「Noton」と一致するもの

vol.135:レズビアンの結婚式 - ele-king

 2022年10月、友だちが結婚した。
 彼女(Kelsey、以下K)は、昔カフェで働いていたときの同僚で、英語があまり話せない私を、アメリカ文化にどっぷり浸らせ、私をアメリカ人に仕立て上げた人である。典型的アメリカ人のKは、フレンドリーでお洒落とお酒が大好きで、噂話も大好き。仕事が終わったら一緒にバーに行ってまだしゃべるまだしゃべる、という楽しい日々を過ごしていた。ファッション・デザイナーになるのが夢だというKは、よく自分のアイディアを話してくれたし、芸能人や友だちの洋服チェックは欠かさなかった。
 私たちは「サンディ・ファンディ」という日曜日に集まるグループを作り、毎週集まっていた。みんなで一緒にオスカーやグラミー賞などを見ると、Kは、まーうるさい。一人一人の洋服に「この方がいい」「この色はない」「洋服はいいけど、ヘアスタイルとあってない」「私ならこうする」など、手厳しい意見を連発する。そんなKはある日、自分の洋服ブランドを立ち上げると、ウエブサイトを見せてくれた。そこにはフリルのついた素敵なドレスや、シースルーのドレス、ラヴリーでKらしいデザインがたくさん載っていた。ただ、かなり凝ったデザインで、値段も普通の人には届かないお値段だった。作るのもプロモーションにもお金がかかるのでははいかと訊いたら、彼氏にお金を出してもらうと言った。そして、彼氏とは遠距離で、たまにNYに来るときに遊ぶと言った。そんなので寂しくないのかなと思ったが、Kは夢をかなえるため、まっしぐらに進んでいた。
 そうしているうちに働いていた仕事場がクローズし、Kと会う時間も少なくなった。ある日、失業保険をもらうためオフィスを訪ねたらKと会った。お互いの近況報告をすると、kは彼氏と別れたと言った。かなりのドタバタ劇だったようだ。さらに、Kはお酒をやめるとも言った。Kは、Kのスペシャル・ドリンク(通常の倍の量のジンを入れたジントニック)まであったほどに、お酒が大好きだった。それがどうしたことか。お酒を飲むと記憶がなくなり、クリエイティヴなことができなくなると、Kはじつにまっとうな意見を言った。それからサンディ・ファンディに来る頻度も少なくなって、来たとしてもクラブソーダをちびちび飲んでいて、昔のようにぶっちゃけた話もしなくなった。彼氏と別れてから、「彼氏より仕事」と言っていたし、Kは夢に向かっているんだなと私は尊敬していた。じっさいKは、『ヴォーグ』に載ったかと思うと、有名ミュージシャン(リゾ、ロード、ジャパニーズ・ブレックファースト、チャーリー・ブリス、クルアンビンのローラリーなど)の洋服のデザインを手がけるようになり、たくさんのメディアに登場するようにもなった。そんな忙しいなかでも私のバンドのミュージック・ヴィデオの洋服をスタイルしてくれる、友だちだち思いのKなのだった。

 コロナがはじまり、テキストで連絡する以外はKにまったく会えなくなり、彼女の活躍はインスタグラムで見るぐらいになった。たまには会いたいと思ったが、Kはお酒を飲まないし、そのうえKは、子宮がんで闘病している共通の友だちの世話をしていた。彼女の看病のためにKは誰にも会わないし、会えないと言った。
 Kの看病もむなしく彼女は亡くなり、お葬式で久しぶりにKと会った。「Yoko久しぶりー」と目に涙をためながら話してくるKは、隣の女性を「私の彼女」と紹介してくれた。「Kからたくさんあなたのこと聞いてるよ」と紹介されたPは、とても気さくで、どちらかと言えば男の子っぽい感じの人だった。いつの間に女の子と付き合うようになったんだろうと思ったが、Kはもともとバイで、男も女も好きだったようだ。隣に座るといつもすり寄って来るし、お別れするときは、とびきりのハグをしてくれる。
 Kの「彼女」PとはAA (アルコールに問題がある人達が集う集会)で出会い、ズタズタだったKを助けてくれたという。弱っているときに助けられると運命を感じますよね。数か月後、Kから「Save the date日程を開けておいてね」のポストカードが届いた。1年後の2022年10月に結婚式を挙げるという。
 
 ミレニアル世代のKの周りは、ゲイ、レズビアン、トランスジェンダーなど、自分に正直で伝統的でない人が多い。私の周りにもジェンダーを変更していた人がいて、久しぶりに会うと戸惑ったことがある。コロナ前は男だったのに、いまは名前も変わって、スカートを履き、メイクをし、「hi Yoko!」と何食わぬ顔で挨拶してくれる。彼女は、声はそのままだが仕草もメイクも女の子で、以前より輝いて見えた。
 かつての私の同僚にフランス人の女の子がいて、彼女はKの友だちと結婚していた。彼Tは、アメリカ人で彼氏がいる。私は、先にTの彼氏を紹介してもらっていて、仲良くなった後に彼女と会ったので「???」だったのだが、結局はビザの問題だったようだ(彼らはまだ離婚していない)。ちなみに、フランス人の彼女とTの結婚式の司式者がKだった。Kはそんなことも(人に結婚をさせてあげられるの)出来るのねーと驚いた。いままで私がアメリカで出席した3回の結婚式のうち2回がこのように友だちが立会人だった。結婚式で、さっきまで普通に話していた人が式になると牧師さんの格好に正装し、二人の間に立って指輪交換をさせる。そして、「あなたは、誰々を妻とすることを誓いますか」などと言う。それには免許が必要なのだそうだが、これを持っている人は意外と多い。「I can marry you」などと言われるので、「私と結婚したいの?」とドキマギしたこともあった。

 Kの結婚式の2022年10月。場所はアップステートの農場で、3泊あるので旅行気分で行った。
 まずは、メリーゴーランドのあるホテルでウエルカム・パーティ。彼女がお酒を飲まなくなってもう6年目で、キラキラのトップを着たKはとても幸せそうに見えた。その隣にはPがいる。彼女たちの衣装は、もちろんすべてKがデザインした洋服だ。「エルトン・ジョンとシェアが結婚式に出るとしたら」というテーマだそうで、彼女たちは大きいサングラスを掛け、キラキラの洋服を着て、羽をつけ、いまからコンサートに出るような恰好をしていた。
 以前会ったことのあるKの両親とも話せた。KのママもKに負けないくらいキラキラした洋服で、まぶしかった。Tも、Tのお姉さんも来ていて、家族ぐるみの付き合いなんだなと思った。
 女と女の結婚式なので、ウエディングドレスは二人で同時に着るのかと思えば、最初はKが豪華なフリルのついたウエディングドレスで、Pがネイビーの刺繡の入ったスーツ。そのあとに二人で白のミニドレスを合わせたり、カジュアルなドレスを着ていた。
 司式者はTだった。彼はこの日のために免許を取ったらしい。もうひとりKの友だちも司式を担当。二人の司会で二人をナビゲートし、指輪を交換させ、涙が出る感動的な結婚式をサポートした。最後に「NY州の法律に従い、二人を妻と妻として認めます」というところで「女と女の結婚式なんだ」と思ったががあまりにも自然すぎたし、この世でひとつだけの美しい結婚式だった。
 カクテル・パーティ、ディナー・パーティ、音楽演奏(彼女のためにオーストラリアから駆け付けた、有名インディ・バンド)、スピーチ、ダンス・パーティ、キャンプ・ファイアー、など、楽しい結婚式となった。久しぶりに会うサンディ・ファンディ仲間もいたし、子宮がんで亡くなった彼女の写真もパーティ会場に飾られ、彼女の両親も来ていた。
 彼女たちの両親は「PはKにピッタリ」などお互いを大絶賛。パーティを盛り上げるDJもノリノリで、両親もボスも踊った。コロナ以降こんなに汗だくになって踊ったのは初めてだ。Kはコロナに長いあいだ慎重になっていたが、最近になってようやくパーティ、イベントなどを企画しはじめている。ミセスKとしてまた新しい物語がはじまるのだろう。最高な結婚式をありがとう、心からおめでとう、K!

