「P」と一致するもの

3月のジャズ - ele-king

 シャバカ・ハッチングスは2022年の『Afrikan Culture』以来、シャバカ名義となるソロ・アルバムをリリースしてきている。『Afrikan Culture』と次作の『Perceive Its Beauty, Acknowledge Its Grace』(2024年)では、これまでのメイン楽器だったサックスではなくクラリネットやフルート、さらに尺八や南米のケーナ、アフリカのムビラなどを用い、原初的で素朴な音色を生み出していた。ドラムやパーカッションなどほかのプレイヤーもプリミティヴでミニマルな演奏を心掛け、静穏として瞑想的な作品となっていく。特にカルロス・ニーニョ、ブランディ・ヤンガー、ミゲル・アットウッド・ファーガソン、エスペランザ・スポールディング、フローティング・ポインツアンドレ・3000らが参加した『Perceive Its Beauty, Acknowledge Its Grace』に顕著だが、アフリカ音楽由来のスピリチュアル・ジャズとアンビエントの狭間をさまようような作品と位置づけられるだろう。この間、彼はサンズ・オブ・ケメットコメット・イズ・カミングなどほかのプロジェクトを解散、ないしは休止し、自身のソロ活動にフォーカスしてきた。2023年末からサックスの演奏を止めたシャバカは、その間にいろいろな楽器をマスターし、またエレクトロニクスを交えたプロダクションやミキシング面も充実させ、それが『Perceive Its Beauty, Acknowledge Its Grace』へと繋がった。『Afrikan Culture』と『Perceive Its Beauty, Acknowledge Its Grace』は、いろいろな道筋をたどってきた中でのシャバカの到達点だったと言える。

Shabaka
Of The Earth

Shabaka

 『Perceive Its Beauty, Acknowledge Its Grace』から2年ぶりの新作『Of The Earth』は、過去2作をリリースした〈インパルス〉を離れ、自身で設立した〈シャバカ・レコーズ.〉からのリリースとなる。レコード会社からの制約は受けずに全く自由な立場で制作を行い、作曲、演奏、プロダクション、ミックスとすべてひとりで完結している。『Perceive Its Beauty, Acknowledge Its Grace』で共演したアンドレ・3000から、恐れや気負いなく誠実に新たな次元を探求していく姿勢に刺激を受け、またシャバカが初めて買ったCDというディアンジェロの『Brown Sugar』(1995年)から、セルフ・プロデュース/セルフ・パフォーマンスによるアルバムが内包するエモーショナルな可能性に触発され、『Of The Earth』は作られた。ツアー移動中にポータブル機材で制作されたビートやループが楽曲の基盤となり、フルートのほかに久しぶりとなるサックス演奏も解禁している。南アフリカからイギリスに渡って活動したジャズ・ドラマーのルイス・モホロが2025年6月に亡くなり、彼のグループでも演奏してきたシャバカはその追悼コンサートに参加し、そこでおよそ2年ぶりにサックスを演奏した。過去2年間はフルートを中心にサックスを封印してきたが、それは彼が音楽を演奏する上でサックスであることの必然性を見出すことがなくなり、逆にほかの楽器への興味が深まったからだそうだが、そうした2年間を経て再びサックスの可能性に出会い、『Of The Earth』は作られた。

 アンビエントでプリミティヴな印象が強かった過去2作に比べ、『Of The Earth』はサンズ・オブ・ケメットやコメット・イズ・カミングなどのプロダクションで見られたリズムやビート面でのアプローチが強くなっている印象だ。代表が “Dance In Praise” や “Marwa The Mountain” で、ビート・ミュージック、ダブステップ、フットワークなどを咀嚼したリズム・トラックが用いられており、それとサックスやフルート、クラリネットなどが交わるトライバルなサウンドとなっている。シャバカがクウェイク・ベースらと組んでいた1000・キングスあたりに近いサウンドと言えよう。また、“Go Astray” では自身でラップをし、後期資本主義社会のシステムに支配された世界と向き合う力強いリリックを披露するなど、いままでになかったシャバカの新たな一面を発見できる作品だ。


Greg Foat & Sokratis Votskos with The Giorgos Pappas Trio
Impressions of Samos

Blue Crystal

 ここ数年来、さまざまなアーティストとのコラボ作品をリリースするピアニストのグレッグ・フォート。2025年はモーゼス・ボイド、ジハード・ダルウィッシュ、フォレスト・ロウなどロンドンのアーティストとのセッションが続いたが、新作『Impressions of Samos』ではギリシャのアーティストとの共演となる。ソクラテス・ヴォツコスはマルチ・リード奏者で、以前もグレッグ・フォートとの共演作がある。その2024年作の『Live at Villa Maximus, Mykonos』はギリシャのミコノス島でのライヴ録音で、ソクラテス・ヴォツコスはクラリネットとフルートを演奏していた。一方、エーゲ海のサモス島での印象をもとにした『Impressions of Samos』では、ソクラテスはアルメニア由来の民族木管楽器であるドゥドゥクを演奏する。そして、ふたりをサポートするジョルゴス・パパス・トリオは、中東から北アフリカにかけての古来の弦楽器であるウードをフィーチャーする。このように『Impressions of Samos』は、エーゲ海を中心に、ヨーロッパ、中東、北アフリカ、アジアの文化が交錯するギリシャを音楽で表現した作品である。

 “The Golden Jackals Of Samoa” でのドゥドゥクはスコットランドのバグパイプを連想させる音色で、ウードはインドのシタールを連想させる音色である。こうした民族楽器は昔からジャズの世界ではいろいろと用いられ、特にモーダル・ジャズの分野では非常に大きな役割を果たしてきた。“The Golden Jackals Of Samoa” はそうしたモーダルなテイストの異色のジャズ・ファンクで、かつてのイタリア映画のサントラやライブラリーなどに近い雰囲気を持つ。“Liberta” はモード・ジャズ、スピリチュアル・ジャズ、ジャズ・ファンクの狭間を往来するような作品で、それぞれの魅力をうまく引き出して結びつけるところがグレッグ・フォートらしいところだ。“Karsilamas” や “Eikosiefta” はアラビアや北アフリカの音楽の要素に彩られ、前者ではそれをジャズ・ファンクと結びつけてエキゾティックなグルーヴを生み、後者ではディープなスピリチュアル・ジャズへと昇華している。


Mark de Clive-Lowe, Andrea Lombardini, Tommaso Cappellato
Dreamweavers II

Mother Tongue

 マーク・ド・クライヴ・ローはロサンゼルスのジャズ・シーンだけでなく、世界のいろいろな国のミュージシャンとセッションをおこなっていて、日本人ミュージシャンと組んだローニン・アーケストラなどがある。ドラマーのトマーソ・カッペラートなどイタリア出身のミュージシャンともたびたびセッションを行っていて、2020年にはトマーソ・カッペラート、ベーシストのアンドレア・ロンバルディーニと組んで『Dreamweavers』をリリースしている。このアルバムを作った当時はローニン・アーケストラでの活動時期と重なっていたこともあり、ミュート・ビートなどで活動してきたこだま和文へのオマージュとおぼしき “Kodama Shade” や、自身のソロ作でも演奏してきた “Mizugaki” (奥秩父の瑞牆山がモチーフと目される)、高野山真言宗の那谷寺からイメージしたと思われる “Natadera Spirit Walk” など、半分日本人の血をひく彼ならではの和のモチーフが表われていた。そうした和のモチーフをジャズやフュージョン・サウンドにうまく融合させるのがマーク・ド・クライヴ・ローの真骨頂でもある。

 今度その『Dreamweavers』の第2弾が6年ぶりにリリースされた。今回も “Kaze No Michi” や “Sakura Fubuki” といった日本語のタイトル曲がある。ただし、和をモチーフにすると言っても、マーク・ド・クライヴ・ローはあくまで彼が日本の文化から受けるインスピレーションを音楽として表現するのであって、安易に和楽器を用いたり、日本の民謡の音階を取り入れるといった手法に出てはいない。“Kaze No Michi” は疾走感に満ちたスピリチュアル・ジャズで、イメージ的にはロニー・リストン・スミスあたりが近いだろう。極めてダンサブルなジャズでもあり、日本のクラブ・ジャズ・シーンとも交流のある彼らしいサウンドだ。“Terra De Luz” は彼が多大な影響を受けたアジムスへのオマージュと言える作品。このトマーソ・カッペラート、アンドレア・ロンバルディーニとのトリオ自体がアジムスそのものと言うべきプロジェクトであり、アジムスが黄金時代を迎えた1970年代から1980年代にかけての雰囲気に満ちている。J・ディラのカヴァーとなる “Raise It Up”、かつてのウェスト・ロンドン時代の盟友である故フィル・アッシャーに捧げた彼のカヴァー曲 “The Bass That Don’t Stop” ほか、ジャズとともにクラブ・カルチャーを通過したマーク・ド・クライヴ・ローらしいアルバムとなっている。“Back Channels” や “Lucid Dreams” もブロークンビーツを通過したダンサブルなジャズと言えよう。


