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待ってました御大、ハート・オブ・ダブ、ダブ・リジェンド・イン・国立、ミスター・サイレント・プレイヤー、ダブとトランペットとビールの芸術家、ペシミズムとロマンティシズムの複雑なかたまり、珠玉のメンバーが集う最高のレゲエ・バンドのひとつ、ザ・ダブ・ステーション・バンドをバックにトランペットを吹いて歌も歌う……
KODAMA AND THE DUB STATION BANDのカヴァー・アルバムが出るとは、2023年の望外の僥倖なり。しかもライヴまで観られるのだからもう思い残すことはない。『COVER曲集 ♪ともしび♪』は10月4日発売。ライヴは9月27日と9月29日@立川A.A.カンパニー。さらに10月25日には、この春Kazufumi Kodama & Undefinedとしてすばらしいサイレント・ダブを響かせたWWWにも帰ってくる。かならず空けておきましょう。
元ミュート・ビートのこだま和文率いるKODAMA AND THE DUB STATION BAND。
そのライヴの定番となっているカヴァー曲の数々をスタジオ録音した待望のアルバム、10/4リリース!リリース記念ライヴも決定!
元ミュート・ビートのこだま和文(Tp/Vo)を中心に、HAKASE-SUN(Key/リトル・テンポ、OKI DUB AINU BAND等)、森俊也(Dr/ドリームレッツ、Matt Sounds等)、コウチ(B/やっほー!バンド、Reggaelation IndependAnce等)、AKIHIRO(G/ドリームレッツ、川上つよしと彼のムードメイカーズ、Matt Sounds等)という日本のレゲエ界を代表する面々が集い、そこに、在籍するバンド、ASOUNDでも注目を集めるARIWA(Tb/Vo)が加わったKODAMA AND THE DUB STATION BAND。
2019年にリリースした初のオリジナル・フル・アルバム『かすかな きぼう』がきわめて高い評価を受けた彼らが、ライヴでたびたび披露してきた、ファンの間ではもはやおなじみとなっているカヴァー曲の数々をスタジオ録音。
ついにリリースするカヴァー・アルバム。
反戦歌として有名な「花はどこへ行った」、「Fly Me To The Moon」「Moon River」といったスタンダード、こだまが作詞したチエコ・ビューティ・ヴァージョンでARIWAが歌う「End Of The World」、
こだまとARIWAの二人で歌う「You’ve Got A Friend」から、「Is This Love」「Africa」といったレゲエ・クラシックス、2021年にリリースし、話題となった「もうがまんできない」につづいてのカヴァーとなる、
盟友JAGATARAの「タンゴ」、ミュート・ビートの「EVERYDAY」、さらには「ゲゲゲの鬼太郎」の衝撃のダブ・ヴァージョン、こだまとARIWAの二人で歌うルイ・アームストロングの「What A Wonderful World」まで、
ヴァラエティに富んだ選曲は、すべてこだま和文によるもの。
唯一無二のメランコリックな響きを湛えたこだまのトランペットを軸に、よりいっそう豊潤となった精鋭メンバーによるバンド・アンサンブルをもって、取り上げた楽曲に新たな息吹を吹き込んでいる。
「もうがまんできない」で第二期ダブステとしてははじめて正式に作品となったこだまの歌声も味わい深く、清々しく凛としたARIWAのヴォーカルも心地好い。
オリジナルとはまったく違う魅力を放つ楽曲の数々を存分に楽しんでほしい。
10月25日(水)に渋谷WWWにて、9月27日(水)と29日(金)に立川A.A.カンパニーにてリリース記念ライヴの開催も決定している。

《リリース情報》
アーティスト:KODAMA AND THE DUB STATION BAND
タイトル:COVER曲集 ♪ともしび♪
レーベル:KURASHI/P-VINE
商品番号:KURASHI-007
フォーマット:CD
価格:定価:¥3,300(税抜¥3,000)
発売日:2023年10月4日(水)
収録曲(オリジナル・アーティスト)
01. 花はどこへ行った(ピート・シーガー)
02. Is This Love(ボブ・マーリー)
03. Fly Me To The Moon(スタンダード)
04. Moon River(オードリー・ヘプバーン)
05. End Of The World(スキーター・デイヴィス)
06. EVERYDAY(ミュート・ビート)
07. Africa(リコ・ロドリゲス)
08. You've Got A Friend(キャロル・キング)
09. ゲゲゲの鬼太郎 (DUB)
10. タンゴ(JAGATARA)
11. What A Wonderful World(ルイ・アームストロング)
12. What A Wonderful World (Trombone Version)(ルイ・アームストロング)

《ライヴ情報》
KODAMA AND THE DUB STATION BAND
LIVE ♪September♪ 飛石2DAYS
公演日:9月27日(水)、9月29日(金)
会場:立川A.A.カンパニー
出演:KODAMA AND THE DUB STATION BAND
時間:開場19時 開演20時
料金:6,500円+1D
予約(8月10日20時より):
立川A.A.カンパニーホームページ
https://www.livehouse-tachikawa-aacompany.com/
『KODAMA AND THE DUB STATION BAND』予約専用コンタクトホームよりお一人様ずつお申込みください。
返信メールが届いた時点でご予約完了となります(返信は2、3日以内に連絡いたします。1週間が過ぎても返信がない場合は、お手数ですが菅原[09054193255]までご連絡ください。)
※両日とも10月4日発売のcover album♪ともしび♪の先行販売を予定しております。
公演日:2023年10月25日(水)
会場:渋谷 WWW
※詳細は後日発表
先月、1年ぶりの新曲 “夏の雫” を発表したヴォーカリスト/鍵盤奏者の遊佐春菜。昨日新たな楽曲 “夜明けの夢” の配信が開始されている。
https://big-up.style/nk1y6kHfEA
また、上記2曲を収める新作EPのリリースもアナウンスされている。オリジナル・ヴァージョンに加え、Eccy による “夏の雫” リミックス、Sugiurumn が遊佐をフィーチャした楽曲などを収録。島崎森哉主宰〈造園計画〉からの作品で注目を集めつつある新世代エレクトロニック・ミュージシャン、大山田大山脈による “夜明けの夢” のリミックスも気になるところです。カセット作品とのことなので、なくなってしまうまえにチェックしておこう。
遊佐春菜1年ぶりの新作をリリース!
