「W K」と一致するもの

interview with Kindness - ele-king

結局、音楽そのものはなんでもよくて、それがポップ・ソングでもいいし、カントリー・ミュージックでもいい。いっそ、音楽である必要すらないんです。Tシャツを作ったっていいし、本を書いたっていい。その過程が大切なのであって、結果はなんでもいい

 カインドネスことアダム・ベインブリッジの音楽にはアンビヴァレントなところがある。そこにはスタジオやベッドルームでひとりプログラミングやレコーディングに打ち込む姿とダンスフロアの熱や快楽が同時に刻まれている。その歌からは内省の陰影と艶やかで官能的なムードとが同時に吐き出される。

 Something Like a War──何か戦争のようなもの、というタイトルが掲げられたこの新しいレコードについてもそれは同様で、「何か」「のような」と断定を避ける言葉を重ねて用いた題も、ふたつの極の間で揺れ動く彼の作家性を物語っている。これは戦争ではないけれど、戦争でないこともない。

 前作から5年ぶりに発表されたこの新作には、少なくない数の音楽家たちがフィーチャーされている。特にシンガーの起用は際立っていて、パワフルなジャズミン・サリヴァン、ケレラ、幾度かのコラボレーションを重ねてきた(そして、この国ではまだ圧倒的に過小評価されている)ロビンなど、それぞれのシーンで知られたアーティストもいれば、新たな仲間たちも歌声を披露している(彼のコラボレーターには女性が圧倒的に多いが、それには「特に理由はない」とベインブリッジは言う)。様々な歌声が聞こえてきはするものの、だがどこをどう聞いてもカインドネスのレコードであることもまたユニークだ。その歌は、自他のあわいで揺れ動く。

 インタヴューに入る前に、『Something Like a War』が6月に事故で亡くなったフィリップ・ズダールとつくられた作品であることには言及しなければならないだろう。鋭敏な感覚とエレクトロニック・ダンス・ミュージックへの深い愛とを併せ持った、フレンチ・タッチを代表するプロデューサーである彼との最期の仕事について、その創造性について、ベインブリッジは言葉を尽くして語ってくれた。

 ソランジュやロビンとの共同作業、ニューヨークの文化風土、他者との共同作業、融和と分断、ソーシャル・メディア……こちらが投げかけたものについても、そうでないものについても、多岐にわたるテーマについて、カインドネスはひとつひとつ丁寧に自身の言葉を紡ぐ。

ティーンエイジャーの頃は、クラブやパーティに行って好きな音楽を聴き漁ったり、レコード・ショップに行って新しい音楽を見つけたり、友だちとDJをやったりして、音楽のすばらしさや楽しさに目覚めていくと思うんです。その過程が何よりも大切で、フィリップはその興奮を決して忘れない人でした。

あなたはいま、どこを拠点に活動しているんですか? その土地から受ける影響などはありますか?

アダム・ベインブリッジ(Adam Bainbridge、以下AB):いまはロンドンに住んでいます。ロンドンに戻って来たことは本当に嬉しいけれど、これまでの作品はニューヨークに住んでいたときにレコーディングしたもの。だから、ロンドンからの影響というよりも、ニューヨークのカルチャーから影響を受けているところが大きいと思いますね。

そうなんですね。では、新作の話題に入る前に、あなたのプロデューサーとしての活躍について聞かせてください。あなたはソランジュの『A Seat at the Table』(2016年)にプロデューサーやプレイヤーとして携わっていました。彼女との制作はどうでした?

AB:ソランジュと一緒に仕事をしたことは、その後の僕のレコード制作に直接的かつ多大な影響を与えたと思っています。様々なプレイヤーたちや、それぞれ個性を持つ最高峰のミュージシャンたちとのコラボレーションも貴重な体験でしたね。
 ソランジュはひとつの作品の世界観を軸にしながら、宇宙を創造するような作品づくりをする人。そんな風に世界を作り上げる人と一緒に仕事をしたのは初めての経験で、とても刺激になりました。彼女は視覚的にコンセプトを作る人で、そこは本当にすごいと思いましたよ。
 自分自身を律しながら、全体の隅々まで目を配る──あんな風に全体を統括できる人には初めて会ったし、その壮大なプロセスを目の当たりにすることは本当に刺激的で。レコード制作のプロセスがそのまま自分たちの関係性を投影している感じだったのも、大いにインスピレーションを与えてくれたと思います。

ソランジュはどんなアーティストですか?

AB:とても視覚的なアーティストだと思いますね。音楽的にもかなり幅広いことをやっていて、きわどいことにも挑戦しているし、それを視覚化することにも非常に長けている。常にメインストリームの音楽ばかりを作っているというわけでは決してないのに、それでもビルボード・チャートでナンバー・ワンを獲ったりするのは、本当にすごいことだと思いますね。
 僕はここ2作(『A Seat at the Table』、『When I Get Home』)がとても好きだけど、どちらも伝統的なポップ・レコードという感じではないですよね。かなり実験的なこともやっているんだけれど、それでいて商業的な成功を収めているというのは、素直に感動に値すると思います。
 良い曲を書いて演奏するだけではなく、その曲をどうプレゼンテーションするか、ときにはどういったファッションで視覚化するかということまで、総合的なパッケージとしての楽曲を生み出せる人なんです。

あなたがプロデュースで参加したロビンの『Honey』(2018年)も素晴らしいレコードでした。彼女とは以前もコラボしており、今作にも参加しています。ロビンはどんなアーティストですか?

AB:ソランジュのように外部から刺激やインスピレーションを受けている感じはないんですが、彼女もまた素晴らしいバランス感覚を持ったアーティストであることは間違いないです。とても良い曲を書くし、(プロデューサーの)マックス・マーティンとは23年も前から優れた音楽を作ってきています。
 ポップ・ソングを書く彼女のソング・ライティングの才能は、いまもまったく衰えていない──それはすごいことだと思うんです。ジョン・レノンでさえ、23年間もポップ・ソングを作り続けることができなかったんだから。長いキャリアがありながら、一度も下降線を辿ることがなかった。むしろ、ずっと上がり続けている人だと思います。
 人は歳を重ねるごとに守りに入っていくものだけど、彼女はより冒険的になっている感じがします。より実験的に、色々なことに挑戦していっていると思う。それは本当に素晴らしいことだと思うし、尊敬していますね。

優れたアーティストたちとのコラボレーションは、あなたの創作活動に直接的なインスピレーションを与えていますか? それとも、思想やアティチュードの面で影響を与えている?

AB:それについては、一緒にレコードを作っているときにはまだ答えが出ないんです。むしろ、何年か後、そのレコードを聴き直して振り返ったときに気づくことなのかもしれない。
 僕は、先日亡くなったカシアスのフィリップ・ズダールと長年一緒にやってきました。彼を失ってみて初めて、でき上がった音楽が全てではなかったことを悟ったんです。その音楽が素晴らしいかどうか、僕たちの創作活動が上手くいったかどうかは、本当はどうでもいい。僕にとっていちばん大切だったのは、彼と一緒に音楽をつくっていた時間や、僕たちの関係性だったんです。
 結局、音楽そのものはなんでもよくて、それがポップ・ソングでもいいし、カントリー・ミュージックでもいい。いっそ、音楽である必要すらないんです。Tシャツを作ったっていいし、本を書いたっていい。その過程が大切なのであって、結果はなんでもいいんですよね。
 だから、色々なインスピレーションを得たということが大切なのであって、結果的に生まれたサウンドそのものはそれほど重要じゃないのかもしれない。経験から何かを得るということが大事だと思うので。

フィリップの話が出ましたね。以前、あなたはデビュー・アルバムの『World, You Need a Change of Mind』(2012年)について、フィリップとのコラボレーション作品だと言っていました。それは今作も同じ?

AB:ファースト・アルバムは共同プロデュース作で、フィリップにはレコーディングのイロハを教わりました。僕はそれまでレコードを作ったことがなかったから。どういうふうに曲作りを進めればいいのか、どういうプロセスでレコーディングを進めるのか、どういったサウンドを取り入れるべきなのか──そういったことは全部彼に教わりました。だから、イチから彼と一緒に作り上げたレコードだと思っていますね。
 でも、新作ではミックスだけを担当してもらって、プロデュース自体は僕がひとりで手掛けています。でも僕は、ミキシングというのはもっとも重要なプロセスのひとつだと思っていて。だから、そこは絶対にフィリップに担当してほしかったんです。
 フィリップが出演している「Mix With the Masters」のインタヴューを観たんですが、何時間にもわたってミキシングの技術や秘訣をミキサーを前に話している映像でした。その中で、彼がミックスのプロセスは、実は非常に重要なんだと説明していて。ミックスによってそのアーティストをすごく助けることもできるし、完全に違う方向へと導いてしまうこともあると言っていたのが印象的です。
 特に、自分がレコーディングやプロデュースに関わっていないレコードをミックスするときはとても大胆になるし、すごく極端な方向転換をさせることが楽しいと言っていましたよ。例えば、自分がその曲でギターを弾いていたり、ピアノを弾いていたりしたら、そのときの自分の感情が乗っているし、愛着もあるから、大胆になりきれずに守ってしまうんでしょうね。でも、自分が演奏していなかったら、かなり大きく方向性を変えてみたり、大胆なアプローチができるんです。
 だから、彼がこのアルバムをミックスしてくれるのは、とても楽しみでした。彼はレコーディングにはもちろん参加していないし、事前にデモすら聴かず、いきなりミキシングの作業に飛び込んだんですから。彼には、僕のミックスに対するアイディアも伝えなかったし、僕がミックスしたデモもあえて聴かせなかった。彼には新鮮な耳と実験的な感覚でミックスしてほしかったので。
 最初にミックスしてもらったのは“Softness As A Weapon”でした。この曲のヴォーカルはオリジナルのものよりずっとラウドで、エキゾティックな雰囲気のディレイを多用していて、下手するとヴォーカルより目立っている部分もある。最初にこのミックスを聴いたとき、まるで出会ったことのないエイリアンの音楽みたいだって思いましたよ。こんなサウンド、いままで聴いたことがない、という新鮮な驚きがありました。僕だったらこんなに大胆にはなれないと思いましたね。
 だから、そんなふうに僕よりも勇気があって大胆で、実験的でおもしろいことをやってくれる人を求めていたんだと思います。

それほどフィリップのミックスが重要だったんですね。では、彼の人間性や音楽家としての特質を教えてもらえますか?