Asher Gamedze
A Semblance: Of Return

Northern Spy

 アッシャー・ガメゼは南アフリカのケープタウンを拠点とするジャズ・ドラマーで、シカゴのジャズ・シーンとも交流があって、これまで〈インターナショナル・アンセム〉からもいろいろ作品をリリースしている。2020年頃からアルバムをリリースしているが、アート・アンサンブル・オブ・シカゴのようなアフロ・ポリリズミックなフリー・ジャズ、スピリチュアル・ジャズが特徴で、2024年の『Constitution』は黒人の意識開放運動と結びついた革命思想を内包する作品だった。このときはブラック・ラングスという南アフリカのミュージシャンから成るグループを率いていたが、彼は作品ごとにグループを作っていて、今回の新作『Of Return』はア・センブランスというグループを率いてのものとなる。とは言っても、メンバーはブラック・ラングスのときと被るミュージシャンもいて、日頃から一緒に演奏しているケープタウンのミュージシャンとのセッションとなる。

 『Of Return』は南アフリカにおける汎アフリカ主義と黒人意識に根ざし、地域や政治理念などを超えた連帯を訴える作品となっている。作品の随所にアパルトヘイト抵抗運動の活動家スティーヴ・ビコの演説からとられたワードが用いられ、2025年にオランダの音楽フェスにアッシャー・ガメゼがゲスト・キュレーターとして出演した際、用意した政治的ステートメントらアルバム・タイトルが名づけられた。“Distractions” はラスト・ポエッツ調の歌というかナレーションが盛り込まれ、サウンド的には『On The Corner』(1972年)の頃のマイルス・デイヴィスを彷彿とさせる。『On The Corner』はスライ・ストーンとの交流からファンクを導入したアルバムとして知られるが、“Of The Fire” はさらにファンク度が増す。ファンカデリック的なナンバーであり、サン・ラーの “Space Is The Place” にも通じるような作品だ。アフロ・フューチャリズムを通してアッシャー・ガメゼとジョージ・クリントンやサン・ラーが繋がっていることを伺わせる。ポリリズミックで混沌としたジャズ・ファンク “War” では、シンセを用いて変調させたサウンドが印象的。こうした音を使った遊び的なところもサン・ラーと通じるところがある。

Lee "Scratch" Perry & Mouse on Mars - ele-king

 2019年に亡くなったダブのレジェンド、リー・ペリー。生前、ベルリンのマウス・オン・マーズのスタジオで録音されていたという両者のコラボレーション・アルバムが6月5日にリリースされることになった。この強力な共作、タイトルは『Spatial, No Problem』で、レーベルは〈Domino〉。現在、収録曲 “Rockcurry” が公開中です。

https://mouseonmars.bandcamp.com/album/spatial-no-problem

ISSUGI - ele-king

 ISSUGIが2022年にリリースした9枚目『366247』。そのデラックス盤が完全限定プレスのアナログ盤でリリースされることになった。デラックス盤には、デジタルのみで配信されていた“366247 Remix ft JJJ”が追加収録される。
 また、これに合わせ、ISSUGI & GRADIS NICEによる『Day’N’Nite 2』のアナログ盤も数量限定でリプレスが決定している。合わせてチェックしておきたい。

ISSUGIの2022年リリース作『366247』へ"366247 Remix" ft JJJを新たに収録したデラックス・エディションが完全限定プレスのアナログ盤でリリース! また、即完売していたISSUGI & GRADIS NICE『Day’N’Nite 2』のリプレスも決定!

東京Dogear RecordsをRepresentするラッパー、ISSUGIが2022年にリリースした9thアルバム『366247』。完全限定プレスでリリースされたアナログ盤は早々完売して入手困難な状況が続いていたが、デジタル限定でリリースされた"366247 Remix" ft JJJを新たに収録した『366247 (Deluxe Edition)』として完全限定プレスのアナログ盤が待望のリリース。
また、同時に2024年にDogear RecordsよりリリースされたISSUGI & GRADIS NICEのジョイントアルバム第二弾『Day’N’Nite 2』のアナログ盤も数量限定でリプレス決定。こちらも昨年リリースされ、早々完売して入手困難になっておりリプレスが待たれてたタイトルなだけに待望のリリースと言えるはず。

「366247 (Deluxe Edition)」概要
アーティスト:ISSUGI
タイトル:366247 (Deluxe Edition)
レーベル:P-VINE, Inc. / Dogear Records
仕様:LP (完全限定プレス)
発売日:2026年6月24日(水)
品番:PLP-8351
定価:4,950円(税抜4,500円)
*「366247」Stream/Download/Purchase:
https://p-vine.lnk.to/hBxqgO
*P-VINE SHOPにて予約受付中!
https://anywherestore.p-vine.jp/products/plp-8351

*ISSUGI - 366247 Remix ft JJJ / prod DJ SCRATCH NICE (Official Video)
https://www.youtube.com/watch?v=l-gi2XmuzbU

*ISSUGI - from Scratch / prod DJ SCRATCH NICE (Official Video)
https://www.youtube.com/watch?v=FP-HIFVLieA

トラックリスト
SIDE A
1. Dime
 prod DJ SCRATCH NICE 
 Scratch by DJ SCRATCH NICE
2. G.U.R.U. ft Mr.PUG
 prod DJ SCRATCH NICE
 Scratch by DJ SHOE
3. April ft Eujin KAWI, KID FRESINO, BES
 prod DJ SCRATCH NICE
4. from Scratch
 prod DJ SCRATCH NICE
5. Game Changer
 prod DJ SCRATCH NICE
SIDE B
1. Rare ft VANY
 prod DJ SCRATCH NICE 
 Scratch by DJ SCRATCH NICE, DJ K-FLASH
2. Real ft SPARTA
 prod DJ SCRATCH NICE
3. Perfect blunts
 prod 16FLIP
4. Ethology ft stz, 仙人掌
 prod DJ SCRATCH NICE
5. 366247 Remix ft JJJ
 prod DJ SCRATCH NICE
6. End roll
 prod Daworld

『Day'N'Nite 2』情報
アーティスト:ISSUGI & GRADIS NICE
タイトル:Day'N'Nite 2
レーベル:Dogear Records
仕様:LP(完全限定プレス)
発売日:2026年6月24日(水)
品番:DERLP-077
定価:4,620円(税抜4,200円)
*Stream/Download:
https://linkco.re/qcG8uVT6
*P-VINE SHOPにて予約受付中!
https://anywherestore.p-vine.jp/products/derlp-077

トラックリスト
SIDE A
1. BK Suede 
2. YingYang ft. Epic,Eujin 
3. Step My Game Up ft. Sadajyo
4. I Am… 
5. Me & My Musik ft. JJJ 
6. XL  
SIDE B
1. Ichi ft. Sparta 
2. Janomichi ft. 5lack 
3. Da Two ft. 仙人掌 
4. Chef Banga ft. BES 
5. Wizards ft. 5lack 
6. Day’N’Nite 2  

TechnoByobu - ele-king

 一部で評判を呼んでいるテクノ屏風。第2弾が『攻殻機動隊』をモティーフとしていることは先日お伝えしているが、その「TechnoByobu」の「TB-02」の購入者特典として、士郎正宗による書き下ろしの特製ステッカーが付属することが発表された。屏風画の洋金箔仕立てのステッカーで、イラストにはフチコマたちがお花見する様子が描かれている。
 またこれと合わせ、日本美術史家の安村敏信、評論家の藤田直哉による下記コメントも公開されている。下記よりチェックしよう。

https://technobyobu.jp/

士郎正宗氏書き下ろし屏風画が洋金箔ステッカーに
「TechnoByobu: TB-02 攻殻機動隊」購入特典が初公開

日本美術史家・安村敏信氏、評論家・藤田直哉氏によるコメントも

ユーマ株式会社は、「攻殻機動隊展」にて展示・販売中の「TechnoByobu(テクノ屏風)」の購入者への特典として、士郎正宗氏による書き下ろし屏風画の洋金箔仕立てのステッカーが付属すると発表しました。
士郎氏の書き下ろしイラストは、フチコマたちがお花見をする姿を描いた、今の時節にマッチしたシーンとなっています。
また、「TechnoByobu(テクノ屏風)」および「HAC module」に関する、日本美術史家/静嘉堂文庫美術館館長の安村敏信氏および『攻殻機動隊論』著者で評論家の藤田直哉氏からのコメントも公開致します。

「攻殻機動隊展(東京)」は2026年4月5日まで、TOKYO NODEにて開催中です。TechnoByobuの光と素材、アートとテクノロジーが交錯する世界を、ぜひ会場でご体感ください。

■ TB-02 購入特典内容
士郎正宗先生にイラストを屏風する話をご相談したところ、先生より書き下ろしの詩を載せたオリジナルイラストをご提供いただきました。その貴重なイラストを、屏風と同じ洋金箔にあしらったステッカーを特典としてお渡しいたします。

