9月14日の『Dub Sessions 2024』、このイベントが終わってから、主催者であるビートインクが自らの30周年を祝ってのパーティをオールナイトで行う。この疲れ知らずのインディ・レーベルで、創業以来がむしゃらに働いてきた大村大助にいたっては、その前日に名古屋での『Dub Sessions』を終えてからの東京入り。オーディオ・アクティヴでエレクトロニクスを担当していたこの男は、あれから30年以上経ったいまも、並々ならぬ気迫と持久力でレーベルをひっぱっているようだ。
現在、〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をはじめ、〈Beggars〉傘下の〈4AD〉〈Rough Trade〉〈XL〉に〈Young〉〈Matador〉、そして〈Domino〉など多くのインディ・レーベルとライセンス契約をし、日本でのリリースを引き受けている。もっとも、そもそものその原点は〈On-U Sound〉の日本でのリリースを手がけたことにはじまり、つまり、ある意味、30年前と同じことをずっとやり続けてきたことの蓄積だったりするのだ。
いよいよ〈BEATINK 30th Anniversary Party〉を控えたビートのスタッフ3名、大村大助、若鍋匠太、寺島茂雄に話を聞いた。

オーディオ・アクティヴのメンバーとリー・ペリー
〈On-U〉がすべての起点になっているんですね。だから、30周年のイベントやるんだったら、エイドリアンが来ているいましかないでしょう!
■30周年おめでとうございます!
一同:ありがとうございます!
■大村(大助)くんとぼくは、ビート設立の前からの知り合いなんです。
大村:そうですよね。
■91年、渋谷のエスニック料理屋を週末だけ借りてやっていた、アンダーグラウンドなテクノ・パーティがありましたね、ぼくはよく遊びに行ってたんですが、大村くんはね、見張り番をしてたんだよね(笑)。
大村:いや、ぼくはただ単に遊びに行ってただけですよ(笑)。
■え? そうだったんだ。いつも入口付近にいたから、警察が来たら知らせる見張り番だとずっと思っていました(笑)。
大村:伊藤洋一さんという、YMOのマネジャーやっていた方が、そのころジェオという会社をやっていて、そこで働いていたスタッフたちといっしょに遊びに行ってましたね。ビートが立ち上がる前の助走期間というかね、もう、とんでもないデコボコ道でしたけどね。
■当時大村くんはオーディオ・アクティヴとしての活動も精力的にやっていてね、のちに新宿リキッドルームで活躍する山根(克己)さんがマネージャーみたいなことをやってたんだよね。
大村:そうです。
■ビートを立ち上げる前は、レイ・ハーンもジェオで働いていて。
大村:ジェオのときに芝浦GOLDにエイドリアン・シャーウッドを呼んでますね。
■ぼくもあのとき行ったんですが、あれはすごいイベントでしたね。低音がすごかった。
大村:あの頃、〈On-U〉は〈Alfa Records〉とライセンス契約していて、オーディオ・アクティヴのデモも〈Alfa Records〉で録音しているんです。だから、オーディオ・アクティヴのファースト・アルバム『AUDIO ACTIVE』は、1993年の11月に〈Alfa Records〉から出ているんですよ。でも、ファーストが出た数ヶ月後に〈Alfa Records〉は倒産するんです。「さてどうする?」ってところから、ビートの立ち上げがはじまっている。
■なるほどね。自分たちでやるしかないと。
大村:そして、〈On-U〉から1994年の9月にアルバム『We Are Audio Active (Tokyo Space Cowboys)』が出るんです。ただ、その前の6月には「Free The Marijuana」という12インチ・シングルも出ているんです。
■いまでも持っています。ビートインクの最高傑作ですね!
大村:マーク・スチュワートがあのシングルもアルバムもデザインをしてくれたんです。
■いや、そこはマジで素晴らしいですね。あの曲のなかのトースティングは?
