Home > Interviews > interview with edbl - トム・ミッシュ以降を担うニューカマー、エドブラック登場
現在、もっとも音楽シーンが活気づいている街として注目を集めるサウス・ロンドン。ジャズ、ヒップホップやR&B、ロックやインディ・ポップ、フォークやシンガー・ソングライター系とさまざまな分野で新しい才能が次々と登場してきているのだが、そうした中で2019年頃より話題となっているのが edbl である。edbl とはエド・ブラックウェルによる個人プロジェクトで、もっぱら彼はプロデューサー/トラックメイカー/ギターなどの楽器演奏に徹し、ビート集からシンガーやラッパーたちとのコラボ作品をリリースしている。タイプとしてはネオ・ソウルやR&B、ローファイ・ヒップホップなどをサウンドの基調とし、ギター演奏が中心となるためにシンガー・ソングライター的なアプローチも交えている。同じサウス・ロンドンやロンドン全体で見ると、トム・ミッシュ、ロイル・カーナー、ジェイミー・アイザックあたりの次を担うアーティストと目される存在だ。
シングル数曲がスポティファイの人気プレイリストにピックアップされるなどして注目を集めた後、2020年にビート集の『edbl ビーツ』第1集、2021年に同作の第2集を出し、一方でシンガーやラッパーたちとのコラボ集の『ボーイズ&ガールズ・ミックステープ』を2020年にリリース。こうしてイギリスのみならず世界中の早耳音楽ファンの注目を集め、これら音源をまとめた日本独自の編集盤として『サウス・ロンドン・サウンズ』を2021年にリリース。そして今回、昨秋に発表した新作の『ブロックウェル・ミックステープ』も日本でリリースされる運びとなった。そんな edbl に音楽をはじめたころまで遡り、どのようにして現在のスタイルを築き、新作を含めて様々な作品を作っていったのか、そしてこれからどこへ向かっていくのかなどを訊いた。
ギターは初心者でも入りやすい楽器だと思うんだ。トランペットやヴァイオリンは、良い音を出すまでに結構時間がかかるからね。ピアノもそうだけど、ギターは初めてのレッスンでコードをいくつか弾けるようになるところがいいと思う。
■昨年リリースされた日本独自の編集盤の『サウス・ロンドン・サウンズ』に続き、日本では2枚目のアルバムとなる『ブロックウェル・ミックステープ』をこの度リリースしますが、まだあなたの経歴やプロフィールが広く伝わってはいませんので、改めて音楽をはじめたきっかけなどから伺います。もともとはリヴァプール近郊のチェスターという町に生まれ、7歳でギターを手にしたときからあなたの音楽人生はスタートしたそうですね。どんなきっかけではじめたのですか?
edbl:僕はチェスターで育ったんだけど、生まれたのは実はドイツのハイデルベルクという街なんだ。でもそこには1年くらいしかいなかったから、僕の地元はチェスターということになるね。ギターをはじめたきっかけとしては僕には3人の姉がいて、彼女たちはみんな幼い頃から楽器を弾いていたんだ。だから自分も取り残されないように、楽器を弾ける年齢になったらすぐに何かをはじめたいと思っていた。母親はギターが少し弾けて、姉のうちのひとりもギターを弾いていた。当時の僕はギター・サウンドのアーティストを聴いていてギターがかっこいいと思っていたからギターを選んだ。それがいまに至るというわけだよ。
■いまも作曲はギターからはじめることが多いそうですが、ギターという楽器のどこに魅力を感じたのでしょう? また影響を受けたり好きだったギタリストはいますか?