【TB-02購入者特典】
・士郎正宗氏 書き下ろし洋金箔ステッカー
・ご購入商品(洋金箔または錫箔)をデザインしたミニチュア版ステッカー

【HAC module購入者特典】
・ご購入商品をデザインしたステッカー

■日本美術史家・安村敏信氏、評論家・藤田直哉氏コメント

俵屋宗達の「風神雷神図屏風」に通ずる余白 —
金箔の地の中から、浮かび上がってくるフチコマ —
テクノ屏風の二曲一隻はその琳派の伝統を引き継いでいる
安村敏信 (日本美術史家/静嘉堂文庫美術館館長)

テクノ屏風は、『攻殻』の精神を継ぐかのように、テクノロジーと伝統を融合させた新しいアイデンティティを創造している。伝統の精髄を受け継ぎ、凛とした佇まいをしながらも、同時にテクノロジーや新しい文化とも混淆し先に進んでいくその姿は、私たちの新しいアイデンティティのモデルとなるだろう。
藤田直哉(評論家/日本映画大学准教授)

安村敏信 プロフィール
1953年 富山県生まれ。東北大学大学院博士課程前期修了。1979年より板橋区立美術館学芸員として、江戸文化シリーズと銘打ち、江戸時代美術史のユニークな展覧会を開催し、注目を集める。
2005年より2013年まで同館館長を務め、以後、萬美術屋として日本美術の普及活動をフリーの立場で展開。現在、北斎館館長、静嘉堂文庫美術館館長、国際浮世絵学会常任理事。
編書・著書に『美術館商売』(勉誠出版)『もっと知りたい狩野派 探幽と江戸狩野派』(東京美術)『日本の幽霊名画集』(人類文化社)『江戸の絵師「暮らしと稼ぎ」』(小学館)『狩野一信五百羅漢』(小学館)『江戸絵画の非常識』(敬文舎)『日本美術全集・第13巻「宗達・光琳と桂離宮」』(小学館)『線で読み解く日本の名画』(幻戯書房)『若冲BOX・FIVEーCOLORS』(講談社)『ゆるかわ妖怪絵』(講談社)など多数。

藤田直哉 プロフィール
1983年、札幌生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻修了。博士(学術)。著書に「虚構内存在 筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉」「シン・ゴジラ論」「攻殻機動隊論」「新海誠論」「現代ネット政治=文化論」(作品社)、「新世紀ゾンビ論」(筑摩書房)、「娯楽としての炎上 ポストトゥルース時代のミステリ」(南雲堂)、「シン・エヴァンゲリオン論」(河出書房新社)、「ゲームが教える世界の論点」(集英社)、共編著に「3・11の未来――日本・SF・創造力」(作品社)、「地域アート――美学/制度/日本」(堀之内出版)などがある。

Interview with Tomoro Taguchi - ele-king

『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』 

監督:田口トモロヲ
原作:地引雄一『ストリート・キングダム』
脚本:宮藤官九郎
音楽:大友良英
出演:峯田和伸 若葉⻯也
吉岡里帆 仲野太賀 間宮祥太朗 中島セナ
大森南朋 中村獅童

公開日: 3月27日(金) TOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開
企画製作・配給:ハピネットファントム・スタジオ
クレジット:©2026映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』製作委員会
公式サイト:https://happinet-phantom.com/streetkingdom
公式XInstagram:@streetkingdomjp

 忘れられた歴史に光を当てることは、疑いようもなく素晴らしい。しかしそこには、不可避的に「フェアになれない」という代償がともなう。とりわけ熱狂的なシーンを扱う場合はなおさらだ。およそ2時間という映画の枠組みで、過ぎ去った日々のすべてを網羅することなど、論理的に考えて不可能だからである。
 シーンは一枚岩ではなく、10人いれば10人の解釈があり、当事者の思いも千差万別だ。映画として歴史を編む以上、どこかに焦点を絞らざるを得ず、必然的にこぼれ落ちる場面や、当事者から見て違和感のある解釈も生まれるだろう。そうしたリスクを引き受けてなお、作品を世に問うこと自体に大きな覚悟と意義がある。
 ついでながら、もうひとつ書いておきたいことは、小さいものほど大きいという逆説。そのレトリックはオリジナル・パンクの武器でもあったわけだが(未来はないという未来、面白くないという面白さ、etc)、まあ、それをここでは深追いしない。ただ、言わねばならないのは、演奏技術の高さ、洗練の度合いが音楽作品の強度また魅力を決定するとは限らないということ、近年の日本におけるシティポップおよびYMOのブーム、これら人気の大衆文化と時を同じにする日本のアンダーグラウンドで起きていた、パンク以降の小さなこのシーンが無価値ではなかったんだと、いま、あらためて問うことに意義がないとは思えない、ということなのだ。
 ワイアーという英国のパンク・バンドの1977年の曲にはこんな歌詞がある。「ただ見てるだけじゃダメだ、時間は過ぎていく。飛び込んで、その手で掴み取れ」。そして実のところ、みんなが飛び込んでしまった。レコードの売れた枚数は当時のメジャーと比べたら微々たるものだったろう。だとしても、リスナーを単なる消費者から「未熟であっても自ら表現する参加者」へと変貌させた影響力において、このシーンは圧倒的だった。日本のパンクには英国のような政治性がないと評されることもあるけれど、権威からは望まれていない行動を逆流的に展開すること自体、政治的アクションと言えやしないかと。
 ヴァルター・ベンヤミンは、歴史が常に「勝者の視点」で語られ、敗者の記憶が消し去られることを批判した。商業的な勝敗が、文化的な価値を決めるわけではない。つまり言いたいのは、人生の本質は勝ち負けではない、ということではない。これは勝ち負けで計ろうとする価値観を強制する権威への抵抗であって、すなわち歴史に埋もれた者たちの記憶を救い出すこと。その試みこそが、芸術が少数のエリートから大衆の手へと渡り、切実なメッセージを運ぶ手段へと変容した証左なのである。

 それにしても、本当によくやってくれました。1970年代末から80年代初頭、英米のパンクに触発された日本のシーン。その代表的な断片のひとつである「東京ロッカーズ」を題材にした『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』において、田口トモロヲ監督はこのシーンの魅力をあぶり出すことに成功している。映画に描かれたひとコマひとコマには意味があるし、そこにはメッセージを伝えるナラティヴが宿っている。そしてそれは、いまの音楽文化が失いつつあるものかもしれない。ひとりでも多くの人がこの映画を観て、日本にもこんなシーンがあったのだと知ってほしい。そう願うのは、決してぼくの個人的な時代愛(パトリオティズム)だけが理由ではないのである(と思います)。
 国際舞台では、ことにエレキング周辺のアーティストたちからは、『鉄男』(塚本晋也監督)における驚異的な演技で多くのファンを持つ才人、『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』の監督を務めた田口トモロヲに話を聞いた。

自分だけができるようなテーマの映画を監督したいなと思っていて、「これだ!」と思ったんですね。『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』は自分しか撮らないし、撮れないだろうと思いました。

いま(2月25日)、松山晋也さんといっしょに、まさにその時代の日本のパンク/ニューウェイヴの特集号を作っている真っ直中なんです。それは、今回の映画のことを考えずに、数年前からふたりで企画していたものなんですが、嬉しいことに、映画『ストリート・キングダム』の内容とも重なりました。映画に関係しているところで言うと、地引(雄一)さんと小嶋さちほ(チホ)さんにインタヴューしていまして、〈フジヤマ〉の渡辺(正)さんにも取材しました。

田口:渡辺さんたち、よくインタヴューを。

映画のなかで、唯一、唐突に現代になるのが、三茶の〈フジヤマ〉の場面でしたね(笑)。あのシーンも良かったです。ぼくは映画自体、とても楽しく観させていただいたのですが、まずは、今回の企画をやられた契機というか、モチベーションといいますか、お気持ちの部分を聞かせてください。

田口:原作になった地引(雄一)さんの『ストリート・キングダム』を読んだときに、とてもワクワクしたんです。ぼくにとって、あれはジャストなドキュメントだったんです。読み物としてもほんとうに楽しく読めて、「ああもう、この人たちのこと大好きだった」という思いを掘り起こされまして。
それでふと考えると、日本のロック・フェスが盛んになって、いまでは何万人とか集まる状況になっているのに、この人たち(東京ロッカーズの時代のシーン)のことがまったく語られていないと。まさに、若い人たちは知らないんじゃないかと思いまして。フェスであったりとか、ライヴハウスの使い方であったりとか、そういう(現在に通じる)システムの開拓者たちなのに、その人たちの名前がネットを見ても出てくることがないんです。
ちょうど2015年だったと思うんですけれども、前の監督作品(『ピース オブ ケイク』)が終わったあとに、次は、自分にしか撮れない、自分だけができるようなテーマの映画を監督したいなと思っていて、「これだ!」と思ったんです。『ストリート・キングダム』は自分しか撮らないし、撮れないだろうと思いました。それで、地引さんは知り合いだったので直で電話しました。ですから、今年公開で11年目になっちゃうんですけれども、もう10年前ですね。

『ストリート・キングダム』の初版は1986年にミュージック・マガジン社から出たじゃないですか。で、2008年にDVD付きで増補版が出ました。どちらを読まれたんですか?