大村:ビム・シャーマンですね。スキップ・マクドナルドも参加している。
■まさに、ここにビートインクが凝縮されている。もう、いまやっていることと変わらない(笑)。30年間、ずっとそれをやり続けているんですね! すごいよね。
大村:そういうことですね(笑)。

伝説のエイドリアン・シャーウッド@芝浦GOLD
■ビート前史としては、山根さんがまだ渋谷ON AIRのブッキング・マネジメントをやっていた頃に、1992年から1993年にかけて、ダブ・シンジケート、ビム・シャーマン、ゲイリー・クレイル、マーク・スチュワート、リー・ペリーなんかの招聘をやっているでしょ。あれも当時は大きかった。
大村:ビートを会社として登記したのが、1994年の6月。そして、7月に新宿リキッドルームができてるんです。で、そのプレ・こけら落としというのがあって、それはうちがアンダーワールドとドラム・クラブを呼んだんです。
■いろんなものが同時にはじまりましたよね。ぼくも1994年に独立して、エレキングをはじめた。そのくらい、1992〜94年の日本のアンダーグラウンド・シーンは熱かったですね。最初、ビートはレイの恵比寿のマンションの自宅ではじまっているけど、何人ではじまったんですか?
大村:俺とレイと、あとは井出さんという女性の方がいました。
■井出さんにもお世話になりました。で、最初は〈On-U〉のディストリビューション?
大村:〈On-U〉ではじまって、やがて〈All Saints〉(※イーノ作品で知られる)もやったり……。
寺島:ちなみに、ビートのカタログナンバー〈BRC〉の1番がオーディオ・アクティヴ。2番がアフリカン・ヘッド・チャージで、3番がニュー・エイジ・ステッパーズ
■(笑)いまとやっていることがまったく変わらないね!
大村:(笑)〈On-U〉がすべての起点になっているんですね。だから、30周年のイベントやるんだったら、エイドリアンが来ているいましかないでしょう!
若鍋:よくレイさんも言いますよね。音楽をディストリビュートするというアイデア自体は、エイドリアンからもらったって。
大村:〈On-U〉からいろいろ繋がっていったんだよね。
寺島:アタリ・ティーンエイジ・ライオットもそう。
大村:〈DHR〉(※アレック・エンパイアのレーベル)も、そして〈Emissions〉(※アンドリュー・ウェザオールのレーベル)も。ほかにも、〈On-U〉のサブレーベルとして〈Puressure Sounds〉もあった。
■最初は全国のレゲエ系のお店をはじめ、独自の流通網を作っていったんだよね。
大村:なんの経験もないなかインディーズをはじめて、信用できるいろんなひとに教えてもらいながら、必要に迫られて何でも大急ぎで進めていきました。
なんの経験もないなかインディーズをはじめて、信用できるいろんなひとに教えてもらいながら、必要に迫られて何でも大急ぎで進めていきました。
■1994年にビートがはじまって、最初は〈On-U〉からやっていくんだけど、大きかったのって何だったですか?
大村:〈DHR〉がやっぱデカかった。
■90年代は、オーディオ・アクティヴもすごくがんばってやっていたじゃないですか。リキッドルームでオーディオ・アクティヴとエイドリアンとアンドリュー・ウェザオールってあったよね? あれは良かった。あとリー・ペリーのライヴもよく憶えている。大村くんは何がいちばん思い出深い?
大村:アンダーワールドの初来日はよく憶えていますね。アタリ・ティーンエイジ・ライオットのライヴもお客さんの熱気がすごかった。湿度で天井から雨が降ってくるくらいだったし、後にも先にもあんな光景は見たことないです。
■リー・ペリーと?
大村:リー・ペリーはめちゃくちゃ思い出あります。最初のON AIRでやったときは、まず空港に迎えに行ったときに、カシオトーンを頭の上に乗っけて歩いてきたんです。「ええ!? とんでもない人出てきたな……」みたいな。もう、誰がどう見てもすごい人なんですよ(笑)。
■それはもう、なんか超越的というか(笑)。普通に?