edbl:ギターは初心者でも入りやすい楽器だと思うんだ。僕はギターの教師もやっているんだけど、教師をやっていて特にそう感じる。トランペットやヴァイオリンは、良い音を出すまでに結構時間がかかるからね。ピアノもそうだけど、ギターは初めてのレッスンでコードをいくつか弾けるようになるところがいいと思う。だからすぐに入り込むことができる。そういう点に魅力を感じたね。僕はあまり辛抱強いタイプではないから、ギターですぐに何かを演奏できるようになったときは感激した。すぐにギターが大好きになって、そこからいろいろと積み上げていった。
ギターを学び続け、周りの友人でもギターを弾いてる人がいたから社交的なつながりも生まれ、10歳くらいのときに友人と曲を作ったりしていたよ。遊びで作った曲だから酷いものばかりだったけどね。曲はすごく酷かったけど、作曲するのはすごく楽しかった。そういうギターの様々な魅力があったから僕はギターをずっと続けてきた。僕はいままでに素晴らしいギタリストたちと一緒に仕事をしてきたけれど、僕自身はギタリストにすごくハマっていたというわけではないんだよ。僕は幅広いポップ・ミュージックを聴いて育った。ロックを聴いていた時期も少しはあったけど、このギタリストが特に好きで聴いているとか、ギターのテクニックやバトルにすごく興味があるという感じではなかったんだ。自分が聴いている曲をギターで弾ければそれで良かった。
■そうなんですね。では、最初は主にどんな曲を弾いていたのでしょう?
edbl:ギターを習う人なら誰でも最初に習う4~5曲を弾いていたよ。 ザ・モンキーズの “アイム・ア・ビリーヴァー” や、ボブ・ディランの “ノッキング・オン・ヘヴンズ・ドア”、ヴァン・モリソンの “ブラウン・アイド・ガールズ” など、ギターの名曲と言われるような曲だよ。もう少し大きくなってからはビューティフル・サウスというイギリスのバンドを聴いていたから、彼らの曲を弾いていた時期もある。それからアコースティック・サーフ系のジャック・ジョンソンも。当時の僕はそういう音楽がとても好きで、ジャック・ジョンソンの音楽はほとんどがアコースティック・ギターが基盤の曲だったから、曲を聴いて練習さえすれば彼のアルバムとほぼ同じようなサウンドが自分でも出せる。それができるのが楽しかった。
■レーベルなどの情報ではティーンのときはブラーとかフォールズとか、主にギター・サウンド系のロック・バンドを聴いていたとあります。友だちとバンドも組んでたそうですが、やはりそうしたロックを演奏していたのですか?
edbl:うーん、ロックではなかったと思う。イギリス以外で人気があったかどうかわからないけど、当時はインディー・ポップというジャンルがイギリスにあって、僕たちのバンドもそういう音楽をやっていたんだ。ギター・サウンドも入っているけれどポップの要素も強くて、アメリカのバンドで近いものだとストロークスだと思うけど、ストロークスよりもっとポップな感じの音楽なんだ。ヴァンパイア・ウィークエンドやザ・シンズもインディー・ポップに入ると思う。アークティック・モンキーズはインディー・ポップではないけれど、僕たちのバンドは彼らの影響を受けていたね。そういう感じの音楽をバンドではやっていた。アップテンポなポップ・ソング。ウォンバッツというリヴァプール出身のインディーズ・バンドがいちばん近いかもしれない。
ロンドン全体に様々なシーンが散らばっていて、特定のエリアがR&Bやソウルに特化しているという感じはないと思う。ロンドン全体の素晴らしいところは、多数のクリエイターやアーティストが集まる坩堝だということなんだ。ライヴ・ハウスとかクラブなどのヴェニューもそう。小さな会場から大きな会場まで全てがロンドンにはある。
■そのときはカヴァー曲をやっていたのですか? それともオリジナルの楽曲も作っていたのでしょうか?
edbl:最初はカヴァー曲ばかりやっていたけれど、オリジナルの曲も作っていたよ。作曲は主に僕がやっていたけれど、他のバンド・メンバーと一緒にやることもあった。とても楽しかったよ。誰かと一緒に音楽を作るという経験はあのときが初めてだったかもしれない。そしてでき上がった曲をライヴで披露していた。僕たちのバンドは別に有名でもなんでもなかったけど、バンド・メンバーと一緒に曲を作って、それをライヴで演奏するというのはすごく楽しかったよ。
■その後リヴァプール・インスティテュート・フォー・パフォーミング・アーツ(LIPA)に進学して音楽を本格的に専攻するのですが、親友のアディ・スレイマンとの出会いがあり、あなたの音楽人生にも大きな影響を与えることになります。まず彼の影響でR&Bやヒップホップ、ソウル系のサウンドに嗜好が変わったそうですね。その頃は具体的にどんなアーティストを聴いていましたか? また自身の楽曲制作にもそうした影響が表われはじめたのですか?
