「AY」と一致するもの

ダニエル・ミラーからのメッセージ - ele-king

みなさんこんにちは、ミュート・レコードのダニエル・ミラーです。
1978年のはじめ頃、ケンジントン・パークロードにあったRough Tradeショップでの出来事をよく覚えています。
ちょうど私がやっていたバンド"The Normal"の最初の納得のシングルを持ち込んだ時のことです。
その時に店番をしていた、Rough Trade創設者のジェフ・トラヴィスとリッチ・スコットがその曲を少し聴いてくれて、その場で契約してくれることになりました。
まさに人生が変わったような瞬間でした。
それによって私は、ミュートレコードを発足させ、自分が大事に思い敬愛するアーティストたちと一緒に働くことができるようになりました。
言ってみれば、それはインディペンデントのレコードショップが持つ最高の力であり、
アーティストをサポートし勇気づけるものだと思います。

もちろんその時からは音楽を取り巻く環境も大きく一変しました。
それでも、私は今でもインディペンデントのレコード店の力を信じています。
そこはミュージック・ラヴァーの中心であり、音楽をよく知る人々が
みなさんの音楽の好みを良く理解してくれています。

みなさんもご存じの通り、いますべての店が閉まっています。
しかし、彼/彼女らはオンラインサービスやメールオーダーを通じて営業しています。
私はみなさんにそのサービスを使って注文し、サポートていただくことを奨励します。
レコードショップが生き残るのはとても重要なことです。
現在起こっている危機は永遠に続くことはありません。
私たちは、ミュージックラヴァーやアーティスト、レーベルの未来についてよく考える必要があります。
どうぞ、みなさまお大事になさってください。
ありがとうございました。

MUTE創始者 ダニエル・ミラー

Zebra Katz - ele-king

 マイケル・フランティとロノ・ツェによるザ・ビートニグスやジーザス&メリー・チェイン“Sidewalking”など、1988年はインダストリアル・ヒップホップが生まれた年だった。アフリカ・バンバータとジョン・ライドンのタイムゾーン“World Destruction”が最初だという人もいるけれど、あれはどう考えてもインダストリアル・エレクトロ。クロームやキャバレー・ヴォルテール、あるいはDAFやスロッビン・グリッスルによるストイックでファナティックなインダストリアル・エレクトロを陽気な世界に解き放ったという意味で“World Destruction”は大きな分岐点をなすけれど、ここでは割愛。ジーザス&メリー・チェイン“Sidewalking”はラヴ&ピースに湧くレイヴ・カルチャーにダンス・ノイズ・テラーというカウンター・パートを促し、エイドリアン・シャーウッド率いるタックヘッドがその中核的存在だった。アルバム1枚で解散してしまったザ・ビートニグスはいわゆる発展的解消を遂げてディスポーザブル・ヒーローズ・オブ・ヒポプリジーとして少し路線を変え、92年にニューヨークで観たライヴはちょっと物足りなかったことも覚えている。ザ・ビートニグスに対して膨れ上がった虚像はその後もミート・ビート・マニフェストー、レニゲイド・サウンドウェイヴ、アレク・エムパイア、ココ・ブライス、ヴェッセル、クリッピングアレキサンドル・フランシスコ・ディアフラと続き、いまだに僕はインダストリアル・ヒップホップから逃れられない。黒人と白人の価値観が極端な形でクラッシュしている状態に強く惹かれてしまうからだろうか。ナイン・インチ・ネイルズもファーストは好きだし。

 そして、まさかこの流れにジブラ・キャッツが加わるとは思わなかった。ジブラ・キャッツことオージェイ・モーガンは2012年にディプロの〈ジェフリーズ〉から“Ima Read”でデビューしたダンスホールMC。この曲は当時、ファッション・ショーなどにも使われ、彼自身もグレース・ジョーンズをリスペクトするなどとてもファッショナブルな存在なので、そのまま一気にメジャーな存在になるのかと思ったら、その後の活動がどうもヘンだった。ジャマイカ系アメリカ人の彼はアメリカで大きく出るよりはイギリスの音楽に心惹かれるものがあったようで、グライムやベース・ミュージックを好むようになり、リリースもどんどんアンダーグラウンド化していく。かなりナゾのレーベルだったフィンランドの〈シグナル・ライフ〉から(フランスではその手の草分けとなった)フレンチ・フライとのカップリング・シングルまでリリースし、暗く沈み込むような“Sex Sellz”(13)はあまりに異様な曲だったので“Ima Read”の路線に戻ってくれ~とさえ思ったほど。この曲はちなみにレーベル・オーナーのティース(Twwth)によるリミックスがなかなか良いです。2014年からはディプロの〈マッド・ディセント〉に戻ってエルヴェやレイラとジョイント・シングルをリリースし、それきり姿を見ないと思ったら彼はゴリラズのツアー・メンバーに加わっていたという。ぜんぜん知らなかった。


 “Ima Read”から8年後となったデビュー・アルバムが、そう、驚いたことにインダストリアル・ヒップホップに様変わりしていたのである。冒頭からズガガガとノイジーにインダストリアル・パーカッションが打ち鳴らされ、まるでスロッビン・グリッスルかザ・ビートニグスのようで、“Sex Sellz”でも最低限度は保たれていたオシャレのラインは軽く踏み越えられている。ラップというよりはぶつぶつと語りかけるようにつぶやくのが最初から彼のスタイルで、それが不穏なサウンドトラックを得ることでこれまでになかった迫力を帯びている。歌詞の内容はダンスやセックスに関することが多いらしく、「赤面(Blush)」とかクンニリングスを思わせる曲名(Lick It N Split)が並ぶので、もしかするととても官能的な効果を高めているのかもしれない。“Monitor”ではダークなシンセ~ポップ、“Zad Drumz”ではジャングルやなども取り混ぜつつ、“Necklace”ではいきなりアシッド・フォークが来て、シンプルなトライバル・ドラムだけでドライヴさせる”In In In”や“Sleepn”が個人的には好み。”Moor”はそれこそレニゲイド・サウンドウェイヴを思わせる。そう、アルバム・タイトルの『Less is Moor』とは何だろうか。「Less is More」ならミニマリズムが流行っている現在、より少ないことが豊かさにつながるという意味だし、それに引っ掛けていることは明白だけれど、「More」ではなく「Moor」である。ムーア人のことであれば、北アフリカのブラック・ムスリムを表し、レイラとのシングルも「Nu Renegade EP」というタイトルだったので「レニゲイド=(キリスト教から)イスラム教への改宗者」という意味もあるから、より少ないことで二グロになれる」とか、そんな感じなのかなと。

 ……と、思い悩んでいたら、坂本麻里子さんからインタヴュー・マガジン(Interview Magazine)でムーア・マザーがジブラ・キャッツのインタヴューをしているよという情報が。それでピンと来た。『Less is Moor』をリリースしているのはムーア・マザーのセカンド・アルバム『The Motionless Present』をリリースしていた〈ヴァイナル・ファクトリー〉である。彼女の名前と掛けていたのである。インタヴューというよりはかなり雑談に近い2人のやり取りを読んでいると、それはますます確信に変わった。ムーア・マザーもジブラ・キャッツの作風が変わってしまったことに触れ、「ファック・ユー」度が少し増したと指摘している。アルバム・タイトルの真相はゴリラズのツアーに参加したことで、ジブラ・キャッツを取り巻く環境がかなり変化し、彼は自分もスタッフを増やして大掛かりな組織を組まなければやっていけないと感じたことに由来し、それを前提に様々な仕事のオファーが来るようなになったものの、それでも自分は最小限の機材や人数でやっているんだということを示したものだという。オープニングは“Intro To Less”、そして、充実した音楽を楽しんだリスナーはエンディングで”Exit To Void”へ投げ出される、という構成。なかなかの自信ではないだろうか。ムーア・マザーも「2曲ほどリミックスしたい曲がある」と告げるなどアルバムへの共感を様々に示している。また、同じインタヴューでジブラ・キャッツの作品が大きく変貌を遂げた裏にはシーガ・ボディーガ(Sega Bodega)というプロデューサーの存在が大きいと彼が話していたので、ほぼ同時にリリースされた『Salvador』(Nuxxe)というアルバムも聴いてみたところ、これもまた奇妙な内容のものであった。“Lick It N Split”にフィーチャーされているシャイガールも去年から気になっていたファッション系のラッパーで、おー、こんなところでつながるのかーという感じ。

 インダストリアル・ヒップホップ・ネヴァー・ダイズ!ということで。

実際に、今ほど魅力的で「プログレッシブ」な瞬間もないでしょう。
なぜなら、問題は「どうやって支払うのか」ではないと示されたからです。アレクサンドリア・オカシオ=コルテス議員

 「財政の絶大な力」を、今こそ発揮させるべきだ。

 この国はずっと死にかけていたのに、コロナ恐慌を機に覚醒したかのように、「政府はもっと金を出せ」と言う人たちが突如として増えた。新聞やテレビの報道でも「現金給付」や「消費減税」を求める視聴者や識者、コメンテーターの声が伝えられ、彼らが「ポピュリズム」だと揶揄して憚らなかった積極財政を後押しし、財政の門番ケルベロスのように座して動かなかったプライマリーバランス(基礎的財政収支)を覆そうとしているようだ。NHKでさえ「新たな借金に頼らざるを得ない状況と言えそうだ」として、緊縮財政の宣伝機関としての看板を下ろそうとしている。

 しかし、彼ら緊縮財政派の脳内にあった「財政破綻の危機」は一体どこに行ったのだろうか。コロナショックが訪れる前は--たとえ消費増税不況の最中にあっても--あんなに「国民一人当たりの借金は900万円」だと財政危機を煽っていたのに、たいした変わりようである。

 彼らの論理に則れば、政府が今般の不況対策として考える数十兆円規模の赤字国債を発行し、財政出動してしまったら、財政が破綻してしまうのだろうから、たとえ親の会社が倒産し進学を諦める子どもが増えようが、借金が膨らみ自己破産する人が増えようが、所得を失い首をくくる人が増えようが、何を置いても、赤字国債の発行と財政出動を阻止しなければいけないはずだ。でなければ、将来世代にツケを残すことになるからだ。

 ところが彼らはそうしてはいない。いったい、どういうことだろうか?