大村:それが、普通にめちゃめちゃ安定してるんですよ。何もくくらないで、そのまま頭に乗っけてて。リズム・ボタンを押して、ピッコピッコ鳴らしてるんですよ(笑)。
■ハハハハ。
大村:会場入りするときもそうでしたね。車から降りて、カシオトーン乗っけて、ピッコピッコって(笑)。楽屋に入ると、ガラス張りの楽屋に、ろうそくでガラス全部に隙間ないぐらい言葉とか絵とかいろいろ描きはじめて、すごい光景でしたね。
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オーディオ・アクティヴのメンバーとリー・ペリー。ペリーの後方に写っているのが、大村氏。
■あのときはバックのメンバーも最高だったよね。
大村:ダブ・シンジケートがバックで来て、スタイル・スコットも元気だったし。
■ところで、これは大村くんの名誉のために言っておくと、オーディオ・アクティヴは当時イギリスで評価が高くて、人気だったんですよ。グラストンベリー・フェスティヴァルがいまみたいにコマーシャルになる前のいい時代に出演しているし。若鍋くんはそのころは何歳だったの?
若鍋:小学生でしたよ。94年はぼく、小学校5年生。
■若鍋くんが入ったのっていつなんですか?
若鍋:ぼくは2007年です。
大村:(寺島)茂雄くんはその4年前ぐらい。だから、いまいるスタッフは〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をはじめた後ですね。
■〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をはじめたのは?
大村:2001年。
若鍋:まずは「エレクトラグライド(エレグラ)」(※2005年まで続いた、テクノに特化したオールナイトのイベント。冒頭の写真はその第一回目)が2000年からスタートするんです。その前は、フジロックの最初の5年間ホワイト・ステージのプロデュースをビートがやっていて、そこでスクエアプッシャーやエイフェックス・ツインをブッキングしているんですね。で、その流れで、エレグラにも〈Warp〉と〈Ninja Tune〉のアーティストが出演している。
大村:一回目がアンダーワールド、オービタル、リッチー・ホウティン、ルーク・スレーター、トゥー・ローン・スウォーズメン、トモヒラタ……。
若鍋:2年目がファットボーイ・スリム、エイフェックス・ツイン、ダレン・エマーソン、ローラン・ガルニエ、マウス・オン・マーズ、ハウィー・B、プラッド、バッファロー・ドーター、リチャード・マーシャル……。
大村:そういうなかで、〈Warp〉と〈Ninja Tune〉からアプローチを受けて、最初はキャパ的に、ふたつのレーベルを同時にやるのは無理だろうと思ってたんだけど、悩みに悩んで、両方ともやることになりました。
寺島:〈Warp〉をやることになって、最初に出した作品がオウテカの『Confield』。
■名盤じゃないですか。それは良いタイミングでしたね。
大村:そうなんですよ。ボーズ・オブ・カナダもそうだし、とんでもなくいいタイミングだった。
■その二大レーベルをやったことでだいぶ状況は変わったんじゃないですか?
大村:〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をやる前は、オーディオ・アクティヴ、ドライ&ヘビー、ロンパリ、日本人のアーティストが精力的に活動していましたね。「ハッパーズ」もやったし。
■「ハッパーズ」! これはビートインク史における快挙のひとつだよね。8月8日をハッパの日と定めて、2000年8月8日に代々木公園でフリー・フェスティヴァルを開いた。いやー、あれはほんとうにすごかったなぁ。
大村:画期的でしたよね(笑)。そこにブルー・ハーブも出て。
寺島:オーディオ・アクティヴ、ドラヘビ、ブルー・ハーブ、クラナカ、DJ YASU。
■そのメンツで、野外で、無料で、「ハッパーズ」。しかも都会のど真ん中。いや、素晴らしい。
大村:ただ、〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をやるようになってから、もうそっちで忙しくて、なかなか日本人のアーティストができなくなってしまったんですけどね。
■それはすごく残念でした。やっぱ、オーディオ・アクティヴとビートインクの仕事との両立はできなくなっていった?
大村:できなかったですね。若いころは寝ないでやればいいって感じだったけど、それもどんどんできなくなりますからね(笑)。ビートの仕事が終わってから夜中、「スタートレック」っていう高津にあったスタジオで朝まで作業して、そしてその朝ビートに来て仕事するという生活は、もう……。
■それはたしかに(笑)。ところで、第一期が90年代だとすると、〈Warp〉と〈Ninja Tune〉と契約してからが第二期と言えますよね。第二期以降のビートインクは、どういうふうに変わっていったと思いますか?