AB:ずっと、常に音楽と共にいる人でした。50歳を過ぎて、あんなに新しい音楽も古い音楽もこよなく愛して、DJをやったりパーティに出掛けたり──あそこまで音楽と一体になった生活を送れる人はなかなかいないと思います。フィリップはいつまでも19歳の少年のようにDJをやったり、音楽をつくったりしていましたよ。
 最期にパリで一緒に過ごしたときも、ずっとこんなふうでいたいねと話したところだったんです。音楽を愛して、音楽と共に歳をとって、ずっと音楽に囲まれていたいねと。
 音楽をつくる人間にとって、DJをやることってすごく大切なことだと思うんです。DJをやっていれば、たとえスタジオに籠もって音楽をつくっていても、ダンスフロアの熱狂を決して忘れることはないから。それを忘れなければ、素晴らしいダンス・レコードが作れるんだって、彼は言っていましたよ。
 誰もが若い頃からスタジオ・エンジニアとして、ましてやプロデューサーやミキサーとして活躍できるわけではないですよね。ティーンエイジャーの頃は、クラブやパーティに行って好きな音楽を聴き漁ったり、レコード・ショップに行って新しい音楽を見つけたり、友だちとDJをやったりして、音楽のすばらしさや楽しさに目覚めていくと思うんです。その過程が何よりも大切で、フィリップはその興奮を決して忘れない人でした。

彼の訃報を聞いたときにどんなことを思いました?

AB:訃報を聞いたとき、僕はパリにいたんです。道でばったり会った友だちが教えてくれました。彼は、僕がインターネットでこのニュースを知ることになったら嫌だと思って、わざわざ教えに来てくれたみたいで。最初はもちろん信じられなくて、本当に混乱した、というのが正直なところです。
 周りの人に元気を与えるエネルギーを持った人っていますけど、フィリップはまさにそんな人だったので。生きるエネルギーに満ち溢れていて、それを周囲の人々にも分け与えるような人だった。だから、まさか彼がいなくなるなんて思いもしませんでした。いまでも彼がいなくなったことが信じられません。彼のエネルギーは、まだ僕のまわりに漂っているような気がしてならないんです。

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僕が音楽をつくるのは、感動したい、新しい発見をしたい、音楽をつくる楽しさを体感したい──そういう思いに駆られるからなんです。それは、他のミュージシャンとのコラボレーションについても同じ。純粋にその人たちとやってみたいという、その思いだけで。

新作について教えてください。ビートが力強くて、すばらしいダンス・レコードだと思いました。ご自身ではどんな作品になったと思います?

AB:とても満足しています。ファーストとセカンドのいいとこどりみたいな作品になったと思っていますね。
 セカンド・アルバム(『Otherness 』、2014年)は、僕にとっては大きなチャレンジでした。フロア向けの4つ打ちを極力使わないように意図したレコードだったので。
 もちろん、僕はハウス・ミュージックもエレクトロニック・ミュージックも大好きです。ですが、ソング・ライティングの観点からいうと、そういう音楽を作っていると、曲を書くという作業がどうしてもおざなりになりがちなんです。4/4のビートが乗っていれば、体裁は整ってしまうので。だから、セカンド・アルバムでは、1曲を除いて4つ打ちを極力排除しました。商業的なエレクトロ・ミュージックに嫌気がさしていた時期だったというのもあって、もっとシンセの音を大切にしたり、ビートに頼らないレコードづくりをしたつもりです。
 それで、このサード・アルバムでは、「OK、そろそろダンスフロアに復帰するか」という感じで作ったんです(笑)。結果的に、とてもエキサイティングなダンス・レコードになったと思うし、すごく満足していますね。
 特に、色々なゲスト・シンガーに歌ってもらったのが大きくて。自分で曲を書いて、自分で歌うとなると、そのレコードを聴く回数が格段に減るから。自分の声を聴くのはあんまり気持ちのいいことじゃないですし(笑)。だから、他のシンガーに歌ってもらったことで、僕自身が純粋にこのレコードを楽しむことができました。繰り返し聴いていますよ。

前作とは対照的に、この『Something Like a War』では新しい友人たちとコラボレーションをしています。この変化の理由は?

AB:ニューヨークでレコーディングしたことが大きく影響していると思いますね。ニューヨークに住んで音楽をつくっていた時期は、とてもエキサイティングな経験でした。
 ニューヨークで録音されたアイコニックなレコードはたくさんありますよね。デヴィッド・ボウイ、ブロンディ、シック……。彼らの作品は、優れたミュージシャンや音楽シーンだけでなく、ニューヨークの持つ空気感そのものが作り上げたレコードだと思います。
 マスターズ・アット・ワークのレコードもそうですね。単なるニューヨーク・ハウスのレコードというだけではなくて、ニューヨークそのものを体現しているというか。ニューヨークには、ダンス・ミュージックひとつをとってみても、サルサやジャズ、ラテン音楽など、様々なジャンルの音楽が混在している。
ジャズ・ミュージシャンやラテン・ミュージシャン、それに若いミュージシャンとセッションしたことも、僕の作品づくりには大きな影響を与えていると思います。ホーン・セクションは若いジャズ・ミュージシャンに演奏してもらっているし、ピアノやシンセサイザーにも若い女性アーティストを起用しています。
 そういう未来に可能性を持った若いミュージシャンと一緒にニューヨークで作品を作ることはエキサイティングでした。ニューヨークで最高のミュージシャンたちとコラボすること自体、とてもロマンティックな体験でしたね。
 僕は8thアヴェニューにある「ザ・ミュージック・ビルディング」という建物にスタジオを持っていたんですが、そこは60〜70年代に多くのミュージシャンがレコーディングした伝説のビルとしても知られています。確か世界で唯一、ビル全体が音楽関連施設に特化した建物だったはず。ザ・ストロークスやビリー・アイドル、マドンナなんかも、このビルにリハーサル・ルームを持っていました。僕は2階にスタジオを構えていたんだけど、同じ階でブラッド・オレンジもレコーディングしたことがあるらしくて。
 そういう歴史や文化が息づく場所にスタジオを持てたこと、そこでレコーディングができたことも、とても甘美な経験でした。まるで映画の世界の話のような感じで。

なるほど。他者と音楽をつくるということは、あなたにとってどんな意味がありますか?

AB:前に言ったことに近いけど、色々なミュージシャンやアーティストとコラボレーションすることは、単純に曲をつくることに留まらないことだと思います。僕がつくる音楽はSpotifyで話題になったり人気が出たり、商業的な成功を収めるようなタイプではないですし。もしそういう音楽をつくる必要があるなら、いまとは全然違ったつくりかたをすると思いますね。
 僕が音楽をつくるのは、感動したい、新しい発見をしたい、音楽をつくる楽しさを体感したい──そういう思いに駆られるからなんです。それは、他のミュージシャンとのコラボレーションについても同じ。純粋にその人たちとやってみたいという、その思いだけで。コラボしたいからコラボする──それに尽きるかもしれません。
 そういう純粋な思いで一緒に作ったものは、まったく予想しなかった結果をもたらしてくれます。僕がざっくりしたアイディアを持っていって、他のミュージシャンたちが即興でセッションを重ねていって、ひとつの曲として完成する。ほんの小さなアイディアが、想像もしなかったような壮大な曲へと展開していくこともあります。
 例えば、「ちょっと使ってみたいな」と思ったサンプルがあって、それを中心に曲作りをしているときにふと、「あれ? もしかして、このサンプルが邪魔になっている?」と思うことがあって。それを取り除いたら、まるで森林の中の滝のように一気に音楽が流れ出してきて、素晴らしい曲へと進化を遂げたりもする。逆に、ひとつのサンプルが完璧なハウス・ミュージックを作り上げることもありますし。
 そこがコラボによる曲づくりの面白さなんです。意図せぬ流れに身を任せることで、色々なミュージシャンのアイディアのコラージュができ上がるんです。

その一方で、あなたは自分の音楽をパーソナルなものだと思いますか?

AB:そう思いますね。例えば、僕がソランジュのレコードに参加したり、逆にロビンが僕のレコードに参加したりして、お互いに、その人の曲に貢献しあうのがコラボレーションですよね。
 でも、感情的な部分や、自分の頭の中にある方向性に軸があれば、それはパーソナルな場所にい続けると思うんです。僕もロビンのアルバム『Honey』の曲に参加したけれど、それによってその曲が違った風合いや方向性を持つかもしれない。でも、その曲が持つ感情的な部分は、彼女のパーソナルなものであり続けると思います。
 僕のアルバムについても同じです。色々な人とコラボレーションして、サウンド的には広がりや厚みが出て、僕自身の予想していなかった意外性もはらんでいたりはするけれど、その根底にあるコンセプトや感情的な部分は僕のものですから。とてもパーソナルなものだと捉えています。

セイナボ・セイ(Seinabo Sey)、コシマ(Cosima)、バハマディア(Bahamadia)、ナディア・ナイーア(Nadia Nair)、アレクサンドリア(Alexandria)といった新しい友人たちとは、どんな経緯でコラボするに至ったのでしょう?

