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コロナ禍に入ってからのシングルがほぼすべて当たりだったベース系インダストリアル・テクノのブラワンことジェイミー・ロバーツによるセカンド・アルバム。タイトルは「病気になるための秘薬」とでも解すればいいのか、ボルヘスやトム・ロビンズの魔術的な小説みたいで、作品に迷い込む気を満々にさせる。ブラワンのダンス・ミュージックはいつも人間性のダークな面に焦点が当てられる。ファニーな側面はもちろんあるけれど、不必要にハッピーであった試しはない。13年前に彼の名を一躍有名にした“どうして僕のガレージに死体を隠すんだよ?(Why They Hide Their Bodies Under My Garage?)”も、母親のフェイヴァリットだったというフージーズの“How Many Mics”から「部隊を殲滅させて死体をガレージの下に隠すんだ」と軽くトーンを上げてラップされる歌詞に愚直なアンサーを返したもので、人間の不可解な行動を誇張して示すことに成功し、ジェフ・ミルズからスキルレックスまでノン・ジャンルでヘヴィープレイされる結果となった。くだらないベースラインの氾濫で多幸感に支配されたダンスフロアに異質な感触を持ち込むのがブラワンであり、『SickElixir』には“心配しないで、僕たちは幸せだよ(Don’t Worry We Happy)”と、ダークサイドに興味を持つ人々を否定しようとする動きにもあらかじめ楔は打たれている。ブラワンという名義はちなみにジャワ・コーヒーの銘柄で、ダンフロアに苦味を注ぎ込むのがロバーツの役割ということだろう。
7年前に闇の中を突っ走っていくようなデビュー・アルバム『Wet Will Always Dry』でシンプルな力強さを見せたロバーツは(最近だと“Caterpillar”が素晴らしかった)パーリア(Pariah)ことアーサー・ケイザーと組んだカレン(Karenn)名義のジョイント・アルバム『Grapefruit Regret』(19)でテクノ以外の要素をすべて削ぎ落としたことが裏目に出たとしか思えず、無限に思えたポテンシャルももはや尽きたかと思われたものの、ソロでは再びダブステップやウォンキーのようなテクノ以外の要素も回復させ、『SickElixir』ではついに別人のような風格を伴って堂々たるリターンを果たしている。ケイザーとはその後も〈Thrill Jockey〉からパーシャー(Persher)名義でメタル系のアルバムを立て続けにリリースしていて、『SickElixir』にはあからさまにそのフィードバックも感じ取れる。最も特徴的なのはハード・ドラムの多用で、バーミンガム・サウンドと称されるイギリス流のポスト・インダストリアルがベース・ミュージックに埋め込まれた様は、それこそバーミンガム・サウンドを代表するサージョンがヒップホップをやっているように聞こえたりと、アグレッシヴな破壊衝動がダンス・ミュージックのフォーマットにがっちりと畳み込まれている。この4年間にリリースされた「Soft Waahls EP」「Woke Up Right Handed」「Dismantled Into Juice」といったEPはいずれも野心的で発想も多岐に渡っているのはさすがで、とくに「Bou Q」は素晴らしいのひと言だけれど、『SickElixir』に詰め込まれた曲の数々はそれらとも一線を画す強度があり、それこそリスナーを病気にしてやるという熱量が全編に漲っている。ここ数年、批評に熱量を求める声が高まっていて、論破を忌避する人たちがよりにもよって精神論に回帰していく感じはなんだかなーと思うのだけれど、音楽自体に熱量が宿ることはもちろん素晴らしいことである。
基本的にはイーブン・キックだった『Wet Will Always Dry』とは異なり、『SickElixir』の基調をなしているのは広義のブレイクビーツ。全体にザ・バグがキャバレー・ヴォルテールをブラッシュ・アップさせたような響きに満ち、ディスコやハウスと出会ったインダストリアル・ミュージックがダンスフロアに感じた可能性や初期衝動を再燃させているかのよう。曲の長さも平均で3分ちょいと『Wet will always dry』の半分ぐらいになり、酩酊感よりもイメージの喚起が優先されている。BPM90~110に収まる曲が多く、これに80や130で緩急をつけ、アルバム全体の展開も迷宮的な構成を助長している(“Birf Song”はヘン過ぎてBPMがとれない)。何度聴いても頭にスヌープの“Drop It Like It's Hot”が浮かんでくる“NOS”や、空中分解したUKガラージを無理やり曲として成立させている“Creature Brigade”など、多種多様な曲のどれもが印象的で、好きな曲は人それぞれに異なることだろう。ノイズがねっとりと絡みつく“Sonkind”もクセになるし、アシッドヘッドには“Rabbit Hole”がたまらないことでしょう。今年はエレクトロが奇妙な変化を遂げた年で、その動きに反応したらしき“Style Teef”はシェレルばりにBPM160で展開される高速エレクトロ。リック・ジェイムズやMCハマーがてんてこ舞いで回転している姿が目に浮かぶ。
実は、この夏に〈Planet Mu〉からリリースされたスリックバックのデビュー・アルバムに多大な期待を寄せていた。オフィシャルでは初となるアルバムであり、なによりも〈Planet Mu〉にレーベルを定めたという安心感もあったのだけれど、この5年間にアンフィシャルで8枚ものアルバムをリリースしてきたことが裏目に出たとしか思えず、皮肉なことに『Attrition(消耗)』と題されたアルバムは確かに疲れを感じさせるものがあり、〈Nyege Nyege〉から頭角を現してきた時のスリリングな響きには遠く及ばないものを感じてしまった。『消耗』というタイトルは、実際にはケニアからポーランドへ移住する際に、1年間にわたって国境付近で待機させられたことに由来し、音楽性と直接結びつくことではないらしいのだけれど、どうしてもこの5年間にやってきたことが悪い意味で投影されているタイトルだという印象を受けざるを得なかった。そこに、等しくデコンストラクテッド・クラブの要素としてハードコアやポスト・インダストリアルを取り入れた『SickElixir』が届けられたことで、肩透かしに終わってしまったスリックバックに対する期待感は見事なほどレスキューされてしまった。しかも、UKベースの文脈にポスト・インダストリアルを取り入れる手際がより巧みであり、ハードコアやポスト・インダストリアルといった荒々しいモードを現在の文脈で活性化させるにはこれ以上はないと思うほど『SickElixir』はよくできていると思う(もちろん、スリックバックにもまだまだ期待はしたい。それにしてもケニアからポーランドへと、どうして2次大戦中にナチスが支配していた国を渡り歩こうと思ったのだろう?)。
三田格