ele-king vol.30 - ele-king

 今年もあと残り1週間、年末の慌ただしいなかいきなりで恐縮ですが、このオンライン版を楽しんでくれている方で、エレキングの存続を希望し、税込み1650円を支払う余裕のある方は1年に2冊刊行している紙エレキングをドネーションだと思って買って欲しいと、せつに思う次第であります。12月27日に刊行される年末号の内容は、すでに告知している通りです。Phewさん表紙のvol.30を手にとって、2022年の年間ベストのリスト(年間30枚、ジャンル別、個人チャートなど)を楽しんでください。そして、今回の特集「エレクトロニック・ミュージックの新局面」に注目してもらえたら幸いです。

 早いもので、紙エレキングもいつの間にか30冊目です。ゼロ年代に雑誌の時代が終わってブログの時代がはじまり、2009年にスタートしたweb版エレキングも気が付いたら13年。ele-king booksをはじめたのがちょうど10年前とか、我ながら本当によくやっているなと思うのですが、これというのもいろんな人たちのサポートがあってのことです。web版でアルバムのレヴューを書き続けているライターおよび訳者諸氏にはとくに感謝したいと思います。あなたたち無しでエレキングは成り立たないのですから。
 音楽メディアというのは、簡単に言えば音楽好きのコミュニティであって、音楽を紹介しつつ、最終的には、その音楽が何を語りかけているのか、音楽と自分(リスナー)との関係を真剣に考える場であり、メディアというのは、音楽に関するできれば最良の文章(最終的な決定稿ではないが、それを書いた時点での物語)を届けるための拠点のようなものです。なんども書いてますが、我こそはという方はライター募集(info@ele-king.net)に応募しましょう。

 紙エレキングのvol.30で書き忘れましたが、2022年に発表された音楽の歌詞のなかで印象に残っているのは、ホット・チップのアレックス・テイラーによる以下のラインでした。「音楽はかつて逃避場だった。しかしいまのぼくには逃げ場がない。まるで世界に追い詰められた感じがする」
 彼の疲労感に共感も無くはないのですが、幸いなことにぼくにはいまでも音楽は逃避場です。と同時に自分の人生に深く関わっているものだということが、年を取れば取るほどしみじみと感じたりします。今年のクリスマスはサン・ラーの大好きなアルバム、『ナッシング・イズ....』と『マジック・シティ』、そしてパワフルなコズミック・ジャズ・ファンクの『アストロ・ブラック』を聴いて気持ちを上げました。いまから宣伝しておきますが、来年の1月末に待望のサン・ラー評伝、『宇宙こそ帰る場所──新訳サン・ラー伝』(ジョン・F・スウェッド著/鈴木孝弥訳)が刊行されます。これは20世紀のジャズ史/黒人史とも読める大著で、アフロ・フューチャリズムが生まれた歴史的な背景について詳述されている本です。ご期待ください。
 でもまずは、紙エレキングを、どうか、なにとぞよろしくお願い申し上げます。発売は明日27日です。(野田努)

Maxine Funke - ele-king

 まるで何事もなかったかのように思えてくる。朝が来て、昼になり、そして黄昏時を向けていると夜のとばりがおりる。この場合、季節はいつだっていいが、いまは冬だから冬にしよう。単調で、なんの取り柄のない、静かな1日。マキシン・フンケの歌が聞こえる。彼女の音楽は、そんな慎ましい1日にも豊かな詩情があることをわからせる。慌ただしく、やかましいこの日常においてはつねに掻き消されていくそれを、ニュージーランドのフォーク歌手は大切にしまっている。
 ぼくが彼女を知ったのは〈Disciples〉が本作をリリースしたからで、このレーベルのA&Rのセンスをあらためて評価したいわけだが、Phewやスージー・アナログを出しながらこれかよと、決して意表を突かれたわけではない。やはりいま、時代はフォーク的なるものを欲しているのだ。ヴァシュティ・バニヤンを持ち出されながら紹介されている彼女の過去作品もこれを期に聴ける分だけ聴いてみたらほとんど良かった。
 フンケの音楽は、しかしレトロではない。ギターに関しても実験的アプローチがあって、また、グリッチや打ち込みドラムといったエレクトロニクスもほどよく使われ、これらを何もない1日の夢のような時間を表現するのに役立てている。おそらくはDIY録音で、彼女はこの10年コンスタントに作品を出しているが、BandcampやDiscogsを見ていると、既発作のアートワークも手作り感があって、もともと「インディ」と呼ばれた音楽作品ってこうだったよなと思い出した。(〈Disciples〉の、本をデザインしたレーベルのマークもぼくは好みで、70年代末や80年代前半の「インディ」には本好き(bookish)というニュアンスが包含されていたことは、当時のバンド名や曲名をみれば察していただけるだろう)

 本作『流木の欠片の数々(Pieces Of Driftwood)』は彼女の新作ではなく、これまでリリースしてきたアルバム未収録の楽曲を〈Disciples〉がまとめたものだが、入門編として充分に機能している。漫画でも思いつかないような狂気の沙汰の決勝戦、23歳の無敵の怪物への驚嘆、そして13歳で故郷アルゼンチンを離れた35歳のチャンピオンへの祝福をもって、およそ1か月におよぶスポーツの祭典、W杯は終わった。カタール開催は問題が多く、それが解決したわけではないのだが、皮肉にもけっこう面白かった。我々は熱狂のスタジアムをあとにして、4年後のために日常に戻らなければならない。人生のほとんどを占めるなんてことのない日々のなかに、マキシン・フンケの音楽はそっと入り込んでくるだろう。


Kokoroko - ele-king

 今年のW杯でのトピックのひとつに、モロッコがアフリカ勢として初のベスト4へ駒を進めたことがある。モロッコは大西洋と地中海に面した北アフリカに位置し、文化的にはアラブやヨーロッパからの影響が強く、アフリカ諸国のなかでも独自の文化を持つ国であるが、音楽的にはイスラム教の宗教歌を発祥とするグナワ音楽が有名で、現在はロックやファンク、ヒップホップなど西欧の音楽も根付いて発展を見せている。ひとくちにアフリカといっても様々な国があり、様々な民族音楽が受け継がれている。そして、そうしたアフリカからの移民や難民が世界中に散らばり、それぞれの国や地域でアフリカの音楽を広めている。今年もアフリカ以外の地で生まれた素晴らしいアフリカ音楽の作品があった。

 一枚目はココロコの『クゥド・ウィ・ビー・モア』である。ココロコはサウス・ロンドンを拠点とするアフロ・バンドで、サウス・ロンドン・シーンが注目を集めたころから活動している。リーダーはトランペットのシーラ・モーリス・グレイで、彼女が別に参加するネリヤやシード・アンサンブルのサックス奏者であるキャシー・キノシもメンバー、それからトロンボーンのリッチー・シーヴライトと女性が多いバンドである。彼女たちはアフリカ系で、ほかにベースのムタレ・チャシ、キーボードのヨハン・ケベデ、パーカッションのオノメ・エッジワースとアフリカ系、もしくはその血を引くミュージシャンが集まっている。
 彼らの作品が初めて登場したのはコンピの『ウィ・アウト・ヒア』(2018年)で、そのときはシンガー・ソングライターのオスカー・ジェロームがギターで参加し、作曲もおこなっていた。彼は2019年のデビューEP「ココロコ」にも参加しており、グループのなかで強い影響力を持つひとりであったのだが、ファースト・アルバム『クゥド・ウィ・ビー・モア』には参加しておらず、かわりにトビ・アデカイネ・ジョンソン(ギター)、デュアン・アザーレイ(ベース、シンセ、キーボード)が参加する。ドラムはエディ・ヒックがやっていたときもあったが、現在はアヨ・サラウが務めている。現在はメンバー全員がアフリカ系だ。

