Home > Interviews > interview with Agraph - 深夜の街の、電子とピアノ
「人がない東京郊外の感じをロマンティックに切り取っているよ」と言われて、それはすごく腑に落ちる言い方だなと。とにかく僕の牧歌的な感覚は、そっから来ていると思います。
agraph / equal Ki/oon |
■今回自分の世界を思い切り出そうと思ったきっかけは何だったんですか?
牛尾:新しいことをやりかったというのがまずあります。前作ではやらなかったこと、まだ自分が出してないものを出そうと。それと、オランダ人で、シメオン・テン・ホルト(Simeon Ten Holt)というミニマルの作家がいて、その人の『カント・オスティナート(Canto Ostinato)』という作品があって、フル・ヴァージョンだとピアノ6台、簡略化された聴きやすいヴァージョンではピアノ4台なんですけど、そのCDのピアノの響きというか、サスティンの音に含まれる空気感みたいなものにとても気づくところがあって、まあ、具体的なものではないんですけど、その空気感に触発されというのはありますね。
■ちょっとのいま言った、えー、シメオネ?
牛尾:シメオン・テン・ホルトです。
■スペルを教えてもらっていいですか?
牛尾:はい。(といって名前と作品名を書く)
■僕もスティーヴ・ライヒは行きましたよ(笑)。90年代に来たときですね。あれは生で聴くと本当に最高ですよ。
牛尾:僕は昨年の来日のときに2回行きました。質疑応答までいました(笑)。
■この10年で、スティーヴ・ライヒは見事にリヴァイヴァルしましたよね。
牛尾:僕は技法的にはすごく影響受けましたね。
■ミニマル・ミュージックには反復と非連続性であったりとか、ライヒの技法にもいろいろあると思いますが、とくにどこに影響を受けたんですか?
牛尾:フェイジングという技法があって、ずらして重ねていくという技法なんですけど、それを根底においてあとは好きなように作っていく。そうすると反復性と非連続性が、重ねた方であるとか響きの聴かせ方で、再現とまではいかないまでも自分のなかに取り込めるのかなという意識がありました。テクニカルな要素ですけどね。
■それはやっぱ、アグラフがピアノを弾けるというのが大きいんだろうね。
牛尾:そうかもしれないですね。とにかくピアノを弾こうというのが今回はあったので。
■楽器ができる人はそういうときに強い。ダブみたいな音楽でも、感覚的にディレイをかける人と、ディレイした音とそのとき鳴っている音との調和と不調和までわかる人とでは作品が違ってくるからね。
牛尾:僕はそこまで音感が良いほうではないんですけどね。音楽の理論も多少は学んだけど、ちゃんと理解しているわけでもないし、すごく複雑な転調ができるわけでもないし、ワーグナーみたいな方向の和声展開が豊富にできるわけでもないので、その中途半端さがコンプレックスでもあるんです。ただ、その中途半端さは自分のメロディの描き方にも出ているんですよね。だから、それが欠点なのか、自分の味なのか計りかねているんですよね。
■なるほど。
牛尾:このまま勉強していいものなのか、どうなのか......好きなようにやるのがいいと思うんですけど。だからいま、菊地(成孔)さんのバークリー・メソッドの本を置いて、「どうしようかな」と思っているところなんです(笑)。
■ハハハハ。まあ、音楽理論が必ずしも作品をコントロールできるわけではないという芸術の面白さもあるからね。それこそ、さっき「一筆書き」と言ったけど、ハウスとかテクノなんていうのは、多くが一筆書きでパンクなわけでしょ。感覚だけでやっていることの限界もあるんだけど、そのなかから面白いものが生まれるのも事実なわけだし。
牛尾:そうですね。そこをどうスウィッチングするのかは僕も考えていかなくてはならないことですしね。
■きっと牛尾くんみたいな人は曲の構造を聴いてしまわない? 「どういう風に作られているんだろう?」とか。
牛尾:聴いてしまいますね。
■だからエレクトロニカを聴いていても、曲の作り方がわかってしまった時点でつまらくなってしまうという。
牛尾:それはあるかもしれませんね。あと、楽典的な技術ではなくて、音響的な技術に関しては僕はもっとオタクなので、たとえば僕、モーリッツ・フォン・オズワルドのライヴに行っても音響のことばかりが気になってしまうんですね(笑)。だから、内容よりも音像の作り方のほうに耳がいってしまうんですね。