 これは、例え国債を発行して何十兆円も財政出動したとしても、彼らが従前からプロパガンダしていた「財政破綻」や「ハイパーインフレ」、「円の信認の毀損」などということは、絶対に起こらないことを、彼ら自身が認めてしまったかっこうになるだろう。

 多くの人が、政府の予算は集められた税金の中から支出していると勘違いしているが、実際の政府会計はそうなってはいない。今回のコロナ恐慌で明らかになったように、政府は税金という財源などなくても、自由に支出している(もちろん国債も税金で償還されてはいない)のだ。

 日本での経済対策費は15兆程度と予測されている--これは後程批判するとして--が、アメリカでは220兆円という前代未聞の巨額の経済対策を予定しているという。

 それもそのはずだ。アメリカのセントルイス連邦準備銀行のブラード総裁は、コロナ対策のための閉鎖行動により、米国の失業率が4~6月期に30%に達する可能性があり、GDPは50%低下するとの予測を3月22に発しているが、それほどのショックをもたらす未曾有の大恐慌がやってこようとしているためだ。

 この昨今の世論の変わりようについて、AOC(オカシオ=コルテス議員)とサンダース大統領候補の経済顧問・ケルトン教授の、3月24日のTwitterでのやりとりから要旨を少し抜き出そう。

事実として、今ほど魅力的で『プログレッシブ』な瞬間もないでしょう。
なぜなら問題は『どうやって支払うのか』ということではなかったと示されたからです。
政府に支払う能力があるかとか、兵站がうまく機能しなければならないという問題も、最初からなかったのです。
我々が今まで他人を人道的に扱ってこれなかったこれらの言い訳が、なぜ、突然煙の中に消え去ってしまったのでしょうか。 オカシオ=コルテス議員

経済への打撃を和らげるために、誰も2兆ドルの支出パッケージを税金で払おうなどと考えないでしょう。
もし税金で払おうとするのなら、それは狂気です。

政府は税金を原資とせず、インフレにならない限りは連邦支出を拡大できるのです。

議会は、財政支出法案を通したあと、FRBに特定の銀行口座に金額を書き込むように指示するだけです。
しかし、政府はその事実を認めませんでした。代わりに、すべてを「税金で支払う必要がある」と偽ったのです。ステファニー・ケルトン教授

 この二人は3/20のThe Interceptのラジオ番組でも対談し、コロナ恐慌に対する具体策も語っているので、ここからも要旨を抜粋する。AOCの言う魅力的で『プログレッシブ』な瞬間とは、どういうことだろうか。

インシュリンが買えず、苦しみ死にそうな人がいるのは今も、そして以前も同じです。
今、医療保険の欠如を緊急事態と考える人たちには、なぜ1ヶ月前、半年前、そして1年前に緊急事態ではなかったと考えたのかと問いたいです。
アメリカは死にかけていたのです。対処療法ではなく恒久的措置が必要です
問題の多くが相互密接であるため優先順位を付けるのは難しいですが、債務モラトリアムやUBI(ユニバーサル・ベーシックインカム)も講じる必要があります。そして今は出血を止めることが先決ですので、全ての働く人々への小切手給付も併せて必要です。
オカシオ=コルテス議員

今提案されている1兆ドルで不十分なら、さらに用意する必要もあります。
対策には二つの重要なことがあり、まず家計の現金流入を増やすこと、そして現金流出を止めることです。
企業の従業員に対する支払いのサポートや直接の現金給付も大事ですし、家賃や住宅ローン、納税や社保料、学生ローンの支払いのモラトリアムも重要です。
光熱費、住宅ローン、家賃、健康保険料をどれだけ猶予できるかによりますが、1兆ドルの対策では小さすぎるかもしれません。
3700万の雇用が来週には失われようとしている、カタストロフィーが雪崩になって押し寄せるのですから、できることは全てやるべきです。
ステファニー・ケルトン教授
出典:How to Save the U.S. Economy, With Alexandria Ocasio-Cortez and Stephanie Kelton

 また、上記のやりとりは筆者のブログでもまとめているので、興味あれば参照願いたい。

 AOCやケルトン教授は、政府や人々が、全ての人々の人権を再認識し、その権利としての医療や教育、社会保障制度を整備していくべきだと訴え、それこそが「プログレッシブな瞬間」だと捉えているようだ。

 日本に関しても、緊縮財政や消費増税でデフレ化した経済、そして自由貿易や規制緩和などのネオリベ政策によって、社会的資本はないがしろにされ、庶民の富を搾取し、富裕層がより富を貯めこむような、危機に脆弱な社会構造が作られてきた。公務員数は半数に削減されたばかりか非正規公務員は激増した。医療や社会保障費は削減され、感染症対策の要となる国立感染症研究所や地方衛生研、保健所の数や予算、そして大学の科学研究費や病院のベッド数までもが削られてきた。その結果、この20余年で国民の所得の中央値は120万円も減少し、貯蓄ゼロ世帯は全体の4割にも届こうとしている。独身女性の3人に1人が、子供の7人に1人が、そして高齢者の4人に1人が貧困となる格差社会が形成された。

 我が国はありとあらゆるものを「無駄」と判断し削減してきたが、国の「店じまい」でもするつもりだろうか。何かを無くすということは、そこで生まれる需要やGDPが消えてなくなるということだ。物事に過剰なまでの優劣をつけた結果、弱者が搾取され、格差が拡大したことは火を見るより明らかではないか。

 この国に生きる人々は、国を豊かにするための最も重要なリソースだ。それは優れた能力を持たない人間や、障碍を持つ人たちであっても同じだ。彼らには消費し、総需要を高めるという他に代えがたい能力がある。無駄なものなどない。それが今、その弱い立場の人たちを中心に悲惨な状況に追い込まれているのだ。

 未曽有の危機を前にした今になって、ようやく現金給付や消費減税すべきだといった積極財政を求める声が上がっているが、MMTerやポストケインジアンが言うように、最初から、国家の予算には上限などはなかった。

 ケネディ大統領とノーベル経済学賞を受賞したトービン教授も、1960年代からその事実を理解していた。「財政赤字も政府債務も、本来はインフレにならない限りはどんな規模でもいい。それ以外はタワゴト」なのだ。


出典:山本太郎街頭記者会見より

 危機の今だからこそ、誤り続けてき認識を変え、社会構造を転換しなければならないだろう。

 ケルトン教授と同じくMMTの創設者であるビル・ミッチェル教授(ニューカッスル大)は以下のように発する。

日本政府は、財政均衡論を振りかざすテロリストのような人たちの餌食になってしまった。テロリストたちは執拗に、(赤字国債を発行すると)財政破綻する、債券市場から見放されると主張して、それを国民に浸透させようと嫌がらせを続けてきた。
ビル・ミッチェル教授

 ミッチェル教授の言うテロリスト達によって、我が国は世界から「Japanification=日本型デフレによる経済停滞」と反面教師にされる存在にまで成り下がった。ハーバード大学元学長で米国の財務長官も務めたサマーズ氏の発言も以下に引用しよう。

パンデミックにより米国の経済は「Japanification」に直面した。
米経済には財政出動を半年も待つ余裕はない。
一段と積極的な財政政策が必要だ。
ローレンス・サマーズ元財務長官

 世界は今、コロナショックに端を発した大不況を経験しているが、Japanificationの重篤患者である日本では、昨年から、10~12月期のGDPがマイナス7.1%にも落ち込むという消費増税不況が始まっていた。そして今、コロナウィルスの感染爆発が待ち受ける。加えて、東京五輪が延期されることが決まり、その経済的余波も訪れるだろう。諸外国の何倍もの大きさの大恐慌が予測されることを忘れてはならない。