edbl:もちろんだね! 大学に入って自分とは全く違う音楽の嗜好を持つ人たちと出会ったことは、ものすごく大きな影響になった。影響とか以前にとても楽しかったんだ。様々な種類の音楽を初めて聴くという体験は最高だったよ。その経験が僕自身の楽曲制作を形成していったと思う。大学に入学した当初はインディー・ポップやインディー・ロックを聴いていて、自分もバンドをやってそういう音楽を歌ったりしていた。さっきも話したけどアメリカだとストロークスとか、イギリスにはインディー・バンドがたくさんいて、ザ・ウォンバッツやザ・ピジョン・ディテクティヴズなど。当時はそういう音楽が大好きだった。大学には僕と全く違う背景だけれど、同じように音楽に対する熱意がある人たちばかりがいた。そのときにローリン・ヒルやエリカ・バドゥ、ディアンジェロといったアーティストたちを教えてもらったんだ。それまで僕は彼らのことを聴いたことがなかった。
ヒップホップも同様で、それまで僕はヒップホップをそんなに聴いてこなかったし、ヒップホップがどういうものであるのかさえもよく知らなかった。でも大学で仲良くなった女友だちがいろいろ教えてくれた。当時はスポティファイ以前の時代だったから、ハード・ドライヴで音楽を保存していたんだ。だから大学ではハード・ドライヴを持ってお互いの寮の部屋を訪ねて音楽を交換していた。そのときにア・トライヴ・コールド・クエスト、ジュラシック・ファイヴなどのヒップホップを教えてもらった。僕はとにかく全てを吸収したよ。すごく楽しい経験だった。その頃からR&Bやヒップホップを好んで聴くようになったね。そして自然にR&Bやヒップホップを作曲したり制作することに喜びを感じるようになっていった。
■また学生時代の最後はアディ・スレイマンのバンドにギタリストで参加し、アジア・ツアーもおこなったそうですね。楽曲も彼と一緒に作っていて、その頃の作品はエイミー・ワインハウスの影響が強かったそうですが、あなたにとってアディはどんなパートナーでしたか?
edbl:あの頃は本当に最高な時期だったよ。そもそもアディとの関係は友だちとしてはじまったんだ。大学がはじまって数週間のうちに、いろいろな人たちが集まって一緒にセッションをしていた。LIPA にはギタリストを必要としているシンガーがたくさんいるし、誰かのためにギターを弾きたいというギタリストもたくさんいるからね。大学がはじまったその週くらいにアディを見かけたから、「僕たちのセッションに参加しないか?」と彼を誘ってみたんだ。そこで彼の歌声を聴いた。それは当時もいまも素晴らしい声だ。いちばん近い表現として「男性版のエイミー・ワインハウス」と言えるかもしれないけれど、彼女の声とはやはり全く違うソウルフルでユニークな声をしている。そのときは確か2010年だったと思うけど、彼に「君のためにギターを弾きたい」と言ったのを覚えているよ。彼もそれを快諾してくれた。さっきも話したように、僕と彼は最初は友だちからはじまったんだ。だから一緒に遊びに行ったり、くだらない冗談を言い合ったりしていた。それから音楽を一緒に作るようになった。
その後大学2年のときに彼と一緒に住むことになった。大学3年のときも一緒に住んでいた。音楽を作るようになったのは一緒に住みはじめてからだったね。一緒に住んでいたからとても自然な形で音楽制作ができた。家で彼が歌いはじめたら僕がそれに合わせてギターを弾くという、そんな感じだった。それがよかったんだと思う。彼の曲で “ロンギング・フォー・ユア・ラヴ” というのがあるんだけど、それは僕が作ったギターのループがガレージバンドという音楽アプリにあったから、それを彼に聴かせたんだ。そしたら彼は「すごくいいね!」と言ってその場でループに合わせて曲を作りはじめた。それが彼にとってヒット曲になったんだ。一緒に住んでいた頃は、そういういくつもの小さなセッションが自然に起こっていた。
そして僕たちの音楽もお互いに上達していった。学生時代の最後はアディが音楽業界から注目されるようになって、僕たちが卒業する頃にはアディはマネージメント契約やパブリッシング契約、レーベル契約を結んでいて、彼は音楽をフルタイムでできるようになった。そして彼のチームに僕を招いてくれたから僕もフルタイムで音楽ができることになった。
■LIPA ではアコースティッキー・ギター・シンガー・ソングライター(Acoutic-y Guitar Singer Song Writer)という自身のプロジェクトをやっていたそうですが、これはどんなものだったのですか?
