑さを損なうことなく新たな形で示してくれるアクトのひとつが、世界各地の音楽を実験精神をもって表現しているデュオ、フィラスティン&ノヴァだ。バルセロナを拠点としているフィラスティンとインドネシア出身のノヴァから成るこのユニット、詳しくは下記のバイオを読んでいただきたいが、なかなかに尖っている(ちなみにフィラスティンは先日亡くなったECDこんな曲を共作してもいる)。そんな彼らの久しぶりの日本ツアーが開催されるとのことで、これは足を運ばずにはいられない。東京公演には KILLER-BONG や ZVIZMO(伊東篤宏×テンテンコ)らも出演。要チェック。

越境するマルチメディア・デュオ、FILASTINE & NOVAのジャパン・ツアー決定!
東京公演は2/11(sun)に代官山のSALOONにて開催!

 2月にバルセロナを拠点とする作曲家/映像作家フィラスティンと、インドネシア出身のネオ・ソウル・ヴォーカリスト、ノヴァ・ルスによるデュオが来日、ジャパン・ツアーを敢行する。「都市の未来を崩壊させるようなベース・ミュージック(Spin)」、「ワールド・ミュージックというよりも、もう一つの世界から来た音楽(Pitchfork)」と評される、映像、音楽、デザイン、ダンスを駆使したダイナミックなライヴ・パフォーマンスは必見だ。

FILASTINE & NOVA
Drapetomania Japan Tour 2018

2/6 福岡 art space tetra
2/7 尾道 浄泉寺
2/8 名古屋 K.D Japon
2/9 京都 octave
2/11 東京 SALOON
2/12 札幌 第2三谷ビル6F 特設会場

 2/11(sun)に代官山のSALOONにて開催される東京公演では、“最も黒い男” KILLER-BONG、アヴァン・エレポップ/ストレンジ・テクノイズを響かせる ZVIZMO(伊東篤宏×テンテンコ)がライヴを披露、また、オリジナルなワールド・ミュージック/伝統伝承の発掘活動も展開する Shhhhh、空族の映画『バンコクナイツ』への参加でも知られる Soi48、ヒップホップやアンビエントを行き来しながら活動を展開する YAMAAN といった独創的なDJたちがスペシャルなプレイをくり広げる。VJとして rokapenis の参加も決定している。世界各地域の音楽、文化を実験精神をもって独自に表現する面々によるクレイジーでダンサンブルな一夜になるだろう。

FILASTINE & NOVA
Drapetomania Japan Tour 2018 in Tokyo

2018.02.11 (sun)
@代官山 SALOON
Open/Start 18:00
Adv 2500yen(1D付き)/ Door 3000yen(1D付き)

| Live |
FILASTINE & NOVA
KILLER-BONG
ZVIZMO

| DJ |
Shhhhh
Soi48
YAMAAN

| VJ |
rokapenis

| Ticket |
前売りチケット取扱い店
・IRREGULAR RHYTHM ASYLUM
・disk union
└ 渋谷クラブミュージックショップ
└ 下北沢クラブミュージックショップ
└ 新宿クラブミュージックショップ
└ 新宿ラテン・ブラジル館
└ 吉祥寺店
└ 池袋店

・予約 filastine.tokyo2018@gmail.com

| Info |
IRREGULAR RHYTHM ASYLUM
https://ira.tokyo/filastine-nova-tokyo/ | 03-3352-6916


