「Not Waving」と一致するもの

Crack Cloud - ele-king

文:小林拓音

 まもなく来日を控えるクラック・クラウド。いまのインディ・シーンにおいてとても重要なバンドだと思うのでこれを機に紹介しておきたい。
 ぼくが彼らの存在を知ったのは最近のことだけれど、カナダのカルガリーで始動した彼らについて、イギリスのメディアは4年前の2018年から賛辞をもって注目している。2枚のEPを合体した編集盤『Crack Cloud』が世に出たタイミングでもあった。まずは大手『ガーディアン』が「いかにして彼らはパンクを活用し薬物中毒を治療したか」との見出しで、まだ駆け出しのこのカナダのバンドのインタヴューを掲載。翌年には『クワイエタス』がバンドのさらなる背景に迫るインタヴューを敢行し、大きくフィーチャーしている。以下、それらの情報をもとに彼らの来歴をたどっておこう。

 いわゆるフロントマン的なポジションを担うドラマー兼ヴォーカルのザック・チョイは、中国人の父とウェールズ人の母のもとカナダで生を受ける。11歳のとき、父を亡くした悲しみから酒に溺れ、ほかのドラッグにも手を出すようになった。依存症から脱するきっかけになったのは、おなじく父の遺したレコード・コレクションだったという。
 なかでも大きかったのはブライアン・イーノだったようだ。その穏やかさに触れた彼は、イーノの「非音楽家」なるアイディアに惹きつけられる。おそらく、専門的な訓練を受けていなくても音楽はできるという考え方に勇気づけられたのだろう。かくして誕生したのがクラック・クラウドというわけだ。

 メンバーは一応7人ということになっている。けれども表に立つ彼ら以外にも映像作家やデザイナーなど、クラック・クラウドには多数の人間が関わっている。アート表現と日常生活が一体になったその活動は、家であると同時にスタジオでもありヴェニューでもある、アルバータ州カルガリーのスペースではじまり、その後ヴァンクーヴァーのイーストサイド──アナキズムの歴史がある一方、ドラッグや貧困などの問題も根強かった地域──で継続されることになった(Casanova S.氏の情報によれば、そのイーストサイドもジェントリフィケイションによって破壊され、現在メンバーたちはばらばらに暮らしているらしい)。
 このように彼らは──音楽性は異なるが、ゴッドスピード・ユー!ブラック・エンペラーのように──たんなるバンドというよりも、生活をともにする共同体という意味でのコミュニティなのだ。そのあり方は、カネとSNSのつながりだけが人間関係であるかのように見える現代において、じっさいにひととひとが助け合いながら生きていくこと、その可能性を模索するある種の運動だともいえるかもしれない。アナキストたちが自治を獲得しているコペンハーゲンのコミューン、「クリスチャニア」を彼らが訪れていることも、見逃すべきではないポイントだろう。

 なんて部分ばかりを強調すると、なにやら過激な政治集団のように思われるかもしれないが、クラック・クラウドの核にあるのは「薬物依存症からの回復」と「メンタルヘルスのケア」だ。じっさい、クラック・クラウドのまわりには元ドラッグ中毒者だった者たち、あるいは現在その状態にある人びとを助ける仕事に携わっている者たちが集まっている。
 たとえばキーボードのアリ・シャラール。パンジャブ系移民の親を持つ彼は、DVと人種差別を経験し、自殺願望にさいなまれ、チョイ同様ドラッグの深みにはまった過去を持つ。シャラールが「ぼくらはアート学生じゃない」と発言しているように、バンドをやることが生きていくことと同義であるような、ぎりぎりの場所から彼らは音楽を鳴らしているのだ。
 そのことは、ファースト・アルバム『痛みのオリンピック(Pain Olympics)』(2020)のタイトルにもあらわれている。初期の特徴だったギャング・オブ・フォー的ポスト・パンク・サウンドをある程度は引き継ぎつつ、コーラスや電子ノイズの導入などにより音楽性の幅を広げた同作は、大いに称賛を受けることとなった。

 それから2年。チョイの亡き父、すなわちバンド立ち上げのきっかけになった人物のことばからはじまるセカンド・アルバムは、音楽的にさらなる飛躍を遂げている。コーラス、管楽器、鍵盤の三つが重要な役割を担い、ほとんどの曲が起伏に富んだ展開を見せている。アーケイド・ファイアを引き合いに出しているメディアもあるが、初期のシンプルなスタイルからここまでアレンジの幅を広げたことは驚嘆に値するだろう。
 ブラスが特徴的なサード・シングル “Costly Engineered Illusion” にせよ、女性の合唱ときらきらのギター、ラップ寄りの歌がうまい具合に調和する “Please Yourself” にせよ、ドラム・スティックが印象的な表題曲にせよ、とにかく祝祭性にあふれている。ぼくの英語力ではちゃんと歌詞を聴きとれないのが残念だけれど(対訳付きの日本盤を希望)、少なくともサウンドのみにフォーカスするかぎり、このアルバムはポジティヴな感覚にあふれている。きっと、共同生活とともに追求してきた「回復」の結果が本作なのだろう。
 精神的に追いこまれ薬漬けになることは、けっして自己責任に帰せられるような個人の問題ではない。原因は、資本主義をはじめとする社会のほうにある。そこからの脱却の可能性を、コミュニティの実践をとおして垣間見せるクラック・クラウドの音楽は、すさんだ現代を生きるぼくたちにとって大いなるヒントとなるにちがいない。

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文:Casanova S.

 クラック・クラウドは集団である。カナダ、ヴァンクーヴァーの同じ家に暮らし、共同生活を送る中で彼らは音楽を制作し、映像を生みだし、衣装を作り、アートを通し世界と向き合った(ヴィジュアル・アーティストにダンサー、フィルムメーカー、ありとあらゆるクリエイターがクッラク・クラウドの中には存在する)。別働隊、N0V3L、ミリタリー・ジーニアス、ピース・コードをその身に宿し、クラック・クラウドは牙を向く。ギャング・オブ・フォー、あるいはワイヤーのようなヒリヒリとした感触を持った2018年のセルフ・タイトルの編集盤『Crack Cloud』で話題になり、セリーヌのエディ・スリマンのショーの音楽に起用されるなどするなか、彼らの牙はずっとアンダーグラウンドで研がれ続けていた。

 2020年のデビュー・アルバム、『Pain Olympics』はシニカルでダークなアルバムだった。相対する世界への抗い、蔓延するオピオイド依存の危機、エコーチェンバー、社会の腐敗、そのなかでもがく自己。直線的だった『Crack Cloud』からより複雑に音が組み合わされまるでSFのドラマ・シリーズのように世界が語られる。効果音のように響くシンセサイザー、腐敗した世界のなかで生まれた希望を祝福するかのように鳴り響くホーン、SF世界のアート・パンク、それを描いた『Pain Olympics』は紛うことなく傑作だった。

 それから2年がたち状況がだいぶ変わった。『Pain Olympics』が書かれた家はヴァンクーヴァーの再開発による住宅事情によって取り壊され、同じ場所に住んでいたメンバーはそれぞれヴァンクーヴァー、モントリオール、ロサンゼルスに離れて暮らすようになり、プロジェクトの節目ごとに集まるようになった。
 そのなかでパンデミックが起こった。クラック・クラウドのドラム/ヴォーカルであり中心メンバーのザック・チョイはロックダウンの時期を他のメンバーと切り離されて過ごすことになったという。この孤立した時期について彼は同時に解放されたような気分を味わえた時期だったとも語っている。子どもの頃に戻ったような気分だったと。アートとの関係、家族との関係、自分自身との関係、強制的に活動のほとんどを止められたために外的なプレッシャーを感じることもなく、自分自身と深く向き合うことができたというのだ。

 あるいはそれがこの 2nd アルバム『Tough Baby』の出発点だったのかもしれない。このアルバムの温度や色や質感は 1st アルバムとはだいぶ変わった。1st アルバム同様にささくれだってはいるが、世界が色づいたようにカラフルになり、その手に構えられていた武器も下ろされているようなそんな気配が漂う(朝日が昇った後、ピアノ、トランペット、サックス、メロトロン、コーラス・ワーク、それは様々な楽器に彩られた世界だ)。1st アルバムが抗いの物語だとしたら、この 2nd アルバムで描かれる物語は、抗い生き残った後の世界でどう生きるのかということをテーマにしているのではないかというように感じられる。それはザック・チョイの内面に潜るような物語だ。

 最初の曲、壁に囲まれた部屋のなかで響くテープの音声、“Danny's Message” に収められたその声はザック・チョイの父親の声だ。29歳のときに白血病で亡くなったダニー・チョイ、彼の声は告げる。「これから私が伝えることから、みながたくさんのことを学んでくれると願っている」「音楽は怒りを吐き出す最良の方法だ、全てを紙に書いてしまうんだ」。家族に向けて残されたメッセージの間に別の声のカウントが挿入される。テープの前の人間の声、そんなふうにして息子の物語の幕が開く。なめらかになだれ込む “The Politician” のザック・チョイの声は物憂げに優しく響き、ジリジリと進むベースがストーリーのラインを作り上げていく(そこで唄われるのは29歳のザックが生きるパンデミック以降の世界だ)。
 あるいは “Criminal” の記憶の再生のようなサウンド処理のなかでその思い出はもっと直接的に唄われる。「彼はここにいない/俺が9つのとき死が彼を迎えに来たから/それ以来俺の心はひどくシニカルだ」。子どもの頃の思い出と成長するまでの出来事が入り交じり、過去と未来が行き来する。それはまるで物語の途中に挟まれる回想シーンのように曲のなか、アルバムのなかで展開していく。「結局のところ骨格はいつもクローゼットのなかにある」。インタヴューでザックが語ったこの言葉通り、そしてレコードに封入されているザック・チョイのメッセージの通りにこのアルバムは自己を形成してきた過去を受け入れ、向き合うということがテーマになっているのだろう。そうしてそれが癒やしとなり理解となり、やがて希望へと形を変えていくのだ。

 こうしたテーマを扱った作品をザック・チョイ個人の活動ではなくクラック・クラウドという集団でやるということに大きな意味があるのではないかと私は思う。クラック・クラウドの音楽、とりわけアルバムはとても映画的/映像的で、曲をシーンとして捉えているような節がある。サウンド・コラージュを駆使し断片をつなげ、そうやってイメージを物語にしていく。そこで鳴っている音はカメラワークであってセリフであって、音楽ジャンル、さらには媒体の枠を越え展開していく(たとえばその断片はビデオのなかでおこなわれるダンスに、あるいはその世界観に形を変え広がっていく)。個人の体験を元に集団のなかで物語が作られて、つなぎ合わされたイメージの断片に因果関係が生じる。そうやってイメージが共有され自己を離れた客観視された物語ができ上がる。それは他者の物語で、そうしてその物語を通し自らの内面を理解する。それがクラック・クラウドの言う「セラピーとしてアート活動」ということなのではないだろうか。

 あるいは “Please Yourself” のビデオとそのビデオに寄せられたメッセージこそがこのクラック・クラウドの考えを象徴するものなのかもしれない。2nd アルバムのジャケットにも使われているビデオのメッセージでクラック・クラウドは言う。

「子どもの頃、私のベッドルームは祭壇のようでした。壁に貼られたイメージは私がいかにそれらに憧れ、目標としていたかを示しています。このようなポップ・カルチャーの神格化は、たとえそれがでっち上げられたものであっても、自分自身の物語の感覚を強くしてくれました」