edbl:大学時代にアディと一緒に音楽制作ができたのは素晴らしいことだったけれど、僕は昔から自分だけの作曲もしてきて、オリジナルの曲を作ることも好きでやっていたんだ。だから大学では別のバンドにも所属していて、そこでも作曲をしていた。最初のころに完成された曲は先ほど話したようなインディー・ポップ調の曲が多くて、フル・バンドで演奏するようなものだった。でも、僕は自分ひとりでギターを弾いてフォークっぽい音楽やフィンガー・ピッキングをするギター音楽を演奏するのも好きだった。だから自分の本名である「エド・ブラック(ブラックウェル)」として音楽を公開しはじめた。それがフォーキーでシンガー・ソングライター寄りの音楽なんだよ。
その名義でギグを何回かやって、楽曲もスポティファイに載っているけれど、そこまでの人気は出なかった。僕としても売れるために作っていたわけではなくて、楽しいからやっていただけだった。edbl もまさかここまで広まるとは思っていなかったけどね。edbl 名義の音楽とは全く違うけれど、僕はいまでもフォーキーな音楽を作るのが好きだから、去年も曲をひとつ公開したよ。「エド・ブラック」名義で少しプロダクション色が強いけれど、やはりフォーキーな感じの曲。まあ僕が好きでやっている個人プロジェクトみたいなものだね。
■なるほど。では「edbl」というプロジェクト名は「エドブラ」と発音するのですね!
edbl:そうだよ!
■当時はアディ・スレイマンとのコラボ、自身のプロジェクトのほか、さまざまなシンガー、シンガー・ソングライターとのセッションをおこなって自身の音楽を磨いていったわけですが、たとえばどんな人たちとセッションしていましたか? また、そうした出会いがいまに繋がって、あなたの作るトラックとシンガーとのコラボという現在のスタイルへなっているわけですよね?
edbl:その通りだと思う。でもコラボレーションの多くは大学時代以降のものが多いんだ。大学時代は音楽をプロデュースするということにあまり興味を感じていなかった。僕はライヴ演奏をするギタリストだったからギグをやるのが大好きで、いろいろな人たちと一緒に、もしくはあるバンドのギタリストとして演奏することが多かった。だから一時期は4つか5つのアーティストたちのギタリストをしていたこともある。ギグをたくさんやってすごく忙しい時期だった。いまでもギグは大好きなんだ。コラボレーションに関して言うと、LIPA では作曲の授業があった。他人と一緒に同じ空間で「じゃあ何か作ってみよう」という経験はそのときが初めてだった。全くのゼロからという状態で。そりゃ最初は不安だったけれど、徐々に慣れていったし、同じ大学の知り合いや顔見知りだったからそこまで違和感があったというわけじゃなかった。
楽曲のプロダクションをはじめたのは、その後の時期に友人とポップ調の曲を作るようになってからだった。その曲をプロデュースする人が必要になって、僕たちはロジックというソフトウェアの基本的な操作を知っていたから、まずデモを作ってそこから曲を作り上げていった。ロジックはいまでも使っているよ。でも、これは大学を卒業してから数年経ってからの話なんだ。
■では在学中はセッション・ギタリストとして、大学の仲間や他のアーティストたちとギグをやっていたということですね?