遊佐春菜をフィーチャーしたSugiurumn初の日本語シングル収録

10月13日発売
遊佐春菜 / 夏の雫 ep
KKV-156CA
カセット+DLコード
2,200円税込
2,000円税抜
「Cassette Store Day x Cassette Week 2023」参加作品
収録曲
Side A : 夏の雫、夜明けの夢、All About Z (Sugiurumn feat 遊佐春菜)
Side B : 夏の雫(Eccy Remix)、夜明けの夢(大山田大山脈Remix)、All About Z(YODA TARO Remix)
2022年、ソロとして2作目となるHave a Nice Day!のカバー・アルバム『Another Story Of Dystopia Romance』が大きな話題となった遊佐春菜。自身のバンドである壊れかけのテープレコーダーズをはじめHave a Nice Day!など多くのアーティストのサポート活動をしながら1年ぶりの新曲をリリース。
今回はレーベルメイトであるStrip Jointの名曲「Liquid」を日本語詞にして再構成、彼女のマジカルな声が夏の一瞬を切り取っている。
また日本のクラブ・シーンをリードしてきたハウスDJ Sugiurumn初の日本語シングルで遊佐春菜がシンガーとして抜擢、その楽曲「All About Z」とリミックス「All About Z(YODA TARO Remix)」も収録。
「All About Z」は劇作家、演出家である川村毅作、演出の同名舞台のテーマ曲を再構築した話題曲!
カップリングの「夜明けの夢」ではアンダーグラウンド・シーンで静かに話題となっている大山田大山脈によるリミックスを収録。
先月の小川さんのコラムでも最新作が紹介されていたテラス・マーティン。ジャズとヒップホップを横断するこのLAのプロデューサーによるデビュー・スタジオ・アルバム『3ChordFold』(2013)が、LPでリリースされることになった。ケンドリック・ラマー、スヌープ・ドッグ、アブ・ソウル、ウィズ・カリファと、ゲスト陣もかなり豪華な1作だ。
また、このタイミングで来日公演も決定している。9月11~15日、詳しくは下記をご確認ください。
来日公演も決定しているジャズとヒップホップを繋ぐ現代最重要プロデューサーのテラス・マーティンの傑作デビュー・アルバム『3ChordFold』が待望のレコードでリリース! 帯付き2LP仕様の初回生産限定盤!ケンドリック・ラマー、ロバート・グラスパーをはじめ豪華ゲストが参加!
ケンドリック・ラマーの歴史的傑作『To Pimp A Butterfly』でメイン・プロデューサーに抜擢されたジャズとヒップホップを繋ぐ現代最重要プロデューサー/マルチ・プレイヤー/シンガーのテラス・マーティンが2013年にリリースしたデビュー・アルバム『3ChordFold』が待望のヴァイナルでリリース!! 当時はまだ世界的な知名度はなかったものの、ヒップホップ、R&B、そしてジャズのコミュニティでは既に注目のプロデューサーとして支持を集めており、本作の参加アーティストもケンドリック・ラマー、ロバート・グラスパーを筆頭に、スヌープ・ドッグ、アブ・ソウル、ウィズ・カリファ、レイラ・ハサウェイ、ミュージック・ソウルチャイルド、タイ・ダラ・サイン、ナインス・ワンダーと、各ジャンルのS級クラスが勢ぞろい。
ケンドリック・ラマーが参加した、ボビー・コールドウェルのAOR傑作“What You Won’t Do For Love”をサンプリングした絶品のメロウ・チューン“Triangle Ship”、ハワード・ヒュイットによる80ズ・アーバン・ソウルの隠れた名曲“I’m For Real”をスヌープ、レイラ・ハサウェイという豪華布陣でセミ・カヴァーした“I’m For Real”などなど、サンプリングと楽器演奏を組み合わせてヒップホップ、ソウル、ジャズを自由に横断するスタイルはソウルクエリアンズの作品にも通じる素晴らしさ!!
ブルーノ・マーズのグラミー賞を総なめしたモンスター・アルバム『24K Magic』で7曲のソング・ライティングを任されたジェームズ・フォントルロイと、マーティンのジャズ畑の盟友ロバート・グラスパーによる共演曲“No Wrong No Right”、ドクター・ドレーの衝撃の復帰作『Compton』で大抜擢されたフォーカスがプロデュース兼フィーチャリングした“Watch U Sleep”など、このアルバム以降に大活躍するアーティストが多数参加していることにも注目!豪華帯付き2LP仕様でP-VINE OFFICIAL SHOPで予約受付中!!初回生産限定盤につきお見逃しなく!