 ベッドルームの壁に神格化された過去と未来(それは訪れなかった未来も含まれる)が張り巡らされ、その部屋の周りで映像と現実の世界の間にいる半実体の集団クラック・クラウドが踊り、音楽が奏でられる。それがジャケットに写る彼女の、そしてクラック・クラウドの音楽を求める私たちの周りにあるものだ。不安を抱く心を理解してくれるようなサブ・カルチャーとの連帯、それは誰かの物語で本物ではないが、しかしリアルを感じられる。それこそが心の支えになるものなのだ(だからこそ “Please Yourself” の声が合わさるその瞬間に心が震える)。

 だが同時にクラック・クラウドはそれがメディア・インダストリーをパラドックスに陥らさせているとも言う。

「それは人びとのインスピレーションの源であると同時に、作られた幻想でもあります」

 人生を救うエンジニアード・イリュージョン、そのパラドックスのなかにクラック・クラウドは生き、答えを探す。自分たちは何者であるのか、そして何者でありたいと願っているのか。

「アートとは、癒やしと発見のためのメカニズムです。アートから学び、成長する、私たちの文化ではアートを数値化し、認可し、製造する傾向にあります。しかしその根底にあるものは、人生を探求する形なのです。自分自身をより理解するために、人生の深淵を解き明かす方法を学ぶのです。そしてお互いに理解しあえることを」

 「Tough Baby」と名付けられたこのアルバムはアートを通しクラック・クラウドがいかに生き、そしていかに理解への冒険を進めているのかを示している。不安が意味するもの、恐怖がもたらすもの、物語、音楽、映像を通しそれらを文脈化し、理解していく。理解への欲望、人生への探求、生きるということ、クラック・クラウドの音楽は断片化された世界を繫ぎ、連帯する人間の物語を感じさせてくれるのだ。

 サウス・ロンドンを拠点とするギタリストであり、現在はビート・メイカー/プロデューサーとしても世界中で高い人気を誇る edbl。デビュー・シングルを発表した2019~2021年の作品をまとめた日本独自の編集盤『サウス・ロンドン・サウンズ』と、続く『ブロックウェル・ミックステープ』でここ日本でもブレイク。今年9月には、SANABAGUN. への加入も大きな話題を呼んだ注目のギタリスト、Kazuki Isogai との共作『The edbl × Kazuki Sessions』を。そして10月には、イギリスの新進シティ・ソウル・バンド、Yakul のヴォーカリストであるジェームズ・バークリーをフィーチャーした『edbl & Friend James Berkeley』をリリースと絶好調、勢いが止まらない。そこで今回、アルバム1枚を通しての初の共作者となった Kazuki Isogai と、彼とは同い歳で、お互いに注目する間柄だという Suchmos のギタリスト、TAIKING のふたりに、edbl の魅力について、そして現在の音楽シーンについて、ギタリストの視点から語ってもらった。

1曲目の “Worldwide” と、最後の “Left To Say”。ギターうめぇと思いながら聴いてました。
(TAIKING)

edbl がつくるビートの良さ、おもしろさはどういったところですか?

Kazuki Isogai:サウンドがすごくカラッとしているというか。昔のヒップホップはもう少し重みがあった。edbl のサウンドは、まさにサウス・ロンドンっぽい、カラッとしていて、いい意味でボトム(低音域)が少ない感じ。でも、もの足りなさはなくて、その乾いた軽さがが心地いい。

TAIKING:同じ感想ですね。Kazuki くんとやってる『The edbl × Kazuki Sessions』、すごくいいね。特に1曲目の “Worldwide” と、最後の “Left To Say”。ギターうめぇと思いながら聴いてました。このカラッとした感じは、どうやって出してるんだろう? 自分の作品でも狙ってやってみるんだけど、全然カラッとならないんだよね。

Kazuki Isogai:edbl と話してると、ヒップホップとかR&Bがすごく好きで、やっぱりヒップホップがベースになっているビートではあるんだけど。サンプルパック(注:ドラムスやベースなどの音素材集)を使っても、イコライザーのかけ方がウマいんだと思う。僕がつくったトラックを渡して、戻ってくるときには、全部 edbl のサウンドになってるから。

TAIKING:特にカラッとした音、「デッドなサウンド」はアメリカ発の作品にも感じるけど、同じようにつくれない。難しい。

Kazuki Isogai:でもリヴァーブ(残響音を加え空間的な広がり感を出すエフェクト)はかかってるんだよ。けっこうウェットなんだよね。だからやっぱりサンプルの使い方がウマいんだと思う。まあ生音のレコーディングの話をすると、海外は全然違う。スタジオの天井の高さとか。

edbl がもともとはギタリストであることは、ビート・メイクにどういう影響を与えていると思いますか?

Kazuki Isogai:僕も最近ビートつくるんですけど、「ギタリストが感じるビートの気持ちよさ」っていうものが、共通してあると思っていて。edbl も、頭の中で描いてるビートのイメージがあって、それをそのまま表現してるだけだと思うんです。やっぱり、彼がいるサウス・ロンドンのシーンからの影響が大きいんじゃないかな。

TAIKING:シーンからの影響、それがやっぱり大きいだろうね。

Kazuki Isogai:僕と TAIKING くんも、違うタイプのギタリストだけど、同じようなシーンにいるから、似たような感性になるし。edbl はサウス・ロンドンに住んでて、周りにはトム・ミッシュとかいるわけだから、自然とそのシーンのスタイルが身についてくる。だから僕らがマネしようと思っても、そこにいないから、その場の空気感を知らないから、なかなか難しい。ギタリストって、ロサンゼルスに行ったら、やっぱり少しLAっぽいスタイルになるもんね。

共演するきっかけになった “Nostalgia” って曲があるんですけど。edbl が弾くギターが、ちょっと思いつかないフレーズというか。どうやって弾いてるんだろうって。(Kazuki Isogai)

いま、名前が出たトム・ミッシュが、いまの時代のギター・ヒーローと思えるのですが。

TAIKING:彼はなんか絶妙ですよね。ビート・メイカーでもあるけど、曲がちゃんと「立って」いる。そこが日本人にも聞きやすいのかなと。普通にメロディが素晴らしくて、やっぱり edbl と少し似てる。メロウなんだけどカラッとしてる。ふたりに共通して思うのは、ドラムの、ビートのサウンドの良さなんだよね。

Kazuki Isogai:そうだよね。ビートが良かったり、ドラムの音がいいと、それだけで曲が成り立つ気がしてて。ドラムの音が良くないと、あちこち音を重ねたくなったりとか、ドラムではじまる曲にできないとかあるから。

先ほど出た、ギタリストならではのビート感の話ですけど、他の楽器奏者と話が合わないという場面もありますか?

TAIKING:好き嫌いの話だから、しょうがないという感じではあるけど。僕が気持ちいいのは、カッティングだったり、ペンタトニック(・スケール。ギターの基本となる音階)を弾いているときが多いんですけど、カッティングのときに、スネア・ドラムで締めて欲しいというのはある。

Kazuki Isogai:ポケット(気持ちいいリズムのタイミング)にハマるドラムはいいよね。僕は、めちゃくちゃリズムにストイックだった時期があって、PCで音の波形を見ながら、合わせてギターを弾くというのををやってた。1弦なのか、6弦まで当たった瞬間をジャストとするのか、そんなところまで考えながら。ソウライヴのギタリスト、エリック・クラズノーがライヴでユル~く弾いている曲がかっこよくて、それを波形で分析したりもしてね。そうやって研究してきていまは、リズムが「円」であるとしたら、自分も一緒になって回るんじゃなくて、引いたところからその円を見る感じでリズムを捉えてる。そうすると前ノリでも、後ノリでもいけるっていう。

TAIKING:その感じわかる。リズムに入り込んじゃったらダメで。客感的に捉えてないと、ウマく弾けないところがあるよね。

edbl のビート、リズムの捉え方もおふたりに近いから、彼の音楽を気持ちよく感じるんでしょうね。

Kazuki Isogai:それこそ SANABAGUN. のドラマー、一平に近いかな。彼もヒップホップ・ベースのドラマーなんで、edbl に似ている。やっぱりヒップホップをルーツに持っている人のビートが好きなのかなって。

TAIKING:最近はでも、(ロックの基本となる)8ビートを求められることも増えてきてね。

近年は16ビートの流行りが続いていますが、8ビートを弾く方がいま、難しくなっているということはありますか?

TAIKING:それは、いちギタリストとしての視点なのか、音楽シーンの一員としての視点なのかによって、話し方が変わるなと思ってるんです。ちなみに僕は最近、8ビート派になってきてて。16ビートからはちょっと離れようかなと。

Kazuki Isogai:8ビートってめちゃくちゃ難しいよね。ロックの人がやる8ビートと、僕のような違う畑の人がやる8ビートは全然違う。

TAIKING:それが最近、畑の違うギタリストが交わるようになってきてて、そこがまたおもしろいなって思ってる。

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メロウなんだけどカラッとしてる。(edblとトム・ミッシュの)ふたりに共通して思うのは、ドラムの、ビートのサウンドの良さなんだよね。(TAIKING)

edbl は、ギタリストとしてはどういったタイプですか? リヴァプールの音楽学校でギターを習ったそうですが。

Kazuki Isogai:edbl と共演するきっかけになった “Nostalgia” って曲があるんですけど。edbl が弾くギターが、ちょっと思いつかないフレーズというか。どうやって弾いてるんだろうって。

TAIKING:うんうん、このギター、どうなってんのって感じ。

Kazuki Isogai:日本の音楽学校で「これ、いいよ」と教えられるものと、海外で教えられるものは全然違う。ビートルズなんかをずっと、子どもの頃から聴くわけだから、それは違うよなって。edbl のビートには、UKロックのカラッとした感じもあって。サウンドの方向性といったところで、何かUKロックとも通ずるものはあるかな。

TAIKING:共通点を感じるところ、あるね。

ロックに代わってヒップホップが世界的には音楽シーンの中心となって久しいですが、ヒップホップ以前と以降でギターという楽器はどう変わったと思いますか?

Kazuki Isogai:僕は、15歳まで音楽は聴くけど、楽器はやっていなくて。RIP SLYME とか SOUL'd OUT といったラップが流行っていて聴いていた。でもギターが好きだな、レッド・ツェッペリン好きだなっていう思いもあって。自分のなかでヒップポップと、好きな音楽が結びつかなかったんですよね。

TAIKING:それ、すごくわかる!