edbl:そうなんだ。アディとも一緒にやっていたし、僕はナイン・テールズというバンドをやっていて、そのギグもやっていた。それから『サウス・ロンドン・サウンズ』にも参加しているジェイ・アレキザンダーという人と一緒にギグもやって、音楽もリリースしていた。それ以外にもシンガーと一緒にギタリストとしてギグをやったり、バーのギグでカヴァー曲を演奏したりもしていた。だからいろいろな人たちと数多くのギグをこなしていたんだよ。
■LIPA 卒業後はアディと一緒にロンドンに出てきて、彼のツアーに参加するほか、ソングライター、ビートメイカー、ミュージシャンとしての自身の活動も展開していきます。リヴァプールとロンドンではやはり環境も大きく変わりましたか?
edbl:確かに慣れるまでには時間がかかったね。実はアディと僕は、リヴァプールからロンドンに移る間にノッティンガムに引っ越したんだ。ほんの9ヶ月という間だったけどね。すぐにロンドンに移住するには少し抵抗があったけれど、リヴァプールには大学で3年間もいて遊びまくっていたから(笑)、まずリヴァプールを離れたいという思いもあった。だから静かに音楽の仕事ができる所ということでノッティンガムに移ることにしたんだ。でも実際のところ、最初はそう簡単に行かなかった。先ほど話したように、僕とアディが作曲をしはじめた頃は同じ屋根の下で暮らしていたから、セッションが自然に起きて作曲できていたんだけど、ノッティンガムに移ってからは「今日は曲を作ろう」と決めて作業をしようとしていたから、少し強制的な感じがあったんだ。僕たちはもともと友だち同士だからすぐに気が紛れてしまうし、あまり強制的に作曲することに慣れていなかった。だからノッティンガムにいる時期はそこまでたくさんの曲ができなかった。ノッティンガムはひとつの移行期だった。
そしてロンドンに移った。ロンドンに移ったことは正しい選択だと思っているし、僕たちはロンドンに移ってよかったと思う。でもロンドンは大都市だし、僕はロンドンに知り合いがそんなに多くいなかったから最初は不安もあった。ロンドンでもアディと一緒に住んで、僕たちは作曲を続けていた。ロンドンに移ってよかったのは、僕が他の人たちとセッションしたり、音楽の仕事をするようになったということだね。ノッティンガムではアディとしかしていなかったから。ロンドンに移ってからは人脈を広げて、色々な作曲家などと一緒に仕事をするようになったんだ。イギリスのプロデューサーや作曲家の多くはロンドンに集まっているから、僕にとっては最適な街だった。
■サウス・ロンドンのブリクストンを拠点にしていますが、デヴィッド・ボウイの生まれ故郷だったり、ザ・クラッシュの曲の舞台になったりと、ロックのイメージが強い街です。サウス・ロンドンの音楽の盛り上がりが日本にも伝わる昨今ですが、そのなかでもブリクストンのいまのシーンはどんな感じですか?
edbl:僕個人は特に影響を受けてはいないんだけれど、ブリクストンの歴史でもうひとつ加えるとしたらカリブ地域の影響が多々あるということだね。ブリクストンにはレゲエ音楽やカリブ料理屋がたくさんあって、カリビアンのコミュニティーがある。デヴィッド・ボウイの生まれ故郷でもあるけれど、そういう一面も大きい。サウス・ロンドンは最高だよ。僕はいままでにロンドンの3カ所に住んだけれど、その全てが南の街だからサウス・ロンドンには馴染みがあるんだ。
ロンドンは都市自体がとても多様な都市だから、シーンについては答えるのは難しいな。たとえばハウス・ミュージックが好きな人がいたら、ロンドンの南にも東にも北にも、その人が楽しめるシーンがあると思う。それはダブステップやポップスや、僕のシーンとされているR&Bやソウルでも同じことが言えるんだ。ロンドン全体に様々なシーンが散らばっていて、僕の経験からすると特定のエリアがR&Bやソウルに特化しているという感じはないと思う。サウス・ロンドンというかロンドン全体の素晴らしいところは、多数のクリエイターやアーティストが集まる坩堝だということなんだ。それからライヴ・ハウスとかクラブなどのヴェニューもそう。小さな会場から大きな会場まで全てがロンドンにはある。全てが混在している都市なんだ。
最初はお互いのことをいろいろと話し合うことにしている。最低は1時間くらい、それ以上のときもある。アーティストにはそれぞれ違った個人の音楽的背景があるから、そういうストーリーに興味があるんだ。互いがどういう人間かというのを知っておくのはいいことだと思う。
■あなたのキャリアに戻りますが、ソロ・アーティストとして2019年に “テーブル・フォー・トゥー” でデビューし、その後 “ザ・ウェイ・シングス・ワー” “ビー・フー・ユー・アー” “アイル・ウェィト” など精力的にシングル・リリースをおこないます。特にアイザック・ワディントンと組んだ “ザ・ウェイ・シングス・ワー” がスポティファイの人気プレイリストにいろいろピックアップされたことにより、あなたの人気に火がつきはじめます。ストリーミング時代ならではの露出の仕方かと思いますが、何か意識してアプローチしていったところはあるのでしょうか?