更に6年ぶりのビルボードライブでの来日公演も決定しており、チケットも絶賛販売中!9/11にビルボードライブ横浜、9/12にビルボードライブ大阪、9/14と9/15にビルボードライブ東京で各2公演ずつを予定している。
<Pre-order>
https://anywherestore.p-vine.jp/products/plp-7640_1
【来日公演情報】
・ビルボードライブ横浜 2023/9/11(月)
・ビルボードライブ大阪 2023/9/12(火)
・ビルボードライブ東京 2023/9/14(木)9/15(金)
(1日2回公演)
詳細:https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/126822/2
Official Video
「Something Else by Terrace Martin (feat. Problem)」
https://youtu.be/qn8An7TC4m4
「No Wrong No Right by Terrace Martin (feat. Robert Glasper & James Fauntleroy)」
https://youtu.be/wY9BLZCgwzg
「Angel by Terrace Martin」
https://youtu.be/ZG5ciLUT5P8
「You're the One by Terrace Martin (feat. Ty Dolla Sign)」
https://youtu.be/K9LOhLQ5t4g

【リリース詳細】
アーティスト:Terrace Martin / テラス・マーティン
タイトル:3ChordFold / 3コードフォールド
フォーマット:2LP
発売日:2023/09/06
品番:PLP-7640/1
レーベル:P-VINE
【Track List】
SIDE A:
1. Ab Soul's Intro feat. Ab-Soul
2. Triangle Ship feat. Kendrick Lamar
3. Get Away
4. Something Else feat. Problem
SIDE B:
5. Over Time feat. Musiq Soulchild
6. No Wrong No Right feat. Robert Glasper & James Fauntleroy
7. Watch U Sleep feat. Focus
8. Move On
SIDE C:
9. Motivation feat. Wiz Khalifa & Brevi
10. Happy Home (Freeloader, Renter, Buyer)
11. Angel
12. You're the One feat. Ty Dolla Sign
SIDE D:
13. I'm for Real feat. Snoop Dogg & Lalah Hathaway
14. Gone feat. Robert Glasper
- Terrace Martin Official -
https://beacons.ai/terracemartin
https://twitter.com/terracemartin
https://www.instagram.com/terracemartin/
https://www.facebook.com/terracemartinmusic
文:水越真紀
久しぶりに赤痢を聴いて思うのは、なんと楽しいバンドなのかということだ。ドラムとベースの、乗るものを決してうらぎらないおもったい確かさの上で好きなように不機嫌になり、照れ、言葉を駆使し、頭を痺れさせる赤痢の楽しさったらない。赤痢が何度も何度も発売され続けるのは、このリズム隊の心地よさと歌詞の古びなさのためだろう。
ユーモアと切なさに満ちた歌詞はほとんど1分から2分という短い一曲でも同じフレーズの繰り返しが多い。つまり言葉を尽くして、言葉を駆使してストーリーや心情を語ったり、描写をするのではなく、ときには、あるいは多くは、メロディやサウンドに呼び覚まされたたとえば「死体こぼれ死体こぼれ」(“ベリー・グウ”)のような唐突な、「音」優先のフレーズは、それでも何かのイメージを映しながら、身体と心を揺さぶる。
「うまいよこれほら食べてみて 愛してやまない理由がある 笑えない口で、はい、どーぞ 生きてりゃなんでも欲しくなる サバ、サバ、サバビアーン」(“サバビアン”)、「ひとつ食べたらばら色 ふたつ食べたらばば色 希望なんてないんだって チョッコレートブルース 欲望だけがあるんだって チョッコレートブルース」(“チョコレートブルース”)などが日常の些細なできごとのつぶやきなら、「にぎる万札 もらう給料 おきゅうりよ カツカツの生活にボーナスもらって夢見たことはお金返してすぐまた借りて まーた借りて」(“かつかつROCK”)も「ラリって吸ってラリって吸う もいちど教えてもいちど教えて はあほうらナッシングを抱く」(“デスマッチ”)、「頭をぶらぶら手足をぶら 体をスウィング 寄せては返すあなたの波 信じこむバカ」(“エンドレス”)もそうで、「ゆるんだネジをぐるぐる回して いやな時代ももうすぐ終わる」(“青春”)といった年齢に似合わないような、いや10代だからこそのニヒリズムも青春の日常のひとこまだ。と30年来のデフレ経済を生きてきた現代人は思うだろう。しかしこれが作られたのはデフレ世代が「夢見る」バブル経済期のことだと思い出せば、感じることは変わってくるのではないか。
改めて「赤痢」というバンド名さえ新鮮に思える。たとえば赤痢が結成された時代とはスターリンがいて、アレルギーがいた日本だったと同時に、というより、ロンドンにザ・スリッツがいて、ベルリンにマラリア!がいた世界だった。「赤痢」が “夢見るオマンコ” を歌ってなんの不思議があったろうか。むしろ自然な流れではないか、ということが体験としてわかるコロナ禍後の世界だ。
振り返られるときは赤痢結成前、つまり40年以上前ということになるが1981年辺り。西ベルリンのポスト・パンク・シーンではマラリア!という女性だけのポスト・パンク・バンドが活動していた。電子楽器を使ったサウンドは、初期衝動で発する新人バンドとは違っても、ふたつのバンドの野太く気だるい女性ヴォーカルを重ねてみたくなる。マラリアと赤痢──感染症の名前をバンド名につけることの不謹慎さと禍々しさ、それから細菌やウィルスという、我と世界の境界線で生き死にに関わる生命体、感染者への差別的視線などの数多くのイメージが、コロナ・パンデミックを過ごした直後の私たちには喚起される。そのマラリア!の少し前、ロンドン・パンク・シーンで女性性のモチーフを使い尽くしたバンド、ザ・スリッツも同時に思い出している。もちろん、赤痢のメンバーが高校時代にリリースしたデビュー・シングルに収録された “夢見るオマンコ” からのつながりでだ。