 しかし日本政府がその緊縮の呪縛を解き、苦しむ人々のために、そして国民経済のため対策を立てているとはとても思えない状況だ。

 3月25日現在、日本政府が予定する経済対策は総額で約15兆円と予想され、検討されてきた給付金政策には年収の条件等をつけ、現金ではなく商品券を配るという案に落ち着こうとしている。また消費減税は見送られ、休業補償の申請条件にも厳しいハードルが設けられる。

 こういった状況に対し、自民党の安藤裕議員を中心とするグループ、また国民民主党れいわ新選組の山本太郎氏共産党、そして立憲民主党の福田昭夫・落合貴之議員を中心とするグループは、政府に対し消費減税と積極財政を求めた。緊縮派と揶揄されてきた立憲の逢坂誠二議員でさえ、50兆円規模の対策の必要性に言及している。

 与党の非主流派と野党の非主流派が次々に声を上げる状況となっているが、この動きを絶対に政府を動かす国民運動とするべきである。今回のコロナ恐慌を機に、経済と社会のあり方を変革し、Progress(前進)させなければならないことを我々は学んだ。3月24日のツイッターでは、「#現金よこせ」というタグがトレンド入りしていたが、国民の声は明解なのだ。「財政の力」が絶大であることを、今こそ知らしめるべきだ。

今、何が起こっているかを見て、そして学んでください。
この危機を乗り越えたとき、私たちは、通貨発行政府の支出能力について、理解を向上させ、新しい境地を見るでしょう。
そのことがもっと必要になるのです。
ステファニー・ケルトン教授

最後に、我が政府に対して、私達市民が財政主権を有することを伝えるための署名ページを二つご紹介したい。

1)「消費税・新型コロナショックへの緊急財政出動を求めます」2020年3月22日薔薇マークキャンペーン提言
https://rosemark.jp/2020/03/22/rose_shock-1/

2)日本ベーシックインカム学会による「国債を財源に全ての国民に20万円ずつ給付する緊急提言」
https://onl.tw/bu3HybH

「Acid Mothers Temple vs COVID19」大作戦 - ele-king

 新型コロナウイルスの感染拡大により多くの国々でロックダウンが始まるなか、アシッド・マザーズ・テンプルは外出を制限されている人々のため、「Acid Mothers Temple vs COVID19」大作戦と銘打ち、コロナ狂騒の期間限定で過去にリリースした全作品をYouTubeにアップした。
 故ジェネシス・P・オリッジをはじめ世界中に熱狂的なファンを持ち、4月からの北米ツアー中止という苦渋の選択をしたばかりのAMTからの太っ腹な贈り物(その数およそ90タイトル!)とともに、この苦しい季節を乗り切ろう。

Acid Mothers Temple vs COVID19

4月9日から予定されていたAcid Mothers Templeの北米ツアーは、コロナウイルス拡散の渦中、最後の最後まで状況を静観し熟慮検討した結果、大変残念ながらキャンセル、延期と決定いたしました。
しかし今や全世界レベルでコロナウイルスが拡散し、各地で外出自粛、商業施設の休業閉鎖、イベントのキャンセルが相次ぐ中、Acid Mothers Templeから、外出自粛を強いられる皆様へ、ささやかな贈り物として、過去にリリースした全作品の音源を、このコロナ騒動の期間限定で、Youtubeへアップロードすることにしました。ライヴ活動を通し、我々の音楽を求める方々へ、直接届けられない現状だからこそ、この機会に我々が過去にリリースした膨大な作品群を、インターネットを通し、自由に聞いていただけるようにと思い立った次第です。この先もまだどうなるのか全く予想がつかない状況ですが、せめて我々の音楽が、今世界にあふれまくる不安を、少しでも払拭する手助けになることを祈って。


As the spread of the coronavirus continues to escalate, after careful observation and considered thought we have very reluctantly decided that we must cancel and postpone the Acid Mothers Temple North American tour that was scheduled to begin on April 9.

As the virus spreads across the globe, self-isolation and compulsory quarantine measures have been put in place in many countries, and concerts and other events are being cancelled as venues and businesses pull down the shutters. But as a small gift to everyone currently in isolation, for the duration of the pandemic we have decided to upload all of our previous releases to Youtube. In the current circumstances it is sadly impossible for us to bring our music to our fans live, but we hope you will get some solace and enjoyment from it on the internet instead. Who knows where the world goes from now, but for now we offer a prayer that our music, even in a small way, may help to counter the globally rising tide of anxiety.

Acid Mothers Temple Official YouTube Channel
https://www.youtube.com/channel/UCeRTV_iOE_loRiMciVwur-w/videos


R.I.P. Gabi Delgado(ガビ・デルガド) - ele-king

 ガブリエル・デルガド・ロペス、通称ガビ・デルガドが3月22日に死去していたことが複数の海外メディアで報じられた。61歳だった。死因は現在のところ公表されていないようだが、彼のキャリアにおけるもっとも有名なプロジェクト、DAFの相方だったロベルト・ゲイルが彼の死を確認しているという。
 ガビがヴォーカルを務めたバンド、DAF(ドイチュ・アメリカニシェ・フロイントシャフト )は、1978年にドイツで結成されたパンク・バンドであり、やがて磨かれるその際だったサウンド──言うなればジョルジオ・モロダーのパンク・ヴァージョンとも喩えられるエロティックかつパンキッシュなエレクトロニック・サウンドによって一世を風靡した。その影響はボディー・ミュージックからデトロイト・テクノ、ウェストバムから石野卓球などじつに広範囲にわたっている。

 DAFに関しては、1979年のファースト・アルバム『Produkt Der Deutsch-Amerikanischen Freundschaft』から第一期の最終作となった5枚目の『Für Immer』までのすべて必聴盤だが、1枚選ぶとしたら3枚目の『Alles Ist Gut』だろうか。ドイツ語のヴォーカルで「アドルフ・ヒトラーで踊れ」と挑発する彼らの代表曲“デア・ムッソリーニ”は、DAFそしてコニー・プランクの3人が作り上げた強力なエレクトロ・パンク・サウンドで、極度にマシナリーなリズムと凄まじいエロティシズムが混じり合う(まさにJ.G.バラード的な)並外れた曲のひとつである。
 名曲はたくさんある。最初は7インチ・シングルでしか聴けなかった“ケバブ・トラウム”は、のちの12インチ・ヴァージョンもふくめ人気曲のひとつだ。トルコ移民を排斥しようとするネオナチへのしたたかなカウンターだが、DAFの素晴らしいところは、そうしたきわどい政治性もエロティシズムとユーモア(ポップのセンス)に包んでしまうところだった。もちろん“Liebe Auf Den Ersten Blick ”を忘れるわけにはいかない。4枚目の『Gold Und Liebe』に収録された曲で、当時このPVを見たときには本当にぶっ飛ばされた。サウンドも動きもほかのパンクとはまったくの別モノである。

 スペイン生まれであるガビがラテン(ファンク)にアプローチしたソロ・アルバム『Mistress』も名盤であり人気盤だが、ぼくはDAF解散後のデルコム(Delkom)も好きだった。スエーニョ・ラティーノに触発されたであろう、サバ・コマッサなる女性とのプロジェクトのひとつで、1990年に発表された「Superjack」はラテン・クラフトワーキッシュ・アンビエント・ハウスの名作だ。ここでも機械へのフェティシズムとエロスとの融合が見事に具現化されている。
 
 DAFは卓球主催の〈WIRE〉にも出演しているが、ぼくは2014年の来日ライヴにも行った。ライヴは往年のヒット曲のオンパレードだったが、そこにガビ(とゲール)がいるだけでぼくは満足だったし、そこいた人たち全員もそうだったに違いない。ガビはたくさんのフォロワーを生んでいるが、結局のところそれは彼らにしかできなかった音楽だったし、いまだにDAFのようなバンドなどいないのである。

野田努

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 戦争があったことを忘れたがっている時期があった。矢作&大友の『気分はもう戦争』はそういうことに苛立ちを覚えて描かれたマンガであった。「『戦争を知らない子どもたち』を知らない子どもたち」という揶揄まで飛び出し、冷戦末期ともなると戦争は確かに現実味に乏しい行為であり、感覚でもあった。リリアーナ・カヴァーニ監督『愛の嵐』(74)に影響されて沢田研二やパタリロがナチスの制服を着てもとくにお咎めはなく、『トップ・ガン』や『ランボー』といった戦争映画もアクションを見せるための「背景」でしかなかった。ところが欅坂46がナチス風のファッションでデビューした際、世界規模で避難が巻き起こったことは記憶に新しく、第二次世界大戦を扱っているにもかかわらず『野火』のリメイクや『サウルの息子』の方が現代にとって切迫感や現実味を増していることは確かである。復興が最優先の時期には戦争のことは積極的に忘れたかったのかもしれない。そして、豊かになってから呼び覚まされる政治意識というものがあり、どこかでそれは入れ替わったのである。どこが転換点だったのだろう。僕はパンクもひとつのきっかけだったと思う。セックス・ピストルズがナチスの腕章を付けたスージ・スーたちとテムズTVに出演し、スロッビン・グリッスルはアウシュビッツ収容所を曲の題材とした(前者が”No One Is Innocent”でナチスの生き残りをベースに起用したというのはさすがにウソだった)。そして、ドイツではDAFが「Der Mussolini」をリリースした。タイトルはムッソリーニだけれど、歌詞にはアドルフ・ヒトラーがフル・ネームで5回も出てくる。それ以上の内容はなく、政治思想と呼べるものとはほど遠い。とはいえ、ドイツでアドルフ・ヒトラーの名前を歌詞にのせることはかなり挑発的なことだったはず。日本では角川文庫で普通に読めたけれど、2016年にバイエルン州が歴史の資料として『我が闘争』を復刊しようとした際もすさまじい論争が巻き起こり、ドイツでヒトラーに言及することが尋常ではないことを窺わせた。それを1981年に22歳のガビ・デルガドーは大胆にもやってのけた。♪ムッソリーのダンス、アドルフ・ヒトラーのダンス、ジーザス・クライストのダンス、共産主義のダンス、右に、左に、腰をくねらせ、手を叩く!

