Home > Regulars > Random Access N.Y. > vol.135:レズビアンの結婚式
2022年10月、友だちが結婚した。
彼女(Kelsey、以下K)は、昔カフェで働いていたときの同僚で、英語があまり話せない私を、アメリカ文化にどっぷり浸らせ、私をアメリカ人に仕立て上げた人である。典型的アメリカ人のKは、フレンドリーでお洒落とお酒が大好きで、噂話も大好き。仕事が終わったら一緒にバーに行ってまだしゃべるまだしゃべる、という楽しい日々を過ごしていた。ファッション・デザイナーになるのが夢だというKは、よく自分のアイディアを話してくれたし、芸能人や友だちの洋服チェックは欠かさなかった。
私たちは「サンディ・ファンディ」という日曜日に集まるグループを作り、毎週集まっていた。みんなで一緒にオスカーやグラミー賞などを見ると、Kは、まーうるさい。一人一人の洋服に「この方がいい」「この色はない」「洋服はいいけど、ヘアスタイルとあってない」「私ならこうする」など、手厳しい意見を連発する。そんなKはある日、自分の洋服ブランドを立ち上げると、ウエブサイトを見せてくれた。そこにはフリルのついた素敵なドレスや、シースルーのドレス、ラヴリーでKらしいデザインがたくさん載っていた。ただ、かなり凝ったデザインで、値段も普通の人には届かないお値段だった。作るのもプロモーションにもお金がかかるのでははいかと訊いたら、彼氏にお金を出してもらうと言った。そして、彼氏とは遠距離で、たまにNYに来るときに遊ぶと言った。そんなので寂しくないのかなと思ったが、Kは夢をかなえるため、まっしぐらに進んでいた。
そうしているうちに働いていた仕事場がクローズし、Kと会う時間も少なくなった。ある日、失業保険をもらうためオフィスを訪ねたらKと会った。お互いの近況報告をすると、kは彼氏と別れたと言った。かなりのドタバタ劇だったようだ。さらに、Kはお酒をやめるとも言った。Kは、Kのスペシャル・ドリンク(通常の倍の量のジンを入れたジントニック)まであったほどに、お酒が大好きだった。それがどうしたことか。お酒を飲むと記憶がなくなり、クリエイティヴなことができなくなると、Kはじつにまっとうな意見を言った。それからサンディ・ファンディに来る頻度も少なくなって、来たとしてもクラブソーダをちびちび飲んでいて、昔のようにぶっちゃけた話もしなくなった。彼氏と別れてから、「彼氏より仕事」と言っていたし、Kは夢に向かっているんだなと私は尊敬していた。じっさいKは、『ヴォーグ』に載ったかと思うと、有名ミュージシャン(リゾ、ロード、ジャパニーズ・ブレックファースト、チャーリー・ブリス、クルアンビンのローラリーなど)の洋服のデザインを手がけるようになり、たくさんのメディアに登場するようにもなった。そんな忙しいなかでも私のバンドのミュージック・ヴィデオの洋服をスタイルしてくれる、友だちだち思いのKなのだった。
コロナがはじまり、テキストで連絡する以外はKにまったく会えなくなり、彼女の活躍はインスタグラムで見るぐらいになった。たまには会いたいと思ったが、Kはお酒を飲まないし、そのうえKは、子宮がんで闘病している共通の友だちの世話をしていた。彼女の看病のためにKは誰にも会わないし、会えないと言った。
Kの看病もむなしく彼女は亡くなり、お葬式で久しぶりにKと会った。「Yoko久しぶりー」と目に涙をためながら話してくるKは、隣の女性を「私の彼女」と紹介してくれた。「Kからたくさんあなたのこと聞いてるよ」と紹介されたPは、とても気さくで、どちらかと言えば男の子っぽい感じの人だった。いつの間に女の子と付き合うようになったんだろうと思ったが、Kはもともとバイで、男も女も好きだったようだ。隣に座るといつもすり寄って来るし、お別れするときは、とびきりのハグをしてくれる。