AB:ジャズミン・サリヴァンはすごく有名な人だから、正式なルートでお願いをしたけれど、彼女を除けば他のアーティストたちは、元々友だちだったり音楽仲間だったりと、ごく自然な流れでコラボレーションすることになった感じです。
 アレクサンドリアは僕がラジオでインタヴューしたことが縁で一緒にやることになったし、セイナボはミュージシャン仲間に紹介してもらって知り合いました。それぞれ別々のルートから知り合って、様々な流れでコラボをお願いすることになったんだけど、ある人は自分のアイディアを送ったところからはじまったり、ある人はとりあえずスタジオで何かを一緒にやってみよう、というところから曲ができ上がったり。すごく有機的な感じでしたね。
 ナディアとは、僕にちょっとしたアイデアがあって、それを彼女の前で演奏して、彼女が即興で歌を乗せてくれて、良い感じのメロディができ上がった。そのまま何か月か放置していたんですけど、改めて歌詞を書いてみて、ナディアに歌ってもらうように正式にお願いしました。すごく自然な感じでコラボレーションが固まっていた感じでしたね。

みんな Instagram や Twitter で、自分がいま抱えている問題や悩みやストレスについて包み隠さず話していますよね。一方で、そうしたソーシャル・メディアの存在が、ストレスを生んでいたりもするんですが。このタイトルは、そうしたごくパーソナルな悩みや問題を表現しています。

あなたがコラボする相手は、国も人種も、ジェンダーやセクシュアリティも、ジャンルもバラバラな人たちです。それはどうしてなのでしょう? 性格や性質上のものですか? それとも音楽的に追い求めるものがあるからですか?

AB:色々なバックグラウンドを持つ人や様々な音楽ジャンルで活躍する人とでなかったら、コラボレーションする意味がないし、ごく退屈なものしかできないと、個人的に思っているからですね。それに、意識することがなくても、自分の周りの環境がそもそもヴァラエティに富んでいるんです。僕が付き合う人たちは、音楽関係者であるなしにかかわらず、人種だったり性別だったりセクシュアリティだったり、何もかもがバラバラ。だから、自分にとってはすごく自然なことなんです。

それはニューヨークやロンドンを拠点に活動しているということの利点でもありますか。

AB:そうですね。日本に住んでいる人たちのほとんどは日本人だから、ちょっと状況が違うかもしれないけど(笑)。ロンドンもニューヨークも、本当に人種の坩堝という感じですからね。
 ニューヨークでは、最初ブルックリンに住んで、その後クイーンズのジャクソン・ハイツというエリアに住んでいたんだけど、そこは世界中のすべての人種や国籍の人が集まっているような場所でした。本当に面白い場所で、そこに住んでいるだけで、自分の行きたい場所のすべてに近づけるような感覚でしたね。

そんなニューヨークと相似形に、あなたの音楽やスタイルは、さまざまなサウンドがミックスされた、一言で表現できないものです。社会や政治的に融和よりも分断が進んでいるように感じる現在、カインドネスの音楽は特別な意味を持つと感じます。漠然とした質問ですが、こうした感想については何を感じますか?

AB:とても良い視点だと思います。僕自身の音楽について言えば、確かに一言でジャンルを説明するのは難しいと思う。なぜなら、ひとつのジャンルの音楽をつくろうとは思っていないんですから。より多様な音楽でなければつまらないと思ってレコードをつくっているので。色んなジャンルの音楽に寛容であることは、社会の多様性に関しても寛容であることに繋がるかもしれませんね。音楽という存在が、その媒介となってくれると嬉しいです。
 それに、若い世代はより音楽のジャンルに関してこだわりを持たなくなっているように思います。僕は自分のSNSでジャーナリストやアーティストを中心に色んな人をフォローしていますが、ときどき音楽談義が持ち上がることがあって。しかも、その中心になっているのは20代の若い音楽ジャーナリストだったりするんです。いつだったか、自分たちが高校生の頃に聴いていた音楽について話していたことがあったんだけど、エモ系のバンドを聴いていたことなんかも包み隠さず話していました。そういう過程を経て、いまは幅広い音楽について語るジャーナリストになっていたり、前衛的な作品をつくるアーティストになっていたり──そういう自分の音楽的な多様性や経歴についてとても正直だし、こだわりがないところが面白いと思うんです。
 僕が音楽をやりはじめた頃はインディー・ロックの全盛期で、その頃エレクトロニック・ミュージックは、はっきり違うジャンルに分けられていた。ホワイト・ストライプスやレディオヘッドについて評論を書くようなジャーナリストは、僕たちのやっていたような音楽については言及しなかったんです。それが、いまはミュージシャンにとっても、音楽ファンにとっても、どんどんその垣根がなくなっている。すごく良いことだと思います。

あなたのレコードからはソウル・ミュージックやファンク、エレクトロニック・ダンス・ミュージックからの影響を感じます。ただ、全体的なムードや手触りには享楽性よりも孤独や悲しみ、さびしさがある。それはどうしてなんでしょう?

AB:それはたぶん、僕の個人的な音楽性や嗜好によるところが大きいんじゃないかな。DJをするときはハウスやテクノを中心にかけるんだけど、ちょっとさびしくてメランコリックなサウンドが好きで、そういうものをプレイすることが多いんです。孤独な感じとは思わないけど、シカゴ・テクノなんかはアップテンポであっても、どこか切ない感じのサウンドが多いですよね。そういうのにマーヴィン・ゲイのような、ちょっとメランコリックなものを混ぜたりもします。もちろん、合間にアップリフティングな曲もかけるけど……。
 例えば、ファーリー・“ジャックマスター”・ファンクの“Love Can’t Turn Around”(1986年)なんかはビートがかっこよくて踊りたくなるのに、どこか影のある曲じゃないですか? そういう、踊りたくなるビートがあって、かつどこかにさびしさを感じさせるような曲が好きなのかもしれません。

なるほど。本当にたくさんの質問にお答えいただいてありがとうございました。最後に「Something Like a War」というタイトルに込めた意味を教えてください。

AB:これはもしかすると、さっきあなたが言ったように、社会的な分断といったことにも捉えられるかもしれません。テクノロジーやソーシャル・メディアの発達で、いまの人たちは自分たちの感情や思考を発信することにとてもオープンになった。みんな Instagram や Twitter で、自分がいま抱えている問題や悩みやストレスについて包み隠さず話していますよね。一方で、そうしたソーシャル・メディアの存在が、ストレスを生んでいたりもするんですが。
 このタイトルは、そうしたごくパーソナルな悩みや問題を表現しています。それは目に見えるものである必要もないし、言葉にできない、表現できないものでもあって。言葉を持たない自分の中の葛藤のようなもの、と言えばいいのでしょうか。「war」といっても、視覚的に暴力的なもの、アグレッシヴなものを指しているわけじゃなくて。もっと、現代人のひとりひとりが抱えている心の葛藤のようなものなんです。

KINDNESS

待望のNEWアルバム『SOMETHING LIKE A WAR』
インディーロックファンを魅了する
ハウス〜ディスコ・モードの傑作が目立つ2019年
その決定打となる問答無用の最高傑作が本日リリース!
11/18にはタワレコ渋谷に登場!11/19には一夜 限りの来日公演も決定!


公演概要
2019年11月19日(火) 渋谷 WWW X

OPEN 18:30 / START 19:30
オールスタンディング:¥6,500(税込/別途1ドリンク代)
※未就学児(6歳未満)入場不可

企画・制作・招聘:Live Nation Japan
協力:Beatink

お問い合わせ:info@livenation.co.jp
公演リンク:www.livenation.co.jp/artist/kindness-tickets

チケット詳細
一般発売:9/7(土)10:00~

カインドネス サイン会
タワーレコード渋谷店にてスペシャル・インストア・イベント開催決定!
待望の最新アルバム『Something Like A War』の発売と、4年ぶりとなる来日公演をして、スペシャル・サイン会の開催が決定した。

開催日時:2019年11月18日(月)20:00〜
場所:渋谷店 6F特設イベント・スペース
出演:カインドネス
内容:サイン会
詳細:https://towershibuya.jp/2019/08/29/137608

参加方法:
タワーレコード渋谷店にて9月6日(金)より、カインドネス最新作『Something Like A War』(日本盤CD/輸入限定盤LP)もしくは来日公演前売りチケットをご購入いただいたお客様に、先着でイベント参加券をお渡し致します。

※ CD/LP をご予約いただいたお客様には優先的にイベント参加券を確保し、対象商品ご購入時にお渡しいたします。なお、チケットの販売(予約・取り置き不可)は9月7日(土)より1Fのぴあカウンターで開始いたします。ご注意ください。

配券対象店舗:渋谷店

対象商品:
Kindness『Something Like A War』日本盤CD (BRC609) / 輸入限定盤 LP (FEMNRGLP3C1)
来日公演前売りチケット 11月19日(火) 東京 WWW X 公演前売チケット(Pコード:162-759)
※9月7日(土)より1Fぴあカウンターで販売開始

Danny Brown - ele-king

 デトロイト出身の異色のラッパー、ダニー・ブラウンが3年ぶりの新曲“Dirty Laundry”をリリースした。驚くべきことに、プロデューサーはQティップである。来るべきアルバムのほうにも注目が集まっているが、そちらにはお馴染みのポール・ホワイトに加え、ジェイペグマフィア(!)、フライング・ロータス、スタンディング・オン・ザ・コーナーがプロデューサーとして参加、さらにラン・ザ・ジュエルズ、オーボンジェイアー、ブラッド・オレンジらがゲストとして招かれているという。続報を待とう。

DANNY BROWN

Qティップがプロデュースした新曲“DIRTY LAUNDRY”をドロップ!
ニュー・アルバム『UKNOWHATIMSAYIN¿』には豪華プロデューサー/ゲストが集結!

異彩を放ち続ける人気ラッパー、ダニー・ブラウンが、エイフェックス・ツインやフライング・ロータスを擁する〈Warp Records〉との電撃契約も話題となった前作『Atrocity Exhibition』から3年振りとなる、新曲“Dirty Laundry”をリリース!