 DAFを先頭グループとするノイエ・ドイッチェ・ヴェレは全体に政治意識が強かった。パレ・シャンブルグは西ドイツの首相官邸の名称だし、アインシュツルツェンデ・ノイバウテンは活動の起源がそもそもスクウォッターズ運動に由来する。70年代にもバーダーマインホフのような政治運動と結びついたアモン・デュールや労働問題を背景にしたと思われるクラフトワークの『Man Machine』もあることはあったけれど、大半はタンジェリン・ドリームやアシュラなど逃避傾向の音楽に傾いていた。それらが一転してノイエ・ドイッチェ・ヴェレでは覆り、「独米友好」を名乗るDAFも戦後のドイツがアメリカに依存しすぎていることを皮肉ったネーミングだと推測させるものがあり、DAFという頭文字はナチス政権下の労働組織だった「ドイツ労働戦線(Deutsche Arbeitsfront)」とのダブル・ミーニングを狙ったものとしか思えない。明確な政治目標のようなものはなくても、豊かになった社会に少しでも波風を立てたい。あるいは逃避的な音楽が社会との接点を持ちたがらなかったのとは対照的に、ドイツに限らず世界中のパンクやニュー・ウェイヴはヒッピーとは逆に社会の注目を集めることに肯定的だったという価値観の転換にも誤差はなかったので、DAFも例外ではなく、最も効率よくそれに成功した部類に入るといえるのではないだろうか。とはいえ、DAFの歌詞は政治に比重が置かれていたわけではなく、官能的なものの方が多く、「アメリカのTVにプレスリーが現れた」ようなルックスや効果が与えたショックも大きかったことだろう。ピナ・バウシュのように官能性をいっさい排除したバレエが好まれる国であり、ドイツ産のポルノは世界中のどの国にも売れないと言われてしまうわけだから。

 “Der Mussolini”が収録されたサード・アルバム『Alles Ist Gut』は最高にカッコよかった。シンプルで威圧感も適度にあり、身体性を突出させたところが他のノイエ・ドイッチェ・ヴェレにはない魅力だった。シークエンスされたベースと生ドラムのズレも気持ちよく、パワーを全開にするだけでなく、“Der Räuber Und Der Prinz”のように力を溜め込むようなアレンジを施すことによって抑制された官能性を引き出した曲もまたよかった。だけど、僕はその直前に唯一のトリオ編成で録音された”Tanz Mit Mir”がいまだにベスト・ソングである。DAFがパンクだった時代の名残りをある程度フォーマット化し、疾走するリズムを追いかけるようにかき鳴らされるヴォルフガング・シュペールマンのひしゃげたギターが小気味好く神経を刺激する。この編成でアルバムが1枚あってもよかったよなと僕はいまでも思い続けている。そうすればDAFがパンク・バンドとして残す知名度ももう少し上がり、ノイエ・ドイッチェ・ヴェレのイメージももう少し分かりやすいものになったのではないかと。4人編成から2人に人数を減らし、3枚のアルバムをヴァージンに残したDAFは6作目となる『1st Step To Heaven』で、さらにサウンド・スタイルを変えていく。生ドラムを捨て、当時でいえばヒューマン・リーグやプロパガンダを追うようにしてシンセ~ポップに切り替えたのである。ミックス・エンジニアとしてこのアルバムに参加したトム・シィエル(後にサン・エレクトリック)に聞いた話では、このアルバムはほとんどガビ・デルガドーが単独でつくり上げたものであり、ロベルト・ゲールは(クレジットはされているものの)何もしなかったに等しかったという。通訳を介して聞いた話なのでニュアンスには自信がないけれど、ガビ・デルガドーはそれだけ責任感が強いとシィエルは訴えたかったようにも聞こえた。そして、その経験はおそらくガビ・デルガドーに次の時代をもたらすことになった。

 トム・シィエルの言葉を信じるならば『1st Step To Heaven』でドラム・プログラミングに取り組んだのはガビ・デルガドーであり、ヴォーカリストだった彼が機材と格闘したことは想像にかたくない。“Voulez Vous Coucher Avec Moi Part II”にはラべルのクラシック“Lady Marmalade”もサンプリングされ(ハッピー・マンデーズが“Kinky Afro”で丸パクリしたアレである)、1986年とは思えない技術の駆使である。『1st Step To Heaven』には収録されず、DAFにとってラスト・シングルとなった「The Gun」(87)にはハウスと表記されたリミックス盤もある(どちらかというと、これはニュー・オーダー“Blue Monday”などを混ぜたディスコ・ヴァージョン)。87年の時点で、つまり、J・M・シルクの“Jack Your Body”がリリースから1年をかけてイギリスのヒット・チャートで2週に渡って1位となり、ハウス・ミュージックがオーヴァーグラウンドで初めて認知された年にはガビー・デルガドーはハウスに興味を持っただけでなく、自らハウス・リミックスにも手を出し、ベルリンで最初にハウス・パーティを開いたとされ、翌年春にはDAFのバック・カタログから“Liebe Auf Den Ersten Blick”をジョセフ・ワットにリミックスさせるところまで一気に突き進んでいる。そして、「The Gun」から大袈裟なシンセサイザーのリフを取り除き、ベース主体のトラックとして生まれ変わらせたものを2年後にデルコム“Superjack”としてリリースする。DAFが2人になった時も引き算がネクストを生み出したとしたら、ここでも余計なトラックを間引いただけで次の段階に歩を進めたのである。ただし、“The Gun”から“Superjack”に至るまでには意外と長い試行錯誤も続いている。ガビー・デルガドーとサバ・コモッサが最初にタッグを組んだらしきFX名義“Freak”はソウル・サーチャーズを思わせるゴー・ゴーとニュー・ビートの中間のような曲調で、『Alles Ist Gut』に対する郷愁がほの見えるし、〈ロウ・スピリット〉からとなった2ハード・アウト・オン・ハイ名義“One Good Nite On Hi87”はエレクトロを基調とし、それこそトーマス・フェルマンズ・レディメイドのパクリっぽい。2ラティーノ・ジャーマンズ、フューチャー・パーフェクト、フューチャー(Futur)、アンティ~タイムと、なぜか曲を出すごとに2人は名義を変え、ようやくデルコム名義でアルバム『Futur Ultra』に漕ぎ着ける。しかし、これは808ステイトやジョーイ・ベルトラムがレイヴ・カルチャーをハードな様相へと向かわせた1990年には少し合わないものになっていた。この時期の2年間はあまりにも物事が急速に展開していった時期だった。

 91年にデルコムは2ラティーノ・ジャーマン名義で“Viva La Droga Electronica”をベルリン・トランスの〈MFS〉からリリースする。これはとても興味深いことで、89年にノイエ・ドイッチェ・ヴェレからダンス・カルチャーへと乗り換えた「先駆者たち」を集めたコンピレーション『Teutonic Beats: Opus Two』のラインナップを眺めてみると、簡単にいえばパレ・シャンブルグからトーマス・フェルマンやモーリツ・フォン・オズワルドが紆余曲折を経たものの最終的にはデトロイト・テクノを目指し、DAFがトランスに向かったという流れが見えてくる(新顔ではウエストバムやマイク・インクことヴォルフガング・フォイトも参加)。決定的だったのは94年にやはり〈MFS〉からリリースしたヴーヴ・デルコム・フォース名義“Generate Eliminate”である。それこそ808ステイトやジョーイ・ベルトラムの後を追ってハード・トランスにも手を出したとしかいえない曲で、デルコムと組んだヴーヴはリエゾン・ダンジュオーズ解散後にベアテ・バーテルがグトルン・グートと組んだマタドールでもミックスを担当するなど、この時期の要注意人物である。パレ・シャンブルグはホルガー・ヒラーがいたこともあって諧謔性のイメージが強かったし、骨太で官能的なリズムに執着のあると思えたDAFがトランスに向かうというのは、なんというか、逆ではないかという疑問を僕は長いこと拭いされなかった。それこそDAFはリズムだけを突出させたスタイルがボディ・ミュージックを生み出したと考えられていることもあり、リズムに工夫のないトランスに落ち着くのは納得がいかなかったと。しかし、おそらくそのようなイメージの元になっているのはロベルト・ゲールのドラムであって、ガビ・デルガドーには実はリズムに対する深い執着はなかったのかもしれない。ガビー・デルガドーがこだわったのはいつでもスタイルであり、ルックスが重要な要素だったDAFもそうなら、ハウスに手を出した動機も同じだったに違いない。そのことが最も強く表れているのはガビ・デルガドーにとって唯一のソロ作となった『Mistress』(83)である。あの時、彼はブリティッシュ・ファンクのブームに乗ろうとしたのだろう。彼は、そして、それを本当にカッコよく決めたと思う(あのジャケットにやられて僕はアロハ・シャツを集め始めるようになってしまった)。

