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interview with Cornelius

interview with Cornelius

いかにして革命的ポップ・レコードは生まれたか

――小山田圭吾、インタヴュー

野田 努    Nov 22,2010 UP

そのちょっと前ぐらいに境界線が崩壊していったような記憶があるんですよね。たとえば、この頃は砂原くんとよく遊んでいたんですけど、そのちょうど1年くらい前かな......、クアトロで中原君の暴力温泉芸者のライヴがあって、で、そのときにいろんな人が来ていて、そこで僕は初めて砂原くんと喋ったんですよね。


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いまではロック・バンドがエレクトロニクスを使うことは当たり前になったけど、当時はまだそれがすごく冒険的だったでしょ。

小山田:いや、そんなことはない。すでにたくさんいたと思いますけどね。

誰がいたっけ?

小山田:YMOとか。

だってそれはテクノでしょ(笑)。

小山田:バンドじゃないですか。

まあ、70年代はね、他にもいろいろと。

小山田:電子音楽とロックって、70年代からじゃないですか。

でも、97年と言えば、レディオヘッドの『キッドA』よりも3年前だし、当時はロック/ポップス系ではビョークがエレクトロニカ(IDMスタイル)を取り入れた『ホモジェニック』を出して話題になったくらいだったし。コーネリアスがよくいっしょにライヴをやっていたバッファロー・ドーターもエレクトロニクスを導入したのが早かったように記憶しているんだけど、ロック・バンドって、けっこうまだグランジ系の名残みたいなのもの多かったし、テクノを嫌いなバンドも多かったし。

小山田:でもコーネリアスってバンドじゃないし(笑)。あと、フリッパーズの3枚目がけっこうサンプリング使ってたから。

まあ、そうか。自分のなかではとくに飛躍したという感覚はないんですね?

小山田:とくに変わったとは思わなかったですけど、自分がいままで目指していたけど到達できなかったというか、わりと自分が納得できる完成度までいったという感触はあったと思うけど。

さっき曲順に作っていったと言ってたけど......。

小山田:全部じゃないけど、ほとんど曲順ですね。これ、曲がシームレスに繋がっているんですけど、"Mic Check"からはじまって、そのエンディングから「では、次はどうなるんだろう?」ということで作っていった。そう、そういう作り方をしていったんだと思います。

"2010"みたいなブレイクコアや"Star Fruits Surf Rider"のサビに関してはエイフェックス・ツインからの影響とよく言われているんだけど、それは当たっている?

小山田:そうですね。エイフェックス・ツインはもちろんですけど、あとドラムンベースですね。リズムであったり。

あの当時、ロック・バンド......いや、バンドじゃないんだけど、ロック文化とテクノのあいだにはいまよりもずっと距離があったと思うんだよね。

小山田:そうですかね。そのちょっと前ぐらいに境界線が崩壊していったような記憶があるんですよね。たとえば、この頃は砂原くんとよく遊んでいたんですけど、そのちょうど1年くらい前かな......、クアトロで中原くんの暴力温泉芸者のライヴがあって、で、そのときにいろんな人が来ていて、そこで僕は初めて砂原くんと喋ったんですよね。

へー。

小山田:面識はあったんだけど、ゆっくり話したのは初めてでしたね。で、その頃にいろんなジャンルの境界線が崩壊していくのを感じたんですけどね。

ただ、前例のないことをやろうとしていたわけでしょ?

小山田:まあ......。

たとえば"Star Fruits Surf Rider"のシングルは2枚同時発売で、同時ミックスすると1曲になるというアイデアだったり。

小山田:あれはね、「できない」と言われました(笑)。当時はまだ、8センチ・サイズの短冊形のシングルがあったでしょ。もうほとんどマキシ・シングルに移行しつつある時期だったんだけど、あれに2枚入れて、「2台のコンポで同時に鳴らしてください」としたかったんだけど、「できない」と。

ハハハハ。ちなみに"Star Fruits Surf Rider"は当時、USとUKでシングル・カットされているんだけど、UKでは次に"Free Fall"がシングル・カットされているんだよね。

小山田:あー、そうか。

で、意外だったのが、"Chapter 8"がUSとUKとドイツでシングルになっているんだよね。

小山田:そうですよね。

リリースに脈絡がないというかね、国や担当者によって、好みの曲がすごくバラバラだったんじゃないかなと。

小山田:そうなんですよ。日本で出すときは担当者と話して、「じゃあ、これを出しましょう」という流れで決めていたんですけど、『ファンタズマ』は初めての海外だったし、コミュニケーションがぜんぜん取れてなくて、「Free Fall」もできた盤がいきなり送られてきたりして、「え? これですか?」みたいな(笑)。ジャケットも向こうで勝手にデザインされていて、けっこうびっくりしてましたね。まあ、向こうなりの考えがあって出していたと思うんですけど、それはこっちとぜんぜん違う感じでしたよね。

とくに"Chapter 8"なんかは、"Star Fruits Surf Rider"とはぜんぜん違う傾向の曲だし。

小山田:そうですよね。

レーベルのほうでも『ファンタズマ』をどう売っていけばいいのか迷っている感じがあって面白いんですけど、〈マタドール〉との契約はどうやって決まったんですか? 向こうから?

小山田:そうです。

〈マタドール〉は、すでにピチカート・ファイヴを出していたんだっけ?

小山田:ギター・ウルフも出してましたね。〈マタドール〉は日本のバンドをけっこうチェックしてたんじゃないですか。『ファンタズマ』で海外ツアーに行ったときも、日本の音楽が流行っていましたからね。向こうの人が日本という国を発見したというか。

バッファロー・ドーターもそうだったし。

小山田:チボマットとか、うちの奥さん(嶺川貴子)もそうだったし。

少年ナイフとか。

小山田:少年ナイフはもうちょっと前だね。

ボアダムスや中原昌也もそうだよね。

小山田:まりんもヨーロッパでDJやっているし。ちょうど90年代後半は、渋谷にはレコード屋さんがたくさんあって、海外の人が渋谷にレコードを買いに来るような時代だったでしょ。同時に日本のポップ・カルチャーが注目されていた時代だったと思うんですよね。

そうだったね。当時、とくにリアクションが面白かった国はどこですか?

小山田:会場単位ではあるんですけど、国という単位ではすぐに思い出せないんですよね。まあ、でもこの頃はイギリスが大きかったですね。アメリカよりもイギリスでしたね。ヨーロッパのなかでもイギリスがいちばん大きかったです。

ツアーも最初はイギリスからだったの?

小山田:最初はテキサス。サウス・バイ・サウス・ウェストで〈マタドール〉のショーケースがあって、そのあとヨーロッパ・ツアー、最初がオランダだった気がする。イギリスはかなり細かく回ったんですよね。最初に話題になったのはイギリスだったんじゃないのかな。

それは僕も記憶しているかな。最初はロンドンの友人から知らされたし、『ファンタズマ』は98年の『WIRE』誌の年間チャートにも入っているからね。ただこの頃は、作っているときに海外のリスナーに届けようなんていう気持ちはなかったわけでしょ?

小山田:ぜんぜん......とくになかったですね。

文:野田 努(2010年11月22日)

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