田口:DVD付きの増補版ですね。

ぼくもそうです。あの時代のあのシーンは、いろんな人たちが関わっていて、東京だけではないし、たとえば関西は関西で素晴らしいシーンがありましたよね。地引さんの『ストリート・キングダム』は、あくまでも地引雄一さんといういち個人のレンズを通してみたシーンなわけで、まあ、地引さんはたいへんフェアな方なので、本のなかではたくさんのバンド、たくさんのアーティスト、レーベルを紹介されているんですけど、やはり、どうしても全体を見せることはできないし、フェアになりきれない部分もあると思います。そのリスクの部分はどういうふうにお考えになりましたか?

田口:最初の構想では、出てくるバンドとか、出演する人物とかももっと多かったんですよ。でもそれだと収集がつかない。だから、作者である地引さん、映画のなかではユーイチという主人公になりますから、ユーイチ目線に絞ることによって見えてくる風景も絞られていく、そういう形にしました。まあ、映画化するにあたっては、絞らざるを得ないっていうのが現実です。
当初の予定では、人物にしてもバンドにしてももっと多かったんですよ。でも、それをテスト的に読んでもらったりしたら、全然わからないっていう意見が多かったんです。登場人物が多すぎるし、どこに焦点を当てて読んだらいいかわからないっていうふうに言われましてね、そこから試行錯誤しながら、泣く泣く、絞っていったっていう経緯がありました。

いや、そこは仕方ないです。ドキュメンタリーではないので、そうせざるを得ないですよね。しかも、こうした熱狂的なシーンを題材にした場合、当事者だった人のなかには、「いや、それは違うんじゃないか」と言う人だっているだろうと、そういうリスクも想定されていたと思うんですよね。だから、勇気も要したプロジェクトだったんじゃないのかなって思うんですけど、いかがでしょうか?

田口:たしかに、ぼくはもう、その人たちの背中を見てバンドをはじめた世代ですから、いわばみんなレジェンドなので、(間違ったことをやってはいけないという)そういう緊張はありました。けれども、このシーンを忘れている人たちに伝える、その媒体としてやっぱり自分ができるのは映画だなと思っていたんです。自分もその人たちのファンだったわけだから、熱烈なファンとして、自分のやり方で発表することに関して迷いはなかったですね。

なるほど。ちなみに、田口さんが日本のなかのこうしたパンク/ニューウェイヴのシーンを最初に知ったのは、だいたいいつぐらいのことで、きっかけは誰だったんですか?

田口:最初は、東京ロッカーズのアルバム(1979年の『東京ROCKERS』)でしょうか。あれが出たとき真っ先に買いました。それ以前にも、『NO NEW YORK』というアルバムが出ていたので、世界同時多発的にそういったパンク/ニューウェーブのオムニバス・アルバムがいろんなところで出るんだ、っていう面白さと衝撃、そこからです。

そのときはおいくつだったんですか? 

田口:まだ学生でした。20歳ぐらい。

ぼくは静岡という地方都市の高校生でした。日本にパンクのシーンがあるということが嬉しくかったし、絶対に聴いてやろうと、で、『東京ROCKERS』の1曲目、フリクションの“せなかのコード”を聴いた瞬間、なんてかっこいいんだろう!って。田口さんは、ライヴハウスには行かれてましたか?

田口:はい、行ってましたね。でも東京ロッカーズは間に合わなかったんですよ。その後の、個別にいろんなバンドのライヴは観ていました。

とくに好きだったバンドはなんでしょう?

田口:いやー、どうでしたかね。いろんなことを好きになっていく過程の時期だったし、シーンひっくるめて好きだったので。古い既成概念を壊して、新しいシーンを作ろうとしているバンド自体が。この映画のなかでいうと、江戸アケミさんですかね。じゃがたらのアケミさんからは圧倒的に影響を受けました。アケミさんの詞が刺さったし、行動も。

ガガーリンやばちかぶりの印象で言わせていただくと、やっぱり、じゃがたらとスターリンっていうのが大きかったんじゃないのかっていうふうに、勝手に想像するんですけど。

田口:スターリンはすでに、ある意味、スターダムに乗ったレジェンドだったので。ただ、じゃがたらの初期であったりとか、あと同世代で言ったら、マスターベーションとか、あぶらだこ、ハナタラシですか。そういう同世代の人たちと、ちょっと大げさに言うと競い合いながら、では自分たちにはどういう表現ができるのかっていうことは意識していました。ただ、(スターリンのような)上の世代には、もう、かなわないっていう風には思ってました。

とはいえ、田口さんには、ステージ上での数々の過激なパフォーマンス、伝説があるじゃないですか。スターリンや江戸アケミさんみたいな方々の、ある一線を越えていいのか悪いのかみたいな、ギリギリのところでやられた表現っていう、ああいったものを真面目に継承していらっしゃったというか、そんな風に思っていたのですが。

田口:そういう大げさな感じではないですけれども、なにか前衛的なことをやってもいいんだっていうのはありました。ただ、彼らの世代はそういうことがシリアスなんですよね。学生運動も通過しているし、政治の季節も経験している。自分は、あそこまでシリアスになれないっていうことで、じゃあ、自分たちにはどういう独自性があるのかって考えたときに、ユーモアという武器をまとって表現しようと、っていうことですかね。
同時期にジョン・ウォーターズの映画『ピンク・フラミンゴ』を字幕抜きで観ているんです。その強烈なブラック・ユーモアとでたらめさ、それにも衝撃を受けました。そういった自分が影響を受けたいろいろなものが渾然一体になって、バンド活動であったりとか、アングラ演劇活動といったものに出していった感じでしたね。

田口トモロヲさんは、上杉清文さんの発見の会みたいな、日本の70年代から連綿と続いているアンダーグラウンド文化も継承されている。ヒカシューの巻上公一さんも寺山修司/東京キッドブラザースから来ていますが、そういう風に、まぶしい文化が見えなくしてしまっている、日本の面白い文化を受け継がれながら、21世紀の現代で、ちゃんとそれをこういう大きな舞台でも表現活動していることが、ほんとうに尊敬するというか、素晴らしいと思います。

田口:ありがとうございます。

田口トモロヲさんという文化のハブからいろんなところに行けますよね。で、なんどもしつこくて申し訳ないのですが、田口さんのなかでスターリン(劇中名、解剖室)とじゃがたら(劇中名、ごくつぶし)をどう捉えているのでしょうか? いや、映画のなかで、リザード(劇中名、TOKAGE)、フリクション(劇中名、軋轢)、ゼルダ(劇中名、ロボットメイア)以外のバンドで、大きな意味を持つのが、このふたつのバンドだったので……。

田口:スターリンのミチロウさんは『宝島』とかでバンバン特集とか組まれていて、当時はもう大スターだったんです。でも、学生時代、北千住にあった甚六屋というライヴハウスに友部正人さんを観に行ったときに、前座でミチロウさんが出ていたんですよ。ひとりで、フォークで、“電動こけし”っていう曲を歌っていたんです。まだパンクになる前です。

それは貴重ですね! 自閉体?

田口:自閉体の前です。フォーク・シンガーだったころの、だから、パンクをやる前です。「電動こけし」っていうワードも強烈でした。友部さんにではなく、どちらかというと三上寛さんに近い、そういうワード・センスがすごく印象に残っていますね。
それから何年か経って、ぼくが官能劇画を生業として描くようになったとき、ある劇画誌にミチロウさんがエッセイを書いていたんです。そこで「いまはパンクだ。自閉体っていうバンドを作った」と言ってるんです。それを読んで、「これってあのときの人じゃない?」と思っていました。パンクという引き金を見つけて、フォークじゃなくバンド、パンクという表現方法に変わっていったんだっていうのを読んで、それはわかるなあって思いました。パンクって……何をやったらいいかわからない人、若い人たちにいろんなヒントと引き金を与えてくれた音楽であり、各自のリアルを考えさせる音でした。

あのシーンを、ありものの映像を編集したドキュメンタリー作品ではなく、俳優たちが演じるひとつの物語(フィクション)として制作されました。たとえばイギリスでは、そういう映画、『シド・アンド・ナンシー』とか『24アワー・パーティ・ピープル』とか、アメリカでも、俳優が演じるボブ・ディランの映画とかドアーズの映画とか、いろいろあるんですけど、なぜか日本にはなかったんですよ。この点でも、『ストリート・キングダム』は風穴をあけるであろう作品になったと思いますけど。

田口:まあ、たいへんでした。そういうの(海外のように実名を使った映画)ができたらいいなっていう希望は持っていましたけれども、ここまでたいへんだとは思わなかった。友人たちが観てくれて、純粋に質問として「なんで実名でできないの?」っていうふうに聞かれますけど、できなかったんだよと(笑)。

なぜ、モモヨではなくモモなのか? と。

田口:海外のそういう音楽映画と制作状況が違う。たとえば『ボヘミアン・ラプソディ』みたいに、映画の内容に対しても、実人物が意見も言えるという契約もあるらしいじゃないですか。(映画を)観てここはダメだとか、脚本にも口を出せるとか、今回は、作っているときに、頭のなかで思い描いていたことが、どんどん変化して。現実問題として、ここはどうすれば成立するのか、というふうに学んでいくプロセスでもありました。

設定が現実とは違うところもあるじゃないですか。例をひとつ挙げれば、小嶋さちほ(チホ)さんのご実家は印刷屋ではない、でも、映画では印刷屋さんになっています。そのあたりは、宮藤官九郎さんの意見もあったりとか、あえて現実に即さなくてもいいのではないか、みたいな感じだったんですか?