『Mistress』というアルバムは、スイスに移住して作られたアルバムで、ドイツでは売れずに日本ではかなり売れたらしいけれど、ジャーマン・ファンクの伝統という耳で聴くと、70年代のファンク・ブームを支えたクラウス・ヴァイスの昔からベルリン・スクールやジャーマン・トランスを経て、現在のヴォルフ・ミュラーへと続く、揺れのないリズムを志向するドイツの国民性をあまりにも明瞭に浮かび上がらせ、その迷いのなさにはたじろがざるを得ない。ひと言でいうと音楽的にはあまり大したものでないにもかかわらず、スタイルだけで引きずり倒していく快感を教えてくれたのが『Mistress』だった。複雑な音楽性に耳が慣れていくことだけが音楽鑑賞ではない。デザインや時にははったりも音楽文化を構成する大事な要素である。そう、ブルー・ロンド・ア・ラ・タークやキッド・クレオールでは最後のところで満足のいかなかったラテン・ファンクのインチキ臭さをここまで存分に楽しませてくれたアルバムはほかになかった(キッド・クレオールのコーティ・ムンディはパレ・シャンブルグのプロデューサーも務めた)。コニー・プランクがスゴいのかもしれないけれど、ガビ・デルガドーが残したもののなかでは僕はどうしてもこれが最高の1枚であり、2枚の12インチ・シングルは愛聴盤の範囲を超えている。そうでなければフューチャー・パーフェクトやDAF / DOSまで追ってみようとは思わなかったし、『Mistress』でベースを弾いているバイセクシュアルの弟、エデュアルド・デルガドー・ロペスが参加するカスパー・ブロッツマン・マサカーまで追うことはなかった(カスパー・ブロッツマンはピーター・ブロッツマンの息子)。

 ヴーヴ・デルコム・フォースに思いっきり失望させられた僕はその翌々年、意外なところでガビ・デルガドーの名前を聞く。初来日したアレク・エムパイアが、彼の最初のマネージャーはガビ・デルガドーだったというのである。ある日、彼の前に現れたガビ・デルガドーがマネージメントしたいとオファーしてきたものの、アレク・エムパイアはガビ・デルガドーどころかDAFのことも知らなかったという。最初に聞いた時は僕も意外だったけれど、ヴーヴ・デルコム・フォースがハード・トランスをやろうとしていたことや、ガビ・デルガドーがDAFに加入する前はピート・ハインとチャーリーズ・ガールズというパンク・バンドを組んでいたことを知ると、そんなに意外でもないのかと思えてくる。ピート・ハインもノイエ・ドイッチェ・ヴェレのなかでは比較的ノーマルなパンク・バンド、フェルファーベンでヴォーカルを務め、ピート・ハインがファルファーベンを抜けてミタグスポーゼを結成した時にはガビ・デルガドーもDAFと掛け持ちでメンバーを務めていたことがある。ミタグスポーゼは吐き捨てるように「ドュッセルドルフの日本人!」と歌っていたグループで、さすがにあんまりいい気持ちはしなかったけれど、そのような攻撃性をクラブ・サウンドの文脈で実現していたアレク・アンパイアにガビ・デルガドーが惹かれてもおかしくないことは確かだろう。とはいえ、ガビ・デルガドーが本当に考えていたことは僕にはわからない。彼にとって最も大事なことはなんだったのだろう。2003年にDAFが再結成され、ドイツではナショナル・チャートを駆け上がったことや、2010年代には配信専門の〈ガビ・ユーザーズ・クラブ〉を設立して矢継ぎ早に彼はソロ・アルバムをリリースし始めた。そして、生前最後となった曲は“Tanzen(ダンス)”だった。R・I・P。

三田格

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 D.A.F.のヴォーカリストであるガビ・デルガドが逝去しました。この突然の訃報に大変な悲しみを感じております。ガビは、パフォーマーかつソングライターとして、果敢にその表現を前進させ続けてきたアーティストでした。彼は音楽とユース・カルチャーに関してとても強いヴィジョンを持っており、それによってバンドは全てのエレクトロニック・ダンス・ミュージックに多大な影響を与えることができました。その影響は今なお続いています。80年代に入ってMUTEの最初の作品「Die Kleinen und die Bosen」から最近に至るまでの数年間、ガビやD.A.F.と共に働けたことを、わたしはとても誇らしく思っております。D.A.F.のパートナーであるゲールと、彼の家族や親密だった方々にお悔やみ申し上げます。

ダニエル・ミラー(MUTE創始者)

RAINBOW DISCO CLUB "somewhere under the rainbow!" - ele-king

 新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を受けて、いま世界中の音楽シーンが大きな被害を受けている。大きなところで言えば、すでにUKではグラストンベリー・フェスティヴァルが中止を発表しているが、本来であればGWに開催されるはずだったRAINBOW DISCO CLUBもすでに中止を公表している。しかし、話はここで終わらない。彼らは4月18日(土)「somewhere under the rainbow!」と題して、12時間に及ぶ動画配信イベント(有料電子チケット制)をやることを決めた。出演は、DJ Nobu、Kenji Takimi、Yoshinori Hayashi、Licaxxx、CYK、machìna、Sisiなど。
 主催者によれば、「今回はドローンミラーボールなど〈RAINBOW DISCO CLUB〉の名演出を手掛けたREALROCKDESIGNが撮影を担当。まるで〝あの場所〟にいるような体験を視聴者にお届けするため〈東伊豆クロスカントリーコース〉にて映像収録を行います」とのこと。また、「新型コロナウイルスの影響によって、世界は日々深刻な状況に陥っており、 クラブやパーティー/フェスティバルが閉鎖や中止を余儀なくされ、多くの人が居場所を失っています。その中で自分たちがこの社会やシーンに対してできることはないか? それを考えて今回のイベントを企画いたしました」とコメント。
 動画配信を見るには電子チケット制ライブ配信サービス「ZAIKO」にて有料チケットを購入すること。早割価格(1,000円)は3月31日まで。4月1日以降は通常価格(2,000円)にて販売いたします。電子チケット購入者は4月18日(土)の配信後、1週間アーカイブを視聴することができる。
 来年は笑顔で会えることを願って、その日は家でダンスだ!
https://rainbowdiscoclub.zaiko.io/e/somewhereundertherainbow

■RAINBOW DISCO CLUB "somewhere under the rainbow!"

日 時:
4月18日(土)12:00〜24:00
※アーカイブ映像視聴は(4月25日 23:59まで)

出 演:
DJ Nobu
Kenji Takimi
Yoshinori Hayashi
Licaxxx
CYK
machìna
Sisi
and more

料 金:
早割(1,000円)※3月31日(火)23:59まで
通常(2,000円)※4月1日(水)00:00以降

配信 及び チケット購入:
https://rainbowdiscoclub.zaiko.io/e/somewhereundertherainbow

撮影・演出:
REALROCKDESIGN


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RAINBOW DISCO CLUB
主催者のステートメント

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「RAINBOW DISCO CLUB 2020」開催中止の発表からたくさんのメッセージやご支援いただいております。まず、そのことに感謝させてください。ありがとうございます。

新型コロナウイルスの影響によって、世界は日々深刻な状況に陥っているように思います。我々は、今回の開催中止によって生じた損害を補填すべく、クラウドファウンディングの立ち上げや振替公演の実現に向けて数日前まで奔走しておりましたが、その中で状況は刻々と変化しています。

欧米諸国でもクラブやパーティー/フェスティバルが閉鎖や中止を余儀なくされ、国境が封鎖される国も多く、我々同様に多くのアーティスト/プロモーターが損害を被り、仕事を失っています。同時に多くのダンスミュージックファンが居場所を失っています。

しかし、未知のウイルスに対して我々は団結して立ち向かわなくてはなりません。今は、人混みを避け、ウイルスの拡大を避けねばなりません。人を介したその先に、誰かが大切な人を失う可能性を想像しなくてはなりません。できるだけ社会活動を制限し、限られた家族や友人と慎重に行動することが重要です。

ただ、そんな中でも笑わなければならない。それはこの11年間の中で皆様から教わったことでもあります。

「RAINBOW DISCO CLUB」は多くの方々のご協力を得て、4月18日(土)に有料配信で12時間のパーティを開催することを決めました。初の試みとなりますが、東伊豆でのフェスティバル同様にベストを尽くします。