現在トークバラエティー番組「Danny's House」でホストも務めるなど、セレブリティーとしての地位も築いているダニー・ブラウンだが、ファンの間では、かねてより新作の大物プロデューサーが誰になるのかが噂されていた。本人のSNSや最近のインタビューで、ア・トライブ・コールド・クエストのQティップが、エグゼクティブ・プロデューサーであることが明かされ、期待が高まり続けていた中、彼らしいユーモア溢れるミュージック・ビデオと共に、新曲“Dirty Laundry”が解禁された。

Danny Brown - Dirty Laundry
https://youtu.be/1okqvhq7ZaI

自身やア・トライブ・コールド・クエストの作品を除けば、Qティップが他アーティストをプロデュースするのは、1995年のモブ・ディープ『The Infamous』以来とあって、大注目が集まっている新作のタイトルは『uknowhatimsayin¿』。そこにはQティップの他に、ポール・ホワイト、ジェイペグマフィア、フライング・ロータス、スタンディング・オン・ザ・コーナーがプロデューサーとして名を連ね、ラン・ザ・ジュエルズ、オーボンジェイアー、ジェイペグマフィア、ブラッド・オレンジがゲストとしてフィーチャーされている。

label: Warp Records
artist: Danny Brown
title: Dirty Laundry
release date: 2019.09.06

iTunes: https://apple.co/2kx16Yh
Apple Music: https://apple.co/2lF6qJi

For Tracy Hyde - ele-king

 もちろんこれまでの作品も音質/テクスチャへの強いこだわりを感じさせるものだったが、本作を一聴してまず感じるのは、それにもまして断然音がいい(整頓されている)、ということだ。時に出現するシューゲイザー的ノイズの中にあっても、そのノイズは丁寧にコントロールされ、理知的に配置されているふうだ。これはエンジニアリングやアンサンブルにおける音域統御が精度を増したことによるものであろうが、もっと根源的なレベルにおいてのことにも思える。J-POPまでをもパースペクティヴに収められながら、それぞれの音が文化的所与物としての性格を完全に把握された上で、そこにあることを統御されている感覚。いわゆるバンド・サウンドであることに違いないのだが、本作でそれを駆動する志向/思想は、60年代以来敷衍されてきた、ロック・バンドたるものメンバー各人が個性的存在として偶発的にパッショネイトしあうべし、という前提とすれ違うようなのだ。それはしかし、いま一番味わってみたい類のスリルにみちたすれ違いでもある。

 For Tracy Hyde は、2017年に夏bot (メンバーの名前です)の宅録プロジェクトとして U-1 (メンバーの名前です)とともに始動した。2014年には、現在はソロ・アーティストとしても大活躍のラブリーサマーちゃんをヴォーカルに迎え、女声をフィーチャーしたバンドとしての形が整った。その後ラブリーサマーちゃんの脱退を経て、新たに女性ヴォーカリスト eureka が加入、さらには前ドラマーの脱退に伴い、今作から草稿(メンバーの名前です)が加わった。いわゆるドリーム・ポップやシューゲイザー・サウンドに根ざしつつも、近作では、一見すると同時期に勃興してきた2010年代シティ・ポップの潮流に呼応するようなアンサンブルを取り入れたりもしたのだった。かといって、同時期の少なくないバンドがそうしたようなアップリフティングでストレートな都市生活礼賛に陥ることはなかった。前作『he(r)art』に色濃く反映されていた、周囲で沸き起こるムーヴメントを内側からクールに指弾するようなそうした手つきは、したたかでそこはかとない批評性を匂わすものだった。その時期から、このバンドが一筋縄ではいかない(好ましい)ねじれを孕んでいることに強く興味を惹かれたのだった。

 そして本作に至り、その好ましいねじれはさらに洗練を究めたように思われる。3本のギターが音域とフレージングを分け合うアンサンブルや、Alvvays をレファレンスとしたというそのサウンドメイクは、ドリーム・ポップ/ギター・ポップの系統を深く消化したものながらも、楽曲構造自体、特にメロディーが極めて確信的にJ-POPめいているのだ。(私のような)古式ゆかしいオルタナティヴ・ロック・ファンの感覚からすると、本来J-POP性からの逃避こそがオルタナティヴ・ロックの金科玉条だったはずであって、その逃避度合によってそのアクトが「本物」かどうかを決されるという死活的要件だったはずだ。しかしここには、そういった大前提すらがまず存在していず、ほとんどの曲で90年代のJ-POP黄金時代を彷彿とさせる(ごくウェルメイドでポップ極まりない)メロディーが横溢しているのだ。その驚き。そしてその新鮮さ。

 思えばこの10年ほどで、オルタナティヴ・ロックの他のシーン、例えば DTM と言われる小さくない文化圏ではこうした傾向は珍しいものでなくなっている。tofubeats らの活躍をみるまでもなく、例えばブックオフの280円コーナーに埋もれている過去のCDに収められたメジャーなポップスを自らの音楽の側へ主体的に引き寄せるという価値逆転的行き方は、いまでは既に珍しいことでなくなっている。For Tracy Hyde というバンドと本作は、そうした心性をオルタナティヴ・ロックというフィールドに持ち込んだとすると分かりいいかもしれない。いや、持ち込んだというよりはむしろ、ごく自然に彼らの中に胚胎している心性なのかもしれない。それを指して「インターネット世代的」とひとくくりにしてしまうことも可能かもしれないが、そういう大づかみの理解から漏れ出る魅力も本作は湛えてもいる。
 ロックが時代の先頭ランナーから脱落して久しいいま、さらには「新しい」音楽はもうこれ以降生まれえないのではないかという考えが多くの人に憑依しているいま、こうした心性をもって退行だとか保守化だとか指摘するのはたやすいかもしれない。しかしながら、ポップ・ミュージックがその前進を止めたようにみえるいまだからこそ、いま一度ポップ・ミュージックの歴史の中で前提とされていた事柄(例えば、J-POP性を嗅ぎ取れるロックは唾棄すべきものだ、とすることとか)を、自覚的かつ無垢な興味をもって相対化することは、決して保守的な仕草ということはできないだろうし、むしろドラスティックに批評的でもある。
 はっきりいっておくと、オルタナティヴ・ロックを含めたロック一般は、ポストモダン以降の状況に十分に対応できてこなかったのかもしれないのだ。相対主義が席巻して以降のいまにあって、J-POP性と(確信的に)はつらつと戯れる最新のオルタナティヴ・ロックが登場したということは、ロックの延命にとってのカンフル剤にはならぬにせよ、相当に痛快なことなのではないか。ロマン主義的なロックンロール個人主義から離れ、過去のアーカイヴに即時的にアクセス可能な環境の中でアンサンブルとサウンド全体を文化的構築物として強く統御せんとする心性は、こうした状況下によってさらに強くドライヴするし、インターネット空間的コミュニケーションの中でさらに強く純化されうるし、実際この作品はされているように思う。

 ところで本作のタイトルは『New Young City』である。「ニュー」と「ヤング」というのは同義反復でないかしらと一瞬思うわけだが、これまで論じてきたことに照らすと、律動する若い肉体を祝祭するロック用語としての「ヤング」(かつてグループ・サウンズに氾濫した「若い」という形容詞を思い起こして下さい)のその先へ、と読むこともできる(はちゃめちゃに壮大に読むなら、「New Young」とは、アーサー・C・クラークの名作『幼年期の終り』における「新しい子どもたち」のことなのかしら、とも思ったりする……)。いずれにせよ、このニューヤングたちは、甘み(J-POPも含めたポップス文化)を厳しく統御し、この連作短編めいたアルバムにまとめたのだった。青春の群像を物語ろうとする細やかな歌詞も含め、きわめて精緻な楽曲の組み上げぶりから、オルタナティヴ・ロック風のシンフォニーめいたなにかを作り出そうとした強い意志も感じる……とここまで書いて、(M5のように直接的な影響を感じさせる曲もあるし)ザ・ビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』を思い起こしたのだが、実際バンドのプロフィールに「21世紀のTeenage Symfony for God」を作り出す、と書いているのを見て、得心。そういう意味で、前段までを費やしつらつらと述べてきたような現在における状況論的な価値を超え出て、未来にわたって聴くものの青春を寿ぐ音楽作品としてエバーグリーンな魅力も備えているのだった。極めて2019年的であると同時に、無時間的。この先どんなふうにこの作品が聴き継がれていのか、それを考えるのもまた楽しい。

ralph - ele-king

 馴れ合いなら首を吊ればOK──2017年の“斜に構える”で注目を集めたラッパーの ralph が、初のEP「REASON」をリリースする。すでに同作収録の“No flex man”が先行公開中だが、「服着たってモブキャラ/俺はパジャマ姿でも様になる」など、やはりリリックが印象的。そしてベースもビシビシ身体に響いてくる……なんと、「REASON」では全曲を Double Clapperz がプロデュース! これは期待大。

ralph - REASON

唯一無二のラップとハードなストーリーで注目を集める ralph のキャリア初となるEP 「REASON」が9月6日にリリースされる。

ralph が本作でフォーカスしたのはラッパーとしての自分とラップを始める前のストーリー。収録された5曲にはこれまでの彼自身の経験から生まれたパーソナルなメッセージが込められている。EPに収録された彼のストーリーを通じて、ralph の嘘偽りのない一貫した哲学を感じることができるはずだ。

制作陣には、グライムを軸に活躍するプロデューサー・チーム Double Clapperz が全曲をプロデュース。グライムやUKドリルといったラップ・ミュージックの最新トレンドを貪欲に取り入れながら、ダークで独特な世界を生み出している。

ralph / アーティスト
持ち前の声とストーリーを武器に東京のシーンを中心に着実に支持を集める。
2017年に SoundCloud で発表された“斜に構える”で注目を集めたことをきっかけに、2018年には dBridge & Kabuki とのスプリット・コラボレーションEP「Dark Hero」をレコード限定でリリースし、即完売となった。2019年6月にEPに先駆けて発表された先行シングル“No Flex Man”のミュージック・ビデオはすでに巷で話題となっている。
2019年9月、ファーストEP「REASON」を発表。今後のさらなる飛躍が期待される。

Instagram : https://www.instagram.com/ralph_ganesh/

Label : KERV
Artist : ralph
Title : REASON
リリース : 2019.9.6

トラックリスト
1. BLACK HOODIE
2. Hungry Dogs
3. piece of cake
4. No Flex Man
5. REASON

Streaming : https://hyperurl.co/ralph_reason
Music Video : No Flex Man https://youtu.be/nOeOYxvr7t4

