ISO50という名義でヴィジュアル・アーティストとしても活動するティコは、DJシャドウやボーズ・オブ・カナダなどからの影響のもと2002年に「The Science of Patterns EP」でデビュー。トリップホップやエレクトロニカ、IDMのような風合いに郷愁を加えたようなフォーキーな作風が次第に話題を集め、2011年作の『Dive』、2014年作の『Awake』、2016年作の『Epoch』の三部作が00年代後半から10年代初頭にかけて巻き起こったチル・ウェイヴ・ムーヴメントとともにドリーム・ポップの秀作として一定の支持を集めた。この時期にソロ・プロジェクトから実質的にバンド・サウンドへと移行していき、よりスケール感の大きいクリアな音像を志向するようになる。
文化的な刺激を際限なく求め続けていくと、遅かれ早かれどこかのタイミングで「健康」というものを軽視してしまいがちになる。もちろん自分もそのひとりだ。ある種のワーカホリック状態であることは薄々わかってはいるものの、ゆっくりすごしてじっとする方法は体力的な限界、つまりバッテリー切れを待つことのみで、適度に健康的な息抜きを楽しむような時間も余裕もパンデミック以降は失ってしまった。とはいえ、より長く音楽や文化(とそれにまつわるほどよい刺激)を楽しむためには、やはり捨て置いた健康についてどこかで再考の機会を設けないといけない気もする。
そんななか、ティコがパンデミックを脱した2024年の晩夏に、約4年ぶりの新作『Infinite Health』をリリース。タイトルを直訳すると「無限の健康」という、いままでのディスコグラフィとは若干毛色の違うキーワードが飛び出した。グリズリー・ベアのクリス・テイラーを共同プロデューサーとして迎え、出発地点であるエレクトロニカやチル・ウェイヴの持つおぼろげな質感のみを引き継ぎつつ、よりクリアで写実的な、生の音像を追求することを目指したアルバムとなった。従来の陶酔感あふれるダウンテンポな作風からモードを一新し、全9曲中7曲のBPMが110~130というダンサブルなつくりとなっていることも特徴的で、イタロ・ディスコの香りもただようインディ・ダンス風味の作品として自身のディスコグラフィに新風を吹きこんでいる。実際、近年はティコ名義ではいままで挑戦してこなかったDJセットにも意欲的なようで、音楽の原体験がダンス・ミュージックであり、かねてから影響を受け続けているとも公言している。いわば、パンデミック下で自身の生活を見つめなおすとともに、改めて原点に立ち返ろうとした作品であるとも考えられる。今回ele-kingでは、コロナ禍のタームを通りすぎ健康や日常生活へも意識を向けはじめたスコット・ハンセンに、久しぶりに話をうかがった。
やはりパンデミックがきっかけだったんだ。健康とはなにか、健康であることとはなにか、健康であることがどれだけ幸運なことなのか、そして世界、地球、人びとの精神的健康、人びとの身体的健康、これらすべてを見直すことになった。
通訳:お元気ですか?
スコット・ハンセン(Scott Hansen、以下SH):元気だよ。いまはちょうどツアーに出発するところで、倉庫から荷物をおろして、バスに荷物を積み込んだところなんだ。
■忙しいなか、お時間をつくっていただきありがとうございます。現在も引き続きお住まいはサンフランシスコですか? 東京は猛暑で大変ですが、そちらはいかがでしょう。気候変動の影響はありますか?
SH:いや、いまは湾を渡ってオークランドの近くに引っ越したんだ。オークランドに引っ越したのは家庭を築いて子どもができたから。子どももいるし、もう少し広々とした場所で、親の近くに住んだ方がいいと思ってね。オークランドの気候はサンフランシスコと比べると最高。世界で一番良い気候なんじゃないかってくらいだね。いつも暖かくて、だいたい21度くらい。毎日いい天気だし、暑すぎることはないし、寒すぎることもない。サンフランシスコはいつも寒くて風が強くて、天気がいい日は年に数週間しかないからね(笑)。
■2020年の前作『Simulcast』から少し間が空きましたね。この間にはもちろんパンデミックがあったわけですが、この4年のあいだにあなたの人生でなにか大きな変化はありましたか?