 ココロコの音楽はアフリカ音楽とジャズのミクスチャーで、アフリカ系やカリブ系ミュージシャンの多いサウス・ロンドンならではのものと言えるが、特にナイジェリアのフェラ・クティやトニー・アレン、ガーナのエボ・テイラーなど西アフリカの音楽に影響を受けている。2020年のシングル曲の “キャリー・ミー” や “ババ・アヨーラ” などはダンサブルなアフロビートで、キーボードなど楽器演奏はジャズ的というか西欧音楽的である。一方で『ウィ・アウト・ヒア』でやっていた “アブセイ・ジャンクション” は非常に素朴なフォーク・ミュージックで、アフリカ音楽と西洋音楽が結びついたハイライフやアフロビートなどに比べ、よりアフリカ民謡に近い音楽と言えよう。EPの「ココロコ」は、このココロコの動と静の魅力両面が詰まったものとなっていた。
 そして、『クゥド・ウィ・ビー・モア』は素朴さや大らかさ、アフリカ音楽の深みがより強まっていると感じる。“トジョ” はゆったりとしたグルーヴを持つアフロビートで、スペイシーなシンセとホーン・アンサンブルが印象的。アルバムのなかでは比較的ジャジーでミクスチャーな風味を感じさせる曲だ。アフロ・ジャズの “エワ・イヌ” もそうだが、フェラ・クティに代表される攻撃的で戦闘的なレベル・ミュージックのアフロビートではなく、雄大で懐の深いグルーヴを持つ作品となっている。アプローチとしてはファラオ・サンダース的と言えるだろう。
 メロウネスに満ちた “エイジ・オブ・アセント” の開放的な空気、優しいワードレス・コーラスを配した “ディデ・オー” の哀愁は、このアルバムでもっとも美しい景色を見せてくれる。ダンサブルなハイライフの “ソウル・サーチング” や “ウィ・ギヴ・サンクス” にしても温かみや優しさを感じさせ、“ドーズ・グッド・タイムズ” はラヴァーズ・ロックにも通じる極上のメロウなアフロ・ソウル。“ウォー・ダンス” が比較的アジテーショナルなアフロビートとなっているものの、内省的なフォーク・ソングの “ホーム” やメロウでコズミックなアレンジによるアフロ・フュージョン “サムシングズ・ゴーイング・オン” と、ピースフルで牧歌的な世界が『クゥド・ウィ・ビー・モア』には貫かれている。

 このココロコに割と近いテイストを持つのが、ジェンバ・グルーヴというドイツのユニットである。ガーナ生まれのエリック・オウス(ヴォーカル、パーカッション)とベルリン出身のヤニック・ノルティング(ベース)によるユニットで、演奏にはほかにベナン出身のババトゥンデ・アゴングロ(ギター)、イスラエル出身のメラヴ・ゴールドマン(フレンチ・ホルン)とニル・サバグ(ドラムス)、ポルトガル出身のゴンサロ・モルタグア(サックス)、ガーナ出身のモーゼス・ヨーフィー・ヴェスター(キーボード)が加わる。エリックはエボ・テイラーやパット・トーマスなどガーナの大御所ミュージシャンの作品に参加してきて、ジョニーというアフロ・ロック・バンドもやっているが、2020年にベルリンでヤニックと出会ってユニットが結成された。国籍が異なるふたりの共通項は、ガーナのハイライフや1970年代のソウル・ミュージックから影響を受けているという点で、ガーナのハイライフやアドワ、ギニア、マリ、コートジボワールなどで広まったワソルなど西アフリカの伝統音楽と、西欧の黒人音楽であるソウルを融合していく方向性でユニットは始まった。2021年から “バサ・バサ”、“アマレ”、“モコレ” とシングルを発表してきて、2022年に入ってファースト・アルバムの『ススマ』をリリースする。

 “アーウォヤ” はメロウでゆったりとしたグルーヴを持つアフロ・ソウルで、ココロコの音楽に非常に近い。ソウルと言っても都会的に洗練されたそれではなく、素朴で大地の匂いを感じさせるものだ。“スバン” もそうだが、エリックはアフリカの先住民族の言葉(おそらくアカン語か?)で歌っており、メロディ・ラインも含めて西欧音楽とは異なる独特の雰囲気を持つ。そのメロディは “アデサネ” や “モコレ” はじめ哀愁と牧歌性に富み、アフリカ特有のものである。いい意味での土臭さ、泥臭さがジェンバ・グルーヴの最大の魅力だろう。シングル・カットされた “バサ・バサ” はそんなジェンバ・グルーヴらしい楽曲で、“アマレ” は土着的なダンス・グルーヴとなっている。大らかでメロウネスに満ちた “K33・モミ” は、彼らの標榜するアフリカ音楽とソウルの融合が結実した作品。
 ココロコ、ジェンバ・グルーヴともに、アフリカ音楽のメロウで美しい側面を見事に表現するグループだ。

boris - ele-king

 先月末に刊行されたele-king Books『現代メタルガイドブック』では、第1章の最初にBoris with Merzbowの『2R0I2P0』を掲載している。これは、序文でも述べたメタルの越境性、型を築きそれを足場にしながら遠く(様々な音楽領域、地域など)へ向かう音楽という特質を非常によく体現する作品だからで、本書のスタンスや広がりを示すものとしても、それにそのまま対応するBorisの広大なカタログへの導入としても、かなり的確なセレクトになったのではないかと思う。本書が刷り上がったタイミングでDOMMUNEのBoris特集(11月15日)が開催され、そこでAtsuoさんと宇川さんに見本誌をお渡しすることができたのだが、直後にAtsuoさんから頂いた感想は以下のようなものだった。「“メタル”という言葉は自分の中では“Heavy Metal”と同義で、“Heavy Metal”と言われるのが嫌だから“メタル”と崩して言っていたのだが、こちらの本ではMetalとHeavy Metalが別物として扱われていたのが衝撃、しかもそれが当たり前のような前提になっていることに驚いた」
 メタル界最大のデータベースサイト「Metal Archives」(別名Encyclopedia Metallum、バンド名+metallumで検索するのはメタル系ディガーの定石)にも「Genre: Heavy Metal」という区分があるように、狭義の「ヘヴィ・メタル」は「メタル」のサブジャンルの一つで、90年代に入るとジャンル全体を指す表現としては機能しなくなる。そこで本書では、80年代までのHR/HM(ハードロック/ヘヴィ・メタル)に対し、その枠に留まらない90年代以降のオルタナティヴ・メタル(MelvinsやKorn以降の系譜)などを「ポストHR/HM」という言葉でまとめ、それら全てを含む概念としての「メタル」の文脈を整理することに努めた。Borisの音楽性は「ポストHR/HM」にまたがる部分が多いが、「HR/HM」的な要素も全くないわけではない。そうした意味において、本書はBorisを聴き込むにあたっての包括的な資料集としても充実した内容になったと思う。

 これはつまり、Borisの音楽性には分厚いガイドブックでも網羅しきれない広がりがあるということでもある。実際、今年発表された3つのフルアルバムをみても、各々の音楽的なスタイルは大きく異なる。1月リリースの『W』はシューゲイザーやアンビエントを初期CANに寄せた感じの天上のドローン・ロックで、成層圏で夢心地になるような朦朧とした陶酔感に包まれていたが、8月リリースの『Heavy Rocks』(同タイトルで3作目)は、1968年以前のプロト・ヘヴィロックを意識しつつ、GASTUNKやトランス・レコード周辺〜初期ヴィジュアル系にも通じる混沌とした作風になっている。そして、12月にリリースされた小文字boris名義の『fade』では、ギターの野太い持続音が軸となり、ボーカルや打楽器の存在感は遠景に希釈されている。Sunn O)))の『Life Metal』や初期のEarthに近い作風の本作は、主なルーツの一つであるドローン・ドゥームに最も接近した仕上がりで、豊かな響きに浸っているうちに64分の長さがあっという間に過ぎていく。傑作の多いBorisのディスコグラフィにおいても、屈指の逸品ではないかと思われる。