Kazuki Isogai:でもその後、音楽の専門学校に行って、ジャズ・ブルースを学んだんですけど、ビッグ・バンドについて学ぶ際の教材として講師の人が聴かせてくれたのがソウライヴだった。ギターのエリック・クラズノーってロックっぽくて、入っていきやすくて。それで彼の、ずっとループに乗っているような感じのギターの存在、かっこよさを味わった。自分がやってたギターと、ヒップホップがちょっとそこで結びついた。

TAIKING:自分も、ギターという楽器と、どんどん新しく出てくるダンス・ミュージック、ヒップホップが結びつかなかったって話、めちゃくちゃわかる。僕はもうバンドやってたけど、高校の友だちとかはみんなDJをやりはじめて。ライヴ・ハウスじゃなくて、「クラブ行こうぜ」だった。同じ音楽なんだけど、ヒップホップには入り込めないなって、境目みたいなものがありましたね。それで僕の場合は、Kazuki くんみたいにリンクするところがないまま来ちゃってるんで。もちろんヒップホップも好きだから聴いてはいたけど。まあ自分のバンドが大きかったかな。

Kazuki Isogai:本当、Suchmos が出てきた瞬間に、日本の音楽シーンはすごく変わったからね。それまでもシーンはあって、僕もアンダーグラウンドでそういうシーンにいたからわかるけど、ただメジャーでやる人たちがいなかった。

Suchmos の曲を聴いていて、TAIKING さんはワンループの上で弾くのが得意だと思っていたので、お話聞いて意外でした。

TAIKING:得意ということはないですね。どっちかというと、コード進行変われ、早く変われ(笑)と思って弾いてますから。いまソロでやってるのはバッキバキにコード変えるし、めちゃくちゃ転調するし。

Kazuki Isogai:TAIKING くんは、つねに TAIKING くんだからいいんだと思う。Suchmos で弾くときも変わらないから、そこがいいんだと思うし、ギタリストはそうあるべきとも思いますね。

ヒップホップ以降は、音色とテンポ、BPMがより重要になっていると思うんです。edbl の音楽はテンポ感も絶妙なのかなと思うのですが。

Kazuki Isogai:速い曲でもBPM100とかですね。僕もロー・ファイ系のビートをつくったりするんですけど、最近はちょっと流行りのテンポが速くなった。ラッパーとやるときは、彼らが得意なBPMを求められることが多くて、93とか。ただビートの気持ちよさって、遅くてもドラムがタイトだったらノレるし、速くてもドラムがルーズだと速く感じなかったり。曲全体のテンションといったものも大きく関わってるんじゃないかな。だからそのときの体調とか雰囲気とかで、つくるものが変わるというか。つくる側からすると、そう思うんですけど。

TAIKING:個人的には、ユルいテンポはちょっと飽きたところがある。それで速くしようと、自分の曲ではまずはBPMからいじってみるんだけど、いい感じのノリを出すのは難しい。8ビートで 、BPM130とか125でいい感じの曲をつくりたいと思ったりするんだけどね。ウーター・ヘメルやベニー・シングスとか、フワフワ系の8ビートを得意にしてるオランダの人たちがいるんだけど、彼らの音楽とかいいなと思ったり。あと、ああいう曲つくりたいなと思うんだけど全然できないのが、ドゥービー・ブラザーズの “What A Fool Believes”。歌メロがすごいなって。それで言うと、日本ではやっぱり藤井風くんがすごい。いまライヴで一緒にやってるんだけど。

Kazuki Isogai:彼はバーでピアノ弾いたりもしていたんでしょ?

TAIKING:家族がね、ジャズ喫茶を経営していて。ピアノと、サックスもバキバキで。それでステージでは、お客さんからのリクエストを、「いま、YouTube で調べてやります」とか言って、すぐに弾いて歌ったりとかね。風くんを見ていると、ギターと鍵盤の違いを感じますね。僕はギターを弾くとき、フレットや弦を目で見て、形で見るタイプで。でも鍵盤は「見て弾く」というのがないから、自由度も高いし、ギターのように「小指が届かないからあの音は出せない」みたいなことがない。だからハーモニーのセンスみたいなものは違うはずだなって。

“What A Fool Believes” も、マイケル・マクドナルドが鍵盤でつくるから生まれるメロディだと、よく言われますね。

TAIKING:そうだと思います。転調の仕方も含めて。そういった、転調のセンスとか、風くんもすごく似てる。

Kazuki Isogai:ギタリストって、音楽が好きでギターはじめたんじゃなくて、ギターがかっこいいから手にしたっていう人も多くて。音感もなければコードもわからない状態ではじめて。鍵盤の人は子どものころからやっている方もいて、音楽の捉え方がそもそも違うんだよね。

僕が意識しているのは、楽曲の顔にギターを持ってきたいっていうこと。僕の弾くリフが楽曲の顔になって欲しいなって、そこは意識してプレイしてる。(Kazuki Isogai)

先日、サブスクなどで「ギター・ソロがはじまると曲を代えられる」という話題が盛り上がっていました。ただ僕は、エリック・クラプトンやエディ・ヴァン・ヘイレンといった往年のギター・ヒーローの時代とは違う形で、近年はむしろギターのサウンドが求められていると感じていて。edbl の音楽が人気なのも、ギターの用い方がウマいことが要因のひとつだと思うのですが、そのあたり、どのように捉えていますか。

TAIKING:ギター・ソロ云々の話はあまり気にしてないですね。ギター・ソロだけじゃなくて、間奏が敬遠されているのかなって。

Kazuki Isogai:そうそう。単純に曲の聴き方が変わってきてるだけで。そのアーティストが好きというリスナーじゃないと、間奏に来たら次の曲にとばされるよねって。

TAIKING:ギターという言葉がトレンドに乗ったのはいいことだと思います。ありがたいですけどね。

Kazuki Isogai:まあ本当に、昔と比べて、ギターは楽曲の顔になるものではなくなっているよね。だから僕が意識しているのは、楽曲の顔にギターを持ってきたいっていうこと。僕の弾くリフが楽曲の顔になって欲しいなって、そこは意識してプレイしてる。

わかりやすいギター・ソロが主流じゃないだけで、ギターのトーン(音色など)の違いを楽しめるような人は昔より増えていそうですよね。ジョン・メイヤーがあれだけ人気があるっていうのは、リスナーのギターの聴き方も進化しているんじゃないかと思うんですけど。

TAIKING:ジョン・メイヤーについて言うと、独自の、自分のトーンをしっかり持っているっていうのと、結局ほとんどがペンタトニックで。世界3大ギタリストとかいろいろいうけど、みんなペンタトニックだなって。だから、ペンタトニック・スケールでしっかり「自分の歌」が歌えるかっていうこと。それで、しっかり自分のトーンと、自分のキャラクターをわかりやすく出せていることが大事なのかなと思います。

カッティング派は不利ですね。

TAIKING:だからコリー・ウォン(ヴルフペックのメンバーでもある、新時代のカッティング・ギター・ヒーロー)が3大ギタリストに入ってきたら嬉しいよね。その枠、あるんだって。

Kazuki Isogai:コリー・ウォンはやっぱり衝撃だったと思うよ。ナイル・ロジャーズに代表される、シャキッとしたカッティングの究極版みたいで。

TAIKING:キャラクターもいいよね。ちゃんとセルフ・プロデュースできていて、見せ方もウマい。

Kazuki Isogai:ジョン・メイヤーの話に戻ると、彼は自分で歌うから、ギターの配置とかも絶妙なんですよ。TAIKING くんにも感じるところなんだけど。曲をトータルで、歌の隙間とか考えてギターを鳴らしているから。

TAIKING:クラプトンとか、Char さんもそうかな。

Kazuki Isogai:そうだと思う。だから僕、最近は歌詞をちゃんと理解して、ギター弾くようにしてる。それによって自分の弾くものが、けっこう変わってくるからね。

edbl も実は歌うんですよね。なるほど、自ら歌うギタリストの特徴についても、よくわかりました。今日はおふたり、ありがとうございました。

Squarepusher - ele-king

 待望の、ということばはこういうときのためにとっておくべきだろう。
 渋谷のハチ公前で、大型スクリーンに映し出された “Terminal Slam” のMVを目撃したのが2020年1月30日の深夜0時。翌日、(現時点でも最新のオリジナル・)アルバム『Be Up A Hello』がリリースされた。すでに未知のウイルスについては報道されていたけれど、ダイヤモンド・プリンセス号の衝撃はまだで、このときはぜんぜん他人事だった。2か月後にはスクエアプッシャーの来日が控えている──その後の顚末はご存じのとおり。
 あれから2年と半年。ほんとうに、待望の公演だ。しかも今回はハドソン・モホークまで帯同するという。豪華以外のなにものでもない。

 会場に着くと、ちょうど真鍋大度がDJを終え、ハドソン・モホークのプレイがはじまるタイミングだった。スクエアプッシャーということで古くからのファンもそうとう来ていたはずだが、むしろ若者の姿のほうが目立つ印象を受ける。そりゃそうだ。ハドソン・モホークは2010年代のスター・プロデューサーのひとりである。彼をこそ目当てにしていた層もかなりいたのではないだろうか。

 グラスゴーから世界へと羽ばたいた青年はまず、トゥナイトの “Goooo” で O-EAST に火をつける。一気に盛りあがるオーディエンスたち。アルバムなどで聴かれるとおり、やはりアゲるのがうまい。前半はそのまま昂揚を維持して突っ走る。中盤ではムードを変え落ち着いた曲も披露。新作『Cry Sugar』の表題曲的な “3 Sheets To The Wind” などを経て終盤へと突入し、再度アゲの路線へと復帰。最後は90年代の香りかぐわしい “Bicstan” で〆。都合1時間弱、緩急のついたパフォーマンスを披露してくれた。

 しばらくは転換の時間。トム・ジェンキンソンがあれこれ機材をセッティングしている。BGMとして、彼のルーツを想像させるようなエレクトロ~ジャングル~ブレイクビーツがつぎつぎと流れていく。高まる期待。30分ほどが過ぎたころ、スクリーンに渋谷の街が映し出された。“Terminal Slam” のMVだ。

 蘇るあの日の記憶。広告の暴力性をみごとアートとして表現したこの動画をいまあらためて上映することは、2年半という時間の経過をリセットする効果を発揮してもいた。今回のライヴがもともとは『Be Up A Hello』リリース後の来日公演であったことを思い出す。と同時に、今日のVJが同MVを手がけた真鍋大度であることを意識する。
 ステージに登場するジェンキンソン。ベースを構えている。つぎつぎと彼らしい高速の曲が繰り出されていく。ハドソン・モホークとは対照的にずっと速いままで、ジャングルのビートもほぼずっと維持されていたように思う。
 すさまじかったのは、どうやっているのかわからないけれど、中盤の一部の時間帯を除き、ひたすらベースでほかのサウンドまで鳴らしていたことだ。電子音楽家であると同時にベースを知り尽くした凄腕の演奏家でもあるという、彼のアイデンティティを申し分なく見せつけるパフォーマンスである。

 もうひとつ、さすがだなと思ったのは、おそらく大半の曲が未発表か、もしくはその場で生成したものだったこと。昨年『Feed Me Weird Things』がリイシューされたのでもしや……と構えてもいたが、ショバリーダー・ワンのようなグレイテスト・ヒッツ・ショウではまったくなかった。聞き覚えのあるメロディやリズムの断片が何度か耳に入ってきたので、既存の曲もやっていたとは思うんだけれど、それとはわからないほどにアレンジが変えられている。スクエアプッシャーはあくまで前を向いている──ミニマルな四角形を基調とした真鍋大度による、これまたカッコいいヴィジュアルとのシンクロ率の高さ含め、とにかく楽しくて、途中からずっと踊りっぱなしだった。
 終盤、『Be Up A Hello』冒頭のメロディアスな “Oberlove” がプレイされ、やっぱり2年半前のハチ公前を思い出してちょっとセンチメンタルな気持ちになる。アンコールでは “Come On My Selector” を披露、ファン・サーヴィスも忘れていなかった。