SH:やはり一番の変化は家庭を持ったこと。物事に対する考え方が変わったし、ワーク・ライフ・バランスも変わった。あともちろん、コロナがきっかけで立ち止まり、この10年間がどんな時間だったか、そしてこれからの10年間はどうであるべきか、自分は音楽をどんなふうに人に聴かせたいかを考えるきっかけができた。あの期間は、自分のキャリアを一時停止して、ただ人生に集中し、ひとりの人間として自分が将来どうありたいのかということと仕事の折り合いをつける、ほんとうにいいきっかけになったと思う。
■新作『Infinite Health(無限の健康)』に寄せたメッセージでは、「我々にほんとうに必要なのは肉体的、精神的に健康でいることであり、誰もが家族や友人が永遠に健康であることを願う」とおっしゃっていましたね。ご自身や家族、友人たちの健康へと意識が向かうようになった出来事がなにかあったのでしょうか?
SH:さっきも少し話したけど、やはりパンデミックがきっかけだったんだ。健康とはなにか、健康であることとはなにか、健康であることがどれだけ幸運なことなのか、そして世界、地球、人びとの精神的健康、人びとの身体的健康、これらすべてを見直すことになった。2010年から2020年までの10年間は音楽とキャリアに集中していたから、心身の健康が後回しになっていたんだよね。その期間はその期間で、音楽と自分のキャリアを結びつけ、それを優先させるいい機会だったとは思うけど。でも全体的に見れば、それは束の間のものでもある。肉体的であれ精神的であれなんであれ、いまこの瞬間に健康でいるからこそそれができるわけで。パンデミックを通して、最もポジティヴな影響を人びとに与えるためには、まずは最も強い自分である必要があると思うようになった。そこで、仕事とバランスをとろうとしたんだ。そのほうがうまくバランスがとれて健康的だからね。ぼくはちょっと仕事が好きすぎる傾向があるから(笑)。
■健康のためになにかしていることはありますか?
SH:肉体的にも精神的にも、より健康的な自分になるために必要なこと、そして家族のために必要な人間になるためにやるべきことに、もっと耳を傾けるようにしている。だから、エクササイズに集中したり、仕事から離れて普通の人たちと同じことをする時間をつくったりして、仕事や音楽に没頭しすぎないようにしているんだ。そしてそれと同時に、音楽に費やす時間を最大限に活用して、最高の音楽をつくるようにしているよ。
過去には囚われたくないし、未来にこだわることもない。いまを大切にし、今日できることをすべてやって、よりよい結果を出していく。そうすれば、おのずと未来は解決していくと思うんだよね。
■新しいアルバムは、インディ・ロックのギター・サウンドとイタロ・ディスコの融合といえそうです。今作は「自分たちのルーツに忠実でありながら、可能な限り異なるサウンドにしよう」というのがコンセプトだったそうですね。
SH:ロックの要素をより多くとりこむ方向には前から動いていたんだよ。そしてこのアルバムでは、もっとエネルギッシュでダンスっぽい方向にも向かいたかった。それが最初のアイデアだったんだ。今回は、できるだけ違うサウンドのアルバムをつくろうと思ってね。プロデューサーとして、ミュージシャンとしてどんなに頑張っても、ぼくには声があって、いつもぼくらしい音になってしまう。だからこのアルバムが根本的に違っているとは思わないし、ティコとして認識できなくなるようなサウンドだとも思わない。自分たちらしさを消したいとも思わなかったし、今回のアルバムは馴染みのサウンドを残しながらも進化を感じさせたり、新しい方向へ導いてくれるような作品にしたかったんだ。
通訳:こうした方向性に舵を切ったきっかけ、インスピレーションはなんでしたか?
SH:インスピレーションがあったというよりは、ぼくは長い間、このサウンドとアイデアを追い求めていたんだ。でもそこからちょっと一休みして『Weather』をつくった。あのアルバムは、音的には同じような感じだったけど、ヴォーカルを加えたことで、ちょっと違う実験的な作品になったと思う。そしてそのあと、また長い休みをとった。で、もしインスト・アルバムに戻るなら、そのときはちょっと違う視点からアプローチする必要があると思ったんだ。
■今作の制作中、とくによく聴いていた音楽はありましたか?
SH:正直、音楽制作をしているときはあまり音楽を聴かないんだ。長い一日を音楽制作の作業に費やしたあとは、耳を塞ぎたいくらいだからね(笑)。でもここ数年でもっと多くのことをやるようになったと思うし、そのひとつがDJセット。だからダンス・ミュージックが音楽に大きな影響を与えているのはたしかだと思うね。でもまあ、ダンス・ミュージックからは常にインスパイアされてきたし、自分が音楽にハマったきっかけもダンス・ミュージックだったけど。でも、今回のアルバムに収録されている曲は、なにか特定の音楽を参考にできあがったものではないと思う。
■バンド・サウンドとダンス寄りのエレクトロニック・ミュージックを融合させるうえで、とくに意識していることはありますか?