家に籠る時間が長くなる中で、特別な日にして欲しいと考えています。ホームパーティーを最大限に楽しめるグッズなど企画中ですのでぜひご期待ください。皆様の方でもこの日に向けて、ワクワクしながら準備して欲しいという願いを込めて、早割チケットのご用意もさせていただきました。

より多くの方に届けるため無料配信の可能性も考えましたが、すでに運営状況が厳しい中での動画配信となりますので、有料チケット制にて配信させて頂くことにしました。皆様のご理解・ご協力をいただけますと幸いです。

この企画は焚き火のようなものだと考えています、音楽を囲んで、踊り、語り合い、食事をし、よく笑い、よく愛し、暖まりましょう。

テリー・ギリアムのドン・キホーテ - ele-king

 なんというか、思い切りましたよね。消費税増税で庶民のサイフに大きくダメージを与えてから発生直後の新型コロナウイルスを国内におびき寄せる。高齢者の致死率が高いという情報は春節前からわかっていたわけだし、物流で動いている経済が麻痺し、株も大幅に下落すれば中流以下の国民がもっとビンボーになることは確実。そう、所信表明演説で言ってましたからね。今年は「出生率をアップさせる」って。名付けて「貧乏人の子沢山」作戦でしょうか。英語で言えば「オペレーション・ロッツ・オブ・プアー・ピープル」? 国民が貧しくなれば必ずや子どもをたくさん産むはず。どんな審議会が提案したんでしょうねー。いろんな審議会があるみたいですからねー。議会で話し合うのが筋なんですけどねー。

 というわけで『モンティ・パイソン』です。70年代のイギリスで炸裂したブラック・ユーモアの総本山。BBCのTV放送で初めて「シット!」と発音したのはセックス・ピストルズではなく、コメディアンのジョン・クリーズでした。クリーズと毎晩のように論争を繰り広げていたテリー・ジョーンズは、この1月に亡くなり、『ライフ・オブ・ブライアン』(79)をコメディ映画の最高峰と位置づけるブライアン・イーノも「安らかにお眠りください」とツイッターにメッセージを挙げていた。故人となったテリー・ジョーンズ、同じく故グレアム・チャップマン、そして、ジョン・クリーズ、エリック・アイドル、マイケル・ペイリンの5人は毎週、毎週、会議に会議を重ね、シャンデリアからぶら下げるのはヒツジがいいのかヤギがいいのかで朝まで議論し続けたというなか、モンティ・パイソンの一員でありながら、この会議に一度も参加しなかったのがテリー・ギリアムであった。「15秒空いたから、なんか作って」と言われて、いつもピッタリの長さでアニメを製作していたのがテリー・ギリアムで、彼はそう、『モンティ・パイソン』が83年に放送を終了してから、メンバーのなかでは最も知名度を上げた映画監督となっていく。『未来世紀ブラジル』(85)『フィッシャーキング』(91)『12モンキーズ』(96)と立て続けに管理社会を風刺しまくった挙句、『ラスベガスをやっつけろ』(98)ではゴンゾー・ジャーナリズムのハンター・S・トンプソンをアイコン化し、FKAトゥイッグスが本誌16号のインタビューでフェイヴァリットに挙げていた『ローズ・イン・タイドランド』(05)では貧困とサイケデリックを同時に描くという離れ業までやってのけた。そんなギリアムが構想から30年かけてようやく完成させたのが『ドン・キホーテを殺した男(原題)』。ジャン・ロシュフォールとジョニー・デップをキャスティングし、最初に撮影を始めたのが1998年(以下、ゴシップに属する話題は割愛)、ジェラール・デュパルデュー、ロバート・デュバル、ユアン・マクレガー、ジョン・ハートと次々にビッグ・ネームの配役が決定しては降板となり、最終的にジョナサン・プライスとアダム・ドライバーという布陣で最後の撮影を開始したのが2017年。プロデューサーも最終的にはデ・ラ・イグレシアやケン・ローチの作品を実現させてきたヘラルド・エレーロとマリエラ・ベスイェフシに落ち着いたという結果も興味深い。

 テリー・ギリアムの映画に出ることを熱望していたというアダム・ドライバーがまずはいい(ドライバーいわく、景色がとても美しいので「演技がひどい時は、山を見てくれればいい」!)。オープニングでドライバー演じるトビーはスペインに赴き、『ドン・キホーテ』をモチーフとしたCMを撮っている。近いところではマーティン・スコセッシ(スコシージが正しい)監督『沈黙 -サイレンス-』やスパイク・リー監督『ブラック・クランズマン』(https://www.ele-king.net/review/film/006767/)でシリアスな演技が印象づけられていたために、CMの撮影がうまく進まず、いらいらしているだけで彼の演技は妙におかしい。プロデューサーの妻(オルガ・キュリレンコ)と浮気をしているトビーが、そして、怪しげな物売りから買ったDVDを再生してみると、それは自分が学生時代に撮った『ドン・キホーテを殺した男』。撮影した場所は自分たちがいまいる場所の近くで、CMの撮影現場を放棄したトビーは彼の映画に出てくれたハビエル(ジョナサン・プライス)やアンジェリカ(ジョアナ・リベイロ)がいまはどうしているのかと探しに行ってしまう。学生時代にトビーが撮った『ドン・キホーテを殺した男』は絶賛され、彼を映画界へと導いてくれたものの、彼が実際に進んだ道はCM業界であり、新しい時代に生きる古い男という原作の主題がここではそれとなく重ね合わされている。CM業界では生きられない。彼が本当にやりたかったのは映画ではなかったのかと。そして、彼はかなりややこしい手順を踏んでハビエルを見つけ出す。トビーが学生時代に出会った時、ハビエルは靴職人で、トビーの描いていたイメージにピッタリだったという理由でドン・キホーテを演じてもらったのだけれど、(以下、ネタバレ)10年経ってもなお、ハビエルはドン・キホーテであることをやめていなかった。「戻ってきたのか!」とハビエルは叫ぶ。囚われの身となり、見世物にされていたハビエルを解放すると同時に火事を出してしまったトビーは警察に追われることになり、気がつくと自分はサンチョ・パンサの位置にいる。そして台本通りに2人は、そのまま冒険の旅に出る!(……あとはもう滅茶苦茶でござりまする)。

 こ、これが30年かけて撮りたかったことなのかと驚くほどくだらない。管理社会とか様々なディストピアを描いてきたテリー・ギリアムはどこへ……。わー。この作品はしかし、17世紀に書かれた原作がメタフィクションであることを忠実に再帰させているだけでなく、ドン・キホーテの物語が語られているということを何度も思い出させるところは『バロン』や『12モンキーズ』との接点も見えやすい。テリー・ギリアムだけでなく、吉田喜重監督『血は乾いている』(60)やデヴィッド・クローネンバーグ監督『ヴィデオドローム』(83)など「現実と虚構の区別がつかない」というセルバンテスの主題を20世紀以降のメディア社会にあてはめて反復させた作家たちは少なくない。それらは複製に疎外される主体というモチーフを好み、悲劇として描かれることがほとんどだったけれど、リアリティTVの浸透とともに様相は変化し、ロン・ハワード監督『エドTV』(99)では「見られる」は「見せる」へと能動的な主体に転出し、ケイシー・アフレック監督『容疑者ホアキン・フェニックス』(10)になるとリアリティTVのフェイクを先に仕掛けるという荒技まで飛び出してくる。もはやセルバンテスのような滑稽さは存在せず、リアリティTVが民主化したともいえるSNSが普及したことで、たとえばツイッター上でメタフィクショナルな人格を交錯させることはごく日常的な操作となり、複数のアカウントを持つことで人格分裂も簡単になってくると、アバターを機能させない主体の方が人間存在として不自由だと言えるほどである。『ドン・キホーテを殺した男』は、そういった意味ではノスタルジックなメディア環境を思い出させ、「なりすまし」がまだ「なりきり」だった時代のユーモア感覚を蘇らせた作品だと言える。ナチョ・ビガロンドやアリ・フォルマンといったインターネット世代の監督たちが現代の悲劇を炙り出す一方、複製によって主体が疎外されていた時代そのものを喜劇として捉え直すことで『ヴィデオドローム』や『12モンキーズ』の時代が終わったことを告げ知らせているとも。表立ってはいないけれど、移民差別の問題を盛り込む手腕も見事だし、全体に美術やヘア・メイクの完成度の高さ、あるいは原作を尊重してスペインをロケ地に選び、ペドロ・アルモドバルの諸作でおなじみロッシ・デ・パルマをキャスティングしていることも嬉しい。

 蛇足ながらこの冬、細野晴臣がTVドラマ初出演となった清水康彦監督『ペンション 恋は桃色』(フジテレビ系)や山下敦弘監督『コタキ兄弟と四苦八苦』(テレビ東京系)もコメディとして出色の出来であったことを付け加えておきたい。斬新な設定を用意するわけでもなく、ごく日常的なドラマを描きつつも新しさを感じさせた前者に、『傷だらけの天使』の右肩下がりヴァージョンみたいだった後者と、どちらもまだまだ観たかった。笑いたかった。

