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イタリア系アメリカ人女性ヴォーカリスト、NIIA(ナイア)の『Ⅴ』に関する資料を見て、「〈Candid〉から出るの!?」とひとりごちてしまった。リリース元が筆者の信頼/愛好する米国の老舗〈Candid〉だったことに驚いたのだ。〈Candid〉はチャールズ・ミンガスやマックス・ローチといったビバップ期のジャズ・ミュージシャンやブルースの名盤をリリースしてきた由緒あるレーベル。特に、ローチが公民権運動を背景に人種差別に抵抗した『We Insist!』は、長年に渡り語り継がれるレベル・ミュージックの嚆矢である。
驚いたのはなぜかといえば、NIIAの音楽が正統派のジャズやブルースには到底収まり切らない、多様なエレメントから成り立っているからだ。この驚きは例えば、〈ブルーノート〉がフリー・ジャズの雄セシル・テイラーと契約したと知った時や、〈ECM〉がフューチュー・ジャズを背負っていたニルス・ペッター・モルヴェルの作品をリリースした時と似たものといってもいい。いずれも、レーベルの度量の大きさと懐の深さと柔軟性を知らしめるという意味で、NIIA『V』の発売と似たような感慨があった。
なるほど、ジャズ・ヴォーカルとクラシック・ピアノがNIIAのバックグラウンドなのは分かる。だが、繰り出される音楽的ヴォキャブラリーは多彩で乱脈。ある意味、節操がない。彼女はアンビエントもトリップ・ホップもドラムンベースも自家薬籠中のものとしており、それらが重なり合った交点に『V』は位置している。
漆黒の闇のような音像がレディオヘッドにも通じる“fucking happy”、重厚なベースのループにエフェクトをかけたヴォーカルが乗る“Ronny Cammareri”、ポーティスヘッドを想わせるダークで不穏な“Again with Feeling”、四つ打ちのキックとエキゾティックなメロディが融和する“Dice”など、いずれの曲も一筋縄ではいかない。
特に面白いのは、ジャズを出自とするNIIAが〈Candid〉から発表した本作が、決してスウィングしないということだ。フォー・ビートの曲がないというのもあるが、そこは本質的な問題ではない。ピアノもヴォーカルも、点描的にぽつりぽつりと置かれている印象で、全体で線や面になることがない。テンポも遅めだしヴォーカルは今にも消え入りそうなかそけき囁きがメインとなっている。少なくとも筆者には、思わず身体が動いてしまうような音楽ではない。
決してスウィングしない、そして、まったくダンス衝動を誘発しない本作はしかし、筆者の耳を捉えて離さない。気怠くて体温が低く、煙が目に沁みるような甘美なメランコリー。それは従来の〈Candid〉のパブリック・イメージとは大きく異なっている。『We Insist!』のような怒りや憤りは微塵も感じられない。泥臭さやいなたさも感知できない。むしろ、本作はNIIA が自己の内部に沈潜していくような、内省的でパーソナルな響きが基調となっている。鎮静剤のような一枚と言ってもいい。
彼女は自分の音楽について「私は“ジャズ=博物館”としての捉え方には興味がないの。むしろ、その言語を変形させて、今までに語られたことのない物語を語ること——その可能性に興味があるの」と述べている。ちなみに、ほかに2025年に〈Candid〉からリリースされたのは、ナンシー・ハロー『Wild Women Don't Have the Blues』、ジャキ・バイアード『Blues for Smoke』、メンフィス・スリム『Memphis Slim, U.S.A.』のリマスター盤である。ここにNIIAの新作が加わる。なんだかこの事実だけで心が浮き立ってくるじゃないか。そう、レーベルにとっても、NIIAにとっても、本作は新しい物語のはじまりを告げるのに相応しい。そう断言したい。
土佐有明