大村:発売の量自体が一気に増えたんで、まわすのが大変になりましたね。
ビートがやっていることって、つねにカウンターの側にいるように見えるんですよね。でも、それってメインストリームの存在が輝いているから、カウンター側も輝けるわけで、だからメインストリーム側にも強い存在としていてもらわないと、とは思います。
■若鍋くんと寺島さんのおふたりはなんでビートに入ったんですか?
寺島:ぼくはオーディオ・アクティヴとドライ&ヘビーがすごく好きで、さらに大好きな〈On-U〉やエイドリアン・シャーウッド、アンドリュー・ウェザオールもやっているし、プレフューズ73とかもやっていた。ここで働きたいと思って、バイトからはじめましたね。
若鍋:ぼくもバイトですね。ちょうどオーディオ・アクティヴやドラヘビが盛り上がっていた当時、ぼくは留学をしてまして、日本にいなかったんです。でも留学中に友だちから〈Warp〉と〈Ninja Tune〉のことを教えられるんです。しかも、その友だちがのちに日本に留学してビートでバイトするんですよ。で、彼からある日「お前スクエアプッシャーとか大好きじゃん。いま自分がアルバイトしてるビートインクでは、日本でそれを扱っているんだよ」と言われ、最初は翻訳のバイトからはじまりました。
大村:最初に〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をやることになったときは、インディだし、どうやってやろうか考えましたね。それ以前は、〈Sony〉と〈TOY’S FACTORY〉という、日本のメジャーとライセンス契約していたじゃないですか。お金もたくさん使ってやっていただろうし、うちには同じことはできない、だから機転を効かせたり、スピード感で勝負するしかなかったですね。隙を突いていくような、うちだったらこういうやり方で攻めるというような。
■営業をやっていた関井さんが、ボーズ・オブ・カナダの大きなパネルつくってそれを新幹線に乗って関西のお店にまで配るとか、いろいろ泥臭い戦術でやっていましたね。
若鍋:ビートがやっていることって、つねにカウンターの側にいるように見えるんですよね。でも、それってメインストリームの存在が輝いているから、カウンター側も輝けるわけで、だからメインストリーム側にも強い存在としていてもらわないと、とは思います。
■音楽産業の昔ながらの生態系が変わるのって2010年代以降じゃないですか。いろんなものがインターネットや配信などで変わってしまった。
大村:デジタルへの移行もたしかにそうでしたけど、90年代にWAVEがなくなったときはほんとうにショックがデカかったんです。うちの商品って、ほとんどWAVE頼みみたいなところがあって、だからWAVEがなくなるって聞いたときのほうが「どうなるんだろう?」ってビビりましたね。あれが最初の地殻変動でした。その後のデカいのって言ったらやっぱデジタルですね。2000年代に入ってからちょうど4〜5年くらい経って、出荷数落ちてきたなと感じたりしましたね。
■30年もやっていれば、状況も変化するし、良いときもあれば悪いときもありますよ。それこそ雨、風、嵐が(笑)。
若鍋:デジタルがはじまってからは、いきなり大きな衝撃というより、その変化を徐々に体感していった感じですね。
大村:下手したら盛り下がっていることに気づかないくらい、静かに変化していったよね。ただ、日本ではフィジカルが好きな人はずっとフィジカル買うし、ヴァイナル買うのが流行れば、若い子もヴァイナル買うような感じになっているし。必ずしも、ストリーミングが喜ばれてないというか。
若鍋:ビートが創業してからいまだに変わってないのって、たぶんイベントだと思うんですよ。要はそこでしか体験できないことっていうのは、昔から変わっていない。そもそも、「ハッパーズ」じゃないですけど、ビートは「そこにそんなに力入れるんだ?」みたいなことをやってきているんです。採算度外視でも、それをやった方がお客さんに伝わるということならやる。アイデア・ベースというか、採算度外視のことをやって、でもそれが良くてリピーターになったり、アーティストのファンになってくれたりしてるのかな、みたいなことも、実感する瞬間は多々あるんです。
■たとえば?
大村:ロビーやエントランスの照明にこだわったり、とにかく、雰囲気をつくりたくて。
■なるほど〜。そして、ビートの第3期は、やっぱ〈Beggars〉グループとの契約だよね?