■そういう意味でも、アルヴァ・ノトはやっぱ大きかったんですかね。最近、ゴールド・パンダという人に取材したらやっぱその名前が出てきたし、今回のアグラフの作品にもその名前があって、ひょっとしていまこの人も再評価されているのかなと。
牛尾:エポックメイキングな人ですね。
■〈ラスター・ノートン〉もいま脚光を浴びているみたいですよ。
牛尾:それは嬉しいですね。僕が好きになったのは大学時代だったんですけど、とにかくやっぱどうやって作っているのかわからない(笑)。すごいなーと。そういえば、こないだミカ・ヴァニオのライヴに行ったら、グリッジを......ホットタッチと言って、むき出しになったケーブルを触ることでパツパツと出していて、僕はもっと知的に作っていたかと思っていたので、すごいパンクだなと思ったんです(笑)。
■フィジカルだし、まるでボアダムスですね(笑)。
牛尾:しかもコンピュータを使わずにサンプラーだけでやっている。しかもエレクトライブみたいな安いヤツでやってて。スゲーなと思った(笑)。エイブルトン・ライヴであるとか、monomeというソフトがあって、そういうアメリカ人が手製で作っているハードウェアとソフトのセット、Max/MSPのパッチのセットであるとか、スノッブなエレクトロニカ界隈でよく取り立たされるようなソフトウェアって、実は適当に扱うようにできているんですね。僕からはそういう見えていて、僕はCubaseというソフトを使っているんですけど、すごく拡大して、できるだけ厳密に、顕微鏡的に作ることが多いんです。つまり(ミカ・ヴァニオみたに)そういう風にはできていなくて、ああいう音楽がフィジカルに生まれる環境が実はヨーロッパにはすごくあって......、で、そういう指の動きによる細かさが、ループだけでは終わっていない細かさに繋がっているのかなと。
■なるほど。
牛尾:僕は典型的なA型なんで(笑)。
■たしかに(笑)。そこまで厳密に思考していくと、どこで曲を手放すのか、大変そうだね。
牛尾:それはもう、そろそろ出さないと忘れられちゃうなとか(笑)。そういうカセがないと、本当にワーク・イン・プログレスしちゃうんで。
■それは大変だ。
牛尾:でも、「あ、できた」と思える瞬間があったりもするんです。
■ちょっと話が前後しちゃうんだけど、ダンスフロアから離れようという考えはあったんですか?
牛尾:それはないですね。ただ、自由にピアノを弾こうと思っただけで。フロアから離れようとは思っていなかったです。追い込まれた何かがあるわけではないですね。
■音楽的な契機は、さっき言った......えー、イタリア人だっけ?
牛尾:いや、オランダ人のシメオン・テン・ホルト。ファーストのときはハラカミ(・レイ)さんへの憧れがすごく強かったんですね。高周波数帯域が出ていない、こもっているような、ああいう作りにものすごい共感があったんです。それでファーストにはその影響が出ている。だから、次の課題としてはその高い周波数をどうするのかというのがあった。それを思ったときも、ピアノのキラキラした感じならその辺ができるなと思って。ピアノの、たとえば高い方の音でトリルと言われる動きをしたときとか、感覚的に言えばハイハットぐらいの響きになるんですね。だから高周波数の扱いを処理すれば、新しいところに行けるかなと思ったんです。
■ピアノは何歳からやっていたんですか?
牛尾:6歳です。でも、適当にやってました。
■じゃ、ご両親が?
牛尾:いやいや、家が団地の真んなかにあったので、「それじゃ牛尾さん家に集まろうよ」という話になって、そのあと引っ越してから一軒家になってからもそのまま続いているってだけで、親が音楽をやっていたわけではないんですよね。
■出身はどこなんですか?
牛尾:東京の多摩のほうです。だから、多摩川をぷらぷら散歩するのが好きで、ファーストは散歩ミュージックとして作っていたので。
■牛尾くんの作品の牧歌性みたいなのもそこから来ているのかな?
牛尾:そうだと思いますね。ディレクターから「人がない東京郊外の感じをロマンティックに切り取っているよ」と言われて、それはすごく腑に落ちる言い方だなと。僕は人は描かないんですけど、橋とか建物とか人工物は描いていると思うので。とにかく僕の牧歌的な感覚は、そっから来ていると思います。ただ、ちょっと斜陽がかっていますよね。
■なるほど。ずっとピアノだったんですか?
牛尾:とはいえ、ドラクエを弾いたり(笑)。
文:野田 努(2010年10月26日)