 連日、報道では第8波を警戒する声があがっている。「グリフォン」だとか「ケルベロス」だとかいった変異株も話題になっている。けれどもこの日この時間ばかりは長いトンネルを抜けたような、2年半の狂騒がまるでなかったかのような感覚を味わうこととなった。ハドソン・モホークとスクエアプッシャーという、世代も作風もまるで異なる両者のパフォーマンスをともに体験できたことも、エレクトロニック・ミュージックのファンとして嬉しかった。待望した甲斐のある、素敵な一夜だったと思う。

Björk - ele-king

 ビョークの傑作と誉れ高い『ホモジェニック』のなかのもっとも重要な曲、“Joga”については、これまで何度か書いてきた。当時の彼女はプライヴェートで想像を絶する苦難(ストーカーによる殺害未遂と自殺映像)があったため、ロンドンを離れスペインで録音し、故郷アイスランドを思い作ったその曲において、ぼくがとくに心奪われたのは同曲のMVである。海沿いの丘陵地帯や草原、地殻がずれてマグマが見える(*アイスランドは火山の国)広漠とした風景のなかにひとり立ちつくしているビョークは、映像の最後で、クローネンバーグよろしく胸の中央に開いた黒い穴をがっと広げ、しかしその穴のなかに人工物ではなくあらたにまた自然(島)を映し出す。言うなれば、自然と一体化したその様は、その後のビョークのコンセプトにおける重要な道筋となった。
 “Joga”は、ビョークの音楽性においてもひとつの出発点にもなっている。子どものころにクラシックを学んだ経験があるという彼女は、この時点でエレクトロニカとクラシックとの融合を試みているし、のちの名曲“All is Full of Love”にも繋がっている。近年で言えば、フルートと鳥のさえずりの前作『ユートピア』が、テーマ的にも音楽的にもまさにその傾向を強調した作品だった。アイスランドで制作された本作『フォソーラ』もまたしかり。

 先行で公開された“Atopos”の、グロテスク(*)なMVを見れば話が早い。きのこに触発されたビョークの10枚目のスタジオ録音盤は、クラリネットの重奏とバリ島のカバー・モードゥス・オペランディによるレゲトン風のビートではじまる。立体的で、位相に凝ったミキシングで、音響的にもユニークだ。“Ovule”では、トロンボーンのそよ風がベース・ミュージックと一体化する。それからビョークが自らの声をサンプリングし、変調させ、プログラミングした“Mycelia”があって、アイスランドの合唱団による“Sorrowful Soil(哀しみの土)”が続く。菌類から名付けられたという前者は、手法的にはジュリアナ・バーウィックを思い出すかもしれないが、曲の構成は変則的で、反復はせず菌糸のように絡み合い、しかも音数は少ない。後者は、ほんのわずかにベースが入るものの、ほとんど合唱のみで構成されている。つまり、手法も趣も異なった“声”による2曲が連なっていると。そして、その後に続くのは、本作の目玉のひとつ、贅沢な弦楽器の重奏を配置した“Ancestress(祖先)。クラシックとエレクトロニカの融合という観点でも見事だし、ビョークのヴォーカルはメロディアスで力強い。
 これら序盤の見せ場において、“Sorrowful Soil”と“Ancestress”の2曲には、環境活動家でもあった母の死に寄せた哀しみが関わっているという。と同時に、前作同様、ビョークの女性への思いが本作にも通底していることが仄めかされている。しかしながら、ビョークはリベラル主流派の代弁者ではない。ぼくがポップ・カルチャーに期待するのは、リベラル主流派さえもあきれかえるほどの異なる声だったりする。ぼくのような凡人には思いも寄らないような声を出すことは、監視し合い、萎縮した社会では難しかろうが、ビョークはいまもそれをやっているのだ。きのこになりきった彼女は、まさにウィアード(**)な存在で、彼女の音楽のなかにはオルフェウス的なるものがあることを確信させる。
 ギリシャ神話におけるオルフェウスはいわば古代の音楽家だが、動物や木々さえも魅了する特異な音楽家だった。そればかりか、死者を蘇らせることだって彼には可能だったのだ。ここから導き出せるひとつの見解は、音楽には人が思っている以上に何かものすごい力があるということで、オルフェウスはだから八つ裂きにされるのだった。のちに歴史上、多くの芸術家のモチーフとなったオルフェウスを、合理主義のなれの果てである今日の社会に対峙させることは、詩人の直感としては間違っていないだろう。
 異なる声は、我々のちっぽけな正義の臨界を超えたところから聞こえるものだ。『フォソーラ』は、これまでのビョークのカタログのなかでもっとも奇妙なアルバムで、ぼくの理解を超えている作品だ。気むずかしさはないが実験作だし、よくわからないが、もっていかれる。
 フルートと声の“Allow”は前作録音時の曲という話だが、本作のある種異様な流れのなかにしっかりハマっている。森のなかを彷徨う“Fungal City(きのこ都市)”に次いではじまる“Trölla-Gabba”では、前情報にあったガバのリズムが曲の終盤に少しだけ出てくる。ロッテルダム・ハードコアのようなサウンドをやるのかと早合点したのはぼくだけではないと思うけれど、そのリズムをマッチョの欠片もない菌類の世界で鳴らす試みは、まあ、面白いといえば面白い。タイトル曲ではやはり曲の終盤に、今度はより大胆にガバのリズムを鳴らしている。アルバムを締めくくる子守歌のような“Her Mother's House”では、本作のテーマである「母系制」を確認するかのように、19歳の娘といっしょに母について歌っている。とどのつまり彼女は、家父長制にはなんの未来がないことを念を押すように言いたいのだ。

 無神論者であるビョークはこの20年家族の礼拝にも出席せず、母親がニューエイジやスピリチュアルに心酔したときも逆らったと、ピッチフォークの最新インタヴュー記事(***)に書かれている。本作の詩的なるものも、決して論理性と相反するものではないとぼくは思っている。きのこ/菌糸類は本作におけるメタファーだというのが、すでに定説になっているが、それがなんのメタファーかといえば、答えはひとつではないし、リスナー各々が想像すればいいだろう。女性的な何かとリンクしているかもしれないし、より広義にしぶとい生命力であるとか、サイケデリックな扉かもしれないがただしこれは幻覚でも夢でもない。妖精物語でもファンタジーでもないし、クラブでもポップ・ソング集でもない。そんなように、いまひとつとらえどころがなく謎めいたこの作品には、だからこそ人間を人間たらしめているものが潜んでいるように思えてならないのだった。

(*)宣伝をかねていうと、現在絶賛作業中のマーク・フィッシャーの遺作となった『奇妙なものとぞっとするもの』の翻訳(訳者は五井健太郎)、同書においてフィッシャーは、ザ・フォール(マーク・E・スミス)を引き合いに出し、グロテスクなる言葉の意味について「古代ローマ期の人間や動物や植物が混ざりあった装飾的な模様」に由来すると説明している。

(**)さらにもう一発宣伝。『奇妙なものとぞっとするもの』とは「奇妙なもの」=「ウィアード(weird)なもの」とはいったい何なのかを彼の博覧強記をもって分析している本。12月2日刊行予定です。どうぞ、よろしくお願いします!!

(***)余談だが、このインタヴューで、ビョークが(『ストレンジャー・シングス』でリヴァイヴァルしている)ケイト・ブッシュへのシンパシーについて言及しているが、たしかにいま『Hounds of Love』を聴くと、同作が20年先を走っていたことを思い知らせれるし、最近のビョークにもっとも近しいアーティストのようにも思える。「ストレンジャー・シングス」で知った人も、聴いてみてください。

interview with Special Interest - ele-king

 パンクは何度も死んで何度も生き返っている、ということはパンクは死なないということか、スペシャル・インタレストはその最新版のひとつ。ニューオリンズのこのパンク集団は、なんらかの理由でギリギリのところを生きている疎外者たちのために、いま、パンクにレイヴを混ぜ合わせて未来に向かっている。

 文化的な文脈において彼らをマッピングするなら、以下のようになるだろう。1970年代後半の、アメリカ西海岸のパンク・ロックのそのもっとも初期形態のザ・スクリーマーズには2人のゲイが、彼らの影響下に生まれたデッド・ケネディーズには黒人が、そしてザ・ジャームスにはゲイと女がいたことが象徴的なように、そこは人種的にもジェンダー的にもマイノリティーの坩堝だった。ことにバンド内におけるこうしたミクスチャーは西海岸の初期パンクの特異な点で、未来的な特徴だった。クィア・パンクとブラック・パンクが共存するスペシャル・インタレストは、その良き継承者である。
 そう考えると、70年代の西海岸のパンクと併走するカタチで、NYにおいて人種的にもジェンダー的にもマイノリティーのユートピーとして成り立っていたアンダーグラウンド・クラブ・カルチャーがパンクと結託するのも時間の問題だったと言える。そもそもパンクのライヴの、そこにいる誰もが好き勝手に踊るというところもレイヴっぽかった。

 スペシャル・インタレストの3枚目のアルバム『Endure』は楽曲も多彩だが、曲のテーマもいろいろで、えん罪で刑務所に投獄された黒人革命家についての曲があるかと思えば「午前6時にクラブを出て行く女の子たちへのラヴ・ソング」もあって、また別の曲ではアメリカなんかくそ食らえと叫んでいる。猛烈な勢いをもって現代のパンク・バンドは逆境を生きている(Endureしている)人たちを励ましている。ジョン・サヴェージは、パンクとは、marginal(欄外/隅っこ/ギリギリ)を生きる勇敢な人たちのためにあると言った。素晴らしいことに、いまここに真性のパンクがある。注目して欲しい。


メンバー:アリ・ログアウト(Alli Logout)、マリア・エレーナ(Maria Elena)、ネイサン・カッシアーニ(Nathan Cassiani)、ルース・マシェッリ(Ruth Mascelli)

日本のみんなには、曲を聴いて、日本ではどんなことが起こっているのかを考えてみてほしい。自分たちの周りにいる人びとが何と戦っているのか、私たちはどのようにお互いを大切にすることができるかをね。

この度は、取材を受けてくれてありがとうございます。『The Passion Of』から聴いていますが、スペシャル・インタレストのバックボーン、コンセプトにとても興味があります

アリ:今日はアメリカでのショーの初日で、いまみんなでショーの前にカフェでコーヒーを飲んでるところなんだ。だから、みんなで一緒に質問に答えるね。

スペシャル・インタレストの原型は、マリアさんとアリさんがニューオリンズに移住し、最初は2人ではじめたそうですね。で、ルースさんとネイサンさんと出会った。何を目的として4人組のバンドとして始動したのかを教えてください。

アリ:そう。最初は私とマリアの2人で、ギターとドラムマシンとパワードリルからはじまった。テキサスではじまったんだけど、ニューオリンズのフェスに出るために2人で曲を作るようになったことがそもそもの出発点だね。で、テキサスからニューオリンズに引っ越したときに、マリアが2人のイタリア人の友だちを集めてくれたというわけ(笑)。ルースとネイサンは私たちよりもずっと前からニューオリンズに住んでいて、彼らとはニューオリンズに引っ越してきてから出会った。

ルース:ぼくは、以前マリアがいたバンドの大ファンで、彼女らのためにTシャツをデザインしたことがあって、マリアとはそれをきっかけに知り合った。

マリア:私はネイサンのバンドの大ファンだったから、彼らのショーをテキサスでブッキングしたりしていた。じつは私がルイスとネイサンに声をかけたのは、ザ・スクリーマーズ(**)みたいなバンドをやりたかったからなんだけど、でも結果的には、スクリーマーズみたいなバンドとはほど遠いバンドになってしまった(笑)。

なぜニューオーリンズに移住したのでしょう? 