田口:できる限りのことは真実の物語として再生はさせましたけれども、物語として、ドラマとして立ち上げないと映画化には難しいところもあって、最終的にああいう形になりました。そこは、地引さんとも話して、いろいろ意見をいただきました。

でも、あの映画で伝えたいことっていうのは、そういうディテールではないわけですから。重要なディテールっていうのは、もちろんあるんですけれども、おっしゃることわかります。

田口:映画作りは、実現するまで制作状況や現実との戦いなんですよね。海外の映画ではできているのに、どうして? みたいに言われたりもしますけれども。これが限界とは言わないまでも、自分がいまできる範囲でのベストな形の作品にはできたと思っています。
いまはクラウドファンディングとかもありますからね。お金を出してくれる人たちが多大にいて作っていくっていうことも、これから先は可能になっていくでしょうね。それはたぶん、どんな仕事をやっていても、日本の環境っていうか、音楽雑誌をやられていても、その大変さを感じると思うんですけど、それが映画制作においてのリアルなんです。

映画はもっと規模が大きいですからね。ここでは言えないような困難もたくさんあったと思います。本当によくあそこまでちゃんとしっかりと完成させていただいて、ぼくが言うのもなんですけど、ありがとうございます!

田口:いやいや、とんでもないです。

もう、何年も前ですが、この企画の話は地引さんから直接聞かされていたんです。で、じゃがたらの関係者だった大平ソーリさん。

田口:はい。

ソーリさんからもこの企画のことを聞かされていて、「アケミが重要なところで出るらしいんだけど、どうなんだろうね?」って。ぼくも「どうなんでしょうね?」って。

田口:不安しかないですよね(笑)。

売れる売れないとかではなくて、自分たち、自分自身を売らないっていうことがまだ通用した時代だと思うんですよね。いまはもう喪失しているかもしれないし、そこのスピリットは確実に描きたいなと思っていました。

で(笑)、試写に行ったんですけど、とても感動しましてね、地引さんに「良かったです」とメールして、大平さんにも、「ぜひ観てください」ってメールしたんです。その感動的な場面のひとつに、じゃがたらの“もうがまんできない”をみんなで歌うシーンがありますよね。あのミュージカル仕立ての場面には、どんな意図があったんですか?

田口:あれは、もう、ぼくのわがままですね。制作が終わりのほうにいくにしたがって、もうひとつ、映画的な表現ができないかなと考えていたんです。そこで、自分が大好きな曲を。“もうがまんできない”は、アケミさん、じゃがたらの曲のなかでも変わった曲なんです。

はい、最高の曲のひとつですよね。

田口:「もうがまんできない」という歌詞はいっさい出てこない、「心の持ちよう」で厳しい世のなかにコミットしていくっていう曲で、これはいまにも通じるなと思いました。だから、後半に主人公たちがあれを歌うことによって、映画全体のメッセージを印象的にして、映画自体を強度にできると思ったんです。

あの場面も良かったんですけど、ぼくがこの映画でいちばん感動したのは、主人公のモモが悩むじゃないですか。売れる音楽を周りからは要求される。でも、売れる音楽を作ることが正しいのかと、彼はつねに反発する。あれは売れる音楽への反発ではなく、売れるか売れないかでしか作品を計ろうとしない考え方に対する反発ですよね。だとしたらモモはまったく正しい。あれは現代への大きなメッセージになっていると思いました。モモが悩み、反発するシーン、あの映画のなかではすごく重要な場面ですよね?

田口:そうですね。目撃者であるユーイチとモモとの対話。ユーイチが気軽に言った言葉すらも、モモにとっては、すごく真剣に、お前までそんなこと言うんだっていう。そこには、それぞれの事情と感情があるわけです。友情で同じ方向を向いているはずなんだけれども、些細なことの価値観が違う。しかも、そのことに関してはお互い譲れないっていう部分を描きたかったんです。そういう人たちだったと思うんですよ。妥協なく理想を追うあの世代の人たちは。

あの場面からもうひとつ引き出せるのは、損得勘定ではない価値観っていうのがあるとうことだと思います。東京ロッカーズの人たちにしても、当時のあのシーンのど真ん中にいたどんなバンドも、10万枚とか20万枚とか、ヒットを飛ばした人なんてほとんどいないわけですよ。だから商業的には失敗だった。でも、まさに、田口さんが言われたような、あそこからはじまったライヴハウスの文化があって、こんなにも状況を変革するような、価値ある革命を起こした。あるいは、楽器を弾けない素人が、好きなように好きな音楽をやっていいんだっていう、生き方の可能性だって切り開いていったわけで、やっぱりすごく大きなことをしたんですよ。だから、最後にリザードの“宣戦布告”のカヴァーが流れたとき、思わず涙腺が緩んでしまって……。

田口:曲名が “宣戦布告” ですから。

峯田和伸のあの清々しい歌い方がまた良いんですよ。もっていかれてしまいましたね、あのエンディングには。

田口:売れる売れないとかではなくて、自分たち、自分自身を売らないっていうことがまだ通用した時代だと思うんですよね。いまはもう喪失しているかもしれないし、そこのスピリットは確実に描きたいなと思っていました。

ぼくが行った試写会は、二回目か三回目でしたが、満席で、その後もずっと試写会が満席だったと聞いています。人気俳優が揃っているというのもあるんでしょうけど、やっぱ、この時代に、多くの人が求めているものあの映画にはあるんじゃないかと思います。すでに多くのリアクションをもらっていると思いますが、いまのところ、いかがですか?

田口:思っていたよりすごく良い反応で、ほっとしています。今回は、地引さんという尊敬する原作者がいますし、ぼくにとってはすごい人たちを、好きな俳優さんたちにやってもらった。そこは全部ぼくが責任を取るからねと、現場でも俳優さんに言いました。まあ、公開されるのはこれからですから。お金を払って観てくださるお客さんがどう感じるかっていうのは楽しみであり、もうドキドキです(笑)。

※映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』は、3月27日(金)TOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開。地引雄一『ストリート・キングダム 最終版 東京ロッカーズと80’sインディーズ・シーン』は3月27日、SLOGANから刊行。松山晋也・監修『別冊エレキング:J-PUNK / NEW WAVE——革命の記憶』は3月31日、ele-king booksから刊行。


 以下、蛇足(思い出とおさらい)。
 リザードが静岡にやって来たのは、ぼくが高校二年生のときだった。人生で初めて体験したパンク・バンドのライヴである。会場は「サーカス・タウン」という、山下達郎の作品名から取られたステージもない小さなライヴハウス。(そこは、その3年後、16歳だった石野卓球の「人生」がデビューを飾る場所でもある)
 さて、客はわずか10人ちょっと。その全員が15歳から17歳といったところ。いっしょにその場にいた市原健太(現在は静岡の古書店「水曜文庫」を営んでいる)の記憶によれば、出番前のモモヨは脇に雑誌『ユリイカ』を挟んでいたという。ジョン・サヴェージがとある講演で「ギャラガーよ、パンクは本を読んだのだよ」と語った通りだ。
 50人も入れば満員の空間で繰り広げられた演奏は、荒々しいガレージ・パンクそのものだったと記憶している。作品化されたどの音源よりも、ぼくのなかではあの夜の演奏がベストだ。入場料はたしかドリンク代込みの1200円ほど、いま振り返れば、コーラを飲んで暴れ回る高校生たちを相手に、あんなにも真剣な演奏を届けてくれたことへの感謝しかない。採算など度外視だったに違いないあのステージを、バンドは一切の手抜きなしでやり遂げてくれた。小さなライヴハウスから大きな世界が広がって見えるほどに。
 パティ・スミスが“マイ・ジェネレーション”のカヴァーにおいて、熱狂的に繰り返したフレーズがある。「私たちは若い、とっても若い、若い、若い、若い……とっても若い、若いんだ」。あの場所はまさに、そういう現場だった。パンクにとっての「若さ」とは、大人になるための準備期間を意味しなかった。たとえその帰着が「怪物」であったとしても、「何か別のモノ」になろうとする激しい欲望そのものだった。ディック・ヘブディッジが分析したように、パンクとは「あらゆる異なるユース・カルチャーのスタイルを集め、安全ピンで繋ぎ合わせた生けるコラージュ」だった。(その雑食性こそが、ポスト・パンクへと展開するポテンシャルだった)
 あれは出発の合図だった。セックス・ピストルズはあっという間に終わっていたが、世界は確実に変わりはじめていた。毎月の新譜が楽しみでならず、同級生の家には新しいレコードが増えていった。あいつの家に行けばプラスティックスが聴けたし、あいつの家にはP-MODELがあって、近所の友人宅にはリザードがあった。ぼくはといえば深くのめり込んでしまい、そりゃまあ、いろいろと……
 では、最後に歴史のおさらいを。

