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Columns

Kim Gordon

Kim Gordon

キム・ゴードン、キャリア史上初のソロ・アルバムを聴く

文:松村正人  Photo by Natalia Mantini Oct 25,2019 UP

 ダニエル・ジョンストンの追悼記事の冒頭にしたためた、サーストン・ムーアが私にサインを求めたくだりは彼がソロ作『The Better Days』リリース時に来日したさいの取材現場だった。2014年だからいまから5年前、その3年前にアルバム『The Eternal』につづくツアーを終えたソニック・ユースはサーストンとキム夫妻の不和で解散したことになっていた。「解散した」と断定調で書かなかったのは、グループ内──というかサーストンとキムのあいだ──に認識のズレないし誤解があるかにみえ、また私も当時いまだナマナマしかったこの話題について当人に真意をたださなかったからだが、この差異は永遠に解消しないかもしれないしやがて時間が解決するかもしれない。とまれ夫婦仲には第三者の考えのおよばない影も日向もあり、つまらない詮索は野次馬趣味にさえならないとすれば、愛好家にすぎないものはのこされた音源にあたるほかはない。私もソニック・ユースの、編集盤や企画盤、シングルやEPをふくめると数十枚におよぶ作品を四季おりおり、二十四節気をむかえるたびにひっぱりだして聴くことがつとめとなってひさしい。いましがたも、霜降にあたる本日なにを聴くべきか思案に暮れていたところだが、今年はなにやらこれまでといささか事情がことなるようなのである。

 なんとなれば、キムが、キム・ゴードンが新作を発表したのである。私はキムの新作といえば、ソニック・ユースの自主レーベルから2000年に出た『ミュージカル パースペクティブ』以来なのか、近作だと『Yokokimthurston』(2012年)がそれにあたるのか、としばし黙考してはたと気づいた。キムは過去にソロ作がないのである。上記の『ミュージカル パースペクティブ』もモリイクエ、DJオリーヴとの共作だったし、後者は表題どおりオノヨーコと元夫との連名である。90年代、プッシー・ガロアのジュリー・カフリッツとともに──のちにボアダムスのヨシミとペイヴメントのマーク・イボルドなども一時参加──気を吐いたフリー・キトゥンはバンドであってもソロではない。80年代から数えると長いキャリアをもつ彼女にソロ名義の作品がないのは意外ではあるが、むろんキムも手をこまねいていたわけではない。先述のツアー後のバンド解体から2年の服喪期間を経て、2013年にはビル・ネイスとのユニット「Body/Head」をキムは始動している。2本のノイズ・ギターが巣穴の蛇さながらからみあうなかをキムの朗唱と朗読ともつかない声が演劇的な空間性をかもしだす Body/Head の音楽性はその名のとおり、身体と思考、男と女、ギターと声といったいくつかの二項対立を背景に、しかし構想先行型のユニットにつきもののアリバイとしての音楽=作品のあり方に収斂しない芯の太い内実をそなえていた。彼らは数年おきに『No Waves』(2016年)、『The Switch』(2018年)を発表し、ノイズの深奥を探る活動をつづけているが、ソニック・ユース時代はサーストンとリー・ラナルドという稀代のノイズ・メイカーの影でかならずしも「音のひと」とはみなされなかったキムの音への触知のたしかさ──それはすなわち即興する身体の充溢でもある、そのことを──語り直すかのようでもあった。その一方で、西海外に出戻ったキムはサーフィンを中心にアートも音楽もひとしなみに俎上にあげるアレックス・ノストとグリッターバストなるデュオを併走し、Body/Head のファーストと同年にセルフタイトルの一作を世に問うている。ちなみにグリッターバストとは90年代のノイズ・ロックの一翼を担ったロイヤル・トラックスの楽曲タイトルの引用である。ロイヤル・トラックスは断線気味の頭中のシナプスをアンプに直結するかのごとき元プッシー・ガロアのニール・マイケル・ハガティのギターと、場末の呪術師を想起させるジェニファー・ヘレマの声を基調にしたユニットで、本邦では〈Pヴァイン〉の安藤氏が重要案件の隙を突いてせっせと世に送り出しつづける〈ドラッグ・シティ〉のレコード番号1番を彼らが飾ったのはいまいちど留意すべきであろう。“Glitterbust”はロイヤル・トラックスの1990年のアルバム『Twin Infinitives』の収録曲で、土管のなかで音が飛び交うような音響空間はガレージのロウファイ化とも形容可能だが、90年代に雨後の筍のように派生したオルタナティヴの突端といったほうがしっくりくるだろうか。パートナー関係にあったハガティ、ヘレマの作品からの引用は邪推をさそいもするが、おそらくそれ以上に、キムにとってこの数年は共同体のくびきをのがれ過去の積みのこしを精算する期間だったのであろう。というのもまた邪推にすぎないとしても、バンド解体後の助走期間がなかりせば、ソロ作『No Home Record』はこれほどふっきれたものになったかどうか。
 逆にいえば、ソニック・ユースはロック史とリスナーの記憶にそれだけしっかりと根をはっていたともいえる。
 むしろ怪物的な風情さえたたえていた。その活動はサーストンとリー・ラナルドとの出会いにはじまる。彼らがグレン・ブランカのギター・アンサンブルの同窓であることは本媒体のそこかしこや拙著『前衛音楽入門』にも記したのでそちらをあたられたいが、このふたりにサーストンのガールフレンドだったキムが加わり体制の整った彼らは1982年の同名作でデビューにこぎつけた。ファーストのジャケットに映るおおぶりのメガネをかけたキムはいまだ美大生だったころのなごりをとどめているが、バンドのサウンドもまた70年代末のノーウェイヴの影をひきずっていた。ブランカ直系の和声感覚とパンク的なリズムにそのことは端的にあらわれている。その一方で、キムの静かに燃焼するヴォーカルをフィーチャーした“I Dream I Dreamed”などは彼らをおくれてきたノーウェイヴにとどめない広がりをしめしていた。むろん80年代初頭、音楽にはのこされた余白はいくらでもあり、余白を切り拓くことこそ創作の営みであれば、ソニック・ユースほどそのことに自覚的だった集団は音楽史をみわたしてもそうはいない。その触手はロックにとどまらず、各ジャンルの先鋭的な領域にとどき、作品数をかさねるごとに山積した経験は音楽性に循環し、86年の『Evol』でドラムスがスティーヴ・シェリーへ代替わりしたころには後年にいたる指針はさだまっていた。『Sister』ははさみ、1988年に発表した『Daydream Nation』はその起点にして最初の集成というべき重要作だが、“Teenage Riot”なる象徴的な楽曲を冒頭にかかげ、疾走感と先鋭性とアクチュアリティを同居させたサウンドは不思議なことに彼らの根城であったアンダーグランドの世界を窮屈に感じさせるほどのポピュラリティもそなえていた。