かつてなら、その存在自体が悲劇性を帯びた憂い顔の女性歌手に、性的に際どい歌詞を歌わせて、そこに男にとっての夢のような寛容さや包容力を想定し、〈菩薩〉と崇めるやり方があった。ポスト・パンクの80年前後以降の、日本もまだ含まれていたはずだった「世界の変化」は、女性表現者が社会の男性性による有言無言有償無償の要請からいかに離れて、コントロールの主体を奪うことだった(たとえば1980年の山口百恵の結婚への、当時の同世代の女たちの失望感は、阿木耀子との共作で山口百恵がそれを成しうるかと思った矢先の、なんだか元の木阿弥のような決断に対してだった)。
80年代といえばまだ「菩薩」的女性像や「女は子宮で考える」といった非科学的なファンタジーを男性中心のメディアが無邪気に広めていた頃で、京都のバンド赤痢が “夢見るオマンコ” をリリースした翌年、やはり京都の女子短大助教授だった上野千鶴子が『女遊び』(学陽書房)の巻頭に「おまんこがいっぱい」というエッセイを収録したことには、いまとなっては時代の曲がり角が見える気もする。が、当時実際には高校生バンドのデビュー・シングルとフェミニズムの第一人者となる学者のエッセイは無関係に、対象も意味も少し違うところに放たれた。
20世紀の女性解放運動の後、ウーマンリブ(フェミニズム)が主流男性社会から疎んじられ、女性たち自身にさえ距離を取られてしばらく経った頃、上野千鶴子が『女遊び』の中でまだ衝撃を持って取り上げていたAV女優黒木香の脇毛を見せた演技など、露悪的で挑発的で爆発的な「女自身による」と限りなく思える程度の、女性身体の相対化が試みられていた。女の身体または身体性を売るとすれば、それはあくまでも女性自身であり、その表現が誰の期待に応えていなくても、というか、応えていなければいないほど、それは観客ともなる女性自身も含めた社会の要請に応えているということにもなった。これもひとつのマーケティングだとしても、そのことをもう現代の経済システムでは逃れられなくても、ひとりの人生を超えて、ずいぶんマシなことだと思う。しかしその試みは歴史を振り返れば、それほどうまく進まなかったように思う。特に日本社会での女性性や女性身体の表層にまつわる問題は、ただ「表現の自由」といったリバタリアニズムに乗っ取られているように思えるからだ。
ところで私が赤痢を知ったのはファースト・アルバム『私を赤痢に連れてって』がリリースされた後だった(当アルバムは当時だけで5000枚以上の大ヒットになったという)。まず、あっけにとられたのは、アルバム・タイトルの大胆さとデザインのかわいらしさだった。これがいかに “でたらめさ感” (野蛮さ、大胆さ、不敵さといってもいい)を醸し出していたかについては、40年後のいまでは伝わりにくいものになっているかもしれない。言わずと知れた87年公開の日本映画『私をスキーに連れてって』のあまりにもシンプルなもじりを、公開数ヶ月後というこの速度でここまでベタにペーストした、そのあっけらかんとしたセンスにはいきなりクラクラした。当該映画はまさにバブル・カルチャー最盛期の、“映画” というよりCMに近く、すでにマーケティング重視で楽曲を作っていると公言していた松任谷由実による主題歌・挿入歌を含めて、完全なる広告代理店製のトレンディ・デート・ムーヴィーだった。その後、広告代理店文化がサブカルチャーの行き場をせっせと掠め取り、「作る部分」ではなく「売る部分」だけを国策化して中間マージン・ビジネスを確立してゆくハシリとなった。
赤痢はそういう作品(言葉)を、逆張りや奇を衒ったふうでもなく、(おしゃれでもパンクでもない)素朴で可愛らしいデザインとともに世に出した。まるで本家の、スマートでポジティヴで快楽的で資本主義的な、大人や男といったすでにより権力を持っている人たちが引いた社会デザインそのものを、上空から見下ろすような視点が最高にサイコーだ。しかも、彼女たちが見下ろしていたのはそれだけではなくて、女性性や女性の身体性が当事者から切り離されて金儲けシステムの棚に載せられてしまうことと、同じシステムが最もコストパフォーマンスがいいと判断した若さや姿形、軽妙さやコミュニケーション手法が同じようにジャッジされ、「プロデュース」されるという社会システム上の同じ問題をも眼下の視野に入れていたことは、これを40年後のいまに持ってきてもなお刺激的だ。
ともかく、高校生の赤痢のデビュー・シングルはそういう時代にリリースされた。「夢見るオマンコ」という単語の組み合わせのなんと愛らしいことか。ティーンエイジャーの性や性行為への距離感の、リアリティのある幸福さが現れている。しかし親しみやすくポップなメロディに乗せられた実際のこの歌の歌詞はさらにリアルだ。「恋した彼氏がおもしろくないから 一発やらして 一発孕んで 一発産み落とす あんなに夢見たオマンコも どうしてこんなにつまらない」「恋した彼氏があきらめられないから 一発おとして 一緒にホテルで 連発やりまくる」(“夢見るオマンコ”)と、これは恋するときの幸福をよく描いている。この「夢見る(オマンコ=性交)」と男たちの「菩薩女」へのファンタジーは同じように上野千鶴子が先のエッセイで指摘した「中産階級の子女の性的無知は、絵に描いたような近代のブルジョア性道徳の体現である」と指摘してみる。けれども同時に当時の私だって十分にその体現者だった。そりゃあもう、どんな強いこと言っても、その辺についてはブルジョアな道徳の体現者以外のものではなかった。思い出したのは高校生の頃に読んだ女性運動の本だ。「手鏡で自分の性器を見る」ことについて読み、「なるほど、“今度” やってみよう」と、私は本を閉じたことがあった。赤痢がデビューしたのは、じっさいそんな時代のすぐ先だった。私に何をえらそうなことが言えよう。妹たちのような年齢の彼女たちに、私は2、3枚の鱗を目から剥がしてもらったわけだった。
そのことが楽しい。いつだってそのドラムは裏切らない。私の体のあちこちを硬くしている、なんとまあ半世紀かけても落ちていない鱗を何度もはがし、それでいて残酷に床に叩き落としたりしないという意味でだ。轟くビートは私の重くなっていく足を、また跳ばせてくれる。
(8月10日記す)
文:清家咲乃