「去年のいまごろ、俺は音楽について書くのを完全にやめようと考えていた。すると突然、あらゆる業界誌のジャーナリストから電話がかかってくるようになった。“パンク・ロック”というこの新しい現象について知りたいというんだ。最初、俺は少し混乱した。俺にとってパンク・ロックとは、1966年あたりの薄汚い鼻先を突き出したザ・シーズやカウント・ファイヴのようなグループで、ストゥージズが解散し、ディクテイターズの1stアルバムが惨敗したときに、死んで葬られたものだったからだ。
だったら、いまからわずか1年前の、そこにはたったひとつのものしかなかったことを忘れないでくれよ。ラモーンズのファースト・アルバムのことだ。 あのレコードがこれほどの影響を与えるとは誰が予想できただろうか。それと、セックス・ピストルズの“アナーキー・イン・ザ・ UK”、その獰猛的な鋭さ。それだけで十分だった。突然、水門が解き放たれたかのように、世界中で一千万もの小さなグループが突っ込んできた。彼らはギターで人びとを叩きのめし、すべてに退屈し、うんざりしているという支離滅裂な不満をわめき散らした。
俺もうんざりしていたし、君たちもうんざりしていた。リンダ・ロンシュタットのニヤケた弱々しい泣き言を聴くくらいなら、どれほど惨めな対価を払ってでもスローター・アンド・ザ・ドッグスを聴く方がマシだった。レコードを買うのが再び楽しくなった。その理由のひとつは、これらのグループがすべて、偉大なロックンロールの“知ったことか、ぶちかませ”という精神を体現していたからだ」 ——レスター・バングス(1977)

Ego Ella May - ele-king

 ここ数年来で気になるUKの女性シンガー・ソングライターの名前を挙げると、ジョルジャ・スミス、ヤスミン・レイシー、クレオ・ソルなどの名前が挙げられる。ネオ・ソウルをベースに、ジャズやフォーク、レゲエなど幅広い流儀も持ち合わせ、ときにエレクトリックなアプローチを見せたり、R&Bやヒップホップなど現代的なサウンドとの相性も良いという人たちだ。エゴ・エラ・メイもそうしたうちのひとりである。UKの女性シンガー・ソングライターの源流にはリンダ・ルイスがいて、彼女はカリブをルーツに持つ黒人だった。UK、なかでもロンドンの音楽にはアフリカやカリブからの移民が深く関わっていて、それはシンガー・ソングライターの世界においても同様である。リンダ・ルイスの後継的な存在のコリーヌ・ベイリー・レイもカリビアン・ルーツであるし、2010年代に台頭してきたローラ・マヴーラやリアン・ラ・ハヴァスもそうである。エゴ・エラ・メイのルーツはアフリカのナイジェリアで、ラッパーのリトル・シムズと同じだ。父親がジャズのファンで、エラという名前は往年のジャズ・シンガーのエラ・フィッツジェラルドからとられたそうだが、そうして幼少期からジャズやゴスペルなどを聴いて育つなかで、アフリカというルーツも彼女の音楽性のDNAに刻みこまれていったことは想像に難くない。

 19歳の頃から独学でギターをマスターし、そしてビートメイクも習得して自身で音楽を作るようになった彼女は、ロンドンのICPM(The Institute of Contemporary Music Performance)に進学し、本格的に音楽を学ぶと同時に音楽仲間のコネクションを広げていった。そして、2013年に自主制作となるEPの「The Tree」を発表してデビューし、その後も2014年に「Breathing Underwater」、2015年に「Zero」をリリースしてキャリアを積んでいく。この頃のサウンドは、オーガニックなネオ・ソウルとジャズの折衷的なスタイルにエレクトリックな要素もブレンドしたもので、それが彼女の基本的なスタイルと言える。USのネオ・ソウルの源流であるエリカ・バドゥの影響が見られるのは当然ながら、アコースティックなジャズやソウルとエレクトリックなサウンドとのバランスでは、UKのファティマやヤスミン・レイシーなどのスタンスが近いのかなとも思う。

 そうしたエゴ・エラ・メイの本領発揮となるファースト・アルバム『So Far』(2019年)では、いろいろなプロデューサーたちとコラボするなか、ウー・ルー(Wu-Lu)との共演が目に留まった。彼は南ロンドン・シーンに深く関わるプロデューサーであり、エゴ・エラ・メイも当然その影響を受ける。そして、次作『Honey For Wounds』(2020年)ではジャズ・ミュージシャンとのコラボが目につき、アルファ・ミストジョー・アーモン・ジョーンズオスカー・ジェローム、エディ・ヒック、アシュリー・ヘンリー、シオ・クローカーらと共演しするわけだが、シオ・クローカーを除いて南ロンドンのジャズ・シーンで活躍する面々だ。また、『Honey For Wounds』においてはアフロ・ジャズ・バンドのヌビヤン・ツイストのリーダーであるトム・エクセルがプロデューサーとして参加していて、逆に彼女がヌビヤン・ツイストのアルバム『Freedom Fables』(2021年)で客演するなど、関係性を深めていく。ヌビヤン・ツイストはアフロビートを軸とする音楽性なので、エゴ・エラ・メイの音楽的ルーツとも好相性だったのだろう。

 エゴ・エラ・メイの新作『Good Intensions』は、彼女がこれまで組んできたプロデューサー/ミュージシャンと再びタッグを組む。ウー・ルー、アルファ・ミスト、ヤスミン・レイシーのプロデューサーとして知られるメロー・ゼッドなどがそうで、なかでもトム・エクセルがメイン・プロデューサーとして多くの作品に関わる。彼が関わる “What You Waiting For” はアフロとブロークンビーツが融合したようなリズムで、ヌビヤン・ツイストにも通じるような楽曲だ。同様にトム・エクセルのプロデュースによる “Footwork” はタイトルどおりフットワークのビートの作品で、これまでのエゴ・エラ・メイの作品中でも極めてエレクトリックなアプローチが強いものだ。この2曲からわかるように、『Good Intensions』はこれまでになくチャレンジングな作品ということがわかる。ウー・ルーが手掛ける “What We Do” はちょうど1990年代初頭のアシッド・ジャズを思わせるグルーヴィーな楽曲で、全体的にダンサブルなアプローチの楽曲が増えている印象だ。

 一方、“We’re Not Free” や “Tarot” はエゴ・エラ・メイ本来のオーガニックなテイストが出たアコースティック・ソウルで、“Hold On” はジャズとソウルのちょうど中間的な楽曲。“Back To Sea” や “Good Intentions” はギターの弾き語りによるフォーキーな楽曲で、“Love is a Heavy Thing” は往年のジャズ・シンガーのペギー・リーのようなコケティッシュな魅力の歌が印象的。“Pot Luck Baby” はチャールズ・ステップニーがプロデュースしたロータリー・コネクションを思わせる楽曲で、エゴ・エラ・メイの歌もミニー・リパートンを彷彿とさせるところがあって、そこにエリカ・バドゥのようなフレージングもミックスしているようだ。これらの楽曲ではエゴ・エラ・メイのシンガーとしての魅力が一段と深みを増している。

Mitski - ele-king

 小説のようだと感じる音楽を作る人たちがいる。開かれた場所で叫ばれるようなものではない、すぐ隣から聞こえてくるかのような音楽を通しての1対1のコミュニケーション。自分にとってのそれはニュージーランド出身の表現者オルダス・ハーディングやサンフランシスコ出身のシンガー・ソングライター、ジェシカ・プラット(僕は彼女の音楽からなぜだか図書館の本棚の前に立っている姿を連想する)だったりするのだが、ミツキのこのアルバム『Nothing's About to Happen to Me』を聴いているとやはりそんな言葉が頭に浮かんでくる。それは物語的、哲学的な歌詞だけではなく、音楽のあり方がそう思わせるのかもしれない。様々な人間の姿が映し出され多くの観客とともに見ることが想定された映画と違い、本が読まれるときはいつだってひとりだ。多くの読者を抱える作家だとしてもそれは変わらない。ひとりで書き上げ、ひとりで受け取る、1対1の間接的なコミュニケーションのその先に集められたみながいるのだ。
 このアルバムのミツキはまさにそれを体現しているのかもしれない。強い刺激を与え、華美な装飾で耳目を集めたりはしない、問いを投げかけ思索を促すような解釈の音楽。ビルボードのチャートに入り、フェスティヴァルのラインナップを知らせる文字がどれだけ大きくなろうとも彼女の音楽は遠くに行かない。それどころかこの8作目のアルバムはこれまで以上に内面に向かって潜っていく。アメリカーナ的なフォーク、カントリー、そしてオルタナの歪んだギターを合わせた連作短編のようなこのアルバムは、さまざまな楽器を駆使し、聞く者の手を取るようにして音楽の中で思索する人間の内面の世界へと誘うのだ。