アリ:さっき言ったマリアと一緒にフェスで演奏するためにニューオリンズに行ったんだけど、そこでたくさんのクールなクィアの人びとに出会ったんだよ。もうひとつの理由は、ニューオリンズのオーサ・アトーっていう人が作っていたジンの大ファンだったから。『Shotgun Seamstress』という黒人を取り上げたジンなんだけど、それを読んだとき、すごくエキサイティングな気持ちになって、この街だったら私らしくいられるなって思った。

バンド誕生の背後にはいろんな思いがあったと思いますが、そのなかのひとつに憤怒があったとしたら、それは何に対しての憤怒だったのでしょうか?

ルース:なにか特別な憤怒があったというより、もっといろいろな感情があった。

マリア:むしろ物事のあり方について意見を持たずに生活することのほうが、すごく難しいと思うんだよね。それはつまり、物事のあり方について語らないアートを作ることのほうが難しいということでもある。だから、アートを作っている限り、自分が思っていることが表現されるのは、ある意味避けられないことなんだよ。それが憤怒かもしれないし、ほかの何かかもしれない。

アリ:私自身は、計画的に音楽を作ることはあまりない。自分の周りではいろいろなことが起きていて、自分がそれに対していま何を思うかが自然に出てくる。サウンドや歌詞は、それが作られる時間や場所で変わってくるんだ。

マリア:面白いことに、私たちはインタヴューで、「なぜ歌詞が政治的なんですか?」って訊かれることはあっても、「どうして政治的じゃないんですか?」って訊かれることはないんだよね。歌は常に欲望によって書かれているものだっていう仮定は、どうして成立してるんだろう。そして、その欲望がセックスや愛についてのことだけに限られているっていうのも、考えてみたらおかしな話だよね。

そうですよね、音楽には、もっと多様なトピックはあるだろうと。ちなみにスペシャル・インタレスト結成前から、すでにみんな音楽活動をしていた?

ルース:ぼく以外は、みんなバンドをやっていたよね。

ネイサン:ぼくはニューオリンズで、Mystic InaneとPastyというふたうつのバンドで演奏していた。その活動を通じてアリとマリアとルースに出会った。

マリア:ネイサンのバンドって、めちゃくちゃかっこよかったんだよ。ネイサンが入ってたバンドは、お遊びじゃなくて本物のバンドだった(笑)。

アメリカにおいて、クィア・パンクやブラック・パンクのシーンというのは、いまどのようなカタチで発展しているのでしょうか? 

アリ:局所的に発展してると思う。

マリア:アメリカってすごく大きいから、他の国々に比べるとシーンが地区で分かれているんだよね。それって過去のアンダーグラウンドのアートの世界もそうだったと思う。

ルース:前よりも、そういったシーンにアクセスしやすくなってきているというのもあるんじゃないかな。インターネットもあるし。

アリ:マリアが言った通り、アメリカってすごく大きいから、シーンが州や街で分かれていると思う。でもここ10年で、アメリカのアンダーグラウンドのクィアの音楽シーンではすごく面白いことが起こっている。とくにニューヨークはそうだよ。ハウス・オブ・ラドーシャとか、ジュリアナ・ハクスタブルとか、いろんなクールなアーティストが出てきてるし。正直カリフォルニアはわからないけど。少なくとも、ここ10年では私が面白いと感じた音楽はカリフォルニアにはないように思う。でも、ニューオリンズにも本当に美しくて奇妙なアート・パンク・シーンが存在しているし、そのなかでスペシャル・インタレストが成長できたのもシーンの広がりがあったからこそなんだ。ここ数年のアメリカのアンダーグラウンド・シーンはかなりすごいよ。さまざまな地域でシフトして、どんどん広がっている。

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面白いことに、私たちはインタヴューで、「なぜ歌詞が政治的なんですか?」って訊かれることはあっても、「どうして政治的じゃないんですか?」って訊かれることはないんだよね。

音楽面でとくに参照にしたバンドや作品はありますか?

ルース:ぼくたちは、本当にたくさんの種類の音楽に影響を受けているんだ。それをぶつけたり、混ぜ合わせてサウンドを作っているから、たくさんいすぎて誰から答えたらいいのかわからない。何か面白いものを作っているよういう点で影響を受けているのは誰か挙げるとすれば、ポーラ・テンプルかな。彼女のプロダクションは参考にしてる。あとは、アジーリア・バンクスのファースト・アルバム。“Yung Rapunxel”のドラムサウンドなんかはすごくカッコイイと思うから。それ以外だと、外でたまたま聴いて、ずっと頭に残っているようなサウンドからインスピレーションをもらったりもするよ。

アリさんは、 アサタ・シャクール(**)の自伝を読んで曲を書くようになったとある取材で話しています。過激なテロリストであった彼女の何があなたの情熱に火を付けたのでしょうか?

アリ:歌詞を書いていた最初の頃に読んでいたのがその本だった。私が(精神を病んで)病院に入院していた時期だったんだけど、本のなかには彼女が病院(
女性矯正施設)で警察から苦しめられていたストーリーが書いてある。自分が同じ空間にいたから、その部分にとくに心を動かされたんだよね。彼女の人生のストーリーは、すごく大きなインスピレーションになった。

デビュー・アルバム『Spiraling』の冒頭の“Young, Gifted, Black, In Leather”は、Quietusのインタヴューにおいて、アリさんのなかの「ブラックネスとクィアネスが交差する唯一の瞬間」だと説明されています。パンクやグラムに多大な影響を受けたスペシャル・インタレストの音楽面にテクノやハウスのようなダンス・ミュージックを取り入れた理由も、そこに「ブラックネスとクィアネスが交差する瞬間」があるからということも大きいのでしょうか? 

アリ:あえて意識したわけではなかったけど、自分たちがいままで聴いてきた音楽、演奏してきた音楽がそういった音楽だった。だから、自分たちの音楽がよりダンサブルになるのは時間の問題だったんだと思う。私たちのサウンドは、ドラムマシンや使う楽器を変化させることで、どんどんスケールを広げているし。それに、あらゆるジャンルの音楽はブラック・ミュージックから派生し、発展している。そういうものに影響されているわけだから、クィア・ミュージックのなかにもその要素があると思う。
 でも、自分たちがブラックネスとクィアネスが交差する瞬間のようなサウンドを作るということを目標に真っ直ぐ進んでいるとは思えない。私にとっては、自分たちの音楽はまだまだ変化している途中の段階にいるように感じるし、まだぶらついているように感じるんだよね。これからもずっと今回のようなサウンドを作り続けていくのかはわからないな。

いまの質問と重なるかもしれませんが、『Endure』は、1曲目の“Cherry Blue Intention”、それに続く“(Herman's) House”から、じつにパワフルなダンス・サウンドが続きます。そして、3曲目にはパンキッシュな“Foul”。この流れはバンドの真骨頂に思いましたが、あなた方からみて、パンクとダンス・ミュージックの共通点は何なんでしょうか? 

ルース:音楽の歴史のなかで、レイヴやテクノやハウス・ミュージックもアンダーグラウンド・ミュージックだった。そして、人びとはそういった音楽を使って自分たちのシーンを作り上げてきた。パンクもダンス・ミュージックも、みんなで楽しみを共有する音楽であるというところが共通点だと思う。サウンドを聴くことももちろん楽しいけれど、ショーの現場で、複数の人たちが一緒にその音楽を経験するということが、どちらのジャンルの音楽にとってもいちばんの醍醐味なんじゃないかな。みんなで音楽を楽しみながら、その場でエナジーが生まれることは、共通点のひとつだと思うね。

先行で発表された“Midnight Legend”も、とても良い曲で、音楽的にはスペシャル・インタレストの新境地だと思いました。攻撃性だけに頼るのではなく、ハウシーで、ポップな回路を見せたと思いますが、ミッキー・ブランコをフィーチャーしてのこうした新しい試みは、スペシャル・インタレストにとってどのような意味があってのことなのでしょうか?

アリ:その曲は、すごく自然に生まれた。私は、あの作品はハウシーでポップというよりは、よりシネマティックなサウンドに仕上がったと思う。“Midnight Legend”を聴いて新境地だと思うのはまだまだ早いよ(笑)。私たちは、次のシングルを聴いてみんなを驚かせるのが楽しみでしょうがないんだよね(笑)。次に来るのは“Herman’s House”なんだけど、あれを聴いたら、スペシャル・インタレストはいったいどこに進もうとしているんだ!?ってさらに混乱すると思う(笑)。でも、どの変化も計算したわけじゃなくて、すべて自然に起こったことなんだよ。今回のアルバムは、そうやって出来上がったたくさんの種類のサウンドが詰まってる。そのひとつとして、このポップっぽい曲をまず人びとに聴かせるのは、みんながびっくりして面白くなるだろうなって思ったんだよね(笑)。新しいように感じるけど、いろいろな要素が混ざって音楽ができてるっていう点では、じつはすごく私たちらしいんだ。

ルース:それは本当に自然の流れで、ぼくたち自身、10曲も似たような曲を連続で聴きたくはない(笑)。だから、ヴァラエティ豊富なサウンドが出来上がっていったんだと思う。

Endureって、じつは未来に向かって突き進んでいることを意味していると思うんだよね。何かに向かう前向きな姿勢。

私たち日本人にはリリックがわからないのが歯がゆいのですが、今作の歌詞に込められたメッセージで、とくにこれだけは日本のリスナーに知ってほしいという言葉(ないしはテーマやコンセプトなど)があれば教えてください。

アリ:すごくディープな質問だね。答えるのが難しい。スペシャル・インタレストはアメリカ人であることについて、すごくユニークでありながらもリアルな視点を持っているバンドだと思うんだよね。アメリカのなかでクィアである自分たち、そして黒人である自分の視点を持っている。私たちが互いに求めることができるのは、耳を傾け、自分の状況を理解することだと思うんだ。私たちは、みんな苦労をたくさん経験しているけれど、その苦労の仕方は人それぞれ違うし、持っている能力だってみんな違うから。だから、お互いのストーリーを聞いて、みんながそれを聞き合って、世のなかどこでもいいことばかりじゃないんだということを理解し合える。
 日本のみんなには、曲を聴いて、日本ではどんなことが起こっているのかを考えてみてほしい。自分たちの周りにいる人びとが何と戦っているのか、私たちはどのようにお互いを大切にすることができるかをね。『Endure』は、いろいろな悲しみを理解し、それを表現しているアルバムだよ。日本のみんなには、アルバムを聴くことで日本のストリートで起こっていることを知ろうとし、それを理解し、それに共感してもらえたら嬉しいな。

アルバムは後半、“My Displeasure”〜“Impuls Control” 〜“Concerning Peace”と、非常にハードに展開します。この構成にはどんな意図があるのでしょうか?

マリア:このアルバムはパンデミックのあいだに書かれたから、その期間の経験や状態がそのまま形になっているんだ。深呼吸をするような瞬間や、深い喜びを感じる瞬間、じっと耐える瞬間。そういった経験が、アルバムのなかで展開しているんだよ。

なぜ「Endure=不快さや困難を耐える/持ちこたえる」という言葉をタイトルにしたのでしょうか?

