Home > News > RIP > Paul Johnson
渡部政浩
すこし記憶をたどってみる。たぶん、僕がこのシカゴのレジェンドを知ったのは高校生のころ、ダフト・パンク“Teachers”を聴いたときのことだったと思う。機械的なビートとベースにのせて、ハウス・ミュージックにおいて重要な役割を果たしてきたシカゴのDJたちの名前が、まずは「ポール・ジョンソン」にはじまり、そこから「DJファンク、DJスニーク、DJラッシュ……」と、たんたんと歌われてゆく(語られてゆく、と言うべきか)。あるいは、ダフト・パンクが1997年に提供したBBC Essential Mixにおいて、自身の曲やパリ、デトロイトを織り交ぜつつ、そこにはDJディーオン、ジャミン・ジェラルド、ロイ・デイヴィス・ジュニア、カジミアのようなゲットー・ハウス、シカゴ・ハウスへの敬意があり、なによりこのすばらしいミックスはポール・ジョンソンの“Hear The Music”で幕を上げたのだった。
偶然にも、“Teachers”とミックスのはじまりはどちらもポール・ジョンソンだったわけだが、当時の僕はといえば、彼のこのサンプル・ヘヴィーなハウス・ミュージックにすぐ入れ込んだわけではなかった。むしろ、EDMが全盛をきわめていた学生時代において、つまり過剰な上昇と下降(EDMにおけるビルドアップ、ドロップの構造)が溢れかえっていたときにおいて、彼の提供する、反復とフィルター、音の抜き差しによってテンションとグルーヴを創出するサウンドは、かなしいかな、まだ僕の耳と体ではまったく反応しなかった。が、この高校生がシカゴ・ハウスとポール・ジョンソンを教えられた(Teaching)ことによって、そのときはなにもわからなかったとしても、時を経て、ときおり迂回しながら、すこしづつ理解していくことで、僕の音楽体験はのちのちおおきな広がりをみせることになる。彼の音楽に出会っていなければ、僕は90年代のシカゴにおける素晴らしいハウス・ミュージック――ゲットー・ハウスよりもディープ・ハウスを好んで聴いていた――をほぼ知らずに過ごすことになったのだ。そう思うとすこしぞっとする。
『Feel The Music』をいまでもときおり家で流すが、このシカゴから鳴らされるサウンドが、宝石のようなディープ・ハウスの集まりであるという事実は、僕にとってはささやかなことに過ぎない(もちろん、めちゃくちゃ好きだけど)。それ以上にポール・ジョンソンは、まだ遭遇したことのない音を聴かせてくれたひとりだったし、アンダーグラウンドなダンス・ミュージックへ招待してくれたきっかけだったのだ。
高校生から大学生にかけての、僕のこの個人的な経験はかけがいないものだ。つまり、まったくわからなかったものがわかるようになること、まったく駄目だと思っていたものが素晴らしく聴こえるようになること、その過程に音楽の重要な喜びのひとつがあると思うし、ポール・ジョンソンの音楽は、僕にその経験をさせてくれた。アンダーグラウンドな音楽に魅力があることも、ほんとうに素晴らしいものはときに理解し難いということも、ハウス・ミュージックは最高だということも……すべて、いまでは僕にとって自明のように感じられることだが、それは彼の音楽がひとつのきっかけとなって、僕の体に染み込んでいる考えなのだと思える。いろいろなことを教えてくれました、ありがとう。
野田努、渡部政浩
12 |