Gilles Peterson - ele-king

 少し前に告知されていた10月12日のジャイルス・ピーターソンの来日公演だけれど、あらためてその詳細が発表された。Studio X にはジャイルス本人に加え、昨年アルバムをリリースした松浦俊夫と、同じく昨年コラボレイトを果たしたGONNO × MASUMURAが出演する。Contact にはDJ KAWASAKI や SOIL&"PIMP"SESSIONS の社長、そして MASAKI TAMURA、SOUTA RAW、MIDORI AOYAMA の「TSUBAKI FM」の面々が登場! ヴェテランと若手の共演をとおして、現在進行形のUKジャズやハウスと出会い直す、素晴らしい一夜になりそうだ。

Gilles Peterson at Contact
2019年10月12日(土)

Studio X:
GILLES PETERSON (Brownswood Recordings | Worldwide FM | UK)
TOSHIO MATSUURA (TOSHIO MATSUURA GROUP | HEX)
GONNO x MASUMURA -LIVE-

Contact:
DJ KAWASAKI
SHACHO (SOIL&”PIMP”SESSIONS)
MASAKI TAMURA
SOUTA RAW
MIDORI AOYAMA

Foyer:
MIDO (Menace)
GOMEZ (Face to Face)
DJ EMERALD
LEO GABRIEL
MAYU AMANO

OPEN: 10PM
¥1000 Under 23
¥2500 Before 11PM / Early Bird
(LIMITED 100 e+ / Resident Advisor / clubbeia / iflyer)
¥2800 GH S Member I ¥3000 Advance
¥3300 With Flyer I ¥3800 Door

https://www.contacttokyo.com/schedule/gilles-peterson-at-contact/

Contact
東京都渋谷区道玄坂2-10-12 新大宗ビル4号館B2
Tel: 03-6427-8107
https://www.contacttokyo.com
You must be 20 and over with photo ID

和レアリック・ディスクガイド - ele-king

魅惑的和モノの世界!

海外ディガーをも虜にする魅惑の国産音源たち。
イージーリスニング、ムード音楽、ニューエイジ、アンビエント、歌謡曲、ポップス、ディスコ、ニューウェイブ。
あまりにも雑多かつ陶酔的な「和レアリック」の世界。
和モノブームの一歩先を行くなら、これです!

執筆:AZ、Chee Shimizu、Flatic (Cos/Mes)、Gokaine、Rockdown、Willie、浦元海成、松本真伍、吉村和弥

イージーリスニング/ムード音楽
ニューエイジ/エレクトロニクス
サイケデリック/アヴァンギャルド
歌謡/ロック/ポップス
ディスコとフュージョン
ニューウェイブ
サントラ/アニメ
CD_era
疑似和レアリック
海外DJ/ディガーがセレクトする和モノ

Swans - ele-king

 これは驚きのニュースだ。オルタナティヴ~エクスペリメンタルの大御所バンド スワンズが、なんとインダストリアル~ドローンの俊英ベン・フロスト(ちなみに彼はかつてイアン・バンクスの小説『蜂工場』のサウンドトラックを手がけてもいる)を新たにメンバーに迎え、ニュー・アルバム『Leaving Meaning』を10月25日にリリースする。いやもちろん、彼らはすでに5年前に共演しているし、そもそもいまはレーベルメイトだし、00年代以降のドローンの動向を考えてもこの合流はなんら不思議なことではないのだけど、まさか同じバンド・メンバーになってしまうとは。現在、アルバムより“It's Coming It's Real”が先行公開中。

 今年はディー・テートリッヒェ・ドーリスの再発をした新潟の〈SUEZAN STUDIO〉レーベルが、今度はジャーマン・ニューウェイヴ(ノイエ・ドイッチェ・ヴェレ)の伝説のレーベル〈ZickZack〉作品を再発する。
 〈ZickZack〉はポストパンクの影響を受けて1981年にハンブルグに設立されたレーベルで、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンをはじめ、地元のバンド、パレ・シャンブルク(そしてホルガー・ヒラーとトーマス・フェルマン)、ディー・クルップスやアンドレアス・ドーラウなどのリリースで広く知られている。ラジカルであり、ユーモラスであり、とにかく面白いレーベル。この夏8時間プレイをした石野卓球さんも大好きなレーベルです。
 再発計画の第一弾はアンディ・ジョルビーノ((Andy Giorbin)の2枚のアルバム。ハンブルグのアンディ・ジョルビーノの音楽は、ジャーマン・ニューウェイヴらしいコミカルさ、子供っぽさとアートへの情熱が籠もった面白いサウンドで、〈SUEZAN STUDIO〉らしくマニアックなはじまりです(笑)。そしてこれはかなり期待できる再発なのはじまりなので、注目しましょう。


アンディ・ジョルビーノ/歓喜の歌
(Andy Giorbino / Lied an die Freude)

1981年のファースト・アルバム。エイフェックス・ツインも顔負けの子供っぷり満載のプリミティヴ・エレクトロ・ミュージック。ボーナストラック付き。

アンディ・ジョルビーノ/優美と尊厳
(Andy Giorbino / Anmut und Würde)

1983年のセカンド・アルバムで、ホルガー・ヒラーも参加。80年代ドイツ・エレクトロのマスターピース。ボーナストラック付き。

https://suezan.com/newrelease.htm

Thom Yorke - ele-king

 彼のことを見直したのは2017年だった。例のテルアヴィヴ公演をめぐるごたごたである。かの地で演奏することはパレスティナへの弾圧に加担することにほかならない、とイスラエルにたいする文化的ボイコットを推奨する団体「アーティスツ・フォー・パレスチナ・UK」がレディオヘッドを非難、5人それぞれに公演の中止を要請したのだ。それにたいしトム・ヨークは「ある国で演奏することは、そこの政府を支持することとおなじではない」と一刀両断、バンドはそのまま予定されていた公演を敢行する。ちなみに糾弾側にはロジャー・ウォーターズやサーストン・ムーアなども名を連ねていたのだけれど、もっとも手厳しかったのは映画監督のケン・ローチで、「弾圧する側に立つのか、弾圧されている側に立つのか」と容赦のない二択を迫った。
 この混乱はアンダーグラウンドにまで飛び火し、翌2018年、「イスラエルにたいする学問・文化ボイコットのためのパレスティナ・キャンペーン(PACBI)」による協力のもと、ベンUFOやカリブー、フォー・テットやローレル・ヘイローなどが「#DJsForPalestine」というハッシュタグを共有、つぎつぎとボイコットへの賛同を表明していった(ちなみにフォー・テットはトム・ヨークとコラボ経験がある)。そのような対抗運動は「BDS(Boycott, Divestment, and Sanctions:ボイコット、投資引きあげ、制裁)」と呼ばれているが、かのブライアン・イーノもその強力な支持者である。
 それらの経緯や各々の意見については『RA』の特集が詳しいので、ぜひそちらを参照していただきたいが、このボイコット運動の最大の問題点は、それがあたかもこの地球上に、「良い国家」と「悪い国家」が存在しているかのような錯覚を撒き散らしてしまうことだろう。イギリスやアメリカ(や日本)では大いにライヴをやるべきである、なぜならイギリスやアメリカ(や日本)はイスラエルとは異なり、そこに生きる「すべての」人間にたいし何ひとつ、いっさいまったく抑圧的なことをしない善良な国家だから──ある特定の国家のみを対象としたボイコット運動は、国家そのものにたいする疑念を覆い隠してしまう。

 とまあそういう「音楽に政治を持ち込もう」的な混乱のなかで、いつの間にかその存在さえ忘れかけていたトム・ヨークのことを思い出すにいたったのである。彼の音楽について考えなくなってしまったのはいつからだろう、むかしはレディオヘッドの熱心なファンだったはずなのに──もちろんトム・ヨークはずいぶん前から果敢にエレクトロニック・ミュージックに挑戦し続けてきたわけだけど、どうにもロックの呪縛から逃れられているようには思えなかったというか、正直なところ『The Eraser』も『Tomorrow's Modern Boxes』もいまいちピンと来なかった。
 ソロとして通算3枚目となる新作『Anima』は、しかし、素直に良いアルバムである。彼はようやくロックの亡霊を振り切ることに成功したのだろうか? ジョニー・グリーンウッドの活躍から刺戟を受けたのかもしれない。あるいは『Suspiria』のサウンドトラックを手がけたことがなんらかのトリガーになったのかもしれない。いずれにせよトム・ヨーク(とナイジェル・ゴッドリッチ)によるこの5年ぶりのアルバムは、彼が長年エレクトロニック・ミュージックを享受してきたことの蓄積がうまい具合に実を結び、ストレートにアウトプットされているように聞こえる。

 今回の新作は、かつてツアーをともにしたフライング・ロータスがライヴでループを用いて即興していたことからインスパイアされているそうなのだけど、たとえばハンドクラップのリズムと「いーいー」と唸る音声がユーモラスに対置される冒頭の“Traffic”や、いろんな声のアプローチが錯綜する“Twist”といった曲によくあらわれているように、その最大の独自性はさまざまな音声とリズムの配合のさせ方に、そしてストリングスとシンセの融合のさせ方にこそ宿っている。
 とくに素晴らしいのは後半の5曲で、ご機嫌なベースと崇高なコーラスのお見合いから、ライヒ/メセニー的なミニマリズムへと移行する“I Am A Very Rude Person”も、遠隔化されてふわふわと宙を漂うレトロフューチャーなブリープ音に、重厚なチェロとコントラバスが喧嘩を吹っかける“Not The News”も、虫の羽音を思わせる電子音の足下で強勢が複雑に変化し、次第にポリリズミックな様相を呈していく“The Axe”も、どれも細部を確認したくなって何度も聴き返してしまう。“Impossible Knots”におけるドリルンベース的なハットの反復と、そこから絶妙に遅れて爪弾かれる生ベースとの不一致もいい感じに気持ち悪くてクセになるし、“Runwayaway”のブルージィなギターのうえでぶるぶると震える声のサンプルはベリアルの発展形のようで、ポスト・ポスト・ポスト・ダブステップとでも呼びたくなる印象的なビートがそれを補強している(この曲もまたチェロとコントラバスがいい)。