Kの「彼女」PとはAA (アルコールに問題がある人達が集う集会)で出会い、ズタズタだったKを助けてくれたという。弱っているときに助けられると運命を感じますよね。数か月後、Kから「Save the date日程を開けておいてね」のポストカードが届いた。1年後の2022年10月に結婚式を挙げるという。
ミレニアル世代のKの周りは、ゲイ、レズビアン、トランスジェンダーなど、自分に正直で伝統的でない人が多い。私の周りにもジェンダーを変更していた人がいて、久しぶりに会うと戸惑ったことがある。コロナ前は男だったのに、いまは名前も変わって、スカートを履き、メイクをし、「hi Yoko!」と何食わぬ顔で挨拶してくれる。彼女は、声はそのままだが仕草もメイクも女の子で、以前より輝いて見えた。
かつての私の同僚にフランス人の女の子がいて、彼女はKの友だちと結婚していた。彼Tは、アメリカ人で彼氏がいる。私は、先にTの彼氏を紹介してもらっていて、仲良くなった後に彼女と会ったので「???」だったのだが、結局はビザの問題だったようだ(彼らはまだ離婚していない)。ちなみに、フランス人の彼女とTの結婚式の司式者がKだった。Kはそんなことも(人に結婚をさせてあげられるの)出来るのねーと驚いた。いままで私がアメリカで出席した3回の結婚式のうち2回がこのように友だちが立会人だった。結婚式で、さっきまで普通に話していた人が式になると牧師さんの格好に正装し、二人の間に立って指輪交換をさせる。そして、「あなたは、誰々を妻とすることを誓いますか」などと言う。それには免許が必要なのだそうだが、これを持っている人は意外と多い。「I can marry you」などと言われるので、「私と結婚したいの?」とドキマギしたこともあった。
Kの結婚式の2022年10月。場所はアップステートの農場で、3泊あるので旅行気分で行った。
まずは、メリーゴーランドのあるホテルでウエルカム・パーティ。彼女がお酒を飲まなくなってもう6年目で、キラキラのトップを着たKはとても幸せそうに見えた。その隣にはPがいる。彼女たちの衣装は、もちろんすべてKがデザインした洋服だ。「エルトン・ジョンとシェアが結婚式に出るとしたら」というテーマだそうで、彼女たちは大きいサングラスを掛け、キラキラの洋服を着て、羽をつけ、いまからコンサートに出るような恰好をしていた。
以前会ったことのあるKの両親とも話せた。KのママもKに負けないくらいキラキラした洋服で、まぶしかった。Tも、Tのお姉さんも来ていて、家族ぐるみの付き合いなんだなと思った。
女と女の結婚式なので、ウエディングドレスは二人で同時に着るのかと思えば、最初はKが豪華なフリルのついたウエディングドレスで、Pがネイビーの刺繡の入ったスーツ。そのあとに二人で白のミニドレスを合わせたり、カジュアルなドレスを着ていた。
司式者はTだった。彼はこの日のために免許を取ったらしい。もうひとりKの友だちも司式を担当。二人の司会で二人をナビゲートし、指輪を交換させ、涙が出る感動的な結婚式をサポートした。最後に「NY州の法律に従い、二人を妻と妻として認めます」というところで「女と女の結婚式なんだ」と思ったががあまりにも自然すぎたし、この世でひとつだけの美しい結婚式だった。
カクテル・パーティ、ディナー・パーティ、音楽演奏(彼女のためにオーストラリアから駆け付けた、有名インディ・バンド)、スピーチ、ダンス・パーティ、キャンプ・ファイアー、など、楽しい結婚式となった。久しぶりに会うサンディ・ファンディ仲間もいたし、子宮がんで亡くなった彼女の写真もパーティ会場に飾られ、彼女の両親も来ていた。
彼女たちの両親は「PはKにピッタリ」などお互いを大絶賛。パーティを盛り上げるDJもノリノリで、両親もボスも踊った。コロナ以降こんなに汗だくになって踊ったのは初めてだ。Kはコロナに長いあいだ慎重になっていたが、最近になってようやくパーティ、イベントなどを企画しはじめている。ミセスKとしてまた新しい物語がはじまるのだろう。最高な結婚式をありがとう、心からおめでとう、K!