 Borisの音楽性はかくのごとく多彩で、それぞれ別のバンドによる作品だと言われてもおかしくない描き分けがなされているのだが、その一方でどの作品にもBorisならではの強い記名性があり、続けて聴いてもほとんど違和感がない。こうした持ち味のなかで特に重要な役割を担っているのが、固有の“間”の感覚だろう。DOMMUNEのBoris特集でも「グリッドもカウントも要らない。バンドとはそういうもの」「リハも、能とか振り付けの稽古に近い」という発言があったように、Borisのリズム・アンサンブルは、伸び縮みやズレを肯定しつついかに息を合わせるかという方向に研ぎ澄まされている。このような特性が顕著に示されているのが『W』収録の“Drowning by Numbers”で、休符を活かしたベースのフレーズはファンク的なのに、そうした音楽に特徴的な“踊らせる”類のノリは殆ど出ておらず、靄のように漂い続ける居心地が生まれている。そして、本作においてはそれが正解だという説得力にも溢れている。こうした“間”の感覚や展開ペースの支配力、いわば“ドローンぢから”はどの作品にも濃厚に備わっていて、万華鏡のように変化する音楽性との対比で新たな表情を示し続ける。Borisがここまで無節操な音楽的変遷を繰り返しながらも大きな支持を得ることができている秘訣は、このあたりにもあるのではないかと思う。
 その上で、もう一つ重要なのが独特のリリカルなメロディ〜コード遣いだろう。『fade』の比較対象としてSunn O)))の『Life Metal』を挙げたが、響きの質感や時間の流れ方は似ていても、静かに泣き濡れるようなメロウな雰囲気は大きく異なる。これはむしろ裸のラリーズやCorruptedのような日本のバンドに通じる味わいで、ゴシック+ノイズ的な場面でも、Tim HeckerあたりよりもMORRIE(元DEAD END、ヴィジュアル系や日本のオルタナティヴロックの始祖的な重要人物)を想起させられたりもする。『fade』では、そうした雰囲気がドローン・ドゥーム形式のもとで程よく抽象化されることにより、湿っているけれどもべたつかない、哀切の残り香が漂うような居心地が生まれている。その意味で、本作はBorisのエッセンスを高純度で凝縮した一枚になっている。歌もの形式ではないので取っ付きづらく思う人もいるかもしれないが、表現力の面ではむしろ聴きやすく分かりやすい内容なので、ここから初めてBorisを聴いてみるのもいいかもしれない。

 Borisのインタヴューはいずれも非常に面白いが、そのなかでもとくに印象的な発言として、「日本の中にいるわけでも、海外にいるわけでもなく、色んなところに出入りが出来るというか、そういう境界を超えながら、どこにも属せない」というものがあった。上で述べた音楽性に加え、アニソンやボーカロイド、同人音楽まで何でも網羅するBorisは、音楽メディアのジャンル縦割り姿勢では確かに扱いづらい存在ではある。しかし、あらゆる音楽形式を網羅するディスコグラフィは、ポピュラー音楽からアンダーグラウンドシーンに繋がる地下水脈のようなネットワークを体現しており、どれか一つの作品を入り口としてどこにでも向かえる道筋を用意してくれている。『fade』1曲目のタイトル“三叉路”はそうした在り方を象徴するものだし、作編曲の面でも、その“三叉路”の最後2分ほどに『W』収録曲“Old Projector”のアウトロを引用、「(汝、差し出された手を掴むべからず)」の終盤ではBathory的な原初期ブラックメタルが聞こえてくる(これはSunn O)))の「Báthory Erzébet」を連想させる)、最終曲“a bao a qu - 無限回廊 -”は2005年の『mabuta no ura』にも同タイトルの曲が収録されているなど、様々な文脈が仕込まれている。境界を超えながらどこにも属さず、それらを俯瞰するところで個を確立し、様々な時間軸を繋げて新たなメランコリーを生み出していく。そうした創意が示された素晴らしい作品である。

R.I.P. Manuel Göttsching - ele-king

 ベルリン市内の、わりと街中の古いアパートメントの一室だったマニュエル・ゲッチングの家を訪れたのは、1995年7月のことだった。「外が騒がしくて申し訳ないね。ちょうどこの週末はラヴパレードをやっているから。ふだんのベルリンはもっと静かなんだけどね」と彼は苦笑しながら、日本から取材にやって来た数名を部屋に迎えい入れてくれた。「いや、ぼくらはそのラヴパレードのためにベルリンに来たんです」と正直に即答できなかったのは、それをあまり良きモノとは捉えていないのであろうゲッチングの表情を見てしまったからである。言うまでもなく当時彼の作品を強烈に欲していたのは、ラヴパレードの根幹にあるハウス/テクノの聴衆だったのだけれど。
 
 すでにこの頃、ハウス/テクノの文脈で再評価された70年代以降のドイツのロックはいろいろあった。『フューチャー・デイズ』や『ゼロ・セット』、クラスターやハルモニア、初期のポポル・ヴーやタンジェリン・ドリーム等々。そうした名作群においても、マニュエル・ゲッチングの『E2-E4』は別格中の別格だった。『E2-E4』や『ニューエイジ・オブ・アース』のような作品には、クラブ世代によるいかなる研ぎ澄まされたエレクトロニック・リスニング・ミュージックをもってしても到達できない境地が開けている。
 
 ゲッチングの部屋の白かったであろう石の壁は、彼の長年の煙草の煙によってすっかり黄ばんでいた。部屋のひとつの面には横長の大きな絵画が飾られていて、そこにはひとり女性が描かれていた。居間にはほとんどモノらしいモノがなく、そのときの彼はひとりで暮らしているようだった。
 取材のなかでぼくが知りたかったことのひとつには、18歳でアシュ・ラ・テンペルを結成した彼と時のドラッグ・カルチャーとの関わりというのがあった。この世界で指折りのコズミック・ブルース(ジュリアン・コープいわく「空前絶後のフリークアウト・ブルース」)『7up』をティモシー・リアリーといっしょにレコーディングしたこのギタリストは、しかし世間で妄想されているようなその関係性を否定し、じつはリアリーの名前すら知らなかったと、淡々とした口調で話してくれた。当初そのレコーディングに来るはずだったのは、アレン・ギンズバーグだったと彼は付け加えた。
 
 アシュ・ラ・テンペル(ラ=RAは、サン・ラーと同じエジプトの太陽神から取られている)の、インパクトあるデザインによるファースト・アルバムの観音開きのジャケットには、ギンズバーグの「吠える」の一節がまるで聖典か何かのように引用されている。ジャケットからレコードを取り出し、A面に針を落としたことがある人なら、あのサウンドから極めて強度の高いサイケデリックなヴィジョンを幻視した経験をお持ちだろう。たとえば30を過ぎてからロックをはじめたCANと違って、先にも書いたようにゲッチングは10代でそのアルバムを制作している。
 いずれにしても若かった。やがて「コスミッシェ」として知られることになる若きベルリン・スクールを取り巻くシーンに、ロックとフリー・ジャズ以外にも、アシッド・カルチャーからの影響がなかったとは思えない。悪名高きロルフ・ウルリッヒ・カイザーのような仕掛け人が登場したことで「コスミッシェ」の物語はある面ではいかがわしさを増し、その代表格たるコズミック・ジョーカーズなどは後に一部のコレクターの心を掴んだりもしている。しかしカイザーに反旗を翻したクラウス・シュルツもその渦中にいたゲッチングもそうした狂騒に呑まれず、何よりもまず自分の音楽をアップデートすることに集中していたことは、彼らの軌跡を見れば一目瞭然だ。占星術や宇宙旅行、神秘主義やアシッド・パーティが乱舞するこの時代から、たとえば構造的にはフリップ&イーノによる一連のミニマリズムにも似た音楽、テリー・ライリーに触発された、しかしそれらとは似て非なる陶酔の極みであり、より直感的な音楽、すなわち『E2-E4』が生まれたのは、サイケデリックやスペース・ロックがすっかり失速したばかりか、パンクやポスト・パンクでさえ存在が薄れていった1980年代初頭のことだった。
 それはNYの〈ザ・ロフト〉で知られる孤児院出身のDJ、デイヴィッド・マンキューソにプレイされたことでアンダーグラウンド・ダンス・カルチャーを起点に広がり、80年代末にイタリアのスエニョ・ラティーノにサンプリングされたことによって至福のエロティシズムへと変換された。1992年にはデリック・メイにリミックスされたことでそれは完璧なパラダイスとなってテクノ・ヘッズの体内に埋め込まれもしたが、カール・クレイグも自分の手で“リメイク”したいという欲望を抑えきれなかった。ぼくがベルリンで取材したのは、クレイグが自らの楽曲で“E2-E4”をサンプリングした1年後のことだった。
 