【PROFILE】

●FILASTINE & NOVA

バルセロナを拠点とする作曲家/映像作家フィラスティンと、インドネシア出身のネオ・ソウル・ヴォーカリスト、ノヴァ・ルスによるデュオ。ブラジルのカーニバルのバトゥカーダやモロッコの神秘主義者たちとの関わりから打楽器を学び、ラディカル・マーチングバンド The Infernal Noise Brigade を率いたフィラスティンと、幼い頃からペンテコステ派の霊歌やコーランを歌い、ガムラン・パーカッションを演奏し、インドネシアのヒップホップ・シーン草創期にラッパーとしても活躍したノヴァが生み出す音楽は、まさに「ワールド・ミュージックというよりも、もう一つの世界から来た音楽(Pitchfork)」である。世界各地の音楽フェスティバルに出演する以外にも、ドキュメンタリー映画『アクト・オブ・キリング』の公式ミックステープ制作や、フランス・カレーの巨大難民キャンプ「ジャングル」でのライヴ、掃除婦や鉱夫などの底辺の労働者がダンスによって解放される映像シリーズの制作など、音楽を通して「もう一つの世界」の実現を目指すラディカルな表現活動を続けている。2017年に最新アルバム『Drapetomania』を発表した。
https://soundcloud.com/filastine

●KILLER-BONG

〈BLACK SMOKER RECORDS〉主宰、最も黒い男。

●ZVIZMO

蛍光灯音具 OPTRON (オプトロン) プレイヤーの伊東篤宏と、アンダーグラウンド⇔メジャーを縦横無尽に行き来する テンテンコ によるデュオ・ユニット。テンテンコの聴き易いが意外に重たいエレクトロ・ビートと伊東のフリーキーだが意外とキャッチーな OPTRON が作り出すその音世界は「奇天烈だが何故かフレンドリー」な響きに満ちている。2017年11月に〈BLACK SMOKER RECORDS〉より1st アルバムをリリースした。

●Shhhhh(El Folclore Paradox)

DJ/東京出身。オリジナルなワールド・ミュージック/伝統伝承の発掘活動。フロアでは民族音楽から最新の電子音楽全般を操るフリースタイル・グルーヴを発明。13年に発表したオフィシャルミックスCD、『EL FOLCLORE PARADOX』のコンセプトを発展させた同名レーベルを2017年から始動し、南米から Nicola Cruz、DJ Spaniol らを招聘。アート/パーティ・コレクティヴ、Voodoohop のコンピレーションLPのリリースなど。dublab.jp のレギュラーや、オトナとコドモのニュー・サマー・キャンプ“NU VILLAGE”のオーガナイズ・チーム。ライナーノーツ、ディスク・レヴューなど執筆活動やジャンルを跨いだ海外アーティストとの共演や招聘活動のサポート。全国各地のカルト野外パーティー/奇祭からフェス。はたまた町の酒場で幅広く活動中。
https://soundcloud.com/shhhhhsunhouse
https://twitter.com/shhhhhsunhouse
https://www.facebook.com/kanekosunhouse

●Soi48(KEIICHI UTSUKI & SHINSUKE TAKAGI)

旅行先で出会ったレコード、カセット、CD、VCD、USBなどフォーマットを問わないスタイルで音楽発掘し、再発する2人組DJユニット。空族の新作映画『バンコクナイツ』にDJとして参加、〈EM Records〉タイ作品の監修、『爆音映画祭タイ・イサーン特集』主催。フジロックや海外でのDJツアー、トークショーやラジオなどでタイ音楽や旅の魅力を伝えている。その活動の様子はNHKのTV番組にも取り上げられ大きな話題となった。CDジャーナル、boidマガジンにて連載中。英Wire Magazineにも紹介された、『Soi48』というパーティーを新宿歌舞伎町にて不定期開催中。Brian Shimkovitz (AWESOME TAPES FROM AFRICA)、Zack Bar (FORTUNA RECORDS) からモーラム歌手アンカナーン・クンチャイ、弓神楽ただ一人の後継者、田中律子宮司など個性的なゲストを招いてのパーティーは大きな反響を呼んでいる。タイ音楽と旅についての書籍『TRIP TO ISAN: 旅するタイ・イサーン音楽ディスクガイド』好評発売中。
https://soi48.blogspot.jp/
https://www.instagram.com/soi48/

●YAMAAN

HIPHOPやAMBIENTを行き来しながら活動中。2017年2月に“NN EP”をリリースした。
@Mirage______

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