 オープニング・トラックの “In a Lake” ではアコースティック・ギターとバンジョー、アコーディオン、ストリングスによって牧歌的な風景が描き出される。しかしミツキはその風景を単純に美しいものだとは描かない。どれかひとつの楽器を目立たせることなく淡々と描写を積み重ね「小さな町には住めない」と唄われる故郷への複雑な感情を滲ませる。それは平熱の諦めであり平熱の愛着なのだ。終盤のオーケストラが展開する瞬間すらも極端にカタルシスを爆発させるようなものにはしない。アクセントという範疇に留め、それが曲の中心になる前にフェードアウトする。強い主張をするのではなくひとつひとつ描写を積み重ねゆっくりと深いところまで潜っていくというのがこのアルバムのミツキのスタイルなのだ。今日のトピックとしての刺激ではなく、ある出来事と他の出来事の間から立ち上ってくるような情感の表現、その美学がこのアルバムを通して貫かれている。
 ノイジーなオルタナロック・サウンドを響かせる “Where's My Phone?” においてのそれは絵の具が飛び散った跡のようなストリングスのアクセントと電子ピアノであり、禁止ワードを規制するピー音すらもユーモラスに使用して楽曲を彩っている。しかしそれらの音も楽曲の中心に居座り続けることはなく芳醇な甘み、あるいは苦味を残して消えていく。終盤のギターのようにも加工された人の叫び声にも聞こえるフレーズ(歌詞のテーマからするとそれはおぞましく歪んだ人の声なのかもしれない)にしてもその音はくぐもっていて決して突き抜けることはない。そう、ここにあるのはもどかしく味わい深い不完全な快感なのだ。

 突き抜けない不完全な快感、これはこのアルバム通してそうだ。たとえばペダル・スティール・ギターとストリングスが添えられた “Dead Women” のドゥルドゥドゥドゥッというコーラスにしても一緒に口ずさみたくなるようなラインにはわずかに足りなく、旋律の美しさが意思を持ち心を強く動かすようになるその手前で、どんな名前もしっくりとこない名のない感情を残して終わる。ボサノヴァ風の “I'll Change for You” のその恋もドラマッチックに展開することなく静かに深く自問を重ねていく。オーケストラのサウンドをもっと際立たせ心の動きを大きく表現することもできたはずなのに、そうはせずにグラスのなかの世界に留まるのだ(そうしてそのグラスに環境音を映し出し時間のレイヤーを生み出す)。そこにたまらない心をくすぐる情感がある。押し付けもせず過度に主張もしない深みのある楽器の連なりは聞き手のための余白を残す。そこを身の置き場にして曲のなかで問いかけと答えのコミュニケーションを繰り返す。その不完全な快感、全てを描ききらない余白の美学が情感をかきたてるのだ。

 生きること、充分に満ちてはいてもままならないもどかしさ、それはそのまま死の匂いに引き寄せられるような歌詞の世界にも現れている。固有名詞は使わない、直接的にも描かない、使うのは曲ごとのモチーフと目の前に広がる風景で、それが自らの居場所を探し求める女性の姿を浮かび上がらせる。
 “Where's My Phone?” の携帯電話のモチーフは情報が氾濫するスマートフォンの世界のなかでアイデンティティ・クライシスにおちいっている姿を思わせる。その世界では日々誰かの価値観が疑われ、いともたやすくレッテルが貼られていく。透明なスマホのガラスはとめどなく異なる意見を映し出し自らの価値観をそのままにしておいてはくれない。誰かの意見がずっと頭にはびこり、その意見に影響され行動までもが左右されていく。だけども知らないでいる状態も怖さを生み出す。そうやって自分の場所がわからなくなる。
 “Dead Women” では死によって神格化される芸術家、あるいは人間性というものに対する思索が漂う。その響きは理解されない諦めと好きなように利用されることへの哀しみが穏やかに入り交じる。ヴァージニア・ウルフのように石を抱き湖に沈んだなら? 27歳で天に向かったロック・スターのようになったら誰かが私を美しいものとして永遠にするのだろうか? そうであって欲しいという他者の欲求により作られたイメージ、誰かの世界の神になること、果たしてそれは幸せなのか?

 それらは直接的には描かれない。だからこそ音楽とともに思索の世界に潜っていけるのだ。この音楽は解釈することを許してくれる。まるで対話するようにその余白のなかに受け手が入り込めるだけの隙間を残し答えの出ない問いを投げかける。豊かで芳醇なプロダクションに彩られ丁寧に編み込まれたこのアルバムは痛みを描く。音楽の流れる時間のなかでその痛みを解き明かしていくのはなんとも言えない喜びがある。頭のなかにぼんやりとイメージが浮かびあがり、問いと答えを繰り返す、この音楽はやはり美しい小説のように聞こえてくる。

Caterina Barbieri & Bendik Giske - ele-king

 カテリーナ・バルビエリベンディク・ギスケによるアルバム『At Source』は、シンセサイザーの電子音と人間の呼吸、コンピューターと肉体が触れ合う瞬間を記録した音楽である。そこでは機械と人間の身体のわずかな揺らぎが、まるで互いを試すように寄り添いながら、ひとつの音響的風景を立ち上げていくのだ。
 本作『At Source』は、バルビエリとギスケが長年にわたる共演と対話のなかで育ててきた音楽的関係の結晶である。アナログ・シンセサイザーが描く反復の上を、サックスが横切っていく。その運動はふたつの異なる時間感覚が同じ空間のなかで重なり合い、ときに擦れ、ときに共鳴しながら、音楽という現象の深層を掘り下げていく過程そのものだ。アルバムは4曲、約33分。その内部では持続と変化、静止と生成が絶えず交錯し、聴き手の知覚をゆっくりと変形させていく。

 カテリーナ・バルビエリは、モジュラー・シンセサイザーによる反復構造を通して、時間そのものを彫刻する電子音楽家である。バルビエリの作品は、アルペジオの連鎖がつくり出す微細な変化によって、聴く者の感覚を静かに攪乱する。2019年のアルバム『Ecstatic Computation』によって、そのトランス的な時間感覚は広く知られるようになった。バルビエリの音楽の核心は、その内部に潜む微細な揺らぎにある。規則的なパターンのなかで、わずかにずれる音の粒子によって生まれる知覚の裂け目。『At Source』でもまた、バルビエリのシンセサイザーは幾何学的な秩序を保ちながら、どこか生き物のように呼吸している。
 本作をリリースする〈light-years〉はバルビエリ自身が設立したレーベルであり、音楽が生成される場そのものを設計するためのプラットフォームである。ライヴ、レジデンシー、コラボレーションなどを横断しながら、音楽がどのように生まれ、どのように変化していくのかを探る実験場でもある。『At Source』は、そのような長いプロセスのなかから、ひとつの静かな結晶として現れた作品だ。
 一方、ベンディク・ギスケは、サックスという古典的な楽器を身体そのものの拡張装置として扱う演奏家である。彼の演奏には、旋律以上に呼吸の震えやキーの打撃、身体の緊張が刻まれている。複数のマイクを身体や楽器に配置する録音方法によって、彼のサックスは単なる音色ではなく、演奏者の身体の運動そのものを記録する装置となる。そこで聴こえてくるのは音楽というより、むしろ身体が音へと変換される瞬間の記録である。
 ふたりの出会いは2019年、スイスの美術館 Kunsthaus Glarus での公演に遡る。互いの音楽が発する奇妙な共鳴を感じ取ったとき、彼らは「移行」という概念を音楽の中心に据える可能性について語り合った。音と音のあいだ、構造と即興のあいだ、電子回路と身体、その境界を越えていく微細な変化。そこにこそ、彼らの共同制作の核となる発想が見いだされていく。
 2021年には、ギスケがバルビエリの楽曲 “Fantas” を再解釈したプロジェクト『Fantas Variaciones』に参加し、両者の協働はより具体的な形を取り始める。ふたりはミラノの現代美術機関 ICA Milano(Institute of Contemporary Arts  Milano)でのレジデンシーを通じて制作とパフォーマンスを重ね、電子音響と身体的演奏の関係を探究していった。そうした制作過程とライヴでの実践のなかで培われた音楽的対話が、やがて作品として結実する。それが本作『At Source』である。