「こんなのって、つまらない」と感じながら日々を過ごしている人は、一体どれくらいいるのだろう。きっとほとんどが心の中でそう唱えながら生きているんじゃないだろうか。充実して見える人たちも、つまらない状態に陥らないために自転車操業的に輝きを補充してるんじゃあないか。反対に、完全な諦めの境地に浸かるのもまた難しい。あと一歩で悟りを開けるところまで来てしまっていることになるし。そう考えれば、つまらなさの打開へ至る破壊的衝動というものは何時の誰にでもリンク可能である。80年代に生まれていなくても、女性でなくても、それはとくに関係ない。
赤痢は80年代前半から90年代中盤にかけて活動していたパンク・バンドである。細かな活動経歴や実状、ソニック・ユースのサーストン・ムーアがファンであることを公言していたとか、彼女たちの出身地である京都にてリアル病(やまい)の赤痢が一時物理的に流行ったことに由来するバンド名らしいとか、そうしたことは当時を知る世代の方が既に記しているはずなので、そちらに任せたい。いや、本レヴューを書くにあたってざっと調べたところネット上では思いのほか情報が少なかったので、改めて語っていただけるなら是非にそうしてほしい。
現在の耳で聴きつつ過去をたぐり寄せていくなかで不思議なほどすんなり入ってきたのは、赤痢がデビュー作以降〈アルケミーレコード〉に在籍していたという部分だった。非常階段の中心人物・JOJO広重が主宰するレーベルだ。私が彼を知ったきっかけはおそらく高校時代にBiS階段を聴いたことだったっけと思い返して、ピンときたのだろう。アイドル界のタブーを破り尽くすBiSというグループと、言わずと知れたアンダーグラウンドの主による異色のタッグ。リアルタイム世代が綴る赤痢の第一印象と、赤痢の活動停止以降に生を受けたわれわれ世代がBiSにおぼえた高揚とも嫌悪感ともつかぬ衝撃が重なった気がした。痛いところをかばっているように不安定な演奏/歌唱。若い女性が忌避して然るべき(と思われている)猥語をためらいなくうたい叫ぶことによる威嚇。なりふり構わないパフォーマンスをしたかと思えば、自室に貼ってあるポスターを見られてしまった思春期の少女のような照れが顔を出すこともある。同じく非常階段が過去にコラボレーションを果たしたアイドル・グループ、ゆるめるモ!にも上記の特徴はかなりの割合で共通していると気づく。そしてもうひとつ。赤痢にもBiSにもゆるめるモ!にも、女性ファンは多くついている。赤痢は「ガールズ・パンクの先駆け」と評されていることからして、当時の客層は元々シーンにいた男性が主なのかと思いきや、『LIVE and VACATION』収録のライヴ映像に映るオーディエンスはほとんどがメンバーと同年代の女性だ。2010年代にヴィレッジヴァンガードに出入りしていたサブカルチャーを嗜む女の子たちが、尖った地下アイドルをロールモデルに選んだ現象に近いものが80年代にも起きていたのだと考えれば合点がいく。したがって、インターネット登場前夜、デジタル録音普及前の音楽が有している──そしていまとなっては完全に失われた──アウラとでも言うべきなにかを抜きにすれば、赤痢に隔世の感を感ずることはあまりない。これが表示されているデバイスと地続きである。
前段では女性を軸に語ってしまったが、冒頭で述べたとおり、そこは特段焦点をあてるべき部分ではない。つまらねえのを如何にかしたい気持ちはみな同じなのだ、と知らしめることにこそ彼女たちの目的があると思う。“夢見るオマンコ” を筆頭に女性性を開陳する楽曲が多い赤痢だが、それは自らが聖域化されないための破壊活動だ。こわれものだと目されてきた領域を内側から足蹴にしてみせる。みなさまがいやに丁重に扱っているこれは、真実この程度のものなんだ、というように。少女に夢見ていたのはどちらだったのか。わたしに夢見る他者が、わたしが夢を見るように仕向けていたのではないか。
作品を重ねるにしたがって不可抗力的に向上した演奏技術は赤痢をよりフラットに、いちバンドとして見せるための添え木となって補強されていく。『PUSH PUSH BABY』ではクシャクシャとブリキのおもちゃのように跳ねていて、いかにもガレージ・バンドというギリギリのバランスでまとまりを保っていたのが、1stアルバム『私を赤痢に連れてって』までのわずかな時間でグッと強度を増している。各楽器の鍔迫りあいだったものがアンサンブルと呼べる形になり、本筋以外の音をSE的に盛り込んだ “カメレオン” からはメンバーが遊び心を具現化する方法を仕入れたことがうかがえる。各所で指摘されている「気だるさ」が前面に出てきたのもここからだ。続く『LOVE STAR』で今度はメロディ・ラインが魅力を増し、旋回しながら攪乱するような演奏とのバランスで不可思議なポップネスを提示。もはや「10代の少女がショッキングな楽曲を演っているバンド」のみでは説明不足になるほど音楽的な面白みがあらわれており、万人のための退屈破壊装置としての機能を獲得している。
スリッパで踏みならす家の床もカーテンの向こう側もどうしようもなくつまらなく感じるとき、そういうときがきたらこの作品を手に取ってみてほしい。そろそろ春も終わるが、それでも「いやな時代ももうすぐ変わる」と信じながら。
(5月25日記す)
家から一歩でも外に出ると、ふらふらと倒れそうになる。熱線そのものである日差しがあまりにも暑く、熱く、痛い。
2023年、日本の7月は、観測史上最高の暑さになったという。昨日、東京のある巨大ターミナル駅に仕事で行ったとき、エスカレーター付近でスーツ姿の初老の男性が気を失って倒れており、警察官などがその人を囲っていた。「気候変動の被害者だ……」と思ってしまった。
とはいえ、「酷暑」という言葉以上にふさわしい表現が見当たらない今夏においても、この夏の暑さを音楽とともに楽しもうじゃないか、と誘ってくるレコードがある。享楽的なダンス・トラックも、涼やかで内向きなチルアウトも収められているジェシー・ランザの4作め、3年ぶりのニュー・アルバム『Love Hallucination』だ。特に今回は、あまりにもオプティミスティックな椰子の木のカヴァー・アートが物語るとおりの楽しいレコードである。ジェシーが移り住んだLAは、東京よりは過ごしやすいのだろうか。
クラブにはあまり行かない、クラブ・カルチャーがルーツというわけではない、メロディのあるダンス・ミュージックが好き、とはこのアルバムについて本誌のインタヴューで語っていたこと。個人的にすごく共感してしまったのだけれど、それはともかくとして、彼女のそういう個性は、『Love Hallucination』の雑食性と、あくまでもレフトフィールドには振り切れないポジティヴなポップ・ヴァイブに表れている。