アリ:endureという言葉には、文字通りすべてが含まれていると思う。私たちは自分の感情を感じなければならないし、それを乗り越えていかなければならないし、そこから成長していかなければならない。endureって、じつは未来に向かって突き進んでいることを意味していると思うんだよね。何かに向かう前向きな姿勢。

ネイサン:じつはぼくたちは、ボツにしたけど“Endure”というタイトルの曲も作っていたし、endureって言葉は“Herman’s House”(***)にも出てくる。

ルース:バンドが成長を続けるって意味にも感じられるし、ぼくはendureって言葉が好きなんだよね。この言葉からは耐えるという意味だけじゃなくて、進化の可能性を感じる。

とくに尊敬しているハウスやテクノのDJ/プロデューサーを教えてください。

アリ:私たち、これからジェフ・ミルズと同じフェスに出る予定なんだけど、それが楽しみでしょうがないんだ。それが本当に起ころうとしているなんて信じられない。

ルース:ジェフ・ミルズは最高。ジェフはもちろんだし、デトロイト・テクノって本当に刺激的だよね。DIY精神が感じられるし、自分の目の前で起こっていることに向き合って、未来を見ている感じ。

アリ:ドレクシアもそのひとり。あと、私たち全員が大ファンなのはポーラ・テンプル。それから、グリーン・ヴェルヴェット。まだまだたくさんいるけど、いすぎていまは答えられないな。

質問は以上です。どうも、ありがとうございました!

アリ:ありがとう。日本には本当に行ってみたいから、来年行けますように。

(*)ザ・スクリーマーズ(The Screamers)は、パンク前夜の1975年にLAに登場したプレ・パンク・バンド。ギターなしの、シンセサイザーとドラムによるテクノ・パンクの先駆者で、バンドの2人の主要メンバーはゲイだった。

(**)アサタ・シャクール(Assata Shakur)は、60年代のブラック・パワー・ムーヴメントにおいて、米国政府との武力闘争を辞さない黒人解放軍(BLA)の元メンバーで、銀行強盗や市街の銃撃戦によってFBIの最重要指名手配テロリストのリストに載った最初の女性であり、トゥパック ・シャクールの義理の叔母でもある。

(***)“Herman’s House”は、ルイジアナ州立刑務所に41年間独房で監禁されたアンゴラ スリーとして知られる、黒人革命家の一人、ハーマン・ウォレスへの頌歌。

Sun Ra Arkestra - ele-king

 サン・ラーとその相棒であったサックス奏者のジョン・ギルモア亡き後(それぞれ1993年、1995年に没)、彼らの楽団のアーケストラはサックス奏者のマーシャル・アレンによって引き継がれている。マーシャル・アレンは1958年にアーケストラに加入し、ジョン・ギルモアとともに楽団の柱としてサン・ラーを支えてきた。当時の彼らはシカゴを拠点としていて、その後ニューヨーク、フィラデルフィア、カリフォルニアと拠点を移すとともに、ヨーロッパやエジプトなどでもツアーをおこなっている。そんなマーシャル・アレンは1924年生まれの現在98歳。間もなく100歳を迎えようという彼が、現役で音楽活動をおこなっていることにまず驚かされるが、個人の演奏のみならずアーケストラという総勢20名ほどの大楽団を束ね、世界中をツアーし(2014年に来日公演をおこなっている)、そして新作まで発表してしまうのだから恐れ入る。

 マーシャル・アレン率いるアーケストラとしての最初のアルバムは、1999年リリースの『ア・ソング・フォー・ザ・サン』となる。〈ストラタ・イースト〉などの仕事で知られるジミー・ホップスやディック・グリフィンも加わったこのアルバムで、アレンは作曲家としてほとんどの楽曲を書いた。その後はフェスなどのライヴ音源や昔の録音物を発表することはあったものの、基本的にライヴ活動が主である彼らのスタジオ録音盤はずっと途絶え、2020年に発表された『スウィアリング』が20年ぶりの新録アルバムとして話題を呼んだ。
 『スウィアリング』の楽曲は表題曲を除いてすべてサン・ラーが書いたもので、すなわち過去半世紀にも及ぶアーケストラの代表的なレパートリーを新しく再演したものであった。演劇ではシェイクスピアやチェーホフなどの古典がいまも新たな解釈を交えて再演され続けているが、サン・ラーの音楽もそれと同じで、時を超え、演奏者を超えてずっと演奏され続けている。コール・ポーターやグレン・ミラーなどジャズには多くのスタンダードの作曲家がいるが、一見すると前衛音楽家に見られがちなサン・ラーが書く楽曲も、対極にあるようでじつはそうしたジャズ・スタンダードと同じなのである。

 この度発表された『リヴィング・スカイ』は、『スウィアリング』から2年ぶりとなるアーケストラの新録だ。録音は2021年の6月、フィラデルフィアにあるスタジオでおこなわれた。演奏メンバーは『スウィアリング』を基本的に継承し、1970年代に加入したノエル・スコット、マイケル・レイ、ヴィンセント・チャンセイ、1980年代加入のタイラー・ミッチェル、カッシュ・キリオン、1990年代加入のデイヴ・デイヴィス、エルソン・ナシメント、2000年代加入のデイヴ・ホテップといった具合に、さまざまな年代や人種のミュージシャンが参加している。逆に『スウィアリング』に参加していたダニー・レイ・トンプソンやアタカチューンは録音後に他界していて、アーケストラのメンバーの変遷もある。そのように時代によってミュージシャンの入れ替わりがあっても、サン・ラーが提唱した音楽や思想を継承していくのがアーケストラである。
 なお、このアルバムはサン・ラーのほか、サン・ラーとの共演経験があるドイツの前衛音楽家/作家/劇作家/映像作家のハルトムート・ゲールケン、サン・ラーのツアーにも関わっていたトルコの音楽プロデューサー/プロモーターで、今回のリリース元である〈オムニ・サウンド〉の設立者であるメフメッツ・ウルグという3名の故人に捧げられている。また、アルバムのアートワークを手がけるのはシカゴを拠点に活動する音楽家/プロデューサー/ヴィジュアル・アーティストのデイモン・ロックスで、彼はかつてサン・ラーの未発表音源を用いたサウンド・アニメーションを制作したり、ブラック・モニュメント・アンサンブルというグループを率いてアルバムをリリースすることでも知られる。

 収録曲はこれまでのアーケストラのレパートリーと、マーシャル・アレンが新たに書き起こした楽曲、そしてショパンやスタンダードのカヴァーが織り交ぜられた構成となっている。リズム・セクションやホーン・セクションなどは『スウィアリング』と大差ないものの、今回はストリングスとパーカッションの人数が増えた点が特徴である。
 そうしたなかでまず目を引くのは、サン・ラーの名作のひとつである “サムバディ・エルシーズ・ワールド” のインスト版となる “サムバディーズ・エルシーズ・アイディア”。原曲は1955年初演で、アルバムとしては1971年の『マイ・ブラザー・ザ・ウィンド・ヴォリュームII』に収録されており、ジューン・タイソンによるクラシックの声楽的なヴォーカルが印象的だった。このエキゾティシズムに富む楽曲を、今回はゆったりと神秘的なムードで演奏する。パーカッションによるアフロ・キューバン的なモチーフと、ピアノとワードレス・ヴォイスによる宗教的な雰囲気は、たとえばキューバのサンテリアを連想させるものだ。
 “デイ・オブ・ザ・リヴィング・スカイ” でマーシャル・アレンはコラを演奏しており、アフリカの民族音楽のモチーフが大きく表われている。ストリングスとホーンによる土着性に富む演奏はとても瞑想的だ。“ナイト・オブ・ザ・リヴィング・スカイ” もミステリアスでエキゾティックなムードに包まれ、コズミックなパーカッションとシンセサイザー使いが随所で見られる。1950~60年代のマーティン・デニーやアーサー・ライマンなどのスペースエイジ・ミュージック、古典的なSF映画の音楽やジャングルなど未開地を舞台としたミュージカル、B級のモンド音楽などのエッセンスが詰まったよう不思議な作品だ。

 “マーシャルズ・グルーヴ” はブルース形式のモーダルな楽曲で、ホーン・セクションがレイジーで不穏なムードを演出する。アーケストラならではのスペイシーなアレンジも加えられ、ビッグ・バンド・ジャズに前衛的なスパイスを振りかけたような楽曲だ。一方で “ファイアーフライ” はグレン・ミラー楽団のようにムーディーなジャズ・オーケストラだが、そのなかでマーシャル・アレンのアルト・サックスがフリーキーな唸りを上げて異彩を放つ。続く “ウィッシュ・アポン・ア・スター” はディズニー映画でも有名なスタンダード・カヴァー。こちらも基本的にはムーディーなバラードであるが、調子はずれなサックスが絡むことによって、水と油が交わるような演奏となっている。
 そんな調子でショパンの “前奏曲第7番イ長調 op28-7” も(“ショパン” のタイトルで)演奏している。異色のカヴァーだが、実はこれもサン・ラー・アーケストラのレパートリーのひとつ。これまでにもライヴ録音などでは披露してきたが、今回が初めてのスタジオ録音となる。アーケストラは至って大真面目に演奏するなかで、唯一サックスだけが異質なブロウを繰り広げる。こうした本気とも冗談ともつかないユーモア精神も、サン・ラーの世界の魅力のひとつである。

Albert van Abbe & Jochem Paap - ele-king

 アルベルト・ファン・アッベ。現在の電子音響/電子音楽を捉える際、この名を覚えておいて損はない。1982年生まれ、オランダはアイントホーフェンを拠点に活動を展開する彼が生み出すサウンドには、精密かつ大胆な電子音響が渦巻いている。いわばゼロ年代において格段に進化した電子音響の、さらなる深化がここに「ある」のだ。
 ファン・アッベは20年以上にわたってミニマルな作風のインスタレーションからハードコアでアシッドなムードを漂わすテクノ・トラック、新たなテクスチャーを模索する電子音響に至るまで、電子音楽の全領域をカヴァーする活動を展開してきたアーティストだ。
 2016年にセルフ・リリースしたアルバム『Champagne Palestine』を送り出している。2022年に〈raster-noton〉を継承するレーベル〈raster〉からリリースした『Nondual』を発表した。このアルバムはピアノとマシニックな電子音響が硬質に交錯し、透明な美しさと機械的なサウンドが交錯するアルバムである。
 EPのリリースも多いが、なかでも2022年には実験音楽のネット・レーベル〈SUPERPANG〉からマックス・フリムー(Max Frimout)との共作「Morphed Remarks」をリリースしていることを忘れてはならない。
 現在、これほどまでに音響の生成と独創的で刺激的なコンポジションを追求している電子音響作家は稀といえよう。ある意味では00年代から10年代に音響の進化=深化を推し進めてきたベルリンの〈raster-noton〉、日本の〈ATAK〉などの電子音響作品レーベルを継承するような作風なのだ。電子音の生成的コンポジションの追求と実践とでもいうべきか。
 先に書いたようにアルベルト・ファン・アッベは、かつての〈raster-noton〉を継承するレーベル〈raster〉から音源をリリースしているわけだが、レーベル・オーナーであるオラフ・ベンダー=ベイトーンからの手厚いサポートを受けている。
 まず、オラフ・ベンダー=バイトーンと VA x BY という名義で『Dual』をリリースした。さらにソロ名義でのアルバム『Nondual』も発表したのだが、この『Nondual』でもオラフ・ベンダーは、ミックスダウンなどにも関わっている。〈raster〉の力の入れようがわかるというものだ。
 私見だが、アルベルト・ファン・アッベの音にはドイツ的ともいえる強固な建築性もまた根底にあるように思える。その硬質なサウンドはポスト・テクノ、ポスト電子音響にふさわしく、オラフ・ベンダーがアルベルト・ファン・アッベに惹かれるのも確かに納得できよう。バイトーンもまたテクノ的な律動と電子音響的な鋭いテクスチャーの融合でもあるのだから、アルベルト・ファン・アッベのサウンドに共振するのかもしれない。