映画『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』予告編

ele-king Recommend! CD series - ele-king

音楽は最前線こそおもしろい!
いま日本では内容が良いにもかかわらず、しっかりと紹介されない音楽が増えてきている。
そんな逸品たちを埋もれさせないために始動したCDリリース・シリーズ、
「ele-king Recommend!」が展開中です。

Vladislav Delay - ele-king

 サウンドによる黙示録か。ノイズによる終末論の終焉か。リズムによる世界への闘争/逃走か。いや、崩壊する世界への黙祷か。

 ソロとしては2014年の『Visa』以来となるフィンランドの電子音楽/音響を代表するヴラディスラフ・ディレイの新作『Rakka』は、暴風のごときノイズが吹き荒れる極限のインダストリアル/テクノに仕上がっていた。例えるならば極北のインダストリアル/テクノ。そのミュータント的音響が時代の終わりと始まりを告げるだろう。
 もちろん彼の音は、00年代初頭にリリースされた〈Mille Plateaux〉や〈Chain Reaction〉よりリリースされたアルバムからして通常のミニマル・テクノやミニマル・ダブの音響を逸脱するものでしあったし、続く10年代も同様である。〈Raster-Noton〉からリリースされた『Vantaa』『Kuopio』はレーベルカラーどおりの重厚な電子音響テクノに仕上がっていたし、ミカ・ヴァイニオ、デレク・シャーリー、ルシオ・カペーチェらとのヴラディスラフ・ディレイ・カルテット(Vladislav Delay Quartet)のアルバムはノイズとダブに塗れた強度に満ちた実験ジャズの混合体だった。自身の〈Ripatti〉から発表したソロ前作『Visa』も真冬の音響のようなエクスペリメンタルなアンビエンスを生成する作品であった。

 だがこの『Rakka』は、それらの作品すべてを越境するようなノイジーなアルバムへと変貌を遂げていたのである。これには心底から脅かされた。ミニマル・ダブと、その音響工作が行き着いた先とも思った。いささか大袈裟な言い方を許して貰えれば、ベーシック・チャンネルとモノレイクの音響を越えようとする意志すら感じられほどだ(10年代の先端/尖端音楽はミニマル・ダブ以降のサウンドなので、本作はその意味では2020年代のサウンドとも言うことはできる)。
 どうやらヴラディスラフ・ディレイは『Visa』以降、所有した機材をすべて売却し北極圏へと旅に出たらしい。おそらくは人の存在を無化するような大自然のなかで彼の耳と知覚は大いに刺激を受けたのだろう。そこで得られたさまざまなインスピレーションによって本作品は制作された。
 確かに本作のサウンドスケープは北極圏の気候そのもののように過酷である。だが乾いた音の質感は極めて人工的だとも感じた。じっさい本作には環境録音の素材は使われていないらしい。つまり完全に人工的な音によって、ヴラディスラフ・ディレイは大自然の咆哮を生み出したわけだ。加えて強烈な音の横溢の向こうに掠れたビート(の残骸?)が反復している。このアルバムは極めてエクスペリメンタルなサウンドでありながらダンス・ミュージックであることを捨て去ってもいない。ノイズやサウンド、ビートが身体に与える影響を長年のキャリアから熟知しているベテラン・アーティストならではのエクスペリメンタル/フィジカルな音響がコンポジションといえる。

 アルバム1曲め “Rakka”、2曲め “Raajat” は本作を代表するようなトラックだ。ノイズ・アンビエントと不規則な打撃音による強烈な音響空間が耳を拡張する。壊れたマシンが再想像したような崩壊的なEBMのごとき3曲め “Rakkine” はさらに覚醒的である。5曲め “Rampa”、6曲め “Raataja” は打撃音のようなリズムが全面化するトラック。剃刀のような鋭利なノイズとビートが交錯し、ミニマル・テクノとノイズがミックスされていく。本作のクライマックスを明示する曲といえよう。
 アルバム全体から感じられることは、構築への意志が即座に崩壊へと至るような感覚だ。ノイズの構築からビートの崩壊へ。音響の生成から音楽の消滅へ。崩壊空間のさなかに吹き荒れる暴風のごときノイズの蠢き。すべてをゼロへと遡行させるような強靭な意志が本作の隅々に鳴り響いている(サウンド・アーティストAGF(ヴラディスラフ・ディレイの妻でもある)によるアートワークも本作の終末論的なイメージをうまく表現している)。

 リリース・レーベルはシェイプドノイズが主宰する〈Cosmo Rhythmatic〉。これまでもミカ・ヴァイニオとフランク・ヴィグルーの共作、シャックルトン、キング・ミダス・サウンド、ダイ・エンジェルなどのアルバムを送り出しており、リリース数は多くはないもののエクスペリメンタル・ミュージックの最先端を提示する貴重なレーベルである。その最新カタログにヴラディスラフ・ディレイの最新作が加わったことはことのほか重要に思える。この作品はテクノ、ミニマル・ダブ、ノイズなどのアマルガムであり、その終末論的なムードも含めて現在進行形の尖端音楽の見本のようなアルバムなのだ。同時に、同じくフィンランドのミカ・ヴァイニオ亡きいま、彼の意志とノイズを継承する作品ではないかとも思った。そのような意味でも〈Cosmo Rhythmatic〉からリリースされたことも当然といえよう。

R.I.P. Genesis P-Orridge - ele-king

野田努

 ジェネシス・P・オリッジが3月14日の朝に他界したと彼/彼女の親族が発表した。白血病による数年の闘病生活の末の死だった。

 いまから70年前の1950年、マンチェスターに生まれたジェネシスは、大学のためにハルに引っ越すと70年代初頭はコージー・ファニ・トゥッティらとともにパーフォーマンス・アート・グループ、COUMトランスミッションのメンバーとして活動し、1976年からはロンドンを拠点にコージー、クリス・カーター、ピーター・クリストファーソン(2010年没)らとともに後のロックおよびエレクトロニック・ミュージックに強大な影響を与えるバンド、スロッビング・グリッスル=TGのメンバーとして音楽活動を開始する。

 TG解散後の1981年、ジェネシスはあらたにサイキックTVを結成、そして2019年の『The Evening Sun Turns Crimson』まで、同プロジェクトを通じて数え切れないほどの作品をリリースしている。(80年代末には、クラブ・カルチャー以外のところで派生したアシッド・ハウスのプロジェクトとしてはかなり先駆的な、Jack The Tabも手掛けている)

 コージーの自伝『アート・セックス・ミュージック』における悲痛な告白には、一時期は恋仲にありながら虐待を受けていたことが赤裸々に綴られており、横暴で自己中心的でもあったジェネシスは決して誉められた人格の持ち主ではなかったのだろうけれど、まあ、21世紀の現代からは遠い昔のTG時代のジェネシスにカリスマ性があったのも事実だった。コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』やウィリアム・バロウズをバンドに持ち込んだのはジェネシスだったろうし、コージーが主張するようにTGとはメンバー全員平等のバンドであり、誰かひとり抜けてもTGとしては成立しないわけだから、やはりジェネシス抜きのTGはあり得なかったのである。

 TGはたしかにロックを常識では計れない領域まで拡張し、エレクトロニック・ミュージックに毒を盛り込んだ張本人で、残された作品はいまでも新しいリスナーに参照されいているが、彼らのルーツは60年代にあり、ことにジェネシスはその時代のディープな申し子だった。彼/彼女にはブライアン・ジョーンズに捧げた曲があり、初期のサイキックTVにはサイケデリックなフォーク・ソングもある。彼/彼女の手掛ける電子音響による暗黒郷や全裸姿もさながら反転したジョン&ヨーコの『Two Virgins』だ。そして、アレスタ・クローリーの悪魔崇拝をはじめ猟奇殺人やナチスの引用、オカルトや神秘主義の実践やカルトや原始的なるものへの憧憬もまた、社会基準を相対化しようとした60年代的自由思想の裏返った過剰な回路でもあった。

 良くも悪くも常識という縛りのいっさいを払いのける生き方は、やがて自分を妻と同じ容姿にすることによる同一化へとジェネシスを駆り立て、じっさい性も容姿も変えてみせた。それもまた、TGやサイキックTVと同様に彼/彼女にとってのアート・プロジェクトだった。ジェネシスは妻が先立つ2007年まで彼女と服も化粧も共有していたというが、子供のPTAの会議には、ジェネシスは父親として銀色のミニスカートとブーツ姿で出席したそうだ。

 ぼくがジェネシスを見たのは一回キリで、1990年に彼/彼女が(たしかZ'EVなんかと)芝浦ゴールドに来たときだった。SMコスチュームで身をかためて、鞭に打たれながら這いつくばっている彼/彼女をフロアにできた人垣に混じって呆然と見ていたことをいまでも覚えている。ただ、そのときどんなサウンドが鳴っていたかはもう忘れてしまった。ただ、ジェネシスの姿だけがいまでも脳裏に焼き付いているのだ。