ジェシーの雑食性については、いまに始まったことではないものの、1曲めの “Don’t Leave Me Now” がハウスで、次の “Midnight Ontario” がUKガラージ/2ステップ調で……という取り留めのなさに明らかだ。『Love Hallucination』と同時期に制作していたという『DJ-Kicks: Jessy Lanza』(2021年)にしたって、自作のフットワークである “Guess What” から、ちょっとスピリチュアルなムードでスタートする。ジェシーのパレットは常にカラフルかつ賑やかで、彼女はそこからお気に入りのビートやテクスチャーを選び取り、それを煌びやかなダンス・ポップに仕立て上げてみせるのだ。野田努編集長は以前、これについて「ポストモダン的感性」と評していたが(https://www.ele-king.net/interviews/007776/)、つまりはなんでもありなのである。
とはいえ、その手つきは、『Pull My Hair Back』(2013年)や『Oh No』(2015年)など、かなりローファイでベッドルーム的だった初期の作品に比べると、ずいぶん洗練されている。前作の『All the Time』(2020年)と比較してみても、特にアルバムの心躍る前半部はもっとダンス・オリエンティドで、なおかつ朗らかでわかりやすいメロディ志向になった。たとえば、同時期にリリースされたジョージアの『Euphoric』やカーリー・レイ・ジェプセンの『The Loveliest Time』といった優れたダンス・ポップ・アルバムと並べて聴いてみても、『Love Hallucination』の華やかな力強さが感じられるだろう。
アルバムからのファースト・シングルだった “Don’t Leave Me Now” は、楽天的なムードに貫かれた、アッパーなハウスだ。プロダクションはシンプルではなく、練りこまれている。速いテンポで打ちこまれるキック、聴き手を急き立てるようなパーカッションとドラム・マシーンのビートにのせて、ジェシーは狂おしいR&Bヴォーカルを披露し、ファルセットで天上へと突き抜けていく。
続く “Midnight Ontario” は、世界を席巻中の NewJeans から、密かに盛り上がっているNYCガラージまで、UKガラージ/2ステップがちょっとしたリヴァイヴァルを起こしていることとの共振を感じさせる。この曲をジェシーとともに手がけているのはジャック・グリーンで、〈LuckyMe〉を拠点に〈Night Slugs〉や〈UNO〉からも作品を発表した経験がありつつ、R&Bヴォーカルの扱いにも長けている彼の手腕が発揮されていると言えるだろう。ピアソン・サウンド=デイヴィッド・ケネディが要所要所に参加していることもあって、『Love Hallucination』は、米国と英国の地下を繋げて歌ったダンス・ポップ・レコードだと言うこともできそうだ。
LPからのラスト・シングルになった、テンスネイクことマルコ・ニメルスキーとの “Limbo” は、初期ヒップホップを思わせるエレクトロ・ファンク。と、ここまでジェシーは、あっちに行ったりこっちに行ったりと、忙しない。
一方、ジャム・シティを思わせるUKベース的な “Big Pink Rose” やデトロイト・テクノっぽいムードを纏った “Drive” などが構成する中盤からは、踊りやすさやメロディを志向するというよりは実験に寄っていき、耳への刺激は驚きが心地よさを上回る。ここではヴォーカルも、トラックを織りなす素材の一部のような扱われかたである。細野晴臣風のエキゾティシズムが横溢した浮遊感たっぷりの “I Hate Myself”(ジェシーはYMOのファンでもある)は、リリックとの落差もあって、なかなかユニークだ。
ダニー・ブラウンやオボンジェイアーなどとのコラボレーションでも知られるポール・ホワイトと初めて制作した “Marathon” は、「クリスタル」と形容したい80年代的な雰囲気が濃厚である。サックス・ソロやシンセサイザーの音色は、手前の “Gossamer” と次のクローザー “Double Time” と結びついて、多分にニューエイジ風で瞑想的。このあたりからはLAの風土や文化が薫ってくる気がするし、それはジェシーの初期のレコードや彼女が好むR&Bとの接続が立ち上がってくる面でもある。
『Love Hallucination』の印象を決定づけ、新鮮なイメージを聴き手に植えつけるのは、見事なシングルを立て続けに叩きつける冒頭の鮮烈な3曲である。「このアルバムで『信頼』と『脆弱さ』というテーマを描いてみた」とジェシーが語っていることを踏まえると、ポップで踊れる挑戦的な前半部は彼女から他者(新たに手を組んだプロデューサーたち)への「信頼」を、次第に実験的かつ内省的になっていく中盤以降は彼女自身の「脆弱さ」を表しているのではないだろうか。
このアルバムは、エアコンが効いた部屋で聴いてもいいし、手元のデヴァイスにダウンロードして外で聴いてもいい。ただ、「外で」とはいっても、人命が危機にさらされそうな8月の日本の日中よりは、シングルの “Don’t Leave Me Now” のカヴァー・アートのような、涼しくなってきた夕方に水分を補給しつつ、適度に涼みながら、という条件つきではあるものの……。
『The Science』。このアルバム名が初めて世に出たのは1992年のこと。同年に出た『Breaking Atoms』以後初となるメイン・ソース待望の新曲 “Fakin' The Funk”、その12インチ・シングルのジャケットに貼られたステッカーに、「Look for the MAIN SOURCE album "THE SCIENCE"」の文字が踊っていたのだ。メイン・イングリーディエント “Magic Shoes” のコーラスを用いた華やかな冒頭から一気に惹き込まれる “Fakin' The Funk” の素晴らしさもあって、『The Science』への期待はこのとき、最高潮に膨れ上がっていたのだが、しかし……。
メイン・ソースは1989年に結成された。カナダはトロント出身で、子どものときに家族皆でニューヨークはクイーンズに移住してきたK・カット、サー・スクラッチのマッケンジー兄弟。ニューヨークはハーレム生まれでクイーンズに育ったラージ・プロフェッサー。偶然か必然か、K・カットとラージはクイーンズのハイスクールで出会い、意気投合。K・カットの弟も交えてグループを組んだ。