 1995年といえばそのときゲッチングは43歳で、いまのぼくよりもずいぶん若い年齢だ。もの静かな人柄の、理性的な人だったという印象を持っている。孤独な芸術家といった佇まいで、そして彼はまだ、彼がひとりで作ったエレクトロニック・ミュージックが、若者たちの進むべき方向性を示唆した作品として現在ものすごい影響力をほこっているという事実をほとんどわかっていなかった。「いきなり電話がかかってきてね、『あなたの曲を使わせて欲しい』って言うんだよ」彼は笑いながら言った。「ひょっとして、その電話の主は、カール・クレイグじゃなかったですか?」「ああ、たしかそんな名前だったかな」
 フランキー・ナックルズが最後に来日した際のリキッドルームでのDJはたしか“E2-E4”からはじまっている。イギリスの音楽評論家のデイヴィッド・スタッブスは、『E2-E4』はクラフトワークの『コンピューター・ワールド』以上に影響力が大きいと指摘しているが、同意する。あれはもう、ひとつの“型”であって、その後どれほどその“型”がアンビエントやハウスやテクノやエレクトロニカにおいて流用されてきたかはもはや数を数える範疇にない。ポップ・ミュージックの意味を大衆的な音楽とするなら、あれほどポップなミニマル・エレクトロニカはほかにないのだ。
 「70年代のベルリンはドイツ国内のなかでも孤立した、ある種の宇宙船のような街だった」と彼はぼくに話してくれたが、レコードに針を下ろせば、宇宙船はロマンティックに発光しながら、いまでも別世界への入口として部屋のなかに飛来するかのようだ。2022年12月4日、70歳のマニュエル・ゲッチングは永眠したが、彼が残した功績はあまりにも大きい。
 
 

DOMi & JD BECK - ele-king

 年末は今年リリースされた作品を振り返る時期で、『ele-king』誌でも今年の年間ベスト・アルバムのジャズ部門を選出した。そのなかにはいろいろタイミングがズレてしまってレヴューで取り上げなかった作品があり、リリースは夏頃となるがドミ&JDベックのデビュー・アルバムもその一枚だ。ジャケット写真を見てもおよそジャズ・ミュージシャンらしからぬ2人組で、とにかく若い。
 ドミ・ルーナことドミティーユ・ドゴールはフランスのメス生まれの22歳で、フランス国立高等音楽院卒業後にボストンのバークリー音楽院に留学。そのままアメリカへ移住して活動しているが、3歳でピアノ、キーボード、ドラムスの演奏をはじめ、5歳でナンシー音楽院に入学してジャズとクラシックを学びはじめたという才女だ。
 JDベックはテキサス州ダラス生まれの18歳で、5歳でピアノをはじめた後に9歳でドラムスに転向し、12歳のときには楽曲制作を開始している。10歳の頃にはエリカ・バドゥのバンドでドラマーを務めるクレオン・エドワーズや、スナーキー・パピーのドラマーのロバート・シーライト、ソウル・ミュージシャンのジョン・バップなどと共演し、その教えを受けているという早熟ぶりだ。共に幼い頃からその天才ぶりを謳われた神童である。

 ふたりは2018年にロバート・シーライトの誘いで、アメリカ最大の音楽イベントであるNAMMに出演する。最初の出会いとなったそれ以降も連絡を取り合うようになり、1ヶ月後にはエリカ・バドゥのバースデー・パーティーで再び共演し、ふたりは音楽制作と定期的な演奏活動をスタートする。カリフォルニアを拠点とする彼らは、2019年はサンダーキャットアンダーソン・パークなどのバック演奏に抜擢され、プログレッシヴ・ロック・バンドのチョンと全米ツアーもおこなった。ふたりの才能が認められるのにさほど時間は掛からず、ハービー・ハンコック、フライング・ロータスルイス・コール、ザ・ルーツといった名立たるアーティストとの共演が続く。
 YouTube上にも数々の動画をアップし、なかでも2020年に急逝したMFドゥームの『マッドヴィレイニー』へのトリビュート動画が、その凄まじい演奏テクニックもあって話題となる。2020年にはアリアナ・グランデ、サンダーキャットと一緒に出演したアダルト・スウィム・フェスティヴァルで、サンダーキャットの “ゼム・チェンジズ” の演奏が大きな反響を呼び、ブルーノ・マーズとアンダーソン・パークが組んだブギー・ユニット、シルク・ソニックのシングル曲である “スケート” を共同で作曲。こうしてアルバム・デビュー前からドミ&JDベックは大きな話題となっていた。

 そして2022年の4月、アンダーソン・パークが〈ブルーノート〉傘下に設立した新レーベルの〈エイプシット〉から、ファースト・シングルの “スマイル” をリリース。続いてアンダーソン・パークをフィーチャーした “テイク・ア・チャンス” や “サンキュー”、“ワッツアップ” などシングルを次々発表し、ファースト・アルバムの『ノット・タイト』をリリースと、2022年はドミ&JDベックにとって怒涛の進撃となった。
 『ノット・タイト』はドミ&JDベックが自身でプロデュースをおこない、アンダーソン・パーク、サンダーキャット、ハービー・ハンコックとこれまで共演してきた面々に加え、スヌープ・ドッグ、バスタ・ライムズというラッパー陣、カナダのシンガー・ソングライターのマック・デマルコ、現在はドイツのベルリンを拠点に活動するジャズ・ギタリストのカート・ローゼンウィンケルなど、多彩なゲストを招いた作品となっている。ドミはキーボード、ヴォーカル、JDはドラムス、ヴォーカルを担当するほか、ミゲル・アトウッド・ファーガソンがストリングスとそのアレンジで参加する。

 アルバムはクラシックの室内楽を思わせる “ルーナズ・イントロ” で開幕し、そのままJDのテクニカルなドラミングが圧倒的な “ワッツアップ” へと繋がっていく。“ルーナズ・イントロ” はクラシックの素養もあるドミならではの楽曲だ。“スマイル” はJ・ディラ以降のヨレたビートによるヒップホップ感覚、スクエアプッシャーエイフェックス・ツインなどのドリルンベースなどの要素を注入したフュージョン作品で、ロバート・グラスパー以降の新世代ジャズをさらに更新した、言わばZ世代のジャズ。
 サンダーキャットの歌とベースをフィーチャーしたAORジャズの “ボウリング” は、ほのかに漂うブラジリアン風味がパット・メセニーとトニーニョ・オルタの共演を彷彿とさせる。“ナット・タイト” でもサンダーキャットはベースを演奏し、ミゲル・アトウッド・ファーガソンのストリングスも加わる。JD、サンダーキャット、ドミのドラム、ベース、キーボードのソロの応酬が聴きごたえ十分。全体的にはとてもテクニカルでプログレ的な楽曲なのだが、不思議と難解さはなくてどこかポップでさえあるところがドミ&JDベックの持ち味である。

 マック・デマルコが歌う “トゥー・シュリンプス” は、クールで抑えたヴォーカルに幻想的なドミのコーラスがまとわりつく。チック・コリアのリターン・トゥ・フォーエヴァーを現代にアップデートしたようなナンバーだ。“ユー・ドント・ハフ・トゥ・ロブ・ミー” はドミとJDがデュエットするナンバーで、浮遊感のある不思議なメロディ・ラインが印象的。アメリカのジャズっぽくもなく、かといってイギリスやヨーロッパのジャズでもなく、通常のジャズの文脈から外れた個性的な作品。フライング・ロータスの〈ブレインフィーダー〉周辺らしい楽曲かもしれない。
 ハービー・ハンコックがピアノとヴォーコーダーで参加する “ムーン” は、およそ60歳もの年齢の開きがある両者による夢のような共演が実現。ハンコックがこうした若い世代と難なく共演するところが凄く、そんなハンコックと対等に渡り合える技術や感性を持つドミ&JDベックの才能の証でもある。“テイク・ア・チャンス” ではアンダーソン・パーク、“パイロット” ではアンダーソン・パーク、バスタ・ライムズ、スヌープ・ドッグらと共演し、ジャズの枠に収まらないドミ&JDベックの音楽性の広がりを表現。カート・ローゼンウィンケルと共演する “ウォウ” は、ジャズというより限りなくプログレに近いような超絶技巧のフュージョン。“スペース・マウンテン” や “スニフ” も同様で、アドリブの発想が自由で天才的。ファースト・アルバムでこの完成度、20歳前後という若さや伸びしろがあるふたりがこの先どんな進化をしていくのか、末恐ろしさを感じさせる。

