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そう、自分はこのギターを求めていた。あるいはきっとこれから先も求め続ける。アルバムが始まったものの数秒でドキドキと心を揺さぶられるようなそんな感覚におちいる。ロンドンのワンダーホースの2ndアルバムのなんと素晴らしいことか。ヴォーカル/ギターのジェイコブ・スレーターはこのアルバムについて不完全で生々しいサウンドにすることを目指したと語っていたがその試みは見事に成功を収めている。荒々しくラフに仕上げられたサウンドは、時間が経ちかさぶたになった傷跡から再び血がにじんだような哀しみと相まって心を落ち着かなくする。そうしてそこに確かな跡を残していくのだ。
ワンダーホースを説明するのに元デッド・プリティーズのという枕詞はもう必要ないだろう、そう感じてはいる。しかしこのアルバムのギターの音を聞いて最初に頭に浮かんだのは、もういないデッド・プリティーズのことだった。
2017年、ギターバンド冬の時代、ジェイコブ・スレーターはオスカー・ブラウン、ベン・フォースと共にノースロンドンからサウスロンドンのウィンドミル・シーンにアタックを仕掛けた。中指を立てたジャケットに荒々しくもキャッチーなギターリフ、つばを吐きかけるようなヴォーカルのガレージパンク。迎え撃つのはシェイムにゴート・ガールの地元勢、そこに同じくノースロンドン出身のソーリー、宇宙からやってきたHMLTDにアイルランドのフォンテインズD.C.もその場にいて、それぞれがそれぞれの爪を研ぎ続けた。つまりデッド・プリティーズは初期のサウスロンドンのインディーシーンの一角を担ったバンドだったのだが17年に7インチを2枚出しただけであっという間に解散した。
解散後ジェイコブ・スレーターはソロとしてワンダーホースを始める。そして21年にギターのハリー・ファウラー、ベースのピート・ウッディン、ドラムのジェイミー・ステープルズが加わりバンドとなった。そうやって22年の1stアルバム『Cub』を経て、バンド体制になってから初めて曲を書いたであろうこの『Midas』に繋がっていく。
そのまま続き大きくなっていくバンドもあればそうでないバンドもある。変質し生まれ解散する繰り返しの渦の中で生まれる新しい表現、それこそがポップ・ミュージックの魅力だとそう思ってはいるものの上記のバンドたちが2枚、3枚と素晴らしいアルバムをリリースするなかで、もしデッド・プリティーズがあのまま続いていたら……と考えてしまってもいた。しかしワンダーホースのこの2枚目のアルバムは澱のよう心の底に残り続けたそんな思いを見事に吹き飛ばしてくれた。デッド・プリティーズ時代のような武骨なギターを響かせ、その時からスケールを増した大きな音で力強く頭を揺さぶるようにして。
破れた袖をそのままにしているかのようなラフなギターを連ね、ザクザクとしたサウンドの上で殴り書きした文字を叩きつけるように唄うジェイコブ・スレーターのヴォーカルがのる“Midas”は、ともすればグランジ・バンドのボブ・ディランのようにも思えてくる。こぼれ落ちる熱といら立ち、ニルヴァーナの『In Utero』が録音されたパキダーム・スタジオで制作されたこのアルバムのサウンドは固く不器用で荒々しく、ふさぎ込むような哀しみと怒りを伴った激情がないまぜになって生々しく響く。“Emily”ではデッド・プリティーズの“Water”にみられたエモーショナルな感覚をフォンテインズD.C.の2ndアルバムに通じるようなギターのサウンドの中に落とし込んでいる。芯の部分は変えず、今のバンドにフィットする個性を探り出し音として表に出す。仕上げきらずにザラザラとした手触りを残したこの音は1stアルバム『Cub』には見られなかった特徴で、この2ndアルバム『Midas』でもってワンダーホースは改めてバンドになったのだろうと実感する。全てがコントロールされたわけではない状況が生み出す不完全に調和したエネルギー。その矛盾。それは欠けているから美しく、だからこんなにも魅力的に思えるのかもしれない。
そうしてまた時代が変わった。2017年のあの時から7年が経ち、しのぎを削った仲間やその後に続いたバンドがフォークやダンスのアプローチを取り、ストリングスやシンセサイザーの存在感が増す中で、ジェイコブ・スレーターは再びそれに抗うよう挑み続ける。かって同じバンドを組んだオスカー・ブラウンがソロとして素晴らしいフォークソングをリリースしているのに対して、ジェイコブ・スレーターは新しいバンド、ワンダーホースと共にこんなにも生々しくギターが響くアルバムを作り上げたのだ。時代の波に抗い続ける不器用で不完全な表現、心の底でそんな音楽を求め、それにどうしたって惹かれていく。
Casanova.S