マッケンジー家は音楽一家だった。ジャマイカ系の祖父はミュージシャンで、彼のレゲエ・レコードのコレクションが、後にメイン・ソースの曲づくりに活かされた。血縁者にはなんと、80年代にカリビアン・テイストのダンス・ミュージックで一斉を風靡したエディ・グラント、そして、90 - 00年代にビート・メイカーとして名を馳せたラシャド・スミスがいる。
なので、音楽ビジネスもよく知るマッケンジー兄弟の母親、サンドラがマネジメントを担った。彼女はすぐに、クイーンズの名物レコーディング・スタジオ、1212へメンバー3人を連れていくのだが、そこでポール・Cに出会えたことが、メイン・ソースの成功を決定づけた。
ポール・Cは、E-mu社のSP-1200=サンプラーを用いたヒップホップのビート制作法を確立し発展させたパイオニアのひとり、偉人中の偉人だ。レコード・コレクションもすごかった彼はレアなネタ使いでも、この時代のヒップホップ・ビートを急速に進化させた。1987 - 1989年に彼がプロデュース、プログラミング、ミックスなどを担った、マイキー・D&ザ・LA・ポッセ、スーパー・ラヴァー・シー&カサノヴァ・ラド、ブラック・ロック&ロン、ケヴ・E・ケヴ&AK-B、スティーゾらの諸作は全て名作、聴きものだらけ。詳細なクレジットなしでも、聴けばポール・C仕事だとわかるウルトラマグネティック・MCズ『Critical Beatdown』、エリック・B.&ラキム『Let The Rhythm Hit 'Em』といった名盤中の数曲も語り草だ。そして、オーガナイズド・コンフュージョンもポール・C門下生なのだが、彼の最後の弟子となったのがメイン・ソースの3人だった(ちなみに、ラージ・プロフェッサーからもSP-1200の扱いを学んだピート・ロックは、マーリー・マールとポール・C、パイオニアふたりの技を受け継ぐサラブレッドだ)。
メイン・ソースのデビュー・シングル「Think c/w Atom」は、サンドラが息子たちのために設立したアクチュアル・レコーズから1989年中にリリースされた。おそらくは、メンバーがベーシックとなるネタのレコードを持ち込み、それをポール・Cがプログラミング、ミックスなどした2曲は、ポール・C印のサウンド、ノリと、最初から光るものがあったメンバーのネタ選びの相性の良さが感じられる、いきなりの名作だった。
ポール・Cはしかし、1989年7月17日、何者かに殺害され24歳で急逝してしまう。それでも、「ポール・Cの教えの通りにつくろうと思った」というK・カット、そして、後には「Paul Sea Productions」なるクレジットを入れるほど師匠を愛したラージにより、ポール・Cの教えは忠実に受け継がれる。そうして出来上がったのが1991年の、メイン・ソースの1st『Breaking Atoms』だった。
『Breaking Atoms』は、この時代のニューヨーク・ヒップホップを代表する傑作のひとつ、という評価が世界中で定まっている名盤だ。こちらも師匠の技を受け継いだエンジニア、アントン・パクシャンスカイの働きもあり、ポール・C印のビート・メイクが見事に継承され、他にはない特別な音像が聴く者を魅了する。マッケンジー兄弟の見せ場となるスクラッチ・ワークに、本作でレコード・デビューを果たしたナズやアキネリとのマイク・リレーも含めて、ラージの無骨なラップを活かす様もウマい。そして何より、ネタ選びのウマさ、おもしろさだ。曲の印象を決定づける、これぞ!というネタを用いたワン・ループづくりがとにかく抜群だった。
DJというよりもターンテーブリストで、ソロ・ワークの少ないサー・スクラッチはいざ知らず。少なくないK・カットのソロ・ワークを聴けば、『Breaking Atoms』がラージひとりではつくり得なかった、グループの集合知が生んだ傑作であることがすぐにわかる。
マエストロ・フレッシュ・ウェスのアルバム『The Black Tie Affair』、クッキー・クルー “Secrets (Of Success) (Live At The Bar-B-Que Mix)”、クイーン・ラティファ “That's The Way We Flow”、フー・シュニッケンズ “La Schmoove (Remix)”、MC・ライト “What's My Name Yo” などなど、91 - 93年のK・カット・ワークスは必聴だ。『Breaking Atoms』が広くウケた理由であるカラフルな、人懐っこいサンプリング・ワークはK・カットに負うところ大なのでは? ラージのストレートなつくりのソロ・ワークと聴き比べていくと、自ずとそのような結論にいたる。
いまは、多くの才能が集い1曲を仕上げる「コライト」が海外ではあたりまえになった。楽器を演奏するわけではない、打ち込みでつくる音楽はいわばアイディア(そしてエンジニアリング)勝負だ。ひとりでつくるより、複数でアイディアを出し合いつくる方がより良いものが生まれる確率は高い。チームのアイディアの結晶である『Breaking Atoms』はだから特別な1枚になり得たわけで、ラージの脱退により “オリジナル” メイン・ソースが終わってしまったのは本当に悲しかった。
マネージャーのサンドラが息子ふたりを優遇、ギャラの取り分を巡りモメた挙句のラージ脱退だったようだが……。以前はLA・ポッセと組んでいたマイキー・Dを迎えて制作された新生メイン・ソースの『Fuck What You Think』も、ラージのソロ・アルバム数枚も、『Breaking Atoms』の続きを聴かせてくれるものではなかった。だからこそ今回、オクラ入りとなっていた『The Science』がおよそ30年の時を経てリリースされたのが、とにかく嬉しい。
なんらかの形で既に聴くことが出来た曲も多い。が、各曲が当時の流行りだったインタールードで繋がれ、きちんとしたアルバムの形にまとめられた『The Science』は聴きごたえがもう全く違う。ヒップホップが日進月歩で進化していた時代らしく、例えるならア・トライブ・コールド・クエストが1stから2nd『The Low End Theory』で見せたような、持ち味はキープしつつもタイトでハードな作風への成長に胸躍る。そしてとにかく音像がやはりスペシャル。『Breaking Atoms』と『The Science』でしか聴けない、ヒップホップ史上でも最良のひとつと言えるサウンドは永遠の宝だ。低音を効かせて、とにかくデカい音で聴けば、この時代のニューヨーク・ヒップホップの神髄を感じられるだろう。