野田努

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三田格

 1979年当時、“We Hate You”というタイトルに何かを感じたのだけれど、うまく思い出せない。ルル・ピカソのアートワークに包まれて<ソルディド・センティメンタル>からリリースされたスロッビン・グリッスルのセカンド・シングルで、正確には“We Hate You (Little Girls)”と副題がついている。曲にはあまりインパクトはなく、歌詞は少女たちに向かって「憎い」と叫ぶだけ。前の年にジョン・ライドンがパブリック・イメージ・リミテッドのデビュー・アルバムで「僕たちは愛されたかっただけ」という歌詞を繰り返していたので、パンクスが共同体への回帰願望を表明しているようで、それはどうかなと思っていたこともあり、“We Hate You”にはそれとは正反対のメッセージ性を感じたということかもしれない。「Hate」という単語がポップ・ミュージックに使われた例は意外と少なくて、ハンク・ウイリアムズの“My Love For You (Has Turned To Hate)”(53)やアルバム・タイトルではレナード・コーエンの『Songs Of Love And Hate』(71)など、まったくないわけではないし、1988年にモリッシーが『Viva Hate』をリリースした時もけっこうなインパクトがあった(1995年にはプリンスがThe Artist (Formerly Known As Prince) ‎として“ I Hate U (The Hate Experience)”をリリース)。ちなみに単語検索をかけてみると、使用頻度では2000年代が最も多く、2005年をピークとして、そのあとは少しずつ減っている。

 いずれにしろ“We Hate You”はスロッビン・グリッスルのキャラクターを端的に印象づけたことは確か。社会に対して攻撃的で、パンクスが退潮した後もアティチュードは死に絶えていないと、そのことは日本にまで伝わってきた。スロッビン・グリッスルがあっという間に解散してもジェネシス・P・オーリッジはピーター・クリストファーソンと共にサイキックTVとして活動を持続させ、彼がその動きを失速させるつもりがないこともよくわかった。だから、当時はセカンド・アルバムとしてリリースされた『Dreams Less Sweet』(83)が僕にはよくわからなかった。イギリスではかなり評価の高い『Dreams Less Sweet』はとても美しい蘭の花にジェニタル・ピアス(性器ピアス)のイメージを重ね合わせたゾディアック・マインドワープとピーター・クリストファーソンによるアート・ワークがあまりにも素晴らしくて、しばらく壁に飾ったりもしていたのだけれど、肝心な音楽に関してはどこか散漫な印象が残るばかりで、良さがわかるまで何度でも聴く癖のある僕にしては早々に投げ出し、クリストファーソン脱退後のセッション・アルバム『Those Who Do Not』(84)ばかり聴いていた記憶がある。さらにいえば、クリストファーソンがジョン・バランスと結成したコイルである。螺旋階段をアナルに見立てるなど、実にユーモラスなゲイ表現とは対照的に強迫的なインダストリアル・サウンドを打ち出してきたコイルはあまりにカッコよく、“We Hate You”を継承しているのはむしろこっちだと思ったのである。

 事態が変化するのはサイキックTVが1984年に「Godstar」と1986年に「The Magickal Mystery D Tour E.P.」をリリースしてから。前者はブライアン・ジョーンズをテーマとし、後者にはビーチ・ボーイズ“Good Vibrations”のカヴァーが冒頭に収録されていた(7インチ2枚組のヴァージョンにはセルジュ・ゲーンスブール“Je T'aime”のカヴァーも)。1986年にNMEがサイケデリック・ムーヴメントの回顧記事を書いた時、それは跡形も残っていないものとして認識され、まったくもって過去の出来事でしかなかった。あれだけ迅速に音楽情報を伝えていたNMEもマンチェスターや北部の諸都市にレイヴ・カルチャーが浸透しつつあることは察知できず、初めてアシッド・ハウスが紙面に取り上げられたのは88年2月だった。明らかにジェネシス・P・オーリッジの方が動きは早かった。“Good Vibrations”のカヴァーを聴いて僕は初めてビーチ・ボーイズに興味が湧き、翌年に入ってジーザス&メリー・チェインが“Surfin' USA”をカヴァーしたことがダメ押しとなってビーチ・ボーイズのアルバムを一気に15枚も買ってしまった。そして、『Pet Sounds』(66)を聴けばどんなバカにもわかったことが僕にもわかった。『Dreams Less Sweet』はビーチ・ボーイズを意識したアルバムだったということが。ビーチ・ボーイズとまったく同じポップ・ミュージックと実験性の共存。サイケデリック・ミュージックはジーザス&メリー・チェインによって復活し、アシッド・ハウス・ムーヴメントへと拡大したというのがニュー・ウェイヴの定説かもしれないけれど、ポップ・ミュージックの文脈で誰よりも早くそれに取り組んだのは『Dreams Less Sweet』だったのである。

 インダストリアルを引きずりつつも、ノスタルジックなベースラインにタンバリンやオーボエ、チューバ、そして、まろやかなコーラス・ワークにヴァン・ダイク・パークスを思わせるメロディ・センスが『Dreams Less Sweet』の中核をなしている。アシッド・ハウス・ムーヴメントとともにようやくそのことを僕は理解した。ジェネシス・P・オーリッジの大言壮語はアシッド・ハウスを最初にやったのは自分だというもので、いくらなんでもそれは言い過ぎだったけれど、『Dreams Less Sweet』をつくっていたことでサイキックTVがインダストリアル・ミュージックからアシッド・ハウスに伸ばした導線が表面的なものではなかったことは実に納得がいく。それどころかジェネシス・P・オーリッジは本気でやっていたとしか思えない。『Jack The Tab』であれ『Tekno Acid Beat』(共に88)であれ、彼らがその当時、量産したハウス・レコードは初期衝動に満ちていて、いま聴いても実に楽しいし、後にはザ・グリッドとして国民的な人気を得るデイヴ・ボールとリチャード・ノリスが当時のメンバーを務めていたことも見過ごせない。あるいは匿名を使わなくなった『Towards Thee Infinite Beat』(90)では彼らなりにアシッド・ハウスを次のステージへ向かわせようと様々な試行錯誤に努めた痕跡も聴き取れる(結果的にクリス&コージーみたいなサウンドになっているけれど)。そう思って調べていくと『Dreams Less Sweet』には60年代の象徴がちりばめられていたことにも思い当たる。特異な録音方法はピンク・フロイドの踏襲、”Always Is Always”はチャールズ・マンゾン、"White Nights”は人民寺院で知られるジム・ジョーンズの言葉をベースとしていて、これはレニゲイド・サウンドウェイヴ”Murder Music”でオリジナル・スピーチがそのままサンプリングされている。とはいえ、それらはラヴ&ピースではなく、イギリスでは魔術師としても知られるジョン・バランスと結成したテンプル・オブ・サイキック・ユースの活動にも顕著なようにサイキックTVの表現はサマー・オブ・ラヴのダークサイドからの影響が濃厚で、“We Hate You”が単純に“We Love You”へとひっくり返らなかったことはアシッド・ハウス・ムーヴメントにおける彼らの位置を得意なものにした要因といえるだろう。なお、テンプル・オブ・サイキック・ユースの背景をなすケイオスマジックについては→https://ja.wikipedia.org/wiki/ケイオスマジック

 また、ジェネシス・P・オーリッジがポップ・ミュージックにおけるトリックスターとしてさらなる役者ぶりを示したのは自らがトランスジェンダーと化したこと(=The Pandrogeny Project)で新たな様相を呈することとなった。噂には聞いていたけれど、ブルース・ラ・ブルース監督『ラズベリー・ライヒ』(04)でその姿を初めて認めた時は僕もかなり驚かされた。その異様さはスロッビン・グリッスルの時よりインパクトがあったかもしれないし、旧左翼と新左翼の対立を描いたハンス・ウェインガートナー監督『ベルリン、僕らの革命』(04)をゲイ・ポルノの文脈で先取りしたような『ラズベリー・ライヒ』(04)はそれこそジェネシス・P・オーリッジはまだストリートに立っている証しのように思えた。最初は反逆者でも結局は規制のポストに収まってしまう人たちとは異なる迫力を感じたことは確かで、トランスジェンダーとして彼(女)はケンダル&カイリー・ジェンナーの父(母)であるケイトリン・ジェンナーのインタビューにも応じ、グランジ・ファッションの祖であるマーク・ジェイコブスのファッション・ショーにも出演している。ヴォーグの編集長アナ・ウィンターの側近ともいえるマーク・ジェイコブスのショーに出たということはニューヨークではかなりなセレブレティにのし上がっているということを意味する。ニューヨーク・タイムスはジェネシス・P・オーリッジをカルトと評し、アヴァンギャルドの宝と讃えていたことがあり、現在はマシーン・ドラムやゾラ・ジーザス、そして、ローレンス・イングリッシュやコールド・ケイヴなどなかなか広範囲の人たちから追悼の声が上がっている。

三田格

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