edbl:そうだね、ストリーミングは僕の場合は上手くいったけれど、ブレイクするのに苦戦するときもある。僕は自分の楽曲がいくつかでき上がってきた時点で、一般の人たちに聴いてもらうにはスポティファイかアップル・ミュージックに載せるのが妥当だと思った。フィジカルという形式で音楽を出すのもひとつの案で、僕は日本などでそれができたことを幸運だと思っているけれど、最近のリスナーはストリーミング・サーヴィスを使って音楽を聴いているからね。だからスポティファイに自分の音楽を載せることは当然の決断だった。幸運なことにスポティファイは僕の音楽に対して最初からとても協力的で、当時の僕は無所属のアーティストだったけれど、僕の音楽をスポティファイのプレイリストに加えてくれた。スポティファイの協力があったからこそ、僕のいまのキャリアを築くことができたと思う。
■だいたい自宅のリヴィングで楽曲を作っているそうですが、まずギターでコードを弾き、それをロジックに落とし込んでビートを作っていくことが多いそうですね。それから、シンガーなどのゲストとはときに対面して、ときにはデータのやり取りでメロディや歌詞をつけ、それをまとめて楽曲を完成させるというスタイルですか?
edbl:いい質問だね。そうだよ。いまインタヴュー中の僕がいるのがちょうどリヴィング・ルームで、ここで作曲をしているんだ。作曲の流れもいま君が言った感じで合っているよ。具体的な作業はアーティストごとに違ってくるけれどね。大抵の場合、僕は3つの異なったスタート地点から作業をはじめるようにしている。まず、僕は一緒にやるアーティストのオリジナル楽曲を聴くんだ。デモやすでにリリースされているものなどをね。そしてギターかピアノを使ってコードのループを作ってみる。3つくらいのヴァージョンを作っておくことが多いかな。そしてアーティストがミーティングなどに来たときに、その3つのアイデアを聴かせると、そのうちのどれかひとつか、場合によってそれ以上を気に入ってくれる。ひとつもないときは、じゃあ他のことをやってみようということになるけど(笑)。たいていの場合はアイデアのうちのひとつは気に入ってくれて、それを基盤にして曲を作っていき、僕はビートを作っていく。
でもメロディや歌詞に関しては、アーティストによって取り組み方が違うから僕も毎回アーティストに合わせて作業を進める。アーティストによってはひとりで座って、静かな環境でハミングしながら、スケッチを1時間くらい続けてから「よし、できた!」と言ってヴァースやコーラスを歌ってくれる人もいる。他のアーティストだと、僕に聴こえるように歌って、たくさんのヴォイス・メモを録音して、聴いている僕が「それいいね!」と言ったりする。そして僕が「この部分をこうやって、ああいうふうにやってみるのはどうかな?」と提案したりもする。こちらのほうがよりコラボレーション色が強い作業と言えるかもしれない。歌詞に関しても、作詞は僕の得意分野ではないから、アーティストに全てを任せて、僕はプロデュース面を強化する場合もある。
でもアーティストによっては作詞がそこまで得意ではない人もいるから、そういう場合はふたりでテーブルに座ってお茶を飲みながら、一緒に歌詞を書き上げたりする。僕の関与度はアーティストによって違うんだけど、僕はアーティストであると同時にプロデューサーとしての視点が強いから、いつの場合もできる限りアーティストに融通の利く対応をしたいと思っている。アーティストはひとりひとり全く違う人たちだからね。
質問・文:小川充(2022年2月04日)
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