 1990年の『Goo』で大手ゲフィンに移籍したソニック・ユースの活動は同時代のグランジや、その発展的総称ともいえるオルタナティヴのながれでとらえる必要があるが、高名な論者の夥しい言説があるので本稿では迂回することにして、ここで述べたいのはメジャーに活動の舞台を移してからというもの、いよいよ多方面にのびる彼らの「創作の営み」でキムのはたした役割である。キムは美大出身であることはすでに述べたが、卒業後彼女はアート方面でのキャリアを夢見てニューヨークにたどりついていた。80年代初頭のことである。当時をふりかえり、コンセプチュアル・アートの第一人者ダン・グハラムは2010年に開催した個展で来日したさい以下のように述べている。
「初めて会ったとき、彼女は途方に暮れていました。当時のボーイフレンドとニューヨークに来るはずが、彼は同行せず、キムは彼に僕を頼れと言われてこの街にやってきたんです」
 グラハムがキムにブランカを紹介し、彼のサークルにいたサーストンと彼女は出会う。だれかとの別れがべつのだれかとの出会いを演出することは、槇原敬之あたりにいわれるまでもなく世のつねではあるが、日々の営みをとおして出会いがどのような果実を実らせるかはまたべつの次元の話であろう。その点でサーストンとキムは、ひいてはソニック・ユースはバンド内の関係性の手綱を巧みにさばいた典型といえるのではないか。ことにメジャー・デビュー以後、洋の東西を問わず、感覚とセンスが主導した90年代においてフィジカル(音盤)は音楽の伝達ツールである以上にヴィジュアル言語の表現媒体として重要な役割を担っていた。そのような潮流を背景に、ソニック・ユースがアートとも高い親和性をもつバンドとして巷間に認知を広めたのも、ひとえにキュレーターであるキムの目利きに由来する。ダン・グラハムとも親交をもつジェームス・ウェリングの写真をもちいた85年の『Bad Moon Rising』を嚆矢に、『Daydream Nation』のゲルハルト・リヒター、『Goo』のレイモンド・ペティボン、『Dirty』(1992年)のマイク・ケリー、21世紀に入ってからも2004年の『Sonic Nurse』でのリチャード・プリンスなどなど、彼らはアートワークに音楽の衣としてその内実を反照するよりも聴覚と視覚の交錯のなかに生まれる三角波を聴き手に波及させる効果を託していた。これはまったくの余談だが、私は以前在籍した雑誌にペティボンの作品を掲載したいと思い、本人に連絡をとり、おそるおそる掲載料を交渉しようしたら、その作品は俺の手を離れているから金はいらない、使うなら勝手に使ってくれとの返事とともにデータが送られてきたことがある。人的物的を問わず権利の管理に汲々するエンタテインメント産業(新自由主義体制下においてマネジメントとは監視と防禦すなわちセキュリティの別称である)とは真逆の、これがDIY精神かと感動した(いまどうなっているかは知りませんよ)ものだが、キムにとってのアートも、グラハムしかり、ケリーとかトニー・アウスラーとかリチャード・プリンス(は他者作品の無断転用のカドで何件かの訴訟を抱えていたはずである)とか、ことの当否はおくとしても、既存の審美眼の視界を侵すものとしての意味合いをふくんでいたのではないか。
 映像やファッションも例外ではない。『Dirty』収録の“Sugar Kane”のMVに若き日のクロエ・セヴィニーを起用したのもキムのアイデアだというし、X-Large にかかわっていたビースティ・ボーイズのマイクDのつてでキムが姉妹ブランド X-Girl を90年代初頭にたちあげたのはことのほか有名である。そう書きながら、私は思わず目頭が熱くなったのは、なにかが老いる以上に骨抜きになる感覚を禁じえないからだが、歯ごたえのないノルタルジーなど犬も食わない。
 そのことをキム・ゴードンは知り抜いている。ソニック・ユース解体後、彼女はグラハムも所属するニューヨークの303ギャラリーに加わり、今年フィラデルフィアのアンディ・ウォーホル美術館とダブリンのアイルランド近代美術館で個展をひらいている。遠方のこととて、私は未見だが、「Lo-fi Glamour」と題した前者の、ペインティングというより広義の「書」とさえとれる「Noise Painting」シリーズの血のようにしたたるアクリル絵の具の筆致には、90年代に好事家を欣喜雀躍させた彼女の手になるアートブックに宿っていた速度感を円熟の域に昇華した趣きがある。いや円熟ということばはふさわしくないかもしれない。なにせ「Lo-Fi」であり「Noise」なのだから、おそらく2019年のキム・ゴードンはフランスの批評家ロラン・バルトになぞらえるなら、継起と切断のはてにある新章としての「新たな生」のさなかにある。