 あとはトム・ヨーク本人が歌うのをやめれば……と思う曲もなくはないけど、こういう素朴に良い内容のアルバムを送り出されると、もう彼のことを無視できなくなるというか、これからはまたしっかり彼の動向を追いかけていくことになりそうだ。

 おまけ。アルバムのリリースから一月ほど経って“Not The News”のリミックス盤が登場、3年前にコラボを果たしたマーク・プリチャードイキノックスクラークの三組が存分に腕をふるっているのだけれど、それぞれかなりおもしろい解釈を聴かせてくれるので(とくにクラークがすごい)、そちらもおすすめ、というかマスト。

interview with Yosuke Yamashita - ele-king

ドラムの森山がとりあえず一番凶暴になりまして、ドーンと打ち込んでくる。それに対して僕は最初は指で応じていたんですが、森山のドーンは強烈ですから、こっちも負けずにやってやるというので、ダーンと打ち返した。それが肘打ちのはじまりですね(笑)。

 山下洋輔トリオが結成から50周年を迎える。それに併せて12月23日(月)に新宿文化センターにて、「山下洋輔トリオ結成50周年記念コンサート 爆裂半世紀!」と題したイベントが開催される。歴代のトリオ参加者である中村誠一、森山威男、坂田明、小山彰太、林栄一らはもちろんのこと、三上寛、麿赤兒、そしてタモリさえもが参加する、めったにお目にかかることのできない集大成的な催しである。遡ること50年前、すなわち1969年に病気療養から復帰した山下は、ピアノ、サックス、ドラムスという特異な編成で、既存のジャズに囚われることのない「ドシャメシャ」なトリオを結成した。ときを同じくしてギタリストの高柳昌行は吉沢元治、豊住芳三郎らと結成したニュー・ディレクションで最初のアルバム『インディペンデンス』を録音し、ピアニストの佐藤允彦はドラマーの富樫雅彦らとともに耽美的な傑作『パラジウム』を発表している。あるいは富樫、高柳、吉沢、高木元輝という黄金のカルテットによる先駆的な即興作品『ウィ・ナウ・クリエイト』がリリースされたのも同年である。のちに日本のフリー・ジャズと総称される立役者たちが出揃った1969年は、まさしく日本のフリー・ジャズの幕開けを告げたきわめて重要な年だったと言ってよい。

 彼らの道行は70年代に入ると勢いを増すとともにそれぞれに大きく分かれていったように思う。あるいはそれぞれのオリジナリティが確立されていったと言うべきだろうか。そのなかでもわたしたちが思い起こさなければいけないのはおそらく、山下洋輔トリオが決してエリート主義に陥らなかったということである。むろん万人に受ける音楽などないし、誰もが聴かなければならない唯ひとつの音楽などこの世にはない。とはいえミュージシャンが聴衆を選別することほど不毛なこともない。日本においてフリー・ジャズというある種の特殊な音楽が、ジャンルの壁を超えて様々なミュージシャンの基層にあり、そしていまもなお聴衆を惹きつけているのだとすれば、それは間違いなく山下洋輔トリオがあくまでも「開かれた場所」において活動することに徹してきたからに他ならない。このことは先日、誰もが出入りできる東京タワーの麓で開催された「アンサンブルズ東京」において、大友良英──大友は山下ではなく高柳に師事していた──によるフォルムを持たない即興的なアンサンブル、あるいはノイジーなギターの響きを聴いたときに、いまもなおかたちを変えて受け継がれているとともに、これからも確保していかなければならないものなのだと強く感じた。であればこそわたしたちは、開かれた過激さを纏う山下洋輔トリオの活動と当時の同時代的な状況について、単に過ぎ去った時代を回顧するのではなく、アクチュアルな問題意識をともなってあらためて振り返る必要があるだろう。(細田成嗣)

既成のものをぶち壊せという運動もたしかにありましたが、僕らに関して言えば、音楽を政治的なメッセージとして演奏したことは一度もないです。そういうことを音でもできるよというか、自然に壊しちゃってるところが結果的には一致していましたけどね。

山下洋輔トリオが結成された1969年にはまだフリー・ジャズというものが存在しなかった。正確に言うとのちにフリー・ジャズと呼ばれるような音楽は、その頃の日本ではニュー・ジャズと呼ばれていたと聞いています。ニュー・ジャズ、つまり新しい音楽に取り組むという意志が、当時の山下さんにもあったのではないでしょうか。

山下洋輔(以下、山下):ええ、ありましたね。ただしもちろん手本になるものはありました。ピアノのセシル・テイラーやアルト・サックスのオーネット・コールマンなど、アメリカではじまっていたフリー・ジャズ運動です。最初の頃の僕は正統派だったので、あの人たちの音楽に近寄ってはいけないと考えていました。けれども考えがガラリと変わったんですね。トリオを結成する1年半前に僕は病気をして、しばらくピアノが弾けなくなっていました。回復してから病気になる前のバンドを再結成してリハーサルをはじめたんですが、どうしてもその音楽が当時の自分の気持ちにそぐわなかった。何かもっと力強くて激しいものを求めていたんです。リハの直前にベースの人が就職をしてバンドを辞めるということもあって、ピアノ、サックス、ドラムという偶然、セシル・テイラーと同じ編成になってしまった。そこで何をやろうかなって思ったときに、みんなデタラメに勝手に音を出したらどうなるかやってみた。そしたらとても面白い後味があったんです。そのときに一緒にはじめたテナー・サックスの中村誠一は、ジョン・コルトレーンの来日コンサートを客席で聴いていたんですよね。66年に日本でコンサートをやったコルトレーンは、もう完全にフリー・ジャズになっていて、「あのコルトレーンがどうしてこんなメチャクチャをやるんだ!」と驚くほどでした。ですから、ああいうことをやるんだなと理解して、すぐに誠一はできましたね。それからドラムの森山威男は、一所懸命にフォービートをやるよりも、自分勝手なことをいきなりやる方が大好きだ、っていうのをそのときに発見しましてね。彼は藝大の打楽器科出身で、誠一は国立音大のクラリネット科出身。ふたりともどういう音楽が世の中にあるのかを知っていたわけで、そのどれとも似ていないものをやる、ということを最初の動機にしてトリオをはじめられたんですね。

何にも似ていない音楽をやるにあたって、既存のジャズを破壊するような心持ちもあったのでしょうか。

山下:それもあります。やはり似てしまうというのはいままでの秩序があるからですね。それまでジャズが「これが決まりだ」といって守ってきたものを、全部忘れたっていいんじゃないかなと。むしろ忘れてやろうよと。そういう考えになりました。それが自然と破壊につながるわけですね。

開かれた場所、誰もが足を踏み入れることのできる場所で、遭遇してもらう。特別なところと知ってわざわざ足を運ぶのではなくて、普通の場所に行ってみたらとんでもない奴らがいた。そういう状況を求めたかったんです。

たとえばピアニストのスガダイローさんは「自分は山下洋輔のモノマネでいいと割り切っている」とおっしゃっていたことがありました。そのうえで彼自身のオリジナリティが出ていると思うのですが、いまのお話を伺うと、そういったこととは異なるスタンスが感じられます。

山下:そうですね。彼はわざと宣言してはじめたわけですが(笑)、ジャズの掟に囚われずにやるという最初の段階では、僕もピアノのセシル・テイラーの肘打ちを、ああいうこともやっていいんだっていう手本にしていましたよ。とはいえテイラーのやることを全部真似するという意識はなかった。似てしまうところもあるだろうけれども、自分はあくまでも自分の勝手をやってるんだと思っていました。ドラムとサックスとピアノで同時に演奏するわけですが、それまでのジャズにあったようなテンポやコードという決まりがありませんから、そういうものは頼りにしないで、お互いの演奏を聴き合いながら、「ああ言えばこう言う」といった応酬でやっていくわけです。そのうちにドラムの森山がとりあえず一番凶暴になりまして、ドーンと打ち込んでくる。それに対して僕は最初は指で応じていたんですが、森山のドーンは強烈ですから、こっちも負けずにやってやるというので、ダーンと打ち返した。それが肘打ちのはじまりですね(笑)。それをなんどもやっているうちに自然と音楽の技法になっていきました。

アメリカで生まれたジャズという音楽を日本でやることに関してどのように考えていらっしゃいましたか。

山下:ジャズの面白さは第二次世界大戦の前から日本に伝わっていました。演奏する人たちもたくさんいた。けれどもやがて敵性音楽だから禁止だと言われることもあって、やはり日本でジャズが本格的に花開いたのは戦後になってからでしょうね。たとえばドラムのジョージ川口さんのバンドなんかは、中学生の頃僕も聴きに行きましたよ。ジャズは映画音楽にも使われ、ダンス音楽にも使われ、自然と我々のなかに入ってきました。そのなかでも特にモダン・ジャズと言われるものは、自分の自己表現としてこの音楽をやっていた。ダンス音楽や映画のバックなんかじゃないと。それは小説や絵画、映画といったものと同じで、いわゆる普遍的な芸術表現分野なんですよ。どの国の誰がそこに参加してもいい。新しい表現をやっていける。そういうジャンルとしてジャズというものが近代に登場してきたんですね。ひとりひとりが面白い即興演奏をする、そのなかで誰が好きで面白いっていうふうに聴く。そういうジャンルができたときに、そこに我々も入っていったということですね。

その中でもモダン・ジャズを続けていく人もいれば、フリー・ジャズと言われるものを試みていく人もいました。現在に比べれば当時はフリー・ジャズに同時代的な勢いがあったように思います。