SH:意識していることは特にはない。ただ純粋にエレクトロニックなものを用いてひとりでつくった曲もあれば、ザック(・ブラウン)と一緒につくった曲もある。最終的には25曲くらいできたんだけど、そのなかからバランスよく、ダイナミックでいろいろなタイプの曲が入ったアルバムになるように選んでいった。まずたくさん曲を書いて、それをどう組み合わせるかを考えていったんだ。
[[SplitPage]]■今回、共同プロデューサーにグリズリー・ベアのクリス・テイラーを迎えた理由を教えてください。彼とはどのような経緯で出会ったのでしょう?
SH:ぼくがグリズリー・ベアの大ファンだから(笑)。ぼくにとって、とくに『Painted Ruins』は音的にかなり惹きつけられるアルバムなんだ。まず自分にとってお気に入りのアルバムをリスト・アップしてから、そのアルバムを誰がミックスしてプロデュースしたかを調べていたら、クリスが『Painted Ruins』だけでなく、そのリストに載っていたほかの作品のエンジニアとプロデュースも手がけていたことがわかってさ。そこで彼にコンタクトをとってみたんだ。そしたら、幸運にも彼も一緒に仕事をすることに興味を持ってくれた。彼と一緒に仕事をした経験からはほんとうにインスパイアされたよ。
通訳:それまでクリスに会ったことはなかったんですね。
SH:というか、いまだに彼と会ったことはない(笑)。彼はバルセロナに住んでいるから、すべての作業をリモートでやったんだ。最終的には会おう、と最初は話していたんだけど、結局同じ部屋で作業するということはぼくたちにとって必要なことではなかった。個人的には、ある意味あの電報のやりとりのようなやり方がアルバムの仕上がりにいい影響をもたらしたと思う。リモートで作業したおかげで、彼のミックスを何度も時間をかけて聴いて、じわじわと理解することができたからね。
■今回、彼が果たした役割を教えてください。バンド・メンバーとクリス・テイラーと、どのようなプロセスで制作を進めていったのですか?
SH:彼は、ほんとうにアグレッシヴな中音域を持っている。ぼくは彼の中音域の扱い方が大好きなんだ。ぼくは中音域の高音が大好きで、それを押し出すのも好きなんだけど、それをやろうとすると荒々しく醜いサウンドになってしまう。でもクリスはその周波数帯域と特別な関係を持っていて、押し出し方がうまいんだ。ドラムの扱い方といい、その他色々、彼はサウンドを駆り立てながらも、有機的で心地よい空間へと押し込んでいく。そして、そのサウンドに新しい命やエネルギーを与えるんだよ。それこそがぼくが求めていたものだった。彼には、エレクトロニックな要素をとりいれつつも、そのサウンドをロックやインディ・ロック・バンドがシンセサイザーやギターを扱うように扱って欲しかったんだ。彼はそれを得意としているからね。
■ちなみに、グリズリー・ベアないしクリス・テイラーの作品ではどれが一番お好きでしょうか。やはり『Painted Ruins』ですか?
SH:そうだね。あれは傑作だと思う。ミックスの仕方、ベースの音、ドラムの音、すべてが調和している。ほんとうに美しい作品だと思うね。
全体的な終わりではなく、ある時代の終わり。今回は、『Past Is Prologue』の時代にもどるようなアルバムをつくりたかった。そして、ぼくがそれをやるのはおそらく最後だろうと思ってね。
■今作のテーマは「未来への希望と過去へのレクイエム」だそうですね。ここでいう「過去」とはどのようなものでしょうか? たとえばあなた個人にとっての過去、これまでの作品だったり、あるいは若いころのことですか? それとも、より広い社会的なことだったり流行だったりを指しているのでしょうか。
SH:過去と折り合いをつけて、過去と和解することがテーマなんだ。そして過去のことで後悔したり、自分を追い詰めたりしないこと。それはほんとうに重要なことだと思う。ぼくにとってのここ10年間は、ただただクレイジーで、あっという間だった。だから、いまになってそれを振り返り、すべてを理解しようとするのは難しいんだ。でもその代わりに、これから先もっと良い結果を出すことがほんとうに重要なことだと思うようになった。過去には囚われたくないし、未来にこだわることもない。いまを大切にし、今日できることをすべてやって、よりよい結果を出していく。そうすれば、おのずと未来は解決していくと思うんだよね。もしぼくが過去や未来にとらわれすぎていたら、いまこの瞬間もきっと集中できていなかったかもしれないし。ぼくはノスタルジックな人間で、過去を振り返りがちなんだ。もちろん、過去から学ぶべきことはたくさんあると思うし、反省する必要もあると思う。でも、それをやりすぎるのはあまり健康的ではないと思うんだ。
■最後の曲は “Epilogue” というタイトルです。これはシンプルに、この新作の最後の曲という意味でしょうか。2006年に〈Merck〉からリリースされたファースト・アルバムは、シェイクスピアを引用し、『Past Is Prologue』と題されていましたが、それと呼応していたりしますか?