 『No Home Record』ほどそのことをあらわしているものはない。このレコードはキム・ゴードンのはじめてのソロ・アルバムであり、9曲40分強の時間のなかにはキムの現在がつまっている。プロデュースを(おもに)担当したのは、エンジェル・オルセン、チャーリー・XCXからヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイルまで、手広く手がけるジャスティン・ライセンで、年少の共闘者の伴走をえて、キムの音楽はフレッシュに生まれかわっている。そう感じさせるのは、このレコードがバンド・サウンドよりもプログラムによるビート感覚を主眼にするからだが、音色とともに目先をかえてみました的なみてくれ以上に、作品の基底部を支えるデザイナブルな志向性がたんにノイジーな印象にとどまらないダイナミックな聴感をもたらしてくる。ソニック・ユースの結成後に生まれたライセンらの世代にとってはおそらくノイズも楽音も音響であることにはかわりなく、ロックというよりもエレクトロニック・ミュージックの方法論が裏打ちする点に『No Home Record』の画期がある。とはいえ“Air BnB”のようにソニック・ユースを彷彿する楽曲も本作はおさめており、聴きどころのひとつでもあるが、それさえも多様性のいちぶにすぎない。ソングライティングの面でソニック・ユースを体現していたのはサーストンにちがいないとしても、キムの声と存在感がバンドに与えていたムードのようなものの大きさを、私は2曲目の“Air BnB”を耳にしてあらためて思った、その耳で全体を俯瞰すると、レコードではA面にあたる1~5曲目ではポップな方向性を、6曲目の“Cookie Butter”以降のB面では前衛的な志向を本作はうかがわせる。とはいえときに四つ打ちさえ打ち鳴らす本作は難解さとは遠い場所にある。90年代のキムであれば、このことばにあるいは眉を顰めたかもしれないが、『No Home Record』の現在性が難解さを突き抜ける力感をもっているのはたしかである。他方歌詞の面では断片的なことばをかさねイメージの飛躍をはかっている。主題となるのは、住み慣れた東海岸の住居をたたみ故郷であるLAに戻ったのに、ふるさともまた時代の波に洗われて変わってしまった──というようなある種のよるべなさだが、ことばの端々に感じるのはその状態から逃れようともがくのではなく、そこにある自己をみつめる透徹したまなざしである。
 いうまでもなく「Home」の語にはいくつかのふくみがある。かつて「No Direction Home」と歌ったボブ・ディランの巨視的なヴィジョンともキムのホームは鋭くすれちがっている。

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