 このNY連載も早いもので(パンデミックの間はお休みしましたが)134回目。ボツもあるので150回ぐらいコラムを書いているが、そのなかにはなんどか同じ話題を書いたこともある。6年前、私はVol.83にてNYのあるレコード店が閉店する話を書いた。そのお店、〈アザー・ミュージック〉のドキュメンタリーが先日、日本でも公開された。
 私はコラムにも書いたように、お店が閉店する日のインストアに行って、一緒に街をセカンドラインのごとく練り歩いた。そして、バワリー・ボールルームで小野洋子さんとヨ・ラ・テンゴ、サイキック・イルズを見るという素晴らしい1日を共有することができた。そのときは将来ドキュメンタリー映画ができるなどとは思っていなかったけれど、このレコード・ストアが存在したことは次世代へと伝えていくべきだとは思っていた。つい最近は、エレファント6(2022年11月10日リリースThe Elephant 6 Recording Co.)のドキュメンタリー映画も完成している。〈アザー・ミュージック〉もそうだが、こちらも00年代のUSインディ・ミュージック・シーンの貴重な記録となっていることだろう。

 さて、〈アザー・ミュージック〉が存在した90年〜2000年代は、今日のようなデジタル社会ではなかった。まだアナログ時代なので、アメリカに不慣れだった私も紙の地図を片手に街を歩く日々だった。そんな私は、初めてNYに到着すると空港から直行で〈アザー・ミュージック〉に行ったものだった。なぜならレコード店には、私に必要な情報が揃っている。どんな街でもそれは同じだ。店にあるフライヤーでその日の夜のライヴ情報を得て、店員が推薦する音楽を聴いたり、おいしい食べ物やおすすめのお店などその土地の情報を教えてもらったりする。
 ちなみに私が初めて来たアメリカの都市は、ボルティモアで(アニマル・コレクティヴ、ダン・ディーコンの出身地ですね)、初めて見たショーがカーディガンズとパパス・フリータスのショーだった(その時期日本はスウェディッシュ・ポップが大流行)。たまたまその日に入ったレコード店にフライヤーがあって、店員に「このショーに行きたいんだけどチケットはここで買える?」と聞いたら、「直接会場へ行け」と言われた。行ったらチケットは売り切れで、結局そこにいたダフ屋から買った。正規の値段は$5だったが、ダフ屋は$10(千円ちょっと)。許せる範囲だった。
 しかもその晩見たショーは感動の連続だった。パパス・フリータスとは直接話すことができたし、レコード店で買った7インチにサインももらった。カーディガンズのニーナ嬢には、「良かったよ!」と言ったら「サンキュー」とスマイルを返してもらった。憧れのバンドを見れたし、話せたし、うれしさで舞い上がってしまい(そしてショーの安さに驚き)、アメリカに引っ越すことを決めてしまった。その日、レコード店に行ってなかったらショーには行かなかった(あることも知らなかった)。やはり、レコード店にはマジックがある。

 話は前後するが、私が初めてひとりで行った街はロサンゼルスだった。日本から近いし、ショーがたくさん見れると思った。LAが歩いて移動できないことなんて知らなかったほど、無謀ではあったが。しかし、たまたま取った安いホステルがハリウッドにあって、そのホステルから歩いて5〜10分のところに〈ノーライフ〉というレコード店があった。滞在中はずっとそこに通った。フライヤーをチェックして、コーヒーを飲みながらソファーに座ってたくさんのCDを聞いた。店員も毎日来る日本の女を覚えてくれたようで、向こうから「今日はこのショーがあるよ(自分のバンドだったりする)」とフライヤーを渡してくれるようになった。やがてビーチ・ウッド・スパークのメンバー(当時ストリクトリー・ボールルーム)と仲良くなって練習に連れていってもらったり、ブライアン・ジョーンズ・タウンのメンバーの家に遊びに行ってミンストレルズというバンドを紹介してもらった(彼らはLAショーのコーネリアスのオープニングでプレイした)。〈ノーライフ〉には多くのLAローカルなバンドを教えてもらった。たくさん知りすぎてレーベルを立ち上げるまでになった。ミンストレルズも私のレーベルからも作品をリリースしている。
 こんな風に、レコード店がなかったら私はレーベルをやらなかったし、そもそもアメリカに引っ越すこともなかった。私はアセンス、ミネアポリス、シカゴ、シアトル、ポートランド、サンフランシスコ、プロヴィデンス、ボストン、オースティンなど、アメリカの小さな大学街を5年ほど放浪していたが、初めてその街に着いたら最初に行くところは決まってレコード店だった。そこで地元の情報、おすすめのレストランや洋服屋、別のレコード店、音楽会場やバンドまでたくさん教えてもらったし、友だちも増えた。

 〈アザー・ミュージック〉は1995年、タワー・レコードの向かいに開店した。タワーにはない「他の=other」ミュージックを扱うということで店名は決まった。私の〈アザー・ミュージック〉の過ごし方は、まずは入ってフライヤー・コーナーでショーやイベントをチェックする。そして、どんなCDやレコードが面出しされているのか店内をぐるっとし、スタッフのお勧めコーナーを見る。雑誌コーナーもむらなくチェックしたり、こんな感じで長い時間を過ごした。自分の執筆していた雑誌やレーベルのCD、レコードなどを置いてもらったりもした。このレコード店では、本当に多くの時間を過ごしたものだった。私のレーベル〈コンタクト・レコーズ〉の最初のコンピレーションCDのカヴァーは〈アザー・ミュージック〉の店内だった。反射鏡(防犯鏡?)が店内にあり、そこに写った画像だが、インディ・ミュージックのコンピレーションのカヴァーとしてばっちりに思えた。
 私は、人が少ない朝の時間に行くようにしていた。あるとき店員が音楽をかけていて「これは誰?」と聞くと、自分の音楽やレーベルの音源を試し聞きするためかけていただけだったこともあった(笑)。〈アザー・ミュージック〉の店員はみんなクリエイティヴな活動をしていたし、お店は、いろんなプロジェクト誕生の土壌にもなっていた。ドキュメンタリー映画を作ったのも元お客さんだ。ディレクターの2人はここで出会って結婚して家族を築いている。オーナーのジョシュの奥さんもここの店員だった。私の担当者は、最初はフィル(現デッド・オーシャンズ)、スコット(パンダベアとJaneというバンドをやっていた。DJ)、ジェフ(ヴィデオ・グラファー)、ダニエル(アーティスト)だった。
 〈アザー・ミュージック〉はジャンルの分け方も独特だった。レコードやCDは、ただ「IN」と「OUT」のふたつだけに分かれていた。「IN」がインディで「OUT」がそれ以外。「OUT」のなかにはジャズやアンビエント、グローバル。ミュージックなどがあった。

 デジタルな現代ではレコード店に行かなくても地元の情報はすぐに手に入るようになった。欲しいレコードがあればインターネットで検索すればいいし、たくさんの情報が瞬時に手に入る。しかし、それでもレコード店はなくならない。この連載のVol.132「NYではレコードのある生活が普通になっている」でも書いたが、〈アザー・ミュージック〉がクローズしてからもNYにはたくさんのレコード店がオープンしている。ただ、〈アザー・ミュージック〉の時代はデジタル社会の現代では体験できない、特別なアナログな一体感があった。仕事が終わったらレコード店に行って休みの日もレコード店に行く。たわいもない話をし、友だちがいたら紹介しあい、新しい音楽に出会える可能性があることにわくわくした。地元の人が集まってのデジタル上では味わえない体験、私たちが〈アザー・ミュージック〉から学んだこうしたコミュニティ感は、この先も継承されていくべきものだ。