 しかし今回、紹介する新作『General Audio』は、〈raster〉からのリリースではない。あのシフテッド(Shifted)が主宰するベルリンのエクスペリメンタル・レーベル〈Avian〉から発表されたアルバムである。〈Avian〉はシフテッドや SHXCXCHCXSH など尖った電子音楽を送り出している尖鋭的なレーベルだが、そのカタログにアルベルト・ファン・アッベが加わったことは記念すべきことではないか。
 コラボレーターがスピーディー・Jことヨヘム・パープ(Jochem Paap)である点にも注目しておきたい。ヨヘム・パープは90年代初頭に〈Plus 8〉からのリリースで知られるようになったテクノのベテランだが、その後〈Warp〉のA.I.シリーズに名を連ねたりピート・ナムルックのレーベルから作品を発表したり、早くからアンビエントとの接点を持っていた。そのようなヨヘム・パープと現代最先端の電子音響作家アルベルト・ファン・アッベとのコラボーレーションは、ある意味で「事件」といえるかもしれない。
 じじつ本作『General Audio』はその名のとおり電子音響の広い領域をその音響生成によってカヴァーするかのごときアルバムに仕上がっていた。ノイズ、リズム、ドローンが生成し、リスナーの聴覚を拡張するかのごとくコンポジションされているのだ。
 このアルバムの音響には「ラジオの送信機のメンテナンス用に設計された1950年代のテスト機器と測定器」を使用されているという。その音響を合成することで、ドローンと緻密で抽象的なリズムによるトラックを構成しているのだ。硬質さと柔らかさがミックスされているような独特なサウンドの秘密はこの制作方法にあるのかもしれない。
 アルバム全7曲のオープニングを飾る “220Lock-in” はメタリックな電子音響によるドローンだ。どこか KTL を思わせる硬質な持続音は実にクールであり刺激的である。
 2曲目 “WZ-1Wobbel Zusatz” と4曲目 “Rel 3L 212c LC-pi” は反復と不規則の「あいだ」を往復するような抽象的なリズムとノイズを生成していく曲だ。このトラックのムードはアルバム全般に通じるもので、アルバムを象徴するような曲といえる。
 3曲目 “Pegelmesser” はアルバム中での極北といっていい極限の音響を展開する。シャーッという機械的かつ透明なノイズが高密度で持続する。じっと聴いている恍惚となってくるほど。
 5曲めに収録された16分に及ぶ5長尺 “Wandel” は不規則なリズムに、透明な光のようなドローンが交錯し、そしてどこか日本の能のようなムードだ。
 6曲目 “SR 250 Boxcar Averager” は機械の音のような無機質な持続音が鳴り響き、そこに真夜中の騒めきのようなノイズが交錯する。深夜の工場から発する無人の音のごときインダストリアル・アンビエント・トラックだ。7曲目 “Nim Bin” は素早く鳴らせる規則的な音に、遠くから聴こえる太鼓のような不規則と規則の両方を行き来するような音が重なり、遠い空間を感じさせてくれるような音響を実現している。
 全7曲、独特の「間」をもった電子音響が展開されていた。うねるようなパーカッシヴ音、透明な持続音、細やかで刺激的な電子音などが交錯し、聴き込むほどに深い沈静と聴覚が拡張するような感覚を得ることができた。静謐さを漂わせているウルトラ・ミニマルな電子音響作品として実に秀逸なアルバムといえる。アルベルト・ファン・アッベとJochem Paap。このふたりのサウンドが高密度で融合し溶け合い、美しくも無期的な音響空間が生成されているのだ。

 いずれにせよアルベルト・ファン・アッベは、たとえばフランスのフランク・ヴィグルーとともにゼロ年代の拡張的な電子音響を継承・実践する貴重な電子音楽家だ。彼の作品はこれからも電子音響を深化させ続けるに違いない。まさに現在注目の電子音響アーティストである。

宮松と山下 - ele-king

 香川照之主演というだけで観ようと思っていたら、「銀座のクラブでご乱行」という報道が出た。3人がかりでホステスに強制猥褻を働き、その映像をスマホで送信する。どこかの医大生みたいな振る舞いだったという。すぐにも銀座とはそういうところだという擁護論が出たかと思えば、銀座はそういうところではないという別な声も同業者から浮上する。僕は銀座育ちだけれど、子どもの頃の話なので、夜の銀座も最近の銀座もぜんぜん知らない。何が本当なのかまるでわからず、「僕がその場にいれば……(収められたのに)と思った」というオズワルド伊藤のコメントを聞いていると店側に客を遊ばせるスキルがなかった気もしてくるし、「ママの髪をめちゃくちゃにした」とまで聞くと、香川の嗜虐的な性格はもっと根深いところから出ている可能性もあると思えてくる。女性をモノとして扱うとなるとサイコパシーも疑わなければいけないし、そうした気質が役者としての成功をもたらしたという指摘も最近は増えている。いずれにしろ、この騒ぎのせいで昆虫採集に明け暮れる番組『昆虫すごいぜ!』まで見方が変わり、昆虫をつまむ時の手つきがエロチックな動作に思え、脳内イメージは手塚治虫の描くマンガのように官能性を帯びていく。『時計じかけのオレンジ』のアレックスや『カリギュラ』を演じたマルコム・マクダウェル、あるいは『アメリカン・サイコ』のベイトマンや『マシニスト』のトレバーを演じたクリスチャン・ベールと同じタイプに香川の分類も変わっていったというか。同じく残虐非道な役をやっても長門裕之や緒形拳にはなかった肉感があり、がっちりと体重がのしかかってくる迫力が香川照之にはある。とはいえ、西田敏行や勝新太郎ほど威圧感はなく、家庭内に収まりながら『悪魔のいけにえ』のレザーフェイスを演じられるという意味では『クリーピー 偽りの隣人』(16)で演じた西野は最も適役で、隣に座られたホステスの恐怖まで想像できる気がしてきた。

 以前は香川照之のことはまったく好きではなかった。西川美和監督『ゆれる』(06)の兄役がそれまでとは180度異なる役回りで、もしかしたら思ったよりいい役者じゃないかと思えたのも束の間、以後は何をやっても『ゆれる』のコピーで、『アンフェア』(06)でも『カイジ』(09)でもまったく同じ顔つきで出てくる。それは役を与える側にも問題があるんだろうけれど、引き受けなければいいとも思うし、『トウキョウソナタ』(08)も1回目は素直に観られず、『映画 ひみつのアッコちゃん』(12)で鏡の精として出てきた時はさすがにブチギレてしまった。顔の筋肉から力を抜いた表情というのか、あれがもういやでいやでたまらなかった。赤塚不二夫の原作ではもっとハンサムな設定だったと記憶していたし、香川がやる必要はないだろーと思って、頭の中でCGを駆使し、ほかの顔に描き変えながら観ていたほどだった。そのようにネガティヴな感情を伴わなくなったのはやはり『半沢直樹』がきっかけで、似たような役回りでも過剰な演出によって戯画化することによって、不思議なことに面白く見えてきたのである。それはもしかするとあの表情に笑いの要素が加味されたということであり、なるほど『昆虫すごいぜ!』やフマキラーのCMがそれに拍車をかけることとなった。そうなると「もっと観たい」に切り替わってしまうところが大衆心理の浅はかなところ。そこに「香川照之主演」のクレジットである。つまり、これはと思う絶妙のタイミングで『宮松と山下』という作品の情報が舞い込んできたのである。というわけで全世界の性被害に遭われた女性たちやセクハラで人生を台無しにされた女性の皆さん、あるいは伊藤詩織さんにも申し訳ないですと思いながら『宮松と山下』を観てしまいました。ちなみに僕も高校生の頃に痴漢の被害に逢ったことがあります。なので、女性たちが感じる屈辱は少しはわかるつもりだし、あまりの驚きに瞬間的に声は出せないという意見には100%同意です。

 ここからは作品だけに集中。そして、その価値があることを伝えたい。オープニングは瓦屋根のアップ。あまりにも強調するので、なぜかアン・リー監督『グリーン・デスティニー』を思い出す。カメラが遠景を映すと時代劇のセットで映画の撮影がおこなわれていることがわかってくる。香川演じる宮松は映画のエキストラで斬られ役を演じ、ひと続きの殺陣で殺されては着替え、主人公が行く場所に移動してはまた殺される。何度も殺される。上手いも下手もない。淡々とした作業のように殺される。映画の前半はまるで騙し絵のようで、「地」と「図」の関係がまったく見えてこない。壁のない美術館で絵だけしか存在しない状態を思い浮かべることが難しいように、しかし、この映画では「図」だけを見せることに成功している。舞台でも可能かもしれないけれど、映画ならではのイリュージョンが延々と続く。騙されたことがわかると思わず笑ってしまうほど、それはもうお見事。「地」とは、この場合、現実を意味していて、騙し絵から転出し、ストーリーが新たな局面に入ると映画のテイストはまったく違うものになっていく。作品全体の構成という意味では『カメラを止めるな!』(17)に近いものがあり、しかし、物事を別な側面から捉え返す視点の移動があるわけではない。宮松はいわば後半で歴史と出会い、エキストラでいた方がどれだけよかったかを思い知らされる。日本がこれまで戦争の加害者でいたことを忘却し、主体性を持たないことで平和に過ごしてきたように。香川の表情はこれまでに観たどの演技とも異なっていて、無表情をつくっていたときとは比べものにならないほど「無」を感じさせる。『ゆれる』でつくっていた無表情にはまだ外部との関係を拒もうとする意志が感じられ、それが何度もコピーされることで僕にはうるさく感じられたのだけれど、『宮松と山下』で見せる無表情に外部はなく、何も語りかけてこない恐ろしさと完成された孤独が漂っている。近いといえば『ひかりごけ』(92)の三國連太郎だろうか。エキストラの出番が終わり、谷(尾美としのり)に話しかけられるシーンで、人が自分に話しかけてくること自体に驚いた様子を見せるシーンはとくに秀逸で、「他者」を描くとはこういうことかなと思う。