山下:ジャズの歴史が長く続けばプレイヤーもたくさん出てきます。その中で自分の表現を求めたいと思ったときに、いままでのやり方では満足できないと考える人がたくさんいたんだと思いますよ。そのことと、あの頃の時代的な背景というものを関連づけて考えてもいいかもしれませんね。ちょうど60年代後半から70年代にかけてというのは、世界的に学生運動というのが盛んな時期で、既成のものをとにかく壊すということに価値があるんだというような考え方がありました。ですから我々がものごとを壊しても、それを「ああ、あいつらは音楽でそれをやっているんだな」って、たとえば学生運動をやってる人たちが共感してくれるとか、学校に呼んでくれるとか、そういうこともありました。そういうことが背景になってるという一面はありましたね。

『DANCING古事記』というアルバムも、そうした学生運動との関わりのなかで生まれた作品ですよね。

山下:そうなんです。早稲田のバリケードの中でやりましてね。発案したのはテレビ・ディレクターの田原総一朗さんでした。彼が担当していたテレビ番組に僕らを出して、学生運動の最中に突っ込んだら火炎瓶が飛んできてメチャクチャになって我々が逃げ惑うであろうと、それをカメラに撮りたかったらしいんですが、案に相違して学生たちはみんなシンとして聴いてしまった(笑)。これは面白かった。テレビ番組のために作ったので録音が残っていて、それをのちに麿赤兒さんが面白いからと言って『DANCING古事記』というアルバムにしてくれた。そのおかげでいまだに伝わっているわけで、幸運なことですね。

当時は政治や状況というものが、音楽と強く結びついていたのでしょうか。

山下:政治状況は政治状況ですごかったし、既成のものをぶち壊せという運動もたしかにありましたが、僕らに関して言えば、音楽を政治的なメッセージとして演奏したことは一度もないです。そういうことを音でもできるよというか、自然に壊しちゃってるところが結果的には一致していましたけどね。

山下さんは1972年に、若松孝二監督の映画『天使の恍惚』の劇伴を務められてもいます。それもまた、ポリティカルな意識というよりも、自然と面白いものを求める流れの中でコラボレートすることになったのでしょうか。

山下:若松孝二さんはピンク映画を利用して社会派の新しい表現をぶち込んでしまうっていうことをされていましたね。それは言ってみれば現状破壊みたいなもので、そういうことでは僕と根が一緒なんですね。それを感じ取っていたからなのか、我々と一緒にやったら面白いだろうという話が向こうから来て。そこに相倉久人さんという絶好の方がおられてね。相倉さんは若松さんのことも我々のこともよく知っていましたから、この両方が結びつくのは面白いと考えてくれた。実情を申せば、「台本も何も読まなくていい、とにかく君たちは演奏しなさい、画面に合わせて僕が全部つけてあげるから」と言われて、そうやってあの映画はできたんですよ。そういういろいろな幸運が重なってできるんですね、ものごとっていうのは。

批評家の平岡正明さんとはそうした流れのなかで出会っていったのでしょうか。

山下:ええ、平岡さんは相倉さんと一緒に行動していましたからね、僕にも注目してくれて。いろいろなことを面白おかしく書いてくれましたね。すべてを革命に結びつけたりして(笑)。ああいう言い方もあるなと思いました。

■山下さんの活動について書いていた音楽批評家だと、他にもたとえば副島輝人さんがいます。

山下:副島さんとはちょっと距離がありましたね。でも最初のリハーサルで我々がメチャクチャをやったときに、その場にいて見届けていたのは副島さんなんですよ。まあ、後に我々のことを書くのは相倉久人さんが多かったこともあり、副島さんが主に手がけるのはまた別のフリー・ジャズのグループになった。

副島さんはその頃のジャズをめぐる音楽批評について、「ニュー・クリティシズム」という言い方で、平岡さんや相倉さんのほか、間章さんや清水俊彦さんなどに言及していたことがありました。

山下:間章さんは何だか僕たちの悪口を言っていたという印象があります(笑)。ですからあまり近寄りませんでしたし、特に個人的に付き合うということもなかったですね。急に出てきたフリー・ジャズというものについて、色々な人が色々なことを言いました。やっぱりすごく強い印象を得たのでしょうね、書きたくなるのはもちろんわかりますよ。そこで好みが出てくるのは仕方のないことで、それはそれでいいと思ってました。清水俊彦さんもおられましたね。最初の頃のことはよく覚えてないんですが、後年になってさまざま認めてくださったことが印象に残っています。

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フリー・ジャズだから我々も自分勝手と言えば自分勝手なんですけど、相手のことも理解しながらやるっていうのが我々の基本でもあるんですよ。いまはこいつはこうやりたいんだな、じゃあ俺がやったらあんたがやりなさい、っていうふうに考えるんです。

トリオ結成前の山下さんが、1965年にサックスの武田和命さん、ベースの滝本国郎さんとともに富樫雅彦カルテットでおこなった演奏が、日本で最初のフリー・ジャズだったと書かれていることもあります。どのようなグループだったのでしょうか。

山下:僕らがのちにはじめるやり方とは少し違っていました。ちゃんとテンポがあったんですね。ただしコードはもうなくていいというところまできていました。それとそれまでのモダン・ジャズでのアドリブのやり方は、ワンコーラスというのがあって、それを3回か4回やったら次の人に渡すっていう寸法が大体決まっていたんですけれど、あの富樫のカルテットではとにかく自分のやりたいことが出てくるまでいつまでやってもよかった。ですから当時としては長い演奏がよくありましたね。で、相倉久人さんがずっと聴いていてくれまして、司会もしてくださっていた。それで相倉さんの執筆したものの中に「日本で最初のフリージャズ」といった文言が残されることになったんです。

それよりもう少し遡ると、1963年に録音された『銀巴里セッション』というアルバムがあります。銀巴里では毎週金曜日の昼にジャズ・セッションがおこなわれて、オールナイトのイベントも開催されていたと聞いています。山下さんにとって銀巴里での活動はどのようなものだったのでしょうか。

山下:あれはとても進歩的な試みでした。その頃のミュージシャンはダンスホールとかキャバレーとか、そういうところが主な仕事場だったわけです。つまり演奏だけを聴かせるための場所がなかった。本当に演奏だけで食えているのは一部のミュージシャンだけでした。たとえばジョージ川口さんのビッグ・フォアとか、白木秀夫さんのグループなどですね。そういう人たちだけがお客さんに演奏を聴かせる機会があったんです。こうした状況をどうにかしようということで、ギターの高柳昌行さんとベースの金井英人さんがふたりで組んで、シャンソン喫茶の銀巴里にかけあって、金曜の昼間だけ貸してもらった。そこにお客さんに来てもらって、生のジャズを聴かせる。いわゆる有名バンドではない人たちが、演奏だけを聴かせるということをはじめたわけで、これは画期的なことだったんですよ。それで若手も呼んでくれまして我々にも声がかかった。若い日野皓正もいましたし、富樫雅彦もいました。そういう人たちが集まっては金曜日にセッションを繰り広げるとても素晴らしい場になっていました。そういう盛り上がりを受けて、近所にあったキャバレーがジャズ・ギャラリー8と名前を変えて、「うちも毎日ジャズのライヴをやっていいよ」とオーナーが言い出した。そこに先ほどの富樫カルテットが出るようになるわけです。

そのあと新宿の旧ピットインの2階にニュージャズ・ホールというスペースがオープンしました。ちょうど山下洋輔トリオと同じでニュージャズ・ホールも今年で50周年なんですが、ニュージャズ・ホールには山下さんは一度も出演しなかったと聞きました。そこには何か理由があったのでしょうか。

山下:ありましたね。ニュージャズ・ホールというのは、ニュー・ジャズだ、フリー・ジャズだっていうことを標榜しましてね。どこか「お前らにはわかんないだろうけど」っていう態度でこもっちゃう感じがあったんです。僕は下の階にあった普通の「ピットイン」で、ありとあらゆるジャズが聴けるけど、こういうものもあるよというやり方をしたかった。それははっきり覚えていますね。ニュージャズ・ホールでやるのは「来たい奴だけ来なさい」という感じで。そうするともう通の世界になってしまう。そういうのは嫌だったんです。誰もが聴ける場所に出て行くけれど、自分らのやることは変えない。メチャクチャに聴こえるならそれでいいと。その同じ場所で次の日には普通のジャズ・バンドがやっている。そういうふうに開かれた場所、誰もが足を踏み入れることのできる場所で、遭遇してもらう。特別なところと知ってわざわざ足を運ぶのではなくて、普通の場所に行ってみたらとんでもない奴らがいた。そういう状況を求めたかったんです。

ニュージャズ・ホールにはサックスの阿部薫さんがよく出演していました。彼のことは当時どのように見えていたのでしょうか。

山下:独りだけでやるのを好んだ人でしたね。阿部薫というサックス奏者がいて、ひとりでピアノも弾いたりしている、っていうことは前から知っていました。実際に演奏も聴いて、やはりすごい奴だと認識していました。一度か二度、彼の方から望んだのかこちらから声をかけたのか、飛び入りみたいなかたちで一緒に演奏したこともありましたよ。阿部はもうとにかく自分勝手でしたね(笑)。フリー・ジャズだから我々も自分勝手と言えば自分勝手なんですけど、相手のことも理解しながらやるっていうのが我々の基本でもあるんですよ。いまはこいつはこうやりたいんだな、じゃあ俺がやったらあんたがやりなさい、っていうふうに考えるんです。変なサービス精神ではなく、音楽家のあり方として、お互いにみんなが表現できた方が面白いからなんですね。けれども阿部には一切その配慮がなかった。自分がくたびれるまでひとりで吹いていましたね(笑)。音楽が阿部のものだけになってしまって、せっかくいる共演者の表現を封殺するのはつまらないんです。

よく外国帰りのミュージシャンが、あっちでは大ウケだったのに日本では全然ダメだ、日本人は聴く耳がないなんて言うこともあるでしょ。けれどもアーティストがそう言っちゃダメだなと思いました。