 私は最近、1か月に1回ブッシュウィックのミードバーで「たこ焼き」を焼きながら音楽イベントをオーガナイズしている。面倒な手続きはなくライヴ・ミュージックやDJができるので、若い人から年配までやりたい人が自由に参加するイベントになっている。友だちが友だちを呼んで、たくさんのミュージシャン、アーティスト、ファッション・デザイナー、ヘアドレッサー、アニメーター、ダンサーなど参加してくれている。次回で63回目、3月で6周年を迎えるが、レギュラーも増えているし、とりあえず来る人も増えているのでブッシュウィックのなかでひとつの小さなコミュニティを築いていると感じられるようになった。
 こうした小さなイベントのようなものは他でもあるはずだ。オンライン上にもあるかもしれない。好きな音楽の話だけで仲良くなれる。このコミュニティ感は〈アザー・ミュージック〉から引き継いだものだ。かつては、〈アザー・ミュージック〉がNYインディの大きなコミュニティの代表だったが、今日では小さい〈アザー・ミュージック〉型コミュニティがたくさんあるのではないだろうか。

 〈アザー・ミュージック〉が閉店して6年が経った。いま私たちはコロナ時代を生きている。仕事もなくなり、野菜や卵、スーパーマーケットにあるものの値段が上がり、外食もチップの率が18%から25%が平均になるなどお金がかかる世界になった。NYはそのせいで精神状態が不安定な人が多くなって、治安が悪化している。未来はいったいどうなるのかと不安が多い今日この頃だ。〈アザー・ミュージック〉のドキュメンタリーを見ると、しかし大事な物はそこにあると改めて確認することができる。こんなに幸せな気持ちになれるドキュメンタリーを見ない手はないというのが私の意見です。
 ご存じのように、〈アザー・ミュージック〉は実店舗は終わったが、オンライン・ストアはあるカム・トゥギャザーというレコード・フェアを1年に1回開催してもいる

追悼:崔洋一 - ele-king

『十階のモスキート』(83)が崔洋一のデビュー作だと知ったのはだいぶ後のことだった。そもそもどうして『十階のモスキート』を観に行ったのかも覚えていない。『水のないプール』が妙な余韻を残す映画だったので、同じ内田裕也が主演だから観ようと思ったとか、そんなあたりだろう。内田裕也演じる警察官がパソコンを操作するシーンは『ブレイドランナー』が公開された翌年だと思うと相当チープなテクノロジー描写に見えたはずだし、僕の父親は60年代からIBMのコンピュータを日常的に使っていたので、かなりキッチュな光景に見えたことも確か。だけど、いまとなってはあのシーンが一番面白かった気がする。和室にあぐらをかいてランニング姿でコンピュータをいじっている様は等しく反体制的な気分を反映していたにしても『太陽を盗んだ男』の実験室よりも現実味があり、どこか日本がむき出しになっていたからだろう。考えてみるとITビジネスで人生の一発逆転を狙っている構図はいまでも変わらずに存在し、むしろプログラマーが増えたことで日本中が『十階のモスキート』であふれているともいえる。『十階のモスキート』は僕にとって『遊びの時間は終わらない』と『松ヶ根乱射事件』とともに不動の「派出所の警官3部作」をなしている。

 崔監督の名前を最初に意識したのは大方の人たちと同じく、それから10年後に公開された『月はどっちに出ている』(93)を観てから。同作は在日2世の監督が自らのアイデンティティをストレートに投影した作品で、それまでどこか隠すようにしか描かれなかった在日を堂々と、そして、快活に描き、ルビー・モレノ演じるフィリピーノとのラヴ・ストーリーに仕上げた快作だった(モレノが大阪弁で「もうかりまっかー」と発音するのが面白かった)。『月はどっちに出ている』以前にも80年代には『ガキ帝国』や『伽耶子のために』など在日2世を描いた作品がポツポツとつくられることはあったけれど、『月はどっちに出ている』が話題になってからは『エイジアン・ブルー』『息もできない長いKISS』『新・仁義なき戦い』『親分はイエス様』と、多様なテーマで在日2世たちのライフ・スタイルが相次いで描かれるようになり、さらに『GO!』が決定打となって00年代前半は在日2世を描いた作品がラッシュ状態に突入する(『RUSH!』という作品もあった)。これに『シュリ』や『JSA』といった韓国映画の大ヒット、04年からブームとなった韓流ドラマの勢いも手伝って日本国内で韓国文化の存在感が一気に増すと、これに抗して「嫌韓」というキーワードが05年に浮上し、いわば目に見えない差別から可視化された差別へと変わっていく。そうしたなかで崔洋一は彼の代表作となる『血と骨』(04)を完成させる。

『月はどっちに出ている』も『血と骨』も原作は梁石日。いずれも自伝的内容で、実父の人生を描いた後者はあまりにも壮絶だった。かまぼこづくりや金貸しでのし上がっていく金俊平をビートたけしが演じ、役者としてはこれがたけしの代表作といえる。ヤクザ映画でも刑事ドラマでもないのに家族に対するDVのシーンがとんでもなく激しくて、どちらかというと在日の方たちのイメージを悪くすることに貢献したような気がするほど。伝わってくるのは在日朝鮮人が日本で生きる時の気迫であり、崔洋一もビートたけしもその一点にかけてテンションを上げていく。そうなってしまうものはしょうがないだろうという衝動の表現というのか、力づくで生きていく金俊平の描写にはまったく妥協というものがなかった。金俊平は韓国・済州島出身だそうで、彼が最後に韓国ではなく北朝鮮を目指した理由は今年公開された『スープとイデオロギー』というドキュメンタリーを観て初めて知ることができた(複雑すぎるので説明は省略。『血と骨』を観ていまだにクラクラしている人にはお勧めしたい)。『血と骨』が公開された前後には『偶然にも最悪な少年』『ニワトリはハダシだ』、そして『ガキ帝国』を撮った井筒和幸監督による『パッチギ!』と力作がダンゴになり、『月はどっちに出ている』と『血と骨』がそうしたボルテージの高さを維持した屋台骨になっていたことは間違いない。在日の人たちをいつまでもいないかのように扱うわけにはいかなかっただろうし、崔洋一が考える契機を与えてくれたのである。そして、偶然なのか、第一次安倍内閣成立とともに在日2世を描いた映画作品は一気に退潮してしまう。だいぶ経って12年に『かぞくのくに』が話題になった程度か。

 崔洋一の魅力はもっとほかにもあるだろう。角川映画も撮りまくりだし、北方謙三や高村薫といったハードボイルドの系譜を際どい描写で撮り続けたのも明確な個性である。わからないのは結果的に劇映画の遺作となった『カムイ外伝』(09)で、崔洋一で『カムイ外伝』だったら絶対に面白くなると思っていたのに……これがどうしても理解不能だった。民衆の力が社会を変えると考えていた白土三平の思想に疑問を持ちながら大島渚が『忍者武芸帳』を撮っていたことに違和感を持っていたと崔洋一は話していたことがあるから、そこは素直に白土三平の思想を反映するのかと思いきや、どうもそうとは取れず、何を伝えたいのか僕にはよくわからなかった。崔監督にはお会いしたこともなく、どんな人となりかも知らないので、作品を観た以上のことは何も書けないのだけれど、ぶっ飛ばされるのを覚悟で「『カムイ外伝』、よくわかりませんでした!」と話を聞きにいくべきだったなあと思うばかり。R.I.P.