 アルバムを構成するのは “Intuition, Nimbus”、“Alignment, Orbits”、“Impatience, Magma”、“Persistence, Buds” の4曲。カンマで結ばれたふたつの言葉は、ふたりの視点が同時に存在することを示唆している。ひとつは身体の衝動、もうひとつは構造の視点。音楽はそのふたつのあいだを揺れながら、ゆっくりと形を変えていく。
 “Intuition, Nimbus” は、サックスの孤独な震えからはじまる。そこにシンセサイザーの持続音がゆっくりと広がり、まるで雲が空間を満たしていくように音響が膨張していく。“Alignment, Orbits” では、反復するアルペジオとサックスのキー音が互いの軌道をなぞるように循環し、音は重力を持った天体のようにゆっくりと回転する。アルバムの中心に位置する “Impatience, Magma” は、内部で静かに燃え続ける火山のような作品である。断片的なサックスのフレーズとシンセサイザーのオスティナートが徐々に絡み合い、時間をかけて大きなクレッシェンドを形成していく。そして終曲 “Persistence, Buds” では、すべての音が再び静寂へと帰っていく。残るのは呼吸と残響だけだ。

 このアルバムが示しているのは、電子音楽とアコースティック演奏の「融合」ではない。両者は決して完全には溶け合わないまま、互いの異質さを保ち続けている。電子音とサックス。そのふたつが交差するとき。もうひとつの音が生まれる。機械の時間と身体の時間が同時に流れる、二重の時間の音だ。
 その瞬間、音楽は単なる旋律や和声の集合ではなくなる。そこに露呈するのは、音が生まれる過程そのものだ。呼吸・摩擦・振動・電流。サックスのキーが触れられる瞬間、シンセサイザーの回路が共振する瞬間、音楽は身体の内部と電子回路の内部を同時に照らし出すだろう。

 『At Source』というタイトルは、いくつもの「問い」を投げかけている。音楽の源泉とは何なのか。身体なのか。機械なのか。それとも意識か。自然現象なのか。それとも、それらが触れ合う瞬間なのか。このアルバムは答えを与えない。ただ、音が生まれる場所へと、聴き手をゆっくりと導いていく。そこではすべての「音」がまだ形になる前の、かすかな震えがアルバム。まるで世界が最初に呼吸を始めたときのように。

RPR Soundsystem with Dreamrec - ele-king

 きっと桜が満開のころでしょう。来たる3月28日(土)、ミニマル・アンダーグラウンド・シーンの雄、ルーマニアのRPRサウンドシステムが2年ぶりにリキッドルームにやってきます。前回同様、オフィシャルVJのドリームレックも出演。独特のサウンドとヴィジュアルがおりなす異空間をふたたび体験できる、これは絶好のチャンスです。至福の一夜をぜひ、あなたも。

RPR SOUNDSYSTEM with Dreamrec VJ @LIQUIDROOM

2026年3月28日 (土) 23:30 OPEN/START

LIQUIDROOM 03-5464-0800
http://www.liquidroom.net

■出演者
― 1F LIQUIDROOM ―
RPR SOUNDSYSTEM (Rhadoo, Petre Inspirescu, Raresh / [a:rpia:r])
Dreamrec VJ

― 2F LIQUID LOFT ―
Satoshi Otsuki (Time Hole)
PI-GE (TRESVIBES)
P-YAN (A.S.F.RECS)

Total Information:
https://linktr.ee/rpr2026tokyo

Produced by Beat In Me


■料金
▼早割 - Early Bird (SOLD OUT)
5,500yen (50 Limited)

▼前売 - Standard Advance / STAGE 1 (SOLD OUT)
6,500yen

▼前売 - Standard Advance / STAGE 2
7,500yen
1/21(水) 00:00~3/27(金) 23:59

▼グループ割 - GROUP TICKET(4p)
28,000yen (Limited)
1/21(水) 00:00~3/27(金) 23:59

▼U-23
5,000yen (50 Limited)

▼当日 - Door
8,500yen

■TICKET
ZAIKO (Early Bird・STAGE 1・STAGE 2・GROUP TICKET・U-23)
RA (STAGE 2)
e-plus (STAGE 2)

■注意事項
※チケットは全て電子チケットとします。入場の際はQRコードを読み取りいたします。
※23歳以下割/U23チケットの購入の間違いにお気をつけください。当日に身分証明書をご提示いただき、23歳以下であることを確認させていただきます。24歳以上の方は、U23チケットをご購入いただいても当日のエントランスにて差額分をお支払いいただきますのでご了承ください。
※本公演は深夜公演につき20歳未満の方のご入場はお断り致します。
本人及び年齢確認のため、ご入場時に顔写真付きの身分証明書(免許書/パスポート/住民基本台帳カード/マイナンバーカード/在留カード/特別永住者証明書/社員証/学生証)をご提示いただきます。ご提示いただけない場合はいかなる理由でもご入場いただけませんのであらかじめご了承ください。
(You must be 20 and over with photo ID.)

■BIOGRAPHY

ー RPR SOUNDSYSTEM (Rhadoo, Petre Inspirescu, Raresh) ー
世界のアンダーグラウンドミュージックを席巻するルーマニアン・シーンのトップ、Rhadoo, Petre Inspirescu, Raresh。
現行のワールドシーンにおけるキングの一人として全世界に君臨し、ルーマニアシーンの事実上のボスであるRhadoo、卓越したプレイはもとよりその生み出される作品群が世界最高レベルのクオリティーの評価を獲得している唯一無二のアーティストPetre Inspirescu、3人の中でも特にメジャーシーンにおいても抜群の名声を確立しているRareshの3人による、最重要レーベル・そしてアーティスト集団がこの [a:rpia:r] (アーピアー)である。
そして、その3人による別名義のスペシャルユニット『RPR SOUNDSYSTEM』の名で出演するイベントは、バルセロナ『OFF SONAR Festival』やロンドンの名門クラブ『Fabric』などと言った、世界でも彼らにより選ばれたトップイベント・フェスのみとされ、年にごく数回しか実現する事はない。東京LIQUIDROOMのパーティーは、その選ばれた数少ない中の一つである。

ー Dreamrec VJ ー
新しい未知の世界を創造し、常に自然に回帰することが、Silviu Vișan (通称:Dreamrec) の芸術的アプローチを形成する大いなる源である。遊園地向けにオーバーサイズのおもちゃを製作していた父親のもとで育ったことは、没入型環境の感情的な経験と、様々な場所を何かエキサイティングなものへと変える秘密を学ぶのに最適な文脈となった。

Dreamrecはビデオフィードバックと最新のソフトウェアのレイヤーをツールとして使用し、コンピュータが予測不可能な状態になり出力がパレイドリア(錯覚)の流動的なストリームになる異常な時間と空間を探求している。これらの手法を用いて、彼は国際的なフェスティバル、クラブ、アートスペースで独自の視覚的美学を表現している:没入型で、うっとりさせるような、まるで訪れた者が物理的に別の次元に足を踏み入れたかのような。

ビデオパフォーマンス・大規模なマッピング :
V&A Museum (ロンドン)、Biennial of Young artists (ブカレスト)、Decenter Armory at Abrons Arts Center (ニューヨーク) など

アート&ミュージックフェスティバル・クラブ :
Rokolectiv Festival (ブカレスト)、TodaysArt Festival Hague (オランダ)、ICAS Suite by Club Transmediale (ベルリン)、Periferias Festival (スペイン)、Simultan Festival (ルーマニア)、EasternDaze Night (スロバキア)、Crack Festival (ローマ)、Insomnia Festival (ノルウェー)、Arma17 (モスクワ)、Liquidroom (東京)、Fabric (ロンドン) など

また、RPR Soundsystem ([a:rpia:r]) やRochite、Sillyconductor (実験音楽家)との長期にわたるコラボレーションが挙げられる。

Yoshinori Sunahara - ele-king

 ミックスCDからインスパイアされた74分という時間でなされる表現、LIQUIDROOMのKATAが新たにはじめたライヴDJセット・シリーズ〈I’m Not Just a DJ〉、第二回開催のお知らせです。4月24日(金)、今回のDJは砂原良徳。近年はTESTSETの一員として、そしてマスタリング・エンジニアとしても活躍する彼が、74分という時間のなかでどのようなセットを披露してくれるのか。楽しみにしていよう。

liquidroom presents
I’m Not Just a DJ featuring Yoshinori Sunahara(TESTSET)

2026年4月24日(金)
OPEN19:00 / START20:00 (Warm up 20:00 Set Time 20:30-21:44)

一般(100 limited tickets):¥4,000(+1D)
U-25(100 limited tickets):¥2,500(+1D)

2026年3月14日10 :00 〜2026年4月23日23 :59
https://liquidroom.zaiko.io/e/notjustdj20260424

KATA:03-5464-0800 / https://kata-gallery.net

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