阿部薫さんと一時期は行動をともにしていた高柳昌行さんは、山下さんからするとどのような存在だったのでしょうか。

山下:もともとは僕にとっては素晴らしいモダン・ジャズのギタリストだったんですよ。それがフリーになってからはあんまり近寄れなかったというか。高柳さんはやっぱりニュージャズ・ホールにこもる方で、聴きたい奴だけが来いというような厳しさがありました。高柳さんのお弟子になった人とも付き合いがありましたから、いろいろな話を聞きましたね。高柳さんの言葉として伝え聞いたところによれば、客が増えるのは良くない、客が増えていくような音楽をやっているのは堕落だ、こんなことを言っていたそうですね。

それは厳しいですね。

山下:厳しいでしょ。いいねって言われて客が増えちゃうのは、これはもう堕落であるという、そういう考え方をするんですね。僕らはそこは違います。やることは変わらないけど、それを面白がって来てくれる人が増えたらいいと、単純にそういうふうに考えてましたからね。

客が増えるのは堕落だというのは、山下さんの活動に対して高柳さんがおっしゃっていたのでしょうか。

山下:いいえ、違います。一般論として、おそらくご自分についてもおっしゃっていたんじゃないでしょうか。半分冗談なのかもしれませんが、それは客に来てもらうために自分が不本意なことをやっているんじゃないか、そういうことをしてしまうことへの戒めだったのかもしれませんね。僕たちはなるべく多くの人にとにかく聴いてほしい、わかってほしい、でもそのために音楽を変えることはしない、ということでずっとやってきました。

反対に、フリーになって以降の高柳さんの活動で、山下さんから見て評価できるところはございますか。

山下:それはありますよ。モダン・ジャズをやっていた人がフリー・ジャズをやりはじめて、しかもその後もそのまんま、それこそわかってたまるかの勢いで音を出し続けていましたからね。これは尊敬に値することです。同時に高柳さんは銀巴里セッションというものをはじめた人ですからね。そういう意味では僕にとっては恩人なんです。初めて人前で演奏を披露することができたのは銀巴里セッションのおかげですからね。それまでももちろん仕事はしてたんですが、それはダンスホールでありキャバレーであり、バーであって、人を飲ませて踊らせる役目の音楽だったわけで。純粋に自分の演奏を聴いてもらうという場は銀巴里が初めてだったわけですから。僕にとっての高柳さんの存在は、そのことと一緒になっていますね。

ニュージャズ・ホールは1971年に閉店しますが、一方で山下洋輔トリオは70年代になるとむしろ活動のピークを迎え、国際的にも広く知られるようになっていきます。初めて海外で演奏したときは、どのような反応が返ってきたのでしょうか。

山下:我々がピットインで演奏してるのを、ドイツのマネージャーがたまたま立ち寄って聴いて、いままでとは違うメチャクチャさにびっくりして、これはヨーロッパに連れていったら面白いと考えたようです。それで彼の招きでツアーができたわけですよ。最初に行ったときから、聴衆の反応には過大な期待はしていませんでした。もちろんそれを聴いて喜んでくれる人がいれば嬉しいことではあるんだけど、まずは外国の人の前で自分たちが演奏できることが嬉しいわけですからね。そういう気持ちで行ったんです。生まれて初めてのヨーロッパはルクセンブルグのジャズ・クラブでした。演奏したら最初のうちはやっぱり唖然とした反応でしたが、途中で帰ってしまう人はいませんでした。それで2セット目の終わりくらいに、熱狂的な拍手がだんだん沸き起こってきた。楽しんでくださっている人もいるようだということがわかって嬉しかったです。その次がメルス・ニュージャズ・フェスティバルだったんです。『クレイ』というアルバムに収録されている演奏です。野外のジャズ・フェスティバルだったこともあって、お客さんはたくさんいましたね。それでも我々がやることは一切変えずに、前のジャズ・クラブと同じようにドシャメシャにやったわけですね。そしたらすごい騒ぎになった。これはもちろん嬉しかったですよ。演奏の途中から歓声が上がったり、ソロが終わったら大きな拍手があったり。終わってから楽屋に戻ってビールを飲んでたんですけど、客席の声が全然おさまらないんですね。ドイツ語で「ツーガーベ」っていうんですが、アンコールが鳴り止まない。それでもう一度やってこいと言われて、また出ていきました。振り返ってみればメルス・ニュージャズ・フェスティバルで大成功したことになるんですが、もうその瞬間はね、ほとんど実感がないんですよ。僕たちは普段通りにやっただけでしたから。それでもこれだけ騒いでくれたのは嬉しかったですけどね。そしてこれがそれ以降のヨーロッパ・ツアーにつながるわけです。メルスははじまってまだ3回目だったんですが、ドイツ全土で評判になっていまして、そこで大ウケをした奴らだっていうので、ベルリン・ジャズ・フェスティバルのプロデューサーが目をつけた。それでその年の秋のベルリン・ジャズ・フェスに呼ばれてしまった。こういうことが起きたんですね。傍から見たら大成功物語ですよね。でも僕らにはあまりその実感がありませんでした。やる場所さえあれば思いっきりやるという態度のままでしたね。

ヨーロッパで演奏したときの客席の反応と、日本で銀巴里やピットインで演奏していたときの客席の反応に、違いを感じることはありましたか。

山下:ありましたね。ヨーロッパの方が思い切り反応が返ってきます。演奏が良ければ全力で拍手してくれるし、大騒ぎしてくれますね。ヨーロッパに行く前から同じトリオでピットインで演奏していたんですが、やはりそんな大騒ぎにはならない。それは熱狂的な人たちはいてくれたんですが、会場全体がそうだというのではなかったですね。ヨーロッパでは本当に全体が応えてくれる。そういうふうに感じましたね。

それは聴く人たちの文化の土壌ができ上がっていたとも言い換えられるでしょうか。

山下:そう言えるでしょうね。ヨーロッパの人たちは昔からアメリカのジャズを聴き手として受け止めてきましたからね。他所からジャズをやりにくる人たちには慣れてるわけですね。昔の僕のエッセイにも書きましたけど、ヨーロッパではどこに行っても大ウケしたんですが、このことは日本に帰ったら忘れなければいけないと思ったんですね。よく外国帰りのミュージシャンが、あっちでは大ウケだったのに日本では全然ダメだ、日本人は聴く耳がないなんて言うこともあるでしょ。けれどもアーティストがそう言っちゃダメだなと思いました。ヨーロッパと日本ではお客さんが違うのであって、日本で大ウケするためにはそのために日本でコツコツと積み上げていく時間がなきゃいけない。そう思っていました。ヨーロッパはヨーロッパ、日本に帰ったらまたあらためて「こいつら何をやってるんだ」っていう目にさらされるだろう、そういうふうに覚悟していました。

2009年にはトリオ結成40周年記念コンサートが開催されました。40年経って日本の文化の土壌や聴き手の反応は変わったと思いましたか。

山下:40周年記念コンサートでは日比谷野外音楽堂が満員になりましたからね。僕らのやっていることに騒いでくれる人たちは昔に比べれば増えたように見えますけど、一般の聴衆というよりも、昔から聴いてた人たち、我々と同世代の人たちが集まってくれたという方がやっぱり大きいと思います。これは自分への戒めとしてそう思ってるということです。もちろん20代や30代で聴いてくれる人たちもいるんですよ。ダイローなんかが僕のやり方からはじめたんだと言ってくれて、若い人に聴衆を作っているのはとても良いことだと思うけれども、だからといって胡座をかいていたらいけないですからね。

山下洋輔トリオは1983年に一度解散しています。それはおそらく山下洋輔トリオというフォーマットでできることをやり尽くしたというところもあったのではないかと思います。

山下:そうでしょうね。

しかしお話を伺ってきて、今年の50週年記念コンサートでは、山下洋輔トリオというフォーマットを回顧するのではなく、むしろその新たな姿を目撃することになるのではないかと思いました。

山下:ぜひとも期待してください。僕にとっては今回のコンサートはまた新たな出会いです。昔やっていた仲間たちとの再会ではあるけれど、いまお互いにできることをすべてぶつけ合うという意味では、トリオをはじめた頃と何ら変わりません。みんな元気にしていますし、お互いのことをよく知っているぶん、昔のトリオにはなかったいろいろなコミュニケーションのあり方が聴かせられるんじゃないかと思います。それがとても楽しみですね。

山下洋輔 トリオ結成50周年記念コンサート 爆裂半世紀!

公演名:山下洋輔 トリオ結成50周年記念コンサート 爆裂半世紀!
公演日時:2019年12月23日(月)
開場 17:15 / 開演 18:00
会場:新宿文化センター 大ホール
料金:全席指定
【前売】S席 ¥8,000(税込)/ A席 ¥7,000(税込)
【当日】S席 ¥9,000(税込)/ A席 ¥8,000(税込)
出演者:
山下洋輔(p)
中村誠一(ts)、森山威男(ds)、坂田明(as)、小山彰太(ds)、林 栄一(as)
ゲスト:タモリ、麿 赤兒、三上 寛、ほか
MC:中原 仁
備考:
※3歳以上要チケット
※出演者ならびにゲストは都合により変更になる場合がございます。あらかじめご了承ください。
主催:ジャムライス
共催:(公財)新宿未来創造財団・朝日新聞社
運営:ディスクガレージ
お問い合わせ:ディスクガレージ 050-5533-0888(平日12:00~19:00)

TICKET:一般発売日 2019年9月7日(土)10:00~
●チケットぴあ https://w.pia.jp/t/yosuke-pr/
0570-02-9999
Pコード:154-242 ※要Pコード
●ローソンチケット https://l-tike.com/
0570-084-003
Lコード:72519 ※要Lコード
●イープラス https://eplus.jp/yosuke/
●CNプレイガイド https://www.cnplayguide.com/yosuke_trio50/
0570-08-9999(10:00~18:00)
●ジャムライス https://www.jamrice.co.jp/yosuke/
●新宿文化センター(窓口のみ) 03-3350-1141(9:00~19:00/休館日を除く)

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