 ストーリーを書くとそれ自体がネタバレになってしまうので、抽象的に書いていくしかないのだけれど、この映画で扱われるテーマは家族である。日本の映画がもうひとつ面白くないと思う理由のひとつにメジャーであれマイナーであれ家族映画ばかりつくるということがあって、『宮松と山下』もそのテンプレートからは脱していない。またか……と思うのだけれど、統一教会と自民党が個人を家族の檻に閉じ込めて外に出すまいとしてきた歴史が明るみに出てきた現在、どのような形であっても日本人が個人でいることは許さないという構図が『宮松と山下』にも投影されているように観えてしまい、後半を覆い尽くす閉塞感はその分厚さを動かしがたいものとして印象づける。僕がとくに面白かったのは、メタ視点ではあるけれど、宮松が映画の撮影では楽しそうに自撮りをするなど自然な家族を演じているのに、現実の世界では他人行儀になりがちで、家族だからといって一緒に住むことが必ずしも当然のことのようには描かれていなかったという対比と、兄と再会した妹(中越典子)が思わず兄を抱きしめるシーンは冒頭の瓦屋根のように最初はアップにせず、ロイ・アンダーソンばりに遠景で見せたこと。エモーショナルに訴えるという感覚を明らかに削いでいて、家族が再会しても大した感動はなく、これはもはや意地悪だったとしか思えない。家族は個人の集まりではなく、常に命令を待っている予備隊のようなもの(そもそも日本では教育政策や税制度がそれを促すようにできている)として描かれ、主体性は宙ぶらりんのロープウェイに喩えられる。そう、『宮松と山下』は個人主義の孤独か家族主義の束縛のどちらかを選べと観客に圧力をかけてくる。少し意味は違うけれど、安倍晋三銃撃事件を起こした山上容疑者の伯父が、こうなると山上の母は洗脳が解けてしまう方が可哀想でしょうというコメントをしていて、なるほどと納得してしまったのだけれど、そのような優しさがこの作品にはない。実に厳しい。エキストラというのは、日本国民全体の比喩のようであり、そうした国民の1人1人が政治的主体になるということはどのような精神状態を引き起こすかということをシミュレーションしているかのような気さえしてきた。それこそ日本が軍事的主体になるという思想を後押ししていたのが『シン・ゴジラ』(16)なら、それは同時に加害者であった責任も思い出せというのが『宮松と山下』ではないかと。『シン・ゴジラ』の能天気ぶりが『宮松と山下』の前では際立ってくる。ちなみに香川照之はどことなくゴジラに似ている。そりゃあ銀座も壊すわな。

Born Under A Rhyming Planet - ele-king

 なんというか今夏はコレばかり。デムダイク・ステアのふたりが率いるレーベル〈DDS〉よりリリースされた、1990年代の知られざるテクノ・アーティストのすばらしい未発表音源集。ボーン・アンダー・ア・ライミング・プラネットはシカゴ出身のジェイミー・ホッジのプロジェクト。1990年代中頃、当時のトップ・レーベルであるリッチー・ホウティンの〈PLUS 8〉からリリースしていたとはいえ、この名義自体も3枚ほどのシングルをリリースしているだけで、決して、その名前だけでこのようなアンソロジーが組まれるタイプのアーティストでもなく……やはり本作は〈DDS〉の賛美眼による、すばらしい発掘仕事としても評価すべきではないでしょうか。

 なかなかおもしろいキャリアを持つ人で、〈DDS〉の公式資料とも言うべき Boomkat の作品紹介ページによれば、シカゴのジャズ・シーンにそのルーツを持つアーティスト。デヴィッド・グラブスとバンディ・K・ブラウンと懇意になり、ガスター・デル・ソルのファースト・レコーディング時にも居合わせたという人物(一時期〈ヘフティ〉傘下にレア・グルーヴ系の発掘レーベル〈Aestuarium〉をやっていたり)。

 その傍らで〈PLUS 8〉の1991年のコンピ『From Our Minds To Yours Vol.1』を友人に聴かされテクノに開眼、シカゴのレイヴ・シーンに通い詰め、自身でも楽曲制作を開始、そして母親の車で東海岸の大学見学へと赴いた際に、直接リッチーにデモを渡し、上記のリリースに至ったのだという(当時17歳)。ボーン・アンダー・ア・ライミング・プラネットの当時のリリースは、その後のハーバート作品のようにミニマル・ハウスの出現を予期させる楽曲があったり、本作にも通じるIDM作があったりと、本作の視座から聴き直すと驚く作品ではないでしょうか。その後はドイツへとおもむき、ムーヴ・Dことデヴィッド・モウファン周辺と意気投合。こうしてジャズやテクノを経た彼は、当時のキャリアを昇華したようなプロジェクト、コンジョイント(Conjoint)を、デヴィッドおよびヨナス・グロッスマン(デヴィッドとともにディープ・スペース・ネットワークとして活躍するジャーマン・テクノ・シーンのベテラン)、さらにはふたりのジャズ・ミュージシャンと結成します。いわゆるドイツのエレクトロニックなフューチャー・ジャズと呼ばれたシーンの先鞭をつけるように1997年にアルバムをリリース。そしておそらく本作のきっかけになったであろうコンジョイントのセカンド『Earprints』を2000年にリリースします。1990年代後半、ドイツのいわゆるフューチャー・ジャズ~ラウンジーなダウンテンポ、例えばトゥ・ロココ・ロットあたりのサウンドから、2000年代に入ったヤン・イェリネックのようなチルなグリッチ・ダウンテンポの中間にありつつ、どこかトータス『TNT』への回答とも言えそうなサウンドの『Earprints』。これが2018年に同じく〈DDS〉からリリースされていて、本作のリリースに繋がったのではないでしょうか。またデヴィッドとはよりディープ・ハウス、ダウンテンポに寄った、Studio Pankow 名義でも2005年に『Linienbusse』(今回恥ずかしながらはじめて聴いたのですがこちらも名盤)をリリースしています。

 そして本作は上記の〈PLUS 8〉からドイツ・コネクションへの移行時期の作品(いくつかの曲は〈PLUS 8〉からリリースされる話もあったらしい)とのことで、基本的にDAW以前のアナログ機材で制作された楽曲が中心とのこと。当時のマテリアルから編まれた作品ですが、ある意味で同名義での初のアルバムとも言えるでしょう。こうした流れで整理をすると、本作は、1990年代中頃のデトロイト・フォロワーらによるリスニング・テクノ──アンビエント・テクノを経て、やがてはIDMと呼ばれるもの──や、その後グリッチ系の作品へと展開する直前の、エレクトロニックなダウンテンポ作品(ブレイクビーツ系ともまた別の、シンプルな電子音が主体のもの)と言えるのではないでしょうか。
 〈DDS〉のふたりによってエデットを施された、円環的な “Intro” と “Outro” 以外はほぼ当時のマテリアルを使用しているということで、驚愕の完成度というか、シンプルな電子音の滋味がじんわりと広がり、何度でも聴ける作品になっています。イントロから、Studio Pankow と同じ座組で作られたダウンテンポ “Siemansdamm” を経て、ディープ・ハウス路線の “Handley”、IDMなダウンテンポ “Hyperreal” “Skyway”、またはエクスペリメンタルなビートもの “Intermission” “Traffic” あたりに躊躇ですが、そのダブ処理感も彼の作品の魅力ではないでしょうか。このあたりはトゥー・ローン・スウォーズメン初期のハウス、またデトロイト・エスカレーター・カンパニーなどの作品も想起させる感覚もありつつ、また前述の初期のシングルにも通じるミニマル・ハウスな “Avenue” と、“Menthol” や “Fete” あたりは、上記のラウンジーなダウンテンポ路線(この辺はちょいとハーバート/ドクター・ロキットを彷彿とさせますね)、さらには圧巻のドローン・サウンドを聴かせる “Interstate” ではまたそれぞれ別の表情をみせていて、その才覚の振れ幅に驚かされるばかりです。シンプルかつ抑制されたクリアなエレクトロニック・サウンド、ダブ処理、ときに見せるメランコリックなサウンドは、わりと作品全体に通底していて、やはりそこに彼のサウンドに対する美学が現れているのではないでしょうか。

 曲の長さから、恐らく楽曲として完成させるというよりもスケッチの段階で録りためていた楽曲もありそうですが、やはり本作はジェイミーの作品としての品質はもちろん、〈DDS〉の発掘師としての卓越した能力も感じさせる作品です。今春リリースの、フエアコ・Sの『Plonk』あたりとも共振しそうな、時代を超えたスタイルを持っている感覚もあり、そのあたりも含めて、出るべくしていまここにリリースされた作品と思わざるを得ない、そんなすばらしい作品ではないでしょうか。

Black Moon & Smif-N-Wessun - ele-king

 90年代アンダーグラウンド・ヒップホップのクラシック2作がピクチャー・ヴァイナルとなって蘇る。
 どちらもブート・キャンプ・クリック関連で、ひとつはブルックリンのブラック・ムーンによる93年のファースト・アルバム『Enta Da Stage』。もうひとつは、スミフン・ウェッスンによる95年のファースト『Dah Shinin’』。いずれも90年代のハードコア・ムーヴメントを代表するアルバムだ。
 さらに、それぞれのアルバム収録曲を組み合わせた7インチ3枚を同梱したボックスセットもリリース。詳しくは下記より。

’90s東海岸を代表するHIPHOP CLASSICSな2作品、ブラック・ムーン『Enta Da Stage』とスミフン・ウェッスンの『Dah Shinin’』が2枚組ピクチャーヴァイナル仕様でリリースとなり、各3枚の7EPも同時リリース! またその全てをコンパイルした各ボックス・セットの販売も決定!

 NY・ブルックリン出身のブラック・ムーンが1993年にリリースしたファースト・アルバムにして問答無用のクラシック『Enta Da Stage』。その『Enta Da Stage』にもフィーチャーされて注目を集めたユニット、スミフン・ウェッスンが1995年にリリースしたファースト・アルバムにして90年代の決定的名盤『Dah Shinin’』。アーリー’90sのNYハードコア・ムーヴメントから生まれたこの歴史的なアルバム2作がオフィシャルの2枚組ピクチャー・ヴァイナル仕様で世界初のアナログ化! また両タイトルから名曲を組み合わせた7インチもピクチャー・ヴァイナル仕様でそれぞれ3枚カット! この全てピクチャー・ヴァイナル仕様でリリースされたアナログをBOXにまとめて販売します。VGAの独占かつ超限定での販売になりますのでお早めにどうぞ。

[2枚組ピクチャー・ヴァイナル 商品情報]
品番:PLP-7785/6
アーティスト:BLACK MOON
タイトル:Enta Da Stage
¥6,000 (With Tax ¥6,600)
発売日:2022/10/26

品番:PLP-7787/8  
アーティスト:SMIF-N-WESSUN
タイトル:Dah Shinin'
¥6,000 (With Tax ¥6,600)
発売日:2022/11/23

*BLACK MOON / SMIF-N-WESSUN - 2LP / 7EP 予約ページ
https://anywherestore.p-vine.jp/collections/black-moon-smif-n-wessun

[VGA BOX商品情報]

品番:VGA-5009
アーティスト:BLACK MOON
タイトル:ENTA DA STAGE - PICTURE DISC BOX

・Enta Da Stage 2LP
・Who Got Da Props? / How Many MC's... 7inch
・I Got Cha Opin (Remix) / Black Smif-N-Wessun 7inch
・Buck Em Down (Da Beatminerz Remix) / Enta Da Stage 7inch

価格:¥15,000(With Tax ¥16,500)

品番:VGA-5010
アーティスト:SMIF-N-WESSUN
タイトル:DAH SHININ’ - PICTURE DISC BOX

・Dah Shinin' 2LP・Bucktown / Let's Git It On 7inch
・Wrekonize (Remix) / Sound Bwoy Bureill 7inch
・Wontime / Wrektime 7inch

¥15,000(With Tax ¥16,500)

BLACK MOON / SMIF-N-WESSUN -VGA BOXセット予約ページ
https://vga.p-vine.jp/exclusive/vga-5009-10/

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