非常宣言 - ele-king

 パンデミックに拡大自殺を掛け合わせた社会派エンターテインメント。挙動不審の男が飛行機にウイルスを持ち込み、乗客が感染し始める。何も知らされない乗客たちはスマホで事態を察知し、だんだんとパニックに……という2時間半のジェットコースター・ムーヴィー。ダレるどころか予期しないことが次から次へと起こって気が休まらず、スピーディーな展開についていくのみ。ハリウッドがやりそうな企画だけれど、いまは韓国映画がこういうのをやるんだなと。壮大なスケールのパニック映画にソン・ガンホとイ・ビョンホンという韓国映画の二大看板がそろって出演というのはポール・ニューマンとスティーヴ・マックイーンが『タワーリング・インフェルノ』(74)で共演したことを想起させる。街の名士や富裕層がまとめて地獄を見る『タワーリング・インフェルノ』は建築業者の手抜き工事が原因だったのに対し、正体不明の男が飛行機という閉鎖空間に致死性ウイルスを持ち込むというアイディアは現実の世界で模倣犯が出たらやばいんじゃないかと心配にもなるし、こういうのをメタヴァースで体験できるようにしたら5分で満席になりそうだと思ったり(あまりにリアルだと機長が死ぬあたりで心臓マヒりそうだけど)。

 現実に近いテーマであり、スケールが大き過ぎて破綻しないだろうかという心配もあった一方、最初から犯人を特定していることでどこの国からウイルスが出たかという議論はしなくて済むといえるし、世界中で起きたパンデミックの影響を機内に縮図として表現すればいいわけだから、むしろ多くのことが省略できて、人類がいまだ手に負えずにいる問題をコンパクトに落とし込むにはいいアイディアだったんだなと。しかも、北朝鮮が崩壊した時に韓国に押し寄せかねない難民の群れをメタファーに使った『新感染 ファイナル・エクスプレス』(16)の成功で韓国映画はすでにパニック・ムーヴィーのフォーミュラは持っているわけで、同作の美術を手掛けたイ・モクウォンが機内の美術も担当したと聞けば、高速鉄道のなかで大量発生するゾンビをパンデミックに置き換えるだけですでに半分ぐらいはできていたとも思うし。また、飛行機が逆さまになってしまうシーンは韓国で10年以上人気が衰えない絶叫マシーン、ディスコパンパンのイメージをダブらせたのかなと。遠心力で振り落とされるのが楽しいディスコパンパンは、立ち上がったり、自撮りに挑戦する者もいるけれど、よく怪我人が出ないなと思う過激なアトラクション(https://www.youtube.com/watch?v=0xlZfoElzcE)。登場人物の心情とメリーゴーラウンドを同じ無限ループとして見せた『ベイビー・ブローカー』と同じく、大事な人を助けようとすると自分も犠牲になるという部分で重なるところがある。

 全体的には特定のヒューマン・ドラマを掘り下げず、ここ3年でパンデミックが引き起こした騒ぎを務めて表層的に描くことで、『非常宣言』はフィクションであるにもかかわらずドキュメンタリーに近いものとして追体験できる作品となっている。いまでは薄れてしまったけれど、人が咳をするだけで敏感になっていた感じや人との距離感が変わり始めた頃の生理的な行動様式など現実の世界で混乱を招いたファクターが細かく拾われていて、ああ、あんなこともあった、こんなこともあったと思う場面があちこちにあり、よくも悪くもSNSやスマホが世界の動きに影響しているところが過去のパニック映画とは決定的に異なっている。情報が伝わる速度が早いし、情報があらゆる方向から飛んでくるので判断力を失い、パニック度がいやでも上がる(フェイク・ニュースの類いがもたらす混乱は省かれているのに、それでもかなりややこしい)。ソン・ガンホ演じるク・イノ刑事は飛行機に搭乗しているわけではなく、同時進行で地上を走り回り、犯人の周辺を捜索していくうちにある製薬会社の存在にたどり着く。警察の動きは梨泰院クラッシュで見せた体たらくがウソのように機敏でムダがない。

 観ながら何かを考えるには適さない作品だけれど、それでも最初に引っかかったのはやはりエッセンシャル・ワーカーの認知のされ方。機内に感染が広がっているという情報が共有され、誰であれウイルスに侵されるとわかっても乗客と乗務員のヒエラルキーは強固なままで、むしろ乗客の要求は強さを増す。乗客の死は定石通り捨て駒のように描かれるのに対して乗務員の死が多少は丁寧に描かれているのは意図的なのだろう。1人ぐらい乗務員の仕事を放棄して責任をまっとうしない役回りがいてもよかったと思うくらい、乗務員は厳しい条件に置かれていることが印象に残る。次に気になったのは、事態を把握してすぐに「アメリカと連絡を取って」というセリフが無造作に出てきたこと。それは飛行機がハワイに向かっている便だったからなのか、それとも日常的に問題解決のパートナーとしてアメリカの存在が大きいのか。北朝鮮のミサイル情報をアメリカに確認する日本政府と同じ感覚が韓国にもあるということなのだろうか。亡くなった機長に替わってイ・ビョンホン演じるパク・ジェヒョクが操縦する飛行機は、しかし、アメリカに着陸を拒否され、(以下、ネタバレ。できれば公開後にお読みください))一転して進路を成田に向ける。最も考えさせられた展開がここから。アメリカ同様、ウイルスに感染した乗客が乗った飛行機の着陸を認めなかった日本は自衛隊機を差し向け、旅客機に向かって機銃掃射を始める。着陸を認めないという判断はわかるものの、明らかに民間機とわかっていて発砲する国だと日本は思われているのか。現在の日韓関係がこのシーンには凝縮されている。このシークエンスはさすがに切なかった。

 パク・ジェヒョクたちが経験する苦境はしかし、最終的に本国である韓国に戻ることも拒否されるところからストーリーは最後の佳境に入っていく。政府は必死になってワクチンを探し出し、着陸地点が決定されるも、感染の拡大を恐れた国民の半分が着陸に反対し、空港の滑走路を反対派のデモ隊が占拠する(賛成のデモ隊と衝突する)。飛行機の乗員も乗客も着陸を断念し、パク・ジェヒョクがどこへ進路を定めたかは不明。このあたりは少し韓国の大衆的な美学が色濃く投影されているのか、死の予感が作品全体を妙なテンションで包み込んでいく。そして、ク・イノ刑事は「死の予感」を超える「死の予感」でこれを乗り越えようとする。拡大自殺を図る犯人と飛行機の乗員・乗客、そしてク・イノ刑事はいわば3通りの死をプレゼンテーションし、3通りの結末が導かれていく。この作品で自己犠牲がヒーローの要素になっていることは間違いないけれど、犯人が拡大自殺を図る動機も刑事が飛行機を救おうとする動機も「母を強く思う気持ち」とリンクしていることが示唆されていて、いわば母との関係が人を殺しもし、人を助けもするという対比になっている。これらを図式的に整理してみると「母を強く思う気持ち」と「自己犠牲」のどちらかを持っているよりも、その両方を持っていることが韓国では最強のカードだということになる。それと同時に政府側の総指揮を取るのは大統領ではなく若い女性大臣というのも見逃せず、いわば主人公たちは母を思い、若い女性と力を合わせて娘を守るという図式も見て取れる。未曾有の問題解決にあたって年寄りの男がまるで必要とされず、日本だと『シン・ゴジラ』で官邸メンバーがずらっと並んでいたのとはだいぶ違う。

 同じく飛行機を舞台とした作品で、サイモン・ウエスト監督『コン・エアー』(97)にもヒューマン・ドラマを掘り下げる要素があればもっと名作になっただろうと思うように、『非常宣言』もパンデミックの記憶がない世代が観る頃にはディティールやリアリティは共有されず、いわゆるエンターテインメント作品として認識されるだけだろう。現在、小学生か中学生ぐらいの子どもが10年か20年後に観たら、どのように感じるのか、その方が気になるというか。ちなみにソン・ガンホやイ・ビョンホンは本サイトでも何度か触れていて説明不要だと思うけれど、犯人役のイム・シワンが主役を務めた韓国ドラマ『他人は地獄だ』(19)はめちゃめちゃ怖くて、それこそソウルに行くのも怖くなるぐらいだったことをあえて付け加えたい。『他人は地獄だ』で死ぬほど怖い目に合わせられたイム・シワンが錯乱して『緊急宣言)で復讐を果たしたと考えた方が納得がいくほど……

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