Home > News > RIP > R.I.P. フレデリック・ジェフスキー(Frederic Rzewski)
“I think, the combination, of age, and a greater coming together, is responsible, for the speed, of the passing time──”
うねるピアノの低音部にのせてリヴィング・シアターのスティーヴ・ベン・イスラエルが一語一語区切るように読みあげる上のテキストは1971年9月にニューヨークのアッティカ刑務所でおきた暴動事件で命をおとしたサム・メルヴィルが前年に書いた手紙の一節で「ときの流れの速さは年齢と、より大きな団結との組み合わせによるものだと思う」とでも訳せる文中に題名となった“Coming Together”をみつけることができる。私はこの曲を、2年前に『前衛音楽入門』を出したときの刊行記念のトークイベントでかけたとき、前衛というと頭でっかちなイメージですが、ガッツあふれる前衛もいるのです、というようなことをもうしあげたおぼえがあるが、その思いは作者の訃報を前にしたいまもいささかもゆるがない。
むしろつのるばかりというべきか。
作曲家の名前はフレデリック・ジェフスキー(Frederic Rzewski)という。いささか難解な姓の綴りはポーランド系の出自に由来するのであろう。1938年ニューヨークに生をうけたジェフスキーは2021年6月26日に滞在先のイタリアはモンティアーノで世を去った。心不全だったという。“Coming Together”は71年に完成した曲なので、当時ジェフスキーは30代前半だったことになる、この年齢が若いかそうではないかは微妙なところだが、1950年代なかばに現代曲をレパートリーにした、秀抜なピアニストとして名を売りはじめるのと並行して作曲活動も開始したころの彼にとっておそらく音楽とは譜面の世界であり録音はあくまで副産物だった。産業とテクノロジーの進歩で、おそくとも60年はじめにはその関係も転倒するが、米国で音楽をおさめたジェフスキーはそれと軌を一とするように1960年代初頭にイタリアにわたり、あのエンニオ・モリコーネも一時期メンバーだったグルッペ・ヌォーヴォ・コンソナンサに加入するなど、クラシック~コンテンポラリーにとどまらない活動にふみこんでいく。
1966年にはローマの地でムジカ・エレットロニカ・ヴィーヴァのたちあげに参加。ほかにアルヴィン・カラン、リチャード・タイテルバウム、ジョン・ブライアント、ジョン・フェットプレイスらも名をつらねるMEVの演奏には譜面もなければ、たしかなはじまりもおわりも美学的な価値基準も存在しない。ケージやテュードアにならいコンタクトマイクで増幅した物音や自作シンセのサウンドはときに騒々しく、スティーヴ・レイシーやギャレット・リスト、後期はジョージ・ルイスなど、管楽器奏者が前に出ればジャズ風になりもするが「形式化した即興」とは慎重に距離をとりつづけている。その記録は仏BYGの70年のライヴ盤『The Sound Pool』はじめ、『United Patchwork』(78)、67年の初期音源をふくむ『Spacecraft / Unified Patchwork Theory』、AMMとの協働作『Apogee』(2005)など、断続的だがみすごせない諸作がおさめている。順を追って聴くと、即興という方法にたいする絶えざる探究心に気づかされるが、サーカスのように混沌と騒々しい初期の演奏の背後にはおそらく作曲家集団でもあるMEVの作者や指揮者を頂点とする近代西洋音楽の体制への批判がひそんでいた。
この考えを作曲に敷衍したさきに“Coming Together”はあらわれる。ジェフスキーはこの曲をイタリアからの帰国後に書きあげている。題材が71年のアッティカ刑務所の暴動なのはすでに述べたが、反乱や暴動の文言が想起する攻撃性というよりも、作品の中心にあるのは静かに潮位を増す反復の力感である。まぎれもないミニマリズムだが、ジェフスキーのそれはライヒの犀利さともグラスのロジックともラ・モンテの時間感覚ともちがう趣きをもっている。ライリーに通じる明快さはあっても「In C」ほどは明るくはない、そう述べるときの「明るさ」は調性よりも作品の担う言語的な側面に由来する。すなわち絶対音楽と標題音楽の差異にも似たなにかだが、ロマン派的な過度な情緒を批判してことたれりとするほど、20世紀後半以降の音楽と言語の関係は牧歌的ではありえない。ここでいう言語を政治や思想や哲学と言い換えては音楽の楽しさ美しさ心地よさを損なうやもしれぬが、そのようにのたまう御仁こそ“Coming Together”に耳を傾けられるのがよい。
https://www.youtube.com/watch?v=S2GquuyvHto
アンジェラ・デイヴィスがスピーカーをつとめる上のヴァージョンはレコード盤ほどの密度はないし演奏も拙いが、音楽にこめた作者の息吹は消えていない。録音物にたいするシートミュージックの利点は再現のたび、主体の解釈と身体性がまぎれこむことである。そのようにして作品が再生するなら音楽はつねに一回性の色を帯びる。おなじ出来事は二度とは起こらない――というこの前提を一小節や二小節といったごく短い時間(楽節)単位にあてはめればミニマル・ミュージックの構造がうかびあがる。そのとき反復がうみだすのは均質な持続ではなく差異の集積である。
差異を変奏と比較することは可能だろうか。ジェフスキーの代表作のひとつに“『不屈の民』変奏曲”と題したピアノ曲がある。もとはチリの作曲家セルヒオ・オルテガと、ヌエヴァ・カンシオン(新しい歌)の代表格であるキラパジュンが1970年のアジェンデ政権誕生の機運を背景に発表した楽曲で、スペイン語の原題“¡El Pueblo Unido, Jamás Será Vencido!”は英語にすると“The People United Will Never Be Defeated!(団結した人民は決して敗れない!)”となる。73年9月11日の同国の軍事クーデターを境にビクトル・ハラの諸作とともに象徴化したこの歌を、ジェフスキーは米国の建国200年(1976年)を記念する音楽祭開催での委嘱に応じ36曲とカデンツァからなる一時間ほどの変奏曲にまとめあげている。中南米の社会主義体制にたいするアメリカの脅迫観念は戦後の冷戦構造よりむしろ資本主義の無意識に根を張るにちがいないが、そのような関係性を言外にほのめかしながら、しかしことばのないピアノ曲であることで“『不屈の民』変奏曲”はことばでは語りえないことまでも語るかのようでもある。
“『不屈の民』変奏曲”は委嘱したウルスラ・オッペンスの1976年の初演以降も、複数のピアニストが舞台にかけている。ジェフスキー自身も数度の録音をのこすほか、高橋悠治、マルカンドレ・アムラン、イゴール・レヴェットやコンラッド・タオなど、国と世代を超え多くのピアニストをひきつけてきた現代音楽にはめずらしい作品でもある。それもひとえに原曲の印象的な旋律を活かしつつ、現代曲らしい技巧的な展開から変奏の極限をみさだめるような解体的な側面まで、複数の領域にわたり問題提起的であろうとする書法によるであろう。このとき変奏は差異よりも他者性の産出の機制となり、作品は世界の似姿をしめしはじめる。私たちはこのような馴致しえない虚構の力を言下に否定し分断したがる世界に生きているのだとしても、作品が鼓舞する感情までも奪うことは、だれしも、作者の死をもってしても、なしえない。私はフレデリック・ジェフスキーのいなくなった世界で、彼がのこしたガッツあふれる音楽にふれながらあらためてそう思った。
松村正人