SH:そう。あのアルバムがはじまりで、このアルバムがひとつの終わりのような気がしたから最後のトラックを「Epilogue」にしたんだ。全体的な終わりではなく、ある時代の終わり。今回は、『Past Is Prologue』の時代にもどるようなアルバムをつくりたかった。そして、ぼくがそれをやるのはおそらく最後だろうと思ってね。次につくる作品は、今回のものとはまったく違うものにしたいから。『Weather』のときみたいに、また新しいなにか、これまでにつくったことのないものをつくってみたい。そういう意味で、今回のアルバムは、一つの時代全体の締めくくりみたいに感じられたんだよ。
■今年は、ファースト・アルバム『Past Is Prologue』のもとになった『Sunrise Projector』(2004)からちょうど20周年です。この20年を振り返ってみて、いちばん大きな転機はどこにあったと思いますか?
SH:音楽がぼくのキャリアになり、生活するための仕事になったことは、ぼくの人生におけるもっとも大きな変化だったと思う。この仕事にすべての時間とエネルギーを注げるようになって、ほんとうに充実した経験をさせてもらえていると思うね。
■さまざまな問題にあふれている現代では、なかなか未来に希望を持ちづらい人も多いかと思います。ついついネガティヴになってしまいそうなとき、未来に希望を持つためのコツのようなものがあれば教えてください。
SH:それはとても大変なこと。近頃は皮肉屋になることは簡単だし、ぼく自身も時々そうなってしまってほんとうに落ち込むこともある。特に子どもがいると、希望を持てない未来を見るのは辛いしね。でも、SNSやニュース、メディアから自分を切り離すこと、そういったものをとりいれるにしても適度に保つことはできると思う。適度にとりいれる分には、SNSはとても助けになると思うしね。知っておく必要があることもあるし、避けられない現実もあるけれど、同時に、日常生活のなかではそれらを心に留めておくように最善を尽くす。それがすべてなんじゃないかな。未来のことを難しく考えすぎると、脳が爆発してしまう。だから、“いま”のことを考え、いま自分ができることをやっていけたらいいんだと思う。自分が無力だと感じるような、そして世界の問題の大きさを感じるような瞬間があるけど、ぼくはただ、音楽と、ミュージシャンとしてのぼくができることはなにかを理解し、それを通してポジティヴな影響を与えることができたらいいと思ってる。それが世界の問題を解決することになるとはもちろん思わないけど、自分ができることをやってその役割を果たし続けることができればそれで良いと思うんだ。それ以上のことを考えたって、どうすればいいか見当もつかないからね。そうして悲観的になってしまうよりは、いまできることを大切にしたほうがいいと思う。
■新作のジャケットは、草原のなかに浮いている巨大な球体が印象的です。今回あなたはアートワークにも関与していますか?
SH:今回はフラン・ロドリゲスというアーティストを見つけ、彼と一緒にアートワークをつくったんだ。彼は写真コラージュのようなとてもクールな作品をつくっていて、ぼくが『Dive』時代にやっていたようなことをやっている。今回は70年代のアルバム・ジャケットのような、シュルレアリスム的な雰囲気がほしいと思ってその方向で行くことにしたんだけど、ぼくは彼の作品をかなり気に入ったし、そのアイデアには彼がぴったりだったんだ。できあがりにはかなり満足しているよ。
■これまではオリジナル・アルバムを出したあと、リミックス・アルバムをつくるときとつくらないときとがありました。今回リミックス盤の予定はありますか? あるとしたら、いちばん参加してほしいプロデューサーはだれですか?
SH:つくりたいとは思うけど、まだそれについて考える段階にまで達していないんだ。だからいまのところ予定はない。でも、もしつくるとしたら、参加してほしいのはダスカス(Duskus)かな。あとはジョイ・オービソン。ぼくは彼らの音楽が大好きだし、彼らがリミックスでどんな仕事をするのか聴いてみたいから。
通訳:以上です。今日はありがとうございました。
SH:こちらこそほんとうにありがとう。またね!






