Home > Reviews > Album Reviews > Kotoko Tanaka- The Silhouette of Us
夜が似合う音楽にほとんど間違いはない。さらに言えば、夜間歩行(ナイト・ウォーキング)の友となる音楽に悪いものはない。昔……どのくらい昔かといえば、よくひとりで深夜の街中を徘徊していた頃、好きだった曲の歌詞のひとつに、ルー・リードの“コニー・アイランド・ベイビー”がある。「友人と思っていた人が君のもとを去って『あんたはまともになれやしない」と陰で言う。そして君は自分がしてきたことすべてについて思い迷う。誰と、何をしてきたのか、いろんな場面で、やってきたいろんなことを。でも忘れないで欲しい。都会はおかしな場所だってことを。そこはサーカスか下水道みたいなものなんだ」
夜間歩行しながら、街は「サーカスか下水道みたいなものなんだ」と思うと気持ちが上がった15の春、部屋に戻って窓を開けると夜風と街の喧騒が聞こえたものだった。そういう場所で自分は育った。そしてまた次の日も外に出て歩く。ストリートに出没する。「歩くことで、私は都市の絶え間なく続くエネルギー回路と緊密につながっていると感じると同時に、それらから微妙に切り離されていると感じるのだ」。Kotoko Tanakaのアルバム『The Silhouette of Us』の最後の曲は“From the bed to the city ”という。
『The Silhouette of Us』が配信されたのは昨年の6月なので、10か月遅れのレヴューとなるが、昨年末にはこのアナログ盤がリリースされたので、許して欲しい。ただでさえトレンドの速度が加速した現代、このくらいの時差も必要だろう。
それはさておき、先に引用した言葉は、UKのマシュー・ボーモントという博識の作家の『The Walker』(2022)という“歩くこと”を考察した文学エッセイの序文にある一文で、その「つながっていると感じると同時に、微妙に切り離されていると感じる」という感覚に共感し、それは本作にも通じるものがあるとぼくは思ったのである。甘美(サーカス)で、苦い(下水道)迷路。没入し、突き放される。夜の街をいくら愛そうと、それは絶対に自分のものにはならない。しかし、そう、だからいいのだ。何故なら、それは誰のモノでもないということなのだから。
残念ながら、ぼくは彼女についてほとんど知らない。2015年にCDR『KOTOKO 100 COPIES』を発表し、2019年には7インチで「The hole as a pond, the eyes from morning (池としての穴、朝より来たる目)」をリリース。ライヴハウスを中心に演奏しつつ、昨年このデビュー・アルバムが静かに、とくになんのプロモーションもなくリリースされたのだった。シンガーソングライターに括られているが、彼女の楽曲においてはジャンルの境界線は不明瞭だ。ロック、ブルース、フォーク、ジャズが分裂し、音響工作的に融合するこの作品には、ジョン・ケイルとニコ抜きのヴェルヴェッツ風のところがあり、90年代アメリカのローファイでミニマルな生演奏の面白さがあり、歌声にはリッキー・リー・ジョーンズめいた気怠さがある。いずれにせよ、こうした喜ばしき時代錯誤の音楽を求めているリスナーは確実にいる、ぼくがそうであるように。
ギター、ベース、ドラム、シンセ、曲で聞こえる楽器のほとんどが彼女自身による演奏だが、目玉の1曲である“Now we know it doesn’t exist (in Nebraska)”にはリキ・ヒダカと白根賢一が参加し、ヒダカのギターが眠気を誘うような彼女の歌にノイズを添えている。ヒダカのギターと白根のドラムは夜の幻覚に共振する“Turkish Lamp”(唯一日本語で歌われている曲)においても炸裂しているが、アルバム全体を通してやかましさはまったくない。
彼女の素晴らしいメロディが結晶している“Smoky spring”はもっとも美しい曲だ。ベースからはじまるこの曲は、もっとも静的でありながら夜の街をわくわくしながら歩いているような気持ちにさせる。よくわからないが、高揚するのだ。まさに音楽のマジック。アナログ盤は、紙の質感も印刷もじつに凝っていて、印刷物を売っている人間からみて贅沢な作りになっている。
夜歩く……は横溝正史の有名な小説名だが、じつを言えば「夜歩く」ことは長く禁止されていた。13世紀後半のイングランドでは夜間外出禁止令を強化する手段として、ナイトウォーカー(夜間歩行人)のすべてがその目的を警察に問われるという通称「夜回り法」を制定している。「ナイトウォーカー」という言葉は20世紀のアメリカの一部の地域では法令の文言にも使われたそうで、その意味するところは浮浪者や街娼だった。ナイトウォークは逸脱行為だったということを鑑みれば、“ウォーク・オン・ザ・ワイルドサイド”という言葉にもより重みが増してくるものだが、まあ、そこまでダイナミックな歩行でなくていいでしょう。小さな散歩でいい。『The Silhouette of Us』を聴きながらナイト・ウォーキングしよう。寒いけどね。たまにつまずいたりもするが、決してぼくは携帯の画面を見ながら歩行したりはしない。ただ酔っているか、自分の脚力の低下の問題である。
野田努