Home > Regulars > Random Access N.Y. > vol.97:『イン・ジ・エアロプレイン・オーバー・ザ・シー』20周年に寄せて
ニュートラル・ミルク・ホテルの『イン・ジ・エアロプレイン・オーバー・ザ・シー』。私が、アメリカに来るきっかけを作った、エレファント6の代表作が20周年を迎えました。
このアルバムが〈マージ〉より発売されたのは、1998年2月10日。20年前の先週の土曜日で、このアルバムは2000年になるまでに伝説になりました。ニュートラル・ミルク・ホテルことジェフ・マンガムは、『イン・ジ・エアロプレイン・オーバー・ザ・シー』をリリースした後、シーンから姿を消したのです。
ジェフは、ルイジアナ州のラストンの3人の友だちで作った音楽集団、エレファント6(E6)の創設者の一人で、「音楽で世界を変えよう」というコンセプトでE6ははじまりました。ジョージア州アセンスに拠点を置き、アップルズ・イン・ステレオ、オリヴィア・トレマー・コントロール、エルフ・パワー、オブ・モントリオール、ミュージック・テープスなど、60年代のサイケ・ポップから枝分かれした、現代的方向を持ったバンドとのネットワークを広げていきました。
デンバーのアップルズ・イン・ステレオのペット・サウンズ・スタジオでレコーディングされた『イン・ジ・エアロプレイン・オーバー・ザ・シー』は、90年代に愛されたインディ・レコードというだけでなく、時代を超えてもっとも愛された1枚になりました。
当時のE6は、インディ・ロックのブームの中心でもありました。90年代のジェフは、96年に1枚目の『オン・アヴェリー・アイランド」をリリースし、カウチ・サーフィンをしながらツアーを続け、たくさんのE6プロジェクトに参加しました。ステレオがあるところに行くと彼がいる、とまで言われるほど精力的に活動していました。そしてセカンド・アルバムにあたる『イン・ジ・エアロプレイン・オーバー・ザ・シー』を1998年に発表、その年に北アメリカ、ヨーロッパをツアーした後、シーンから唐突に姿を消しました。
私は1996年頃、アセンスに居て、毎日、E6の仲間と過ごしていました。当時、インディ・バンドを見るためにアメリカ中を旅をしていた私は、LAでアップルズ・イン・ステレオ、オリヴィア・トレマー・コントロール、ミュージック・テープスのショーを見て以来、彼らのファンになりました。彼らのコミュニティ、彼らの音楽に引き込まれ、誘われるままにアセンスに来たのです。
そこにいる人たちはみんなミュージシャンでした。オリヴィア・トレマー・コントロールの家に居候していると、いろんな人がやって来ました。狭いアセンスのコミュニティでは、すぐに他のバンドとも仲良くなり、彼らの音楽に没頭していきました。ユニークな音楽人に囲まれ、居心地もよく、こうして私はアメリカに住もうと決心します(結局NYに引っ越すのですが、NYにいると、彼らに定期的に会えるのです)。
ミュージック・テープス/ニュートラル・ミルク・ホテルのジュリアンの家を毎日のように訪ね、彼の夢(サーカス/遊園地のようなショー)を聞くようになった頃、ハウスメイトのジェフにもよく会いました。彼は少し挨拶した後、直ぐに奥に引っ込み、ベッドルームでレコーディングしていました。ジェレミー(NMHのドラマー)と一緒に家に行っても、2人はベッドルームからなかなか出て来ませんでした。
ジェフはほとんどど引きこもっていて、町を歩く、必ず顔見知りに会うアセンスでも、彼の姿を見かけることはほぼありませんでした。レコーディングに没頭していたのでしょう。そういう意味では、近くにいるのにニュートラル・ミルク・ホテルはいつも遠く感じました。
それでもしかし、『イン・ジ・エアロプレイン・オーバー・ザ・シー』は、他のどのE6アルバムよりたくさん聴きました。子供の頃の幻想的な夢と機能しない家族について、アンネ・フランクの日記に影響され、ナチスに人質になった彼女を助けたいと夢見るファンタジー、セクシャルな描写を暗喩に含んだ歌詞、倒れそうな無限の勢いのギターと涙を誘うシンギング・ソウやブラス楽器の音が、よりドラマティックにサイケデリックに1曲1曲を磨いています。まるでホーンのように力強く響く彼の声からは悲しみが漂います。そして何度聴いてもアルバムの神秘的な部分には触ることはできません。
2002年のピッチフォークのインタヴューで、ジェフは、「音楽は癒されるためにある」と語っています。しかしこれは癒しではなく、もっと切迫詰まっている気がします。
1998年のツアー後、ジェフはオバマ政権の夜明け(2009年頃)まで世間に姿を見せませんでした。「ウォール・ストリートを占領せよ」でソロ・ショーをした後、2013年には突然バンドを再結成し、世界中をツアーしました。BAMでのショーを見ましたが、歳をとり、髭を蓄えたジェフの声はまったく衰えを感じさせず、人びとは彼を救世主のように見ていました。
1998年はプレ・インターネット期で、レコード屋に通い、1枚のCDを何度も聴いて、フライヤーを見ながらショーに通った時代です。足で探して辿り着いた彼の言葉だから特別に響いたのかはわかりませんが、「何か正直な物のために開いている窓は、長くは続かない」という“エアロプレインの窓”は、たしかにその後直ぐ閉じられました。
『イン・ジ・エアロプレイン・オーバー・ザ・シー』は、90年代のインディ・ロック黄金時代に存在しましたが、10年後の2008年にその年もっとも売れたレコードになりました。後から発見した人が語り継ぎ、どんどん伝説化していったのでしょう。20年経ったいまでも強烈な力を放つ、E6の、インディ・ロックの代表作なのです。
Neutral Milk Hotel
In The Aeroplane Over The Sea
Merge Records(1998)