ポスト・ヴェイパーウェイヴとヴィデオ・ゲームの新たな共犯のかたち──Scmu なるアーティストによるこのアルバムは、ひとつの文化現象として興味深い事例を提供してくれているので紹介しておきたい。
エレクトロニック・ミュージックがヴィデオ・ゲームから材をとるケースは──それこそエイフェックス・ツインの『パックマン』のように──古くからたびたび見られたわけだけれど、両者の距離が一気に縮まったのは00年代後半以降、とりわけ2010年代だろう。
まず00年代後半以降の傾向のひとつとして、幼いころから自然にゲームボーイ、スーファミ、プレステなどに触れて育った世代がつぎつぎとシーンに登場してきたことがあげられる。フライング・ロータス(1983年生まれ)しかり、ファティマ・アル・カディリ(1981年生まれ)しかり、ハドソン・モホーク(1986年生まれ)にラスティ(1983年生まれ)に……ベリアルがヴィデオ・ゲームの効果音を多用したり、あるいはこれは最近の例だが、彼らよりひとまわり上の世代に属するコード9(1973年生まれ)が架空のゲームに政治的なメッセージをしのばせたり、彼の主宰する〈Hyperdub〉が日本のゲーム音楽のコンピを編んだり。われわれが『ゲーム音楽ディスクガイド』を出したのも、そうした時代性を踏まえてだったりする。
2010年代初頭の火つけ役はヴェイパーウェイヴだ。2001年以前の過去の音楽、なかでもミューザックや80年代のR&Bなどに目をつけ、ピッチやテンポを大幅にいじったり切り刻んだりしながら、広告やアニメを無断で縦横無尽にカット&ペースト、意味不明な日本語を散りばめるインターネット発のそのアナーキーな運動のネタには、当然のごとくヴィデオ・ゲームも含まれていた。最たる例はチャック・パースン(ダニエル・ロパティン、1982年生まれ)による、アクション・ゲーム『エコー・ザ・ドルフィン』のパロディだろう。
ヴェイパーウェイヴのパイオニアのひとり、マッキントッシュ・プラス名義作『フローラルの専門店』(2011)や情報デスクVIRTUAL名義作『札幌コンテンポラリー』(2012)で知られるヴェクトロイドことラモーナ・ゼイヴィアも、ヴィデオ・ゲームから少なくない影響を受けたことを明かしている。オウテカやボーズ・オブ・カナダ、スクエアプッシャーにエイフェックス・ツインを聴いて育った(https://pitchfork.com/reviews/albums/macintosh-plus-floral-shoppe/)彼女にとって、ナムコのゲームもまた大きなインスピレイションの源だったそうだ(https://daily.bandcamp.com/features/vektroid-interview)。
かくしてヴィデオ・ゲームがさして珍しくないギミックになってくると、当然、新鮮味も薄れていく。たとえば昨年バンドキャンプが特集したブレイクコア・リヴァイヴァルでもゲームのレファレンスはもう当たり前になっていて(https://daily.bandcamp.com/lists/breakcore-revival-list )、初期ヴェイパーウェイヴが帯びていたようないかがわしさ、わけのわからなさは失われて久しい(カセットテープ文化と結びついたそれはみごとフェティシズムに回収されてしまった)。Shmu はふたたびそこに驚きをとりもどそうとしているのではないか。
そもそも読み方からして難儀な Shmu(シュミュ?)ことサム・チャウンはLAのプロデューサー兼ドラマーで、かつてはゾーチ(Zorch)なる実験的なロック・デュオもやっていたようだ。〈ホステス〉から日本盤が出ていたサイケ・ロック・バンド、フィーヴァー・ザ・ゴーストとも浅からぬ関係にあるみたいだけれど(本作にも参加)、すでに Shmu 名義での活動歴も短くなく、バンドキャンプには16もの作品がアップロードされている(最古のものは2007年)。当初はギター・ポップ、シューゲイズ、ドリーム・ポップを核にどこかノスタルジックな雰囲気を演出する作風だったのが、2019年の『Vish』あたりからギターが後退、ヴェイパーウェイヴ譲りのケオティックな要素が増していき、〈Orange Milk〉からの初作『The Universe Is Inside My Body』(2021)ではついに生ドラムやヴォーカルを放棄、一気にエレクトロニック・サウンドに振り切れることに。ここが新生 Shmu の出発点と言っていいだろう。
6月にリリースされた新作『DiiNO POWER: Plastiq Island』は『The Universe~』で獲得したスタイルをより破壊的に突きつめ、さらにヴィデオ・ゲームをコンセプトに据えたアルバムとなっている。
全体は架空のゲームの進行に沿って5つのステージに分かれている。荒れ狂う前半がもっとも魅力的で、みじん切りにされた電子音が降り注ぐ冒頭 “1.1 Darkrave Crystalcave” のフットワークを踏まえた手のこんだリズム、“1.2 Silver Cyborg Symposium (feat. Fire Toolz)” のパーカッションの打ち方には、彼のドラマーとしての経験が活かされているのかもしれない。ジェイムズ・フェラーロや OPN 以降のシンセ使いにメタルのグロウルをかけあわせる “2.1 Pebble Palace (Introducing Buttons)” や、おなじ感覚の電子サウンドに切り刻まれた音声をかぶせる “3.1 Peachtree Joyland ” も大いにリスナーの耳を楽しませてくれる。
後半は相対的に落ち着きを見せるものの、ボカロっぽい声が印象的な “4.3 Slippery Babbling MoonCreek” はじめ、さまざまな音がめまぐるしく駆け抜けていくスタイルは変わらず、少なくともステージ4までは混沌が失われることはない(ステージ5はエンディングが近いということなのか、歌がメインに)。この矢継ぎ早な場面の切り替えとドラムの暴走こそ、本作のいかがわしさを担保するものだ。
とまあこのように Shmu はある種の音楽が持つ猥雑さを擁護しようとしている。テクノロジーの発達と普及によりいくらでも無難な音楽が量産できるようになったいま、コンセプトの練りこみとそれを具現化できる技量だけでは足りず、得体のしれなさこそがひとを惹きつけることを彼はよくわかっているのではないだろうか。言いかえるなら、本作をもってヴェイパーウェイヴ以降のエレクトロニック・ミュージックとヴィデオ・ゲームの関係は新たなフェイズに突入した、と。