若鍋:2017年が〈Beggars〉、2019年が〈Domino〉だったと思います。
大村:〈Beggars〉は〈XL〉、〈Young〉、〈4AD〉、 〈Rough Trade〉、〈Matador〉の5レーベル。
■もう、UKインディの大きなところほぼすべてじゃないですか。まさかビートがそんなことになるなんて、大村くんも夢にも思わなかったでしょ。
大村:思ってなかったですね。じつは2000年代からずっといろんな話が来ていたんです。いろいろ断っていた話はたくさんあるんですけどね。
若鍋:ただね、時代が良ければメジャーがやっていてもおかしくないようなビッグ・アーティストを、もう日本で誰もやらなくなっちゃった状況があるじゃないですか。
■それはそうなんですよね。
若鍋:となると結局、マーケットがシュリンクすることを受け入れる感じになっちゃうし、そこにビートは我関せずではいられないよねっていうことで、ぼくらもちゃんとリスペクトのあるレーベルと仕事しているっていう話なんですけど、正直レーベルを取り合うような状況になったことはほとんどないんですよ。
■単純に、カウンターではいられなくなってしまったと。
若鍋:海外でどういう新しいエキサイティングなことが生まれているのか? っていう考え自体が、日本においてはレフトフィールドなものになっちゃっているっていうことなんでしょうね。
■海外文化の新しいもの自体が日本ではレフトフィールドになっているにではないかという感覚があるんですね。ただ、向こうのインディ・レーベルと直に仕事をしていると、良い意味で刺激を受けますよね?
若鍋:今週のチャートがまさに、1位がサブリナ・カーペンターで2位がフォンテインズD.C.で。いまはトップ・チャートも全然インディで、ブラック・カントリー・ニュー・ロードとかもトップ3位を獲ってるから、新人がトップ5とかってもうザラにあって。彼らはそれを本気で狙っているから、いいなと思います。
■フォンテインズD.C.やBCNRみたいなロックは、UKでは、インディでもメインストリームとも言えるだろうし、自分たちもオリコン・チャート1位目指すぞ、と(笑)。
若鍋:物怖じはしないでおこうと思います (笑)。
■ビートインクとして、紹介するのは、UKのインディ・シーンにこだわってますか?
大村:たとえばUSだと〈ROIR〉とか、〈Gold Standard Laboratories〉みたいなレーベルも扱っていたし、90年代のカーティス・マントロニックがいた〈OMW(オキシジェン・ミュージック・ワークス)〉はニューヨークのレーベルだったと思うんですけど、そこから出たアルバムの日本盤を出したりしてましたし、とくにUKにこだわってはいないです。ただ、やっぱり〈On-U〉、エイドリアンを起点に広がったところがあるので、そうなっているのかなと思いますね。
■ビートインクは、海外の最高にエキサイティングな音源をいまだに日本で配給している拠点だし、海外で起きていることを伝えるメディア的な役目も果たしているわけだし、ほんとうに頑張ってほしいなと思いますね。最後に、これからの展望なんかも聞かせてもらえたらと思います。
大村:2000年代に〈Warp〉と〈Ninja Tune〉と契約して、2010年代には〈Domino〉や〈Beggars〉も来て、ずいぶん変化しているように見えるかもしれないけど、美意識がちゃんとあれば、ずっと続けていけるかな、と。
■この会議室にもリー・ペリーの写真が飾ってあるぞ、と(笑)。
大村:リーに見られても恥ずかしくない生き様で続けていこう、と思います(笑)。
若鍋:時代とともに「なにがレフトフィールドなものに見えるか」みたいなことも変わっていますよね。ビートの軸は変わらないけど、マーケットが変わっていったら、それによってビートインクがやっていることは変わっていっているように見えているかもしれない。でも、じつはビートのアティチュードや信念みたいなものは変わっていないし、たぶん、それはいつの時代にも必要とされるものなんじゃないかと思います。
■そして最終的には、30周年のイベントを、エイドリアン・シャーウッドを迎えてやると。さすがですね、立派に筋が通っています!
一同:なので、9月14日の30周年パーティにもぜひ足を運んでください!












